【禍津皇子】棄て子の慟哭
●
それは今、確かにそこにいる。存在している。
五樹影虎は、そう思った。
「ほう、さすが本物……あの出来損ない連中たぁ、ヤバさが違うぜ」
影虎が今まで倒してきたのは、人間の自己顕示欲に取り憑く事でしか出現・存在の出来なかったものたちであった。
今、目の前にいる怪物は違う。
何かを利用する事なく、己の存在を維持している。禍々しいほどに力強い姿を、原野の中央に佇ませている。
それが、影虎たちの方を向いた。
「我が分身たちを……ことごとく、狩り滅ぼしてくれたのだな。見事だ」
「今ファイヴで動ける奴ら総出でな。まったく、えらい面倒だったぜ」
「……もう、おやめなさい。貴方は今そこに、確かに存在しておられます」
影虎の、2人いる同行者の1人が言った。
老人である。普段は、五麟学園で用務員をしている。
「存在の証明をなさる必要もないでしょう。あとは、ゆっくりと生き方を考えてゆこうではありませんか。私たちと共に」
「ゆっくり考えるよりも、戦いながら学ぶ方が良い……かも知れぬと思っていたところよ」
怪物は、微笑んでいるようだ。
「この世に存在する事の、痛みと苦しみを教えてくれた者たちがいてな……ふむ、ところで」
小さな生き物が、怪物の巨体を見上げている。
影虎の、もう1人の同行者である。
「こやつは何者か? 我とは似ても似つかぬ……それでいて、どこか我に近いようでもあり」
「光璃。あんたの……そうだな、弟って事になるのかな」
人格者の弟、暴れ者の兄。
自分たちと真逆か、と影虎は思わなくもなかった。
「やさぐれ兄貴の事が、心配でしょうがねえんだとよ」
「弟……だと? こやつ、まさか……」
「そう、私の子だ」
その女性は、いつの間にか、そこにいた。
「ちなみに父はおらぬ」
「貴様……!」
「あの男はな、神としての権能を全て失い……今や誰にも相手にされぬまま隠居の身だ。惨めなものよ、だから許してやれ」
美しく、そして暗い女性。陰惨な美貌が、俯き加減に微笑んでいる。
どのような怪我をしているものか、左手に包帯が巻かれていた。いや、本当に怪我なのか。
「お前の憎しみは……だから、私が受ける。この世の私は、力なき生ける屍。叩き潰すのは容易い事よ」
「憎しみ、だと……馬鹿め、今更! 貴様など! 貴様など! きさま、などぉおおおッ!」
「めちゃくちゃ意識してんじゃねえか……!」
影虎は、荒れ狂う怪物と女性との間に立ちふさがった。
光璃が、それに並んだ。短い足でぴょこぴょこと跳躍し、巨大な怪物に何か訴えかけている。
「お下がり、若雷……ではなく、光璃」
女性の声は、物悲しくなるほど優しい。
「お前は、私など放っておかなければいけない。お行き、自分の道を」
「このような事で、罰を受けたような気になってはいけない。光璃さんは、そう言っておられます」
老人が言った。
「それが、光璃さんの道なのですよ。黄泉大神様」
「爺さん、超大至急あいつらに連絡してくれ」
じたばた暴れる光璃を、影虎は老人に押し付けた。
そして、吼え狂う怪物と対峙する。
「それまでは俺が……おい馬鹿兄貴! 可愛い弟の言う事はな、聞くもんだぜ」
それは今、確かにそこにいる。存在している。
五樹影虎は、そう思った。
「ほう、さすが本物……あの出来損ない連中たぁ、ヤバさが違うぜ」
影虎が今まで倒してきたのは、人間の自己顕示欲に取り憑く事でしか出現・存在の出来なかったものたちであった。
今、目の前にいる怪物は違う。
何かを利用する事なく、己の存在を維持している。禍々しいほどに力強い姿を、原野の中央に佇ませている。
それが、影虎たちの方を向いた。
「我が分身たちを……ことごとく、狩り滅ぼしてくれたのだな。見事だ」
「今ファイヴで動ける奴ら総出でな。まったく、えらい面倒だったぜ」
「……もう、おやめなさい。貴方は今そこに、確かに存在しておられます」
影虎の、2人いる同行者の1人が言った。
老人である。普段は、五麟学園で用務員をしている。
「存在の証明をなさる必要もないでしょう。あとは、ゆっくりと生き方を考えてゆこうではありませんか。私たちと共に」
「ゆっくり考えるよりも、戦いながら学ぶ方が良い……かも知れぬと思っていたところよ」
怪物は、微笑んでいるようだ。
「この世に存在する事の、痛みと苦しみを教えてくれた者たちがいてな……ふむ、ところで」
小さな生き物が、怪物の巨体を見上げている。
影虎の、もう1人の同行者である。
「こやつは何者か? 我とは似ても似つかぬ……それでいて、どこか我に近いようでもあり」
「光璃。あんたの……そうだな、弟って事になるのかな」
人格者の弟、暴れ者の兄。
自分たちと真逆か、と影虎は思わなくもなかった。
「やさぐれ兄貴の事が、心配でしょうがねえんだとよ」
「弟……だと? こやつ、まさか……」
「そう、私の子だ」
その女性は、いつの間にか、そこにいた。
「ちなみに父はおらぬ」
「貴様……!」
「あの男はな、神としての権能を全て失い……今や誰にも相手にされぬまま隠居の身だ。惨めなものよ、だから許してやれ」
美しく、そして暗い女性。陰惨な美貌が、俯き加減に微笑んでいる。
どのような怪我をしているものか、左手に包帯が巻かれていた。いや、本当に怪我なのか。
「お前の憎しみは……だから、私が受ける。この世の私は、力なき生ける屍。叩き潰すのは容易い事よ」
「憎しみ、だと……馬鹿め、今更! 貴様など! 貴様など! きさま、などぉおおおッ!」
「めちゃくちゃ意識してんじゃねえか……!」
影虎は、荒れ狂う怪物と女性との間に立ちふさがった。
光璃が、それに並んだ。短い足でぴょこぴょこと跳躍し、巨大な怪物に何か訴えかけている。
「お下がり、若雷……ではなく、光璃」
女性の声は、物悲しくなるほど優しい。
「お前は、私など放っておかなければいけない。お行き、自分の道を」
「このような事で、罰を受けたような気になってはいけない。光璃さんは、そう言っておられます」
老人が言った。
「それが、光璃さんの道なのですよ。黄泉大神様」
「爺さん、超大至急あいつらに連絡してくれ」
じたばた暴れる光璃を、影虎は老人に押し付けた。
そして、吼え狂う怪物と対峙する。
「それまでは俺が……おい馬鹿兄貴! 可愛い弟の言う事はな、聞くもんだぜ」

■シナリオ詳細
■成功条件
1.古妖・ヒルコの撃破
2.なし
3.なし
2.なし
3.なし
シリーズシナリオ『禍津皇子』最終回。ここまでのお付き合い、ありがとうございました。
某県、夕刻の原野で、とある女性が古妖・ヒルコの前に身を晒しております。
現在、ファイヴの覚者・五樹影虎が、彼女の盾となってヒルコと戦い、ボコボコにされているところであります。
近くには女性の他、1人の老人と古妖・光璃がいますが全員、戦闘能力は持っておらず、このままでは4名ともヒルコに殺されてしまうかも知れません。
そこへ、覚者の皆様に駆け付けていただきます。
暴れ狂うヒルコを、戦って負かせて止めて下さい。
古妖・ヒルコの攻撃手段は以下の通り。
疑似・飛燕
疑似・雷獣
疑似・B.O.T.
疑似・鋭刃想脚
疑似・火焔連弾
疑似・エアブリット
疑似・鉄甲掌
全て破壊力、攻撃範囲、消耗、BSにいたるまでオリジナルと同じであります。
これらに加えて、光弾(特遠、単または列または全。BS封印2)を放つ他、力任せの白兵戦を仕掛ける事もあります(物近単、BS超重)。
それでは、よろしくお願い申し上げます。
状態
完了
完了
報酬モルコイン
金:1枚 銀:0枚 銅:0枚
金:1枚 銀:0枚 銅:0枚
相談日数
7日
7日
参加費
100LP[+予約50LP]
100LP[+予約50LP]
参加人数
6/6
6/6
公開日
2019年11月11日
2019年11月11日
■メイン参加者 6人■

●
血まみれで吹っ飛んで来た五樹影虎を、『天を翔ぶ雷霆の龍』成瀬翔(CL2000063)は抱き止めた。
「おい、しっかりしろ影虎!」
「……お前ら……一体、何しやがった……?」
辛うじて聞き取れる声を、影虎は発した。
「あいつ……お前らの技めちゃくちゃ使いこなしてきやがるぞ……」
「ごめん。本当にごめん」
影虎を吹っ飛ばした敵の眼前に、『エリニュスの翼』如月彩吹(CL2001525)が立っている。
「お疲れさん、だったね影虎。それに……」
1人の老人。後肢と尻尾を備えた卵。そして、左腕に包帯を巻いた女性。
その3名を今、彩吹は背後に庇っている。
「……お待たせしたね、浦島さん。光璃」
女性の名前だけを、彩吹は呼ばなかった。軽々しく御名を口に出来る存在ではないのだろう。
彩吹はただ、会釈をした。
そして、敵に向き直る。今は敵として相対するしかない存在。
その姿は、もはや誰にも似てはいなかった。禍々しいほどに力強い、猛々しいほどの異形。
自分の姿をついに獲得したのだ、と翔は思った。
その姿を見据える彩吹の目が、燃え上がる。火行因子の燃焼。
「あとは……私たちに、任せてもらうよ」
「やはり、お前たちが来たか」
異形のものは言った。
ふわりと後方に降り立った『天を舞う雷電の鳳』麻弓紡(CL2000623)に影虎の身体を預けながら、翔は言葉を返す。
「って言うかよ。お前、待ってたんじゃねーのか? オレたちが来るのを。なあヒルコ」
最初は骨のない肉塊であったという怪物が、今は明らかに、頑強な骨格を内包している。
「今のお前は、最初、誰彼構わず襲って暴れてた時とは……違う、よな」
「今1度お前たちと戦わねばならぬ、とは思っていた」
ヒルコが言った。
「そうしなければ、我は……己の存在を、確かめる事が出来ないのだ」
「うーん。ヒルコんってば、お喋り上手になっちゃって」
言いつつ紡が、影虎を介抱している。
心配そうに影虎を見上げる光璃の頭を、紡は撫でた。
「ほらほら光ちゃん。キミのお兄ちゃんね、頑張って成長してる最中ですよー」
「この子が……光璃さん、ですか」
注連縄が巻かれた卵。そんな小さな古妖の姿を、『赤き炎のラガッツァ』ラーラ・ビスコッティ(CL2001080)が屈み込んでまじまじと見つめる。
「あの恐ろしい黄泉の雷神たちの中に、こんな……可愛らしい子が」
「ヒルコんだって可愛いよー、ビスコちゃん」
紡はラーラの手を導いて、光璃を撫でさせた。
「で……せっかく、こうやって弟クンも、それにママンもいるわけだし」
ふわりとしたものを、紡は空中に投げ撒いた。桜の花びら、に見えた。
桜の香気が、覚者たちを包み込む。清廉珀香だった。
「お話し合い、しない手はないと思うよ?」
「話、か……そやつは、ともかく」
ヒルコの眼光が光璃に、そして左腕に包帯を巻いた女性へと向けられる。
「そこな女と……話し合う事など、何もないわぁあああッ!」
「……そうであろうな。だから殺せ、と言っているのだが」
女性が、暗く微笑む。
「……お前たちが、それを止めるのか」
「止めます」
高速で印を切りながら、『探偵見習い』工藤奏空(CL2000955)が言った。
荘厳な曼荼羅絵図が、覚者たちを取り巻くように出現する。防御の術式である。
「俺たちは、貴女を守りますよ。神様は完璧な存在だから、守ってあげる必要はない……俺、そう思っていました。だけど黄泉大神様、貴女は」
「私たち人間と……同じ、でいらっしゃいます」
奏空の言葉を、『陰と陽の橋渡し』賀茂たまき(CL2000994)が継いだ。
「御無礼を申し上げますね。貴女のような完璧からは程遠い御方を、放ってはおけません」
土行の力を宿した術符が、キラキラと舞いながら甲冑に変化し、たまきの細い全身に装着されてゆく。
「お守り、いたします」
「ヒルコ、君だって本当はこんな事したいわけじゃないんだろう?」
奏空の言葉に、ヒルコは微笑んだようだ。
「ふ……ふふっ。何かを、したい……とは一体、いかなる事なのだろうな……」
翼を広げた、その異形にして猛々しい姿が、燃え上がったように翔には見えた。
「わからぬ……我には、わからぬ! 何をしても、お前たちのようには成れぬ!」
「これほどまでに強い……怒りと、憎しみ、なのでしょうか? ともかく、その激情」
ヒルコを見据えるラーラの瞳が、燃えるように赤く発光する。前世の『誰か』との同調。
「いいでしょう。私たちに、ぶつけて下さい。貴方に誰かの命を奪わせはしません」
「よくぞほざいた。ならば、ぶつけてくれよう!」
ヒルコが羽ばたき、地を蹴った。飛翔のような踏み込み。
「貴様たちから、砕け散るがいい!」
「やってごらん」
彩吹が、それを迎え撃った。
黒い翼が烈しくはためき、嵐を巻き起こしながら羽を散らす。
「戦いながら学ぶ、いいじゃないか。教えてあげるよ、ヒルコ」
無数の黒い羽が、嵐に乗って刃と化し、ヒルコの全身に突き刺さった。
「力で解決出来る事なんて、たかが知れてる……それをね、学んでもらうよ」
「影虎、頑張ってくれてサンキューだぜ。あとはオレたちに任せな!」
動きの止まったヒルコを見据えたまま、翔は天空を指差した。
「空丸、やるぜ!」
1羽の守護使役が、空中で高らかに啼きながら勾玉を輝かせる。
その輝きは、電光だった。
雷鳴が轟き、巨大な稲妻がヒルコを直撃していた。
帯電・感電し、よろめくヒルコに、翔はなおも声を投げる。
「こいつがな、オレの仲間……空丸と、力を合わせての雷獣だぜ。なあヒルコ、お前のより威力あるだろ」
「ぐうっ……貴様……!」
「お前さ、力合わせる仲間も友達もいなくて……寂しくねーのか? ずうっと寂しかったんじゃねえのか」
「ほざくな! ほざくなっ、ほざくなぁああああああッ!」
ヒルコの突進が、翔を直撃していた。
分厚く力強い掌が、光を発しながら翔の鳩尾に叩き込まれる。
その光が、激烈に体内を貫通してゆくのを感じながら、翔は血を吐いた。
「ぐふあっ……こ、こいつは……っ」
やってしまった、と翔は思った。
「や、やっぱ覚えちまったんだなぁ……B.O.T.……」
「すごい、すごいよヒルコん。みんなの技の完コピまで出来ちゃうなんて」
紡が、嬉しそうに翼を広げた。
水行の力がしっとりと拡散し、癒しの力となって降り注ぐ。『潤しの雨』が、負傷した翔と影虎の身体に容赦なく染み込んだ。
「1人で頑張ったんだねえ。だけどね、相棒の言う通り……1人で出来る事って、割とすぐ限界が来ちゃうのさ」
辛うじて動ける程度には回復した影虎を、紡は背後に庇った。
「寂しいっていうのが、どういう事か、わかんなくなっちゃうくらい……寂しかったんだよね、ずっと1人っきりで。だからねえヒルコん、ここらで現実を受け入れてもらうよー。キミはもう1人じゃないっていう、新しい現実をね」
影虎が光璃を抱え、老人と女性に避難を促している。
女性が、俯き加減にヒルコの方を見ている。
「ヒルコさん……後で必ず、お母様とお話をして下さいね」
倒れた翔を庇う形に前へ出ながら、たまきが細身を屈め、地面に平手打ちを見舞う。
「もう心をお持ちの貴方です。その心を、言葉にして伝えてあげて下さい。お母様に……」
動きかけたヒルコの身体が、激しくへし曲がる。
地面の一部が鋭利に隆起し、土の槍と化して、下方からヒルコを直撃していた。
「お母様に、ね……沢山たくさん、駄々をこねて下さい」
●
雷獣やB.O.T.、だけではなく火焔連弾まで使いこなすという怪物に向かって、ラーラは片手をかざした。
「覚者の技を、術式を……ことごとく学習・修得してしまうとは……」
たおやかな指先が炎を灯し、燃え盛る魔法陣を空中に描き出す。
その魔法陣から、プロミネンスにも似た炎の渦が噴出し、ヒルコを灼いた。
灼かれながらもヒルコは羽ばたき、踏み込んで来る。
怪鳥の襲撃にも似た蹴りが、彩吹を、翔を、たまきを、一緒くたに薙ぎ払った。
曼荼羅の結界でも防ぎきれぬ衝撃に打ちのめされ、3人は鮮血の霧を散らせて倒れ伏す。
攻撃者であるヒルコもしかし、同じく体液の飛沫を飛ばし、よろめいている。
「紫鋼塞……たまきさんの術式だぜ。お前の馬鹿力の何割かは、お前に跳ね返っちまうぞ」
血まみれの翔が、よろりと立ち上がる。
同じく立ち上がった彩吹が、
「……鋭刃想脚……上手く、使えるようになったじゃないか……」
翼を広げた。猛禽のように……否、邪竜を喰らうガルーダの如く。
「神様は、大人の姿で生まれて成長しないもの……らしいね。だけどヒルコ、赤ちゃんとして生まれた君は今、確実に成長している。もう一息だよ」
使ってはならぬ力を彩吹は今、使おうとしている。ラーラは、そう思った。
「そこから先へ行くには、考えなくちゃいけない……そんなふうに強くなって、自分の存在を証明して! さあ、その後はどうする!?」
「……いぶちゃんも考えようね」
言いつつ紡が、術杖の先端から光を射出する。
「あんまり無茶すると、如月家の微笑み魔人が黙っていないよ。まあ、お説教はボクも付き合うけど」
「大丈夫……だよ、紡……!」
その光が、彩吹の背中を直撃した。
術式による強化を得た彩吹が、そのまま羽ばたき、踏み込んで行く。黒い翼が、光を散らす。
「この件に関してはね、あの男にだってガタガタ言わせはしない!」
鋭利な美脚が、まさに神鳥の鉤爪の如く一閃していた。
禁断の力を宿した鋭刃想脚が、ヒルコを切り裂き、穿ち、吹っ飛ばす。
力尽き墜落し、紡に支えられながら、彩吹は言う。
「こんなふうに、ね……黙らせるから……光璃。これがね、きょうだい喧嘩のコツだよ。とにかく問答無用で落ち着かせる……親子喧嘩、夫婦喧嘩にも応用出来るかな。ねえ黄泉大神様……」
「……あの男との夫婦喧嘩は、もう終わりだ。我が怨み憎しみの塊である子らを、お前たちが鎮めてくれた」
ヒルコの母親である女性が、暗く微笑む。
「その上……その子まで、お前たちに押し付ける事になってしまった。本当に、すまぬと思う」
「…………貴様は……喋るな……」
吹っ飛び倒れていたヒルコが、ゆらりと立ち上がり、吼えた。
「我に関して、何かを語る資格が……貴様にあると思うのかぁあああッ!」
「……その御方に……手を上げては、いけませんよ。ヒルコさん……」
たまきが、奏空に助け起こされ、立ち上がっていた。
「貴方は絶対、後悔します……だから私たちが、お相手します」
「おうよ! 言われるまでもなし、貴様たちから潰す!」
ヒルコが地面を踏み砕き、土を蹴散らし、突進して来る。
それを、奏空が阻む。
「何度でも言うよ。君がやりたいのは、そんな事?」
問いかけと同時に、抜刀。
一閃した光が、ヒルコの巨体に3つの裂傷を刻み込む。
よろめきもせず、ヒルコが豪腕を振るう。かわしながら奏空は言う。
「こうやって戦う事で、君は自分の存在を……本当に実感、出来ているのかい? 心の底では、わかっているんじゃないのか。君が本当に求めるものは、戦っても手に入らないと」
「けどなっ、お前が戦いたいってんならオレはいくらでも付き合うぜ!」
言葉と共に、翔が印を結ぶ。
光の矢が迸り、ヒルコを直撃・貫通した。
「ぐぬっ……貴様……」
「飽きるまで戦って……その後でさ、戦いじゃねー事も試してみようぜ。オレたちと一緒に」
翔はそれでいい、とラーラは思う。
自分は、彼ほど前向きにはなれない。
覚者の戦い方を、ことごとく身に付けてしまう怪物。
(この上、参式や上級体術まで修得されてしまったら……)
災厄そのもの、と言うべき存在を、自分たち覚者が育て上げてしまう事になりはしないか。
今ここにいる誰かが、手を汚す必要があるのではないか。
(……魔女である……この、私が……)
ラーラは、炎の魔法陣を描いた。
「良い子に、甘い焼き菓子を。悪い子には……貴方を悪い子と断定しなければならない、かも知れません。イオ・ブルチャーレ!」
太陽の紅炎にも似た、紅蓮の荒波が、魔法陣から噴出してヒルコを灼く。
炎の中で、しかしヒルコは悠然と傲然と佇んでいる。
ここまでしても倒せない怪物が、いずれ覚者の戦技術式を全て使いこなしてしまう。それは、戦慄すべき事態ではないのか。
「……ヒルコんはね、良い子だよ」
紡がふんわりと翼を広げ、潤しの雨を降らせた。
「ここにいる皆みたいに、きっと成れる」
「そうです……」
治療を受けたたまきが、最前衛で全員を背後に庇う。
「ラーラさんは……1人で、悪い子になろうとしていませんか」
「大丈夫。ラーラさんが心配しているようにはならないから、絶対に!」
桃色に輝く奏空の両眼が、燃え上がった。
奏空の何かが、解除されたのだ。
潜在能力の全てを覚醒させて、奏空はこの戦いに臨んでいる。
「……そう、でしたね」
自分も安易な道は選ぶまい、とラーラは思った。
「奏空くんも、たまきちゃんも……翔くん、彩吹さん紡さんも……その思いで、ここまで戦い抜いて」
「ラーラも、だよ」
彩吹が、紡の細腕の中から立ち上がる。
「みんな……ひとつの思いで、ここまで来たんだ。今更、変えられはしない」
「君もだよ、ヒルコ」
奏空が、剣を構える。
「さあ行こう、俺たちと一緒に!」
●
倒れたヒルコが、よろよろと立ち上がろうとして失敗し、呻く。
「……まだだ、まだ! 我は、戦わねば……!」
「君の、本当に求めるもの……戦い続ける事で1つだけ、手に入ったね」
奏空は言った。
「ほら。気付いているんだろう? 本当は」
奏空が導いた、わけではない。
彼女は、いつの間にか、そこにいた。
「……ヒルコ。私たちは、お前をそう名付け、捨てた」
言葉をかけてくる母親を、ヒルコは無言で睨む。
「おぞましき名であろう? 捨てるが良い。お前は、もはやお前でしかないものに成ったのだ」
「今更……ヒルコ以外の、何に成れと言うのだ……貴女は、我に……!」
ヒルコの身体が、声が、激しく震える。
「何故だ、何故! 今になって我の前に現れた!? 目の前にさえ居なければ、我は! ずっと貴女を、つまらぬ存在として軽んじていられた! こうして憎悪する事などなかったのだ! 眠らせていられたはずの憎しみを何故、呼び起こす! 何故、抉る!? 何故、何故だ! なぜだあああああああああッッ!」
泣き叫ぶ我が子を膝の上に抱き、たおやかな右手でそっと撫でながら、彼女は天を仰いだ。
「何故……なのだろうな。私にも、わからぬ……」
包帯の巻かれた左手は、動かないようである。
「……本当に……神とは、愚かなるもの……」
いくらか遠巻きに見守るしかない翔に、光璃を抱えた老人が歩み寄る。
「いつもの事ながら……御面倒を、おかけいたしました」
「……いや。他の誰かじゃいけねえ、オレたちがやらなきゃいけなかった事だぜ」
翔は応えた。
「もちろん力を貸してくれたのは助かったぜ。ありがとうな爺さん、光璃……それに、影虎」
「俺らだけじゃねえ、ファイヴ総出だぜ」
言いつつ影虎が、母親の膝で泣き叫ぶヒルコを眺めている。
「総出で……これから、あいつの面倒見なきゃいけねえって事だな」
「影虎……」
お前も、あんな感じだったぜ。
言いかけて、翔は言葉を呑み込んだ。
悠久と言うべき歳月を経て、ヒルコはようやく、膝に甘えさせてくれる相手を取り戻した。
影虎は、最も守りたかった存在を、永遠に失ってしまったままなのだ。
●
光璃の全身がひび割れ、その亀裂が開いて牙ある口となり、いくつもの焼き芋をがつがつと吸収・咀嚼する。
翔が、対抗意識を燃やしている。
「負けねーぞ。勝負だぜ光璃、ヒルコ!」
「ふん、貴様らごときが我に挑むか」
翔が、光璃が、ヒルコが、ひたすら焼き芋を喰らい続ける。
紡は、声を投げた。
「もー3人とも! おなら止まんなくなっても知らないよー」
「仲良く出来そうですね、お3人とも」
言いつつたまきが、控え目に焼き芋をかじる。
奏空が住み込んでいる寺。境内のあちこちで芋が焼かれ、皆が秋の味覚を堪能しているところである。
食べながら彩吹が、篠崎蛍と話し込んでいる。五樹影虎、だけでなく蛍たちも、際限なく現れるヒルコの分身と戦っていたのだ。
ラーラが、星崎玲子や玉村愛華と共に、2匹の犬と戯れていた。この寺で飼われている犬たちだ。
「……ちょっと気になったんだけど」
黙々と芋を食べ続ける1人の女性に、紡は問いかけた。
「これでヨモツヘグイが無効になって、生き返ったりとか」
「するわけがなかろう」
即答された。
「私がこの地上にいられるのは、あと僅か……その間、実に有意義な話が出来たものよ。のう、賀茂たまき」
「も……申し訳ございません! 赤ちゃんを……生んだ事もない私が」
たまきが、赤くなった。
「ですが、やはり思うのです。初めて母親になる人は、きっと赤ちゃんと同じくらい不完全な存在で……赤ちゃんと一緒に、育ってゆかなければ、と……私も、いつか」
「ふふ。お前が誰の子を生むのかは、わからぬが」
飼い犬2匹に何故か噛まれている奏空を、彼女は一瞬だけ見やった。
「心しておくと良い。己の体内から別の生命が現れいでる、それはな……思う以上に、恐ろしいものぞ」
血まみれで吹っ飛んで来た五樹影虎を、『天を翔ぶ雷霆の龍』成瀬翔(CL2000063)は抱き止めた。
「おい、しっかりしろ影虎!」
「……お前ら……一体、何しやがった……?」
辛うじて聞き取れる声を、影虎は発した。
「あいつ……お前らの技めちゃくちゃ使いこなしてきやがるぞ……」
「ごめん。本当にごめん」
影虎を吹っ飛ばした敵の眼前に、『エリニュスの翼』如月彩吹(CL2001525)が立っている。
「お疲れさん、だったね影虎。それに……」
1人の老人。後肢と尻尾を備えた卵。そして、左腕に包帯を巻いた女性。
その3名を今、彩吹は背後に庇っている。
「……お待たせしたね、浦島さん。光璃」
女性の名前だけを、彩吹は呼ばなかった。軽々しく御名を口に出来る存在ではないのだろう。
彩吹はただ、会釈をした。
そして、敵に向き直る。今は敵として相対するしかない存在。
その姿は、もはや誰にも似てはいなかった。禍々しいほどに力強い、猛々しいほどの異形。
自分の姿をついに獲得したのだ、と翔は思った。
その姿を見据える彩吹の目が、燃え上がる。火行因子の燃焼。
「あとは……私たちに、任せてもらうよ」
「やはり、お前たちが来たか」
異形のものは言った。
ふわりと後方に降り立った『天を舞う雷電の鳳』麻弓紡(CL2000623)に影虎の身体を預けながら、翔は言葉を返す。
「って言うかよ。お前、待ってたんじゃねーのか? オレたちが来るのを。なあヒルコ」
最初は骨のない肉塊であったという怪物が、今は明らかに、頑強な骨格を内包している。
「今のお前は、最初、誰彼構わず襲って暴れてた時とは……違う、よな」
「今1度お前たちと戦わねばならぬ、とは思っていた」
ヒルコが言った。
「そうしなければ、我は……己の存在を、確かめる事が出来ないのだ」
「うーん。ヒルコんってば、お喋り上手になっちゃって」
言いつつ紡が、影虎を介抱している。
心配そうに影虎を見上げる光璃の頭を、紡は撫でた。
「ほらほら光ちゃん。キミのお兄ちゃんね、頑張って成長してる最中ですよー」
「この子が……光璃さん、ですか」
注連縄が巻かれた卵。そんな小さな古妖の姿を、『赤き炎のラガッツァ』ラーラ・ビスコッティ(CL2001080)が屈み込んでまじまじと見つめる。
「あの恐ろしい黄泉の雷神たちの中に、こんな……可愛らしい子が」
「ヒルコんだって可愛いよー、ビスコちゃん」
紡はラーラの手を導いて、光璃を撫でさせた。
「で……せっかく、こうやって弟クンも、それにママンもいるわけだし」
ふわりとしたものを、紡は空中に投げ撒いた。桜の花びら、に見えた。
桜の香気が、覚者たちを包み込む。清廉珀香だった。
「お話し合い、しない手はないと思うよ?」
「話、か……そやつは、ともかく」
ヒルコの眼光が光璃に、そして左腕に包帯を巻いた女性へと向けられる。
「そこな女と……話し合う事など、何もないわぁあああッ!」
「……そうであろうな。だから殺せ、と言っているのだが」
女性が、暗く微笑む。
「……お前たちが、それを止めるのか」
「止めます」
高速で印を切りながら、『探偵見習い』工藤奏空(CL2000955)が言った。
荘厳な曼荼羅絵図が、覚者たちを取り巻くように出現する。防御の術式である。
「俺たちは、貴女を守りますよ。神様は完璧な存在だから、守ってあげる必要はない……俺、そう思っていました。だけど黄泉大神様、貴女は」
「私たち人間と……同じ、でいらっしゃいます」
奏空の言葉を、『陰と陽の橋渡し』賀茂たまき(CL2000994)が継いだ。
「御無礼を申し上げますね。貴女のような完璧からは程遠い御方を、放ってはおけません」
土行の力を宿した術符が、キラキラと舞いながら甲冑に変化し、たまきの細い全身に装着されてゆく。
「お守り、いたします」
「ヒルコ、君だって本当はこんな事したいわけじゃないんだろう?」
奏空の言葉に、ヒルコは微笑んだようだ。
「ふ……ふふっ。何かを、したい……とは一体、いかなる事なのだろうな……」
翼を広げた、その異形にして猛々しい姿が、燃え上がったように翔には見えた。
「わからぬ……我には、わからぬ! 何をしても、お前たちのようには成れぬ!」
「これほどまでに強い……怒りと、憎しみ、なのでしょうか? ともかく、その激情」
ヒルコを見据えるラーラの瞳が、燃えるように赤く発光する。前世の『誰か』との同調。
「いいでしょう。私たちに、ぶつけて下さい。貴方に誰かの命を奪わせはしません」
「よくぞほざいた。ならば、ぶつけてくれよう!」
ヒルコが羽ばたき、地を蹴った。飛翔のような踏み込み。
「貴様たちから、砕け散るがいい!」
「やってごらん」
彩吹が、それを迎え撃った。
黒い翼が烈しくはためき、嵐を巻き起こしながら羽を散らす。
「戦いながら学ぶ、いいじゃないか。教えてあげるよ、ヒルコ」
無数の黒い羽が、嵐に乗って刃と化し、ヒルコの全身に突き刺さった。
「力で解決出来る事なんて、たかが知れてる……それをね、学んでもらうよ」
「影虎、頑張ってくれてサンキューだぜ。あとはオレたちに任せな!」
動きの止まったヒルコを見据えたまま、翔は天空を指差した。
「空丸、やるぜ!」
1羽の守護使役が、空中で高らかに啼きながら勾玉を輝かせる。
その輝きは、電光だった。
雷鳴が轟き、巨大な稲妻がヒルコを直撃していた。
帯電・感電し、よろめくヒルコに、翔はなおも声を投げる。
「こいつがな、オレの仲間……空丸と、力を合わせての雷獣だぜ。なあヒルコ、お前のより威力あるだろ」
「ぐうっ……貴様……!」
「お前さ、力合わせる仲間も友達もいなくて……寂しくねーのか? ずうっと寂しかったんじゃねえのか」
「ほざくな! ほざくなっ、ほざくなぁああああああッ!」
ヒルコの突進が、翔を直撃していた。
分厚く力強い掌が、光を発しながら翔の鳩尾に叩き込まれる。
その光が、激烈に体内を貫通してゆくのを感じながら、翔は血を吐いた。
「ぐふあっ……こ、こいつは……っ」
やってしまった、と翔は思った。
「や、やっぱ覚えちまったんだなぁ……B.O.T.……」
「すごい、すごいよヒルコん。みんなの技の完コピまで出来ちゃうなんて」
紡が、嬉しそうに翼を広げた。
水行の力がしっとりと拡散し、癒しの力となって降り注ぐ。『潤しの雨』が、負傷した翔と影虎の身体に容赦なく染み込んだ。
「1人で頑張ったんだねえ。だけどね、相棒の言う通り……1人で出来る事って、割とすぐ限界が来ちゃうのさ」
辛うじて動ける程度には回復した影虎を、紡は背後に庇った。
「寂しいっていうのが、どういう事か、わかんなくなっちゃうくらい……寂しかったんだよね、ずっと1人っきりで。だからねえヒルコん、ここらで現実を受け入れてもらうよー。キミはもう1人じゃないっていう、新しい現実をね」
影虎が光璃を抱え、老人と女性に避難を促している。
女性が、俯き加減にヒルコの方を見ている。
「ヒルコさん……後で必ず、お母様とお話をして下さいね」
倒れた翔を庇う形に前へ出ながら、たまきが細身を屈め、地面に平手打ちを見舞う。
「もう心をお持ちの貴方です。その心を、言葉にして伝えてあげて下さい。お母様に……」
動きかけたヒルコの身体が、激しくへし曲がる。
地面の一部が鋭利に隆起し、土の槍と化して、下方からヒルコを直撃していた。
「お母様に、ね……沢山たくさん、駄々をこねて下さい」
●
雷獣やB.O.T.、だけではなく火焔連弾まで使いこなすという怪物に向かって、ラーラは片手をかざした。
「覚者の技を、術式を……ことごとく学習・修得してしまうとは……」
たおやかな指先が炎を灯し、燃え盛る魔法陣を空中に描き出す。
その魔法陣から、プロミネンスにも似た炎の渦が噴出し、ヒルコを灼いた。
灼かれながらもヒルコは羽ばたき、踏み込んで来る。
怪鳥の襲撃にも似た蹴りが、彩吹を、翔を、たまきを、一緒くたに薙ぎ払った。
曼荼羅の結界でも防ぎきれぬ衝撃に打ちのめされ、3人は鮮血の霧を散らせて倒れ伏す。
攻撃者であるヒルコもしかし、同じく体液の飛沫を飛ばし、よろめいている。
「紫鋼塞……たまきさんの術式だぜ。お前の馬鹿力の何割かは、お前に跳ね返っちまうぞ」
血まみれの翔が、よろりと立ち上がる。
同じく立ち上がった彩吹が、
「……鋭刃想脚……上手く、使えるようになったじゃないか……」
翼を広げた。猛禽のように……否、邪竜を喰らうガルーダの如く。
「神様は、大人の姿で生まれて成長しないもの……らしいね。だけどヒルコ、赤ちゃんとして生まれた君は今、確実に成長している。もう一息だよ」
使ってはならぬ力を彩吹は今、使おうとしている。ラーラは、そう思った。
「そこから先へ行くには、考えなくちゃいけない……そんなふうに強くなって、自分の存在を証明して! さあ、その後はどうする!?」
「……いぶちゃんも考えようね」
言いつつ紡が、術杖の先端から光を射出する。
「あんまり無茶すると、如月家の微笑み魔人が黙っていないよ。まあ、お説教はボクも付き合うけど」
「大丈夫……だよ、紡……!」
その光が、彩吹の背中を直撃した。
術式による強化を得た彩吹が、そのまま羽ばたき、踏み込んで行く。黒い翼が、光を散らす。
「この件に関してはね、あの男にだってガタガタ言わせはしない!」
鋭利な美脚が、まさに神鳥の鉤爪の如く一閃していた。
禁断の力を宿した鋭刃想脚が、ヒルコを切り裂き、穿ち、吹っ飛ばす。
力尽き墜落し、紡に支えられながら、彩吹は言う。
「こんなふうに、ね……黙らせるから……光璃。これがね、きょうだい喧嘩のコツだよ。とにかく問答無用で落ち着かせる……親子喧嘩、夫婦喧嘩にも応用出来るかな。ねえ黄泉大神様……」
「……あの男との夫婦喧嘩は、もう終わりだ。我が怨み憎しみの塊である子らを、お前たちが鎮めてくれた」
ヒルコの母親である女性が、暗く微笑む。
「その上……その子まで、お前たちに押し付ける事になってしまった。本当に、すまぬと思う」
「…………貴様は……喋るな……」
吹っ飛び倒れていたヒルコが、ゆらりと立ち上がり、吼えた。
「我に関して、何かを語る資格が……貴様にあると思うのかぁあああッ!」
「……その御方に……手を上げては、いけませんよ。ヒルコさん……」
たまきが、奏空に助け起こされ、立ち上がっていた。
「貴方は絶対、後悔します……だから私たちが、お相手します」
「おうよ! 言われるまでもなし、貴様たちから潰す!」
ヒルコが地面を踏み砕き、土を蹴散らし、突進して来る。
それを、奏空が阻む。
「何度でも言うよ。君がやりたいのは、そんな事?」
問いかけと同時に、抜刀。
一閃した光が、ヒルコの巨体に3つの裂傷を刻み込む。
よろめきもせず、ヒルコが豪腕を振るう。かわしながら奏空は言う。
「こうやって戦う事で、君は自分の存在を……本当に実感、出来ているのかい? 心の底では、わかっているんじゃないのか。君が本当に求めるものは、戦っても手に入らないと」
「けどなっ、お前が戦いたいってんならオレはいくらでも付き合うぜ!」
言葉と共に、翔が印を結ぶ。
光の矢が迸り、ヒルコを直撃・貫通した。
「ぐぬっ……貴様……」
「飽きるまで戦って……その後でさ、戦いじゃねー事も試してみようぜ。オレたちと一緒に」
翔はそれでいい、とラーラは思う。
自分は、彼ほど前向きにはなれない。
覚者の戦い方を、ことごとく身に付けてしまう怪物。
(この上、参式や上級体術まで修得されてしまったら……)
災厄そのもの、と言うべき存在を、自分たち覚者が育て上げてしまう事になりはしないか。
今ここにいる誰かが、手を汚す必要があるのではないか。
(……魔女である……この、私が……)
ラーラは、炎の魔法陣を描いた。
「良い子に、甘い焼き菓子を。悪い子には……貴方を悪い子と断定しなければならない、かも知れません。イオ・ブルチャーレ!」
太陽の紅炎にも似た、紅蓮の荒波が、魔法陣から噴出してヒルコを灼く。
炎の中で、しかしヒルコは悠然と傲然と佇んでいる。
ここまでしても倒せない怪物が、いずれ覚者の戦技術式を全て使いこなしてしまう。それは、戦慄すべき事態ではないのか。
「……ヒルコんはね、良い子だよ」
紡がふんわりと翼を広げ、潤しの雨を降らせた。
「ここにいる皆みたいに、きっと成れる」
「そうです……」
治療を受けたたまきが、最前衛で全員を背後に庇う。
「ラーラさんは……1人で、悪い子になろうとしていませんか」
「大丈夫。ラーラさんが心配しているようにはならないから、絶対に!」
桃色に輝く奏空の両眼が、燃え上がった。
奏空の何かが、解除されたのだ。
潜在能力の全てを覚醒させて、奏空はこの戦いに臨んでいる。
「……そう、でしたね」
自分も安易な道は選ぶまい、とラーラは思った。
「奏空くんも、たまきちゃんも……翔くん、彩吹さん紡さんも……その思いで、ここまで戦い抜いて」
「ラーラも、だよ」
彩吹が、紡の細腕の中から立ち上がる。
「みんな……ひとつの思いで、ここまで来たんだ。今更、変えられはしない」
「君もだよ、ヒルコ」
奏空が、剣を構える。
「さあ行こう、俺たちと一緒に!」
●
倒れたヒルコが、よろよろと立ち上がろうとして失敗し、呻く。
「……まだだ、まだ! 我は、戦わねば……!」
「君の、本当に求めるもの……戦い続ける事で1つだけ、手に入ったね」
奏空は言った。
「ほら。気付いているんだろう? 本当は」
奏空が導いた、わけではない。
彼女は、いつの間にか、そこにいた。
「……ヒルコ。私たちは、お前をそう名付け、捨てた」
言葉をかけてくる母親を、ヒルコは無言で睨む。
「おぞましき名であろう? 捨てるが良い。お前は、もはやお前でしかないものに成ったのだ」
「今更……ヒルコ以外の、何に成れと言うのだ……貴女は、我に……!」
ヒルコの身体が、声が、激しく震える。
「何故だ、何故! 今になって我の前に現れた!? 目の前にさえ居なければ、我は! ずっと貴女を、つまらぬ存在として軽んじていられた! こうして憎悪する事などなかったのだ! 眠らせていられたはずの憎しみを何故、呼び起こす! 何故、抉る!? 何故、何故だ! なぜだあああああああああッッ!」
泣き叫ぶ我が子を膝の上に抱き、たおやかな右手でそっと撫でながら、彼女は天を仰いだ。
「何故……なのだろうな。私にも、わからぬ……」
包帯の巻かれた左手は、動かないようである。
「……本当に……神とは、愚かなるもの……」
いくらか遠巻きに見守るしかない翔に、光璃を抱えた老人が歩み寄る。
「いつもの事ながら……御面倒を、おかけいたしました」
「……いや。他の誰かじゃいけねえ、オレたちがやらなきゃいけなかった事だぜ」
翔は応えた。
「もちろん力を貸してくれたのは助かったぜ。ありがとうな爺さん、光璃……それに、影虎」
「俺らだけじゃねえ、ファイヴ総出だぜ」
言いつつ影虎が、母親の膝で泣き叫ぶヒルコを眺めている。
「総出で……これから、あいつの面倒見なきゃいけねえって事だな」
「影虎……」
お前も、あんな感じだったぜ。
言いかけて、翔は言葉を呑み込んだ。
悠久と言うべき歳月を経て、ヒルコはようやく、膝に甘えさせてくれる相手を取り戻した。
影虎は、最も守りたかった存在を、永遠に失ってしまったままなのだ。
●
光璃の全身がひび割れ、その亀裂が開いて牙ある口となり、いくつもの焼き芋をがつがつと吸収・咀嚼する。
翔が、対抗意識を燃やしている。
「負けねーぞ。勝負だぜ光璃、ヒルコ!」
「ふん、貴様らごときが我に挑むか」
翔が、光璃が、ヒルコが、ひたすら焼き芋を喰らい続ける。
紡は、声を投げた。
「もー3人とも! おなら止まんなくなっても知らないよー」
「仲良く出来そうですね、お3人とも」
言いつつたまきが、控え目に焼き芋をかじる。
奏空が住み込んでいる寺。境内のあちこちで芋が焼かれ、皆が秋の味覚を堪能しているところである。
食べながら彩吹が、篠崎蛍と話し込んでいる。五樹影虎、だけでなく蛍たちも、際限なく現れるヒルコの分身と戦っていたのだ。
ラーラが、星崎玲子や玉村愛華と共に、2匹の犬と戯れていた。この寺で飼われている犬たちだ。
「……ちょっと気になったんだけど」
黙々と芋を食べ続ける1人の女性に、紡は問いかけた。
「これでヨモツヘグイが無効になって、生き返ったりとか」
「するわけがなかろう」
即答された。
「私がこの地上にいられるのは、あと僅か……その間、実に有意義な話が出来たものよ。のう、賀茂たまき」
「も……申し訳ございません! 赤ちゃんを……生んだ事もない私が」
たまきが、赤くなった。
「ですが、やはり思うのです。初めて母親になる人は、きっと赤ちゃんと同じくらい不完全な存在で……赤ちゃんと一緒に、育ってゆかなければ、と……私も、いつか」
「ふふ。お前が誰の子を生むのかは、わからぬが」
飼い犬2匹に何故か噛まれている奏空を、彼女は一瞬だけ見やった。
「心しておくと良い。己の体内から別の生命が現れいでる、それはな……思う以上に、恐ろしいものぞ」
■シナリオ結果■
成功
■詳細■
MVP
なし
軽傷
なし
重傷
なし
死亡
なし
称号付与
なし
特殊成果
なし
