憤怒の雷
●
「お先、失礼しまーす」
「あ、ちょっと待って向井君」
レジに立っていたオーナーが、声をかけてきた。
「明日、休みだよね。予定、もう立てちゃった?」
「いえ、暇ですけど……出ですか? もしかして」
「大沼君がさ、学校の用事でどうしても出られないって言うんだよ」
学生バイトは、これだから困る。学校の用事だからと言って、平気でシフトに穴を開ける。
仕事というものの重さを、全く理解していない。学校優先だと言うのなら、アルバイトなど最初からするべきではないのだ。
アルバイトとは、仕事である。それがわかっていない奴が、大学生には多過ぎる。
実際、俺はこのコンビニで生活費の全てを稼いでいる。男の一人暮らし、高望みさえしなければ充分やってゆけるものだ。
結婚は、諦めた。
36歳のコンビニ店員である。仮に結婚など出来たとしても、生まれてくる子供がかわいそうだ。
「……いいですよ。出ますよ、俺」
「ありがとう! いやあ、向井君は本当によく働いてくれるから助かるよ」
よく働くのは当然である。何しろ、生きてゆかねばならないのだから。
この店で働き始めて、そろそろ半年。コンビニで半年というのは立派なベテランである。
オーナーにもう1度、挨拶をしてから、俺は店を出て駅に向かった。終電には余裕で間に合う。
車は売った。生活のレベルは、大幅に下げなければならなくなった。
トボトボと夜道を歩きながら俺は、コートの内ポケットから、今や何の価値もないものを取り出していた。
いや。価値など、最初からなかったのか。
これが、しかし特別な、選ばれし者の証であった時代が、かつて確かにあったのだ。
1枚の、タロットカードである。表は『力』、裏は『正義』。
俺の会社が潰れたのは、社長である俺が、後生大事にこんなものを持っていたからか。
取引先の連中は皆、俺に背を向けた。
俺の会社、だけではない。あの組織と関わりあった企業各社はことごとく潰れ、世に失業者が溢れた。
あの組織は結局、そういった者たちに何ら救済を施す事なく消えて失せた。組織の中心人物数名は、俺たちに何もしてはくれぬまま、勝手に組織を終わらせてしまったのだ。
ファイヴの、あの演説で、世の中の人間どもは綺麗に掌を返した。
それまでは、俺たちと一緒になって、覚者に石を投げつけていた連中がだ。
そいつらは、今度は俺たちに石を投げつけるようになった。
「……クソしかいねえ……クソの世の中……」
タロットカードを睨みながら、俺は呻くしかなかった。
●
真夜中の太陽だ、と私は思った。
その強烈な輝きは、こうして路地裏で息を潜めていても感じられるほどだ。
そろそろ冷え込む季節である。強烈な光は、しかし温かさをもたらしてはくれない。
ボロ布も同然の毛布を身体に巻き付けたまま、私はビルの陰から這い出して大通りを見つめた。
地上に降りた太陽のようなものが、2つ。深夜の街並みを睥睨するかのように佇んでいる。
2つの、眩く美しく威圧的なもの。
「おお……ついに来た、来て下さった……」
祈りを捧げながら私は、震える手でタロットカードをかざした。表は『力』、裏は『正義』。
あの組織に、資金をもたらしていた。
それだけの事で、世の人間たちは私の事業を否定し、私の会社に石を投げつけた。その少し前までは覚者たちに石を投げつけていた手で。
こうして路上生活者となった私を顧みる事もなく、組織の中心人物たちは何食わぬ顔で改心し、覚者の理解者となって日々を過ごしている。
私たちを救ってくれるのは、組織ではない。組織が、いや私たち1人1人が心に抱いていた、この輝ける理念そのものだ。
すなわち『力』と『正義』。
それが今、この世に顕現したのである。
「どうか……どうか、罰を与えて下され……掌を返し、私たちを裏切った者どもに……」
私は涙を流し、祈り続けた。
私のような者は、大勢いるに違いない。世の人々に掌を返され、組織に捨てられ、全てに裏切られた者たちが。
裏切られた者たちの思いによって顕現した、力の乙女と正義の女神。
その輝ける姿を、私はカードを掲げたまま伏し拝んだ。
正義の女神が、天秤を掲げた。
落雷が起こった。地上にある全てのものを分け隔てなく灼き砕く、裁きの雷。
それが、路面を粉砕した。建物を直撃し、ガラスとコンクリートを打ち砕いた。昼間であれば、大勢の通行人が死んでいたところであろう。
巨大なコンクリート片が落下して来て、私の頭蓋を割り潰した。分け隔てなく天罰を与える雷である以上、私が殺されるのも当然だ。
構わない。掌を返す人間しかいない世界を滅ぼしてくれるのならば、私の命など。
燃え盛る獅子を従えた、力の乙女。剣と天秤を携えて凜と佇む、正義の女神。
見つめ、祈りを捧げながら、私は絶命していった。
「お先、失礼しまーす」
「あ、ちょっと待って向井君」
レジに立っていたオーナーが、声をかけてきた。
「明日、休みだよね。予定、もう立てちゃった?」
「いえ、暇ですけど……出ですか? もしかして」
「大沼君がさ、学校の用事でどうしても出られないって言うんだよ」
学生バイトは、これだから困る。学校の用事だからと言って、平気でシフトに穴を開ける。
仕事というものの重さを、全く理解していない。学校優先だと言うのなら、アルバイトなど最初からするべきではないのだ。
アルバイトとは、仕事である。それがわかっていない奴が、大学生には多過ぎる。
実際、俺はこのコンビニで生活費の全てを稼いでいる。男の一人暮らし、高望みさえしなければ充分やってゆけるものだ。
結婚は、諦めた。
36歳のコンビニ店員である。仮に結婚など出来たとしても、生まれてくる子供がかわいそうだ。
「……いいですよ。出ますよ、俺」
「ありがとう! いやあ、向井君は本当によく働いてくれるから助かるよ」
よく働くのは当然である。何しろ、生きてゆかねばならないのだから。
この店で働き始めて、そろそろ半年。コンビニで半年というのは立派なベテランである。
オーナーにもう1度、挨拶をしてから、俺は店を出て駅に向かった。終電には余裕で間に合う。
車は売った。生活のレベルは、大幅に下げなければならなくなった。
トボトボと夜道を歩きながら俺は、コートの内ポケットから、今や何の価値もないものを取り出していた。
いや。価値など、最初からなかったのか。
これが、しかし特別な、選ばれし者の証であった時代が、かつて確かにあったのだ。
1枚の、タロットカードである。表は『力』、裏は『正義』。
俺の会社が潰れたのは、社長である俺が、後生大事にこんなものを持っていたからか。
取引先の連中は皆、俺に背を向けた。
俺の会社、だけではない。あの組織と関わりあった企業各社はことごとく潰れ、世に失業者が溢れた。
あの組織は結局、そういった者たちに何ら救済を施す事なく消えて失せた。組織の中心人物数名は、俺たちに何もしてはくれぬまま、勝手に組織を終わらせてしまったのだ。
ファイヴの、あの演説で、世の中の人間どもは綺麗に掌を返した。
それまでは、俺たちと一緒になって、覚者に石を投げつけていた連中がだ。
そいつらは、今度は俺たちに石を投げつけるようになった。
「……クソしかいねえ……クソの世の中……」
タロットカードを睨みながら、俺は呻くしかなかった。
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真夜中の太陽だ、と私は思った。
その強烈な輝きは、こうして路地裏で息を潜めていても感じられるほどだ。
そろそろ冷え込む季節である。強烈な光は、しかし温かさをもたらしてはくれない。
ボロ布も同然の毛布を身体に巻き付けたまま、私はビルの陰から這い出して大通りを見つめた。
地上に降りた太陽のようなものが、2つ。深夜の街並みを睥睨するかのように佇んでいる。
2つの、眩く美しく威圧的なもの。
「おお……ついに来た、来て下さった……」
祈りを捧げながら私は、震える手でタロットカードをかざした。表は『力』、裏は『正義』。
あの組織に、資金をもたらしていた。
それだけの事で、世の人間たちは私の事業を否定し、私の会社に石を投げつけた。その少し前までは覚者たちに石を投げつけていた手で。
こうして路上生活者となった私を顧みる事もなく、組織の中心人物たちは何食わぬ顔で改心し、覚者の理解者となって日々を過ごしている。
私たちを救ってくれるのは、組織ではない。組織が、いや私たち1人1人が心に抱いていた、この輝ける理念そのものだ。
すなわち『力』と『正義』。
それが今、この世に顕現したのである。
「どうか……どうか、罰を与えて下され……掌を返し、私たちを裏切った者どもに……」
私は涙を流し、祈り続けた。
私のような者は、大勢いるに違いない。世の人々に掌を返され、組織に捨てられ、全てに裏切られた者たちが。
裏切られた者たちの思いによって顕現した、力の乙女と正義の女神。
その輝ける姿を、私はカードを掲げたまま伏し拝んだ。
正義の女神が、天秤を掲げた。
落雷が起こった。地上にある全てのものを分け隔てなく灼き砕く、裁きの雷。
それが、路面を粉砕した。建物を直撃し、ガラスとコンクリートを打ち砕いた。昼間であれば、大勢の通行人が死んでいたところであろう。
巨大なコンクリート片が落下して来て、私の頭蓋を割り潰した。分け隔てなく天罰を与える雷である以上、私が殺されるのも当然だ。
構わない。掌を返す人間しかいない世界を滅ぼしてくれるのならば、私の命など。
燃え盛る獅子を従えた、力の乙女。剣と天秤を携えて凜と佇む、正義の女神。
見つめ、祈りを捧げながら、私は絶命していった。

■シナリオ詳細
■成功条件
1.妖の殲滅
2.なし
3.なし
2.なし
3.なし
元イレブン関係者たちの恨みの念が、心霊系妖となって出現しました。これを斃して下さい。
敵の詳細は以下の通り。
●力の乙女
心霊系、ランク3。燃え盛る憎悪の気で組成された、身長3メートルの巨大な美少女。同じく憎念で出来た獅子を出現させ、覚者の皆様を襲わせます(特近列)。また怪力の細腕で白兵戦を挑んで来ますが、この一撃を食らうと力を抑え込まれてしまいます(特近単、BS封印および重圧)。
●正義の女神
心霊系、ランク3。燃え盛る憎悪の気で組成された、身長3メートルの巨大な美少女。攻撃手段は、長剣による斬撃(特近単)、天秤を掲げての落雷(特遠全、BS痺れ)。
2体とも前衛です。
場所は深夜の市街地。オープニング中ではすでに人死にが出ておりますが、その前に覚者の皆様に駆け付けていただく形となります。
それでは、よろしくお願い申し上げます。
状態
完了
完了
報酬モルコイン
金:1枚 銀:0枚 銅:0枚
金:1枚 銀:0枚 銅:0枚
相談日数
7日
7日
参加費
100LP[+予約50LP]
100LP[+予約50LP]
参加人数
6/6
6/6
公開日
2018年11月25日
2018年11月25日
■メイン参加者 6人■

●
人々の心の中に、イレブンの亡霊が棲み着いている。野党議員・三枝義弘の言葉である。
その亡霊が顕現した、という事なのだろうか。
これらを斃す事で、人々の心から亡霊が消え失せてくれるならば、これほど楽な事はない、と『意志への祈り』賀茂たまき(CL2000994)は思う。
「楽は出来ない、という事……」
深夜の市街地で、電光が荒れ狂う。
そんな光景の中に佇みながら、たまきは前世の自分と同調を行った。
電光の嵐が、路面を粉砕し、建物の外壁を打ち砕く。
コンクリ一トが崩落してゆく。路上生活者と思われる、1人の男の頭上にだ。
その時には、3人の翼ある女性たちが動いていた。『居待ち月』天野澄香(CL2000194)、『エリニュスの翼』如月彩吹(CL2001525)、それに梶浦恵(CL2000944)だ。
人を救う天使の如く飛翔しながら、澄香が羽ばたいて風を起こし、暴風の砲弾を放つ。彩吹が、飛び蹴りの形に突っ込んで行く。
風の砲弾が、蹴りが、巨大なコンクリ一ト片を粉砕していた。
細かな破片と粉塵が、舞い散り降り注ぐ、その中から恵が男を連れ出して行く。
「さあ、こちらへ」
「君たちは……」
中年、と言うよりは初老と思われる、その男が、口調暗く呟いた。
「……ファイヴの覚者たち、か。やはり来てしまうのだな」
「悔しいだろうね、私たちに助けられるなんて」
彩吹が言った。
「まあ、相手の気持ちも考えず人助けをするのが私らの仕事だからね。いこうか、澄香」
「ええ。梶浦さん、その人をお願いしますね!」
澄香の翼から、清廉珀香の粒子がキラキラと飛散する。
その煌めきを身にまといながら、恵が男の身体を細腕で抱き捕える。
「お任せ下さい……さあ、危険区域外まで御案内しますよ。貴方に拒否権はありませんから」
翼をはためかせ、男を空中へと案内と言うより拉致して行く恵。猛禽が獲物をさらった、ようでもある。
ともかく、避難して行く要救助者に妖の攻撃が向かわないようにするのが、たまきたちの役目であった。
「人の心より生まれ、世の理に背いて存在し続けるもの……土へと、還します。それが土行の力!」
素早く印を切りながら、たまきは見据えた。人の心より生まれた、妖の姿を。
燃え盛る霊体で組成された、巨大な美少女が2体。
「『力の乙女』と『正義の女神』か、なるほどね」
見上げ、何やら感心しているのは、『地を駆ける羽』如月蒼羽(CL2001575)である。
「昼間だったら、酷い事になっていただろうね。一般人にも容赦のない、正義と力……今のところ人的被害は無し、か」
恵に飛行運搬されて行く男の姿を、蒼羽はちらりと確認した。
「……もう少し明るくさせてもらおうか。頼むよ、ナギ」
彼の守護使役が、夜空に浮いて炎を吐いた。闇夜の太陽とも言える光源。
それに抗うかの如く、2体の妖が輝きを強めてゆく。燃え盛るような、だが暖かさをもたらしはしない、冷たい怨念の輝き。
直視しながら蒼羽は、たまきと同じく、前世との同調を実行した。
「こんなに冷たい正義と力は要らない。頑張って取り除くとしようか、翔くん」
「ああ……やろうか、そわさん」
元気がない。最も熱い正義を抱いていそうな『天を翔ぶ雷霆の龍』成瀬翔(CL2000063)がだ。
思い悩んでいる、ようでもある。が、それを戦闘時まで引きずるような翔ではなかった。
「……わかるぜ。掌、返されたら辛いよな。けどよっ」
彼の掲げたカクセイパッドの画面内で、白虎が吼えた。咆哮が雷鳴となり、稲妻が迸る。
雷獣の電光が、妖2体を直撃した。
2つの巨大な霊体が、電撃に灼かれながらも即座に反撃を繰り出して来る。
力の乙女が、一見たおやかな五指で拳を握る。正義の女神が、長剣を振り下ろす。
両方とも自分に向けられている、とたまきが気付いた時には遅かった。
「たまきさん!」
翔が叫ぶ。
大丈夫、と応えられずに、たまきは血を吐き、倒れた。
霊体の剣が、外傷を残さずに体内のどこかを切り裂いていた。
霊体の拳が、たまきを路面に叩き付けていた。
タロットカードの中で、乙女の細腕に押さえ込まれた獅子の如く。たまきの力が、抑え封じられていた。
「こ……これが……」
辛うじて、たまきは声を発した。
「イレブンに関わった、多くの方々の……失意の念……」
「正義、ではないね。ただの憎しみだ。その方が、わかりやすくて健全だよ」
蒼羽が、たまきを庇うように両腕を伸ばす。
その両前腕で、ショットガントレットが放電を起こした。
電光が、正義の女神と力の乙女をバチバチッ! と縛り上げる。
拘束された妖2体に、疾風がぶつかって行く。
彩吹の、鋭刃想脚だった。強靭な美脚が一閃し、2つの霊体を激しく通過する。切り裂いた、ように見えなくはないのだが。
「やっぱり……心霊系が相手だと効きが悪いね。数を食らわせるしかないか」
「我が家の姫君、あまり無理をなさらないように」
着地した妹に、蒼羽が声をかける。
「……力の乙女に、正義の女神。まるで、お前みたいじゃないか?」
「あいにく今回の私は悪役だよ。何しろ正義の女神を倒そうってんだから」
彩吹が言った。
「……如月家で汚れ役をやるよ。覚悟はいいの? 正義のヒーロー」
「怪人だって何回も演じたさ。悪役の心構えはね、奥村さんに叩き込まれたから」
「私あの人にスカウトされた事あるよ。彩吹ちゃんなら男のヒーローも演れる、とか言ってさ。失礼な人だったよね」
「それは見てみたいなあ」
如月家の兄妹がそんな会話をしている間、澄香が近くに降り立っていた。まるで天使の降臨のように。
「お待たせしました……大丈夫ですか? たまきちゃん」
天使のようなものが、澄香のたおやかな両腕から解放された。火の鳥、のようでもあるそれが、たまきの身体に溶け込んで来る。
力の乙女に叩き込まれた重圧と封印が、体内で焼き溶かされてゆくのを、たまきは感じた。
「澄香さん……ありがとう、ございます」
たまきは立ち上がり、路面に旗竿を打ち立てた。
いや旗ではない。大型の術符を結わえ付けた、杭である。
大旗のような術符が、風もないのに激しくはためいた。
「猛襲・滅殺の型、無頼濁流符! 急々たること律令の如し!」
はためき狂う術符から、力の嵐が迸る。純粋な破壊力の塊。
それが妖を直撃し、女神・乙女の形を成した霊体を激しく揺るがす。
「やったか!?」
「まだです、翔さん……」
たまきは応えた。
「人の心が生んだ妖よ……私たちが憎いのでしたら、いくらでもお相手しましょう。その力を、剣を、雷を、私たち以外の誰かに向ける事は許しませんよ」
●
彩吹が「質より量」の戦法に徹していた。
黒い羽を舞い散らせながら、獲物を引き裂く猛禽の動きを見せている。形良く鍛え込まれた長い両脚が、様々な蹴りの形に躍動し、妖2体を切り裂きにかかる。
女神と乙女の姿を組成する霊体が、ズタズタに掻き回され、渦を巻く。どれほどの痛手になっているのかは、わからない。
陸橋の上から、男はその戦いをじっと眺めている。
路上生活者と思われる男を、ここまで運んだ。あとは自力で逃げて欲しいところであるが、恵は言った。
「梶浦恵と申します。貴方は……?」
「……井沢という」
「では井沢さん、貴方は私たち覚者を憎んでいる……わけでは、ないですね?」
「君ら覚者が、世の中に必要な存在なのだろうという事はわかる。今は、ね……あの頃は、危険な怪物の類としか思えなかった」
井沢の視線の先では、渦巻く霊体が荊に切り裂かれていた。
澄香の『棘散舞』。正義の女神の形に戻ろうとする霊気の渦を、無数の荊が束縛し、切り刻みにかかる。
形を失いかけたまま苦しみもがく正義の女神。そこへ、雷鳴を伴う閃光が激突してゆく。
翔が、蒼羽が、揃って印を結び、電光を召喚していた。覚者2人分の雷獣。
電光の嵐が、妖2体分の巨大な霊気を粉砕せんと荒れ狂う。夜の街を、禍々しく照らしながら。
その様を見物しつつ、井沢は言った。
「あんな力があれば、私たちを皆殺しにする事も容易かろう?」
「……そう、思いますか」
「皆殺しにしてはくれんかなあ、本当に」
井沢が、虚ろな笑みを浮かべている。
「今更、君ら覚者に対する恨みなどないよ。そう、君の言う通り。私が本当に憎いのは……掌を返す連中だ」
「逃げて欲しい、とは思いましたが……迂闊に動かれるより、大人しくしていてもらった方が安全かも知れません。ここを動かないで下さいね、井沢さん」
恵は、翼を広げて跳躍し、陸橋から飛び立った。
井沢の、心を救う事は、この場では出来ない。出来るのは、身の安全の確保までだ。
「覚者の力で、人の心まで救うなど……思い上がり、なのでしょうね」
静かに呟きながら、恵は空中で術符を掲げた。
雷鳴が轟き、夜空に亀裂が走るかの如く稲妻が天下り、妖2体を直撃していた。
●
恵の雷獣が、正義の女神と力の乙女を一緒くたに灼く。
これだけ雷獣や棘散舞を叩き込んだのだ。電撃の痺れか、荊の毒気か、どちらかが効いている。
2体の妖は、女神や乙女の姿を崩壊させながら動けずにいた。
彩吹としては、行うべき事は1つしかない。
鋭刃想脚、蹴りによる疾風双斬。物理的破壊が困難な霊体に対し、ひたすら蹴りを叩き込んでゆく。叫びながら。
「梶浦さん、あの人は!?」
「危険区域外へ避難完了です。梶浦恵、これより戦闘に参加しますね」
「助かります……」
澄香が、タロットカードを掲げた。
「誤った力と正義を、正しましょう……この節制と世界のカードで、完全なる調和を」
平和的な呟きに合わせ、棘散舞の荊が凶暴に荒れ狂い、妖の霊体をズタズタに切りさいなむ。霊気の飛沫が、鮮血の如く散る。
そこへ、翔と蒼羽が狙いを定めた。
「へへっ……こうやってると龍牙の最終回みてーだよな、そわさん。龍牙1号と2号が、力合わせてさ」
「いいね、元気が出て来たじゃないか翔くん。何か思い悩んでいたようだけど」
翔のカクセイパッドから、蒼羽のショットガントレットから、電光が迸った。先程と同じ、雷獣の合わせ技。
それに、たまきが加わった。
「お悩み事なら、話して下さいね翔さん。私がお役に立てるとは思えませんが、黙って心に溜めておくより良いと思いますからっ」
術符の大旗から、力が溢れ放たれる。
電光の嵐が、破壊力の波動が、妖2体を直撃し、飛散する霊体の破片を蹴散らして荒れ狂う。
その様を見据えながら、翔が言った。
「悩み、ってわけじゃねーんだよ。ただな……あのおっさんを見て、ちょっと思い出しちまった事があってさ」
「……確かに、色々と考えさせてくれる人ですね。あの井沢さんは」
言いつつ、恵が羽ばたいた。風が起こり、暴風の砲弾となって発射される。エアブリット・改。
その直撃を喰らった正義の女神が、砕け散った。
いや。砕け散ったように見えた霊体が、禍々しく発光しながら凝集し、凛とした女神の姿を取り戻していた。
正義の女神が、それに力の乙女が、電光と荊の拘束を引きちぎる。
「何……っ」
彩吹が息を呑んでいる間、力の乙女が細腕を振るい、何かに向かって号令を下した。
その何かが、目に見える形となって出現した。霊体で構成された、巨大な獅子。
牙が、爪が、彩吹とたまきを切り裂いた。大量の血飛沫が噴出した。
たまきの状態を確認している暇もなく、正義の女神が天秤を掲げる。
雷獣への返礼かと思えるほどの電光が生じて荒れ狂い、覚者6人を猛襲する。
「これが……なるほど、裁きの雷……って、わけだね……」
倒れながら、彩吹は呻いた。
蒼羽も、澄香も、恵も、倒れている。
たまきと翔は、よろめきながらも立っていた。
力の乙女と正義の女神が、揺らいでいる。
「……すげえ攻撃、だったぜ。ちょっとだけ、返させてもらった」
弱々しくも「八卦の構え」を維持した翔が、苦しげに微笑む。
たまきが、守りの術式「紫鋼塞」に身を固めたまま、妖2体を見据えて叫ぶ。
「まだっ……あなた方の失意は、無念は、憎しみは、そんなものではないでしょう!? 全て、私たちが受けます!」
●
大地の力そのものが、アスファルトを粉砕しながら隆起する。
たまきの「隆神槍」。その直撃に貫かれた正義の女神が、砕け散った。霊体が霧状に舞い散り、消えてゆく。
「皆さん、あと一息です!」
激励と共に澄香は翼を広げ、光を降らせた。夜闇の中に木漏れ日が生じ、覚者たちに降り注ぐ。
術式治療を得た彩吹と翔が、立ち上がって印を切った。
「たまには攻撃術式でも使ってみようかな……翔、お手本見せてよ」
「え……こ、こんな感じ? いや手本なんて」
風の砲弾と光の矢……エアブリットとB.O.T.が速射され、力の乙女に突き刺さる。
速射を追いかけるように、蒼羽が踏み込んだ。
斬・二の構えからの、超高速の手刀。斬撃が、乙女の巨体を形作る霊気を激しく蹴散らした。
「こちらの方が性に合う、とは言え僕ももう少し術式を鍛えないとね……おっと」
霊体の獅子が発生し、牙を剥き、襲いかかって来る。
その牙を、爪を、前衛の彩吹とたまきが身体で止めている間。
恵が、片手で拳銃を作り、狙いを定めた。左目をつむり、右目で敵を見据える。
彼女の、理知的な美貌を飾る眼鏡。そこに一瞬、照準器の模様が浮かんだように澄香には見えた。
ともかく。恵のたおやかな指先からエアブリットが発射され、力の乙女を撃ち砕いた。
砕け、霧散した霊気が、夜闇の中に消え失せてゆく。
正義の女神も、力の乙女も、完全に消滅していた。
「お見事」
「いえ……私は、とどめを刺しただけですから」
蒼羽の賛辞にそう応えながら、恵は溜め息をついた。
「お煙草……よろしいですか? 成瀬くん、賀茂さん」
「ああ、どうぞ」
翔が答え、たまきが頷く。
手際良く煙草に火を点け、煙を吹きながら、恵は声を投げた。
「……1本、差し上げましょうか? 井沢さん」
「物乞いに見えてしまうのかな、今の私は」
どうやら井沢というらしい男が、いつの間にか、そこに居た。
「……まあ、いただけるのであれば有り難く」
「ただで、とは言いません。貴方が一番、大切にしていたものを下さい」
恵が、容赦のない事を言う。
「……貴方が今まで、後生大事に持っていたものです。本当は要らないのでしょう?」
井沢が無言で、恵に手渡したもの。それは1枚のタロットカードだった。表は『力』、裏は『正義』。
2つの絵柄が、炎に舐め取られてゆく。恵が、ライターで火を点けていた。
炎を見つめながら、蒼羽が言う。
「井沢さん、でしたね。貴方のような人たちが、きっとまだ大勢いる。全員から、そのカードを没収する必要がありそうだ」
「そう言えば、芦田先生と大地は元気かな……没収する必要もなく、そのカードを自分から叩き返してくれたけど」
彩吹も言った。
「ねえ井沢さん、そっちはそっちで言い分があるだろうけど……まあ、掌を返されて腹が立つのはわかるよ」
「貴方が、大勢の人々から裏切られたのは事実……その憎しみを捨てなさい、なんてお説教は出来ませんよね」
澄香は、微笑んで見せた。
偽善者と思われているかも知れないが構わなかった。
「……今度、一緒にご飯を食べましょう。良かったら、私の勤め先にいらして下さい。もちろん御馳走します。貴方が何とおっしゃっても、奢りますからね」
「やはり……物乞いに見えてしまうようだな、今の私は」
澄香が手渡したカードを受け取りながら、井沢が暗く笑い、煙草を吹かす。
「……君たちも、いつまた連中に掌を返されるかわからない。それだけは、まあ忠告しておこう」
「何度返されても、私たちは変わりません」
澄香は言った。
押し付けがましい、と井沢は感じているかも知れないが構わなかった。
「力も正義も、私たちは否定しません。どのように使うのが正しいのかを模索している最中です。井沢さん、いつか貴方も力を貸して下さい」
井沢は無言で、溜め息のように煙を吐きつつ去って行く。
たまきが俯いた。
「私たちに出来る事は……ここまで、なのでしょうか。言葉をお掛けする事も出来ませんでした。何を言っても、空々しいものになってしまいそうで……」
「いつか、手を握ってあげる事くらいは出来るかも知れません。いつかは、ね」
恵が言い、ちらりと翔の方を見た。
「ところで……成瀬くんは結局、何を思い悩んでいたのですか?」
「いや、大した事じゃ……」
彩吹が、何か思い出したような声を発した。
「聞いたよ、翔。いじめを解決したんだって?」
「そんなんじゃねえ……まあ、クラスにそういう事してる奴らがいてさ」
その話は、澄香も聞いていた。
翔のクラスで、1人の男子生徒が、暴力を振るわれたり持ち物に落書きをされたりといった目に遭っていたらしい。
中心となっていたのは1人の少年で、ある時、翔は彼と直に話をしたという。
「オレ、そいつとも話したし、他の皆とも話した。やめようぜ、って」
「やめてくれたんだね?」
「まあ……な」
蒼羽の言葉にそう答えつつも、翔は嬉しそうではなかった。
「……そいつ、学校来なくなっちまった」
「なるほど、掌を返されましたか」
恵が言う。
「皆と一緒に、いじめをしていた。それはとても楽しかったのでしょう……だけど成瀬くんの説得で皆、いじめをやめてしまった。掌を返された、と感じたのでしょうね」
「一緒に楽しんでたくせに、なんて思ってるだろうね」
彩吹が腕組みをする。
翔は、夜空を見上げた。
「何が正しいか、なんて……わかんねーよな。本当に」
人々の心の中に、イレブンの亡霊が棲み着いている。野党議員・三枝義弘の言葉である。
その亡霊が顕現した、という事なのだろうか。
これらを斃す事で、人々の心から亡霊が消え失せてくれるならば、これほど楽な事はない、と『意志への祈り』賀茂たまき(CL2000994)は思う。
「楽は出来ない、という事……」
深夜の市街地で、電光が荒れ狂う。
そんな光景の中に佇みながら、たまきは前世の自分と同調を行った。
電光の嵐が、路面を粉砕し、建物の外壁を打ち砕く。
コンクリ一トが崩落してゆく。路上生活者と思われる、1人の男の頭上にだ。
その時には、3人の翼ある女性たちが動いていた。『居待ち月』天野澄香(CL2000194)、『エリニュスの翼』如月彩吹(CL2001525)、それに梶浦恵(CL2000944)だ。
人を救う天使の如く飛翔しながら、澄香が羽ばたいて風を起こし、暴風の砲弾を放つ。彩吹が、飛び蹴りの形に突っ込んで行く。
風の砲弾が、蹴りが、巨大なコンクリ一ト片を粉砕していた。
細かな破片と粉塵が、舞い散り降り注ぐ、その中から恵が男を連れ出して行く。
「さあ、こちらへ」
「君たちは……」
中年、と言うよりは初老と思われる、その男が、口調暗く呟いた。
「……ファイヴの覚者たち、か。やはり来てしまうのだな」
「悔しいだろうね、私たちに助けられるなんて」
彩吹が言った。
「まあ、相手の気持ちも考えず人助けをするのが私らの仕事だからね。いこうか、澄香」
「ええ。梶浦さん、その人をお願いしますね!」
澄香の翼から、清廉珀香の粒子がキラキラと飛散する。
その煌めきを身にまといながら、恵が男の身体を細腕で抱き捕える。
「お任せ下さい……さあ、危険区域外まで御案内しますよ。貴方に拒否権はありませんから」
翼をはためかせ、男を空中へと案内と言うより拉致して行く恵。猛禽が獲物をさらった、ようでもある。
ともかく、避難して行く要救助者に妖の攻撃が向かわないようにするのが、たまきたちの役目であった。
「人の心より生まれ、世の理に背いて存在し続けるもの……土へと、還します。それが土行の力!」
素早く印を切りながら、たまきは見据えた。人の心より生まれた、妖の姿を。
燃え盛る霊体で組成された、巨大な美少女が2体。
「『力の乙女』と『正義の女神』か、なるほどね」
見上げ、何やら感心しているのは、『地を駆ける羽』如月蒼羽(CL2001575)である。
「昼間だったら、酷い事になっていただろうね。一般人にも容赦のない、正義と力……今のところ人的被害は無し、か」
恵に飛行運搬されて行く男の姿を、蒼羽はちらりと確認した。
「……もう少し明るくさせてもらおうか。頼むよ、ナギ」
彼の守護使役が、夜空に浮いて炎を吐いた。闇夜の太陽とも言える光源。
それに抗うかの如く、2体の妖が輝きを強めてゆく。燃え盛るような、だが暖かさをもたらしはしない、冷たい怨念の輝き。
直視しながら蒼羽は、たまきと同じく、前世との同調を実行した。
「こんなに冷たい正義と力は要らない。頑張って取り除くとしようか、翔くん」
「ああ……やろうか、そわさん」
元気がない。最も熱い正義を抱いていそうな『天を翔ぶ雷霆の龍』成瀬翔(CL2000063)がだ。
思い悩んでいる、ようでもある。が、それを戦闘時まで引きずるような翔ではなかった。
「……わかるぜ。掌、返されたら辛いよな。けどよっ」
彼の掲げたカクセイパッドの画面内で、白虎が吼えた。咆哮が雷鳴となり、稲妻が迸る。
雷獣の電光が、妖2体を直撃した。
2つの巨大な霊体が、電撃に灼かれながらも即座に反撃を繰り出して来る。
力の乙女が、一見たおやかな五指で拳を握る。正義の女神が、長剣を振り下ろす。
両方とも自分に向けられている、とたまきが気付いた時には遅かった。
「たまきさん!」
翔が叫ぶ。
大丈夫、と応えられずに、たまきは血を吐き、倒れた。
霊体の剣が、外傷を残さずに体内のどこかを切り裂いていた。
霊体の拳が、たまきを路面に叩き付けていた。
タロットカードの中で、乙女の細腕に押さえ込まれた獅子の如く。たまきの力が、抑え封じられていた。
「こ……これが……」
辛うじて、たまきは声を発した。
「イレブンに関わった、多くの方々の……失意の念……」
「正義、ではないね。ただの憎しみだ。その方が、わかりやすくて健全だよ」
蒼羽が、たまきを庇うように両腕を伸ばす。
その両前腕で、ショットガントレットが放電を起こした。
電光が、正義の女神と力の乙女をバチバチッ! と縛り上げる。
拘束された妖2体に、疾風がぶつかって行く。
彩吹の、鋭刃想脚だった。強靭な美脚が一閃し、2つの霊体を激しく通過する。切り裂いた、ように見えなくはないのだが。
「やっぱり……心霊系が相手だと効きが悪いね。数を食らわせるしかないか」
「我が家の姫君、あまり無理をなさらないように」
着地した妹に、蒼羽が声をかける。
「……力の乙女に、正義の女神。まるで、お前みたいじゃないか?」
「あいにく今回の私は悪役だよ。何しろ正義の女神を倒そうってんだから」
彩吹が言った。
「……如月家で汚れ役をやるよ。覚悟はいいの? 正義のヒーロー」
「怪人だって何回も演じたさ。悪役の心構えはね、奥村さんに叩き込まれたから」
「私あの人にスカウトされた事あるよ。彩吹ちゃんなら男のヒーローも演れる、とか言ってさ。失礼な人だったよね」
「それは見てみたいなあ」
如月家の兄妹がそんな会話をしている間、澄香が近くに降り立っていた。まるで天使の降臨のように。
「お待たせしました……大丈夫ですか? たまきちゃん」
天使のようなものが、澄香のたおやかな両腕から解放された。火の鳥、のようでもあるそれが、たまきの身体に溶け込んで来る。
力の乙女に叩き込まれた重圧と封印が、体内で焼き溶かされてゆくのを、たまきは感じた。
「澄香さん……ありがとう、ございます」
たまきは立ち上がり、路面に旗竿を打ち立てた。
いや旗ではない。大型の術符を結わえ付けた、杭である。
大旗のような術符が、風もないのに激しくはためいた。
「猛襲・滅殺の型、無頼濁流符! 急々たること律令の如し!」
はためき狂う術符から、力の嵐が迸る。純粋な破壊力の塊。
それが妖を直撃し、女神・乙女の形を成した霊体を激しく揺るがす。
「やったか!?」
「まだです、翔さん……」
たまきは応えた。
「人の心が生んだ妖よ……私たちが憎いのでしたら、いくらでもお相手しましょう。その力を、剣を、雷を、私たち以外の誰かに向ける事は許しませんよ」
●
彩吹が「質より量」の戦法に徹していた。
黒い羽を舞い散らせながら、獲物を引き裂く猛禽の動きを見せている。形良く鍛え込まれた長い両脚が、様々な蹴りの形に躍動し、妖2体を切り裂きにかかる。
女神と乙女の姿を組成する霊体が、ズタズタに掻き回され、渦を巻く。どれほどの痛手になっているのかは、わからない。
陸橋の上から、男はその戦いをじっと眺めている。
路上生活者と思われる男を、ここまで運んだ。あとは自力で逃げて欲しいところであるが、恵は言った。
「梶浦恵と申します。貴方は……?」
「……井沢という」
「では井沢さん、貴方は私たち覚者を憎んでいる……わけでは、ないですね?」
「君ら覚者が、世の中に必要な存在なのだろうという事はわかる。今は、ね……あの頃は、危険な怪物の類としか思えなかった」
井沢の視線の先では、渦巻く霊体が荊に切り裂かれていた。
澄香の『棘散舞』。正義の女神の形に戻ろうとする霊気の渦を、無数の荊が束縛し、切り刻みにかかる。
形を失いかけたまま苦しみもがく正義の女神。そこへ、雷鳴を伴う閃光が激突してゆく。
翔が、蒼羽が、揃って印を結び、電光を召喚していた。覚者2人分の雷獣。
電光の嵐が、妖2体分の巨大な霊気を粉砕せんと荒れ狂う。夜の街を、禍々しく照らしながら。
その様を見物しつつ、井沢は言った。
「あんな力があれば、私たちを皆殺しにする事も容易かろう?」
「……そう、思いますか」
「皆殺しにしてはくれんかなあ、本当に」
井沢が、虚ろな笑みを浮かべている。
「今更、君ら覚者に対する恨みなどないよ。そう、君の言う通り。私が本当に憎いのは……掌を返す連中だ」
「逃げて欲しい、とは思いましたが……迂闊に動かれるより、大人しくしていてもらった方が安全かも知れません。ここを動かないで下さいね、井沢さん」
恵は、翼を広げて跳躍し、陸橋から飛び立った。
井沢の、心を救う事は、この場では出来ない。出来るのは、身の安全の確保までだ。
「覚者の力で、人の心まで救うなど……思い上がり、なのでしょうね」
静かに呟きながら、恵は空中で術符を掲げた。
雷鳴が轟き、夜空に亀裂が走るかの如く稲妻が天下り、妖2体を直撃していた。
●
恵の雷獣が、正義の女神と力の乙女を一緒くたに灼く。
これだけ雷獣や棘散舞を叩き込んだのだ。電撃の痺れか、荊の毒気か、どちらかが効いている。
2体の妖は、女神や乙女の姿を崩壊させながら動けずにいた。
彩吹としては、行うべき事は1つしかない。
鋭刃想脚、蹴りによる疾風双斬。物理的破壊が困難な霊体に対し、ひたすら蹴りを叩き込んでゆく。叫びながら。
「梶浦さん、あの人は!?」
「危険区域外へ避難完了です。梶浦恵、これより戦闘に参加しますね」
「助かります……」
澄香が、タロットカードを掲げた。
「誤った力と正義を、正しましょう……この節制と世界のカードで、完全なる調和を」
平和的な呟きに合わせ、棘散舞の荊が凶暴に荒れ狂い、妖の霊体をズタズタに切りさいなむ。霊気の飛沫が、鮮血の如く散る。
そこへ、翔と蒼羽が狙いを定めた。
「へへっ……こうやってると龍牙の最終回みてーだよな、そわさん。龍牙1号と2号が、力合わせてさ」
「いいね、元気が出て来たじゃないか翔くん。何か思い悩んでいたようだけど」
翔のカクセイパッドから、蒼羽のショットガントレットから、電光が迸った。先程と同じ、雷獣の合わせ技。
それに、たまきが加わった。
「お悩み事なら、話して下さいね翔さん。私がお役に立てるとは思えませんが、黙って心に溜めておくより良いと思いますからっ」
術符の大旗から、力が溢れ放たれる。
電光の嵐が、破壊力の波動が、妖2体を直撃し、飛散する霊体の破片を蹴散らして荒れ狂う。
その様を見据えながら、翔が言った。
「悩み、ってわけじゃねーんだよ。ただな……あのおっさんを見て、ちょっと思い出しちまった事があってさ」
「……確かに、色々と考えさせてくれる人ですね。あの井沢さんは」
言いつつ、恵が羽ばたいた。風が起こり、暴風の砲弾となって発射される。エアブリット・改。
その直撃を喰らった正義の女神が、砕け散った。
いや。砕け散ったように見えた霊体が、禍々しく発光しながら凝集し、凛とした女神の姿を取り戻していた。
正義の女神が、それに力の乙女が、電光と荊の拘束を引きちぎる。
「何……っ」
彩吹が息を呑んでいる間、力の乙女が細腕を振るい、何かに向かって号令を下した。
その何かが、目に見える形となって出現した。霊体で構成された、巨大な獅子。
牙が、爪が、彩吹とたまきを切り裂いた。大量の血飛沫が噴出した。
たまきの状態を確認している暇もなく、正義の女神が天秤を掲げる。
雷獣への返礼かと思えるほどの電光が生じて荒れ狂い、覚者6人を猛襲する。
「これが……なるほど、裁きの雷……って、わけだね……」
倒れながら、彩吹は呻いた。
蒼羽も、澄香も、恵も、倒れている。
たまきと翔は、よろめきながらも立っていた。
力の乙女と正義の女神が、揺らいでいる。
「……すげえ攻撃、だったぜ。ちょっとだけ、返させてもらった」
弱々しくも「八卦の構え」を維持した翔が、苦しげに微笑む。
たまきが、守りの術式「紫鋼塞」に身を固めたまま、妖2体を見据えて叫ぶ。
「まだっ……あなた方の失意は、無念は、憎しみは、そんなものではないでしょう!? 全て、私たちが受けます!」
●
大地の力そのものが、アスファルトを粉砕しながら隆起する。
たまきの「隆神槍」。その直撃に貫かれた正義の女神が、砕け散った。霊体が霧状に舞い散り、消えてゆく。
「皆さん、あと一息です!」
激励と共に澄香は翼を広げ、光を降らせた。夜闇の中に木漏れ日が生じ、覚者たちに降り注ぐ。
術式治療を得た彩吹と翔が、立ち上がって印を切った。
「たまには攻撃術式でも使ってみようかな……翔、お手本見せてよ」
「え……こ、こんな感じ? いや手本なんて」
風の砲弾と光の矢……エアブリットとB.O.T.が速射され、力の乙女に突き刺さる。
速射を追いかけるように、蒼羽が踏み込んだ。
斬・二の構えからの、超高速の手刀。斬撃が、乙女の巨体を形作る霊気を激しく蹴散らした。
「こちらの方が性に合う、とは言え僕ももう少し術式を鍛えないとね……おっと」
霊体の獅子が発生し、牙を剥き、襲いかかって来る。
その牙を、爪を、前衛の彩吹とたまきが身体で止めている間。
恵が、片手で拳銃を作り、狙いを定めた。左目をつむり、右目で敵を見据える。
彼女の、理知的な美貌を飾る眼鏡。そこに一瞬、照準器の模様が浮かんだように澄香には見えた。
ともかく。恵のたおやかな指先からエアブリットが発射され、力の乙女を撃ち砕いた。
砕け、霧散した霊気が、夜闇の中に消え失せてゆく。
正義の女神も、力の乙女も、完全に消滅していた。
「お見事」
「いえ……私は、とどめを刺しただけですから」
蒼羽の賛辞にそう応えながら、恵は溜め息をついた。
「お煙草……よろしいですか? 成瀬くん、賀茂さん」
「ああ、どうぞ」
翔が答え、たまきが頷く。
手際良く煙草に火を点け、煙を吹きながら、恵は声を投げた。
「……1本、差し上げましょうか? 井沢さん」
「物乞いに見えてしまうのかな、今の私は」
どうやら井沢というらしい男が、いつの間にか、そこに居た。
「……まあ、いただけるのであれば有り難く」
「ただで、とは言いません。貴方が一番、大切にしていたものを下さい」
恵が、容赦のない事を言う。
「……貴方が今まで、後生大事に持っていたものです。本当は要らないのでしょう?」
井沢が無言で、恵に手渡したもの。それは1枚のタロットカードだった。表は『力』、裏は『正義』。
2つの絵柄が、炎に舐め取られてゆく。恵が、ライターで火を点けていた。
炎を見つめながら、蒼羽が言う。
「井沢さん、でしたね。貴方のような人たちが、きっとまだ大勢いる。全員から、そのカードを没収する必要がありそうだ」
「そう言えば、芦田先生と大地は元気かな……没収する必要もなく、そのカードを自分から叩き返してくれたけど」
彩吹も言った。
「ねえ井沢さん、そっちはそっちで言い分があるだろうけど……まあ、掌を返されて腹が立つのはわかるよ」
「貴方が、大勢の人々から裏切られたのは事実……その憎しみを捨てなさい、なんてお説教は出来ませんよね」
澄香は、微笑んで見せた。
偽善者と思われているかも知れないが構わなかった。
「……今度、一緒にご飯を食べましょう。良かったら、私の勤め先にいらして下さい。もちろん御馳走します。貴方が何とおっしゃっても、奢りますからね」
「やはり……物乞いに見えてしまうようだな、今の私は」
澄香が手渡したカードを受け取りながら、井沢が暗く笑い、煙草を吹かす。
「……君たちも、いつまた連中に掌を返されるかわからない。それだけは、まあ忠告しておこう」
「何度返されても、私たちは変わりません」
澄香は言った。
押し付けがましい、と井沢は感じているかも知れないが構わなかった。
「力も正義も、私たちは否定しません。どのように使うのが正しいのかを模索している最中です。井沢さん、いつか貴方も力を貸して下さい」
井沢は無言で、溜め息のように煙を吐きつつ去って行く。
たまきが俯いた。
「私たちに出来る事は……ここまで、なのでしょうか。言葉をお掛けする事も出来ませんでした。何を言っても、空々しいものになってしまいそうで……」
「いつか、手を握ってあげる事くらいは出来るかも知れません。いつかは、ね」
恵が言い、ちらりと翔の方を見た。
「ところで……成瀬くんは結局、何を思い悩んでいたのですか?」
「いや、大した事じゃ……」
彩吹が、何か思い出したような声を発した。
「聞いたよ、翔。いじめを解決したんだって?」
「そんなんじゃねえ……まあ、クラスにそういう事してる奴らがいてさ」
その話は、澄香も聞いていた。
翔のクラスで、1人の男子生徒が、暴力を振るわれたり持ち物に落書きをされたりといった目に遭っていたらしい。
中心となっていたのは1人の少年で、ある時、翔は彼と直に話をしたという。
「オレ、そいつとも話したし、他の皆とも話した。やめようぜ、って」
「やめてくれたんだね?」
「まあ……な」
蒼羽の言葉にそう答えつつも、翔は嬉しそうではなかった。
「……そいつ、学校来なくなっちまった」
「なるほど、掌を返されましたか」
恵が言う。
「皆と一緒に、いじめをしていた。それはとても楽しかったのでしょう……だけど成瀬くんの説得で皆、いじめをやめてしまった。掌を返された、と感じたのでしょうね」
「一緒に楽しんでたくせに、なんて思ってるだろうね」
彩吹が腕組みをする。
翔は、夜空を見上げた。
「何が正しいか、なんて……わかんねーよな。本当に」
■シナリオ結果■
成功
■詳細■
MVP
なし
軽傷
なし
重傷
なし
死亡
なし
称号付与
なし
特殊成果
なし
