【悪の鞘】善を笑う者
●夢見が捕えなかった話
「おっと、電話だ」
噺家は受話器を持ちあげながら口の形だけ動かして、すまないねぇ、と詫びた。ちっともすまなさそうな顔に見えないのは気のせいであろうか。こちらのことなど本気で気にかけたふうもなく、閉じた扇子の先で赤く光るボタンを押した。
「はいはい、どちら様で? ああ、奈良の先……はぁっ、横からかっさらわれただ!? 馬鹿野郎! すみません、ですむかっていうんだ」
なにやら面倒事が起きたらしい。
噺家は聞くに堪えない罵詈雑言を受話器に向かって十分ほど吐き散らし、最後は顔を真っ赤にして受話器をフックに叩きつけた。
「けっ、うだうだ泣き言ばかり並べやがって」
黒くて立派な椅子を回して横を向くと、不機嫌を隠そうともせず、扇子を強く閉じたり開いたりを繰り返した。
パチリ……シャ。パチリ……シャ。
「ちょいと計画延期だよ。おまえさんに食わせてやる素材が手に入らなくなっちまった」
そういうと、噺家はすっかりやせ細って艶を無くした抜き身に目を向けた。
「あのお方が露西亜から戻られる前に、この『歪』よりもいいものを三本揃えないとならないんだけどねぇ。どうしたものか。困った、困った。なあ、おまえさん?」
私は『歪』とは別に立派なものを二本、すでに作り上げていた。素材集めは噺家の責任だ。なにが、「なあ、おまえさん」だ。こちらに責任の一端を持たせようとするな。
このように、噺家には言ってやりたい文句が山のようにあるが、あいにく私には言葉を紡ぐ口がない。代わりに悪を食らって溶かし、刀にして生み出す口を持っている。悪なら何でもいいが、頼まれても噺家なんぞは食したくない。それがあのお方の頼みであっても、だ。噺家の刀など悪趣味が過ぎよう。
再び鳴りだした電話機とやらの音に驚いて、私を腰に携えた落ち武者鎧が身じろぎした。
「ちっ! 今度はなんだって――あ! ……ア、アイズオンリー様でしたか。こりゃ、すみません。いや、ちょっと……」
噺家は硝子をはめた戸棚に向かってぺこぺこと頭を下げた。戸棚の中には洋書が並べられている。
「はあ、帰国が伸びる? いえいえ、こちらは問題ありません。刀も順調に出来上がっております。三本目も間もなく……。え? 四……いえいえ、冗談ですよ、冗談。四本、きっちり揃えてお帰りをお待ちしております」
噺家は受話器を置くなり立派な机の上に突っ伏した。
「三本目の素材も揃えられねえっていうのに、四本目の素材を今から育成……。駄目だ。殺されちまう」
机で潰れてくぐもる声で散々つぶやくと、いきなり顔をあげてたわけたことを言い出した。
「なあ、おまえさん。ものは試しだ。善人食ってみねぇか?」
●夢見が捕えた話
「三重県のある街で、とってもとっても善良なシスターたちが古妖に襲われて半分が殺され、半分が拉致される夢を見たよ。奈良で妖たちの行動が活発化しているときに悪いんだけど、行って助けてあげて」
久方 万里(nCL2000005)は胸の前で小さな手を合わせた。
「古妖は落ち武者鎧。落ち武者が死んだあと、身に着けていた鎧が意思を持って動きだしたものだよ。平安時代の事みたい。妖刀を一本携えているけど、他に武器らしい武器は持っていないから楽勝だと思う」
ただ、と万里は困り顔で続ける。
「シスターたちがいい人過ぎて、みんなが古妖を退治するのを邪魔するかもしれないの」
暴力で排するのではなく、愛によって救わなくてはならない云々。
集まった覚者たちは、うんざりとした様子で机の上の資料を手に取った。
「おっと、電話だ」
噺家は受話器を持ちあげながら口の形だけ動かして、すまないねぇ、と詫びた。ちっともすまなさそうな顔に見えないのは気のせいであろうか。こちらのことなど本気で気にかけたふうもなく、閉じた扇子の先で赤く光るボタンを押した。
「はいはい、どちら様で? ああ、奈良の先……はぁっ、横からかっさらわれただ!? 馬鹿野郎! すみません、ですむかっていうんだ」
なにやら面倒事が起きたらしい。
噺家は聞くに堪えない罵詈雑言を受話器に向かって十分ほど吐き散らし、最後は顔を真っ赤にして受話器をフックに叩きつけた。
「けっ、うだうだ泣き言ばかり並べやがって」
黒くて立派な椅子を回して横を向くと、不機嫌を隠そうともせず、扇子を強く閉じたり開いたりを繰り返した。
パチリ……シャ。パチリ……シャ。
「ちょいと計画延期だよ。おまえさんに食わせてやる素材が手に入らなくなっちまった」
そういうと、噺家はすっかりやせ細って艶を無くした抜き身に目を向けた。
「あのお方が露西亜から戻られる前に、この『歪』よりもいいものを三本揃えないとならないんだけどねぇ。どうしたものか。困った、困った。なあ、おまえさん?」
私は『歪』とは別に立派なものを二本、すでに作り上げていた。素材集めは噺家の責任だ。なにが、「なあ、おまえさん」だ。こちらに責任の一端を持たせようとするな。
このように、噺家には言ってやりたい文句が山のようにあるが、あいにく私には言葉を紡ぐ口がない。代わりに悪を食らって溶かし、刀にして生み出す口を持っている。悪なら何でもいいが、頼まれても噺家なんぞは食したくない。それがあのお方の頼みであっても、だ。噺家の刀など悪趣味が過ぎよう。
再び鳴りだした電話機とやらの音に驚いて、私を腰に携えた落ち武者鎧が身じろぎした。
「ちっ! 今度はなんだって――あ! ……ア、アイズオンリー様でしたか。こりゃ、すみません。いや、ちょっと……」
噺家は硝子をはめた戸棚に向かってぺこぺこと頭を下げた。戸棚の中には洋書が並べられている。
「はあ、帰国が伸びる? いえいえ、こちらは問題ありません。刀も順調に出来上がっております。三本目も間もなく……。え? 四……いえいえ、冗談ですよ、冗談。四本、きっちり揃えてお帰りをお待ちしております」
噺家は受話器を置くなり立派な机の上に突っ伏した。
「三本目の素材も揃えられねえっていうのに、四本目の素材を今から育成……。駄目だ。殺されちまう」
机で潰れてくぐもる声で散々つぶやくと、いきなり顔をあげてたわけたことを言い出した。
「なあ、おまえさん。ものは試しだ。善人食ってみねぇか?」
●夢見が捕えた話
「三重県のある街で、とってもとっても善良なシスターたちが古妖に襲われて半分が殺され、半分が拉致される夢を見たよ。奈良で妖たちの行動が活発化しているときに悪いんだけど、行って助けてあげて」
久方 万里(nCL2000005)は胸の前で小さな手を合わせた。
「古妖は落ち武者鎧。落ち武者が死んだあと、身に着けていた鎧が意思を持って動きだしたものだよ。平安時代の事みたい。妖刀を一本携えているけど、他に武器らしい武器は持っていないから楽勝だと思う」
ただ、と万里は困り顔で続ける。
「シスターたちがいい人過ぎて、みんなが古妖を退治するのを邪魔するかもしれないの」
暴力で排するのではなく、愛によって救わなくてはならない云々。
集まった覚者たちは、うんざりとした様子で机の上の資料を手に取った。

■シナリオ詳細
■成功条件
1.老シスター6名の保護
2.古妖『落ち武者鎧』の撃破
3.なし
2.古妖『落ち武者鎧』の撃破
3.なし
・昼
・晴れ
・三重県の某所。海が見下ろせる丘に立つ修道院。
ファイヴの覚者たちは落ち武者鎧が押し入った直後、修道院に到着します。
なお、古妖襲撃時、他の若いシスターや職員たちはボランティアに出かけて不在。
●落ち武者鎧……古妖
姉妹を古妖に差し出して自分だけが助かろうとしたシスターを、三人ほど選んで連れてこい、と噺家から命じられています。
【飛ぶ小手】遠単/物……おきて破りのロケットパンチ
【笑う面】近列/特……笑い声のような不気味な音が神経を麻痺させる。ショック。
【妖刀・歪】近列貫2/物……悪の鞘がアイズオンリーの依頼で作りだした一本目の妖刀。
斬撃を受けたものは意識が歪み命中率が著しく低下する。ただし、あと二回使用されると折れて消えてしまう。
【飛行】……大人を最大四人、抱えて飛ぶことができます。
●六人の老シスターたち(救出対象)
神と信仰に身も心もささげた永遠の乙女(平均年齢八十歳)。
古妖襲撃時は、ミィーティングルームでお茶の最中です。
古妖が覚者に攻撃されると、古妖の回りに集まって守ろうとします。
●先生……憤怒者?
噺家に命じられて、落ち武者鎧を修道院まで案内した人物。
落ち武者鎧とシスター三人をある場所に連れ帰ることになっています。
シスターたちがエゴをむき出しにして命乞いする様子を見るため、どこか離れた場所から修道院の内部を観察しています。
【対覚醒者用・拳銃】物・遠単
【対覚醒者用・ナイフ】物・近単
所持品・双眼鏡
●修道院とその周辺
とってもとっても善良なシスターたちが暮らす修道院。
海が見下せる丘の上に建っています。
古妖襲撃時、他の若いシスターや職員たちはボランティアに出かけて不在。
ミーティングルームは一階にあり、海が見える南の庭に面しています。
出口は廊下側に一か所と、庭側(ガラス張り)に一か所。
丘の下は砂浜で、そのまま海に続いています。
浜に入る道の終わりに大型バンが一台。
波打ち際にサーファーが一人います。
海に複数の船影(小型漁船が三隻、ヨットが二艘、クルーザーが一艇)が見えます。
●その他
キャラクターが装備している品とアイテム以外は、プレイングに書かれていてもリプレイで採用いたしませんのでご注意ください。
・噺家……リプレイには出てきません。
・悪の鞘……リプレイには出てきません。
●STコメント
二回続きの前編です。
結果内容によって後編の内容が変化します。
よろしければご参加くださいませ。
状態
完了
完了
報酬モルコイン
金:0枚 銀:1枚 銅:0枚
金:0枚 銀:1枚 銅:0枚
相談日数
7日
7日
参加費
100LP[+予約50LP]
100LP[+予約50LP]
参加人数
6/6
6/6
公開日
2016年07月19日
2016年07月19日
■メイン参加者 6人■

●到着 1681
まっすぐ伸びる長く白い廊下を、ヘルメットをかぶった黒いスーツ姿の男が飛ぶように走っている。
(「まさか、こんなに広いとは思っていなかったな」)
緒形 逝(CL2000156)は『悪意』と『期待』の二つを条件に感情探査を行いながら、事件の影に隠れた人物の居所を探った。修道院の中にいないのはわかってはいるが、それにしても探索すべき場所が広すぎる。
それよりも不可解なのはこの静けさだ。静まり返った修道院のなかの、どの小部屋にも、どの廊下にも、人の気配はおろか古妖の気配も感じられなかった。夢見の予知が正しければ、とうに古妖がここを襲撃しているはずである。それになのに、老シスターたちの悲鳴一つ聞こえてこないのはどういったわけか。
逝は足を止めて傍らの扉を開くと、中をのぞきみた。
何もない。少なくとも見た目の怖い物も、危ない物もない。あけ放った扉の先は小さな部屋で、シンプルな木の机の横に車寄せの屋根を見おろす大きな格子窓がついていた。
「こ、ここ……さ、もしかして二階なんじゃね?」
『五麟マラソン優勝者』奥州 一悟(CL2000076)が、逝の肩越しに窓の外を見ながらぼやく。
少し遅れて、『BCM店長』阿久津 亮平(CL2000328)たちもやってきた。
「そういえば、途中に上下階段があったね。降りた先はてっきり地下だと思ってたよ」
亮平はかぶっていた帽子をひと脱ぎすると、袖口で額ににじんだ汗をぬぐいとった。
修道院は海を見下ろす丘の上に建てられていた。ファイヴの覚者たちが入った玄関は、どうやら三階建ての建物の二階部分にあるようだ。
「それにしても、くそ広いな。修道院ってどこもこんな感じなのか」
一悟は突然、後ろ振り返ると『星護の騎士』天堂・フィオナ(CL2001421)に質問を投げかけた。修道院と言えば騎士、騎士と言えば修道院だろ、とよくわからない理屈を後に続ける。
「確かに、かつての私は高潔なる騎士だった! でも、修道院のことは知らないぞ! 覚えていないだけかも、だが。このロザリオは……シスターを説得するの為の小道具だ」
答えた少女は屈託のない笑顔を浮かべている。ロザリオをどこで手に入れたのかは謎だ。偶然買い求めていた装飾品なのか、それとも記憶を失う以前から持っていたものなのか……。
そう、フィオナは発現と同時に記憶のほとんどを失ってしまっていた。ファイヴに所属する以前のことは、かろうじて前世の記憶らしきものが残っている程度だ。
「一悟、フィオナちゃんに謝るのよ」
最後に遅れてやってきた『ゆるゆるふああ』鼎 飛鳥(CL2000093)が、幼いながらも怖い顔で、一悟を指さした。
「あ、ごめん」
「大丈夫だ。別に気にしていないぞ。とにかく、シスター達を助けてノブレス・オブリージュを果たさなければな!」
「ったく、めんどくさ。……でもシスター達は守らないと」
東雲 梛(CL2001410)が、少しでも風通りを良くしようとTシャツの襟首に指をかけて引っ張った。
「とにかく急いで一階にいくわよ。おっさん、韋駄天足で先に行くから後からおいで」
言うが早いか、逝は部屋を飛び出すと、いま来た廊下を駆けて階段へ向かった。すぐあとを一悟が追いかける。
「俺たちも、とその前に……」
亮平は部屋の窓を開けた。
「ここからびょーてたちに外に出て偵察してもらおう。そこの車寄せから浜へ下る道があるようだし、なによりあの葉の影にバンらしきの黒い屋根が見えているしね」
たのんだよ、と言って、黄色いボディの守護使役を格子の隙間から送り出す。
フィオナも自分の守護使役を送り出した。
「よし、ジークフリート! 修道院の外におかしな人や物の動きは無いか、しっかり確認して来てくれ。頼んだぞ」
梛は部屋を出るときに、飛鳥のつむじを指でトントンと叩いて気を引いた。
「行こう、鼎。俺たちはここにいても仕方がない」
「はい、なのよ」
亮平が部屋を出ていく二人の背に声をかける。
「すぐに行く。シスターたちを頼んだよ」
●説得
逝は覚醒しながら直刀・悪食を抜いた。
「おい! そこのガラクタ! シスターたちから離れろ!」
一悟が罵声を浴びせると、黒い鎧兜を身に着けた何かがのそりと振り返った。面頬当(めんぽうあて)の奥で二つの呪い火がぼうっと光る。甲冑の下は黒い瘴気の塊だった。
大きな背の後で、息をのむ複数の音が立った。
落ち武者鎧と名付けられた古妖は、上段から振り下ろされた逝の太刀を馬手の袖で受けた。斬撃の力を削ぐために、そのまま半身を捻りきる。手にしていた半紙を床に放ち、ずいっと左足を後ろへ下げて腰を落とすと同時に右手で柄を握り、左手の親指で鍔をぐっと前に押しだした。
(「しくじった!」)
逝はフルフェイスヘルメットの中で、ちっと舌を強く打ちつけた。
馬手の袖を滑り降りた悪食の切っ先が白木のフローリングに突き刺さる。
脇腹ががら空きになった。
テーブルの上に置かれた焼きたてのビスケットから、バターの塩気のある甘い香りが一段と強く、鮮烈に香り立つ。
粘度を増したときの流れに乗り、落ち武者鎧が鯉口を三寸ほど抜いたところで白銀が光を弾――。
「おっと! オレを忘れんなよ!」
懐に飛び込んだ一悟の拳が、鞘を滑る刃を止めた。そのまま拳を振りぬいて、武者鎧を押し倒す。
胴さきの緒に結わえ下げられていた墨筒が割れて、床に黒い墨汁が広がった。
小さな黒い水たまりを踏み抜いて飛沫を散らした一悟を、いくつものしわがれた怒声が打つ。
「何をするのです!」
「乱暴はおよしなさい。神の家の中ですよ!」
車椅子の上で一人の老シスターが顔をしかめていた。その脇に、やはり年老いたシスターたちが寄り添う。
「失礼ですがあなた方は誰の許可を得てここに入って来たのですか?」
車いすの老人はシスター長なのだろう。ゆうに八十歳は越えていそうだ。
逝は、よっ、と声を発して床に食い込んだ切っ先を抜いた。悪食を腰の横に着けると、踵を揃え、腰を折ってシスターたちに挨拶をした。
「やあ、これはとんだ失礼をいたしました。お茶の邪魔をしたようで。おっさんたち、こう見ええても腕利きの退魔師(エクソシスト)なのよ。で、本日は悪い古妖を引き取りきた次第――」
「誰が悪い古妖ですって?!」
シスター長は耳に入れた補聴器を指先でとんとんと叩いて、苛立たしげに舌を鳴らした。
「そのお方はわたくしたちに書道を教えに来てくださった先生ですよ」
一悟が頭の上に疑問符を出しながら、はぁ~と間の抜けた声をあげた。
ガシャリと鎧がこすれる音とともに、落ち武者鎧が立ち上がった。大袖の内から折りたたまれた懐紙が零れ落ちる。
「違うのよ! その鎧さんは書道の先生じゃないのよ」
ウサギのたれ耳を揺らしながら、飛鳥が梛とともにミーティングルームに飛び込んできた。
「掲示板見ました。書道の先生がくるのは明日なのよ」
梛の超直感が働いて、廊下の掲示板に張り出された紙に気づいた。内容を読んでいくうちに、夢見の話を思い出し、ふたりはなぜ修道院が静けさを保っていたのかに思い至っていた。
「それでは一体……このお方は?」
落ち武者鎧は立ち上がると覚者たちから距離をとった。兜の正面を逝と一悟に向けたまま、ゆっくりとした動きで刀を滑らせ、鞘から抜き放つ。
梛は床に落ちた半紙を拾い上げると、広げてシスターたちに向けた
「シスター、失礼だけど、これに書かれた文字が読めていますか?」
数秒後、シスターたちが力なく首を横に振った。
「やっぱりね。こう書かれているんだよ。命が助かりたくば、お前たちの中から仲間を三人、生贄に差し出せ、と」
ここに至ってようやくシスターたちの口から短い悲鳴が上がった。
「わかったら怪我しないうちに下がってくれないかな?」
「な、なにをする気なのです?」
「何をって――」
梛の言葉にかぶさるように、甲高く、不気味な笑い声がこだました。
「うおっ!?」
直後、梛は激痛を背中に感じてつんのめった。
笑い声に絡まれて神経の麻痺した逝と一悟の間を抜け、こぶしを握った小手が飛んできたのだ。
とっさにテーブルに手をついて転倒こそ免れたが、熱い紅茶の入った陶器ポットが手の甲に倒れて火傷を負ってしまった。
飛鳥はスティクを回して覚醒姿になると、まずは落ち武者鎧を止めるために逝へ深想水をかけた。
「えい、なのよ! 梛お兄さん、飛鳥たちが戦っているうちにシスターたちを移動させてください」
深想水を受けて息を吹き返した妖刀使いが毒を吐く。
「――Чёрт(チョールト)!」
「チョットと舌巻いてないでガッツリやってくださいなのよ。怪我しても飛鳥が回復してあげます」
続けて飛鳥は一悟を戦いに復帰させた。
梛が手を振りつつ、テーブルを回り込んでシスターたちに近づく。
「どうしても従わないんなら、力づくでも下がってもらうよ」
車椅子のハンドルを取ろうとして腕を伸ばしたとき、太刀打ちの鍔音が鋭く響いた。
両者が切り別れたところへ一悟が間に踊り込み、気合とともに威を込めた拳を帷子に打ち込む。
衝撃に飛ばされた落ち武者鎧が、大きなガラス窓を破って庭に転び出た。
「いけません! なぜ、命をかけて傷つけ合うことは悲しいことであると、誰もがわかっているはずなのに。あなた方はなぜ過ちを犯そうとするのですか!」
枯れたような体のどこに力があったのか。シスター長はハンドリムを掴んで回すと、梛の腕の下をかいくぐり、潮風の吹く庭へ飛び出した。立ちあがった落ち武者鎧の前で車イスを回して止まると、両の腕を大きく広げて庇った。
他のシスターたちも飛鳥の静止を優しく振り切って、よたよたしながら庭へ歩き出ようとする。
「その鎧には悪魔が憑いています。危険ですから下がってください」
凛とした声とともに、フォーレのレクイエム、アニュス・デイの調べが眠気を誘う風をともなって吹き流れた。
シスターたちが振り返り見た先に、聖歌版の寂夜を舞い奉じる亮平がいた。
――dona eis requiem.
これ以上は危険。何よりも優先されるべきは人命と、シスターたちを眠らせにかかる。
シスター長を除く五人のうち、四人が夜の夢に迷い込んだようだ。
梛は超直感を働かせて、受け身を取らずに倒れるだろうシスターを絞り込んだ。
(「一人、いや二人!」)
長い腕ですぐそばにいた小柄なシスターを抱きとめた。肩に頭の重みを感じながら、まぶたを伏せた背の高いシスターの元へ急ぐ。顔から床へ倒れ込む直前になんとか間に合った。
ほかの二人はイスやテーブルに寄りかかりながら、ゆっくりと床に倒れた。残りの一人は黒板に背もたれて、盛んに十字を切っている。
「悪魔を浄化させる為にも、もう少し離れた所で祈りを捧げて頂けませんか?」
優しく、さりげなく。亮平は、眠りつかなかったシスターの肘の内を掴むとそっと黒板から引き離し、出口に誘導した。
「おお、なんいうことを……」
倒れた姉妹たちを見て、シスター長は両手で口元を隠した。
「俺達はあんた達に何を言われたとしても、あんた達を守る為にここにいるから」
梛は冷めた目を車いすのシスター長に向けた。
「俺は残念ながら、あんた達と違って善人なんかじゃない。だから古妖を救わない。あんたはあんたで、後ろの古妖が安らかにいけるよう祈ればいい」
毅然と口を開きかけたシスター長の頭の上で、二尺三寸の鋼が天道を割ってぎらりと光った。
息をのむ音。広がる瞳孔――。
止まった時を切り裂きながら、青く抜ける夏の空を白銀のガラティーンが飛ぶ。
「敬虔な方、騙されては駄目だ! そいつは愛すべき隣人を装った……悪魔だ! 私の近くに居れば安全だから、そのまま付いてきてくれ!」
断たれたのはシスター長がかぶる青灰色のベールではなく、落ち武者鎧の障子板だった。
胸のロザリオも誇らしげに、さわやかな笑顔を浮かべて車いすの前で跪くフィオナはまさしく騎士であった。
修道院の庭に敬虔なる鐘の音が響き渡る。
シスターといえども乙女である。
フィオナが女の子であっても関係ない。颯爽と現れ、こんなにもロマンチックな助けられ方をしたなら、メロメロになってしまうだろう。
実際、シスター長はフィオナの言葉に頬をうっすらと染めて、ただ頷くことしできないでいる。
「私たちはシスターたちを安全な場所へお連れする。ここは頼んだぞ!」
フィオナはガラティーンに神秘の炎を纏わせると、車いすのハンドルをつかみ取ろうとした左の小手を叩き切った。
「1度で駄目なら――もう1回だ!」
「援護する」
梛は華やかかつ透明感のある透き通った香りを落ち武者鎧に向けて放った。
鎧具足が発していた獣じみた臭いが薄らぐとともに、明らかに古妖の動きも鈍っていく。
隙をついてフィオナが右の小手を打ち払い、白馬の手綱ならぬ、車いすのハンドルを奪った。
「しっかりつかまってて!」
うっとりとした顔のシスター長を乗せたまま、フィオナは車いすを押して修道院内に駆け込んだ。
●
逃げた得物を追いかけようとした古妖の前に、逝と一悟、亮平が立ちはだかった。
三人の後ろで飛鳥が慈悲深き恵みの霧を広げる。
「さあ、チャッチャとケリをつけようかね」
「緒形さん、オレ――」
「ああ、やっといで。ここはおっさんと阿久津くん、鼎ちゃんの三人で持たせるさ」
すぐに梛とフィオナも戻ってくるだろうし、と手で払うようなしぐさを繰り返した。
「AAAに連絡を取ったらすぐ戻ってくる」
一悟は横目で落ち武者鎧を睨み付けつつ、海が見渡せる庭の端へ移動した。
ブリーフィング終了後、一悟は直ちにAAAに連絡を取った。古妖のシスター誘拐に加担する、人間の仲間を逮捕するためである。
(「しっかし、シスターたちが全員、『私を殺しなさい』の一点張りだったらどうする気だったんだ?」)
背の後ろで激しい戦闘音を聞きながら、一悟は懐中電灯に用意してきたセロハンを巻いた。色は青だ。
つい先ほど、亮平とフィオナの二人から、沖に停泊していた三艘のヨットの内、一艘が慌てたように帆を張りだしたと報告を受けていた。
青い光を武装船の上で待つAAAの隊員が見れば、即座に追跡してくれるだろう。
セロファンを巻き終えると、一悟は懐中電灯をつけた。海に向かって体を命いっぱい伸ばし、腕を大きく振った。
「俺が妖刀を振るわせないよう、ヤツの動きを止めます。隙ができたら、おっさんは迷わず飛び込んでください」
「首さえ飛ばされなかったら、あすかがなんとかするのよ」
逝は魂を使えば首が飛んだところで、と言いかけて口を噤んだ。すでに無駄口を叩く余裕を失っている。
甲冑を纏っていた人間、いまは瘴気の塊となってしまったものは、生前かなりの使い手だったようだ。刀の振り方を知らない逝と違って、動きの一つ一つに無駄がなく、美しさの中に殺気を込めた攻撃を絶え間なく打ち込んでくる。
三人がかりで押され気味のところへ、戻ってきた二人をくわえてようやく対等に渡り合えるようになった。ここに一悟が復帰すれば、少し有利になれるだろうか。
「あと一回、力を使われればあの妖刀は折れてしまいます」
妖刀の入手にこだわるのであれば、一悟は待てない、と亮平は暗に告げている。
そう、倒すだけなら何とかなるのだ。
「いきますよ」
亮平はずいっと前に進み出ると、構えたハンドガンから神秘の気を作られた弾を高速で打ち出した。
怒涛の銃撃は、踏み込んだ落ち武者鎧のすね当てを木っ端にした。
逝は悪食の柄を軽く握ったまま、すかさず落ち武者鎧の懐に飛びこんだ。
振り下ろされる腕を、下段から払いあげるようにして切り飛ばしたはずだった。が、悪食の刃はむなしく空を食いちぎっただけだった。
「危ない!」
飛鳥の水礫と梛木の棘に守られた亮平が、落ち武者鎧に体当たりして逝から引き離す。
落ち武者鎧は倒れながら、手にした妖刀に残った最後の力を解放した。
歪んだ斬撃が剣を突き出そうとしていたフィオナの胴を薙ぐ。
と、落ち武者鎧が手にしていた刀が砕け散り、煙となって天へ流れていく。
「悪食、すまなかった。ひとつ残らず喰らうがいい」
立ち上がった落ち武者鎧の兜を、天辺の穴から真っ二つに切割った。返す刀で黒い霧を切り散らす。
悪食のつばが満足げに高く澄んだ音を立てた。
●
「あと二体。これと同じ落ち武者の鎧がある」
梛は芝の上に散った鎧の破片から読み取った情報を一悟に伝えた。
一悟は送受心・改で、修道院の修復を行っているほかの仲間たちに情報を伝えた。
≪「あ、あとシスターたちから聞いた話だけど、一週間前にボランティアと称して噺家が落語を聞かせにきたそうだぜ。そいつが返った後、マリアさまの像にひびが入ったとか……これって、何か今回のことに関係あるかな?」≫
関係があるのかも、と飛鳥から返信があった直後、シスターの一人が覚者たちを呼びに来た。
「AAAの隊員と言う方から電話が入っていますよ。ファイヴの方々に繋いでほしいそうです」
太陽が海に沈む。
まっすぐ伸びる長く白い廊下を、ヘルメットをかぶった黒いスーツ姿の男が飛ぶように走っている。
(「まさか、こんなに広いとは思っていなかったな」)
緒形 逝(CL2000156)は『悪意』と『期待』の二つを条件に感情探査を行いながら、事件の影に隠れた人物の居所を探った。修道院の中にいないのはわかってはいるが、それにしても探索すべき場所が広すぎる。
それよりも不可解なのはこの静けさだ。静まり返った修道院のなかの、どの小部屋にも、どの廊下にも、人の気配はおろか古妖の気配も感じられなかった。夢見の予知が正しければ、とうに古妖がここを襲撃しているはずである。それになのに、老シスターたちの悲鳴一つ聞こえてこないのはどういったわけか。
逝は足を止めて傍らの扉を開くと、中をのぞきみた。
何もない。少なくとも見た目の怖い物も、危ない物もない。あけ放った扉の先は小さな部屋で、シンプルな木の机の横に車寄せの屋根を見おろす大きな格子窓がついていた。
「こ、ここ……さ、もしかして二階なんじゃね?」
『五麟マラソン優勝者』奥州 一悟(CL2000076)が、逝の肩越しに窓の外を見ながらぼやく。
少し遅れて、『BCM店長』阿久津 亮平(CL2000328)たちもやってきた。
「そういえば、途中に上下階段があったね。降りた先はてっきり地下だと思ってたよ」
亮平はかぶっていた帽子をひと脱ぎすると、袖口で額ににじんだ汗をぬぐいとった。
修道院は海を見下ろす丘の上に建てられていた。ファイヴの覚者たちが入った玄関は、どうやら三階建ての建物の二階部分にあるようだ。
「それにしても、くそ広いな。修道院ってどこもこんな感じなのか」
一悟は突然、後ろ振り返ると『星護の騎士』天堂・フィオナ(CL2001421)に質問を投げかけた。修道院と言えば騎士、騎士と言えば修道院だろ、とよくわからない理屈を後に続ける。
「確かに、かつての私は高潔なる騎士だった! でも、修道院のことは知らないぞ! 覚えていないだけかも、だが。このロザリオは……シスターを説得するの為の小道具だ」
答えた少女は屈託のない笑顔を浮かべている。ロザリオをどこで手に入れたのかは謎だ。偶然買い求めていた装飾品なのか、それとも記憶を失う以前から持っていたものなのか……。
そう、フィオナは発現と同時に記憶のほとんどを失ってしまっていた。ファイヴに所属する以前のことは、かろうじて前世の記憶らしきものが残っている程度だ。
「一悟、フィオナちゃんに謝るのよ」
最後に遅れてやってきた『ゆるゆるふああ』鼎 飛鳥(CL2000093)が、幼いながらも怖い顔で、一悟を指さした。
「あ、ごめん」
「大丈夫だ。別に気にしていないぞ。とにかく、シスター達を助けてノブレス・オブリージュを果たさなければな!」
「ったく、めんどくさ。……でもシスター達は守らないと」
東雲 梛(CL2001410)が、少しでも風通りを良くしようとTシャツの襟首に指をかけて引っ張った。
「とにかく急いで一階にいくわよ。おっさん、韋駄天足で先に行くから後からおいで」
言うが早いか、逝は部屋を飛び出すと、いま来た廊下を駆けて階段へ向かった。すぐあとを一悟が追いかける。
「俺たちも、とその前に……」
亮平は部屋の窓を開けた。
「ここからびょーてたちに外に出て偵察してもらおう。そこの車寄せから浜へ下る道があるようだし、なによりあの葉の影にバンらしきの黒い屋根が見えているしね」
たのんだよ、と言って、黄色いボディの守護使役を格子の隙間から送り出す。
フィオナも自分の守護使役を送り出した。
「よし、ジークフリート! 修道院の外におかしな人や物の動きは無いか、しっかり確認して来てくれ。頼んだぞ」
梛は部屋を出るときに、飛鳥のつむじを指でトントンと叩いて気を引いた。
「行こう、鼎。俺たちはここにいても仕方がない」
「はい、なのよ」
亮平が部屋を出ていく二人の背に声をかける。
「すぐに行く。シスターたちを頼んだよ」
●説得
逝は覚醒しながら直刀・悪食を抜いた。
「おい! そこのガラクタ! シスターたちから離れろ!」
一悟が罵声を浴びせると、黒い鎧兜を身に着けた何かがのそりと振り返った。面頬当(めんぽうあて)の奥で二つの呪い火がぼうっと光る。甲冑の下は黒い瘴気の塊だった。
大きな背の後で、息をのむ複数の音が立った。
落ち武者鎧と名付けられた古妖は、上段から振り下ろされた逝の太刀を馬手の袖で受けた。斬撃の力を削ぐために、そのまま半身を捻りきる。手にしていた半紙を床に放ち、ずいっと左足を後ろへ下げて腰を落とすと同時に右手で柄を握り、左手の親指で鍔をぐっと前に押しだした。
(「しくじった!」)
逝はフルフェイスヘルメットの中で、ちっと舌を強く打ちつけた。
馬手の袖を滑り降りた悪食の切っ先が白木のフローリングに突き刺さる。
脇腹ががら空きになった。
テーブルの上に置かれた焼きたてのビスケットから、バターの塩気のある甘い香りが一段と強く、鮮烈に香り立つ。
粘度を増したときの流れに乗り、落ち武者鎧が鯉口を三寸ほど抜いたところで白銀が光を弾――。
「おっと! オレを忘れんなよ!」
懐に飛び込んだ一悟の拳が、鞘を滑る刃を止めた。そのまま拳を振りぬいて、武者鎧を押し倒す。
胴さきの緒に結わえ下げられていた墨筒が割れて、床に黒い墨汁が広がった。
小さな黒い水たまりを踏み抜いて飛沫を散らした一悟を、いくつものしわがれた怒声が打つ。
「何をするのです!」
「乱暴はおよしなさい。神の家の中ですよ!」
車椅子の上で一人の老シスターが顔をしかめていた。その脇に、やはり年老いたシスターたちが寄り添う。
「失礼ですがあなた方は誰の許可を得てここに入って来たのですか?」
車いすの老人はシスター長なのだろう。ゆうに八十歳は越えていそうだ。
逝は、よっ、と声を発して床に食い込んだ切っ先を抜いた。悪食を腰の横に着けると、踵を揃え、腰を折ってシスターたちに挨拶をした。
「やあ、これはとんだ失礼をいたしました。お茶の邪魔をしたようで。おっさんたち、こう見ええても腕利きの退魔師(エクソシスト)なのよ。で、本日は悪い古妖を引き取りきた次第――」
「誰が悪い古妖ですって?!」
シスター長は耳に入れた補聴器を指先でとんとんと叩いて、苛立たしげに舌を鳴らした。
「そのお方はわたくしたちに書道を教えに来てくださった先生ですよ」
一悟が頭の上に疑問符を出しながら、はぁ~と間の抜けた声をあげた。
ガシャリと鎧がこすれる音とともに、落ち武者鎧が立ち上がった。大袖の内から折りたたまれた懐紙が零れ落ちる。
「違うのよ! その鎧さんは書道の先生じゃないのよ」
ウサギのたれ耳を揺らしながら、飛鳥が梛とともにミーティングルームに飛び込んできた。
「掲示板見ました。書道の先生がくるのは明日なのよ」
梛の超直感が働いて、廊下の掲示板に張り出された紙に気づいた。内容を読んでいくうちに、夢見の話を思い出し、ふたりはなぜ修道院が静けさを保っていたのかに思い至っていた。
「それでは一体……このお方は?」
落ち武者鎧は立ち上がると覚者たちから距離をとった。兜の正面を逝と一悟に向けたまま、ゆっくりとした動きで刀を滑らせ、鞘から抜き放つ。
梛は床に落ちた半紙を拾い上げると、広げてシスターたちに向けた
「シスター、失礼だけど、これに書かれた文字が読めていますか?」
数秒後、シスターたちが力なく首を横に振った。
「やっぱりね。こう書かれているんだよ。命が助かりたくば、お前たちの中から仲間を三人、生贄に差し出せ、と」
ここに至ってようやくシスターたちの口から短い悲鳴が上がった。
「わかったら怪我しないうちに下がってくれないかな?」
「な、なにをする気なのです?」
「何をって――」
梛の言葉にかぶさるように、甲高く、不気味な笑い声がこだました。
「うおっ!?」
直後、梛は激痛を背中に感じてつんのめった。
笑い声に絡まれて神経の麻痺した逝と一悟の間を抜け、こぶしを握った小手が飛んできたのだ。
とっさにテーブルに手をついて転倒こそ免れたが、熱い紅茶の入った陶器ポットが手の甲に倒れて火傷を負ってしまった。
飛鳥はスティクを回して覚醒姿になると、まずは落ち武者鎧を止めるために逝へ深想水をかけた。
「えい、なのよ! 梛お兄さん、飛鳥たちが戦っているうちにシスターたちを移動させてください」
深想水を受けて息を吹き返した妖刀使いが毒を吐く。
「――Чёрт(チョールト)!」
「チョットと舌巻いてないでガッツリやってくださいなのよ。怪我しても飛鳥が回復してあげます」
続けて飛鳥は一悟を戦いに復帰させた。
梛が手を振りつつ、テーブルを回り込んでシスターたちに近づく。
「どうしても従わないんなら、力づくでも下がってもらうよ」
車椅子のハンドルを取ろうとして腕を伸ばしたとき、太刀打ちの鍔音が鋭く響いた。
両者が切り別れたところへ一悟が間に踊り込み、気合とともに威を込めた拳を帷子に打ち込む。
衝撃に飛ばされた落ち武者鎧が、大きなガラス窓を破って庭に転び出た。
「いけません! なぜ、命をかけて傷つけ合うことは悲しいことであると、誰もがわかっているはずなのに。あなた方はなぜ過ちを犯そうとするのですか!」
枯れたような体のどこに力があったのか。シスター長はハンドリムを掴んで回すと、梛の腕の下をかいくぐり、潮風の吹く庭へ飛び出した。立ちあがった落ち武者鎧の前で車イスを回して止まると、両の腕を大きく広げて庇った。
他のシスターたちも飛鳥の静止を優しく振り切って、よたよたしながら庭へ歩き出ようとする。
「その鎧には悪魔が憑いています。危険ですから下がってください」
凛とした声とともに、フォーレのレクイエム、アニュス・デイの調べが眠気を誘う風をともなって吹き流れた。
シスターたちが振り返り見た先に、聖歌版の寂夜を舞い奉じる亮平がいた。
――dona eis requiem.
これ以上は危険。何よりも優先されるべきは人命と、シスターたちを眠らせにかかる。
シスター長を除く五人のうち、四人が夜の夢に迷い込んだようだ。
梛は超直感を働かせて、受け身を取らずに倒れるだろうシスターを絞り込んだ。
(「一人、いや二人!」)
長い腕ですぐそばにいた小柄なシスターを抱きとめた。肩に頭の重みを感じながら、まぶたを伏せた背の高いシスターの元へ急ぐ。顔から床へ倒れ込む直前になんとか間に合った。
ほかの二人はイスやテーブルに寄りかかりながら、ゆっくりと床に倒れた。残りの一人は黒板に背もたれて、盛んに十字を切っている。
「悪魔を浄化させる為にも、もう少し離れた所で祈りを捧げて頂けませんか?」
優しく、さりげなく。亮平は、眠りつかなかったシスターの肘の内を掴むとそっと黒板から引き離し、出口に誘導した。
「おお、なんいうことを……」
倒れた姉妹たちを見て、シスター長は両手で口元を隠した。
「俺達はあんた達に何を言われたとしても、あんた達を守る為にここにいるから」
梛は冷めた目を車いすのシスター長に向けた。
「俺は残念ながら、あんた達と違って善人なんかじゃない。だから古妖を救わない。あんたはあんたで、後ろの古妖が安らかにいけるよう祈ればいい」
毅然と口を開きかけたシスター長の頭の上で、二尺三寸の鋼が天道を割ってぎらりと光った。
息をのむ音。広がる瞳孔――。
止まった時を切り裂きながら、青く抜ける夏の空を白銀のガラティーンが飛ぶ。
「敬虔な方、騙されては駄目だ! そいつは愛すべき隣人を装った……悪魔だ! 私の近くに居れば安全だから、そのまま付いてきてくれ!」
断たれたのはシスター長がかぶる青灰色のベールではなく、落ち武者鎧の障子板だった。
胸のロザリオも誇らしげに、さわやかな笑顔を浮かべて車いすの前で跪くフィオナはまさしく騎士であった。
修道院の庭に敬虔なる鐘の音が響き渡る。
シスターといえども乙女である。
フィオナが女の子であっても関係ない。颯爽と現れ、こんなにもロマンチックな助けられ方をしたなら、メロメロになってしまうだろう。
実際、シスター長はフィオナの言葉に頬をうっすらと染めて、ただ頷くことしできないでいる。
「私たちはシスターたちを安全な場所へお連れする。ここは頼んだぞ!」
フィオナはガラティーンに神秘の炎を纏わせると、車いすのハンドルをつかみ取ろうとした左の小手を叩き切った。
「1度で駄目なら――もう1回だ!」
「援護する」
梛は華やかかつ透明感のある透き通った香りを落ち武者鎧に向けて放った。
鎧具足が発していた獣じみた臭いが薄らぐとともに、明らかに古妖の動きも鈍っていく。
隙をついてフィオナが右の小手を打ち払い、白馬の手綱ならぬ、車いすのハンドルを奪った。
「しっかりつかまってて!」
うっとりとした顔のシスター長を乗せたまま、フィオナは車いすを押して修道院内に駆け込んだ。
●
逃げた得物を追いかけようとした古妖の前に、逝と一悟、亮平が立ちはだかった。
三人の後ろで飛鳥が慈悲深き恵みの霧を広げる。
「さあ、チャッチャとケリをつけようかね」
「緒形さん、オレ――」
「ああ、やっといで。ここはおっさんと阿久津くん、鼎ちゃんの三人で持たせるさ」
すぐに梛とフィオナも戻ってくるだろうし、と手で払うようなしぐさを繰り返した。
「AAAに連絡を取ったらすぐ戻ってくる」
一悟は横目で落ち武者鎧を睨み付けつつ、海が見渡せる庭の端へ移動した。
ブリーフィング終了後、一悟は直ちにAAAに連絡を取った。古妖のシスター誘拐に加担する、人間の仲間を逮捕するためである。
(「しっかし、シスターたちが全員、『私を殺しなさい』の一点張りだったらどうする気だったんだ?」)
背の後ろで激しい戦闘音を聞きながら、一悟は懐中電灯に用意してきたセロハンを巻いた。色は青だ。
つい先ほど、亮平とフィオナの二人から、沖に停泊していた三艘のヨットの内、一艘が慌てたように帆を張りだしたと報告を受けていた。
青い光を武装船の上で待つAAAの隊員が見れば、即座に追跡してくれるだろう。
セロファンを巻き終えると、一悟は懐中電灯をつけた。海に向かって体を命いっぱい伸ばし、腕を大きく振った。
「俺が妖刀を振るわせないよう、ヤツの動きを止めます。隙ができたら、おっさんは迷わず飛び込んでください」
「首さえ飛ばされなかったら、あすかがなんとかするのよ」
逝は魂を使えば首が飛んだところで、と言いかけて口を噤んだ。すでに無駄口を叩く余裕を失っている。
甲冑を纏っていた人間、いまは瘴気の塊となってしまったものは、生前かなりの使い手だったようだ。刀の振り方を知らない逝と違って、動きの一つ一つに無駄がなく、美しさの中に殺気を込めた攻撃を絶え間なく打ち込んでくる。
三人がかりで押され気味のところへ、戻ってきた二人をくわえてようやく対等に渡り合えるようになった。ここに一悟が復帰すれば、少し有利になれるだろうか。
「あと一回、力を使われればあの妖刀は折れてしまいます」
妖刀の入手にこだわるのであれば、一悟は待てない、と亮平は暗に告げている。
そう、倒すだけなら何とかなるのだ。
「いきますよ」
亮平はずいっと前に進み出ると、構えたハンドガンから神秘の気を作られた弾を高速で打ち出した。
怒涛の銃撃は、踏み込んだ落ち武者鎧のすね当てを木っ端にした。
逝は悪食の柄を軽く握ったまま、すかさず落ち武者鎧の懐に飛びこんだ。
振り下ろされる腕を、下段から払いあげるようにして切り飛ばしたはずだった。が、悪食の刃はむなしく空を食いちぎっただけだった。
「危ない!」
飛鳥の水礫と梛木の棘に守られた亮平が、落ち武者鎧に体当たりして逝から引き離す。
落ち武者鎧は倒れながら、手にした妖刀に残った最後の力を解放した。
歪んだ斬撃が剣を突き出そうとしていたフィオナの胴を薙ぐ。
と、落ち武者鎧が手にしていた刀が砕け散り、煙となって天へ流れていく。
「悪食、すまなかった。ひとつ残らず喰らうがいい」
立ち上がった落ち武者鎧の兜を、天辺の穴から真っ二つに切割った。返す刀で黒い霧を切り散らす。
悪食のつばが満足げに高く澄んだ音を立てた。
●
「あと二体。これと同じ落ち武者の鎧がある」
梛は芝の上に散った鎧の破片から読み取った情報を一悟に伝えた。
一悟は送受心・改で、修道院の修復を行っているほかの仲間たちに情報を伝えた。
≪「あ、あとシスターたちから聞いた話だけど、一週間前にボランティアと称して噺家が落語を聞かせにきたそうだぜ。そいつが返った後、マリアさまの像にひびが入ったとか……これって、何か今回のことに関係あるかな?」≫
関係があるのかも、と飛鳥から返信があった直後、シスターの一人が覚者たちを呼びに来た。
「AAAの隊員と言う方から電話が入っていますよ。ファイヴの方々に繋いでほしいそうです」
太陽が海に沈む。
■シナリオ結果■
成功
■詳細■
MVP
なし
軽傷
なし
重傷
なし
死亡
なし
称号付与
なし
特殊成果
なし
