いにしえの海より荒波来たる
いにしえの海より荒波来たる



 吹き抜け構造の博物館である。
 全長40メートルの威容を、上階から見下ろす事が出来る。
 爬虫綱双弓亜目鰭竜類首長竜目、と人間たちは分類してくれた。何やら呪文のような学名も付けてくれた。
 覚者ならば「古妖」と分類するであろう。
 数千万年をかけて綺麗に白骨化した巨体を、海原遼子は今、三階から見下ろしている。
「何処を探してもいないと思っていたら……人間たちが、すでに貴女を掘り出してくれていたのね」
 話しかけてみる。
 遼子にしか聞こえない声で、応えが返って来た。
『乙姫様……お久しゅうございますわ』
「物腰柔らかになったものね。竜宮きっての暴れ者が」
『こんな有り様ですもの、暴れる事も出来ませんわ』
 今や巨大な白骨死体となった古妖が、静かに笑う。
 ほぼ完全に近い状態で発掘された、という話であるが、何しろ白亜紀の巨大生物の化石である。小さな骨の1本1本に至るまで欠損なし、というわけにはいかなかったようだ。
「貴女の……御自慢の美しい牙が、何本か欠けているようね」
『お恥ずかしいですわ、何しろ幾千万年も土の中にいたものですから。でもね乙姫様、ご覧の通り人間の方々が、とても精巧な複製物を作って埋め込んで下さいましたのよ』
「人間たちに、お色直しをしてもらえて良かったわね」
『地上も、悪くはありませんわ。もちろん竜宮は懐かしい……私、今でも、このような姿でも、夢に見る事がありますの』
「貴女を竜宮へ帰してあげられるわ。この姿のままで、というわけにはいかないけれど」
『あら……乙姫様が御自ら、私を迎えにいらして下さったとでも?』
「地球がゆっくりと引き起こす地殻の変動に、うっかり巻き込まれて海に帰れなくなってしまった……貴女のような迂闊者がね、大勢いるのよ。大地に閉じ込められた竜宮の眷属。その全員を、せめて魂だけでも解放・回収して海へと帰すのが、竜宮の長としての私の務めよ」
『その御心……嬉しゅうございますわ。でも乙姫様、あちらを御覧になって』
 一組の家族連れが2階から、この巨大な展示物を鑑賞していた。両親と、幼い姉弟。
 子供たちが手摺りにしがみつき、歓声を上げている。
「うわぁー、おっきい! おっきいよぉパパ、たべられちゃうよお!」
「凄いだろう。大昔の海には、こんなのが泳いでたんだぞ」
 今でもいる、滅びたわけではない、と遼子は言ってしまいそうになった。
『私、この場所が大好き。人間の、特に子供たちがね、あんなふうに私を見て驚いてくれる。私たちの海に、私たちの時代に、思いを馳せてくれる……それが、今の私の喜びですのよ』
「貴女、昔から自己顕示欲が強かったものねえ」
『大海原を優雅に泳ぐ、私の華麗な姿。あの子たちにも見せてあげたかったですわ』
「ここで見せ物になり続ける。海には帰らずに……それで、いいのね?」
『ええ、急いで海に帰る必要もありませんわ』
 遼子にしか聞こえない、それはいくらか悲しげな声だった。
『あと1億年も経てば……ここもまた、海の底ですもの』
「……そうね」
『その頃には人間の方々も、きっと生き残ってはおりませんわ』
 覚者たちはどうであろうか、と遼子は一瞬だけ思った。


 尖った石、にしか見えない。
 片手で握って若干はみ出すほどの大きさである。石器の槍先か何かであるならば、いくらかは考古学的な価値があるのだろうか。
 竜の牙、であるという。
 この寺に、江戸時代から伝わる秘蔵物だ。
 寛永年間。当時の住職が、山中での修行中に竜と出会い、与えられたという。
 現在の住職である私は無論、そんな話を信じてはいない。
 私の信じるものは、別にある。
 隔者としての、この力だ。
 自慢する事ではないが、生臭坊主とは私の事を言うのであろう。表向きの職業は僧侶であるが、実質的な収入源は、闇社会における暴力稼業だ。
 とある暴力団組長の葬儀で、経を上げたのがきっかけである。そこの若頭と親しくなり、様々な仕事を紹介してもらった。
 私のような独立した隔者が、そのような商売を始めると、邪魔をしてくるのが七星剣である。八神勇雄に臣従して上納金を払え、などと厚顔無恥な事を、あの連中は平気で言う。
 それを拒むと、このように刺客を差し向けてくる。
 計8人もの隔者が今、境内のあちこちで半ば原形を失い、木々や雑草の肥やしとなりつつある。
「これが……ふふっ、これほどとは……まさか、本物であったとはなぁ……」
 竜の牙、として長らくこの寺に秘蔵されていたものが、ペンダント状に紐を通されて今、私の胸で禍々しく頼もしく輝いている。
 本物の竜が、私の真の力を解き放ってくれたのだ。
「そう、私は竜……竜神にも等しき、最強の隔者! 滅ぼす! ファイヴも、七星剣も!」
 まさに竜の如く、私は吼えた。
「地上の、あらゆるものを滅ぼし尽くす! そして……この地を、海へと戻す……」
 そうしなければならない、と私は何故か思い込んでいた。


■シナリオ詳細
種別:通常
難易度:普通
担当ST:小湊拓也
■成功条件
1.破綻者・米山玄雲の撃破(生死不問)
2.なし
3.なし
 お世話になっております。ST小湊拓也でございます。

 隔者である僧侶・米山玄雲が、破綻者と化しております。
 彼は放っておけば言葉通り「地上の全てを滅ぼして、この地を海へと戻す」作業へと取りかかってしまいますので、皆様の力で止めて下さい。

 場所は、とある寺院の境内。時間帯は夕刻で、七星剣の隔者8名が玄雲に攻撃を仕掛けております。
 放っておけば8人とも玄雲に殺されますので、人死にを出したくなければ可能な限り早い段階で乱入していただかなければなりません。隔者たちも玄雲も、覚者の皆様の攻撃がとどめとなった場合に限り、生きたまま戦闘不能となります。
 七星剣の8人が、皆様と玄雲のどちらに攻撃を仕掛けるかはランダムです。あるいは一旦、退却し、皆様あるいは玄雲が疲弊しきった時を狙うかも知れません。

 敵の詳細は以下の通り。

●米山玄雲(破綻者・深度2)
 男、35歳、水行怪。使用スキルは破眼光、潤しの滴、地烈、水龍牙。武器は日本刀。

●七星剣隔者・火行翼(8名)
 全員男性。使用スキルはエアブリット、炎柱、豪炎撃。武器は槍。この8人が玄雲を取り囲んでおり、彼の位置は皆様から見て中衛中央となります。

 戦闘勝利後、竜の牙をどのように扱うかはお任せいたします。ファイヴの研究室に持ち帰るも良し、博物館へ赴いて本来の持ち主に返すも良し。元々はこの寺の秘蔵物なので境内のどこかにでも埋めておく、という選択肢もあるでしょう。
 それでは、よろしくお願い申し上げます。
状態
完了
報酬モルコイン
金:0枚 銀:1枚 銅:0枚
(1モルげっと♪)
相談日数
7日
参加費
100LP[+予約50LP]
参加人数
6/6
公開日
2018年04月05日

■メイン参加者 6人■

『鬼灯の鎌鼬』
椿屋 ツバメ(CL2001351)
『天を翔ぶ雷霆の龍』
成瀬 翔(CL2000063)
『エリニュスの翼』
如月・彩吹(CL2001525)
『天を舞う雷電の鳳』
麻弓 紡(CL2000623)


「殺しの仕事を請け負っている、僧形の隔者がいると聞いた」
 境内に踏み入るなり、『鬼灯の鎌鼬』椿屋ツバメ(CL2001351)は声を投げた。
「お前の事か、米山玄雲」
「何だ小娘……貴様も七星剣か、こやつらと同じく」
 この寺の住職が、ギロリと眼光を向けてくる。3つの眼光。血管の浮かんだ禿頭に、第三の目が開いている。
 こやつら、と呼ばれた者たちが、烏のように飛び回っていた。七星剣の、翼の隔者が8名。
 ツバメも、第三の目を額に開いた。
 韋駄天足で、仲間たちに先んじて現場に到着したところである。
 ツバメがまずは単身で突入する作戦。仲間たちはもちろん反対したが、ツバメは自分の意見を押し通した。
 可能な限り早い段階で乱入する必要がある。そうしなければ、七星剣の翼人8名が、米山玄雲1人に殺される。
 しかしツバメには、もう1つ目的があった。
「ヒップホップ・アーティストの田沢大我が、殺された。心当たりは?」
「私の仕事だ」
 玄雲は即答した。
「あの男は、何しろ薬物の入手経路を全て警察に喋ってしまったからな。そのせいで重要なルートが潰れてしまったと、私の依頼主は怒り心頭に発していたものだ」
「田沢大我は……救いようのない薬物中毒者だった。だが私を何度もバックダンサーとして使ってくれた。私が覚者であると、知った上でだ」
 話しても仕方のない事を、ツバメは口にしていた。
「……米山玄雲、法の裁きを受けろ」
「ファイヴの女、邪魔をするな!」
 翼人8名のうち3人が、燃え盛る槍を空中から突き込んで来る。急降下しながらの豪炎撃。
「この男は貴様共々ここで殺す!」
「七星剣に従わず独立を保つ隔者など、いてはならんのだ!」
 言葉で応えてやる気にはなれず、ツバメは身を翻した。
 ダンスの回転とは違う、人に見せるものではない獰猛な高速スピンに合わせて、大鎌・白狼が一閃する。
 疾風双斬が、3つの豪炎撃を粉砕し、翼人3名を吹っ飛ばしていた。
 他5人が、一斉にエアブリットを発射する。5発もの、風の弾丸。
 全てツバメは、白狼の長柄で受け砕いた。
「……去れ、七星剣。お前たちの力では、この破綻者を仕留める事など出来はしない」
「貴様はどうだ!」
 玄雲が、踏み込みと同時に剣を抜く。
 ツバメはとっさに、白狼を防御の形に構えていた。
 そこへ、玄雲の斬撃が衝突する。地烈であった。
 火花の焦げ臭さを感じながら、ツバメは後方へ吹っ飛んでいた。
「ぐぅ……ッ!」
 大木に激突し、吐血の飛沫を散らせながら即座に白狼を構え直す。
 玄雲の、法衣の胸元では、ペンダント状の装身具が禍々しく発光している。
 一見、石器のようでもあるそれを、ツバメは見据えた。
「竜の、牙……それを、もらってゆくぞ」
「見る目があるようだな。そうよ、これこそが私を竜神へと進化せしめた古の至宝!」
 玄雲が、笑い叫ぶ。
「私は、最強の海竜となって! 地上の全てを破壊し、大地を海へと戻す!」
「……お前は龍神でも海竜でもない。とち狂うのも、そこまでだよ」
 言葉に合わせて炎が燃えた、とツバメは思った。
 火行因子を活性化させながら、『ニュクスの羽風』如月彩吹(CL2001525)が、いつの間にかそこに佇んでいる。
「先行して、隔者と破綻者の殺し合いを止めてくれた……のはいいけれど、やっぱり無茶だよ」
「すまない……」
 ツバメは俯いた。
「……私は米山玄雲に対し、実は私怨に近いものを抱いている。だから……先走って、しまった。本当にすまない……」
「そんな事だろうと思った。そのお坊さん、人殺しのお仕事してるんだもんね」
 ふわりと降り立ちながら、『天を舞う雷電の鳳』麻弓紡(CL2000623)が言った。
「誰の恨み買ってても、おかしくはないと」
「おい! わかってんのか坊さん。人を殺すってのはな、人から恨まれるって事なんだぞ」
 男性覚者たちの中で、まずは『白き光のヒーロー』成瀬翔(CL2000063)が言葉を発した。
「その覚悟があって、殺し屋なんて仕事やってんだろうな?」
「覚悟じゃあない。あんた方は、ただ開き直ってるだけだ」
 言いつつ『探偵見習い』工藤奏空(CL2000955)が、瑠璃色の光を振りまいた。魔訶瑠璃光。
「開き直って断罪が欲しいのなら、くれてあげる。七星剣の人たちも、チンピラ稼業お疲れ様だよ」
「何やらお取り込み中のようだね。揉め事は、余が粉砕してあげよう」
 続いて『アイラブニポン』プリンス・オブ・グレイブル(CL2000942)が場に歩み入って来る。
「ところで貴公、海が好きなの? 余も大好き! ネギトロとか超好きさ」
「このダメ王子はねえ、回ってないお寿司屋さんで調子こいて食べまくって、カード止められて」
 紡の、言葉と術式がプリンスを直撃し、キラキラと光を散らせた。戦巫女之祝詞。
「まあ調子こき虫はキミも同じだけどね、お坊さん……骨骨ちゃんの力、キミなんかに使わせるわけにはいかない」


 奏空が錬覇法を用いている、その間に、彩吹が玄雲に向かって踏み込み羽ばたいていた。
「竜とか龍神とかね、テンション上がっちゃうのはわかるけどっ」
 剣を振るう玄雲の豪腕を、彩吹の強靭な細腕が絡め取る。
 それだけで玄雲は、全身の関節を捻り上げられ、膝をついていた。参点砕きであった。
「お前はただ、力に悪酔いしてるだけ。水をかけてあげるから目をお覚まし!」
 彩吹の鋭利な美脚が跳ね上がり、玄雲を滅多打ちにする。鋭刃想脚。
 血飛沫をぶちまけ、吹っ飛んで地面を削りながらも、玄雲が立ち上がる。
 その禿頭で第三の目が見開かれ、彩吹を睨んで発光する。
 破眼光だった。
「させるか……!」
 ツバメの第三の目から、同じく破眼光が迸る。
 光と光が、衝突した。
 2つの破眼光が、ツバメと玄雲の間で激しくぶつかり合う。
「ふ……それしきのもので! 我が竜の力に、勝てると思うのか痴れ者がぁあああ!」
 叫びに合わせて、玄雲の破眼光がドギュルルルルッ! と太さを増した。
 光の衝突が、光の爆発に変わった。
 ツバメが、吹っ飛んで彩吹に抱き止められる。
「違うぜ、坊さん……そいつは確かに竜の力、だけどアンタの力じゃねーぞ」
 2人を背後に庇う形に、翔が進み出て来て印を結ぶ。
「あんたはな、力に呑み込まれて破綻しちまってるだけだ! 今それをわからせてやる。龍鳳の舞、やるぜ紡!」
「ほいよー。花道、空けてもらうとしよっかね」
 紡が細腕を振り回して肩をほぐし、同じく印を結ぶ。
 雷鳴が轟いた。
 雷の龍と鳳凰が、稲妻の牙を剥き、電光の翼をはためかせる。
 七星剣の翼人たちが、電熱に灼かれながら吹っ飛んだ。
 荒れ狂う電撃の嵐の中で、しかし玄雲は立っている。化石のペンダントを輝かせながら。
「竜の牙……」
 双刀・天地を抜き構えながら、奏空は言った。
「それは、人間が軽々しく使っていい代物じゃあない。元々このお寺の秘蔵物だから、法律的な所有権はあんたにあるんだろうけど、ごめん奪うよ」
「させん……竜の力は、私のものだ」
 玄雲の3つの目が、ギロリと翔の方を向く。
「小僧、貴様の言う通りだ。私はこれまで大勢の人間を殺し、大勢の人間に恨まれてきた……もはや、耐えられん……」
 3つの眼球が、ギラギラと燃え盛りながら涙を流す。
「だからな、私に対する数々の憎しみを……全て水に流し、海に沈める……そのために私は! 大いなる海竜となる!」
 猛然と斬り掛かろうとする玄雲の眼前に、プリンスが立った。
「メンヘラや厨二病が許されるのは美少女か美少年だけなんだよ? 貴公は駄目ぇー」
 玄雲がグシャアッと血飛沫をぶちまけ、吹っ飛んだ。プリンスの「八卦の構え・極」に、まともにぶつかったのだ。
「貴公は単なる、やんちゃな病人さ。ちゃんと治して反省したまえ」
「そういう事。荒療治、いくよっ」
 吹っ飛んで倒れ、だが即座に立ち上がった玄雲に、奏空は双刀の斬撃を喰らわせた。
 竜の力で守られた怪僧の全身に、激鱗が叩き込まれる。
「いいね。お注射も、しておこうか」
 彩吹の鋭刃想脚が、玄雲を叩きのめす。
 プリンスが、何やら思案している。
「うーむ、ブキ姫の女医コスもしくはナースコス……需要ありまくりだと思うが、貴公どう思うね?」
「知らんっ。何だ需要って!」
 世迷い言を切り捨てながら、翔がB.O.T.改を発射する。
 光の矢に貫かれながら、玄雲は叫んだ。
「私は! 商売をしていただけだ、他人に恨まれる筋合いなどなぁあああいッ!」
 激流が生じ、迸り、水龍牙となって覚者たちを襲う。
 血飛沫と水飛沫が、混ざり合いながら飛散した。水の牙が、奏空と彩吹の全身を切り裂きにかかる。
 激痛と同時に、しかし奏空は癒しを感じた。同じく水行の力が、切り裂かれた全身に治癒を施してくれている。
 紡の「潤しの雨」だった。
「キミの攻撃をね、こうやって無かった事にしちゃうのがボクの役目なわけ」
「もちろん貴公の罪は無かった事にはならない。水に流す事も、海に沈める事も出来ないからね」
 プリンスが、機械の豪腕で「貫殺撃・改」を繰り出した。
 玄雲の身体が激しくヘし曲がり、地面に叩き付けられ、動かなくなった。
 辛うじて、生きてはいる。七星剣の翼人たちもだ。全員、官憲に引き渡す事になる。
 倒れ呻いている玄雲を、ツバメが見下ろしていた。
 何の力にもなれない、とわかっていながら奏空は声をかけていた。
「ツバメさん……」
「……気遣いを、させてしまうな」
 哀しげに、ツバメは微笑んだ。
「田沢社長が、薬物に溺れているのは知っていた。殴り飛ばしてでも、私がやめさせるべきだった……一番、悪いのは私だ」


 自分が勤めている博物館よりも大きい、などと彩吹はどうしても思ってしまう。
 そして、大きいのは建物だけではない。
「でけぇー!」
 翔が大きな声を発し、すぐに恥ずかしそうに口を押さえた。
 恥じらう事もなく語り続けているのは、プリンスだ。
「ツム姫知ってる? 首長竜ってね、恐竜じゃないんだって! 昔はディメトロドンもプレシオサウルスもプテラノドンもみんな恐竜カテゴリーだったのに今は違うみたい。でもそんなのどうだっていいよね! 大きい! すごーい!」
「そろそろお黙り、小学生男子24歳」
 プリンスの耳を引っ張りながら、紡が語りかけた。吹き抜け構造の館内で威容を誇示する、巨大なものに。
「騒いでごめんね、骨骨ちゃん。覚者の男子って、精神年齢ひと桁の子が多くてさあ」
「い、いくら何でもひと桁はねーだろ」
 翔が言った。
「だけど、でっかくて凄ぇーのは本当だ……あ、あのよ。オレたち、あんたに渡してえものが、ああその前に御挨拶。こんにちは、人間を好きになってくれてありがとう。オレは覚者の成瀬翔。覚者って……わかるかな」
『存じ上げておりますわ、貴方がたの事も』
 巨大な古妖が、覚者にしか聞こえない声で答えた。
『私の同胞を、解放して下さった事。感謝いたしますわ』
「同胞……あの海坊主の事か」
 数千万年をかけて白骨化した巨体を呆然と見上げながら、ツバメが言う。
「お前たちは皆、本当に大きいな……壮大で、穏やかで雄大で……人間が、ちっぽけに思えてしまう……」
「ツバメ……」
 彩吹は気遣った。
 ツバメは、泣きじゃくっていた。
「すまない……無様な、ところを……」
『あなた方は……ちっぽけと言うより、生き急いでいるように見えてしまいますわ』
 古妖の、優しくも圧倒的な意思が、大波の如く押し寄せて来る。
『何千年もぼんやりしていられる私たちの脳天気さを、いくらかは見習ってもよろしくてよ』
「いくらかは、だからね殿。骨骨ちゃんのお墨付きもらった〜ってな感じに日がな一日ダラダラやってたらご飯抜くよ」
 紡が、プリンスに釘を刺した。
「それよりも。今、翔が言ってたように返さなきゃいけないもの、あるでしょ? 骨骨ちゃんに」
「そ、そうでした」
 1度、咳払いをしてから、プリンスは持参したものを恭しく掌に載せた。
「太古の姫君よ、これは貴女のものではなかろうか?」
『私の歯……わざわざ届けに来て下さったの?』
「余は『龍心』という技能を持っていてね。貴女がた古妖の御遺物を、危険なく精査するための必須スキルなんだけど」
 この博物館までの道中、プリンスはずっと、竜の牙との会話を試みていたようであった。
「龍心を持っていない隔者が、この牙を身に付けた途端ちょっとおかしくなってしまってね……あ、いやもちろん貴女のせいではない。ただ未熟な民の心を乱す何かがあるのだとしたら放ってはおけないので、余はこの牙から感じられる思念に耳を傾けてみたんだ。貴公は海に帰りたいの、それとも元の身体に帰りたいの? と」
『何か、聞こえまして?』
「何も聞こえなかった。ただ……とてつもないものが見えたよ」
 プリンスの口調が、先程とは別人のように重くなった。
「思念は感じられなかった。この牙そのものが意思を持っているわけではない、となれば貴女にお返しするのが筋であろうと思ってね」
『ありがとう……お気持ちだけ、いただいておきますわ』
 古妖が応えた。
『私ね、人間の方々が作って下さった複製の歯がとっても気に入っておりますの。ほら綺麗でしょう? 貴方がた人間の技術、素晴らしいですわね』
「それなら……この牙、俺たちが預かっても構わないだろうか?」
 意を決したように、奏空が言った。
「俺たちファイヴは、穏やかに暮らそうとする人間と、貴女たち古妖との共存を願っている。だけど障害がないわけじゃあない。戦う力、守る力が必要なんだ。貴女たちの不思議な力を、研究させていただけたらと思う。だから」
『その歯は、すでに私の身体から離れて貴方がたが拾ったもの。お好きなようになさいな』
「まあでも、貴方たちが望むような研究結果は期待しない方がいいわね」
 声がした。
 恐くなるほど美しい女性が、いつの間にか、そこにいた。
「その牙に残っているのは、彼女の力の……ほんの一部ですらない、残滓のようなものよ」
「それでも未熟な人間が持つと大事になってしまうんだよ、海原さん」
 彩吹は言った。
「……お久しぶり」
「相変わらず、忙しなく戦っているようね」
 優雅に微笑む海原遼子に、奏空がどぎまぎと声をかける。
「あ、あの……乙姫様? 自分はその、工藤奏空と言いまして」
「知っているわよ、貴方の事は」
 遼子の衣服が一瞬、ふわりとはためいた。裾をはねのけるように、何かが伸びていた。
「お礼を言わなければ、と思っていたところ……やっと会えたわね」
 びっしりと吸盤を備えた、触手。
 その先端が、奏空の柔らかな頰を軽く撫でる。
「……身体を張って、命をかけて、あの方を守ってくれた。本当に、ありがとうね」
 涼やかな言葉に耳元をくすぐられ、奏空が硬直する。
 あの陰陽師の少女が今回、不参加で本当に良かった、と彩吹は思った。
「久しいな、乙姫」
 涙を拭いながら、ツバメが言った。
「お前たち海の古妖とは縁がある。その縁を、これからも大切にしたい」
「私たちが、あなた方に面倒をかけているだけの縁よ?」
「面倒とは思わない。事案の解決を重ねる事で、互いの信頼を高めるのは大切な事……同胞たちを探しているのだろう? 私たちに協力出来る事があれば」
「そうだよ。骨骨ちゃん3号とか4号は、一体どんな子でどこにいるのかなっ」
 紡が声を弾ませ、遼子が苦笑する。
「嬉しいけれど、あなたたちもそろそろ、うっかり者の捜索どころではなくなり始めているのではなくて?」
 七星剣。
 八神勇雄が自ら動く、動き始めている、動きそうだ、という話は彩吹も耳にしてはいる。
「まあ、そんなものは動き始めてから叩き潰せばいいだけであって」
 彩吹も、こほんと咳払いをした。そして古妖・海竜を見上げた。
「貴女の牙……少し、触らせてもらっていいですか?」
「ボクも!」
 紡も、声を上げる。
 海竜は、少し思案したようだ。
『そう……あなたたちなら、大丈夫ですわね。お好きなようになさいな』
 許可を得て彩吹は、プリンスの掌の上にあるものを指でそっと触れた。
「こ、これが……時には海面上を飛ぶ翼竜さえも捕食した牙……」
「いぶちゃんの中にもいるねえ、小学生男子が」
 そんな事を言いながら紡も、手を重ねるようにして竜の牙に触れてくる。
 世界が、変わった。
 巨大なものたちが、白亜紀の海を悠然と泳ぐ。
 その光景が、彩吹だけでなく、どうやら紡の脳裏にも蘇っている。
「これが、大昔の海……骨骨ちゃんたちの、姿……骨じゃないけど……」
 目を閉じたまま、紡は涙を流していた。
「すごい、すごいよ……ツバメちゃんの言う通りだね……人間て本当、ちっぽけ……」
 彩吹は、涙を流す事さえ出来なかった。
(これが……竜宮の、眷属……)
 暗黒が見えた。深海の、暗黒。
 その重く冷たい暗闇の中を、巨大な何かが、ゆったりと動き回っている。鬼火のような眼光を灯しながら。
 生きた、海坊主の群れ。
 そして彼らよりも巨大な海竜たちが、暗黒の中で鎌首をもたげている。
 米山玄雲も同じものを見たに違いない、と彩吹は思う。
「彼はきっと、耐えられなかったんだろう」
 プリンスが言った。
「人間が、いかに矮小な存在であるかを思い知らされて……」
「だから、破綻なんて安直なとこに逃げ込んじまった……か」
 翔が言った。
「笑えねーな。オレたちだって、そんなふうにならねえとは限らねえ。破綻者って連中、見る度にそう思うぜ」
「大丈夫よ、心配しないで」
 遼子が、嫣然と微笑んだ。
「貴方たちが何かお馬鹿をやらかしたら、私が止めてあげるわ……私と竜宮の軍勢が、ね」

■シナリオ結果■

成功

■詳細■

MVP
なし
軽傷
なし
重傷
なし
死亡
なし
称号付与
なし
特殊成果
なし




 
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