憎しみを見つめる少女
●
こんな体型だが、河童である。泳ぎは得意な方だ。相撲だけでなく泳ぎも出来なければ、河童の社会では上に立てない。
地底に広がる暗黒の湖を、私は泳ぎ潜って行った。
水中の奥深くに、巨大な闇の塊が鎮座している。
私は語りかけてみた。
「まだ機嫌が直らぬか、御大将」
『直りかけておったものを……あの、七星剣とやらいう者どもが……っ』
暗黒の水中で、御大将は声を震わせている。巨体を震わせている。地上では今頃、微かな地震が起こっているかも知れない。
『人間たちが居らぬ頃は、良かったのう……地上は、ちょっとやそっと地盤が揺らいだ程度では動じぬ者どもばかりであった。わしもな、気兼ねなく癇癪を起こすが出来た』
「御大将の癇癪1つで、恐竜やナウマン象であればまあ尻餅をつく程度で済む。人間は建物に押し潰されて死ぬ。難儀な事よなあ」
『人間という、たやすく死んでしまう者どもがな、我らに対して牙を剝く……そのように仕向けておるのが、あの七星剣とやらよ。ああ許せぬ、どうにかならぬものか』
「覚者たちに任せておくしかなかろう。御大将らしく、どんと構えておれば良い」
『頭ではわかっておるのだ! 頭では……』
御大将は泣いていた。
●
宗教法人『ひかりの目』本部施設と、その周囲に広がる農村の風景。
それを今、教祖と本尊である兄妹が、丘陵の上から見下ろし見渡しているところである。
「まだ聞こえるのか、恵」
教祖である祁答院晃が、言った。
「ひたすらに復讐を叫ぶ、古妖の声が」
「……その方は、もう復讐を叫んではいないわ」
恵は答えた。
「身を焦がすほどの憎しみに、今は苦しんでおられる。苦しみに悶えただけで、地上に凄まじい災害が起こる。そんな御方よ」
「災害が起こらぬよう、怒り憎しみを抑えてくれているというわけか……だけど」
地面が、またしても揺れた。
よろめいた恵を抱き支えながら、晃が言う。
「……それも、そろそろ限界か」
「古妖狩人、だけではなく七星剣までもが今、あの方を怒りと憎しみで苦しめるような行いをしている」
七星剣を止めるのは、ファイヴに任せておくしかない。
今、自分に出来る事は何か。
「私は……あの方の苦しみを、怒りを、憎しみを、少しでも和らげなければならない。古妖の心を見つめる覚者として」
「……やっぱり、そうなってしまうんだな。お前は見て見ぬ振りが出来ない子だ」
晃が、難しい顔をしている。
「止めても、無駄だろうな」
「いえ、お兄様には私を止めて欲しいの」
言いつつ、恵は目を閉じた。代わりに、第三の目が額で開いた。
「万が一の時には、私を止めて……」
「万が一とは何だ、おい恵……」
兄の言葉には応えず、恵は語りかけた。地の底で怒り震える、巨大なものに。
「聞こえますか、大いなる御方……ごめんなさい。私には、貴方の復讐をお手伝いする事は出来ません」
『……そなたか、竜宮と縁を持つ少女よ』
巨大な思念が、地の底から返って来た。
『復讐は、もう良い……わしはただ、己のむかっ腹に耐えるのが苦しいだけだ。わしは、その程度の存在なのだ。放っておけい』
「貴方の、その苦しみを……怒りを、憎しみを、私に分けて下さい」
『……肩代わりでも、しようと言うのか。いささか思い上がりが過ぎはせぬか、人間の少女よ』
「思い上がりであろうと、私がやらなければならない事です。さあ、貴方の心を、憎しみを、どうか……見つめさせて……下さい……」
第三の目で、恵は見据えた。
禍々しく荒れ狂うものが、見えてしまう。見据えるしかなかった。
「そう……確かに、許せない……でしょうね、古妖狩人や七星剣を……私も、あの方々が許せない……憎い……これが、貴方の憎しみ……」
今、己の胸中にあるものが、自分の心であるのか、古妖の心であるのか、恵はわからなくなり始めていた。
「憎い相手を、攻撃する……貴方がそれをすれば、憎い相手ではない様々なものをも滅ぼしてしまう……だから貴方は、何も出来ない……これが、貴方の苦しみ……」
目を閉じたまま、恵は涙を流していた。
「苦しい、でしょうね……ひどい、ひど過ぎる……私は、人間が許せない……」
『もうやめろ、少女よ』
地の底の古妖が、言った。
『そなたの気持ちはわかった、もう良い……人間が許せぬなどと、そなたは言ってはならん』
「恵、おい恵! しっかりしろ」
誰かが語りかけてくる。誰なのかは、よくわからない。
人間か、ならば許せない。殺すしかない。
「万が一とは、こういう事か……くそっ、僕はお前を止めるぞ! 恵!」
恵、とは誰の事か。それも、わからない。
ただ、記憶の奥底で、1人の男が語っているのはわかる。
君には、神様がいるそうですね。
神様の声を聞いているうちに、人間ではなくなってしまう事もあります。私はそれを『破綻』と呼んでいるのですが……君には一番、期待しているのですよ。祁答院恵君。
こんな体型だが、河童である。泳ぎは得意な方だ。相撲だけでなく泳ぎも出来なければ、河童の社会では上に立てない。
地底に広がる暗黒の湖を、私は泳ぎ潜って行った。
水中の奥深くに、巨大な闇の塊が鎮座している。
私は語りかけてみた。
「まだ機嫌が直らぬか、御大将」
『直りかけておったものを……あの、七星剣とやらいう者どもが……っ』
暗黒の水中で、御大将は声を震わせている。巨体を震わせている。地上では今頃、微かな地震が起こっているかも知れない。
『人間たちが居らぬ頃は、良かったのう……地上は、ちょっとやそっと地盤が揺らいだ程度では動じぬ者どもばかりであった。わしもな、気兼ねなく癇癪を起こすが出来た』
「御大将の癇癪1つで、恐竜やナウマン象であればまあ尻餅をつく程度で済む。人間は建物に押し潰されて死ぬ。難儀な事よなあ」
『人間という、たやすく死んでしまう者どもがな、我らに対して牙を剝く……そのように仕向けておるのが、あの七星剣とやらよ。ああ許せぬ、どうにかならぬものか』
「覚者たちに任せておくしかなかろう。御大将らしく、どんと構えておれば良い」
『頭ではわかっておるのだ! 頭では……』
御大将は泣いていた。
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宗教法人『ひかりの目』本部施設と、その周囲に広がる農村の風景。
それを今、教祖と本尊である兄妹が、丘陵の上から見下ろし見渡しているところである。
「まだ聞こえるのか、恵」
教祖である祁答院晃が、言った。
「ひたすらに復讐を叫ぶ、古妖の声が」
「……その方は、もう復讐を叫んではいないわ」
恵は答えた。
「身を焦がすほどの憎しみに、今は苦しんでおられる。苦しみに悶えただけで、地上に凄まじい災害が起こる。そんな御方よ」
「災害が起こらぬよう、怒り憎しみを抑えてくれているというわけか……だけど」
地面が、またしても揺れた。
よろめいた恵を抱き支えながら、晃が言う。
「……それも、そろそろ限界か」
「古妖狩人、だけではなく七星剣までもが今、あの方を怒りと憎しみで苦しめるような行いをしている」
七星剣を止めるのは、ファイヴに任せておくしかない。
今、自分に出来る事は何か。
「私は……あの方の苦しみを、怒りを、憎しみを、少しでも和らげなければならない。古妖の心を見つめる覚者として」
「……やっぱり、そうなってしまうんだな。お前は見て見ぬ振りが出来ない子だ」
晃が、難しい顔をしている。
「止めても、無駄だろうな」
「いえ、お兄様には私を止めて欲しいの」
言いつつ、恵は目を閉じた。代わりに、第三の目が額で開いた。
「万が一の時には、私を止めて……」
「万が一とは何だ、おい恵……」
兄の言葉には応えず、恵は語りかけた。地の底で怒り震える、巨大なものに。
「聞こえますか、大いなる御方……ごめんなさい。私には、貴方の復讐をお手伝いする事は出来ません」
『……そなたか、竜宮と縁を持つ少女よ』
巨大な思念が、地の底から返って来た。
『復讐は、もう良い……わしはただ、己のむかっ腹に耐えるのが苦しいだけだ。わしは、その程度の存在なのだ。放っておけい』
「貴方の、その苦しみを……怒りを、憎しみを、私に分けて下さい」
『……肩代わりでも、しようと言うのか。いささか思い上がりが過ぎはせぬか、人間の少女よ』
「思い上がりであろうと、私がやらなければならない事です。さあ、貴方の心を、憎しみを、どうか……見つめさせて……下さい……」
第三の目で、恵は見据えた。
禍々しく荒れ狂うものが、見えてしまう。見据えるしかなかった。
「そう……確かに、許せない……でしょうね、古妖狩人や七星剣を……私も、あの方々が許せない……憎い……これが、貴方の憎しみ……」
今、己の胸中にあるものが、自分の心であるのか、古妖の心であるのか、恵はわからなくなり始めていた。
「憎い相手を、攻撃する……貴方がそれをすれば、憎い相手ではない様々なものをも滅ぼしてしまう……だから貴方は、何も出来ない……これが、貴方の苦しみ……」
目を閉じたまま、恵は涙を流していた。
「苦しい、でしょうね……ひどい、ひど過ぎる……私は、人間が許せない……」
『もうやめろ、少女よ』
地の底の古妖が、言った。
『そなたの気持ちはわかった、もう良い……人間が許せぬなどと、そなたは言ってはならん』
「恵、おい恵! しっかりしろ」
誰かが語りかけてくる。誰なのかは、よくわからない。
人間か、ならば許せない。殺すしかない。
「万が一とは、こういう事か……くそっ、僕はお前を止めるぞ! 恵!」
恵、とは誰の事か。それも、わからない。
ただ、記憶の奥底で、1人の男が語っているのはわかる。
君には、神様がいるそうですね。
神様の声を聞いているうちに、人間ではなくなってしまう事もあります。私はそれを『破綻』と呼んでいるのですが……君には一番、期待しているのですよ。祁答院恵君。

■シナリオ詳細
■成功条件
1.破綻者・祁答院恵の撃破
2.なし
3.なし
2.なし
3.なし
宗教団体『ひかりの目』の生ける本尊たる覚者の少女・祁答院恵が、古妖・大鯰の心と同調し、その怒りと憎しみに支配され、破綻者となっております。
彼女は放っておけば殺戮を開始するので、ここで止めて下さい。普通に戦って体力を0にしていただければ、死なずに止まります。
破綻者・祁答院恵(女、14歳。水行怪。深度2)の使用スキルは破眼光、伊邪波、海衣。
場所は開けた丘陵の上で時間帯は真昼。
教団指導者で恵の兄である覚者・祁答院晃が、妹を止めようとして倒され、恵の眼前で死にかけております。あと一撃でも攻撃を受ければ死亡します。治療を施す事は可能ですが、彼に妹と戦う事は出来ませんので戦闘参加は不可能であります。
ちなみに大鯰とは会話が出来ます。
彼には恵を破綻させる気など毛頭ありませんでしたが、結果として破綻が起こってしまいました。思いきり責めなじるのも一興かと思われます。
それでは、よろしくお願い申し上げます。
状態
完了
完了
報酬モルコイン
金:0枚 銀:1枚 銅:0枚
金:0枚 銀:1枚 銅:0枚
相談日数
7日
7日
参加費
100LP[+予約50LP]
100LP[+予約50LP]
参加人数
6/6
6/6
公開日
2018年11月09日
2018年11月09日
■メイン参加者 6人■

●
祁答院恵は、七星剣における私の最も有望な生徒でした。そう篁君、申し訳ありませんが君よりも。
萩尾高房の言葉を、篁三十三(CL2001480)は思い返していた。
そうしながら、見据える。第三の目を禍々しく発光させて佇む、1人の少女を。
「祁答院恵……君は、言ってみれば僕の妹弟子だ。だからというわけではないけれど、少し厳しい事を言わせてもらう」
言葉は、恐らく届いていない。構わず三十三は言った。
「他者の怒りに共感するのは、美徳かも知れない。だけど受け止められなくては意味がないんだ! 受け止められずに呑み込まれ、周囲に迷惑をかけてしまうようでは!」
最も迷惑を被っているのは、少女の兄であろう。
妹に殺されかけていた青年が、桂木日那乃(CL2000941)に引きずられて来る。
「篁さん……治療お願い、ね」
「任された。もちろん、誰も死なせるわけにはいかないけれど」
三十三は翼を広げ、水行の癒しの力を放散した。『癒しの霧』が、青年の瀕死の肉体を包み込む。
「自分の兄を、殺す……そんな事を、させてはならない」
宗教法人『ひかりの目』代表者、祁答院晃。破綻者と化した少女の、兄である。
前衛で、その少女と対峙しているのは、『エリニュスの翼』如月彩吹(CL2001525)と『鬼灯の鎌鼬』椿屋ツバメ(CL2001351)だ。
「よし、お兄ちゃん頑張った。あとは私たちに任せてもらうよ」
彩吹の言葉に、晃は応えない。意識を失っている。
「恵、1人で全てを抱えるな! 背負い込むな!」
火行因子を燃え上がらせて『灼熱化』を実行し、第三の目を赤く輝かせながら、ツバメが恵に呼びかける。
「それは恵の良い部分、優しい部分なのだろうが……今回は、私たちを頼ってもらうぞ」
「人助けの押し売りもファイヴの仕事だからなっ。恵、助けに来たぜ!」
言葉を投げつつ『天を翔ぶ雷霆の龍』成瀬翔(CL2000063)が印を結び、術式攻撃の構えに入った。
翼と細腕を舞わせ、同じく術式の構えを取っているのは、『天を舞う雷電の鳳』麻弓紡(CL2000623)だ。
「水臭いよー、おみつめちゃん。いつも死にかけてる教祖サマだけじゃなくて、ボクらにも声かけてくれたらいいのにさ」
桜の花びらが無数、舞い散りながら渦を巻き、覚者6人を包み護る。
「というわけで声かからなくても勝手に来ちゃった。ご機嫌いかが? おみつめちゃん」
「良くはなさそうだね。恵がこんなに怒るなんて、珍しい」
言いつつ彩吹が、体内で火行因子を活性化させる。
「……ご本尊として、心優しい聖女様であり続けなきゃいけない。たまには怒って暴れたくもなるかな」
彩吹の言葉通り、と言うべきなのだろうか。
祁答院恵の額では、第三の目が爛々と燃え盛っている。本来の両眼は、輝きを失っている。可憐な美貌から、表情と感情が一切、失われているのだ。
「……だけどね、それは恵の怒りじゃないだろう?」
語りかけながら、彩吹が踏み込む。羽ばたく。
「それは古妖の怒り、今の恵は呑み込まれてるだけ……駄目だよっ、それじゃあ!」
黒い羽根が目くらましのように舞い、それと同時に斬撃の閃光がいくつも生じた。美しく鍛え込まれた両脚が、様々な蹴りの形に閃いていた。
並みの隔者や妖であれば、ズタズタに蹴り裂かれて跡形も残らぬところである。
よろめく恵の細い全身から、しかし暴走する力そのものが噴出して渦を巻き、不可視の防御壁を成しているようであった。
「恵、お前……自分の力ってもの、わかってねーだろ!」
翔が、怒声と雷鳴を轟かせる。
雷獣だった。迸った電光が、恵を直撃する。
硬直した破綻者の少女に向かって、翔は間髪入れず踏み込んで行く。ゴールを狙うサッカー選手のように。
鋭刃想脚が、サッカーボールではなく恵の身体に叩き込まれる。
少女の細身が痛々しくへし曲がり、大量の鮮血を噴出させる。
いや違う。血ではなく、水が迸っていた。
ウォータ一ジェットにも等しい、水行の力の奔流が、翔それに日那乃をも襲う。
「ぐっ……だ、大丈夫か日那乃……!」
「……平気」
防御の形に翼を閉じた日那乃が、愛らしい歯を食いしばって吐血を噛み殺す。
よろめく彼女を、紡が後方から抱き支えた。
「相棒は、あれでしょ。女の子を蹴っ飛ばすなんてダメとか考えちゃってるよね? たとえ戦いでも」
「ま、まあな」
「おみつめちゃんはねー、言っちゃ悪いけど、そこで倒れてるお兄ちゃんより強いよ?」
言葉と共に紡が、術式の光をキラキラと拡散させる。演舞・清爽だった。
「ガンガン行っちゃって大丈夫。この子、ちゃんとガンガンやり返してくれるから。そしたらボクの防御術式で守ったげるから」
「怪我人、出たら……わたし、治す」
日那乃が、水行の治癒力を『潤しの雨』として降らせた。
「恵さん……あなたの攻撃、怒り、憎しみ、ぜんぶ受ける」
●
恵が語りかけた相手は、巨大生物が地上を闊歩していた時代から存在し続けている、言ってみれば地球の先住者である。
そんな者の心と、精神と、意識の同調を試みる。
無謀だ、と責め詰る事がツバメには出来ない。
(私も、それをやろうかと思った。最初、大鯰の声を聞いた時に……だけど出来なかったのは)
「地球の先住者の……圧倒的な意識の巨大さに、私が怖じ気付いたからだ。恵、お前は私よりも勇敢なのだろう。だがな、やはり無茶だ!」
ゆらりと佇む、破綻者の少女。
その細身を抱き締めるように、ツバメは踏み込んで行った。
「お前がやろうとしていた事は、お前が1人で試みるべきではなかった。まずは私たちに声をかけてくれれば良かった! 皆で力を合わせれば、古妖の怒りだって受け止められた!」
叫びながらツバメは、恵の身体に術式封じの紋様を刻み込んだ。『螺旋崩し』であった。
「……いや、今からでも遅くはない。恵、私たちと力を合わせよう。一緒に、古妖の怒りを受け止めるんだ」
「古妖の、怒り……私たちは、それを受け止め……実行、しなければならない……」
恵が、ようやく言葉を発した。
「古妖の心を、体現する……それが、私たちの使命だから……」
「恵……」
同じだ、とツバメは思った。あの金城元、それに三ツ目入道と共にいた者たち。恵は今、彼らと同じ状態にある。否、彼らよりも進んでしまった。
恵の細い全身から、力が溢れ出した。
ツバメの抱擁を振りちぎった恵に、黒い疾風が激突する。
「恵、駄目だよ。他者の怒りに引きずられて、あんな連中と一緒になっちゃあ」
彩吹だった。
「大切な神様とお別れしてまで、ここに残ったのは何のため? 同じくらい大切な人たちと、一緒に生きていくためだろう!? それを思い出すんだよ恵! 自分の心を!」
強靭な美脚の乱舞。斬撃のような蹴りの嵐が、恵を容赦なく打ち据える。
続いて、落雷が起こった。
「まずはな、お前の兄ちゃんを思い出せ! 恵がこのまま元に戻れなかったら絶望して死んじまうぞ、このシスコン兄貴!」
翔の、雷獣だった。
「駄目なんだよ恵、お前はそっち側に行っちゃあ!」
荒れ狂う電光に絡まれ灼かれながら、恵が第三の目を激しく輝かせる。
その眼光が、迸った。術式封じが、一瞬にして破られていた。
燃え盛る破眼光の一閃が、翔を直撃する。
紡の施した防御術式の煌めきが、破片のように飛散した。
「翔!」
ツバメが叫んでいる間。翔ではなく恵の方が、後方へと吹っ飛んでいた。
翔は血まみれでよろめきながら、辛うじて八卦の構えを維持している。
破眼光の衝撃。そのいくらかが、恵に跳ね返ったのだ。
「これが……お前の力、だぜ……恵……」
弱々しく微笑みながら翔が、後方へと倒れて三十三に抱き止められる。
恵の方は即座に立ち上がり、第三の目で禍々しい光を燃やし続ける。
「やめろ……もう、やめてくれ恵……!」
ツバメは地を蹴り、大鎌・白狼を一閃させていた。
一閃で、2度の斬撃。疾風双斬が恵に叩き込まれる。
容赦のない手応えを、ツバメは握り締めた。破綻者の肉体でなければ両断していたであろう、直撃の手応えを。
「私の仲間に、攻撃を加えるなら……私はお前を…………両……断……ッ!」
「大げさだぜ、ツバメさん……」
微笑む翔を抱き止めたまま、三十三が翼を広げる。
「わかっているのか祁答院恵……君は今、人を傷付けている」
「まあまあ落ち着いて、意外と厳しいさとみん。そういう事おみつめちゃんにさせないために、ボクたち来てるわけだし」
紡が、そして日那乃が言った。
「恵さん、早く帰って来て……お兄さん、だけじゃない。いろんな人、あなた待ってる」
轟音を立てて、風が巻き起こった。
三十三、紡、日那乃。覚者3名の力が結集する事で生じた、巨大なエアブリット。
竜巻のようなそれが、恵を吹っ飛ばしていた。
「恵……!」
高々と吹っ飛んで宙を舞う少女を、ツバメは追った。
その時、豪雨が降った。
凄まじい水行の力が、天下って来てツバメを、彩吹を、直撃する。
深海の如き水圧に叩きのめされ、倒れ伏した2人を見下ろしながら、恵がふわりと着地をする。
「これが……破綻者……」
血を吐きながら、ツバメは呻く。
「恵、お前は……恐ろしいものに、なってしまったんだな……」
「……だからこそ、私たちで恵を……」
彩吹が、よろよろと立ち上がりながら、ツバメに肩を貸してくれた。
「こっちへ……私たちのところへ、呼び戻さなきゃ」
「……そうだな」
体内あちこちが、破裂している。
それら負傷箇所に、治療の痛みが染み込んでくるのをツバメは感じた。
日那乃が、潤しの雨を降らせてくれていた。
●
紡のもたらした『迷霧』を断ち切るかのような破眼光が、恵の額から迸って三十三を襲う。
紡は、ひょいと飛び込んだ。
太く燃え盛る破眼光が、身体に突き刺さった。
「ぐっぷ……お、おみつめちゃん。これちょっと見つめすぎ……」
そんな事を言いながら紡は血を吐き、膝をついた。
後方で死にかけていた三十三が、生き返ったかのように大騒ぎを始める。
「紡さん……何を、しているんですかっ!」
「いやあ……さとみん、あと一撃こんなの喰らったら死んじゃうでしょ?」
「紡さんこそ!」
そんな会話の間に、しかし戦いは終わっていた。
今、紡が喰らったものと比べて遥かに細く、弱々しい。それでも破眼光だった。ツバメの第三の目から放たれ、恵の身体を貫いたところである。
それが、最後の一撃であった。
「恵……」
よろめきながらもツバメは駆け寄り、前のめりに倒れた恵の細身を抱き止めた。
そして、尻餅をついた。
「……ここまで……の、ようですね……」
今にも、同じように座り込んでしまいそうな三十三が、最後の力を振り絞って翼をはためかせる。
癒しの霧が生じ、拡散され、この場にいる負傷者全員を包み込んだ。
紡、それに恵も含めた、全員をだ。
気力を使い果たした三十三が、崩れ落ちるように倒れてゆく。
翔が、助け起こした。
「お、おい、さとみん。しっかりしろー」
「……もう……煙も、出ない……」
三十三の最後の力を注入されたかの如く、恵が、ツバメの膝の上でうっすらと目を覚ました。
「恵……良かった……」
「ツバメさん……私は……」
説明の必要もなく恵は、全てを理解しているようであった。
「……ごめんなさい……私は、また皆さんに……」
「恵! 強くなったねえ、本当に」
言いつつ彩吹が、第三の目を閉ざした恵の額を、軽く指で弾いた。
これを本気でやられると、普通の人間であれば意識が飛ぶ。
「……だからってねえ、1人で危ない事はしない。せめて相談くらいして欲しかったな」
「ごめんなさい……」
俯く恵に、三十三が声を投げる。
「……わかる。誰かに頼るというのは、1人で事を行うよりも勇気が要る……抱え込んでしまった方が、ある意味では楽なんだ。他人と、会話をしなくて済むから……」
自分もそうだった、とまでは三十三は言わない。
ともかく紡は、俯いた恵の頰を軽く引っ張った。
「痛くしてごめん。でもね、1人で頑張りすぎちゃダメだよ? 今さとみんが言ったけど、勇気を出して誰かに頼らなきゃ」
「……そう、言ってくれるな」
祁答院晃が、日那乃の細腕に抱き起こされながら、ようやく意識を取り戻していた。
「己の力だけで誰かを、大勢を救う……恵がそれを使命にしてしまったのは、僕のせいだ。僕が、宗教になどしてしまったから……恵を、祀り上げてしまったから」
「恵さん……まず、お兄さんにごめんなさい、しなきゃ駄目」
日那乃が言った。
「わたしたち帰った後でも、いいから。ちゃんと」
「よしてくれ。それより君たちには、毎度の事ながら世話になってしまうな」
晃が、よろりと自力で立ち上がり、頭を下げた。
「……本当に、ありがとう」
「いやあ生きてて良かったね、教祖サマ」
紡は拍手をした。
「ま、お兄ちゃんはお兄ちゃんで無茶しないようにね。これからも、おみつめちゃんのためにガンバってもらわなきゃ」
泣き声が、聞こえてきた。
ここにはいない何者かが、太い声で泣きじゃくっている。
『すまぬ、少女よ……なあ覚者たち、悪いのは全てわしだ。責めるならば、わしを』
「貴方が……大鯰か」
ツバメが、まずは応えた。
「恵のおかげで、古妖たちとの繋がりが沢山出来た。今ここにこうして、貴方とも繋がりを持つ事が出来た。嬉しく思う。ただ……貴方の呼びかけに応じて、復讐に参加する事は出来なかった。それだけは、すまない」
『良いのだよ、もう復讐など……わしが、そのような事を考えたせいで……その少女だけではない、大勢の覚者に迷惑をかけてしまった』
「いや。古妖狩人や七星剣が許せねーのは、オレも同じだぜ」
翔が言った。
「そういう連中は、オレらが頑張って片付ける。アンタには辛い思いさせてごめん……頭きて地震起こすの、ずっと我慢してくれてたんだよな。さんきゅ、じゃねえ。ありがとうございます!」
「もだもだやってると蒲焼にしてかじっちゃうぞー、とか思ったけど……まあ確かに、ムカムカしても身体動かせないのは辛いよねー」
紡が、言いながら頷いている。
「心が煮詰まっちゃったら頭の体操、してみるといいよ。ダジャレとか考えてみる?」
『おかしなものを勧めてくれるな。寒い事にしかならん』
別の声が聞こえた。それに反応したのは彩吹である。
「尻子山関! 貴方も居たんだね」
『この御大将の愚痴を聞くのも、河童の務めでな……それより、妙な四股名を付けるなと』
『……身体を動かせぬ、わけではない。おぬしらの足下のさらに下にはな、わしの図体でも自由に泳ぎ回れる湖が、途方もなく広がっておるのよ』
大鯰が言った。
『まあのう。どこへ泳いでも、わしの頭上には人間たちがおる。迂闊に癇癪を起こせぬ事に違いはない』
「癇癪起こしても大丈夫なとこに移動とか……って、オレたち人間の都合で、そんな事させられねーよな」
翔が頭を掻き、そして日那乃が言った。
「あなたたち、地球の先住者。わたしたち人間、勝手に住み着いて増えて……ごめんなさい」
『あ、いや、そのような事を言っておるわけではないが』
「今の人間、ちょっと電気水道止まっただけで色々だめ……原始人も、恐竜もナウマン象も、壊れやすいライフライン必要なかった。うらやましい、とは思わない、けど」
日那乃は、少し考え込んだようだ。
「……そんな大昔から地球にいた御大将。質問して、いい?」
『わしに答えられる事など、あるかな』
「大昔……妖がいた事、ある? 結界、出来るより前……今の結界、作ったの誰?」
『その結界とやらに関しては、わしは何も知らん。妖は……似たような者どもは現れておった。おぬしら覚者に似た者たちもおった』
大鯰は、何やら懐かしんでいるようだ。
『それも1つの物語……わしから見れば、おぬしらの戦いもそうだ。過去の物語と、繋がりがあるかどうかはわからん。役に立てんで、すまぬな』
「いえ……わたしたち、自力で突き止めなきゃいけない事」
日那乃は応え、呟いた。
「八神勇雄の方が、わたしたちよりも、それに近い所にいる……わたしたちに見えてないもの、きっと見えてる。だけど」
「そうだぜ日那乃。あいつが見てるものを、オレたちが無理して見つめる必要はねえ」
翔が言った。
「オレたちは、オレたちの答えを出せばいいんだ。七星剣はきっと、その答えを力尽くで否定してくるから」
「……こっちも力尽くで押し通す、って事になっちゃうね」
彩吹が微笑む。
「私たちと違って、力尽くな事を軽々しく出来ない大鯰さんは……大変だよね。恵や人間たちを心配してくれて、本当にありがとう。だけど気持ちを殺し続けるのは身体に毒だよ? 何か、お手伝い出来るといいんだけど」
「恵さん、御大将の心が見える。なら、逆も」
日那乃が、思い付いたように言った。
「恵さんが楽しい事、経験したら」
「そっか! そうだね日那ちゃん。ナマズの大将だって、気分ハッピーになれるよ」
紡は、ぽんと手を叩いた。
「おみつめちゃん。これから毎日、楽しい事しよう! 大将が癇癪起こしてる暇もないくらいに」
『……多少の癇癪は、これからも我慢し続ける事にした。なあに、そう長い事ではない。十万年、百万年』
大鯰が笑ったようだ。
寂しげな、笑いだった。
『そのくらいで、おぬしら人間は居なくなる……地上は荒野、壊れやすいものを作る生物もおらん。そうなったら存分に癇癪を起こしてやろうぞ。おぬしらの事でも思い出しながら、な』
祁答院恵は、七星剣における私の最も有望な生徒でした。そう篁君、申し訳ありませんが君よりも。
萩尾高房の言葉を、篁三十三(CL2001480)は思い返していた。
そうしながら、見据える。第三の目を禍々しく発光させて佇む、1人の少女を。
「祁答院恵……君は、言ってみれば僕の妹弟子だ。だからというわけではないけれど、少し厳しい事を言わせてもらう」
言葉は、恐らく届いていない。構わず三十三は言った。
「他者の怒りに共感するのは、美徳かも知れない。だけど受け止められなくては意味がないんだ! 受け止められずに呑み込まれ、周囲に迷惑をかけてしまうようでは!」
最も迷惑を被っているのは、少女の兄であろう。
妹に殺されかけていた青年が、桂木日那乃(CL2000941)に引きずられて来る。
「篁さん……治療お願い、ね」
「任された。もちろん、誰も死なせるわけにはいかないけれど」
三十三は翼を広げ、水行の癒しの力を放散した。『癒しの霧』が、青年の瀕死の肉体を包み込む。
「自分の兄を、殺す……そんな事を、させてはならない」
宗教法人『ひかりの目』代表者、祁答院晃。破綻者と化した少女の、兄である。
前衛で、その少女と対峙しているのは、『エリニュスの翼』如月彩吹(CL2001525)と『鬼灯の鎌鼬』椿屋ツバメ(CL2001351)だ。
「よし、お兄ちゃん頑張った。あとは私たちに任せてもらうよ」
彩吹の言葉に、晃は応えない。意識を失っている。
「恵、1人で全てを抱えるな! 背負い込むな!」
火行因子を燃え上がらせて『灼熱化』を実行し、第三の目を赤く輝かせながら、ツバメが恵に呼びかける。
「それは恵の良い部分、優しい部分なのだろうが……今回は、私たちを頼ってもらうぞ」
「人助けの押し売りもファイヴの仕事だからなっ。恵、助けに来たぜ!」
言葉を投げつつ『天を翔ぶ雷霆の龍』成瀬翔(CL2000063)が印を結び、術式攻撃の構えに入った。
翼と細腕を舞わせ、同じく術式の構えを取っているのは、『天を舞う雷電の鳳』麻弓紡(CL2000623)だ。
「水臭いよー、おみつめちゃん。いつも死にかけてる教祖サマだけじゃなくて、ボクらにも声かけてくれたらいいのにさ」
桜の花びらが無数、舞い散りながら渦を巻き、覚者6人を包み護る。
「というわけで声かからなくても勝手に来ちゃった。ご機嫌いかが? おみつめちゃん」
「良くはなさそうだね。恵がこんなに怒るなんて、珍しい」
言いつつ彩吹が、体内で火行因子を活性化させる。
「……ご本尊として、心優しい聖女様であり続けなきゃいけない。たまには怒って暴れたくもなるかな」
彩吹の言葉通り、と言うべきなのだろうか。
祁答院恵の額では、第三の目が爛々と燃え盛っている。本来の両眼は、輝きを失っている。可憐な美貌から、表情と感情が一切、失われているのだ。
「……だけどね、それは恵の怒りじゃないだろう?」
語りかけながら、彩吹が踏み込む。羽ばたく。
「それは古妖の怒り、今の恵は呑み込まれてるだけ……駄目だよっ、それじゃあ!」
黒い羽根が目くらましのように舞い、それと同時に斬撃の閃光がいくつも生じた。美しく鍛え込まれた両脚が、様々な蹴りの形に閃いていた。
並みの隔者や妖であれば、ズタズタに蹴り裂かれて跡形も残らぬところである。
よろめく恵の細い全身から、しかし暴走する力そのものが噴出して渦を巻き、不可視の防御壁を成しているようであった。
「恵、お前……自分の力ってもの、わかってねーだろ!」
翔が、怒声と雷鳴を轟かせる。
雷獣だった。迸った電光が、恵を直撃する。
硬直した破綻者の少女に向かって、翔は間髪入れず踏み込んで行く。ゴールを狙うサッカー選手のように。
鋭刃想脚が、サッカーボールではなく恵の身体に叩き込まれる。
少女の細身が痛々しくへし曲がり、大量の鮮血を噴出させる。
いや違う。血ではなく、水が迸っていた。
ウォータ一ジェットにも等しい、水行の力の奔流が、翔それに日那乃をも襲う。
「ぐっ……だ、大丈夫か日那乃……!」
「……平気」
防御の形に翼を閉じた日那乃が、愛らしい歯を食いしばって吐血を噛み殺す。
よろめく彼女を、紡が後方から抱き支えた。
「相棒は、あれでしょ。女の子を蹴っ飛ばすなんてダメとか考えちゃってるよね? たとえ戦いでも」
「ま、まあな」
「おみつめちゃんはねー、言っちゃ悪いけど、そこで倒れてるお兄ちゃんより強いよ?」
言葉と共に紡が、術式の光をキラキラと拡散させる。演舞・清爽だった。
「ガンガン行っちゃって大丈夫。この子、ちゃんとガンガンやり返してくれるから。そしたらボクの防御術式で守ったげるから」
「怪我人、出たら……わたし、治す」
日那乃が、水行の治癒力を『潤しの雨』として降らせた。
「恵さん……あなたの攻撃、怒り、憎しみ、ぜんぶ受ける」
●
恵が語りかけた相手は、巨大生物が地上を闊歩していた時代から存在し続けている、言ってみれば地球の先住者である。
そんな者の心と、精神と、意識の同調を試みる。
無謀だ、と責め詰る事がツバメには出来ない。
(私も、それをやろうかと思った。最初、大鯰の声を聞いた時に……だけど出来なかったのは)
「地球の先住者の……圧倒的な意識の巨大さに、私が怖じ気付いたからだ。恵、お前は私よりも勇敢なのだろう。だがな、やはり無茶だ!」
ゆらりと佇む、破綻者の少女。
その細身を抱き締めるように、ツバメは踏み込んで行った。
「お前がやろうとしていた事は、お前が1人で試みるべきではなかった。まずは私たちに声をかけてくれれば良かった! 皆で力を合わせれば、古妖の怒りだって受け止められた!」
叫びながらツバメは、恵の身体に術式封じの紋様を刻み込んだ。『螺旋崩し』であった。
「……いや、今からでも遅くはない。恵、私たちと力を合わせよう。一緒に、古妖の怒りを受け止めるんだ」
「古妖の、怒り……私たちは、それを受け止め……実行、しなければならない……」
恵が、ようやく言葉を発した。
「古妖の心を、体現する……それが、私たちの使命だから……」
「恵……」
同じだ、とツバメは思った。あの金城元、それに三ツ目入道と共にいた者たち。恵は今、彼らと同じ状態にある。否、彼らよりも進んでしまった。
恵の細い全身から、力が溢れ出した。
ツバメの抱擁を振りちぎった恵に、黒い疾風が激突する。
「恵、駄目だよ。他者の怒りに引きずられて、あんな連中と一緒になっちゃあ」
彩吹だった。
「大切な神様とお別れしてまで、ここに残ったのは何のため? 同じくらい大切な人たちと、一緒に生きていくためだろう!? それを思い出すんだよ恵! 自分の心を!」
強靭な美脚の乱舞。斬撃のような蹴りの嵐が、恵を容赦なく打ち据える。
続いて、落雷が起こった。
「まずはな、お前の兄ちゃんを思い出せ! 恵がこのまま元に戻れなかったら絶望して死んじまうぞ、このシスコン兄貴!」
翔の、雷獣だった。
「駄目なんだよ恵、お前はそっち側に行っちゃあ!」
荒れ狂う電光に絡まれ灼かれながら、恵が第三の目を激しく輝かせる。
その眼光が、迸った。術式封じが、一瞬にして破られていた。
燃え盛る破眼光の一閃が、翔を直撃する。
紡の施した防御術式の煌めきが、破片のように飛散した。
「翔!」
ツバメが叫んでいる間。翔ではなく恵の方が、後方へと吹っ飛んでいた。
翔は血まみれでよろめきながら、辛うじて八卦の構えを維持している。
破眼光の衝撃。そのいくらかが、恵に跳ね返ったのだ。
「これが……お前の力、だぜ……恵……」
弱々しく微笑みながら翔が、後方へと倒れて三十三に抱き止められる。
恵の方は即座に立ち上がり、第三の目で禍々しい光を燃やし続ける。
「やめろ……もう、やめてくれ恵……!」
ツバメは地を蹴り、大鎌・白狼を一閃させていた。
一閃で、2度の斬撃。疾風双斬が恵に叩き込まれる。
容赦のない手応えを、ツバメは握り締めた。破綻者の肉体でなければ両断していたであろう、直撃の手応えを。
「私の仲間に、攻撃を加えるなら……私はお前を…………両……断……ッ!」
「大げさだぜ、ツバメさん……」
微笑む翔を抱き止めたまま、三十三が翼を広げる。
「わかっているのか祁答院恵……君は今、人を傷付けている」
「まあまあ落ち着いて、意外と厳しいさとみん。そういう事おみつめちゃんにさせないために、ボクたち来てるわけだし」
紡が、そして日那乃が言った。
「恵さん、早く帰って来て……お兄さん、だけじゃない。いろんな人、あなた待ってる」
轟音を立てて、風が巻き起こった。
三十三、紡、日那乃。覚者3名の力が結集する事で生じた、巨大なエアブリット。
竜巻のようなそれが、恵を吹っ飛ばしていた。
「恵……!」
高々と吹っ飛んで宙を舞う少女を、ツバメは追った。
その時、豪雨が降った。
凄まじい水行の力が、天下って来てツバメを、彩吹を、直撃する。
深海の如き水圧に叩きのめされ、倒れ伏した2人を見下ろしながら、恵がふわりと着地をする。
「これが……破綻者……」
血を吐きながら、ツバメは呻く。
「恵、お前は……恐ろしいものに、なってしまったんだな……」
「……だからこそ、私たちで恵を……」
彩吹が、よろよろと立ち上がりながら、ツバメに肩を貸してくれた。
「こっちへ……私たちのところへ、呼び戻さなきゃ」
「……そうだな」
体内あちこちが、破裂している。
それら負傷箇所に、治療の痛みが染み込んでくるのをツバメは感じた。
日那乃が、潤しの雨を降らせてくれていた。
●
紡のもたらした『迷霧』を断ち切るかのような破眼光が、恵の額から迸って三十三を襲う。
紡は、ひょいと飛び込んだ。
太く燃え盛る破眼光が、身体に突き刺さった。
「ぐっぷ……お、おみつめちゃん。これちょっと見つめすぎ……」
そんな事を言いながら紡は血を吐き、膝をついた。
後方で死にかけていた三十三が、生き返ったかのように大騒ぎを始める。
「紡さん……何を、しているんですかっ!」
「いやあ……さとみん、あと一撃こんなの喰らったら死んじゃうでしょ?」
「紡さんこそ!」
そんな会話の間に、しかし戦いは終わっていた。
今、紡が喰らったものと比べて遥かに細く、弱々しい。それでも破眼光だった。ツバメの第三の目から放たれ、恵の身体を貫いたところである。
それが、最後の一撃であった。
「恵……」
よろめきながらもツバメは駆け寄り、前のめりに倒れた恵の細身を抱き止めた。
そして、尻餅をついた。
「……ここまで……の、ようですね……」
今にも、同じように座り込んでしまいそうな三十三が、最後の力を振り絞って翼をはためかせる。
癒しの霧が生じ、拡散され、この場にいる負傷者全員を包み込んだ。
紡、それに恵も含めた、全員をだ。
気力を使い果たした三十三が、崩れ落ちるように倒れてゆく。
翔が、助け起こした。
「お、おい、さとみん。しっかりしろー」
「……もう……煙も、出ない……」
三十三の最後の力を注入されたかの如く、恵が、ツバメの膝の上でうっすらと目を覚ました。
「恵……良かった……」
「ツバメさん……私は……」
説明の必要もなく恵は、全てを理解しているようであった。
「……ごめんなさい……私は、また皆さんに……」
「恵! 強くなったねえ、本当に」
言いつつ彩吹が、第三の目を閉ざした恵の額を、軽く指で弾いた。
これを本気でやられると、普通の人間であれば意識が飛ぶ。
「……だからってねえ、1人で危ない事はしない。せめて相談くらいして欲しかったな」
「ごめんなさい……」
俯く恵に、三十三が声を投げる。
「……わかる。誰かに頼るというのは、1人で事を行うよりも勇気が要る……抱え込んでしまった方が、ある意味では楽なんだ。他人と、会話をしなくて済むから……」
自分もそうだった、とまでは三十三は言わない。
ともかく紡は、俯いた恵の頰を軽く引っ張った。
「痛くしてごめん。でもね、1人で頑張りすぎちゃダメだよ? 今さとみんが言ったけど、勇気を出して誰かに頼らなきゃ」
「……そう、言ってくれるな」
祁答院晃が、日那乃の細腕に抱き起こされながら、ようやく意識を取り戻していた。
「己の力だけで誰かを、大勢を救う……恵がそれを使命にしてしまったのは、僕のせいだ。僕が、宗教になどしてしまったから……恵を、祀り上げてしまったから」
「恵さん……まず、お兄さんにごめんなさい、しなきゃ駄目」
日那乃が言った。
「わたしたち帰った後でも、いいから。ちゃんと」
「よしてくれ。それより君たちには、毎度の事ながら世話になってしまうな」
晃が、よろりと自力で立ち上がり、頭を下げた。
「……本当に、ありがとう」
「いやあ生きてて良かったね、教祖サマ」
紡は拍手をした。
「ま、お兄ちゃんはお兄ちゃんで無茶しないようにね。これからも、おみつめちゃんのためにガンバってもらわなきゃ」
泣き声が、聞こえてきた。
ここにはいない何者かが、太い声で泣きじゃくっている。
『すまぬ、少女よ……なあ覚者たち、悪いのは全てわしだ。責めるならば、わしを』
「貴方が……大鯰か」
ツバメが、まずは応えた。
「恵のおかげで、古妖たちとの繋がりが沢山出来た。今ここにこうして、貴方とも繋がりを持つ事が出来た。嬉しく思う。ただ……貴方の呼びかけに応じて、復讐に参加する事は出来なかった。それだけは、すまない」
『良いのだよ、もう復讐など……わしが、そのような事を考えたせいで……その少女だけではない、大勢の覚者に迷惑をかけてしまった』
「いや。古妖狩人や七星剣が許せねーのは、オレも同じだぜ」
翔が言った。
「そういう連中は、オレらが頑張って片付ける。アンタには辛い思いさせてごめん……頭きて地震起こすの、ずっと我慢してくれてたんだよな。さんきゅ、じゃねえ。ありがとうございます!」
「もだもだやってると蒲焼にしてかじっちゃうぞー、とか思ったけど……まあ確かに、ムカムカしても身体動かせないのは辛いよねー」
紡が、言いながら頷いている。
「心が煮詰まっちゃったら頭の体操、してみるといいよ。ダジャレとか考えてみる?」
『おかしなものを勧めてくれるな。寒い事にしかならん』
別の声が聞こえた。それに反応したのは彩吹である。
「尻子山関! 貴方も居たんだね」
『この御大将の愚痴を聞くのも、河童の務めでな……それより、妙な四股名を付けるなと』
『……身体を動かせぬ、わけではない。おぬしらの足下のさらに下にはな、わしの図体でも自由に泳ぎ回れる湖が、途方もなく広がっておるのよ』
大鯰が言った。
『まあのう。どこへ泳いでも、わしの頭上には人間たちがおる。迂闊に癇癪を起こせぬ事に違いはない』
「癇癪起こしても大丈夫なとこに移動とか……って、オレたち人間の都合で、そんな事させられねーよな」
翔が頭を掻き、そして日那乃が言った。
「あなたたち、地球の先住者。わたしたち人間、勝手に住み着いて増えて……ごめんなさい」
『あ、いや、そのような事を言っておるわけではないが』
「今の人間、ちょっと電気水道止まっただけで色々だめ……原始人も、恐竜もナウマン象も、壊れやすいライフライン必要なかった。うらやましい、とは思わない、けど」
日那乃は、少し考え込んだようだ。
「……そんな大昔から地球にいた御大将。質問して、いい?」
『わしに答えられる事など、あるかな』
「大昔……妖がいた事、ある? 結界、出来るより前……今の結界、作ったの誰?」
『その結界とやらに関しては、わしは何も知らん。妖は……似たような者どもは現れておった。おぬしら覚者に似た者たちもおった』
大鯰は、何やら懐かしんでいるようだ。
『それも1つの物語……わしから見れば、おぬしらの戦いもそうだ。過去の物語と、繋がりがあるかどうかはわからん。役に立てんで、すまぬな』
「いえ……わたしたち、自力で突き止めなきゃいけない事」
日那乃は応え、呟いた。
「八神勇雄の方が、わたしたちよりも、それに近い所にいる……わたしたちに見えてないもの、きっと見えてる。だけど」
「そうだぜ日那乃。あいつが見てるものを、オレたちが無理して見つめる必要はねえ」
翔が言った。
「オレたちは、オレたちの答えを出せばいいんだ。七星剣はきっと、その答えを力尽くで否定してくるから」
「……こっちも力尽くで押し通す、って事になっちゃうね」
彩吹が微笑む。
「私たちと違って、力尽くな事を軽々しく出来ない大鯰さんは……大変だよね。恵や人間たちを心配してくれて、本当にありがとう。だけど気持ちを殺し続けるのは身体に毒だよ? 何か、お手伝い出来るといいんだけど」
「恵さん、御大将の心が見える。なら、逆も」
日那乃が、思い付いたように言った。
「恵さんが楽しい事、経験したら」
「そっか! そうだね日那ちゃん。ナマズの大将だって、気分ハッピーになれるよ」
紡は、ぽんと手を叩いた。
「おみつめちゃん。これから毎日、楽しい事しよう! 大将が癇癪起こしてる暇もないくらいに」
『……多少の癇癪は、これからも我慢し続ける事にした。なあに、そう長い事ではない。十万年、百万年』
大鯰が笑ったようだ。
寂しげな、笑いだった。
『そのくらいで、おぬしら人間は居なくなる……地上は荒野、壊れやすいものを作る生物もおらん。そうなったら存分に癇癪を起こしてやろうぞ。おぬしらの事でも思い出しながら、な』
■シナリオ結果■
成功
■詳細■
MVP
なし
軽傷
なし
重傷
なし
死亡
なし
称号付与
なし
特殊成果
なし
