願わくは、花の下にて
●
土行械の長谷部武雄が機化硬と蔵王・戒を用いれば、銃撃も通さなくなる。
その鉄壁の防御が、しかし鉈の一撃で断ち割られた。長谷部は真っ二つになっていた。
「何だい……見かけ倒しの図体だねえ。簡単に壊れちまうじゃないか」
古妖が、そんな事を言いながら長谷部の屍を観察している。真っ二つの断面に手を突っ込み、ぐちゃぐちゃと掻き回している。
「骨はあっさり割れちまうし……おやまあ何かね、この汚らしいはらわたは。これじゃあ使い物にならないねえ。まあでも一応、この量だけはある筋肉をいただいておくとしようか」
冴島は首を刎ねられ、河野は喉を食いちぎられ、高山は顔面をちぎり潰され、三浦は背骨を叩き折られた。
全員の屍を、古妖は魚でもさばくように解体し、色々と採取したようである。臓物、器官、骨や筋肉。
それらを手際よく分類し、いくつかの壺に入れながら、古妖は俺の方を見た。
「……さて、と。お前さんはどうかね」
「た……助けて……」
俺はと言うと、両脚を叩き折られて動けなくなっていた。
和歌山県某所の山中で、七星剣隔者の中でも特に手練れの6名が、無様な敗北の様を晒している。
うち5人は解体され、残る1人すなわち俺が今、同様の目に遭おうとしているところだ。
「許して下さい……俺たちが、悪かったですぅ……」
「ああ善い悪いは関係ないのさ。あたしにとって問題なのはねえ、お前さんの身体が使い物になるかどうか。それだけさね」
女あるいは牝、なのであろう。
だがその身体は筋骨たくましく、猫背気味で、凶暴なチンパンジーを思わせる。そんな身体に、どうにか和服の原型をとどめたボロ布をまとっているのだ。
伸び放題・乱れ放題の黒髪が、顔面を隠している。その陰影の中で眼光が赤く点り、俺を射すくめる。
「怯えているのかい? 弱い心臓だねえ……だけどまあ、いただいておこうかね」
高山の顔面を引きちぎった手が、巨大な包丁を握る。
この山に強力な古妖が棲んでいるのは、知っていた。
挑発・刺激して人里におびき出し、暴れさせる。それが俺たちの任務であった。
挑発・刺激した結果が、この様である。
脚を折られ、立てぬまま、俺は小便を漏らしていた。
「助けて……許して下さい……」
「臭うよ。あんまり綺麗な小便じゃないねえ、はらわたが汚れているんじゃないのかい」
「何でもします……しますからぁ……」
「もちろん役に立ってもらうよ。あの子のために、ね」
言葉と共に、巨大な包丁が鮮やかに動く。
俺の身体は、さくさくと解体されていった。
断末魔の絶叫を山中に響かせながら、俺は聞いた。
古妖が「あの子」と呼んだ何かが、這うように近づいて来て言葉を発するのを。
「……かあさま……ぁ……」
「おやおや起こしちまったようだねえ、騒がしくしてごめんよ……ふふっ、もうしばらく待っておいで。ほらほら動いちゃ駄目だってば、腐ったところが流れ落ちているじゃないか。今、新しいのに替えてあげるからねえ」
古妖が言った。
これほど慈しみに満ちた声を、俺は聞いた事がなかった。
●
「かあさま……かぁ……さま……」
息子が、蠢きながら声を発している。
母様。この言葉を覚え、それが私を示す単語であると理解するまで、この子は百年かかった。
本当に、手のかかる子であった。
だから捨てられた、のであろうか。確かに、人間にこの子を育てられるわけはなかった。
私が高野山の奥でこの子を拾ったのは、果たして何百年前になるのか。
数百年間、騙し騙しでやってきた。
この子の、腐りゆく臓物を、すり切れた筋繊維を、干からび脆くなった骨を、新鮮なものと取り替えながらだ。
「かあさま……」
そう呼ばせてはいるが、生んだのは私ではない。
この子を生み出した、と言うより作り上げたのは、とある人間の僧侶である。
高野山での修行の最中、人恋しさに耐えかねてこの子を作り、すぐに捨てたのだ。
歌聖として、人間の世界では高く評価されている人物であるらしい。
だが私に言わせれば、子種を撒くだけ撒いて野垂れ死ぬ獣の牡と何ら変わりはしない。
「かあさま」
息子が、無邪気に手を伸ばしてくる。
腐りかけた五指を、私はそっと握った。私の力でうっかり握手・抱擁などしたら、この子は壊れてしまう。
壊れかけの手足を、腐敗の始まった臓器を、新しいものと取り替えなければならない。先程の男たちから採取したものがあるにはあるが、あまり良質の部品ではない。すぐにまた限界が来る。
もっと、もっと人間の身体が必要だ。
この子が生まれたのは、少し野外を歩けば人間の死体などいくらでも拾う事が出来た時代である。
今は違う。死体を探すよりも、人里で生きた人間を殺した方が手っ取り早い。
「待っておいで。お前に、元気な身体をあげるからねえ」
「かあさまぁ……」
この子は、言葉をこれしか知らないのだ。
土行械の長谷部武雄が機化硬と蔵王・戒を用いれば、銃撃も通さなくなる。
その鉄壁の防御が、しかし鉈の一撃で断ち割られた。長谷部は真っ二つになっていた。
「何だい……見かけ倒しの図体だねえ。簡単に壊れちまうじゃないか」
古妖が、そんな事を言いながら長谷部の屍を観察している。真っ二つの断面に手を突っ込み、ぐちゃぐちゃと掻き回している。
「骨はあっさり割れちまうし……おやまあ何かね、この汚らしいはらわたは。これじゃあ使い物にならないねえ。まあでも一応、この量だけはある筋肉をいただいておくとしようか」
冴島は首を刎ねられ、河野は喉を食いちぎられ、高山は顔面をちぎり潰され、三浦は背骨を叩き折られた。
全員の屍を、古妖は魚でもさばくように解体し、色々と採取したようである。臓物、器官、骨や筋肉。
それらを手際よく分類し、いくつかの壺に入れながら、古妖は俺の方を見た。
「……さて、と。お前さんはどうかね」
「た……助けて……」
俺はと言うと、両脚を叩き折られて動けなくなっていた。
和歌山県某所の山中で、七星剣隔者の中でも特に手練れの6名が、無様な敗北の様を晒している。
うち5人は解体され、残る1人すなわち俺が今、同様の目に遭おうとしているところだ。
「許して下さい……俺たちが、悪かったですぅ……」
「ああ善い悪いは関係ないのさ。あたしにとって問題なのはねえ、お前さんの身体が使い物になるかどうか。それだけさね」
女あるいは牝、なのであろう。
だがその身体は筋骨たくましく、猫背気味で、凶暴なチンパンジーを思わせる。そんな身体に、どうにか和服の原型をとどめたボロ布をまとっているのだ。
伸び放題・乱れ放題の黒髪が、顔面を隠している。その陰影の中で眼光が赤く点り、俺を射すくめる。
「怯えているのかい? 弱い心臓だねえ……だけどまあ、いただいておこうかね」
高山の顔面を引きちぎった手が、巨大な包丁を握る。
この山に強力な古妖が棲んでいるのは、知っていた。
挑発・刺激して人里におびき出し、暴れさせる。それが俺たちの任務であった。
挑発・刺激した結果が、この様である。
脚を折られ、立てぬまま、俺は小便を漏らしていた。
「助けて……許して下さい……」
「臭うよ。あんまり綺麗な小便じゃないねえ、はらわたが汚れているんじゃないのかい」
「何でもします……しますからぁ……」
「もちろん役に立ってもらうよ。あの子のために、ね」
言葉と共に、巨大な包丁が鮮やかに動く。
俺の身体は、さくさくと解体されていった。
断末魔の絶叫を山中に響かせながら、俺は聞いた。
古妖が「あの子」と呼んだ何かが、這うように近づいて来て言葉を発するのを。
「……かあさま……ぁ……」
「おやおや起こしちまったようだねえ、騒がしくしてごめんよ……ふふっ、もうしばらく待っておいで。ほらほら動いちゃ駄目だってば、腐ったところが流れ落ちているじゃないか。今、新しいのに替えてあげるからねえ」
古妖が言った。
これほど慈しみに満ちた声を、俺は聞いた事がなかった。
●
「かあさま……かぁ……さま……」
息子が、蠢きながら声を発している。
母様。この言葉を覚え、それが私を示す単語であると理解するまで、この子は百年かかった。
本当に、手のかかる子であった。
だから捨てられた、のであろうか。確かに、人間にこの子を育てられるわけはなかった。
私が高野山の奥でこの子を拾ったのは、果たして何百年前になるのか。
数百年間、騙し騙しでやってきた。
この子の、腐りゆく臓物を、すり切れた筋繊維を、干からび脆くなった骨を、新鮮なものと取り替えながらだ。
「かあさま……」
そう呼ばせてはいるが、生んだのは私ではない。
この子を生み出した、と言うより作り上げたのは、とある人間の僧侶である。
高野山での修行の最中、人恋しさに耐えかねてこの子を作り、すぐに捨てたのだ。
歌聖として、人間の世界では高く評価されている人物であるらしい。
だが私に言わせれば、子種を撒くだけ撒いて野垂れ死ぬ獣の牡と何ら変わりはしない。
「かあさま」
息子が、無邪気に手を伸ばしてくる。
腐りかけた五指を、私はそっと握った。私の力でうっかり握手・抱擁などしたら、この子は壊れてしまう。
壊れかけの手足を、腐敗の始まった臓器を、新しいものと取り替えなければならない。先程の男たちから採取したものがあるにはあるが、あまり良質の部品ではない。すぐにまた限界が来る。
もっと、もっと人間の身体が必要だ。
この子が生まれたのは、少し野外を歩けば人間の死体などいくらでも拾う事が出来た時代である。
今は違う。死体を探すよりも、人里で生きた人間を殺した方が手っ取り早い。
「待っておいで。お前に、元気な身体をあげるからねえ」
「かあさまぁ……」
この子は、言葉をこれしか知らないのだ。

■シナリオ詳細
■成功条件
1.古妖・山姥の撃破(生死不問)
2.古妖『西行法師の人造人間』の撃破(生死不問)
3.なし
2.古妖『西行法師の人造人間』の撃破(生死不問)
3.なし
和歌山県某山中で、古妖・山姥が人間狩りを始めようとしております。
山姥が自分の息子として育てているのは、古妖『西行法師の人造人間』であります。
限界を迎えつつある息子の肉体に、新鮮な臓物・器官・骨・筋肉その他諸々を移植するため、山姥は人里に下りての人体採取を開始しようとしています。これを止めて下さい。
場所は、山姥の棲家である洞窟の前。時間帯は昼。
出発寸前の山姥の眼前に、まずは覚者の皆様に立ちはだかっていただきます。
山姥の攻撃手段は、大鉈と大包丁による二刀流を中心とする白兵戦(物近単)の他、山野の瘴気を毒ガスのように噴射して来ます(特遠列、BS毒および痺れ)。
山姥が劣勢になると、背後の洞窟から『西行の人造人間』が現れ、味方ガードで山姥を守りに入ります。
戦闘能力は皆無、味方ガード以外の行動は一切取れません。
両者とも、普通に戦って体力0に追い込めば、とりあえず生きたまま戦闘不能になります。
ただし西行の人造人間は、このままではいずれ死にます。人体の各部分を移植し続ける、以外に延命の手段はありません。それも、いつまで保つかはわかりません。
それでは、よろしくお願い申し上げます。
状態
完了
完了
報酬モルコイン
金:0枚 銀:1枚 銅:0枚
金:0枚 銀:1枚 銅:0枚
相談日数
8日
8日
参加費
100LP[+予約50LP]
100LP[+予約50LP]
参加人数
5/6
5/6
公開日
2018年12月05日
2018年12月05日
■メイン参加者 5人■

●
「おう!」
覚者5名を見るなり、古妖・山姥が嬉しそうな声を発した。
「使い物になりそうな連中が、いるじゃないか。いいねえ助かるねえ、うちの子のためにわざわざ来てくれたのかい。ありがとうねえ本当に。それじゃあまあ遠慮なく」
巨大な包丁が、覚者の1人1人に向けられる。
「まずはそこの烏天狗みたいな嬢ちゃん、お前さん綺麗だねえ。身体の中身まで綺麗じゃないと、そこまで艶々のお肌にはならないものさ。その綺麗なはらわた、大事に使わせてもらうよ。おお、隣の嬢ちゃんも良い感じではないかね。あんたからは、そのすらりとした手足をもらうとしようか。細く見えて実に鍛えられとる。その足は何かね、鎧に変わるのかい。面白いねえ、うちの子もちっとは固く丈夫になるかもね。その後ろの若いの、なりは大きいがどうやら中身は子供のようだね。骨も肉も大きさが変わっちまうのかい、使いどころが難しいねえ。でも本当にいい素材だよ。あの子のために役立てるのが、あたしの腕の見せどころって事さね。で、そこの坊やは……あんた忍びの者じゃないのかい、懐かしいねえ。昔はよく殺し合ったり利用し合ったりしたもんさ。うん、忍びの者らしい、無駄もなく鍛えられた極上の身体だよ。無駄なくいただくとしようかね。さて1番後ろの冴えないの、お前さんはどうにも今ひとつだねえ。ま、あの七星剣とやらいう連中よりはだいぶマシだけど。まあいい、使えるだけ使ってあげるよ。うちの子のためにね」
「……三十三の素材を見抜けないようじゃ駄目だね、お婆ちゃん。だかお姉さんだかわからないけど」
火行因子を燃やして『天駆』を実行しながら、『エリニュスの翼』如月彩吹(CL2001525)が言った。
篁三十三(CL2001480)が、微かに笑う。
「いえ僕の身体など使い物にならないでしょう。だから見逃して欲しい、というわけではないですが」
「当然。頼りにしてるよ、三十三」
言いつつ彩吹が身構え、前衛で山姥と対峙する。
「それにしても……私もね、美人だって言われた事ないわけじゃないけれど。身体の中身を誉められたのは初めてかな」
「わたくしの手足を狙うとは、お目の高い事。取れるものなら差し上げますわよ」
同じく前衛に立ち、婉然と微笑んでいるのは『優麗なる乙女』西荻つばめ(CL2001243)だ。
「……無論、わたくしは貴女の御首を狙うといたしましょう」
「待て。待てって、西荻さん」
本当にやる、と『天を翔ぶ雷霆の龍』成瀬翔(CL2000063)は思った。
この西荻つばめという女性覚者は、首を狙うと言ったら本当に狙う。汚れ役を、彼女は買って出ようとしているのだ。
この期に及んで止めようとする自分には、きっと覚悟が足りていないのだろう。
それでも、かけるべき言葉はまだある、と翔は思う。
「なあ……やめねーか、こんな事。もちろん、あんたの息子さんのためだってのはわかる。けど……人間を狩るなんてのは、止めなきゃならねえ。オレたちでな」
「昔は良かったねえ。わざわざ人里まで狩りに出なくても、死体がいくらでも手に入ったものさ。人間が、そこいらじゅうで死んでいるんだもの」
山姥が、懐かしんでいる。
「でもねえ、やっぱり楽に拾えるような身体じゃ駄目だね。あんた方みたいなのを死ぬ思いで仕留めないと……うっふふふふ。お前さんたちの血と肉と骨とはらわたが手に入れば、あの子はきっと強くなれる。自力で人間狩りをやるのも夢じゃない」
「……高く評価してくれるんだね、俺たちの事。嬉しいよ」
己の前世と同調しながら『探偵見習い』工藤奏空(CL2000955)が微笑む。嬉しそうな微笑み、ではなかった。
「工藤さん、それに成瀬さん。お2人とも今、とてもお馬鹿な事を考えたのではなくて?」
突然、つばめが言った。
「ご自分の身体を差し出して、人狩りをやめさせる……などと」
「いや……そんな事……」
翔は口ごもり、奏空は俯いた。
つばめは、さらに容赦なく言う。
「わたくしは手足を差し上げる気など毛頭ありませんわ。それに皆様方の、肉や臓物どころか血の1滴さえ奪わせはいたしません。さあ戦いましょう……篁さん、共に守りの術式を」
「……了解」
ひらりと袖を舞わせて、つばめが香気の粒子を振りまく。
印を結び、翼を開いて気を放散しながら、三十三が言った。
「古妖・山姥……貴女は七星剣が仕掛けなくとも、いずれ人里で凶行に及んでいただろう。いかなる事情があろうと、我々はそれを阻止しなければならない」
「貴女と戦ってでも、ね。そういう事をしに来たっていうのは、わかってもらえると思うけど」
彩吹が言うと、山姥はニヤリと笑ったようだ。
「お前さん方だね、あの鯰の大将と話を付けたっていうのは。あたしらの仲間のために色々動いてくれて、ありがとうよ。せめてもの感謝、綺麗にさばいてあげるさね!」
類人猿を思わせる左右の豪腕で、大鉈と巨大包丁を振りかざし、山姥が斬りかかって来る。
それを、彩吹が正面から迎え撃った。
「ほら覚悟を決めるよ翔、それに奏空!」
「そう……そうだね。山姥にも、俺たちにも、守らなきゃいけないものがある」
彩吹と並ぶようにして奏空は踏み込み、抜刀した。
「山姥、あんたは俺たちを本気で殺しに来てくれている。嬉しいよ、俺たちも本気で戦う!」
斬撃の光が、幾つも閃いた。激鱗。奏空が、自身の命を削って敵を倒しにかかっている。
ほぼ同時に、彩吹の鋭刃想脚が嵐の如く吹き荒れた。すらりと鋭利な美脚が、山姥を切り刻みにかかる。
大量の血飛沫が、宙に咲いた。
いや、血ではない。山姥の全身から、まるで迸る鮮血の如く、瘴気が噴出していた。
それが、奏空と翔を直撃していた。
山野の瘴気。自然界の毒気が、容赦なく体内を灼く。
血を吐きながら、翔は倒れ込み、のたうち回った。
三十三が、悲鳴に近い声を発する。
「翔君!」
「大丈夫……へへ。さとみんと、西荻さんが……最初にやってくれた術式のおかげでよ、毒が……残る事ぁ、なさそうだぜ……」
翔は、よろよろと立ち上がった。
奏空は、いくらか頼りない足取りながら、すでに立ち上がっている。
その眼前に、光の八葉蓮華が生じていた。
「八葉蓮華鏡……薬師如来の護りが、山野の毒気を……あんたに、返すよ」
「ぐうっ……」
瘴気の一部を跳ね返された山姥が、よろめいている。
そちらを見据えて、翔は印を結んだ。
「ありがとうよ山姥……いいのを、くれたぜ。おかげでオレも覚悟が決まった!」
雷鳴が轟いた。
両手印の周囲に黒雲が生じて渦巻き、電光を迸らせていた。横向きの落雷が、山姥を直撃し吹っ飛ばす。
「……その、力……」
全身をバリバリと電光に灼かれながら、山姥が立ち上がってくる。
「おくれよ、あの子に……あんたたちの血が、肉が、はらわたが、あの子を……強く、してくれる……」
●
同じなのか、と三十三は思った。
あの時の女性と、今の山姥は、同じ目をしている。
あの女性には三十三の姿が、自分の子供を脅かす化け物に見えたのだろう。
この山姥には、覚者たちの姿が、息子の身体をバラバラにして奪ったようにでも見えているのだろう。
「殺して取り戻さなければ、とでも思っているのだろうが……それを、させるわけにはいかない」
水行の癒しの力を霧状に発生させ、それを翼で拡散させながら、三十三は思う。
人は、それに古妖も、己の子を守るためならば、他者に対していくらでも攻撃的になれるものなのだ、と。
「助かったよ、三十三さん!」
霧の治療を得た奏空が、山姥に斬撃の嵐を叩きつけてゆく。せっかく回復した体力を消耗させての、激鱗。
それに合わせて彩吹が黒い羽を散らせ、猛禽の動きを見せた。蹴りによる疾風双斬。
山姥が、今度は瘴気ではなく鮮血を噴き上げ、よろめき、だが即座に体勢を立て直しながら踏み込んだ。
大鉈が、巨大な包丁が、つばめを直撃した。
七星剣の隔者たちを細切れにした斬撃。だが、つばめは血を流さずに片膝をついた。
「機化硬・改……今のわたくしに斬り込むのは、鋼の塊に刃物を叩きつけるようなもの……」
苦しげに、つばめは微笑んだ。綺麗な口元が、一筋の吐血で汚れる。
「とは言え……効きましたわよ。肋の骨が、何本か……身体の中で、どこかに刺さって……」
「ふん、せっかく綺麗にさばいてあげようってのに……無駄な事を、するんじゃあないよっ!」
山姥が激昂し、つばめにさらなる斬撃を喰らわせようとする。
それを、電光が阻んだ。
翔の、雷獣。稲妻の塊が、山姥に激突していた。
吹っ飛んで行く山姥の姿を確認しつつ、三十三は言った。
「西荻君、今のうちに治療を……」
「いえ……篁さん、ここは攻撃に徹しましょう」
つばめが、立ち上がると同時に踏み込んで行く。
「手早く戦いを終わらせれば、私たちの負傷も少なく済みますわ!」
「了解……だけど無理はしないようにっ」
三十三は攻撃を念じながら、略式滅相銃の引き金を引いた。
エアブリット。滅相銃の銃口から、風の銃撃が迸る。
山姥が、電光に灼かれながらも大鉈を振りかざし、包丁を構え、つばめを迎え撃たんとするが、そこへエアブリットの速射が降り注ぐ。
よろめき踊る山姥に向かって、つばめは抜刀した。
「人を脅かすものとして、私たちに討伐される……その覚悟はお持ちのものと認識いたしますわよッ!」
双刀・鬼丸が、鞘から走り出して一閃する。
疾風双斬が、山姥を斬り裂いていた。瘴気の混ざった血飛沫を、つばめは危うくかわした。
入れ替わるように、奏空が踏み込む。
「これで、終わりにさせてもらう……!」
桃色の瞳を、赤色に近いほど燃え上がらせながら、奏空が斬撃を繰り出してゆく。
並みの妖であれば一瞬で細切れに変わる『激鱗』が、山姥を襲い、だが山姥ではないものを叩き斬った。
奏空の動きが、硬直した。
覚者全員が、息を呑み、目を見張った。
山姥の背後、彼女の住処なのであろう洞窟。
その中から、痛ましいほどに醜怪なものが飛び出して来て山姥を庇い、奏空の激鱗を受けたところである。
どろりとしたものが飛び散った。血も腐りかけている、と三十三は思った。
「何だ……何なのだ、これは……」
思いながら、三十三は涙を流していた。
「これが……こんなものを相手に、僕たちは何が出来る? 一体、何をすればいい!?」
●
「やあ……」
奏空は、まずは言葉をかけてみた。
「君は……これから、どうしたい? 君の願いは……」
訊くまでもない事だ、と奏空は思った。
激鱗を受けながらも辛うじて生きているそれは、山姥を庇って弱々しく立ち、覚者たちと対峙しながら言葉を発している。
「かあさま……ぁ……」
「な……何をしてるんだい! 駄目だよ出て来たら」
山姥が、狼狽している。
「さあさ、中で大人しく待っておいで。すぐにね、この連中の身体をね」
(違うだろう……その子の願いは、そんな事じゃあない!)
奏空は思わず、叫んでしまうところだった。
腐りゆく肉体を騙し騙し保ちながら、命を繋ぐ。そんな事よりも、ただ母親を守りたい。
それは、しかし言える事ではなかった。
叫ぶ代わりに、だから奏空は駆けた。『迅駿』の一撃を、繰り出していった。
猛る麒麟の如き刺突が、山姥とその息子を、もろともに貫いていた。
「やめろ……やめて、やめておくれよ!」
血を噴きながら、山姥が悲鳴を上げる。
「わかった、わかったよ。人狩りはしない、だからどうか、この子だけは」
「助けてあげる、わけにはいかないんだよ。その子を助けるためには、人狩りをしなきゃいけないんだろう?」
彩吹が言った。
「血の繋がらない子供を、何百年も育てるなんてね……本当に頭が下がるよ。人間なんて、自分の子供も満足に世話出来ない奴が多いのに」
「どうか、この子だけは……」
「山姥は人を喰う……そう聞いていたけれど。まあ喰われる人もいたんだろうけど」
「助けておくれよ、この子だけは……」
「見てわかったよね、三十三。私たちに出来る事なんて……これしか、ないんだよっ!」
彩吹の黒い翼が、荒々しく羽ばたいた。悪魔の翼だ、と奏空は感じた。天使か悪魔か、とにかく死を告げるものの乱舞。
獲物を切り裂く猛禽の爪、を思わせる蹴りの連打が、山姥の息子を直撃する。
腐りかけた肉片を飛び散らせながら、それはまだ絶命に至らない。
「かあ……さまぁ……」
「お母さんを、守りたいんだね……優しいね」
彩吹が微笑み、そして叫んだ。
「さあおいで、遊んであげるよ! 最初で最後の鬼ごっこ、相手は私1人だ! 私だけを追いかけて来い、ほら早く!」
「……そりゃあ駄目だぜ、彩吹さん」
翔が、印を結んだ。
「汚れ役を独り占めしようったって、そうはいかねー!」
「そういう事です、彩吹さん……ファイヴで戦う、それは手を汚すという事!」
三十三も叫び、滅相銃をぶっ放す。
光の矢と疾風の銃弾が、山姥の息子を撃ち抜いた。翔のB.O.T改と、三十三のエアブリット。
「やめて! やめておくれよぉお!」
泣き叫ぶ山姥に、つばめが言葉をかける。
「西行法師が安易な人恋しさで造り上げ、捨てたものを……同じく安易な人恋しさで拾い、だけど今まで育ててこられた。御立派だと思いますわよ? 西行法師と比べて、ずっと」
言葉と共に、双刀・鬼丸が構えられる。
「けれど……拾わずに捨て置く、あるいは仕留める。その選択肢も、あり得たのではなくて? そうすれば、その子も数百年間、苦しみ続ける事もなかったのでは」
(違う……それは違うよ西荻さん。その子は数百年間、きっと幸せだったんだ。お母さんと、一緒にいられて……)
心の中で、奏空は言った。
(お母さんを、守る……そこに、そこにだけ、その子は生きる意味を見出していたんだよ……)
それは奏空が思っているだけの事、なのかも知れなかった。
ともかく。つばめの繰り出した『活殺打』の一閃が、山姥の息子にとどめを刺していた。
●
かあさま、という微かな声が聞こえる。
ズタズタに原形を失いかけた肉塊が、発している声。
それを膝の上に乗せたまま、山姥は呆然と座り込んでいる。
つばめが声をかけた。
「……わたくしが憎いのではなくて? 受けて、立ちますわよ」
「……いいのさ、もう」
山姥が、弱々しく応える。
「この子は、死ぬ……あたしが、人間を狩る理由も……あんた方と、戦う理由も……生きる理由も、なくなる。この子もろとも、さあ……あたしを殺しておくれよ……」
「それは……そういうのは、無しにしようぜ」
翔が言えたのは、そこまでだった。
(あんたの息子さんは……あんたを、守ったんだぜ。本当はもう、ずっと昔にあの世へ行ってなきゃいけねえはずの奴が……もしかしたら、ちゃんと生まれ変われるかも知れねーんだ。そしたらオレたちと、友達にだって)
そんな言葉が、喉元まで込み上げてくる。が、出せる事ではなかった。
言葉とは、何と無力なのか。翔は、そう思うしかなかった。
澄んだ、悲しくも優しい歌声が流れている。
つばめの綺麗な唇から、こもりうたが紡ぎ出されていた。
せめて最後は、その子を抱き締めていて欲しい。つばめの、そんな声が聞こえてくるかのようだった。
覚者たちは、うなだれている。勝利の高揚感など、あるはずがなかった。
こもりうたが終わった。
かあさま……という、微かな声も聞こえなくなった。
物言わぬ我が子を山姥は、まだいくらかは戦う力を残した腕で抱き締めている。
足音が、聞こえた。
「……一足、遅かったか」
巨大な人影と小さな人影が、そこにあった。干からびた鬼と、人間の少年。
「カッちゃん様……それに力彦君!」
奏空の呼びかけに、高村力彦がぺこりと頭を下げる。
鬼が言った。
「覚者たちに、汚れ役を押し付ける事になってしまったな」
「気にしないで。如月家は、悪役の家柄だから」
彩吹が言いつつ、力彦の頭を撫でる。
山姥が、呻いた。
「……死に損ないの干物が、何しに来たんだい」
「おぬしの倅を殺しにな。まあ、その役は覚者たちに取られてしまったが……もうひとつ伝えておこう。周りを見ろ」
よくわからぬ小さなものたちが、いつの間にか周囲にいた。皆、何やら心配そうにしている。
三十三が呟いた。
「これは……この山の古妖たち、か」
「この山姥はな、この辺りの主なのだ。こやつらを守るために、七星剣や古妖狩人どもを随分と殺し、そのついでに身体を奪って息子を生き長らえさせてきた」
鬼が言う。
「わざわざ伝えるまでもない、か……山の主よ、おぬしは孤独ではないのだ。それだけは覚えておけ」
「…………」
山姥は俯き、何も言わなくなった。
鬼の傍らで、翔は小声を発した。
「なあ鰹節のカッちゃん……オレ思うぜ。西行法師って奴がアンタみたく今も生きてねーかなって。オレ、ぶん殴りに行きてえ」
「この山姥もな、それをやりたくて仕方がなかったところを耐えたのだ。まあ抑えておけ」
「西行ってヤツ……ある意味、古妖狩人よりタチ悪いぜ。オレ絶対に許せねー」
「同感だけど、もうこの世にいない人だものね」
彩吹が言った。
「鬼仏様と古妖の皆さんに、お願いするしかないかな……山姥さんの事、よろしくね。勝手な言い草だとは思うけど」
「任せておけ」
「頼みます。俺たちに出来る事なんて、何もないから……」
奏空が、山中を見回した。
「せめて花でも、と思ったけど……この山に花が咲いてる。それだけで、いいのかな」
「春になったら、桜の花を手向けに来よう」
「そうだね……」
彩吹の言葉に、奏空は頷いた。
「俺たちは……背負っていくしか、ないんだ」
「おう!」
覚者5名を見るなり、古妖・山姥が嬉しそうな声を発した。
「使い物になりそうな連中が、いるじゃないか。いいねえ助かるねえ、うちの子のためにわざわざ来てくれたのかい。ありがとうねえ本当に。それじゃあまあ遠慮なく」
巨大な包丁が、覚者の1人1人に向けられる。
「まずはそこの烏天狗みたいな嬢ちゃん、お前さん綺麗だねえ。身体の中身まで綺麗じゃないと、そこまで艶々のお肌にはならないものさ。その綺麗なはらわた、大事に使わせてもらうよ。おお、隣の嬢ちゃんも良い感じではないかね。あんたからは、そのすらりとした手足をもらうとしようか。細く見えて実に鍛えられとる。その足は何かね、鎧に変わるのかい。面白いねえ、うちの子もちっとは固く丈夫になるかもね。その後ろの若いの、なりは大きいがどうやら中身は子供のようだね。骨も肉も大きさが変わっちまうのかい、使いどころが難しいねえ。でも本当にいい素材だよ。あの子のために役立てるのが、あたしの腕の見せどころって事さね。で、そこの坊やは……あんた忍びの者じゃないのかい、懐かしいねえ。昔はよく殺し合ったり利用し合ったりしたもんさ。うん、忍びの者らしい、無駄もなく鍛えられた極上の身体だよ。無駄なくいただくとしようかね。さて1番後ろの冴えないの、お前さんはどうにも今ひとつだねえ。ま、あの七星剣とやらいう連中よりはだいぶマシだけど。まあいい、使えるだけ使ってあげるよ。うちの子のためにね」
「……三十三の素材を見抜けないようじゃ駄目だね、お婆ちゃん。だかお姉さんだかわからないけど」
火行因子を燃やして『天駆』を実行しながら、『エリニュスの翼』如月彩吹(CL2001525)が言った。
篁三十三(CL2001480)が、微かに笑う。
「いえ僕の身体など使い物にならないでしょう。だから見逃して欲しい、というわけではないですが」
「当然。頼りにしてるよ、三十三」
言いつつ彩吹が身構え、前衛で山姥と対峙する。
「それにしても……私もね、美人だって言われた事ないわけじゃないけれど。身体の中身を誉められたのは初めてかな」
「わたくしの手足を狙うとは、お目の高い事。取れるものなら差し上げますわよ」
同じく前衛に立ち、婉然と微笑んでいるのは『優麗なる乙女』西荻つばめ(CL2001243)だ。
「……無論、わたくしは貴女の御首を狙うといたしましょう」
「待て。待てって、西荻さん」
本当にやる、と『天を翔ぶ雷霆の龍』成瀬翔(CL2000063)は思った。
この西荻つばめという女性覚者は、首を狙うと言ったら本当に狙う。汚れ役を、彼女は買って出ようとしているのだ。
この期に及んで止めようとする自分には、きっと覚悟が足りていないのだろう。
それでも、かけるべき言葉はまだある、と翔は思う。
「なあ……やめねーか、こんな事。もちろん、あんたの息子さんのためだってのはわかる。けど……人間を狩るなんてのは、止めなきゃならねえ。オレたちでな」
「昔は良かったねえ。わざわざ人里まで狩りに出なくても、死体がいくらでも手に入ったものさ。人間が、そこいらじゅうで死んでいるんだもの」
山姥が、懐かしんでいる。
「でもねえ、やっぱり楽に拾えるような身体じゃ駄目だね。あんた方みたいなのを死ぬ思いで仕留めないと……うっふふふふ。お前さんたちの血と肉と骨とはらわたが手に入れば、あの子はきっと強くなれる。自力で人間狩りをやるのも夢じゃない」
「……高く評価してくれるんだね、俺たちの事。嬉しいよ」
己の前世と同調しながら『探偵見習い』工藤奏空(CL2000955)が微笑む。嬉しそうな微笑み、ではなかった。
「工藤さん、それに成瀬さん。お2人とも今、とてもお馬鹿な事を考えたのではなくて?」
突然、つばめが言った。
「ご自分の身体を差し出して、人狩りをやめさせる……などと」
「いや……そんな事……」
翔は口ごもり、奏空は俯いた。
つばめは、さらに容赦なく言う。
「わたくしは手足を差し上げる気など毛頭ありませんわ。それに皆様方の、肉や臓物どころか血の1滴さえ奪わせはいたしません。さあ戦いましょう……篁さん、共に守りの術式を」
「……了解」
ひらりと袖を舞わせて、つばめが香気の粒子を振りまく。
印を結び、翼を開いて気を放散しながら、三十三が言った。
「古妖・山姥……貴女は七星剣が仕掛けなくとも、いずれ人里で凶行に及んでいただろう。いかなる事情があろうと、我々はそれを阻止しなければならない」
「貴女と戦ってでも、ね。そういう事をしに来たっていうのは、わかってもらえると思うけど」
彩吹が言うと、山姥はニヤリと笑ったようだ。
「お前さん方だね、あの鯰の大将と話を付けたっていうのは。あたしらの仲間のために色々動いてくれて、ありがとうよ。せめてもの感謝、綺麗にさばいてあげるさね!」
類人猿を思わせる左右の豪腕で、大鉈と巨大包丁を振りかざし、山姥が斬りかかって来る。
それを、彩吹が正面から迎え撃った。
「ほら覚悟を決めるよ翔、それに奏空!」
「そう……そうだね。山姥にも、俺たちにも、守らなきゃいけないものがある」
彩吹と並ぶようにして奏空は踏み込み、抜刀した。
「山姥、あんたは俺たちを本気で殺しに来てくれている。嬉しいよ、俺たちも本気で戦う!」
斬撃の光が、幾つも閃いた。激鱗。奏空が、自身の命を削って敵を倒しにかかっている。
ほぼ同時に、彩吹の鋭刃想脚が嵐の如く吹き荒れた。すらりと鋭利な美脚が、山姥を切り刻みにかかる。
大量の血飛沫が、宙に咲いた。
いや、血ではない。山姥の全身から、まるで迸る鮮血の如く、瘴気が噴出していた。
それが、奏空と翔を直撃していた。
山野の瘴気。自然界の毒気が、容赦なく体内を灼く。
血を吐きながら、翔は倒れ込み、のたうち回った。
三十三が、悲鳴に近い声を発する。
「翔君!」
「大丈夫……へへ。さとみんと、西荻さんが……最初にやってくれた術式のおかげでよ、毒が……残る事ぁ、なさそうだぜ……」
翔は、よろよろと立ち上がった。
奏空は、いくらか頼りない足取りながら、すでに立ち上がっている。
その眼前に、光の八葉蓮華が生じていた。
「八葉蓮華鏡……薬師如来の護りが、山野の毒気を……あんたに、返すよ」
「ぐうっ……」
瘴気の一部を跳ね返された山姥が、よろめいている。
そちらを見据えて、翔は印を結んだ。
「ありがとうよ山姥……いいのを、くれたぜ。おかげでオレも覚悟が決まった!」
雷鳴が轟いた。
両手印の周囲に黒雲が生じて渦巻き、電光を迸らせていた。横向きの落雷が、山姥を直撃し吹っ飛ばす。
「……その、力……」
全身をバリバリと電光に灼かれながら、山姥が立ち上がってくる。
「おくれよ、あの子に……あんたたちの血が、肉が、はらわたが、あの子を……強く、してくれる……」
●
同じなのか、と三十三は思った。
あの時の女性と、今の山姥は、同じ目をしている。
あの女性には三十三の姿が、自分の子供を脅かす化け物に見えたのだろう。
この山姥には、覚者たちの姿が、息子の身体をバラバラにして奪ったようにでも見えているのだろう。
「殺して取り戻さなければ、とでも思っているのだろうが……それを、させるわけにはいかない」
水行の癒しの力を霧状に発生させ、それを翼で拡散させながら、三十三は思う。
人は、それに古妖も、己の子を守るためならば、他者に対していくらでも攻撃的になれるものなのだ、と。
「助かったよ、三十三さん!」
霧の治療を得た奏空が、山姥に斬撃の嵐を叩きつけてゆく。せっかく回復した体力を消耗させての、激鱗。
それに合わせて彩吹が黒い羽を散らせ、猛禽の動きを見せた。蹴りによる疾風双斬。
山姥が、今度は瘴気ではなく鮮血を噴き上げ、よろめき、だが即座に体勢を立て直しながら踏み込んだ。
大鉈が、巨大な包丁が、つばめを直撃した。
七星剣の隔者たちを細切れにした斬撃。だが、つばめは血を流さずに片膝をついた。
「機化硬・改……今のわたくしに斬り込むのは、鋼の塊に刃物を叩きつけるようなもの……」
苦しげに、つばめは微笑んだ。綺麗な口元が、一筋の吐血で汚れる。
「とは言え……効きましたわよ。肋の骨が、何本か……身体の中で、どこかに刺さって……」
「ふん、せっかく綺麗にさばいてあげようってのに……無駄な事を、するんじゃあないよっ!」
山姥が激昂し、つばめにさらなる斬撃を喰らわせようとする。
それを、電光が阻んだ。
翔の、雷獣。稲妻の塊が、山姥に激突していた。
吹っ飛んで行く山姥の姿を確認しつつ、三十三は言った。
「西荻君、今のうちに治療を……」
「いえ……篁さん、ここは攻撃に徹しましょう」
つばめが、立ち上がると同時に踏み込んで行く。
「手早く戦いを終わらせれば、私たちの負傷も少なく済みますわ!」
「了解……だけど無理はしないようにっ」
三十三は攻撃を念じながら、略式滅相銃の引き金を引いた。
エアブリット。滅相銃の銃口から、風の銃撃が迸る。
山姥が、電光に灼かれながらも大鉈を振りかざし、包丁を構え、つばめを迎え撃たんとするが、そこへエアブリットの速射が降り注ぐ。
よろめき踊る山姥に向かって、つばめは抜刀した。
「人を脅かすものとして、私たちに討伐される……その覚悟はお持ちのものと認識いたしますわよッ!」
双刀・鬼丸が、鞘から走り出して一閃する。
疾風双斬が、山姥を斬り裂いていた。瘴気の混ざった血飛沫を、つばめは危うくかわした。
入れ替わるように、奏空が踏み込む。
「これで、終わりにさせてもらう……!」
桃色の瞳を、赤色に近いほど燃え上がらせながら、奏空が斬撃を繰り出してゆく。
並みの妖であれば一瞬で細切れに変わる『激鱗』が、山姥を襲い、だが山姥ではないものを叩き斬った。
奏空の動きが、硬直した。
覚者全員が、息を呑み、目を見張った。
山姥の背後、彼女の住処なのであろう洞窟。
その中から、痛ましいほどに醜怪なものが飛び出して来て山姥を庇い、奏空の激鱗を受けたところである。
どろりとしたものが飛び散った。血も腐りかけている、と三十三は思った。
「何だ……何なのだ、これは……」
思いながら、三十三は涙を流していた。
「これが……こんなものを相手に、僕たちは何が出来る? 一体、何をすればいい!?」
●
「やあ……」
奏空は、まずは言葉をかけてみた。
「君は……これから、どうしたい? 君の願いは……」
訊くまでもない事だ、と奏空は思った。
激鱗を受けながらも辛うじて生きているそれは、山姥を庇って弱々しく立ち、覚者たちと対峙しながら言葉を発している。
「かあさま……ぁ……」
「な……何をしてるんだい! 駄目だよ出て来たら」
山姥が、狼狽している。
「さあさ、中で大人しく待っておいで。すぐにね、この連中の身体をね」
(違うだろう……その子の願いは、そんな事じゃあない!)
奏空は思わず、叫んでしまうところだった。
腐りゆく肉体を騙し騙し保ちながら、命を繋ぐ。そんな事よりも、ただ母親を守りたい。
それは、しかし言える事ではなかった。
叫ぶ代わりに、だから奏空は駆けた。『迅駿』の一撃を、繰り出していった。
猛る麒麟の如き刺突が、山姥とその息子を、もろともに貫いていた。
「やめろ……やめて、やめておくれよ!」
血を噴きながら、山姥が悲鳴を上げる。
「わかった、わかったよ。人狩りはしない、だからどうか、この子だけは」
「助けてあげる、わけにはいかないんだよ。その子を助けるためには、人狩りをしなきゃいけないんだろう?」
彩吹が言った。
「血の繋がらない子供を、何百年も育てるなんてね……本当に頭が下がるよ。人間なんて、自分の子供も満足に世話出来ない奴が多いのに」
「どうか、この子だけは……」
「山姥は人を喰う……そう聞いていたけれど。まあ喰われる人もいたんだろうけど」
「助けておくれよ、この子だけは……」
「見てわかったよね、三十三。私たちに出来る事なんて……これしか、ないんだよっ!」
彩吹の黒い翼が、荒々しく羽ばたいた。悪魔の翼だ、と奏空は感じた。天使か悪魔か、とにかく死を告げるものの乱舞。
獲物を切り裂く猛禽の爪、を思わせる蹴りの連打が、山姥の息子を直撃する。
腐りかけた肉片を飛び散らせながら、それはまだ絶命に至らない。
「かあ……さまぁ……」
「お母さんを、守りたいんだね……優しいね」
彩吹が微笑み、そして叫んだ。
「さあおいで、遊んであげるよ! 最初で最後の鬼ごっこ、相手は私1人だ! 私だけを追いかけて来い、ほら早く!」
「……そりゃあ駄目だぜ、彩吹さん」
翔が、印を結んだ。
「汚れ役を独り占めしようったって、そうはいかねー!」
「そういう事です、彩吹さん……ファイヴで戦う、それは手を汚すという事!」
三十三も叫び、滅相銃をぶっ放す。
光の矢と疾風の銃弾が、山姥の息子を撃ち抜いた。翔のB.O.T改と、三十三のエアブリット。
「やめて! やめておくれよぉお!」
泣き叫ぶ山姥に、つばめが言葉をかける。
「西行法師が安易な人恋しさで造り上げ、捨てたものを……同じく安易な人恋しさで拾い、だけど今まで育ててこられた。御立派だと思いますわよ? 西行法師と比べて、ずっと」
言葉と共に、双刀・鬼丸が構えられる。
「けれど……拾わずに捨て置く、あるいは仕留める。その選択肢も、あり得たのではなくて? そうすれば、その子も数百年間、苦しみ続ける事もなかったのでは」
(違う……それは違うよ西荻さん。その子は数百年間、きっと幸せだったんだ。お母さんと、一緒にいられて……)
心の中で、奏空は言った。
(お母さんを、守る……そこに、そこにだけ、その子は生きる意味を見出していたんだよ……)
それは奏空が思っているだけの事、なのかも知れなかった。
ともかく。つばめの繰り出した『活殺打』の一閃が、山姥の息子にとどめを刺していた。
●
かあさま、という微かな声が聞こえる。
ズタズタに原形を失いかけた肉塊が、発している声。
それを膝の上に乗せたまま、山姥は呆然と座り込んでいる。
つばめが声をかけた。
「……わたくしが憎いのではなくて? 受けて、立ちますわよ」
「……いいのさ、もう」
山姥が、弱々しく応える。
「この子は、死ぬ……あたしが、人間を狩る理由も……あんた方と、戦う理由も……生きる理由も、なくなる。この子もろとも、さあ……あたしを殺しておくれよ……」
「それは……そういうのは、無しにしようぜ」
翔が言えたのは、そこまでだった。
(あんたの息子さんは……あんたを、守ったんだぜ。本当はもう、ずっと昔にあの世へ行ってなきゃいけねえはずの奴が……もしかしたら、ちゃんと生まれ変われるかも知れねーんだ。そしたらオレたちと、友達にだって)
そんな言葉が、喉元まで込み上げてくる。が、出せる事ではなかった。
言葉とは、何と無力なのか。翔は、そう思うしかなかった。
澄んだ、悲しくも優しい歌声が流れている。
つばめの綺麗な唇から、こもりうたが紡ぎ出されていた。
せめて最後は、その子を抱き締めていて欲しい。つばめの、そんな声が聞こえてくるかのようだった。
覚者たちは、うなだれている。勝利の高揚感など、あるはずがなかった。
こもりうたが終わった。
かあさま……という、微かな声も聞こえなくなった。
物言わぬ我が子を山姥は、まだいくらかは戦う力を残した腕で抱き締めている。
足音が、聞こえた。
「……一足、遅かったか」
巨大な人影と小さな人影が、そこにあった。干からびた鬼と、人間の少年。
「カッちゃん様……それに力彦君!」
奏空の呼びかけに、高村力彦がぺこりと頭を下げる。
鬼が言った。
「覚者たちに、汚れ役を押し付ける事になってしまったな」
「気にしないで。如月家は、悪役の家柄だから」
彩吹が言いつつ、力彦の頭を撫でる。
山姥が、呻いた。
「……死に損ないの干物が、何しに来たんだい」
「おぬしの倅を殺しにな。まあ、その役は覚者たちに取られてしまったが……もうひとつ伝えておこう。周りを見ろ」
よくわからぬ小さなものたちが、いつの間にか周囲にいた。皆、何やら心配そうにしている。
三十三が呟いた。
「これは……この山の古妖たち、か」
「この山姥はな、この辺りの主なのだ。こやつらを守るために、七星剣や古妖狩人どもを随分と殺し、そのついでに身体を奪って息子を生き長らえさせてきた」
鬼が言う。
「わざわざ伝えるまでもない、か……山の主よ、おぬしは孤独ではないのだ。それだけは覚えておけ」
「…………」
山姥は俯き、何も言わなくなった。
鬼の傍らで、翔は小声を発した。
「なあ鰹節のカッちゃん……オレ思うぜ。西行法師って奴がアンタみたく今も生きてねーかなって。オレ、ぶん殴りに行きてえ」
「この山姥もな、それをやりたくて仕方がなかったところを耐えたのだ。まあ抑えておけ」
「西行ってヤツ……ある意味、古妖狩人よりタチ悪いぜ。オレ絶対に許せねー」
「同感だけど、もうこの世にいない人だものね」
彩吹が言った。
「鬼仏様と古妖の皆さんに、お願いするしかないかな……山姥さんの事、よろしくね。勝手な言い草だとは思うけど」
「任せておけ」
「頼みます。俺たちに出来る事なんて、何もないから……」
奏空が、山中を見回した。
「せめて花でも、と思ったけど……この山に花が咲いてる。それだけで、いいのかな」
「春になったら、桜の花を手向けに来よう」
「そうだね……」
彩吹の言葉に、奏空は頷いた。
「俺たちは……背負っていくしか、ないんだ」
■シナリオ結果■
成功
■詳細■
MVP
なし
軽傷
なし
重傷
なし
死亡
なし
称号付与
なし
特殊成果
なし
