覚者、ゴルゴダを行く
●
神などいない。
いや本当はいるのかも知れないが、言われているほど万能の存在ではない事だけは確かである。
何故なら俺が、御利益も恩恵も受けていないからだ。
神が本当に万人を救う存在であるのならば、俺は今頃、幸せになっていなければならない。
(お願いです、高田の野郎を殺して下さい……殺して下さい、殺して下さいよあの野郎を、とっととブッ殺せよ神様なんだろおいゴルァア!)
幸せどころか俺は、ゴミ溜めのような職場でクソったれな上司に嫌味を言われるだけの日々を送っている。
とある教会。礼拝堂で祈りを捧げながら、俺は心の中で罵り叫んでいた。
(死ねよクソが! ゴミが! カスが!)
十字架に拘束されているイエス・キリスト像の顔が、あのクソ上司・高田の顔に見えてきた。
前述の通り、俺は無神論者である。この教会へ祈りに来ているのは、このように祈るふりをして、イエス・キリストに憎悪をぶつけるためだ。
(クソが! クソが! ゴミクソカスが! てめえよォ、神様だってんなら殺せよクソどもを、どいつもこいつもクソクソクソクソクソ)
俺の妄想の中で、十字架に架けられているのはキリストではなかった。
高田であり、あの野郎を咎めもしない社長であり、社長に媚びへつらう河野であり、河野と俺と二股をかけて結局は河野を選びやがった美紗子であり、その顛末を面白おかしく広めやがったお局連中であり、面接の時に俺をバカにした人事の桑島であり、大学時代に俺から金を借りて未だ返さない田中であり、高校の時に俺からカツアゲをした底辺校のゴミどもであり、こないだ俺の書き込みにムカつく返信を付けやがった顔も知らないクソ野郎であった。
妄想の中で、俺は聖ロンギヌスを押しのけて槍を奪い、そいつらを滅多刺しにし続けた。
●
長く、私はこの教会で司祭を務めてきた。カトリックであるから、神父と呼ばれた方が馴染みはあるかも知れない。
それはともかく、ここ数年、礼拝に来る人々の数が明らかに増えている。
日本人が信心深くなったわけではない、と私は思っている。
皆、誰かを憎まずにはいられないのだ。
憎い相手の、身の破滅を、神に願わずにはいられないのだ。
特定の誰かを憎んでいる者もいる。世の中全てに対する漠然とした不平不満を、憎悪にまで高めてしまった者もいる。
皆、この教会を訪れて主イエス・キリストに、祈りを捧げながら憎悪をぶつけるのだ。
「我々人間は、おぞましいものを全て貴方に押し付けながら生きております」
誰もいなくなった礼拝堂で、私は壁の十字架に拘束されたイエス・キリスト像に語りかけていた。
つい先程まで、ここで1人の若者が何やら長々と祈っていた。何人もいる憎い誰かに、神罰が降る事を願っていたのだろう。この教会には何故か、そういう人々しか礼拝に訪れない。
教会を出て行く際、あの若者は私に挨拶をしてくれた。憑き物が落ちたような、穏やかな顔をしていた。
「また1人の人間を、お救い下さいましたな。本当に、ありがとうございます」
人間の罪業を背負う事を義務付けられてしまった聖人の像に向かって、私は跪いていた。
「およそ二千年、人の悪業を押し付けられて……いつも、不幸せそうにしておられますなあ」
当然と言えば当然である。何しろ、十字架に打ち付けられているのだ。幸せであるはずがない。
言ってみれば、晒しものにされた聖人の死体である。世界じゅうの人々が、それを有り難がって祀り上げ、拝んでいるのだ。安らかな永眠など、許されない身分である。
「人間どもに対して、言いたい事など色々おありでしょうなあ。私が、それを聞いて差し上げられれば良いのですが」
私の、そんな言葉に応えるかの如く。
キリスト像が十字架から外れて落下し、床に着地して重い音を立てた。
一瞬遅れて、十字架が壁から剥離した。
それを受け止め、背負いながら、主イエスは足取り重く、私に歩み寄って来る。
否。私を踏み潰して教会の外へ向かおうとしている。
「言いたい事など、ありませんか……人間どもは、もはや殺すしかなし。そうお考えですか」
人を殺して欲しい。その願いだけを受け続けてきた聖人像である。動けるようになったのならば、する事など殺戮しかないのは当然であった。
礼拝堂内にいくつかある天使たちの像も、同じように壁から離れて重々しく着地し、主イエスを護衛するかのように動き始めていた。
歩み寄りつつある聖人の眼前で、私は祈りを捧げた。
「どうか、私1人の命で……お許し下さいますよう……」
長く神父をやってきたが、本気で神に祈ったのは初めてかも知れなかった。
神などいない。
いや本当はいるのかも知れないが、言われているほど万能の存在ではない事だけは確かである。
何故なら俺が、御利益も恩恵も受けていないからだ。
神が本当に万人を救う存在であるのならば、俺は今頃、幸せになっていなければならない。
(お願いです、高田の野郎を殺して下さい……殺して下さい、殺して下さいよあの野郎を、とっととブッ殺せよ神様なんだろおいゴルァア!)
幸せどころか俺は、ゴミ溜めのような職場でクソったれな上司に嫌味を言われるだけの日々を送っている。
とある教会。礼拝堂で祈りを捧げながら、俺は心の中で罵り叫んでいた。
(死ねよクソが! ゴミが! カスが!)
十字架に拘束されているイエス・キリスト像の顔が、あのクソ上司・高田の顔に見えてきた。
前述の通り、俺は無神論者である。この教会へ祈りに来ているのは、このように祈るふりをして、イエス・キリストに憎悪をぶつけるためだ。
(クソが! クソが! ゴミクソカスが! てめえよォ、神様だってんなら殺せよクソどもを、どいつもこいつもクソクソクソクソクソ)
俺の妄想の中で、十字架に架けられているのはキリストではなかった。
高田であり、あの野郎を咎めもしない社長であり、社長に媚びへつらう河野であり、河野と俺と二股をかけて結局は河野を選びやがった美紗子であり、その顛末を面白おかしく広めやがったお局連中であり、面接の時に俺をバカにした人事の桑島であり、大学時代に俺から金を借りて未だ返さない田中であり、高校の時に俺からカツアゲをした底辺校のゴミどもであり、こないだ俺の書き込みにムカつく返信を付けやがった顔も知らないクソ野郎であった。
妄想の中で、俺は聖ロンギヌスを押しのけて槍を奪い、そいつらを滅多刺しにし続けた。
●
長く、私はこの教会で司祭を務めてきた。カトリックであるから、神父と呼ばれた方が馴染みはあるかも知れない。
それはともかく、ここ数年、礼拝に来る人々の数が明らかに増えている。
日本人が信心深くなったわけではない、と私は思っている。
皆、誰かを憎まずにはいられないのだ。
憎い相手の、身の破滅を、神に願わずにはいられないのだ。
特定の誰かを憎んでいる者もいる。世の中全てに対する漠然とした不平不満を、憎悪にまで高めてしまった者もいる。
皆、この教会を訪れて主イエス・キリストに、祈りを捧げながら憎悪をぶつけるのだ。
「我々人間は、おぞましいものを全て貴方に押し付けながら生きております」
誰もいなくなった礼拝堂で、私は壁の十字架に拘束されたイエス・キリスト像に語りかけていた。
つい先程まで、ここで1人の若者が何やら長々と祈っていた。何人もいる憎い誰かに、神罰が降る事を願っていたのだろう。この教会には何故か、そういう人々しか礼拝に訪れない。
教会を出て行く際、あの若者は私に挨拶をしてくれた。憑き物が落ちたような、穏やかな顔をしていた。
「また1人の人間を、お救い下さいましたな。本当に、ありがとうございます」
人間の罪業を背負う事を義務付けられてしまった聖人の像に向かって、私は跪いていた。
「およそ二千年、人の悪業を押し付けられて……いつも、不幸せそうにしておられますなあ」
当然と言えば当然である。何しろ、十字架に打ち付けられているのだ。幸せであるはずがない。
言ってみれば、晒しものにされた聖人の死体である。世界じゅうの人々が、それを有り難がって祀り上げ、拝んでいるのだ。安らかな永眠など、許されない身分である。
「人間どもに対して、言いたい事など色々おありでしょうなあ。私が、それを聞いて差し上げられれば良いのですが」
私の、そんな言葉に応えるかの如く。
キリスト像が十字架から外れて落下し、床に着地して重い音を立てた。
一瞬遅れて、十字架が壁から剥離した。
それを受け止め、背負いながら、主イエスは足取り重く、私に歩み寄って来る。
否。私を踏み潰して教会の外へ向かおうとしている。
「言いたい事など、ありませんか……人間どもは、もはや殺すしかなし。そうお考えですか」
人を殺して欲しい。その願いだけを受け続けてきた聖人像である。動けるようになったのならば、する事など殺戮しかないのは当然であった。
礼拝堂内にいくつかある天使たちの像も、同じように壁から離れて重々しく着地し、主イエスを護衛するかのように動き始めていた。
歩み寄りつつある聖人の眼前で、私は祈りを捧げた。
「どうか、私1人の命で……お許し下さいますよう……」
長く神父をやってきたが、本気で神に祈ったのは初めてかも知れなかった。

■シナリオ詳細
■成功条件
1.妖の殲滅
2.一般人・谷岡幸信の生存
3.なし
2.一般人・谷岡幸信の生存
3.なし
とあるカトリック教会で、礼拝者たちの憎悪の願いを受け続けてきたイエス・キリスト像が妖と化しました。教会の外へ出て人々を殺戮しようとしております。これを止めて下さい。
場所は礼拝堂内部。照明は点いております。
堂内には神父である谷岡幸信氏(一般人男性、53歳)がいて跪いており、出入口へと向かうキリスト像に今にも踏み潰されようとしております。覚者の皆様には、まず妖と谷岡神父の間に無理やり、割り込んでいただく事になります。
妖の詳細は、以下の通り。
●イエス・キリスト像(1体、前衛中央)
物質系、ランク3。背負った十字架を怪力で、振り回す(物近列)か突き込んで(物近単、貫通2)きます。
●天使像(5体、前衛左右および中衛)
物質系、ランク2。憎悪の波動を飛ばしてきます(特遠単、BS呪い)。
それでは、よろしくお願い申し上げます。
状態
完了
完了
報酬モルコイン
金:1枚 銀:0枚 銅:0枚
金:1枚 銀:0枚 銅:0枚
相談日数
7日
7日
参加費
100LP[+予約50LP]
100LP[+予約50LP]
参加人数
6/6
6/6
公開日
2019年01月12日
2019年01月12日
■メイン参加者 6人■

●
神様の仕事とは何か。
すがってくる人々の身勝手な願いを、ことごとく叶える事か。
神が実在するとしても、そこまで万能の存在ではないだろうと『エリニュスの翼』如月彩吹(CL2001525)は思う。
「願い事、と言うか……愚痴を聞く、くらいじゃないかなあ。神様のお仕事って」
「お仕事熱心なんだねえ、ここのカミサマ」
暢気な事を言っているのは『天を舞う雷電の鳳』麻弓紡(CL2000623)である。
まさしくそれは、人々の愚痴を聞かされ続けた結果の、神の姿であった。
歩行する、6体の聖像。
1つは、十字架を担いだイエス・キリスト。他の5つは天使である。
ゴルゴダの丘を登る聖人の如く重々しい歩調で、彼らは行く。立ち塞がるもの全てを、踏み潰さんとしている。
その重々しさは、まさに人々の罪業を背負わされたかのようだ。
人間の悪しきものを押し付けられ、妖と化した聖像たち。
彩吹は、言ってみた。
「……お祓いの出来る人、連れて来れば良かったかな。誰か、いなかったっけ。巫女さん系の術式が使える人」
「戦巫女之祝詞ならあるよー」
紡が、彩吹の背中を叩いて術式を流し込んでくれた。
「これもねー、能力強化のついでに巫女装束とか装着出来れば言う事ナシなんだけどね。いぶちゃんの巫女さんルック、需要あると思うよー。あ、キミでもいい感じかな。ね秋津洲ちゃん、巫女さんに変身する術式とか一緒に考えてみない? そのギリギリでピッチピチな赤ボンデージも悪かないけど」
「いいからっ! 早く戦って下さいませ!」
悲鳴に近い怒声を張り上げながら『星唄う魔女』秋津洲いのり(CL2000268)が冥王の杖を振るい、キラキラと光をばらまく。
煌めく星の光が豪雨のように降り注ぎ、妖6体を直撃した。
揺らぎながらも、重い足取りを一向に弱めないキリスト像と天使像たち。
そこへ『天を翔ぶ雷霆の龍』成瀬翔(CL2000063)が、両手印を結んで術式の狙いを定める。
「頼むぜ2人とも! こいつら、頑丈だ」
「人の営みが妖を生む、というのは隔者の言い分だけど……」
弓を引きながら『秘心伝心』鈴白秋人(CL2000565)が呟く。
矢のない弓に、水行の力が矢の形に生じ、つがえられた。
「その通りだとしても、俺たちは人を守るよ……たとえ、神が相手でも」
雷鳴が轟き、電光の白虎が猛々しく跳躍した。
放たれた矢が流水の青龍と化し、渦を巻いて牙を剥く。
翔の『雷獣』と秋人の『水龍牙』が、聖像たちを薙ぎ払っていた。
「……そうだね。私も、じゃあ心だけは巫女さんらしく、お祓いに取りかかるとしようか」
「お願いします、彩吹さん。僕は、この人を」
篁三十三(CL2001480)が、擦れ違って行く。1人の要救助者を護衛しながらだ。
温厚そうな、初老の男。この教会の神父である。キリスト像に踏み潰されそうになっていた、割には随分と落ち着いている。
「頼むね、三十三」
彩吹は翼を広げた。
その翼に隠れるようにして、紡が声を発する。
「愚痴やら恨み言やら聞かされるだけの毎日じゃあねえ、闇堕ちしちゃうのもわかるけどさ。トチ狂って暴れてもいい理由にはならないよ? ねえ神サマ。早めにゴメンナサイしちゃわないとお、こちらの鬼巫女さんのお祓い(物理)が炸裂」
「……ねえ紡様。人の背中に隠れながら色々おっしゃるのは、大人としていかがなものかと思いますわよ」
いのりが言った。紡は応えた。
「煽りトークっていうのはね、安全な場所でやるものなのさ。それが大人」
「まあ私の後ろが安全かどうかはともかく。この神様の注意を、引き付けておく必要があるのは確か」
神父が、三十三に導かれて避難して行く。
そちらから妖たちの注意を奪い取る事には、成功したようだ。
「如月家は、悪役の家系……」
電撃と水龍に耐えて進み来るキリスト像に、彩吹は声を投げた。
「申し訳ないけど神様、貴方たちを砕くよ。まるで悪魔のようにねっ!」
●
彩吹の蹴りが、キリスト像を天使たちもろとも薙ぎ払う。
鋭刃想脚。
その羨ましいほどスラリと格好良く伸びた脚線に、いのりは一瞬だけ見とれた。
その間に、妖たちの反撃が来た。
天使像の1体が、片手をかざす。その掌から、禍々しいものが放出される。
誰かの死を、他人の不幸を、この礼拝堂で祈った者たちの思い。
その憎悪の念が、妖の攻撃手段となって迸ったのだ。
迸ったものが、いのりを直撃した。
「うっぐ……こっ、これが……ッ」
仄かな香気が、ふんわりと漂い散った。
清廉珀香。紡が、いくらかふざけた事を言いながらも施してくれた防御術式である。
防御しきれぬ毒気が、いのりの身体に打ち込まれていた。
「これが……憎しみ……」
臓器を捻り切られたかのような激痛。
いのりは血を吐き、膝をついていた。
「人は、これほどの憎悪を……持ち得るもの、なのですか……」
この教会で祈りを捧げた人々は皆、まさしく臓物が捻じ切れるような憎しみに苛まれていたのだ。
人が、人を憎まずにはいられない世の中。
憎しみを、怒りを、殺意を……自分たちの悪業を全て、引き受け背負い込んでくれる存在を古来、人々は必要としてきた。
そして、ナザレのイエスという1人の人間に、その役割を押し付けてしまった。
「これほど、おぞましいものを貴方は……その身に引き受け、背負い込んで……おかげで多くの人々が、憎しみを実行せず……罪を犯さずに、いられたのですわ。貴方は人々を、救ってこられたのですわね……ですが、それでは……」
巨大な十字架を、盾のように得物のように振りかざし、彩吹と翔の蹴りをことごとく防ぎ弾くイエス・キリスト像に、いのりは血を吐きながら語りかけていた。
「貴方は、誰が……誰が、貴方を救って差し上げられるのでしょうか……」
「俺たちが、救えれば……いいんだけどね」
言いつつ秋人が、立ち上がれぬいのりを庇うように両腕を広げた。
「この教会、マリア像がないね。あれば……イエス・キリストも、少しは救われるかも……」
他4体の天使像が、憎悪の波動を一斉に放ったところである。
全てが、秋人を直撃していた。
「鈴白先生!」
いのりの叫びに、秋人は何か応えようとして失敗し、血を吐いた。大丈夫、とでも言おうとしたのか。
かぐわしい清廉珀香の粒子をキラキラと飛散させながら、秋人はよろめき、硬直した。
「さすが、としか言いようがないね……俺には、耐えられないよ。二千年間、こんなもの押し付けられるなんて……」
次の瞬間、秋人はグシャリと吹っ飛んだ。彩吹と翔も、血飛沫を咲かせて吹っ飛んでいた。
怪力で振り回された十字架が、3人を薙ぎ払ったところである。
床に激突した翔が、血まみれのまま秋人に這い寄ろうとする。
「お、おい鈴白先生……しっかりしろー……」
秋人は、倒れたまま応えない。動かない。
瀕死のまま、憎悪の波動に呪縛されてしまっている。
いのりは、頼りなく漂う香気の粒子を胸いっぱいに吸い込み、立ち上がった。清廉珀香のかぐわしさが、憎悪の呪縛を溶かしてくれる。
「ありがとう……助かりましたわ、紡様」
「まあ、気休めだけどね」
言いつつ紡が身を屈め、瀕死の秋人を細腕と翼で抱き包んだ。
「……気休めじゃない、本格的な回復が必要だね。秋津洲ちゃん、一緒に」
「ですわね」
冥王の杖をかざし、いのりは身を翻した。
赤い、際どい衣装で彩られた瑞々しい肢体から、癒しの力がキラキラとこぼれ出す。演舞・舞音。
一方、紡は翼を広げ、水行の治癒力を解放していた。潤しの雨が降り注いだ。
女性覚者2名による術式治療を受けて、翔が、彩吹が、立ち上がっていた。
「痛ててて……効いたぜ、今のぶん殴りは。ったく、神様と戦うってのはやっぱ楽じゃねーな」
「……案外これが、本当に近い姿なのかもね」
言葉と共に彩吹が、妖に向かって疾風の如く踏み込んで行く。
「今よりずっと、腕っ節が物を言う時代に……二千年後まで残るような宗教を、立ち上げた人なんだろう? 荒っぽいところ、あって当然だよね!」
「腕っ節で人々を救うイエス・キリスト……か。新しい学説だね」
秋人が、紡の膝の上から起き上がる。
「おっとと、無理は駄目だよ鈴白センセ」
「大丈夫……俺たちも、力で人助けをするのが仕事さ。昔の人に負けてはいられないよ」
秋人は微笑み、弓を引いた。光の矢が生じた。
「……宗教を立ち上げようなんて気は、もちろんないけどね」
●
「いくぜっ、弾丸ボレーシュートだ!」
「いいね、私もやってみようかな」
翔と彩吹が、妖たちに蹴りを叩き込んでゆく。キリスト像と天使像たちを左右から薙ぎ払う鋭刃想脚。
天使像2体が、力尽きて崩壊した。
キリスト像は、しかし動きを鈍らせる事もなく、巨大な十字架を振り回しにかかる。
そこへ、光の矢が突き刺さった。秋人のB.O.T.だった。
その戦いを神父は、礼拝堂を覗き込むように見つめている。
「……やはり、貴方たちが来てしまわれるのですね。ファイヴの方々」
「任務ですので」
三十三は言った。
「避難誘導は、ここまで。ここなら安全だとは思いますが、出来れば戦いなど見物せず逃げて下さい」
「戦いに、戻られるのですね?」
「……神聖なるものを、破壊しなければなりません」
三十三は頭を下げた。
「聖人の御像を攻撃する事、お許し下さい。あれは、憎悪の願いの塊とも言うべきもの……妖なのです。出来る限り、破損は少なくするよう心がけますが」
「お気遣いなく、破壊していただければと思いますよ」
神父が、微笑んだ、
「代わりの像など買えば良いのです。何なら私が、拙いものを手作りしても良い……神は、偶像の中におられるわけではないのですから」
三十三はもう1度、頭を下げるしかなかった。
礼拝堂の中では、妖と成り果てた聖人像が、十字架を槍の如く突き込んでいる。
その一撃が、翔を直撃した。吹っ飛んだ翔の身体が、紡に激突した。血飛沫が散った。
一方キリスト像の方も、火花を飛ばして後方へと揺らぎ、よろめいていた。
激突の瞬間、翔が八卦の構えで身を守ったのを、三十三は辛うじて見て取った。
神などいない。いるのは妖だ。
この世にあるのは、人に、恩恵ではなく災禍をもたらす存在だけだ。そして、それは妖であるとは限らない。
同じ、人も。
そんな思いに囚われて1歩も先へ進めなかった自分が、かつてはいた。
(今は、どうなのだろう……自力で、1歩くらいは進めるように……なったのだろうか、僕は)
うっすらと自問しながら、三十三は礼拝堂の中を駆けた。
残る3体の天使像が、憎悪の波動を放射しようとしている。
そこへ三十三は略式滅相銃を向け、引き金を引いた。
水行の力が、銃撃となって迸る。
伊邪波の掃射を受けた天使像たちが、ひび割れながら揺らぐ。
「おっ、戻って来たね三十三」
彩吹が言った。
紡が、翔に肩を貸しながら、よろよろと立ち上がってくる。
「……よっし、さとみん来た。回復のフォローとか、頼んじゃっていいかな?」
「任されました。偽物の神を、この世から消しましょう」
「へへ……さとみんもさ。強気な事、言うようになったよな」
翔が、血まみれの口元をニヤリと歪める。
俯き加減に、三十三は微笑み返した。
この世に、神はいない。
人々の身勝手な願いを何でも叶えてくれる、都合の良い万能の存在としての神など、どこにも存在しないのだ。
(だから……僕たちは、戦わなければならない……)
●
「聖なる御方よ……いのりは今、貴方のお声を勝手に聞いておりますわ」
祈るように呟きながら、いのりは冥王の杖を振りかざした。
「人々に害をなさんとする自分たちを、止めて欲しい……そう、お思いなのでしょう? ごめんなさい、勝手にそう信じさせていただきますわ!」
光の豪雨が、妖たちを急襲する。脣星落霜。その激烈な煌めきの中で、天使像たちが崩れ落ちてゆく。
巨大な十字架で光を払いのけるようにしながら、キリスト像が猛然と突進して来た。
彩吹が跳躍、あるいは飛翔した。黒い羽が散った。
飛び蹴り、回し蹴り、踵落とし……鋭利な美脚が、様々な形に躍動して妖を強襲する。
キリスト像が、それを十字架で受けた。
盾のように構えられた十字架が、そのまま砕け散った。
「よし、これで……決められる、かな」
秋人が弓を引き、光の矢をつがえる。紡は羽ばたき、暴風の砲弾を吹っ飛ばす。三十三は滅相銃の引き金を引き、風の銃撃をぶっ放す。
秋人のB.O.T.が、紡と三十三のエアブリットが、キリスト像に突き刺さっていた。
十字架を失った聖人像は、ひび割れながらも重い歩みを止めない。
イエス・キリストを槍で突き殺す処刑人の役が、自分に回ってきたのか、と翔は思った。この処刑人も聖何某と名前が伝わっているようだが、翔は知らない。
「ま、こりゃ神様ってワケじゃねえ。神様の人形が、怨念やら何やらのせいで妖になっちまっただけ、オレらはそれを取っ払うだけ……ってもな、あんまりいい気分じゃねーのは確かだぜっ!」
翔の両手印の周囲で黒雲が渦巻き、雷鳴を発し、光を放つ。
雷獣だった。
迸った電光が、ひび割れた聖人像を直撃する。
荒れ狂う放電光の嵐の中で、キリスト像は崩壊していった。
「ふう……バラバラに、なっちまったな」
翔は息をついた。
何か壊してしまった時など、よく笑ってごまかすものだが、今回はそのような気分にはなれない。
「まあ、笑ってごまかせた事なんて1度もないんだけどな……」
「いつでしたか、廊下で先生に怒られておりましたわね翔様は」
「ちょっとボレーシュートの練習しててさ。変なふうに蹴ったら窓ガラス割っちまった」
頭を掻きながら翔は、もはや動いている妖が1体もいない事を確認した。
「ま、これなら……直せねえ、事もねーかな」
「持って来たよー、せともの用の接着剤とかパテとか色々」
紡が、何やら荷物を広げている。
彩吹が、散乱した聖人像の手足や生首を拾い集めている。
「ああ、何か思い出すなあ。展示物の修復作業とか」
「恐竜化石の復元とかも、やるのかな?」
手伝いながら、秋人が言う。彩吹は笑って否定した。
「そんな本格的な事はやらせてもらえないけど、まあ簡単な直しとか。だけど私が触ると壊れそうとか言ってさ、上司や先輩は泣きながら拒否するんだよね。まったく失礼な話」
確かに彩吹は、物はあまり壊さない。妖や隔者は頻繁に壊しているが。
などとは言わず翔も、天使像の手足や胴体を並べる作業に加わった。
「ええと、この左手は……そっちの天使、かな?」
「いえ、こちらの天使像ですな」
神父が、天使たちの手足生首胴体をてきぱきと一致させてゆく。
「貴方がたのおかげで、主イエスと御使いたちが凶事を為す事もなく済みました。私の命も助かりました。本当に、ありがとうございます」
「凶事、か……」
秋人が言った。
「今まで妖や隔者、それに覚者に向けられていた憎悪が……ここにきて同じ普通の人間、自分以外の他者へ、多く向けられるようになっている、のかも知れないという気がします。その憎悪が、妖を生む。憎悪そのものを……少しでも減らす事が出来れば」
「それは、私どもにとっても永遠の課題ですよ」
神父が応える。
「憎悪を、悪意を、負の感情を、一手に引き受けてくれる存在を、人々は昔も今も必要としております。人類の全ての罪を背負う救世主、などという役割を、だから人間たちはイエスという一個人に押し付けてしまった」
「いつも見守ってくれて、ありがと……そう言うしかないよね、ボクたちとしては」
聖人像を修復しながら、紡が言った。
助手を務めつつ、三十三が重く言葉を発する。
「イエスは……許すのでしょうか。行動もせず、ただ身勝手な願いだけを鬱屈させる人間たちを」
「ここで負の感情を鬱屈させていた人たちの心は、だけど浄化されたと思うよ。その事に意味はない、とは言えないんじゃないかな」
秋人はそう言うが、三十三の口調は暗いままだ。
「浄化された後も、その人たちが心を入れ替えるとは思えない。何も行動せず、何かあれば誰かのせいにし続ける。そんな人々を……イエス・キリストは、受け入れるのでしょうか」
「それは力ある人の言葉ですよ、覚者の方」
言いつつ神父が、懐から何かを取り出した。
翔、だけではなく彩吹も、紡も、いのりも秋人も三十三も、息を呑んだ。
それは、1枚のタロットカードだった。『正義』と『力』が裏表になっている。
「力のない人々、行動を起こせない人々の方が、貴方がたよりもずっと多いのです。だから我々は、力にすがるしかなかった。正義にすがるしか、ありませんでした」
「……今も、まだ?」
三十三の言葉に、神父は微笑んだ。
「遠い、昔の話です。善き行動を起こすのに、力の有無は関係ない……それを、貴方がたが教えてくれたと私は勝手に思っておりますよ」
「そう、行動が大事。だからってね、自分を犠牲に妖を止めようなんて無茶は駄目」
彩吹の言葉に、いのりが続いた。
「そうですわ、ご自分の命を大切になさって下さいませ。生きて、あがいて、誰かを救うための命ですわ」
「私は……貴方たちの憎悪を、受けなければならないのでは」
「そーゆうのはな、あの小っ恥ずかしい演説が終わったとこで全部おしまい」
神父の言葉を、翔は断ち切った。
「……あんなの、もう2度とやりたくねーからよ」
神様の仕事とは何か。
すがってくる人々の身勝手な願いを、ことごとく叶える事か。
神が実在するとしても、そこまで万能の存在ではないだろうと『エリニュスの翼』如月彩吹(CL2001525)は思う。
「願い事、と言うか……愚痴を聞く、くらいじゃないかなあ。神様のお仕事って」
「お仕事熱心なんだねえ、ここのカミサマ」
暢気な事を言っているのは『天を舞う雷電の鳳』麻弓紡(CL2000623)である。
まさしくそれは、人々の愚痴を聞かされ続けた結果の、神の姿であった。
歩行する、6体の聖像。
1つは、十字架を担いだイエス・キリスト。他の5つは天使である。
ゴルゴダの丘を登る聖人の如く重々しい歩調で、彼らは行く。立ち塞がるもの全てを、踏み潰さんとしている。
その重々しさは、まさに人々の罪業を背負わされたかのようだ。
人間の悪しきものを押し付けられ、妖と化した聖像たち。
彩吹は、言ってみた。
「……お祓いの出来る人、連れて来れば良かったかな。誰か、いなかったっけ。巫女さん系の術式が使える人」
「戦巫女之祝詞ならあるよー」
紡が、彩吹の背中を叩いて術式を流し込んでくれた。
「これもねー、能力強化のついでに巫女装束とか装着出来れば言う事ナシなんだけどね。いぶちゃんの巫女さんルック、需要あると思うよー。あ、キミでもいい感じかな。ね秋津洲ちゃん、巫女さんに変身する術式とか一緒に考えてみない? そのギリギリでピッチピチな赤ボンデージも悪かないけど」
「いいからっ! 早く戦って下さいませ!」
悲鳴に近い怒声を張り上げながら『星唄う魔女』秋津洲いのり(CL2000268)が冥王の杖を振るい、キラキラと光をばらまく。
煌めく星の光が豪雨のように降り注ぎ、妖6体を直撃した。
揺らぎながらも、重い足取りを一向に弱めないキリスト像と天使像たち。
そこへ『天を翔ぶ雷霆の龍』成瀬翔(CL2000063)が、両手印を結んで術式の狙いを定める。
「頼むぜ2人とも! こいつら、頑丈だ」
「人の営みが妖を生む、というのは隔者の言い分だけど……」
弓を引きながら『秘心伝心』鈴白秋人(CL2000565)が呟く。
矢のない弓に、水行の力が矢の形に生じ、つがえられた。
「その通りだとしても、俺たちは人を守るよ……たとえ、神が相手でも」
雷鳴が轟き、電光の白虎が猛々しく跳躍した。
放たれた矢が流水の青龍と化し、渦を巻いて牙を剥く。
翔の『雷獣』と秋人の『水龍牙』が、聖像たちを薙ぎ払っていた。
「……そうだね。私も、じゃあ心だけは巫女さんらしく、お祓いに取りかかるとしようか」
「お願いします、彩吹さん。僕は、この人を」
篁三十三(CL2001480)が、擦れ違って行く。1人の要救助者を護衛しながらだ。
温厚そうな、初老の男。この教会の神父である。キリスト像に踏み潰されそうになっていた、割には随分と落ち着いている。
「頼むね、三十三」
彩吹は翼を広げた。
その翼に隠れるようにして、紡が声を発する。
「愚痴やら恨み言やら聞かされるだけの毎日じゃあねえ、闇堕ちしちゃうのもわかるけどさ。トチ狂って暴れてもいい理由にはならないよ? ねえ神サマ。早めにゴメンナサイしちゃわないとお、こちらの鬼巫女さんのお祓い(物理)が炸裂」
「……ねえ紡様。人の背中に隠れながら色々おっしゃるのは、大人としていかがなものかと思いますわよ」
いのりが言った。紡は応えた。
「煽りトークっていうのはね、安全な場所でやるものなのさ。それが大人」
「まあ私の後ろが安全かどうかはともかく。この神様の注意を、引き付けておく必要があるのは確か」
神父が、三十三に導かれて避難して行く。
そちらから妖たちの注意を奪い取る事には、成功したようだ。
「如月家は、悪役の家系……」
電撃と水龍に耐えて進み来るキリスト像に、彩吹は声を投げた。
「申し訳ないけど神様、貴方たちを砕くよ。まるで悪魔のようにねっ!」
●
彩吹の蹴りが、キリスト像を天使たちもろとも薙ぎ払う。
鋭刃想脚。
その羨ましいほどスラリと格好良く伸びた脚線に、いのりは一瞬だけ見とれた。
その間に、妖たちの反撃が来た。
天使像の1体が、片手をかざす。その掌から、禍々しいものが放出される。
誰かの死を、他人の不幸を、この礼拝堂で祈った者たちの思い。
その憎悪の念が、妖の攻撃手段となって迸ったのだ。
迸ったものが、いのりを直撃した。
「うっぐ……こっ、これが……ッ」
仄かな香気が、ふんわりと漂い散った。
清廉珀香。紡が、いくらかふざけた事を言いながらも施してくれた防御術式である。
防御しきれぬ毒気が、いのりの身体に打ち込まれていた。
「これが……憎しみ……」
臓器を捻り切られたかのような激痛。
いのりは血を吐き、膝をついていた。
「人は、これほどの憎悪を……持ち得るもの、なのですか……」
この教会で祈りを捧げた人々は皆、まさしく臓物が捻じ切れるような憎しみに苛まれていたのだ。
人が、人を憎まずにはいられない世の中。
憎しみを、怒りを、殺意を……自分たちの悪業を全て、引き受け背負い込んでくれる存在を古来、人々は必要としてきた。
そして、ナザレのイエスという1人の人間に、その役割を押し付けてしまった。
「これほど、おぞましいものを貴方は……その身に引き受け、背負い込んで……おかげで多くの人々が、憎しみを実行せず……罪を犯さずに、いられたのですわ。貴方は人々を、救ってこられたのですわね……ですが、それでは……」
巨大な十字架を、盾のように得物のように振りかざし、彩吹と翔の蹴りをことごとく防ぎ弾くイエス・キリスト像に、いのりは血を吐きながら語りかけていた。
「貴方は、誰が……誰が、貴方を救って差し上げられるのでしょうか……」
「俺たちが、救えれば……いいんだけどね」
言いつつ秋人が、立ち上がれぬいのりを庇うように両腕を広げた。
「この教会、マリア像がないね。あれば……イエス・キリストも、少しは救われるかも……」
他4体の天使像が、憎悪の波動を一斉に放ったところである。
全てが、秋人を直撃していた。
「鈴白先生!」
いのりの叫びに、秋人は何か応えようとして失敗し、血を吐いた。大丈夫、とでも言おうとしたのか。
かぐわしい清廉珀香の粒子をキラキラと飛散させながら、秋人はよろめき、硬直した。
「さすが、としか言いようがないね……俺には、耐えられないよ。二千年間、こんなもの押し付けられるなんて……」
次の瞬間、秋人はグシャリと吹っ飛んだ。彩吹と翔も、血飛沫を咲かせて吹っ飛んでいた。
怪力で振り回された十字架が、3人を薙ぎ払ったところである。
床に激突した翔が、血まみれのまま秋人に這い寄ろうとする。
「お、おい鈴白先生……しっかりしろー……」
秋人は、倒れたまま応えない。動かない。
瀕死のまま、憎悪の波動に呪縛されてしまっている。
いのりは、頼りなく漂う香気の粒子を胸いっぱいに吸い込み、立ち上がった。清廉珀香のかぐわしさが、憎悪の呪縛を溶かしてくれる。
「ありがとう……助かりましたわ、紡様」
「まあ、気休めだけどね」
言いつつ紡が身を屈め、瀕死の秋人を細腕と翼で抱き包んだ。
「……気休めじゃない、本格的な回復が必要だね。秋津洲ちゃん、一緒に」
「ですわね」
冥王の杖をかざし、いのりは身を翻した。
赤い、際どい衣装で彩られた瑞々しい肢体から、癒しの力がキラキラとこぼれ出す。演舞・舞音。
一方、紡は翼を広げ、水行の治癒力を解放していた。潤しの雨が降り注いだ。
女性覚者2名による術式治療を受けて、翔が、彩吹が、立ち上がっていた。
「痛ててて……効いたぜ、今のぶん殴りは。ったく、神様と戦うってのはやっぱ楽じゃねーな」
「……案外これが、本当に近い姿なのかもね」
言葉と共に彩吹が、妖に向かって疾風の如く踏み込んで行く。
「今よりずっと、腕っ節が物を言う時代に……二千年後まで残るような宗教を、立ち上げた人なんだろう? 荒っぽいところ、あって当然だよね!」
「腕っ節で人々を救うイエス・キリスト……か。新しい学説だね」
秋人が、紡の膝の上から起き上がる。
「おっとと、無理は駄目だよ鈴白センセ」
「大丈夫……俺たちも、力で人助けをするのが仕事さ。昔の人に負けてはいられないよ」
秋人は微笑み、弓を引いた。光の矢が生じた。
「……宗教を立ち上げようなんて気は、もちろんないけどね」
●
「いくぜっ、弾丸ボレーシュートだ!」
「いいね、私もやってみようかな」
翔と彩吹が、妖たちに蹴りを叩き込んでゆく。キリスト像と天使像たちを左右から薙ぎ払う鋭刃想脚。
天使像2体が、力尽きて崩壊した。
キリスト像は、しかし動きを鈍らせる事もなく、巨大な十字架を振り回しにかかる。
そこへ、光の矢が突き刺さった。秋人のB.O.T.だった。
その戦いを神父は、礼拝堂を覗き込むように見つめている。
「……やはり、貴方たちが来てしまわれるのですね。ファイヴの方々」
「任務ですので」
三十三は言った。
「避難誘導は、ここまで。ここなら安全だとは思いますが、出来れば戦いなど見物せず逃げて下さい」
「戦いに、戻られるのですね?」
「……神聖なるものを、破壊しなければなりません」
三十三は頭を下げた。
「聖人の御像を攻撃する事、お許し下さい。あれは、憎悪の願いの塊とも言うべきもの……妖なのです。出来る限り、破損は少なくするよう心がけますが」
「お気遣いなく、破壊していただければと思いますよ」
神父が、微笑んだ、
「代わりの像など買えば良いのです。何なら私が、拙いものを手作りしても良い……神は、偶像の中におられるわけではないのですから」
三十三はもう1度、頭を下げるしかなかった。
礼拝堂の中では、妖と成り果てた聖人像が、十字架を槍の如く突き込んでいる。
その一撃が、翔を直撃した。吹っ飛んだ翔の身体が、紡に激突した。血飛沫が散った。
一方キリスト像の方も、火花を飛ばして後方へと揺らぎ、よろめいていた。
激突の瞬間、翔が八卦の構えで身を守ったのを、三十三は辛うじて見て取った。
神などいない。いるのは妖だ。
この世にあるのは、人に、恩恵ではなく災禍をもたらす存在だけだ。そして、それは妖であるとは限らない。
同じ、人も。
そんな思いに囚われて1歩も先へ進めなかった自分が、かつてはいた。
(今は、どうなのだろう……自力で、1歩くらいは進めるように……なったのだろうか、僕は)
うっすらと自問しながら、三十三は礼拝堂の中を駆けた。
残る3体の天使像が、憎悪の波動を放射しようとしている。
そこへ三十三は略式滅相銃を向け、引き金を引いた。
水行の力が、銃撃となって迸る。
伊邪波の掃射を受けた天使像たちが、ひび割れながら揺らぐ。
「おっ、戻って来たね三十三」
彩吹が言った。
紡が、翔に肩を貸しながら、よろよろと立ち上がってくる。
「……よっし、さとみん来た。回復のフォローとか、頼んじゃっていいかな?」
「任されました。偽物の神を、この世から消しましょう」
「へへ……さとみんもさ。強気な事、言うようになったよな」
翔が、血まみれの口元をニヤリと歪める。
俯き加減に、三十三は微笑み返した。
この世に、神はいない。
人々の身勝手な願いを何でも叶えてくれる、都合の良い万能の存在としての神など、どこにも存在しないのだ。
(だから……僕たちは、戦わなければならない……)
●
「聖なる御方よ……いのりは今、貴方のお声を勝手に聞いておりますわ」
祈るように呟きながら、いのりは冥王の杖を振りかざした。
「人々に害をなさんとする自分たちを、止めて欲しい……そう、お思いなのでしょう? ごめんなさい、勝手にそう信じさせていただきますわ!」
光の豪雨が、妖たちを急襲する。脣星落霜。その激烈な煌めきの中で、天使像たちが崩れ落ちてゆく。
巨大な十字架で光を払いのけるようにしながら、キリスト像が猛然と突進して来た。
彩吹が跳躍、あるいは飛翔した。黒い羽が散った。
飛び蹴り、回し蹴り、踵落とし……鋭利な美脚が、様々な形に躍動して妖を強襲する。
キリスト像が、それを十字架で受けた。
盾のように構えられた十字架が、そのまま砕け散った。
「よし、これで……決められる、かな」
秋人が弓を引き、光の矢をつがえる。紡は羽ばたき、暴風の砲弾を吹っ飛ばす。三十三は滅相銃の引き金を引き、風の銃撃をぶっ放す。
秋人のB.O.T.が、紡と三十三のエアブリットが、キリスト像に突き刺さっていた。
十字架を失った聖人像は、ひび割れながらも重い歩みを止めない。
イエス・キリストを槍で突き殺す処刑人の役が、自分に回ってきたのか、と翔は思った。この処刑人も聖何某と名前が伝わっているようだが、翔は知らない。
「ま、こりゃ神様ってワケじゃねえ。神様の人形が、怨念やら何やらのせいで妖になっちまっただけ、オレらはそれを取っ払うだけ……ってもな、あんまりいい気分じゃねーのは確かだぜっ!」
翔の両手印の周囲で黒雲が渦巻き、雷鳴を発し、光を放つ。
雷獣だった。
迸った電光が、ひび割れた聖人像を直撃する。
荒れ狂う放電光の嵐の中で、キリスト像は崩壊していった。
「ふう……バラバラに、なっちまったな」
翔は息をついた。
何か壊してしまった時など、よく笑ってごまかすものだが、今回はそのような気分にはなれない。
「まあ、笑ってごまかせた事なんて1度もないんだけどな……」
「いつでしたか、廊下で先生に怒られておりましたわね翔様は」
「ちょっとボレーシュートの練習しててさ。変なふうに蹴ったら窓ガラス割っちまった」
頭を掻きながら翔は、もはや動いている妖が1体もいない事を確認した。
「ま、これなら……直せねえ、事もねーかな」
「持って来たよー、せともの用の接着剤とかパテとか色々」
紡が、何やら荷物を広げている。
彩吹が、散乱した聖人像の手足や生首を拾い集めている。
「ああ、何か思い出すなあ。展示物の修復作業とか」
「恐竜化石の復元とかも、やるのかな?」
手伝いながら、秋人が言う。彩吹は笑って否定した。
「そんな本格的な事はやらせてもらえないけど、まあ簡単な直しとか。だけど私が触ると壊れそうとか言ってさ、上司や先輩は泣きながら拒否するんだよね。まったく失礼な話」
確かに彩吹は、物はあまり壊さない。妖や隔者は頻繁に壊しているが。
などとは言わず翔も、天使像の手足や胴体を並べる作業に加わった。
「ええと、この左手は……そっちの天使、かな?」
「いえ、こちらの天使像ですな」
神父が、天使たちの手足生首胴体をてきぱきと一致させてゆく。
「貴方がたのおかげで、主イエスと御使いたちが凶事を為す事もなく済みました。私の命も助かりました。本当に、ありがとうございます」
「凶事、か……」
秋人が言った。
「今まで妖や隔者、それに覚者に向けられていた憎悪が……ここにきて同じ普通の人間、自分以外の他者へ、多く向けられるようになっている、のかも知れないという気がします。その憎悪が、妖を生む。憎悪そのものを……少しでも減らす事が出来れば」
「それは、私どもにとっても永遠の課題ですよ」
神父が応える。
「憎悪を、悪意を、負の感情を、一手に引き受けてくれる存在を、人々は昔も今も必要としております。人類の全ての罪を背負う救世主、などという役割を、だから人間たちはイエスという一個人に押し付けてしまった」
「いつも見守ってくれて、ありがと……そう言うしかないよね、ボクたちとしては」
聖人像を修復しながら、紡が言った。
助手を務めつつ、三十三が重く言葉を発する。
「イエスは……許すのでしょうか。行動もせず、ただ身勝手な願いだけを鬱屈させる人間たちを」
「ここで負の感情を鬱屈させていた人たちの心は、だけど浄化されたと思うよ。その事に意味はない、とは言えないんじゃないかな」
秋人はそう言うが、三十三の口調は暗いままだ。
「浄化された後も、その人たちが心を入れ替えるとは思えない。何も行動せず、何かあれば誰かのせいにし続ける。そんな人々を……イエス・キリストは、受け入れるのでしょうか」
「それは力ある人の言葉ですよ、覚者の方」
言いつつ神父が、懐から何かを取り出した。
翔、だけではなく彩吹も、紡も、いのりも秋人も三十三も、息を呑んだ。
それは、1枚のタロットカードだった。『正義』と『力』が裏表になっている。
「力のない人々、行動を起こせない人々の方が、貴方がたよりもずっと多いのです。だから我々は、力にすがるしかなかった。正義にすがるしか、ありませんでした」
「……今も、まだ?」
三十三の言葉に、神父は微笑んだ。
「遠い、昔の話です。善き行動を起こすのに、力の有無は関係ない……それを、貴方がたが教えてくれたと私は勝手に思っておりますよ」
「そう、行動が大事。だからってね、自分を犠牲に妖を止めようなんて無茶は駄目」
彩吹の言葉に、いのりが続いた。
「そうですわ、ご自分の命を大切になさって下さいませ。生きて、あがいて、誰かを救うための命ですわ」
「私は……貴方たちの憎悪を、受けなければならないのでは」
「そーゆうのはな、あの小っ恥ずかしい演説が終わったとこで全部おしまい」
神父の言葉を、翔は断ち切った。
「……あんなの、もう2度とやりたくねーからよ」
■シナリオ結果■
成功
■詳細■
MVP
なし
軽傷
なし
重傷
なし
死亡
なし
称号付与
なし
特殊成果
なし
