【禍津皇子】棄て子の咆哮
●
とある博物館。1人の女性客が、展示物と対峙している。
たおやかな細身をロングコートに包んだ、黒髪の女性。
暗黒そのものの黒髪と鮮やかな対照をなす白皙の美貌が、巨大な展示物を見上げていた。
全長40メートル、巨大首長竜の全身骨格。
『……軽々しさが、過ぎるのではなくて?』
肉声ではない。
発声の出来る肉体をもはや持たぬ、巨大なる古妖が、聞こえる相手にしか聞こえぬ言葉を発しているのだ。
『よもやとは思いますけど。私ごときと会話をして下さるためだけに……黄泉大神ともあろう御方が、黄泉返りをなさったとでも』
「甦ったわけではないさ。私は、死せる身のままだ」
黒髪の女性が、暗く微笑む。
「死せる肉体を、こうして生者の世にとどめおく……私の神としての力は今ほぼ全て、それだけに使われている。今の私は、この世に存在する以外のあらゆる事が出来ない。それでも、貴女には会っておきたかった」
微笑みながら、彼女は弱々しく左手を掲げた。
白骨化しているのでは、と思えるほど痩せ衰えた繊手に、包帯が巻かれている。
「私の子供が、ようやく1人……貴女の御子息のおかげで、1つの存在と成る事が出来た。本当に……ありがとう」
『……貴女がたに、存在を禁じられた御子息もいらっしゃいますわ』
「禁じたわけではない……」
白皙の美貌が、俯いた。
「我ら、神という種族は……子を育てる、という事が全く理解出来ないのだ。あの子を、どうすれば良いのか……わからなかった。今でも、わからぬ……」
『成長を遂げた姿で、お生まれになる。それが神という方々ですものね』
「だが、あの子は今……自力で、存在を開始しつつある」
俯いたまま、彼女は言った。
「己の存在を確立するために……戦う。それを、あの子に教えてしまった者たちがいる。喜ばしい事であるのかどうかも、私にはわからない……」
●
どこにもいない人間。僕は、それで良かった。
友達は要らない。誰にも迷惑をかけず、誰からも迷惑を被らずに、教室の片隅で中学の3年間を過ごす。幽霊か透明人間のようなものとして。
僕は、それで一向に構わなかった。どこにもいない人間でいよう、と心に決めた。
どこにもいないはずの僕を、しかしクラスの連中は無理矢理に見つけ出し、引きずり出した。
僕を殴り、僕を蹴り、僕の持ち物を壊し、僕の口に虫の死骸を押し込み、僕から金品を奪った。
僕は学んだ。どこにもいない事、など許されないのだと。
自分は、ここにいる。いくらか面倒でも、それを主張しなければならない。
だから僕は、石橋浩一に逆らった。
殴られながら、石橋の身体にしがみついた。石橋の手に噛み付いた。石橋と一緒に倒れ込み、もつれ合いながら殴った。ひたすら殴った。頭突きも食らわせた。
石橋の取り巻き連中は、誰も加勢に入って来なかった。
皆、石橋浩一という乱暴者に友情や忠誠心を抱いているわけではない。ただ流されるままに行動を共にしているだけだ。
関わったら面倒な奴。僕は上手い具合に、連中からそう思われる事に成功したようである。
取り巻き連中が、そそくさと立ち去って行く。
石橋が、泣きながら逃げて行く。
僕は、自分の両手を見つめた。血まみれだった。
石橋ではなく、僕の血だ。拳の皮が、ズタズタに擦り剥けている。弱々しい五指が、握り固まったまま開かない。痛み、どころか感覚そのものが両手から失われている。もしかしたら指の骨が折れているのではないか。
傷だらけの拳を見つめながら、僕は呻いた。
「僕は……ここにいる……」
石橋に対し、憎しみはない。
誰にも助けてもらえなかった石橋が、むしろ僕はかわいそうで仕方がなかった。
あの男は結局、仲間たちと共に僕を痛めつける事で、リーダーシップでも発揮しているような気分になっていただけだ。そして、その仲間たちにも見捨てられた。
お前も、自分がそこにいると証明してみろ。
そう思いながら、僕は叫んだ。
「僕は……ここにいるぞ!」
「そう……だ……お前は、そこにいる……」
声がした。
「お前は……戦って、証明した。自分が、そこにいる……と……」
天使。僕は一瞬、そう思った。翼ある人影。
男にも見える。女にも見える。剣を持っている、ようでもある。
「存在……するには、戦う……しかない……あの者たちが、教えてくれた……だから、お前。もっと戦え……」
言葉を発しながら、天使のような何かがゆらりと動く。石橋たちの逃げた方向へと。
僕は、そいつの眼前に立ち塞がった。
「……どこへ行く?」
「戦いだ……戦わなければ、存在……出来ない……」
そんな事を言っているが、僕にはわかる。
この怪物は、石橋たちを殺すつもりだ。
「させない。そんな事をさせたら、僕は……僕がここにいると証明するのに、お前の力を借りた事になってしまう」
とある博物館。1人の女性客が、展示物と対峙している。
たおやかな細身をロングコートに包んだ、黒髪の女性。
暗黒そのものの黒髪と鮮やかな対照をなす白皙の美貌が、巨大な展示物を見上げていた。
全長40メートル、巨大首長竜の全身骨格。
『……軽々しさが、過ぎるのではなくて?』
肉声ではない。
発声の出来る肉体をもはや持たぬ、巨大なる古妖が、聞こえる相手にしか聞こえぬ言葉を発しているのだ。
『よもやとは思いますけど。私ごときと会話をして下さるためだけに……黄泉大神ともあろう御方が、黄泉返りをなさったとでも』
「甦ったわけではないさ。私は、死せる身のままだ」
黒髪の女性が、暗く微笑む。
「死せる肉体を、こうして生者の世にとどめおく……私の神としての力は今ほぼ全て、それだけに使われている。今の私は、この世に存在する以外のあらゆる事が出来ない。それでも、貴女には会っておきたかった」
微笑みながら、彼女は弱々しく左手を掲げた。
白骨化しているのでは、と思えるほど痩せ衰えた繊手に、包帯が巻かれている。
「私の子供が、ようやく1人……貴女の御子息のおかげで、1つの存在と成る事が出来た。本当に……ありがとう」
『……貴女がたに、存在を禁じられた御子息もいらっしゃいますわ』
「禁じたわけではない……」
白皙の美貌が、俯いた。
「我ら、神という種族は……子を育てる、という事が全く理解出来ないのだ。あの子を、どうすれば良いのか……わからなかった。今でも、わからぬ……」
『成長を遂げた姿で、お生まれになる。それが神という方々ですものね』
「だが、あの子は今……自力で、存在を開始しつつある」
俯いたまま、彼女は言った。
「己の存在を確立するために……戦う。それを、あの子に教えてしまった者たちがいる。喜ばしい事であるのかどうかも、私にはわからない……」
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どこにもいない人間。僕は、それで良かった。
友達は要らない。誰にも迷惑をかけず、誰からも迷惑を被らずに、教室の片隅で中学の3年間を過ごす。幽霊か透明人間のようなものとして。
僕は、それで一向に構わなかった。どこにもいない人間でいよう、と心に決めた。
どこにもいないはずの僕を、しかしクラスの連中は無理矢理に見つけ出し、引きずり出した。
僕を殴り、僕を蹴り、僕の持ち物を壊し、僕の口に虫の死骸を押し込み、僕から金品を奪った。
僕は学んだ。どこにもいない事、など許されないのだと。
自分は、ここにいる。いくらか面倒でも、それを主張しなければならない。
だから僕は、石橋浩一に逆らった。
殴られながら、石橋の身体にしがみついた。石橋の手に噛み付いた。石橋と一緒に倒れ込み、もつれ合いながら殴った。ひたすら殴った。頭突きも食らわせた。
石橋の取り巻き連中は、誰も加勢に入って来なかった。
皆、石橋浩一という乱暴者に友情や忠誠心を抱いているわけではない。ただ流されるままに行動を共にしているだけだ。
関わったら面倒な奴。僕は上手い具合に、連中からそう思われる事に成功したようである。
取り巻き連中が、そそくさと立ち去って行く。
石橋が、泣きながら逃げて行く。
僕は、自分の両手を見つめた。血まみれだった。
石橋ではなく、僕の血だ。拳の皮が、ズタズタに擦り剥けている。弱々しい五指が、握り固まったまま開かない。痛み、どころか感覚そのものが両手から失われている。もしかしたら指の骨が折れているのではないか。
傷だらけの拳を見つめながら、僕は呻いた。
「僕は……ここにいる……」
石橋に対し、憎しみはない。
誰にも助けてもらえなかった石橋が、むしろ僕はかわいそうで仕方がなかった。
あの男は結局、仲間たちと共に僕を痛めつける事で、リーダーシップでも発揮しているような気分になっていただけだ。そして、その仲間たちにも見捨てられた。
お前も、自分がそこにいると証明してみろ。
そう思いながら、僕は叫んだ。
「僕は……ここにいるぞ!」
「そう……だ……お前は、そこにいる……」
声がした。
「お前は……戦って、証明した。自分が、そこにいる……と……」
天使。僕は一瞬、そう思った。翼ある人影。
男にも見える。女にも見える。剣を持っている、ようでもある。
「存在……するには、戦う……しかない……あの者たちが、教えてくれた……だから、お前。もっと戦え……」
言葉を発しながら、天使のような何かがゆらりと動く。石橋たちの逃げた方向へと。
僕は、そいつの眼前に立ち塞がった。
「……どこへ行く?」
「戦いだ……戦わなければ、存在……出来ない……」
そんな事を言っているが、僕にはわかる。
この怪物は、石橋たちを殺すつもりだ。
「させない。そんな事をさせたら、僕は……僕がここにいると証明するのに、お前の力を借りた事になってしまう」

■シナリオ詳細
■成功条件
1.古妖・ヒルコの撃破
2.なし
3.なし
2.なし
3.なし
とある中学校の校舎裏に古妖・ヒルコが出現しました。
一般人中学生・河村良太(男、13歳)が、これと対峙しております。
ヒルコの目的は、逃げて行った中学生男子数名を殺害する事。それを河村君が止めているところで、このまま睨み合いが続けば、彼がヒルコの攻撃対象になってしまいかねません。
そこへ、覚者の皆様に飛び込んでいただきます。その時点からヒルコは、皆様との戦闘、以外の行動を一切取らなくなります。
場所は校舎裏の、空き地のような空間。時間帯は夕刻。
今回のヒルコ(1体)は、覚者の戦闘スキルに似たものを習得しております。攻撃手段は以下の通り。
擬似・飛燕
擬似・鋭刃想脚
擬似・雷獣
擬似・鉄甲掌
擬似・エアブリット
擬似・火焔連弾
全て攻撃範囲・消耗・破壊力はオリジナルと同じですが、擬似ですのでBSは一切付きません。
それでは、よろしくお願い申し上げます。
状態
完了
完了
報酬モルコイン
金:1枚 銀:0枚 銅:0枚
金:1枚 銀:0枚 銅:0枚
相談日数
7日
7日
参加費
100LP[+予約50LP]
100LP[+予約50LP]
参加人数
6/6
6/6
公開日
2019年10月27日
2019年10月27日
■メイン参加者 6人■

●
心無き黄泉の殺戮機械に、心を与えた者がいる。
同じ事が自分に出来る、などと『陰と陽の橋渡し』賀茂たまき(CL2000994)は思っていない。
「ですが、せめて……心の、種を植えて差し上げたいのです。芽吹くのが何千年、何万年後になろうとも」
『それが出来るのであれば、是非ともお手伝いを致したいところ……』
博物館の主とも言うべき巨大展示物が、小さく溜め息をついたようである。
『そのためには、お母上たる貴女のお力添えがなくてはなりませんわ。いかがですの?』
「……私に、何をせよと……」
年齢の読めぬ、美しい女性。怪我でもしているのか、左腕に包帯が巻かれている。
この女性と、ほんの少しでも話しておかなければならない。そのために、たまきは1人この博物館を訪れた。
「……人間の娘よ。そなたは1つ、肝心なところを理解しておらぬ」
まさしく人間離れした美貌が、沈痛な翳りを帯びる。
「あの子は、すでに心を持っているのだ。私に対する、憎しみの心……他の心など、植え付けたところで枯れ果てるだけよ」
「不遜ながら黄泉大神様。貴女は、その憎しみと正面から向き合う義務をお持ちです」
たまきは言った。
本来この地上にいないはずの女性が、暗く微笑む。
「……無理だ。嘲笑うがいい、私は……あの子が、恐ろしい……あの子が生まれた時からだ」
微笑んでいるのではなく、泣いているのかも知れない。
「あの不完全な肉塊が、己の体内からおぞましく現れ出でた時……私は、恐怖のあまり正気を失いかけた。蔑むが良い。私は、そのような母親なのだ」
「黄泉大神様……」
「我ら神という種族は通常、完全なる存在として生を受ける。そなたたちの言う、赤児や幼な子という過程を経る事がないのだ。そのような不完全なるものを育てる力が、神にはない……嘲笑え、人間よ」
たまきは思う。
自分がいつか、赤ん坊という不完全な存在を産み出した時。それを全きものへと育て上げる事が出来るのか。
今、そう問いかけられているのではないか。
●
どうやら完全に戻って来てしまいましたね、篁君。
傷付き心折れ、世間との関わりを絶ってしまった君が……世の人々の視界内に、戻って来てしまった。この世に居なかった君が、存在を始めてしまったのです。もはや誰も君を放っておいてはくれませんよ。世の人々は、寄ってたかって君を傷付けにかかるでしょう。
その人々を守り続ける覚悟、君はすでに出来ているようですが……茨の道を、歩み始めてしまいましたね。
収監中の萩尾高房が、面会の際に語った言葉である。
「僕1人では……踏み出す事さえ出来なかった、茨の道ですよ。萩尾二等」
この場にいない者と会話をしながら『五麟の結界』篁三十三(CL2001480)は、敵を観察した。
翼が生えている。剣を持っている、ようでもある。
賀茂たまきに似ている。『探偵見習い』工藤奏空(CL2000955)にも似ている。『天を舞う雷電の鳳』麻弓紡(CL2000623)にも似ている。『天を翔ぶ雷霆の龍』成瀬翔(CL2000063)のようでもあるし、角度を変えれば『エリニュスの翼』如月彩吹(CL2001525)にも見えてしまう。
まだ自分の姿を持っていないのだ、と三十三は思った。
(まるで以前の僕……いや、今もどうなのかな)
姿の定まらぬ怪物と、1人の少年……河村良太が対峙している。
彩吹が、まずは怪物と良太の間に割って入った。
「頑張ったね、少年。あとは私たちに任せて欲しい。大丈夫、この子に誰も殺させはしないよ」
「なあヒルコ、こいつを見てどう思う」
続いて翔が、怪物に声を投げる。
「良太はな、自分で自分の運命を掴むために頑張った。戦いってのは、そーいうもんなんだ。オマエが今やろうとしてる事は違うぜ!」
「……そやつの戦いは、まだ終わっておらぬ」
ヒルコと呼ばれた怪物が、良太を見据えた。
「そやつを傷付けた者どもが、まだ生きている……殺し尽くさねば戦いは終わらぬ」
「それはねえ、キミの戦いじゃあないんだよ」
紡が、にっこりとヒルコに微笑みかける。そして良太の肩を優しく叩く。
「この子の頑張り、この子だけの勲章。変な横槍入れちゃあメッ! だよねー。いぶちゃん」
「やられたら、やり返す。今時なかなか難しいそれをね、良太は自力でやり遂げたんだよ」
彩吹が言った。
「他人が余計な事しちゃいけない。まあ私がいたら余計な事していただろうけど。あんな連中は」
「空高くさらって行って、如月流飯綱落とし」
「しないよ! ただまあ、辛うじて後遺症が残らない程度に張り倒して蹴飛ばして……なんて発言は教育上よろしくないね。黙っておこうか」
「……そうだ、言葉に意味はない」
ヒルコが、彩吹に似た獰猛な笑顔を浮かべる。
「我は、今よりお前たちを斃す。言葉ではなく力をもって……己の存在を、知らしめる」
「……誰に、知らせたい? 自分の存在を」
薬壺印を結び、光の八葉蓮華を出現させながら奏空が言う。
「あんたの……お母さんに、じゃないのか。こんな事をしなくたって、伝える事は出来るはずだ! ただ一目、お母さんに会えばいい」
たまきが一瞬、複雑な表情を浮かべた。
奏空によく似た顔で、ヒルコが嘲笑う。
「あやつらの事など、もはやどうでも良い。我はな、あやつらに育てられたわけではなく自力でここまでに至ったのだ。まあ生んでくれた事だけは感謝してやっても良いが」
「では……ありがとう、と伝えてあげて下さい」
たまきが言った。
「貴方のお母上は、苦しんでいらっしゃいます。だから許してあげてという事ではありません。許せないとお思いなら、直にそれをお伝えして下さい。言葉に意味はない、などと仰らず……あなたたち母子には、どうか会話をなさって欲しいと思います」
「知った事か! あの者どもなど、もはや我が眼中に無し! 見えているのは、お前たちだ。ふふっ、ふははははははは会いたかったぞ!」
翔に似た顔で、ヒルコは笑った。
「さあ、やろうぞ。我に戦いを教えてくれた者たちよ! お前たちを力で斃し、我はさらに確かなる存在へと進化を遂げる。この世に示すのだ! 我、ここに在りと!」
「……識ってるよ」
紡が、ふわりと翼を広げた。輝ける翼。まるで神仏の後光だ。
天行参式・天照。
その輝きで覚者たちに護りをもたらしながら、紡は言う。
「キミがそこに居るって、ボクたちは識っている。キミを見てる。戦う必要なんて、ないと思うんだなぁ。たまちゃんの言う通りだよ。言葉に意味はない、なんて事は絶対ない。言葉と、それに笑顔で、誰かと繋がる。皆と繋がる。こんな素敵な事キミまだ知らないんだよね? だからさ、一緒にお勉強しよう」
●
目の前に鏡がある、と奏空は思った。
鏡の中の自分が、剣を抜き、踏み込んで来る。
奏空も、抜刀していた。
一閃した刃と刃が、ぶつかり合う。2人の奏空の間で、いくつもの火花が散る。
血飛沫も、散った。無数、交錯した斬撃のいくつかが、奏空の身体を浅く斬り裂いていた。
紡のもたらした天照の加護、それに自身の八葉蓮華鏡。
二重の護りをもってしても完全には防げぬ、激烈な連続斬撃である。奏空はよろめき、呻いた。
「これは……飛燕……!?」
「お前たちの模倣に過ぎぬ……そんな事は、わかっている」
同じく浅手を負ったヒルコが、よくわからぬ色の体液をしぶかせながら翼を広げる。今度は彩吹の姿である。
「だから、お前たちを斃す! さすれば、これらの技は全て我のものよ!」
飛翔のような踏み込み、鋭利な美脚の一閃。紛れもなく鋭刃想脚である。
それを本物の彩吹が、鋭刃想脚ではない技で迎え撃つ。
「模倣……結構じゃないか。どんな事でも最初は人真似から入るものだよ。オリジナルを斃して乗っ取る、いいじゃないか。その意気や良し!」
黒い翼が、嵐を巻き起こしていた。
大量の羽が、嵐に乗って刃と化し、ヒルコの全身をズタズタに切りさいなむ。
体液の飛沫を噴射しながら、ヒルコはよろめき、呟く。
「……欲しいな……その技も……」
「盗んでごらん」
「お前さ。もしかして雷獣、使えたりもする?」
翔が、天空を指差した。
指差された守護使役・空丸が、高らかに啼きながら雷鳴を発する。
「じゃあまずお手本を見せておくぜ。こいつが本物だ! 行くぜ、空丸!」
小さな守護使役の嘴が、巨大な電光を迸らせていた。
雷撃に灼かれ、痙攣するヒルコに、三十三が略式滅相銃を向ける。
「どうか学んで欲しい……自分なりに、考えてみて欲しいと思う。覚者たちが一体、何のために戦っているのかを」
猛回転する銃口から、風の力が銃撃となって放たれる。エアブリットの速射。
「戦いで、己の存在を確立する。それが悪いとは言わない……だけど、ここにいる皆は自分ではなく他の人々を守るために戦っている。その結果として、己の存在が確かなものとなる……そういう事も、あると思う」
「お前たちは……ふふ、確かに……他者を守るためにのみ、戦っていたな」
銃撃に穿たれながら、ヒルコが苦しげに笑う。
「そんな、お前たちは……輝いていた、眩しかった……」
笑いながら、ヒルコは燃え上がっていた。
「今も、お前たちは……我が殺めようとしていた者どもを、守らんとして……出来ぬ、我には出来ぬ! あのような者どもを守るなど、我には無理、不可能! お前たちのように輝く事が我には出来ぬ!」
その炎が球形に固まり、放たれる。術式・火焔連弾そのものの火球であった。
「私は……輝いてなど、いませんよ」
言葉と共に、たまきが光をまとう。土行の力がキラキラと発現し、鎧となって彼女を護る。
そこへ、ヒルコの火球が激突した。
奏空は、息を呑みながら叫んだ。おかしな悲鳴になってしまった。
紡の天照、それに土行の鎧。二重の護りを焼き尽くさんと燃え盛る炎の中で、たまきが奏空に向かって片手を上げる。大丈夫だから騒ぐな、とでも言うかのように。
「私はただ、あなたたち母子の和解が見たい……それだけです。そうする事で、あなた方よりもまず私が救われるから……私はそんな、自分勝手な人間です。輝いてなどいません」
「ごめんよヒルコ、俺も輝いてなんかいない……!」
奏空は、自分を止められなくなった。
守護使役が、後方からぶつかって来る。
「たまきちゃんを攻撃した、あんたを……俺は! 許せない! 他人じゃなく自分のためにしか戦えない! ライライさん力を貸してくれーッ!」
奏空は一瞬、守護使役と一体化していた。翼が、背中から生え広がり、激しく羽ばたく。
高速飛翔、そして斬撃。空襲そのものの『激鱗』が、ヒルコを直撃する。
並の妖であれば跡形もなく切り刻んだであろうと思える手応えを握り締めながら、奏空は守護使役と分離しつつ着地した。
痛々しく揺らぎ、よろめき、体液の飛沫を噴射しながら、しかしヒルコは次なる攻撃に入っている。その全身から、電光が迸っていた。
天照の加護を粉砕せんと荒れ狂う稲妻が、翔を、彩吹を、直撃する。
「ぐうっ……き、聞きなさいヒルコ! 私にもね」
電光に灼かれながら、彩吹が羽ばたく。翼で電撃を打ち払わんとするかのように。
「この羽が生えた時、こんな子は要らないって言う人がいたよ。その時もう信じられないくらい怒ってくれた奴がいてね! そいつの言葉を、君にあげよう!」
鋭利な美脚が、凶暴に乱舞した。猛禽の襲撃にも似た鋭刃想脚が、ヒルコを穿ち、切り裂く。
「君は君だ。いつものままで、そこにいたら、それでいい……誰が否定しようと、君は確かにそこにいる。それでいいじゃないか」
「……オレも認めるぜ。オマエは確かに、そこにいる……認めるしかねえよ。文句なしの、雷獣だったぜ」
電光を振り切るように、翔がカクセイパッドをかざす。
「じゃ、こいつはどうだ。コレも真似出来るかっ!?」
光の矢が表示され、発射される。B.O.T.改。極太の閃光が、ヒルコの身体を貫きへし曲げる。
その間、三十三が翼を揺らし、水行の癒しの力を放散していた。潤しの雨が、覚者たちに降り注ぐ。
容赦なく染み込んで来る治療の痛みに、奏空は耐えた。
「経験した技・術式を、ことごとく習得出来る……というのであれば」
三十三が言った。
「これも危険、かも知れませんね。この強敵に、回復手段まで入手されてしまったらと思うと」
「……いいじゃない、さとみん。このヒルコんはね、何でも出来ちゃう凄い子なんだよ」
紡が、天照の消耗からゆらりと立ち直ってきた。
「そこいらの子じゃ遊び相手も務まんない。だからね、ボクたちが遊んであげる」
●
たまきが、愛らしい掌に気の力を宿し、踏み込んで行く。
「お母上の、仰った通り……ヒルコさん、貴方は心をお持ちです」
言葉と共に叩き込まれた鉄甲掌が、ヒルコの身体を激しく凹ませた。
「力に、拳に、術式に……私たちは、心を乗せて戦っています。ヒルコさん、貴方にもそれが出来るはずですっ!」
心が、あるから。
他の「心」との触れ合いがあるから、成長がある。居場所も出来る。それが、たまきの信念である。
このヒルコと、心を触れ合わせる。そんな事の出来る者が、果たして存在するのか。
「光ちゃん、みたいには……出来ないよね、ヒルコん」
語りかけながら紡は、術杖を振り構えた。
「光ちゃんにとっての悠ちゃんが、キミにはいなかったんだから……でも、それでもね」
雷鳴が轟いた。雷の凰が、そこに出現していた。
「キミは、光ちゃんとは違う形でキミに成ったんだから。他の子たちとは違う、キミだけの未来。探して欲しいな」
その言葉が、届いているのかいないのか。
ともかくヒルコは電光の翼に打ち据えられ、灼かれながら、苦しげに歪んでいる。叫んでいる。
「ぐっ……ぉおおおお……うおおおおおおッ……!」
歪むヒルコ。
もはやそれは紡にも、彩吹にも、奏空や翔、たまきにも似てはいない。
ヒルコという存在。その本来の姿が露わになろうとしている、と紡は思った。
「……痛い……苦しい……」
ヒルコの声が、震えている。
「存在……この世に、存在するとは……かくも痛みを、苦しみを、伴うものか……」
「そうだよ。だから僕は存在なんか、したくなかった!」
河村良太が、木陰で叫ぶ。
「どこにもいない人間で良かったんだ。それで本当に、苦しまず嫌な思いもせずにいられるなら! お前はどうなんだ。どこから出て来たのか知らないけど、出て来ない方が良かったんじゃないのか。引きこもってるまんまの方が、そんな痛い思いをしなくて済んだんじゃないのか!」
叫ぶ良太の、傷だらけの拳を、紡は両手と翼でそっと包み込んだ。
「人を殴るのって……めちゃくちゃ痛いよね」
微笑みながら、水行の癒しを行使する。小規模な潤しの雨が、少年の小さな両手に染み込んでゆく。
その様を、彩吹がひょいと覗き込む。
「拳って壊れやすいんだよ。ちゃんとした殴り方をしないとね……いつでも、いくらでも教えてあげるよ良太、それに三十三」
「ぼ、僕もですか?」
「三十三はね、もうちょっと攻撃的なくらいでちょうどいい」
「彩吹さんの戦闘訓練は、このヒルコと戦うよりも過酷ですが……それもまた、存在する事の痛みと苦しみ。確かに、この世に存在するという事は苦しむ事でもある。だから僕は、1度は逃げ出した」
「さとみんは戻って来てくれたぜ。だからヒルコ、お前も来いよ!」
翔が言った。
「オレたちと友達になろうぜ! わかるか? ともだち。一緒に遊んだり飯食ったり考えたり、時々はこんなふうにケンカもしたり、だけど最後は助け合ったり……そういう事してるうちにな、この世にいる事の苦しみなんて割とどーでも良くなっちまう。だから!」
「……皆が皆、あんたの存在を受け入れてくれるわけじゃあない」
奏空が語る。
「現に俺たちは、人間を殺そうとするヒルコを受け入れる事は出来なかった。だから……あんたに、痛みと苦しみを感じさせた。この世に存在する、それは確かにそういう事だよ。何かをすれば、叩かれて痛い思いをする事もある。だけど……あえて偉そうな事言うぞ、そんなものに負けるな! あんたの存在を、少なくとも俺たちは受け入れるし受け止める!」
その叫びを、聞いているのかいないのか。
ともかく、ヒルコは吼えた。
そして翼を広げ、羽ばたき、飛び去った。
凄まじい速度で上空へと消えてゆく、その姿を、紡は片手を廂にして見送った。
「まだまだ……すぐに仲良し、ってわけにはいかない。か」
「いくら長引いたって構わねーぜ。オレはとことんアイツと付き合う。殴り合いの相手だって、いつでもするぜ」
そして最後は友達になる。それが、この成瀬翔という少年なのだ。
「そうだね。皆で焼き芋パーティーしたかったけど、まあ冬物お鍋パーティーでも良し。お花見だって全然いいし」
言いつつ紡は、空を見つめ続けた。
「ねえヒルコんママ。息子さん頑張ってるから、褒めたげて……」
●
褒めてあげて、という言葉が聞こえたような気がした。
『褒めて差し上げるかどうかは、ともかく……何かしらお言葉を交わす必要、大いにあると思いますわ。今が、その時であるとも』
骨だけになった海竜が、それでも威厳を失わず、容赦のない言葉で私を圧してくる。
言われるまでもない、と言い返す事が、私には出来なかった。
彼女に言われなければ、私は心を決める事すら出来ないのだ。
『……お会い、なさいませ』
心無き黄泉の殺戮機械に、心を与えた者がいる。
同じ事が自分に出来る、などと『陰と陽の橋渡し』賀茂たまき(CL2000994)は思っていない。
「ですが、せめて……心の、種を植えて差し上げたいのです。芽吹くのが何千年、何万年後になろうとも」
『それが出来るのであれば、是非ともお手伝いを致したいところ……』
博物館の主とも言うべき巨大展示物が、小さく溜め息をついたようである。
『そのためには、お母上たる貴女のお力添えがなくてはなりませんわ。いかがですの?』
「……私に、何をせよと……」
年齢の読めぬ、美しい女性。怪我でもしているのか、左腕に包帯が巻かれている。
この女性と、ほんの少しでも話しておかなければならない。そのために、たまきは1人この博物館を訪れた。
「……人間の娘よ。そなたは1つ、肝心なところを理解しておらぬ」
まさしく人間離れした美貌が、沈痛な翳りを帯びる。
「あの子は、すでに心を持っているのだ。私に対する、憎しみの心……他の心など、植え付けたところで枯れ果てるだけよ」
「不遜ながら黄泉大神様。貴女は、その憎しみと正面から向き合う義務をお持ちです」
たまきは言った。
本来この地上にいないはずの女性が、暗く微笑む。
「……無理だ。嘲笑うがいい、私は……あの子が、恐ろしい……あの子が生まれた時からだ」
微笑んでいるのではなく、泣いているのかも知れない。
「あの不完全な肉塊が、己の体内からおぞましく現れ出でた時……私は、恐怖のあまり正気を失いかけた。蔑むが良い。私は、そのような母親なのだ」
「黄泉大神様……」
「我ら神という種族は通常、完全なる存在として生を受ける。そなたたちの言う、赤児や幼な子という過程を経る事がないのだ。そのような不完全なるものを育てる力が、神にはない……嘲笑え、人間よ」
たまきは思う。
自分がいつか、赤ん坊という不完全な存在を産み出した時。それを全きものへと育て上げる事が出来るのか。
今、そう問いかけられているのではないか。
●
どうやら完全に戻って来てしまいましたね、篁君。
傷付き心折れ、世間との関わりを絶ってしまった君が……世の人々の視界内に、戻って来てしまった。この世に居なかった君が、存在を始めてしまったのです。もはや誰も君を放っておいてはくれませんよ。世の人々は、寄ってたかって君を傷付けにかかるでしょう。
その人々を守り続ける覚悟、君はすでに出来ているようですが……茨の道を、歩み始めてしまいましたね。
収監中の萩尾高房が、面会の際に語った言葉である。
「僕1人では……踏み出す事さえ出来なかった、茨の道ですよ。萩尾二等」
この場にいない者と会話をしながら『五麟の結界』篁三十三(CL2001480)は、敵を観察した。
翼が生えている。剣を持っている、ようでもある。
賀茂たまきに似ている。『探偵見習い』工藤奏空(CL2000955)にも似ている。『天を舞う雷電の鳳』麻弓紡(CL2000623)にも似ている。『天を翔ぶ雷霆の龍』成瀬翔(CL2000063)のようでもあるし、角度を変えれば『エリニュスの翼』如月彩吹(CL2001525)にも見えてしまう。
まだ自分の姿を持っていないのだ、と三十三は思った。
(まるで以前の僕……いや、今もどうなのかな)
姿の定まらぬ怪物と、1人の少年……河村良太が対峙している。
彩吹が、まずは怪物と良太の間に割って入った。
「頑張ったね、少年。あとは私たちに任せて欲しい。大丈夫、この子に誰も殺させはしないよ」
「なあヒルコ、こいつを見てどう思う」
続いて翔が、怪物に声を投げる。
「良太はな、自分で自分の運命を掴むために頑張った。戦いってのは、そーいうもんなんだ。オマエが今やろうとしてる事は違うぜ!」
「……そやつの戦いは、まだ終わっておらぬ」
ヒルコと呼ばれた怪物が、良太を見据えた。
「そやつを傷付けた者どもが、まだ生きている……殺し尽くさねば戦いは終わらぬ」
「それはねえ、キミの戦いじゃあないんだよ」
紡が、にっこりとヒルコに微笑みかける。そして良太の肩を優しく叩く。
「この子の頑張り、この子だけの勲章。変な横槍入れちゃあメッ! だよねー。いぶちゃん」
「やられたら、やり返す。今時なかなか難しいそれをね、良太は自力でやり遂げたんだよ」
彩吹が言った。
「他人が余計な事しちゃいけない。まあ私がいたら余計な事していただろうけど。あんな連中は」
「空高くさらって行って、如月流飯綱落とし」
「しないよ! ただまあ、辛うじて後遺症が残らない程度に張り倒して蹴飛ばして……なんて発言は教育上よろしくないね。黙っておこうか」
「……そうだ、言葉に意味はない」
ヒルコが、彩吹に似た獰猛な笑顔を浮かべる。
「我は、今よりお前たちを斃す。言葉ではなく力をもって……己の存在を、知らしめる」
「……誰に、知らせたい? 自分の存在を」
薬壺印を結び、光の八葉蓮華を出現させながら奏空が言う。
「あんたの……お母さんに、じゃないのか。こんな事をしなくたって、伝える事は出来るはずだ! ただ一目、お母さんに会えばいい」
たまきが一瞬、複雑な表情を浮かべた。
奏空によく似た顔で、ヒルコが嘲笑う。
「あやつらの事など、もはやどうでも良い。我はな、あやつらに育てられたわけではなく自力でここまでに至ったのだ。まあ生んでくれた事だけは感謝してやっても良いが」
「では……ありがとう、と伝えてあげて下さい」
たまきが言った。
「貴方のお母上は、苦しんでいらっしゃいます。だから許してあげてという事ではありません。許せないとお思いなら、直にそれをお伝えして下さい。言葉に意味はない、などと仰らず……あなたたち母子には、どうか会話をなさって欲しいと思います」
「知った事か! あの者どもなど、もはや我が眼中に無し! 見えているのは、お前たちだ。ふふっ、ふははははははは会いたかったぞ!」
翔に似た顔で、ヒルコは笑った。
「さあ、やろうぞ。我に戦いを教えてくれた者たちよ! お前たちを力で斃し、我はさらに確かなる存在へと進化を遂げる。この世に示すのだ! 我、ここに在りと!」
「……識ってるよ」
紡が、ふわりと翼を広げた。輝ける翼。まるで神仏の後光だ。
天行参式・天照。
その輝きで覚者たちに護りをもたらしながら、紡は言う。
「キミがそこに居るって、ボクたちは識っている。キミを見てる。戦う必要なんて、ないと思うんだなぁ。たまちゃんの言う通りだよ。言葉に意味はない、なんて事は絶対ない。言葉と、それに笑顔で、誰かと繋がる。皆と繋がる。こんな素敵な事キミまだ知らないんだよね? だからさ、一緒にお勉強しよう」
●
目の前に鏡がある、と奏空は思った。
鏡の中の自分が、剣を抜き、踏み込んで来る。
奏空も、抜刀していた。
一閃した刃と刃が、ぶつかり合う。2人の奏空の間で、いくつもの火花が散る。
血飛沫も、散った。無数、交錯した斬撃のいくつかが、奏空の身体を浅く斬り裂いていた。
紡のもたらした天照の加護、それに自身の八葉蓮華鏡。
二重の護りをもってしても完全には防げぬ、激烈な連続斬撃である。奏空はよろめき、呻いた。
「これは……飛燕……!?」
「お前たちの模倣に過ぎぬ……そんな事は、わかっている」
同じく浅手を負ったヒルコが、よくわからぬ色の体液をしぶかせながら翼を広げる。今度は彩吹の姿である。
「だから、お前たちを斃す! さすれば、これらの技は全て我のものよ!」
飛翔のような踏み込み、鋭利な美脚の一閃。紛れもなく鋭刃想脚である。
それを本物の彩吹が、鋭刃想脚ではない技で迎え撃つ。
「模倣……結構じゃないか。どんな事でも最初は人真似から入るものだよ。オリジナルを斃して乗っ取る、いいじゃないか。その意気や良し!」
黒い翼が、嵐を巻き起こしていた。
大量の羽が、嵐に乗って刃と化し、ヒルコの全身をズタズタに切りさいなむ。
体液の飛沫を噴射しながら、ヒルコはよろめき、呟く。
「……欲しいな……その技も……」
「盗んでごらん」
「お前さ。もしかして雷獣、使えたりもする?」
翔が、天空を指差した。
指差された守護使役・空丸が、高らかに啼きながら雷鳴を発する。
「じゃあまずお手本を見せておくぜ。こいつが本物だ! 行くぜ、空丸!」
小さな守護使役の嘴が、巨大な電光を迸らせていた。
雷撃に灼かれ、痙攣するヒルコに、三十三が略式滅相銃を向ける。
「どうか学んで欲しい……自分なりに、考えてみて欲しいと思う。覚者たちが一体、何のために戦っているのかを」
猛回転する銃口から、風の力が銃撃となって放たれる。エアブリットの速射。
「戦いで、己の存在を確立する。それが悪いとは言わない……だけど、ここにいる皆は自分ではなく他の人々を守るために戦っている。その結果として、己の存在が確かなものとなる……そういう事も、あると思う」
「お前たちは……ふふ、確かに……他者を守るためにのみ、戦っていたな」
銃撃に穿たれながら、ヒルコが苦しげに笑う。
「そんな、お前たちは……輝いていた、眩しかった……」
笑いながら、ヒルコは燃え上がっていた。
「今も、お前たちは……我が殺めようとしていた者どもを、守らんとして……出来ぬ、我には出来ぬ! あのような者どもを守るなど、我には無理、不可能! お前たちのように輝く事が我には出来ぬ!」
その炎が球形に固まり、放たれる。術式・火焔連弾そのものの火球であった。
「私は……輝いてなど、いませんよ」
言葉と共に、たまきが光をまとう。土行の力がキラキラと発現し、鎧となって彼女を護る。
そこへ、ヒルコの火球が激突した。
奏空は、息を呑みながら叫んだ。おかしな悲鳴になってしまった。
紡の天照、それに土行の鎧。二重の護りを焼き尽くさんと燃え盛る炎の中で、たまきが奏空に向かって片手を上げる。大丈夫だから騒ぐな、とでも言うかのように。
「私はただ、あなたたち母子の和解が見たい……それだけです。そうする事で、あなた方よりもまず私が救われるから……私はそんな、自分勝手な人間です。輝いてなどいません」
「ごめんよヒルコ、俺も輝いてなんかいない……!」
奏空は、自分を止められなくなった。
守護使役が、後方からぶつかって来る。
「たまきちゃんを攻撃した、あんたを……俺は! 許せない! 他人じゃなく自分のためにしか戦えない! ライライさん力を貸してくれーッ!」
奏空は一瞬、守護使役と一体化していた。翼が、背中から生え広がり、激しく羽ばたく。
高速飛翔、そして斬撃。空襲そのものの『激鱗』が、ヒルコを直撃する。
並の妖であれば跡形もなく切り刻んだであろうと思える手応えを握り締めながら、奏空は守護使役と分離しつつ着地した。
痛々しく揺らぎ、よろめき、体液の飛沫を噴射しながら、しかしヒルコは次なる攻撃に入っている。その全身から、電光が迸っていた。
天照の加護を粉砕せんと荒れ狂う稲妻が、翔を、彩吹を、直撃する。
「ぐうっ……き、聞きなさいヒルコ! 私にもね」
電光に灼かれながら、彩吹が羽ばたく。翼で電撃を打ち払わんとするかのように。
「この羽が生えた時、こんな子は要らないって言う人がいたよ。その時もう信じられないくらい怒ってくれた奴がいてね! そいつの言葉を、君にあげよう!」
鋭利な美脚が、凶暴に乱舞した。猛禽の襲撃にも似た鋭刃想脚が、ヒルコを穿ち、切り裂く。
「君は君だ。いつものままで、そこにいたら、それでいい……誰が否定しようと、君は確かにそこにいる。それでいいじゃないか」
「……オレも認めるぜ。オマエは確かに、そこにいる……認めるしかねえよ。文句なしの、雷獣だったぜ」
電光を振り切るように、翔がカクセイパッドをかざす。
「じゃ、こいつはどうだ。コレも真似出来るかっ!?」
光の矢が表示され、発射される。B.O.T.改。極太の閃光が、ヒルコの身体を貫きへし曲げる。
その間、三十三が翼を揺らし、水行の癒しの力を放散していた。潤しの雨が、覚者たちに降り注ぐ。
容赦なく染み込んで来る治療の痛みに、奏空は耐えた。
「経験した技・術式を、ことごとく習得出来る……というのであれば」
三十三が言った。
「これも危険、かも知れませんね。この強敵に、回復手段まで入手されてしまったらと思うと」
「……いいじゃない、さとみん。このヒルコんはね、何でも出来ちゃう凄い子なんだよ」
紡が、天照の消耗からゆらりと立ち直ってきた。
「そこいらの子じゃ遊び相手も務まんない。だからね、ボクたちが遊んであげる」
●
たまきが、愛らしい掌に気の力を宿し、踏み込んで行く。
「お母上の、仰った通り……ヒルコさん、貴方は心をお持ちです」
言葉と共に叩き込まれた鉄甲掌が、ヒルコの身体を激しく凹ませた。
「力に、拳に、術式に……私たちは、心を乗せて戦っています。ヒルコさん、貴方にもそれが出来るはずですっ!」
心が、あるから。
他の「心」との触れ合いがあるから、成長がある。居場所も出来る。それが、たまきの信念である。
このヒルコと、心を触れ合わせる。そんな事の出来る者が、果たして存在するのか。
「光ちゃん、みたいには……出来ないよね、ヒルコん」
語りかけながら紡は、術杖を振り構えた。
「光ちゃんにとっての悠ちゃんが、キミにはいなかったんだから……でも、それでもね」
雷鳴が轟いた。雷の凰が、そこに出現していた。
「キミは、光ちゃんとは違う形でキミに成ったんだから。他の子たちとは違う、キミだけの未来。探して欲しいな」
その言葉が、届いているのかいないのか。
ともかくヒルコは電光の翼に打ち据えられ、灼かれながら、苦しげに歪んでいる。叫んでいる。
「ぐっ……ぉおおおお……うおおおおおおッ……!」
歪むヒルコ。
もはやそれは紡にも、彩吹にも、奏空や翔、たまきにも似てはいない。
ヒルコという存在。その本来の姿が露わになろうとしている、と紡は思った。
「……痛い……苦しい……」
ヒルコの声が、震えている。
「存在……この世に、存在するとは……かくも痛みを、苦しみを、伴うものか……」
「そうだよ。だから僕は存在なんか、したくなかった!」
河村良太が、木陰で叫ぶ。
「どこにもいない人間で良かったんだ。それで本当に、苦しまず嫌な思いもせずにいられるなら! お前はどうなんだ。どこから出て来たのか知らないけど、出て来ない方が良かったんじゃないのか。引きこもってるまんまの方が、そんな痛い思いをしなくて済んだんじゃないのか!」
叫ぶ良太の、傷だらけの拳を、紡は両手と翼でそっと包み込んだ。
「人を殴るのって……めちゃくちゃ痛いよね」
微笑みながら、水行の癒しを行使する。小規模な潤しの雨が、少年の小さな両手に染み込んでゆく。
その様を、彩吹がひょいと覗き込む。
「拳って壊れやすいんだよ。ちゃんとした殴り方をしないとね……いつでも、いくらでも教えてあげるよ良太、それに三十三」
「ぼ、僕もですか?」
「三十三はね、もうちょっと攻撃的なくらいでちょうどいい」
「彩吹さんの戦闘訓練は、このヒルコと戦うよりも過酷ですが……それもまた、存在する事の痛みと苦しみ。確かに、この世に存在するという事は苦しむ事でもある。だから僕は、1度は逃げ出した」
「さとみんは戻って来てくれたぜ。だからヒルコ、お前も来いよ!」
翔が言った。
「オレたちと友達になろうぜ! わかるか? ともだち。一緒に遊んだり飯食ったり考えたり、時々はこんなふうにケンカもしたり、だけど最後は助け合ったり……そういう事してるうちにな、この世にいる事の苦しみなんて割とどーでも良くなっちまう。だから!」
「……皆が皆、あんたの存在を受け入れてくれるわけじゃあない」
奏空が語る。
「現に俺たちは、人間を殺そうとするヒルコを受け入れる事は出来なかった。だから……あんたに、痛みと苦しみを感じさせた。この世に存在する、それは確かにそういう事だよ。何かをすれば、叩かれて痛い思いをする事もある。だけど……あえて偉そうな事言うぞ、そんなものに負けるな! あんたの存在を、少なくとも俺たちは受け入れるし受け止める!」
その叫びを、聞いているのかいないのか。
ともかく、ヒルコは吼えた。
そして翼を広げ、羽ばたき、飛び去った。
凄まじい速度で上空へと消えてゆく、その姿を、紡は片手を廂にして見送った。
「まだまだ……すぐに仲良し、ってわけにはいかない。か」
「いくら長引いたって構わねーぜ。オレはとことんアイツと付き合う。殴り合いの相手だって、いつでもするぜ」
そして最後は友達になる。それが、この成瀬翔という少年なのだ。
「そうだね。皆で焼き芋パーティーしたかったけど、まあ冬物お鍋パーティーでも良し。お花見だって全然いいし」
言いつつ紡は、空を見つめ続けた。
「ねえヒルコんママ。息子さん頑張ってるから、褒めたげて……」
●
褒めてあげて、という言葉が聞こえたような気がした。
『褒めて差し上げるかどうかは、ともかく……何かしらお言葉を交わす必要、大いにあると思いますわ。今が、その時であるとも』
骨だけになった海竜が、それでも威厳を失わず、容赦のない言葉で私を圧してくる。
言われるまでもない、と言い返す事が、私には出来なかった。
彼女に言われなければ、私は心を決める事すら出来ないのだ。
『……お会い、なさいませ』
■シナリオ結果■
成功
■詳細■
MVP
なし
軽傷
なし
重傷
なし
死亡
なし
称号付与
なし
特殊成果
なし
