混迷期に生まれた天使
●
おぞましい、としか思えなかった。
皆、まず単純に絵が上手くない。画力だけを言えば、SNSにイラストを投稿している素人の方がずっとましだと時原ヒノキは思う。
「絵が下手なくせにグロテスクなもの描こうとするから、こんな! 小学生男子の卑猥な落書きにしかならないのよっ」
スマートフォンを睨みながら、ヒノキは文句を言った。喫茶店の中であるから、声を潜めてだ。
小学生の落書き以下、の作品を、しかし特殊芸術として持て囃す輩がいる。
それが、ヒノキは許せなかった。
「まあ、仕事中にこんなもの眺めてる……私も私、だけどね」
小説家・時原ヒノキの代表作『閃光のカオスダイバー』は、それなりに話題にはなった。女流ライトノベル作家として、まあ1枚目の名刺とも言える作品にはなったのだろうか。
あれを四苦八苦しながら執筆している最中、ネット小説方面から、星村愛という恐るべき才能が出現した。
あの『暁の聖戦士たち』は、人々がお金を払ってまで求める物語が一体どういうものであるのかを、自己満足に陥りがちな物書きに教えてくれる作品である。
うかうかしてはいられない。ヒノキとしては早急に、次回作の構想を練らなければならない。
だが調べ物をしている最中、脇道にそれた。
文句を言いながらも、かれこれ1時間近くヒノキは、小学生男子の卑猥な落書き以下の作品群を眺め続けている。
殺人犯が描いた。
ただそれだけで、このようなものに無理矢理、芸術性のようなものを見出してしまう人々がいる。
無論、見方は人それぞれだ。
だが許せないと思う自由くらいは自分にもある、とヒノキは思う。
「犯罪者にねえ、自己アピールの機会を与えてどうするの。ちやほやしちゃあ駄目でしょうがっ」
絵を描かせる、だけならばまだ良いと言えない事もない。
世の出版関係者の中には、殺人犯の手記や回顧録を製本して売り出すような輩もいる。
(ふざけるんじゃあないわよ……本1冊出すのにねえ、私たちが一体どれだけ苦労してると思ってるのっ!)
店内で、ヒノキは思わず叫んでしまうところだった。
気を取り直し、スマートフォンの画面を見つめる。
1つ、気になる絵があった。『星の天使』と題されている。
このサイトで扱われている作品群の中でも、画力の低さは抜きん出ている。一体どの辺りが『星の天使』であるのか、さっぱりわからない。
とにかく天使であるらしい何かが、叫んでいる。吼えている、あるいは哭いている。
それだけは、ヒノキにもわかった。伝わって来た。
描いたのは、仁科寛人という男性。ヒノキも名前は知っている。
20年以上も前に起こった、殺人事件の犯人……とされている人物だ。幼稚園児の男の子が惨たらしく殺された事件で、仁科には死刑判決が下った。
執行される事なく20年が過ぎ、仁科は獄中で病死した。享年64歳。数日前のニュースである。
この事件に関しては冤罪説も根強く、仁科は最後まで、己の無実を叫んでいたという。
この、星の天使たちのように。
「……無実の罪で捕まった主人公が、身の潔白を証明するために戦う……そんなお話にしようかな、次は」
呟きながら、ヒノキはぼんやりと窓の外を見た。
街中に、星の天使たちが降臨していた。
仁科の描いた絵そのままに、よくわからぬ姿をしている。
抽象画のような異形が、翼らしきものを動かして空を飛び回り、稲妻のような光を降らせ続ける。
その光が、建物を、車を、通行人を、粉砕してゆく。瓦礫が、残骸が、屍の破片が、舞い上がり飛び散った。
破壊と殺戮を行いながら、天使たちは叫んでいる。
わたしは、やっていない。
ヒノキには、そのように聞こえた。
光が、喫茶店を直撃した。
●
「人を殺して、妖の仕業に見せかける。そんな犯罪者は今でもいるが」
中恭介(CL2000002)は言った。
「さすがに近年の鑑識技術であれば、そういうものは見破れる。だが90年代……妖の動きが本格化し、犠牲者の数が増大の一途を辿っていた頃は、そうもいかなかった。
妖の仕業か人間の仕業か、判然としない殺人事件が、あの当時は頻発した。
獄死した仁科寛人が犯人とされている、あの事件もな……実は事件直後、1体の妖がAAA戦闘部隊によって討殺されている。事件は、その妖による凶行であった可能性が高い。
仁科は完全な冤罪、というのが夢見たちの一致した見解だ。
その仁科の、怨みの念が、妖となって出現する。
彼は、世間を大いに憎んでいるだろう。何しろ死刑死刑の大合唱だったからな。
ファイヴとしては、仁科のためにしてやれる事は1つしかない。
彼を、止めてくれ。そして安らかな眠りを……頼むぞ」
おぞましい、としか思えなかった。
皆、まず単純に絵が上手くない。画力だけを言えば、SNSにイラストを投稿している素人の方がずっとましだと時原ヒノキは思う。
「絵が下手なくせにグロテスクなもの描こうとするから、こんな! 小学生男子の卑猥な落書きにしかならないのよっ」
スマートフォンを睨みながら、ヒノキは文句を言った。喫茶店の中であるから、声を潜めてだ。
小学生の落書き以下、の作品を、しかし特殊芸術として持て囃す輩がいる。
それが、ヒノキは許せなかった。
「まあ、仕事中にこんなもの眺めてる……私も私、だけどね」
小説家・時原ヒノキの代表作『閃光のカオスダイバー』は、それなりに話題にはなった。女流ライトノベル作家として、まあ1枚目の名刺とも言える作品にはなったのだろうか。
あれを四苦八苦しながら執筆している最中、ネット小説方面から、星村愛という恐るべき才能が出現した。
あの『暁の聖戦士たち』は、人々がお金を払ってまで求める物語が一体どういうものであるのかを、自己満足に陥りがちな物書きに教えてくれる作品である。
うかうかしてはいられない。ヒノキとしては早急に、次回作の構想を練らなければならない。
だが調べ物をしている最中、脇道にそれた。
文句を言いながらも、かれこれ1時間近くヒノキは、小学生男子の卑猥な落書き以下の作品群を眺め続けている。
殺人犯が描いた。
ただそれだけで、このようなものに無理矢理、芸術性のようなものを見出してしまう人々がいる。
無論、見方は人それぞれだ。
だが許せないと思う自由くらいは自分にもある、とヒノキは思う。
「犯罪者にねえ、自己アピールの機会を与えてどうするの。ちやほやしちゃあ駄目でしょうがっ」
絵を描かせる、だけならばまだ良いと言えない事もない。
世の出版関係者の中には、殺人犯の手記や回顧録を製本して売り出すような輩もいる。
(ふざけるんじゃあないわよ……本1冊出すのにねえ、私たちが一体どれだけ苦労してると思ってるのっ!)
店内で、ヒノキは思わず叫んでしまうところだった。
気を取り直し、スマートフォンの画面を見つめる。
1つ、気になる絵があった。『星の天使』と題されている。
このサイトで扱われている作品群の中でも、画力の低さは抜きん出ている。一体どの辺りが『星の天使』であるのか、さっぱりわからない。
とにかく天使であるらしい何かが、叫んでいる。吼えている、あるいは哭いている。
それだけは、ヒノキにもわかった。伝わって来た。
描いたのは、仁科寛人という男性。ヒノキも名前は知っている。
20年以上も前に起こった、殺人事件の犯人……とされている人物だ。幼稚園児の男の子が惨たらしく殺された事件で、仁科には死刑判決が下った。
執行される事なく20年が過ぎ、仁科は獄中で病死した。享年64歳。数日前のニュースである。
この事件に関しては冤罪説も根強く、仁科は最後まで、己の無実を叫んでいたという。
この、星の天使たちのように。
「……無実の罪で捕まった主人公が、身の潔白を証明するために戦う……そんなお話にしようかな、次は」
呟きながら、ヒノキはぼんやりと窓の外を見た。
街中に、星の天使たちが降臨していた。
仁科の描いた絵そのままに、よくわからぬ姿をしている。
抽象画のような異形が、翼らしきものを動かして空を飛び回り、稲妻のような光を降らせ続ける。
その光が、建物を、車を、通行人を、粉砕してゆく。瓦礫が、残骸が、屍の破片が、舞い上がり飛び散った。
破壊と殺戮を行いながら、天使たちは叫んでいる。
わたしは、やっていない。
ヒノキには、そのように聞こえた。
光が、喫茶店を直撃した。
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「人を殺して、妖の仕業に見せかける。そんな犯罪者は今でもいるが」
中恭介(CL2000002)は言った。
「さすがに近年の鑑識技術であれば、そういうものは見破れる。だが90年代……妖の動きが本格化し、犠牲者の数が増大の一途を辿っていた頃は、そうもいかなかった。
妖の仕業か人間の仕業か、判然としない殺人事件が、あの当時は頻発した。
獄死した仁科寛人が犯人とされている、あの事件もな……実は事件直後、1体の妖がAAA戦闘部隊によって討殺されている。事件は、その妖による凶行であった可能性が高い。
仁科は完全な冤罪、というのが夢見たちの一致した見解だ。
その仁科の、怨みの念が、妖となって出現する。
彼は、世間を大いに憎んでいるだろう。何しろ死刑死刑の大合唱だったからな。
ファイヴとしては、仁科のためにしてやれる事は1つしかない。
彼を、止めてくれ。そして安らかな眠りを……頼むぞ」

■シナリオ詳細
■成功条件
1.妖の撃破
2.なし
3.なし
2.なし
3.なし
今回の敵は、冤罪で獄中死した一般人・仁科寛人の怨念が妖と化したもので、6体おります。
オープニング中では人死にが出ておりますが、実際には彼らが殺戮を開始する直前、夢見の情報を得た覚者の皆様に駆け付けていただく事になります。
敵の詳細は、以下の通り。
●星の天使(6体、前衛3と中衛3)
心霊系、ランク2。攻撃手段は怨念の光。これには特遠単、特遠列の2種類があり、共にBS『呪い』が付きます。
場所は昼間の街中。通行人が逃げ惑っておりますが、星の天使たちは近くにいる人間に対して攻撃を仕掛けます。覚者の皆様が近付いて行けば、他の人や物に妖の攻撃が及ぶ事はありません。
それでは、よろしくお願い申し上げます。
状態
完了
完了
報酬モルコイン
金:0枚 銀:1枚 銅:0枚
金:0枚 銀:1枚 銅:0枚
相談日数
7日
7日
参加費
100LP[+予約50LP]
100LP[+予約50LP]
参加人数
6/6
6/6
公開日
2018年08月21日
2018年08月21日
■メイン参加者 6人■

●
「行く前に1つだけ、ハッキリさせときてえ」
口調が険しくなってゆくのを、『ファイブブラック』天乃カナタ(CL2001451)は止められなかった。
「その事件って結局、妖の仕業だったんだよな? じゃAAAが証言とか出来なかったのかよ、仁科って爺ちゃんが無実だって。その妖、AAAが始末したんだろ。やるべき事もやらねえで、彼を止めてくれだの安らかな眠りだのってのは……ちょっと違うんじゃねえのか」
「妖の仕業である事を、法廷で科学的に証明する。これがどれほど困難であるか、想像はつくだろう」
中恭介が答える。
「当時のAAAに、そんな事をしている余裕はなかった。紅蜘蛛・継美との、抗争の真っ最中だったからな」
妖との戦いで手一杯。それは、今のファイヴも同様である。
「あの動乱・混迷の時代……数多くの冤罪が生まれた。仁科寛人だけではない。妖の凶行を罪として被せられ、今も獄中で苦しんでいる人々は大勢いる」
口調静かに、中はおぞましい事実を述べている。
「今回のような事は、いくらでも起こり得る。お前たちだけが頼りだ。頼むぞ、天乃」
「何だよ……何なんだよっ、この国はぁあああッ!」
怒声を張り上げながら、カナタは会議室を飛び出した。
●
いつものような軽口を叩く事もなく、『天を舞う雷電の鳳』麻弓紡(CL2000623)は目を閉じている。
念を、集中しているようであった。上空を舞う、超高速の敵たちに備えてだ。
空を見上げながら、『居待ち月』天野澄香(CL2000194)は思い出してみる。
絵画『星の天使』は、見た事がある。
6体いる天使それぞれに『火星の天使』『金星の天使』といった名前が与えられているらしいが、素人目には全て同じだ。
6体、全てが等しく醜悪であった。
人間とは醜悪な存在である、と心の底から信じ込まなければ表現出来ないおぞましさだ、と澄香は感じたものだ。
痛ましいほどに醜悪な天使たちが、凄まじい速度で空中を飛び交いながら、叫んでいる。無音無声の絶叫。
わたしは、やっていない。
澄香には、そう聞こえた。
「何故……」
20年もの間、仁科寛人の無実は証明されなかったのか。
その疑問を、澄香は口には出さずに呑み込んだ。
親しい関係にある1人の弁護士が、かつて語っていた言葉の中に、その答えがある。
奴らは、自分の間違いを絶対に認めようとしない。1度、下してしまった有罪判決を守るために、奴らは手段を選ばない。
「……ネットなんて、見るもんじゃねえな」
カナタが言った。
「死んでザマァ見ろとか、天罰だとか、死刑はとっとと執行しとけ……そんな事、書き込んでやがる奴ばっかりだよ。味方なんか1人もいねえ世の中……そりゃ妖になっちまうわな」
逃げ惑う通行人たちを、カナタは睨み据えている。
「死刑死刑の大合唱に……こいつらだって、参加してたんじゃねえのか」
「……だったら、助けない?」
声を発した『ホワイトガーベラ』明石ミュエル(CL2000172)に、カナタの眼光がギロリと向かう。
「ミュエルだって……」
カナタはそこで口籠もったが、何を言おうとしたのかは伝わったようだ。
「絶対わかり合えない人たちって、確かにいる……それは、でも助けない理由にはならないから。アタシは守るよ、みんなの平和を……カナタさんは、守らないの?」
「……それもアリかなっつー気がしてる。何も悪い事してねえ爺ちゃんが、牢屋の中で独りぼっちで逝っちまう。誰も助けてやれねえ……そんな世の中、守るのかよ」
「……カナタさんは、どうして……ファイヴにいるの?」
「…………ッ!」
カナタの表情が、いくらか剣呑な強張り方をした。ミュエルの表情は、変わらない。
両者の間に、篁三十三(CL2001480)が割って入った。
「……そこまでに。思うところあるにしても、この場へ来てしまった以上、戦わなければ」
元AAA戦闘員らしい言葉ではある。
「現状……仁科寛人の怨みの念が、妖となってしまった。彼がどれだけ無念であったとしても、僕たちはこれを止めなければいけない」
「そういう事だね。やるよカナタ、実戦訓練の相手なら後で私がしてあげるから。三十三と一緒にね」
言いつつ『エリニュスの翼』如月彩吹(CL2001525)が、体内の火行因子を燃やして両眼を威圧的に輝かせ、荒々しく翼を広げ羽ばたいた。通行人たちを、追い払うかのように。
「さあさあ早くお逃げ。それから、そこの出来損ない天使たち! お前たちの相手は私だよ。怨念も怒りも全部、ぶつけてくるといい」
「……そう。私たちが、受け止めます」
澄香は翼を広げ、香気の粒子をキラキラと拡散させながら、ミュエルと目を合わせた。
目だけで頷きながら、ミュエルは守護使役を飛ばした。
蜂のような虫系の守護使役が、覚者6人の頭上を飛翔しながら霧状の薬効成分を散布する。
女性覚者2名による術式防御が施されたところで、6体もの天使たちが一斉に襲いかかってきた。高速の編隊飛行を披露しながら、稲妻のような光を放つ。
怨念の光。
それらが、覚者6名を爆撃していた。
「くっ……こ、これが、貴方の無念……なのですね、仁科さん……」
怨念の直撃を翼で防御しながら、しかし澄香は防御しきれぬ憎悪と怒りに、生命力を削り取られていた。
「これが普通の人に当たったら……死にます……いけませんよ仁科さん。人死にが出ては、貴方の無実が穢れてしまいます」
「誰も殺していないんだろう? だったら、これからも殺しちゃいけない……」
呻きながら彩吹は、微量の血を吐いた。両腕を交差させ翼を閉じた、防御姿勢のまま。
その背後で、三十三が呆然としている。
「何を……しているんですか、彩吹さん……今、僕を……庇いました、よね? 無茶です……」
「平気平気。澄香とミュエルの術式防御が、私を守ってくれてるからね」
彩吹は笑った。
「三十三を死なせるわけにはいかない。生き残って、もっともっと私のシゴキに耐えてもらわなきゃ」
「勘弁を……」
「……さとみんは毎日毎日、いぶちゃんブートキャンプで死にかけてるもんねえ」
紡が目を開き、ようやく言葉を発し、翼を広げた。
霧が生じ、広がり、まるで投網の如く天使たちを包み込む。
高速飛行爆撃を行おうとしていた星の天使6体が、霧の投網に絡め取られ、空中で縛り固められる。
そこへ彩吹が、地上から槍を向けた。
「それにしても……ふふっ、お前たちが天使? 翼があるから?」
無数の小さな炎が生じ、渦を巻きながら天使たちにまとわりついてゆく。
「それなら私だって天使になってしまうけど残念。私の翼は、天使のそれじゃあない……出来損ないの天使もどきさ、私は。お前たちと同じだよ」
「出来損ない……違う……仁科の爺ちゃんだって、もっと……ちゃんとした天使、描きたかったんだよおぉ……」
カナタが呻いた。目から、耳から、血を流しながら。鼻血を噴出させ、吐血しながら。
「だけど……怨む思いが、強すぎて……こんなんになっちまった……何で……何でだよ。何で、誰も……仁科の爺ちゃんを、助けてやれなかったんだ……? 夢見の連中には、わかってたんだろ? 爺ちゃんが無実だって……」
「夢見の人たちが、今回の妖の出現を予見し、その怨念を読み取って仁科さんの無実を確信したのは……仁科さんが亡くなった後です。夢見も万能ではないという事、カナタくんも知っているはずでしょう?」
澄香が言うと、カナタは歯を食いしばった。血の涙を流しながら、両眼を燃え上がらせた。
彼は今、迸りかけた罵声を懸命に呑み込んだのだ。夢見たちに対する、罵声を。
カナタの心は今、仁科の怨念に侵蝕されかけている。
澄香は、タロットカードを掲げた。
カナタの全身が、炎に包まれた。
「炎鳥の、浄化の炎です。怨念の呪いに負けないで、カナタくん」
「俺は……見ての通り今回の仕事、乗り気じゃねえ。治してくれなくたって、いいんだぜ別に」
癒しの炎のなかで、カナタは水行因子の力を迸らせた。
潤しの雨が、覚者全員に降り注ぐ。
それだけではない。癒しの霧が、発生していた。
「天乃君、1つ訊きたい……」
翼をはためかせて霧を拡散させながら、三十三が言う。
「仁科寛人が亡くなる前に、夢見たちによって彼の冤罪が判明していたとしたら……君は、仁科氏を助けた? 覚者の力で、拘置所を襲撃してでも」
「ああ……そりゃ、いいなあ。まるっきり隔者のやる事だ」
カナタが、禍々しい笑みを浮かべた。
「誰も助けてやれねえ覚者より、爺ちゃんの1人でも助けてやれる隔者の方が、そりゃいいに決まってらあな」
「仁科氏はきっと君に、化け物を見るような目を向けるだろう。それでも?」
「誰も助けてやれねえ人間より、人助けの出来るバケモノの方がマシだろうがよ!」
カナタと三十三。覚者2名による水行の癒しが、天使の怨念でズタズタにされた体内に、心地良く染み込んでゆく。
それを感じながら、澄香は言った。
「そこまでに、しておきましょう。天使たちが動き始めますよ」
紡の迷霧に抗うようにして、星の天使たちが編隊飛行の動きに入ろうとする。
見上げながらミュエルが、ポプリポットを掲げた。
「殺人の濡れ衣を着せられた人が、怨念で……本当に、人殺しになっちゃう。それは駄目だよ……」
猛毒の芳香が、凄まじい勢いで漂い出して天使たちを襲う。仇華浸香だった。
毒香の嵐に勢いを削がれながらも、星の天使たちは光の爆撃を敢行した。
怨念の光が、カナタと三十三に集中する。
彩吹が動いた。先程と同じく、三十三の盾となるために。
そして、ミュエルも動いていた。
●
「おい……!」
カナタが、息を呑んでいる。
その眼前で、ミュエルが弱々しく膝をついた。
本来カナタが喰らうはずだった怨念の光を、ミュエルは全て受けていた。
「何……やってんだよ、ミュエル……」
「見ての通り。ミュエちゃんがね、そらのんを庇った」
紡が、カナタの肩をぽんと叩く。
「いろいろ思う所あるだろうけど、まず1つ言わなきゃなんないコトあるよね? さ、いってみよー」
「……あ……りがと、よ……」
カナタが声を絞り出した。
「けどよ……ッ! 何で……」
「……言ったよ……アタシ、守る……」
ミュエルが、よろよろと立ち上がりながら微笑む。
「カナタさんとは、もしかしたら……わかり合えない、かも知れないけど……それは、守らない理由にはならないから……」
たおやかな両手で保持されたポプリポットから、再び毒香の奔流が溢れ出し、星の天使たちを絡め取った。
わかり合える。そんな期待を、希望を、自分は抱いていたのだろうと三十三は思う。
覚者と、普通の人々は、わかり合える。
その希望を打ち砕かれた、ような気分に陥ったまま、自分はずっと物陰に隠れていた。吹き荒れる嵐を、やり過ごそうとしていた。
その嵐に正面から立ち向かい、戦い続け、やがてミュエルは至ったのだ。
わかり合えなくとも守る。その境地へと。
(僕が……そこへ辿り着く事は、あるのだろうか……?)
思いつつ三十三は、略式滅相銃を構え、水行因子を活性化させた。
星の天使。まずは、この異形の敵を撃破する。思い悩むのは、その後でいい。
(僕だって……どこへも辿り着けないまま、こんなものを生み出していたかも知れない……こんなものに、変わっていたかも知れない)
三十三は、引き金を引いた。
活性化した水行因子の力が、銃撃となって迸り、荒波の如く天使たちを襲う。
周囲では、他の覚者たちも反撃に転じていた。
まずは紡が術杖を掲げて羽ばたき、雷の鳳凰を召喚する。
「じゃボクたちもいってみようか、いぶちゃん。親友連撃・雷鳳羽撃! 練習通りにねー」
「練習なんて、したっけ。まあ私は、ぶっつけ本番でも一向に!」
彩吹の蹴りが、燃え盛る竜巻を発生させる。炎の竜巻。捻転する、火柱であった。
雷の鳳凰と炎の竜巻が一体化し、星の天使たちを直撃する。
澄香も、タロットカードを掲げていた。
「混迷の時代、だったのでしょうね。同じような冤罪は、きっと他にも……カナタくんは、どう思いますか?」
「胸糞悪いに決まってんだろ……どいつもこいつも、許せねえ!」
カナタの両眼が、禍々しく燃え上がる。
澄香の眼差しは、穏やかである。
「許せない世の中ならば……妖に蹂躙されるまま、放っておきますか?」
澄香の問いかけに、カナタは答えない。
ただ、吼えただけだ。
禍々しく燃える眼光が、炎の術式となって迸る。
澄香もまた、羽ばたきと共に炎を巻き起こしていた。
覚者2人による、召炎波であった。
攻撃術式の嵐が、空中で荒れ狂い、星の天使6体を粉砕する。
霊体の破片が、キラキラと光に変わって舞い散り、消えてゆく。
星の天使たちは、消滅した。
成仏した、とは言わないだろう。三十三は、そう思う。
覚者が、妖を倒しただけだ。
●
空に向かって、澄香が炎を投げた。
炎は、浄化と再生をもたらすもの。彼女はそう言っていた。
無念の思いを浄化させ、幸せな新しい命として再生して欲しい。
仁科寛人に対する、それが澄香の祈りであろう。
合わせて、紡は虹を投げた。
彩吹は、こもりうたを口ずさんでいる。
弔いである。
妖を倒したところで、このような弔いの儀式を行ったところで、意味はない。独りぼっちで獄死した老人が、救われる事はもはやないのだ。
カナタは、そう思っている事だろう。背を向けて、こちらを見ようともしない。
そして、近付いて来た一般人を威嚇している。
「あっち行け、見せもんじゃねーぞ。まあ……見せもんみてえなモンだったけどよ」
「はい、覚者の皆様の妖討伐。しっかり見学させていただきました。いつ見ても参考になりますっ」
「巻き込まれ体質の時原センセ!」
紡は声をかけた。
「おひさしー。元気してた? いっつもいっつも妖に殺されかけて」
「いっつもいっつも皆様が助けに来て下さいます」
「あっ、そらのんにも、さとみんにも紹介するね。この人、小説家の時原ヒノキせんせ。龍牙の脚本も書いてるよー」
「……知ってる、ハルキゲニア男の話書いた人」
カナタが、少しは機嫌を直したのだろうか。
「現実の戦いも……あんなふうに、ヒーローっぽく行きてえけどな……」
「僕は……すみません、存じ上げません。小説とか読まないもので」
「そうだねえ、さとみんは読まない方がいいかもね。感情移入し過ぎて3日くらい悩みそうだし」
読んでいると、心のどこかが色々と拗れてくる。時原ヒノキの代表作『閃光のカオスダイバー』は、そういう作品だ。
「え……時原ヒノキ先生……本物、なの……?」
ミュエルが、落ち着きを失い始める。
「あの、アタシ……カオスダイバー、大好きで……最後の、佐伯君を許してあげるところ……感動しました……」
「ありがとうございます。覚者の皆様は、そうおっしゃって下さいますね」
あのラストシーンを叩いているのは、主に一般人の読者である。
紡は思う。
仁科寛人が獄死せず、釈放でもされたら、彼を叩かねば気が済まない人々の念が、あのような妖に成っていたかも知れない。
「時原さんとは、縁があるよね」
彩吹が微笑む。
「もしかして、妖を引き寄せちゃう体質ですか?」
「ふふっ、どうでしょうね……今の、妖……」
ヒノキの笑顔が、曇りを帯びる。
「星の天使、でしたよね……仁科寛人さんの描いた」
「私たちは……何も、してあげられなかった」
彩吹が俯く。
「迷わず、あの世へ向かえるように送ってあげる……覚者に出来る事って本当、それくらいしかないんだよね」
「地獄関係の古妖と戦ったっていう子が、ファイヴに何人かいるんだよね」
紡は言った。
「地獄はある。だからね、天国もあると思う。仁科のおじさん……天国へ、行けるといいね」
「本当に……私たちには、祈る事しか出来ないのですね」
澄香が呟いた、その時。
カナタが、左掌に右拳を打ち込んだ。大きな音がした。
「……今からでも、出来る事あるんじゃねえのか。仁科の爺ちゃんみてえな人、まだ大勢いるんだろ? 無実の罪で、刑務所だか拘置所だかに入れられてる……」
カナタの中で、因子の力が禍々しく渦巻き脈動している。
それを、紡は感じ取った。
「全員、助ける……それ、今すぐやんなきゃいけねえ事じゃねえのか……」
「いいね、カナタ。一緒にやろうか」
彩吹が言った。
「刑務所でも拘置所でも、殴り込もうじゃないか。私たちが暴れれば間違いなく人死にが出るけど、まあいいよね。看守も刑務官もお巡りさんも片っ端から皆殺しにして……そいつらに奥さんや子供がいようと関係ない、死体の山をこしらえながら助け出そう。冤罪で苦しんでる人たちをさ。確かに、今すぐやるべき事だ」
「……やらねえよ。彩吹さんに、そんな事させられねえ……」
カナタが言葉を残し、1人で歩み去って行く。
無実の人間を救い出すため、拘置所に殴り込む。
もちろん人死になど出さないにしても、その程度の事なら、ここにいる全員がやりかねない。
(ボクも含めて……ね)
カナタの背中を見送りながら、紡は思う。
(覚者と隔者って、本当……紙一重なんだよねえ)
「行く前に1つだけ、ハッキリさせときてえ」
口調が険しくなってゆくのを、『ファイブブラック』天乃カナタ(CL2001451)は止められなかった。
「その事件って結局、妖の仕業だったんだよな? じゃAAAが証言とか出来なかったのかよ、仁科って爺ちゃんが無実だって。その妖、AAAが始末したんだろ。やるべき事もやらねえで、彼を止めてくれだの安らかな眠りだのってのは……ちょっと違うんじゃねえのか」
「妖の仕業である事を、法廷で科学的に証明する。これがどれほど困難であるか、想像はつくだろう」
中恭介が答える。
「当時のAAAに、そんな事をしている余裕はなかった。紅蜘蛛・継美との、抗争の真っ最中だったからな」
妖との戦いで手一杯。それは、今のファイヴも同様である。
「あの動乱・混迷の時代……数多くの冤罪が生まれた。仁科寛人だけではない。妖の凶行を罪として被せられ、今も獄中で苦しんでいる人々は大勢いる」
口調静かに、中はおぞましい事実を述べている。
「今回のような事は、いくらでも起こり得る。お前たちだけが頼りだ。頼むぞ、天乃」
「何だよ……何なんだよっ、この国はぁあああッ!」
怒声を張り上げながら、カナタは会議室を飛び出した。
●
いつものような軽口を叩く事もなく、『天を舞う雷電の鳳』麻弓紡(CL2000623)は目を閉じている。
念を、集中しているようであった。上空を舞う、超高速の敵たちに備えてだ。
空を見上げながら、『居待ち月』天野澄香(CL2000194)は思い出してみる。
絵画『星の天使』は、見た事がある。
6体いる天使それぞれに『火星の天使』『金星の天使』といった名前が与えられているらしいが、素人目には全て同じだ。
6体、全てが等しく醜悪であった。
人間とは醜悪な存在である、と心の底から信じ込まなければ表現出来ないおぞましさだ、と澄香は感じたものだ。
痛ましいほどに醜悪な天使たちが、凄まじい速度で空中を飛び交いながら、叫んでいる。無音無声の絶叫。
わたしは、やっていない。
澄香には、そう聞こえた。
「何故……」
20年もの間、仁科寛人の無実は証明されなかったのか。
その疑問を、澄香は口には出さずに呑み込んだ。
親しい関係にある1人の弁護士が、かつて語っていた言葉の中に、その答えがある。
奴らは、自分の間違いを絶対に認めようとしない。1度、下してしまった有罪判決を守るために、奴らは手段を選ばない。
「……ネットなんて、見るもんじゃねえな」
カナタが言った。
「死んでザマァ見ろとか、天罰だとか、死刑はとっとと執行しとけ……そんな事、書き込んでやがる奴ばっかりだよ。味方なんか1人もいねえ世の中……そりゃ妖になっちまうわな」
逃げ惑う通行人たちを、カナタは睨み据えている。
「死刑死刑の大合唱に……こいつらだって、参加してたんじゃねえのか」
「……だったら、助けない?」
声を発した『ホワイトガーベラ』明石ミュエル(CL2000172)に、カナタの眼光がギロリと向かう。
「ミュエルだって……」
カナタはそこで口籠もったが、何を言おうとしたのかは伝わったようだ。
「絶対わかり合えない人たちって、確かにいる……それは、でも助けない理由にはならないから。アタシは守るよ、みんなの平和を……カナタさんは、守らないの?」
「……それもアリかなっつー気がしてる。何も悪い事してねえ爺ちゃんが、牢屋の中で独りぼっちで逝っちまう。誰も助けてやれねえ……そんな世の中、守るのかよ」
「……カナタさんは、どうして……ファイヴにいるの?」
「…………ッ!」
カナタの表情が、いくらか剣呑な強張り方をした。ミュエルの表情は、変わらない。
両者の間に、篁三十三(CL2001480)が割って入った。
「……そこまでに。思うところあるにしても、この場へ来てしまった以上、戦わなければ」
元AAA戦闘員らしい言葉ではある。
「現状……仁科寛人の怨みの念が、妖となってしまった。彼がどれだけ無念であったとしても、僕たちはこれを止めなければいけない」
「そういう事だね。やるよカナタ、実戦訓練の相手なら後で私がしてあげるから。三十三と一緒にね」
言いつつ『エリニュスの翼』如月彩吹(CL2001525)が、体内の火行因子を燃やして両眼を威圧的に輝かせ、荒々しく翼を広げ羽ばたいた。通行人たちを、追い払うかのように。
「さあさあ早くお逃げ。それから、そこの出来損ない天使たち! お前たちの相手は私だよ。怨念も怒りも全部、ぶつけてくるといい」
「……そう。私たちが、受け止めます」
澄香は翼を広げ、香気の粒子をキラキラと拡散させながら、ミュエルと目を合わせた。
目だけで頷きながら、ミュエルは守護使役を飛ばした。
蜂のような虫系の守護使役が、覚者6人の頭上を飛翔しながら霧状の薬効成分を散布する。
女性覚者2名による術式防御が施されたところで、6体もの天使たちが一斉に襲いかかってきた。高速の編隊飛行を披露しながら、稲妻のような光を放つ。
怨念の光。
それらが、覚者6名を爆撃していた。
「くっ……こ、これが、貴方の無念……なのですね、仁科さん……」
怨念の直撃を翼で防御しながら、しかし澄香は防御しきれぬ憎悪と怒りに、生命力を削り取られていた。
「これが普通の人に当たったら……死にます……いけませんよ仁科さん。人死にが出ては、貴方の無実が穢れてしまいます」
「誰も殺していないんだろう? だったら、これからも殺しちゃいけない……」
呻きながら彩吹は、微量の血を吐いた。両腕を交差させ翼を閉じた、防御姿勢のまま。
その背後で、三十三が呆然としている。
「何を……しているんですか、彩吹さん……今、僕を……庇いました、よね? 無茶です……」
「平気平気。澄香とミュエルの術式防御が、私を守ってくれてるからね」
彩吹は笑った。
「三十三を死なせるわけにはいかない。生き残って、もっともっと私のシゴキに耐えてもらわなきゃ」
「勘弁を……」
「……さとみんは毎日毎日、いぶちゃんブートキャンプで死にかけてるもんねえ」
紡が目を開き、ようやく言葉を発し、翼を広げた。
霧が生じ、広がり、まるで投網の如く天使たちを包み込む。
高速飛行爆撃を行おうとしていた星の天使6体が、霧の投網に絡め取られ、空中で縛り固められる。
そこへ彩吹が、地上から槍を向けた。
「それにしても……ふふっ、お前たちが天使? 翼があるから?」
無数の小さな炎が生じ、渦を巻きながら天使たちにまとわりついてゆく。
「それなら私だって天使になってしまうけど残念。私の翼は、天使のそれじゃあない……出来損ないの天使もどきさ、私は。お前たちと同じだよ」
「出来損ない……違う……仁科の爺ちゃんだって、もっと……ちゃんとした天使、描きたかったんだよおぉ……」
カナタが呻いた。目から、耳から、血を流しながら。鼻血を噴出させ、吐血しながら。
「だけど……怨む思いが、強すぎて……こんなんになっちまった……何で……何でだよ。何で、誰も……仁科の爺ちゃんを、助けてやれなかったんだ……? 夢見の連中には、わかってたんだろ? 爺ちゃんが無実だって……」
「夢見の人たちが、今回の妖の出現を予見し、その怨念を読み取って仁科さんの無実を確信したのは……仁科さんが亡くなった後です。夢見も万能ではないという事、カナタくんも知っているはずでしょう?」
澄香が言うと、カナタは歯を食いしばった。血の涙を流しながら、両眼を燃え上がらせた。
彼は今、迸りかけた罵声を懸命に呑み込んだのだ。夢見たちに対する、罵声を。
カナタの心は今、仁科の怨念に侵蝕されかけている。
澄香は、タロットカードを掲げた。
カナタの全身が、炎に包まれた。
「炎鳥の、浄化の炎です。怨念の呪いに負けないで、カナタくん」
「俺は……見ての通り今回の仕事、乗り気じゃねえ。治してくれなくたって、いいんだぜ別に」
癒しの炎のなかで、カナタは水行因子の力を迸らせた。
潤しの雨が、覚者全員に降り注ぐ。
それだけではない。癒しの霧が、発生していた。
「天乃君、1つ訊きたい……」
翼をはためかせて霧を拡散させながら、三十三が言う。
「仁科寛人が亡くなる前に、夢見たちによって彼の冤罪が判明していたとしたら……君は、仁科氏を助けた? 覚者の力で、拘置所を襲撃してでも」
「ああ……そりゃ、いいなあ。まるっきり隔者のやる事だ」
カナタが、禍々しい笑みを浮かべた。
「誰も助けてやれねえ覚者より、爺ちゃんの1人でも助けてやれる隔者の方が、そりゃいいに決まってらあな」
「仁科氏はきっと君に、化け物を見るような目を向けるだろう。それでも?」
「誰も助けてやれねえ人間より、人助けの出来るバケモノの方がマシだろうがよ!」
カナタと三十三。覚者2名による水行の癒しが、天使の怨念でズタズタにされた体内に、心地良く染み込んでゆく。
それを感じながら、澄香は言った。
「そこまでに、しておきましょう。天使たちが動き始めますよ」
紡の迷霧に抗うようにして、星の天使たちが編隊飛行の動きに入ろうとする。
見上げながらミュエルが、ポプリポットを掲げた。
「殺人の濡れ衣を着せられた人が、怨念で……本当に、人殺しになっちゃう。それは駄目だよ……」
猛毒の芳香が、凄まじい勢いで漂い出して天使たちを襲う。仇華浸香だった。
毒香の嵐に勢いを削がれながらも、星の天使たちは光の爆撃を敢行した。
怨念の光が、カナタと三十三に集中する。
彩吹が動いた。先程と同じく、三十三の盾となるために。
そして、ミュエルも動いていた。
●
「おい……!」
カナタが、息を呑んでいる。
その眼前で、ミュエルが弱々しく膝をついた。
本来カナタが喰らうはずだった怨念の光を、ミュエルは全て受けていた。
「何……やってんだよ、ミュエル……」
「見ての通り。ミュエちゃんがね、そらのんを庇った」
紡が、カナタの肩をぽんと叩く。
「いろいろ思う所あるだろうけど、まず1つ言わなきゃなんないコトあるよね? さ、いってみよー」
「……あ……りがと、よ……」
カナタが声を絞り出した。
「けどよ……ッ! 何で……」
「……言ったよ……アタシ、守る……」
ミュエルが、よろよろと立ち上がりながら微笑む。
「カナタさんとは、もしかしたら……わかり合えない、かも知れないけど……それは、守らない理由にはならないから……」
たおやかな両手で保持されたポプリポットから、再び毒香の奔流が溢れ出し、星の天使たちを絡め取った。
わかり合える。そんな期待を、希望を、自分は抱いていたのだろうと三十三は思う。
覚者と、普通の人々は、わかり合える。
その希望を打ち砕かれた、ような気分に陥ったまま、自分はずっと物陰に隠れていた。吹き荒れる嵐を、やり過ごそうとしていた。
その嵐に正面から立ち向かい、戦い続け、やがてミュエルは至ったのだ。
わかり合えなくとも守る。その境地へと。
(僕が……そこへ辿り着く事は、あるのだろうか……?)
思いつつ三十三は、略式滅相銃を構え、水行因子を活性化させた。
星の天使。まずは、この異形の敵を撃破する。思い悩むのは、その後でいい。
(僕だって……どこへも辿り着けないまま、こんなものを生み出していたかも知れない……こんなものに、変わっていたかも知れない)
三十三は、引き金を引いた。
活性化した水行因子の力が、銃撃となって迸り、荒波の如く天使たちを襲う。
周囲では、他の覚者たちも反撃に転じていた。
まずは紡が術杖を掲げて羽ばたき、雷の鳳凰を召喚する。
「じゃボクたちもいってみようか、いぶちゃん。親友連撃・雷鳳羽撃! 練習通りにねー」
「練習なんて、したっけ。まあ私は、ぶっつけ本番でも一向に!」
彩吹の蹴りが、燃え盛る竜巻を発生させる。炎の竜巻。捻転する、火柱であった。
雷の鳳凰と炎の竜巻が一体化し、星の天使たちを直撃する。
澄香も、タロットカードを掲げていた。
「混迷の時代、だったのでしょうね。同じような冤罪は、きっと他にも……カナタくんは、どう思いますか?」
「胸糞悪いに決まってんだろ……どいつもこいつも、許せねえ!」
カナタの両眼が、禍々しく燃え上がる。
澄香の眼差しは、穏やかである。
「許せない世の中ならば……妖に蹂躙されるまま、放っておきますか?」
澄香の問いかけに、カナタは答えない。
ただ、吼えただけだ。
禍々しく燃える眼光が、炎の術式となって迸る。
澄香もまた、羽ばたきと共に炎を巻き起こしていた。
覚者2人による、召炎波であった。
攻撃術式の嵐が、空中で荒れ狂い、星の天使6体を粉砕する。
霊体の破片が、キラキラと光に変わって舞い散り、消えてゆく。
星の天使たちは、消滅した。
成仏した、とは言わないだろう。三十三は、そう思う。
覚者が、妖を倒しただけだ。
●
空に向かって、澄香が炎を投げた。
炎は、浄化と再生をもたらすもの。彼女はそう言っていた。
無念の思いを浄化させ、幸せな新しい命として再生して欲しい。
仁科寛人に対する、それが澄香の祈りであろう。
合わせて、紡は虹を投げた。
彩吹は、こもりうたを口ずさんでいる。
弔いである。
妖を倒したところで、このような弔いの儀式を行ったところで、意味はない。独りぼっちで獄死した老人が、救われる事はもはやないのだ。
カナタは、そう思っている事だろう。背を向けて、こちらを見ようともしない。
そして、近付いて来た一般人を威嚇している。
「あっち行け、見せもんじゃねーぞ。まあ……見せもんみてえなモンだったけどよ」
「はい、覚者の皆様の妖討伐。しっかり見学させていただきました。いつ見ても参考になりますっ」
「巻き込まれ体質の時原センセ!」
紡は声をかけた。
「おひさしー。元気してた? いっつもいっつも妖に殺されかけて」
「いっつもいっつも皆様が助けに来て下さいます」
「あっ、そらのんにも、さとみんにも紹介するね。この人、小説家の時原ヒノキせんせ。龍牙の脚本も書いてるよー」
「……知ってる、ハルキゲニア男の話書いた人」
カナタが、少しは機嫌を直したのだろうか。
「現実の戦いも……あんなふうに、ヒーローっぽく行きてえけどな……」
「僕は……すみません、存じ上げません。小説とか読まないもので」
「そうだねえ、さとみんは読まない方がいいかもね。感情移入し過ぎて3日くらい悩みそうだし」
読んでいると、心のどこかが色々と拗れてくる。時原ヒノキの代表作『閃光のカオスダイバー』は、そういう作品だ。
「え……時原ヒノキ先生……本物、なの……?」
ミュエルが、落ち着きを失い始める。
「あの、アタシ……カオスダイバー、大好きで……最後の、佐伯君を許してあげるところ……感動しました……」
「ありがとうございます。覚者の皆様は、そうおっしゃって下さいますね」
あのラストシーンを叩いているのは、主に一般人の読者である。
紡は思う。
仁科寛人が獄死せず、釈放でもされたら、彼を叩かねば気が済まない人々の念が、あのような妖に成っていたかも知れない。
「時原さんとは、縁があるよね」
彩吹が微笑む。
「もしかして、妖を引き寄せちゃう体質ですか?」
「ふふっ、どうでしょうね……今の、妖……」
ヒノキの笑顔が、曇りを帯びる。
「星の天使、でしたよね……仁科寛人さんの描いた」
「私たちは……何も、してあげられなかった」
彩吹が俯く。
「迷わず、あの世へ向かえるように送ってあげる……覚者に出来る事って本当、それくらいしかないんだよね」
「地獄関係の古妖と戦ったっていう子が、ファイヴに何人かいるんだよね」
紡は言った。
「地獄はある。だからね、天国もあると思う。仁科のおじさん……天国へ、行けるといいね」
「本当に……私たちには、祈る事しか出来ないのですね」
澄香が呟いた、その時。
カナタが、左掌に右拳を打ち込んだ。大きな音がした。
「……今からでも、出来る事あるんじゃねえのか。仁科の爺ちゃんみてえな人、まだ大勢いるんだろ? 無実の罪で、刑務所だか拘置所だかに入れられてる……」
カナタの中で、因子の力が禍々しく渦巻き脈動している。
それを、紡は感じ取った。
「全員、助ける……それ、今すぐやんなきゃいけねえ事じゃねえのか……」
「いいね、カナタ。一緒にやろうか」
彩吹が言った。
「刑務所でも拘置所でも、殴り込もうじゃないか。私たちが暴れれば間違いなく人死にが出るけど、まあいいよね。看守も刑務官もお巡りさんも片っ端から皆殺しにして……そいつらに奥さんや子供がいようと関係ない、死体の山をこしらえながら助け出そう。冤罪で苦しんでる人たちをさ。確かに、今すぐやるべき事だ」
「……やらねえよ。彩吹さんに、そんな事させられねえ……」
カナタが言葉を残し、1人で歩み去って行く。
無実の人間を救い出すため、拘置所に殴り込む。
もちろん人死になど出さないにしても、その程度の事なら、ここにいる全員がやりかねない。
(ボクも含めて……ね)
カナタの背中を見送りながら、紡は思う。
(覚者と隔者って、本当……紙一重なんだよねえ)
■シナリオ結果■
成功
■詳細■
MVP
なし
軽傷
なし
重傷
なし
死亡
なし
称号付与
なし
特殊成果
なし
