濃霧が赤に染まるまで
●生きる為に
「だから……」
ショートカットの女性が涙ながらに呟いた。
足元からずっと続く血の跡。
もう何百メートル歩いただろうか。
「だから……止めようって言ったのに……!」
言いながら、女性は自身の一回り二回りも大きな男を引き摺りながら奥を目指す。一度出た涙が止まらない。
洞窟の中は当然と言えば当然のように暗く、懐中電灯でやっと眼前が窺える程度だった。
血の跡を作っている原因はこの男の傷からだ。
反応も無ければ動く様子も無い。既に、息をしていなかった。
それでも女性は諦めない。
恐怖と正義感が入り混じった様な、不思議な感情が芽生え始めていた。
事の始まりは数刻前。
この日は友人の男性と森へ遊びに行く予定だった。
「森の方が探索し甲斐があるだろ」
とか、彼の妙な冒険心から決まったのは覚えている。
こんなご時世だったが、日中に帰りまでの予定を組んでいたのでまぁ大丈夫だろう、と高を括ってはいた。
その、目的地へ行く途中の車内の事だ。
「……なぁ、今の所、霧が濃くなかった?」
彼がそう言って、女性が振り返ってみる。
確かに変だ。辺り一面ならまだしも、林の中の一部だけ濃霧と言って良い程の霧が固まっている。
それに、道路の端に付着している赤黒いもの。
「血……!?」
「ちょっと……行ってみるか」
言うなり、彼はすぐに道路の端に車を止める。
嫌な予感しかしなかった。どう考えても、ただ事でないのは火を見るより明らかだ。
「や、止めようよ……これ絶対普通じゃないって」
「でも血があるんだぞ? もしかしたらあの中に人がいるんじゃないか」
だから行きたくないのだ。
そう思いつつも、颯爽と車から出て行く彼を止める事は出来なかった。
林の中は外側からの見た目以上に酷く霧が掛かっていた。
一寸先の木さえも気付かないかもしれない。
「誰か居……」
「うおっ!?」
声が同時に被る。目の前で霧が揺れるのを見て、それは彼が動いたせいだと分かった。
その方向へ進んでみると、途端、視界の中に血に塗れた男の姿が入って、女性は声にならない声というのを初めて理解した。
その時だ。
「何か……音が聞こえる」
道路側から、こちらにかけて。
鉄のひしゃげるような異音。
「ヤバい……走れ!」
唐突な危機感を察知したか、彼は男の服を引っ掴むと勢い良く走り出す。
状況が掴めないままに女性も後を追った。
足場の悪い木々の間を抜け、霧を抜けた先。
それが、この洞窟だったという訳だ。
左右と真ん中に分かれた洞窟の入り口。
彼は男を連れて先に逃げるように言い、そのまま迫り来る音と共に逆の方向へ行ってしまった。
「何で……こんな」
彼女自身さえも分からない。
彼の声も聞こえない中、女性はひたすらに奥を目指す。
霧が、背後まで迫っていた。
●
「夢見から妖の出現情報を得られた。まだ間に合う筈だ」
集まった覚者達へ向け、中 恭介(nCL2000002)は挨拶に続けて切り出した。
場所は市街から少々離れた森の奥。
手前には林が広がっているが、僅かに道路にまで出血した跡が見られ、それが目印になるだろうと言う。
血の跡を追った先に在る洞窟。
その中が、妖の居座る場所となる。
霧は二人が洞窟に逃げ込むと林の辺りから消え、洞窟の中で二人を追うように徘徊するそうだ。
「間に合うと言ったのも、洞窟の中に男女二名が逃げ込むらしい。妖の討伐、そして二名の安否確認を急いでくれ」
話では、洞窟に入るとまず左右への分かれ道が見える。
光源が無いせいか、左側へ逃げた女性の速度は遅い。
いつ追いつかれてもおかしくない状態、との事だった。
「加えて、女性は男を一人引きずりながら逃げている。逃げるのが遅れているのはそれもあるだろうが……混乱しているのか、その男が生きているのかは確認していないようだな」
それと、女性の友人である男性については洞穴に入った後の事は判明していない。
無事であれば女性と逆方向、右側に逃げられている筈だが。
「妖の情報は追って説明する。皆、迅速な対応が求められるが、用心は欠かさないでくれ」
「だから……」
ショートカットの女性が涙ながらに呟いた。
足元からずっと続く血の跡。
もう何百メートル歩いただろうか。
「だから……止めようって言ったのに……!」
言いながら、女性は自身の一回り二回りも大きな男を引き摺りながら奥を目指す。一度出た涙が止まらない。
洞窟の中は当然と言えば当然のように暗く、懐中電灯でやっと眼前が窺える程度だった。
血の跡を作っている原因はこの男の傷からだ。
反応も無ければ動く様子も無い。既に、息をしていなかった。
それでも女性は諦めない。
恐怖と正義感が入り混じった様な、不思議な感情が芽生え始めていた。
事の始まりは数刻前。
この日は友人の男性と森へ遊びに行く予定だった。
「森の方が探索し甲斐があるだろ」
とか、彼の妙な冒険心から決まったのは覚えている。
こんなご時世だったが、日中に帰りまでの予定を組んでいたのでまぁ大丈夫だろう、と高を括ってはいた。
その、目的地へ行く途中の車内の事だ。
「……なぁ、今の所、霧が濃くなかった?」
彼がそう言って、女性が振り返ってみる。
確かに変だ。辺り一面ならまだしも、林の中の一部だけ濃霧と言って良い程の霧が固まっている。
それに、道路の端に付着している赤黒いもの。
「血……!?」
「ちょっと……行ってみるか」
言うなり、彼はすぐに道路の端に車を止める。
嫌な予感しかしなかった。どう考えても、ただ事でないのは火を見るより明らかだ。
「や、止めようよ……これ絶対普通じゃないって」
「でも血があるんだぞ? もしかしたらあの中に人がいるんじゃないか」
だから行きたくないのだ。
そう思いつつも、颯爽と車から出て行く彼を止める事は出来なかった。
林の中は外側からの見た目以上に酷く霧が掛かっていた。
一寸先の木さえも気付かないかもしれない。
「誰か居……」
「うおっ!?」
声が同時に被る。目の前で霧が揺れるのを見て、それは彼が動いたせいだと分かった。
その方向へ進んでみると、途端、視界の中に血に塗れた男の姿が入って、女性は声にならない声というのを初めて理解した。
その時だ。
「何か……音が聞こえる」
道路側から、こちらにかけて。
鉄のひしゃげるような異音。
「ヤバい……走れ!」
唐突な危機感を察知したか、彼は男の服を引っ掴むと勢い良く走り出す。
状況が掴めないままに女性も後を追った。
足場の悪い木々の間を抜け、霧を抜けた先。
それが、この洞窟だったという訳だ。
左右と真ん中に分かれた洞窟の入り口。
彼は男を連れて先に逃げるように言い、そのまま迫り来る音と共に逆の方向へ行ってしまった。
「何で……こんな」
彼女自身さえも分からない。
彼の声も聞こえない中、女性はひたすらに奥を目指す。
霧が、背後まで迫っていた。
●
「夢見から妖の出現情報を得られた。まだ間に合う筈だ」
集まった覚者達へ向け、中 恭介(nCL2000002)は挨拶に続けて切り出した。
場所は市街から少々離れた森の奥。
手前には林が広がっているが、僅かに道路にまで出血した跡が見られ、それが目印になるだろうと言う。
血の跡を追った先に在る洞窟。
その中が、妖の居座る場所となる。
霧は二人が洞窟に逃げ込むと林の辺りから消え、洞窟の中で二人を追うように徘徊するそうだ。
「間に合うと言ったのも、洞窟の中に男女二名が逃げ込むらしい。妖の討伐、そして二名の安否確認を急いでくれ」
話では、洞窟に入るとまず左右への分かれ道が見える。
光源が無いせいか、左側へ逃げた女性の速度は遅い。
いつ追いつかれてもおかしくない状態、との事だった。
「加えて、女性は男を一人引きずりながら逃げている。逃げるのが遅れているのはそれもあるだろうが……混乱しているのか、その男が生きているのかは確認していないようだな」
それと、女性の友人である男性については洞穴に入った後の事は判明していない。
無事であれば女性と逆方向、右側に逃げられている筈だが。
「妖の情報は追って説明する。皆、迅速な対応が求められるが、用心は欠かさないでくれ」

■シナリオ詳細
■成功条件
1.妖、計二体の討伐
2.女性の救助、及び男性の生死確認
3.なし
2.女性の救助、及び男性の生死確認
3.なし
霧の中を駆け抜けるのは大変危険ですので良い子は真似しないでください。
最初に血塗れになった男性ですか。
うーん。
森林浴……かな。
●敵情報
魔霧……自然系、ランク2
・一定範囲に広がり、通りかかった獲物が霧の中に入ると霧の中に潜ませた別の妖と共に襲い掛かる。
霧自体も攻撃方法を持ち、戦闘に入る際は一か所に凝縮して現れる。
・攻撃方法
霧の拳……凝縮させた霧の塊で殴りつける。物近単。
フォッグブレス……霧の一部を相手側に纏わせ、『虚弱』効果を付与させる。遠距離全。
フォッグストーム……霧が竜巻のように渦巻き、相手を風圧と風の刃で攻撃する。
列貫通2[90%,60%]
狼型妖……生物系、ランク1
・霧の妖の中に潜み、獲物が入る事で匂いを辿って攻撃を仕掛ける。
噛みつきと突撃の攻撃を持ち、どちらも近距離単体である。
●洞窟の形状
洞窟は入り口で左右に分かれているが、中は円環状に繋がっている。
また、入り口正面にも真っ直ぐに抜ける道が在り、中央で交錯する様に東西南北の四方の突き辺りまで繋がっている。
この内、女性は左側に、男性は右側へと逃げているが、男性がその後どうなったのかは判明していない。
女性は速度からすると丁度西側の、中央へ繋がる分かれ道の辺りまでは進めそうだ。
時間帯は昼間。だが、日の光は洞窟の入り口付近にまでしか届かないだろう。
霧は最初は男性の方を狙った様だが、その後の動きは判らない。
状態
完了
完了
報酬モルコイン
金:0枚 銀:1枚 銅:0枚
金:0枚 銀:1枚 銅:0枚
相談日数
7日
7日
参加費
100LP[+予約50LP]
100LP[+予約50LP]
参加人数
7/7
7/7
公開日
2016年09月30日
2016年09月30日
■メイン参加者 7人■

●濃霧の跡に誘われ
そこは、雨も降っていないのに水気を感じる場所だった。
道に人影は無い。正面も後ろもずっと続く直線の道。
ただ、そこにポツンとひしゃげた車が放置されている事が、小さな異常だった。
そこから少し後方に離れ、道の端に痕跡はこびりついている。
この奥に、彼らが逃げ込んだ洞窟が在るのだろう。
風も吹かない林の中を進んでみれば、そこで行われていた惨劇の跡はありありと、そして未だハッキリと残っていた。
彼らが見た時は、霧のせいでこのおびただしい血の装飾も、踏み荒らされた草木のほとんども目に入らなかった筈だ。
生々しく、だが遠い過去に起こったような静けさの中を突き進んだ先に、大きな穴が岩肌の真下にぽっかりと口を開けていた。
『Overdrive』片桐・美久(CL2001026)が行った上空からの偵察の結果でも、辺りを見回しても他にそのような場所は無い。
何かを引き摺ったような跡も、この中へ辿り着いている。
そして、もし七名の覚者達の中に嗅覚に優れている者……例えば『スポーティ探偵』華神 悠乃(CL2000231)の嗅覚ならば、そこに漂う血生臭さを感じ取る事が出来ただろう。
薄暗い中に手招きするように風が運ばれて行くのを感じて、洞窟を眼前に『守人刀』獅子王 飛馬(CL2001466)は中を見遣る。
(何でわざわざこんな危険な場所に……)
余程、余裕が無かったのだろう。
としても、一度危険と出遭った上に車を潰されていてはどのみち追いつかれていたかもしれない。
好奇心に駆られて女性を共に危険に晒してしまった男性の行動は、正直褒められたものではないのかもしれない。
だが、これが素直な正義感からの行動だとすれば、ただ単に逃げ惑う者よりもずっと素晴らしい事、とも言えようか。
「そこは見習うところ、でしょうか」
そんな彼らの行動を想い、美久はポツリと呟く。
自分には無い勇敢さと優しさ。
彼の行動が良いにしても悪いにしても、それが何かを、誰かを救うと言う気持ちでは覚者達と変わりはないのかもしれない。
「慎重さが求められる時も、拙速が求められるときもあるもの」
ロングソードを抜き払って『ロンゴミアント』和歌那 若草(CL2000121)は返答するように口を開いた。
ここから先はいつ妖と出遭ってもおかしくはない。
「その場で救える可能性のあった命があった……なら、男性の行動を責めたりはしない。もちろん結果は別の話だけれど、決断自体は間違った事じゃないと私は思うわ」
払った動きと共に、辺りの草木より明るい若草色の長髪が揺れる。
それに一呼吸置いて自身も二対の脇差に手を掛けると、飛馬は穴の中を見下ろしていた顔を上げてそれを抜き払った。
「ま、説教は無事に助け出してからだよな。急ぐぞ。手遅れになる前に……」
●
情報通りに洞窟の中は真っ暗だ。
ここを懐中電灯一つで進もうというのは、妖と並行して足元にも気を配らなければならないだろう。
加えて女性の方は人一人を抱えている。
間もなく追いつかれるのは、火を見るよりも明らかであろう。
皆の目の前には三又に別れた暗き道。
滑り込むように洞窟の中へ入った覚者達は、道を一目見るなり一斉に予定通りの三方向へ散開した。
悠乃、『雷麒麟』天明 両慈(CL2000603)、美久は左の道へ。
中央の道へは『独善者』月歌 浅葱(CL2000915)、『月下の白』白枝 遥(CL2000500)、飛馬の三人が。
入り口の痕跡から右の道に足跡が残っている事を確認した若草は、一人その道を進む。
それと同時に別の道を行く飛馬、悠乃はそれぞれ守護使役による小さな光源を作り出し、浅葱は懐中電灯を、美久も腰に取り付けたそれで光源の更に先を照らし出す。
「先行します」
左の道へ駆けた悠乃が共に行く両慈、美久の横から前へと出る。
やや両慈と近い距離だが、照らせる範囲が広いのは心強い。
(はぐれない様にしっかり付いて行かなくてはな……)
研ぎ澄まされた感覚を頼りに、両慈も闇の中を突き進む。
この中で皆を見失えば再び辿り着くのも難しい。
「りょっ……!」
その思いからか、気付けば両慈の片手が悠乃の手を掴んでいた。
突然の事に悠乃の身体が一瞬跳ね上がる。
「……? どうした、何か変か?」
両慈の感覚はまだ何も反応しない。強いて言うならば、変なのは彼女の方だが。
「いえ! や、あの、問題無いです!」
「あの……」
その光景を後ろから眺め付いていた美久が思わず声を掛ける。
「……イチャついてる場合ではないかと」
「悠乃?」
その言葉に、悠乃はハッと我を取り戻した。
ただ、嗅覚を鍛えたおかげか悠乃が落ち着いたのもまた事実。
こう、身近な人物の匂いから来る安心感と言うか……。
「あっ大丈夫ですちゃんと探してますただ心強いなってほんとですよ?」
一人でそう捲し立てた悠乃は、再度気持ちを改めると、繋がった手は離さずに更に奥を目指した。
一方、彼らとは別れ中央の道へ入った三人も直線の穴を突き進む。
道が曲がっていない分、僅かだがこちらの方が先行している、といったところだろうか。
「この道で争った形跡は無いですねっ」
飛馬の後ろで浅葱が足元を見ながら言う。
洞窟、暗闇内というところでは一瞬一瞬の確認では見落としもあるかもしれないが、今の所戦闘が起こった跡は無い。
「それらしい音も聞こえないけど……」
遥はそう言って、二人の後ろを追う形で走る。
洞窟内がどれくらい広いかは判らないが、近くで襲われているなら悲鳴や妖の鳴き声の一つくらい聞こえて来そうなものではある。
「いや……」
すると、前を行く飛馬が不意に声を上げた。
この道では無い。これはここから東側の音……。
より大きく、速く走る音は恐らく若草のものだろう。
では、その前方から聞こえる小さな息遣い。同じく聞こえる荒い息遣い。
確かに、彼の優れた聴力がそれらを聞き取ったのだ。
「マズいな……既に十字路の先だ」
しかし、飛馬はそこから更にそこに居る妖も推測する事が出来ただろう。
聞こえたのは獣の息遣い。
「狼型ですねっ?」
同じく鋭敏な聴力でそれを聞きとった浅葱がその事を告げた。
人と狼の速度。既に追いつかれていてもおかしくはない。
逆に言えば、二人分の息が聞こえて来たと言う事は、まだ救える可能性は有る。
「待ってろよ、にーちゃん。俺らが絶対にねーちゃんと再会させてやっからさ」
そう言うと、飛馬達は更に速度を上げて中央の道を曲がった。
その頃、一人右のルートを辿る若草はそこで中央の道へ入る分岐点を目にする。
暗視の瞳で、光源持ちのグループにも負けない速度で進めるのは大きいかもしれない。
そしてその髪と同じ若草色の瞳は、遠く離れた位置に二つの塊を映し出した。
その時だ。
若草の、そして遥の脳内に悠乃の意識が伝達されて来たのは。
(女性も発見……男性も一緒です)
●
それは、浅葱が丁度分岐点を曲がり切った時だった。
左の道を行く悠乃の光源が、前方に小さく動いた影のようなものを照らし出した。
同時に、そこに広がる血の臭いを悠乃は嗅ぎ取った。
女性への送受信を試みようと繋いだ逆の手をこめかみに当てた悠乃は、その妙な物体を確認してすぐに対象を仲間達へと切り替える。
「……対象か」
暗い中で震える女性を目視した両慈は悠乃と手を離すと、即座に、冷静に書物を取り出す。
その一点に蠢く何かを、美久の電灯が照らしあげた。
女性……だ。生きている。
傍らに横たわった人間も見受けられるが、そちらが動く気配は感じられない。
身構えたが、この場に妖は見当たらない。
ということは……。
「妖は固まって動いている……?」
夢視の話では、ここに到達するまでに鉢合わせしてもおかしくない筈、だが。
(了解、こちらは狼型を補足。すぐに向かうよ)
悠乃に遥から意識の返答が戻って来る。
それを二人に伝え、三人は急ぎ女性の元へと駆け寄った。
「落ち着いて、F.i.V.E.です。救助に来ました」
それを聞いて、女性は震えたままの息をゆっくり吐き出す。
青ざめていた彼女の顔は、汗と泥で顎の先まで汚れていた。
両慈の回復術を施され、やっと落ち着きを取り戻した彼女を横目に、美久は隣の男性に手をやる。
身体に手を当てた彼は、既に治癒の必要が無い事を悟った。
覚者達が来る前には、既に事切れていたようだ。
「あ、あの……まだこの中に」
男の人が居ます。
そう言い掛けた女性へ、大丈夫、と美久は安心させるように笑顔で返した。
「あなたの勇敢さに感服したので、手助けさせてくださいね!」
直後、悠乃の脳内に今度は若草の意識が舞い込んで来る。
(待って、狼だけじゃないわ)
それは、右の道を進んだ若草だけが、誰よりも早く得られた視覚情報。
(二体一緒ね……こっちの分岐点の先に居るわ)
その連絡は治療を終えた両慈と美久へも伝えられ、立ち上がった女性へここから逃げるようにと伝達した。
「お姉さん、もう少しだけ頑張ってください!」
美久に勇気付けられ、女性は零れそうな涙を拭うと頷き、壊れかけの懐中電灯を手に洞窟を引き返す。
夢の通りなら、妖は恐らく男性を襲った後に戻り、再び入り口から女性へと近づいたのだろう。
だが、固まっているとなればそれが好機だ。
その事を悠乃は全体へ通達し、二人と共に、十字路を一直線に駆け出した。
逸早く妖を視認し、その元へ辿り着けた若草は、そのまま距離を詰める。
間合いに入ったところで剣を振るうと、魔力を纏った刃が霧の端ごと地面を斬り裂いた。
鳴り響く斬撃音。
それが、全員に戦闘開始の合図を送る事となる。
暗闇からの応答は無い。
いや、見えた。
白と黒の中から、何かがこちらへ向かって突進して来る!
剣の腹でそれを受け止めた若草は、狼の頭部をそのまま押し返して踏み込み、剣で斬り払った。
滴る血を振りまき、狼はふらつきながらも着地。
霧が攻撃を仕掛けて来る様子は無い。距離がまだ足りないのだろうか。
だが、それも徐々にこちらへ詰めて来ている。
と、その横から空を裂くようにして、浅葱の拳が二回、狼の横っ腹を殴り倒した。
「間に合いましたかっ!」
続けて横穴から飛び出した遥が即座に狙いを付けて圧縮弾を狼へ向けて撃ち出すと、その前に出たのは飛馬。
「居やがったな、妖。お前らはそうやって人間を襲ってきたんだろーが、そう簡単にはいかねーぞ」
飛馬が両の手を掲げると、周囲の岩肌が振動し、細かに飛馬の身体へ憑依していく。
「堅さも勘も、ちっとばかし普通じゃねーもんでな」
その飛馬へ狼は飛びつき牙を立てる。
が、彼の言う通りの硬さにその牙も通らないのか、何度か噛みついた後に払われた腕で後ろに飛び退く。
と、そこへ目に見えない重力のような打撃が飛馬の鎧を振動させた。
そうだ、敵はこの狼だけではない。
その後ろに存在する霧の妖。飛馬の光源が今やその姿を照らしあげている。
一面スモークを焚いたように白く、狼を纏うようにしてその霧は広がる。
あの奥に、救助の男性が居る筈だ。
先程狼の音しか聞き取れなかったのは、襲う直前というのもあったのだろう。
流石に移動するだけの霧の音を聞き分けるのは難しかったかもしれない。
それよりも、妖の奥に男性が居るのは少々問題だ。
この人数であの奥に行けるだろうか……。
再び若草が魔力を狼へ放出した時、それと同時に雷が辺りを駆け巡り、狼と魔霧へ轟いた。
「無事……か?」
ストッと中衛位置に身を落とし、両慈は電撃を鳴らしたままの右手を払って相手を睨み付ける。
隣に立つ遥が、彼への返答をした。
「こちらは。ただ、男性はこの場に姿が見えないとなれば……」
そのまま言い切らずに若草に視線を向ける。
「えぇ、恐らく」
「成程な……つまり」
彼の言葉を、続けて来た悠乃が受け継いだ。
「『アレ』を突破しなきゃならない、と」
両慈と悠乃、二人が目を合わせ、頷き合う。
途端、両慈はその場で構え、悠乃が駆け出す。
狼の眼前、悠乃は狼の前から一瞬姿を消すと、上空から踵落とし、そのまま縦に回転して裏拳を撃ち落とす。
反撃の牙をも悠々と避けると、狼の足元から蔓が伸び、その身体を束縛していく。
「僕がお相手しますよ、わんわんさん!」
前衛へ舞い込んだ美久はそのまま小太刀を構え、狼へ接近。
彼の挑発が獣の知性で理解できたかは判らないが、確実に邪魔な敵、と認識はしたことだろう。
そこへ再び魔霧の拳が降り掛かる。
これを腕で受け止めた美久は一旦その場を飛び退き、飛馬と並ぶ形で場所を変えた。
入れ替わり、共に飛び込んだ若草の、魔力の一閃が魔霧に斬撃を浴びせる。
覚者達の間を縫って遥の空気弾も狼へ放たれた。
そして……これで、奥へ行く為の充分な隙は生まれた。
洞窟の幅としては非常にギリギリではあったが、浅葱は敵味方の密集地帯の横を駆け抜け、その奥へと到達。
そこに、一人の男性は腰を付けていた。
恐らく、もう半ば諦めかけていたのだろう。浅葱が来ると、彼は目を丸くしていた。
「え……と」
「ふっ、助けに来ましたよっ」
その時、浅葱は彼が右腕を押さえている事に気付くだろう。
戦闘前に聞いた音からして、どうやら狼の方にやられてしまったようだ。
そこへ生命の光を送り込んで傷を癒した浅葱は、彼が落ち着いている事を確認して質問した。
「女性は無事です、立てますかっ」
「……あぁ、有難う」
その箇所以外に傷は負っていないようだ。
彼を庇う形で二人歩み出した時、目の前で霧が大きく広がったのが見えた。
それは、美久達へ向けられた攻撃であった。
息を吸い込んだように膨らんだ魔霧は、それを一気に吐き出すが如く、風の刃を放出した。
妖達の前に居た皆は、その刃にことごとく身を斬り裂かれる。
それに対抗するように遥は空気中から荒波を形成して二体へ打ち付けると、悠乃と若草の打撃と斬撃、美久の鞭が妖を強打し、悠乃へ身体向上の術を施した両慈は続けて回復術の詠唱を開始した。
狼は既に満身創痍……だが、その突進は前方の誰も捕えず、横を抜けようとした男性、を守る浅葱へと向けられた。
「させねぇ!」
間に割り込んだ飛馬が、脇差の柄を狼の鼻先にぶつける。
勢いは殺しきれなかったものの、衝撃を緩和させた上に対象が逸れた。
それを機に、覚者達は一斉に攻撃を仕掛ける。
美久の大蔓がしなやかに狼を強打。
か細い鳴き声を上げて倒れると、若草の剣が真上から振り下ろされる。
これに声を上げる間も無く。
完全に命を絶った狼型の横で飛馬の祝詞が浅葱を強化し、上乗せされた浅葱は中段蹴りから上段回し蹴りを鮮やかに放つ。
両慈の雨が覚者達の傷を癒す中、その雨をも巻き込んで形成した遥の荒波が魔霧を飲み込むと、大きく腕を引いた悠乃が至近距離に跳躍した。
撃ち放たれた、豪炎の拳。
大気を燃やし尽くすような一撃が魔霧を赤に染め上げる。
白と交わった赤は次第に魔霧の全てを炎で包み。
そして、霧は文字通り、霧散した。
●
「ふっ、一件落着ですねっ」
戦闘後、洞窟の外へ男性と共に出た所を待っていたのは、先に助けた女性だった。
怒りと心配と、ついでに嬉しさも交わったようなぐしゃぐしゃの笑顔で出迎えられ、ついでに男性は何故かどつかれる。
「人助けは良い事だけれど、対応できないならすぐに誰かに連絡すべきだったね」
遥は帽子を被り直しながら、少し咎めるように二人へ言った。
確かに、ただ好奇心だけで突き進むのは危険すぎる。
先の見えない状況で進むのは得策とは言えない。それは、二人も身に染みた事だろう。
でも、と遥は緊張をほぐすような空気を出しながら続け、微笑んだ。
「無事で良かった」
それが何よりだ。
付け加えるように、若草は女性に語り掛ける。
「彼を責めないで欲しいの……確かに、彼の決断でこんな目にあったのも事実よ」
彼女の関わりたくなかった、という思いも、充分理解出来るだろう。
「ずるい言い方だと分かっているけれど……私達に、彼と同じ気持ちがあったから、あなたを助けられた」
そして、その気持ち自体は決して無駄な事では無い。
「だから、恨まないであげてほしいの」
そう気かされて、女性は複雑な涙を流した。
その涙を吹くのは私達の仕事では無い。
それを諭すように、美久はそっと男性へハンカチを手渡す。
「ん……?」
話の途中に、洞窟から出て来た女性に飛馬は気付いて目をやった。
それに合わせ、両慈が声を掛ける。
「悠乃……何かあったのか?」
そう言えば、先程から姿が見えなかった。
悠乃は土だらけの手を叩くと、変わらぬ笑顔で答える。
「ちょっと洞窟の内部を」
自然に出来たにしては、形が妙な洞窟。
もしかしたら、と彼女は内部を探っていたのだ。
「……何か見つかったか?」
「『ココニ 立チ入リ禁ズ』」
一瞬の静寂の後、再び悠乃が口を開く。
「中央の道の、一番奥の壁に彫られていました」
それが何を意味するかは、後日の調査に任せるしかない。
助け出した二人の体力の為にも、一度帰還する事が望ましい。
今は、洞窟の謎は胸に秘めて。
澄み渡った空を、共に拝むとしよう。
そこは、雨も降っていないのに水気を感じる場所だった。
道に人影は無い。正面も後ろもずっと続く直線の道。
ただ、そこにポツンとひしゃげた車が放置されている事が、小さな異常だった。
そこから少し後方に離れ、道の端に痕跡はこびりついている。
この奥に、彼らが逃げ込んだ洞窟が在るのだろう。
風も吹かない林の中を進んでみれば、そこで行われていた惨劇の跡はありありと、そして未だハッキリと残っていた。
彼らが見た時は、霧のせいでこのおびただしい血の装飾も、踏み荒らされた草木のほとんども目に入らなかった筈だ。
生々しく、だが遠い過去に起こったような静けさの中を突き進んだ先に、大きな穴が岩肌の真下にぽっかりと口を開けていた。
『Overdrive』片桐・美久(CL2001026)が行った上空からの偵察の結果でも、辺りを見回しても他にそのような場所は無い。
何かを引き摺ったような跡も、この中へ辿り着いている。
そして、もし七名の覚者達の中に嗅覚に優れている者……例えば『スポーティ探偵』華神 悠乃(CL2000231)の嗅覚ならば、そこに漂う血生臭さを感じ取る事が出来ただろう。
薄暗い中に手招きするように風が運ばれて行くのを感じて、洞窟を眼前に『守人刀』獅子王 飛馬(CL2001466)は中を見遣る。
(何でわざわざこんな危険な場所に……)
余程、余裕が無かったのだろう。
としても、一度危険と出遭った上に車を潰されていてはどのみち追いつかれていたかもしれない。
好奇心に駆られて女性を共に危険に晒してしまった男性の行動は、正直褒められたものではないのかもしれない。
だが、これが素直な正義感からの行動だとすれば、ただ単に逃げ惑う者よりもずっと素晴らしい事、とも言えようか。
「そこは見習うところ、でしょうか」
そんな彼らの行動を想い、美久はポツリと呟く。
自分には無い勇敢さと優しさ。
彼の行動が良いにしても悪いにしても、それが何かを、誰かを救うと言う気持ちでは覚者達と変わりはないのかもしれない。
「慎重さが求められる時も、拙速が求められるときもあるもの」
ロングソードを抜き払って『ロンゴミアント』和歌那 若草(CL2000121)は返答するように口を開いた。
ここから先はいつ妖と出遭ってもおかしくはない。
「その場で救える可能性のあった命があった……なら、男性の行動を責めたりはしない。もちろん結果は別の話だけれど、決断自体は間違った事じゃないと私は思うわ」
払った動きと共に、辺りの草木より明るい若草色の長髪が揺れる。
それに一呼吸置いて自身も二対の脇差に手を掛けると、飛馬は穴の中を見下ろしていた顔を上げてそれを抜き払った。
「ま、説教は無事に助け出してからだよな。急ぐぞ。手遅れになる前に……」
●
情報通りに洞窟の中は真っ暗だ。
ここを懐中電灯一つで進もうというのは、妖と並行して足元にも気を配らなければならないだろう。
加えて女性の方は人一人を抱えている。
間もなく追いつかれるのは、火を見るよりも明らかであろう。
皆の目の前には三又に別れた暗き道。
滑り込むように洞窟の中へ入った覚者達は、道を一目見るなり一斉に予定通りの三方向へ散開した。
悠乃、『雷麒麟』天明 両慈(CL2000603)、美久は左の道へ。
中央の道へは『独善者』月歌 浅葱(CL2000915)、『月下の白』白枝 遥(CL2000500)、飛馬の三人が。
入り口の痕跡から右の道に足跡が残っている事を確認した若草は、一人その道を進む。
それと同時に別の道を行く飛馬、悠乃はそれぞれ守護使役による小さな光源を作り出し、浅葱は懐中電灯を、美久も腰に取り付けたそれで光源の更に先を照らし出す。
「先行します」
左の道へ駆けた悠乃が共に行く両慈、美久の横から前へと出る。
やや両慈と近い距離だが、照らせる範囲が広いのは心強い。
(はぐれない様にしっかり付いて行かなくてはな……)
研ぎ澄まされた感覚を頼りに、両慈も闇の中を突き進む。
この中で皆を見失えば再び辿り着くのも難しい。
「りょっ……!」
その思いからか、気付けば両慈の片手が悠乃の手を掴んでいた。
突然の事に悠乃の身体が一瞬跳ね上がる。
「……? どうした、何か変か?」
両慈の感覚はまだ何も反応しない。強いて言うならば、変なのは彼女の方だが。
「いえ! や、あの、問題無いです!」
「あの……」
その光景を後ろから眺め付いていた美久が思わず声を掛ける。
「……イチャついてる場合ではないかと」
「悠乃?」
その言葉に、悠乃はハッと我を取り戻した。
ただ、嗅覚を鍛えたおかげか悠乃が落ち着いたのもまた事実。
こう、身近な人物の匂いから来る安心感と言うか……。
「あっ大丈夫ですちゃんと探してますただ心強いなってほんとですよ?」
一人でそう捲し立てた悠乃は、再度気持ちを改めると、繋がった手は離さずに更に奥を目指した。
一方、彼らとは別れ中央の道へ入った三人も直線の穴を突き進む。
道が曲がっていない分、僅かだがこちらの方が先行している、といったところだろうか。
「この道で争った形跡は無いですねっ」
飛馬の後ろで浅葱が足元を見ながら言う。
洞窟、暗闇内というところでは一瞬一瞬の確認では見落としもあるかもしれないが、今の所戦闘が起こった跡は無い。
「それらしい音も聞こえないけど……」
遥はそう言って、二人の後ろを追う形で走る。
洞窟内がどれくらい広いかは判らないが、近くで襲われているなら悲鳴や妖の鳴き声の一つくらい聞こえて来そうなものではある。
「いや……」
すると、前を行く飛馬が不意に声を上げた。
この道では無い。これはここから東側の音……。
より大きく、速く走る音は恐らく若草のものだろう。
では、その前方から聞こえる小さな息遣い。同じく聞こえる荒い息遣い。
確かに、彼の優れた聴力がそれらを聞き取ったのだ。
「マズいな……既に十字路の先だ」
しかし、飛馬はそこから更にそこに居る妖も推測する事が出来ただろう。
聞こえたのは獣の息遣い。
「狼型ですねっ?」
同じく鋭敏な聴力でそれを聞きとった浅葱がその事を告げた。
人と狼の速度。既に追いつかれていてもおかしくはない。
逆に言えば、二人分の息が聞こえて来たと言う事は、まだ救える可能性は有る。
「待ってろよ、にーちゃん。俺らが絶対にねーちゃんと再会させてやっからさ」
そう言うと、飛馬達は更に速度を上げて中央の道を曲がった。
その頃、一人右のルートを辿る若草はそこで中央の道へ入る分岐点を目にする。
暗視の瞳で、光源持ちのグループにも負けない速度で進めるのは大きいかもしれない。
そしてその髪と同じ若草色の瞳は、遠く離れた位置に二つの塊を映し出した。
その時だ。
若草の、そして遥の脳内に悠乃の意識が伝達されて来たのは。
(女性も発見……男性も一緒です)
●
それは、浅葱が丁度分岐点を曲がり切った時だった。
左の道を行く悠乃の光源が、前方に小さく動いた影のようなものを照らし出した。
同時に、そこに広がる血の臭いを悠乃は嗅ぎ取った。
女性への送受信を試みようと繋いだ逆の手をこめかみに当てた悠乃は、その妙な物体を確認してすぐに対象を仲間達へと切り替える。
「……対象か」
暗い中で震える女性を目視した両慈は悠乃と手を離すと、即座に、冷静に書物を取り出す。
その一点に蠢く何かを、美久の電灯が照らしあげた。
女性……だ。生きている。
傍らに横たわった人間も見受けられるが、そちらが動く気配は感じられない。
身構えたが、この場に妖は見当たらない。
ということは……。
「妖は固まって動いている……?」
夢視の話では、ここに到達するまでに鉢合わせしてもおかしくない筈、だが。
(了解、こちらは狼型を補足。すぐに向かうよ)
悠乃に遥から意識の返答が戻って来る。
それを二人に伝え、三人は急ぎ女性の元へと駆け寄った。
「落ち着いて、F.i.V.E.です。救助に来ました」
それを聞いて、女性は震えたままの息をゆっくり吐き出す。
青ざめていた彼女の顔は、汗と泥で顎の先まで汚れていた。
両慈の回復術を施され、やっと落ち着きを取り戻した彼女を横目に、美久は隣の男性に手をやる。
身体に手を当てた彼は、既に治癒の必要が無い事を悟った。
覚者達が来る前には、既に事切れていたようだ。
「あ、あの……まだこの中に」
男の人が居ます。
そう言い掛けた女性へ、大丈夫、と美久は安心させるように笑顔で返した。
「あなたの勇敢さに感服したので、手助けさせてくださいね!」
直後、悠乃の脳内に今度は若草の意識が舞い込んで来る。
(待って、狼だけじゃないわ)
それは、右の道を進んだ若草だけが、誰よりも早く得られた視覚情報。
(二体一緒ね……こっちの分岐点の先に居るわ)
その連絡は治療を終えた両慈と美久へも伝えられ、立ち上がった女性へここから逃げるようにと伝達した。
「お姉さん、もう少しだけ頑張ってください!」
美久に勇気付けられ、女性は零れそうな涙を拭うと頷き、壊れかけの懐中電灯を手に洞窟を引き返す。
夢の通りなら、妖は恐らく男性を襲った後に戻り、再び入り口から女性へと近づいたのだろう。
だが、固まっているとなればそれが好機だ。
その事を悠乃は全体へ通達し、二人と共に、十字路を一直線に駆け出した。
逸早く妖を視認し、その元へ辿り着けた若草は、そのまま距離を詰める。
間合いに入ったところで剣を振るうと、魔力を纏った刃が霧の端ごと地面を斬り裂いた。
鳴り響く斬撃音。
それが、全員に戦闘開始の合図を送る事となる。
暗闇からの応答は無い。
いや、見えた。
白と黒の中から、何かがこちらへ向かって突進して来る!
剣の腹でそれを受け止めた若草は、狼の頭部をそのまま押し返して踏み込み、剣で斬り払った。
滴る血を振りまき、狼はふらつきながらも着地。
霧が攻撃を仕掛けて来る様子は無い。距離がまだ足りないのだろうか。
だが、それも徐々にこちらへ詰めて来ている。
と、その横から空を裂くようにして、浅葱の拳が二回、狼の横っ腹を殴り倒した。
「間に合いましたかっ!」
続けて横穴から飛び出した遥が即座に狙いを付けて圧縮弾を狼へ向けて撃ち出すと、その前に出たのは飛馬。
「居やがったな、妖。お前らはそうやって人間を襲ってきたんだろーが、そう簡単にはいかねーぞ」
飛馬が両の手を掲げると、周囲の岩肌が振動し、細かに飛馬の身体へ憑依していく。
「堅さも勘も、ちっとばかし普通じゃねーもんでな」
その飛馬へ狼は飛びつき牙を立てる。
が、彼の言う通りの硬さにその牙も通らないのか、何度か噛みついた後に払われた腕で後ろに飛び退く。
と、そこへ目に見えない重力のような打撃が飛馬の鎧を振動させた。
そうだ、敵はこの狼だけではない。
その後ろに存在する霧の妖。飛馬の光源が今やその姿を照らしあげている。
一面スモークを焚いたように白く、狼を纏うようにしてその霧は広がる。
あの奥に、救助の男性が居る筈だ。
先程狼の音しか聞き取れなかったのは、襲う直前というのもあったのだろう。
流石に移動するだけの霧の音を聞き分けるのは難しかったかもしれない。
それよりも、妖の奥に男性が居るのは少々問題だ。
この人数であの奥に行けるだろうか……。
再び若草が魔力を狼へ放出した時、それと同時に雷が辺りを駆け巡り、狼と魔霧へ轟いた。
「無事……か?」
ストッと中衛位置に身を落とし、両慈は電撃を鳴らしたままの右手を払って相手を睨み付ける。
隣に立つ遥が、彼への返答をした。
「こちらは。ただ、男性はこの場に姿が見えないとなれば……」
そのまま言い切らずに若草に視線を向ける。
「えぇ、恐らく」
「成程な……つまり」
彼の言葉を、続けて来た悠乃が受け継いだ。
「『アレ』を突破しなきゃならない、と」
両慈と悠乃、二人が目を合わせ、頷き合う。
途端、両慈はその場で構え、悠乃が駆け出す。
狼の眼前、悠乃は狼の前から一瞬姿を消すと、上空から踵落とし、そのまま縦に回転して裏拳を撃ち落とす。
反撃の牙をも悠々と避けると、狼の足元から蔓が伸び、その身体を束縛していく。
「僕がお相手しますよ、わんわんさん!」
前衛へ舞い込んだ美久はそのまま小太刀を構え、狼へ接近。
彼の挑発が獣の知性で理解できたかは判らないが、確実に邪魔な敵、と認識はしたことだろう。
そこへ再び魔霧の拳が降り掛かる。
これを腕で受け止めた美久は一旦その場を飛び退き、飛馬と並ぶ形で場所を変えた。
入れ替わり、共に飛び込んだ若草の、魔力の一閃が魔霧に斬撃を浴びせる。
覚者達の間を縫って遥の空気弾も狼へ放たれた。
そして……これで、奥へ行く為の充分な隙は生まれた。
洞窟の幅としては非常にギリギリではあったが、浅葱は敵味方の密集地帯の横を駆け抜け、その奥へと到達。
そこに、一人の男性は腰を付けていた。
恐らく、もう半ば諦めかけていたのだろう。浅葱が来ると、彼は目を丸くしていた。
「え……と」
「ふっ、助けに来ましたよっ」
その時、浅葱は彼が右腕を押さえている事に気付くだろう。
戦闘前に聞いた音からして、どうやら狼の方にやられてしまったようだ。
そこへ生命の光を送り込んで傷を癒した浅葱は、彼が落ち着いている事を確認して質問した。
「女性は無事です、立てますかっ」
「……あぁ、有難う」
その箇所以外に傷は負っていないようだ。
彼を庇う形で二人歩み出した時、目の前で霧が大きく広がったのが見えた。
それは、美久達へ向けられた攻撃であった。
息を吸い込んだように膨らんだ魔霧は、それを一気に吐き出すが如く、風の刃を放出した。
妖達の前に居た皆は、その刃にことごとく身を斬り裂かれる。
それに対抗するように遥は空気中から荒波を形成して二体へ打ち付けると、悠乃と若草の打撃と斬撃、美久の鞭が妖を強打し、悠乃へ身体向上の術を施した両慈は続けて回復術の詠唱を開始した。
狼は既に満身創痍……だが、その突進は前方の誰も捕えず、横を抜けようとした男性、を守る浅葱へと向けられた。
「させねぇ!」
間に割り込んだ飛馬が、脇差の柄を狼の鼻先にぶつける。
勢いは殺しきれなかったものの、衝撃を緩和させた上に対象が逸れた。
それを機に、覚者達は一斉に攻撃を仕掛ける。
美久の大蔓がしなやかに狼を強打。
か細い鳴き声を上げて倒れると、若草の剣が真上から振り下ろされる。
これに声を上げる間も無く。
完全に命を絶った狼型の横で飛馬の祝詞が浅葱を強化し、上乗せされた浅葱は中段蹴りから上段回し蹴りを鮮やかに放つ。
両慈の雨が覚者達の傷を癒す中、その雨をも巻き込んで形成した遥の荒波が魔霧を飲み込むと、大きく腕を引いた悠乃が至近距離に跳躍した。
撃ち放たれた、豪炎の拳。
大気を燃やし尽くすような一撃が魔霧を赤に染め上げる。
白と交わった赤は次第に魔霧の全てを炎で包み。
そして、霧は文字通り、霧散した。
●
「ふっ、一件落着ですねっ」
戦闘後、洞窟の外へ男性と共に出た所を待っていたのは、先に助けた女性だった。
怒りと心配と、ついでに嬉しさも交わったようなぐしゃぐしゃの笑顔で出迎えられ、ついでに男性は何故かどつかれる。
「人助けは良い事だけれど、対応できないならすぐに誰かに連絡すべきだったね」
遥は帽子を被り直しながら、少し咎めるように二人へ言った。
確かに、ただ好奇心だけで突き進むのは危険すぎる。
先の見えない状況で進むのは得策とは言えない。それは、二人も身に染みた事だろう。
でも、と遥は緊張をほぐすような空気を出しながら続け、微笑んだ。
「無事で良かった」
それが何よりだ。
付け加えるように、若草は女性に語り掛ける。
「彼を責めないで欲しいの……確かに、彼の決断でこんな目にあったのも事実よ」
彼女の関わりたくなかった、という思いも、充分理解出来るだろう。
「ずるい言い方だと分かっているけれど……私達に、彼と同じ気持ちがあったから、あなたを助けられた」
そして、その気持ち自体は決して無駄な事では無い。
「だから、恨まないであげてほしいの」
そう気かされて、女性は複雑な涙を流した。
その涙を吹くのは私達の仕事では無い。
それを諭すように、美久はそっと男性へハンカチを手渡す。
「ん……?」
話の途中に、洞窟から出て来た女性に飛馬は気付いて目をやった。
それに合わせ、両慈が声を掛ける。
「悠乃……何かあったのか?」
そう言えば、先程から姿が見えなかった。
悠乃は土だらけの手を叩くと、変わらぬ笑顔で答える。
「ちょっと洞窟の内部を」
自然に出来たにしては、形が妙な洞窟。
もしかしたら、と彼女は内部を探っていたのだ。
「……何か見つかったか?」
「『ココニ 立チ入リ禁ズ』」
一瞬の静寂の後、再び悠乃が口を開く。
「中央の道の、一番奥の壁に彫られていました」
それが何を意味するかは、後日の調査に任せるしかない。
助け出した二人の体力の為にも、一度帰還する事が望ましい。
今は、洞窟の謎は胸に秘めて。
澄み渡った空を、共に拝むとしよう。
■シナリオ結果■
成功
■詳細■
MVP
なし
軽傷
なし
重傷
なし
死亡
なし
称号付与
なし
特殊成果
なし
