電虫の娘 1800秒の攻防
電虫の娘 1800秒の攻防


●彼らの事情。
「元晴さんはよく働いてくださいましたよ」
 亡くなられましたがね。私は面の下で声を殺して笑った。
「さあ、津山さん。次は貴方の番です」
 リムジンのドアが音もなく開く。
 まだ冷たさを残す早春の風が車中に吹き込んできて、うつむく津山の薄い前髪を揺らした。
「……あの」
「手配は万全です。貴方は文化財研究所の学芸員として、堂々と遺物の引き取りを行えばいい。何も問題はありません。行って、電虫の卵を受け取って、ここに戻ってくる。たったそれだけ。あの時よりもずっと安全で簡単だ」
 私はわざと楽しげに、津山との間に置いた黒革のボストンバックを叩いた。
 鞄の中にはぎっしりとドル紙幣が詰め込まれている。ニセ札ではない。すべてホンモノだ。自分の目で確かめないと信じられない。そう言って保釈逃亡中の津山自身が複数の銀行で数回に分けて換金した。警察に捕まるリスクよりも、私に騙されるリスクのほうが高いと思ったのだろう。
 まあ、無理もない。
「あの……アイズオンリーさん? その……」
「安心して行ってきてください。貴方が目を離した隙に札束をすり替えるなんてセコイまねはしませんよ。私は私でちゃんと先方から報酬を得ています」
 左手を持ち上げて、それを見せてやった。人差し指にはめられた長爪が、車中に差し込んだ僅かな光を受けて不気味に光った。
 津山は薄く開いた口の端をひきつらせた。作り損ねた微笑みが、どう見ても大それた犯罪に釣り合う価値がそれにあるとは思えない、と語っている。
 私は手を再び黒いマントの下へ滑り込ませた。
「貴方には無価値でも、私にとっては価値があるものなのです」
 嘘がつけないといえば聞こえはいいが、大事な取引相手を前にして負の感情を隠せないのはビジネスマンとして失格だ。しかも万事に及び腰で、肝が据わり切らない。だから津山は負け犬になったのだろう。換金時、よく捕まらなかったものだと思う。この小悪党はあれで残り少ない運を使い果たしたのではないだろうか。
 できれば使いたくないのだが、生憎と電虫の卵を確認できる者が津山しかいなかった。もう一人、崩壊したビルのオーナーがいるが、こちらは罪とは言えぬほど軽い罪をとがめられただけに終わっている。一発逆転カードをちらつかせて、計画に引き込むだけの弱みがなかった。
「美術品というものは……そういうものなのでしょうな」
「……時間が押しています。行ってください。電虫の卵を持って来ていただければ、密航を請け負った船まで送ってさしあげます。大金の詰まったこの鞄と一緒にね」


●ブリーフィングルームにて
「すまない。こちらの落ち度だ」
 中 恭介(nCL2000002)は盗難が起こった経緯を簡潔に説明した後、応接室に集まった覚者たちに頭を下げた。
「……よく志願してくれた。お前たちだけが頼りだ。盗み出された古妖・電虫の卵を、国外に持ちだされる前に取り戻してほしい」
 七星剣が一星、逢魔ヶ時 紫雨率いる「禍時の百鬼」の五麟市襲撃はまだ記憶も生々しい。街を焼いた戦いの中でファイヴ本部が入る考古学研究所も多少ではあったが被害を受けていた。通用口の一部が壊されてしまったのだ。現在、警備強化もかねて急ピッチで修復作業が行われているが、その一環で全警備システムをシャットダウンした際に犯罪は行われている。人力による事務手続きで混乱する最中での出来事だった。
「いま、内通者の割りだしを急いでいる。こちらは任せてくれ」
 中は夢見、久方 万里(nCL2000005)に後を引き継ぐと、険しい顔のまま急ぎ足でブリーフィングルームを出て行った。
「中さんからざっくり説明があったけど、今回の任務は本当に危険だよ。一旦、神秘の及ぶ範囲から出てしまえば、すぐにじゃないけど、だんだん五行の力が弱まって使えなくなる。魂だって使えない。ただの人になっちゃうんだよ。今ならまだ降りられるからよく考えて」
 万里は五分待った。
 誰も部屋から出て行かなかった。
「じゃあ詳しい内容を説明するね。ここから先は万里がさっき見た夢見の話だよ」
 文化財研究所の学芸員を名乗る男が「電虫の卵」を引きとってから、数時間後、システムが復旧し犯罪が露見した。同時に、万里が夢見を得ている。
「まず盗まれた電虫の卵だけど、みんなが助けに行く前に孵化して、三歳ぐらいの女の子になっているよ。防犯カメラの画像から、卵を盗み出したのは津山という男だって分かっている。万里は、津山が電虫の娘の手を引いてロシアへ向かう船に乗る夢を見たの。娘は日本海沖でロシア漁船に移されて……」
 その先は夢見の力が及ばない神秘の外で分からない、と言う。
「津山のことは報告書『雷虫の塔』を参照してね」
 津山はファイヴが関与した事件で建築基準法違反罪に問われており、懲役五年の実刑は確定とみられていた。拘留中に五百万円の保証金を一括で支払い、保釈後に逃亡していた。
「十年前に起こった保険金殺人にも関与していた疑いが出ているんだって。ほんと、悪いやつだよね。保証金はロシアの犯罪組織に電虫の卵――娘を売ったお金だよ、きっと。仲介者がいるはずだけど、そっちは中さんがきっと捕まえてくれる。だから、みんなは電虫の娘を助けてあげて」
 
●洋上、船室にて
「ねえ、パパ。子守歌を歌って。ううん、それじゃない。あの時の子守歌が聞きたいの」
 愛らしい姿に化けて可愛い声で媚びてくるが、その正体は虫の化け物だ。成虫を見て知っているだけに気持ちが悪い。
「いい加減にしろ! 甘い顔してりゃ、つけあがりやがって!」
 津山は娘の手を叩き払った。
 こいつがロシアで何をされるか想像力に乏しい者にも分かる。生きたまま手足をもがれたり、目玉を刳りぬかれたり、死なないように手加減しながらあれこれ調べられるのだろう。
(「ふん、知ったことか。せいぜい露助どもの役に立てよ」)
 娘が孵化した際に割れた殻は勾玉状のものになった。いくつかはロシア人どもに取り上げられたが、一つだけポケットに忍ばせることができた。金が底を突いたら、この勾玉を売ろう。新天地で人生をやりなおすのだ。
 津山は泣いてすがる電虫の娘を蹴り飛ばすと、部屋を出て鍵を閉めた。


■シナリオ詳細
種別:通常(EX)
難易度:難
担当ST:そうすけ
■成功条件
1.ロシア漁船に引き渡される前に電虫の娘を取り戻す
2.ファイヴ覚者、全員の帰還(生存)
3.なし

自衛隊機のヘリからロシアへ向かって航行中の商船に乗り移ってもらいます。
船の甲板にヘリポートはありますが、威嚇射撃が激しく、ヘリは船に降りられません。
かなりの上空から船へ飛び降りることになります。
乗船後、ロシア側(漁船)に引き渡される前に謎の犯罪組織(全員が対覚者用武器で武装)から「電虫の娘」を取り戻し、追尾している海上保安庁の巡視船に戻ってきてください。

※船には事件にまったく関係のない一般人も乗船しています。
※国境付近では受け取り側のロシア魚船が待ち構えています。接触は1800秒後。漁船ですが、乗組員はすべて謎の犯罪組織の者で武装しています。
※漁船と戦闘が始まれば「ロシア漁船側」からSOSが発信されて、附近を巡視していたロシア軍船が全速で向かってきます。依頼どころではなくなるでしょう(大失敗)。

【注意!】
乗船から約1800秒後(※)、日本を覆う神秘の範囲から出てしまいます。
神秘の範囲を出てしまうと徐々に神秘の力が消えていき、最終的に普通の人に戻ります。
・発現前の姿に戻ります(年は取っています)。
・守護使役の支援が受けられなくなります(姿も見えなくなります)。
・因子スキルと術式は一切使えなくなります。体術はOK。
・魂も使えません。

 ※神秘結界の範囲は不確定なため、キッチリ1800秒後に……とはならないようです。
 普通の人に戻るまで前後で数分間の誤差があるとみて、プレイングを考えください。


●時間と場所
・日本海沖合
・昼、薄曇り。風が強く波が高い。日本側から雨雲が接近中。
・ロシアへ向かって航行中の商船(船籍は日本です)

※船の端から端まで普通に歩いて5分かかります。
1)操船・航海用諸室
 操舵室(無線あり。敵1名)、海図室、など。両舷に甲板下へ降りる階段がある。
 ※船長や操舵士は一般人ですが、なぜか停船命令には従いません。説得不可。
2)甲板と船首倉・船尾倉
 船尾倉前にヘリポート。倉庫は、甲板用諸器具, 滑車類, 救命具及びロープなどの索類を格納。
 敵、12名。
3)居住区
 船長、船員の寝室、客室、食堂、糧食庫、浴室、便所、医務室と通路、両舷に階段がある。
 一般客室は14室。
 通路は左右に一本ずつ。大人の男が二人、横にぎりぎり並べる程度。
 敵、13名。

 A階段(甲板へ)
 ┣━━━━━
 ┃船室
 ┗━━━━━
 A通路(敵4名)……反対端に下層へ降りる階段A
 ┏━━━━━
 ┃食堂、糧食庫、浴室など5部屋(どちらの通路からも出入り可)(各部屋に敵1名)
 ┗━━━━━
 B通路(敵4名)……反対端に下層へ降りる階段B
 ┏━━━━━
 ┃船室
 ┗━━━━━
 B階段(甲板へ)

4)機関区域と貨物倉
 貨物倉と駐車場、機関室、両舷に上へあがる階段がある。通路は真ん中に一本のみ。
 敵4名。
5)船底部


●敵
1)謎の犯罪集団……30名。うち甲板に12名。船内に13名。操舵室に1名。
 全員ロシア人で、日本語を話せる者はいません。
 全員が、対能力者用の強化武具で武装しています。
 ・対能力者用、強化防弾防火ベスト。
 ・対能力者用、強化防弾フルフェイスヘルメット。
 ・トカレフSS(近単)
 ・カラシニコフSS(遠列)
 以下の体術を使用します。
 ・初級正拳

2)津山信夫(52歳)……一般人
 初出:シナリオ『電虫の塔』
 建築基準法違反罪で告訴されていた。保険金殺人に関わっていた可能性もあるらしい。
 保釈中に逃亡し、電虫の卵をファイヴからだまし取った。
 船内のどこにいるのか、夢見で分かっていません。

3)???
 船尾倉の上に立つ謎の人物。
 容姿から日本人であると思われる。
 船で起こっている争いにはまったく興味がないらしく、背を向けたまま日本側の空を睨んでいます。

4)ロシア漁船……謎の犯罪集団、10名。
 漁船ですが漁師は一人もいません。全員、ロシア人で対能力者用の強化武具で武装しています。
 ・対能力者用、強化防弾防火ベスト。
 ・カラシニコフSS(遠列)持ちが8名
 ・RPG-7(ロケットランチャー/遠単)が2名
 以下の体術を使用します。
 ・初級正拳
 ※漁船と接触する前に商船から離脱していれば戦闘は発生しません。
 ※商船から無線を受けて国境を越え、出向いてくる可能性があります。

5)ロシアの軍船
 国境付近で巡視巡回中。
 正確には敵ではありません。ロシア漁船から救助要請が入り次第、武力行使も辞さずに介入してきます。


●その他
・電虫の娘
 名前はつけられていません。三歳児ほどの大きさに成長しています。
 閉じ込められた場所(位置不明。ドアには鍵かかかっています)の床にうずくまって泣いています。
・自衛隊のジェットヘリ
 AAAからの要請をうけて覚者をロシアへ向けて航行中の商船に運んでくれました。
 覚者たちが飛び降りた後、国際紛争に発展することを恐れて船から離れます。
・海上保安庁巡視船
 停船命令を出しながら商船を追尾しています。巡視船は日本国外から出ません。
 覚者たちは巡視船にのって日本に戻ることになります。
 なお、商船の甲板から海上保安庁巡視船の甲板まで、鉄筋ビル3階分の高さがあります。

●貸出
全員に、防弾チョッキが支給されます。
重いです。つけたまま海に飛び込むと沈みます。
その他、装備欄にないものはOP中に触れられていない限りリプレイで使用できません。
ご注意ください。

●STコメント
警察は津山の身柄引き渡しを求めていますが、ファイヴ的にはぶっちゃけどうでもいい存在です。
ロシア漁船が国境を越えて商船に近づいてきたら、海上保安庁の巡視船が間に割って入ってくれますが……あくまで専守防衛。威嚇射撃のみで攻撃はしてくれません。

よろしければご参加くださいませ。
状態
完了
報酬モルコイン
金:1枚 銀:0枚 銅:0枚
(0モルげっと♪)
相談日数
7日
参加費
150LP[+予約50LP]
参加人数
10/10
公開日
2016年04月27日

■メイン参加者 10人■

『五麟マラソン優勝者』
奥州 一悟(CL2000076)
『BCM店長』
阿久津 亮平(CL2000328)
『獣の一矢』
鳴神 零(CL2000669)
『ゆるゆるふああ』
鼎 飛鳥(CL2000093)
『天を翔ぶ雷霆の龍』
成瀬 翔(CL2000063)
『花屋の装甲擲弾兵』
田場 義高(CL2001151)


 空にかかる薄い雲の隙間から、太陽が海面を射し照らしていた。高い波がところどころで紺碧に影模様を作りだしている。
(「あの時の雷虫の卵……孵って三歳ぐらいの女の子になってるのか」)
 『BCM店長』阿久津 亮平(CL2000328)は、固めた拳を小さな後部窓に押しつけた。
 ファイヴからまんまと古妖の卵をだまし取った津山ら犯罪者たちを乗せた商船を追って、自衛隊の大型輸送ヘリは最大速度に近いスピードで日本海沖合を飛んでいた。輸送ヘリ殺風景な貨物室には、古妖奪還のために集まった十名の覚者が固い表情で乗っている。亮平もその一人だ。他に積み荷はない。
 ヘリの旋回に合わせて床が傾いた。
 立っているとあぶない、と下から上着の裾を引かれて亮平は床に座り込んだ。
「津山のオッサン……あのとき殴っておきゃよかったぜ」
 上着から手を離すと、胡坐をかいた奥州 一悟(CL2000076)は手のひらに拳を打ちつけた。一悟のつぶやきは、ブレードの回転による爆音のせいで両隣に座るものにしか聞こえなかった。
「今回はぜったい殴る。んでもって、卵……じゃねえ、雷子を返してもらうぜ」
「うん……あの人のような身勝手な人間にあの子の命を弄んでほしくない。必ず助け出して連れて帰ろう」
 一悟のいう「あのとき」とは、数か月前にファイヴが手掛けた古妖退治のときのことだ。
 その話も津山らが建築現場で掘りだされた遺物――これはのちに古妖の卵であったことが判明するのだが、届け出もせずに不正に拾得したことに端を発する。新築したばかりのビルを怒った親虫に壊されたあげく、津山はその後に違法建築モロモロが発覚して逮捕、告訴されたわけだが、また凝りもせず同じような犯罪を繰り返していた。
 右隣りに座る『裏切者』鳴神 零(CL2000669)が相槌をうつ。
「バカにつける薬はないって言うよね。ほんと、零もそう思う。よし、津山を殴るのは任せた」
 その代わり――。
 零は黒狐の面の下で強く唇を噛んだ。
(「私まだ、怒る感情なんてあったんだ。記憶喪失と一緒に消えていればよかったのに」)
 零がヘリに乗り込んだ理由は他の仲間たちとは少し異なる。いつもであれば現場に居合わせた一般人はもちろん、奪還目標の古妖の子のことも気に掛けるのだが、今日ばかりは気を向ける対象が違っていた。
(「元晴……仇は取るよ!」)
 禍時の百鬼が一人、椿 元晴。のちに『紅蓮ノ五麟』と呼ばれる大事件で、ファイヴ本部が入る五麟考古学研究所を襲撃して死亡した隔者だ。零が悪意に満ちた七星剣という闇から救いだそうと、手を差し伸べた相手でもあった。
 ブリーフィングで簡単に触れただけの、船尾倉庫の上に立つ謎の男。彼が元晴を狂わせてファイヴ本部襲撃を行わせた仮面の男と同一人物である証拠はどこにもない。どこにもないが、零はそうだと信じて疑わない。
 もしも、違っていればその時のことだ。まったく無関係なはずはなかろう。そこで何をしているのか、問いただしてやる。
 零は体の陰で拳を固めた。
 貨物室と操縦室を隔てている隔壁のドアが開いた。
「間もなく目標と接触、降下に備えてください」
 ヘルメットをかぶった自衛隊員が操縦室から出てきて、激しく揺れるヘリの中をゆっくりと進み、後部出入口の傍に立った。
「よし!」
 『デジタル陰陽師』成瀬 翔(CL2000063)が、頬を両手で軽く打って気合を入れた。翔はヘリから武装した犯罪者たちが拡散する甲板への威嚇射撃を行うことになっている。
「あの子の母ちゃんの事助けてやれなかったから、今度こそ絶対に助けたい」
 あの時は知らぬことだった。しかたがなかったのだと言い訳をするつもりはない。ただ、今度こそは悲劇を未然に回避してみせよう。
「待ってろよ、雷子!  絶対助けてお前のパパは津山じゃねーって教えてやるからな」
「雷子……雷虫の子の仮の名前? 人に育てられる古妖かぁ。昔話だと良い結末あまり聞かないけど、上手くいくといいね」
 『調停者』九段 笹雪(CL2000517)はホイスト――人命救助などで使われる、先にフックのついたワイヤーにレスキューリングを取りつけた。
 先行して飛び降りる三人と敵が交戦して、銃撃が弱まったことでヘリの高度を落とすことになっていた。しかし、いかに覚者といえども、落下制御や翼の加護なしに高度から固い甲板に飛び降りれば足首のねんざ、場合によれば骨折するかもしれない。甲板制圧後も戦いは続く。笹雪はなるべく安全に降りられる方法を取るつもりでいた。
「人間だろうと、妖だろうと幼い子どもを騙し、攫った挙句に、売り飛ばすなんて許せる所業じゃありません。必ず救い出さなくては!」
『音楽教諭』向日葵 御菓子(CL2000429)は支給された防弾チョッキの前を合わせると、しっかりと閉じた。
「とりあえず、まずはわたしのできることからしっかりやっていきましょう。……と、教授? どこですか」
 降下前に先行組に海衣をかけて防御力を高めようとしたのだが、三人の内の一人が後部出入口の前にいなかった。きょろきょろと、うす暗い貨物室のなかを見渡す。
「新田先生ならコックピットなのよ」
 苦労して重い防弾チョッキを着こみながら、『ゆるゆるふああ』鼎 飛鳥(CL2000093)が言った。
 飛鳥は防弾チョッキの他に、念を入れて自分自身に水衣をかけるつもりだったのだが、御菓子が自分たちに完全上位互換のスキルを使うと聞いて取りやめていた。
「気力の無駄遣いなのよ。あ、でも一悟は自分で蔵王かけてくださいなのよ。向日葵先生の気力がもったいないのよ」
 わかってらっ、と奥で一悟が怒鳴った。
 『教授』新田・成(CL2000538)が操縦室から出てきた。早くこちらへ、と手招きする御菓子に詫びる。
「この距離であれば下の巡視船と無線で連絡がつくのではないかと思いましてね。雑音が酷かったが……なるべく商船の横にぴったりとついて並走するようお願いして来ましたよ」
 国境と神秘結界の境はぴったりと重なっているわけではないが、日本から遠ざかれば遠ざかるほど無線障害は軽減されていく。そうでなければ危なくて、とても日本に向かうことなどできない。無線が通じなくなる限界まで寄港先の状況把握に努めてなお、無事到着は博打に近いのだ。
「しかし、古妖の力は国境を超えても消えず、我々の力は消える。神秘の謎に迫る重要な点かもしれませんな」
 成は微笑みを浮かべたまま、御菓子が差し出した防弾チョッキをやんわり手で押し戻した。
「防弾チョッキは結構。動作を阻害し、何よりエレガントで無い」
「エレガントさを気にかけている場合ですか。源素が使えなくなったら、身を守ることもままならなくなるのですよ」
 着けてください。いや、結構――。
 問答を繰り返す二人の間に、『装甲擲弾兵』田場 義高(CL2001151)が割り込んだ。
「まあまあ。本人がいらないって言ってんだから別にいいじゃねえか。要は神秘結界の外に出ちまう前に、さっさと雷子を見つけて船から飛び降りればいい話だ。ですよね、新田先生?」
 義高自身は防弾チョッキを着用した上に土の鎧を重ねていた。いかつい顔と手にしたギュスターブとで、見た目は中世の重甲冑戦士そのものだ。
「新田先生が倒れそうになったら、俺がナイトよろしく駆けつける。この見た目だからな、注意も引くだろうし、ましてこっちは簡単に倒れるほどやわでもないからな」
 それでいいだろ、とやや強引に話を終わらせる。
「田場おじさん、かっこいいのよ」
 それからな、と苦り切った顔で飛鳥を振り返った。
「わからんでもないが『おじさん』はやめてくれんかなぁ……一応これでも20代なんだよ……」
 肩を落としてしょぼくれる背中に、仲間たちのほのぼのとした笑い声がかけられた。
 義高はしきりに謝る飛鳥の頭に「もういいよ」と手をやって撫でてやった。
「ついた、みたい」
 桂木・日那乃(CL2000941)の一言で場の雰囲気が一転、引き締まった。
 広げられた翼後ろで後部出入口がゆっくりと倒れていく。
「あ、待って!」
 空へ躍りでた日那乃の体を、御菓子が飛ばした海衣が包み込んだ。
 

 高速で回転するローターか作りだす気流が、武装した男たちの接近を阻んでいた。遠くからヘリに向けて一斉射撃が行われたが、距離があるためなのか、それとも腕が悪いのか、時折スキッドをかすめて甲高い金属音と火花を散らしただけに終わった。
 日那乃は突風の中でロシア語らしき叫び声を聞いた。目を下へ向けると、黒いフルフェイスのヘルメットをかぶった男たちが身を屈めるようにして駆け寄ってくるのが見えた。氷片と波打つ空気の歪みがすぐ横を落ちて行き、男たちの足を止めた。
 ――あ。
 次の瞬間、二の腕に熱した鉄棒を押しつけられたような痛みを感じて顔をしかめた。広げた翼で空気を抑え込み、落下速度を落とす。
「大変! 日那乃ちゃん、血が出てるのよ!」
 甲板に足を降ろすと、駆け寄ってくる飛鳥へ向けて手を上げた。
「……かすり、傷。このぐらい、へいき。大丈夫……だから」
 自分に銃口を向ける男に狙いを定めて腕を薙ぐ。
 上から叩きつけるようなローターの風を裂いて、真空の刃が男の胸を目がけて飛んだ。
 日那乃の攻撃は黒いベストの表面繊維を切り裂いたが、男はよろめきこそすれ倒れなかった。なるほど、対能力者用に作られた防具だけのことはある。どうやら大人しく倒れてはくれないようだ。
 トカレフを構え直した男を、鋭く尖った氷の欠片が貫いた。後ろでカラシニコフを構えていた男もろとも膝をつかせる。やはり倒し切れない。
「むむむ、なのよ。しつこい男は嫌われるのよ」
 ヘリから水龍か放たれ、きらめく星々の流れに乗って駆け下った。
 御菓子、翔、笹雪による三位一体の攻撃は、特殊防具に身を固めていてもさすがに堪えたらしく、黒ずくめの男たちが一斉に後退し始める。
「さあ、いまのうちに!」
 成は手招きでヘリの降下を促すと、ステッキの仕込み杖を抜きはなった。ヘリを狙う男を衝撃波で撃つ。
「よっしゃ、行くぜ!」
 甲板までまだ相当な高さがあったが、土の鎧をまとった義高と一悟がヘリから飛び出した。
 義高は着地するなり成たちの前へ出ると、身を盾にして弾丸を受けた。ひとしきり攻撃を受け止めると、野太い咆哮とギュスターブを振り上げ、正面から一直線に黒ずくめの男たちへ突進した。
 一悟は甲板に着地すると、銃を構える男たちに背を向けて船尾倉庫の上に見える人影へ避難を促した。
銃声と怒号、それにヘリのローターが発する爆音が邪魔をしたのか、どうやら一悟の声は届かなかったらしい。船尾倉庫上の人物は、背後の騒ぎにまったく関心を示すことなく空を見上げ続けている。
(「……あいつ……やっぱりあやしいぜ」)
 関わらなければとくに問題はないでしょう、と夢見はいっていたが関係のない者のことをわざわざ触れるわけがない。あえて報告されたということは、あの男にも何かしら雷子との因縁があるはずだ。後ろで戦闘が行われているのにまったく動じていないことが、無関係なただの人であることを否定している。
 一悟の後ろに亮平と零が降り立った。
 亮平は弾丸が飛び交う中で見る者の眠りを誘う舞いを演じ、零は大太刀鬼桜を振るって気弾丸をばら撒く。
「奥州君! あの子の保護を優先しよう。俺たちはそのためにここに来た」
「あいつは後で零がたっぷり締め上げる! とりあえず露助たちから片づけよ」
 うん、といって一悟が体を回しかけたその時、件の男が振り返った。
(「あれ? あの顔、どこかで見かけたことがあるような……」)
 男は若かった。風に乱れる茶色の髪を手で押さえ、固いまなざしで一悟をじっと見つめている。と、いきなり何かに気づいたように破顔した。
「一悟さん! ぼうっと突っ立ってるとあぶねえって!」
 翔に袖を引かれて、一悟はやっと船尾倉庫の上に立つ男を意識から締め出した。覚醒して陰陽師スタイルになった翔とともに戦闘に加わる。
 最後に、御菓子と笹雪を船に降ろすと、自衛隊のヘリは高度上げて飛び去って行った。


 ロシア人たちから武器と防具を取り上げて無力化し、受けた傷を癒すと、覚者たちは三班に分かれた。
 神秘が及ぶ範囲から船が完全に出てしまう前に古妖の娘を探し出し、彼女を連れて船から脱出しなければならない。時間との勝負だ。
 亮平と翔の二人を残して、零と成の二人は操舵室へ。残りのメンバーは左右の階段から居住区へ降りた。
「では、打合せた通りに」
「オッケー、任せて。鳴神、いきまーす!」
 零は手振りで成を遠ざけると、ドアに向かって至近距離から飛燕を放った。
 音速に近いスピードで繰りだした一の斬がドアを上下真っ二つにして落とし、つづけて放った二の斬がライフルを構えた黒ずくめの男のベストを切り裂いた。だがやはり、血を流させるまでには至っていない。
「……ふむ。どうやってロシア人が対覚者用の武具を開発しているのか、時間を見繕って調べてなくてはなりませんな」
 成は抜刀して、立ち上がりかけた男にトドメを刺した。
 破れたベストの隙間をピンポイントで突いた波動は、男の肋骨を折り、内臓を破裂させたようだ。男は口から血の泡を吹きながら崩れ落ちた。
 零が細く高い口笛を吹いた。
「構っている暇はありませんからね。それより鳴神君、そこの壁にあるのが館内放送のマイクでしょう。無関係なお客様たちへの呼びかけをお願いします」
 すぐそばで人が死んだというのに、クルーたちは誰一人として怯えもしなければ顔を向けもしなかった。粛々と業務をこなしている。誰かに操られているようだ。
「誰に操られているのか……十中八九、屋根の上の男の仕業だと思うけど。ま、下手に騒がれるよりもいいにゃ☆」
 零はマイクの前に立ち、成は舵の前に立つ男から無理やり場所を奪った。

 Aと灰色の壁に黄色で大きく書かれた階段を、一悟と義高、飛鳥の三人は足音を立てないように慎重に、されど素早く下った。段の終わった角で一旦立ち止まると、うずくまって、飛鳥の透視結果を待った。反対側ではB階段を下りた御菓子と日那乃が、やはり笹雪の透視結果を待って角でうずくまっている。
「ここから見える範囲に敵はいないのよ」
「よし。無駄話してる暇はねぇ、とっとと先に進むぜ。一悟。俺の斧に巻き込まれんなよ。こいつぁ手加減しらねぇからな」
 義高が指と口で突入サインを出す。AとBで同時に行動を開始した。
 先に撃ってきたのはB通路の敵だった。壁を穿つ被弾音に反応して、A通路の敵も銃を撃ちだした。
 突然、天井に埋め込まれたスピーカーから零の声が響いた。
<「やっほー☆ 鳴神ちゃんの美声は聞こえたかにゃー☆」>
覚者たちの力み切った肩から良い具合に力が抜けた。
「行くぜ」
A通路側は一悟が盾になって力技で敵を奥へ奥へと押し下げつつ、義高が中央の公共スペースに飛び込み、最後尾の飛鳥が客室を透視で調べて行った。
 B通路側は日那乃を後ろに御菓子と笹雪が盾になって進む。
 御菓子は中央の公共スペースにいる敵を、A通路側から壁を透過して飛び込んでくる義高と交互に、あるいは協力しながら倒していった。
 笹雪は目の前の敵を攻撃しながら透視で客室を調べ、日那乃も水礫で敵を威嚇しながら時折回復で二人を助けた。
「飛鳥、まだ見つかんねえのか! もう前に突き当りが見えてきてるぞ」
「いま探している――あ、いた。津山を見つけたのよ! くわわっ、中から鍵がかけられている! 津山、ファイヴなのよ! 観念してここを開けろ、なのよ!!」
「くそ、田場さん変わってくれ。オレ、オッサンを殴りに行く」
 一悟は仲間たちに津山発見の報を飛ばした。
 飛鳥は守護使役のころんに頼んでドアノブごと鍵の部分をかじりとってもらった。義高と交代した一悟がドアを足蹴にして開く。
 公共スペースを通って日那乃がA通路に移ってきた。代わりに飛鳥がBへ移動する。
「読心術を使うのは大嫌い、だけど」
 自分たちは雷虫の親殺してしまった。代わりにはならないけど、その子供は助けたい。
 日那乃は、一悟に殴られて壁に追い詰められた津山の心の中を探った。
≪「雷子は……コンテナの奥……扉、動力室の中に、閉じ込められている、よ」≫
 貨物区に降りている亮平と翔に送受信・改で雷子の居場所を伝えると、一つ役割を終えてほっとため息をついた。それから顔を僅かにしかめて、一悟が剥いだ津山の上着を受け取った。いやいやポケットに手を入れて勾玉に変じたという卵の欠片を探す。
「ない」
「こっちもだ。尻のポケットにも入ってねえぞ。カバンの中かな?」
 一悟がシーツを裂いて津山を縛り上げる横で、日那乃が鞄の中を探る。ドル紙幣の束の他には着替え一式と煙草しか入っていなかった。
 首を傾げる二人をみて、津山がべろりと舌を出した。
「あ、まさかこいつ。勾玉を飲み込んだんじゃねえだろうな!?」
 一足先に敵の無力化に成功した御菓子と笹雪、そして飛鳥が戻ってきて、一人で孤軍奮闘していた義高に加勢した。手早く片づけて、津山がいる客室に入る。
「どうする?」と笹雪。津山を見下す目が悪そうな光を放っている。
「どうするもこうするもねえだろ。逆さ吊りして腹パンだ。吐かせてやる」
 義高が指を鳴らした。
 にたりと笑って笹雪も指を鳴らす。
 御菓子は、ひいぃと小さく悲鳴を上げて這いつくばる津山の顔の横に膝をついた。
「模範とならなければならない大人がなんと恥かしい、恥知らずなまねをしたんでしょう! 人とか妖とか関係ありません、命あるものに対して、この行いは非難されるに足るものです!」
 そもそも、と御菓子の説教が続く。
「……津山が吐き出したバッチイ勾玉なんていらないのよ。それよりも黒ずくめたちから取り上げたほうがキレイだし早いのよ」
「それもそうだねぇ。じゃあ、そうしようか。みんな、津山の見張りは向日葵さんに任せてロシア人たちを調べようか」
 笹雪を先頭に揃って客室から出ようとしたとき、船全体を響かせていたエンジン音が止まった。
「さすがだぜ、新田先生。これで時間が稼げるな」
 一悟がてのひらに拳を打ちつけて笑った。
「安心しちゃ、だめ。時間、ないよ」
 小さな声だったが、部屋にいた全員が振り返った。
 日那乃が肩のあたりを指さししめす。
「マリンも……みんなの守護使役も、姿、見えなくなってきてる」
「大変!」
「まだ、雷子を保護したって連絡はこねえのか?」と義高。
「ち……しゃーねーな。津山はここへ置いていこうぜ」
 両手両足首を縛った津山を床に転がしたまま、覚者たちはそろって部屋を出た。



「あ、静かになった」
 一悟から連絡を受けた亮平と翔の二人は、慎重にコンテナの間を進んで、雷子が閉じ込められているという動力室に向かっていた。
「新田先生がエンジンを止めてくれたんだな。これで見つけやすくなるぜ」
 一つコンテナをやり過ごすたび、翔が透視で辺りを探る。しかし、貨物区全体が節電のためか明かりが少なく、薄暗くて影が多いためになかなか敵の姿を見つけられないでいた。
 波の音があるとはいえ、さっきよりも物音を拾いやすい。それはこちらが立てる足音にも言えるのだが、透視がある分だけこちらが有利だ。
「はやくロシア人たちを倒して雷子をあそこから出してあげよう。きっと独りぼっちにされて怖がってるよ。可哀想に」
「阿久津さん、二人見つけた。一人は左手前のコンテナの上。寝そべってライフルで通路を狙っている。もう一人は二つ左奥のコンテナに背を押しつけて、両手で銃を持って待機している」
残りの二人は、と翔が首を巡らせた。見当たらないところを見ると、残りは透視の範囲外にいるらしい。
「……オレ、通路を進んで敵の注意を引きつける」
「うん。その間に寂夜を舞ってコンテナの上と角にいる敵を眠らせよう」
 一にの三で二人は身を潜ませていたコンテナから中央通路へ躍り出た。
 同時に4方向から銃やライフルの発射音が発せられ、鉄の壁に金属音を響かせた。銃口から出る火薬の燃焼ガスの炎が、音に合わせてコンテナの側面をオレンジ色に光らせる。
 マズルフラッシュを浴びながら亮平が舞うと、上方向と左方向からの攻撃が止まった。
「俺は二人が目を覚まさないうちに無力化する。成瀬君、動力室前の二人を頼む!」
「了解!」
 翔は頭上に雨雲を召還した。動力室に向かって走りながら、液晶画面に梵字を浮かび上がらせたスマホを敵に向けて波動弾を飛ばす。
「そこをどけっ!」
 雨雲から獣のように猛り狂う雷が発せられた。
 雷に撃たれた二人の男は、床から飛びあがって壁に叩きつけられたが銃は手放さなかった。すぐさま翔に向けて引き金を引いた。あえて狙いを定めない乱れ撃ちだ。
 かわしきれず、弾を受けた翔が崩れる。
「成瀬君、下がって!」
 駆けつけた亮平が翔を庇うように前に立つ。
「もう一度、痺れてもらおう」
 今度は亮平が銃を向ける黒ずくめの男たちに雷を落とす。
 亮平はずるずると背を滑らせて床に尻をついた男たちに一足で迫ると、手早く首筋に手刀を叩き込んで気絶させた。
 二人は回復を後回しにして、敵から対能力者用の防弾ベストとヘルメットを脱がせた。ベルトを抜いて手を縛り上げる。起こさないようにそっとコンテナの陰に引きずっていき、転がした。
「やっぱり鍵がかかってんな」
 翔は癒しの滴で傷を癒しながら、動力室の中を透視した。
「……奥に小さな女の子がうずくまってる。かなり怯えているみたいだ。鍵を壊して入る前に安心させてあげなよ」
 翔はドアの前から離れた。
 亮平の口笛が広い貨物区の中に響く。口笛が奏でるのは、かつて卵に聞かせてやった子守歌だ。
「もう大丈夫だよ。もう少しの辛抱だ……ドアを壊して開けるから、そこでじっとしててね」
 鍵を壊して動力室に入った。
 涙にぬれた黒目がちで大きな目が二人を見上げていた。
「お前のパパはこの人じゃねーかな?」
 翔が亮平を指さす。
「パパ? ……パパーっ!」
「子守唄の音色、覚えててくれたんだね」
 亮平は腰に抱き着いて泣きじゃくる子の、艶やかで豊かな黒髪を優しく撫でてやった。
 涙にくれる二人の横で翔が感極まって鼻をすすりあげた。
「なあ、雷子……あ、これはオレたちが決めた仮の名前なんだけど……うーん、やっぱりちゃんとした名前をつけてあげたいな」
 どんな名前がいい、と古妖の子に問いかける。
「名前?」
「そうだ。名前な。オレの事は翔兄ちゃんって呼んでくれていいぞ!」
「……『おい』ってあの人に呼ばれてた」
「ひどい奴だ。それは名前じゃないよ。……もし嫌じゃなければ、『光』って名前はどうかな?」
 ブリーフィングルームを出る前に、亮平の心の中には雷虫の子の名前があった。卵の時に光り輝いていたので「ひかり」と名付けよう、と。でも、本人が嫌がれば無理に押し付けるつもりはない。
「実はオレも考えてたんだ。ライラって名前。天使って意味があるんだってさ」
「雷子……ライラ……光。うん、雷子・ライラ・光! 素敵な名前、ありがとうパパ、翔兄ちゃん!」
「あ、いや……まあ、いいか」
 亮平はなんだか電力会社がスポンサーの女子プロレスラーみたいな名前になっちゃったな、と翔と顔を見合わせて笑った。
 雷子・ライラ・光も一緒に笑いだす。
「さあ、脱出だ。一緒に日本へ……京に戻ろう」


「さて、何とお呼びすれば良いですかな?」
 爆発寸前の零の腕をしっかりとつかんで、成は船尾倉庫の屋根から飛び降りた男に問いかけた。
「わたしに何か御用ですか。大変失礼だが、前を塞ぐ見ず知らずの人にいきなり名を尋ねられても……教えられませんね」
「しらばっくれるな、この野郎! お前は元晴をそそのかした仮面の男だ! 違うとは言わせない」
「鳴神君、落ち着きなさい」
 謎の男の顔を見据えたまま、男に飛びかかろうとした零を自分のそばに引き寄せた。
「いまの君の発言は推論の域を出ていません。彼は仮面をつけていない。確かに、見たところ彼は守護使役を連れてはいないが……」
 わかっているぞ、と暗に含みを持たせた声を冷たく尖がらせる。
「あえて守護使役を隠している能力者なのか、それとも人ならざる存在であるのか。いずれにせよ、彼が考古学研究所の襲撃を示唆した怪人という証拠にはなりません」
「で、でも!」
 謎の男は面白そうに成と零のやり取りに耳を傾けていたが、ゆるゆると首を振るなり2人の横を通り過ぎようとした。
「お待ちなさい。まだ話は終わっていませんよ」
「何でしょうか? 寒くなってきたので客室に戻りたいのですが」
「あそこで何をしていたのです。事件を煽って策士を気取る悪役は多いですが。だとしたら、貴方がこの場にいるのは不用意すぎる。名はともかくとして、乗船目的をお教えいただければ幸いなのですがね」
「……答える必要がありますか?」
「べつに答えなくていい! 零がいますぐ切り刻んで海に投げ捨ててやる!」 
 成がため息をついた。
「やめておきなさい。ここでは……。鳴神君、君のキッドを見てごらん」
「キッド? キッドがどうし――ちょっ、キッド! なに薄くなってんの!?」
 その時、2人を呼ぶ仲間たち声が左舷から聞こえて来た。御菓子と笹雪だ。はやく、はやくと手招きしている。
 雷虫――雷子・ライラ・光はすでに日那乃が抱きかかえて商船と並走していた海上保安庁の巡視船に移されていた。ほかの仲間たちも船に備えつけられた救助艇を順次と海に降ろして脱出済みだ。
 御菓子と笹雪は万が一、戦闘が始まれば助けに入るつもりで最後まで甲板に居残っていたのだ。
「残念ながら時間切れです。あと数分で私たちはただの人に戻ってしまうが、私の推測が正しければ、そこの彼は……力が保たれたまま。戦いを挑めば数秒も持たないでしょう」
「何を仰っているのかまったくわかりませんね。では、失礼」
 零は腕を振るって成の手を落すと、背を向けて立ち去ろうとした謎の男に向かって怒鳴った。
「嘘つきのこんちくしょうめ! 次はない。零の顔をよーく覚えておけ、次は絶対殺す!」
「……ふふふ。それは怖いこわい。ああ、そうだ。奥州くんと阿久津くんに『ありがとう』と私からの礼を伝えてください。ここに来なかった方々の分も合わせて。それでは」
「へ? なんで? 二人の知り合い??」
 零の問いかけに答えるそぶりも見せず、男は今度こそ背を向けて立ち去った。
 御菓子と笹雪が、さっきよりも一層激しく手を振って脱出をせかせている。
「さあ、私たちも船を降りましょう。……パスポートを持って来ていませんしね」


 巡視船上から、遠ざかる商船を見送る一悟の胸中は複雑だった。
 成から謎の男の伝言をきかされたとたん、既視感の元に行き当たったのだ。すぐに思い至らなかったのは、あの時目にしたのがデスマスク状態だったからだろう。
 謎の男は恐らく――。
「奥州君」
 亮平が横に並び立った。
 しばらく黙り込んだまま二人で高波の向こうに遠ざかっていく小さな影を見ていた。
「国枝さん……だったみたいだね。船尾倉庫に立っていた謎の男は。俺は彼の顔を見ていないから断定できないけど」
「たぶん、国枝さんだ。帰って税関で問い合わせてみればはっきりすると思うけど。鳴神の姉さんがいう仮面の男かどうかまでは判らないな。でも、なんで……あんなところに……」
「二人ともそこで何をしているのよ。雷子・光・ライラちゃんが心配して探しているのよ……って、なんなんですか、このリングネームみたいな名前は?」
「あ、それ、オレも思った」
 あ、いや、それは……。
 あの子が気に入って決めた名前だから。
 亮平は苦笑いした。しばらくはみんなからこのネーミングで攻められそうな予感がする。翔にも少し責任を持ってもらおう。
「と、とりあえずみんなのところへ戻ろうか。国枝さんの事は帰ってから考えよう」
「……そうだな。ロシアへ行っちまったみたいだし、いま考えてもしょうがねえか」
 戻ってきた三人を、温かいコーヒーが入った紙コップを持った日那乃と雷子・光・ライラが出迎えた。
「あ、パパたち戻ってきたー」
 揺れる船の上を危なっかしく古妖の子が駆けて行く。
 しゃがんで抱きとめた亮平をみて、笹雪がくすりと笑った。
「あはは。すっかり懐かれちゃってるね。亮平パパ」
 笑い声が響く遥か上、青空にひと塊の雨雲がゴロゴロと微かに鳴きながら巡視船を追いかけていた。



 もしも、をいくつ重ねても時は取り戻せない。
 それでもファイヴの覚者たちがあと五分遅くやって来ていならこの爪が持つ力は、同族の泣き声を聞きつけて船を追ってきた雷雲の主を間違いなく捕えていただろう。
 やはりこの男は使うべきではなかったのかもしれない。
 それとも恐るべきは夢見の力か。
 謎の男は死んだ津山の体から足をどかせた。
 手には血にまみれた勾玉が一つ。
 覚者や古妖が結界を出れるとどうなるか、一つの確証は得られた。だか、まだまだ知り、学ぶべきことはたくさんある。
 謎の男は細く笑むと、津山を縛っていたシーツの切れ端で勾玉の血を丁寧に拭きとった。
「さようなら、津山さん。ああ、これはもう貴方には必要ないでしょう。金はいくらあっても足りませんから頂いていきます。せいぜい役立てますよ」
 客室を出ると、迎えに来た漁船へ移るために甲板へ上がった。
 飛び移る前に晴れだした空を仰ぎ、ついで日本の方角へ顔を向けた。

 ――いずれまた。近いうちに。

■シナリオ結果■

成功

■詳細■

MVP
なし
死亡
なし
称号付与
なし
特殊成果
なし



■あとがき■

みなさまお疲れさまでした。
雷虫の子は無事保護されました。
津山は残念なことになりましたが……。

ロシア人たちからいくつか勾玉を入手しています。
研究室で分析されたのち、いずれ神具庫に並ぶでしょう。

ご参加ありがとうございました。




 
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