≪Vt2016≫甘い想いを守り抜け!
●人の恋路を邪魔する狢
前河明野は、緊張と共に「彼」の学校へと向かっていた。
心臓がいつもの倍とも思えるほどの速さで鼓動を打ち、それによって血液がいつもの倍とも思えるほどの速さで循環する。体温は上がり、頬とは言わず、顔全体。もしかすると体全体が真っ赤になっているのを感じる。暖冬とされたこの冬も、先月末からずいぶんと寒さが厳しくなってきた。それなのに、コートを着る必要もなかったんじゃないか、と思うほど熱くなっていた。
「チョ、チョコレートよーし。渡す時の言葉は……死ぬほど練習したから、よーし。身だしなみ……たぶんよーし」
明野は普段、それほど身だしなみに気を遣うタイプではない。それどころか、色恋沙汰自体に興味がなく、高校二年生となる今の今まで、一度も男子と異性として接してきたことはなかった。いわゆる「男勝り」と言われるタイプの女子であり、昔から男子にまざって遊ぶことが多かった。
そのためだろうか、仲のいい男友達はいても、恋人は一人もできなかった。作らなかった。それなのに、高校二年に上がってから、初めて友達ではなく、想い人と言える人物ができた。
大和田駿。明野の高校から少し離れたところにある男子校の生徒で、サッカー部に所属している二年生だ。そもそもの出会いは初夏。偶然、帰り道に出会って――
「前に話した感じ、駿君もたぶん、あたしのことを意識してくれる感じだった。絶対、上手くいく……初めての本命チョコレートを渡して、そのまま付き合う……!」
渡すチョコレートは、市販品などではなく、昨晩、徹夜……とまではいかないが、必死に作り方を調べ、時間をかけて作ったものだ。シンプルなトリュフチョコだが、味見して自分でも美味しいと満足できた。これなら喜んで食べてもらえる。そう確信している。
「付き合ったら、ど、どうすればいいのかな……。やっぱりもっと女の子らしくして、デートとか……するのかな。う、うひゃぁ、あたしにそんなことできるかな……」
妙な声を上げ、初めて経験する男子との交際について妄想する。すると、視界の端に茶色い何かが見えた気がするが、見えないことにした。そんなことよりも、妄想で忙しい。
だが、茶色い何かは突然目の前に飛び出してきて、明野に向かってきた。
「な、なんだよてめぇ! タヌキかなんかか?」
こんな街中にタヌキがいるのだろうか、という疑問はあったが、確かにタヌキだった。見ようによっては可愛く見えるし、不思議と人間くささがあって、それほど悪い印象は受けない。
「なんでこっち見てるんだよ……お前にやるものなんてないぞ、ほら、あっちいってろ」
とはいえ、大事なチョコレートを奪われる訳にはいかないし、他にやれるようなものもない。手で追い払おうとすると、あろうことかタヌキ的な動物は更に近寄ってきた。
「お、おい。くそっ、何しやがるんだ!」
そのまま、こちらに突っ込んでくる。反射的にスクールバッグを。チョコレートの入ったスクールバッグを自分の盾にすると、やつはそれをぶん取っていった。
「てめぇ! そいつは置いてけ!」
タヌキ的なヤツは器用にバッグを開け、中に入っていたチョコレートだけを持っていく。それも口に咥えるのではなく、人間と同じように、手に持って。それもウキウキ気分で。必死に追いかけたが、動物には動物の道があるのだろう。すぐに見失ってしまう。
明野は彼の学校ではなく、家へと向かった。これから市販品を買うことも、材料を買い直して、急いでチョコを作り直すことだってできただろう。しかし、こうしてケチがついた告白が上手くいくとは、到底思えない。
ここに、一つの恋の物語が終わった。
●
「夢見が見る夢って割りとどれも辛いんだけどね……今回のは、人が襲われるのとかとは別のベクトルで、さすがに起きた時、自然と泣けてきちゃって」
集まった覚者に向けて、宮藤 恵美(nCL2000125)が意気消沈としながら夢の内容を告げる。覚者たちには、彼女からの義理チョコが振る舞われたが、彼女自身もチョコレートを食べているのは、主に以前通っていた学校の友達からもらったものらしい。恵美も、夢に出てきた明野も、チョコをあげるよりはもらうことの方が多いタイプの女子だ。
「今回の相手は、どうやらムジナっていうタヌキかアナグマみたいな古妖みたい。あんまりに攻撃的な古妖じゃないはずなんだけど、何かの折に食べてチョコが気に入っちゃって、それを狙うようになったみたい。相手としてはただの食料の調達なんだろうけど、この時期の女の子にとっては限りなく迷惑な話だから、絶対に古妖を追い払って、明野さんと、近隣の女子のバレンタインを守ってあげて!」
前河明野は、緊張と共に「彼」の学校へと向かっていた。
心臓がいつもの倍とも思えるほどの速さで鼓動を打ち、それによって血液がいつもの倍とも思えるほどの速さで循環する。体温は上がり、頬とは言わず、顔全体。もしかすると体全体が真っ赤になっているのを感じる。暖冬とされたこの冬も、先月末からずいぶんと寒さが厳しくなってきた。それなのに、コートを着る必要もなかったんじゃないか、と思うほど熱くなっていた。
「チョ、チョコレートよーし。渡す時の言葉は……死ぬほど練習したから、よーし。身だしなみ……たぶんよーし」
明野は普段、それほど身だしなみに気を遣うタイプではない。それどころか、色恋沙汰自体に興味がなく、高校二年生となる今の今まで、一度も男子と異性として接してきたことはなかった。いわゆる「男勝り」と言われるタイプの女子であり、昔から男子にまざって遊ぶことが多かった。
そのためだろうか、仲のいい男友達はいても、恋人は一人もできなかった。作らなかった。それなのに、高校二年に上がってから、初めて友達ではなく、想い人と言える人物ができた。
大和田駿。明野の高校から少し離れたところにある男子校の生徒で、サッカー部に所属している二年生だ。そもそもの出会いは初夏。偶然、帰り道に出会って――
「前に話した感じ、駿君もたぶん、あたしのことを意識してくれる感じだった。絶対、上手くいく……初めての本命チョコレートを渡して、そのまま付き合う……!」
渡すチョコレートは、市販品などではなく、昨晩、徹夜……とまではいかないが、必死に作り方を調べ、時間をかけて作ったものだ。シンプルなトリュフチョコだが、味見して自分でも美味しいと満足できた。これなら喜んで食べてもらえる。そう確信している。
「付き合ったら、ど、どうすればいいのかな……。やっぱりもっと女の子らしくして、デートとか……するのかな。う、うひゃぁ、あたしにそんなことできるかな……」
妙な声を上げ、初めて経験する男子との交際について妄想する。すると、視界の端に茶色い何かが見えた気がするが、見えないことにした。そんなことよりも、妄想で忙しい。
だが、茶色い何かは突然目の前に飛び出してきて、明野に向かってきた。
「な、なんだよてめぇ! タヌキかなんかか?」
こんな街中にタヌキがいるのだろうか、という疑問はあったが、確かにタヌキだった。見ようによっては可愛く見えるし、不思議と人間くささがあって、それほど悪い印象は受けない。
「なんでこっち見てるんだよ……お前にやるものなんてないぞ、ほら、あっちいってろ」
とはいえ、大事なチョコレートを奪われる訳にはいかないし、他にやれるようなものもない。手で追い払おうとすると、あろうことかタヌキ的な動物は更に近寄ってきた。
「お、おい。くそっ、何しやがるんだ!」
そのまま、こちらに突っ込んでくる。反射的にスクールバッグを。チョコレートの入ったスクールバッグを自分の盾にすると、やつはそれをぶん取っていった。
「てめぇ! そいつは置いてけ!」
タヌキ的なヤツは器用にバッグを開け、中に入っていたチョコレートだけを持っていく。それも口に咥えるのではなく、人間と同じように、手に持って。それもウキウキ気分で。必死に追いかけたが、動物には動物の道があるのだろう。すぐに見失ってしまう。
明野は彼の学校ではなく、家へと向かった。これから市販品を買うことも、材料を買い直して、急いでチョコを作り直すことだってできただろう。しかし、こうしてケチがついた告白が上手くいくとは、到底思えない。
ここに、一つの恋の物語が終わった。
●
「夢見が見る夢って割りとどれも辛いんだけどね……今回のは、人が襲われるのとかとは別のベクトルで、さすがに起きた時、自然と泣けてきちゃって」
集まった覚者に向けて、宮藤 恵美(nCL2000125)が意気消沈としながら夢の内容を告げる。覚者たちには、彼女からの義理チョコが振る舞われたが、彼女自身もチョコレートを食べているのは、主に以前通っていた学校の友達からもらったものらしい。恵美も、夢に出てきた明野も、チョコをあげるよりはもらうことの方が多いタイプの女子だ。
「今回の相手は、どうやらムジナっていうタヌキかアナグマみたいな古妖みたい。あんまりに攻撃的な古妖じゃないはずなんだけど、何かの折に食べてチョコが気に入っちゃって、それを狙うようになったみたい。相手としてはただの食料の調達なんだろうけど、この時期の女の子にとっては限りなく迷惑な話だから、絶対に古妖を追い払って、明野さんと、近隣の女子のバレンタインを守ってあげて!」

■シナリオ詳細
■成功条件
1.全てのムジナの撃退
2.明野の持つチョコレートの防衛
3.明野の告白のアドバイス、元気づけ
2.明野の持つチョコレートの防衛
3.明野の告白のアドバイス、元気づけ
今回の依頼は、チョコレートを狙う古妖を追い払い、明野の告白を助けようというものです。
●撃退対象:ムジナ(古妖)×10
タヌキかアナグマのような外見をした古妖です。上位の個体は人の言葉を話したり、人に化けたりすることができますが、今回現れたのはまだ子どもの個体のようで、多少人語を理解し、手先が器用なだけの、ほとんど動物のような状態です。
数は多いですが特別な攻撃は持たず、多少動きが素早い以外は通常攻撃しかしないため、ある程度の実力を持つ覚者であれば、2、3人程度で十分対処することができます。
また、チョコレートを気に入っているため、装身具のチョコレートを所持するプレイヤーが優先的に狙われます。前衛を担当される方が装備していれば、他にヘイトがそれることを防ぐことができるでしょう。同様に、救助対象の明野もチョコレートを既に持っている状態のため、狙われる危険性があります。
本気で覚者や明野を倒しにきている訳ではないので、体力が半減するとそのまま逃げ出してしまいます。また、BSを付与できた場合、体力の減少は七割程度でも逃走します。一度痛い目を見れば、もう人を襲うことはないと思われるので、追撃の必要はありません。
●救助対象:前河明野(まえかわ あけの)
一般人の高校二年生女子です。
男勝りの性格のため、今まで色恋沙汰とは縁が遠かったのですが、初めて気になる人ができた様子。バレンタインにチョコレートを渡すと同時に、告白をするつもりのようです。
覚者たちは明野の下校途中に彼女と合流することができます。見つけ次第、護衛をすることも、あらかじめムジナとの戦いを初めておいて、彼女が通りかかった時に何人かが彼女の護衛につくこともできます。いずれにせよ、全てのムジナを追い払い、彼女のチョコレートの無事を確保しておかなければ、告白の成就は叶わないでしょう。
また、明野は初めての告白で緊張しているため、上手くいく自信がありません。一応は告白の言葉も考えているようですが、不安も大きい様子。
戦闘終了後や、ムジナの攻撃が来ていない時、覚者たちのバレンタインや恋愛の体験を話してあげたり、よりよい告白の言葉を教えてあげられれば、告白は上手くいくようになるはずです。
●持ち込み品や事前準備、その他OPで出ていない情報など
時刻は夕方ですが、明野の学校から告白相手の学校までは十五分程度の距離であり、戦闘はその間に終わるはずのため、日没を気にする必要はありません。
また、告白相手は部活動をしており、それが終わるまで明野は彼の学校で待つつもりなので、なんらかの原因で到着が遅れても、チョコレートさえ無事ならば渡し損ねるということはありません。
周辺の地図はあらかじめ用意できます。
主な舞台となる登下校路は道幅も広めで、戦闘において不利に働くことは少ないでしょう。
ただし、他にも下校中の生徒はぽつぽつといます(明野の下校は少し遅かったので、ピーク時からは外れているようです)。その中には当然、チョコレートを持った女子生徒もいるはずなので、彼女たちがムジナに襲われることもあるでしょう。
バレンタイン依頼ということで、恋愛体験の暴露を兼ねた、ラブコメ色の強いものにできれば、と思います。
戦闘難易度は低いため、気軽に参加いただければ幸いです。
状態
完了
完了
報酬モルコイン
金:0枚 銀:0枚 銅:3枚
金:0枚 銀:0枚 銅:3枚
相談日数
7日
7日
参加費
100LP[+予約50LP]
100LP[+予約50LP]
参加人数
5/10
5/10
公開日
2016年02月18日
2016年02月18日
■メイン参加者 5人■

●チョコレート防衛戦
「うーん、この辺りが人目につかなくていい感じかな。みんな、ムジナの誘導のためのチョコは持ってる?」
事前に用意していた周辺の地図の中から一点を『罪なき人々の盾』鐡之蔵 禊(CL2000029)が指し示す。チョコレートを狙うムジナとの戦闘は、必然的に市街地で行われる。戦いやすい場所に相手を誘導するのが肝心だ。
「ええ、洋菓子店である実家の特製チョコだし、効果はてきめんのはずよ」
『音楽教諭』向日葵 御菓子(CL2000429)が取り出したチョコは、包装の時点で特別感が漂う高級チョコだ。古妖の誘導のために使うのはもったいないほどのものだが、鼻のいい彼らなら間違いなく飛びつくことだろう。
「ムジナの発見は、私の守護使役の能力に任せてください。とにかく、早く相手を見つけないといけませんし」
上月・里桜(CL2001274)の守護使役ならば、周囲の様子を探ることができる。ムジナが出る地域が夢見の情報でわかっている以上、捜索はそう困難ではないはずだ。
「他のメンバーは、とりあえず周囲の探索ね。わたしがしっかりと目を光らせておくから、誰のチョコも持ち逃げさせないわ」
油断なく『月々紅花』環 大和(CL2000477)が超視力を発揮する。
「それで、あいてをゆーどーしたら、ミラノがけっかいをはればだいじょうぶだよね!」
やる気満々にチョコを掲げるのはククル ミラノ(CL2001142)だ。夢に現れた明野だけではなく、他の一般人も狙われる危険性がある以上、ムジナとの戦いの場に一般人を近寄らせたくはない。
高校生たちが下校するこの辺りは、およそ野生動物が出てきそうな雰囲気のある場所ではない。もしもムジナが現れたのを一般人が知れば、ちょっとした騒ぎになっていることだろう。それも目印にして探していると、里桜の視界にこげ茶色の体毛が映った。野良犬には思えない、ムジナだ。
「見つけました! すぐそこみたいです!」
彼女に先導されてムジナの発見場所に向かうと、確かにアナグマのような動物がくんくん鼻を鳴らしていた。人通りの多い場所の方がエサが見つかると判断したのか、この辺りでは一番の大通りだ。
「よし、発見! でも、一匹だけここで倒しちゃったら手がかりがなくなっちゃうし、こうしたらどうかな?」
禊は持ってきていたチョコに熱を与え、溶かしてしまう。すると当然、辺りにはなんとも言えない甘い匂いが充満した。人間ですらそう感じるのだから、それよりも鋭敏な嗅覚を持つであろう古妖が反応しないはずもない。瞬く間に家の隙間や辺りの溝からムジナが這い出てきて、あっという間に情報にあった通りの十匹が集まってきた。
「後は誘導ね。わたしたちからはぐれて他の人のチョコを狙わないように、しっかりと見ておくわ」
覚者たちがチョコを持ったまま事前に決めておいた位置に移動すると、ぞろぞろとムジナたちもついて来る。定期的に大和が後ろを振り返って確認しているため、誘導は完璧だ。相手は身軽で小さいため、やはり大通りでは戦いづらそうだ。
「もー、チョコとったりしたら、だーーーーーめっ!!」
そして、誘導が完了したところでククルが結界を張って、一般人の接近を阻害する。目の前のムジナは自分たちの持つチョコに夢中だろうし、とりあえずこれで他の人が狙われることはないだろう。
「チョコレートが欲しいのであれば分けてあげるわ。ただし、それで満足して大人しくしてくれるのであれば、だけど」
大和がチョコをちらつかせながらムジナに対して言う。しかし、相手はそれを大人しく受け取るのではなく、奪い取ろうと声を上げて興奮する。
「平和的な解決は難しそうですね……仕方ありません、少し痛い目に遭ってもらいましょう」
ただ欲望に忠実過ぎるだけで、相手も悪気があってしていることではないのだ。気は進まないが、里桜が臨戦態勢に入る。
「まあ、しょうがないね。こうなったらしっかりお仕置きして、その後でお説教だ!」
禊が前に飛び出して、前衛を務める。それに里桜も続いた。
「そう強くない古妖だそうですが、準備は大切ですね」
まずは自分に蔵王を使用し、敵の攻撃に備える。それに続いて錬覇法も使い、禊も醒の炎と天駆で態勢を整える。
「気は進まないけど、人に迷惑をかけるというのなら仕方がないわね」
「そうそう、ひとにめいわくかけるのはだめなんだよ!」
向かってくるムジナを大和が召雷、ククルが深緑鞭で迎え撃つ。素早い相手だが、誘い込んだのは狭い路地だ。避け切れずに攻撃が命中する。
「うわっ!! ちょっ、何が起きてんの!?」
ところが、そんな悲鳴が予想外にも覚者たちの後ろから聞こえて来た。何事か、とそちらを振り向くと、女子高校生が召雷の音にびっくりしたのか震えている。
女子高校生、かつこの時間帯に現れた、見た感じ気が強そうな少女。……夢見の情報にあった前河明野と特徴は合致する。
「もしかして、明野さん? 悪いけど今、チョコを狙っている古妖と戦っているところなの。あなたのチョコも危ないから、そこを動かないでもらえる?」
「えっ、なんであたしの名前……って、それに古妖? なんかよくわかんないけど、あんたたちは……」
御菓子が声をかけると、予想外のことに明野は動揺して取り乱す。一般人からすれば古妖、そして覚者の出現というのは驚いてもおかしくはないことだろう。
「わたしたちはこの辺りにチョコ泥棒が現れると聞いて、それを退治しにきた覚者よ。あなたのチョコも守ってみせるから、安心して」
「チョコ泥棒に、覚者……なんかよくわかんないけど、あんたらは信用していいんだよな?」
しっかりと頷き、明野を安心させる。なぜ彼女がまっすぐに想い人のところに行かなかったのかは謎だが、守るべき相手がすぐ近くにいたのは幸運だ。彼女を後ろに控えさせ、交戦を続ける。
「これで、どうだ!」
禊が地烈を使い、まとめてムジナを攻撃する。吹き飛ばされたムジナたちはそのまま戦意を失うが、次がやってくる。
「痛いかもしれませんけど、反省してください!」
向かってくる相手に向けて里桜が隆槍を用いて押し返す。
おそらくは初めて覚者の戦いというものを見たのだろう。ぼけっとした顔で明野はそれを見ていて、しかし見た目は普通の動物のような外見をしたムジナが傷つけられていることには、複雑そうな溜め息を漏らしていた。
●戦いの後には
「明野さん、もう終わったわ。……どうしたの、浮かない顔をして」
「いやさ……そいつらがそのチョコ泥棒なんだろ? でもなんか、見ていてそこまで悪いやつな感じはしないし、可哀想だな、とか思って」
歴戦の覚者からすれば、まだ子どもの古妖はそれほどの強敵ではない。力を見せればすぐに戦意を失う相手だというのもあり、大して時間をかけることなく戦いは終結した。しかし、覚者からしても少し後味の悪いものが残る戦いだった。
「まあ、そうだよね……こら、もう人のものを勝手に取ったりしない? もしもまた同じことをしたら、あたしたちがまたお仕置きに来るよ!」
未だに物欲しそうにチョコの方を見つめるムジナに向けて、禊が説教する。彼女の蹴りを実際に受けたからか、ムジナはぶるぶると震えながら首を縦に振る。
「そう、聞き分けのいい子ね。そんなにチョコが欲しいのなら、わたしたちのをあげるわ。その代わり、人やお店から奪うのは絶対にダメ。わかったわね?」
自分のチョコを差し出しながら大和が言うと、やはりムジナたちはぶんぶん首を縦に振った。古妖とはいえ、彼らはかなり動物的な性質が強いのだろう。強い者には服従するということだろうか。
「うー……おいしそうにたべてるねー……」
ククルが今回用意したチョコも、ムジナたちの注意を惹くためのものだ。しかし、チョコの誘惑は古妖だけではなく、人間。特に女の子にとっても抗いがたいものがある。
「これも、あげる!」
長い長い葛藤の末、一粒だけ自分で食べて、残りはムジナたちに渡した。すると、猛烈な勢いで食べられてしまう。
「ま、まあ、ひとりじめするより、みんなでたべたほうがもっとおいしいもんね!」
悩んだ末に大半を差し出したチョコが景気よく食べられているのを見て、ククルは若干涙目だった。
「あたしのはあげられないけど、お前ら、よかったな!」
本来ならば彼らにチョコを奪われてしまうはずだった明野が、むしろ彼らに微笑みかけている。夢見が見た未来を塗り替えられたことに安堵する覚者たちだったが、そもそも彼女がどうしてここにいたのかという疑問がある。他にムジナはいないはずだが、念のために彼女を送り届けなければならない。
「ところで明野さん、どうしてここにいたの? 地図を見た感じ、彼氏さんの学校への近道って訳でもなさそうだけど」
「ばっ、か、彼氏とかじゃねーよ! むしろ、これからそうなりたいっていうか……って、そうじゃなくて。いやさ、ちょっと腹が痛くなって……いや、あんたらにはそういうの通じそうにないから、言っちまうか。普通にビビっちまったんだよ、告白とか初めてだし、チョコもそんなに上手くできた気がしねーし……」
御菓子が追求すると、明野はだばだばと腕を振り回し、真っ赤になりながら事情を説明した。普段は男勝りな女子高生なんだろうが、これではそれも形無しだ。
「あらまあ……」
「うぅ……いっそ殺してくれ……」
「ごめんなさいね、別にバカにしている訳じゃないのよ。ただ、青春してるなって思って」
「あんたもそんな変わらないだろ? むしろ年下っぽいし」
「やっぱりそう見えちゃう? 実はこう見えて、先生をしている歳なのよ。そんな年長者から言わせてもらうと、想いは正直に伝えるのが大事だということ。伝えない想いは胸の中に溜まっていって消えることがないの、出して欲しいと訴え続けるんだよ」
「は、はあ」
いまひとつ御菓子のアドバイスがわかってない風の明野に向けて、言葉を続ける。
「抽象的なことを言っても、いまいちかな。ならわたしの生の声を聞かせてあげるようかな。わたしはこれでも有名な奏者でね。……そう、本当に小さいときから同じ人に師事していたの。最初は、憧れだった。だって、とっても年上だったんだもん。憧れじゃなきゃ嘘だった」
御菓子の独白に、明野だけではなく他の覚者たちも耳を傾ける。今回のメンバーでは彼女が一番年上であり、恋愛の経験があるようだ。
「でもある日気付いたの、もう憧れじゃない。……ちゃんと、強い気持ちになってるって……あはは、なんだか恥かしいね。でも、告白する勇気はなかったの……そうして想いを封印したつもりでいたんだけどね――ふいに、蘇るんだよ。懐かしい声が、わたしの名前をいとおしげに読んでくれるその声が……それで胸がちくりと痛むの。なんで生きている内に想いを伝えなかったのかって心が責めるんだよね」
「生きている内って、じゃあ、あんたのその想い人は……」
「そういうこと。明野さんにはそんな風にならないでと思うわ」
悲しい恋の話に、全員が思わず息を呑み、しばらく沈黙していた。だが、それを打ち破ったのは明野だった。
「あたし、がんばってみるよ。正直、まだ自信がある訳じゃないけど、今回を逃したら、それこそもう二度と想いを伝えられないかもしれないし。……それは、嫌だと思う」
「そうだね、気持ちっていうのは言葉にしなきゃ伝わらないもん。……がんばって、伝えてみて」
禊もしっかりとその背中を押す。上手くはいかないかもしれない。それでも、ここで何も行動を起こさなければ、悔いが残ってしまう。そうなるぐらいなら――。
「大丈夫よ。少なくとも好意を伝えられて悪い思いをする人はいないでしょうから」
「ああ、そうだよな。……問題は、あたしみたいなのがいきなり告って、受け入れられるかってことだけど」
決意を固めたとはいえ、まだ心には不安に思う気持ちは残っている。それは、物心ついてから今まで続く、彼女の立ち居振る舞いの問題だ。これだけはたとえ告白その瞬間だけ取り繕っていても、どうしようもない。持って生まれた性質なのだから。
「そんなこと、心配する必要はありませんよ。前河さんはとっても奇麗ですから」
「ええ……よりによってそれを、あんたみたいな正統派美人が言うか?」
「前河さんもほら、髪をもう少し整えて……リップも塗れば……」
「うえっ、なんか変な感じだな……」
「動かないでください、はみ出てしまいますよ」
性格と見た目を気にする彼女に自信をつける最後のひと押しとばかりに、里桜が持っていた櫛とリップクリームで身だしなみを整えていく。ほんの少しのおしゃれだが、自信をつけさせるには十分だ。
「うん、すっごくかわいいよ!」
「か、可愛い……あたしが? ホントに?」
ククルに褒められ、なんともむずがゆそうにするが、里桜の鏡で自分の姿を見せられ、納得する。話し方は男っぽいが、彼女の顔立ち自体はむしろ可愛らしい歳相応の少女だ。
「とちゅうまではミラノたちもいっしょだから、ふぁいとだよ! おーー!!」
「お、おーーっ!!」
ククルに誘われ、明野も拳を空に突き上げる。それを何度か繰り返している内に、明野もふっ切れたのか、テンションがかなり上がってきていた。
「よし、乗ってきた。このままやれそうだよ。……見ず知らずのあたしのために、わざわざありがとうな。覚者の人たちに何をすればお礼になるかわからないけど、とりあえず少ないけど現金でいいなら――」
「わ、ちょっと、そんなのいらないよ! お金なんかより、告白が上手くいくことが何よりもの報酬だもん」
「そのお金は、二人で遊ぶのに使って。それでもしよければ、わたしの実家のカフェもよろしくお願いしまーす、なんてね」
禊が慌ててサイフをしまわせ、御菓子が笑いを交えながらも、その手をしっかりと握った。
「ありがとう、みんな。――いってくる」
相手の校門のすぐ近く。明野を見送る覚者たちは、彼女の想いが相手に届くことを願って――いや、信じていた。
「うーん、この辺りが人目につかなくていい感じかな。みんな、ムジナの誘導のためのチョコは持ってる?」
事前に用意していた周辺の地図の中から一点を『罪なき人々の盾』鐡之蔵 禊(CL2000029)が指し示す。チョコレートを狙うムジナとの戦闘は、必然的に市街地で行われる。戦いやすい場所に相手を誘導するのが肝心だ。
「ええ、洋菓子店である実家の特製チョコだし、効果はてきめんのはずよ」
『音楽教諭』向日葵 御菓子(CL2000429)が取り出したチョコは、包装の時点で特別感が漂う高級チョコだ。古妖の誘導のために使うのはもったいないほどのものだが、鼻のいい彼らなら間違いなく飛びつくことだろう。
「ムジナの発見は、私の守護使役の能力に任せてください。とにかく、早く相手を見つけないといけませんし」
上月・里桜(CL2001274)の守護使役ならば、周囲の様子を探ることができる。ムジナが出る地域が夢見の情報でわかっている以上、捜索はそう困難ではないはずだ。
「他のメンバーは、とりあえず周囲の探索ね。わたしがしっかりと目を光らせておくから、誰のチョコも持ち逃げさせないわ」
油断なく『月々紅花』環 大和(CL2000477)が超視力を発揮する。
「それで、あいてをゆーどーしたら、ミラノがけっかいをはればだいじょうぶだよね!」
やる気満々にチョコを掲げるのはククル ミラノ(CL2001142)だ。夢に現れた明野だけではなく、他の一般人も狙われる危険性がある以上、ムジナとの戦いの場に一般人を近寄らせたくはない。
高校生たちが下校するこの辺りは、およそ野生動物が出てきそうな雰囲気のある場所ではない。もしもムジナが現れたのを一般人が知れば、ちょっとした騒ぎになっていることだろう。それも目印にして探していると、里桜の視界にこげ茶色の体毛が映った。野良犬には思えない、ムジナだ。
「見つけました! すぐそこみたいです!」
彼女に先導されてムジナの発見場所に向かうと、確かにアナグマのような動物がくんくん鼻を鳴らしていた。人通りの多い場所の方がエサが見つかると判断したのか、この辺りでは一番の大通りだ。
「よし、発見! でも、一匹だけここで倒しちゃったら手がかりがなくなっちゃうし、こうしたらどうかな?」
禊は持ってきていたチョコに熱を与え、溶かしてしまう。すると当然、辺りにはなんとも言えない甘い匂いが充満した。人間ですらそう感じるのだから、それよりも鋭敏な嗅覚を持つであろう古妖が反応しないはずもない。瞬く間に家の隙間や辺りの溝からムジナが這い出てきて、あっという間に情報にあった通りの十匹が集まってきた。
「後は誘導ね。わたしたちからはぐれて他の人のチョコを狙わないように、しっかりと見ておくわ」
覚者たちがチョコを持ったまま事前に決めておいた位置に移動すると、ぞろぞろとムジナたちもついて来る。定期的に大和が後ろを振り返って確認しているため、誘導は完璧だ。相手は身軽で小さいため、やはり大通りでは戦いづらそうだ。
「もー、チョコとったりしたら、だーーーーーめっ!!」
そして、誘導が完了したところでククルが結界を張って、一般人の接近を阻害する。目の前のムジナは自分たちの持つチョコに夢中だろうし、とりあえずこれで他の人が狙われることはないだろう。
「チョコレートが欲しいのであれば分けてあげるわ。ただし、それで満足して大人しくしてくれるのであれば、だけど」
大和がチョコをちらつかせながらムジナに対して言う。しかし、相手はそれを大人しく受け取るのではなく、奪い取ろうと声を上げて興奮する。
「平和的な解決は難しそうですね……仕方ありません、少し痛い目に遭ってもらいましょう」
ただ欲望に忠実過ぎるだけで、相手も悪気があってしていることではないのだ。気は進まないが、里桜が臨戦態勢に入る。
「まあ、しょうがないね。こうなったらしっかりお仕置きして、その後でお説教だ!」
禊が前に飛び出して、前衛を務める。それに里桜も続いた。
「そう強くない古妖だそうですが、準備は大切ですね」
まずは自分に蔵王を使用し、敵の攻撃に備える。それに続いて錬覇法も使い、禊も醒の炎と天駆で態勢を整える。
「気は進まないけど、人に迷惑をかけるというのなら仕方がないわね」
「そうそう、ひとにめいわくかけるのはだめなんだよ!」
向かってくるムジナを大和が召雷、ククルが深緑鞭で迎え撃つ。素早い相手だが、誘い込んだのは狭い路地だ。避け切れずに攻撃が命中する。
「うわっ!! ちょっ、何が起きてんの!?」
ところが、そんな悲鳴が予想外にも覚者たちの後ろから聞こえて来た。何事か、とそちらを振り向くと、女子高校生が召雷の音にびっくりしたのか震えている。
女子高校生、かつこの時間帯に現れた、見た感じ気が強そうな少女。……夢見の情報にあった前河明野と特徴は合致する。
「もしかして、明野さん? 悪いけど今、チョコを狙っている古妖と戦っているところなの。あなたのチョコも危ないから、そこを動かないでもらえる?」
「えっ、なんであたしの名前……って、それに古妖? なんかよくわかんないけど、あんたたちは……」
御菓子が声をかけると、予想外のことに明野は動揺して取り乱す。一般人からすれば古妖、そして覚者の出現というのは驚いてもおかしくはないことだろう。
「わたしたちはこの辺りにチョコ泥棒が現れると聞いて、それを退治しにきた覚者よ。あなたのチョコも守ってみせるから、安心して」
「チョコ泥棒に、覚者……なんかよくわかんないけど、あんたらは信用していいんだよな?」
しっかりと頷き、明野を安心させる。なぜ彼女がまっすぐに想い人のところに行かなかったのかは謎だが、守るべき相手がすぐ近くにいたのは幸運だ。彼女を後ろに控えさせ、交戦を続ける。
「これで、どうだ!」
禊が地烈を使い、まとめてムジナを攻撃する。吹き飛ばされたムジナたちはそのまま戦意を失うが、次がやってくる。
「痛いかもしれませんけど、反省してください!」
向かってくる相手に向けて里桜が隆槍を用いて押し返す。
おそらくは初めて覚者の戦いというものを見たのだろう。ぼけっとした顔で明野はそれを見ていて、しかし見た目は普通の動物のような外見をしたムジナが傷つけられていることには、複雑そうな溜め息を漏らしていた。
●戦いの後には
「明野さん、もう終わったわ。……どうしたの、浮かない顔をして」
「いやさ……そいつらがそのチョコ泥棒なんだろ? でもなんか、見ていてそこまで悪いやつな感じはしないし、可哀想だな、とか思って」
歴戦の覚者からすれば、まだ子どもの古妖はそれほどの強敵ではない。力を見せればすぐに戦意を失う相手だというのもあり、大して時間をかけることなく戦いは終結した。しかし、覚者からしても少し後味の悪いものが残る戦いだった。
「まあ、そうだよね……こら、もう人のものを勝手に取ったりしない? もしもまた同じことをしたら、あたしたちがまたお仕置きに来るよ!」
未だに物欲しそうにチョコの方を見つめるムジナに向けて、禊が説教する。彼女の蹴りを実際に受けたからか、ムジナはぶるぶると震えながら首を縦に振る。
「そう、聞き分けのいい子ね。そんなにチョコが欲しいのなら、わたしたちのをあげるわ。その代わり、人やお店から奪うのは絶対にダメ。わかったわね?」
自分のチョコを差し出しながら大和が言うと、やはりムジナたちはぶんぶん首を縦に振った。古妖とはいえ、彼らはかなり動物的な性質が強いのだろう。強い者には服従するということだろうか。
「うー……おいしそうにたべてるねー……」
ククルが今回用意したチョコも、ムジナたちの注意を惹くためのものだ。しかし、チョコの誘惑は古妖だけではなく、人間。特に女の子にとっても抗いがたいものがある。
「これも、あげる!」
長い長い葛藤の末、一粒だけ自分で食べて、残りはムジナたちに渡した。すると、猛烈な勢いで食べられてしまう。
「ま、まあ、ひとりじめするより、みんなでたべたほうがもっとおいしいもんね!」
悩んだ末に大半を差し出したチョコが景気よく食べられているのを見て、ククルは若干涙目だった。
「あたしのはあげられないけど、お前ら、よかったな!」
本来ならば彼らにチョコを奪われてしまうはずだった明野が、むしろ彼らに微笑みかけている。夢見が見た未来を塗り替えられたことに安堵する覚者たちだったが、そもそも彼女がどうしてここにいたのかという疑問がある。他にムジナはいないはずだが、念のために彼女を送り届けなければならない。
「ところで明野さん、どうしてここにいたの? 地図を見た感じ、彼氏さんの学校への近道って訳でもなさそうだけど」
「ばっ、か、彼氏とかじゃねーよ! むしろ、これからそうなりたいっていうか……って、そうじゃなくて。いやさ、ちょっと腹が痛くなって……いや、あんたらにはそういうの通じそうにないから、言っちまうか。普通にビビっちまったんだよ、告白とか初めてだし、チョコもそんなに上手くできた気がしねーし……」
御菓子が追求すると、明野はだばだばと腕を振り回し、真っ赤になりながら事情を説明した。普段は男勝りな女子高生なんだろうが、これではそれも形無しだ。
「あらまあ……」
「うぅ……いっそ殺してくれ……」
「ごめんなさいね、別にバカにしている訳じゃないのよ。ただ、青春してるなって思って」
「あんたもそんな変わらないだろ? むしろ年下っぽいし」
「やっぱりそう見えちゃう? 実はこう見えて、先生をしている歳なのよ。そんな年長者から言わせてもらうと、想いは正直に伝えるのが大事だということ。伝えない想いは胸の中に溜まっていって消えることがないの、出して欲しいと訴え続けるんだよ」
「は、はあ」
いまひとつ御菓子のアドバイスがわかってない風の明野に向けて、言葉を続ける。
「抽象的なことを言っても、いまいちかな。ならわたしの生の声を聞かせてあげるようかな。わたしはこれでも有名な奏者でね。……そう、本当に小さいときから同じ人に師事していたの。最初は、憧れだった。だって、とっても年上だったんだもん。憧れじゃなきゃ嘘だった」
御菓子の独白に、明野だけではなく他の覚者たちも耳を傾ける。今回のメンバーでは彼女が一番年上であり、恋愛の経験があるようだ。
「でもある日気付いたの、もう憧れじゃない。……ちゃんと、強い気持ちになってるって……あはは、なんだか恥かしいね。でも、告白する勇気はなかったの……そうして想いを封印したつもりでいたんだけどね――ふいに、蘇るんだよ。懐かしい声が、わたしの名前をいとおしげに読んでくれるその声が……それで胸がちくりと痛むの。なんで生きている内に想いを伝えなかったのかって心が責めるんだよね」
「生きている内って、じゃあ、あんたのその想い人は……」
「そういうこと。明野さんにはそんな風にならないでと思うわ」
悲しい恋の話に、全員が思わず息を呑み、しばらく沈黙していた。だが、それを打ち破ったのは明野だった。
「あたし、がんばってみるよ。正直、まだ自信がある訳じゃないけど、今回を逃したら、それこそもう二度と想いを伝えられないかもしれないし。……それは、嫌だと思う」
「そうだね、気持ちっていうのは言葉にしなきゃ伝わらないもん。……がんばって、伝えてみて」
禊もしっかりとその背中を押す。上手くはいかないかもしれない。それでも、ここで何も行動を起こさなければ、悔いが残ってしまう。そうなるぐらいなら――。
「大丈夫よ。少なくとも好意を伝えられて悪い思いをする人はいないでしょうから」
「ああ、そうだよな。……問題は、あたしみたいなのがいきなり告って、受け入れられるかってことだけど」
決意を固めたとはいえ、まだ心には不安に思う気持ちは残っている。それは、物心ついてから今まで続く、彼女の立ち居振る舞いの問題だ。これだけはたとえ告白その瞬間だけ取り繕っていても、どうしようもない。持って生まれた性質なのだから。
「そんなこと、心配する必要はありませんよ。前河さんはとっても奇麗ですから」
「ええ……よりによってそれを、あんたみたいな正統派美人が言うか?」
「前河さんもほら、髪をもう少し整えて……リップも塗れば……」
「うえっ、なんか変な感じだな……」
「動かないでください、はみ出てしまいますよ」
性格と見た目を気にする彼女に自信をつける最後のひと押しとばかりに、里桜が持っていた櫛とリップクリームで身だしなみを整えていく。ほんの少しのおしゃれだが、自信をつけさせるには十分だ。
「うん、すっごくかわいいよ!」
「か、可愛い……あたしが? ホントに?」
ククルに褒められ、なんともむずがゆそうにするが、里桜の鏡で自分の姿を見せられ、納得する。話し方は男っぽいが、彼女の顔立ち自体はむしろ可愛らしい歳相応の少女だ。
「とちゅうまではミラノたちもいっしょだから、ふぁいとだよ! おーー!!」
「お、おーーっ!!」
ククルに誘われ、明野も拳を空に突き上げる。それを何度か繰り返している内に、明野もふっ切れたのか、テンションがかなり上がってきていた。
「よし、乗ってきた。このままやれそうだよ。……見ず知らずのあたしのために、わざわざありがとうな。覚者の人たちに何をすればお礼になるかわからないけど、とりあえず少ないけど現金でいいなら――」
「わ、ちょっと、そんなのいらないよ! お金なんかより、告白が上手くいくことが何よりもの報酬だもん」
「そのお金は、二人で遊ぶのに使って。それでもしよければ、わたしの実家のカフェもよろしくお願いしまーす、なんてね」
禊が慌ててサイフをしまわせ、御菓子が笑いを交えながらも、その手をしっかりと握った。
「ありがとう、みんな。――いってくる」
相手の校門のすぐ近く。明野を見送る覚者たちは、彼女の想いが相手に届くことを願って――いや、信じていた。
