血が抜かれた死体
【緋色蜘蛛】血が抜かれた死体



 天井から片足だけ吊られて、逆さまになっている女。
 髪の毛の先から、一滴の血が流れた。

 ぴちょん。

 アンティークな風呂釜いっぱいの赤い水面に、波紋が響く。
『……まだ足りない』
 生温い湯船に浸かる女は、そう言った。
『まだ足りない、まだ足りない、まだ足りない』
 立ち上がり、女性の成熟した身体と長い髪に液体はつたう。
『もっと美しくならなければ。
 もっと強くならなければ。
 母様の名を語れぬ。
 母様の娘であることを語れぬ。
 母様のように人間を蹂躙できぬ。
 母様のように妖を知らしめられぬ。
 もっと、もっと沢山の血が無ければ。もっと、もっと沢山の恐怖が無ければ――』


 都会であっても。
 大通りに面していたとしても。
 用が無ければ、そこにどんな建物があって何が詰め込まれているのかなんてあまり気にすることは無いだろう。
 ここもそうだ。
 外観は普通、小奇麗な8階建てのビル。
 中にはなんらかの会社が入っているらしい。
 水道や電気代はきちんと振り込まれるし、郵便や宅配も定期的に来ていたものの、きちんと対応されている。

 ちりん。

『……殺芽の母君、継美には熱狂的な……そう、「ふぁん」とやらがおりますが。
 哀れかな。ヒトの信仰心とはこの薬売りには分かりませんが、強大な力は常にそういうものが付き従うのが定でしょうか』

 薬売りと呼ばれた古妖は鈴の音と共に、遠くへ沈む太陽を指さした。

『今は黄昏時。
 貴方たちが目当ての殺芽(あやかし)は、この鉄の棺桶(ビル)の中に。
 ただし、昼間の時だけ眠る場所として。
 夜、殺芽は活動を始めて外部へ消えます。
 ……確かに、居場所は教えました。人間の血を浴びれば美しくなれるなど、何時のお伽話を信じているのでしょうか、あの蜘蛛は。

 それと……これをお渡ししておきましょう』

 薬売りは覚者達へ、ふたつの道具を手渡した。
 ひとつは、黄色の火が入ったランタン。
 もうひとつは、緑の液体が入った注射針。
『以前、殺芽が覚者の女を操っていたのをヒントに、糸を切る炎を。しかし、時間が無かったので数分持つかは知れない。『助ける』のでしたら、よく『お選び下さい』。まあ……殺芽を殺せば助けられるでしょうが。
 もう一つは、『機会があれば』殺芽へお渡しください。……一瞬の隙を産む程度なら、できるでしょう』
 そう言っていた薬売りは、どこか笑っているように見えた。


 状況を整理します。

 『古妖・薬売り』によれば、都会のビルに殺芽は根城を張っている。
 ただし、元々ビル内に居た人間は全て殺芽の母である『継美』を信仰していた人間たちで構成されているとのこと。
 即ち、ビル内部の人間/覚者は『敵』である可能性が高い。
 また殺芽は人間の血を飲み、浴びる事により、美しさを保っているとの情報がある。

 目下、世間で流れている『血が無い死体の製造場所』がここであると決定付け、『連れ去られて血が無い死体にされる前の人間』も、此処にいる可能性が高い。

 ――ただし。

 前回、FiVE覚者が遭遇した『殺芽に操られた覚者』が居た為、ビル内部の人間はその影響を受けている可能性が大いにある。
 戦闘はかなり厳しい状況が予想される。
 また、『連れ去られた人間/覚者』も、その糸の影響を受けている可能性は高い。
 この『殺芽の糸』を断ち切る方法は未だ解明されておらず、『薬売り』の話では半日程時間をかけて飲み込む糸が人間の身体へ浸食するとのことであり、多大なる激痛を催す最低の糸であるとのこと。
 これから突入するFiVE覚者が蜘蛛に捕まり、半日以上拘束されない限りは敵の手に落ちることは無い。
 また、その糸は薬売りが託してくれた『炎』のみでしか解決できないものである。
 その炎も、持続性は無い為、『助けるなら選べ』とのこと。
 最近、都内近郊で消えた行方不明者リストを渡しておく。

 現在時刻は、夜20時――。


■シナリオ詳細
種別:シリーズ
難易度:難
担当ST:工藤狂斎
■成功条件
1.ビル内の殺芽の勢力を60%以上削る
2.なし
3.なし
 タイトル回収

●ここまでのあらすじ
・血が抜かれた死体の噂がある。
 FiVE覚者は調査に乗り出すとき、久方相馬が蜘蛛に襲われる警官の夢を視た。
 見事警官を蜘蛛から守った覚者たちは、大蜘蛛の少女に出会った。
 彼女は、かの大妖『継美』の娘、『殺芽』。
 殺芽は日々、早すぎる成長を遂げ、少女から女性へと至る。
 女性へと至った彼女は、狡猾にも捕まえた人間を人形のように操り、歪んだ成長を魅せる。
 そして、再びFiVE覚者はこれを止めた。
 その時、ある古妖『薬売り』と覚者はある取引を行った。

●状況
・ある取引とは『殺芽から助けてほしい、代わりに情報を渡す』というもの。
 その言葉通りに、薬売りは都内のビル内部に殺芽と殺芽を信仰する人間たちの根城を教えてくれた。
 恐らく、噂の血が無い死体の製造場所もここであるのだろう。
 今回はその内部を徹底的に叩く。が、しかし、連れ去られてきた人々もいるだろう。助けたいが―――助けられるのか。覚者の明日はどっちだ。

●殺芽
・大妖『継美』の娘、同じく大蜘蛛の妖にして超強力な妖であるがランクは不明
 人の言葉を話している為、ランク4以上であることは確定
 熟女程度の成長を遂げており、美貌を持っておりますが仮の姿

 昼はビル内部で『眠り』
 夜は外部へ『出かけます』

 ひとつ情報を開示すると、寝ている最中は風呂のなかで全身沈んでいるようですのでちょっとの衝撃では起きないようです

 攻撃方法は一切不明
 ただし、半日かけて人間を人形(殺芽が自ら操作して来る為、人間の限界を超えて動かしてくる、つまり単純に強化が入ります)に作り替える力があり、これには多大な苦しみと激痛があるらしい
 殺芽がNPCを操るには一定の距離(とはいえ最高範囲はかなり遠距離だが、今回夜のときはこの距離より外にいる)の中にいる必要もある

●大蜘蛛信仰者たち
・殺芽の糸と激痛と苦しみを自ら望んで受け入れた人々

 覚者5人、一般人15人

 覚者は、火行獣斧装備、単体火力高い
 水行翼人杖装備、回復系
 木行現剣装備、列攻撃有、貫通攻撃有
 土行獣両手盾装備、防御高、特攻撃有
 天行翼槍装備、貫通攻撃有、列攻撃有、二連スキル所持
 覚者はFiVE覚者より強いですが、全員が各階別行動をしております

 一般人は、それぞれの覚者に三人ずつついており、覚者の力をカバーする形の武器を所持

●連れ去られた人たち
・7人、殺芽の糸を受けておりますので敵になる可能性も高いです
 エネミー化している場合、信仰者たちよりかは弱く、雑魚敵程度に思ってくださって結構です

・山西親子(非覚者、母親43歳、子12歳。子供は栄養失調で死にかけてます)
 安藤明(女性。非覚者、17歳学生、精神崩壊寸前、おっぱいが小さいのが悩み)
 近藤綾子(非覚者、55歳、子供が血の抜かれた死体になり死の真相を探っていた)
 天城務(女性、非覚者、政治家、36歳。私のこと助けたらお金あげるわよ、系)
 榛名明(覚者、前作の敵であったメイドの妹。色々諦めきった顔)
 相坂空(女性、覚者、29歳。連れ去られる直前にプロポーズされ、来月結婚式をあげる予定)

 『殺芽が起きた昼』という状況が発生した場合、上記全て敵になります

●特殊アイテム
・糸切炎
 炎を宿したランタン、特殊な薬品で燃える炎
 人体や物は焼かず、糸だけを選別して焼く炎。ただし、3回使うと燃え尽きる。FiVE覚者にも使うことができ、ターン関係無くBS混乱を与えてくる糸を切ることができます

・美貌薬
 殺芽が喉から手が出るほど欲しいもの、薬売りに要求していたものの、最後のひとつ
 殺芽を怯ませるくらいはできます。ちなみに人間に使うと、3分だけおっぱいがでっかくなる程度

●判定
・ビル内部の戦力もそうですが、武器、並びに敵大蜘蛛の卵などもあります
 それを丁寧に壊したりしても敵の損害状況にプラスの加点をします

●場所
・8階建てビル、最上階は殺芽の部屋。そこには人は寄り付かず、死体と蜘蛛妖の卵がある
 2~6階それぞれの階に、敵覚者チームがひとつずつ。特に5階は武器庫のようになっている
 7階に連れ去られた人々が全員います

 今回の依頼は、突入時刻が、昼か、夜か、選べます
 外ではAAAが避難活動を殺芽に気づかれぬように隠密に開始し、AAAやFiVE部隊もそれなりに攻撃支援しますが、メタなことを言うとPCが頑張らないと成功しない依頼。雑魚敵くらいは任せてもいいかも?

 それではご縁がありましたら、よろしくおねがいします
状態
完了
報酬モルコイン
金:1枚 銀:0枚 銅:0枚
(2モルげっと♪)
相談日数
7日
参加費
100LP[+予約50LP]
参加人数
8/8
公開日
2016年09月14日

■メイン参加者 8人■

『弦操りの強者』
黒崎 ヤマト(CL2001083)
『探偵見習い』
賀茂・奏空(CL2000955)
『追跡の羽音』
風祭・誘輔(CL2001092)
『想い重ねて』
蘇我島 燐花(CL2000695)


 こんなにも月映えする夜なのに、何故だか此処の周囲はとても暗く思えるのは何故であろうか。
 『ゴシップ探偵』風祭・誘輔(CL2001092)は鮮血に等しい色で輝く空を見上げて、その月を掴むように拳を握った。誘輔は胸の奥に感じる吐き気にも似た嫌な予感が蜷局を巻き続けていることに眉間へシワを寄せた。
 そして舞い降りてきた漆黒の羽。
 その持ち主は既に七階へと到達したことであろう。
 一筋の風が舞い、『B・B』黒崎 ヤマト(CL2001083)は上空で一度旋回してから、両の腕に抱えた『黒百合』諏訪 奈那美(CL2001411)を静かに降ろした。
 七階の風は一層強く、射干玉(ぬばたま)のような奈那美の髪はしっとりと揺れる。薄く開いた窓硝子へ手をかけた彼女は、硝子に張り付いた蜘蛛の糸が粘着質のように張り付いたことに嫌悪を覚えつつ開く。
 その瞬間、ヤマトは鼻を抑えた。まるで、否、まるでとも言うことは無いだろう。生臭いのだ、動物の臭いが。
 それは犬や猫では無く、人間の発する本来の臭いであろう。人はこういった臭さを上手く隠す方法を知っている、だが、それさえ封じられた『生贄』たちは本来の野生に近い臭いを発しているのだ。
 その頃、『迷い猫』柳 燐花(CL2000695)を抱えた阿久津 ほのか(CL2001276)と、『水天』水瀬 冬佳(CL2000762)を抱えた『独善者』月歌 浅葱(CL2000915)が七階まで到達。
 そして奈那美も下界へと蜘蛛の糸を下した。それは、極楽からお釈迦様が地獄に垂らす一本の蜘蛛ノ糸とは真逆の意味が込められていたに違いない。

 ともあれ、覚者八人は七階へと到達した。
 窓硝子の外、僅かな面積であるベランダの人口密度は定員過多であり、一刻の猶予も無い覚者たちは内部へと侵入していく。
 それまで、諦めきったように天井の染みの数を数えていた人質たちは、事態が動いたことに希望と絶望両方抱いた瞳で覚者たちを目に映した。
 天城務は水をかけられた魚のように俊敏に四足歩行で移動しつつ『探偵見習い』工藤・奏空(CL2000955)の腰へと縋りつくように抱き着いた。
「助けが!!? もういやぁぁこんなところ!!」
「お、落ち着いて……」
 それは心からの叫びであることは、奏空は重々承知してた。だからこそ、否定せず。受け止めながらも、静かにしてもらう協力を願った。
 さて、問題はここからである。
 生贄の、誰を助けるか。
 しかし覚者たちは誰を選ぶかもう既に決めていた。
 選ぶのは――。

「全員だ」

 ヤマトはレイジング・ブルを握る。
『――お待ちを』
 パン!! と両手を叩いた音が響き、両手を合わせた薬売りが天井を足元に立っていた。
『正しく運命を生きる者よ。
 滅びの運命(さだめ)に抗う者よ。
 命を賭して助ける縁が、今、出会ったばかりの人間にあると言うのですか――?』

「有る!!!」

 緑に揺れていた糸切炎が、ヤマトと同じ髪の色へと染まり、爆発したように膨れ上がっていく。
「一つだけ聞かせて、薬売り」
『はい、なんでしょう』
「この炎、信用できるよな」
『はい。この薬売りは欲しい者に欲しい物を与える物怪。それは、『貴方』が望んだから、作ったのですよ――?
 対価は――××です』
 走馬灯のようにヤマトの脳内には、酷く濃い血の香りと真っ赤な水たまりと、手を取ることができなかった命と、殺芽の笑い声を思い出していた。
 譲れぬ思いを、救いの光へと変えて。
 榛名明は煌々と輝く天使に目を奪われながら、乾燥しきった瞳で涙を流した。
 ヤマトはその魂を犠牲に、糸(悲しみの連鎖)を断ち切る力へと変える。

 ちりん。

 薬売りの天秤が、傾いた。


 ヤマトは言った。
「薬売り。用意した理由は違うだろうけど、それでも、ありがとう」
『礼を言われるとは、思いませんでしたが』
「殺芽の巣で欲しいものはある? 対価は必要なんだろ?」
『それは不要です。何故なら、既に頂いてますので』
「?」
『はい。人間の感情は尊いものです』


 ――ハッ、と奏空の顔が上がる。
『ぜっ……全AAA、FiVEの部隊に通達!! 人質の救助を行います!!』
「そう、簡単にはいかないかもしれませんね」
「て、敵襲!?」
 冬佳は構え、奏空もそれに合わせた。
「伏せて!!」
 ほのかは持てるだけの声量で叫んだ。
 細く鋭利な槍が砲弾のように突き出されてから、タタタタと小刻みな振動と共に連弾式の射撃が空中を切っていく。
 覚者らしき人物が部下を引き連れて鬼の形相でこちらを凝視していたのを誘輔は確認、ギリギリまで吸い切った煙草を吐き出してから、新しい一本を咥える。
「貴様ら!! 殺芽様の敵め!!」
「あれだけ光れば、嫌でもバレるか。つか、自分でボスの名前言っちゃ駄目っしょ。なあ燐花」
「――どうぞ、お覚悟を」
 階段脇で潜伏していた燐花は跳躍。それも弧を描くような跳躍では無く、斜め一直線で敵覚者の懐へ飛び込んでいくのだ。
 槍のリーチは長い。故に、懐まで距離を縮めた燐花は有利である。炎が軌跡を描く彼女の蹴りが敵覚者の足をかけて転ばし、更に踵を落として背中を強打。敵覚者は胃液を吐きながら、槍を落として白目をむいた。
「どうしてそんな辛い思いをしてまで、信仰していらっしゃるのでしょう」
 それだけは燐花は理解できなかった。彼らは口々に殺芽様という。
 そこに逃げを見出しているのか、楽園を見ているのかは分からない。ただ少しわかるのは、誰しもが怯えていないこと。それまでして殺芽の洗脳は心地よいものか――対話の機会は、彼らの更生は不可能であると言われているようなものだ。
 後ろの二人は、連射式の銃を持っている。再びタタタタと小刻みな音と共に、敵覚者ごと燐花を打ち抜いていく二人の狂人。
 キャァァと叫び声があがり、奏空は焦った。まだ――救助は完璧では無いのだ。確かに下まで元生贄を送れば、あとはAAAとFiVEがなんとかしてくれるであろう。
 奏空は生贄であった人間を窓際まで運び、ついでに精神崩壊寸前の安藤明を抱えて走った。たぶん恐らく胸がないから安藤だろうと。
 銃弾の嵐に、山西親子を抱いて包むような形で守っているほのか。その背が例え、血に塗れたとしても親子を殺させるわけにはいかない。だが、子供に弾丸が貫通したとき、心の中で悔しさがこみ上げてきた。
「正気ですか!!? 仲間と一緒に攻撃するだなんて!!」
 ほのかは、見上げる。薬売りが白い指で一点を指していた。あれは――糸か。
「正気ではありませんよ。だってあれはもう人形なんですから」
 奈那美は覚えている。この身を乗っ取られ、アレに支配されたことを。

「――殺芽」


『キャーーーーーーハハハハハハハハ!!』
 それは件のビルより遠くの場所。
 切り裂くような高い声、着崩した着物。
 巨大な蜘蛛の巣の上で、広がる長い髪。細長く、官能的に揺れる指には多くの糸が繋がっていた。
 それを括り、時には伸ばしては引き。彼女は、殺芽は、『兵』を動かしているのだ。


『馬鹿ねえ、どうして私が起きているときに来たのかしら?』
 銃を持った覚者では無い男が恍惚な笑みを浮かべながら覚者たちへ問うた。
 殺芽がどこに居たとて、眼も、耳も、鼻も、このビルには在る。そこまで彼女は力をつけていた。人形を介して全ての五感を共有している、この蜘蛛は。
『遊びましょう?』
 命を刈り取りに来るのである。

 槍を持った覚者の死体(身内の弾丸にやられた)と、伸びている二人の非覚者の体を飛び越えた浅葱は盾と斧を持った二人の覚者が上ってくるのを目撃した。
 しかしとて、退かぬ。より強固な信仰と、犠牲染みた信念に我さえ忘れて殺芽に操られている姿は、浅葱からしてみれば滑稽であったかもしれない。
 既に言葉で解決するという方法は無いに等しいのだ。故に、浅葱は拳を握る。
 片拳が分厚い盾を殴った。反動で腕から肩にかけて振動が伝わり、しかし浅葱はもう一方の腕を振り上げた。
 盾が守っているのは斧の男だ。単刀直入に火力特化した、斧なのだろう。こびりついた錆は誰の血であったのか、考えるのも嫌になる。
 がら空きの浅葱はされど、仲間に身を託していた。風のように切り抜けて、腕を両断さえ可能な斧を受け止めたのは冬佳。
「冥府魔道に堕ちた者達よ、我が神水を以て祓わせていただきます」
「殺芽様万歳、殺芽様万歳」
 火花が散る、斧と刀の紙一重の攻防。
 浅葱は一度飛びのき、冬佳は斧を打ち返した。
 何を理由に殺芽の手中へと落ちたのか。冬佳の瞳は悲しみ帯びる色で染まってはいたが、行動は変わらない。恐らく殺芽はこれでも焦っているのだろう。
 何故なら、明らかに八階を守っているように。階段を背にして敵は布陣するからである。
「それでも一応、母なのでしょうね」
 しかし冬佳は斬る。
『子は殺さないで。と泣きさけべば止めてくれるのかしら?』
 殺芽が動かす覚者は殺意を持った瞳で冬佳を見ている。
 巫女が捧げる踊りのように、銀髪が淡く光そして回転する体と共に揺れた。剣先の帯びた水の滴は龍となり、敵の覚者を飲み込んでいく。これが答えだろう。
 津波に飲まれたように流れのままに倒れる敵覚者。しかし敵中衛にはまだ敵の影が残っている。
 猟銃を構えた敵が居た。
『まずは、貴方よ』
 男の声色で、殺芽は喋った。
 ほのかの背は、己の血に濡れており、両脇に親子を抱えていた。自らがターゲットになったことは、雰囲気と刺さるような目線で理解している。
 即座にほのかは走り出し、共に発砲音は響く。しかしそれはほのかたちには当たらない。
 そっと、背後を見たほのかは、誘輔の背が見えていた。そして、そのままほのかは硝子窓から飛び降りる。夜の月が煌き、新鮮な空気を吸いながら。光ある方へと、親子を救い出すために。
 ――弾丸を受け止めていたのは、誘輔だ。片方の腕が機械化し、弾丸の大きさの穴と焦げ跡の中央から火花と静電気が散っている。
「関係ねえ女子供を巻き込んで殺したら、寝覚め悪ぃだろ?」
『……チッ』
「遠くのお前が、不機嫌そうな顔に一瞬でもなったっていうんなら、大満足だね」
 歯噛みした非覚者の飛びナイフが飛ぶ。一発は誘輔の頬を切り裂き、血が飛んだ。もう一つは片腕で払い、そして凶器へと化した腕を前へと押し出した。
 爆風がひとつ。それに乗って、奏空の体が自然に前へと出た。
 流れにのり、軽い体は敵の中央部へと特攻。心中、前に出過ぎたと焦ったものの、奏空はそのまま回転するように得物を振り回しては敵を翻弄する台風のような存在として君臨する。
 奏空が心配しているのは、元生贄たちだ。窓際に居た奈那美の髪の毛が窓の外へ吸い込まれるように流れていた。
 彼女の手には蜘蛛の銀糸が煌き、最後の一人を外へと送ったところである。ふと、奈那美は上を見上げた。まるでフェンスか、複雑な編み目が空に縫われていた。あれは、殺芽の糸だというのだろうか。
 まるで、この町を覆うような――。
「行こ、奈那美ちゃん」
「はい」
 壁をのぼってきたほのかは、奈那美の手を掴んで再び悪臭のする部屋の中へと戻っていく。
 術札を指に挟んだ奈那美は、いざ戦闘態勢へと変わっていく。水分を圧縮、圧縮、そして放出。空中を駆ける氷柱は猟銃を砕き持ち主ごと打ち抜いていく。
「八階へ!」
 浅葱は残った盾の覚者を両の腕で吹き飛ばして階段から落っことした。フリーになった斧を持った男が浅葱を切りつけたが、冬佳は後ろを見て。
「お先に行ってください。後で必ず合流します」
 ゆらりと倒れそうになった浅葱を片腕に抱えて、もう片方の腕で斧を切り弾いた。
『退け』
「退きません」
 冬佳は足元をスイングする斧を跳躍して回避しつつ、浅葱を降ろす。浅葱はまだやれると拳を構えた。
 二人の手前には燐花が立ち、得物を片手に二人を守るような布陣で立つ。ああ、こんなことしてまたボロボロで帰ったらあの人は怒るだろうか、それに、この蜘蛛との闘いはいつ終わるのだろうか。
「こっから先は行かせないよ!」
 非覚者の鈍器が振り落とされたが、これを奏空が頭で受けた。血が額から流れ、くらっと脳震盪を起こしたが女性ばかりにいいところを持っていかれるのも男として癪だ。
 凛とした表情に不安を抱きつつも、しかし奏空は斧を受け止めきれず片腕を犠牲にした。
 
 ――その時、背後で煙草の香りがした。


「こ、ここが……」
 八階は、この世とは別のもののような――異質な世界が広がっていた。
 重力を完全に無視している壁や天井、ましてや歩くスペースもとんと無いような程に、びっしりと敷き詰められた『卵』。
 しかし、部屋の中央にはそこだけまるで平和を象徴するかのように、アンティークな風呂窯を中心にした一定の円周内は煌びやかでそして、掃除が行き届いているかのようである。
 ただ……。
 ヤマトは目を瞑った。瞑ったが、また開いた。
 天井で、びっしりと敷き詰められていたのは全裸の女性『たち』。乾ききったそれが、蜘蛛の糸にくるまれて血を引き搾り取られている姿――。
「ひどい……」
 ほのかは言う。
 どうりで、上へ行けば行くほど鉄の臭いが濃いこと。そしてあの殺芽が常に血臭かったこと。

「これが、血が抜かれた死体の真相だっていうんですか」

 長い袖で顔を覆ったほのか。せめて、犠牲者のために祈ることしかできぬ。
 奈那美は特に表情を変えることも無く、とはいえ彼女なりに何かを思っているのだろうが、それを表に出さず卵に手をやった。水の滴が回転し、しかしそれは周囲の水気を飲み込んで構成されているためか、いつもよりは少し赤かった。
 その赤色の水滴は、細かい弾丸のようになり卵を砕いていく。
 こんなもの不要なのである。こんなもの無くなったほうがいいのである。明確な破壊の意思に浸り、奈那美はひたすら手を動かした。
 同じく、ヤマトも翼をはためかせて卵を破壊していく。飛び散った卵の中の粘液が例え顔についたとしてもお構いなく、まだ熟れきっていない子蜘蛛の柔らかい足が頬をかすめて血が滴っても止めはしない。
 ほのかも思い立ち、瞳から光を放って破壊を行う。風呂釜が粉砕し、中に入っていた血が一斉に床に零れていく。絨毯のように染まり、水たまりのようになった地面にヤマトは口元を抑えた。
 ふと、ほのかは顔をあげた。下にいた薬売りは、窓際で外を見ていた。
「薬売りさん。今後も糸切炎は必要になりそうな予感がしますので、再度作成して頂きたいのですが……」
『ああ、そうですか』
「必要な物が殺芽さんの根城にあるなら持ち帰りますし、もし血や肉が必要なら、私の体でよろしければ使って下さい」
『自己犠牲ですか。怖いとは、恐ろしいとは思わないのですか?』
「?」
『いえ、お忘れください。……数は用意できませんが、それでも宜しければお作り致します。対価は、殺芽の死体で如何か?』

 奈那美を見た。
「……どうしたんですか?」
「……ええ、何か、ヒビが入るような音が」

 その時、八階の地面に亀裂が入り、三人は瓦礫の中へと落ちていった――。

 少し、時間は遡る。
 煙草の臭いがした方向を冬佳が見上げれば、誘輔が立っていた。
 正直に言えば、残りの敵を倒しきるのは、精神力との勝負のような形へとなっていた。かなり時間はかかっていたものの、しかし人質は全員救出という結果は既に残している。
 ならば目指すは残りの全てに片をつける時。ましてや殺芽の介入が入った今、余談は許さない。
 斧が燐花を蹴散らす前に、水行の回復を行わせる前に、貫通技を放つ剣が奏空を捕らえるより前に―――。
「終わりだ」
 誘輔の立っている場所を中心に、床は陥没した。力の横行、彼は己を縛っていたものを解くように魂を犠牲にしていく。
「嫌な予感はしていたんだ。卵に手ェ出すのはご法度だろうよ。つまり殺芽、テメェは今こっちに必死に帰ってきてるわけだ」
 ランク4以上の妖を、この人数で討伐しきるのは不可能に近い。今、一刻でも早くここから立ち去らなければ、殺芽がいつ襲来し蹂躙してくるかは読めるところではない。
 その前に、決着を。
 吹き荒れる暴風に、土行が力を開放した今、例えコンクリートだろうと床だろうと、彼の足より下は土行の領域。
「ガキが頑張ってるのに大人が日和る訳にもいかねー、新聞記者の見せ場だ」
 暴発したような起動で飛ぶグレネードランチャーの射弾は壁を破壊し、浅葱は燐花と冬佳と手を繋いで、さらに燐花は奏空へと手を伸ばす。明らか定員オーバーの翼人だが、今ここで議論する暇も無いので外を目指す。
 唖然としていたのは、敵覚者もそうだ。しかし殺芽は違う。

『貴方……良いわね? そこまでして、この私を、怒らせたいのなら。ふふ、いいわ、好きよ、次は名前を教えてほしいわ』

 誘輔は咥えた煙草を吐き捨て、

『――私の子を殺すのなら覚悟しなさい。貴方の種を貰いに、次は逢いましょう?』

 その煙草が地面についた刹那、周囲さえ揺らす大爆発が起きた――。

 落ちてきたほのか、奈那美をヤマトが空中でキャッチして浅葱を追う。ふと――後ろを見た、そこに全身を白よりも白く光り輝く誘輔と瓦礫のように倒壊していくビルがあった。


 覚えていなさい。
 私をここまで虚仮にして。
 許さない。
 もう少しで母様に近づくというところで。
 邪魔をするのなら。
 先に、貴方たちから潰してやる。
 この九頭竜を敵に廻して、ただで済むとは思わないで――。

■シナリオ結果■

成功

■詳細■

重傷
なし
死亡
なし
称号付与
なし
特殊成果
なし




 
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