夏の色
●時は未来――三重県某海岸にて
白い壁に青い屋根の建物が、静かにきらめく真夏の海に面した断崖の上に建てられている。建物の間に敷かれた石畳の道は細く短く、移動はもっぱら階段の上り下りだ。ブーゲンビリアの赤い花が心地の良い海風に揺れるたび、白い壁に落ちる青い影も軽やかに揺れて――
ギリシャのサントリーニ島を彷彿とさせるこの景色は、今年の夏から期間限定でオープンするテーマパークだ。プレオープンを明後日に控えたこの日も、多くの職人たちが汗を流しつつ建物の壁に白いペンキを塗っていた。
「うわっ?! 何しやがる、こらっ!」
海に負けないぐらい青く澄みわたった空に怒声が響いた。続けて「やめろ」だの、「ふざけんな」だの、「どこから入ってきたこのガキ!」だの、野太い声が次々とあがる。そこへ皿の割れる音や木のテーブルが押し倒される音がかぶされば、いよいよ騒がしい。こうなれば優雅なリゾート地というよりも、威勢の良い漁師町といったほうがぴったりとくる。
「そっちへ行ったぞ! 捕まえろ!」
怒声に追われて白壁の角から真黒な人型と真っ赤な人型が飛び出してきた。続けてそっくり同じ、真黒な人型と真っ赤な人型が飛び出してきた。
人型たちは骨なしのクネクネとした動きで赤と黒のペンキを白壁に塗りながら、狭い階段をカンカンカン、とけたたましい音をたてて駆け上がっていく。
妖だ。
四体とも両手の先がペンキ用のハケになっており、足にはペンキ缶をはいている。顔はなく、毛もない。全裸、というべきか、服もきていない。
「くそ野郎ども。捕まえてぶん殴ってやる!」
人型たちに遅れること数秒。真っ赤に焼けた鬼瓦、否、怒れる男たちが汚された白壁の角を曲がって姿を現した。
それまでは逃げる一方だった人型たちが、階段を昇り切ったところで立ち止まり、振り返って職人たちを見下した。のっぺりとした顔を水平に割って、ケケケと笑う。
「夏の色といえばやっぱ、情熱の赤と魅惑の黒だよねー」
「病弱の青と無難な白なんて、ダサいよねー」
「塗り替えよう」
「塗り替えよう」
四体はつるりんとした顔を見合わせて頷きあうと、いきなりハケを振るってペンキを飛ばした。
赤いペンキをつけられた職人は燃え上がり、大やけどを負った。
黒いペンキをつけられた職人は鈍い音とともに体の骨が折れた。
●時は現在―――F.I.V.E.会議室にて
「せっかくプレオープンの招待チケットが当たったのに、これじゃあ遊びに行けないよ。お姉ちゃんたちと遊びに行くの、楽しみにしていたのに」
覚者たちを前にして頬を膨らませているのは、夢見三兄弟の末、久方 万里(nCL2000005)だ。
万里によると、三重県某海岸に建設中のテーマパークに四体の妖が現れて、建物の白壁や青い屋根に赤や黒のペンキを塗りたくり、景観を台無しにしてしまうらしい。
「やっつけちゃって」
彼女のオーダーは至極シンプルだった。
F.I.V.E.の活動の第一に『人に害為す存在への対応』がある。とくに、夢見が予知した事件に対し、それを未然に、あるいは被害を最小限に防ぐという任務はF.I.V.E.に所属する覚者の重要な任務だ。
とはいえ、今回、覚者たちに得がないわけではない。
妖たちを素早く退治して、被害を最小限度に抑えることができればテーマパークの運営者に深く感謝されるだろう。結果、オープン前のテーマパークで誰よりも早く夏のバカンスを満喫することができる……はず。
「昼も素敵だけど、夜も星がすごくきれいでロマンチックらしいよ」
万里はうっとりと顔を緩ませると、祈るように組み合わせた手の上に息を落とした。
テーマパーク内には野外プールを備えたホテルのほかにも、ギリシャ料理を出すレストランや、ギリシャの土産物を売る店も多数あるよ、と誰も聞いていないのに長々と説明した。
肝心の妖については――
「妖たちはランク1でそんなに強くない。けど、ちょっと地形がやっかいだよ。工夫して戦ってね」
至極あっさりとした説明に終わった。
「あ、そうだ。F.I.V.E.のことは内緒にしてね。組織としてはまだまだ弱いから、強い隔者や憤怒者の組織に目をつけられたくないって、中さんがいうの」
たまたま近くを通りがかった親切な覚者の観光客の一団、ということにして欲しいそうだ。
「それじゃあ、がんばって退治してね。いってらっしゃい」
白い壁に青い屋根の建物が、静かにきらめく真夏の海に面した断崖の上に建てられている。建物の間に敷かれた石畳の道は細く短く、移動はもっぱら階段の上り下りだ。ブーゲンビリアの赤い花が心地の良い海風に揺れるたび、白い壁に落ちる青い影も軽やかに揺れて――
ギリシャのサントリーニ島を彷彿とさせるこの景色は、今年の夏から期間限定でオープンするテーマパークだ。プレオープンを明後日に控えたこの日も、多くの職人たちが汗を流しつつ建物の壁に白いペンキを塗っていた。
「うわっ?! 何しやがる、こらっ!」
海に負けないぐらい青く澄みわたった空に怒声が響いた。続けて「やめろ」だの、「ふざけんな」だの、「どこから入ってきたこのガキ!」だの、野太い声が次々とあがる。そこへ皿の割れる音や木のテーブルが押し倒される音がかぶされば、いよいよ騒がしい。こうなれば優雅なリゾート地というよりも、威勢の良い漁師町といったほうがぴったりとくる。
「そっちへ行ったぞ! 捕まえろ!」
怒声に追われて白壁の角から真黒な人型と真っ赤な人型が飛び出してきた。続けてそっくり同じ、真黒な人型と真っ赤な人型が飛び出してきた。
人型たちは骨なしのクネクネとした動きで赤と黒のペンキを白壁に塗りながら、狭い階段をカンカンカン、とけたたましい音をたてて駆け上がっていく。
妖だ。
四体とも両手の先がペンキ用のハケになっており、足にはペンキ缶をはいている。顔はなく、毛もない。全裸、というべきか、服もきていない。
「くそ野郎ども。捕まえてぶん殴ってやる!」
人型たちに遅れること数秒。真っ赤に焼けた鬼瓦、否、怒れる男たちが汚された白壁の角を曲がって姿を現した。
それまでは逃げる一方だった人型たちが、階段を昇り切ったところで立ち止まり、振り返って職人たちを見下した。のっぺりとした顔を水平に割って、ケケケと笑う。
「夏の色といえばやっぱ、情熱の赤と魅惑の黒だよねー」
「病弱の青と無難な白なんて、ダサいよねー」
「塗り替えよう」
「塗り替えよう」
四体はつるりんとした顔を見合わせて頷きあうと、いきなりハケを振るってペンキを飛ばした。
赤いペンキをつけられた職人は燃え上がり、大やけどを負った。
黒いペンキをつけられた職人は鈍い音とともに体の骨が折れた。
●時は現在―――F.I.V.E.会議室にて
「せっかくプレオープンの招待チケットが当たったのに、これじゃあ遊びに行けないよ。お姉ちゃんたちと遊びに行くの、楽しみにしていたのに」
覚者たちを前にして頬を膨らませているのは、夢見三兄弟の末、久方 万里(nCL2000005)だ。
万里によると、三重県某海岸に建設中のテーマパークに四体の妖が現れて、建物の白壁や青い屋根に赤や黒のペンキを塗りたくり、景観を台無しにしてしまうらしい。
「やっつけちゃって」
彼女のオーダーは至極シンプルだった。
F.I.V.E.の活動の第一に『人に害為す存在への対応』がある。とくに、夢見が予知した事件に対し、それを未然に、あるいは被害を最小限に防ぐという任務はF.I.V.E.に所属する覚者の重要な任務だ。
とはいえ、今回、覚者たちに得がないわけではない。
妖たちを素早く退治して、被害を最小限度に抑えることができればテーマパークの運営者に深く感謝されるだろう。結果、オープン前のテーマパークで誰よりも早く夏のバカンスを満喫することができる……はず。
「昼も素敵だけど、夜も星がすごくきれいでロマンチックらしいよ」
万里はうっとりと顔を緩ませると、祈るように組み合わせた手の上に息を落とした。
テーマパーク内には野外プールを備えたホテルのほかにも、ギリシャ料理を出すレストランや、ギリシャの土産物を売る店も多数あるよ、と誰も聞いていないのに長々と説明した。
肝心の妖については――
「妖たちはランク1でそんなに強くない。けど、ちょっと地形がやっかいだよ。工夫して戦ってね」
至極あっさりとした説明に終わった。
「あ、そうだ。F.I.V.E.のことは内緒にしてね。組織としてはまだまだ弱いから、強い隔者や憤怒者の組織に目をつけられたくないって、中さんがいうの」
たまたま近くを通りがかった親切な覚者の観光客の一団、ということにして欲しいそうだ。
「それじゃあ、がんばって退治してね。いってらっしゃい」

■シナリオ詳細
■成功条件
1.四体の妖をすべて撃破する。
2.なし
3.なし
2.なし
3.なし
時間:昼
地形:横幅が狭い階段(1段の横幅は大人2人分、縦幅は大人1人分です)
階段の両脇はレストランなどの店舗になっています。
山)
階段最上段、空スペース
階段の中段Aに「真黒な人型」と「真っ赤な人型」が1体ずつ。
階段の中段B、空スペース。
階段の中段Cに「真っ赤な人型」と「真黒な人型」が1体ずつ。
階段の下段AにF.I.V.E.2名。
階段の下段BにF.I.V.E.2名。
階段の下段CにF.I.V.E.2名。
階段の最下段にF.I.V.E.2名。
海)
※店舗内を抜けて妖たちの後ろ(階段の最上段)に回り込むことができますが、移動に4ターン消費します。移動中は攻撃、集中、その他スキルの使用不可。
※店舗内を抜けて妖たちの間(階段の中段B、空スペース)に入ることができますが、移動に2ターン消費します。移動中は攻撃、集中、その他スキルの使用不可。
※飛行、またはそれに準ずる行動で妖たちの頭上を飛び越す場合、移動に1ターン消費します。妖たちの頭上に留まることはできません。移動中に攻撃、防御は行えません(注意:妖たちは攻撃してきます)。
●妖・物質系
物体に念や力が宿り意思を持ったもの。
動きは遅めのものが多いが、術式は効きづらく耐久力に優れている。
・真黒な人型×2
黒いペンキが妖化したものです。半液状体で、手がハケ、足がペンキ缶になっています。
「魅惑の黒!」…………物近単〔出血〕
「ときめき夏色/黒」…特遠単〔貫3〕
・真っ赤な人型×2
赤いペンキが妖化したものです。半液状体で、手がハケ、足がペンキ缶になっています。
「情熱の赤!」…………物近単〔火傷〕
「ときめき夏色/赤」…特近列
●その他
相談掲示板で各自、初期位置を表明してください。
掲示板に書き込みがあれば、改めてプレイングに書いていただく必要はありません。
階段の下段A……○○、○○ 等
●STコメント
はじめまして、F.I.V.E.に所属する覚者のみなさん。
STのそうすけです。
これより新たなる物語がいよいよ始まります。
ベータシナリオ、よろしくご参加くださいませ。
お待ちしております。
状態
完了
完了
報酬モルコイン
金:0枚 銀:0枚 銅:0枚
金:0枚 銀:0枚 銅:0枚
相談日数
7日
7日
参加費
0LP[+予約0LP]
0LP[+予約0LP]
参加人数
8/8
8/8
公開日
2015年08月16日
2015年08月16日
■メイン参加者 8人■

●
強烈な日差しがふりそそぐ中、白壁が続く路地の一角から奥州 一悟(CL2000076)が飛び出した。路地の真ん中でたたらを踏んで立ち止まると、きょろきょろとあたりを見回し始めた。
『龍皇姫』伊達 龍姫(CL2000291)は腕を上げて、遅れてやってきた少年の注意を引いた。
「……一悟、こっち」
「あ、伊達さん」
一悟は振り向けた顔をほころばせると、待っていた龍姫たちの元へ駆けよった。
「遅くなってごめん」
「初仕事、頑張らなければ……。遅刻はダメ」
怒っているような口ぶりだが、少年を見下ろす龍姫の目は柔らかい。
「もう少しで置いていくところだったんだぞ?」
レモン色の派手なつなぎを着た一条 雷(CL2000912)が、龍姫の後ろから顔を出す。
「それで? 何か見つかったか」
「ペンキ缶が大量に捨てられた場所を見つけた。……けど、まあ、それだけ」
ペンキが妖化した原因は分からなかったらしい。
「……さっと見ただけじゃ、そういうことは、わからない……。とにかくいまは、妖退治が、先……」
直後、けだるい息を落としたのは椿 雪丸(CL2000404)だ。
白壁から背をふらりと離すと、抑揚のない声で言った。
「さっさと片づけて涼もうぜ」
言葉にやる気が感じられないのは、たぶん、うだるようなこの暑さのせい。しかも、いまから退治に向かう妖の見た目が、これまた暑苦しいときている。
普段からアンニュイな雰囲気をまとっている雪丸でなくとも、これにはうんざりしよう。
「まったくだぜ」
黒い耳の先をくったりさせて、メルジーネ マルティエル(CL2000370)があえぎながら同意した。
「よりによって外で戦闘とかだっるい」
獣皮部分は汗をかかない。発汗による気化冷却は望めず、毛の中に熱気がこもる。個人差はあるだろうが、獣憑にとって夏の日差しの下で行われる戦いはつらい。
メルジーネは、小さな日影で涼を取りながら眠りこけている犬を見てうらやんだ。
『クライ・クロウ』碓氷 凛(CL2000208)が、少しでもメルジーネの体を自分の影に入れてやろうと、太陽に向かって動いた。
「ま、迷惑な輩は早期に撃退するに限る。やれる範囲で行くとしますかね」
さりげなく恋人を気遣いながら、凛は騒がしく声の上がる方へ歩きだした。
「ああ。野放しは危険だし、キッチリ退治してやろう」
雷たちが後に続いた。
●
「ご安心召されい、皆の衆。あすかが参上つかまつった、なのよー! 悪いペンキは成敗なのよ!」
『ゆるゆるふああ』鼎 飛鳥(CL2000093)は両腕を広げ、頭のてっぺんから文字通り湯気を立たせる職人たちの前に立っていた。本人は足止めをしているつもりらしいが、通路の幅に腕の長さがぜんぜん足りていない。
足りていないといえば飛鳥が職人たちに投げたセリフもそうだ。安心しろと言われても、どこに安心できる要素かあるというのか。
篠塚・海斗(CL2000783)は、突如現れたサムライ言葉のチビにどうリアクションを返していいのか戸惑う職人たちの顔を見て、ちょっぴり笑ってしまった。
笑い声を聞きつけた職人の一人からギロリとにらまれて、あわてて言葉を足す。
「おいらたちに任せて、ここで待っていて欲しいんさね。こうみえても覚者さ。妖を退治する力を持っているんさ」
職人たちが不服の声を上げたところへ、凛たちが駆けつけてきた。
凛とメルジーネはそのまま足を止めることなく、職人たちの間をするりと抜けると、飛鳥の両脇に分かれて立った。
「どうした、海斗。避難はもうすませたのか?」
「ばっちりさ。店から出ないようにお願いしてきたさね」
「みなさん、建物のなかに入ってくださいなのよーって、あすかたち、言ってまわったのよー」
「ごくろうさん」
メルジーネはニッカリ笑うと、飛鳥の頭に手を伸ばして髪をワシワシみだした。
新たに現れた一団の中に有名な女子プロレスラーの姿を見つけた職人たちは、プロの格闘家がいるなら、と渋々道を譲った。
「にしても、あんたたち、一体どうして。ここはまだオープンしてねえし、第一、妖がでたからって」
「……通りすがりの、観光客です。ちょっと正義感が強いので……」
龍姫はあいまいに笑って、職人たちの横を通り過ぎた。
●
覚者たちはいったん、岸壁の下に小さくへばりつくような港へ向かって急な坂を下った。途中で左に折れて、赤と黒に汚された壁の続く路地を、八つの缶が立てるけたたましい音を頼りに妖を追いかける。
角を曲がって見上げた階段の上に、夢見通りの位置取りで、妖たちが待ち受けていた。
「なんか変なやつらが来たよー」
「なんか変なやつらが来たねー」
追いかけて来たのは、青と白ばかりえこひいきするペンキ塗りたちだと思っていたのに。
「あいつらじゃない、がっかりだねー」
「がっかりだよー」
妖たちは覚者たちを見下ろして、不満たらたらだ。
「うるせえ! なにががっかりだ、だ」
先陣を切って一悟と海斗が階段を駆けあがる。つづいて龍姫、凛が、そのあとに雪丸と雷、飛鳥とメルジーネがそれぞれ位置についた。
「……50秒だけ、時間稼いで」
一悟は龍姫の声を背中で聞きながら、体内に宿る炎を活性させた。彩の刺青が、肩甲骨の間で静かに燃え立つ。
「やい、偽物! このオレが本物の『情熱の赤』ってやつを教えてやるぜ!」
事前の打ち合わせでは、龍姫と雷が戦闘開始直後に離脱、階段の両サイドにある店の中を通ってこっそりと妖たちの背後に出ることになっていた。階段の下からは攻撃の届きにくい上段の妖を直接たたき、早期に決着をつけるためだ。
「あと、黒ペンキ! 黒なんてちっとも夏っぽくねーんだよ! 冬まで引っ込んでろ!」
こちらの思惑を悟られないよう、一悟は妖たちを挑発した。
「黒は夏を極めた色だよー!」
「お前に情熱の赤のなにが分かるんだよー!」
怒ったペンキたちが、一悟の体に黒と赤の色を刷く。
「うぉっ!」
続けて階段上の黒ペンキが、刷毛の手を大きく振ってペンキを一直線に飛ばしてきた。
「みんなも黒にときめくといいよー!」
ペンキが体にかかるギリギリのタイミングを見極めて、龍姫と雷は同時に左右の店に飛び込みを図った。
龍姫はリングで鍛え上げたしなやかな動きで、雷は守護使役の御力からなる抜き足で。
どうやら妖たちに気づかれることなく行動に移れたようだ。
(俺たちが回り込むまで、持ちこたえてくれよ)
階段上の赤ペンキが、攻撃に参加できない悔しさから地団駄を踏んだ。
「おい、静かにしろ。よけいに暑苦しく感じるじゃないか。ポケットの飴が溶けちまうだろ」
発した言葉とは裏腹に、雪丸の表情はフラットなままだ。首筋の刺青だけが、力の目覚めを受けて黒く燃え揺らいでいる。
大数珠をかけた手を物憂げに上げて念じると、癒しの滴を一悟の体に降りかけた。
(――しきれなかったか)
雪丸は厄介な貫通攻撃持ちがいることを念頭に、仲間の総崩れを防ぐため、早めの立て直しを心掛けていた。それゆえ、自分の一手でダメージを癒やし切れなかったと判断するや、すぐさまもう一人の回復手に指示を飛ばした。
「鼎、引き続き奥州の回復を頼む」
「了解なのよ。お任せくださいなのよー」
飛鳥が元気よくステックを振るう。
傷ついた者に降り注がれる癒しの滴に、夏の日差しが小さな虹の橋をかけた。
「さあさあ、季節外れの霧のお時間です」
一番下からメルジーネが、妖たちの周りに動きを封じるねっとりとした霧を発生させた。
「下手に動かれる前に使っておくのは基本だよねぇ」と、とぼけ調子でつぶやく。
「さて、と……何処までやれるかね……」
凛の髪の色が黒から銀へ変じていた。目の色も、闘争心のアップとともに紫へ変わっている。
土の鎧を体にまとうと、下の段にいる雪丸、そしてメルジーネと飛鳥をいつでもかばえるように真ん中へ移動した。
「これが俺本来の役目だからな。後ろへは攻撃を一切通させん」
「攻撃なんてさせねぇさ。ここからはおいらたちのターンさね。だから、碓氷の兄さんも一緒に殴るといいさ」
海斗もまた、土の鎧を体にまとっていた。
一悟が立ち上がって拳を握る。
反撃の準備は整いつつあった。
あとは、龍姫と雷の再登場を待つだけだ。
「なにおー!」
「人間のくせに、生意気だねー!」
霧に手足を絡め取られて動きが鈍った代わりに、妖たちは減らず口をたたく。
海斗はちょっと困ったような顔をした。
「貴方色に染める、なんて言葉遊びは遥か古の時代からあるものだけれど、あんた達の暴力的なそれはちょっとばかり無粋過ぎるんさね」
若いのにじじむさい言葉使いで妖たちの行いをたしなめながら、顕現させた大地の力で小太刀を強化する。
「三千世界の何処にもあんた達の居場所はないんさ、さっさと退場願うさね」
力みのない優雅な太刀筋で、海斗は下の段の黒ペンキに切りかかった。
黒い体が肩から腹にかけてざっくり割れるも、すぐ元の形に戻ってしまった。
「術式が効きにくいのは、確かみえてだな」
ならば、と一悟は黒ペンキの腹に正拳を見舞った。
ぐう、とどこからか空気の抜けたような音を漏らして、妖が体を二つに折る。
「よくもやったなー!」
ピンチの仲間を救うべく、赤ペンキが刷毛を振り上げた。
赤く塗られた海斗の体がたちまち燃え上がる。
なおも刷毛を振るう赤ペンキに、射線が通った瞬間を逃さず、メルジーネがライフル弾を見舞った。
頭の半分が赤い塗料を散らしながら派手に吹き飛ぶ。
「うーん、銃は実弾に限る。神秘じゃ味気なくてつまらん」
「ひいい……スプラッタなのよー。あすか、ちょっとだけびっくりしたのよ」
飛鳥は大げさに震えながら術式を行った。
火傷は癒し切れなかったものの、海斗のダメージがほぼ回復しているのを確認して、雪丸も攻撃に回る。
体を折り曲げている黒ペンキに水礫を放ち、さらにダメージを与えた。
前列の妖二体が怯んでいるすきに、雪丸と凛がすばやく立ち位置を入れ替えた。
「黒でも赤でも何でもいい、面倒を起こしてくれるな」
凛は脛から下を鋼鉄化させると、頭部の半分を失った赤ペンキの脇腹を回し蹴った。
赤ペンキの体が勢いよく横へ飛び、隣の黒ペンキを巻き添えにしながら倒れる。
ぽっかりと空きができたところへ、上段からもう一体の黒ペンキが縦に長い攻撃を通してきた。
凛と後ろにいた海斗、その下にいたメルジーネの体に重みのある黒い塗料が落ちた。
小さく乾いた音をたてて、土の鎧にヒビが入る。
とりわけ最前列にいた凛のダメージは大きく、土の鎧の一部が欠け落ちてしまった。
「ぐっ……!」
赤ペンキの下敷きになった黒ペンキも、一悟の足を狙って横へ刷毛を振るった。
盾となる者たちがみな崩れると、妖たちの前に立っているのは雪丸と飛鳥だけになった。
そこへ、上段の赤ペンキが無傷のまま階段を降りようとしていた。
●
「真っ赤に燃えて、夏本番しちゃうよー!」
やっと出番が来た、と赤ペンキは喜んだ。
カンと甲高い音をたてて、片足を下の段に降ろす。集中するしかやることがなかったが、これでやっと――
「黒も赤も地味なんだよ! 黄色に塗り替えてやるぜ!」
味方のピンチに俺、推参!
「はぁ?!」
振り向いた赤ペンキの顔面に、雷は靴底を食らわせた。
完全不意打ちだったが、赤ペンキを下へ蹴落とすにはいたらなかった。
ねじれながらしなった赤ペンキの上半身が、反動で戻ってきた。むやみに刷毛が振り回される。
「あちっ! ……って、あー?!」
腹のあたりに熱を感じて見下ろすと、黄色いつなぎに赤い色が散っていた。見ている間にも、ぽつ、ぽつ、と赤い塗料が燃えて穴があいてく。
「黒もつけてやるよー!」
呆然としている雷を、黒ペンキが嬉々として殴りにかかる。
「……貴様の相手は私」
龍姫は店から飛び出すなり、黒ペンキの頭部へ炎のナックルパンチを立て続けにたたき込んだ。
きっちり5カウント以内でいったん拳を引く。レフリーはいないというのに、律儀だ。
黒ペンキは多少ふらついていたが、しっかりと立っていた。元が黒いだけに、火炎の効果は見て取れない。
「仲間の赤い色を使ってやったなー! 裏切りもの、仕返ししてやるー」
龍姫は逆切れ気味に振るわれた刷毛を難なくかわした。
「……フッ、動きは…遅いけど……。存外、タフだね……」
対戦相手としては物足りないものを感じるが、そのタフさはスパークリングの相手としてなら申し分ない。引き出した英霊の力を存分に振舞えるというものだ。
「……いくよ。もう、被害は出させない……!」
雑念を落として、戦いの感覚を研ぎ澄ませると、龍姫はただひたすら炎に包まれたナックルを黒ペンキに打ち込み始めた。
ぺち、ぺちっと、黒い塗料がちぎれ落ちていく。
だんだんと小さくなっていく黒ペンキの後ろに、懸命に仲間の回復を行う雪丸と飛鳥の姿が見えた。
「俺もやるぜ。黄色は天よりかけ下る雷! その威力、とくと味わいやがれ!」
地上に落ちてなお、跳ね狂う稲妻のごとく。
雷が赤ペンキと黒ペンキに激しく切りかかる。
一悟が店の壁を蹴って飛び、妖たちの間に割り込んだ。上段黒ペンキの背後を取ると、腕をくの字に曲げて構えた。
「伊達さん!」
意図をくみ取った龍姫は無言でうなずくと、腕をくの字に折り曲げた。
上から龍姫が、下から一悟がショート・ラリアットを仕掛ける。
みごとにクロス・ボンバーが決まって、黒ペンキはマットならぬ階段に沈んだ。
その下では凛が、硬化した拳で赤ペンキを連打していた。
海斗が、仲間の体の下からはい出た黒ペンキの逃げ道を塞ぐように立ちはだかる。
「あんた達の魅惑も情熱もそんな程度なんさね、あーあ興ざめさねぇ?」
あおられて怒った黒ペンキだったが、海斗へ殴りかかる前にメルジーネに狙撃されて倒れた。
「こっちもトドメ、行くぜ。来い、海斗!」
「はいさ!」
雷の呼びかけに応えて駆けあがる勢いのまま、海斗が小太刀を上段赤ペンキの背に振りおろす。
最後に、天の力を集めて眩く光る雷の拳が赤ペンキの体をぶち抜いた。
●
妖退治の後、雷と一悟はペンキの塗り直しを買って出ていた。
人目につきやすい部分は職人たちに任せ、思いもよらないところまで飛んでいる黒と赤の色を見つけては、ふたりしてマメに色を塗り替えていく。
「終わったぜ。ここで最後だと思う」
「よし、これでなんとかオープンできそうだな」
夕日を受けて腰を伸ばしたふたりの汗を、涼を含んだ海風が優しく拭い去っていく。
頭を下げると、ホテルのプールで泳ぐカップルの姿が見えた。
凛とメルジーネだ。
縁いっぱいに水が張られたプールは、上から見ても海と一続きしているように感じられる。
たがいの腰に腕を回してプールの縁のそばに立ったふたりには、さぞ素敵な景色が見えていることだろう。
「よーし、それじゃもうひと泳ぎだ。凛、付き合えー。拒否権はないのでそのつもりでよろしく」
「そういうだろうと思ってた」
苦笑しつつも、はいはい、と恋人に手をひかれるがままプールの中央へ戻って行く。
カップルたちがしぶきを上げて泳ぐプールの横では、雪丸と龍姫、海斗の三人が海を見下せるテラス席でメニューを広げていた。
足元にはお土産の入った紙袋が置かれている。
「ギリシャ風ってのがピンとこねぇけど、どんな料理があるんだか」と雪丸。
「おいらもギリシャ料理、食べた事ないんさ。どんな味かな、やっぱり魚介類中心さね?」
メニューとにらめっこしながら海斗。
あれこれ悩んだ末に、結局、注文はシェフのおすすめコースに落ち着いた。
まだ水平線に薄く橙色が残っているというのに、頭上では早くも無数の星がきらめきはじめた。テーブルのキャンドルに火がともされる。
「……ふむ。……ギリシャって本当にこういういいところ…なのかな…?」
龍姫は運ばれてきたプサリー・アラ・スペチョッタ――赤魚のオーブン焼きにレモンを絞りかけながら、夜空を見上げた。
(……あとで…プールに入りながら、ゆっくり眺めよう)
船が港へ向かって音もなく海を進んでいく。
「ごくろうさんなのよー。冷たいレモンアイスを頂くといいのよ」
飛鳥がアイスクリームを手に歩いてきた。
「ころんさんのお口直しに抹茶アイスがよかったけど、なかったのよー」
はい、といってレモンアイスを持った腕を屋根の上へ伸ばす。
「サンキュー」
「ありがとうな」
飛鳥は虫の守護使役であるころんに、妖の元となったペンキ缶や刷毛を一部除いて食べさせていた。万が一にも復活させないようにするためだ。
残りは供養のためにとってある。
雷はレモンアイスを食べ終えると、赤い夕陽と黒い花のシルエットを、お洒落に描いた看板を手に立ちあがった。
「あ、一条さん。ちょうどいい場所があるんだ」
一悟も立ちあがる。
「戦いの前にオレが見つけた、妖たちの捨てられた場所。そこからならテーマパークと海が一望できるぜ」
「それじゃあ、そこに埋めて……この看板を立ててやるとするか」
雷と一悟は屋根から飛び降りると、飛鳥を伴って月あかりに浮かぶ細い階段を登って行った。
強烈な日差しがふりそそぐ中、白壁が続く路地の一角から奥州 一悟(CL2000076)が飛び出した。路地の真ん中でたたらを踏んで立ち止まると、きょろきょろとあたりを見回し始めた。
『龍皇姫』伊達 龍姫(CL2000291)は腕を上げて、遅れてやってきた少年の注意を引いた。
「……一悟、こっち」
「あ、伊達さん」
一悟は振り向けた顔をほころばせると、待っていた龍姫たちの元へ駆けよった。
「遅くなってごめん」
「初仕事、頑張らなければ……。遅刻はダメ」
怒っているような口ぶりだが、少年を見下ろす龍姫の目は柔らかい。
「もう少しで置いていくところだったんだぞ?」
レモン色の派手なつなぎを着た一条 雷(CL2000912)が、龍姫の後ろから顔を出す。
「それで? 何か見つかったか」
「ペンキ缶が大量に捨てられた場所を見つけた。……けど、まあ、それだけ」
ペンキが妖化した原因は分からなかったらしい。
「……さっと見ただけじゃ、そういうことは、わからない……。とにかくいまは、妖退治が、先……」
直後、けだるい息を落としたのは椿 雪丸(CL2000404)だ。
白壁から背をふらりと離すと、抑揚のない声で言った。
「さっさと片づけて涼もうぜ」
言葉にやる気が感じられないのは、たぶん、うだるようなこの暑さのせい。しかも、いまから退治に向かう妖の見た目が、これまた暑苦しいときている。
普段からアンニュイな雰囲気をまとっている雪丸でなくとも、これにはうんざりしよう。
「まったくだぜ」
黒い耳の先をくったりさせて、メルジーネ マルティエル(CL2000370)があえぎながら同意した。
「よりによって外で戦闘とかだっるい」
獣皮部分は汗をかかない。発汗による気化冷却は望めず、毛の中に熱気がこもる。個人差はあるだろうが、獣憑にとって夏の日差しの下で行われる戦いはつらい。
メルジーネは、小さな日影で涼を取りながら眠りこけている犬を見てうらやんだ。
『クライ・クロウ』碓氷 凛(CL2000208)が、少しでもメルジーネの体を自分の影に入れてやろうと、太陽に向かって動いた。
「ま、迷惑な輩は早期に撃退するに限る。やれる範囲で行くとしますかね」
さりげなく恋人を気遣いながら、凛は騒がしく声の上がる方へ歩きだした。
「ああ。野放しは危険だし、キッチリ退治してやろう」
雷たちが後に続いた。
●
「ご安心召されい、皆の衆。あすかが参上つかまつった、なのよー! 悪いペンキは成敗なのよ!」
『ゆるゆるふああ』鼎 飛鳥(CL2000093)は両腕を広げ、頭のてっぺんから文字通り湯気を立たせる職人たちの前に立っていた。本人は足止めをしているつもりらしいが、通路の幅に腕の長さがぜんぜん足りていない。
足りていないといえば飛鳥が職人たちに投げたセリフもそうだ。安心しろと言われても、どこに安心できる要素かあるというのか。
篠塚・海斗(CL2000783)は、突如現れたサムライ言葉のチビにどうリアクションを返していいのか戸惑う職人たちの顔を見て、ちょっぴり笑ってしまった。
笑い声を聞きつけた職人の一人からギロリとにらまれて、あわてて言葉を足す。
「おいらたちに任せて、ここで待っていて欲しいんさね。こうみえても覚者さ。妖を退治する力を持っているんさ」
職人たちが不服の声を上げたところへ、凛たちが駆けつけてきた。
凛とメルジーネはそのまま足を止めることなく、職人たちの間をするりと抜けると、飛鳥の両脇に分かれて立った。
「どうした、海斗。避難はもうすませたのか?」
「ばっちりさ。店から出ないようにお願いしてきたさね」
「みなさん、建物のなかに入ってくださいなのよーって、あすかたち、言ってまわったのよー」
「ごくろうさん」
メルジーネはニッカリ笑うと、飛鳥の頭に手を伸ばして髪をワシワシみだした。
新たに現れた一団の中に有名な女子プロレスラーの姿を見つけた職人たちは、プロの格闘家がいるなら、と渋々道を譲った。
「にしても、あんたたち、一体どうして。ここはまだオープンしてねえし、第一、妖がでたからって」
「……通りすがりの、観光客です。ちょっと正義感が強いので……」
龍姫はあいまいに笑って、職人たちの横を通り過ぎた。
●
覚者たちはいったん、岸壁の下に小さくへばりつくような港へ向かって急な坂を下った。途中で左に折れて、赤と黒に汚された壁の続く路地を、八つの缶が立てるけたたましい音を頼りに妖を追いかける。
角を曲がって見上げた階段の上に、夢見通りの位置取りで、妖たちが待ち受けていた。
「なんか変なやつらが来たよー」
「なんか変なやつらが来たねー」
追いかけて来たのは、青と白ばかりえこひいきするペンキ塗りたちだと思っていたのに。
「あいつらじゃない、がっかりだねー」
「がっかりだよー」
妖たちは覚者たちを見下ろして、不満たらたらだ。
「うるせえ! なにががっかりだ、だ」
先陣を切って一悟と海斗が階段を駆けあがる。つづいて龍姫、凛が、そのあとに雪丸と雷、飛鳥とメルジーネがそれぞれ位置についた。
「……50秒だけ、時間稼いで」
一悟は龍姫の声を背中で聞きながら、体内に宿る炎を活性させた。彩の刺青が、肩甲骨の間で静かに燃え立つ。
「やい、偽物! このオレが本物の『情熱の赤』ってやつを教えてやるぜ!」
事前の打ち合わせでは、龍姫と雷が戦闘開始直後に離脱、階段の両サイドにある店の中を通ってこっそりと妖たちの背後に出ることになっていた。階段の下からは攻撃の届きにくい上段の妖を直接たたき、早期に決着をつけるためだ。
「あと、黒ペンキ! 黒なんてちっとも夏っぽくねーんだよ! 冬まで引っ込んでろ!」
こちらの思惑を悟られないよう、一悟は妖たちを挑発した。
「黒は夏を極めた色だよー!」
「お前に情熱の赤のなにが分かるんだよー!」
怒ったペンキたちが、一悟の体に黒と赤の色を刷く。
「うぉっ!」
続けて階段上の黒ペンキが、刷毛の手を大きく振ってペンキを一直線に飛ばしてきた。
「みんなも黒にときめくといいよー!」
ペンキが体にかかるギリギリのタイミングを見極めて、龍姫と雷は同時に左右の店に飛び込みを図った。
龍姫はリングで鍛え上げたしなやかな動きで、雷は守護使役の御力からなる抜き足で。
どうやら妖たちに気づかれることなく行動に移れたようだ。
(俺たちが回り込むまで、持ちこたえてくれよ)
階段上の赤ペンキが、攻撃に参加できない悔しさから地団駄を踏んだ。
「おい、静かにしろ。よけいに暑苦しく感じるじゃないか。ポケットの飴が溶けちまうだろ」
発した言葉とは裏腹に、雪丸の表情はフラットなままだ。首筋の刺青だけが、力の目覚めを受けて黒く燃え揺らいでいる。
大数珠をかけた手を物憂げに上げて念じると、癒しの滴を一悟の体に降りかけた。
(――しきれなかったか)
雪丸は厄介な貫通攻撃持ちがいることを念頭に、仲間の総崩れを防ぐため、早めの立て直しを心掛けていた。それゆえ、自分の一手でダメージを癒やし切れなかったと判断するや、すぐさまもう一人の回復手に指示を飛ばした。
「鼎、引き続き奥州の回復を頼む」
「了解なのよ。お任せくださいなのよー」
飛鳥が元気よくステックを振るう。
傷ついた者に降り注がれる癒しの滴に、夏の日差しが小さな虹の橋をかけた。
「さあさあ、季節外れの霧のお時間です」
一番下からメルジーネが、妖たちの周りに動きを封じるねっとりとした霧を発生させた。
「下手に動かれる前に使っておくのは基本だよねぇ」と、とぼけ調子でつぶやく。
「さて、と……何処までやれるかね……」
凛の髪の色が黒から銀へ変じていた。目の色も、闘争心のアップとともに紫へ変わっている。
土の鎧を体にまとうと、下の段にいる雪丸、そしてメルジーネと飛鳥をいつでもかばえるように真ん中へ移動した。
「これが俺本来の役目だからな。後ろへは攻撃を一切通させん」
「攻撃なんてさせねぇさ。ここからはおいらたちのターンさね。だから、碓氷の兄さんも一緒に殴るといいさ」
海斗もまた、土の鎧を体にまとっていた。
一悟が立ち上がって拳を握る。
反撃の準備は整いつつあった。
あとは、龍姫と雷の再登場を待つだけだ。
「なにおー!」
「人間のくせに、生意気だねー!」
霧に手足を絡め取られて動きが鈍った代わりに、妖たちは減らず口をたたく。
海斗はちょっと困ったような顔をした。
「貴方色に染める、なんて言葉遊びは遥か古の時代からあるものだけれど、あんた達の暴力的なそれはちょっとばかり無粋過ぎるんさね」
若いのにじじむさい言葉使いで妖たちの行いをたしなめながら、顕現させた大地の力で小太刀を強化する。
「三千世界の何処にもあんた達の居場所はないんさ、さっさと退場願うさね」
力みのない優雅な太刀筋で、海斗は下の段の黒ペンキに切りかかった。
黒い体が肩から腹にかけてざっくり割れるも、すぐ元の形に戻ってしまった。
「術式が効きにくいのは、確かみえてだな」
ならば、と一悟は黒ペンキの腹に正拳を見舞った。
ぐう、とどこからか空気の抜けたような音を漏らして、妖が体を二つに折る。
「よくもやったなー!」
ピンチの仲間を救うべく、赤ペンキが刷毛を振り上げた。
赤く塗られた海斗の体がたちまち燃え上がる。
なおも刷毛を振るう赤ペンキに、射線が通った瞬間を逃さず、メルジーネがライフル弾を見舞った。
頭の半分が赤い塗料を散らしながら派手に吹き飛ぶ。
「うーん、銃は実弾に限る。神秘じゃ味気なくてつまらん」
「ひいい……スプラッタなのよー。あすか、ちょっとだけびっくりしたのよ」
飛鳥は大げさに震えながら術式を行った。
火傷は癒し切れなかったものの、海斗のダメージがほぼ回復しているのを確認して、雪丸も攻撃に回る。
体を折り曲げている黒ペンキに水礫を放ち、さらにダメージを与えた。
前列の妖二体が怯んでいるすきに、雪丸と凛がすばやく立ち位置を入れ替えた。
「黒でも赤でも何でもいい、面倒を起こしてくれるな」
凛は脛から下を鋼鉄化させると、頭部の半分を失った赤ペンキの脇腹を回し蹴った。
赤ペンキの体が勢いよく横へ飛び、隣の黒ペンキを巻き添えにしながら倒れる。
ぽっかりと空きができたところへ、上段からもう一体の黒ペンキが縦に長い攻撃を通してきた。
凛と後ろにいた海斗、その下にいたメルジーネの体に重みのある黒い塗料が落ちた。
小さく乾いた音をたてて、土の鎧にヒビが入る。
とりわけ最前列にいた凛のダメージは大きく、土の鎧の一部が欠け落ちてしまった。
「ぐっ……!」
赤ペンキの下敷きになった黒ペンキも、一悟の足を狙って横へ刷毛を振るった。
盾となる者たちがみな崩れると、妖たちの前に立っているのは雪丸と飛鳥だけになった。
そこへ、上段の赤ペンキが無傷のまま階段を降りようとしていた。
●
「真っ赤に燃えて、夏本番しちゃうよー!」
やっと出番が来た、と赤ペンキは喜んだ。
カンと甲高い音をたてて、片足を下の段に降ろす。集中するしかやることがなかったが、これでやっと――
「黒も赤も地味なんだよ! 黄色に塗り替えてやるぜ!」
味方のピンチに俺、推参!
「はぁ?!」
振り向いた赤ペンキの顔面に、雷は靴底を食らわせた。
完全不意打ちだったが、赤ペンキを下へ蹴落とすにはいたらなかった。
ねじれながらしなった赤ペンキの上半身が、反動で戻ってきた。むやみに刷毛が振り回される。
「あちっ! ……って、あー?!」
腹のあたりに熱を感じて見下ろすと、黄色いつなぎに赤い色が散っていた。見ている間にも、ぽつ、ぽつ、と赤い塗料が燃えて穴があいてく。
「黒もつけてやるよー!」
呆然としている雷を、黒ペンキが嬉々として殴りにかかる。
「……貴様の相手は私」
龍姫は店から飛び出すなり、黒ペンキの頭部へ炎のナックルパンチを立て続けにたたき込んだ。
きっちり5カウント以内でいったん拳を引く。レフリーはいないというのに、律儀だ。
黒ペンキは多少ふらついていたが、しっかりと立っていた。元が黒いだけに、火炎の効果は見て取れない。
「仲間の赤い色を使ってやったなー! 裏切りもの、仕返ししてやるー」
龍姫は逆切れ気味に振るわれた刷毛を難なくかわした。
「……フッ、動きは…遅いけど……。存外、タフだね……」
対戦相手としては物足りないものを感じるが、そのタフさはスパークリングの相手としてなら申し分ない。引き出した英霊の力を存分に振舞えるというものだ。
「……いくよ。もう、被害は出させない……!」
雑念を落として、戦いの感覚を研ぎ澄ませると、龍姫はただひたすら炎に包まれたナックルを黒ペンキに打ち込み始めた。
ぺち、ぺちっと、黒い塗料がちぎれ落ちていく。
だんだんと小さくなっていく黒ペンキの後ろに、懸命に仲間の回復を行う雪丸と飛鳥の姿が見えた。
「俺もやるぜ。黄色は天よりかけ下る雷! その威力、とくと味わいやがれ!」
地上に落ちてなお、跳ね狂う稲妻のごとく。
雷が赤ペンキと黒ペンキに激しく切りかかる。
一悟が店の壁を蹴って飛び、妖たちの間に割り込んだ。上段黒ペンキの背後を取ると、腕をくの字に曲げて構えた。
「伊達さん!」
意図をくみ取った龍姫は無言でうなずくと、腕をくの字に折り曲げた。
上から龍姫が、下から一悟がショート・ラリアットを仕掛ける。
みごとにクロス・ボンバーが決まって、黒ペンキはマットならぬ階段に沈んだ。
その下では凛が、硬化した拳で赤ペンキを連打していた。
海斗が、仲間の体の下からはい出た黒ペンキの逃げ道を塞ぐように立ちはだかる。
「あんた達の魅惑も情熱もそんな程度なんさね、あーあ興ざめさねぇ?」
あおられて怒った黒ペンキだったが、海斗へ殴りかかる前にメルジーネに狙撃されて倒れた。
「こっちもトドメ、行くぜ。来い、海斗!」
「はいさ!」
雷の呼びかけに応えて駆けあがる勢いのまま、海斗が小太刀を上段赤ペンキの背に振りおろす。
最後に、天の力を集めて眩く光る雷の拳が赤ペンキの体をぶち抜いた。
●
妖退治の後、雷と一悟はペンキの塗り直しを買って出ていた。
人目につきやすい部分は職人たちに任せ、思いもよらないところまで飛んでいる黒と赤の色を見つけては、ふたりしてマメに色を塗り替えていく。
「終わったぜ。ここで最後だと思う」
「よし、これでなんとかオープンできそうだな」
夕日を受けて腰を伸ばしたふたりの汗を、涼を含んだ海風が優しく拭い去っていく。
頭を下げると、ホテルのプールで泳ぐカップルの姿が見えた。
凛とメルジーネだ。
縁いっぱいに水が張られたプールは、上から見ても海と一続きしているように感じられる。
たがいの腰に腕を回してプールの縁のそばに立ったふたりには、さぞ素敵な景色が見えていることだろう。
「よーし、それじゃもうひと泳ぎだ。凛、付き合えー。拒否権はないのでそのつもりでよろしく」
「そういうだろうと思ってた」
苦笑しつつも、はいはい、と恋人に手をひかれるがままプールの中央へ戻って行く。
カップルたちがしぶきを上げて泳ぐプールの横では、雪丸と龍姫、海斗の三人が海を見下せるテラス席でメニューを広げていた。
足元にはお土産の入った紙袋が置かれている。
「ギリシャ風ってのがピンとこねぇけど、どんな料理があるんだか」と雪丸。
「おいらもギリシャ料理、食べた事ないんさ。どんな味かな、やっぱり魚介類中心さね?」
メニューとにらめっこしながら海斗。
あれこれ悩んだ末に、結局、注文はシェフのおすすめコースに落ち着いた。
まだ水平線に薄く橙色が残っているというのに、頭上では早くも無数の星がきらめきはじめた。テーブルのキャンドルに火がともされる。
「……ふむ。……ギリシャって本当にこういういいところ…なのかな…?」
龍姫は運ばれてきたプサリー・アラ・スペチョッタ――赤魚のオーブン焼きにレモンを絞りかけながら、夜空を見上げた。
(……あとで…プールに入りながら、ゆっくり眺めよう)
船が港へ向かって音もなく海を進んでいく。
「ごくろうさんなのよー。冷たいレモンアイスを頂くといいのよ」
飛鳥がアイスクリームを手に歩いてきた。
「ころんさんのお口直しに抹茶アイスがよかったけど、なかったのよー」
はい、といってレモンアイスを持った腕を屋根の上へ伸ばす。
「サンキュー」
「ありがとうな」
飛鳥は虫の守護使役であるころんに、妖の元となったペンキ缶や刷毛を一部除いて食べさせていた。万が一にも復活させないようにするためだ。
残りは供養のためにとってある。
雷はレモンアイスを食べ終えると、赤い夕陽と黒い花のシルエットを、お洒落に描いた看板を手に立ちあがった。
「あ、一条さん。ちょうどいい場所があるんだ」
一悟も立ちあがる。
「戦いの前にオレが見つけた、妖たちの捨てられた場所。そこからならテーマパークと海が一望できるぜ」
「それじゃあ、そこに埋めて……この看板を立ててやるとするか」
雷と一悟は屋根から飛び降りると、飛鳥を伴って月あかりに浮かぶ細い階段を登って行った。
■シナリオ結果■
成功
■詳細■
MVP
なし
軽傷
なし
重傷
なし
死亡
なし
称号付与
なし
特殊成果
なし
