【太古の怒り】禍津神の社
●
俺は鬼である。しかも見ての通り、干からびた屍だ。生きているのか死んでいるのか、自分でもよくわからぬ。
そのような化け物から、この高村力彦という少年は離れようとしない。
突き放す事が出来ないのは、俺の甘さだ。
力彦の小さな身体を、左肩に乗せて座らせたまま、俺は山中を歩いていた。
「鬼仏様……僕、自分の足で歩けます」
「お前など、山道で転んだだけで死んでしまいかねん」
俺は言った。
「己が非力な存在であるという事を、まずは受け入れよ」
「受け入れています。僕は、弱い……だから、強くなりたい」
この身体の弱い少年を、俺の手で少しずつ鍛えてはいる。
力彦にとっては、修行の旅、のようなものか。
人目に触れぬ場所……主に山中を選んで、俺はこうして歩き回っている。力彦を連れ回している。
鬼が、子供をさらう。はたから見れば、その様にしかならない。
苦笑しながら、俺は立ち止まった。
鬱蒼たる山林の風景が、岩壁に変わっていた。
その岩壁に、大穴が空いている。
洞窟である。
苔むした巨大な鳥居が、洞窟への出入りを禁ずるかのように立っていた。
「神を祀った洞窟……おい、恐いのか小僧」
肩に座った力彦が、俺の頭にしがみついている。
「こ、恐くなんかありません……ただ……この洞窟の中には、何かが……」
「そのようだな。何やら、ただならぬ御神体が秘蔵されているようだ」
俺は、力彦を地面に下ろした。
「面白い、詣でてゆくとしようか。お前も拝め、力彦」
鳥居をくぐろうとして、俺は気付いた。
囲まれていた。
「……鬼、か。立ち去れ」
声をかけられたので、俺は会話に応じた。
「鬼の分際で神を拝むなど、許せんとでも?」
「神とはいかなるものかを、まるで理解しておらぬと見える」
言葉と共に、その者たちは木陰から姿を表した。
「神とは、拝むものではない。尊ぶ対象では、ないのだ」
「神とは、恐れ、忌み、遠ざけ、封じておくものよ」
「近付いてはならぬ。去れ鬼よ、人間の童よ」
斎服に身を包んだ男が、数名。全員、刀を帯びている。
この洞窟が、神を祀る社であるならば、この者たちは神主や禰宜の類であろう。
人の姿をしているが、人間ではない。そこまでは俺にもわかる。
1人が、いきなり刀を抜いた。
「おい、その童……覚者ではないのか!」
「いかにもそうだが、まだ半人前の小僧だ。そう目くじらを」
俺が言いかけた、その時。
地面が揺れた。山そのものが、揺れていた。
「地震……!」
力彦が呻き、固まり、目を見開く。
禰宜たちが、何やら腹を立てていた。
「愚かな鬼め! この場に覚者を伴って来るとは!」
「何を、わけのわからぬ事を……」
言いつつ俺は、1つだけわかった。
「洞窟の中にいる……神が、この地震を引き起こしているのか」
「地震を……引き起こす……」
力彦が、震えながら呻く。
「地震で……お父さんと、お母さんを……」
「力彦よ、地震が起こると、お前は心穏やかでいられなくなる。まずは、その辺りから克服せねばならんな」
力彦の父母は、地震を引き起こす妖に殺されたのだ。
「まあ良い、これは止められる地震だ。俺が止めて来てやる」
俺は、洞窟へと向かって踏み込んだ。
「貴様、何をするか!」
禰宜たちが止めようとするが、俺はすでに鳥居をくぐり、洞窟へと押し入っていた。
「邪魔をするぞ! どなたか知らぬが地震はやめてくれい、小僧が恐がる!」
●
恐がってなど、いない。
力彦がそう叫ぼうとした時には、洞窟の入り口が崩落していた。
「鬼仏様……」
呆然と呻きながら力彦は、地震が止まっている事に気付いた。
洞窟は崩れ、潰れている。飛び込んだ鬼を、呑み込んだまま。
鬼が、己を贄として捧げ、地震を止めた。そのようにしか見えない。
禰宜たちが、力彦に刃を突きつけてきた。
「……立ち去れ、人間の童よ。地の底の禍津神が、再び目覚める前に」
「覚者がここにいては、神が荒れ狂う。それは、わかったであろう。去れ」
聞かず、力彦は問いかけた。
「……鬼仏様は……どこに……?」
「鬼は、神に喰われた。次は童よ、そなたが喰われる番ぞ」
「そうなる前に去れ! ええい仕方がない、人里近くまで連れて行ってやる」
禰宜たちの話を、力彦はすでに聞いてはいない。
「……鬼仏様を、返せ……」
鬼の因子が、体内で燃え上がる。それを、力彦は止められなかった。
「うぬっ、こやつ暴走を……!」
「させぬ! 静まれ小僧」
禰宜たちが狼狽しながら、メキメキと変異してゆく。
人間の皮を、脱ぎ捨ててゆく。
「ここで覚者に暴走などされては、禍津神が目覚めてしまう……させぬ!」
「あれを解き放つわけにはゆかぬ。我ら、竜宮の民の誇りにかけて」
鋭利な牙を剥き出しにした口が、流暢な日本語化を発している。斎服のあちこちから、ノコギリのような鰭が現れる。
人外の禰宜たちに向かって、力彦は叫び、踏み込んで行った。
「おに……ぼとけ、さまをぉ……かえせぇえええええええッッ!」
俺は鬼である。しかも見ての通り、干からびた屍だ。生きているのか死んでいるのか、自分でもよくわからぬ。
そのような化け物から、この高村力彦という少年は離れようとしない。
突き放す事が出来ないのは、俺の甘さだ。
力彦の小さな身体を、左肩に乗せて座らせたまま、俺は山中を歩いていた。
「鬼仏様……僕、自分の足で歩けます」
「お前など、山道で転んだだけで死んでしまいかねん」
俺は言った。
「己が非力な存在であるという事を、まずは受け入れよ」
「受け入れています。僕は、弱い……だから、強くなりたい」
この身体の弱い少年を、俺の手で少しずつ鍛えてはいる。
力彦にとっては、修行の旅、のようなものか。
人目に触れぬ場所……主に山中を選んで、俺はこうして歩き回っている。力彦を連れ回している。
鬼が、子供をさらう。はたから見れば、その様にしかならない。
苦笑しながら、俺は立ち止まった。
鬱蒼たる山林の風景が、岩壁に変わっていた。
その岩壁に、大穴が空いている。
洞窟である。
苔むした巨大な鳥居が、洞窟への出入りを禁ずるかのように立っていた。
「神を祀った洞窟……おい、恐いのか小僧」
肩に座った力彦が、俺の頭にしがみついている。
「こ、恐くなんかありません……ただ……この洞窟の中には、何かが……」
「そのようだな。何やら、ただならぬ御神体が秘蔵されているようだ」
俺は、力彦を地面に下ろした。
「面白い、詣でてゆくとしようか。お前も拝め、力彦」
鳥居をくぐろうとして、俺は気付いた。
囲まれていた。
「……鬼、か。立ち去れ」
声をかけられたので、俺は会話に応じた。
「鬼の分際で神を拝むなど、許せんとでも?」
「神とはいかなるものかを、まるで理解しておらぬと見える」
言葉と共に、その者たちは木陰から姿を表した。
「神とは、拝むものではない。尊ぶ対象では、ないのだ」
「神とは、恐れ、忌み、遠ざけ、封じておくものよ」
「近付いてはならぬ。去れ鬼よ、人間の童よ」
斎服に身を包んだ男が、数名。全員、刀を帯びている。
この洞窟が、神を祀る社であるならば、この者たちは神主や禰宜の類であろう。
人の姿をしているが、人間ではない。そこまでは俺にもわかる。
1人が、いきなり刀を抜いた。
「おい、その童……覚者ではないのか!」
「いかにもそうだが、まだ半人前の小僧だ。そう目くじらを」
俺が言いかけた、その時。
地面が揺れた。山そのものが、揺れていた。
「地震……!」
力彦が呻き、固まり、目を見開く。
禰宜たちが、何やら腹を立てていた。
「愚かな鬼め! この場に覚者を伴って来るとは!」
「何を、わけのわからぬ事を……」
言いつつ俺は、1つだけわかった。
「洞窟の中にいる……神が、この地震を引き起こしているのか」
「地震を……引き起こす……」
力彦が、震えながら呻く。
「地震で……お父さんと、お母さんを……」
「力彦よ、地震が起こると、お前は心穏やかでいられなくなる。まずは、その辺りから克服せねばならんな」
力彦の父母は、地震を引き起こす妖に殺されたのだ。
「まあ良い、これは止められる地震だ。俺が止めて来てやる」
俺は、洞窟へと向かって踏み込んだ。
「貴様、何をするか!」
禰宜たちが止めようとするが、俺はすでに鳥居をくぐり、洞窟へと押し入っていた。
「邪魔をするぞ! どなたか知らぬが地震はやめてくれい、小僧が恐がる!」
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恐がってなど、いない。
力彦がそう叫ぼうとした時には、洞窟の入り口が崩落していた。
「鬼仏様……」
呆然と呻きながら力彦は、地震が止まっている事に気付いた。
洞窟は崩れ、潰れている。飛び込んだ鬼を、呑み込んだまま。
鬼が、己を贄として捧げ、地震を止めた。そのようにしか見えない。
禰宜たちが、力彦に刃を突きつけてきた。
「……立ち去れ、人間の童よ。地の底の禍津神が、再び目覚める前に」
「覚者がここにいては、神が荒れ狂う。それは、わかったであろう。去れ」
聞かず、力彦は問いかけた。
「……鬼仏様は……どこに……?」
「鬼は、神に喰われた。次は童よ、そなたが喰われる番ぞ」
「そうなる前に去れ! ええい仕方がない、人里近くまで連れて行ってやる」
禰宜たちの話を、力彦はすでに聞いてはいない。
「……鬼仏様を、返せ……」
鬼の因子が、体内で燃え上がる。それを、力彦は止められなかった。
「うぬっ、こやつ暴走を……!」
「させぬ! 静まれ小僧」
禰宜たちが狼狽しながら、メキメキと変異してゆく。
人間の皮を、脱ぎ捨ててゆく。
「ここで覚者に暴走などされては、禍津神が目覚めてしまう……させぬ!」
「あれを解き放つわけにはゆかぬ。我ら、竜宮の民の誇りにかけて」
鋭利な牙を剥き出しにした口が、流暢な日本語化を発している。斎服のあちこちから、ノコギリのような鰭が現れる。
人外の禰宜たちに向かって、力彦は叫び、踏み込んで行った。
「おに……ぼとけ、さまをぉ……かえせぇえええええええッッ!」

■シナリオ詳細
■成功条件
1.破綻者・高村力彦の生存
2.なし
3.なし
2.なし
3.なし
某県山中、誰にも知られていない洞窟神社の鳥居前で、覚者・高村力彦(男、10歳、土行鬼)が深度1の破綻者と化し、古妖・人魚の禰宜たちを相手に殺し合いを始めようとしております。
これを止め、最悪でも力彦1人だけは助けていただくのが作戦目的となります。
時間帯は真昼、場所は鬱蒼たる山林の中で、足元は山道ですが、覚者の戦闘には支障ありません。
高村力彦の攻撃手段は、剛力による格闘戦(物近単)のみ。
人魚の禰宜は総勢5名で、攻撃手段は剣による接近戦(物近単)のみですが、その肉体は再生能力を有しており、『潤しの滴』と同程度の体力回復が毎ターン自動的に行われます。全員が前衛です。
彼らが5対1で対峙しているところへ、覚者の皆様に突入していただきます。
洞窟はすでに崩落しており、中に入る事は出来ません。
力彦の保護者である鬼(以前、拙シナリオ「新たなる覚醒『鬼』」に登場した鬼のミイラ)が、崩落した洞窟に埋まって生死不明であります(まあミイラですが)。
力彦は彼を救うべく洞窟に突入しようとしており、それを阻む相手に対しては無差別に攻撃を行います。
力彦と人魚たちの間に覚者の皆様が割って入った場合、力彦視点では皆様もまた「洞窟への突入を阻む壁」となりますので、彼にとっては攻撃対象となります。
一方、人魚たちは「この場に覚者が存在する事」を異常に警戒しておりますので、複数の覚者が新たに出現した場合、皆殺しにして排除する方針で動くでしょう。
彼らは、覚者の存在が「洞窟の奥に眠る悪しき何か」の覚醒をもたらすものと思い込んでいるのです。
力彦も人魚たちも、普通に戦って体力を0にすれば殺さず動きを止める事が出来ます。
人魚たちは、皆様の言葉がけ次第では、そうなる前に戦いを止めてくれるかも知れません。
とにかく彼らが恐れているのは「洞窟に眠る何かが目覚めてしまう事」です。
その「何か」は現在、突入した鬼の働きかけによって休止状態にありますが、この先どうなるかはわかりません。
怪・黄泉もしくは鬼・羅刹の方がおられれば、突入した鬼の生死くらいは何となく感じ取る事が出来る、かも知れません。
それでは、よろしくお願い申し上げます。
状態
完了
完了
報酬モルコイン
金:0枚 銀:1枚 銅:0枚
金:0枚 銀:1枚 銅:0枚
相談日数
8日
8日
参加費
100LP[+予約50LP]
100LP[+予約50LP]
参加人数
6/6
6/6
公開日
2018年06月21日
2018年06月21日
■メイン参加者 6人■

●
日本の人魚は、アンデルセンの人魚姫とは別種の生命体である。
「すごい、2本足で立ってる! こんな山の中にいるって事は肺呼吸だよねー」
斉服をまとい剣を帯びた人魚5名を、『呑気草』真屋千雪(CL2001638)は嬉しそうに観察している。
「泳ぐ時はエラ呼吸に切り替わったりするのかなー? 確か人間に変身したり出来るんだよね、内臓とかそっくり作り変わったりしちゃうんだ? すごいよー、すごい、すごーい」
「ほら近付かないように。相手、刀持ってるんだから」
千雪の首根っこをグイと掴み寄せながら『エリニュスの翼』如月彩吹(CL2001525)が、人魚の禰宜たちに声をかけた。
「お取り込み中、失礼するよ。その子は私たちの知り合いなんだ、貴方がたと殺し合いなんてさせるわけにはいかない」
その子、と呼ばれたのは、人魚5名と対峙している1人の少年である。
細い、小さな身体には、しかし禍々しいほどの力が漲っている。
そんな少年に、彩吹は微笑みかけた。
「久しぶりだね、力彦。私たちの事、覚えてる?」
「……その節は……本当に、ありがとう……ございました……」
暴走しかけた力に震えながらも、高村力彦はそんな事を言っている。
10歳らしいが、12歳の自分よりもずっと礼儀正しい少年だ、と桂木日那乃(CL2000941)は思う。
自分は、口の利き方を知らない。少し話しただけでも、ずっと年上の大人を立ち直れないほど傷つけてしまう事がある。
それはともかく力彦は言った。
「お願いです、そこを……どいて……恩人のあなたたちを、傷付けたくはない……」
「君の攻撃で傷付くような俺じゃあないよ」
少年の眼前に立ち塞がったまま、『探偵見習い』工藤奏空(CL2000955)が言った。
「全部ぶつけて来るといい。受け止めるから」
「……どけと、言っている……」
力彦が、礼儀正しさを捨て去った。
「返せ……鬼仏様を、かえせぇええッ!」
「落ち着け、力彦。鬼仏は生きている」
崩落した洞窟に、発光する第三の目を向けながら、『鬼灯の鎌鼬』椿屋ツバメ(CL2001351)が声を発した。
「私が今、同族把握で確認した。この崩れ落ちた洞窟の奥に、鬼の存在が確かに感じられる……そうではない何かの存在も、な」
彼女の額で輝く第三の目が、人魚族の禰宜たちに向けられる。
「とてつもない、としか言いようのない何かだ。これが、お前たちの言う禍津神なのか?」
「わかっておるなら立ち去れ覚者たち! お前たちがいては、神が目覚めてしまう!」
人魚たちがことごとく抜刀し、刃を向けてくる。
「7人もの覚者が集まってしまうとは……もはや皆殺しにするしかない」
「待て、待てよ」
両腕を広げながら『天を翔ぶ雷霆の龍』成瀬翔(CL2000063)が進み出る。
「なあアンタたち、人魚って事は乙姫サマの家来か何かか?」
「貴様、乙姫様の御名を気安く口にするとは!」
「ご、ごめん。ただオレたち、乙姫サマの知り合いなんだ。怪しいモンじゃねーってのを、まず言っときたくてな」
「竜宮と、敵対する気はない」
彩吹が言いつつ、翼を広げる。人魚たちから、力彦を庇う格好となった。
「ただ、力彦は守らなきゃいけない。貴方たちとは戦いたくないけれど、戦う羽目になったら本気でいくよ」
彼女の両眼が、赤く燃え上がった。火行因子の活性化。
「皆殺し、なんて言葉……軽々しく使って欲しくはないな」
「まーまー、穏便にいこうよ彩吹さん」
千雪が、穏便と言うか呑気な声を発した。
「空気がギスギスぴりぴりしてる。僕のマイナスイオン、役に立つかなー彩吹さん」
「ふふ……さてね。まあ穏やか担当は千雪に任せるよ」
彩吹は微笑んだ。
彼女の守護使役が、雰囲気を和らげるつもりでか、ぱたぱたと滞空しながら美しい声で鳴いている。
それは、しかし人魚たちの神経を逆撫でする事にしかならなかった。
「貴様ら、我々を愚弄するか!」
「待て」
人魚の1人が、激昂する仲間たちを止めた。
「……なるほど、貴公らか。我らの同胞の魂を、地の底より解き放ってくれたのは」
「どうかな。乙姫サマのお手伝い、くらいは出来たのかな」
翔が言った。
「……アンタら人魚、いろんな所にいるんだな。もしかして人間を守ってくれてたり? 乙姫サマの命令とかで。まあとにかくオレたちゃ、そこにいる力彦と、あと後ろの洞窟に埋まっちまった鰹節カッちゃんを助けてーだけなんだよ。アンタたちが守ってる神様を、どうこうするつもりはねーんだ」
「我らは、この神を守ってなどおらぬ。乙姫様が我らに命じられたのは、禍津神の監視であって守護ではない」
人魚の1人が言った、その時。
力彦が、吼えながら踏み込んだ。細い腕が筋肉膨張を起こして異形化し、巨大な拳を握る。
鉄槌のような一撃を受けたのは、奏空だった。
薬壺印を結ぶ彼の眼前に、八葉蓮華の形をした光の盾が生じている。そこに、力彦の拳が激突したところだった。
「カッちゃん様に……随分と鍛えられたんだね、力彦君」
印を維持したまま、奏空は呻いた。
「だけど、こんなふうに……力に振り回されてるようじゃ……まだまだ、かな」
「邪魔をするな……僕は、鬼仏様を助けるんだ!」
「頭に血が上ったままじゃ……誰も、助けられないぞ……っ」
奏空の名を叫びながら、翔が加勢に入ろうとする。
それを、奏空が拒んだ。
「こっちはいい! 力彦君は俺が止める。翔は……みんなは、人魚の方々と……何とか話、つけてくれるかな」
「わ、わかった……なあ人魚さんたち! 見ての通りだ。力彦は奏空が、オレたちが、責任持って大人しくさせる」
「……お社に近付いて、ごめんなさい」
翔に続いて、日那乃はようやく言葉を発した。
「わたしたち、鬼さんと力彦さん……助けたい、だけ。人魚さんたち、なら……鬼さん、助けられ、る?」
「無理だ。あの鬼は今頃、禍津神に喰われておる頃よ。犠牲があやつだけで済んだ幸運、無駄にしてはならん。さあ、立ち去れ」
人魚が言うと、またしても力彦が吼えた。
吼えながら、しかし後方へと吹っ飛んで行く。
攻撃の威力を、八葉蓮華に跳ね返されたのだ。
だが、奏空も無傷ではない。微量の鮮血を吐きながら後方によろめき、倒れそうになる。
日那乃は抱き止めた。左右の、細腕と翼で。
「奏空さん、無茶……駄目」
「あ、ありがとう日那ちゃん。俺なら大丈夫……凄いね、鬼の因子って」
口元の血を拭いながら、奏空が苦しげに微笑む。
吹っ飛んだ力彦は、しかし地面に激突しつつも即座に起き上がり、牙を剥く。
「犠牲じゃない、犠牲なものか……! 鬼仏様は、僕が! 助けるんだぁああッ!」
「無論だ。鬼仏は必ず助ける」
ツバメが、言葉と共に火行因子を燃やす。灼熱化であった。
「そのためにも力彦……頭を、冷やせ」
●
「私たちはね、力彦も鬼仏も助けなきゃいけない……今は、力彦を止めなきゃならない」
言いつつ、彩吹は力彦の方を向いた。
人魚たちに、背を向ける格好となった。
「後ろから攻撃したければどうぞ。ここにいる覚者を皆殺しにする事が、最良の選択だと本気で信じているのなら、遠慮なくやるといい。ただし」
一瞬だけ彩吹は振り向き、赤く燃える眼光を人魚たちに投げた。
「最初の一撃で私を殺し損ねたら……その後は、どうなっても知らないよ」
「…………」
人魚たちは、何も言わない。
崩落した洞窟の前から動かぬ彼らに、力彦が猛然と殴りかかる。
「返せ……おにぼとけさまをぉっ、かえせえええええッ!」
「カッちゃん様なら無事だ! あの方の不死身っぷりを俺はよく知ってるから!」
奏空が、力彦に向かって、抜刀しながら身を翻す。
十六夜の斬撃に、しかし力彦は耐えた。病弱だった少年の小柄な細身が、今は頑強な筋肉の鎧をまとい、微量の血飛沫を散らせながらも戦闘体勢を崩さない。
「……強くなったね、力彦」
語りかけながら、彩吹は踏み込んだ。
「本物の鬼と、行動を共にして心を通わせた。それが鬼の因子の成長を促したんだと思う……その力は、力彦が鬼仏様と一緒に育ててきたもの。こんなふうに使っちゃいけないよ」
ハンマーのような拳を振り立てる力彦の、異形化した筋肉でも守りきれない各部関節に、彩吹の鋭利な手刀が叩き込まれる。
参点砕き、であった。
全身関節に重圧負荷を打ち込まれた力彦が、震え、よろめきながら彩吹を睨む。
「邪魔を……するなぁああ……」
巨大な拳が、唸りを立てて彩吹を襲う……よりも早く、今度は翔が踏み込んで来た。
「よう力彦。お前の事、うちの従姉妹のねーちゃんから聞いてるぜ? 身体弱いって聞いてたけど筋肉モリモリじゃねーか。ヘヘっ、もしかして……お前も願望、入りまくりかっ!?」
そんな言葉と共に、翔の掌が力彦の分厚い胸板に当てられる。
光が迸り、鬼化した少年の身体を貫いた。零距離からのB.O.T.改であった。
力彦が、半ば吹っ飛んだように後方へとよろめき、踏みとどまる。
「お前……頑丈だなー。子供相手に術式ぶち込みたくなかったけど、お前なら大丈夫そうだ」
「翔って、術式メインの割に体育会系だよね」
「彩吹さんほどじゃないぜー」
「私は、ファイヴでもこれ以上いないってくらい文系だよ。あれ? でもうちの博物館って化石とかも展示してるから理系になるのかな。うーん」
そんな会話をしている場合でもなく、力彦が牙を剥いて殴り掛かって来るが、ほぼ同時にツバメが動いていた。
「ファイヴの戦闘訓練はな、これ以上ないほど体育会系だぞ……耐えられるか力彦!」
大鎌が一閃した。一閃で、幾度も斬撃が繰り出されていた。
容赦のない疾風双斬が、筋骨たくましく異形化した少年の全身を斬り苛む。
ツバメがバックダンサーをしている動画は、彩吹も見た事はある。あの魅惑的なダンスとは、似ているようで似ても似つかぬ凶猛な攻撃であった。人様に見せる動きと戦闘は違う、というのがツバメ本人の談である。
そんな斬撃に対し、力彦は即座に反撃を繰り出していた。
ハンマーを振り回すような拳の一撃が、ツバメのしなやかで強靭な細身をグシャリとへし曲げる。
「ツバメさん!」
「だ、大丈夫……」
翔に助け起こされながら、ツバメは血を吐いた。
「これが、鬼の因子……本当に強くなったな、力彦」
力彦を鍛え上げた鬼仏を、責めるつもりは無論ない。
だが彩吹は、つい呟いてしまうのだった。
「覚者に……なっちゃったんだね、力彦……」
そんな事を言っている場合でもなかった。
背後で人魚たちが、不穏な動きを始めている。
「くそっ。このような場所で、覚者同士の戦いなど……」
「やはり、この者たちは皆殺しにする! 禍津神が目覚める前に!」
「待て、この覚者たちは竜宮の味方だ。同胞の魂を救ってくれた恩人である事、忘れてはならん」
「だからとて、禍津神の覚醒をもたらすのであれば生かしておけまいが!」
人魚の1人が、いよいよ覚者たちの後方から斬りかかって来る。
その動きが、しかし突然、止まった。
力彦の動きも、硬直している。
地面から無数の蔓植物が生え、人魚5名それに力彦の全身を絡め取り縛り上げていた。
捕縛蔓、であった。
「はい駄目ー。それは駄目だよ人魚くんたち、きみたちにも事情はあるんだろうけど」
琴巫姫を爪弾き、その音色で捕縛蔓を操りながら、千雪が微笑む。
「その事情わかんない僕にしてみればねー、彩吹さんを後ろから攻撃しようなんてのは見過ごせないわけで……事情わかっても見過ごせないけどねー」
「いい仕事するじゃないか千雪」
彩吹は、千雪の黒髪をぽむぽむと撫でた。
「助かったよ、ありがとう」
「彩吹さんには、いつも守ってもらってるから……たまには、僕にも」
「ふふっ。千雪の事は、いつだって何度だって守ってあげるよ」
「…………」
千雪は何故だか少し寂しげに微笑み、琴巫姫を掻き鳴らした。彩吹よりも、ずっと綺麗な手指で。
悲しげな音色に合わせて、捕縛蔓が人魚たちを、それに力彦の身体を締め上げる。
「ぐっ……こ、こんなもので……」
剛力で蔓を引きちぎりにかかる力彦に、日那乃がじっと眼差しを向ける。
「力彦さん……あなたの事、奏空さんたちから聞いてる」
ふわり、と日那乃は羽ばたいた。
「ご両親を……守りたかったの、ね。自分で、戦って……」
柔らかな羽ばたきが、風を巻き起こした。
「今も、大切なひと助けたい……自分で、戦って。そう、よね? 力彦さん」
「助ける……鬼仏様は、僕がぁあ……」
鬼の力で膨張した剛腕が、捕縛蔓を引きちぎった。
「邪魔を……するなぁああああッッ!」
「邪魔なんてしないよー。僕たちはね、きみもカッちゃん鬼様も助けたい。ホントだよー」
琴巫姫を弾奏しながら、千雪は言った。
「正直、僕なんて鬼さんにも竜宮の人たちにも関わりなくてえ、今回ただ彩吹さんがいたから参加しただけなんだけどー……関わっちゃった以上きっちりやるよ。みんな、助けるから」
ちぎれかけた蔓が、蛇の如く執拗に、力彦の全身に絡み付いてゆく。
動きを封じられた少年に向かって、日那乃の巻き起こした風が激しく吹いた。
それは、暴風の塊だった。
「自分で戦って、みんな助けたい……それ、わたしたちも同じ……」
台風にも似たエアブリットが、力彦を直撃していた。
ちぎれた蔓を引きずりながら、少年の身体が吹っ飛んで行く。
「だから……一緒に、やろう? 力彦さん……」
日那乃の声は、恐らく聞こえてはいない。
力彦は倒れ、動かなかった。
薄れ、縮み、細身の少年に戻ってゆくその身体を、奏空が抱き起こす。
「強い力を手に入れて、戦う……それだけじゃ解決しない事もあるんだよ、力彦君」
語りかけながら奏空は、癒力大活性を用いたようである。彼の腕の中で、力彦が安らかな寝息を立て始める。
「さて、と……」
翔が、人魚たちの方を見て、何かを言おうとする。
その時、地面が揺れた。
山そのものが、揺れ始めていた。
●
「くっ……地震かよ!」
翔が呻く。
「やっぱり……恵や晃たちの村に出て来た奴の、同類なのか? ここの神様ってのは」
「いや……」
彩吹が何かを言おうとするが、人魚たちも叫んでいた。
「いかん、神が本当に目覚める……ええい、去れ覚者たち!」
「お前たちがいては、禍津神が荒れ狂うだけなのだ! まだわからんのか!」
「わかんないよー。だって、きみたち何にも教えてくれないんだもん」
崩落し、これからさらに崩れそうな洞窟の前で、千雪がのんびりと琴巫姫を弾いている。
「とりあえず神様、激おこ? では慰問演奏として僕が1曲。ぼんばへー」
「ほらほら危ないから」
彩吹が、千雪の首根っこを掴んで引いた。
「千雪まで埋まっちゃったらどうするの。あと何でその曲なの」
「それは、うちの田沢社長もカバーした事のある名曲だぞ」
日那乃の細腕と翼に支えられたまま、ツバメが言った。
「それはともかく……ここに眠る禍津神とやらは、覚者がいると目覚めてしまうのか? 覚者の力が、力場を乱しているとでも」
「本当に……覚者の、せい?」
ツバメの身体に『潤しの滴』を染み込ませながら、日那乃が問いかける。
「神様……覚者が、嫌い?」
「……その逆だ。この神はな、お前たち覚者を渇望している」
人魚の1人が、答えた。
「神は、覚者の力を求めているのだ。お前たちを喰らえば、それが手に入ると信じているのだよ」
「なるほどねー。神様は僕たち覚者が、嫌いじゃなくてむしろ大好き……大好物と」
千雪が、続いて日那乃が言った。
「今、ここの神様……オムライス目の前にある翔と、同じ?」
「そ、それは大変だ」
奏空も思わず言った。
「洞窟なんか吹っ飛ばして、今にも飛び出して来るぞ。俺たちなんか、あっという間に食べられ」
「食べねーよ! いや、そうじゃなくて」
地震によろめきながら、翔が叫ぶ。
「くそっ、どうすりゃいい!? オレたち逃げた方がいいのか……いや、だけど鬼のカッちゃんを助けられるチャンスかも知れねえし」
「……カッちゃん様の状態を、確認する」
眠っている力彦を抱いたまま、奏空は目を閉じた。
送受心・改で、洞窟の奥に語りかけてみる。
(カッちゃん様、聞こえますか。今、俺たちが何かをすれば、貴方を助ける事が出来ますか? カッちゃん様……)
『来るな!』
雷鳴にも似た思念が、地の底から轟き返って来た。
『来てはならん、立ち去れ! これは、お前たちを喰らおうと……』
思念は消えた。
地震も、止まっていた。山林が、静寂を取り戻している。
奏空は、いつの間にか尻餅をついていた。膝の上では力彦が、穏やかな寝息を発している。
「カッちゃん様が……」
眠っていてくれて良かった、と思いながら奏空は言った。
「ここの神様を……抑え込んでくれている……だけど、長くは保たない……」
「やっぱり、そういう事かよ……!」
翔が、続いて日那乃が、崩れた洞窟を睨む。
「わたしたち、うっかり掘り起こしたり……したら……神様、今度こそ完全に目覚める……」
「その神様だけど」
彩吹が言った。
「どうも妖なんかじゃないような気がする。そうだよね? ツバメ」
「……私が、同族把握で感じる事が出来た。つまりは……古妖だ」
洞窟に、人魚たちに、ツバメは第三の目を向けた。
「お前たち人魚は、禍津神と言う。だが、その洞窟の奥にいるのは……イザナギの禊によって生まれた神々、ではあるまい。瀬織津姫や『なゐのかみ』とも違う。そして、竜宮と関わりある存在」
ツバメは、結論を口にした。
「……乙姫の言う、うっかり者や迂闊者の類だろう」
日本の人魚は、アンデルセンの人魚姫とは別種の生命体である。
「すごい、2本足で立ってる! こんな山の中にいるって事は肺呼吸だよねー」
斉服をまとい剣を帯びた人魚5名を、『呑気草』真屋千雪(CL2001638)は嬉しそうに観察している。
「泳ぐ時はエラ呼吸に切り替わったりするのかなー? 確か人間に変身したり出来るんだよね、内臓とかそっくり作り変わったりしちゃうんだ? すごいよー、すごい、すごーい」
「ほら近付かないように。相手、刀持ってるんだから」
千雪の首根っこをグイと掴み寄せながら『エリニュスの翼』如月彩吹(CL2001525)が、人魚の禰宜たちに声をかけた。
「お取り込み中、失礼するよ。その子は私たちの知り合いなんだ、貴方がたと殺し合いなんてさせるわけにはいかない」
その子、と呼ばれたのは、人魚5名と対峙している1人の少年である。
細い、小さな身体には、しかし禍々しいほどの力が漲っている。
そんな少年に、彩吹は微笑みかけた。
「久しぶりだね、力彦。私たちの事、覚えてる?」
「……その節は……本当に、ありがとう……ございました……」
暴走しかけた力に震えながらも、高村力彦はそんな事を言っている。
10歳らしいが、12歳の自分よりもずっと礼儀正しい少年だ、と桂木日那乃(CL2000941)は思う。
自分は、口の利き方を知らない。少し話しただけでも、ずっと年上の大人を立ち直れないほど傷つけてしまう事がある。
それはともかく力彦は言った。
「お願いです、そこを……どいて……恩人のあなたたちを、傷付けたくはない……」
「君の攻撃で傷付くような俺じゃあないよ」
少年の眼前に立ち塞がったまま、『探偵見習い』工藤奏空(CL2000955)が言った。
「全部ぶつけて来るといい。受け止めるから」
「……どけと、言っている……」
力彦が、礼儀正しさを捨て去った。
「返せ……鬼仏様を、かえせぇええッ!」
「落ち着け、力彦。鬼仏は生きている」
崩落した洞窟に、発光する第三の目を向けながら、『鬼灯の鎌鼬』椿屋ツバメ(CL2001351)が声を発した。
「私が今、同族把握で確認した。この崩れ落ちた洞窟の奥に、鬼の存在が確かに感じられる……そうではない何かの存在も、な」
彼女の額で輝く第三の目が、人魚族の禰宜たちに向けられる。
「とてつもない、としか言いようのない何かだ。これが、お前たちの言う禍津神なのか?」
「わかっておるなら立ち去れ覚者たち! お前たちがいては、神が目覚めてしまう!」
人魚たちがことごとく抜刀し、刃を向けてくる。
「7人もの覚者が集まってしまうとは……もはや皆殺しにするしかない」
「待て、待てよ」
両腕を広げながら『天を翔ぶ雷霆の龍』成瀬翔(CL2000063)が進み出る。
「なあアンタたち、人魚って事は乙姫サマの家来か何かか?」
「貴様、乙姫様の御名を気安く口にするとは!」
「ご、ごめん。ただオレたち、乙姫サマの知り合いなんだ。怪しいモンじゃねーってのを、まず言っときたくてな」
「竜宮と、敵対する気はない」
彩吹が言いつつ、翼を広げる。人魚たちから、力彦を庇う格好となった。
「ただ、力彦は守らなきゃいけない。貴方たちとは戦いたくないけれど、戦う羽目になったら本気でいくよ」
彼女の両眼が、赤く燃え上がった。火行因子の活性化。
「皆殺し、なんて言葉……軽々しく使って欲しくはないな」
「まーまー、穏便にいこうよ彩吹さん」
千雪が、穏便と言うか呑気な声を発した。
「空気がギスギスぴりぴりしてる。僕のマイナスイオン、役に立つかなー彩吹さん」
「ふふ……さてね。まあ穏やか担当は千雪に任せるよ」
彩吹は微笑んだ。
彼女の守護使役が、雰囲気を和らげるつもりでか、ぱたぱたと滞空しながら美しい声で鳴いている。
それは、しかし人魚たちの神経を逆撫でする事にしかならなかった。
「貴様ら、我々を愚弄するか!」
「待て」
人魚の1人が、激昂する仲間たちを止めた。
「……なるほど、貴公らか。我らの同胞の魂を、地の底より解き放ってくれたのは」
「どうかな。乙姫サマのお手伝い、くらいは出来たのかな」
翔が言った。
「……アンタら人魚、いろんな所にいるんだな。もしかして人間を守ってくれてたり? 乙姫サマの命令とかで。まあとにかくオレたちゃ、そこにいる力彦と、あと後ろの洞窟に埋まっちまった鰹節カッちゃんを助けてーだけなんだよ。アンタたちが守ってる神様を、どうこうするつもりはねーんだ」
「我らは、この神を守ってなどおらぬ。乙姫様が我らに命じられたのは、禍津神の監視であって守護ではない」
人魚の1人が言った、その時。
力彦が、吼えながら踏み込んだ。細い腕が筋肉膨張を起こして異形化し、巨大な拳を握る。
鉄槌のような一撃を受けたのは、奏空だった。
薬壺印を結ぶ彼の眼前に、八葉蓮華の形をした光の盾が生じている。そこに、力彦の拳が激突したところだった。
「カッちゃん様に……随分と鍛えられたんだね、力彦君」
印を維持したまま、奏空は呻いた。
「だけど、こんなふうに……力に振り回されてるようじゃ……まだまだ、かな」
「邪魔をするな……僕は、鬼仏様を助けるんだ!」
「頭に血が上ったままじゃ……誰も、助けられないぞ……っ」
奏空の名を叫びながら、翔が加勢に入ろうとする。
それを、奏空が拒んだ。
「こっちはいい! 力彦君は俺が止める。翔は……みんなは、人魚の方々と……何とか話、つけてくれるかな」
「わ、わかった……なあ人魚さんたち! 見ての通りだ。力彦は奏空が、オレたちが、責任持って大人しくさせる」
「……お社に近付いて、ごめんなさい」
翔に続いて、日那乃はようやく言葉を発した。
「わたしたち、鬼さんと力彦さん……助けたい、だけ。人魚さんたち、なら……鬼さん、助けられ、る?」
「無理だ。あの鬼は今頃、禍津神に喰われておる頃よ。犠牲があやつだけで済んだ幸運、無駄にしてはならん。さあ、立ち去れ」
人魚が言うと、またしても力彦が吼えた。
吼えながら、しかし後方へと吹っ飛んで行く。
攻撃の威力を、八葉蓮華に跳ね返されたのだ。
だが、奏空も無傷ではない。微量の鮮血を吐きながら後方によろめき、倒れそうになる。
日那乃は抱き止めた。左右の、細腕と翼で。
「奏空さん、無茶……駄目」
「あ、ありがとう日那ちゃん。俺なら大丈夫……凄いね、鬼の因子って」
口元の血を拭いながら、奏空が苦しげに微笑む。
吹っ飛んだ力彦は、しかし地面に激突しつつも即座に起き上がり、牙を剥く。
「犠牲じゃない、犠牲なものか……! 鬼仏様は、僕が! 助けるんだぁああッ!」
「無論だ。鬼仏は必ず助ける」
ツバメが、言葉と共に火行因子を燃やす。灼熱化であった。
「そのためにも力彦……頭を、冷やせ」
●
「私たちはね、力彦も鬼仏も助けなきゃいけない……今は、力彦を止めなきゃならない」
言いつつ、彩吹は力彦の方を向いた。
人魚たちに、背を向ける格好となった。
「後ろから攻撃したければどうぞ。ここにいる覚者を皆殺しにする事が、最良の選択だと本気で信じているのなら、遠慮なくやるといい。ただし」
一瞬だけ彩吹は振り向き、赤く燃える眼光を人魚たちに投げた。
「最初の一撃で私を殺し損ねたら……その後は、どうなっても知らないよ」
「…………」
人魚たちは、何も言わない。
崩落した洞窟の前から動かぬ彼らに、力彦が猛然と殴りかかる。
「返せ……おにぼとけさまをぉっ、かえせえええええッ!」
「カッちゃん様なら無事だ! あの方の不死身っぷりを俺はよく知ってるから!」
奏空が、力彦に向かって、抜刀しながら身を翻す。
十六夜の斬撃に、しかし力彦は耐えた。病弱だった少年の小柄な細身が、今は頑強な筋肉の鎧をまとい、微量の血飛沫を散らせながらも戦闘体勢を崩さない。
「……強くなったね、力彦」
語りかけながら、彩吹は踏み込んだ。
「本物の鬼と、行動を共にして心を通わせた。それが鬼の因子の成長を促したんだと思う……その力は、力彦が鬼仏様と一緒に育ててきたもの。こんなふうに使っちゃいけないよ」
ハンマーのような拳を振り立てる力彦の、異形化した筋肉でも守りきれない各部関節に、彩吹の鋭利な手刀が叩き込まれる。
参点砕き、であった。
全身関節に重圧負荷を打ち込まれた力彦が、震え、よろめきながら彩吹を睨む。
「邪魔を……するなぁああ……」
巨大な拳が、唸りを立てて彩吹を襲う……よりも早く、今度は翔が踏み込んで来た。
「よう力彦。お前の事、うちの従姉妹のねーちゃんから聞いてるぜ? 身体弱いって聞いてたけど筋肉モリモリじゃねーか。ヘヘっ、もしかして……お前も願望、入りまくりかっ!?」
そんな言葉と共に、翔の掌が力彦の分厚い胸板に当てられる。
光が迸り、鬼化した少年の身体を貫いた。零距離からのB.O.T.改であった。
力彦が、半ば吹っ飛んだように後方へとよろめき、踏みとどまる。
「お前……頑丈だなー。子供相手に術式ぶち込みたくなかったけど、お前なら大丈夫そうだ」
「翔って、術式メインの割に体育会系だよね」
「彩吹さんほどじゃないぜー」
「私は、ファイヴでもこれ以上いないってくらい文系だよ。あれ? でもうちの博物館って化石とかも展示してるから理系になるのかな。うーん」
そんな会話をしている場合でもなく、力彦が牙を剥いて殴り掛かって来るが、ほぼ同時にツバメが動いていた。
「ファイヴの戦闘訓練はな、これ以上ないほど体育会系だぞ……耐えられるか力彦!」
大鎌が一閃した。一閃で、幾度も斬撃が繰り出されていた。
容赦のない疾風双斬が、筋骨たくましく異形化した少年の全身を斬り苛む。
ツバメがバックダンサーをしている動画は、彩吹も見た事はある。あの魅惑的なダンスとは、似ているようで似ても似つかぬ凶猛な攻撃であった。人様に見せる動きと戦闘は違う、というのがツバメ本人の談である。
そんな斬撃に対し、力彦は即座に反撃を繰り出していた。
ハンマーを振り回すような拳の一撃が、ツバメのしなやかで強靭な細身をグシャリとへし曲げる。
「ツバメさん!」
「だ、大丈夫……」
翔に助け起こされながら、ツバメは血を吐いた。
「これが、鬼の因子……本当に強くなったな、力彦」
力彦を鍛え上げた鬼仏を、責めるつもりは無論ない。
だが彩吹は、つい呟いてしまうのだった。
「覚者に……なっちゃったんだね、力彦……」
そんな事を言っている場合でもなかった。
背後で人魚たちが、不穏な動きを始めている。
「くそっ。このような場所で、覚者同士の戦いなど……」
「やはり、この者たちは皆殺しにする! 禍津神が目覚める前に!」
「待て、この覚者たちは竜宮の味方だ。同胞の魂を救ってくれた恩人である事、忘れてはならん」
「だからとて、禍津神の覚醒をもたらすのであれば生かしておけまいが!」
人魚の1人が、いよいよ覚者たちの後方から斬りかかって来る。
その動きが、しかし突然、止まった。
力彦の動きも、硬直している。
地面から無数の蔓植物が生え、人魚5名それに力彦の全身を絡め取り縛り上げていた。
捕縛蔓、であった。
「はい駄目ー。それは駄目だよ人魚くんたち、きみたちにも事情はあるんだろうけど」
琴巫姫を爪弾き、その音色で捕縛蔓を操りながら、千雪が微笑む。
「その事情わかんない僕にしてみればねー、彩吹さんを後ろから攻撃しようなんてのは見過ごせないわけで……事情わかっても見過ごせないけどねー」
「いい仕事するじゃないか千雪」
彩吹は、千雪の黒髪をぽむぽむと撫でた。
「助かったよ、ありがとう」
「彩吹さんには、いつも守ってもらってるから……たまには、僕にも」
「ふふっ。千雪の事は、いつだって何度だって守ってあげるよ」
「…………」
千雪は何故だか少し寂しげに微笑み、琴巫姫を掻き鳴らした。彩吹よりも、ずっと綺麗な手指で。
悲しげな音色に合わせて、捕縛蔓が人魚たちを、それに力彦の身体を締め上げる。
「ぐっ……こ、こんなもので……」
剛力で蔓を引きちぎりにかかる力彦に、日那乃がじっと眼差しを向ける。
「力彦さん……あなたの事、奏空さんたちから聞いてる」
ふわり、と日那乃は羽ばたいた。
「ご両親を……守りたかったの、ね。自分で、戦って……」
柔らかな羽ばたきが、風を巻き起こした。
「今も、大切なひと助けたい……自分で、戦って。そう、よね? 力彦さん」
「助ける……鬼仏様は、僕がぁあ……」
鬼の力で膨張した剛腕が、捕縛蔓を引きちぎった。
「邪魔を……するなぁああああッッ!」
「邪魔なんてしないよー。僕たちはね、きみもカッちゃん鬼様も助けたい。ホントだよー」
琴巫姫を弾奏しながら、千雪は言った。
「正直、僕なんて鬼さんにも竜宮の人たちにも関わりなくてえ、今回ただ彩吹さんがいたから参加しただけなんだけどー……関わっちゃった以上きっちりやるよ。みんな、助けるから」
ちぎれかけた蔓が、蛇の如く執拗に、力彦の全身に絡み付いてゆく。
動きを封じられた少年に向かって、日那乃の巻き起こした風が激しく吹いた。
それは、暴風の塊だった。
「自分で戦って、みんな助けたい……それ、わたしたちも同じ……」
台風にも似たエアブリットが、力彦を直撃していた。
ちぎれた蔓を引きずりながら、少年の身体が吹っ飛んで行く。
「だから……一緒に、やろう? 力彦さん……」
日那乃の声は、恐らく聞こえてはいない。
力彦は倒れ、動かなかった。
薄れ、縮み、細身の少年に戻ってゆくその身体を、奏空が抱き起こす。
「強い力を手に入れて、戦う……それだけじゃ解決しない事もあるんだよ、力彦君」
語りかけながら奏空は、癒力大活性を用いたようである。彼の腕の中で、力彦が安らかな寝息を立て始める。
「さて、と……」
翔が、人魚たちの方を見て、何かを言おうとする。
その時、地面が揺れた。
山そのものが、揺れ始めていた。
●
「くっ……地震かよ!」
翔が呻く。
「やっぱり……恵や晃たちの村に出て来た奴の、同類なのか? ここの神様ってのは」
「いや……」
彩吹が何かを言おうとするが、人魚たちも叫んでいた。
「いかん、神が本当に目覚める……ええい、去れ覚者たち!」
「お前たちがいては、禍津神が荒れ狂うだけなのだ! まだわからんのか!」
「わかんないよー。だって、きみたち何にも教えてくれないんだもん」
崩落し、これからさらに崩れそうな洞窟の前で、千雪がのんびりと琴巫姫を弾いている。
「とりあえず神様、激おこ? では慰問演奏として僕が1曲。ぼんばへー」
「ほらほら危ないから」
彩吹が、千雪の首根っこを掴んで引いた。
「千雪まで埋まっちゃったらどうするの。あと何でその曲なの」
「それは、うちの田沢社長もカバーした事のある名曲だぞ」
日那乃の細腕と翼に支えられたまま、ツバメが言った。
「それはともかく……ここに眠る禍津神とやらは、覚者がいると目覚めてしまうのか? 覚者の力が、力場を乱しているとでも」
「本当に……覚者の、せい?」
ツバメの身体に『潤しの滴』を染み込ませながら、日那乃が問いかける。
「神様……覚者が、嫌い?」
「……その逆だ。この神はな、お前たち覚者を渇望している」
人魚の1人が、答えた。
「神は、覚者の力を求めているのだ。お前たちを喰らえば、それが手に入ると信じているのだよ」
「なるほどねー。神様は僕たち覚者が、嫌いじゃなくてむしろ大好き……大好物と」
千雪が、続いて日那乃が言った。
「今、ここの神様……オムライス目の前にある翔と、同じ?」
「そ、それは大変だ」
奏空も思わず言った。
「洞窟なんか吹っ飛ばして、今にも飛び出して来るぞ。俺たちなんか、あっという間に食べられ」
「食べねーよ! いや、そうじゃなくて」
地震によろめきながら、翔が叫ぶ。
「くそっ、どうすりゃいい!? オレたち逃げた方がいいのか……いや、だけど鬼のカッちゃんを助けられるチャンスかも知れねえし」
「……カッちゃん様の状態を、確認する」
眠っている力彦を抱いたまま、奏空は目を閉じた。
送受心・改で、洞窟の奥に語りかけてみる。
(カッちゃん様、聞こえますか。今、俺たちが何かをすれば、貴方を助ける事が出来ますか? カッちゃん様……)
『来るな!』
雷鳴にも似た思念が、地の底から轟き返って来た。
『来てはならん、立ち去れ! これは、お前たちを喰らおうと……』
思念は消えた。
地震も、止まっていた。山林が、静寂を取り戻している。
奏空は、いつの間にか尻餅をついていた。膝の上では力彦が、穏やかな寝息を発している。
「カッちゃん様が……」
眠っていてくれて良かった、と思いながら奏空は言った。
「ここの神様を……抑え込んでくれている……だけど、長くは保たない……」
「やっぱり、そういう事かよ……!」
翔が、続いて日那乃が、崩れた洞窟を睨む。
「わたしたち、うっかり掘り起こしたり……したら……神様、今度こそ完全に目覚める……」
「その神様だけど」
彩吹が言った。
「どうも妖なんかじゃないような気がする。そうだよね? ツバメ」
「……私が、同族把握で感じる事が出来た。つまりは……古妖だ」
洞窟に、人魚たちに、ツバメは第三の目を向けた。
「お前たち人魚は、禍津神と言う。だが、その洞窟の奥にいるのは……イザナギの禊によって生まれた神々、ではあるまい。瀬織津姫や『なゐのかみ』とも違う。そして、竜宮と関わりある存在」
ツバメは、結論を口にした。
「……乙姫の言う、うっかり者や迂闊者の類だろう」
■シナリオ結果■
成功
■詳細■
MVP
なし
軽傷
なし
重傷
なし
死亡
なし
称号付与
なし
特殊成果
なし
