【禍津皇子】棄て子の産声
●
本日、健太が25歳の誕生日を迎えた。
いくつになっても、私から見れば子供である。昔から本当に手の掛かる息子だった。お嫁に来てくれた洋子さんには、感謝しかない。
家族全員で、お祝いをした。
残念ながら、健太も洋子さんもケーキを食べられない。
私が腕によりをかけて焼き上げた特性バースデーケーキは、だから健児が1人で平らげる事になった。
洋子さんが産んでくれた、健太の息子。私の可愛い初孫である。
大食らいの健太に似て、よく食べる子だ。ケーキだけでは足りなくなったので今こうして外出し、追加のご馳走を食べさせているところである。
「ひいっ! や、やめてくれぇえええ」
喚く男の頭を、と言うより上半身を、健児がパクリと食いちぎる。
もぐもぐと人体を咀嚼しながら、健児は残った下半身の方を私に差し出してきた。
「ありがとう。でも私はいいのよ。全部、貴方がお食べなさい」
私は健児の頭を撫でた。
「貴方はね、健太の分まで大きくならないといけないのよ」
こんなに可愛い健児を見て、街の人々は悲鳴を上げ、逃げ惑っている。
「逃げないで、皆さん……どうか、この子を……健児を、私の孫を見て下さい……」
私は、訴えかけた。
人間の下半身をフライドチキンの如くかじりながら健児は、逃げ惑う人々をよちよちと追う。
生まれたばかりの健児が、もう歩ける。走れる。自力で食べ物を手に入れる事が出来る。
私は、嬉しくて涙を流していた。
「いっぱい食べて、すくすく育つ健児を……見て……」
●
一見どうという事もない普通の人間の近くに、謎めいた怪物が出現し、破壊・殺傷行為を開始する。
そんな事件が、多発していた。
ここへ来るまでに何体も倒して来たが、きりがない、と五樹影虎は思っている。
うんざりな気分も、しかし冷えて消し飛ぶ光景であった。
「おい爺さん……これも、自己顕示欲ってやつか?」
「……我が子を……見て欲しい。存在を認めて欲しい……その一心と言うべきでしょう」
五麟学園で、用務員をしている老人。本日は、休暇をもらっての遠出である。影虎は護衛だ。
東北地方某県、とある寺院。
無数の絵馬が奉納され、堂内の壁一面どころか天井にまで飾られている。
和洋様々な婚礼の様子が描かれた絵馬。
子供を亡くした親御たちが、絵馬の中で、我が子を架空の花嫁あるいは花婿と結婚させる。この地方の、古くからの風習であるらしい。
死せる子供の、幸せな結婚を祈る心。
それが、ぼんやりと実体化しつつあった。
影虎が倒した怪物たちと同じような何かが、堂内あちこちで揺らめいている。実体を得る寸前。
老人が、もう1人の同行者に声をかけた。
「さあ、出番ですよ光璃さん」
抱えて運ぶ大きさの、卵。それが、短い足と長い尻尾を生やし、なおかつ注連縄を身に巻いている。
そんな生き物が、ぴょこんと跳ねて発光する。
稲妻のようなその光が一瞬、堂内に満ちた。
実体化寸前であったものたちが、消滅した。
「お見事。出現してしまったものは影虎さんにお任せするしかありませんが、実体化の前であれば」
「おう……すげえな、お前」
光璃と呼ばれたものを、影虎は撫でた。
老人が、絵馬の一枚を見つめている。
「人の想いとは、消せぬもの……そこへ人ならざるものの想いが混ざり込み、恐ろしい形となってしまう事もあるのですね」
「そういう時のための、俺たちファイヴだぜ。なあ光璃」
影虎も、その絵馬を見た。
凛々しい花婿の傍らに、名前と死亡年月が記されている。
須藤健太という男の子が、3歳で亡くなっていた。絵馬の中で、洋子と名付けられた架空の花嫁と並んでいる。
存命であれば、二十代半ばの夫婦。子供もいるとしたら、それは絵馬を奉納した人物にとっては孫である。
存在するはずのない、孫である。
本日、健太が25歳の誕生日を迎えた。
いくつになっても、私から見れば子供である。昔から本当に手の掛かる息子だった。お嫁に来てくれた洋子さんには、感謝しかない。
家族全員で、お祝いをした。
残念ながら、健太も洋子さんもケーキを食べられない。
私が腕によりをかけて焼き上げた特性バースデーケーキは、だから健児が1人で平らげる事になった。
洋子さんが産んでくれた、健太の息子。私の可愛い初孫である。
大食らいの健太に似て、よく食べる子だ。ケーキだけでは足りなくなったので今こうして外出し、追加のご馳走を食べさせているところである。
「ひいっ! や、やめてくれぇえええ」
喚く男の頭を、と言うより上半身を、健児がパクリと食いちぎる。
もぐもぐと人体を咀嚼しながら、健児は残った下半身の方を私に差し出してきた。
「ありがとう。でも私はいいのよ。全部、貴方がお食べなさい」
私は健児の頭を撫でた。
「貴方はね、健太の分まで大きくならないといけないのよ」
こんなに可愛い健児を見て、街の人々は悲鳴を上げ、逃げ惑っている。
「逃げないで、皆さん……どうか、この子を……健児を、私の孫を見て下さい……」
私は、訴えかけた。
人間の下半身をフライドチキンの如くかじりながら健児は、逃げ惑う人々をよちよちと追う。
生まれたばかりの健児が、もう歩ける。走れる。自力で食べ物を手に入れる事が出来る。
私は、嬉しくて涙を流していた。
「いっぱい食べて、すくすく育つ健児を……見て……」
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一見どうという事もない普通の人間の近くに、謎めいた怪物が出現し、破壊・殺傷行為を開始する。
そんな事件が、多発していた。
ここへ来るまでに何体も倒して来たが、きりがない、と五樹影虎は思っている。
うんざりな気分も、しかし冷えて消し飛ぶ光景であった。
「おい爺さん……これも、自己顕示欲ってやつか?」
「……我が子を……見て欲しい。存在を認めて欲しい……その一心と言うべきでしょう」
五麟学園で、用務員をしている老人。本日は、休暇をもらっての遠出である。影虎は護衛だ。
東北地方某県、とある寺院。
無数の絵馬が奉納され、堂内の壁一面どころか天井にまで飾られている。
和洋様々な婚礼の様子が描かれた絵馬。
子供を亡くした親御たちが、絵馬の中で、我が子を架空の花嫁あるいは花婿と結婚させる。この地方の、古くからの風習であるらしい。
死せる子供の、幸せな結婚を祈る心。
それが、ぼんやりと実体化しつつあった。
影虎が倒した怪物たちと同じような何かが、堂内あちこちで揺らめいている。実体を得る寸前。
老人が、もう1人の同行者に声をかけた。
「さあ、出番ですよ光璃さん」
抱えて運ぶ大きさの、卵。それが、短い足と長い尻尾を生やし、なおかつ注連縄を身に巻いている。
そんな生き物が、ぴょこんと跳ねて発光する。
稲妻のようなその光が一瞬、堂内に満ちた。
実体化寸前であったものたちが、消滅した。
「お見事。出現してしまったものは影虎さんにお任せするしかありませんが、実体化の前であれば」
「おう……すげえな、お前」
光璃と呼ばれたものを、影虎は撫でた。
老人が、絵馬の一枚を見つめている。
「人の想いとは、消せぬもの……そこへ人ならざるものの想いが混ざり込み、恐ろしい形となってしまう事もあるのですね」
「そういう時のための、俺たちファイヴだぜ。なあ光璃」
影虎も、その絵馬を見た。
凛々しい花婿の傍らに、名前と死亡年月が記されている。
須藤健太という男の子が、3歳で亡くなっていた。絵馬の中で、洋子と名付けられた架空の花嫁と並んでいる。
存命であれば、二十代半ばの夫婦。子供もいるとしたら、それは絵馬を奉納した人物にとっては孫である。
存在するはずのない、孫である。

■シナリオ詳細
■成功条件
1.古妖・ヒルコの撃破
2.なし
3.なし
2.なし
3.なし
とある市街地に古妖・ヒルコが出現し、道行く人々を捕食せんとしております。これを討伐して下さい。
オープニング中ではすでに人死にが出ておりますが、皆様にはヒルコによる最初の捕食の直前に駆け付けていただく事になります。
場所は昼間の街中。大勢の通行人が、恐慌に陥り逃げ惑っております。
ヒルコ(1体)の攻撃手段は、噛みつきや怪力を駆使しての白兵戦(物近単、BS呪縛)の他、口から吐き出す光弾(特遠、単または列または全。BS呪縛)。
1体しかおりませんが、前シナリオ『棄て子の呼び声』に登場したものよりも強力な個体であります。
現場には、東北某県出身の一般人女性・須藤初音女史(51歳)がいて、ヒルコを自分の孫だと思い込んでおります。
ヒルコは自身の近くに存在する生命体ことごとくを捕食対象と認識していますが、彼女にだけは一切、危害を加えません。
それでは、よろしくお願い申し上げます。
状態
完了
完了
報酬モルコイン
金:0枚 銀:1枚 銅:0枚
金:0枚 銀:1枚 銅:0枚
相談日数
7日
7日
参加費
100LP[+予約50LP]
100LP[+予約50LP]
参加人数
6/6
6/6
公開日
2019年10月10日
2019年10月10日
■メイン参加者 6人■

●
一目見て、『天を舞う雷電の鳳』麻弓紡(CL2000623)は確信した。
「……残念、これも分身ちゃんだね。ヒルコん御本体に、かなり近付いてるとは思うけど」
醜悪なのかどうかすら、よくわからない何か。じっと観察してもシルエットの把握し難い、巨大な肉塊。
大きさは牛ほど、であろうか。
「んー、よく見ると……赤ちゃん、に見えない事もない。のかな? っとと、そんな事言ってる場合じゃないね。はいはーい、皆さん落ち着いて」
よちよちと歩き彷徨う、奇怪な巨体。それが、しかし捕食者の動きである事を紡は見て取った。
無様で危なっかしい歩き方、に見えて意外に速い。そんな動きで、奇怪なるものは道行く人々に襲いかかろうとしている。
悲鳴を上げ、逃げ惑う人々に、紡は声をかけ続けた。
「はい押さない、駆けない、喋らない。戻らない近寄らない。『おかしもち』をきっちり守って安全避難、いいよーその調子」
そんな言葉に合わせて、守護使役のトゥーリが高らかに啼く。
恐慌に陥っていた人々が、その声に導かれて整然と避難の隊列を組み始めるが、全員がそうではない。
「ひいっ! や、やめてくれぇえええ」
男が1人、路面に尻餅をついて怯え叫ぶ。
そこへ、巨大な赤児に見えなくもない怪物が迫る。頭部らしき部分が、ぱっくりと裂け開いて牙を見せる。
口であった。
日本刀のような牙を剥き出しにした大口が、泣き喚く男にガバァーッと襲いかかる。
紡が動く前に、疾風が吹いた。
疾風のような人影が、男の眼前に着地しながら薬壺印を結ぶ。
大口を開いた怪物の動きが、止まった。薬師如来の印に気圧されている、ように見える。
「させはしないよ……」
怪物に向かって薬壺印を結んでいるのは、『探偵見習い』工藤奏空(CL2000955)であった。
「いっぱい食べて大きくなる、のは悪い事じゃあない。けど人間を食べるのは駄目だ」
瑠璃色の光の粒子がキラキラと、奏空の全身から放散されて覚者全員を包み込む。
術式防御の煌めきをまといながら紡は、
「そうそう。世の中にはね、もっと美味しい物いっぱいあるんだから」
泣き怯えている男の肩を、背後からぽんと叩いた。
そして襟首を掴み、立ち上がらせた。
男を半ば無理矢理、避難の隊列へと引き連れて行く紡。
入れ替わるように『赤き炎のラガッツァ』ラーラ・ビスコッティ(CL2001080)が立った。
「貴方には、甘い焼き菓子を食べさせてあげたいです。だから……どうか、良い子にしていて下さい」
「私からはね、これを君に食らわせてあげよう。なに遠慮する事はない」
鋭利な五指をぐっと握り固め、凶器そのものの拳を作りながら、『エリニュスの翼』如月彩吹(CL2001525)が前衛に出る。
「紡の言う通り、君がヒルコの分身で……こないだの連中と、記憶や経験を共有していると言うのなら。私たちの事、覚えてるかな? また一緒に遊んであげるよ」
「やめて……」
辛うじて聞き取れる、弱々しい声。
身なりの良い、年配の女性が1人。怪物の傍らに立って、落ち着きなく言い募っている。
「何なの、あなたたち……健児に、寄ってたかって……」
「ごめん、おばさん。本当にごめん。オレたち、寄ってたからねえと健児に勝てねー」
1人の和装の青年が、その女性の眼前に立った。『天を翔ぶ雷霆の龍』成瀬翔(CL2000063)。今は覚醒状態、長身の青年の姿であるが、この女性には覚醒前の少年に見えている事だろう。
「幻視が……効いている、ようですね」
小声を発しながら、『陰と陽の橋渡し』賀茂たまき(CL2000994)が前衛に立つ。
「須藤さんの護衛と避難は、翔さんにお任せしましょう。私たちは」
「そうだね。健児! さあ私たちが相手をするよ。お前の存在の証、見せてごらん」
彩吹の両眼が、赤く燃え輝く。火行因子の活性化であった。
ラーラが、同じく炎を燃やしている。
「ヒルコ……いえ、須藤健児さんとお呼びするべきなのでしょうか」
たおやかな繊手の動きに合わせて、炎の花が咲き、火の粉にも似た香気の粒子を舞い散らせる。
「貴方の最も近くにある餌は、私たちです。さあ、補食する事が出来ますか?」
護りの術式、清廉珀香。その赤く燃え煌めく香気が、覚者6名を包み込んだ。
ヒルコ、あるいは須藤健児。そう名付けられた巨大な怪物の眼前に、彩吹とたまきが、奏空が、ラーラが立ち塞がる。4人で、怪物の動きを止める。
その間、紡が通行人の避難誘導を何としても完遂する。1人の犠牲者も出さないのが自分の役目だ、と紡は思い定めている。
そして、翔は。
(相棒……)
避難の意思を見せようともしない1人の女性と、翔はじっと対峙している。
須藤初音。51歳。
この世に存在しないはずの孫・健児から、彼女を引き離す。それが翔の、今回の役目だ。
ある意味、6人のうちで最も過酷とも言える任を、翔がいかにして果たすのか。
聞いてはいる。能力的に、不可能とも思えない。
だが紡は、泣き怯える男の首根っこを引きずりながら思ってしまう。
(……出来るの? 相棒に、そんな事……)
●
たまきが、キラキラと舞う土行の鎧を装着してゆく。
彩吹が、それに興味を示した。
「それ、いつ見ても格好いいよね。凰乱演符・護りの陣、だっけ? 私にも出来ないかなあ」
「ごめんなさい、これは術者本人のみが対象で……他の人にかけようとしても、上手くいかないんです」
「変身・装着系の術式、私が何か自力で覚えるしかないかな……っと、そんな場合でもないか」
よちよちと彷徨っていたヒルコの巨体が、地響きを立てて突進を開始していた。覚者6名を、まとめて轢き殺す勢いである。
まずは奏空が、それを迎え撃った。
「そう、それでいい。俺たちの方がずっと歯応えあって美味しいよっ!」
抜刀。一閃で2度の斬撃が繰り出され、ヒルコの巨大な体表面に十文字の裂傷を刻み込む
そこへ、黒い嵐が襲いかかった。
彩吹の羽ばたきが、無数の黒い羽を放出していた。
手裏剣の如く飛んだそれらが、ヒルコの巨体を穿ち、切り裂く。
体液を霧状に噴射しながら、ヒルコはしかし突進を止めない。
自分も戦いに参加するべき、なのだろうと翔は思う。
だが今、翔の戦いは、ここにある。
「……オレたち、さ。健児と、遊びに来たんだ」
言葉をかける。
須藤健児の祖母、である女性が、まっすぐに翔の瞳を見つめている。
「健児……と……?」
須藤初音が言った。夢の中で会話をしているような口調だ、と翔は感じた。
「健児に……一緒に遊んでくれる友達は、いません。誰も、健児を……見てくれません……」
「オレたちがいる。オレたちが、見てるよ。健児の事」
目をそらさずに、翔は言った。
今この女性に、翔の両目、以外のものを見せてはならない。
須藤健児が、路面を突き破って生えた土の槍に刺し貫かれ、痛々しく体液を噴射している様。そんなものを、見せてはならないのだ。
たまきの『隆神槍』であった。
その直撃を食らったヒルコが、しかし土の槍に巨体の一部を切り裂かれながらも突進を止めない。
奏空、彩吹、たまき。覚者3人による一連の攻撃に耐え抜いたヒルコが、どうやらラーラに狙いを定めている。
一般人を近付かせない妖精結界の発生源であるラーラを、体当たりで粉砕せんとしている。
妖精結界が失われれば、通行人が近付いて来る、餌が増える……などという計算が働くだけの知能を、ヒルコという怪物が持っているのかどうか、それはわからない。
ともかく。ヒルコの突進の進路上に、たまきが立った。ラーラの盾となる格好だ。
「させません……!」
土行の甲冑に身を固めた少女の細身が、激しく揺らいで鮮血の霧を漂わせた。
それと共に、瑠璃色の光と、火の粉にも似た香気の粒子が、キラキラと飛散する。奏空とラーラによる防御術式が、しかしどの程度たまきを守ったのかはわからない。
ともかく。ヒルコの巨体が、暴走車両の如く、たまきに激突していた。
「たまきちゃん……!」
ラーラの悲鳴が、かすれた。
奏空が、悲鳴を上げる事も出来ずに青ざめ、固まっている。
「平気……では、ありません……が……っ」
あらゆる方向に血飛沫を放射しながら、たまきが路上に両膝をつく。
ヒルコの巨体は、いくらか後方によろめいただけだ。
その様を見つめ、たまきは苦しげに微笑む。
戦い傷付く仲間に、しかし加勢どころか視線を向ける事すら、今の翔には許されていない。
ヒルコという危険な怪物を己の初孫と思い込んでいる女性から、眼差しを外してはならないのだ。
「おばさん……須藤さんも、さ。見守っててくれよ」
須藤初音の、現実を見失いかけている瞳をまっすぐに見据え、翔は語りかけた。
「そしたらさ、6対1でも健児が勝っちまうかも知れねーぜ?」
魔眼。
こうして目を逸らさずにいる限り、人の心を一時的にせよ操る事が出来る。
愛しい孫が、覚者たちと凄惨な殺し合いをしている光景を、楽しい遊びと認識させる事が出来る。
今なら、この須藤初音女史に、戦いの様を見せても大丈夫か。
覚者たちが手を繋いで健児を囲み、「かごめかごめ」でもしているように思わせる事が出来るのか。
「だからさ、離れて見守っててくれねーかな……オレたちが、健児を……」
覚者の力で、人の心を操る。
自分の孫を守りたい一心でいる女性を、魔眼で騙す。そして彼女の眼前で、その孫を……この世から、消す。
紡の言う通り、分身のようなものであったとしても、須藤初音にとっては、眼前で孫が殺される事にしかならないのだ。
それを、魔眼という能力で誤魔化す。
「……何……やってんだよ、一体オレはぁああああああああああああああッッ!」
翔は、須藤女史の目を見つめる事が出来なくなった。
叫び、崩折れ、両の拳で路面を叩く。
「七星剣の連中だって……やらねーぞ、こんな事……!」
すぐに翔は顔を上げ、立ち上がり、須藤女史の両眼をまっすぐ見据えた。魔眼を実行するため、ではなく。
「須藤さん聞いてくれ! あんたの孫は……健児はな、人を食う。人を食って大きくなる、それじゃダメなんだよ! そんな奴を、オレたち放っとくワケにいかねーんだ!」
翔は、涙を流していた。
「あの健児は、アンタの孫じゃねえ……まやかし……いや関係ねーよな、そんな事……」
「……貴方は、演説をしていた子ね」
須藤初音が、微笑んだ。
「私ね、貴方たち覚者の人たちを……何でも出来る、都合のいい神様のような存在だと思っていました。だけど今、わかったわ……本当に苦しみながら、傷付きながら、貴方たちは戦っているのね」
「須藤さん……」
「どうか、お願いします」
礼儀正しく、須藤女史が細身を折って頭を下げる。
「健児を……私から、解放してあげて下さい」
●
ヒルコの体当たりを喰らったたまきが、血まみれの細身をよろよろと揺らしながら辛そうに微笑む。
「健児さん……いえ、ヒルコさんとお呼びしましょう。貴方の、存在の重さ……しかと受け止めましたよ」
よろめく彼女を、奏空が後ろから抱き支えている。
その抱擁の中で、たまきの生命力が燃えるように活性化してゆくのを、ラーラは見て取った。
奏空の、癒力大活性。
癒しを得たたまきの口調が、力強さを増す。
「ですが、これではまだ駄目です。須藤さんの心に御自身を投影させる事でしか、存在を保てないようでは……ヒルコさん。貴方はまだ、この世の方ではありません」
「須藤さんに……お孫さんは、いないんだよ」
たまきを支えたまま、奏空が言う。
「お孫さんが生まれる、ずっと前に御子息が亡くなっている……供養しなきゃいけないんだよ! それはつまり、君の存在を否定する事になるんだけど」
ヒルコを見つめる奏空の瞳が、涙に沈みかけている。
「君がいる限り、須藤さんは御子息の……死を、受け入れられなくて……それは、息子さんの存在を認めていないのと同じで……何て事だよ。君と同じじゃないか、ヒルコ……」
「大丈夫だぜ、奏空」
翔が、いつの間にか、そこにいた。
「須藤さんは、もう大丈夫だ。後はオレたちが、やるべき事をやるだけ」
「……翔くんも、大丈夫のようですね」
いささか余計な事と知りつつ、ラーラは言った。
「ごめんなさい。私、ちょっと心配していたんです」
「へへっ……まあな。あの沢井みたいな奴がいたのは、確かにショックだけどよっ」
翔が、印を結ぶ。雷獣の印。
「わかってくれる人だって、確かにいるんだ!」
電光が迸り、ヒルコを直撃する。
彩吹が、それに合わせた。
「私は……きっと冷たい奴なんだろうな」
鋭利な美脚が、斬撃の形に乱舞する。鋭刃想脚が、電光に灼かれるヒルコをずたずたに切り苛む。
そこへ彩吹は、着地と同時に掌を叩き込んだ。
「君を、こんなふうに叩きのめす事が出来る。それに健児……存在しないはずの君を生み出してしまう、人の想い。それを、恐いと感じてしまう」
風が生じた、とラーラは思った。彩吹の掌で、空気の塊が発生し荒れ狂う。零距離からのエアブリット。
ひしゃげて揺らぐヒルコに、彩吹は微笑みかける。
「そんな冷たい私だけどね……君が、お祖母ちゃんを手にかけなかった事にだけは救われてるよ。本当に、ありがとう」
「もちろん、他の人なら殺して食べても良いわけではありませんよ」
ラーラは片手を舞わせた。可憐な指先が炎を灯し、紅蓮のインクで空中に魔法陣を描き出す。
「人を食べて大きくなるような子は……悪い子です。石炭を差し上げましょう、イオ・ブルチャーレ!」
燃え盛る石炭、どころではない巨大な火球が、魔法陣から発射されてヒルコを直撃する。巨体が炎に包まれ、表記不可能な絶叫を張り上げる。
悲鳴か、怒号か。
否、とラーラは感じた。
(この世に……生まれていない、事にされてしまった赤ちゃんの……産声?)
「……存在、したいのですね。ヒルコさん」
たまきが、踏み込みの構えを取る。
「貴方が、貴方として存在出来る……その道を、私たちと一緒に探して歩みましょう。さあ行きますよ奏空さん」
「たまきちゃん、無理はしないで!」
合わせて、奏空も踏み込んで行く。
斬撃の嵐が吹き荒れた。激鱗だった。
「この世は、痛いぞ……覚悟が出来たら、いつでも来い! 親御さんに認められなくたっていい、俺たちが!」
「私たちが、貴方の存在を受け止めますからっ!」
奏空の激鱗に、たまきが先程の返礼の如き突進で続いて行く。愛らしい掌に気の力を宿し、それを叩き込んでゆく。鉄甲掌。
斬り裂かれ、へし曲げられながら、ヒルコは哭いた。
あるいは、吼えた。
「産声……」
呆然と呟きながら、ラーラは吹っ飛んでいた。
奏空も、たまきも、彩吹も翔も、吹っ飛んでいた。瑠璃色の光と香気の粒子を、血飛沫の如く飛び散らせながら。
ヒルコの大口から、産声と共に光が迸っていた。
純粋な、破壊力の塊。
それが、無数の光球となって覚者全員を直撃したのである。
「ぐうッ……げ、元気な子だね……」
彩吹が、血を吐きながら無理矢理に笑う。
ラーラは微笑む事も出来ず、弱々しくのたうち回っていた。体内で、折れた肋骨がどこかに刺さっている。
そこへ、癒しの水気が容赦なく染み込んでくる。麻酔なしで傷口を縫い骨を繋ぐかのような、術式治療。
倒れた覚者たちに、『潤しの雨』が降り注いでいた。
「ごめん、遅くなっちった。避難誘導って、ちゃんとやったら半端なく時間かかるよねえ」
ゆったり羽ばたいて水行の治癒力を制御しながら、紡が歩いて来る。細い左肩に守護使役を止まらせ、たおやかな右手で術杖をくるりと振るいながら。
翔が、声をかけた。
「助かったぜ、紡……」
「相棒もね」
紡が微笑む。
「相棒は……やっぱり、相棒のやり方じゃないとね」
●
紡のエアブリット、翔のB.O.T.、ラーラの火焔連弾。
それらが一つの、力の塊となって、ヒルコの巨体を粉砕していた。
奏空は、確かに見た。
粉砕される寸前のヒルコが、少し離れた所に佇む須藤初音に向かって、巨大な口をにっこりと曲げる様を。
手を振った、ようでもある。いや手なのかどうかは不明だが、とにかく彼は別れを告げたのだ。自分を、初孫として慈しんでくれた女性に。
その瞬間だけ、須藤健児は確かに存在した。
粉砕されたものがキラキラと飛散し、消えてゆく様を見つめながら、奏空はそう思う。
見つめる事しか出来ない奏空の肩を、たまきが優しく叩いてくれた。
一瞬だけしか存在出来なかった孫を、須藤女史がじっと見送っている。
「須藤さん……私たちの事は、恨んで下さい」
彩吹が声をかけ、そして俯いてしまう。
「……ごめんなさい。つまらない事、言いました」
須藤女史は何も言わず、ただ微笑んで一礼した。
そして歩み去って行く。足取りは、しっかりしたものだ。
「……駄目ですね。私も、お慰めの言葉など口にしてしまうところでした」
ラーラが、呟く。
「かける言葉なんて、あるわけがないのに……」
「会わせて、あげられるよ。またきっと」
紡が空を見上げ、何者かに語りかけた。
「キミの声、確かに聞こえたよ。だから今度はね、こっちから声を……想いを、届ける番。美味しいものパーティーはね、その時のお楽しみだよ」
一目見て、『天を舞う雷電の鳳』麻弓紡(CL2000623)は確信した。
「……残念、これも分身ちゃんだね。ヒルコん御本体に、かなり近付いてるとは思うけど」
醜悪なのかどうかすら、よくわからない何か。じっと観察してもシルエットの把握し難い、巨大な肉塊。
大きさは牛ほど、であろうか。
「んー、よく見ると……赤ちゃん、に見えない事もない。のかな? っとと、そんな事言ってる場合じゃないね。はいはーい、皆さん落ち着いて」
よちよちと歩き彷徨う、奇怪な巨体。それが、しかし捕食者の動きである事を紡は見て取った。
無様で危なっかしい歩き方、に見えて意外に速い。そんな動きで、奇怪なるものは道行く人々に襲いかかろうとしている。
悲鳴を上げ、逃げ惑う人々に、紡は声をかけ続けた。
「はい押さない、駆けない、喋らない。戻らない近寄らない。『おかしもち』をきっちり守って安全避難、いいよーその調子」
そんな言葉に合わせて、守護使役のトゥーリが高らかに啼く。
恐慌に陥っていた人々が、その声に導かれて整然と避難の隊列を組み始めるが、全員がそうではない。
「ひいっ! や、やめてくれぇえええ」
男が1人、路面に尻餅をついて怯え叫ぶ。
そこへ、巨大な赤児に見えなくもない怪物が迫る。頭部らしき部分が、ぱっくりと裂け開いて牙を見せる。
口であった。
日本刀のような牙を剥き出しにした大口が、泣き喚く男にガバァーッと襲いかかる。
紡が動く前に、疾風が吹いた。
疾風のような人影が、男の眼前に着地しながら薬壺印を結ぶ。
大口を開いた怪物の動きが、止まった。薬師如来の印に気圧されている、ように見える。
「させはしないよ……」
怪物に向かって薬壺印を結んでいるのは、『探偵見習い』工藤奏空(CL2000955)であった。
「いっぱい食べて大きくなる、のは悪い事じゃあない。けど人間を食べるのは駄目だ」
瑠璃色の光の粒子がキラキラと、奏空の全身から放散されて覚者全員を包み込む。
術式防御の煌めきをまといながら紡は、
「そうそう。世の中にはね、もっと美味しい物いっぱいあるんだから」
泣き怯えている男の肩を、背後からぽんと叩いた。
そして襟首を掴み、立ち上がらせた。
男を半ば無理矢理、避難の隊列へと引き連れて行く紡。
入れ替わるように『赤き炎のラガッツァ』ラーラ・ビスコッティ(CL2001080)が立った。
「貴方には、甘い焼き菓子を食べさせてあげたいです。だから……どうか、良い子にしていて下さい」
「私からはね、これを君に食らわせてあげよう。なに遠慮する事はない」
鋭利な五指をぐっと握り固め、凶器そのものの拳を作りながら、『エリニュスの翼』如月彩吹(CL2001525)が前衛に出る。
「紡の言う通り、君がヒルコの分身で……こないだの連中と、記憶や経験を共有していると言うのなら。私たちの事、覚えてるかな? また一緒に遊んであげるよ」
「やめて……」
辛うじて聞き取れる、弱々しい声。
身なりの良い、年配の女性が1人。怪物の傍らに立って、落ち着きなく言い募っている。
「何なの、あなたたち……健児に、寄ってたかって……」
「ごめん、おばさん。本当にごめん。オレたち、寄ってたからねえと健児に勝てねー」
1人の和装の青年が、その女性の眼前に立った。『天を翔ぶ雷霆の龍』成瀬翔(CL2000063)。今は覚醒状態、長身の青年の姿であるが、この女性には覚醒前の少年に見えている事だろう。
「幻視が……効いている、ようですね」
小声を発しながら、『陰と陽の橋渡し』賀茂たまき(CL2000994)が前衛に立つ。
「須藤さんの護衛と避難は、翔さんにお任せしましょう。私たちは」
「そうだね。健児! さあ私たちが相手をするよ。お前の存在の証、見せてごらん」
彩吹の両眼が、赤く燃え輝く。火行因子の活性化であった。
ラーラが、同じく炎を燃やしている。
「ヒルコ……いえ、須藤健児さんとお呼びするべきなのでしょうか」
たおやかな繊手の動きに合わせて、炎の花が咲き、火の粉にも似た香気の粒子を舞い散らせる。
「貴方の最も近くにある餌は、私たちです。さあ、補食する事が出来ますか?」
護りの術式、清廉珀香。その赤く燃え煌めく香気が、覚者6名を包み込んだ。
ヒルコ、あるいは須藤健児。そう名付けられた巨大な怪物の眼前に、彩吹とたまきが、奏空が、ラーラが立ち塞がる。4人で、怪物の動きを止める。
その間、紡が通行人の避難誘導を何としても完遂する。1人の犠牲者も出さないのが自分の役目だ、と紡は思い定めている。
そして、翔は。
(相棒……)
避難の意思を見せようともしない1人の女性と、翔はじっと対峙している。
須藤初音。51歳。
この世に存在しないはずの孫・健児から、彼女を引き離す。それが翔の、今回の役目だ。
ある意味、6人のうちで最も過酷とも言える任を、翔がいかにして果たすのか。
聞いてはいる。能力的に、不可能とも思えない。
だが紡は、泣き怯える男の首根っこを引きずりながら思ってしまう。
(……出来るの? 相棒に、そんな事……)
●
たまきが、キラキラと舞う土行の鎧を装着してゆく。
彩吹が、それに興味を示した。
「それ、いつ見ても格好いいよね。凰乱演符・護りの陣、だっけ? 私にも出来ないかなあ」
「ごめんなさい、これは術者本人のみが対象で……他の人にかけようとしても、上手くいかないんです」
「変身・装着系の術式、私が何か自力で覚えるしかないかな……っと、そんな場合でもないか」
よちよちと彷徨っていたヒルコの巨体が、地響きを立てて突進を開始していた。覚者6名を、まとめて轢き殺す勢いである。
まずは奏空が、それを迎え撃った。
「そう、それでいい。俺たちの方がずっと歯応えあって美味しいよっ!」
抜刀。一閃で2度の斬撃が繰り出され、ヒルコの巨大な体表面に十文字の裂傷を刻み込む
そこへ、黒い嵐が襲いかかった。
彩吹の羽ばたきが、無数の黒い羽を放出していた。
手裏剣の如く飛んだそれらが、ヒルコの巨体を穿ち、切り裂く。
体液を霧状に噴射しながら、ヒルコはしかし突進を止めない。
自分も戦いに参加するべき、なのだろうと翔は思う。
だが今、翔の戦いは、ここにある。
「……オレたち、さ。健児と、遊びに来たんだ」
言葉をかける。
須藤健児の祖母、である女性が、まっすぐに翔の瞳を見つめている。
「健児……と……?」
須藤初音が言った。夢の中で会話をしているような口調だ、と翔は感じた。
「健児に……一緒に遊んでくれる友達は、いません。誰も、健児を……見てくれません……」
「オレたちがいる。オレたちが、見てるよ。健児の事」
目をそらさずに、翔は言った。
今この女性に、翔の両目、以外のものを見せてはならない。
須藤健児が、路面を突き破って生えた土の槍に刺し貫かれ、痛々しく体液を噴射している様。そんなものを、見せてはならないのだ。
たまきの『隆神槍』であった。
その直撃を食らったヒルコが、しかし土の槍に巨体の一部を切り裂かれながらも突進を止めない。
奏空、彩吹、たまき。覚者3人による一連の攻撃に耐え抜いたヒルコが、どうやらラーラに狙いを定めている。
一般人を近付かせない妖精結界の発生源であるラーラを、体当たりで粉砕せんとしている。
妖精結界が失われれば、通行人が近付いて来る、餌が増える……などという計算が働くだけの知能を、ヒルコという怪物が持っているのかどうか、それはわからない。
ともかく。ヒルコの突進の進路上に、たまきが立った。ラーラの盾となる格好だ。
「させません……!」
土行の甲冑に身を固めた少女の細身が、激しく揺らいで鮮血の霧を漂わせた。
それと共に、瑠璃色の光と、火の粉にも似た香気の粒子が、キラキラと飛散する。奏空とラーラによる防御術式が、しかしどの程度たまきを守ったのかはわからない。
ともかく。ヒルコの巨体が、暴走車両の如く、たまきに激突していた。
「たまきちゃん……!」
ラーラの悲鳴が、かすれた。
奏空が、悲鳴を上げる事も出来ずに青ざめ、固まっている。
「平気……では、ありません……が……っ」
あらゆる方向に血飛沫を放射しながら、たまきが路上に両膝をつく。
ヒルコの巨体は、いくらか後方によろめいただけだ。
その様を見つめ、たまきは苦しげに微笑む。
戦い傷付く仲間に、しかし加勢どころか視線を向ける事すら、今の翔には許されていない。
ヒルコという危険な怪物を己の初孫と思い込んでいる女性から、眼差しを外してはならないのだ。
「おばさん……須藤さんも、さ。見守っててくれよ」
須藤初音の、現実を見失いかけている瞳をまっすぐに見据え、翔は語りかけた。
「そしたらさ、6対1でも健児が勝っちまうかも知れねーぜ?」
魔眼。
こうして目を逸らさずにいる限り、人の心を一時的にせよ操る事が出来る。
愛しい孫が、覚者たちと凄惨な殺し合いをしている光景を、楽しい遊びと認識させる事が出来る。
今なら、この須藤初音女史に、戦いの様を見せても大丈夫か。
覚者たちが手を繋いで健児を囲み、「かごめかごめ」でもしているように思わせる事が出来るのか。
「だからさ、離れて見守っててくれねーかな……オレたちが、健児を……」
覚者の力で、人の心を操る。
自分の孫を守りたい一心でいる女性を、魔眼で騙す。そして彼女の眼前で、その孫を……この世から、消す。
紡の言う通り、分身のようなものであったとしても、須藤初音にとっては、眼前で孫が殺される事にしかならないのだ。
それを、魔眼という能力で誤魔化す。
「……何……やってんだよ、一体オレはぁああああああああああああああッッ!」
翔は、須藤女史の目を見つめる事が出来なくなった。
叫び、崩折れ、両の拳で路面を叩く。
「七星剣の連中だって……やらねーぞ、こんな事……!」
すぐに翔は顔を上げ、立ち上がり、須藤女史の両眼をまっすぐ見据えた。魔眼を実行するため、ではなく。
「須藤さん聞いてくれ! あんたの孫は……健児はな、人を食う。人を食って大きくなる、それじゃダメなんだよ! そんな奴を、オレたち放っとくワケにいかねーんだ!」
翔は、涙を流していた。
「あの健児は、アンタの孫じゃねえ……まやかし……いや関係ねーよな、そんな事……」
「……貴方は、演説をしていた子ね」
須藤初音が、微笑んだ。
「私ね、貴方たち覚者の人たちを……何でも出来る、都合のいい神様のような存在だと思っていました。だけど今、わかったわ……本当に苦しみながら、傷付きながら、貴方たちは戦っているのね」
「須藤さん……」
「どうか、お願いします」
礼儀正しく、須藤女史が細身を折って頭を下げる。
「健児を……私から、解放してあげて下さい」
●
ヒルコの体当たりを喰らったたまきが、血まみれの細身をよろよろと揺らしながら辛そうに微笑む。
「健児さん……いえ、ヒルコさんとお呼びしましょう。貴方の、存在の重さ……しかと受け止めましたよ」
よろめく彼女を、奏空が後ろから抱き支えている。
その抱擁の中で、たまきの生命力が燃えるように活性化してゆくのを、ラーラは見て取った。
奏空の、癒力大活性。
癒しを得たたまきの口調が、力強さを増す。
「ですが、これではまだ駄目です。須藤さんの心に御自身を投影させる事でしか、存在を保てないようでは……ヒルコさん。貴方はまだ、この世の方ではありません」
「須藤さんに……お孫さんは、いないんだよ」
たまきを支えたまま、奏空が言う。
「お孫さんが生まれる、ずっと前に御子息が亡くなっている……供養しなきゃいけないんだよ! それはつまり、君の存在を否定する事になるんだけど」
ヒルコを見つめる奏空の瞳が、涙に沈みかけている。
「君がいる限り、須藤さんは御子息の……死を、受け入れられなくて……それは、息子さんの存在を認めていないのと同じで……何て事だよ。君と同じじゃないか、ヒルコ……」
「大丈夫だぜ、奏空」
翔が、いつの間にか、そこにいた。
「須藤さんは、もう大丈夫だ。後はオレたちが、やるべき事をやるだけ」
「……翔くんも、大丈夫のようですね」
いささか余計な事と知りつつ、ラーラは言った。
「ごめんなさい。私、ちょっと心配していたんです」
「へへっ……まあな。あの沢井みたいな奴がいたのは、確かにショックだけどよっ」
翔が、印を結ぶ。雷獣の印。
「わかってくれる人だって、確かにいるんだ!」
電光が迸り、ヒルコを直撃する。
彩吹が、それに合わせた。
「私は……きっと冷たい奴なんだろうな」
鋭利な美脚が、斬撃の形に乱舞する。鋭刃想脚が、電光に灼かれるヒルコをずたずたに切り苛む。
そこへ彩吹は、着地と同時に掌を叩き込んだ。
「君を、こんなふうに叩きのめす事が出来る。それに健児……存在しないはずの君を生み出してしまう、人の想い。それを、恐いと感じてしまう」
風が生じた、とラーラは思った。彩吹の掌で、空気の塊が発生し荒れ狂う。零距離からのエアブリット。
ひしゃげて揺らぐヒルコに、彩吹は微笑みかける。
「そんな冷たい私だけどね……君が、お祖母ちゃんを手にかけなかった事にだけは救われてるよ。本当に、ありがとう」
「もちろん、他の人なら殺して食べても良いわけではありませんよ」
ラーラは片手を舞わせた。可憐な指先が炎を灯し、紅蓮のインクで空中に魔法陣を描き出す。
「人を食べて大きくなるような子は……悪い子です。石炭を差し上げましょう、イオ・ブルチャーレ!」
燃え盛る石炭、どころではない巨大な火球が、魔法陣から発射されてヒルコを直撃する。巨体が炎に包まれ、表記不可能な絶叫を張り上げる。
悲鳴か、怒号か。
否、とラーラは感じた。
(この世に……生まれていない、事にされてしまった赤ちゃんの……産声?)
「……存在、したいのですね。ヒルコさん」
たまきが、踏み込みの構えを取る。
「貴方が、貴方として存在出来る……その道を、私たちと一緒に探して歩みましょう。さあ行きますよ奏空さん」
「たまきちゃん、無理はしないで!」
合わせて、奏空も踏み込んで行く。
斬撃の嵐が吹き荒れた。激鱗だった。
「この世は、痛いぞ……覚悟が出来たら、いつでも来い! 親御さんに認められなくたっていい、俺たちが!」
「私たちが、貴方の存在を受け止めますからっ!」
奏空の激鱗に、たまきが先程の返礼の如き突進で続いて行く。愛らしい掌に気の力を宿し、それを叩き込んでゆく。鉄甲掌。
斬り裂かれ、へし曲げられながら、ヒルコは哭いた。
あるいは、吼えた。
「産声……」
呆然と呟きながら、ラーラは吹っ飛んでいた。
奏空も、たまきも、彩吹も翔も、吹っ飛んでいた。瑠璃色の光と香気の粒子を、血飛沫の如く飛び散らせながら。
ヒルコの大口から、産声と共に光が迸っていた。
純粋な、破壊力の塊。
それが、無数の光球となって覚者全員を直撃したのである。
「ぐうッ……げ、元気な子だね……」
彩吹が、血を吐きながら無理矢理に笑う。
ラーラは微笑む事も出来ず、弱々しくのたうち回っていた。体内で、折れた肋骨がどこかに刺さっている。
そこへ、癒しの水気が容赦なく染み込んでくる。麻酔なしで傷口を縫い骨を繋ぐかのような、術式治療。
倒れた覚者たちに、『潤しの雨』が降り注いでいた。
「ごめん、遅くなっちった。避難誘導って、ちゃんとやったら半端なく時間かかるよねえ」
ゆったり羽ばたいて水行の治癒力を制御しながら、紡が歩いて来る。細い左肩に守護使役を止まらせ、たおやかな右手で術杖をくるりと振るいながら。
翔が、声をかけた。
「助かったぜ、紡……」
「相棒もね」
紡が微笑む。
「相棒は……やっぱり、相棒のやり方じゃないとね」
●
紡のエアブリット、翔のB.O.T.、ラーラの火焔連弾。
それらが一つの、力の塊となって、ヒルコの巨体を粉砕していた。
奏空は、確かに見た。
粉砕される寸前のヒルコが、少し離れた所に佇む須藤初音に向かって、巨大な口をにっこりと曲げる様を。
手を振った、ようでもある。いや手なのかどうかは不明だが、とにかく彼は別れを告げたのだ。自分を、初孫として慈しんでくれた女性に。
その瞬間だけ、須藤健児は確かに存在した。
粉砕されたものがキラキラと飛散し、消えてゆく様を見つめながら、奏空はそう思う。
見つめる事しか出来ない奏空の肩を、たまきが優しく叩いてくれた。
一瞬だけしか存在出来なかった孫を、須藤女史がじっと見送っている。
「須藤さん……私たちの事は、恨んで下さい」
彩吹が声をかけ、そして俯いてしまう。
「……ごめんなさい。つまらない事、言いました」
須藤女史は何も言わず、ただ微笑んで一礼した。
そして歩み去って行く。足取りは、しっかりしたものだ。
「……駄目ですね。私も、お慰めの言葉など口にしてしまうところでした」
ラーラが、呟く。
「かける言葉なんて、あるわけがないのに……」
「会わせて、あげられるよ。またきっと」
紡が空を見上げ、何者かに語りかけた。
「キミの声、確かに聞こえたよ。だから今度はね、こっちから声を……想いを、届ける番。美味しいものパーティーはね、その時のお楽しみだよ」
■シナリオ結果■
成功
■詳細■
MVP
なし
軽傷
なし
重傷
なし
死亡
なし
称号付与
なし
特殊成果
なし
