新たなる覚醒『鬼』
●
5歳までは生きられないだろう、と言われていたらしい。
そんな自分が今日、無事に10歳の誕生日を迎える事が出来た。
「本当に……鬼仏様のおかげでございます」
本堂の奥に鎮座するものを、両親が伏し拝んでいる。
高村力彦は、その様をぼんやりと見つめていた。
母が、それを嗜める。
「リキちゃんも、さあ御礼を申し上げなさい」
「う、うん……ありがとうございます、おにぼとけ様……」
平伏しながら力彦は、両親が『鬼仏様』と呼んでいるものを盗み見た。
3メートルに達する巨体が、座した形に折り曲げられ、大仰な台座に載せられている。
鬼のミイラ。
人気番組『怪奇物件でGO!』で取り上げられた事もある。が、その回は何故かお蔵入りになってしまった。
とにかく。この鬼のミイラを拝むと、病気も怪我も治ってしまう。
両親が、そんな噂にすがってしまうような状態で10年前、力彦はこの世に生を受けた。
死産の1歩手前、であったらしい。
病弱そのものの息子に、だから両親は祈りを込めて「力彦」という名前を付けてくれた。
そして、いつ死んでもおかしくない息子を抱いて、この寺を訪れた。
鬼のミイラに向かって、両親は祈り願った。息子を生かして欲しい、と。
力彦が誕生日を迎える度に、両親は同じ祈りを捧げた。
それが今年で10回目になる。
「おかげ様をもちまして鬼仏様、息子も10歳になりました。どうか今後も、力彦をお護り下さいますよう……」
父親が恭しく、祈りの口上を述べている。
鬼が、その祈りを聞き届けて10年間も自分を守ってくれていたのか、それは力彦にはわからない。
とにかく、自分は生きている。
虚弱体質で、名前とのギャップをからかわれる事はあるものの、小学校ではそれなりに楽しく過ごしている。
(あなたが……僕に、力をくれたの? 僕を、まもって……くれたの?)
力彦が心の中で問いかけた、その時。
本堂が揺れた。
壁に、柱に、亀裂が走った。梁と天井が崩落して来る。
地震だ、などと思っている暇もなかった。
●
少しの間、気を失っていたようだ。
目覚めながら、力彦は咳き込んだ。黒煙を、少し吸い込んでしまった。
「ぐぇ……げほっ! お……お父さん……おかあさぁん……」
「……すまぬ、助けられなかった」
声がした。父の声ではない。
力彦は、抱き上げられていた。父の腕に、ではない。
巨大な何者かが、力彦を抱き運んでいる。巨体で力彦を庇いながら、歩いている。
本堂は、焼け落ちていた。崩落したところへ火を放たれたのだ。
その火災を、力彦を抱き運んで突破した何者かが、さらに言う。
「お前の両親の、最後の願いだ……高村力彦、何としてもお前を生かす」
「……おに……ぼとけ、さま……」
鬼のミイラの、まるで鰹節のように固く乾燥した左右の豪腕に、力彦の小さな身体はすっぽりと収まっていた。
干からびた顔面が、鬼火そのものの眼光を燃やし、睨み据えている。
本堂を倒壊させて焼き払った、犯人を。
それは、巨大な岩の塊だった。
四足獣の形をした巨岩。各部関節の隙間や両眼、口内が、赤く発光している。溶岩を内包しているかのように。
前に図鑑で見たエラスモテリウムを思わせる巨体が、口から小刻みに炎を噴出させながら、ずしりと歩み寄って来る。
「お父さん……お母さん……」
力彦は呟いた。鬼が応じた。
「俺は、お前の両親の屍の下から、お前を引きずり出した。父御も母御も、お前を守って死なれたのだ……受け入れろ、力彦」
鬼の背後で、本堂は黒焦げの廃材の塊と化し、燃えくすぶっている。
鬼の前方からは、炎を内包した岩の巨獣が、ずしりと迫り寄って来る。
「妖、という者どもだ。人間を殺傷するのが、こやつらの本能よ」
言いつつ鬼が、力彦を地面に下ろした。
「このままでは、お前も殺されるという事だ……逃げろ」
「鬼仏様……」
「あの赤子が、よくぞ生き延びて育ったものよな」
固く干からびた顔面に、笑みが浮かんだようだ。
「俺は、お前の両親と約束をした。お前を生かす、とな」
鬼の巨体が、さらに一回りは巨大な岩の四足獣に向かって、猛然と踏み込んで行く。
両者が、ぶつかり合った。地響きが起こった。
「……だから、逃げろ」
巨獣の蹄が、鬼を踏みつける。
隕石のような蹄に圧迫されながら鬼が、それでも巨獣の動きを止めてくれている。
その間に、逃げるべきなのだろう。だが力彦は思う。
(僕は……戦わなきゃ、いけない……んじゃないのか?)
自分の中で、何かが、芽吹いている。力彦は、そう感じた。
無論それは、弱々しい小さな芽だ。この巨大な怪物に踏まれれば、ひとたまりもなく潰れてしまう。
(僕は……お父さんも、お母さんも、守れなかった……せめて、鬼仏様だけは……)
「戦いたいのであろうが、今は逃げろ力彦……ッ!」
巨獣の角に刺し貫かれながら、鬼は呻き叫んだ。
「そして育てるのだ……お前の中で今、目覚めたばかりの……鬼を、な……」
5歳までは生きられないだろう、と言われていたらしい。
そんな自分が今日、無事に10歳の誕生日を迎える事が出来た。
「本当に……鬼仏様のおかげでございます」
本堂の奥に鎮座するものを、両親が伏し拝んでいる。
高村力彦は、その様をぼんやりと見つめていた。
母が、それを嗜める。
「リキちゃんも、さあ御礼を申し上げなさい」
「う、うん……ありがとうございます、おにぼとけ様……」
平伏しながら力彦は、両親が『鬼仏様』と呼んでいるものを盗み見た。
3メートルに達する巨体が、座した形に折り曲げられ、大仰な台座に載せられている。
鬼のミイラ。
人気番組『怪奇物件でGO!』で取り上げられた事もある。が、その回は何故かお蔵入りになってしまった。
とにかく。この鬼のミイラを拝むと、病気も怪我も治ってしまう。
両親が、そんな噂にすがってしまうような状態で10年前、力彦はこの世に生を受けた。
死産の1歩手前、であったらしい。
病弱そのものの息子に、だから両親は祈りを込めて「力彦」という名前を付けてくれた。
そして、いつ死んでもおかしくない息子を抱いて、この寺を訪れた。
鬼のミイラに向かって、両親は祈り願った。息子を生かして欲しい、と。
力彦が誕生日を迎える度に、両親は同じ祈りを捧げた。
それが今年で10回目になる。
「おかげ様をもちまして鬼仏様、息子も10歳になりました。どうか今後も、力彦をお護り下さいますよう……」
父親が恭しく、祈りの口上を述べている。
鬼が、その祈りを聞き届けて10年間も自分を守ってくれていたのか、それは力彦にはわからない。
とにかく、自分は生きている。
虚弱体質で、名前とのギャップをからかわれる事はあるものの、小学校ではそれなりに楽しく過ごしている。
(あなたが……僕に、力をくれたの? 僕を、まもって……くれたの?)
力彦が心の中で問いかけた、その時。
本堂が揺れた。
壁に、柱に、亀裂が走った。梁と天井が崩落して来る。
地震だ、などと思っている暇もなかった。
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少しの間、気を失っていたようだ。
目覚めながら、力彦は咳き込んだ。黒煙を、少し吸い込んでしまった。
「ぐぇ……げほっ! お……お父さん……おかあさぁん……」
「……すまぬ、助けられなかった」
声がした。父の声ではない。
力彦は、抱き上げられていた。父の腕に、ではない。
巨大な何者かが、力彦を抱き運んでいる。巨体で力彦を庇いながら、歩いている。
本堂は、焼け落ちていた。崩落したところへ火を放たれたのだ。
その火災を、力彦を抱き運んで突破した何者かが、さらに言う。
「お前の両親の、最後の願いだ……高村力彦、何としてもお前を生かす」
「……おに……ぼとけ、さま……」
鬼のミイラの、まるで鰹節のように固く乾燥した左右の豪腕に、力彦の小さな身体はすっぽりと収まっていた。
干からびた顔面が、鬼火そのものの眼光を燃やし、睨み据えている。
本堂を倒壊させて焼き払った、犯人を。
それは、巨大な岩の塊だった。
四足獣の形をした巨岩。各部関節の隙間や両眼、口内が、赤く発光している。溶岩を内包しているかのように。
前に図鑑で見たエラスモテリウムを思わせる巨体が、口から小刻みに炎を噴出させながら、ずしりと歩み寄って来る。
「お父さん……お母さん……」
力彦は呟いた。鬼が応じた。
「俺は、お前の両親の屍の下から、お前を引きずり出した。父御も母御も、お前を守って死なれたのだ……受け入れろ、力彦」
鬼の背後で、本堂は黒焦げの廃材の塊と化し、燃えくすぶっている。
鬼の前方からは、炎を内包した岩の巨獣が、ずしりと迫り寄って来る。
「妖、という者どもだ。人間を殺傷するのが、こやつらの本能よ」
言いつつ鬼が、力彦を地面に下ろした。
「このままでは、お前も殺されるという事だ……逃げろ」
「鬼仏様……」
「あの赤子が、よくぞ生き延びて育ったものよな」
固く干からびた顔面に、笑みが浮かんだようだ。
「俺は、お前の両親と約束をした。お前を生かす、とな」
鬼の巨体が、さらに一回りは巨大な岩の四足獣に向かって、猛然と踏み込んで行く。
両者が、ぶつかり合った。地響きが起こった。
「……だから、逃げろ」
巨獣の蹄が、鬼を踏みつける。
隕石のような蹄に圧迫されながら鬼が、それでも巨獣の動きを止めてくれている。
その間に、逃げるべきなのだろう。だが力彦は思う。
(僕は……戦わなきゃ、いけない……んじゃないのか?)
自分の中で、何かが、芽吹いている。力彦は、そう感じた。
無論それは、弱々しい小さな芽だ。この巨大な怪物に踏まれれば、ひとたまりもなく潰れてしまう。
(僕は……お父さんも、お母さんも、守れなかった……せめて、鬼仏様だけは……)
「戦いたいのであろうが、今は逃げろ力彦……ッ!」
巨獣の角に刺し貫かれながら、鬼は呻き叫んだ。
「そして育てるのだ……お前の中で今、目覚めたばかりの……鬼を、な……」

■シナリオ詳細
■成功条件
1.妖の撃破
2.発現者・高村力彦の生存
3.なし
2.発現者・高村力彦の生存
3.なし
鬼のミイラを祀っている寺院が、妖の襲撃を受けました。
時間帯は昼。場所はお寺の敷地内で、戦闘には支障のない広さがあります。
妖の詳細は以下の通り。
●岩の巨獣(1体)
自然系、ランク3。
以前シリーズシナリオ『ひかりの目』に登場したものと同種ですが、こちらの方がいくらか大型であります。
攻撃手段は突進体当たり(物近単)、口から吐く炎(特遠列、BS火傷)、超局地的地震(物遠全、ただし飛行可能な覚者に対しては無効。ハイバランサーでダメージ軽減可能)。
古妖・鬼のミイラ(以前、拙シナリオ『オカルト栄枯盛衰』に登場した鬼です)が現在、この巨獣と戦闘中ですが、覚者の皆様が到着した時点では敗れ力尽き倒れております。最初のターンで術式による体力回復を施してあげないと、彼はそのまま死亡します。
回復後は戦闘に参加させる事が出来ますが、体力が0になれば死にます。まあ盾の役くらいには立ってくれるのではないでしょうか。攻撃手段は物近単の格闘戦のみです。
鬼の後方では、10歳の少年・高村力彦が立ち竦んでおります。
彼は今、鬼の因子が発現したところですが当然、戦力にはなりません。妖の攻撃を受ければ回避も防御も出来ずに即死します。ちなみに鬼のミイラが行動可能である場合、力彦少年の身の安全を最優先に動きます。味方ガードもします。
力彦君のさらに後方では、本堂が完全に焼け落ちており、力彦君の両親はその中ですでに死亡しております。
それでは、よろしくお願い申し上げます。
状態
完了
完了
報酬モルコイン
金:0枚 銀:1枚 銅:0枚
金:0枚 銀:1枚 銅:0枚
相談日数
8日
8日
参加費
100LP[+予約50LP]
100LP[+予約50LP]
参加人数
6/6
6/6
公開日
2018年03月06日
2018年03月06日
■メイン参加者 6人■

●
自然系の妖……岩石質の巨獣。その蹄が、ひび割れた屍を踏み躙っている。
干からびた、鬼の身体。首から上が、見当たらない。
絶望が、『意志への祈り』賀茂たまき(CL2000994)を打ちのめした。
「鬼仏様……間に合いませんでした、か……」
「……大丈夫。鰹節のカッちゃんなら、あのくらい」
謎めいた事を言っているのは『探偵見習い』工藤奏空(CL2000955)だ。
大丈夫、とも言い難い状況であった。
岩の巨獣の、太く短い頸部に、鬼の生首が食らい付いていた。頭部のみとなった鬼が牙を剥き、最後の力を振り絞っている。
その力も今、尽きようとしていた。
「覚者たち……来て、くれた……か……」
巨獣の首筋から、鬼の牙が抜けた。
落下して巨獣の足元に転がりながら、鬼の生首が弱々しく笑う。
「後は、頼む……」
妖の、巨石のような蹄が、その生首を踏み潰そうとする。
「させない!」
気合いと共に『エリニュスの翼』如月彩吹(CL2001525)が跳躍・飛翔し、火の玉と化した。『天駆』が、彼女の火行因子を燃え上がらせたのだ。
火の玉となった彩吹が、岩の巨獣に激突し、黒い羽を散らす。蹴りの乱舞が、岩石質の巨体をよろめかせる。
その間に奏空が、滑り込んで鬼の生首を拾い抱いた。
「お久しぶりです、鰹節のカッちゃん様!」
「……俺の事、であったな」
「名付けた人は……亡くなりました」
「……そう、か……」
生首と会話をする奏空の近くで、『想い重ねて』柳燐花(CL2000695)が、首のない鬼の身体に肩を貸している。
「鬼仏様、ですね? 私、柳と申します」
細身の少女が、首のない鬼を信じがたい力で引きずり運んで妖から遠ざける。
たまきは彩吹と並んで前衛に立ち、岩の巨獣と対峙した。
「妖を祓う者として……いざ、参ります!」
巨獣を見据える両の瞳が、赤く輝く。前世の『誰か』との、同調が行われたのだ。
その間、後方では奏空が、鬼の胴体の上に生首を設置している。
「澄香さん、頼みます!」
「任せて下さい……」
清廉珀香の煌めきを覚者たちの頭上に振りまきながら、『居待ち月』天野澄香(CL2000194)が羽ばたいて飛翔し、水行の癒しを降らせる。
樹の雫が、鬼を直撃した。
ちぎれていた頸部が繋がり、その身に走る亀裂も薄れてゆく。
それでも体力が完全回復したわけではない鬼に、燐花と奏空が2人がかりで肩を貸す。
「まずは安全な場所まで移動しましょう。私たちが、お守りします。貴方も、それに」
「……君も、だよ。高村力彦君」
その少年は、立ち竦んでいた。
恐怖で動けない、だけではなかろう、とたまきは思う。
この高村力彦という10歳の少年は、心のどこかで思っている。ここを動いてはならない、と。逃げ出してはならない、と。
「僕は……」
力彦は言った。
「戦わなきゃ、いけない……」
「本当は、わかっているのだろう。ここで自分に出来る事など、何もないと」
容赦のない事を言いながら前衛に立ち、大鎌を構えているのは、『鬼灯の鎌鼬』椿屋ツバメ(CL2001351)である。
「悔しいだろう。何も出来ない自分に、腹が立つのはわかる。だがな、こういう時は逃げなければ駄目だ」
彼女の体内で灼熱化が起こり、額では第三の目が開いて燃え上がる。
「お前は……生きなければ、ならない。わかるな?」
力彦は、俯いたまま応えない。
ただ奏空に促されると、逆らう事なく後について走り出した。
その逃走を妨害させまいと、彩吹、たまき、それにツバメが、前衛で妖と睨み合っている。
「これの同種と戦った事があるのは……」
彩吹が言った。
「今回のメンツでは……私と、ツバメだけか」
「難儀な相手だったな。そして今回の奴は、あれよりいくらか大型だ」
ツバメが微笑む。
「鰹節のカッちゃんとやら、健闘してくれたな。この化け物に単身、これだけの手傷を負わせるとは」
「負けてられない、行くよっ!」
彩吹が、牙を剥くように微笑んだ。
「馬鹿でっかい、石ころの獣……お前たちとは縁があるよね。何故こんな事をする? 理由もなく人を殺して回っているのか、それとも狙いは古妖の方か。まあ何にしても、お前は倒すよ」
「あ、待って下さい。彩吹さんには、これを」
たまきは、素早く九字を切った。
大型の符が、彩吹を取り巻くように生じて浮かんだ。
「たまきの防御術式……私だけ、過保護じゃない?」
「要するに、いぶちゃんは最前線でガンガン行きなさいという事。ですよね? たまきちゃん」
微笑みながら澄香が、空中でタロットカードを掲げる。
術式が発射され、妖を直撃した。
岩の巨獣の、ひび割れた巨体に、荊が絡み付く。細かな石の破片が、溶岩の如き血飛沫と共に散る。
「ふふ……了解したよ、たまき。鉄砲玉の役目、果たして見せる!」
彩吹が再び火の玉となり、妖にぶつかって行く。
それを援護すべくツバメが、第三の目から光を迸らせる。
彩吹の蹴りが、ツバメの破眼光が、岩の巨獣に打ち込まれた。石の破片と高熱の鮮血が微量、飛び散った。
直後、猛火が生じた。
妖が、炎を吐いたのだ。
紅蓮の荒波が、彩吹を、たまきを、ツバメを、激しく焼き払う。
「くっ……」
キラキラと舞う香気の粒子が、自分を防護してくれているのを、たまきは感じた。
澄香の清廉珀香が、火傷の痛手を和らげてくれる。が、全くの無傷というわけにはいかない。
「これしき……!」
火では燃えない大型の呪符を、たまきは広げ掲げた。
「御両親を亡くされた男の子の心を思えば、痛手のうちには入りません!」
●
祖父は、言うならば分厚い教科書のような人物だった。
とにかく重い。小さな子供の身体に、容赦なく負担をかけてくる。だが書いてある事に従ってさえいれば、とりあえず間違いはない。
そんな祖父が亡くなった時、自分はどのような感情に襲われたか。
燐花は、覚えていない。ただ少なくとも、この高村力彦という少年のように、涙も出なくなるほど打ちひしがれる事はなかった。
生みの親、育ての親を失って心が痛む、と言う感情を燐花は知らない。そんな感情が芽生え育つ前に、両親はこの世を去った。祖父は燐花を育ててくれたが、そのような感情を育ててはくれなかったような気がする。
だから、と燐花は思う。自分には、高村力彦に何かを言う資格がないと。
彼の説得は、だから奏空に一任するしかなかった。
「俺たちが君に言わなきゃいけない事……全部、ツバメさんが言ってくれたよ」
奏空は身を屈め、10歳の少年と目の高さを合わせた。
「力彦君は、逃げて生き延びなきゃ駄目だ。生きてさえいれば、強くなれる。戦えるようになる。今、君の中で芽吹いたばかりのものを、大切に育てて欲しい。それは素晴らしいものだから」
「……どうかな、果たして」
鬼が言った。俯き黙り込んでいる力彦少年を、ちらりと見やりながら。
「こやつの中で目覚めかけているのは、我ら鬼の力だ。それが、お前たち人間にとって素晴らしいものと成り得るかどうか」
「……高村さん次第、だと思いますよ」
自分に何かを言う資格はない、とわかっていながら燐花は、力彦の目を見据えて言った。
「貴方の中で芽吹いたそれは、貴方がこの先一生、付き合っていかなければならないものです」
付き合い方を間違えれば、隔者となる。
それはしかし今この場で言ったところで、発現したばかりの少年に理解出来る事ではないだろう。
とにかく。発現者の少年と、その庇護者たる鬼仏を、戦闘区域から引き離す事には成功した。
「工藤さん、戦闘に戻りましょう。鬼仏様には、この場所で高村さんの護衛に専念していただきます」
「……お前たちが危うくなれば、俺は加勢に入るぞ。そうならぬよう危なげなく、あの妖を仕留められるかな」
「任せて下さい! さあ行こうか、柳さん」
燐花と並んで、奏空は走り出した。
仲間たちと妖との、激戦の有り様が、視界の中で大きくなってゆく。
岩の巨獣が火を噴きながら咆哮し、たまきが大型の呪符を広げ、ツバメが大鎌を振りかざす。彩吹は猛禽のように、澄香は水鳥の如く、羽ばたいている。
「みんな、苦戦してるね。急ごう!」
「……そうですね。手強い、妖です」
燐花は、思いを押し殺した。
祖父や両親の事など、今は考えている場合ではないのだ。
●
霧が出て来た。
奏空の『迷霧』であった。
「たまきちゃん、それにみんな! お待たせっ。探偵見習い、戦列に復帰するよ!」
前世の何者かと同調し、両眼を桃色に発光させながら、奏空が言う。
澄香は、微笑んで見せた。
「ねえ奏空くん。私たちは、たまきちゃんのその他大勢ですか?」
「あ……いやその、そういうわけでは」
「私、知ってるよ。聞いた事がある」
彩吹が、奏空の肩をぽんと叩く。
「……こういうの、ハーレムって言うんだろう? 今回のメンツ」
「彩吹、スキンシップは程々にな。たまきが恐い顔をしている」
「な……何を言ってるんですかツバメさんは。私は別に」
たまきが咳払いをした。
「……ハーレムは楽しいですか? 奏空さん」
「たたたたたたたまきちゃん! 俺は、そんな俺は」
「ふふっ、冗談ですよ。奏空さんは、ただ……大勢の女の子に、人気があるだけですものね」
「たまきちゃああああん!」
「……お願いですから戦って下さい、皆さん」
燐花が、冷たい声を発しながら、猫科肉食獣のように躍動している。疾蒼・電燐の二刀が、猛り狂う牙となって妖の巨体を切り刻みにかかる。
激鱗の連撃だった。
並の妖であれば、ズタズタに飛び散って跡形も残らぬであろう。だが岩の巨獣は、細かな石の破片と火花を飛ばしながら平然と、そして猛然と、突進を仕掛けてくる。
そこへ、旋風が横合いから激突して黒い羽を散らす。
鋭利な美脚の乱舞で岩の巨獣を蹴り削りながら、彩吹が笑う。
「ごめんよ燐花。この2人を見てるとね、ついつい脱線したくなるんだ」
「……どの2人ですかっ、もう」
たまきが印を結ぶと、地面の一部が鋭く隆起して土の槍と化し、岩の巨獣を下方から刺し抉った。
怒りの咆哮と共に炎を吐こうとする妖の周囲で、奏空の迷霧が濃密さを増してゆく。
濃霧の中で、斬撃の光が閃いた。妖の巨体が、石の破片を散らせて揺らぐ。
「……お前が相手では、持久戦になる」
ツバメが『真・霧隠れ』に続いて『地烈』を繰り出していた。
「時間をかけての嬲り殺し、になってしまったら……すまんな」
彼女の言う通り、長引く戦いになりそうだ。回復を、こまめに行う必要がある。
澄香は羽ばたき、木行の癒しを仲間たちへと拡散させた。大樹の息吹。
そうしながら、妖の現状を観察する。
ひび割れた岩の巨体には、妖気と闘気が漲っている。致命傷には程遠い。
どこかに弱点はないのか。
「目を……狙ってみましょうか」
澄香はタロットカードを掲げ、攻撃を念じた。
暴風の塊が、巨獣の顔面を直撃した。エアブリットだ。
炎か鮮血か、判然としないものが飛び散った。
そこそこの痛撃にはなった、のであろう。が、この巨獣から視覚を奪う事は出来なかったようだ。
岩の巨体の突進が、恐ろしいほど正確に、彩吹を直撃していた。
「いぶちゃん!」
「……だ……大丈夫、だよ……澄香……」
轢き飛ばされた彩吹が、応えながらも立ち上がれずに血を吐いた。
岩の巨獣も、しかし半ば吹っ飛んだように後退し、溶岩のような血飛沫をぶちまける。
たまきが最初に施した防御術式が、功を奏していた。
「助かったよ、たまき……まあ、痛い事は痛いけどね」
「彩吹でなければ、死んでいたな」
ツバメに助け起こされながら、彩吹は苦しげに微笑んだ。
「嬲り殺しの弱い者いじめ……になる心配は、なさそうだよツバメ……下手をしたら、私たちの方が」
「……ああ、皆殺しの目に遭うな」
彩吹を庇うように立ったツバメが、強靭な細腕で大鎌をくるりと構え直す。疾風双斬の構えだった。
その近くで二刀を構えながら、燐花が言う。
「桜華鏡符、でしたか。賀茂さんの防御術式……良いですね。私にも施していただけると助かりますが」
「御覧の通り……私の術式では、妖の攻撃を完全に防ぐ事は」
「出来なくて構いません。そんな万能の術式が、あるわけはありませんから」
燐花の口調が、微かに重くなった。
「術式も、因子の力も、万能ではない……高村さんには、その事に出来るだけ早い段階で気付いて欲しいですね」
●
「今だ、彩吹!」
「了解、うおおおおおおッッ!」
ツバメの、岩の巨獣に飛び乗りながらの牽制に合わせて彩吹が、妖の巨大な前肢を全身で引きずり捻る。
地響きが起こった。
彩吹の「参点砕き」が、岩の巨獣を激しく横転させたところである。
ツバメが、軽やかに着地を決めた。
その近くで、たまきが気合いを迸らせる。
「とどめをっ……はぁあああッ!」
少女の一見たおやかな全身から、気の圧力が噴出した。
無頼漢。その一撃が、ひび割れていた岩の巨体を粉砕する。
……否。辛うじて原形をとどめた巨獣が、岩の破片を振りまき、溶岩のような鮮血を噴射しながら、まるで火砕流の如く、たまきに襲いかかる。
「させるかぁーっ!」
奏空は、略式滅相銃をぶっ放した。
マニ車が、猛回転しながら轟音を発し、銃撃の嵐を吐き出した。
岩の巨獣が、たまきの眼前で破邪の銃撃に打ち砕かれ、崩壊してゆく。
完全なる崩壊を確認しながら、奏空は弱々しく尻餅をついた。
体力も気力も、限界である。何度、大填気を使ったか覚えていない。
たまきが駆け寄って来てくれた。
「奏空さん!」
「大丈夫……キツかったね、今回は……」
奏空は見回した。
彩吹もツバメも、力尽き座り込んでいる。
燐花は、澄香の膝枕の上で動けなくなっていた。
「……無理をし過ぎですよ、燐花ちゃん。激鱗を、あんなに連発するなんて」
「私が力尽きても、誰かが妖にとどめを刺してくれる……そう、思っていました」
少しだけ、燐花は微笑んだのだろうか。
鬼が、歩み寄って来た。力彦の小さな身体を、肩に載せてだ。
「……すまぬ、世話になったな」
鬼が一礼しつつ、力彦を地面に下ろし立たせた。
「……ありがとうございました」
妙に大人びた力彦の口調が、奏空は気になった。礼儀で何かを押し殺そうとしている、という気がした。
「あなたたちに、お礼をしたいのに……僕には、返せるものが何も」
「そんな事を言っちゃ駄目だ」
彩吹が、ツバメに支えられながら歩み寄って来る。
「戦おうと、したんだね。こんなに、小さいのに……そう、認めなきゃ駄目だよ力彦。君は、まだ小さな子供なんだ」
小さな少年と目の高さを合わせながら、彩吹は言った。
「だから……泣いても、いいんだよ?」
泣けないだろう、と奏空は思った。
この少年の心の中では、悲しみよりも怒りが勝っている。
両親の死、両親を殺した妖という生物種族、そして両親を救えなかった己自身に対する怒りがだ。
力彦の中で目覚めた因子が、怒りと共に燃え盛っている。
少年の俯いた瞳の中で、その炎が静かに揺らめいているのを、奏空は見て取った。
暦、彩、獣、翼、械、現、怪。その、どれでもない……どれよりも禍々しい因子が今、力彦の中で覚醒しようとしているのではないか。奏空は、そう感じた。
(だとしたら……俺たちに、出来る事は……)
「あの、力彦さん……御両親を……」
お助け出来なくて、ごめんなさい。
その言葉を、たまきは呑み込んだようだった。
代わりのように、澄香が言った。
「力彦くん……御両親と、お別れをしましょう」
「澄香……!」
彩吹が息を呑む。澄香は、なおも言う。
「きちんと、お別れをしないとね……長い時間、苦しむ事になるんです。私がそうでした」
「…………」
無言で俯いたまま、力彦は澄香と共に、本堂の焼け跡へと向かった。
「貴方は……これから、どうするつもりだ?」
ツバメが、鬼に問いかける。
「まずは本堂の再建かな。それと力彦の事だが……貴方が、両親の代わりとして」
「本堂など要らんよ。俺は野晒しでも一向に構わん……が、力彦は」
鬼の視線が、ちらりと動いた。
澄香が、本堂の焼け跡に祈りを捧げている。どうやら交霊術を用いているようだ。
たまきが、それに加わり、涙を流している。
「これは……ご両親は……」
「力彦くんが因子発現者である事に……薄々、気付いていたようですね」
澄香が言った。
「そんな御子息の事だけを、最後まで案じておられた……力彦くん、これが御両親のお心です。この先、貴方がどのような道を歩むにしても、どうかそれだけは忘れないで下さい。お説教臭いでしょうけど1度だけ、はっきりと言っておきますよ」
「そう……それが、両親というもの……」
燐花が呟き、目を閉じる。
力彦は、焼け跡を睨みながら無言のままだ。
そちらを、鬼は見やった。
「……力彦は、もはや親の代わりなど求めてはおらん。あやつが今、本当に求めているのは力だけだ」
「やはり、そうなってしまいますか……」
燐花が言った。
「私たちと共に、ファイヴに……それも、選択肢の1つだとは思いますが」
「何にせよ、決めるのは力彦自身だ」
「……そうかな」
彩吹が呻いた。
「影虎だって、自分の意思で決めた結果あんな事になったんだ。力彦を本当に守るのなら……力彦本人の意思なんて、考慮しちゃいけないんじゃないのか。戦うかどうか意思確認なんてされたら、戦うって言うに決まってるじゃないか。私はあの子に、ファイヴの手駒になんか成って欲しくはない」
「俺が……絶対、そうはさせないよ」
奏空は言った。
「力彦君がファイヴに来る、にしても……彩吹さんが言うような事には絶対、俺がさせない」
自然系の妖……岩石質の巨獣。その蹄が、ひび割れた屍を踏み躙っている。
干からびた、鬼の身体。首から上が、見当たらない。
絶望が、『意志への祈り』賀茂たまき(CL2000994)を打ちのめした。
「鬼仏様……間に合いませんでした、か……」
「……大丈夫。鰹節のカッちゃんなら、あのくらい」
謎めいた事を言っているのは『探偵見習い』工藤奏空(CL2000955)だ。
大丈夫、とも言い難い状況であった。
岩の巨獣の、太く短い頸部に、鬼の生首が食らい付いていた。頭部のみとなった鬼が牙を剥き、最後の力を振り絞っている。
その力も今、尽きようとしていた。
「覚者たち……来て、くれた……か……」
巨獣の首筋から、鬼の牙が抜けた。
落下して巨獣の足元に転がりながら、鬼の生首が弱々しく笑う。
「後は、頼む……」
妖の、巨石のような蹄が、その生首を踏み潰そうとする。
「させない!」
気合いと共に『エリニュスの翼』如月彩吹(CL2001525)が跳躍・飛翔し、火の玉と化した。『天駆』が、彼女の火行因子を燃え上がらせたのだ。
火の玉となった彩吹が、岩の巨獣に激突し、黒い羽を散らす。蹴りの乱舞が、岩石質の巨体をよろめかせる。
その間に奏空が、滑り込んで鬼の生首を拾い抱いた。
「お久しぶりです、鰹節のカッちゃん様!」
「……俺の事、であったな」
「名付けた人は……亡くなりました」
「……そう、か……」
生首と会話をする奏空の近くで、『想い重ねて』柳燐花(CL2000695)が、首のない鬼の身体に肩を貸している。
「鬼仏様、ですね? 私、柳と申します」
細身の少女が、首のない鬼を信じがたい力で引きずり運んで妖から遠ざける。
たまきは彩吹と並んで前衛に立ち、岩の巨獣と対峙した。
「妖を祓う者として……いざ、参ります!」
巨獣を見据える両の瞳が、赤く輝く。前世の『誰か』との、同調が行われたのだ。
その間、後方では奏空が、鬼の胴体の上に生首を設置している。
「澄香さん、頼みます!」
「任せて下さい……」
清廉珀香の煌めきを覚者たちの頭上に振りまきながら、『居待ち月』天野澄香(CL2000194)が羽ばたいて飛翔し、水行の癒しを降らせる。
樹の雫が、鬼を直撃した。
ちぎれていた頸部が繋がり、その身に走る亀裂も薄れてゆく。
それでも体力が完全回復したわけではない鬼に、燐花と奏空が2人がかりで肩を貸す。
「まずは安全な場所まで移動しましょう。私たちが、お守りします。貴方も、それに」
「……君も、だよ。高村力彦君」
その少年は、立ち竦んでいた。
恐怖で動けない、だけではなかろう、とたまきは思う。
この高村力彦という10歳の少年は、心のどこかで思っている。ここを動いてはならない、と。逃げ出してはならない、と。
「僕は……」
力彦は言った。
「戦わなきゃ、いけない……」
「本当は、わかっているのだろう。ここで自分に出来る事など、何もないと」
容赦のない事を言いながら前衛に立ち、大鎌を構えているのは、『鬼灯の鎌鼬』椿屋ツバメ(CL2001351)である。
「悔しいだろう。何も出来ない自分に、腹が立つのはわかる。だがな、こういう時は逃げなければ駄目だ」
彼女の体内で灼熱化が起こり、額では第三の目が開いて燃え上がる。
「お前は……生きなければ、ならない。わかるな?」
力彦は、俯いたまま応えない。
ただ奏空に促されると、逆らう事なく後について走り出した。
その逃走を妨害させまいと、彩吹、たまき、それにツバメが、前衛で妖と睨み合っている。
「これの同種と戦った事があるのは……」
彩吹が言った。
「今回のメンツでは……私と、ツバメだけか」
「難儀な相手だったな。そして今回の奴は、あれよりいくらか大型だ」
ツバメが微笑む。
「鰹節のカッちゃんとやら、健闘してくれたな。この化け物に単身、これだけの手傷を負わせるとは」
「負けてられない、行くよっ!」
彩吹が、牙を剥くように微笑んだ。
「馬鹿でっかい、石ころの獣……お前たちとは縁があるよね。何故こんな事をする? 理由もなく人を殺して回っているのか、それとも狙いは古妖の方か。まあ何にしても、お前は倒すよ」
「あ、待って下さい。彩吹さんには、これを」
たまきは、素早く九字を切った。
大型の符が、彩吹を取り巻くように生じて浮かんだ。
「たまきの防御術式……私だけ、過保護じゃない?」
「要するに、いぶちゃんは最前線でガンガン行きなさいという事。ですよね? たまきちゃん」
微笑みながら澄香が、空中でタロットカードを掲げる。
術式が発射され、妖を直撃した。
岩の巨獣の、ひび割れた巨体に、荊が絡み付く。細かな石の破片が、溶岩の如き血飛沫と共に散る。
「ふふ……了解したよ、たまき。鉄砲玉の役目、果たして見せる!」
彩吹が再び火の玉となり、妖にぶつかって行く。
それを援護すべくツバメが、第三の目から光を迸らせる。
彩吹の蹴りが、ツバメの破眼光が、岩の巨獣に打ち込まれた。石の破片と高熱の鮮血が微量、飛び散った。
直後、猛火が生じた。
妖が、炎を吐いたのだ。
紅蓮の荒波が、彩吹を、たまきを、ツバメを、激しく焼き払う。
「くっ……」
キラキラと舞う香気の粒子が、自分を防護してくれているのを、たまきは感じた。
澄香の清廉珀香が、火傷の痛手を和らげてくれる。が、全くの無傷というわけにはいかない。
「これしき……!」
火では燃えない大型の呪符を、たまきは広げ掲げた。
「御両親を亡くされた男の子の心を思えば、痛手のうちには入りません!」
●
祖父は、言うならば分厚い教科書のような人物だった。
とにかく重い。小さな子供の身体に、容赦なく負担をかけてくる。だが書いてある事に従ってさえいれば、とりあえず間違いはない。
そんな祖父が亡くなった時、自分はどのような感情に襲われたか。
燐花は、覚えていない。ただ少なくとも、この高村力彦という少年のように、涙も出なくなるほど打ちひしがれる事はなかった。
生みの親、育ての親を失って心が痛む、と言う感情を燐花は知らない。そんな感情が芽生え育つ前に、両親はこの世を去った。祖父は燐花を育ててくれたが、そのような感情を育ててはくれなかったような気がする。
だから、と燐花は思う。自分には、高村力彦に何かを言う資格がないと。
彼の説得は、だから奏空に一任するしかなかった。
「俺たちが君に言わなきゃいけない事……全部、ツバメさんが言ってくれたよ」
奏空は身を屈め、10歳の少年と目の高さを合わせた。
「力彦君は、逃げて生き延びなきゃ駄目だ。生きてさえいれば、強くなれる。戦えるようになる。今、君の中で芽吹いたばかりのものを、大切に育てて欲しい。それは素晴らしいものだから」
「……どうかな、果たして」
鬼が言った。俯き黙り込んでいる力彦少年を、ちらりと見やりながら。
「こやつの中で目覚めかけているのは、我ら鬼の力だ。それが、お前たち人間にとって素晴らしいものと成り得るかどうか」
「……高村さん次第、だと思いますよ」
自分に何かを言う資格はない、とわかっていながら燐花は、力彦の目を見据えて言った。
「貴方の中で芽吹いたそれは、貴方がこの先一生、付き合っていかなければならないものです」
付き合い方を間違えれば、隔者となる。
それはしかし今この場で言ったところで、発現したばかりの少年に理解出来る事ではないだろう。
とにかく。発現者の少年と、その庇護者たる鬼仏を、戦闘区域から引き離す事には成功した。
「工藤さん、戦闘に戻りましょう。鬼仏様には、この場所で高村さんの護衛に専念していただきます」
「……お前たちが危うくなれば、俺は加勢に入るぞ。そうならぬよう危なげなく、あの妖を仕留められるかな」
「任せて下さい! さあ行こうか、柳さん」
燐花と並んで、奏空は走り出した。
仲間たちと妖との、激戦の有り様が、視界の中で大きくなってゆく。
岩の巨獣が火を噴きながら咆哮し、たまきが大型の呪符を広げ、ツバメが大鎌を振りかざす。彩吹は猛禽のように、澄香は水鳥の如く、羽ばたいている。
「みんな、苦戦してるね。急ごう!」
「……そうですね。手強い、妖です」
燐花は、思いを押し殺した。
祖父や両親の事など、今は考えている場合ではないのだ。
●
霧が出て来た。
奏空の『迷霧』であった。
「たまきちゃん、それにみんな! お待たせっ。探偵見習い、戦列に復帰するよ!」
前世の何者かと同調し、両眼を桃色に発光させながら、奏空が言う。
澄香は、微笑んで見せた。
「ねえ奏空くん。私たちは、たまきちゃんのその他大勢ですか?」
「あ……いやその、そういうわけでは」
「私、知ってるよ。聞いた事がある」
彩吹が、奏空の肩をぽんと叩く。
「……こういうの、ハーレムって言うんだろう? 今回のメンツ」
「彩吹、スキンシップは程々にな。たまきが恐い顔をしている」
「な……何を言ってるんですかツバメさんは。私は別に」
たまきが咳払いをした。
「……ハーレムは楽しいですか? 奏空さん」
「たたたたたたたまきちゃん! 俺は、そんな俺は」
「ふふっ、冗談ですよ。奏空さんは、ただ……大勢の女の子に、人気があるだけですものね」
「たまきちゃああああん!」
「……お願いですから戦って下さい、皆さん」
燐花が、冷たい声を発しながら、猫科肉食獣のように躍動している。疾蒼・電燐の二刀が、猛り狂う牙となって妖の巨体を切り刻みにかかる。
激鱗の連撃だった。
並の妖であれば、ズタズタに飛び散って跡形も残らぬであろう。だが岩の巨獣は、細かな石の破片と火花を飛ばしながら平然と、そして猛然と、突進を仕掛けてくる。
そこへ、旋風が横合いから激突して黒い羽を散らす。
鋭利な美脚の乱舞で岩の巨獣を蹴り削りながら、彩吹が笑う。
「ごめんよ燐花。この2人を見てるとね、ついつい脱線したくなるんだ」
「……どの2人ですかっ、もう」
たまきが印を結ぶと、地面の一部が鋭く隆起して土の槍と化し、岩の巨獣を下方から刺し抉った。
怒りの咆哮と共に炎を吐こうとする妖の周囲で、奏空の迷霧が濃密さを増してゆく。
濃霧の中で、斬撃の光が閃いた。妖の巨体が、石の破片を散らせて揺らぐ。
「……お前が相手では、持久戦になる」
ツバメが『真・霧隠れ』に続いて『地烈』を繰り出していた。
「時間をかけての嬲り殺し、になってしまったら……すまんな」
彼女の言う通り、長引く戦いになりそうだ。回復を、こまめに行う必要がある。
澄香は羽ばたき、木行の癒しを仲間たちへと拡散させた。大樹の息吹。
そうしながら、妖の現状を観察する。
ひび割れた岩の巨体には、妖気と闘気が漲っている。致命傷には程遠い。
どこかに弱点はないのか。
「目を……狙ってみましょうか」
澄香はタロットカードを掲げ、攻撃を念じた。
暴風の塊が、巨獣の顔面を直撃した。エアブリットだ。
炎か鮮血か、判然としないものが飛び散った。
そこそこの痛撃にはなった、のであろう。が、この巨獣から視覚を奪う事は出来なかったようだ。
岩の巨体の突進が、恐ろしいほど正確に、彩吹を直撃していた。
「いぶちゃん!」
「……だ……大丈夫、だよ……澄香……」
轢き飛ばされた彩吹が、応えながらも立ち上がれずに血を吐いた。
岩の巨獣も、しかし半ば吹っ飛んだように後退し、溶岩のような血飛沫をぶちまける。
たまきが最初に施した防御術式が、功を奏していた。
「助かったよ、たまき……まあ、痛い事は痛いけどね」
「彩吹でなければ、死んでいたな」
ツバメに助け起こされながら、彩吹は苦しげに微笑んだ。
「嬲り殺しの弱い者いじめ……になる心配は、なさそうだよツバメ……下手をしたら、私たちの方が」
「……ああ、皆殺しの目に遭うな」
彩吹を庇うように立ったツバメが、強靭な細腕で大鎌をくるりと構え直す。疾風双斬の構えだった。
その近くで二刀を構えながら、燐花が言う。
「桜華鏡符、でしたか。賀茂さんの防御術式……良いですね。私にも施していただけると助かりますが」
「御覧の通り……私の術式では、妖の攻撃を完全に防ぐ事は」
「出来なくて構いません。そんな万能の術式が、あるわけはありませんから」
燐花の口調が、微かに重くなった。
「術式も、因子の力も、万能ではない……高村さんには、その事に出来るだけ早い段階で気付いて欲しいですね」
●
「今だ、彩吹!」
「了解、うおおおおおおッッ!」
ツバメの、岩の巨獣に飛び乗りながらの牽制に合わせて彩吹が、妖の巨大な前肢を全身で引きずり捻る。
地響きが起こった。
彩吹の「参点砕き」が、岩の巨獣を激しく横転させたところである。
ツバメが、軽やかに着地を決めた。
その近くで、たまきが気合いを迸らせる。
「とどめをっ……はぁあああッ!」
少女の一見たおやかな全身から、気の圧力が噴出した。
無頼漢。その一撃が、ひび割れていた岩の巨体を粉砕する。
……否。辛うじて原形をとどめた巨獣が、岩の破片を振りまき、溶岩のような鮮血を噴射しながら、まるで火砕流の如く、たまきに襲いかかる。
「させるかぁーっ!」
奏空は、略式滅相銃をぶっ放した。
マニ車が、猛回転しながら轟音を発し、銃撃の嵐を吐き出した。
岩の巨獣が、たまきの眼前で破邪の銃撃に打ち砕かれ、崩壊してゆく。
完全なる崩壊を確認しながら、奏空は弱々しく尻餅をついた。
体力も気力も、限界である。何度、大填気を使ったか覚えていない。
たまきが駆け寄って来てくれた。
「奏空さん!」
「大丈夫……キツかったね、今回は……」
奏空は見回した。
彩吹もツバメも、力尽き座り込んでいる。
燐花は、澄香の膝枕の上で動けなくなっていた。
「……無理をし過ぎですよ、燐花ちゃん。激鱗を、あんなに連発するなんて」
「私が力尽きても、誰かが妖にとどめを刺してくれる……そう、思っていました」
少しだけ、燐花は微笑んだのだろうか。
鬼が、歩み寄って来た。力彦の小さな身体を、肩に載せてだ。
「……すまぬ、世話になったな」
鬼が一礼しつつ、力彦を地面に下ろし立たせた。
「……ありがとうございました」
妙に大人びた力彦の口調が、奏空は気になった。礼儀で何かを押し殺そうとしている、という気がした。
「あなたたちに、お礼をしたいのに……僕には、返せるものが何も」
「そんな事を言っちゃ駄目だ」
彩吹が、ツバメに支えられながら歩み寄って来る。
「戦おうと、したんだね。こんなに、小さいのに……そう、認めなきゃ駄目だよ力彦。君は、まだ小さな子供なんだ」
小さな少年と目の高さを合わせながら、彩吹は言った。
「だから……泣いても、いいんだよ?」
泣けないだろう、と奏空は思った。
この少年の心の中では、悲しみよりも怒りが勝っている。
両親の死、両親を殺した妖という生物種族、そして両親を救えなかった己自身に対する怒りがだ。
力彦の中で目覚めた因子が、怒りと共に燃え盛っている。
少年の俯いた瞳の中で、その炎が静かに揺らめいているのを、奏空は見て取った。
暦、彩、獣、翼、械、現、怪。その、どれでもない……どれよりも禍々しい因子が今、力彦の中で覚醒しようとしているのではないか。奏空は、そう感じた。
(だとしたら……俺たちに、出来る事は……)
「あの、力彦さん……御両親を……」
お助け出来なくて、ごめんなさい。
その言葉を、たまきは呑み込んだようだった。
代わりのように、澄香が言った。
「力彦くん……御両親と、お別れをしましょう」
「澄香……!」
彩吹が息を呑む。澄香は、なおも言う。
「きちんと、お別れをしないとね……長い時間、苦しむ事になるんです。私がそうでした」
「…………」
無言で俯いたまま、力彦は澄香と共に、本堂の焼け跡へと向かった。
「貴方は……これから、どうするつもりだ?」
ツバメが、鬼に問いかける。
「まずは本堂の再建かな。それと力彦の事だが……貴方が、両親の代わりとして」
「本堂など要らんよ。俺は野晒しでも一向に構わん……が、力彦は」
鬼の視線が、ちらりと動いた。
澄香が、本堂の焼け跡に祈りを捧げている。どうやら交霊術を用いているようだ。
たまきが、それに加わり、涙を流している。
「これは……ご両親は……」
「力彦くんが因子発現者である事に……薄々、気付いていたようですね」
澄香が言った。
「そんな御子息の事だけを、最後まで案じておられた……力彦くん、これが御両親のお心です。この先、貴方がどのような道を歩むにしても、どうかそれだけは忘れないで下さい。お説教臭いでしょうけど1度だけ、はっきりと言っておきますよ」
「そう……それが、両親というもの……」
燐花が呟き、目を閉じる。
力彦は、焼け跡を睨みながら無言のままだ。
そちらを、鬼は見やった。
「……力彦は、もはや親の代わりなど求めてはおらん。あやつが今、本当に求めているのは力だけだ」
「やはり、そうなってしまいますか……」
燐花が言った。
「私たちと共に、ファイヴに……それも、選択肢の1つだとは思いますが」
「何にせよ、決めるのは力彦自身だ」
「……そうかな」
彩吹が呻いた。
「影虎だって、自分の意思で決めた結果あんな事になったんだ。力彦を本当に守るのなら……力彦本人の意思なんて、考慮しちゃいけないんじゃないのか。戦うかどうか意思確認なんてされたら、戦うって言うに決まってるじゃないか。私はあの子に、ファイヴの手駒になんか成って欲しくはない」
「俺が……絶対、そうはさせないよ」
奏空は言った。
「力彦君がファイヴに来る、にしても……彩吹さんが言うような事には絶対、俺がさせない」
■シナリオ結果■
成功
■詳細■
MVP
なし
軽傷
なし
重傷
なし
死亡
なし
称号付与
なし
特殊成果
なし
