雨音が乙女の叫びを流し去る
●水難
突然の大雨。急に空が曇りだし、バケツをひっくり返したように雨が降り出した。
学校帰りの緑川榛名は鞄を傘にして慌てて走りだす。制服が肌にまとわりつき、靴の中まで濡れているのを感じる。不快感にイライラしながら必死に走った。もう少し行けばアーケード街だ。そこまでいけば雨宿りができる。あそこの角を曲がって――そう思っていた時に、足を滑らせた。
「いったー! 何よもう……!?」
腹立たしさに大声をあげてこぶしを握る。そのまま立ち上がろうとして、緑川は気づく。
自分は足を滑らせたのではない。足を掴まれたのだと。
水たまりから伸びる一本の手。それが緑川の右足を掴み、離さない。それは少しずつ川のほうに移動していく。緑川を掴んだまま。
妖。水の自然系妖。
緑川は必死に逃れようともがき、手を鞄で払いのけようとするが効果はない。助けを呼ぼうにも、突然の雨で皆避難中だ。彼女のことなど気づきもしない。
そして彼女は川の中に引きずり込まれる。水死体が発見されるのは、その二時間後となった。
●FiVE
「おっす! よく集まってくれたな!」
元気よく手を挙げて覚者を迎える久方 相馬(nCL2000004)。皆が席に着いたのを確認して、説明を開始した。
「もう少ししたら大雨が降ってくるんだが、その時に水の妖が発生する。その妖に足を掴まれて、川の中に引きずり込まれる子が出るんだ!」
見た未来を勢いで説明する相馬。一度なだめて落ち着かせ、どうにか状況は理解できた。
「妖の数は四体。水たまりが盛り上がって手のような形になっている。うち一体がその緑川って子を川に引きずろうとしている」
緑川は通りすがった一般人で、妖に抵抗する力はない。このままだと近くの川の中に引きずられてしまう。相馬の夢だと、そのまま溺死するという。
引きずっている妖を倒せば助けることは可能だが、妖は一般人を盾にするように動くという。そうなれば自然と狙いは甘くなる。そして時間が来れば、妖は川の中に逃げ込むだろう。
「助けるのが簡単じゃないことは俺にだってわかる。だけどその子は何も悪いことしていないのに、こんなのあんまりだと思わないか?」
相馬は状況の説明を終えると、覚者たちに向かって問いかける。確かに状況は楽観できるものではない。無理に助けようとしてこちらが大怪我を負うことになれば問題だ。
皆なら救ってくれる。そんな相馬の期待に応えるか否かは、貴方達次第だ。
あなたは彼の期待に――
突然の大雨。急に空が曇りだし、バケツをひっくり返したように雨が降り出した。
学校帰りの緑川榛名は鞄を傘にして慌てて走りだす。制服が肌にまとわりつき、靴の中まで濡れているのを感じる。不快感にイライラしながら必死に走った。もう少し行けばアーケード街だ。そこまでいけば雨宿りができる。あそこの角を曲がって――そう思っていた時に、足を滑らせた。
「いったー! 何よもう……!?」
腹立たしさに大声をあげてこぶしを握る。そのまま立ち上がろうとして、緑川は気づく。
自分は足を滑らせたのではない。足を掴まれたのだと。
水たまりから伸びる一本の手。それが緑川の右足を掴み、離さない。それは少しずつ川のほうに移動していく。緑川を掴んだまま。
妖。水の自然系妖。
緑川は必死に逃れようともがき、手を鞄で払いのけようとするが効果はない。助けを呼ぼうにも、突然の雨で皆避難中だ。彼女のことなど気づきもしない。
そして彼女は川の中に引きずり込まれる。水死体が発見されるのは、その二時間後となった。
●FiVE
「おっす! よく集まってくれたな!」
元気よく手を挙げて覚者を迎える久方 相馬(nCL2000004)。皆が席に着いたのを確認して、説明を開始した。
「もう少ししたら大雨が降ってくるんだが、その時に水の妖が発生する。その妖に足を掴まれて、川の中に引きずり込まれる子が出るんだ!」
見た未来を勢いで説明する相馬。一度なだめて落ち着かせ、どうにか状況は理解できた。
「妖の数は四体。水たまりが盛り上がって手のような形になっている。うち一体がその緑川って子を川に引きずろうとしている」
緑川は通りすがった一般人で、妖に抵抗する力はない。このままだと近くの川の中に引きずられてしまう。相馬の夢だと、そのまま溺死するという。
引きずっている妖を倒せば助けることは可能だが、妖は一般人を盾にするように動くという。そうなれば自然と狙いは甘くなる。そして時間が来れば、妖は川の中に逃げ込むだろう。
「助けるのが簡単じゃないことは俺にだってわかる。だけどその子は何も悪いことしていないのに、こんなのあんまりだと思わないか?」
相馬は状況の説明を終えると、覚者たちに向かって問いかける。確かに状況は楽観できるものではない。無理に助けようとしてこちらが大怪我を負うことになれば問題だ。
皆なら救ってくれる。そんな相馬の期待に応えるか否かは、貴方達次第だ。
あなたは彼の期待に――

■シナリオ詳細
■成功条件
1.妖の四体の撃退。
2.緑川の生存(足を切断しても、生存していればよいものとする)。
3.なし
2.緑川の生存(足を切断しても、生存していればよいものとする)。
3.なし
雨恋しいこの猛暑、でもこういうのかかんべんな。
成功条件を成立させるだけなら、そう難しくありません。
●敵情報
・水の手(×3)
水たまりから長い水の手が生えた妖です。自然系妖のランク1。水ですが火や電気に弱い、ということはありません。知性はほぼなく、連携をとるようなことはないでしょう。
ランク自体は低く個々の能力も高くはないのですが、雨の中という状況において強いアドバンテージを持っています。
攻撃方法
ぐーぱんち 特遠単 拳を握って殴りかかってきます。
ちょきちょき 物近単 鋭い水の鋏となって、相手を切り裂きます。〔出血〕
ぱーでつかむ 特近単 水の手で握りしめます。相手を濡らし鈍くします。〔鈍化〕
雨の妖 P 雨による不利な条件を、すべて無効化します。
・緑川を掴んでいる水の手(×1)
緑川を捕らえている水の手です。彼女の右足を掴んで振り回し、九ターンかけて一般人を弱らせるつもりです。そのためこの個体は一切の攻撃を行いません。十ターン目に抵抗する体力を無くした緑川を引きずり、近くにある川に逃げ込みます。
この個体を攻撃する際に『一般人の足を切る』ことが可能です。それを行えば、他の『水の手』と同スペックになります。
攻撃方法
手にした物で身を守る P 一般人を盾にします。回避にプラス修正。
雨の妖 P 雨による不利な条件を、すべて無効化します。
・緑川榛名
一般人。水の手に捕まれています。皆様が助けに来たことは理解していますが、パニックを起こしており理性的に行動することはできません。ただ戦いに振り回されています。
●場所情報
町中。どう急いでも、緑川が妖に捕まるより先にたどり着くことはできません。
雨の中であるため、足場は濡れており(回避、近接攻撃にマイナス修正)、視界も悪いです(遠距離攻撃にマイナス修正)。相応の対策を施さなければ長丁場になるでしょう。東側十メートルに川があり、十ターン目に緑川を掴んだ妖はそこに逃げる予定です。
豪雨から逃れるために軒先に移動しているため、他に人が来る可能性は皆無です。
戦闘開始時、前衛に妖が四体固まっている形になっています。
事前付与は好きなだけ可能ですが、その間にも時間が流れます。それが有利になるかどうかはわかりません。
皆様のプレイングをお待ちしています。
状態
完了
完了
報酬モルコイン
金:0枚 銀:1枚 銅:0枚
金:0枚 銀:1枚 銅:0枚
相談日数
7日
7日
参加費
100LP[+予約50LP]
100LP[+予約50LP]
参加人数
8/8
8/8
公開日
2015年08月30日
2015年08月30日
■メイン参加者 8人■

●
雨が降る中、八人の覚者が走っていた。
「濡れるのは嫌いなのだけどね。返り血が無いだけまだ良いか」
濡れて肌に張り付く雨を不快に思いながら『浄火』七十里・夏南(CL2000006)が愚痴をこぼす。だがそれを気にしている余裕はない。彼女にとってそれ以上に不快な出来事がこの先で起きているのだ。それを止めなくては。
「水妖に襲われる一般人のう」
長靴にライダースーツ、そしてゴーグル。雨対策を施してきた『自称サラリーマン』高橋・姫路(CL2000026)はこの先で起きている事件を口にする。不幸な事故だ。だがそれを止められるのなら、止めなくては。
「国民が危険に晒されているのを放置はできませんね」
大地と心通わせ、周囲の地形を探りながら『狗吠』時任・千陽(CL2000014)が走る。軍務によりFiVEに所属している千陽にとって、国民とは守るべき存在。誰一人として危険に晒すことはしない。その矜持にかけて、無傷で助け出す。
「最悪足を切断しても助けて、ってさ。それってできるなら五体満足で助けてみせろ、ってことよね」
FiVEからの提示を復唱しながら、華神 悠乃(CL2000231)は拳に力を込める。本当の最悪は一般人の溺死だ。それを回避するためには足の切断もやむなし。だが、助けることができるのなら五体満足で助ける。それができずしてどうするか。
「救いを待っている人がいる。いのりの力はこの時の為、救いを待つ人々の為にあるのですわ!」
己に活を入れるように『誇り高き姫君』秋津洲 いのり(CL2000268)は声を出す。守護使役の『ガルム』を抱きしめながら、妖に襲われている人のことを思う。助けなければ。この力はその為に。心の中で両親の名を呟き、歩を進める。
「きっと、一人で怖いよね……雨で消耗してるだろうし……」
雨音に消え去りそうに小さく、だけど確かな意思を込めて『虚空の翼』羽鳥 司(CL2001049)は呟いた。争い事や揉め事は苦手だが、それで誰かを助けることができるのならと自分を奮い立たせる。大丈夫。皆がいるから。唾を飲み込み、心を落ち着かせる。
「無いよりはまし程度だが、これで何とかなるか」
市販品のレインコートと防水シューズを着た『オレンジ大斬り』渡慶次・駆(CL2000350)は、その動きを確認するように大仰に走る。動きに問題はない。いささか不満は残るが、今は急いで現場に向かわなければ。妖にとらわれた人を助ける為に。
そして覚者は角を曲がり、妖と対面する。四体の水の手と、それに捕らわれた一人の少女。
「助けて欲しいと声あらば、応えてみせるが世の情け! じゃじゃーん、真打登場!」
『大太刀鬼桜』を手にして『裏切者』鳴神 零(CL2000669)が声を上げる。黒の狐面で顔を隠し、まっすぐに敵意を妖に向ける。久しぶりの覚醒に零の心は高ぶっていた。そしてこれから始まる戦いもまた、彼女の心を奮わせる。
水の手に人の言葉を理解する知性はない。だが『邪魔者がやってきた』ことは理解したようだ。あるいは『獲物が増えた』と判断したか。どちらにせよ、覚者に向かい、動き出す。
覚者達も覚醒し、各々の武器を手にする。目でサインを送りあいながら、戦士たちは濡れた地面を蹴り、戦いに躍り出た。
●
「行くよ!」
一番最初に動いたのは悠乃だった。素早い動きで緑川を掴んでいる水の手に迫り、水の手と緑川を見る。腰から生えた尾を動かし、緑川の足首に絡ませた。水の手と重なるように。水の手の動きから緑川を守るように。
そのまま悠乃は緑川に組み付いて、振り回されないように抑え込む。膝を曲げて重心を下ろし、自らを錨にするイメージで。緑川に伝わる衝撃はすべて自分に来ることになるが、構うものかと笑みを浮かべた。
「大丈夫、もう心配ないよ。何故って? ――私たちが来たからさ!」
「え……? 誰……?」
「大丈夫だよ、安心して……! こんなやつらすぐ俺達がやっつけて……必ず助け出してあげるから……!」
妖の痛みから解放されて当惑する緑川を安心させるように司が声をかける。司自身も不安だが、それを感じさせないように自然にほほ笑む。その微笑みが効いたのか、パニックは幾分か収まったようだ。
杖を握りしめ、意識を集中する。降り注ぐ雨さえも聞こえなくなるほどの深い集中。息を吸い、杖の先に力を集めるイメージを深め、息を吐き出す。呼気とともに水の力が広がり、傷つく仲間を癒していく。
「だから……もう少しだけ頑張って、諦めないで、ね?」
「あ……ダメだよ、こいつら、妖だから!」
「理解しています。今は我々にお任せを」
FiVEという単語を意図的に避けて千陽は緑川に語り掛ける。水の手の一匹の前に立ち、英霊の力を身に卸す。未だ正体の知れぬ、しかし確実にある前世との絆。それが自分に宿り、力を与えてくれる。それに応えるように銃を構えた。
銃を構え、まっすぐに水の手に銃口を向ける。射貫くような鋭い瞳。知性なき存在であってもその殺意は感じるのだろう。緑川を掴む水の手の動きが確かに止まった。精神的なプレッシャーと、同時に打ち込まれる弾丸。
「暴れずに、我々の指示に従ってください」
「あの、貴方達はいったい……?」
「わしはただのサラリーマンじゃよ」
緑川の問いに誤魔化すように姫路が告げる。厳密に言えば嘘ではないのだが。水の手の一体に迫り、神具を構える。息を吐きながら体内の炎を燃やし、体のギアを少しずつ上げていく。薄く赤い光が姫路を覆っていく。
振るわれる姫路の神具を掴む水の手。だがそれを予測していたかのように姫路は柄を回転させて、妖ごと反転させて地面に叩きつける。冷静沈着にして多芸。『自称』世界をかけるサラリーマンは、焦ることなく確実にダメージを蓄積していく。
「こっちは任せてもらおうか。早めに応援に来てくれよ」
「善処します。いまは救出優先で」
妖の方に視線を向けたまま、夏南が言葉を返す。銀の箒とも表現できる斧らしいものを手に、水の手に迫る。羽を広げてわずかに浮き、自らを奮起させるように炎を燃やす。同時に怒りを燃やす。清潔と秩序を乱す妖に、鉄槌を下ろすべくふわりと進む。
妖の手が迫り、夏南を掴もうと迫る。その掌に向かい『AGブルーム』を振りかぶる。羽で肩を回転させながら、同時に空中に留まるように空を叩く。神具を握りしめる手に力を込めて、妖の掌向けて神具を振りかぶった。地を這い跳ねあがる銀の一閃。
「一気に片付けます」
「鳴神も続くよっ! ヤッちゃうよ! 楽しく、戦闘しちゃうんだから!」
刀の柄に手をかけて、零が敵陣に躍り込む。FiVE設立から今まで覚醒もせずに、戦いを我慢してきたのだ。そのうっ憤を晴らすように元気よく妖の前に立つ。その元気の裏に秘めた心は、仮面の内の表情のごとく、余人には分らないものだが。
足を踏ん張り、腰をひねる。螺旋を描くように力を移動させて、遠心力で太刀を抜刀した。その回転の勢いを殺すことなく妖に刃を振るう。雨の中、刃の旋風が二度奮われた。二本の刀傷が妖に刻まれ、妖は痛みで震える。
「いいね、雨。鳴神もこの暑さ、雨のおかげで頭が冷えた。一般人、傷つけた無礼、その身を持って償うがいい」
「雨のおかげで泥仕合なんだがな。初仕事にしちゃ上出来な舞台じゃないか」
濡れる髪の毛を払いながら駆が笑みを浮かべる。覚醒した駆は二十歳ほど若返った青年の姿となっていた。大柄で筋肉質。それでいて四十代の経験を持つ男。巨大な鉈を両手に構え、妖に向けてその先端を向ける。
先に動いたのはどちらだろうか。駆の『アチャラナータ』と水の手が交差する。駆は時に神具を短く持ち突き主体で攻め、時に両手で持って振りかぶる。多芸自在の間合いと攻め方。ただ力任せに攻める妖を翻弄し、少しずつ傷を増やしていく。
「まだまだ時間はある。焦らずに攻めていこうぜ」
「ええ。秋津洲家の銘と誇りにかけて、榛名様の命救ってみせますわ!」
決意を口にするいのり。手にした杖と赤い装飾は母の遺物。人を守るために妖に挑み、そして帰らぬ人となったが、その精神は、装備とともに確かにいのりに引き継がれている。……まあ、露出の多い赤い衣装は着るのが恥ずかしいのだが。
急いで動くことなく、戦いの動向をいのりは見守る。水の手に切り裂かれ、深く出血した者がいれば杖を振るい、源素を込める。風が傷を包み込み、痛みを和らげると同時に傷を塞いでいく。長期戦になれば響いてくる傷。それを癒すのが自分の役割。
「まだまだこれからです!」
源素の力を使えば疲弊する。長丁場になれば術が使えなくなり、火力が落ちるのは覚者の方だ。スムーズに妖を倒すなら、緑川の足を切断してでも妖を倒すのが正解といえよう。
だが、覚者はそれを選ばなかった。悠乃が緑川の負担を肩代わりするように動き、その状態のまま緑川を救おうとする。一般人を掴んでいる水の手が狙いにくいのは変わらず、肩代わりしている分戦力が減っているといえよう。
雨はまだ、止まない。
●
個の能力として、妖は覚者に勝る。そして雨という状況がさらにその差を広げる。だが妖に知性はなく、連携をとることがない。
対し覚者は連携だって行動していた。緑川を助けるべく悠乃が向かい、駆が妖に攻撃を加える。残りの水の手を姫路、千陽、零、夏南が押さえながら緑川を掴んでいる水の手を倒そうと攻めていた。いのりと司は後衛から癒しの術を施している。
「はぁ! ……きっ、つー……!」
最初に意識を飛ばしたのは悠乃だ。緑川が受ける水の手の衝撃を一手に引き受けており、体力の消耗が激しい。倒れそうになる体を、命の力を削って持ちこたえる。悠乃は頭を振って、意識を取り戻した。
だが集中砲火の作戦は功をなしていた。一般人を捕まえている水の手は、狙いにくいが決して当てれないレベルではない。
「ナアアアァウマクサンマンダァ! バザラダン、カアアアアァン!」
炎を纏った駆の一撃が水の手を貫く。水と炎が拮抗し、炎が押し返して水蒸気となる。風船が破裂するように水の手が文字通り霧散した。駆は『アチャラナータ』を二度振るって水しぶきを払い、緑川を抱えて安全な場所に移動させる。
「すぐに戻るんで、しばらく任せた!」
「おう。まかせんしゃい」
背中越しに駆に手を振って姫路が水の手に神具を振り下ろす。残った水の手全ての動きを注視して、危ないと判断した場所に応援に入る。冷静に、それでいて攻めるときは野性的に。ここからは殲滅戦だ。
「次はそっちかのぅ」
「いいえ。こちらはどうにかなりそうです」
銃とナイフを手に千陽が言葉を返す。ナイフで水の手を牽制しながら、適切な距離になったところで引き金を引いて弾丸を叩きこむ。幼い頃から軍で仕込まれた格闘術。チェスのように一手一手確実に相手を追い込んでいく。勿論、妖の反撃もあるが、
「羽鳥、回復をお願いします」
「わかった……行くよ……!」
傷の回復は司が一手に担っていた。杖を奮い、意識を集中する。傷の深さを吟味しながら、一番回復が必要な仲間を癒していく。時に水を霧状に変化させ、複数人を。その度合いは水の手が減れば、少しずつ軽くなっていく。
「回復が欲しかったら……俺に言ってね……!」
「ええ、いのりにも遠慮なくいってください」
いのりは母の遺品を手に天の源素を開放する。水がまとわりついて動きを鈍くなった仲間を救い、術が使えず疲弊した覚者に活力を与える。支え、応援する。いのりの支援あっての戦線維持。水の手に相対する覚者はそれを十分に理解していた。
「こっちにも回復をお願いします」
『AGブルーム』を振るいながら、夏南がいのりに支援を求める。水の手の位置を把握し、頭の中でラインを結ぶ。夏南の神具が地を這い、そのラインに沿って振るわれる。まとめて三匹の水の手を一気に払い、手傷を負わせた。
「『汚い』モノは排除します」
「いってみましょう反撃タイム! ぶっちKILL!」
拳を数度突き出し、悠乃が水の手に迫る。今まで傷つけられた恨みを晴らすべく距離を詰めた。相手に触れるか否かのギリギリの距離。そこで拳を奮う悠乃。迫る攻撃を上体を後ろにそらして回避しながら、ローキックを叩きこむ。濡れる路面でもバランスを崩さない見事な動き。
「オマエ、気に入った! 強くて素敵、タイマン、しよ? どちらが先にぶっ壊れるか勝負勝負!」
零が水の手の一体を指さし、切りかかる。相手は零の言葉を理解する知性は持っていないが、切りかかった相手から優先的に反撃する程度の本能はあるらしい。零の太刀と水の刃が交差する。零の血と汗が、振り続ける雨によって流されていく。
「わはははは。待たせたな。それじゃ一気に片付けるか」
緑川を安全な場所に誘導した駆が戻ってくる。これにより覚者の方に天秤が傾いた。
戦況を不利にしていた一般人の存在はなくなり、各々が一致団結して妖に挑む。ただ本能で戦う妖数匹程度が、これに勝てる道理はない。
雨というアドバンテージが妖にはあるが、それを上回る覚者の気迫と行動力を覆るものではなかった。一匹、また一匹と自然に帰っていく水の妖。
「せめてもの救いは、返り血がないことですね」
神具を握りしめ、夏南が水の手に迫る。人の手を模した水たまりの妖。生物感あふれ、そして雑菌だらけ。何よりも人の社会を乱す存在。そんなモノに対する恨みを込めて、終了の宣告を告げた。
「これで終わりです」
宣告と同時に振るわれる夏南の一撃。妖は武器の軌跡のままに水たまりと腕の部分が二分され、雨に交じって消えていった。
●
戦闘終了からしばらくして、雨は収まりつつあった。数刻ほどすれば、雲は晴れるだろう。
「早く着替えて、洗濯したいわ」
濡れた服をタオルで拭きながら、陰鬱な顔で夏南は呟く。清潔第一の夏南はわずかな汚れも許さない。その為に源素の力を割いているのだが、濡れるのだけはどうしようもなかった。
「それなりに歯ごたえはあったかな」
零は妖との戦いを反芻しながら、悦に浸る。零はバトルマニアだが、相手の強さはあまり気にならない。そこの戦いがあり、死線があるから楽しめる。完全なタイマンは望めなかったが、それでも満足のいく結果だった。
(恥ずかしかったです……)
いのりは覚醒状態を解いて一七歳の赤いボンテージ風の衣装から、小学生の制服姿に戻る。現の因子は姿を変える。仮に緑川と町ですれ違っても気づかれることはない。それが救いかとため息をついた。
「大丈夫……痛むならもう少し術を使うけど……?」
司は緑川を助ける為に盾となった悠乃。その傷をいやすために、水の術を使う。争い事が苦手な司だが、けして臆病というわけではない。仲間を癒すために力を振り絞り、危険な場所に向かって羽ばたく勇気を持っているのだ。
「ん。少し痛むけど、もう大丈夫だよっ!」
司の癒しを受けて、微笑む悠乃。なんの犠牲もなく妖を討伐できたのは、ひとえに彼女の献身が大きい。少しダメージは残るだろうが、その甲斐はあったと言えよう。濡れた髪を手櫛で梳きながら、空を見る。
遠くから走ってくる足音。振り向けば、そこには息を切らした緑川の姿があった。
「あ、ありがとうございます!」
「こういう世の中じゃ、気をつけるんじゃよ」
礼をする緑川に、手を振って姫路が返す。妖が世に出てきてから四半世紀。こういう事件は後を絶たない。雨だからと言って慌てて行動しない。一人で行動しない。それはとても重要なことだ。姫路はそれを優しく説く。
「研究材料になればいいのですが」
妖であった水を水筒に集める千陽。FiVEの目的は『神秘解明』だ。妖と接触した経験も解明に役立つが、妖だった物もいい研究材料になるはずだ。さすがにすべての回収は不可能だが、それでもと千陽は可能な限り水を回収する。
「あの……あなたたちはいったい……?」
「行きがかり上って奴さ。それに説明したってどうせ信じられないだろ? 何しろ俺たちだって何が何だかわかんねんだからさ」
駆が緑川の問いをはぐらかすように答える。自分たちが何者かは答えない。失われるはずだった命が助かった。それ以上の報酬がどこにあろうか。呆然とする緑川に背を向けて、覚者たちは歩き出す。
雨上がりの虹が、覚者を祝福するように煌めいていた。
FiVEが用意した車の中で、夏南はやるせない気持ちを表すようにため息をつく。
「大雨が降っただけで人死にの危険が出ていたら堪らないわね。遠い道だけど、さっさと原因を突き止めて潰さないとね」
妖発生の原因。神秘解明の先に、それが見つかるか否や。
道は遠く、歩みはまだ小さい。
だけど確実に、FIVEは歩んでいる――
雨が降る中、八人の覚者が走っていた。
「濡れるのは嫌いなのだけどね。返り血が無いだけまだ良いか」
濡れて肌に張り付く雨を不快に思いながら『浄火』七十里・夏南(CL2000006)が愚痴をこぼす。だがそれを気にしている余裕はない。彼女にとってそれ以上に不快な出来事がこの先で起きているのだ。それを止めなくては。
「水妖に襲われる一般人のう」
長靴にライダースーツ、そしてゴーグル。雨対策を施してきた『自称サラリーマン』高橋・姫路(CL2000026)はこの先で起きている事件を口にする。不幸な事故だ。だがそれを止められるのなら、止めなくては。
「国民が危険に晒されているのを放置はできませんね」
大地と心通わせ、周囲の地形を探りながら『狗吠』時任・千陽(CL2000014)が走る。軍務によりFiVEに所属している千陽にとって、国民とは守るべき存在。誰一人として危険に晒すことはしない。その矜持にかけて、無傷で助け出す。
「最悪足を切断しても助けて、ってさ。それってできるなら五体満足で助けてみせろ、ってことよね」
FiVEからの提示を復唱しながら、華神 悠乃(CL2000231)は拳に力を込める。本当の最悪は一般人の溺死だ。それを回避するためには足の切断もやむなし。だが、助けることができるのなら五体満足で助ける。それができずしてどうするか。
「救いを待っている人がいる。いのりの力はこの時の為、救いを待つ人々の為にあるのですわ!」
己に活を入れるように『誇り高き姫君』秋津洲 いのり(CL2000268)は声を出す。守護使役の『ガルム』を抱きしめながら、妖に襲われている人のことを思う。助けなければ。この力はその為に。心の中で両親の名を呟き、歩を進める。
「きっと、一人で怖いよね……雨で消耗してるだろうし……」
雨音に消え去りそうに小さく、だけど確かな意思を込めて『虚空の翼』羽鳥 司(CL2001049)は呟いた。争い事や揉め事は苦手だが、それで誰かを助けることができるのならと自分を奮い立たせる。大丈夫。皆がいるから。唾を飲み込み、心を落ち着かせる。
「無いよりはまし程度だが、これで何とかなるか」
市販品のレインコートと防水シューズを着た『オレンジ大斬り』渡慶次・駆(CL2000350)は、その動きを確認するように大仰に走る。動きに問題はない。いささか不満は残るが、今は急いで現場に向かわなければ。妖にとらわれた人を助ける為に。
そして覚者は角を曲がり、妖と対面する。四体の水の手と、それに捕らわれた一人の少女。
「助けて欲しいと声あらば、応えてみせるが世の情け! じゃじゃーん、真打登場!」
『大太刀鬼桜』を手にして『裏切者』鳴神 零(CL2000669)が声を上げる。黒の狐面で顔を隠し、まっすぐに敵意を妖に向ける。久しぶりの覚醒に零の心は高ぶっていた。そしてこれから始まる戦いもまた、彼女の心を奮わせる。
水の手に人の言葉を理解する知性はない。だが『邪魔者がやってきた』ことは理解したようだ。あるいは『獲物が増えた』と判断したか。どちらにせよ、覚者に向かい、動き出す。
覚者達も覚醒し、各々の武器を手にする。目でサインを送りあいながら、戦士たちは濡れた地面を蹴り、戦いに躍り出た。
●
「行くよ!」
一番最初に動いたのは悠乃だった。素早い動きで緑川を掴んでいる水の手に迫り、水の手と緑川を見る。腰から生えた尾を動かし、緑川の足首に絡ませた。水の手と重なるように。水の手の動きから緑川を守るように。
そのまま悠乃は緑川に組み付いて、振り回されないように抑え込む。膝を曲げて重心を下ろし、自らを錨にするイメージで。緑川に伝わる衝撃はすべて自分に来ることになるが、構うものかと笑みを浮かべた。
「大丈夫、もう心配ないよ。何故って? ――私たちが来たからさ!」
「え……? 誰……?」
「大丈夫だよ、安心して……! こんなやつらすぐ俺達がやっつけて……必ず助け出してあげるから……!」
妖の痛みから解放されて当惑する緑川を安心させるように司が声をかける。司自身も不安だが、それを感じさせないように自然にほほ笑む。その微笑みが効いたのか、パニックは幾分か収まったようだ。
杖を握りしめ、意識を集中する。降り注ぐ雨さえも聞こえなくなるほどの深い集中。息を吸い、杖の先に力を集めるイメージを深め、息を吐き出す。呼気とともに水の力が広がり、傷つく仲間を癒していく。
「だから……もう少しだけ頑張って、諦めないで、ね?」
「あ……ダメだよ、こいつら、妖だから!」
「理解しています。今は我々にお任せを」
FiVEという単語を意図的に避けて千陽は緑川に語り掛ける。水の手の一匹の前に立ち、英霊の力を身に卸す。未だ正体の知れぬ、しかし確実にある前世との絆。それが自分に宿り、力を与えてくれる。それに応えるように銃を構えた。
銃を構え、まっすぐに水の手に銃口を向ける。射貫くような鋭い瞳。知性なき存在であってもその殺意は感じるのだろう。緑川を掴む水の手の動きが確かに止まった。精神的なプレッシャーと、同時に打ち込まれる弾丸。
「暴れずに、我々の指示に従ってください」
「あの、貴方達はいったい……?」
「わしはただのサラリーマンじゃよ」
緑川の問いに誤魔化すように姫路が告げる。厳密に言えば嘘ではないのだが。水の手の一体に迫り、神具を構える。息を吐きながら体内の炎を燃やし、体のギアを少しずつ上げていく。薄く赤い光が姫路を覆っていく。
振るわれる姫路の神具を掴む水の手。だがそれを予測していたかのように姫路は柄を回転させて、妖ごと反転させて地面に叩きつける。冷静沈着にして多芸。『自称』世界をかけるサラリーマンは、焦ることなく確実にダメージを蓄積していく。
「こっちは任せてもらおうか。早めに応援に来てくれよ」
「善処します。いまは救出優先で」
妖の方に視線を向けたまま、夏南が言葉を返す。銀の箒とも表現できる斧らしいものを手に、水の手に迫る。羽を広げてわずかに浮き、自らを奮起させるように炎を燃やす。同時に怒りを燃やす。清潔と秩序を乱す妖に、鉄槌を下ろすべくふわりと進む。
妖の手が迫り、夏南を掴もうと迫る。その掌に向かい『AGブルーム』を振りかぶる。羽で肩を回転させながら、同時に空中に留まるように空を叩く。神具を握りしめる手に力を込めて、妖の掌向けて神具を振りかぶった。地を這い跳ねあがる銀の一閃。
「一気に片付けます」
「鳴神も続くよっ! ヤッちゃうよ! 楽しく、戦闘しちゃうんだから!」
刀の柄に手をかけて、零が敵陣に躍り込む。FiVE設立から今まで覚醒もせずに、戦いを我慢してきたのだ。そのうっ憤を晴らすように元気よく妖の前に立つ。その元気の裏に秘めた心は、仮面の内の表情のごとく、余人には分らないものだが。
足を踏ん張り、腰をひねる。螺旋を描くように力を移動させて、遠心力で太刀を抜刀した。その回転の勢いを殺すことなく妖に刃を振るう。雨の中、刃の旋風が二度奮われた。二本の刀傷が妖に刻まれ、妖は痛みで震える。
「いいね、雨。鳴神もこの暑さ、雨のおかげで頭が冷えた。一般人、傷つけた無礼、その身を持って償うがいい」
「雨のおかげで泥仕合なんだがな。初仕事にしちゃ上出来な舞台じゃないか」
濡れる髪の毛を払いながら駆が笑みを浮かべる。覚醒した駆は二十歳ほど若返った青年の姿となっていた。大柄で筋肉質。それでいて四十代の経験を持つ男。巨大な鉈を両手に構え、妖に向けてその先端を向ける。
先に動いたのはどちらだろうか。駆の『アチャラナータ』と水の手が交差する。駆は時に神具を短く持ち突き主体で攻め、時に両手で持って振りかぶる。多芸自在の間合いと攻め方。ただ力任せに攻める妖を翻弄し、少しずつ傷を増やしていく。
「まだまだ時間はある。焦らずに攻めていこうぜ」
「ええ。秋津洲家の銘と誇りにかけて、榛名様の命救ってみせますわ!」
決意を口にするいのり。手にした杖と赤い装飾は母の遺物。人を守るために妖に挑み、そして帰らぬ人となったが、その精神は、装備とともに確かにいのりに引き継がれている。……まあ、露出の多い赤い衣装は着るのが恥ずかしいのだが。
急いで動くことなく、戦いの動向をいのりは見守る。水の手に切り裂かれ、深く出血した者がいれば杖を振るい、源素を込める。風が傷を包み込み、痛みを和らげると同時に傷を塞いでいく。長期戦になれば響いてくる傷。それを癒すのが自分の役割。
「まだまだこれからです!」
源素の力を使えば疲弊する。長丁場になれば術が使えなくなり、火力が落ちるのは覚者の方だ。スムーズに妖を倒すなら、緑川の足を切断してでも妖を倒すのが正解といえよう。
だが、覚者はそれを選ばなかった。悠乃が緑川の負担を肩代わりするように動き、その状態のまま緑川を救おうとする。一般人を掴んでいる水の手が狙いにくいのは変わらず、肩代わりしている分戦力が減っているといえよう。
雨はまだ、止まない。
●
個の能力として、妖は覚者に勝る。そして雨という状況がさらにその差を広げる。だが妖に知性はなく、連携をとることがない。
対し覚者は連携だって行動していた。緑川を助けるべく悠乃が向かい、駆が妖に攻撃を加える。残りの水の手を姫路、千陽、零、夏南が押さえながら緑川を掴んでいる水の手を倒そうと攻めていた。いのりと司は後衛から癒しの術を施している。
「はぁ! ……きっ、つー……!」
最初に意識を飛ばしたのは悠乃だ。緑川が受ける水の手の衝撃を一手に引き受けており、体力の消耗が激しい。倒れそうになる体を、命の力を削って持ちこたえる。悠乃は頭を振って、意識を取り戻した。
だが集中砲火の作戦は功をなしていた。一般人を捕まえている水の手は、狙いにくいが決して当てれないレベルではない。
「ナアアアァウマクサンマンダァ! バザラダン、カアアアアァン!」
炎を纏った駆の一撃が水の手を貫く。水と炎が拮抗し、炎が押し返して水蒸気となる。風船が破裂するように水の手が文字通り霧散した。駆は『アチャラナータ』を二度振るって水しぶきを払い、緑川を抱えて安全な場所に移動させる。
「すぐに戻るんで、しばらく任せた!」
「おう。まかせんしゃい」
背中越しに駆に手を振って姫路が水の手に神具を振り下ろす。残った水の手全ての動きを注視して、危ないと判断した場所に応援に入る。冷静に、それでいて攻めるときは野性的に。ここからは殲滅戦だ。
「次はそっちかのぅ」
「いいえ。こちらはどうにかなりそうです」
銃とナイフを手に千陽が言葉を返す。ナイフで水の手を牽制しながら、適切な距離になったところで引き金を引いて弾丸を叩きこむ。幼い頃から軍で仕込まれた格闘術。チェスのように一手一手確実に相手を追い込んでいく。勿論、妖の反撃もあるが、
「羽鳥、回復をお願いします」
「わかった……行くよ……!」
傷の回復は司が一手に担っていた。杖を奮い、意識を集中する。傷の深さを吟味しながら、一番回復が必要な仲間を癒していく。時に水を霧状に変化させ、複数人を。その度合いは水の手が減れば、少しずつ軽くなっていく。
「回復が欲しかったら……俺に言ってね……!」
「ええ、いのりにも遠慮なくいってください」
いのりは母の遺品を手に天の源素を開放する。水がまとわりついて動きを鈍くなった仲間を救い、術が使えず疲弊した覚者に活力を与える。支え、応援する。いのりの支援あっての戦線維持。水の手に相対する覚者はそれを十分に理解していた。
「こっちにも回復をお願いします」
『AGブルーム』を振るいながら、夏南がいのりに支援を求める。水の手の位置を把握し、頭の中でラインを結ぶ。夏南の神具が地を這い、そのラインに沿って振るわれる。まとめて三匹の水の手を一気に払い、手傷を負わせた。
「『汚い』モノは排除します」
「いってみましょう反撃タイム! ぶっちKILL!」
拳を数度突き出し、悠乃が水の手に迫る。今まで傷つけられた恨みを晴らすべく距離を詰めた。相手に触れるか否かのギリギリの距離。そこで拳を奮う悠乃。迫る攻撃を上体を後ろにそらして回避しながら、ローキックを叩きこむ。濡れる路面でもバランスを崩さない見事な動き。
「オマエ、気に入った! 強くて素敵、タイマン、しよ? どちらが先にぶっ壊れるか勝負勝負!」
零が水の手の一体を指さし、切りかかる。相手は零の言葉を理解する知性は持っていないが、切りかかった相手から優先的に反撃する程度の本能はあるらしい。零の太刀と水の刃が交差する。零の血と汗が、振り続ける雨によって流されていく。
「わはははは。待たせたな。それじゃ一気に片付けるか」
緑川を安全な場所に誘導した駆が戻ってくる。これにより覚者の方に天秤が傾いた。
戦況を不利にしていた一般人の存在はなくなり、各々が一致団結して妖に挑む。ただ本能で戦う妖数匹程度が、これに勝てる道理はない。
雨というアドバンテージが妖にはあるが、それを上回る覚者の気迫と行動力を覆るものではなかった。一匹、また一匹と自然に帰っていく水の妖。
「せめてもの救いは、返り血がないことですね」
神具を握りしめ、夏南が水の手に迫る。人の手を模した水たまりの妖。生物感あふれ、そして雑菌だらけ。何よりも人の社会を乱す存在。そんなモノに対する恨みを込めて、終了の宣告を告げた。
「これで終わりです」
宣告と同時に振るわれる夏南の一撃。妖は武器の軌跡のままに水たまりと腕の部分が二分され、雨に交じって消えていった。
●
戦闘終了からしばらくして、雨は収まりつつあった。数刻ほどすれば、雲は晴れるだろう。
「早く着替えて、洗濯したいわ」
濡れた服をタオルで拭きながら、陰鬱な顔で夏南は呟く。清潔第一の夏南はわずかな汚れも許さない。その為に源素の力を割いているのだが、濡れるのだけはどうしようもなかった。
「それなりに歯ごたえはあったかな」
零は妖との戦いを反芻しながら、悦に浸る。零はバトルマニアだが、相手の強さはあまり気にならない。そこの戦いがあり、死線があるから楽しめる。完全なタイマンは望めなかったが、それでも満足のいく結果だった。
(恥ずかしかったです……)
いのりは覚醒状態を解いて一七歳の赤いボンテージ風の衣装から、小学生の制服姿に戻る。現の因子は姿を変える。仮に緑川と町ですれ違っても気づかれることはない。それが救いかとため息をついた。
「大丈夫……痛むならもう少し術を使うけど……?」
司は緑川を助ける為に盾となった悠乃。その傷をいやすために、水の術を使う。争い事が苦手な司だが、けして臆病というわけではない。仲間を癒すために力を振り絞り、危険な場所に向かって羽ばたく勇気を持っているのだ。
「ん。少し痛むけど、もう大丈夫だよっ!」
司の癒しを受けて、微笑む悠乃。なんの犠牲もなく妖を討伐できたのは、ひとえに彼女の献身が大きい。少しダメージは残るだろうが、その甲斐はあったと言えよう。濡れた髪を手櫛で梳きながら、空を見る。
遠くから走ってくる足音。振り向けば、そこには息を切らした緑川の姿があった。
「あ、ありがとうございます!」
「こういう世の中じゃ、気をつけるんじゃよ」
礼をする緑川に、手を振って姫路が返す。妖が世に出てきてから四半世紀。こういう事件は後を絶たない。雨だからと言って慌てて行動しない。一人で行動しない。それはとても重要なことだ。姫路はそれを優しく説く。
「研究材料になればいいのですが」
妖であった水を水筒に集める千陽。FiVEの目的は『神秘解明』だ。妖と接触した経験も解明に役立つが、妖だった物もいい研究材料になるはずだ。さすがにすべての回収は不可能だが、それでもと千陽は可能な限り水を回収する。
「あの……あなたたちはいったい……?」
「行きがかり上って奴さ。それに説明したってどうせ信じられないだろ? 何しろ俺たちだって何が何だかわかんねんだからさ」
駆が緑川の問いをはぐらかすように答える。自分たちが何者かは答えない。失われるはずだった命が助かった。それ以上の報酬がどこにあろうか。呆然とする緑川に背を向けて、覚者たちは歩き出す。
雨上がりの虹が、覚者を祝福するように煌めいていた。
FiVEが用意した車の中で、夏南はやるせない気持ちを表すようにため息をつく。
「大雨が降っただけで人死にの危険が出ていたら堪らないわね。遠い道だけど、さっさと原因を突き止めて潰さないとね」
妖発生の原因。神秘解明の先に、それが見つかるか否や。
道は遠く、歩みはまだ小さい。
だけど確実に、FIVEは歩んでいる――
