【禍津皇子】棄て子の呼び声
●
あの三枝義弘という政治家は、国賊である。
隔者というテロリストの群れを引き連れて、国家転覆に等しい事をやらかそうとしているのだ。
その隔者どもの筆頭、三枝の秘書だか用心棒だかをしている大男がいて、そいつは日本人ではない。
つまり三枝は、日本をあの国に売り渡そうとしているのだ。
国家転覆、外患誘致。まさしく万死に値する。
俺がそう書き込んだところ、大いに炎上した。
もちろん賛同者もいて、俺を叩く奴らを大いに攻撃してくれた。
俺を中心とした、お祭り騒ぎが繰り広げられた。
最高の気分だった。
俺は調子に乗って、ひたすら三枝を叩き続けた。
飽きられた。
俺がどんな罵詈雑言を書き込んでも、誰も反応してくれなくなった。炎上すらしない。叩かれもしない。
誰も、俺に注目してくれない。
「見ろよ、俺を……」
もはや自分でもわからない支離滅裂な何事かを、ひたすら書き込みながら、俺は呟き続けた。
「俺を見ろ……俺を、見ろよ……見てくれよぉ……」
何かが、俺の周囲に現れて立った、ような気がした。
●
目が覚めた。
私はのろのろと身を起こし、己の顔面をそっと撫でてみた。
さらりとした、素肌の感触。
柔らかな唇、端整な鼻梁。自慢の美貌の、感触だった。
「そう……か。戻って来てしまったのだな、お前も……」
呟きながら、右手で頭を押さえる。左手は、動かない。
己の全身を、私は見下ろし確認した。
すらりと形良く伸びた両脚、優美な女体の凹凸。
どうしようもなく腐敗していた私の全身が、美しく蘇っている。
腐り果てた脱け殻であった私の身体に、力が戻って来てしまったのだ。
「災禍をもたらすもの……それ以外、それ以上の何かに、結局お前たちは成れなかった……」
当然、ではある。
あの子たちは、私の憎しみが形を得たものだ。
私の憎しみを実行する。それ以外の事など、出来るはずがないのだ。
私は、立ち上がった。身体は問題なく動く。
左腕だけが、動かない。
腐肉のこびり付いた骨が、左肩からだらりと垂れ下がっている。
「お前は……お前だけは、己の往く道を見つける事が出来たのだね。1つの、独立した存在として」
会いたい。
だが、私にはその資格がない。
あの子たち、だけではない。最初に生んだ子供さえ、私は育てる事が出来なかったのだ。
神とは本来、完成された状態で生まれ出でるもの。私も、あの男も、そうだった。
未完成の生命を、私たちは育てる事が出来なかった。
だから、捨てた。
そのせいで、あの子は誰にも見てもらえない存在となってしまったのだ。
己の腐り果てた左腕に、私は語りかけていた。
「身勝手な願いである事は承知……お前の遠い兄弟を、どうか救ってはくれぬか……」
●
誰にも見てもらえない、はずの存在が、目に見えるものとして出現した。
公園のベンチで、ひたすらスマートフォンを弄っている1人の男。
その周囲で、揺らめきながら呻いているものたち。
「おれを、みろぉ……」
「おれを……みてくれぇ……」
それらは今、1人の人間の心と同調し、奇怪な怪物としての実体を獲得していた。
あの三枝義弘という政治家は、国賊である。
隔者というテロリストの群れを引き連れて、国家転覆に等しい事をやらかそうとしているのだ。
その隔者どもの筆頭、三枝の秘書だか用心棒だかをしている大男がいて、そいつは日本人ではない。
つまり三枝は、日本をあの国に売り渡そうとしているのだ。
国家転覆、外患誘致。まさしく万死に値する。
俺がそう書き込んだところ、大いに炎上した。
もちろん賛同者もいて、俺を叩く奴らを大いに攻撃してくれた。
俺を中心とした、お祭り騒ぎが繰り広げられた。
最高の気分だった。
俺は調子に乗って、ひたすら三枝を叩き続けた。
飽きられた。
俺がどんな罵詈雑言を書き込んでも、誰も反応してくれなくなった。炎上すらしない。叩かれもしない。
誰も、俺に注目してくれない。
「見ろよ、俺を……」
もはや自分でもわからない支離滅裂な何事かを、ひたすら書き込みながら、俺は呟き続けた。
「俺を見ろ……俺を、見ろよ……見てくれよぉ……」
何かが、俺の周囲に現れて立った、ような気がした。
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目が覚めた。
私はのろのろと身を起こし、己の顔面をそっと撫でてみた。
さらりとした、素肌の感触。
柔らかな唇、端整な鼻梁。自慢の美貌の、感触だった。
「そう……か。戻って来てしまったのだな、お前も……」
呟きながら、右手で頭を押さえる。左手は、動かない。
己の全身を、私は見下ろし確認した。
すらりと形良く伸びた両脚、優美な女体の凹凸。
どうしようもなく腐敗していた私の全身が、美しく蘇っている。
腐り果てた脱け殻であった私の身体に、力が戻って来てしまったのだ。
「災禍をもたらすもの……それ以外、それ以上の何かに、結局お前たちは成れなかった……」
当然、ではある。
あの子たちは、私の憎しみが形を得たものだ。
私の憎しみを実行する。それ以外の事など、出来るはずがないのだ。
私は、立ち上がった。身体は問題なく動く。
左腕だけが、動かない。
腐肉のこびり付いた骨が、左肩からだらりと垂れ下がっている。
「お前は……お前だけは、己の往く道を見つける事が出来たのだね。1つの、独立した存在として」
会いたい。
だが、私にはその資格がない。
あの子たち、だけではない。最初に生んだ子供さえ、私は育てる事が出来なかったのだ。
神とは本来、完成された状態で生まれ出でるもの。私も、あの男も、そうだった。
未完成の生命を、私たちは育てる事が出来なかった。
だから、捨てた。
そのせいで、あの子は誰にも見てもらえない存在となってしまったのだ。
己の腐り果てた左腕に、私は語りかけていた。
「身勝手な願いである事は承知……お前の遠い兄弟を、どうか救ってはくれぬか……」
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誰にも見てもらえない、はずの存在が、目に見えるものとして出現した。
公園のベンチで、ひたすらスマートフォンを弄っている1人の男。
その周囲で、揺らめきながら呻いているものたち。
「おれを、みろぉ……」
「おれを……みてくれぇ……」
それらは今、1人の人間の心と同調し、奇怪な怪物としての実体を獲得していた。

■シナリオ詳細
■成功条件
1.古妖・ヒルコの撃破
2.なし
3.なし
2.なし
3.なし
五麟学園近くの、とある公園に古妖・ヒルコが出現しました。
公園のベンチでは、一般人の男・沢井圭介(25歳)がスマートフォンにひたすら何事かを書き込んでおります。
ヒルコたちは、彼の自己顕示欲と同調して実体化したもので、状況開始時点では5体。自己顕示欲の凶暴化がすでに臨界に達しており、目につくもの全てに対して攻撃を仕掛ける状態です。
放っておけば、まずは沢井が殺されるでしょう。一般人なので一撃で死にます。
覚者の皆様が、最初のターンから普通に戦闘に入って下されば、ヒルコたちは皆様の方を敵と認識し、沢井を放置して応戦するでしょう。
ヒルコ5体は、うち3体が前衛、2体が中衛左右で、中衛中央の位置に沢井がいます。臆病者なので、戦闘が始まれば腰を抜かして行動不能に陥ります。
ヒルコの攻撃手段は、怪力による白兵戦(物近単)、口から吐き出す光弾(特遠、単または列)。
時間帯は真昼。公園ですので若干、人通りがあります。
それでは、よろしくお願い申し上げます。
状態
完了
完了
報酬モルコイン
金:0枚 銀:1枚 銅:0枚
金:0枚 銀:1枚 銅:0枚
相談日数
7日
7日
参加費
100LP[+予約50LP]
100LP[+予約50LP]
参加人数
6/6
6/6
公開日
2019年09月16日
2019年09月16日
■メイン参加者 6人■

●
醜悪な怪物。美少女や美少年。雄々しい戦士。愛らしい小動物。
全てに共通しているのは「神の子」「捨て子」という設定である。
そんな様々な姿の『ヒルコ』が表示されている。
どれと比べても奇怪で異質で、何とも形容しようのないものたちが、力士並みの巨体を重たげに揺らしながら呻いていた。
「おれを、みろ……」
「おれを、みてくれぇ……」
桂木日那乃(CL2000941)は、スマートフォンから視線を上げた。
「そう……あなたたち、神様に捨てられた……子供?」
子供は、身近にいる大人の真似を、とりあえずしてみるものである。
その大人を、日那乃はちらりと睨み据えた。
「ヒルコ……そのひとの真似、したら駄目」
一応、年齢的には大人である1人の男が、ベンチにしがみついて震え上がり、怯えている。
その周囲に現れた、5つの巨体。
奇怪にして異質、何とも形容し難いその姿は、1つの存在として形が定まる前に、この世から捨てられてしまった結果である。
形が定まる事なく、この世に戻って来てしまったものたちに、日那乃は語りかけた。
「おともだち、できない……よ?」
送受心・改も、併用してみる。
「ヒルコは、いい子……だから、大丈夫」
「ヒルコをね、悪い子にするのは許さないよ」
言いつつ『エリニュスの翼』如月彩吹(CL2001525)が、ベンチ上の男をぎらりと見据える。
「そんな奴に、染まっちゃいけない……さあヒルコたち、こっちへおいで。私たちと戦おうじゃないか」
ぎらりと燃える眼差しが、5体のヒルコに向けられる。
赤く輝く瞳。彩吹の中で、火行因子が燃え盛っているのだ。
「そんな奴は放っておいて、こっちを見なさい。私も、お前たちを見ている……お前たちは、確かにそこにいる。それを証明するためにも」
「彩吹さん、それ……違う、かも」
日那乃は言った。
「送受心で、何となく……わかった。この子たち、ここにいない……今いるの、影みたいなもの」
「何だって……」
「私も、そう思います」
彩吹と同じく両眼を赤く発光させながら『赤き炎のラガッツァ』ラーラ・ビスコッティ(CL2001080)が言った。こちらは錬覇法の輝きだ。
「エネミースキャンで調べてみました。このヒルコたちの能力……全て、同じです。数値にしてみれば0.1の差異もありません。まるで生き物ではない、規格の合った大量生産品のように」
「……なるほどね。誰かが自分の影だか分身だかをコピペしまくってる、と」
顎に片手を当て考察しているのは、『天を舞う雷電の鳳』麻弓紡(CL2000623)である。
「自分は、どこかに引きこもったまんま……ね」
「何だ……そういう事か。それなら遠慮はいらないなあ」
彩吹が、拳を鳴らした。
「引きこもりは、外へ引きずり出すだけだ。容赦はしないよ」
「どうなのかな……引きこもってるんじゃなく、追い出されたのかも知れない。この世の外へ、流されて……捨てられて」
言いつつ『探偵見習い』工藤奏空(CL2000955)が、薬壺印を結ぶ。
「だから、この世の誰にも見てもらえない……誰かに、自分を見て欲しい。思いはそれに尽きるんだろうけど」
「そう。だからって、この世で人殺しをさせるわけにはいかないよね」
言葉と共に紡が、護符を掲げる。
「まずはキミたちの思い、受け止めるよ。とっておきの天行参式……ビスコちゃん、ソラっち、ガード固めるよっ!」
「はい、誰も傷付けさせはしません。この妖精結界で!」
「八葉蓮華鏡……ヒルコよ、君たちの荒ぶる思い! まずは俺にぶつけるといい」
覚者3名が、守りの術式を行使する。
誘われたように、ヒルコたちが突っ込んで来る。力士並みの巨体が5つ、覚者たちを轢き殺す勢いで突進する。
「みて……くれぇ……おれをぉ……」
「おれをみろぉ……」
地響きのような足音と、自己顕示欲の叫び。
この世から追い出されてしまった者の影が、しかし今や実体を得て、この世に生きる者たちに物理的な暴虐を働こうとしている。
それを、まずは彩吹が迎え撃った。
「そうだよ、それでいい。お前たちの相手は……そんな奴じゃあなくて私たちだ!」
黒い翼が、激しく羽ばたく。
大量に舞い散った羽が、超高速で渦を巻きながらヒルコたちに突き刺さる。
5つの巨体が、硬直した。
その様を日那乃は見据え、両手をかざした。術式の狙いを定めた。
「捨てられて、許せなくて、暴れたい……なら、暴れればいい。わたしたち相手に、ね」
可愛らしい両手の間で、空気が渦巻き、風となった。
暴風の砲弾が生成・発射されていた。エアブリット。
ベンチにしがみつき怯えている男の傍らで、ヒルコの1体がその直撃を喰らい、肉片と体液を飛び散らせる。
その飛沫を浴びた男が、ベンチの上で悲鳴を上げた。
「ひぃっ、うあぁう! あひぃいいいいい!」
「……静かにしろ。喋るな。口閉じて歯ぁ食いしばれ、舌噛むぞ」
喚く男の身体を、『天を翔ぶ雷霆の龍』成瀬翔(CL2000063)が無理矢理に担ぎ上げ、運んで行く。
狙い通り、と言うべきであろうであろう。ヒルコたちはそちらを見向きもせず、彩吹に、奏空に、巨体をぶつけて行く。
体当たり、であろうか。腕に似たものを振り下ろしている、ようでもある。
ともかく。その攻撃を喰らって、彩吹と奏空が微量の鮮血を散らせ、よろめいた。
紡が、心配そうな声を発する。
「っと……いぶちゃん」
「平気。紡がね、きっちりガード固めてくれたから」
彩吹が微笑み、ゆらりと構え直す。霞舞。カウンターの一撃を、叩き込んだようであった。攻撃側であるはずのヒルコが、よろよろと後退りをしている。
その後方では、日那乃のエアブリットで負傷した1体が、返礼の動きに入っていた。口吻とおぼしき部分を、こちらに向かって禍々しく発光させている。
その光が、球形の塊となって発射された。
日那乃は翼を閉じた。そこへ、ヒルコの光球が激突する。
普通の人体であれば一撃で破裂するだろう、と日那乃は感じた。
その破壊力の塊が、しかし砕け散って光の飛沫となる。
それを払いのける形に、日那乃は翼を開いた。
「紡さんの、防護術式……すごい……」
「ふふふ。これぞ天行参式、天照」
飛来したヒルコの光球を、同じく翼で打ち砕きながら紡が言う。
「たまごちゃん、改め光ちゃんの姉様がね、ボクらを守ってくれている。で、ヒルコちゃんたち。キミらはそのさらにお兄様って事になるワケだけど……えーと、なるのかな日那ちゃん」
「光璃まで入れると……神様の系図、ややこしく、なる」
「海骨ちゃんまで入れなきゃいけなくなっちゃうかな。とにかく! お兄ちゃんなんだから、おイタは駄目ですよー」
●
ヒルコ2体の突進が、奏空を直撃する。
直撃と同時に一瞬、光の八葉蓮華が浮かび上がった。
奏空の細い身体が後方へ揺らぎ、ヒルコの巨体2つが同じく後ろへよろめいて体液の飛沫を散らす。
どうにか倒れず踏みとどまった奏空に、ラーラが言葉をかけた。
「奏空さんは今……私の、盾になりましたね?」
「な、何の事かな」
「……ありがとうございます、とは言っておきますが騎士道も程々に。奏空さんに何かあったら私、あの子に顔向け出来ませんから」
「ラーラさんには……妖精結界を、維持してもらわなきゃいけないから」
その妖精結界が、効いている。いくらか人通りのあった公園は、今やほぼ無人であった。皆、勝手に避難してくれる。
この男も逃げたいのだろう、と翔は思った。
「……もちろん避難はさせてやる。けどな、その前に」
路上へ投げ出すように、翔は男を解放した。
覚醒を解いてスマートフォンを取り出そう……として、翔はその手を止めた。
今ここで、この男の顔と名前を押さえ、いつでも警察へ突き出せる状態にする。
そこに、いかなる意味があるのか。仮にこの男を警察に逮捕させたところで、何かが変わるのか。
立ち上がれず怯えている、この沢井という男に、己を変える事が出来るのか。
「……何だ……一体、何なんだよアンタは……」
声が震えるのを、翔は止められなかった。
「見たぞ、アンタの書き込み……見なきゃ良かったって、心から思うぜ。今もまだ気持ちわりーよ」
これまで戦ってきた、どの妖よりも、おぞましいものを見てしまった。翔は、そう思う。
「……何で、あんな事が書ける……?」
翔は訊いた。
「オレだってな、三枝先生の事そんなに知ってるわけじゃねーよ。けどアンタだってそうだろ? ろくに知りもしねえ相手の事を……何で、あんな……」
こんな話をしている場合では、ないのではないか。翔の心のどこかに、そんな思いがある。
覚者とヒルコの戦いを、どうにか視認する事の出来る距離であった。
錬覇法の輝きを両眼に宿した奏空が、抜刀した刃から白色の光を迸らせている。気の力。その白色光が弾丸の嵐となって、ヒルコたちを薙ぎ払う。
烈空波であった。
その光の弾幕に、彩吹が飛び蹴りで突っ込んで行く。こちらは鋭刃想脚である。
ヒルコたちの巨体が、撃ち抜かれ切り裂かれ、体液の飛沫を噴射しながらも、力士の如く覚者たちに迫る。
仲間たちが、戦っているのだ。
人の話を聴く事が出来るかどうかもわからぬ男に、こんな語りかけをしている場合ではない。
そう思いつつも翔は、言葉を止める事が出来なかった。
「……注目……されるため、か? 人の悪口を書いて、注目される……おい、わかってんのか。それで注目されるのはアンタじゃねえ、三枝さんだぞ!? 誰かの悪口を言うってのはなあ、そーいう事だ! 人のフンドシで相撲取ってんじゃねえぞ!」
隔者が相手でも、ここまで激怒した事が自分は果たしてあっただろうか、と翔は思う。
「男だったらな、自分で行動して注目されるように頑張らねえとダメだろーがぁあああああッ!」
翔は、沢井の胸ぐらを掴んでいた。
戦闘区域では、日那乃が飛翔しつつ羽ばたいて水行の力を放散し、渦巻かせ、流水で出来た龍を出現させている。
水龍牙。
その直撃を喰らいながらもヒルコたちは、巨体を突進させ、あるいは光弾を吐き、応戦する。
紡が天行参式で手厚く防護している覚者たちに対しては決定打とならない、だが普通の人間が食らえば生きてはいられぬ攻撃である。
その戦いに、翔は無理矢理、沢井の顔を向けた。
「見ろよ。アンタの小汚い欲が生み出したモノ、自分の目でちゃんと見ろ。あいつらが人殺したらな、そりゃアンタが殺したって事になるんだぞ! わかってんのか!」
「……そうか……そうだよ……」
沢井が、ようやく言葉を発した。
「人……殺しゃいいんだよ……そうすりゃ、みんな見てくれる」
「……………………冗談で、言ってるんだよな?」
掴んだ胸ぐらに、思いきり雷獣を流し込む。
その衝動を、翔は懸命に抑え込まなければならなかった。
「そーいう冗談は許せねえ……冗談じゃなしに、本当に何かやりやがったら……タダじゃおかねえぞ」
もはや他に言う事もなく、翔は沢井を放り捨てるように解放した。
●
「良い子に甘い焼き菓子を、悪い子には石炭を!」
ラーラが叫び、可憐な指先に魔法の火を灯し、空中に炎の魔法陣を描いている。
猛々しく燃え盛るものが、その魔法陣から出現し、ヒルコたちを強襲した。
それは、炎の獣毛を揺らめかせる虎であった。いや、豹か。もしかしたら巨大な家猫かも知れない。
炎の猫が、燃え盛る牙と爪と獣毛で、ヒルコたちを薙ぎ払う。
「イオ・ブルチャーレ! ……かわいそうな捨て子である貴方たちには、ぜひとも甘い焼き菓子を振る舞って差し上げたいところですが」
炎に焼かれながらも突進して来る異形の巨体たちを見つめ、ラーラは言う。
「……そんな事を言っている、場合ではなさそうですね」
「いいじゃないビスコちゃん。美味しいお菓子、食べさせてあげようじゃない」
あの博物館で催した食事会を、紡は思い出していた。悠璃と光璃が、主役だった。
「最後は皆でさ、美味しいもの食べてハッピーエンド。それで行こうよ!」
翼を広げながら、紡は術杖を掲げた。
隣に、いつの間にか翔が立っている。
「……一緒にやろうぜ、紡」
「おっと相棒」
翔の声が、重く暗い。が、何があったの、などと訊いている場合ではない。ともかく要救助者の避難は済んだ、という事である。
「……じゃ、久々にいこうか。龍と鳳の乱れ舞い」
「ああ。やっぱりな、みんなと一緒に戦ってるのが一番だぜ!」
翔の声が、明るくなった。
危うい明るさだ、と紡は感じた。笑いながら、翔はしかし泣き出しそうでもある。
雷鳴が、轟いた。
翔の降らせた雷が龍と化し、紡の放った電光が鳳凰と成る。稲妻の爪牙が、雷霆の翼が、ヒルコたちを激しく灼いた。
「その雷」
彩吹が言った。
「本当は、あそこで呆けてる奴に叩き込んでやりたかった? ねえ翔」
「オレ……普通の人間って連中が、わかんなくなっちまったよ」
翔は、俯いている。
「いい人だって、いっぱいいる……そりゃあもちろん、わかっちゃいるんだ……」
「相棒……」
翔は、慰めなど求めてはいない。それは紡も、理解はしている。
それでも、かける言葉をつい探してしまい、見つけられずにいる自分を、紡は情けなく思った。
●
雷が、風が、炎が、荒れ狂った。
翔の雷獣、日那乃のエアブリット、ラーラの火焔連弾。
それらに援護される格好で、奏空は彩吹と共に踏み込んで行った。
激鱗と、鋭刃想脚。
斬撃と蹴りが、嵐となって、ヒルコの最後の1体を粉砕する。
「おれを……みろおぉ……」
巨体の破片が、弱々しい言葉に合わせて消滅してゆく。
「……駄目だよ、それじゃあ」
鋭利な美脚をゆらりと着地させながら、彩吹が声をかける。
「こんな分身だけを大量に垂れ流しているようじゃ、ね……匿名でつまらない書き込みをしている連中と、大して違いはしない。本当のお前が、出ておいで。自分はここにいるんだと主張してごらん。私は見る。しっかり見届けるよ、お前を」
「ヒルコ……本体と言うべき存在が、どこかにいる……か」
奏空は見回した。
今、戦った5体のヒルコは、全て影。斃した巨体は消滅し、屍など残っていない。
殺してしまった、わけではない。
安心してしまう自分は甘いのだろうか、と奏空は思う。
無言で俯いている翔の肩を、軽く叩きながら、日那乃が言った。
「影……斃しても、消えるだけ。いつか本体と……本当の、ヒルコと」
「傷つけ合う、ついた傷は消えない。そんな戦いをする事になるのでしょうが」
ラーラの口調が、重い。
何かに、彼女は気付いたのだ。
「皆さん……周りを、見て下さい」
戦闘は終わり、妖精結界は解除された。公園に人通りが戻りつつある。
忙しく電話をしながら歩いている勤め人、ベビーカーを押す女性、スマートフォンから目を離さず危険な歩き方をしている若者。
全員の背後で、大きな影のようなものが揺らめいている。か細い呻きを発しながら。
『おれを、みろぉ……』
『みて……あたしを、みてよぉおお……』
今のところ、覚者にしか聞こえない声。覚者の目でのみ視認する事が出来る、影のような姿。
奏空は、息を呑んだ。
翔が、無言でそれらを睨み据える。
日那乃は、表情は変えていない。
彩吹は、低い声を発している。
「あれが全部……今すぐにでも、実体化するかも知れないと?」
「……その危険性は、高いと思います」
ラーラが言った。
「自己顕示欲……これは、ほとんど全ての人が多かれ少なかれ持っているもの。私たちにだって、全く無いとは」
「……言えない、か」
奏空は、呻いた。
「全ての人間に、ヒルコの影が憑いている……見て欲しい、と強く思った瞬間、実体化をする……」
「ねえキミ。ここにはいない、見えざるキミ。お母様がね、キミのこと心配してるよー」
紡が、何者かに語りかけている。
「そりゃあね、キミにとっては自分を捨てた母君だけど……許してあげて、なんて言えないけど。許す術を、道を、一緒に探す事が出来たらいいのにって思うよ」
紡の声が、もしかしたら聞こえているのか。
ここにはいない、どこかにいる、ヒルコの本体とも呼ぶべき存在に、紡の言葉が届いているのか。
少なくとも今、奏空の視界の中で、ヒルコが実体化する事はなさそうであった。
「時を重ねて、友愛を経て、光に転じた子を1人ボクは知ってる。キミに……会ってみて、欲しいなあ」
紡の言葉に合わせるように、人々の背後の影のようなものたちが薄れ、消えてゆく。
人の自己顕示欲は、承認欲求は、しかし容易く燃え上がる。そうなれば、また現れるに違いない。下手をすれば実体化する。
「ヒルコの本体……何とかして、見つけ出さないと」
奏空が言うと、日那乃が何か思いついたようだったようだった。
「自己顕示欲……すごく、すごく、すごく高めて燃やせば。ヒルコの影、じゃなくて本体、出て来る。かも?」
「にしても、例えばネットで目立ちたい、程度の思いじゃ駄目だと思うよ。そんなんじゃ、また影しか出て来ない」
奏空なりに、考察をしてみた。
「ヒルコの……見て欲しいっていう思いは、そんなのよりもっとずっと純粋なものだ。だから……純粋な思いなら、あるいは」
「ヒルコさんは……ご自分の存在を、どなたに見せたがっておられるのでしょう」
ラーラが言った。
「その方ご本人が、いらっしゃれば……」
醜悪な怪物。美少女や美少年。雄々しい戦士。愛らしい小動物。
全てに共通しているのは「神の子」「捨て子」という設定である。
そんな様々な姿の『ヒルコ』が表示されている。
どれと比べても奇怪で異質で、何とも形容しようのないものたちが、力士並みの巨体を重たげに揺らしながら呻いていた。
「おれを、みろ……」
「おれを、みてくれぇ……」
桂木日那乃(CL2000941)は、スマートフォンから視線を上げた。
「そう……あなたたち、神様に捨てられた……子供?」
子供は、身近にいる大人の真似を、とりあえずしてみるものである。
その大人を、日那乃はちらりと睨み据えた。
「ヒルコ……そのひとの真似、したら駄目」
一応、年齢的には大人である1人の男が、ベンチにしがみついて震え上がり、怯えている。
その周囲に現れた、5つの巨体。
奇怪にして異質、何とも形容し難いその姿は、1つの存在として形が定まる前に、この世から捨てられてしまった結果である。
形が定まる事なく、この世に戻って来てしまったものたちに、日那乃は語りかけた。
「おともだち、できない……よ?」
送受心・改も、併用してみる。
「ヒルコは、いい子……だから、大丈夫」
「ヒルコをね、悪い子にするのは許さないよ」
言いつつ『エリニュスの翼』如月彩吹(CL2001525)が、ベンチ上の男をぎらりと見据える。
「そんな奴に、染まっちゃいけない……さあヒルコたち、こっちへおいで。私たちと戦おうじゃないか」
ぎらりと燃える眼差しが、5体のヒルコに向けられる。
赤く輝く瞳。彩吹の中で、火行因子が燃え盛っているのだ。
「そんな奴は放っておいて、こっちを見なさい。私も、お前たちを見ている……お前たちは、確かにそこにいる。それを証明するためにも」
「彩吹さん、それ……違う、かも」
日那乃は言った。
「送受心で、何となく……わかった。この子たち、ここにいない……今いるの、影みたいなもの」
「何だって……」
「私も、そう思います」
彩吹と同じく両眼を赤く発光させながら『赤き炎のラガッツァ』ラーラ・ビスコッティ(CL2001080)が言った。こちらは錬覇法の輝きだ。
「エネミースキャンで調べてみました。このヒルコたちの能力……全て、同じです。数値にしてみれば0.1の差異もありません。まるで生き物ではない、規格の合った大量生産品のように」
「……なるほどね。誰かが自分の影だか分身だかをコピペしまくってる、と」
顎に片手を当て考察しているのは、『天を舞う雷電の鳳』麻弓紡(CL2000623)である。
「自分は、どこかに引きこもったまんま……ね」
「何だ……そういう事か。それなら遠慮はいらないなあ」
彩吹が、拳を鳴らした。
「引きこもりは、外へ引きずり出すだけだ。容赦はしないよ」
「どうなのかな……引きこもってるんじゃなく、追い出されたのかも知れない。この世の外へ、流されて……捨てられて」
言いつつ『探偵見習い』工藤奏空(CL2000955)が、薬壺印を結ぶ。
「だから、この世の誰にも見てもらえない……誰かに、自分を見て欲しい。思いはそれに尽きるんだろうけど」
「そう。だからって、この世で人殺しをさせるわけにはいかないよね」
言葉と共に紡が、護符を掲げる。
「まずはキミたちの思い、受け止めるよ。とっておきの天行参式……ビスコちゃん、ソラっち、ガード固めるよっ!」
「はい、誰も傷付けさせはしません。この妖精結界で!」
「八葉蓮華鏡……ヒルコよ、君たちの荒ぶる思い! まずは俺にぶつけるといい」
覚者3名が、守りの術式を行使する。
誘われたように、ヒルコたちが突っ込んで来る。力士並みの巨体が5つ、覚者たちを轢き殺す勢いで突進する。
「みて……くれぇ……おれをぉ……」
「おれをみろぉ……」
地響きのような足音と、自己顕示欲の叫び。
この世から追い出されてしまった者の影が、しかし今や実体を得て、この世に生きる者たちに物理的な暴虐を働こうとしている。
それを、まずは彩吹が迎え撃った。
「そうだよ、それでいい。お前たちの相手は……そんな奴じゃあなくて私たちだ!」
黒い翼が、激しく羽ばたく。
大量に舞い散った羽が、超高速で渦を巻きながらヒルコたちに突き刺さる。
5つの巨体が、硬直した。
その様を日那乃は見据え、両手をかざした。術式の狙いを定めた。
「捨てられて、許せなくて、暴れたい……なら、暴れればいい。わたしたち相手に、ね」
可愛らしい両手の間で、空気が渦巻き、風となった。
暴風の砲弾が生成・発射されていた。エアブリット。
ベンチにしがみつき怯えている男の傍らで、ヒルコの1体がその直撃を喰らい、肉片と体液を飛び散らせる。
その飛沫を浴びた男が、ベンチの上で悲鳴を上げた。
「ひぃっ、うあぁう! あひぃいいいいい!」
「……静かにしろ。喋るな。口閉じて歯ぁ食いしばれ、舌噛むぞ」
喚く男の身体を、『天を翔ぶ雷霆の龍』成瀬翔(CL2000063)が無理矢理に担ぎ上げ、運んで行く。
狙い通り、と言うべきであろうであろう。ヒルコたちはそちらを見向きもせず、彩吹に、奏空に、巨体をぶつけて行く。
体当たり、であろうか。腕に似たものを振り下ろしている、ようでもある。
ともかく。その攻撃を喰らって、彩吹と奏空が微量の鮮血を散らせ、よろめいた。
紡が、心配そうな声を発する。
「っと……いぶちゃん」
「平気。紡がね、きっちりガード固めてくれたから」
彩吹が微笑み、ゆらりと構え直す。霞舞。カウンターの一撃を、叩き込んだようであった。攻撃側であるはずのヒルコが、よろよろと後退りをしている。
その後方では、日那乃のエアブリットで負傷した1体が、返礼の動きに入っていた。口吻とおぼしき部分を、こちらに向かって禍々しく発光させている。
その光が、球形の塊となって発射された。
日那乃は翼を閉じた。そこへ、ヒルコの光球が激突する。
普通の人体であれば一撃で破裂するだろう、と日那乃は感じた。
その破壊力の塊が、しかし砕け散って光の飛沫となる。
それを払いのける形に、日那乃は翼を開いた。
「紡さんの、防護術式……すごい……」
「ふふふ。これぞ天行参式、天照」
飛来したヒルコの光球を、同じく翼で打ち砕きながら紡が言う。
「たまごちゃん、改め光ちゃんの姉様がね、ボクらを守ってくれている。で、ヒルコちゃんたち。キミらはそのさらにお兄様って事になるワケだけど……えーと、なるのかな日那ちゃん」
「光璃まで入れると……神様の系図、ややこしく、なる」
「海骨ちゃんまで入れなきゃいけなくなっちゃうかな。とにかく! お兄ちゃんなんだから、おイタは駄目ですよー」
●
ヒルコ2体の突進が、奏空を直撃する。
直撃と同時に一瞬、光の八葉蓮華が浮かび上がった。
奏空の細い身体が後方へ揺らぎ、ヒルコの巨体2つが同じく後ろへよろめいて体液の飛沫を散らす。
どうにか倒れず踏みとどまった奏空に、ラーラが言葉をかけた。
「奏空さんは今……私の、盾になりましたね?」
「な、何の事かな」
「……ありがとうございます、とは言っておきますが騎士道も程々に。奏空さんに何かあったら私、あの子に顔向け出来ませんから」
「ラーラさんには……妖精結界を、維持してもらわなきゃいけないから」
その妖精結界が、効いている。いくらか人通りのあった公園は、今やほぼ無人であった。皆、勝手に避難してくれる。
この男も逃げたいのだろう、と翔は思った。
「……もちろん避難はさせてやる。けどな、その前に」
路上へ投げ出すように、翔は男を解放した。
覚醒を解いてスマートフォンを取り出そう……として、翔はその手を止めた。
今ここで、この男の顔と名前を押さえ、いつでも警察へ突き出せる状態にする。
そこに、いかなる意味があるのか。仮にこの男を警察に逮捕させたところで、何かが変わるのか。
立ち上がれず怯えている、この沢井という男に、己を変える事が出来るのか。
「……何だ……一体、何なんだよアンタは……」
声が震えるのを、翔は止められなかった。
「見たぞ、アンタの書き込み……見なきゃ良かったって、心から思うぜ。今もまだ気持ちわりーよ」
これまで戦ってきた、どの妖よりも、おぞましいものを見てしまった。翔は、そう思う。
「……何で、あんな事が書ける……?」
翔は訊いた。
「オレだってな、三枝先生の事そんなに知ってるわけじゃねーよ。けどアンタだってそうだろ? ろくに知りもしねえ相手の事を……何で、あんな……」
こんな話をしている場合では、ないのではないか。翔の心のどこかに、そんな思いがある。
覚者とヒルコの戦いを、どうにか視認する事の出来る距離であった。
錬覇法の輝きを両眼に宿した奏空が、抜刀した刃から白色の光を迸らせている。気の力。その白色光が弾丸の嵐となって、ヒルコたちを薙ぎ払う。
烈空波であった。
その光の弾幕に、彩吹が飛び蹴りで突っ込んで行く。こちらは鋭刃想脚である。
ヒルコたちの巨体が、撃ち抜かれ切り裂かれ、体液の飛沫を噴射しながらも、力士の如く覚者たちに迫る。
仲間たちが、戦っているのだ。
人の話を聴く事が出来るかどうかもわからぬ男に、こんな語りかけをしている場合ではない。
そう思いつつも翔は、言葉を止める事が出来なかった。
「……注目……されるため、か? 人の悪口を書いて、注目される……おい、わかってんのか。それで注目されるのはアンタじゃねえ、三枝さんだぞ!? 誰かの悪口を言うってのはなあ、そーいう事だ! 人のフンドシで相撲取ってんじゃねえぞ!」
隔者が相手でも、ここまで激怒した事が自分は果たしてあっただろうか、と翔は思う。
「男だったらな、自分で行動して注目されるように頑張らねえとダメだろーがぁあああああッ!」
翔は、沢井の胸ぐらを掴んでいた。
戦闘区域では、日那乃が飛翔しつつ羽ばたいて水行の力を放散し、渦巻かせ、流水で出来た龍を出現させている。
水龍牙。
その直撃を喰らいながらもヒルコたちは、巨体を突進させ、あるいは光弾を吐き、応戦する。
紡が天行参式で手厚く防護している覚者たちに対しては決定打とならない、だが普通の人間が食らえば生きてはいられぬ攻撃である。
その戦いに、翔は無理矢理、沢井の顔を向けた。
「見ろよ。アンタの小汚い欲が生み出したモノ、自分の目でちゃんと見ろ。あいつらが人殺したらな、そりゃアンタが殺したって事になるんだぞ! わかってんのか!」
「……そうか……そうだよ……」
沢井が、ようやく言葉を発した。
「人……殺しゃいいんだよ……そうすりゃ、みんな見てくれる」
「……………………冗談で、言ってるんだよな?」
掴んだ胸ぐらに、思いきり雷獣を流し込む。
その衝動を、翔は懸命に抑え込まなければならなかった。
「そーいう冗談は許せねえ……冗談じゃなしに、本当に何かやりやがったら……タダじゃおかねえぞ」
もはや他に言う事もなく、翔は沢井を放り捨てるように解放した。
●
「良い子に甘い焼き菓子を、悪い子には石炭を!」
ラーラが叫び、可憐な指先に魔法の火を灯し、空中に炎の魔法陣を描いている。
猛々しく燃え盛るものが、その魔法陣から出現し、ヒルコたちを強襲した。
それは、炎の獣毛を揺らめかせる虎であった。いや、豹か。もしかしたら巨大な家猫かも知れない。
炎の猫が、燃え盛る牙と爪と獣毛で、ヒルコたちを薙ぎ払う。
「イオ・ブルチャーレ! ……かわいそうな捨て子である貴方たちには、ぜひとも甘い焼き菓子を振る舞って差し上げたいところですが」
炎に焼かれながらも突進して来る異形の巨体たちを見つめ、ラーラは言う。
「……そんな事を言っている、場合ではなさそうですね」
「いいじゃないビスコちゃん。美味しいお菓子、食べさせてあげようじゃない」
あの博物館で催した食事会を、紡は思い出していた。悠璃と光璃が、主役だった。
「最後は皆でさ、美味しいもの食べてハッピーエンド。それで行こうよ!」
翼を広げながら、紡は術杖を掲げた。
隣に、いつの間にか翔が立っている。
「……一緒にやろうぜ、紡」
「おっと相棒」
翔の声が、重く暗い。が、何があったの、などと訊いている場合ではない。ともかく要救助者の避難は済んだ、という事である。
「……じゃ、久々にいこうか。龍と鳳の乱れ舞い」
「ああ。やっぱりな、みんなと一緒に戦ってるのが一番だぜ!」
翔の声が、明るくなった。
危うい明るさだ、と紡は感じた。笑いながら、翔はしかし泣き出しそうでもある。
雷鳴が、轟いた。
翔の降らせた雷が龍と化し、紡の放った電光が鳳凰と成る。稲妻の爪牙が、雷霆の翼が、ヒルコたちを激しく灼いた。
「その雷」
彩吹が言った。
「本当は、あそこで呆けてる奴に叩き込んでやりたかった? ねえ翔」
「オレ……普通の人間って連中が、わかんなくなっちまったよ」
翔は、俯いている。
「いい人だって、いっぱいいる……そりゃあもちろん、わかっちゃいるんだ……」
「相棒……」
翔は、慰めなど求めてはいない。それは紡も、理解はしている。
それでも、かける言葉をつい探してしまい、見つけられずにいる自分を、紡は情けなく思った。
●
雷が、風が、炎が、荒れ狂った。
翔の雷獣、日那乃のエアブリット、ラーラの火焔連弾。
それらに援護される格好で、奏空は彩吹と共に踏み込んで行った。
激鱗と、鋭刃想脚。
斬撃と蹴りが、嵐となって、ヒルコの最後の1体を粉砕する。
「おれを……みろおぉ……」
巨体の破片が、弱々しい言葉に合わせて消滅してゆく。
「……駄目だよ、それじゃあ」
鋭利な美脚をゆらりと着地させながら、彩吹が声をかける。
「こんな分身だけを大量に垂れ流しているようじゃ、ね……匿名でつまらない書き込みをしている連中と、大して違いはしない。本当のお前が、出ておいで。自分はここにいるんだと主張してごらん。私は見る。しっかり見届けるよ、お前を」
「ヒルコ……本体と言うべき存在が、どこかにいる……か」
奏空は見回した。
今、戦った5体のヒルコは、全て影。斃した巨体は消滅し、屍など残っていない。
殺してしまった、わけではない。
安心してしまう自分は甘いのだろうか、と奏空は思う。
無言で俯いている翔の肩を、軽く叩きながら、日那乃が言った。
「影……斃しても、消えるだけ。いつか本体と……本当の、ヒルコと」
「傷つけ合う、ついた傷は消えない。そんな戦いをする事になるのでしょうが」
ラーラの口調が、重い。
何かに、彼女は気付いたのだ。
「皆さん……周りを、見て下さい」
戦闘は終わり、妖精結界は解除された。公園に人通りが戻りつつある。
忙しく電話をしながら歩いている勤め人、ベビーカーを押す女性、スマートフォンから目を離さず危険な歩き方をしている若者。
全員の背後で、大きな影のようなものが揺らめいている。か細い呻きを発しながら。
『おれを、みろぉ……』
『みて……あたしを、みてよぉおお……』
今のところ、覚者にしか聞こえない声。覚者の目でのみ視認する事が出来る、影のような姿。
奏空は、息を呑んだ。
翔が、無言でそれらを睨み据える。
日那乃は、表情は変えていない。
彩吹は、低い声を発している。
「あれが全部……今すぐにでも、実体化するかも知れないと?」
「……その危険性は、高いと思います」
ラーラが言った。
「自己顕示欲……これは、ほとんど全ての人が多かれ少なかれ持っているもの。私たちにだって、全く無いとは」
「……言えない、か」
奏空は、呻いた。
「全ての人間に、ヒルコの影が憑いている……見て欲しい、と強く思った瞬間、実体化をする……」
「ねえキミ。ここにはいない、見えざるキミ。お母様がね、キミのこと心配してるよー」
紡が、何者かに語りかけている。
「そりゃあね、キミにとっては自分を捨てた母君だけど……許してあげて、なんて言えないけど。許す術を、道を、一緒に探す事が出来たらいいのにって思うよ」
紡の声が、もしかしたら聞こえているのか。
ここにはいない、どこかにいる、ヒルコの本体とも呼ぶべき存在に、紡の言葉が届いているのか。
少なくとも今、奏空の視界の中で、ヒルコが実体化する事はなさそうであった。
「時を重ねて、友愛を経て、光に転じた子を1人ボクは知ってる。キミに……会ってみて、欲しいなあ」
紡の言葉に合わせるように、人々の背後の影のようなものたちが薄れ、消えてゆく。
人の自己顕示欲は、承認欲求は、しかし容易く燃え上がる。そうなれば、また現れるに違いない。下手をすれば実体化する。
「ヒルコの本体……何とかして、見つけ出さないと」
奏空が言うと、日那乃が何か思いついたようだったようだった。
「自己顕示欲……すごく、すごく、すごく高めて燃やせば。ヒルコの影、じゃなくて本体、出て来る。かも?」
「にしても、例えばネットで目立ちたい、程度の思いじゃ駄目だと思うよ。そんなんじゃ、また影しか出て来ない」
奏空なりに、考察をしてみた。
「ヒルコの……見て欲しいっていう思いは、そんなのよりもっとずっと純粋なものだ。だから……純粋な思いなら、あるいは」
「ヒルコさんは……ご自分の存在を、どなたに見せたがっておられるのでしょう」
ラーラが言った。
「その方ご本人が、いらっしゃれば……」
■シナリオ結果■
成功
■詳細■
MVP
なし
軽傷
なし
重傷
なし
死亡
なし
称号付与
なし
特殊成果
なし
