【遥かな海へ】卵の中で、君と僕
●
あまりにも気の毒で思わず笑えてしまうほどの、うろたえようであった。
今日は、いくらか落ち着いているようである。篠崎蛍は、とりあえず声をかけた。
「やっほー来たよ。大丈夫、ちゃんと入場料は払ったから」
『当たり前ですわ……まったく。先日は私、無様なところをお見せしてしまいましたわね』
海竜は言った。
全長40メートルの巨大な骨格が、恥ずかしさで縮んでいるように見えてしまう。
『本当に……乙姫様に知られたら一体、何を言われる事やら……』
「多分もう知られてると思うけど、いいじゃんよ別に。私の子供だ文句あるかって、乙姫様に紹介するといい」
言いつつ蛍は、抱えて来たボストンバッグを開いて見せた。
盗品である。それを、平日昼間の博物館に持って来てしまった。
『また……連れて来てしまいましたのね。その子を』
「駄目だよー、お母さん。ちゃんと認知してあげないと」
恐竜の卵の化石、として大々的に報道された一品である。
それを蛍が盗み出し、ここへ運ぶ途中で、この男の待ち伏せを受けたのだ。
「……で、死に損ないの竜胆晴信。何でお前がいるわけ?」
「最後まで見届ける義務が、私にはある」
ファイヴの覚者たちが介入と言うか乱入し、この男と話をつけてくれた。
その全員でここを訪れ、窃盗品を海竜に見せた。先日の事である。
『自分がどのような無様を晒したものか、全く覚えておりませんわ。私あの方々に、何か失礼な事を言ったのではなくて?』
「それはなかったけど、君めっちゃうろたえてた。あいつらマジで心配してたよ」
『まさか……まさかね、その子が生きているなどと……』
「生きている、という認識で良いのだな。竜宮の重鎮よ」
竜胆が言った。
「今後いかなる事になるものか、それ次第では……私は、貴女の御子を殺さねばならなくなる。卵のうちに、な」
『……当然、ですわね』
眼窩だけの双眸で海竜は、白亜紀末期に産み落とした己の子を見つめている。
一見、注連縄の巻かれた丸石でしかない。
その注連縄、どうやら千年以上も前のものであるらしいが、いくらか古びているだけで経年劣化を起こしておらず、この卵化石が偽物であると喚く輩の拠り所となっている。
要は、千年を経ても朽ち果てない注連縄で封じておかなければならないものを、この卵は内包している、という事だ。
「こんな事した、大昔の連中……あたし許せない」
ボストンバッグごと、蛍は卵を抱き締めていた。
「赤ちゃんのいる卵に、こんなワケわかんない化け物を押し込めるなんて……」
『黄泉の雷神に脅かされていた人々が、藁にもすがる思いで、その子を頼ったのですわ』
海竜の語調は、穏やかだ。
『その子は、それを受け入れたという事。己の意思で、ね』
「卵なのに!?」
『それが竜宮の眷属』
穏やかな語調が、いくらか変わった。
『……やって御覧なさい、我が子よ。お前は千年以上も前から懸命に、それの浄化に取り組んでいる。その間、黄泉の禍物の力が卵の外に暴れ出す事はなく、人間の方々は守られ続けてきた。それだけは、まあ褒めて差し上げますわ』
禍々しい気配が、ぬらりと蠢いた。
竜胆が無言で剣を抜き、構える。卵を抱く蛍を、背後に庇う格好だ。
『浄化が完了するまでは、この母に合わせる顔がない……だから卵から出るわけにもゆかぬ、と……ふふっ、一丁前に』
海竜が笑う。
『母はまだ力が回復しておらず、お前を……頼りなく支えてあげる事しか出来ません。自分の力で、悪しきものの浄化をやり遂げて御覧なさい。その間、どうか……』
「わかっている。邪魔はさせぬ」
そこに出現したものたちと、竜胆は対峙している。
3体いた。体長3メートルほどの、巨大な肉塊。その全身から寄生虫のような触手が無数、生え伸び、蠢き揺らめいている。言葉に合わせてだ。
「ひとひに……ちがしら……」
「くびり、ころさん……」
蛍は息を呑み、卵を抱き寄せた。
「黄泉醜女……! こんな、でかい奴がいたなんて」
「浄化を拒み、呼び寄せたか」
竜胆が、不敵に笑う。
「竜の卵に封じられたる雷神の、最後の抵抗あるいは悪あがき、という事かな。篠崎蛍、貴様しっかりその卵を守っておれよ」
大型の黄泉醜女3体に向かって、竜胆は間合いを詰めようとしている。
蛍は声をかけた。
「……無理するなよ、死に損ない。あいつらにも声かけてある。タイミングが合えば、そろそろ来てくれると思う」
抱き締めた卵にも、語りかける。
「君、こんなに小っちゃいのに……って言うか、まだ生まれてもいないのに! くそったれな人間どもなんか守るために、無茶をして……でも、やり始めちゃったんだよね。じゃあ……頑張れ、って言うしかないのかな……」
石のような卵殻の内側で、悪しきものの浄化が行われているのを、蛍は微かに、だが確かに感じた。
千年以上もの時をかけて今なお続行中の、浄化であった。
あまりにも気の毒で思わず笑えてしまうほどの、うろたえようであった。
今日は、いくらか落ち着いているようである。篠崎蛍は、とりあえず声をかけた。
「やっほー来たよ。大丈夫、ちゃんと入場料は払ったから」
『当たり前ですわ……まったく。先日は私、無様なところをお見せしてしまいましたわね』
海竜は言った。
全長40メートルの巨大な骨格が、恥ずかしさで縮んでいるように見えてしまう。
『本当に……乙姫様に知られたら一体、何を言われる事やら……』
「多分もう知られてると思うけど、いいじゃんよ別に。私の子供だ文句あるかって、乙姫様に紹介するといい」
言いつつ蛍は、抱えて来たボストンバッグを開いて見せた。
盗品である。それを、平日昼間の博物館に持って来てしまった。
『また……連れて来てしまいましたのね。その子を』
「駄目だよー、お母さん。ちゃんと認知してあげないと」
恐竜の卵の化石、として大々的に報道された一品である。
それを蛍が盗み出し、ここへ運ぶ途中で、この男の待ち伏せを受けたのだ。
「……で、死に損ないの竜胆晴信。何でお前がいるわけ?」
「最後まで見届ける義務が、私にはある」
ファイヴの覚者たちが介入と言うか乱入し、この男と話をつけてくれた。
その全員でここを訪れ、窃盗品を海竜に見せた。先日の事である。
『自分がどのような無様を晒したものか、全く覚えておりませんわ。私あの方々に、何か失礼な事を言ったのではなくて?』
「それはなかったけど、君めっちゃうろたえてた。あいつらマジで心配してたよ」
『まさか……まさかね、その子が生きているなどと……』
「生きている、という認識で良いのだな。竜宮の重鎮よ」
竜胆が言った。
「今後いかなる事になるものか、それ次第では……私は、貴女の御子を殺さねばならなくなる。卵のうちに、な」
『……当然、ですわね』
眼窩だけの双眸で海竜は、白亜紀末期に産み落とした己の子を見つめている。
一見、注連縄の巻かれた丸石でしかない。
その注連縄、どうやら千年以上も前のものであるらしいが、いくらか古びているだけで経年劣化を起こしておらず、この卵化石が偽物であると喚く輩の拠り所となっている。
要は、千年を経ても朽ち果てない注連縄で封じておかなければならないものを、この卵は内包している、という事だ。
「こんな事した、大昔の連中……あたし許せない」
ボストンバッグごと、蛍は卵を抱き締めていた。
「赤ちゃんのいる卵に、こんなワケわかんない化け物を押し込めるなんて……」
『黄泉の雷神に脅かされていた人々が、藁にもすがる思いで、その子を頼ったのですわ』
海竜の語調は、穏やかだ。
『その子は、それを受け入れたという事。己の意思で、ね』
「卵なのに!?」
『それが竜宮の眷属』
穏やかな語調が、いくらか変わった。
『……やって御覧なさい、我が子よ。お前は千年以上も前から懸命に、それの浄化に取り組んでいる。その間、黄泉の禍物の力が卵の外に暴れ出す事はなく、人間の方々は守られ続けてきた。それだけは、まあ褒めて差し上げますわ』
禍々しい気配が、ぬらりと蠢いた。
竜胆が無言で剣を抜き、構える。卵を抱く蛍を、背後に庇う格好だ。
『浄化が完了するまでは、この母に合わせる顔がない……だから卵から出るわけにもゆかぬ、と……ふふっ、一丁前に』
海竜が笑う。
『母はまだ力が回復しておらず、お前を……頼りなく支えてあげる事しか出来ません。自分の力で、悪しきものの浄化をやり遂げて御覧なさい。その間、どうか……』
「わかっている。邪魔はさせぬ」
そこに出現したものたちと、竜胆は対峙している。
3体いた。体長3メートルほどの、巨大な肉塊。その全身から寄生虫のような触手が無数、生え伸び、蠢き揺らめいている。言葉に合わせてだ。
「ひとひに……ちがしら……」
「くびり、ころさん……」
蛍は息を呑み、卵を抱き寄せた。
「黄泉醜女……! こんな、でかい奴がいたなんて」
「浄化を拒み、呼び寄せたか」
竜胆が、不敵に笑う。
「竜の卵に封じられたる雷神の、最後の抵抗あるいは悪あがき、という事かな。篠崎蛍、貴様しっかりその卵を守っておれよ」
大型の黄泉醜女3体に向かって、竜胆は間合いを詰めようとしている。
蛍は声をかけた。
「……無理するなよ、死に損ない。あいつらにも声かけてある。タイミングが合えば、そろそろ来てくれると思う」
抱き締めた卵にも、語りかける。
「君、こんなに小っちゃいのに……って言うか、まだ生まれてもいないのに! くそったれな人間どもなんか守るために、無茶をして……でも、やり始めちゃったんだよね。じゃあ……頑張れ、って言うしかないのかな……」
石のような卵殻の内側で、悪しきものの浄化が行われているのを、蛍は微かに、だが確かに感じた。
千年以上もの時をかけて今なお続行中の、浄化であった。

■シナリオ詳細
■成功条件
1.古妖・黄泉醜女(大型種)3体の撃破
2.なし
3.なし
2.なし
3.なし
シリーズシナリオ『遥かな海へ』第2回であります。
場所は、とある博物館。
前回登場した『海竜の卵』の内部で、悪しき黄泉の雷神を浄化する試みが行われておりますが、これを妨害せんと古妖・黄泉醜女(大型種)が3体、出現しました。
卵を守っているのは、元・金剛軍所属の隔者である竜胆晴信(男、29歳、火行暦)と篠崎蛍(女、17歳、天行怪)の2名。
うち篠崎は、卵の中にいる海竜の仔への精神的支援を行っているため戦闘不能、戦えるのは竜胆のみという状況であります。
そこへ覚者の皆様に駆けつけていただく事となります。
敵の詳細は以下の通り。
黄泉醜女(大型種)3体
全て前衛。攻撃手段は、触手による薙ぎ払い(物近列)、貫通(物近単、貫通3)、乱れ打ち(物遠全)の他、黄泉の邪悪な霊気を噴射します(特遠列、BS麻痺)。
覚者の皆様の到着以降、竜胆は自動的に前衛、篠崎は後衛の方のさらに1つ後ろになります。両名とも、皆様の指示に基本的には従います。
竜胆晴信の、使用スキルは『錬覇法』『斬・二の構え』『豪炎撃』。武器は妖刀。
黄泉醜女たちの目的は卵の奪取なので、卵そのものに危険が及ぶ事はありません。彼女らの第一殺害目標は、卵を保持している篠崎蛍です。
それでは、よろしくお願い申し上げます。
状態
完了
完了
報酬モルコイン
金:0枚 銀:1枚 銅:0枚
金:0枚 銀:1枚 銅:0枚
相談日数
7日
7日
参加費
100LP[+予約50LP]
100LP[+予約50LP]
参加人数
6/6
6/6
公開日
2019年06月07日
2019年06月07日
■メイン参加者 6人■

●
口より先に、手が出る。足が出る。身体が、動いてしまう。『エリニュスの翼』如月彩吹(CL2001525)は苦笑した。
「まいったね。時代劇みたいな前口上、何か言いながら出て来るつもりだったんだけど……思いつく前に、お前たちを殴らなきゃいけない気分になった」
苦笑しつつ、拳を叩き込む。
黄泉醜女・大型種のおぞましい巨体が、フック気味の鋭利な一撃を喰らって揺らぎ、火花を散らせた。
その火花が、無数の火蜥蜴に変わりながら、黄泉醜女たちに這い群がる。
3体の大型種が、炎に包まれた。
そこへ『天を舞う雷電の鳳』麻弓紡(CL2000623)が、術式の狙いを定める。
「んー、時代劇的前口上……ひとつ、人より力持ち。ふたつ、不審者ぶちのめし事案35件。みっつ、みんなの用心棒」
そんな言葉に合わせて、術杖の先端から暴風の砲弾が射出される。
エアブリットの速射が、黄泉醜女の巨体を穿つ。
「以上、いぶちゃんの時代劇風キャッチコピー。どうよ。35件って数字は適当だけど、そのくらいやってるんじゃない?」
「……何なの、その不審者ぶちのめし事案っていうのは」
「聞きましたよ彩吹さん。この間」
大型の術符をばさりと広げながら、『陰と陽の橋渡し』賀茂たまき(CL2000994)が言った。
「五麟学園の女子更衣室を覗こうとなさった不審者の方に、正中線五連突きをお決めになったとか……あの、あまり手荒な事は駄目ですよ?」
「してないったら、そんな事!」
術符から巨大な岩石が出現し、砕けて落石の雨と化しながら、黄泉醜女たちに降り注ぐ。
合わせて鋭刃想脚を放ちながら、彩吹は弁明した。
「ちょっとお説教をくれただけだよ。正中線にぶち込んだりしてないって」
鋭利な美脚の乱舞を、大型種3体に叩きつけてゆく。
「まあ、ちょっと……中指一本拳で小突いたりは、したかな」
「……死ぬぞ」
ぼそっと呟いたのは、おかしな丸石を抱いた篠崎蛍である。
「言っとくけどな如月彩吹。お前が人殺しをやらかしたら、あたしも殺しまくるからな」
「止める資格、なくなっちゃうからね私」
「……何しに来たのさ」
「蛍! ありがとな、オレたちに声かけてくれて」
元気良く前衛に立ち、印を結んでいるのは『天を翔ぶ雷霆の龍』成瀬翔(CL2000063)である。
黒雲が生じて渦を巻き、黄泉醜女たちに向かって雷光を迸らせる。
大型種3体を『雷獣』で灼き払いながら、翔はなおも言った。
「竜胆さんも……ヘへっ。こうやって並ぶのは、初めてだよな。不謹慎かもだけど嬉しいぜ」
「……巡り合わせ次第では、お前たちとは今もまだ殺し合っていたかも知れんな」
翔の電撃に合わせて竜胆晴信は踏み込み、炎まとう妖刀を大型種に打ち込んでゆく。
黄泉醜女たちから守り抜くべきものを抱えているため戦闘には参加出来ない蛍が、俯き加減に呟く。
「……そうだよね。あたしら、とうとうファイヴの連中に助け求めるようになって……けど助かったよ。来てくれて、ありがと」
「そんな事、言えるようになったんだね蛍」
彩吹は言った。戦闘中でなければ、頭を撫でてやりたいところだ。
「成長したね……なんて言ったら、失礼かな。もう」
「あたし1人だけの事なら、いくらでも意地張れる。だけど今は……この子を、守らなきゃいけない」
注連縄の巻かれた奇妙な丸石、にしか見えないものを、蛍は「この子」と呼んだ。
その丸石の中で、何かが燃え上がり渦巻いているのを、彩吹は確かに感じた。
(生命……)
そう、思った。
(まだ生まれてもいない君が、そこまで頑張っている……)
「……頑張って」
燃える生命を内包する丸石に語りかけながら、桂木日那乃(CL2000941)が羽ばたいている。
「頑張ってるひとに、頑張れって言うの……駄目なことも、ある。でも、あなたなら大丈夫」
少女の翼が、嵐を巻き起こす。一瞬の暴風雨。
激しい雨が、水龍となって黄泉醜女・大型種3体を食いちぎる。水龍牙であった。
「あなたの生まれる世界、わたしたち……守る、から」
「……ふん。世界を守るのと、人間を守るってのは違うぞ」
海竜の卵を抱き締めたまま、蛍は呻く。
「あたしは……許せない。いくら、この子が自分の意思でやり始めた事だって……まだ生まれてもいない子に、こんな厄介事を押し付けやがった昔の人間ども! その時代、その場に、あたしがいたら皆殺しにしてやるところさ」
蛍の殺意が、具現化したかのようであった。
覚者たちの叩き込んだ、炎に、雷に、風に、流水に、打撃と斬撃に、抗うかの如く。無数の触手が、暴れ出していた。
黄泉醜女たちの、反撃だった。
毒蛇のように鞭のように覚者たちを襲う、触手の群れ。
それらが、疾風によって刈り取られ切り刻まれる。切断された触手たちが、びちびちと暴れながら宙を舞う。
十六夜の斬撃。
繰り出した『探偵見習い』工藤奏空(CL2000955)が、着地しながらも油断なく剣を構える。
「……わかるよ篠崎さん。俺の中にも、許せない気持ちはある。だけど」
古の時代の人々に、奏空は思いを馳せているようであった。
「……人間は、弱いんだ。何か恐ろしいものに脅かされた時、他者に助けを求める事しか出来ない。竜宮の方々のように偉大な存在が近くにあれば、縋らずにはいられないと思う」
海竜の巨大な骨格を、奏空は見上げた。
その目が、蛍の抱いた卵化石に向けられる。
「もちろん、その時代に俺たちがいたなら、人々を守るために戦っただろう。だけど、いなかった。俺も翔も、たまきちゃんも日那ちゃんも、紡さんも彩吹さんも、篠崎さんも竜胆さんも、当時は誰もいなかったんだ。いたのは、その子……人々は、その子に頼るしかなかったんだよ」
●
奏空の言う通りだ、と翔は思う。
当時、自分たちはいなかったのだ。
いたとしたら、どうか。例えば自分が古妖のように永らく存在する事の出来る何かで、人々に助けを求められたら。悪しきものの封印と浄化を、懇願されたとしたら。
やり遂げる事に全力を注ぐだろう、と翔は思う。数百年、千年の時をかけてもだ。
「自分1人の力だけで……頑張りてーって、思うよな。そりゃあ……」
呻きながら、翔は血を吐いた。
蔵王・戒で、土行の護りを固めてはある。
その防護の上から、凄まじい衝撃が叩きつけられて来る。無数の、肉質の鞭による痛打。
黄泉醜女たちの、触手の猛撃であった。
「……だけど思うぜ。オレ……お前の力に、なってやりてえ……ヘへっ。オレが勝手に、そう思ってるだけだ……」
「……皆さん、同じですよ。翔さん」
同じく土行の加護力を、甲冑の如く着装したたまきが、よろよろと立ち上がりながら痛々しく微笑む。触手の猛打は、彼女をも直撃したのだ。
「一方的に、誰かの力になりたくて……誰かを、守りたくて……無茶をする人たちばかりです。翔さんは今……私たちの盾に、なろうとしたでしょう?」
「ごめん、なりきれなかった……」
翔は膝をついた。
同じく片膝をついていた彩吹が、血まみれでよろよろと立ち上がりながら、翔の片腕を掴む。
「さあ翔……もうひと頑張り、いくよ。やれるだろう? ほら竜胆さんも」
「ふ……容赦がないな。まるで金剛様のようだ」
倒れていた竜胆が、彩吹に促されるまま立ち上がる。
立ち上がった男の背中を、彩吹はバシッと叩いた。
「あの人より容赦なくやるよ。私たち皆の、大事な赤ちゃんを守るためだ……竜胆さん、一緒にやろう」
「一緒にやる、か……我ら金剛軍に、根本から欠けていた戦い方だな」
この竜胆晴信という男の原点は、やはり七星剣ではなく金剛軍なのだ、と翔は思った。
ともかく、負傷した前衛3名が立ち上がり身構える。やはり彩吹が男2人を従えているように、どうしても見えてしまう。
初期の金剛軍とは、かくの如しだったのではないか、と思わせる3人に、猛毒の嵐が襲いかかる。
黄泉醜女の1体が、瘴気を噴射していた。毒々しい気体の渦が、彩吹を、翔を、竜胆を、包み込む。
折れた肋骨に抉られた体内へと、黄泉の瘴気が容赦なく侵入して来る。
またしても折れそうな膝に、翔は懸命に力を入れた。どうにか倒れずに済んだ。
身体の自由を奪おうとする黄泉の毒気が、薄らいでゆく。
「ごめん翔、踏ん張ってくれ……彩吹さんも、竜胆さんも」
奏空が、薬壺印を結んでいる。
瑠璃色の光の粒子がキラキラと拡散して漂い、翔たちの身体から、瘴気の毒気を消滅させてゆく。
「皆で、あの子を守るんだ」
「もちろん、そのために誰かが犠牲になんてのは無しね」
紡がくるりと術杖を振り回し、水行の癒しの力を放散する。
「誰も死なせない。この綺麗事を押し通すためにボクたちはいるっ。てなわけで潤しの雨ちょっと増量。しみるけど我慢してねー、相棒もいぶちゃんも竜胆っちも」
「いっ……痛ぇえ……慣れねーなぁ、こればっかりはよ……」
癒しの力が豪雨の如く降り注ぎ、体内外の傷を容赦なく洗浄治療する。その激痛に耐えながら、翔は床を蹴った。
「まあでもな、痛いけど身体は動く! 彩吹さん、一緒にやれるかな!」
「いいね、シュートを決めようかっ」
2人の鋭刃想脚が、竜巻の如く吹き荒れて黄泉醜女たちを斬り苛む。
「……よし、そろそろだ」
奏空が、踏み込んだ。
「ここで集中して、確実に1匹を仕留める! 日那ちゃん、たまきちゃん、一緒に」
「了解……」
「わかりました、行きましょう奏空さん!」
奏空の剣が、一閃で3度の斬撃を繰り出す。日那乃の可憐な片手が空気を凝集させ、暴風の砲弾を生成・発射する。
白夜と、エアブリット。
それらに続いて、たまきが、
「卵の中の貴方。どうか、もう少しだけ待っていて……私がいます、私たちがいます! お母様がいらっしゃいます! 貴方は1人きりではありません!」
可愛らしい掌に力を宿し、突っ込んで行く。
鉄甲掌。
大型種の1体が、その一撃に粉砕され、飛び散って消滅した。
●
彩吹が、肉質の鞭によって滅多打ちされながら、超高速で身を翻す。
黒い羽が、血飛沫と一緒になって飛散する。
彩吹は力なくよろめいたが、黄泉醜女の方は砕け散っていた。霞舞。カウンターの一撃が、大型種にとどめを刺したのだ。
倒れかかった彩吹を、たまきが後ろから抱き止める。
その間、紡が羽ばたいていた。
「さてさて、Jr.のために色々やんなきゃいけないわけだし。くびりマンずには御退場いただきましょうか。日那ちゃん」
「了解……被害が出る、前に消す」
女性覚者2人の翼が、轟音を発して旋風を巻き起こす。
覚者2人分の巨大なエアブリットが、黄泉醜女・大型種の最後の1体を撃ち砕いた。
飛び散った肉の残骸が、消滅してゆく。
屍を残さないのは助かる、と奏空は思わなくもなかった。
(黄泉の雷神……浄化と消滅を拒む、あんたの抵抗はここまでだ。傲慢な言い草だけど……どうか、このまま消えて欲しい)
消えゆくであろう存在に、奏空は語りかけた。応えはない。
竜胆が、くるりと背を向けた。
「終わった……ようだな。もはや私がここにいる理由もあるまい」
立ち去ろうとする竜胆の前に、いつの間にか翔が立ちはだかっている。
「成瀬翔……攻撃をするなら、背後からにしておけ」
「バカ言ってねーで、ほら。右手」
「?」
理解出来ぬまま竜胆が、促されて右手を掲げる。
その分厚い掌に、翔は思いきりハイタッチを打ち込んでいた。良い音が響いた。
呆然としている竜胆に、翔は擦れ違いざまに言葉をかけた。
「万が一の時……誰か1人に何もかも背負わせようって気は、ねーからな」
「成瀬……貴様は……」
「お前には無理だ、なんて言われても……だぜ。それだけは覚えといてくれ」
「おい竜胆、最後まで見届けるんだろ」
卵を抱いたまま、蛍が声を投げる。
「この子の顔くらい見てけ。もうすぐ生まれる……あたしには、わかる」
「生まれる……それは、浄化が完了する、という事ですね」
たまきが、注連縄の巻かれた卵殻にそっと手を触れる。
「もう少しです、どうか頑張って……私も、一緒に頑張りたい……このまま力を注ぎ込む事でも出来たなら……」
「……たまちゃん、ボクも」
紡が、卵の表面に片手を重ねていった。
「ずぅっと、1人っきりで頑張ってたんだよね……まだ生まれてもいないのに……偉いね……だけど、誰かを頼る事って絶対必要なんだよ?」
紡は、涙を流していた。
「ねえ、キミのために……キミのお母さんのために、ボクたちに出来る事って……何だろな……」
『……ありがとう、紡さん。覚者の方々』
海竜が、ようやく言葉を発した。
『あなた方はもはや充分、戦って下さいましたわ。後は、その子が……己の意思で始めた事を、己の力でやり遂げるだけ。どうか見守って下さいませね』
「落ち着きを取り戻したみたいだね。良かったよ」
彩吹が笑う。
全身骨格だけの海竜が、いくらか俯き加減になったように見える。
『……どうか、お忘れになって』
「お母さんはね、あれでいいとは思うよ」
「そうだよ、海骨ちゃん」
紡が涙を拭い、微笑む。
「……海骨ちゃん、なんてボク呼んでるけど……本当の名前とか、あるの?」
『ありますわよ』
「聞きたーい!」
「待って下さい。真の名前……それは諱、忌み名、なのではありませんか?」
たまきが、不安げな声を出す。
「私たちなどに迂闊に知らせては、海骨ちゃんさんの御身に良くない事が」
『そのような大層なものではありませんわ。まあ名乗るほどの身ではございませんけれど勿体付けるほどの者でも無し。私の真名は』
海竜が呪文を唱え始めた。呪文、としか思えなかった。いや、古文書の原文朗読のようでもある。
10分が経過した。
翔が悲鳴を上げた。
「ち、ちょっと待ってくれ! ごめん海竜。まだ当分、続いたりする?」
『まだ半分も名乗っておりませんわよ?』
海竜が笑う。
『ちなみに乙姫様の真名は、長さ私の5倍はありましてよ。竜宮の眷属とは、そのようなもの』
「うーん……奥が深いぜ」
『ですからね、私の事は好きにお呼びなさいませ。海骨で一向に構わなくてよ? そして、その子も』
蛍の腕の中で、卵に亀裂が走った。
『さあ御挨拶をなさい。お前の、名付け親の方々ですわよ』
卵殻の破片が、蛍の足元にぽろぽろと落下する。
人ならざるものの、産声が聞こえた。
呆然としている蛍の抱擁の中、それは鎌首をもたげて周囲を見回し、鰭状の短い四肢をぱたぱたと動かし、尻尾をぴこぴこと跳ねさせている。
「生まれたーっ!」
翔が、まずは声を上げた。
紡とたまきが、泣きながら抱き合う。彩吹は、日那乃の小さな身体を抱き上げてくるくると舞い踊る。
奏空は、翔と拳を突き合わせていた。だが。
「待って……」
日那乃が、彩吹に振り回されながら異変に気付いた。
蛍の足元で、散乱した卵殻の破片たちが動いている。這いずり、集合そして結合してゆく。元の、卵の形にだ。
ちぎれた注連縄が、蛇のように巻き付いた。
今や中身の入っていない卵が、そこに出現していた。パリッと微かな電光を発し、直立している。
卵の下部から、一対の短い脚が生えていた。長い尻尾もだ。下半身だけ孵化した恐竜の赤ん坊、のようでもある。
いや。卵の中身は今や完全なる孵化を遂げ、蛍に抱かれているのだ。
「ええと……こ、これは……」
尻尾の生えた卵をまじまじと見つめながら、たまきが言った。
「あの……か、可愛いと、思いませんか? 皆さん」
彩吹が、息を呑んだ。
「いやまあ確かに可愛いけど……こ、これって」
「黄泉の雷神……」
竜胆が、剣を抜いた。
「浄化されてはおらず……竜の卵殻を憑代に、実体を得たか。ならば今、とどめを刺すまでよ」
中身がないはずの卵に向かって竜胆は剣を振りかぶり、そのまま硬直した。
小さな小さな首長竜が、蛍の腕からぴょこんと飛び出し、竜胆の眼前に着地したのだ。
背後に、と言うか尻尾の後ろに卵を庇い、首をいっぱいに伸ばして竜胆を見上げ見つめている。
『お前は……』
海竜が、途方に暮れている。
『そう……それが、お前の……浄化……』
「君は……卵の中で、およそ千年……語り合っていたのか、黄泉の雷神と……」
奏空は呟いた。
「心を持たない、黄泉の悪しき殺戮機械に……心が生まれるまで、君は……語りかけを、続けていたんだね……」
「……仲良しに、なっちゃった……って事? 千年、卵の中で一緒にいるうちに……」
紡が呟き、身を屈め、じっと観察している。
小さな首長竜と、下肢および尻尾の生えた卵が、ぴょこぴょこと楽しげに踊る様を。
「こんな……」
日那乃が、ぽつりと言った。
「こんな、ものが……黄泉醜女、呼ぶわけないと思う……」
「ちょっと待ってくれ日那乃、それって」
翔も、気付いたようだ。
「……やっぱり、そういう事なのか……?」
「今の、黄泉醜女……召喚したのは……」
日那乃も、翔も、そちらを見ない。だが意識は、1人の男へと向けられている。
剣を振り下ろす事も出来ぬまま固まっている、竜胆晴信へと。
彼の眼前では、先程まで1つの卵であった小さな生き物2匹が、楽しげに跳ね踊っている。紡と一緒にだ。
たまきが、手拍子を打っている。
蛍と彩吹が、それを見つめている。
奏空は、天井を見上げた。
「浄化とは消滅……俺は、そう信じて疑っていなかった。だけど、これが……浄化というもの……これが、古妖……神秘的、と言うか、そんな言葉では追いつかない存在……」
口より先に、手が出る。足が出る。身体が、動いてしまう。『エリニュスの翼』如月彩吹(CL2001525)は苦笑した。
「まいったね。時代劇みたいな前口上、何か言いながら出て来るつもりだったんだけど……思いつく前に、お前たちを殴らなきゃいけない気分になった」
苦笑しつつ、拳を叩き込む。
黄泉醜女・大型種のおぞましい巨体が、フック気味の鋭利な一撃を喰らって揺らぎ、火花を散らせた。
その火花が、無数の火蜥蜴に変わりながら、黄泉醜女たちに這い群がる。
3体の大型種が、炎に包まれた。
そこへ『天を舞う雷電の鳳』麻弓紡(CL2000623)が、術式の狙いを定める。
「んー、時代劇的前口上……ひとつ、人より力持ち。ふたつ、不審者ぶちのめし事案35件。みっつ、みんなの用心棒」
そんな言葉に合わせて、術杖の先端から暴風の砲弾が射出される。
エアブリットの速射が、黄泉醜女の巨体を穿つ。
「以上、いぶちゃんの時代劇風キャッチコピー。どうよ。35件って数字は適当だけど、そのくらいやってるんじゃない?」
「……何なの、その不審者ぶちのめし事案っていうのは」
「聞きましたよ彩吹さん。この間」
大型の術符をばさりと広げながら、『陰と陽の橋渡し』賀茂たまき(CL2000994)が言った。
「五麟学園の女子更衣室を覗こうとなさった不審者の方に、正中線五連突きをお決めになったとか……あの、あまり手荒な事は駄目ですよ?」
「してないったら、そんな事!」
術符から巨大な岩石が出現し、砕けて落石の雨と化しながら、黄泉醜女たちに降り注ぐ。
合わせて鋭刃想脚を放ちながら、彩吹は弁明した。
「ちょっとお説教をくれただけだよ。正中線にぶち込んだりしてないって」
鋭利な美脚の乱舞を、大型種3体に叩きつけてゆく。
「まあ、ちょっと……中指一本拳で小突いたりは、したかな」
「……死ぬぞ」
ぼそっと呟いたのは、おかしな丸石を抱いた篠崎蛍である。
「言っとくけどな如月彩吹。お前が人殺しをやらかしたら、あたしも殺しまくるからな」
「止める資格、なくなっちゃうからね私」
「……何しに来たのさ」
「蛍! ありがとな、オレたちに声かけてくれて」
元気良く前衛に立ち、印を結んでいるのは『天を翔ぶ雷霆の龍』成瀬翔(CL2000063)である。
黒雲が生じて渦を巻き、黄泉醜女たちに向かって雷光を迸らせる。
大型種3体を『雷獣』で灼き払いながら、翔はなおも言った。
「竜胆さんも……ヘへっ。こうやって並ぶのは、初めてだよな。不謹慎かもだけど嬉しいぜ」
「……巡り合わせ次第では、お前たちとは今もまだ殺し合っていたかも知れんな」
翔の電撃に合わせて竜胆晴信は踏み込み、炎まとう妖刀を大型種に打ち込んでゆく。
黄泉醜女たちから守り抜くべきものを抱えているため戦闘には参加出来ない蛍が、俯き加減に呟く。
「……そうだよね。あたしら、とうとうファイヴの連中に助け求めるようになって……けど助かったよ。来てくれて、ありがと」
「そんな事、言えるようになったんだね蛍」
彩吹は言った。戦闘中でなければ、頭を撫でてやりたいところだ。
「成長したね……なんて言ったら、失礼かな。もう」
「あたし1人だけの事なら、いくらでも意地張れる。だけど今は……この子を、守らなきゃいけない」
注連縄の巻かれた奇妙な丸石、にしか見えないものを、蛍は「この子」と呼んだ。
その丸石の中で、何かが燃え上がり渦巻いているのを、彩吹は確かに感じた。
(生命……)
そう、思った。
(まだ生まれてもいない君が、そこまで頑張っている……)
「……頑張って」
燃える生命を内包する丸石に語りかけながら、桂木日那乃(CL2000941)が羽ばたいている。
「頑張ってるひとに、頑張れって言うの……駄目なことも、ある。でも、あなたなら大丈夫」
少女の翼が、嵐を巻き起こす。一瞬の暴風雨。
激しい雨が、水龍となって黄泉醜女・大型種3体を食いちぎる。水龍牙であった。
「あなたの生まれる世界、わたしたち……守る、から」
「……ふん。世界を守るのと、人間を守るってのは違うぞ」
海竜の卵を抱き締めたまま、蛍は呻く。
「あたしは……許せない。いくら、この子が自分の意思でやり始めた事だって……まだ生まれてもいない子に、こんな厄介事を押し付けやがった昔の人間ども! その時代、その場に、あたしがいたら皆殺しにしてやるところさ」
蛍の殺意が、具現化したかのようであった。
覚者たちの叩き込んだ、炎に、雷に、風に、流水に、打撃と斬撃に、抗うかの如く。無数の触手が、暴れ出していた。
黄泉醜女たちの、反撃だった。
毒蛇のように鞭のように覚者たちを襲う、触手の群れ。
それらが、疾風によって刈り取られ切り刻まれる。切断された触手たちが、びちびちと暴れながら宙を舞う。
十六夜の斬撃。
繰り出した『探偵見習い』工藤奏空(CL2000955)が、着地しながらも油断なく剣を構える。
「……わかるよ篠崎さん。俺の中にも、許せない気持ちはある。だけど」
古の時代の人々に、奏空は思いを馳せているようであった。
「……人間は、弱いんだ。何か恐ろしいものに脅かされた時、他者に助けを求める事しか出来ない。竜宮の方々のように偉大な存在が近くにあれば、縋らずにはいられないと思う」
海竜の巨大な骨格を、奏空は見上げた。
その目が、蛍の抱いた卵化石に向けられる。
「もちろん、その時代に俺たちがいたなら、人々を守るために戦っただろう。だけど、いなかった。俺も翔も、たまきちゃんも日那ちゃんも、紡さんも彩吹さんも、篠崎さんも竜胆さんも、当時は誰もいなかったんだ。いたのは、その子……人々は、その子に頼るしかなかったんだよ」
●
奏空の言う通りだ、と翔は思う。
当時、自分たちはいなかったのだ。
いたとしたら、どうか。例えば自分が古妖のように永らく存在する事の出来る何かで、人々に助けを求められたら。悪しきものの封印と浄化を、懇願されたとしたら。
やり遂げる事に全力を注ぐだろう、と翔は思う。数百年、千年の時をかけてもだ。
「自分1人の力だけで……頑張りてーって、思うよな。そりゃあ……」
呻きながら、翔は血を吐いた。
蔵王・戒で、土行の護りを固めてはある。
その防護の上から、凄まじい衝撃が叩きつけられて来る。無数の、肉質の鞭による痛打。
黄泉醜女たちの、触手の猛撃であった。
「……だけど思うぜ。オレ……お前の力に、なってやりてえ……ヘへっ。オレが勝手に、そう思ってるだけだ……」
「……皆さん、同じですよ。翔さん」
同じく土行の加護力を、甲冑の如く着装したたまきが、よろよろと立ち上がりながら痛々しく微笑む。触手の猛打は、彼女をも直撃したのだ。
「一方的に、誰かの力になりたくて……誰かを、守りたくて……無茶をする人たちばかりです。翔さんは今……私たちの盾に、なろうとしたでしょう?」
「ごめん、なりきれなかった……」
翔は膝をついた。
同じく片膝をついていた彩吹が、血まみれでよろよろと立ち上がりながら、翔の片腕を掴む。
「さあ翔……もうひと頑張り、いくよ。やれるだろう? ほら竜胆さんも」
「ふ……容赦がないな。まるで金剛様のようだ」
倒れていた竜胆が、彩吹に促されるまま立ち上がる。
立ち上がった男の背中を、彩吹はバシッと叩いた。
「あの人より容赦なくやるよ。私たち皆の、大事な赤ちゃんを守るためだ……竜胆さん、一緒にやろう」
「一緒にやる、か……我ら金剛軍に、根本から欠けていた戦い方だな」
この竜胆晴信という男の原点は、やはり七星剣ではなく金剛軍なのだ、と翔は思った。
ともかく、負傷した前衛3名が立ち上がり身構える。やはり彩吹が男2人を従えているように、どうしても見えてしまう。
初期の金剛軍とは、かくの如しだったのではないか、と思わせる3人に、猛毒の嵐が襲いかかる。
黄泉醜女の1体が、瘴気を噴射していた。毒々しい気体の渦が、彩吹を、翔を、竜胆を、包み込む。
折れた肋骨に抉られた体内へと、黄泉の瘴気が容赦なく侵入して来る。
またしても折れそうな膝に、翔は懸命に力を入れた。どうにか倒れずに済んだ。
身体の自由を奪おうとする黄泉の毒気が、薄らいでゆく。
「ごめん翔、踏ん張ってくれ……彩吹さんも、竜胆さんも」
奏空が、薬壺印を結んでいる。
瑠璃色の光の粒子がキラキラと拡散して漂い、翔たちの身体から、瘴気の毒気を消滅させてゆく。
「皆で、あの子を守るんだ」
「もちろん、そのために誰かが犠牲になんてのは無しね」
紡がくるりと術杖を振り回し、水行の癒しの力を放散する。
「誰も死なせない。この綺麗事を押し通すためにボクたちはいるっ。てなわけで潤しの雨ちょっと増量。しみるけど我慢してねー、相棒もいぶちゃんも竜胆っちも」
「いっ……痛ぇえ……慣れねーなぁ、こればっかりはよ……」
癒しの力が豪雨の如く降り注ぎ、体内外の傷を容赦なく洗浄治療する。その激痛に耐えながら、翔は床を蹴った。
「まあでもな、痛いけど身体は動く! 彩吹さん、一緒にやれるかな!」
「いいね、シュートを決めようかっ」
2人の鋭刃想脚が、竜巻の如く吹き荒れて黄泉醜女たちを斬り苛む。
「……よし、そろそろだ」
奏空が、踏み込んだ。
「ここで集中して、確実に1匹を仕留める! 日那ちゃん、たまきちゃん、一緒に」
「了解……」
「わかりました、行きましょう奏空さん!」
奏空の剣が、一閃で3度の斬撃を繰り出す。日那乃の可憐な片手が空気を凝集させ、暴風の砲弾を生成・発射する。
白夜と、エアブリット。
それらに続いて、たまきが、
「卵の中の貴方。どうか、もう少しだけ待っていて……私がいます、私たちがいます! お母様がいらっしゃいます! 貴方は1人きりではありません!」
可愛らしい掌に力を宿し、突っ込んで行く。
鉄甲掌。
大型種の1体が、その一撃に粉砕され、飛び散って消滅した。
●
彩吹が、肉質の鞭によって滅多打ちされながら、超高速で身を翻す。
黒い羽が、血飛沫と一緒になって飛散する。
彩吹は力なくよろめいたが、黄泉醜女の方は砕け散っていた。霞舞。カウンターの一撃が、大型種にとどめを刺したのだ。
倒れかかった彩吹を、たまきが後ろから抱き止める。
その間、紡が羽ばたいていた。
「さてさて、Jr.のために色々やんなきゃいけないわけだし。くびりマンずには御退場いただきましょうか。日那ちゃん」
「了解……被害が出る、前に消す」
女性覚者2人の翼が、轟音を発して旋風を巻き起こす。
覚者2人分の巨大なエアブリットが、黄泉醜女・大型種の最後の1体を撃ち砕いた。
飛び散った肉の残骸が、消滅してゆく。
屍を残さないのは助かる、と奏空は思わなくもなかった。
(黄泉の雷神……浄化と消滅を拒む、あんたの抵抗はここまでだ。傲慢な言い草だけど……どうか、このまま消えて欲しい)
消えゆくであろう存在に、奏空は語りかけた。応えはない。
竜胆が、くるりと背を向けた。
「終わった……ようだな。もはや私がここにいる理由もあるまい」
立ち去ろうとする竜胆の前に、いつの間にか翔が立ちはだかっている。
「成瀬翔……攻撃をするなら、背後からにしておけ」
「バカ言ってねーで、ほら。右手」
「?」
理解出来ぬまま竜胆が、促されて右手を掲げる。
その分厚い掌に、翔は思いきりハイタッチを打ち込んでいた。良い音が響いた。
呆然としている竜胆に、翔は擦れ違いざまに言葉をかけた。
「万が一の時……誰か1人に何もかも背負わせようって気は、ねーからな」
「成瀬……貴様は……」
「お前には無理だ、なんて言われても……だぜ。それだけは覚えといてくれ」
「おい竜胆、最後まで見届けるんだろ」
卵を抱いたまま、蛍が声を投げる。
「この子の顔くらい見てけ。もうすぐ生まれる……あたしには、わかる」
「生まれる……それは、浄化が完了する、という事ですね」
たまきが、注連縄の巻かれた卵殻にそっと手を触れる。
「もう少しです、どうか頑張って……私も、一緒に頑張りたい……このまま力を注ぎ込む事でも出来たなら……」
「……たまちゃん、ボクも」
紡が、卵の表面に片手を重ねていった。
「ずぅっと、1人っきりで頑張ってたんだよね……まだ生まれてもいないのに……偉いね……だけど、誰かを頼る事って絶対必要なんだよ?」
紡は、涙を流していた。
「ねえ、キミのために……キミのお母さんのために、ボクたちに出来る事って……何だろな……」
『……ありがとう、紡さん。覚者の方々』
海竜が、ようやく言葉を発した。
『あなた方はもはや充分、戦って下さいましたわ。後は、その子が……己の意思で始めた事を、己の力でやり遂げるだけ。どうか見守って下さいませね』
「落ち着きを取り戻したみたいだね。良かったよ」
彩吹が笑う。
全身骨格だけの海竜が、いくらか俯き加減になったように見える。
『……どうか、お忘れになって』
「お母さんはね、あれでいいとは思うよ」
「そうだよ、海骨ちゃん」
紡が涙を拭い、微笑む。
「……海骨ちゃん、なんてボク呼んでるけど……本当の名前とか、あるの?」
『ありますわよ』
「聞きたーい!」
「待って下さい。真の名前……それは諱、忌み名、なのではありませんか?」
たまきが、不安げな声を出す。
「私たちなどに迂闊に知らせては、海骨ちゃんさんの御身に良くない事が」
『そのような大層なものではありませんわ。まあ名乗るほどの身ではございませんけれど勿体付けるほどの者でも無し。私の真名は』
海竜が呪文を唱え始めた。呪文、としか思えなかった。いや、古文書の原文朗読のようでもある。
10分が経過した。
翔が悲鳴を上げた。
「ち、ちょっと待ってくれ! ごめん海竜。まだ当分、続いたりする?」
『まだ半分も名乗っておりませんわよ?』
海竜が笑う。
『ちなみに乙姫様の真名は、長さ私の5倍はありましてよ。竜宮の眷属とは、そのようなもの』
「うーん……奥が深いぜ」
『ですからね、私の事は好きにお呼びなさいませ。海骨で一向に構わなくてよ? そして、その子も』
蛍の腕の中で、卵に亀裂が走った。
『さあ御挨拶をなさい。お前の、名付け親の方々ですわよ』
卵殻の破片が、蛍の足元にぽろぽろと落下する。
人ならざるものの、産声が聞こえた。
呆然としている蛍の抱擁の中、それは鎌首をもたげて周囲を見回し、鰭状の短い四肢をぱたぱたと動かし、尻尾をぴこぴこと跳ねさせている。
「生まれたーっ!」
翔が、まずは声を上げた。
紡とたまきが、泣きながら抱き合う。彩吹は、日那乃の小さな身体を抱き上げてくるくると舞い踊る。
奏空は、翔と拳を突き合わせていた。だが。
「待って……」
日那乃が、彩吹に振り回されながら異変に気付いた。
蛍の足元で、散乱した卵殻の破片たちが動いている。這いずり、集合そして結合してゆく。元の、卵の形にだ。
ちぎれた注連縄が、蛇のように巻き付いた。
今や中身の入っていない卵が、そこに出現していた。パリッと微かな電光を発し、直立している。
卵の下部から、一対の短い脚が生えていた。長い尻尾もだ。下半身だけ孵化した恐竜の赤ん坊、のようでもある。
いや。卵の中身は今や完全なる孵化を遂げ、蛍に抱かれているのだ。
「ええと……こ、これは……」
尻尾の生えた卵をまじまじと見つめながら、たまきが言った。
「あの……か、可愛いと、思いませんか? 皆さん」
彩吹が、息を呑んだ。
「いやまあ確かに可愛いけど……こ、これって」
「黄泉の雷神……」
竜胆が、剣を抜いた。
「浄化されてはおらず……竜の卵殻を憑代に、実体を得たか。ならば今、とどめを刺すまでよ」
中身がないはずの卵に向かって竜胆は剣を振りかぶり、そのまま硬直した。
小さな小さな首長竜が、蛍の腕からぴょこんと飛び出し、竜胆の眼前に着地したのだ。
背後に、と言うか尻尾の後ろに卵を庇い、首をいっぱいに伸ばして竜胆を見上げ見つめている。
『お前は……』
海竜が、途方に暮れている。
『そう……それが、お前の……浄化……』
「君は……卵の中で、およそ千年……語り合っていたのか、黄泉の雷神と……」
奏空は呟いた。
「心を持たない、黄泉の悪しき殺戮機械に……心が生まれるまで、君は……語りかけを、続けていたんだね……」
「……仲良しに、なっちゃった……って事? 千年、卵の中で一緒にいるうちに……」
紡が呟き、身を屈め、じっと観察している。
小さな首長竜と、下肢および尻尾の生えた卵が、ぴょこぴょこと楽しげに踊る様を。
「こんな……」
日那乃が、ぽつりと言った。
「こんな、ものが……黄泉醜女、呼ぶわけないと思う……」
「ちょっと待ってくれ日那乃、それって」
翔も、気付いたようだ。
「……やっぱり、そういう事なのか……?」
「今の、黄泉醜女……召喚したのは……」
日那乃も、翔も、そちらを見ない。だが意識は、1人の男へと向けられている。
剣を振り下ろす事も出来ぬまま固まっている、竜胆晴信へと。
彼の眼前では、先程まで1つの卵であった小さな生き物2匹が、楽しげに跳ね踊っている。紡と一緒にだ。
たまきが、手拍子を打っている。
蛍と彩吹が、それを見つめている。
奏空は、天井を見上げた。
「浄化とは消滅……俺は、そう信じて疑っていなかった。だけど、これが……浄化というもの……これが、古妖……神秘的、と言うか、そんな言葉では追いつかない存在……」
■シナリオ結果■
成功
■詳細■
MVP
なし
軽傷
なし
重傷
なし
死亡
なし
称号付与
なし
特殊成果
なし
