【太古の怒り】惑星喰らう竜
●
まだ鬼も人間もいなかった頃の地球上で、こやつはただ、いくらかは我が物顔で海を泳ぎ回っていただけだ。
悪事を働いた、わけではない。
なのに、環境の激変と地殻変動のせいで生きてゆけなくなり、こうして地の底に埋もれて肉も骨も朽ち果てた。
あんまりではないか。
こやつに今あるのは、その思いだけだ。
地球に対する怨み言だけを、俺は延々と聞かされていた。俺も聞き役に徹してやった。
やがて、こやつは言った。力があれば、と。
人間どもが、力を得て覚者となった。このような地の底にいても感じられるほどの力。
それを我々が手に入れたら、どうなる。
非力な人間どもでさえ、覚者というとてつもないものへと進化を遂げたのだ。我らがその力を獲得すれば、この忌々しい地球をも圧倒する存在に成れる。
地球に復讐出来る。地球を、克服出来る。
そんな夢を語るこやつに、俺は言って聞かせた。
他者の力を妬み、羨み、奪わんとするなど、誇りある海の猛者の在りようとしては如何なものか……と。
こやつは怒り狂った。殺される、と俺は思った。元々、生きているやら死んでいるやら判然としない身ではあるが。
その時。強大な何者かが、こやつへの説得に取りかかってくれた。
怒り狂っていたこやつが、いくらかは大人しくなった。
その何者かが、時をかけてこやつを説得してくれる。
俺がそう安心しかけた、その時。
しおらしく説教を受けていたこやつが、突然、そして完全に、理性を失った。
こやつにとって、あまりにも魅力的な餌が、近付いて来たのである。
●
金剛は、戦いの果てに神となった。
生き残った金剛隔者が、神を崇める。
それが、八神勇雄に媚びへつらう者たちには許せないらしい。
だから篠崎蛍は、命を狙われた。
助けられ、ファイヴに囚われ、脱走して来たところである。
「立ち去れ覚者、いや隔者よ」
斎服をまとった半魚人……人魚の禰宜たちが、一斉に抜刀した。
「貴様のような者がいては、今度こそ禍津神が目覚めてしまう! 去れ!」
「去らねば殺す! 禍津神の餌となる前に!」
斬りかかって来る人魚たちに、蛍は微笑みかけた。
「あたしら金剛隔者に向かって……殺す……? 何言ってるか、わかってンのかこの雑魚どもがッ!」
少女の、鋭利な拳が宙を裂く。豊かな胸が猛々しく揺れ、凹凸のくっきりとしたボディラインが捻転し、すらりと伸びた美脚が一閃する。
人魚たちの、顔面が潰れ、臓物が破裂した。
屍も同然の有り様を晒す、5名の禰宜。うち1人を蹴り飛ばして道を空けながら、蛍は歩み寄った。
崩落し、入り口の塞がった、洞窟神社へと。
入り口を塞ぐ巨岩が、震えている。
洞窟が、地面が、山そのものが、震動していた。
「骨だけになっても……骨すら朽ち果てちゃっても、存在していられる……君たち、竜宮の古妖」
揺れる洞窟に、蛍は語りかけた。
「……その力なら、金剛様を……生き返らせて、くれるよね?」
崩落した洞窟が、さらに崩れてゆく。
蛍は、涙を流していた。
「あたし……たとえ骨だけでも、妖みたいな形でもいいから……金剛様に、生き返って欲しいから……」
洞窟が、砕け散った。
飛散する岩を、よろめくように回避しながら、蛍は見た。
地の底から現れた、筋骨隆々たる巨体を。
それは、鬼であった。
鬼が一緒に閉じ込められている、という話を、そう言えば聞いたような気がする。
「……あんまりだ……あんまりではないかぁ……」
牙を剥き、眼光を燃やし、鬼は慟哭している。
「我らが一体、何をしたと言うのだ……母なる惑星よ……」
真紅の眼光そのものが、溶岩の如き涙となって溢れ出す。
「何故、我らは滅びなければならない……? あなたの気まぐれで一体、どれだけの海の民が滅びていったと思うのだ……ひどいではないか、あんまりだとは思わんのか……」
「わけの……わかんない事、言ってないでさ……」
蛍は踏み込んだ。鬼に向かって、拳を、蹴りを、叩き付けていった。
「教えてよ、金剛様を生き返らせる方法……とっとと聞かせ」
鬼が、隕石のような拳を振るった。
蛍は吹っ飛んでいた。体内あちこちが破裂し、血反吐が飛び散った。
鬼ではない。
薄れゆく意識で、ぼんやりと思考しながら、蛍は地面に激突していた。
鬼の中に、鬼よりも禍々しい何者かがいる。
それが、鬼の大口を用いて言葉を発する。
「くれ……その命、その魂、その力……俺に、くれえぇ……」
鬼の筋骨たくましい全身から、燃えるような霊気が立ち昇って形を成した。
「非力なお前たちを、覚者という強大なものへと変えた力……我らが手にすれば、地球をも圧倒する存在となる。この忌々しい惑星を破壊して作り直し、我ら海のものたちの栄えを取り戻すのだ! そのための力、くれ! さあくれ、俺によこせええええッ!」
生前の姿、であろう。
モササウルス、あるいはティロサウルスか。それは太古の海で猛り狂い牙を剥く、海棲巨大生物の威容であった。
まだ鬼も人間もいなかった頃の地球上で、こやつはただ、いくらかは我が物顔で海を泳ぎ回っていただけだ。
悪事を働いた、わけではない。
なのに、環境の激変と地殻変動のせいで生きてゆけなくなり、こうして地の底に埋もれて肉も骨も朽ち果てた。
あんまりではないか。
こやつに今あるのは、その思いだけだ。
地球に対する怨み言だけを、俺は延々と聞かされていた。俺も聞き役に徹してやった。
やがて、こやつは言った。力があれば、と。
人間どもが、力を得て覚者となった。このような地の底にいても感じられるほどの力。
それを我々が手に入れたら、どうなる。
非力な人間どもでさえ、覚者というとてつもないものへと進化を遂げたのだ。我らがその力を獲得すれば、この忌々しい地球をも圧倒する存在に成れる。
地球に復讐出来る。地球を、克服出来る。
そんな夢を語るこやつに、俺は言って聞かせた。
他者の力を妬み、羨み、奪わんとするなど、誇りある海の猛者の在りようとしては如何なものか……と。
こやつは怒り狂った。殺される、と俺は思った。元々、生きているやら死んでいるやら判然としない身ではあるが。
その時。強大な何者かが、こやつへの説得に取りかかってくれた。
怒り狂っていたこやつが、いくらかは大人しくなった。
その何者かが、時をかけてこやつを説得してくれる。
俺がそう安心しかけた、その時。
しおらしく説教を受けていたこやつが、突然、そして完全に、理性を失った。
こやつにとって、あまりにも魅力的な餌が、近付いて来たのである。
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金剛は、戦いの果てに神となった。
生き残った金剛隔者が、神を崇める。
それが、八神勇雄に媚びへつらう者たちには許せないらしい。
だから篠崎蛍は、命を狙われた。
助けられ、ファイヴに囚われ、脱走して来たところである。
「立ち去れ覚者、いや隔者よ」
斎服をまとった半魚人……人魚の禰宜たちが、一斉に抜刀した。
「貴様のような者がいては、今度こそ禍津神が目覚めてしまう! 去れ!」
「去らねば殺す! 禍津神の餌となる前に!」
斬りかかって来る人魚たちに、蛍は微笑みかけた。
「あたしら金剛隔者に向かって……殺す……? 何言ってるか、わかってンのかこの雑魚どもがッ!」
少女の、鋭利な拳が宙を裂く。豊かな胸が猛々しく揺れ、凹凸のくっきりとしたボディラインが捻転し、すらりと伸びた美脚が一閃する。
人魚たちの、顔面が潰れ、臓物が破裂した。
屍も同然の有り様を晒す、5名の禰宜。うち1人を蹴り飛ばして道を空けながら、蛍は歩み寄った。
崩落し、入り口の塞がった、洞窟神社へと。
入り口を塞ぐ巨岩が、震えている。
洞窟が、地面が、山そのものが、震動していた。
「骨だけになっても……骨すら朽ち果てちゃっても、存在していられる……君たち、竜宮の古妖」
揺れる洞窟に、蛍は語りかけた。
「……その力なら、金剛様を……生き返らせて、くれるよね?」
崩落した洞窟が、さらに崩れてゆく。
蛍は、涙を流していた。
「あたし……たとえ骨だけでも、妖みたいな形でもいいから……金剛様に、生き返って欲しいから……」
洞窟が、砕け散った。
飛散する岩を、よろめくように回避しながら、蛍は見た。
地の底から現れた、筋骨隆々たる巨体を。
それは、鬼であった。
鬼が一緒に閉じ込められている、という話を、そう言えば聞いたような気がする。
「……あんまりだ……あんまりではないかぁ……」
牙を剥き、眼光を燃やし、鬼は慟哭している。
「我らが一体、何をしたと言うのだ……母なる惑星よ……」
真紅の眼光そのものが、溶岩の如き涙となって溢れ出す。
「何故、我らは滅びなければならない……? あなたの気まぐれで一体、どれだけの海の民が滅びていったと思うのだ……ひどいではないか、あんまりだとは思わんのか……」
「わけの……わかんない事、言ってないでさ……」
蛍は踏み込んだ。鬼に向かって、拳を、蹴りを、叩き付けていった。
「教えてよ、金剛様を生き返らせる方法……とっとと聞かせ」
鬼が、隕石のような拳を振るった。
蛍は吹っ飛んでいた。体内あちこちが破裂し、血反吐が飛び散った。
鬼ではない。
薄れゆく意識で、ぼんやりと思考しながら、蛍は地面に激突していた。
鬼の中に、鬼よりも禍々しい何者かがいる。
それが、鬼の大口を用いて言葉を発する。
「くれ……その命、その魂、その力……俺に、くれえぇ……」
鬼の筋骨たくましい全身から、燃えるような霊気が立ち昇って形を成した。
「非力なお前たちを、覚者という強大なものへと変えた力……我らが手にすれば、地球をも圧倒する存在となる。この忌々しい惑星を破壊して作り直し、我ら海のものたちの栄えを取り戻すのだ! そのための力、くれ! さあくれ、俺によこせええええッ!」
生前の姿、であろう。
モササウルス、あるいはティロサウルスか。それは太古の海で猛り狂い牙を剥く、海棲巨大生物の威容であった。

■シナリオ詳細
■成功条件
1.古妖・海竜(凶暴種)の撃破
2.なし
3.なし
2.なし
3.なし
シリーズシナリオ『太古の怒り』最終回であります。
洞窟神社の奥に眠っていた古妖が、鬼の身体を乗っ取って地上に現れました。これを撃破して下さい。
便宜上、海竜(凶暴種)と呼ばせていただきます。
この古妖の攻撃手段は、剛力による格闘戦(物近単)の他、生前の海竜の形をした霊気の塊を波動技のように放って来ます(特遠全)。
洞窟を守っていた人魚の禰宜5名が、周囲で屍同然の状態で散らばり倒れていますが全員、辛うじて生きております。再生能力があるので、放っておけば回復するでしょう。
彼らを倒した元金剛隔者・篠崎蛍も、海竜・凶暴種の眼前で同じように死にかけております。あと一撃でも攻撃を受ければ死ぬ状態です。
回復してあげる事は可能ですが、心が完全にへし折られているので、戦闘に参加させる事は出来ません。
彼女の行動が許せないから見殺しにする。とどめを刺す。それも有りだと思います。
時間帯は昼、場所は拙シナリオ『禍津神の社』と同じ山中の洞窟前。
古妖が復活したので、地震はすでに止まっております。
それでは、よろしくお願い申し上げます。
状態
完了
完了
報酬モルコイン
金:1枚 銀:0枚 銅:0枚
金:1枚 銀:0枚 銅:0枚
相談日数
7日
7日
参加費
100LP[+予約50LP]
100LP[+予約50LP]
参加人数
6/6
6/6
公開日
2018年08月03日
2018年08月03日
■メイン参加者 6人■

●
「人死には出ていません。まあ怪我人は出ましたけど……約2名」
星崎玲子が、ちらりと睨む。
ミイラ男が2人、そこで正座をさせられていた。
包帯を巻かれた、五樹影虎と西村貢だった。
「篠崎蛍さんを見張っていたのは、この2人です。まあ何と言うか、巨乳系の美少女さんでしたからね……ちょっとしたハニートラップを喰らって、油断して、叩きのめされて、この様です」
「すまねえ……」
「面目ない……」
「中司令は、ですから全然悪くありません。まあ擁護しようのない人選ミスではありますけど」
玲子は1つ、咳払いをした。
「とにかく、手空きの人がいないようでしたら私が、この2人を無理矢理に治療して引きずって行くところですが……皆さんに、お願い出来ますか?」
●
「凶暴種だって、凶暴種!」
興奮が止まらない様子だった。『呑気草』真屋千雪(CL2001638)が、今や呑気ではいられずにいる。
「海竜の凶暴個体とか! めちゃくちゃテンション上がるんだけど行く? ひと狩り行っちゃう?」
「……あんまり浮かれてると、千雪の方が狩られちゃうよ」
ぐい、と千雪の首根っこを掴みながら、『エリニュスの翼』如月彩吹(CL2001525)が微笑んでいる。
「相手はね、白亜紀からずっと怨念を燃やし続けている、筋金入りの古妖なんだから」
「は、はいスイマセン。お仕事ガンバリマース」
微笑みながら、彩吹は激怒している。桂木日那乃(CL2000941)は、そう感じた。
彩吹を怒らせる、などという命知らずな事をしでかした1人の少女が、壊れた人形のように倒れ死にかけている。
元金剛隔者・篠崎蛍。今は、重傷を負った美少女にしか見えない。
彼女を背後に庇う格好で、覚者6名は布陣し、禍々しいものと対峙している。
「よくぞ来た、覚者たち……さあ、くれ」
荒ぶる海の古妖に、乗っ取られた鬼。ミイラであると聞いていたが、その筋骨たくましい巨体には獰猛な生気が漲っている。
「お前たちの命を、魂を、そして力を、俺にくれぇええええええ!」
「うーん、思い出すなあ」
感慨深げな声を発しているのは『探偵見習い』工藤奏空(CL2000955)だ。
「いつだったかな。翔が夏休みの宿題ぜんぜんやってなくて、缶詰めにされて。俺たちがオムライス差し入れに行った時」
「……いくら何でも、ここまでひどくねーぞ」
文句を言いつつ、『ファイブレッド』成瀬翔(CL2000063)がカクセイパッドを掲げる。
「ま、それはともかく凶暴竜! こんな事してたら乙姫サマが悲しむぞ、大人しく海へ帰れよ!」
「乙姫様は、おっしゃった……地球の意思に、逆らってはならぬと……」
燃え盛る眼光が、そのまま涙となって、鬼の両目から溢れ出す。
「地球がやらかした事であるなら、大量絶滅でさえ我らは受け入れねばならんのか……あんまりだ、あんまりではないかぁあ……ッ!」
「だから、この星を造り変える……か。そのために覚者の力が欲しい、というわけだな」
前衛に進み出て大鎌・白狼を構えながら、『鬼灯の鎌鼬』椿屋ツバメ(CL2001351)が言った。
「……無理だ、と私は思う。覚者の力など、普通の人間をそこそこ強くする程度のもの。お前が獲得したところで……遙か昔、普通に生きていた頃のお前の、半分のエネルギーも出せないだろう。地球に勝つ事など出来はしない。お前たちも、当然私たちも」
彼女の額で第三の目が開き、燃えるような光を発した。灼熱化の輝き。
その眼光が、倒れたままの蛍に向けられる。
「死んだ人間を生き返らせるなど尚更、無理だ」
「1つ、ほっとするお知らせ……篠崎さん。あなた人、殺していない」
言葉と共に、日那乃は翼を広げた。水行の、力の粒子が、キラキラと拡散する。
そして雨となり、降った。潤しの雨。
「だけど……その人魚さんたち、殺そうとした。それは許せない。人魚さん、だから、死なずに済んだ」
斉服をまとう半魚人たちが、叩き潰された肉体を弱々しく再生回復させながら倒れている。
潤しの雨が、彼らと蛍を一緒くたに濡らした。
治療術式を実行中の日那乃を背後に庇って、彩吹が立ち身構え、荒々しく翼を開き、火行因子を燃やした。天駆だった。
「さて……鬼仏のカッちゃん、聞こえてる? 力彦が待ってるよ」
「ああカッちゃん様、あんなに干からびてたのに随分とまた瑞々しくなってしまわれて」
言いつつ奏空が、前世の『誰か』との同調を行った。
「干からびた貴方でいい、力彦君のところへ帰ろう。みんな、カッちゃん様になら本気で攻撃しても大丈夫! この方、基本的に不死身だから。全力で戦って助けよう!」
「そのつもり。気合いで踏ん張れ、カッちゃん」
彩吹が、指を鳴らす。
火花が散り、無数の小さな炎となって、鬼の巨体にまとわりついた。
全身を灼かれながらも、鬼が猛然と踏み込んで来る。
「この鬼の身体も、なかなか良い。俺がもらう。あとは貴様たちの力! さあよこせ!」
隕石のような拳が、奏空を直撃した。
その瞬間、光り輝く八葉蓮華が見えた。奏空の防御術式。
海竜を宿す鬼が、後方によろめく。
薬壺印を結びながら、奏空も後方に揺らぎ、血を吐いた。
よろめく奏空の左右を、激しい光が通過する。一閃する眼光と、光の矢。
ツバメの破眼光と、翔のB.O.T.改だった。
「奪う事しか考えられなくなっているのか! それでは駄目だ、目を覚ませ!」
「そうだぜ! 自分の無茶な高望みのために、他人の大切な誰かを奪っちゃダメだ!」
2つの光が、鬼の巨体を刺し貫く。
その間、日那乃は、癒しの力を巨大な水滴に変え、降らせていた。
潤しの滴が、奏空を直撃していた。
「工藤さん、平気……?」
「お、俺は大丈夫。破裂した内臓に水行の力がしみるけど……それより日那ちゃん、人魚たちと篠崎さんは」
「大丈夫。命に別状ないところまで、治した」
人魚の禰宜たちが、よろよろと身を起こし始めている。
「ぐっ……か、覚者たち……我らを、助けてくれたのか……?」
「恩に着る……それはそれとして、貴様は許さん!」
術式治療を受けた篠崎蛍が、しかし折れた心までは癒えずに呆然と木にもたれている。そこへ、人魚たちが斬りかかろうとする。
「はいはーい、喧嘩は後でねー」
声をかけながら、千雪が琴巫姫を爪弾き、奏でた。
幻惑的な琴の音色が、戦場全域を支配した。
ぎろりと千雪を睨む人魚たちにも、琴巫姫の調べがまとわりつく。
「とりあえずー……僕の新曲でも聴いて、リラックスしとく?」
琴の音に合わせて蔦が生え伸び、凶暴なほど筋骨たくましい鬼の全身に絡み付いていった。
●
蔦に捕縛されゆく鬼の巨体に、奏空は容赦なく斬りかかって行った。
「色は匂えど、散りぬるを……」
いろは歌を、口にしながらだ。
「この世は諸行無常ってね。万物は流転する……この解釈で合っているのかどうかは諸説あるけど、とにかくっ」
高速の斬撃が、立て続けに鬼を直撃する。十六夜だった。
「大きな流れには、誰も逆らえないんだ! 人間だって、いつか滅びる。あんたたちよりも、ずっと悲惨な滅び方をするような気がする。だけど俺たちは受け入れるだろう、だから」
「……どうかな、それは」
海竜が、鬼の顔でニヤリと笑う。
「人間が滅びの時を迎えようとする、そうなれば懸命に抗って見せるのが貴様たち覚者ではないのか。ふふ、それが悪いと言っているわけではない。滅亡など受け入れられなくて当然、だから俺は抗うのだ! 抗うための力を、さあよこせ! 俺にくれ!」
蔦を引きちぎろうとする鬼の巨体、その各所関節部に、斬撃のような手刀が連続で叩き込まれた。
「ぐっ……貴様……」
「……貴方の欲しい力って、これの事?」
彩吹の『参点砕き』だった。
「確かにね、海坊主を蹴っ飛ばすくらいの事は出来るよ。だけど出来ない事の方が多すぎる。覚者の力なんかじゃ、力彦みたいな子を慰める事だって出来やしない! ツバメも言ったけど私も断言するよ。覚者の力を手に入れたって、地球に勝つなんて絶対に無理だから!」
「勝つ……俺は絶対に勝つ、この星に!」
鬼の巨大な全身から、竜が現れた。奏空には一瞬、そう見えた。
激しく立ち上った闘気が、生前の海竜の威容を形作っていた。モササウルス科の、巨大な海獣。
それが、覚者6人を一斉に襲う。
太古の大海原が猛然と波打つ様を幻視しつつ、奏空は高々と吹っ飛んで顔面から落ちた。他5名も、同じ様を晒した。
「ぐぅ……っ、な……何て、奴だよ……」
よろよろと立ち上がりながら、翔が呻く。
「呪いも、弱体化も……全部、自力で回復しちまいやがった……本当の、化け物だな。けどよっ、こいつはどうだ!」
雷雲が渦巻き、鬼に向かって稲妻を吐く。雷獣。
海竜宿す鬼を、電光で灼き縛りながら、翔は言った。
「なあ凶暴竜……偉そうな事言う資格がオレたちにねーってのは、わかってるよ。人間は滅びてねえし、そのくせ……いろんな生き物、滅ぼして」
「思い上がるなよ、人間」
蔦と電撃に縛られながら、鬼は牙を剥く。
「この母なる惑星が、自ら生み出しておきながら滅ぼしてきた無数の生命……比べれば、貴様らのもたらした滅びなど何ほどの事もあるまい。だからこそ我らは克服せねばならんのだ! 地球という、忌まわしき母を」
「……違う……それは、違うぞ……」
ツバメが、大鎌にすがりつくように立ち上がり、よろめくように踏み込んで行く。
「私たちの力も、お前たちの力も、この星から与えられたもの……ではないのか!」
いくらか頼りない踏み込みが、しかし竜巻のような疾風双斬に変わった。
直撃を喰らった鬼が、よろりと後退をしている間。
覚者6人に、水行の癒しが降り注いでいた。
「大きなもの、動いてる……わたしたち、わかる」
日那乃の『潤しの雨』だった。
「わたしたちの発現、覚醒……その、大きな何かの一部」
「克服なんて無理無理。無理な事はあきらめて、のんびりまったり行こうよー」
言いつつ千雪が、琴巫姫を軽く掻き鳴らす。
鬼の全身を縛りながらもちぎれかけている蔦が、花を芽吹かせ、咲かせた。猛毒の芳香を発する凶花。
仇華浸香だった。
「ぐぅッ……の、のんびりと……地の底で! 死んでいろとでもぬかすのか小僧!」
毒香に抗いながら、鬼が叫ぶ。
「そうだよ……大人しく死んでいる、べきなんだ。あんたは」
奏空は言った。
「傲慢な言い方だけど、ごめん。今のあんたには行くべき処がある!」
叫びつつ、一瞬だけ視線を動かす。茫然自失したままの、隔者の少女へと。
「行くべき処へ行ってしまった誰かを、この世に呼び戻すなんて……許されないんだよ、篠崎さん」
●
翔が、エネミースキャンを実行したようだ。
「鬼のカッちゃんと凶暴竜の奴を……上手いこと分離出来ねーかと思ったんだが、都合良く方法が見つかるもんでもねえな」
「奏空が言った通り、本気でぶちのめして、憑き物を追い出して……鰹節カッちゃんには気合いで生き残ってもらう。それしかないと思うよ」
よろりと立ち上がり、口元の血を拭いながら、彩吹が言う。
霞舞のカウンター攻撃を、辛うじて決めたところである。傍目には、痛々しい相打ちにしか見えないのだが。
よろめきながらも倒れない鬼の巨体を見据え、彩吹は立っている。立てずにいる千雪を、背後に庇いながら。
「無理は駄目だよ、千雪」
「へ、平気……のはず、だったんだけどなー……」
本来ならば自分が、彩吹を守って立つはずだったのだ。
いくらかの攻撃と、補助的な治療術式だけで、力を使い果たしてしまった。
「後は任せな……!」
翔が、気力を奮い立たせる。
「おい凶暴竜! 望み通り俺たちの力、喰らわしてやる。まだ喰い足りねーかあぁッ!」
雷獣の電光が、竜宿す鬼を激しく打ち据える。
直後、霧が生じた。
濃霧の中で斬撃が一閃し、鬼の強固な筋肉をザックリと切り裂いた。
「くっ……まだ駄目か……!」
斬撃を終え、着地したツバメを、鬼の巨大な拳が襲う。
その拳が、止まった。
「……カッちゃん……様……?」
力尽き、片膝をついていた奏空が、弱々しく呟く。
鬼が、応えた。
「……決めろ……あと、一撃だ……」
大量の水飛沫が散った。
水行の癒しが、巨大な水滴となって奏空を直撃していた。
「最後の、潤しの滴……」
力尽きる寸前の日那乃が、言った。
「……決めて、工藤さん……」
「わかった……ぅぉおおおおおッ!」
回復した、なけなしの体力を、奏空は全て『激鱗』に注ぎ込んだようであった。
彼の命そのもののような斬撃が、鬼に叩き込まれる。
地響きが、起こった。
鬼が、倒れていた。鰹節の如く、固く干からびた巨体。
そこから抜け出した、追い出されたものが、空中に禍々しくわだかまっている。
肉声を発する手段を失ったそれが、しかし無音無声の憎悪を燃やし続ける。
まさか、これとも戦わなければならないのか。
千雪が思いかけた、その時。
戦いを見届けていた人魚の禰宜たちが、さっと左右に分かれて道を空けた。
優美な人影が1つ、進み出て来たところである。
「竜宮の……とんだ恥を、晒してしまったわね」
「乙姫様……」
翔が、息を呑みながら声を発する。
竜宮の乙姫。世界で2番目か3番目に美しい女性かも知れない、と千雪は思った。
世界一の美女が、千雪を背後に庇ったまま言う。
「いいところに来てくれるね、乙姫様。まさかとは思うけど、出番待ちで高みの見物?」
「たった今、来たところよ……監督不行き届きは大目に見てね。私も、忙しいのよ」
「すまない」
ツバメが、頭を下げた。
「竜宮の眷属に、痛い思いをさせてしまった。人魚たちにも……本当に、すまない」
「謝るのは私の方よ。毎回毎回……あなたたちには、面倒と迷惑をかけ通しね。申し訳ないとは思っているのよ」
言いつつ乙姫が、手にしている箱を開けた。
「そ、それって……もしかして、玉手箱……」
千雪は戦慄した。
「こんな所で開けたら……」
「心配しないで、私があの方に差し上げたものとは違うから……これがね、この箱の本来の使い方よ」
無音無声の怨念を燃やしながら宙にわだかまるものが、箱の中に吸い込まれてゆく。
乙姫が蓋を閉め、飾り紐を結んだ。
禍々しいものを閉じ込めた玉手箱が、ガタガタと震え続ける。
日那乃が言った。
「不満たらたら、みたい……」
「そうねえ。でも貴女たちが、こうして封印可能な状態に追い込んでくれたおかげで助かったわ。本当にありがとう」
乙姫の涼やかな眼差しが、人魚の禰宜たちに向けられる。
「お前たちも。長きに渡る監視の役目、本当に御苦労様でした」
「身に余る御言葉……」
「そして鬼族の方。貴方にも、御礼とお詫びを」
奏空と翔に助け起こされながら、鬼が微笑む。
「竜宮の長が……随分と身軽に、地上を出歩いているのだな」
「すごい……生きてる」
日那乃が、目を丸くしている。
「本当に不死身……だから海竜さんの魂、入るのに都合良かった?」
「まあ、あれも気の毒な奴ではあるのだ」
「気の毒な目に遭ったのは、貴方だ」
ツバメが、鬼にも謝罪をした。
「……本当に、申し訳ない」
「何を言う、助けてもらったのは俺の方だ」
「気にすんな。それより早く、力彦に元気な顔! 見せてやれよなっ」
翔が、鬼の肩を叩く。
彩吹が、鬼の顔面をぺしぺしと叩く。
「この顔を、ね……ふふ、良かった良かった」
微笑みながら彩吹が、鬼の頭を軽く抱き締める。
炎のようなものが一瞬だけ、千雪の胸中で燃え猛った。
そんな千雪を、日那乃が、じっと見つめている。
「真屋さん、今……破綻、しかけた?」
「そ、そそそそそそんなワケないじゃんか桂木くん。やだなあ、もう」
「そう……それならいい、けど」
ちらり、と日那乃は視線を動かした。
ツバメに大鎌を突きつけられている、篠崎蛍へと。
「……後は、あの人」
「そうだぜ、蛍! お前な、もう少し人の話聞け! オレに言われるとか、相当だぞ!」
翔は拳を振り上げたが、振り下ろす事は出来ずにいる。
彼に女の子は殴れないだろう、と千雪は思う。戦闘中ならばともかく、だ。
「ヤバい奴が相手だって事くらい、わかるだろ! オレらの話聞いてりゃあ!」
「本当にヤバい目に遭わないと理解出来ない。まあ、金剛隔者らしいよね」
彩吹の方は容赦なく、蛍の顔面に平手打ちを喰らわせていた。
「これだけは言っておく……私も金剛は大嫌いだけどね、あの人は蘇りを望むような馬鹿じゃあなかった」
「篠崎さん……貴女のおかげでカッちゃん様が助かった、とは言えない事もない。お礼は言っておく、どうもありがとう」
奏空が言った。
「……金剛は、戦って死んだ。今や、ただのお婆さんだ。あんな戦い、もうさせちゃいけないんだよ」
「死んだ人間に頼ってないで、少しは自分の頭で考えて行動出来るようになれ!」
彩吹は怒鳴る。蛍は、俯く。
翔が、こちらへ来て声を潜めた。
「……オレ、ふと思ったんだけどさ。あの金剛って、若い頃は彩吹さんみたいな女の人だったり」
「結婚出来なかったり、すると……あんなふうに」
「ならないよー絶対!」
日那乃は頷き、千雪は悲鳴を上げた。
(僕が、彩吹さんを、あんなふうにはさせないから!)
そう、叫んでしまうところだった。
「人死には出ていません。まあ怪我人は出ましたけど……約2名」
星崎玲子が、ちらりと睨む。
ミイラ男が2人、そこで正座をさせられていた。
包帯を巻かれた、五樹影虎と西村貢だった。
「篠崎蛍さんを見張っていたのは、この2人です。まあ何と言うか、巨乳系の美少女さんでしたからね……ちょっとしたハニートラップを喰らって、油断して、叩きのめされて、この様です」
「すまねえ……」
「面目ない……」
「中司令は、ですから全然悪くありません。まあ擁護しようのない人選ミスではありますけど」
玲子は1つ、咳払いをした。
「とにかく、手空きの人がいないようでしたら私が、この2人を無理矢理に治療して引きずって行くところですが……皆さんに、お願い出来ますか?」
●
「凶暴種だって、凶暴種!」
興奮が止まらない様子だった。『呑気草』真屋千雪(CL2001638)が、今や呑気ではいられずにいる。
「海竜の凶暴個体とか! めちゃくちゃテンション上がるんだけど行く? ひと狩り行っちゃう?」
「……あんまり浮かれてると、千雪の方が狩られちゃうよ」
ぐい、と千雪の首根っこを掴みながら、『エリニュスの翼』如月彩吹(CL2001525)が微笑んでいる。
「相手はね、白亜紀からずっと怨念を燃やし続けている、筋金入りの古妖なんだから」
「は、はいスイマセン。お仕事ガンバリマース」
微笑みながら、彩吹は激怒している。桂木日那乃(CL2000941)は、そう感じた。
彩吹を怒らせる、などという命知らずな事をしでかした1人の少女が、壊れた人形のように倒れ死にかけている。
元金剛隔者・篠崎蛍。今は、重傷を負った美少女にしか見えない。
彼女を背後に庇う格好で、覚者6名は布陣し、禍々しいものと対峙している。
「よくぞ来た、覚者たち……さあ、くれ」
荒ぶる海の古妖に、乗っ取られた鬼。ミイラであると聞いていたが、その筋骨たくましい巨体には獰猛な生気が漲っている。
「お前たちの命を、魂を、そして力を、俺にくれぇええええええ!」
「うーん、思い出すなあ」
感慨深げな声を発しているのは『探偵見習い』工藤奏空(CL2000955)だ。
「いつだったかな。翔が夏休みの宿題ぜんぜんやってなくて、缶詰めにされて。俺たちがオムライス差し入れに行った時」
「……いくら何でも、ここまでひどくねーぞ」
文句を言いつつ、『ファイブレッド』成瀬翔(CL2000063)がカクセイパッドを掲げる。
「ま、それはともかく凶暴竜! こんな事してたら乙姫サマが悲しむぞ、大人しく海へ帰れよ!」
「乙姫様は、おっしゃった……地球の意思に、逆らってはならぬと……」
燃え盛る眼光が、そのまま涙となって、鬼の両目から溢れ出す。
「地球がやらかした事であるなら、大量絶滅でさえ我らは受け入れねばならんのか……あんまりだ、あんまりではないかぁあ……ッ!」
「だから、この星を造り変える……か。そのために覚者の力が欲しい、というわけだな」
前衛に進み出て大鎌・白狼を構えながら、『鬼灯の鎌鼬』椿屋ツバメ(CL2001351)が言った。
「……無理だ、と私は思う。覚者の力など、普通の人間をそこそこ強くする程度のもの。お前が獲得したところで……遙か昔、普通に生きていた頃のお前の、半分のエネルギーも出せないだろう。地球に勝つ事など出来はしない。お前たちも、当然私たちも」
彼女の額で第三の目が開き、燃えるような光を発した。灼熱化の輝き。
その眼光が、倒れたままの蛍に向けられる。
「死んだ人間を生き返らせるなど尚更、無理だ」
「1つ、ほっとするお知らせ……篠崎さん。あなた人、殺していない」
言葉と共に、日那乃は翼を広げた。水行の、力の粒子が、キラキラと拡散する。
そして雨となり、降った。潤しの雨。
「だけど……その人魚さんたち、殺そうとした。それは許せない。人魚さん、だから、死なずに済んだ」
斉服をまとう半魚人たちが、叩き潰された肉体を弱々しく再生回復させながら倒れている。
潤しの雨が、彼らと蛍を一緒くたに濡らした。
治療術式を実行中の日那乃を背後に庇って、彩吹が立ち身構え、荒々しく翼を開き、火行因子を燃やした。天駆だった。
「さて……鬼仏のカッちゃん、聞こえてる? 力彦が待ってるよ」
「ああカッちゃん様、あんなに干からびてたのに随分とまた瑞々しくなってしまわれて」
言いつつ奏空が、前世の『誰か』との同調を行った。
「干からびた貴方でいい、力彦君のところへ帰ろう。みんな、カッちゃん様になら本気で攻撃しても大丈夫! この方、基本的に不死身だから。全力で戦って助けよう!」
「そのつもり。気合いで踏ん張れ、カッちゃん」
彩吹が、指を鳴らす。
火花が散り、無数の小さな炎となって、鬼の巨体にまとわりついた。
全身を灼かれながらも、鬼が猛然と踏み込んで来る。
「この鬼の身体も、なかなか良い。俺がもらう。あとは貴様たちの力! さあよこせ!」
隕石のような拳が、奏空を直撃した。
その瞬間、光り輝く八葉蓮華が見えた。奏空の防御術式。
海竜を宿す鬼が、後方によろめく。
薬壺印を結びながら、奏空も後方に揺らぎ、血を吐いた。
よろめく奏空の左右を、激しい光が通過する。一閃する眼光と、光の矢。
ツバメの破眼光と、翔のB.O.T.改だった。
「奪う事しか考えられなくなっているのか! それでは駄目だ、目を覚ませ!」
「そうだぜ! 自分の無茶な高望みのために、他人の大切な誰かを奪っちゃダメだ!」
2つの光が、鬼の巨体を刺し貫く。
その間、日那乃は、癒しの力を巨大な水滴に変え、降らせていた。
潤しの滴が、奏空を直撃していた。
「工藤さん、平気……?」
「お、俺は大丈夫。破裂した内臓に水行の力がしみるけど……それより日那ちゃん、人魚たちと篠崎さんは」
「大丈夫。命に別状ないところまで、治した」
人魚の禰宜たちが、よろよろと身を起こし始めている。
「ぐっ……か、覚者たち……我らを、助けてくれたのか……?」
「恩に着る……それはそれとして、貴様は許さん!」
術式治療を受けた篠崎蛍が、しかし折れた心までは癒えずに呆然と木にもたれている。そこへ、人魚たちが斬りかかろうとする。
「はいはーい、喧嘩は後でねー」
声をかけながら、千雪が琴巫姫を爪弾き、奏でた。
幻惑的な琴の音色が、戦場全域を支配した。
ぎろりと千雪を睨む人魚たちにも、琴巫姫の調べがまとわりつく。
「とりあえずー……僕の新曲でも聴いて、リラックスしとく?」
琴の音に合わせて蔦が生え伸び、凶暴なほど筋骨たくましい鬼の全身に絡み付いていった。
●
蔦に捕縛されゆく鬼の巨体に、奏空は容赦なく斬りかかって行った。
「色は匂えど、散りぬるを……」
いろは歌を、口にしながらだ。
「この世は諸行無常ってね。万物は流転する……この解釈で合っているのかどうかは諸説あるけど、とにかくっ」
高速の斬撃が、立て続けに鬼を直撃する。十六夜だった。
「大きな流れには、誰も逆らえないんだ! 人間だって、いつか滅びる。あんたたちよりも、ずっと悲惨な滅び方をするような気がする。だけど俺たちは受け入れるだろう、だから」
「……どうかな、それは」
海竜が、鬼の顔でニヤリと笑う。
「人間が滅びの時を迎えようとする、そうなれば懸命に抗って見せるのが貴様たち覚者ではないのか。ふふ、それが悪いと言っているわけではない。滅亡など受け入れられなくて当然、だから俺は抗うのだ! 抗うための力を、さあよこせ! 俺にくれ!」
蔦を引きちぎろうとする鬼の巨体、その各所関節部に、斬撃のような手刀が連続で叩き込まれた。
「ぐっ……貴様……」
「……貴方の欲しい力って、これの事?」
彩吹の『参点砕き』だった。
「確かにね、海坊主を蹴っ飛ばすくらいの事は出来るよ。だけど出来ない事の方が多すぎる。覚者の力なんかじゃ、力彦みたいな子を慰める事だって出来やしない! ツバメも言ったけど私も断言するよ。覚者の力を手に入れたって、地球に勝つなんて絶対に無理だから!」
「勝つ……俺は絶対に勝つ、この星に!」
鬼の巨大な全身から、竜が現れた。奏空には一瞬、そう見えた。
激しく立ち上った闘気が、生前の海竜の威容を形作っていた。モササウルス科の、巨大な海獣。
それが、覚者6人を一斉に襲う。
太古の大海原が猛然と波打つ様を幻視しつつ、奏空は高々と吹っ飛んで顔面から落ちた。他5名も、同じ様を晒した。
「ぐぅ……っ、な……何て、奴だよ……」
よろよろと立ち上がりながら、翔が呻く。
「呪いも、弱体化も……全部、自力で回復しちまいやがった……本当の、化け物だな。けどよっ、こいつはどうだ!」
雷雲が渦巻き、鬼に向かって稲妻を吐く。雷獣。
海竜宿す鬼を、電光で灼き縛りながら、翔は言った。
「なあ凶暴竜……偉そうな事言う資格がオレたちにねーってのは、わかってるよ。人間は滅びてねえし、そのくせ……いろんな生き物、滅ぼして」
「思い上がるなよ、人間」
蔦と電撃に縛られながら、鬼は牙を剥く。
「この母なる惑星が、自ら生み出しておきながら滅ぼしてきた無数の生命……比べれば、貴様らのもたらした滅びなど何ほどの事もあるまい。だからこそ我らは克服せねばならんのだ! 地球という、忌まわしき母を」
「……違う……それは、違うぞ……」
ツバメが、大鎌にすがりつくように立ち上がり、よろめくように踏み込んで行く。
「私たちの力も、お前たちの力も、この星から与えられたもの……ではないのか!」
いくらか頼りない踏み込みが、しかし竜巻のような疾風双斬に変わった。
直撃を喰らった鬼が、よろりと後退をしている間。
覚者6人に、水行の癒しが降り注いでいた。
「大きなもの、動いてる……わたしたち、わかる」
日那乃の『潤しの雨』だった。
「わたしたちの発現、覚醒……その、大きな何かの一部」
「克服なんて無理無理。無理な事はあきらめて、のんびりまったり行こうよー」
言いつつ千雪が、琴巫姫を軽く掻き鳴らす。
鬼の全身を縛りながらもちぎれかけている蔦が、花を芽吹かせ、咲かせた。猛毒の芳香を発する凶花。
仇華浸香だった。
「ぐぅッ……の、のんびりと……地の底で! 死んでいろとでもぬかすのか小僧!」
毒香に抗いながら、鬼が叫ぶ。
「そうだよ……大人しく死んでいる、べきなんだ。あんたは」
奏空は言った。
「傲慢な言い方だけど、ごめん。今のあんたには行くべき処がある!」
叫びつつ、一瞬だけ視線を動かす。茫然自失したままの、隔者の少女へと。
「行くべき処へ行ってしまった誰かを、この世に呼び戻すなんて……許されないんだよ、篠崎さん」
●
翔が、エネミースキャンを実行したようだ。
「鬼のカッちゃんと凶暴竜の奴を……上手いこと分離出来ねーかと思ったんだが、都合良く方法が見つかるもんでもねえな」
「奏空が言った通り、本気でぶちのめして、憑き物を追い出して……鰹節カッちゃんには気合いで生き残ってもらう。それしかないと思うよ」
よろりと立ち上がり、口元の血を拭いながら、彩吹が言う。
霞舞のカウンター攻撃を、辛うじて決めたところである。傍目には、痛々しい相打ちにしか見えないのだが。
よろめきながらも倒れない鬼の巨体を見据え、彩吹は立っている。立てずにいる千雪を、背後に庇いながら。
「無理は駄目だよ、千雪」
「へ、平気……のはず、だったんだけどなー……」
本来ならば自分が、彩吹を守って立つはずだったのだ。
いくらかの攻撃と、補助的な治療術式だけで、力を使い果たしてしまった。
「後は任せな……!」
翔が、気力を奮い立たせる。
「おい凶暴竜! 望み通り俺たちの力、喰らわしてやる。まだ喰い足りねーかあぁッ!」
雷獣の電光が、竜宿す鬼を激しく打ち据える。
直後、霧が生じた。
濃霧の中で斬撃が一閃し、鬼の強固な筋肉をザックリと切り裂いた。
「くっ……まだ駄目か……!」
斬撃を終え、着地したツバメを、鬼の巨大な拳が襲う。
その拳が、止まった。
「……カッちゃん……様……?」
力尽き、片膝をついていた奏空が、弱々しく呟く。
鬼が、応えた。
「……決めろ……あと、一撃だ……」
大量の水飛沫が散った。
水行の癒しが、巨大な水滴となって奏空を直撃していた。
「最後の、潤しの滴……」
力尽きる寸前の日那乃が、言った。
「……決めて、工藤さん……」
「わかった……ぅぉおおおおおッ!」
回復した、なけなしの体力を、奏空は全て『激鱗』に注ぎ込んだようであった。
彼の命そのもののような斬撃が、鬼に叩き込まれる。
地響きが、起こった。
鬼が、倒れていた。鰹節の如く、固く干からびた巨体。
そこから抜け出した、追い出されたものが、空中に禍々しくわだかまっている。
肉声を発する手段を失ったそれが、しかし無音無声の憎悪を燃やし続ける。
まさか、これとも戦わなければならないのか。
千雪が思いかけた、その時。
戦いを見届けていた人魚の禰宜たちが、さっと左右に分かれて道を空けた。
優美な人影が1つ、進み出て来たところである。
「竜宮の……とんだ恥を、晒してしまったわね」
「乙姫様……」
翔が、息を呑みながら声を発する。
竜宮の乙姫。世界で2番目か3番目に美しい女性かも知れない、と千雪は思った。
世界一の美女が、千雪を背後に庇ったまま言う。
「いいところに来てくれるね、乙姫様。まさかとは思うけど、出番待ちで高みの見物?」
「たった今、来たところよ……監督不行き届きは大目に見てね。私も、忙しいのよ」
「すまない」
ツバメが、頭を下げた。
「竜宮の眷属に、痛い思いをさせてしまった。人魚たちにも……本当に、すまない」
「謝るのは私の方よ。毎回毎回……あなたたちには、面倒と迷惑をかけ通しね。申し訳ないとは思っているのよ」
言いつつ乙姫が、手にしている箱を開けた。
「そ、それって……もしかして、玉手箱……」
千雪は戦慄した。
「こんな所で開けたら……」
「心配しないで、私があの方に差し上げたものとは違うから……これがね、この箱の本来の使い方よ」
無音無声の怨念を燃やしながら宙にわだかまるものが、箱の中に吸い込まれてゆく。
乙姫が蓋を閉め、飾り紐を結んだ。
禍々しいものを閉じ込めた玉手箱が、ガタガタと震え続ける。
日那乃が言った。
「不満たらたら、みたい……」
「そうねえ。でも貴女たちが、こうして封印可能な状態に追い込んでくれたおかげで助かったわ。本当にありがとう」
乙姫の涼やかな眼差しが、人魚の禰宜たちに向けられる。
「お前たちも。長きに渡る監視の役目、本当に御苦労様でした」
「身に余る御言葉……」
「そして鬼族の方。貴方にも、御礼とお詫びを」
奏空と翔に助け起こされながら、鬼が微笑む。
「竜宮の長が……随分と身軽に、地上を出歩いているのだな」
「すごい……生きてる」
日那乃が、目を丸くしている。
「本当に不死身……だから海竜さんの魂、入るのに都合良かった?」
「まあ、あれも気の毒な奴ではあるのだ」
「気の毒な目に遭ったのは、貴方だ」
ツバメが、鬼にも謝罪をした。
「……本当に、申し訳ない」
「何を言う、助けてもらったのは俺の方だ」
「気にすんな。それより早く、力彦に元気な顔! 見せてやれよなっ」
翔が、鬼の肩を叩く。
彩吹が、鬼の顔面をぺしぺしと叩く。
「この顔を、ね……ふふ、良かった良かった」
微笑みながら彩吹が、鬼の頭を軽く抱き締める。
炎のようなものが一瞬だけ、千雪の胸中で燃え猛った。
そんな千雪を、日那乃が、じっと見つめている。
「真屋さん、今……破綻、しかけた?」
「そ、そそそそそそんなワケないじゃんか桂木くん。やだなあ、もう」
「そう……それならいい、けど」
ちらり、と日那乃は視線を動かした。
ツバメに大鎌を突きつけられている、篠崎蛍へと。
「……後は、あの人」
「そうだぜ、蛍! お前な、もう少し人の話聞け! オレに言われるとか、相当だぞ!」
翔は拳を振り上げたが、振り下ろす事は出来ずにいる。
彼に女の子は殴れないだろう、と千雪は思う。戦闘中ならばともかく、だ。
「ヤバい奴が相手だって事くらい、わかるだろ! オレらの話聞いてりゃあ!」
「本当にヤバい目に遭わないと理解出来ない。まあ、金剛隔者らしいよね」
彩吹の方は容赦なく、蛍の顔面に平手打ちを喰らわせていた。
「これだけは言っておく……私も金剛は大嫌いだけどね、あの人は蘇りを望むような馬鹿じゃあなかった」
「篠崎さん……貴女のおかげでカッちゃん様が助かった、とは言えない事もない。お礼は言っておく、どうもありがとう」
奏空が言った。
「……金剛は、戦って死んだ。今や、ただのお婆さんだ。あんな戦い、もうさせちゃいけないんだよ」
「死んだ人間に頼ってないで、少しは自分の頭で考えて行動出来るようになれ!」
彩吹は怒鳴る。蛍は、俯く。
翔が、こちらへ来て声を潜めた。
「……オレ、ふと思ったんだけどさ。あの金剛って、若い頃は彩吹さんみたいな女の人だったり」
「結婚出来なかったり、すると……あんなふうに」
「ならないよー絶対!」
日那乃は頷き、千雪は悲鳴を上げた。
(僕が、彩吹さんを、あんなふうにはさせないから!)
そう、叫んでしまうところだった。
■シナリオ結果■
成功
■詳細■
MVP
なし
軽傷
なし
重傷
なし
死亡
なし
称号付与
なし
特殊成果
なし
