【 函 】猿、人の函
●某所
「……化物の、正体みたり、枯れ尾花」
噺家は受話器を叩きつるようにして置くと、隅にうずくまるようにして座る大髑髏を睨みつけた。
「あ? 『鶉衣』がなんだって?」
鋭い声に切りつけられて、大髑髏はますます小さく縮こまった。噺家の視線を避けるように顔を伏せる。
ぎり、と奥歯を鳴らした噺家を、デスクの向こうからアイズオンリーがたしなめた。
「噺家さん、やめてください。備品を乱暴に扱うのも、仲間を恫喝するのも。それで大髑髏さん、いまのはお栄さんたちに関する予知ですか?」
「はい。恐らくは」
大髑髏は骨の手を合わせて深々と頭を下げた。
意味は、と主に問われて微かに首を横に振る。
「何者かが、『口惜しや。この函はてせうすのフネにあらず』とつぶやく声も聞こましたが、さて……てせうすのフネとやらを拙僧は存じませぬ」
ゆえに、やはり呟きの意味は解らぬと言う。さらに、呟いた者の姿は闇に埋もれていて、これまた正体が分からなかったと付け足した。
「ちっ、使えねえヤツだな。なに、中に閉じ込められて出られないっていうんなら、函をぶった切って出してやればいい話だ。私がひとっ飛びしてお栄たちを連れもどしてきますよ」
●森林公園
覚者たちは函から少し離れたところに集まって、自分たちが探り当てた情報を出し合っていた。
木の枝を使って土に書きだしていく。
肉塊となってしまった憤怒者の遺体からは、以下の事が分かった。
・肉塊A、色片・前後上下左右/縦横奥……黒緑黄黒黒赤、不明・2・2
・肉塊B、色片・前後上下左右/縦横奥……黒緑黄黒橙黒、不明・1・2
・交霊情報1……「獣臭い」「血の臭い」「息苦しい」「壁が迫ってくる」
・交霊情報2……「俺は轟」「俺の相棒は河村」「私は大村」「荒木とペア」
箱の中との交信で以下の事が分かった。
・保坂、壁色・前後上下左右……青黒黄黒黒赤
・生島、壁色・前後上下左右……青黒黒白橙黒
・お紺、壁色・前後上下左右……青黒黄黒橙黒
・お金、壁色・前後上下左右……青黒黒白黒赤
・どの面も血と動物のような毛がついている
・猿と血の臭いがする。
・保坂曰く、下と隣から時々、子供の泣き声が聞こえる
・徐々に空気が少なくなり、黒い瘴気のようなものが満ちてきている
怪異レポートからは以下の事が分かった。
・血文字で情報を残したのは函からの生還者の一人
・函を回して開いたのはレポーターではない
・「殺してしまう前に気づいて呼びかければ、と悔やまれる」
・「時間がたてばもう戻せない」
猿人を尋問した結果、以下の事が分かった。
・最短であと四回、正しく回せれば函が開く。
・四回中、二回分はお栄が間違って回した分。
・猿人は函から出てきた者を仲魔と思っているようだ。
パズル箱の解き方サイトからは、以下のことが分かった。
・解き方A、最後の二手……上段を右に90度回転、右列を下へ90度回転
・解き方B、最後の二手……上段を左へ90度回転、上段を左へ90度回転
「ふっ……。まったくわからねえぜ」
「ちんぷんかんぷんなのよ」
書きだされた情報を覗き込んで、覚者たちは首を捻った。
「時間がありません。空気がなくなってしまう前になんとか謎を解かないと」
「そうね。猿……古妖たちもすぐそこまで来ているみたいだし」
「猿むどもの数は分かるかね?」
「5……ううん、全部で6体ね」
「それだけ? なんとなく嫌な感じがするんよ。さっきから誰かがじっとこちらを見ているような、そんな気が……」
「……化物の、正体みたり、枯れ尾花」
噺家は受話器を叩きつるようにして置くと、隅にうずくまるようにして座る大髑髏を睨みつけた。
「あ? 『鶉衣』がなんだって?」
鋭い声に切りつけられて、大髑髏はますます小さく縮こまった。噺家の視線を避けるように顔を伏せる。
ぎり、と奥歯を鳴らした噺家を、デスクの向こうからアイズオンリーがたしなめた。
「噺家さん、やめてください。備品を乱暴に扱うのも、仲間を恫喝するのも。それで大髑髏さん、いまのはお栄さんたちに関する予知ですか?」
「はい。恐らくは」
大髑髏は骨の手を合わせて深々と頭を下げた。
意味は、と主に問われて微かに首を横に振る。
「何者かが、『口惜しや。この函はてせうすのフネにあらず』とつぶやく声も聞こましたが、さて……てせうすのフネとやらを拙僧は存じませぬ」
ゆえに、やはり呟きの意味は解らぬと言う。さらに、呟いた者の姿は闇に埋もれていて、これまた正体が分からなかったと付け足した。
「ちっ、使えねえヤツだな。なに、中に閉じ込められて出られないっていうんなら、函をぶった切って出してやればいい話だ。私がひとっ飛びしてお栄たちを連れもどしてきますよ」
●森林公園
覚者たちは函から少し離れたところに集まって、自分たちが探り当てた情報を出し合っていた。
木の枝を使って土に書きだしていく。
肉塊となってしまった憤怒者の遺体からは、以下の事が分かった。
・肉塊A、色片・前後上下左右/縦横奥……黒緑黄黒黒赤、不明・2・2
・肉塊B、色片・前後上下左右/縦横奥……黒緑黄黒橙黒、不明・1・2
・交霊情報1……「獣臭い」「血の臭い」「息苦しい」「壁が迫ってくる」
・交霊情報2……「俺は轟」「俺の相棒は河村」「私は大村」「荒木とペア」
箱の中との交信で以下の事が分かった。
・保坂、壁色・前後上下左右……青黒黄黒黒赤
・生島、壁色・前後上下左右……青黒黒白橙黒
・お紺、壁色・前後上下左右……青黒黄黒橙黒
・お金、壁色・前後上下左右……青黒黒白黒赤
・どの面も血と動物のような毛がついている
・猿と血の臭いがする。
・保坂曰く、下と隣から時々、子供の泣き声が聞こえる
・徐々に空気が少なくなり、黒い瘴気のようなものが満ちてきている
怪異レポートからは以下の事が分かった。
・血文字で情報を残したのは函からの生還者の一人
・函を回して開いたのはレポーターではない
・「殺してしまう前に気づいて呼びかければ、と悔やまれる」
・「時間がたてばもう戻せない」
猿人を尋問した結果、以下の事が分かった。
・最短であと四回、正しく回せれば函が開く。
・四回中、二回分はお栄が間違って回した分。
・猿人は函から出てきた者を仲魔と思っているようだ。
パズル箱の解き方サイトからは、以下のことが分かった。
・解き方A、最後の二手……上段を右に90度回転、右列を下へ90度回転
・解き方B、最後の二手……上段を左へ90度回転、上段を左へ90度回転
「ふっ……。まったくわからねえぜ」
「ちんぷんかんぷんなのよ」
書きだされた情報を覗き込んで、覚者たちは首を捻った。
「時間がありません。空気がなくなってしまう前になんとか謎を解かないと」
「そうね。猿……古妖たちもすぐそこまで来ているみたいだし」
「猿むどもの数は分かるかね?」
「5……ううん、全部で6体ね」
「それだけ? なんとなく嫌な感じがするんよ。さっきから誰かがじっとこちらを見ているような、そんな気が……」

■シナリオ詳細
■成功条件
1.函を解いて捕らわれていた者を出す
2.保坂、生島、両名の生存
3.古妖・猿人もどき6体の撃破
2.保坂、生島、両名の生存
3.古妖・猿人もどき6体の撃破
・森林公園の外れ
・夕方
※幸いにも近くに一般人はいません。
●敵、古妖『猿人もどき』……呼ばれてやって来た6体。
OP時点から3ターン後、広場の西側から一斉に襲い掛かってきます。
どうやら函を餌箱として利用していたのは古妖『猿人』ではなく、
古妖『猿人もどき』だったようです。
性質は古妖『猿人』と同じです。
人の肉(死肉含む)を好む危険な古妖で、ときに他の古妖も食べます。
簡単な会話可能。
【噛みつき】……物・近単/出血
【ひっかき】……物・近単/出血
【助けを求める声】……ピンチになると甲高く吠えて、仲間を1、2体呼びます。
●妖具『函』
作ったのは函士と呼ばれる古妖か?
巨大な立方体。
全身が透視できない、黒い艶消しの石板のようなもので覆われている。
八つのブロックに分かれている。
各ブロックに触れると列、または行単位で、縦または横方向に動く。
二つ同時に触ると面ごと回転する。
例)
■◆
◇□
■に触れて押すと、上段■◆が左へ回転。
◆に触れて押すと、上段■◆が右へ回転。
■に触れて上に撫でると、左列■◇が上へ回転。
■と◇の二つを同時に押す、面ごと左回転。
◇と□の二つに同時に触れて下へ撫でおろすと、面ごと下に回転。
■と□に同時に触れても動かない。その逆も然り。
※注意1
お栄が座り込んでいたところから見て「正面」の面しか反応しない。
操作できるのはこの一面のみ。
※注意2
5メートル内にある程度の大きさの動物(人、古妖含む。『猿人もどき』は除外)が
8体以上いると、体を解いて中に取り込もうとする。
一度に取り込めるのは8体まで。
●古妖『函士』
近くに潜んでいる可能性がありますが、現時点では所在地不明です。
また、その能力も不明。
●その他……古妖・噺家
どうやってか、OPの時点から5分後には近くまでやって来ています。
古妖のお栄が森林公園の入り口で押さえていますが、更に10分後には広場に来て、有無を言わさず強引に函を壊してしまうでしょう。
●その他……函からの生還者
正しい手順で解くと、函が開いて中に閉じ込められていた人たちが出てきますが……。
※10月26日、10月29日の二回にわたり記載ミスのためOP内容の修正を行っております。
参加者の方々には大変ご迷惑をおかけいたしました。
誤)
・保坂曰く、下と左側から時々、子供の泣き声が聞こえる
正)
・保坂曰く、下と隣から時々、子供の泣き声が聞こえる
状態
完了
完了
報酬モルコイン
金:0枚 銀:1枚 銅:0枚
金:0枚 銀:1枚 銅:0枚
相談日数
8日
8日
参加費
100LP[+予約50LP]
100LP[+予約50LP]
参加人数
6/6
6/6
公開日
2016年11月11日
2016年11月11日
■メイン参加者 6人■

●
空を流れゆく雲に息を吹きかけて、『溶けない炎』鈴駆・ありす(CL2001269)は膝を伸ばした。腰を捻って体のこわばりを解きながら、古妖の気配を探る。
引っかかるのは刻々と近づいてくる猿人もどきたちの気ばかりだ。函士なる古妖は、どこにどうやって潜んでいるのか。
(「それにしても……全く、趣味の悪い函ね。趣味が悪いというよりは底意地が悪いというべきかしら」)
正しく解けなければ中の人を肉塊に変え、正しく解けても猿人もどきに変えてしまう。解けなければ解けなかったで、やはり中の人は猿人もどきになるのだから、助けられるかも、と希望を抱かせるだけ函は悪質だ。
ありすに続いて『五麟マラソン優勝者』奥州 一悟(CL2000076)が腰を伸ばした。
「駄目だ。まったくわかんねぇ」
頭の後をがしがしとかく。
「オレは全力で函を守るぜ。とりあえず保坂さんに黒い瘴気のこと伝えとくな。生島さんには保坂さんから伝えてもらうよ」
「お願いします」
『希望峰』七海 灯(CL2000579)はポケットの中を探った。クッキーにアクセサリーを入れた小箱、その他。地面に並べていく。函を解く手助けになるものがあれば何であれ使うつもりらしい。
一悟は函の前に立つと保坂の心へ話しかけた。
<「すぐに助ける。なるべく息を止めて、黒い瘴気を吸い込まないようにしてくれ」>
灯は頭を垂れた一悟を横目に、小箱を手に取って開いた。中からアクセサリーを取り出す。目をつけたのはアクセサリーではなく、仕切りと底じきに使っていたものだ。
「何をする気かね?」
緒形 逝(CL2000156)がかぶるヘルメットのシールドに、広げられた和紙が二枚、映り込んだ。
「一枚で四個。これで箱を作ります」
「灯お姉さん、あすかもお手伝いするのよ」
『ゆるゆるふああ』鼎 飛鳥(CL2000093)は和紙を一枚受け取ると、手で切り始めた。慎重な手つきでに四つに分けた。
「いま女子の間で折り紙が流行っているのよ。あすかは六角形の箱も折れるのよ、えっへん」
そういうと、小さくなった和紙の一つをてきぱきと折って、あっという間に箱を作ってしまった。
「おっさんも猿退治に専念するとしよう。昔からこの手の謎解きは苦手なのよ」
すまんね、といって逝が立ち上がる。
「ありすちゃん、猿もどきが一番多くやって来ている方角を教えておくれ」
「六匹全部、西側に回ったわ。数を揃えて一気に襲い掛かってくる気かしら」
「ふむ。一方から攻め込んでくるなら都合が良い。纏めて悪食ちゃんのおやつにしてやろう」
逝は忍び笑いで肩を揺らすと、直刀・悪食を手に函の裏へ回り込んでいった。
「ねえ、これで印がつけられると思うんよ」
茨田・凜(CL2000438)は持って来ていたお菓子の中からペンシル型チョコをより分けると、箱作りにいそしむ二人に差し出した。
「凜はお菓子を全部子狐ちゃんたちにあげようと思っているんよ。がんばったご褒美にね」
チョコの他にもクッキーと飴玉を両のてのひらに乗せて微笑む。
「いいんじゃない。あの子たちもきっと喜ぶと思うわ。ところで、茨田サン。アナタが感じたその……嫌な感じってヤツを詳しく教えて」
●
灯と飛鳥で函の解きと守備を担い、その他の四人で猿人もどきを撃退する。特に打ち合わせたわけでなく、自然と役割分担が出来上がっていた。
作った八つの箱に印をつければ、いよいよ謎解きである。
「函は、とりあえず黒を抜かした色で全ての面が揃う組み合わせを考えてみましょう」
「はい、なのよ」
獣じみた威嚇の声が木々の奥から聞こえる。謎解きに残された時間はもういくらも残っていない。
「……保坂さんとお紺さん、お金さんの位置関係がこうですから、保坂さんの函の向きも考慮して」
壁の色やその他の情報をもとにして、灯が箱を積み上げていく。
「むむむ。ほとんど揃っているのよ。横に回すだけなのよ」
「うん、上段に保坂さんとお紺さん、お金さん、ついでに生島さんが来る配置になりますから、茨田さんの調べてくれた解き方によれば解き方Bが正しいようですね。鼎さんの言う通り、お栄さんと回す方向が逆なだけで……意地悪なパズルですね」
灯と飛鳥が立ち上がるのと同時に、茂みの奥から猿人もどきたちが次々と飛び出してきた。
鋭い牙をむいて唸り声を上げながら、ある個体は肉塊を目指し、ある個体は函を目指して走ってくる。
一悟は地面に手をついて気を流し込み、渦巻く炎の柱を立ちあげた。四足で駆けてくる猿人もどきに向けて腕を振り、火柱を走らせる。
凜は脇へ逃げた一体の前に立ち塞がった。
(「お紺ちゃんとお金ちゃんを、早くお母さんと再会させてあげたいからがんばる」)
指先から圧縮した水のしずくを高速で飛ばす。
猿人は水礫を横へ飛びかわしたが、自ら火柱に身投げする形になった。
「ナイスフォローよ、凛ちゃん。あ、奥州ちゃん、焼き加減はミディアムでお願いね」
ウェルダンは悪食ちゃんの好みじゃないから、と逝は悪ふざけを口にして、火柱を逃れた三体の古妖にもののけを喰らう刀を振るう。
顔面に刃を受けた一体の猿人もどきが、黒い瘴気に崩れ変わりながら妖刀に吸い込まれた。
妖刀の刃をかいくぐった二体が、尻で滑りながらとがった爪の先で逝の脛を次々と切りつけた。
「いたたっ。悪食ちゃん、『生』は食べ飽きたようだね」
本日すでに三体目である。悪食と名付けられてはいるだけあって、刃が当たったものは何でも食するが、さすがに同じものばかりでは飽きもするだろう。
「はいはい。リクエストに応えてアタシがまとめて焼いてあげるわよ」
ありすは胸の前で手を合わせた。第三の目が怪しく燃え立ち、合わせた手の間から大量の炎が噴き出す。
「それ!」
炎で壁を築き、両手でついて雪崩させた。津波となって猿人もどきたちに襲い掛かる。
一体の猿人もどきが、炎の海の中から尻に火をつけて飛び出した。函に腕を伸ばす。
「あすかが函を解きます! 灯お姉さん、あのお猿をお願い!」
灯は返事の代わりに闇刈を投げて、函に手を伸ばす猿人もどきの腹を切り裂いた。
猿人もどきはぎゃっ、と叫ぶと、切られた腹を手で抑えて横へ逃げた。
(「猿人はもどきで、元人間だった? だとしたらこの猿人もどきも先ほど倒した猿人もどきも……」)
助けられたかもしれない人を手にかけてしまった、なんて思いたくない。ああ、本当に。これはなんて底意地の悪い函なのだろう。
灯は嫌悪感で身を震わせた。
「鼎さん、早く!」
飛鳥は函に駆けよると、迷わず上段左のボックスに手をついた。
「えい、えい! もう一回、えい、なのよ!」
続けて左に三回、上段左に来たボックスを強く叩く。
カチリ、と何かが外れる音がしたのち、函が八つに分かれながら空へあがった。
「あ~!」
八つに分かれた函はそれぞれが同時に底を開いて、中に閉じ込めていたもの――毛むくじゃらのものを地に落とした。
「あばば。みんな同時に出てきちゃたのよ! みなさん、お手伝いくださいなのよ!」
小函はぱらり、と展開し、ぱたり、と開いた面から順に畳まれて、正方形の板の束になった。八つの板の束は、それぞれの角一点から黒くて細い瘴気の糸が出ていた。風に揺れて面を返す様は、まるで空からつり下げられたモールのようだ。
(「どうやって、どこで?」)
飛鳥は八つの板束を睨みあげた。瘴気の糸の先に函士がいるはずだ。
猿人もどきたちが一斉に、新たに加わった仲間たちに向けて叫びだした。
「行かせるかよ。保坂さんたちはお前たちの仲間にはならねぇぜ!」
一悟が猿人もどきたちに火柱を放つ。
「あすかちゃん、みんなの猿化を阻止する方が先よ。灯ちゃんも、猿どもをおっさんたちに任せていっておくれ!」
毛並みの違う小さな毛むくじゃらが二つ、狂ったように腕を振り回しだした。
他の毛むくじゃらが次々と立ち上がる。
四つの大きな毛むくじゃらたちは猿人もどきたちの方へ、小さな毛むくじゃらはそれとは反対方向に向かって走り出した。
「お紺チャン、お金チャン!」
ありすはあわてて前に回り込むと、膝をついた。
広げた腕で捕えた小さな毛むくじゃらたちを、ぎゅっと抱き寄せる。
「いやぁ! 猿くちゃい!」
「いやぁ! 猿キライ!」
子狐たちは人化が解けていた。
ありすのうなじに乾いた鼻を押しつけ、おっ母どこ、と泣き叫ぶ。
「もう大丈夫。もう大丈夫だから……」
ありすは子狐たちの金色の背や頭を優しくなでて、体についた猿の毛を払い落としてやった。
子狐たちは次第に落ち着きを取り戻した。
クスクスと籠った笑い声が両側から首や耳たぶにあてられる。
「あーちゃん、猿くちゃいよ」
「あーちゃん、猿くちゃいね」
「こら、やめて! くすぐったいじゃない……」
凜は戦列を離れてありすのそばへやってくると、子狐たちにお菓子を差し出した。
「はやくお母さんの所へ。お母さん、ずっと公園の入口で二人が戻ってくるのを待っているんよ」
「あーちゃんも一緒?」
「あーちゃんも来る?」
ありすは首を振った。
「アタシはみんなと一緒に悪い猿を懲らしめなきゃなんないから……それより、二人とも、凛お姉サンにありがとうは?」
子狐たちは声を合わせて凜にもらったお菓子の礼を言った。それから大きな毛むくじゃらの一体を捕まえてクルクル回している飛鳥に向かい、「あすか、出してくれてありがとう」と言った。
飛鳥はすでに保坂の猿化を解き終わり、生島に取り掛かっていた。助けられた保坂は飛鳥の指示で空に上がり、八枚の板の束を注意深く見張っている。
首を横向けて子狐たちを見送りながら、飛鳥は保坂にかけたのと同じ内容の言葉を生島にもかけた。
「生島さん! あなたは生島さんでお猿じゃないのよ、しっかりしてください!」
その横で灯が二体の毛むくじゃらを交互に回しながら、「河村さん、荒木さん!」と叫んでいた。
(「お願い。戻ってきて!」)
必死の努力にもかかわらず、二人についた猿の毛はなかなか落ちない。
お紺とお金は元が古妖であったがために、猿の毛を体中につけて出てきたが猿化はしていなかった。ただ、狐の姿には戻っていた。
保坂は一悟から黒い瘴気を吸わないように警告されていたので、比較的早く暗示が解けた。こちらは猿の毛が落ちた後、素っ裸になっていたが。
しかし、連絡のつけられなかった二人の憤怒者は神秘に耐性のない一般人である。黒い瘴気を吸い込んでかなり猿化していた。
「私はあきらめない! だから河村さんも荒木さんもあきらめないで!」
そうこうしているうちに、生島の猿化が解けた。
「お、お礼はいいから、あっち向いてくださいなのよ」
すっ裸になっていることに気づいた生島が、あわてて回れ右する。
正面に猿人もどきと格闘する逝がいた。
ヘルメットになかなかご立派なものが映り込む。
「げっ、野郎の……見たくなかったぞぉ。おっさんの上着を貸してあげよう。さっさと隠しておくれ」
猿人もどきの一体が、上着を脱ぐ逝の脇をすり抜けて、まだ猿化が解けない憤怒者の一人に近づいた。手を掴んで引っ張り、連れ去ろうとする。
ありすがむき出しの尻を見ないように顔を伏せたまま火玉を投げたが、当然のように明後日の方向へとんでいき、猿人もどきにはひとつも当たらなかった。
ぎゃあ、と女の悲鳴が二方向であがった。
一つは毛むくじゃらの憤怒者から、もう一つは凛から。
「凛!」
一悟は相手にしていた猿人もどきを蹴る振りをして一時的に肉塊から遠ざけると、凛のそばから離れていく黒い瘴気の塊に指を向けて、練り上げた気を撃った。
「ちっ、消えたか。凛、大丈夫か?」
「でかい猿に後ろから抱きつかれて、気持ち悪かったんよ。耳元で『お前、似ている』って。でも凜は、凜は……猿に似てないよ!」
「あ~。人間はみんな猿から進化したし、もしかしたら凜はちょっぴり――って!」
凜は目を吊り上げてると、一悟に水礫を飛ばした。
「ふたりとも、早く猿人もどきにさらわれた人を追って!」
上から保坂が悲鳴をあげた毛むくじゃらを指し、「彼女が荒木」だと叫んだ。憤怒者が女相棒に向かって、荒木と呼んでいたという。
灯は毛むくじゃらの両腕を掴んで正面を向かせると、強い願いを込めて女の名を口にした。
「荒木さん、しっかりしてください!」
猿化が解けるなり荒木はまた悲鳴をあげ、裸の胸を手で覆い隠して地面に座り込んだ。
駆けつけたありすが、自分の上着をかけて体を隠してやった。そのまま肩に腕を回して抱きしめる。
「猿たち、もともとすばしっこいうえに用心深くなっているわね」
猿人もどきたちはトリッキーな動きで覚者たちを翻弄し、毛むくじゃらの河村をどこかへ連れ去ろうとしていた。
逝は河村の手を掴んで引っ張っていた猿人もどきの肘から下を、振り上げた妖刀の刃で切り落とした。
「お前、何故ジャマする!」
「何故、と言ったな。ならば答えは『スワンプマンにそれを聞くかね?』だ」
頭の上で素早く悪食を返すと、こんどは下へ振り落とす。
猿人もどきは落ちた腕を素早くつかみあげると、後ろへ飛んで斬撃をかわした。
一悟が急いで間に割り込んで、腕を落とした猿人もどきを河村から遠ざける。
するとこんどは反対側から二体の猿人もどきが同時に近づいてきて、河村の足を掴もうとした。
飛鳥がうち一体の頭を狙って水礫を飛ばした。
灯が名を呼びながら河村を左に回す。
河村の体から毛が落ち始めると、ついに猿人もどきたちもあきらめたようで、一体、また一体とさがりだした。
「くそ、逃げられちまう!」
その時、ぴん、と辺りの空気が固く張り詰めた。陽が木の向こうに落ちて、広場全体が薄闇に沈む。猿人もどきも覚者たちも、金縛りにあったように誰一人動けなくなった。
白地紗綾の中幅帯に大小を差した噺家が、広場の入口に立っていた。
「加勢が必要かい?」
「……いや、十分さね」
逝の声で呪縛が解かれると、猿人もどきたちは一斉に毛を逆立てて噺家に牙をむいた。
「ちくしょう! どこを見ていやがる、お前たちの相手はオレたちだろ!」
一悟はトンファーに神秘の炎を纏わせて猿人もどきたちに切迫した。相手に動く余裕を与えず、渾身の力を込めて殴打する。
「一気に決めるわよ!」
ありすが炎の津波を起こし、灯が闇刈を振るって地を裂く。
凜が水礫で逃げまどう猿人もどきを撃ち、逝が悪食を薙いで残りをまとめて喰らった。
「保坂さん!」
それまで空に浮かんだまま微動だにしなかった八つの函の板束が、瘴気の糸に引かれて動き出した。
保坂が糸を切って落とそうとするが、なかなか断ち切れぬまま、ぐんぐんと攻撃が届かないところへ上がっていく。
「噺家さん、お願いなのよ!」
「どっちだ?」
「函!」
飛鳥はくるりと振り返ると、水晶のロッドを木々の間に向けて水龍を放った。
鯉口が切られた音と同時に、八つの板束が横一線に切れる。板がバラバラになって地上に落下する前には、噺家はもう刀を鞘に納めていた。
飛鳥が狙ったものに誰よりも早く気づいた灯は、全速力で茂みに飛び込み、木々の間を逃げていく影を追いかけた。
一悟も後を追って森に入ったが、二人とも途中で影を見失ってしまった。
●
「お栄さんたちは?」
ありすが声をかけると、噺家は足を止めた。
「山に帰すよ。アイズオンリーさまが蟄居の命を解かれるまで、私が結界を張って閉じ込めておく」
「どこ? 会いに行ける?」
噺家は困り顔で振り返った。
「勘弁してくれ。お前さんは仲間じゃない。頭の横にそいつらを連れているうちはまだ人だ。いや、人ならいいが……私たちからしてみれば、お前さんたちは力が使える『人もどき』だから性質が悪い。そこのすわんぷまんも、な」
「スワンプ……? 何のことかね」
逝がすっとぼけると、噺家は笑い声を上げた。
「せいぜい、背中に気をつけな。露西亜から来た客人がお前さんを見たことがあると言っていたよ。怖い顔してね」
そこへ一悟と灯が森から戻って来た。
「噺家! 国枝さんがロシアから呼んだのは人か、古妖か。答えやがれ!」
「さて、どっちかな?」
にやにや笑って一悟を挑発する。
「やめなさいなのよ。一悟が二つにぶった切られても面倒事が増えるだけで、誰も面白くないのよ。それより函士は?」
飛鳥に問われて、一悟は下唇をかんだ。
横で肩を落とした灯が首を振る。
「逃げられちまったのかい。ああ、そうだ。お栄たちを助けてくれた礼がまだだったな」
噺家は腕を袖の中に引っ込めると、色あせて縁の欠けた写真を取り出した。
受け取った写真を覗き込んで、凜が息をのむ。
写真の中で、寄木細工の箱を手にした大猿の傍らに、凛によく似た着物姿の女が微笑みを浮かべて立っていた。
よく見ると、背景に山が映り込んでいた。いま覚者たちが振り返ると見える山と、シルエットがまったく同じだ。
「今から百年前、大正時代の写真だ。そこに映っている大猿こそが、人に追い詰められて消えていった猿人最後の一匹……と函士さ」
灯は写真から顔を上げた。
「え? どういうことです。茨田さんは猿に抱きしめられたと……私たちが追いかけた影は、猿人じゃなかった?」
「捕まえてみりゃ判る。それじゃあ、私は失礼させてもらうよ」
ぽっ、ぽっと広場に明かりが灯る。
噺家が立ち去ったあと、
覚者たちは、深さを増した闇に囲まれた広場に、謎と一緒に取り残された。
空を流れゆく雲に息を吹きかけて、『溶けない炎』鈴駆・ありす(CL2001269)は膝を伸ばした。腰を捻って体のこわばりを解きながら、古妖の気配を探る。
引っかかるのは刻々と近づいてくる猿人もどきたちの気ばかりだ。函士なる古妖は、どこにどうやって潜んでいるのか。
(「それにしても……全く、趣味の悪い函ね。趣味が悪いというよりは底意地が悪いというべきかしら」)
正しく解けなければ中の人を肉塊に変え、正しく解けても猿人もどきに変えてしまう。解けなければ解けなかったで、やはり中の人は猿人もどきになるのだから、助けられるかも、と希望を抱かせるだけ函は悪質だ。
ありすに続いて『五麟マラソン優勝者』奥州 一悟(CL2000076)が腰を伸ばした。
「駄目だ。まったくわかんねぇ」
頭の後をがしがしとかく。
「オレは全力で函を守るぜ。とりあえず保坂さんに黒い瘴気のこと伝えとくな。生島さんには保坂さんから伝えてもらうよ」
「お願いします」
『希望峰』七海 灯(CL2000579)はポケットの中を探った。クッキーにアクセサリーを入れた小箱、その他。地面に並べていく。函を解く手助けになるものがあれば何であれ使うつもりらしい。
一悟は函の前に立つと保坂の心へ話しかけた。
<「すぐに助ける。なるべく息を止めて、黒い瘴気を吸い込まないようにしてくれ」>
灯は頭を垂れた一悟を横目に、小箱を手に取って開いた。中からアクセサリーを取り出す。目をつけたのはアクセサリーではなく、仕切りと底じきに使っていたものだ。
「何をする気かね?」
緒形 逝(CL2000156)がかぶるヘルメットのシールドに、広げられた和紙が二枚、映り込んだ。
「一枚で四個。これで箱を作ります」
「灯お姉さん、あすかもお手伝いするのよ」
『ゆるゆるふああ』鼎 飛鳥(CL2000093)は和紙を一枚受け取ると、手で切り始めた。慎重な手つきでに四つに分けた。
「いま女子の間で折り紙が流行っているのよ。あすかは六角形の箱も折れるのよ、えっへん」
そういうと、小さくなった和紙の一つをてきぱきと折って、あっという間に箱を作ってしまった。
「おっさんも猿退治に専念するとしよう。昔からこの手の謎解きは苦手なのよ」
すまんね、といって逝が立ち上がる。
「ありすちゃん、猿もどきが一番多くやって来ている方角を教えておくれ」
「六匹全部、西側に回ったわ。数を揃えて一気に襲い掛かってくる気かしら」
「ふむ。一方から攻め込んでくるなら都合が良い。纏めて悪食ちゃんのおやつにしてやろう」
逝は忍び笑いで肩を揺らすと、直刀・悪食を手に函の裏へ回り込んでいった。
「ねえ、これで印がつけられると思うんよ」
茨田・凜(CL2000438)は持って来ていたお菓子の中からペンシル型チョコをより分けると、箱作りにいそしむ二人に差し出した。
「凜はお菓子を全部子狐ちゃんたちにあげようと思っているんよ。がんばったご褒美にね」
チョコの他にもクッキーと飴玉を両のてのひらに乗せて微笑む。
「いいんじゃない。あの子たちもきっと喜ぶと思うわ。ところで、茨田サン。アナタが感じたその……嫌な感じってヤツを詳しく教えて」
●
灯と飛鳥で函の解きと守備を担い、その他の四人で猿人もどきを撃退する。特に打ち合わせたわけでなく、自然と役割分担が出来上がっていた。
作った八つの箱に印をつければ、いよいよ謎解きである。
「函は、とりあえず黒を抜かした色で全ての面が揃う組み合わせを考えてみましょう」
「はい、なのよ」
獣じみた威嚇の声が木々の奥から聞こえる。謎解きに残された時間はもういくらも残っていない。
「……保坂さんとお紺さん、お金さんの位置関係がこうですから、保坂さんの函の向きも考慮して」
壁の色やその他の情報をもとにして、灯が箱を積み上げていく。
「むむむ。ほとんど揃っているのよ。横に回すだけなのよ」
「うん、上段に保坂さんとお紺さん、お金さん、ついでに生島さんが来る配置になりますから、茨田さんの調べてくれた解き方によれば解き方Bが正しいようですね。鼎さんの言う通り、お栄さんと回す方向が逆なだけで……意地悪なパズルですね」
灯と飛鳥が立ち上がるのと同時に、茂みの奥から猿人もどきたちが次々と飛び出してきた。
鋭い牙をむいて唸り声を上げながら、ある個体は肉塊を目指し、ある個体は函を目指して走ってくる。
一悟は地面に手をついて気を流し込み、渦巻く炎の柱を立ちあげた。四足で駆けてくる猿人もどきに向けて腕を振り、火柱を走らせる。
凜は脇へ逃げた一体の前に立ち塞がった。
(「お紺ちゃんとお金ちゃんを、早くお母さんと再会させてあげたいからがんばる」)
指先から圧縮した水のしずくを高速で飛ばす。
猿人は水礫を横へ飛びかわしたが、自ら火柱に身投げする形になった。
「ナイスフォローよ、凛ちゃん。あ、奥州ちゃん、焼き加減はミディアムでお願いね」
ウェルダンは悪食ちゃんの好みじゃないから、と逝は悪ふざけを口にして、火柱を逃れた三体の古妖にもののけを喰らう刀を振るう。
顔面に刃を受けた一体の猿人もどきが、黒い瘴気に崩れ変わりながら妖刀に吸い込まれた。
妖刀の刃をかいくぐった二体が、尻で滑りながらとがった爪の先で逝の脛を次々と切りつけた。
「いたたっ。悪食ちゃん、『生』は食べ飽きたようだね」
本日すでに三体目である。悪食と名付けられてはいるだけあって、刃が当たったものは何でも食するが、さすがに同じものばかりでは飽きもするだろう。
「はいはい。リクエストに応えてアタシがまとめて焼いてあげるわよ」
ありすは胸の前で手を合わせた。第三の目が怪しく燃え立ち、合わせた手の間から大量の炎が噴き出す。
「それ!」
炎で壁を築き、両手でついて雪崩させた。津波となって猿人もどきたちに襲い掛かる。
一体の猿人もどきが、炎の海の中から尻に火をつけて飛び出した。函に腕を伸ばす。
「あすかが函を解きます! 灯お姉さん、あのお猿をお願い!」
灯は返事の代わりに闇刈を投げて、函に手を伸ばす猿人もどきの腹を切り裂いた。
猿人もどきはぎゃっ、と叫ぶと、切られた腹を手で抑えて横へ逃げた。
(「猿人はもどきで、元人間だった? だとしたらこの猿人もどきも先ほど倒した猿人もどきも……」)
助けられたかもしれない人を手にかけてしまった、なんて思いたくない。ああ、本当に。これはなんて底意地の悪い函なのだろう。
灯は嫌悪感で身を震わせた。
「鼎さん、早く!」
飛鳥は函に駆けよると、迷わず上段左のボックスに手をついた。
「えい、えい! もう一回、えい、なのよ!」
続けて左に三回、上段左に来たボックスを強く叩く。
カチリ、と何かが外れる音がしたのち、函が八つに分かれながら空へあがった。
「あ~!」
八つに分かれた函はそれぞれが同時に底を開いて、中に閉じ込めていたもの――毛むくじゃらのものを地に落とした。
「あばば。みんな同時に出てきちゃたのよ! みなさん、お手伝いくださいなのよ!」
小函はぱらり、と展開し、ぱたり、と開いた面から順に畳まれて、正方形の板の束になった。八つの板の束は、それぞれの角一点から黒くて細い瘴気の糸が出ていた。風に揺れて面を返す様は、まるで空からつり下げられたモールのようだ。
(「どうやって、どこで?」)
飛鳥は八つの板束を睨みあげた。瘴気の糸の先に函士がいるはずだ。
猿人もどきたちが一斉に、新たに加わった仲間たちに向けて叫びだした。
「行かせるかよ。保坂さんたちはお前たちの仲間にはならねぇぜ!」
一悟が猿人もどきたちに火柱を放つ。
「あすかちゃん、みんなの猿化を阻止する方が先よ。灯ちゃんも、猿どもをおっさんたちに任せていっておくれ!」
毛並みの違う小さな毛むくじゃらが二つ、狂ったように腕を振り回しだした。
他の毛むくじゃらが次々と立ち上がる。
四つの大きな毛むくじゃらたちは猿人もどきたちの方へ、小さな毛むくじゃらはそれとは反対方向に向かって走り出した。
「お紺チャン、お金チャン!」
ありすはあわてて前に回り込むと、膝をついた。
広げた腕で捕えた小さな毛むくじゃらたちを、ぎゅっと抱き寄せる。
「いやぁ! 猿くちゃい!」
「いやぁ! 猿キライ!」
子狐たちは人化が解けていた。
ありすのうなじに乾いた鼻を押しつけ、おっ母どこ、と泣き叫ぶ。
「もう大丈夫。もう大丈夫だから……」
ありすは子狐たちの金色の背や頭を優しくなでて、体についた猿の毛を払い落としてやった。
子狐たちは次第に落ち着きを取り戻した。
クスクスと籠った笑い声が両側から首や耳たぶにあてられる。
「あーちゃん、猿くちゃいよ」
「あーちゃん、猿くちゃいね」
「こら、やめて! くすぐったいじゃない……」
凜は戦列を離れてありすのそばへやってくると、子狐たちにお菓子を差し出した。
「はやくお母さんの所へ。お母さん、ずっと公園の入口で二人が戻ってくるのを待っているんよ」
「あーちゃんも一緒?」
「あーちゃんも来る?」
ありすは首を振った。
「アタシはみんなと一緒に悪い猿を懲らしめなきゃなんないから……それより、二人とも、凛お姉サンにありがとうは?」
子狐たちは声を合わせて凜にもらったお菓子の礼を言った。それから大きな毛むくじゃらの一体を捕まえてクルクル回している飛鳥に向かい、「あすか、出してくれてありがとう」と言った。
飛鳥はすでに保坂の猿化を解き終わり、生島に取り掛かっていた。助けられた保坂は飛鳥の指示で空に上がり、八枚の板の束を注意深く見張っている。
首を横向けて子狐たちを見送りながら、飛鳥は保坂にかけたのと同じ内容の言葉を生島にもかけた。
「生島さん! あなたは生島さんでお猿じゃないのよ、しっかりしてください!」
その横で灯が二体の毛むくじゃらを交互に回しながら、「河村さん、荒木さん!」と叫んでいた。
(「お願い。戻ってきて!」)
必死の努力にもかかわらず、二人についた猿の毛はなかなか落ちない。
お紺とお金は元が古妖であったがために、猿の毛を体中につけて出てきたが猿化はしていなかった。ただ、狐の姿には戻っていた。
保坂は一悟から黒い瘴気を吸わないように警告されていたので、比較的早く暗示が解けた。こちらは猿の毛が落ちた後、素っ裸になっていたが。
しかし、連絡のつけられなかった二人の憤怒者は神秘に耐性のない一般人である。黒い瘴気を吸い込んでかなり猿化していた。
「私はあきらめない! だから河村さんも荒木さんもあきらめないで!」
そうこうしているうちに、生島の猿化が解けた。
「お、お礼はいいから、あっち向いてくださいなのよ」
すっ裸になっていることに気づいた生島が、あわてて回れ右する。
正面に猿人もどきと格闘する逝がいた。
ヘルメットになかなかご立派なものが映り込む。
「げっ、野郎の……見たくなかったぞぉ。おっさんの上着を貸してあげよう。さっさと隠しておくれ」
猿人もどきの一体が、上着を脱ぐ逝の脇をすり抜けて、まだ猿化が解けない憤怒者の一人に近づいた。手を掴んで引っ張り、連れ去ろうとする。
ありすがむき出しの尻を見ないように顔を伏せたまま火玉を投げたが、当然のように明後日の方向へとんでいき、猿人もどきにはひとつも当たらなかった。
ぎゃあ、と女の悲鳴が二方向であがった。
一つは毛むくじゃらの憤怒者から、もう一つは凛から。
「凛!」
一悟は相手にしていた猿人もどきを蹴る振りをして一時的に肉塊から遠ざけると、凛のそばから離れていく黒い瘴気の塊に指を向けて、練り上げた気を撃った。
「ちっ、消えたか。凛、大丈夫か?」
「でかい猿に後ろから抱きつかれて、気持ち悪かったんよ。耳元で『お前、似ている』って。でも凜は、凜は……猿に似てないよ!」
「あ~。人間はみんな猿から進化したし、もしかしたら凜はちょっぴり――って!」
凜は目を吊り上げてると、一悟に水礫を飛ばした。
「ふたりとも、早く猿人もどきにさらわれた人を追って!」
上から保坂が悲鳴をあげた毛むくじゃらを指し、「彼女が荒木」だと叫んだ。憤怒者が女相棒に向かって、荒木と呼んでいたという。
灯は毛むくじゃらの両腕を掴んで正面を向かせると、強い願いを込めて女の名を口にした。
「荒木さん、しっかりしてください!」
猿化が解けるなり荒木はまた悲鳴をあげ、裸の胸を手で覆い隠して地面に座り込んだ。
駆けつけたありすが、自分の上着をかけて体を隠してやった。そのまま肩に腕を回して抱きしめる。
「猿たち、もともとすばしっこいうえに用心深くなっているわね」
猿人もどきたちはトリッキーな動きで覚者たちを翻弄し、毛むくじゃらの河村をどこかへ連れ去ろうとしていた。
逝は河村の手を掴んで引っ張っていた猿人もどきの肘から下を、振り上げた妖刀の刃で切り落とした。
「お前、何故ジャマする!」
「何故、と言ったな。ならば答えは『スワンプマンにそれを聞くかね?』だ」
頭の上で素早く悪食を返すと、こんどは下へ振り落とす。
猿人もどきは落ちた腕を素早くつかみあげると、後ろへ飛んで斬撃をかわした。
一悟が急いで間に割り込んで、腕を落とした猿人もどきを河村から遠ざける。
するとこんどは反対側から二体の猿人もどきが同時に近づいてきて、河村の足を掴もうとした。
飛鳥がうち一体の頭を狙って水礫を飛ばした。
灯が名を呼びながら河村を左に回す。
河村の体から毛が落ち始めると、ついに猿人もどきたちもあきらめたようで、一体、また一体とさがりだした。
「くそ、逃げられちまう!」
その時、ぴん、と辺りの空気が固く張り詰めた。陽が木の向こうに落ちて、広場全体が薄闇に沈む。猿人もどきも覚者たちも、金縛りにあったように誰一人動けなくなった。
白地紗綾の中幅帯に大小を差した噺家が、広場の入口に立っていた。
「加勢が必要かい?」
「……いや、十分さね」
逝の声で呪縛が解かれると、猿人もどきたちは一斉に毛を逆立てて噺家に牙をむいた。
「ちくしょう! どこを見ていやがる、お前たちの相手はオレたちだろ!」
一悟はトンファーに神秘の炎を纏わせて猿人もどきたちに切迫した。相手に動く余裕を与えず、渾身の力を込めて殴打する。
「一気に決めるわよ!」
ありすが炎の津波を起こし、灯が闇刈を振るって地を裂く。
凜が水礫で逃げまどう猿人もどきを撃ち、逝が悪食を薙いで残りをまとめて喰らった。
「保坂さん!」
それまで空に浮かんだまま微動だにしなかった八つの函の板束が、瘴気の糸に引かれて動き出した。
保坂が糸を切って落とそうとするが、なかなか断ち切れぬまま、ぐんぐんと攻撃が届かないところへ上がっていく。
「噺家さん、お願いなのよ!」
「どっちだ?」
「函!」
飛鳥はくるりと振り返ると、水晶のロッドを木々の間に向けて水龍を放った。
鯉口が切られた音と同時に、八つの板束が横一線に切れる。板がバラバラになって地上に落下する前には、噺家はもう刀を鞘に納めていた。
飛鳥が狙ったものに誰よりも早く気づいた灯は、全速力で茂みに飛び込み、木々の間を逃げていく影を追いかけた。
一悟も後を追って森に入ったが、二人とも途中で影を見失ってしまった。
●
「お栄さんたちは?」
ありすが声をかけると、噺家は足を止めた。
「山に帰すよ。アイズオンリーさまが蟄居の命を解かれるまで、私が結界を張って閉じ込めておく」
「どこ? 会いに行ける?」
噺家は困り顔で振り返った。
「勘弁してくれ。お前さんは仲間じゃない。頭の横にそいつらを連れているうちはまだ人だ。いや、人ならいいが……私たちからしてみれば、お前さんたちは力が使える『人もどき』だから性質が悪い。そこのすわんぷまんも、な」
「スワンプ……? 何のことかね」
逝がすっとぼけると、噺家は笑い声を上げた。
「せいぜい、背中に気をつけな。露西亜から来た客人がお前さんを見たことがあると言っていたよ。怖い顔してね」
そこへ一悟と灯が森から戻って来た。
「噺家! 国枝さんがロシアから呼んだのは人か、古妖か。答えやがれ!」
「さて、どっちかな?」
にやにや笑って一悟を挑発する。
「やめなさいなのよ。一悟が二つにぶった切られても面倒事が増えるだけで、誰も面白くないのよ。それより函士は?」
飛鳥に問われて、一悟は下唇をかんだ。
横で肩を落とした灯が首を振る。
「逃げられちまったのかい。ああ、そうだ。お栄たちを助けてくれた礼がまだだったな」
噺家は腕を袖の中に引っ込めると、色あせて縁の欠けた写真を取り出した。
受け取った写真を覗き込んで、凜が息をのむ。
写真の中で、寄木細工の箱を手にした大猿の傍らに、凛によく似た着物姿の女が微笑みを浮かべて立っていた。
よく見ると、背景に山が映り込んでいた。いま覚者たちが振り返ると見える山と、シルエットがまったく同じだ。
「今から百年前、大正時代の写真だ。そこに映っている大猿こそが、人に追い詰められて消えていった猿人最後の一匹……と函士さ」
灯は写真から顔を上げた。
「え? どういうことです。茨田さんは猿に抱きしめられたと……私たちが追いかけた影は、猿人じゃなかった?」
「捕まえてみりゃ判る。それじゃあ、私は失礼させてもらうよ」
ぽっ、ぽっと広場に明かりが灯る。
噺家が立ち去ったあと、
覚者たちは、深さを増した闇に囲まれた広場に、謎と一緒に取り残された。
■シナリオ結果■
成功
■詳細■
MVP
なし
軽傷
なし
重傷
なし
死亡
なし
称号付与
なし
特殊成果
なし
