うじたかれ ころろきて
●
「よう、裏切り者」
声をかけられ、朴義秀は振り向いた。
牝豹のような少女が、ニヤリと微笑んでいる。
「一時はお前の事、ぶっ殺したくてしょうがなかったよ」
「……久しいな、篠崎蛍。今はやめておけ、後で相手をしてやる」
「それまで生きていられるのかな、貴様」
蛍と共に石段を上って来た男が、言った。
「政治家の用心棒へと成り下がった男には……黄泉の禍物との戦い、なかなかに過酷だぞ」
「ふん。敵の多い野党政治家の用心棒が、どれほどの修羅の道か、貴様が理解出来んだけだ」
朴は拳を突き出した。男が、拳を合わせてきた。
「……よくぞ死に損なったな、竜胆」
「黄泉の悪神よりも過酷な連中に、殺されかけたが生き残った。もう大抵の事では死ねんという気がする」
竜胆晴信が、不敵に笑う。
「貴様もそうだろう、朴」
「無論、死ぬつもりはない。だが死ぬ時は死ぬものだ。思いとどまるなら、今のうちだぞ竜胆……それに篠崎」
「お前らこそ、命が惜しけりゃとっとと帰りなよ」
足取り軽く、蛍が石段を上って行く。朴と竜胆が、それに続く。
かつての金剛隔者3人が、揃って鳥居をくぐった。
とある神社である。
シーズーかヨークシャーテリアのような、小さな老人が1人、境内に佇んでいた。柔らかな獣毛の塊が、杖をついて立っているようでもある。
「……朴か。久しいのう」
「三枝先生に無理を言って、休暇をもらった。積もる話は後だ、犬神の翁よ」
言いつつ朴は、境内を見回した。
「……いるのだろう? ここに」
「最初から、気付いておったか」
「ふうん……ねえ、お爺ちゃん」
じっと犬神を観察しながら、蛍が言う。
「あんた、かなり格の高い古妖だね。戦闘はからっきしみたいだけど、悪いものを封じ込める力は凄い……ま、あの海竜と比べたら全然だけど」
「竜宮の姐御と比べられるのは酷じゃのう」
「ごめんごめん。ともかくお爺ちゃん、頑張り過ぎじゃない?」
「うむ、頑張ってこやつを封じておったんじゃが……恥ずかしながら、そろそろ限界でのう」
「そのようだな……」
境内を見回しながら、竜胆が牙を剥く。
「馴染みのある……もはや馴染みすぎた感覚よ。御老体、貴公は休め。今から現れるものの相手は、我らがする」
「……そうも、ゆかぬようじゃな」
犬神の言葉通り、と言うべきか。
「た、たた大変です犬神様ぁ!」
少女が2人、境内に駆け込んで来た。
この神社で巫女として働いている、一応は覚者の少女たちである。
「ま、町の中に大量の化け物が! あれ? 朴さん……」
「今、シロちゃんが戦ってくれています。朴さんも、帰って来たならお願い戦って!」
「……黄泉醜女だな」
竜胆が呻く。
「この場は……いつもの如く、任せるしかないのか」
「そういう事。連絡はしてあるよ」
「ならば行くぞ篠崎、竜胆」
朴は、犬神に背を向けた。
「忙しい者たちが来るまで、今少し……保たせられるか? 翁よ」
「保たせるしかあるまい。行ってくれい、かつての金剛隔者たち」
犬神は言った。
「力の使いどころを……今度こそ、間違えるでないぞ」
●
神社の居候である。働ける時は、働かねばならない。
「ひとひに、ちがしら……」
「……くびり、ころさん……」
呪詛の呻きを発しながら触手を振るい、町の人々を襲う黄泉醜女たち。
それら触手を錫杖で打ち払いながら古妖・火車は苦笑した。
「同じく死界に属する者として……貴女がたとは、揉め事を起こしたくないのだがな」
逃げ惑う町の人々を巨体で護衛しながら、剛腕を振るう者たちもいる。
火車は、言葉を投げた。
「助かったよ、まさか君たちが来てくれるとは」
「誰が貴様など助けるか!」
牛頭が、続いて馬頭が叫ぶ。
「死界の者が、生ある者の世で繰り広げる乱暴狼藉……地獄の番人として、見過ごしておけぬ。くそっ、大いに見過ごしてしまった後なのだがな!」
●
元・金剛隔者の3人は、巫女2名と共に鳥居をくぐって町中へと向かった。黄泉醜女の群れから、人々を守るために。
「さて……あとは、わしが」
境内の地下から瘴気の如く滲み出し、実体化しつつあるものを、犬神は見据えた。封印のための気力を、振り絞った。
だが、おぞましい実体化は止まらない。
「……ひとひに、ちがしら……ころし、つくさん……」
それは、巨大な腐乱死体の生首であった。
「よう、裏切り者」
声をかけられ、朴義秀は振り向いた。
牝豹のような少女が、ニヤリと微笑んでいる。
「一時はお前の事、ぶっ殺したくてしょうがなかったよ」
「……久しいな、篠崎蛍。今はやめておけ、後で相手をしてやる」
「それまで生きていられるのかな、貴様」
蛍と共に石段を上って来た男が、言った。
「政治家の用心棒へと成り下がった男には……黄泉の禍物との戦い、なかなかに過酷だぞ」
「ふん。敵の多い野党政治家の用心棒が、どれほどの修羅の道か、貴様が理解出来んだけだ」
朴は拳を突き出した。男が、拳を合わせてきた。
「……よくぞ死に損なったな、竜胆」
「黄泉の悪神よりも過酷な連中に、殺されかけたが生き残った。もう大抵の事では死ねんという気がする」
竜胆晴信が、不敵に笑う。
「貴様もそうだろう、朴」
「無論、死ぬつもりはない。だが死ぬ時は死ぬものだ。思いとどまるなら、今のうちだぞ竜胆……それに篠崎」
「お前らこそ、命が惜しけりゃとっとと帰りなよ」
足取り軽く、蛍が石段を上って行く。朴と竜胆が、それに続く。
かつての金剛隔者3人が、揃って鳥居をくぐった。
とある神社である。
シーズーかヨークシャーテリアのような、小さな老人が1人、境内に佇んでいた。柔らかな獣毛の塊が、杖をついて立っているようでもある。
「……朴か。久しいのう」
「三枝先生に無理を言って、休暇をもらった。積もる話は後だ、犬神の翁よ」
言いつつ朴は、境内を見回した。
「……いるのだろう? ここに」
「最初から、気付いておったか」
「ふうん……ねえ、お爺ちゃん」
じっと犬神を観察しながら、蛍が言う。
「あんた、かなり格の高い古妖だね。戦闘はからっきしみたいだけど、悪いものを封じ込める力は凄い……ま、あの海竜と比べたら全然だけど」
「竜宮の姐御と比べられるのは酷じゃのう」
「ごめんごめん。ともかくお爺ちゃん、頑張り過ぎじゃない?」
「うむ、頑張ってこやつを封じておったんじゃが……恥ずかしながら、そろそろ限界でのう」
「そのようだな……」
境内を見回しながら、竜胆が牙を剥く。
「馴染みのある……もはや馴染みすぎた感覚よ。御老体、貴公は休め。今から現れるものの相手は、我らがする」
「……そうも、ゆかぬようじゃな」
犬神の言葉通り、と言うべきか。
「た、たた大変です犬神様ぁ!」
少女が2人、境内に駆け込んで来た。
この神社で巫女として働いている、一応は覚者の少女たちである。
「ま、町の中に大量の化け物が! あれ? 朴さん……」
「今、シロちゃんが戦ってくれています。朴さんも、帰って来たならお願い戦って!」
「……黄泉醜女だな」
竜胆が呻く。
「この場は……いつもの如く、任せるしかないのか」
「そういう事。連絡はしてあるよ」
「ならば行くぞ篠崎、竜胆」
朴は、犬神に背を向けた。
「忙しい者たちが来るまで、今少し……保たせられるか? 翁よ」
「保たせるしかあるまい。行ってくれい、かつての金剛隔者たち」
犬神は言った。
「力の使いどころを……今度こそ、間違えるでないぞ」
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神社の居候である。働ける時は、働かねばならない。
「ひとひに、ちがしら……」
「……くびり、ころさん……」
呪詛の呻きを発しながら触手を振るい、町の人々を襲う黄泉醜女たち。
それら触手を錫杖で打ち払いながら古妖・火車は苦笑した。
「同じく死界に属する者として……貴女がたとは、揉め事を起こしたくないのだがな」
逃げ惑う町の人々を巨体で護衛しながら、剛腕を振るう者たちもいる。
火車は、言葉を投げた。
「助かったよ、まさか君たちが来てくれるとは」
「誰が貴様など助けるか!」
牛頭が、続いて馬頭が叫ぶ。
「死界の者が、生ある者の世で繰り広げる乱暴狼藉……地獄の番人として、見過ごしておけぬ。くそっ、大いに見過ごしてしまった後なのだがな!」
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元・金剛隔者の3人は、巫女2名と共に鳥居をくぐって町中へと向かった。黄泉醜女の群れから、人々を守るために。
「さて……あとは、わしが」
境内の地下から瘴気の如く滲み出し、実体化しつつあるものを、犬神は見据えた。封印のための気力を、振り絞った。
だが、おぞましい実体化は止まらない。
「……ひとひに、ちがしら……ころし、つくさん……」
それは、巨大な腐乱死体の生首であった。

■シナリオ詳細
■成功条件
1.古妖・大雷の撃破
2.なし
3.なし
2.なし
3.なし
とある神社に封印されていた黄泉の古妖・大雷が復活しました。
神社のある町では、大雷の召喚した黄泉醜女の群れが暴れており、数名の覚者たち古妖たちが対処に当たっております。その間、皆様には災いの根源たる大雷を討伐していただく事になります。
場所は境内、時間帯は真昼。
大雷は復活したばかりで、これを今まで封印していた古妖・犬神が、気力を使い果たして倒れております。そのままでは、まず真っ先に殺されるでしょう。
犬神の消耗は、休めば回復する程度のものです。
大雷の外観は、腐敗した巨大な生首(高さ約5メートル)で、触手状の蛆虫が至る所から生えており、戦闘時はこれを伸ばして攻撃をします(物遠、列または全。BS劇毒)。また、口から呪詛の波動を放射する事もあります(特遠、単または列。BS呪怨)。
それでは、よろしくお願い申し上げます。
状態
完了
完了
報酬モルコイン
金:1枚 銀:0枚 銅:0枚
金:1枚 銀:0枚 銅:0枚
相談日数
7日
7日
参加費
100LP[+予約50LP]
100LP[+予約50LP]
参加人数
6/6
6/6
公開日
2019年08月24日
2019年08月24日
■メイン参加者 6人■

●
朴義秀や竜胆晴信といった、生き残りの元金剛隔者たちが再結集し、新たに『善き金剛軍』とでも言うべきものが組織されるとしたら。
その中心となるのは篠崎蛍であろう、と『天を翔ぶ雷霆の龍』成瀬翔(CL2000063)は思う。
町の人々を守るために現在、旧金剛軍の3名が、黄泉醜女の群れと戦っている。
その様は、蛍が朴と竜胆を従えているように見えてしまう。
大勢の屈強な荒くれ男を引き連れて戦う、在りし日の金剛その人を思い起こさせる姿であった。
「うん、さすが彩吹さんの娘……」
「えっ何。翔、何か言った?」
燃え上がる瞳で『エリニュスの翼』如月彩吹(CL2001525)が翔を見据える。怒っている、わけではない。彼女はただ『天駆』で火行因子を燃やしているだけだ。
それでも、翔は怯んだ。
「い、いや何でもないよ彩吹さん」
「そう。とにかく気合いを入れて行くよ!」
彩吹は翼を広げた。
「蛍も、朴さんも竜胆さんも、それに地獄の古妖たちも頑張ってくれているんだ。私たちだって!」
とある神社の、境内である。
かつて朴義秀と死闘を繰り広げた場所。そこで翔たちは今、おぞましいものと対峙していた。
「ひとひに……ちがしら、くびり……ころさん……」
呪詛、以外の言葉を発する事の出来ない口。
全ての生けるものたちへの憎しみで、鬼火の如く燃え輝く両眼。
その目から、にょろにょろと涙が流れ出している。
否、涙ではない。触手状に長く伸びた、蛆虫の群れであった。
そんなものたちが、両眼だけでなく耳から、鼻から、腐敗した頰のあちこちから、干からびた海藻を思わせる頭髪と頭髪の間から、無数に伸び現れて凶暴に蠢きうねる。
巨大な、腐乱死体の生首であった。
石畳から頭頂部までの高さは、およそ5メートルほど。五体が揃えば一体どれほどの巨人となるのか。
「頭部だけでも、恐ろしい敵である事に違いはありませんね……ううっ、何とも恐ろしい、おぞましい姿です。この見た目は、いけません」
弱気な声を発しているのは『赤き炎のラガッツァ』ラーラ・ビスコッティ(CL2001080)である。
「ですが、私たちが頑張らないわけにはいきませんよね。町を守るために戦って下さる方々もいます。1分、1秒でも早く、騒動の大元を鎮めなければ」
言葉と共に、香気の粒子がキラキラと飛散して、覚者6人を包み込む。清廉珀香だった。
それに合わせて、『探偵見習い』工藤奏空(CL2000955)が印を結ぶ。
「……そうだよ。これで、終わらせるんだ」
大規模な術式が、行使されようとしている。
「黄泉の八雷神、最後の1体……大雷。一日に千頭をくびり殺す、その呪いもここで終わりだ。黄泉大神の怨念は、大日如来の御慈悲で包み溶かす」
「……来て……くれたのじゃな。おぬしたちが……」
弱々しい、老人の声。
小さな獣毛の塊が、そこに倒れていた。まるでシーズーかヨークシャーテリアのような老人。
犬神である。
この小柄な古妖が、巨大なる黄泉の雷神を、これまでずっと封印してくれていたのだ。思えば翔たちが、ここで朴義秀と戦っていた時も。
「すまぬ……あてに、しておった……」
「あとは、任せて」
桂木日那乃(CL2000941)が、犬神の小さな身体を抱き起こす。
そこへ、大雷が攻撃の狙いを定めた。
蛆の1本が毒蛇のように伸び、犬神を襲う。
翔が動く、よりも早く『陰と陽の橋渡し』賀茂たまき(CL2000994)が、
「させません!」
犬神を背後に庇いながら、大型の術符を広げた。盾の形にだ。
その盾が、蛆の直撃を受けて砕け散る。大型術符が、いくつもの光の破片に変わっていた。
「この巨大なる禍物を、これまで封じていて下さった犬神様……それに元金剛軍のお3人、地獄の古妖の方々も」
光の破片が、たまきの周囲を旋回する。
「人々を守るために皆様、戦っておられます。私たちが、ここで負けるわけにはゆきません……黄泉の悪神よ、さあ土へと還りなさい」
旋回する光が、土行の力の鎧となって、たまきの全身に着装されていった。
守りを固めた姿で、たまきが前衛に立つ。中衛である奏空の眼前だった。
「今回は、奏空さんの術式が頼みです。その間、私がお守りしますから……専念して、下さいね」
「たまきちゃん……」
「ほらほら、見つめ合ってる場合じゃないよ2人とも!」
彩吹が羽ばたいた。
黒い羽が、風の力で剃刀のような切れ味を与えられながら大量に舞い散り、渦巻き、吹き荒れた。
てして、大雷を襲う。
こちらに向かって伸び暴れる寸前であった蛆の群れが、ことごとく切断され落下してビチビチと跳ねた。
新たな蛆が大量に生えて牙を剥き、彩吹に向かって伸びようとする。
翔はカクセイパッドを掲げ、叫んだ。
「お前の相手はこっちだぜ、大雷!」
表示された白虎が吼え、電光を迸らせる。
稲妻の嵐が、大雷を直撃した。
巨大な腐敗生首が電光に灼かれている間、日那乃が細腕と翼で犬神を包み抱き、運びながら後退してゆく。
大雷が、そちらに向かって蛆を伸ばそうとする。
「ひとひ……に……ちが……しら……」
「させねーって言ってんだ。お前の相手は、オレ!」
翔のカクセイパッドに、続いて光の剣が表示される。
それが、輝ける破壊力の塊となって放たれ、大雷の左目に突き刺さった。この怪物の眼球を潰す事に、成功したのかどうかはわからない。
「翔に独り占めはさせない。そら、こっちにもいるよっ」
彩吹が、猛禽の動きで大雷を強襲する。
黒い翼の羽ばたきに合わせて、鋭利な美脚が乱舞した。様々な蹴りが、大雷の腐った外皮を、蠢く蛆を、切り刻みにかかる。どす黒い体液が、噴出する。
その飛沫を蹴散らすように、形のないものが飛んだ。
「ひとひに、ちがしら……のろいころさん……」
大雷の、呪詛の呻きと共にだ。
怨念の波動。
それがレーザーの如く集束し、一直線に奏空を襲う。
翔が、彩吹が、動く前に、たまきが奏空の盾となって、すでに立ち構えていた。
直撃。
血飛沫と共に、香気の粒子が飛び散った。ラーラの清廉珀香。だが怨念の波動による痛手を、どれほど軽減したのかはわからない。
「たまきちゃん……」
「……何も……言わないで、奏空さん……」
両膝を折って崩れ落ち、片手をついて転倒を拒みながら、たまきが呻く。
土行の鎧をまとった細身が、キラキラと癒しの霧に包まれた。たまきが自身に施した術式治療。
「私なら心配御無用……今は、各々が……なすべき事を……っ」
●
「俺は……俺の、やるべき事を!」
叫ぶ奏空を中心として一瞬、広大な曼荼羅絵図が描かれ出現した。
柔らかな獣毛の塊を抱いたまま、日那乃は見入った。
「これ、覚者の少女よ」
犬神が何か言っている。日那乃の耳には、入らない。
今、感じられるのは、曼荼羅図の神々しさと、獣毛の柔らかさだけだ。
曼荼羅絵図は、すぐに消え失せた。
だが曼荼羅の中心におわした大日如来の加護は、覚者全員に行き渡り宿っている。戦場からいくらか離れた所にいる日那乃にも。
仏の力が、体内で燃え盛り輝いている。それはそれとして、獣毛の柔らかさが心地良い。
「これ、もう良いと言うておる。わしを放しなさい」
「…………はい」
日那乃は、我に返った。
犬神が、日那乃の両腕からぴょこんと脱出して石畳に着地する。
柔らかさが、失われた。
とてつもない喪失感が、日那乃を襲った。それは大日如来の加護力をもってしても埋められぬ喪失感であった。
同じく如来の加護を得た彩吹と翔が、蹴りによる疾風双斬とB.O.T.改の速射を大雷に叩き込んでいる。
その戦いぶりを見つめ、犬神は言った。
「おぬしも戦いに戻らねば。仲間たちが、助けを必要としておるぞ」
「犬神さま……回復」
「良い。わしの消耗など、休んでおれば治る」
大雷が、即座に反撃に出た。
何本もの触手状の蛆が、鞭の速度で宙を泳いで覚者たちに食らい付く。
彩吹が、翔が、たまきが、身体のどこかを噛みちぎられ喰い抉られて血飛沫を噴射し、よろめき揺らいだ。
「わしなどのために力を無駄遣いしてはいけない。さあ、お行き。わしを助けてくれた事、かたじけなく思う」
「……行きます。犬神さま、気を付けて」
喪失感を抱えたまま、日那乃は羽ばたき飛翔し、戦闘領域に舞い戻りながら、水行の癒しの力を放散した。
潤しの雨が、負傷者3名に降り注ぐ。翔が悲鳴を上げた。
「あつつつつ……しっ染みるぜー日那乃」
「だ、だけど助かったよ。犬神様は、もう大丈夫?」
彩吹の問いに、日那乃は答えた。いや、答えにならなかった。
「……もふもふ」
「えっ……」
たまきが戸惑いながら、石畳に片手を触れる。
土行の力が、石畳の下で活性化してゆく。
「日那ちゃん……今、何と……?」
「……何でも、ない」
隆神槍。
鋭利に隆起した岩盤の一部が、大雷を真下から刺し抉る。
激痛の悲鳴も激怒の咆哮も発する事なく、黄泉の古妖はただ呪詛を呟きながら、
「ひとひに、ちがしら……えぐり、ころさん……」
またしても、怨念の波動を吐き出そうとしている。
その時には、炎が巻き起こり荒れ狂っていた。呪詛をも掻き消す、轟音と共に。
神話の時代の炎だ、と日那乃は感じた。創世の女神を焼き殺した炎。
死せる女神は、やがて黄泉の国で八つの雷神を産み落とす事となる。
その雷神の1つを、神殺しの炎で焼き払いながら、
「なるほど……もふもふ、ですか日那乃さん」
ラーラが、よくわからない事を呟いている。
「それは、死ぬわけにはいきませんね……この戦い、生き延びて見せましょう」
●
幾度目かの、神殺しの炎に焼かれながら、大雷は変わらず呪詛の呻きを発している。
怨念の波動が、覚者6名を呑み込んでいた。
「ぐぅっ……こ、これが……」
奏空のもたらしてくれた大日如来の加護が、怨念の呪力を防いではくれる。
だが、骨格と内臓をまとめて砕き潰しに来る、この破壊力を完全に遮断する事は出来ない。
血を吐きながら、彩吹は呻いた。
「これが……神代から、お前たちを縛り続ける命令……地上の生きとし生けるものたちに、ひたすら憎しみをぶつける……」
血まみれの口元を、微笑の形に歪めて見せる。
「そんな命令は、もう時効だ……と言っても解除は出来ないんだろうな。お前たちは、機械……悲しいまでに、忠実な……」
哀れむまい、と彩吹は思う。戦いの最中、敵を哀れむ。これほどの無礼はない。
「……叩き潰す。私がお前にしてやれる事は、結局それだけ……」
「それは私たちの役目でもありますよ、彩吹さん」
後方によろめいた彩吹の長身を、ラーラが支えた。
「先程から私たちの盾になったりと、無茶をし過ぎです。後は任せて下さい」
「ラーラ……ごめん。確かに私、もう限界かな……」
「私も、これが最後の一撃……良い子に甘い焼き菓子を、悪い子には石炭を! イオ・ブルチャーレ!」
少女の繊手が宙に描いた魔法陣から、燃え盛る石炭を思わせる炎が噴出し、大雷を焼き包む。
腐肉が、蛆が、焦げ砕けてゆく。巨大な頭蓋骨は、しかしまだ原形をとどめている。
「……ひとひ……に……ちがしら……」
「ちきしょう……悠璃だったら、お前を……」
助けてやれたかも知れない、という言葉を、翔は呑み込んだようだった。
「……そうだよな。あいつと比べたって、意味はねえ……オレたちはオレたちだ、やろうぜ空丸!」
翔の守護使役が、高らかに啼いた。
雷雲が発生し、渦を巻き、轟音を立てて発光する。
守護使役の力を得た落雷が、燃え盛る頭蓋骨を直撃そして粉砕した。
腐敗した脳髄が、溢れ出しぶちまけられる。蛆の湧いた脳髄。
脳漿の飛沫を蹴散らして、何匹もの蛆が牙を剥いて伸びうねり、覚者6名を襲う。
迎え撃ったのは、たまきの膝の上で死にかけていた奏空である。
「こ……これはドーピングじゃないっ、超パワーアップだーッ!」
「奏空さん!」
たまきの悲鳴を受けながら、奏空は吹きすさぶ旋風と化した。『激鱗』の斬撃が、襲い来る蛆を全て叩き斬っていた。
いや。ひときわ巨大な1匹だけが、今度こそ力尽きた奏空に喰らい付こうとする。
たまきが、奏空を抱き庇う。
そこへ牙を突き立てようとした巨大な蛆が、疾風の塊を喰らって潰れ散った。
「……おしまい」
日那乃の、エアブリットだった。
●
死者0名、負傷者数名。
その数名というのがすなわち奏空たちで、まあ休めば癒える程度の痛手であった。
休養の一環、という事で良かろうと奏空は思う事にした。
犬神から、宴の誘いが届いたのである。
宴と言っても、奏空も翔も日那乃もたまきもラーラも未成年であるから酒は飲めない。
酒ではないもので酔っぱらっている少女が1人いた。
「こっこれがもふもふ、夢にまで見た感触! 本当に夢で見たんですよ? あのおぞましい大雷の呪いに苦しむ私を、犬神様のもふもふが救って下さって、ああん」
取り乱しながら、ラーラが犬神を抱き締め撫で回し頬擦りをしている。
たまきが手を伸ばし、控え目に犬神を撫でる。
「お、落ち着いて下さいラーラさん……ああ、でも犬神様のお毛並みは本当に素敵です」
「こ、コロやラッキーの毛並みだって最高だよ! たまきちゃん」
言いつつ奏空は、しかし犬ではない生き物を撫でていた。
膝の上で丸くなっている、白い猫。
「……火車は、これからどうするの?」
「今まで通りさ。のんびりと過ごす。何しろ失業中だからね」
流暢な日本語を発しながら猫が、奏空の膝の上から、ちらりと視線を投げる。
石畳に座り込んで酒を飲む、2人の巨漢に。
「牛頭も馬頭も、現世での人助け大いに御苦労」
「黙れ愚か者。助けに来たわけではないわ」
酒を飲み、料理を食らいながら、牛頭と馬頭は言った。
「せいぜい今のうちに安穏としておけ。我ら、いずれまた貴様の命を狙う事になる」
「あの……どうか、そんな事をおっしゃらずに」
奏空は懇願した。
「火車も貴方たちも今回、もしかしたら死ぬ定めだったのかも知れない人たちを大勢、助けてくれました。やっぱり、人は死なない方がいいんですよ!」
「地獄の勤め人たる我らにそれを言うか貴様」
「へえ、アンタたちが牛頭と馬頭か」
翔が、いつの間にかそこにいた。
「1度、会ってみたかったぜ」
「生ける者たちが出会ってはならぬ存在だぞ、我らは」
「そう言うなって。オレ、あんたたちと……出来れば酒で乾杯してえなあ。そうだ、覚醒して大人の身体になれば酒飲める」
「わけ、ない。未成年飲酒は地獄行き」
日那乃も、いつの間にかそこにいた。
「地獄の古妖さんたち……わたし、ひとつ訊きたい」
「黄泉の雷神どもの事か」
「八雷神が昔、地上に出て来た……理由、原因。わたし知りたい。ただの好奇心、だけど」
「あ奴らが地上で暴れる理由など、1つしかないぞ」
牛頭が、続いて馬頭が答える。
「一日に千頭、殺し尽くす……あの者どもは、それだけだ。手当たり次第に暴れて殺し、人間たちの反撃を受けて斃されたり封印されたりと」
「そのような目に遭うてなお、一日に千頭を殺さずにはおれぬ。ゆえに封印を破り、またしてもこの世に現れ、そしておぬしらに討ち斃されたというわけじゃ」
ラーラに弄られながら、犬神が言った。
「もはや地上に現れる事はあるまい……黄泉大神によって再び産み出されぬ限りはのう」
「恐い事を言うね、犬神様は」
彩吹が、会話に参加してきた。
朴義秀と竜胆晴信、屈強な男2人を相手に飲み比べをしながらだ。
「最終的に、黄泉大神その人と話をつけなきゃいけなくなるのかな? ふふっ、難儀なお話だね」
「貴様らの死に損ないぶりも相当なものだぞ、如月彩吹」
竜胆は、いくらか酔っているようだ。
「これで黄泉大神を相手に生き延びてしまうようであれば、いよいよ貴様らを殺せる者などいなくなる。恐ろしい事よ」
「竜胆さんは」
目的を失ってしまった男に、奏空は問いかけた。
「……どうするんですか? これから」
「さてなあ……金剛隔者に出来る事など、限られているが」
「迷う事はあるまい、俺と共に来い。三枝先生は、貴様のような男を待っている」
朴が言った。
「……篠崎、お前はどうする。ファイヴに入るのならば、入ってしまえ」
篠崎蛍が、朴の言葉など聞かずに彩吹をじっと見つめている。
「お前……あの人の妺、なんだよね」
酒を飲んでいるわけでもないのに、蛍の目は据わっている。
「……ずうっと、一緒に暮らしてきたわけ?」
「兄妺だからね」
彩吹は答える。
蛍は、ぽろぽろと泣き出していた。
「ずるい……お前ズルいよーっ!」
「え!? ち、ちょっと蛍」
滝のような涙を氾濫させている蛍を、彩吹が困惑しながら宥めようとする。
神社の境内で繰り広げられる、そんな宴を見渡しながら奏空は、ある事を思った。
たまきが、それを察した。
「……考えている事は、わかりますよ奏空さん。私たちが、正面から見つめなければいけない事実ですものね」
「たまきちゃん……そう、そうだよ。俺たちは……」
奏空は宴を見つめた。皆も、心のどこかで本当は気付いているのかも知れない。
「俺たちは……黄泉大神の子供を、殺したんだ……」
朴義秀や竜胆晴信といった、生き残りの元金剛隔者たちが再結集し、新たに『善き金剛軍』とでも言うべきものが組織されるとしたら。
その中心となるのは篠崎蛍であろう、と『天を翔ぶ雷霆の龍』成瀬翔(CL2000063)は思う。
町の人々を守るために現在、旧金剛軍の3名が、黄泉醜女の群れと戦っている。
その様は、蛍が朴と竜胆を従えているように見えてしまう。
大勢の屈強な荒くれ男を引き連れて戦う、在りし日の金剛その人を思い起こさせる姿であった。
「うん、さすが彩吹さんの娘……」
「えっ何。翔、何か言った?」
燃え上がる瞳で『エリニュスの翼』如月彩吹(CL2001525)が翔を見据える。怒っている、わけではない。彼女はただ『天駆』で火行因子を燃やしているだけだ。
それでも、翔は怯んだ。
「い、いや何でもないよ彩吹さん」
「そう。とにかく気合いを入れて行くよ!」
彩吹は翼を広げた。
「蛍も、朴さんも竜胆さんも、それに地獄の古妖たちも頑張ってくれているんだ。私たちだって!」
とある神社の、境内である。
かつて朴義秀と死闘を繰り広げた場所。そこで翔たちは今、おぞましいものと対峙していた。
「ひとひに……ちがしら、くびり……ころさん……」
呪詛、以外の言葉を発する事の出来ない口。
全ての生けるものたちへの憎しみで、鬼火の如く燃え輝く両眼。
その目から、にょろにょろと涙が流れ出している。
否、涙ではない。触手状に長く伸びた、蛆虫の群れであった。
そんなものたちが、両眼だけでなく耳から、鼻から、腐敗した頰のあちこちから、干からびた海藻を思わせる頭髪と頭髪の間から、無数に伸び現れて凶暴に蠢きうねる。
巨大な、腐乱死体の生首であった。
石畳から頭頂部までの高さは、およそ5メートルほど。五体が揃えば一体どれほどの巨人となるのか。
「頭部だけでも、恐ろしい敵である事に違いはありませんね……ううっ、何とも恐ろしい、おぞましい姿です。この見た目は、いけません」
弱気な声を発しているのは『赤き炎のラガッツァ』ラーラ・ビスコッティ(CL2001080)である。
「ですが、私たちが頑張らないわけにはいきませんよね。町を守るために戦って下さる方々もいます。1分、1秒でも早く、騒動の大元を鎮めなければ」
言葉と共に、香気の粒子がキラキラと飛散して、覚者6人を包み込む。清廉珀香だった。
それに合わせて、『探偵見習い』工藤奏空(CL2000955)が印を結ぶ。
「……そうだよ。これで、終わらせるんだ」
大規模な術式が、行使されようとしている。
「黄泉の八雷神、最後の1体……大雷。一日に千頭をくびり殺す、その呪いもここで終わりだ。黄泉大神の怨念は、大日如来の御慈悲で包み溶かす」
「……来て……くれたのじゃな。おぬしたちが……」
弱々しい、老人の声。
小さな獣毛の塊が、そこに倒れていた。まるでシーズーかヨークシャーテリアのような老人。
犬神である。
この小柄な古妖が、巨大なる黄泉の雷神を、これまでずっと封印してくれていたのだ。思えば翔たちが、ここで朴義秀と戦っていた時も。
「すまぬ……あてに、しておった……」
「あとは、任せて」
桂木日那乃(CL2000941)が、犬神の小さな身体を抱き起こす。
そこへ、大雷が攻撃の狙いを定めた。
蛆の1本が毒蛇のように伸び、犬神を襲う。
翔が動く、よりも早く『陰と陽の橋渡し』賀茂たまき(CL2000994)が、
「させません!」
犬神を背後に庇いながら、大型の術符を広げた。盾の形にだ。
その盾が、蛆の直撃を受けて砕け散る。大型術符が、いくつもの光の破片に変わっていた。
「この巨大なる禍物を、これまで封じていて下さった犬神様……それに元金剛軍のお3人、地獄の古妖の方々も」
光の破片が、たまきの周囲を旋回する。
「人々を守るために皆様、戦っておられます。私たちが、ここで負けるわけにはゆきません……黄泉の悪神よ、さあ土へと還りなさい」
旋回する光が、土行の力の鎧となって、たまきの全身に着装されていった。
守りを固めた姿で、たまきが前衛に立つ。中衛である奏空の眼前だった。
「今回は、奏空さんの術式が頼みです。その間、私がお守りしますから……専念して、下さいね」
「たまきちゃん……」
「ほらほら、見つめ合ってる場合じゃないよ2人とも!」
彩吹が羽ばたいた。
黒い羽が、風の力で剃刀のような切れ味を与えられながら大量に舞い散り、渦巻き、吹き荒れた。
てして、大雷を襲う。
こちらに向かって伸び暴れる寸前であった蛆の群れが、ことごとく切断され落下してビチビチと跳ねた。
新たな蛆が大量に生えて牙を剥き、彩吹に向かって伸びようとする。
翔はカクセイパッドを掲げ、叫んだ。
「お前の相手はこっちだぜ、大雷!」
表示された白虎が吼え、電光を迸らせる。
稲妻の嵐が、大雷を直撃した。
巨大な腐敗生首が電光に灼かれている間、日那乃が細腕と翼で犬神を包み抱き、運びながら後退してゆく。
大雷が、そちらに向かって蛆を伸ばそうとする。
「ひとひ……に……ちが……しら……」
「させねーって言ってんだ。お前の相手は、オレ!」
翔のカクセイパッドに、続いて光の剣が表示される。
それが、輝ける破壊力の塊となって放たれ、大雷の左目に突き刺さった。この怪物の眼球を潰す事に、成功したのかどうかはわからない。
「翔に独り占めはさせない。そら、こっちにもいるよっ」
彩吹が、猛禽の動きで大雷を強襲する。
黒い翼の羽ばたきに合わせて、鋭利な美脚が乱舞した。様々な蹴りが、大雷の腐った外皮を、蠢く蛆を、切り刻みにかかる。どす黒い体液が、噴出する。
その飛沫を蹴散らすように、形のないものが飛んだ。
「ひとひに、ちがしら……のろいころさん……」
大雷の、呪詛の呻きと共にだ。
怨念の波動。
それがレーザーの如く集束し、一直線に奏空を襲う。
翔が、彩吹が、動く前に、たまきが奏空の盾となって、すでに立ち構えていた。
直撃。
血飛沫と共に、香気の粒子が飛び散った。ラーラの清廉珀香。だが怨念の波動による痛手を、どれほど軽減したのかはわからない。
「たまきちゃん……」
「……何も……言わないで、奏空さん……」
両膝を折って崩れ落ち、片手をついて転倒を拒みながら、たまきが呻く。
土行の鎧をまとった細身が、キラキラと癒しの霧に包まれた。たまきが自身に施した術式治療。
「私なら心配御無用……今は、各々が……なすべき事を……っ」
●
「俺は……俺の、やるべき事を!」
叫ぶ奏空を中心として一瞬、広大な曼荼羅絵図が描かれ出現した。
柔らかな獣毛の塊を抱いたまま、日那乃は見入った。
「これ、覚者の少女よ」
犬神が何か言っている。日那乃の耳には、入らない。
今、感じられるのは、曼荼羅図の神々しさと、獣毛の柔らかさだけだ。
曼荼羅絵図は、すぐに消え失せた。
だが曼荼羅の中心におわした大日如来の加護は、覚者全員に行き渡り宿っている。戦場からいくらか離れた所にいる日那乃にも。
仏の力が、体内で燃え盛り輝いている。それはそれとして、獣毛の柔らかさが心地良い。
「これ、もう良いと言うておる。わしを放しなさい」
「…………はい」
日那乃は、我に返った。
犬神が、日那乃の両腕からぴょこんと脱出して石畳に着地する。
柔らかさが、失われた。
とてつもない喪失感が、日那乃を襲った。それは大日如来の加護力をもってしても埋められぬ喪失感であった。
同じく如来の加護を得た彩吹と翔が、蹴りによる疾風双斬とB.O.T.改の速射を大雷に叩き込んでいる。
その戦いぶりを見つめ、犬神は言った。
「おぬしも戦いに戻らねば。仲間たちが、助けを必要としておるぞ」
「犬神さま……回復」
「良い。わしの消耗など、休んでおれば治る」
大雷が、即座に反撃に出た。
何本もの触手状の蛆が、鞭の速度で宙を泳いで覚者たちに食らい付く。
彩吹が、翔が、たまきが、身体のどこかを噛みちぎられ喰い抉られて血飛沫を噴射し、よろめき揺らいだ。
「わしなどのために力を無駄遣いしてはいけない。さあ、お行き。わしを助けてくれた事、かたじけなく思う」
「……行きます。犬神さま、気を付けて」
喪失感を抱えたまま、日那乃は羽ばたき飛翔し、戦闘領域に舞い戻りながら、水行の癒しの力を放散した。
潤しの雨が、負傷者3名に降り注ぐ。翔が悲鳴を上げた。
「あつつつつ……しっ染みるぜー日那乃」
「だ、だけど助かったよ。犬神様は、もう大丈夫?」
彩吹の問いに、日那乃は答えた。いや、答えにならなかった。
「……もふもふ」
「えっ……」
たまきが戸惑いながら、石畳に片手を触れる。
土行の力が、石畳の下で活性化してゆく。
「日那ちゃん……今、何と……?」
「……何でも、ない」
隆神槍。
鋭利に隆起した岩盤の一部が、大雷を真下から刺し抉る。
激痛の悲鳴も激怒の咆哮も発する事なく、黄泉の古妖はただ呪詛を呟きながら、
「ひとひに、ちがしら……えぐり、ころさん……」
またしても、怨念の波動を吐き出そうとしている。
その時には、炎が巻き起こり荒れ狂っていた。呪詛をも掻き消す、轟音と共に。
神話の時代の炎だ、と日那乃は感じた。創世の女神を焼き殺した炎。
死せる女神は、やがて黄泉の国で八つの雷神を産み落とす事となる。
その雷神の1つを、神殺しの炎で焼き払いながら、
「なるほど……もふもふ、ですか日那乃さん」
ラーラが、よくわからない事を呟いている。
「それは、死ぬわけにはいきませんね……この戦い、生き延びて見せましょう」
●
幾度目かの、神殺しの炎に焼かれながら、大雷は変わらず呪詛の呻きを発している。
怨念の波動が、覚者6名を呑み込んでいた。
「ぐぅっ……こ、これが……」
奏空のもたらしてくれた大日如来の加護が、怨念の呪力を防いではくれる。
だが、骨格と内臓をまとめて砕き潰しに来る、この破壊力を完全に遮断する事は出来ない。
血を吐きながら、彩吹は呻いた。
「これが……神代から、お前たちを縛り続ける命令……地上の生きとし生けるものたちに、ひたすら憎しみをぶつける……」
血まみれの口元を、微笑の形に歪めて見せる。
「そんな命令は、もう時効だ……と言っても解除は出来ないんだろうな。お前たちは、機械……悲しいまでに、忠実な……」
哀れむまい、と彩吹は思う。戦いの最中、敵を哀れむ。これほどの無礼はない。
「……叩き潰す。私がお前にしてやれる事は、結局それだけ……」
「それは私たちの役目でもありますよ、彩吹さん」
後方によろめいた彩吹の長身を、ラーラが支えた。
「先程から私たちの盾になったりと、無茶をし過ぎです。後は任せて下さい」
「ラーラ……ごめん。確かに私、もう限界かな……」
「私も、これが最後の一撃……良い子に甘い焼き菓子を、悪い子には石炭を! イオ・ブルチャーレ!」
少女の繊手が宙に描いた魔法陣から、燃え盛る石炭を思わせる炎が噴出し、大雷を焼き包む。
腐肉が、蛆が、焦げ砕けてゆく。巨大な頭蓋骨は、しかしまだ原形をとどめている。
「……ひとひ……に……ちがしら……」
「ちきしょう……悠璃だったら、お前を……」
助けてやれたかも知れない、という言葉を、翔は呑み込んだようだった。
「……そうだよな。あいつと比べたって、意味はねえ……オレたちはオレたちだ、やろうぜ空丸!」
翔の守護使役が、高らかに啼いた。
雷雲が発生し、渦を巻き、轟音を立てて発光する。
守護使役の力を得た落雷が、燃え盛る頭蓋骨を直撃そして粉砕した。
腐敗した脳髄が、溢れ出しぶちまけられる。蛆の湧いた脳髄。
脳漿の飛沫を蹴散らして、何匹もの蛆が牙を剥いて伸びうねり、覚者6名を襲う。
迎え撃ったのは、たまきの膝の上で死にかけていた奏空である。
「こ……これはドーピングじゃないっ、超パワーアップだーッ!」
「奏空さん!」
たまきの悲鳴を受けながら、奏空は吹きすさぶ旋風と化した。『激鱗』の斬撃が、襲い来る蛆を全て叩き斬っていた。
いや。ひときわ巨大な1匹だけが、今度こそ力尽きた奏空に喰らい付こうとする。
たまきが、奏空を抱き庇う。
そこへ牙を突き立てようとした巨大な蛆が、疾風の塊を喰らって潰れ散った。
「……おしまい」
日那乃の、エアブリットだった。
●
死者0名、負傷者数名。
その数名というのがすなわち奏空たちで、まあ休めば癒える程度の痛手であった。
休養の一環、という事で良かろうと奏空は思う事にした。
犬神から、宴の誘いが届いたのである。
宴と言っても、奏空も翔も日那乃もたまきもラーラも未成年であるから酒は飲めない。
酒ではないもので酔っぱらっている少女が1人いた。
「こっこれがもふもふ、夢にまで見た感触! 本当に夢で見たんですよ? あのおぞましい大雷の呪いに苦しむ私を、犬神様のもふもふが救って下さって、ああん」
取り乱しながら、ラーラが犬神を抱き締め撫で回し頬擦りをしている。
たまきが手を伸ばし、控え目に犬神を撫でる。
「お、落ち着いて下さいラーラさん……ああ、でも犬神様のお毛並みは本当に素敵です」
「こ、コロやラッキーの毛並みだって最高だよ! たまきちゃん」
言いつつ奏空は、しかし犬ではない生き物を撫でていた。
膝の上で丸くなっている、白い猫。
「……火車は、これからどうするの?」
「今まで通りさ。のんびりと過ごす。何しろ失業中だからね」
流暢な日本語を発しながら猫が、奏空の膝の上から、ちらりと視線を投げる。
石畳に座り込んで酒を飲む、2人の巨漢に。
「牛頭も馬頭も、現世での人助け大いに御苦労」
「黙れ愚か者。助けに来たわけではないわ」
酒を飲み、料理を食らいながら、牛頭と馬頭は言った。
「せいぜい今のうちに安穏としておけ。我ら、いずれまた貴様の命を狙う事になる」
「あの……どうか、そんな事をおっしゃらずに」
奏空は懇願した。
「火車も貴方たちも今回、もしかしたら死ぬ定めだったのかも知れない人たちを大勢、助けてくれました。やっぱり、人は死なない方がいいんですよ!」
「地獄の勤め人たる我らにそれを言うか貴様」
「へえ、アンタたちが牛頭と馬頭か」
翔が、いつの間にかそこにいた。
「1度、会ってみたかったぜ」
「生ける者たちが出会ってはならぬ存在だぞ、我らは」
「そう言うなって。オレ、あんたたちと……出来れば酒で乾杯してえなあ。そうだ、覚醒して大人の身体になれば酒飲める」
「わけ、ない。未成年飲酒は地獄行き」
日那乃も、いつの間にかそこにいた。
「地獄の古妖さんたち……わたし、ひとつ訊きたい」
「黄泉の雷神どもの事か」
「八雷神が昔、地上に出て来た……理由、原因。わたし知りたい。ただの好奇心、だけど」
「あ奴らが地上で暴れる理由など、1つしかないぞ」
牛頭が、続いて馬頭が答える。
「一日に千頭、殺し尽くす……あの者どもは、それだけだ。手当たり次第に暴れて殺し、人間たちの反撃を受けて斃されたり封印されたりと」
「そのような目に遭うてなお、一日に千頭を殺さずにはおれぬ。ゆえに封印を破り、またしてもこの世に現れ、そしておぬしらに討ち斃されたというわけじゃ」
ラーラに弄られながら、犬神が言った。
「もはや地上に現れる事はあるまい……黄泉大神によって再び産み出されぬ限りはのう」
「恐い事を言うね、犬神様は」
彩吹が、会話に参加してきた。
朴義秀と竜胆晴信、屈強な男2人を相手に飲み比べをしながらだ。
「最終的に、黄泉大神その人と話をつけなきゃいけなくなるのかな? ふふっ、難儀なお話だね」
「貴様らの死に損ないぶりも相当なものだぞ、如月彩吹」
竜胆は、いくらか酔っているようだ。
「これで黄泉大神を相手に生き延びてしまうようであれば、いよいよ貴様らを殺せる者などいなくなる。恐ろしい事よ」
「竜胆さんは」
目的を失ってしまった男に、奏空は問いかけた。
「……どうするんですか? これから」
「さてなあ……金剛隔者に出来る事など、限られているが」
「迷う事はあるまい、俺と共に来い。三枝先生は、貴様のような男を待っている」
朴が言った。
「……篠崎、お前はどうする。ファイヴに入るのならば、入ってしまえ」
篠崎蛍が、朴の言葉など聞かずに彩吹をじっと見つめている。
「お前……あの人の妺、なんだよね」
酒を飲んでいるわけでもないのに、蛍の目は据わっている。
「……ずうっと、一緒に暮らしてきたわけ?」
「兄妺だからね」
彩吹は答える。
蛍は、ぽろぽろと泣き出していた。
「ずるい……お前ズルいよーっ!」
「え!? ち、ちょっと蛍」
滝のような涙を氾濫させている蛍を、彩吹が困惑しながら宥めようとする。
神社の境内で繰り広げられる、そんな宴を見渡しながら奏空は、ある事を思った。
たまきが、それを察した。
「……考えている事は、わかりますよ奏空さん。私たちが、正面から見つめなければいけない事実ですものね」
「たまきちゃん……そう、そうだよ。俺たちは……」
奏空は宴を見つめた。皆も、心のどこかで本当は気付いているのかも知れない。
「俺たちは……黄泉大神の子供を、殺したんだ……」
■シナリオ結果■
成功
■詳細■
MVP
なし
軽傷
なし
重傷
なし
死亡
なし
称号付与
なし
特殊成果
なし
