覚醒戦士☆闘強導夢
●
マスクから、獅子のたてがみの如く溢れ出す頭髪。
全て作り物である。昔は自前だったのだが、今の俺には自前の髪など1本も残っていない。
首から上の老化は、覆面で隠す事が出来る。が、筋肉の衰えは如何ともしがたい。タイツの上に大量の腹肉が乗るようになって、もう何年も経つ。
他のプロスポーツなら、とうの昔に引退している年齢である。
俺のような還暦近い大男が、リング上で肥満気味の老体を晒すのが、このプロレスという競技だ。
最強のマスクマンとして、日本のみならず欧米のマット界にまで名を馳せた獣皇レオンカイザーも、今や斜陽の時を迎えている。それを、認めなければならないのだろうか。
「斜陽じゃねえぜ田中先輩。古い太陽は、とっくに沈んじまってるっつーの!」
剣崎のラリアットが、俺をマット上に打ち倒した。
田中浩。それが俺の本名だ。
全国に大勢いる田中さんや浩君には本当に申し訳ないと思うが、プロレスラーの名前としては地味であると言わざるを得ない。
若手時代の俺は、だからリングネームが欲しかった。
強そうなリングネームを獲得するには、強くならなければいけない。だから頑張った。
獣皇レオンカイザーというのは、その頃の勢いで付けた名前である。
「新しい太陽は、この俺。あんたみたいな老害レスラーに今更、昇って来られちゃ迷惑なの! わかる!?」
言いつつ剣崎が俺を、マスクを掴んで引きずり起こす。
さすがに力はある。身体は大きく、顔もいわゆるイケメンで、マスク越しに老醜が滲み出ている俺とは雲泥の差だ。
会社が、次世代のエースとして売り出そうとしている、期待の大型新人というわけだ。
前時代のエースである獣皇レオンカイザーは、噛ませ犬としては適任なのであろう。
本日のセミファイナル。60分1本勝負、剣崎タケル対獣皇レオンカイザー。
世代交代マッチとして注目度も高く、7割方は埋まった観客席も、まあまあ沸いている。
皆、新時代のスターによって俺が無様に派手に叩きのめされるのを期待しているのだろうか。
よろめく俺の首を、剣崎の太い腕が抱え込む。
「ちったぁ踏ん張ってくださいよ? じゃねえと、お客さんに丸わかりですから」
そのまま俺の身体を持ち上げようとしながら、剣崎が囁く。決め技の垂直落下式ブレーンバスターに、持って行こうとしている。
言われた通り、俺は踏ん張った。
剣崎は、戸惑っている。
「ちっとだけでいいんですってば、踏ん張るのは……」
聞かずに俺は、剣崎の腕を無理矢理に振りほどいた。
そして跳躍し、身を捻った。
捻りの入ったドロップキックが、剣崎の巨体を吹っ飛ばしていた。
30年以上、使い続けてきたスクリュー式ドロップキックである。老いぼれていても、身体は勝手に動く。
吹っ飛んだ剣崎が、コーナーポストに激突する。
観客が騒いだ。ブーイング、だけではなく歓声も上がっている。
どちらも、プロレスラーにとっては力となる。
俺の身体の中で、何かが燃えた。血が、闘志が、そして言葉では表現出来ない何かが。
20代、全盛期の頃の俺は、もっと大勢の観客を沸かせていた。ここよりも大きな会場を連日、満員札止めにしていたのだ。
あの頃の俺に、戻れる。
否。たとえ肉体は老いぼれていても、心はずっと、あの頃のままなのだ。
「ち……ちょっと、田中さん……話が違う……」
そんな事を言っている剣崎を、俺は髪を掴んで引きずり起こした。
そして掌底を喰らわせた。剣崎の顎が砕け、折れた歯が飛び散った。
若手・中堅のレスラーが何人か、リング内に乱入して来る。
社長の命令だろう。ブック破りをやらかそうとしている俺に、寄ってたかって制裁を喰らわせるつもりなのだ。
面白い、と俺は思った。もはや試合は成立しないが、これもまたプロレスだ。
そいつらに向かって、俺は剣崎の身体を掴んで投げつけた。そして俺自身も跳躍し、複数人にドロップキックを喰らわせた。
剣崎を含むレスラー数名が、一緒くたに砕け散った。人体の残骸が、リング上に散乱する。
観客席のブーイングと歓声が、悲鳴に変わった。
俺の中で燃え盛る何かが、さらに加速してゆく。
返り血やら何やらを全身に浴びながら、俺も悲鳴を上げていた。それは悲鳴であり、だが雄叫びでもあった。
違う、止めてくれ。助けてくれ。こんなものはプロレスではない。そう泣き叫ぶ俺がいる。
これだ。力で、全てを破壊する。見る者に、悲鳴を上げさせる。これこそがプロレスだ。そんなふうに悦ぶ俺もいる。
引き裂かれそうになりながら俺は、リング上にまだ何人か残っているレスラーたちを粉砕していった。ラリアットが頭蓋を叩き割り、ボディスラムが胴体を破裂させる。
ぶちまけられる様々なものを浴びながら、俺の身体は若々しく引き締まり、全盛期の筋肉を取り戻してゆく。
悲鳴か雄叫びかわからぬものを轟かせながら、俺は若返っていた。
マスクから、獅子のたてがみの如く溢れ出す頭髪。
全て作り物である。昔は自前だったのだが、今の俺には自前の髪など1本も残っていない。
首から上の老化は、覆面で隠す事が出来る。が、筋肉の衰えは如何ともしがたい。タイツの上に大量の腹肉が乗るようになって、もう何年も経つ。
他のプロスポーツなら、とうの昔に引退している年齢である。
俺のような還暦近い大男が、リング上で肥満気味の老体を晒すのが、このプロレスという競技だ。
最強のマスクマンとして、日本のみならず欧米のマット界にまで名を馳せた獣皇レオンカイザーも、今や斜陽の時を迎えている。それを、認めなければならないのだろうか。
「斜陽じゃねえぜ田中先輩。古い太陽は、とっくに沈んじまってるっつーの!」
剣崎のラリアットが、俺をマット上に打ち倒した。
田中浩。それが俺の本名だ。
全国に大勢いる田中さんや浩君には本当に申し訳ないと思うが、プロレスラーの名前としては地味であると言わざるを得ない。
若手時代の俺は、だからリングネームが欲しかった。
強そうなリングネームを獲得するには、強くならなければいけない。だから頑張った。
獣皇レオンカイザーというのは、その頃の勢いで付けた名前である。
「新しい太陽は、この俺。あんたみたいな老害レスラーに今更、昇って来られちゃ迷惑なの! わかる!?」
言いつつ剣崎が俺を、マスクを掴んで引きずり起こす。
さすがに力はある。身体は大きく、顔もいわゆるイケメンで、マスク越しに老醜が滲み出ている俺とは雲泥の差だ。
会社が、次世代のエースとして売り出そうとしている、期待の大型新人というわけだ。
前時代のエースである獣皇レオンカイザーは、噛ませ犬としては適任なのであろう。
本日のセミファイナル。60分1本勝負、剣崎タケル対獣皇レオンカイザー。
世代交代マッチとして注目度も高く、7割方は埋まった観客席も、まあまあ沸いている。
皆、新時代のスターによって俺が無様に派手に叩きのめされるのを期待しているのだろうか。
よろめく俺の首を、剣崎の太い腕が抱え込む。
「ちったぁ踏ん張ってくださいよ? じゃねえと、お客さんに丸わかりですから」
そのまま俺の身体を持ち上げようとしながら、剣崎が囁く。決め技の垂直落下式ブレーンバスターに、持って行こうとしている。
言われた通り、俺は踏ん張った。
剣崎は、戸惑っている。
「ちっとだけでいいんですってば、踏ん張るのは……」
聞かずに俺は、剣崎の腕を無理矢理に振りほどいた。
そして跳躍し、身を捻った。
捻りの入ったドロップキックが、剣崎の巨体を吹っ飛ばしていた。
30年以上、使い続けてきたスクリュー式ドロップキックである。老いぼれていても、身体は勝手に動く。
吹っ飛んだ剣崎が、コーナーポストに激突する。
観客が騒いだ。ブーイング、だけではなく歓声も上がっている。
どちらも、プロレスラーにとっては力となる。
俺の身体の中で、何かが燃えた。血が、闘志が、そして言葉では表現出来ない何かが。
20代、全盛期の頃の俺は、もっと大勢の観客を沸かせていた。ここよりも大きな会場を連日、満員札止めにしていたのだ。
あの頃の俺に、戻れる。
否。たとえ肉体は老いぼれていても、心はずっと、あの頃のままなのだ。
「ち……ちょっと、田中さん……話が違う……」
そんな事を言っている剣崎を、俺は髪を掴んで引きずり起こした。
そして掌底を喰らわせた。剣崎の顎が砕け、折れた歯が飛び散った。
若手・中堅のレスラーが何人か、リング内に乱入して来る。
社長の命令だろう。ブック破りをやらかそうとしている俺に、寄ってたかって制裁を喰らわせるつもりなのだ。
面白い、と俺は思った。もはや試合は成立しないが、これもまたプロレスだ。
そいつらに向かって、俺は剣崎の身体を掴んで投げつけた。そして俺自身も跳躍し、複数人にドロップキックを喰らわせた。
剣崎を含むレスラー数名が、一緒くたに砕け散った。人体の残骸が、リング上に散乱する。
観客席のブーイングと歓声が、悲鳴に変わった。
俺の中で燃え盛る何かが、さらに加速してゆく。
返り血やら何やらを全身に浴びながら、俺も悲鳴を上げていた。それは悲鳴であり、だが雄叫びでもあった。
違う、止めてくれ。助けてくれ。こんなものはプロレスではない。そう泣き叫ぶ俺がいる。
これだ。力で、全てを破壊する。見る者に、悲鳴を上げさせる。これこそがプロレスだ。そんなふうに悦ぶ俺もいる。
引き裂かれそうになりながら俺は、リング上にまだ何人か残っているレスラーたちを粉砕していった。ラリアットが頭蓋を叩き割り、ボディスラムが胴体を破裂させる。
ぶちまけられる様々なものを浴びながら、俺の身体は若々しく引き締まり、全盛期の筋肉を取り戻してゆく。
悲鳴か雄叫びかわからぬものを轟かせながら、俺は若返っていた。

■シナリオ詳細
■成功条件
1.破綻者・獣皇レオンカイザーの撃破(生死不問)
2.なし
3.なし
2.なし
3.なし
今回の相手は試合中に発現・覚醒し、破綻者(深度2)となったプロレスラー田中浩。マスクマン『獣皇レオンカイザー』として、リング上で長らく活躍していた人物であります。実年齢は57歳、ですが現の因子が発現そして暴走し、現在は全盛期25歳の肉体を取り戻しております。
破綻者と化した彼を、止めて下さい。
彼が試合相手である剣崎タケルを殺害する寸前で、皆様にはリング上へと乱入していただく事になります。上記オープニング、剣崎が掌底で顎を砕かれた直後です。チケット料金等は、後払いという形でファイヴもしくは中司令個人が負担してくれる事でしょう。
場所は屋内のリング上。照明も広さもありますが、剣崎を助けるべくレスラー複数名が乱入しようとしています。
ワーズ・ワースを用いての説得、あるいは何かしら見た目の派手な攻撃術式を披露する事で、彼らは引き下がってくれるでしょう。剣崎選手の顎を、術式で治療する事も可能です。
獣皇レオンカイザーの攻撃は、高威力のプロレス技各種(物近単)のみ。現の因子が覚醒しているのでB.O.T.も使用可能ではありますが、使いません。正々堂々と言うより、プロレスラーとして暴走中なので、飛び道具という発想に至る事が出来ないのです。
殺さず大人しくさせるにしても、手加減の類は必要ありません。普通に戦って体力を0にしていただくだけで大丈夫です。
それでは、よろしくお願い申し上げます。
状態
完了
完了
報酬モルコイン
金:0枚 銀:1枚 銅:0枚
金:0枚 銀:1枚 銅:0枚
相談日数
7日
7日
参加費
100LP[+予約50LP]
100LP[+予約50LP]
参加人数
3/6
3/6
公開日
2017年10月19日
2017年10月19日
■メイン参加者 3人■

●
プロの格闘家としてリングに立つのが、夢ではあった。
この状況、夢が叶ったとは言えないだろう。『豪炎の龍』華神悠乃(CL2000231)は、そう思う。
リング上では、顎が砕けて口を閉じられなくなったプロレスラー剣崎タケルが、弱々しく痙攣している。
掌打の一撃でそれを為した張本人が、リング中央で威容を晒していた。
本名・田中浩。リングネーム・獣皇レオンカイザー。
還暦も近く肥満気味であった巨体が、今は若々しく引き締まりつつも力強く筋肉を隆起させ、闘気の揺らめきを帯びていた。
獅子をイメージした覆面からも、若返った素顔の荒々しさが滲み出している。たてがみの形に伸びた頭髪も、作り物ではないだろう。自前の長髪が、炎の如く揺らめいているのだ。
観客席は、騒然としていた。
プロレスの試合が、そうではないものに変わりつつある。それを観客たちは、察してはくれているようだ。
だから覚者3名がこうしてリング内に入り込んでも、ブーイングを発する事なく、騒然としたまま成り行きを見守っている。
「……何だ……お前……」
まさに獅子の如く牙を剥きながら、獣皇レオンカイザーが呻いた。
「……知らねえのか。うちのリングにはなぁ、女子は上げねえ……」
「私、もしかして女子プロレスラーだと思われてる? まあ、光栄かな」
身長だけならレオンカイザーを上回る肢体で、悠乃は構えを取った。
「カイザー選手の、全盛期の試合……動画でいくつも見ました。あの頃の貴方とリング上で向かい合ってるなんて夢みたいですけど、現実的に3対1の変則タッグで行かせてもらいますよ。それも術式ありのシュートでね」
「3対1、だと……」
レオンカイザーの眼光が、ひょいと悠乃を迂回した。
「まさか、とは思うが……そいつらまで人数に入ってる、わけじゃねえだろうな」
「悪いけど入ってるよ。破綻者、それも現の因子持ちとなりゃあ……放っとくワケにゃ、いかねえからな」
そいつら、と呼ばれた2名の片方……『ボーパルホワイトバニー』飛騨直斗(CL2001570)が言った。
「ライオンってのは、兎1匹狩るのに全力でいくんだよなあ……やってみろ。この首狩り白兎が、老いぼれライオンを狩ってやっからよ」
鞘を被ったままの妖刀を、直斗はちらりと見せびらかした。
「術式だけじゃねえ、凶器攻撃もありでいかせてもらうぜ。何てったっけな、ほらアレよ。ば、バ、バリトン音頭」
「……バーリトゥードの事? まあ確かに基本、覚者の戦いは何でもありだけど」
悠乃の視界の中で、『何でもあり』にしても自由過ぎる1人の少女が、リング内を軽やかに踊り歩いている。マイクを片手にだ。
「お静かに! これはアイドルプロレスではなくファイヴの戦闘任務、見せ物ではありませんから速やかに避難をなさって。リング上での私のパフォーマンスを見たい気持ちは充分に理解いたしますけれども、ね!」
ラウンドガールのようなリングアナのような事をしているのは『獅子心王女<ライオンハート>』獅子神伊織(CL2001603)である。
艶やかな金髪と豊かな胸を揺らしながら、くるくると躍動する、その全身から癒しの力が振りまかれる。そして、死にかけた剣崎の巨体に降り注ぐ。
癒力大活性だった。
剣崎の砕けた顎が、メキバキと蠢きながら繋がってゆく。麻酔なしの人体修復。
悲鳴を上げる剣崎を、レスラーたちが数名がかりで手際よくリング外に運び出して行く。伊織に促されてだ。
「ここは私たちに任せて、貴方がたは観客の皆様の避難誘導を。剣崎さんは、もう大丈夫。レオンカイザー選手も私たちが必ず、助けますわ」
「……わ、わかった」
レオンカイザーに寄ってたかって制裁を加えるつもりだったのであろうレスラーたちが、覚者3人と破綻者1名をマット上に残し、リングを下りる。
伊織の、美貌とアイドルオーラとワーズワース。全てが効いている。
おかげで悠乃は、戦闘準備に専念する事が出来た。
「さて……時間無制限1本勝負、いってみましょうか」
体内で、炎の因子が燃え盛る。灼熱化だった。
「目の錯覚……じゃあ、ねえよな。俺は、どうやら……若返っちまってる」
全盛期の筋肉を取り戻した己の全身を見回しながら、レオンカイザーは言った。
「この、わけのわからん若返りと……同じようなもの、お前さん方にも起こってる……のか?」
「因子の発現と覚醒。大人しく聞いてくれるなら、説明してあげたいところだけど」
悠乃の言葉に、レオンカイザーは牙を剥いて微笑んだ。
「……無理だな。今の俺は、人の話を聞ける……状態じゃあねえ。トチ狂ってんのが、てめえでもわかる。徹底的にトチ狂ってよう、何もかんもブチ壊せと……どいつもコイツもぶっ殺せと……そういう声が、聞こえてきやがる……おい……逃げろ……ッ!」
いや。微笑んでいるのではなく、慟哭しているのかも知れない。獅子のマスクもろとも、レオンカイザーの顔面が凶悪に、悲痛に、歪みねじ曲がる。
そこへ、流星が激突した。
レオンカイザーの巨体が後方へと大きく揺らぎ、辛うじて倒れず踏みとどまる。
流星の如く燃え盛る拳を振るったのは、直斗だ。
「……安心しろ、おっさん。その声なら俺も聞こえる。しょっちゅう聞いてる」
炎をまとう拳を掲げながら、直斗は言った。
「そいつとは一生、付き合ってかなきゃいけねえんだぜ……」
●
レオンカイザー。英語か仏語か独語か判然としない不可思議な単語ではあるが、とにかく「百獣の王」のイメージに基く命名なのであろう事はわかる。
「……わかりますわ、獅子に憧れる気持ち。まさしく今の貴方は、獣皇にふさわしい力の持ち主」
レグルスを構えながら、伊織は言った。
「ですが……信念のない、ただ強すぎるだけの力は単なる暴力。人様にお見せするものではないという事、貴方も本当はわかっておられるのでしょう? アイドルもプロレスラーも、同じパフォーマーですものね。こんな事を申し上げたら、お怒りになる? 女子供の歌踊りと一緒にするな、自分たちは真剣勝負をしている、と」
「真剣勝負……だと……」
レオンカイザーが、直斗を掴んだ。
巨大な右腕が、少年の小柄な細身を物のように担ぎ上げて振り下ろす。
「真剣勝負、なんてのは……客に見せるもんじゃあねえええ!」
片腕によるパワーボムが、直斗をキャンバスに叩き付けていた。
血飛沫を散らせながら跳ね上がった直斗の身体が、錐揉み状に回転しつつ伊織の足元に落下し、横たわる。
「……確かに、その通りですわね。真剣勝負とは、おぞましいもの」
妖の爪や牙が、臓物を抉る。刃が、時には人の首を刎ねる。炎や雷が、妖も隔者も分け隔てなく焼け爛れさせる。それが真剣勝負というものだ。
そんな事はともかく、伊織は直斗を気遣って見せた。
「治療……して差し上げましょうか? 悪魔の直斗君」
「……まだいい。こちとらな、こんな柔らけえマットじゃねえ。地面とかコンクリートの上とかで、しょっちゅうブッ倒されてんだ。屁でもねえよ、こんなの」
直斗が立ち上がる。が、足元が覚束ない。
「それとな……俺ぁもう、悪魔じゃねえ。貴女だって、もう」
「我が名は剛毅の獅子神伊織。アルカナ・ナンバーズの理念と誇り、失ってはいませんわよ」
直斗の後頭部に、伊織はレグルスを突きつけた。
「……わかっていますわ。貴方が、あの男の命を奪うに至った経緯も……末期のアルカナ・ナンバーズは、もはや誇りとも理念とも縁のない無法の隔者集団。滅びるのが当然、私はただ未練を抱いているだけ」
「伊織さん……俺は……」
「こうして未練を捨てられずにいる私に……直斗君は、背中を託す事が出来まして?」
「……殺るなら、一思いにバッサリ頼むぜ」
伊織に対しては無防備なまま、直斗はレオンカイザーに向かって妖刀を抜き放った。花びらが舞い散り、かぐわしい毒香が漂う。
妖刀の鞘から、刃と一緒に仇華浸香が噴出していた。
破綻して若返ったプロレスラーの巨体に、凶花の香が絡み付く。
「ぐっ……な、何だ……こいつは……」
「術式だよ。言ったろ? 何でもありだって」
直斗が、眼前で刃を立てる。
その刃が雷雲を帯び、雷鳴を発した。
迸った稲妻が、レオンカイザーを直撃する。
毒香と電光に絡み付かれたプロレスラーに向かって、悠乃が猛然と踏み込んで行った。全身に、黒い炎をまといながらだ。
「この黒竜殺で……いきなりフィニッシュにいかせてもらう!」
炎の因子を燃えたぎらせる長身が、竜巻の如く回転した。
炎の竜巻と化しながらの、連続蹴り。左右の美脚が燃え盛る鞭となって、レオンカイザーの巨体を打ち据える。尻尾の一撃も、混ざっているようだ。
打たれ、灼かれ、よろめいたレオンカイザーが、しかし即座に体勢を立て直し、踏み込んだ。獅子と言うよりは猛牛を思わせる突進が、悠乃を襲う。
「その動きは知ってる……相手の蹴りにタックル合わせるのは基本だよねっ」
闘牛士を思わせる動きで、悠乃はそれをかわした。かわしながら、長い右脚を鋭利に折り曲げる。
刃物のような膝蹴りが、レオンカイザーの顔面に叩き込まれていた。
猛牛の勢いで前傾していた巨体が、大量の鼻血を噴き上げながら後方にのけぞる。
炎の竜巻となって激しく蹴りを繰り出しながらも、身体の軸は全く動いていない。だからこうして即座に、回避しながらの攻撃に移る事が出来る。
「お見事ですわ、華神さん……」
この人のダンスパフォーマンスも見てみたい、などと思いながら伊織は身を翻し、胸を揺らすついでのように左腕を振るった。細腕の一閃。
気の刃が生じて空を裂き、レオンカイザーを直撃する。烈空波。
凶猛に若返ったプロレスラーの身体が、血飛沫を飛ばしながらよろめいてロープにもたれかかり、跳ね返り、そして跳躍した。
筋骨たくましい巨体が、空中でドリル状に猛回転しながら悠乃を直撃する。
スクリュー式ドロップキック。獣皇レオンカイザーの、代名詞とも呼べる技であるらしい。
黒炎まとう両腕を交差させ、防御の構えを取りながら、しかし悠乃は吹っ飛んでいた。
吹っ飛んだ長身が、ロープにぶつかって跳ね返り、マット上に倒れ伏して血反吐をぶちまける。
伊織は青ざめ、息を飲んだ。
「華神さん……!」
「野郎よくも……! 妖刀ノ楔、喰らいやがれッ!」
直斗が激昂し、レオンカイザーに斬りかかって行く。
その間、伊織は悠乃を抱き起こしていた。
「しっかり、なさって……」
「だ、大丈夫……でも、ないかな……」
苦しげに微笑みながら、悠乃は血を吐いた。どうやら内臓が破裂している。
「お金、取れる技っていうのは……やっぱり、違うね……」
「今、治療いたしますわ」
「私の事さっき、お見事って言ってくれたよね……獅子神さんも、お見事……あの路上パフォーマンス」
「……はい、存じ上げておりますわ。撮影禁止と言っておいたのに、何故だか動画が出回っているようですわね」
「あのハイテンション猫のダンス……演出次第では、お金取れると思うよ」
「……獲物を狩る獅子の踊り、なのですけれど」
「ふふっ……今のキミはね、立派な覚者でありパフォーマー……過去が、どうであっても……ね」
自分の過去を、伊織は得意げに語った事などない。が、噂は広まってゆくものである。おかしな陰口をきく者が、ファイヴにもいないわけではなかった。
悠乃のように正面から触れてくる者は、そうそういない。
「過去を……忘れろ、なんて言えないけれど……」
「私は……」
忘れたい過去、というわけではない。あの頃の仲間たちは、伊織にとってはむしろ誇りであった。
その仲間たちの、何人かは辛うじて生き残っており、何人かは行方が知れず、何人かは死んだ。
その事態の原因とも言える少年が、レオンカイザーと共に空を飛んでいる。
直斗の身体を捕らえ抱えたまま、レオンカイザーは高々と跳躍していた。
そして落下する。直斗を、キャンバスに叩き付けながら押し潰す。パワースラムだった。
プロレスラーの巨体の下で、直斗の肋骨が何本も折れた。その音が、伊織のいる所にまで聞こえてきた。
臓物の汁気が混ざった鮮血を、直斗は天井に向かって大量に吐き上げた。血反吐の噴水であった。
少年の体内では今、折れた肋骨が、破裂した内臓を掻き回している。覚者だからこそ、その程度で済んでいる。
伊織は立ち上がり、持ち歌のイントロを頭の中で流しながら舞い踊った。
癒しの力が発生し、リング上に拡散して、悠乃と直斗に降り注ぐ。癒力大活性。
直斗は、自分とは違う。それを伊織は、理解はしている。
誇りと思えるような仲間を、直斗は、あの組織で得る事が出来なかったのだ。
彼が得たのは、自身とそして愛する者が蹂躙される、悪夢のような経験だけだ。
直斗は、その悪夢に抗った。
結果、伊織が居場所と仲間を失った。
それが、直斗の過去であり、伊織の過去なのだ。
「キミが頭の中で流したイントロ……聞こえたよ、私にも!」
動ける程度には回復した悠乃が、飛び起きると同時にマットを蹴る。恐竜の尻尾をなびかせながらの、疾駆か、跳躍か。
とにかく次の瞬間。黒炎をまとう長身が、レオンカイザーの巨体に背後から絡み付いていた。
強靭な細腕が、破綻レスラーの太い首を後ろから締め上げる。燃え盛る左右の美脚が、獣皇の力強い胴体に、大蛇の如く巻き付いている。炎の大蛇だ。
胴締めスリーパーホールド。破綻者ではない普通の格闘家が相手ならば、決着であろう。
レオンカイザーはしかし、悠乃の長い手足を、荒々しく振りほどきにかかっている。
「うぐっ……! はっ放せ小娘、このまま……叩き付けられてえのか……ッ!」
「鉄柱に叩き付けられても放しませんよ……全盛の先達を、超えてこその……後進、ですものね……っ」
全盛期の先達を、悠乃としては1対1の戦いで倒したいところであろう。
だが、これは格闘技の試合ではなく、覚者としての実戦任務である。3人いて、1人が敵の動きを封じているのなら、とどめを刺すのが他2人の役割だ。
「直斗君……行けまして?」
「何とか、な……」
悠乃と同じく、動ける程度に回復した直斗が、立ち上がって妖刀を構える。
獣の因子を燃やしながら、伊織は言った。
「やはり私……貴方の事、許せそうにありませんわ」
「だからよ、後ろからブッた斬ってくれて良かったんだぜ?」
「そんな事……出来るものなら、とうの昔に……ッッ!」
伊織は踏み込んだ。直斗ではない、本当に斬るべき相手に向かってだ。
「……獣皇レオンカイザー! 同じ獅子の名を持つ者として、私が貴方を止めてみせますわ!」
レグルスが一閃。伊織の中で、獣憑・猫の因子が猛り昂ぶって獅子となった。
それに合わせて直斗が、妖刀を一閃させる。白兎が、本来あるはずのない牙を剥いた。
「どうよ……まだ、声は聞こえるかい?」
獣憑2名による、猛の一撃。交差する形に、レオンカイザーを直撃していた。
破綻そして若返りを遂げた巨体が、悠乃の胴締めスリーパーホールドから解放され、ゆっくりと倒れてゆく。
キャンバスに倒れ伏したのは、筋骨隆々たる破綻者ではなく、57歳の肥満した老体であった。
大量の贅肉の中に、しかしプロレスラーとして数十年間鍛え上げた筋肉が、辛うじて息づいているのは見て取れる。
この頑強な肉体あってこそ、覚者3名による立て続けの攻撃を受けても絶命には至らず、こうして倒れながらも言葉を発する事が出来る。
「聞こえるぜ……力で、ブッ倒せ……ってなぁ……一生、聞こえやがるんだろうなあ……」
「……そういうこった」
直斗が、妖刀を鞘に収める。
レオンカイザー……田中浩が、弱々しく微笑んだ。
「客に見せるもんじゃねえ……血生臭え真剣勝負をよ、見せつけたくてしょうがなかった……その真剣勝負が、お前らとの戦いで……まあ、良かったと思うぜ。思い残す事ぁねえ、殺してくれ」
「それ系のお願いはね、聞かない事にしておりますの」
伊織が言った。
「因子が目覚めてしまった以上……貴方も、まあレスラーとしては引退せざるを得ないでしょうね」
「だから、私たちと一緒に戦いましょう」
言いつつ悠乃が、田中の巨大な老体を抱き起こした。
「現の因子の扱い方、習得してさえくれれば……若返る事、出来ますよ。戦っている最中の、ひと時だけなら」
「ほう……」
「あとね、サイン下さい。私、実は田中選手の素顔の頃の試合が好きなんです。映像あんまり残ってないんですけど」
「その頃の俺は、十把一絡げの若手だったからな。今は、ぶっ壊れた老いぼれだ」
「いいえ。私たちのこれからの戦い、獣皇の力は必ず必要になりますわ」
伊織の言葉に、直斗が続いた。
「どうせならよォ、俺らと一緒にとことんブッ壊れてみようぜ? 俺たちゃ化物なんだからなあ」
「直斗君は……今でもまだ、隔者のつもりでいますの?」
伊織が睨むと、直斗は狼狽した。
「い、いや……まあ、癖が抜けねえっつーか」
「化物気取りの隔者が、あの子に付きまとうなんて……許せませんわねえ」
「ちちちちちょっと何言ってんのかわかんねえよ。た、助けて華神さん!」
「まあ、きっちり話し合う事。殴り合いも、やむなしかな? 殺し合いになったら止めてあげる」
悠乃が笑った。
「わかり合うためにはね、ある程度までは荒っぽく行かないと駄目だから。ね? 田中さん」
「わかり合ってねえよ。お前らは全然、わかってねえ」
田中も笑った。自身に対する、嘲笑のようだった。
「老いぼれるってのが一体、どういう事なのか……お前らじゃ、まだわからねえさ」
プロの格闘家としてリングに立つのが、夢ではあった。
この状況、夢が叶ったとは言えないだろう。『豪炎の龍』華神悠乃(CL2000231)は、そう思う。
リング上では、顎が砕けて口を閉じられなくなったプロレスラー剣崎タケルが、弱々しく痙攣している。
掌打の一撃でそれを為した張本人が、リング中央で威容を晒していた。
本名・田中浩。リングネーム・獣皇レオンカイザー。
還暦も近く肥満気味であった巨体が、今は若々しく引き締まりつつも力強く筋肉を隆起させ、闘気の揺らめきを帯びていた。
獅子をイメージした覆面からも、若返った素顔の荒々しさが滲み出している。たてがみの形に伸びた頭髪も、作り物ではないだろう。自前の長髪が、炎の如く揺らめいているのだ。
観客席は、騒然としていた。
プロレスの試合が、そうではないものに変わりつつある。それを観客たちは、察してはくれているようだ。
だから覚者3名がこうしてリング内に入り込んでも、ブーイングを発する事なく、騒然としたまま成り行きを見守っている。
「……何だ……お前……」
まさに獅子の如く牙を剥きながら、獣皇レオンカイザーが呻いた。
「……知らねえのか。うちのリングにはなぁ、女子は上げねえ……」
「私、もしかして女子プロレスラーだと思われてる? まあ、光栄かな」
身長だけならレオンカイザーを上回る肢体で、悠乃は構えを取った。
「カイザー選手の、全盛期の試合……動画でいくつも見ました。あの頃の貴方とリング上で向かい合ってるなんて夢みたいですけど、現実的に3対1の変則タッグで行かせてもらいますよ。それも術式ありのシュートでね」
「3対1、だと……」
レオンカイザーの眼光が、ひょいと悠乃を迂回した。
「まさか、とは思うが……そいつらまで人数に入ってる、わけじゃねえだろうな」
「悪いけど入ってるよ。破綻者、それも現の因子持ちとなりゃあ……放っとくワケにゃ、いかねえからな」
そいつら、と呼ばれた2名の片方……『ボーパルホワイトバニー』飛騨直斗(CL2001570)が言った。
「ライオンってのは、兎1匹狩るのに全力でいくんだよなあ……やってみろ。この首狩り白兎が、老いぼれライオンを狩ってやっからよ」
鞘を被ったままの妖刀を、直斗はちらりと見せびらかした。
「術式だけじゃねえ、凶器攻撃もありでいかせてもらうぜ。何てったっけな、ほらアレよ。ば、バ、バリトン音頭」
「……バーリトゥードの事? まあ確かに基本、覚者の戦いは何でもありだけど」
悠乃の視界の中で、『何でもあり』にしても自由過ぎる1人の少女が、リング内を軽やかに踊り歩いている。マイクを片手にだ。
「お静かに! これはアイドルプロレスではなくファイヴの戦闘任務、見せ物ではありませんから速やかに避難をなさって。リング上での私のパフォーマンスを見たい気持ちは充分に理解いたしますけれども、ね!」
ラウンドガールのようなリングアナのような事をしているのは『獅子心王女<ライオンハート>』獅子神伊織(CL2001603)である。
艶やかな金髪と豊かな胸を揺らしながら、くるくると躍動する、その全身から癒しの力が振りまかれる。そして、死にかけた剣崎の巨体に降り注ぐ。
癒力大活性だった。
剣崎の砕けた顎が、メキバキと蠢きながら繋がってゆく。麻酔なしの人体修復。
悲鳴を上げる剣崎を、レスラーたちが数名がかりで手際よくリング外に運び出して行く。伊織に促されてだ。
「ここは私たちに任せて、貴方がたは観客の皆様の避難誘導を。剣崎さんは、もう大丈夫。レオンカイザー選手も私たちが必ず、助けますわ」
「……わ、わかった」
レオンカイザーに寄ってたかって制裁を加えるつもりだったのであろうレスラーたちが、覚者3人と破綻者1名をマット上に残し、リングを下りる。
伊織の、美貌とアイドルオーラとワーズワース。全てが効いている。
おかげで悠乃は、戦闘準備に専念する事が出来た。
「さて……時間無制限1本勝負、いってみましょうか」
体内で、炎の因子が燃え盛る。灼熱化だった。
「目の錯覚……じゃあ、ねえよな。俺は、どうやら……若返っちまってる」
全盛期の筋肉を取り戻した己の全身を見回しながら、レオンカイザーは言った。
「この、わけのわからん若返りと……同じようなもの、お前さん方にも起こってる……のか?」
「因子の発現と覚醒。大人しく聞いてくれるなら、説明してあげたいところだけど」
悠乃の言葉に、レオンカイザーは牙を剥いて微笑んだ。
「……無理だな。今の俺は、人の話を聞ける……状態じゃあねえ。トチ狂ってんのが、てめえでもわかる。徹底的にトチ狂ってよう、何もかんもブチ壊せと……どいつもコイツもぶっ殺せと……そういう声が、聞こえてきやがる……おい……逃げろ……ッ!」
いや。微笑んでいるのではなく、慟哭しているのかも知れない。獅子のマスクもろとも、レオンカイザーの顔面が凶悪に、悲痛に、歪みねじ曲がる。
そこへ、流星が激突した。
レオンカイザーの巨体が後方へと大きく揺らぎ、辛うじて倒れず踏みとどまる。
流星の如く燃え盛る拳を振るったのは、直斗だ。
「……安心しろ、おっさん。その声なら俺も聞こえる。しょっちゅう聞いてる」
炎をまとう拳を掲げながら、直斗は言った。
「そいつとは一生、付き合ってかなきゃいけねえんだぜ……」
●
レオンカイザー。英語か仏語か独語か判然としない不可思議な単語ではあるが、とにかく「百獣の王」のイメージに基く命名なのであろう事はわかる。
「……わかりますわ、獅子に憧れる気持ち。まさしく今の貴方は、獣皇にふさわしい力の持ち主」
レグルスを構えながら、伊織は言った。
「ですが……信念のない、ただ強すぎるだけの力は単なる暴力。人様にお見せするものではないという事、貴方も本当はわかっておられるのでしょう? アイドルもプロレスラーも、同じパフォーマーですものね。こんな事を申し上げたら、お怒りになる? 女子供の歌踊りと一緒にするな、自分たちは真剣勝負をしている、と」
「真剣勝負……だと……」
レオンカイザーが、直斗を掴んだ。
巨大な右腕が、少年の小柄な細身を物のように担ぎ上げて振り下ろす。
「真剣勝負、なんてのは……客に見せるもんじゃあねえええ!」
片腕によるパワーボムが、直斗をキャンバスに叩き付けていた。
血飛沫を散らせながら跳ね上がった直斗の身体が、錐揉み状に回転しつつ伊織の足元に落下し、横たわる。
「……確かに、その通りですわね。真剣勝負とは、おぞましいもの」
妖の爪や牙が、臓物を抉る。刃が、時には人の首を刎ねる。炎や雷が、妖も隔者も分け隔てなく焼け爛れさせる。それが真剣勝負というものだ。
そんな事はともかく、伊織は直斗を気遣って見せた。
「治療……して差し上げましょうか? 悪魔の直斗君」
「……まだいい。こちとらな、こんな柔らけえマットじゃねえ。地面とかコンクリートの上とかで、しょっちゅうブッ倒されてんだ。屁でもねえよ、こんなの」
直斗が立ち上がる。が、足元が覚束ない。
「それとな……俺ぁもう、悪魔じゃねえ。貴女だって、もう」
「我が名は剛毅の獅子神伊織。アルカナ・ナンバーズの理念と誇り、失ってはいませんわよ」
直斗の後頭部に、伊織はレグルスを突きつけた。
「……わかっていますわ。貴方が、あの男の命を奪うに至った経緯も……末期のアルカナ・ナンバーズは、もはや誇りとも理念とも縁のない無法の隔者集団。滅びるのが当然、私はただ未練を抱いているだけ」
「伊織さん……俺は……」
「こうして未練を捨てられずにいる私に……直斗君は、背中を託す事が出来まして?」
「……殺るなら、一思いにバッサリ頼むぜ」
伊織に対しては無防備なまま、直斗はレオンカイザーに向かって妖刀を抜き放った。花びらが舞い散り、かぐわしい毒香が漂う。
妖刀の鞘から、刃と一緒に仇華浸香が噴出していた。
破綻して若返ったプロレスラーの巨体に、凶花の香が絡み付く。
「ぐっ……な、何だ……こいつは……」
「術式だよ。言ったろ? 何でもありだって」
直斗が、眼前で刃を立てる。
その刃が雷雲を帯び、雷鳴を発した。
迸った稲妻が、レオンカイザーを直撃する。
毒香と電光に絡み付かれたプロレスラーに向かって、悠乃が猛然と踏み込んで行った。全身に、黒い炎をまといながらだ。
「この黒竜殺で……いきなりフィニッシュにいかせてもらう!」
炎の因子を燃えたぎらせる長身が、竜巻の如く回転した。
炎の竜巻と化しながらの、連続蹴り。左右の美脚が燃え盛る鞭となって、レオンカイザーの巨体を打ち据える。尻尾の一撃も、混ざっているようだ。
打たれ、灼かれ、よろめいたレオンカイザーが、しかし即座に体勢を立て直し、踏み込んだ。獅子と言うよりは猛牛を思わせる突進が、悠乃を襲う。
「その動きは知ってる……相手の蹴りにタックル合わせるのは基本だよねっ」
闘牛士を思わせる動きで、悠乃はそれをかわした。かわしながら、長い右脚を鋭利に折り曲げる。
刃物のような膝蹴りが、レオンカイザーの顔面に叩き込まれていた。
猛牛の勢いで前傾していた巨体が、大量の鼻血を噴き上げながら後方にのけぞる。
炎の竜巻となって激しく蹴りを繰り出しながらも、身体の軸は全く動いていない。だからこうして即座に、回避しながらの攻撃に移る事が出来る。
「お見事ですわ、華神さん……」
この人のダンスパフォーマンスも見てみたい、などと思いながら伊織は身を翻し、胸を揺らすついでのように左腕を振るった。細腕の一閃。
気の刃が生じて空を裂き、レオンカイザーを直撃する。烈空波。
凶猛に若返ったプロレスラーの身体が、血飛沫を飛ばしながらよろめいてロープにもたれかかり、跳ね返り、そして跳躍した。
筋骨たくましい巨体が、空中でドリル状に猛回転しながら悠乃を直撃する。
スクリュー式ドロップキック。獣皇レオンカイザーの、代名詞とも呼べる技であるらしい。
黒炎まとう両腕を交差させ、防御の構えを取りながら、しかし悠乃は吹っ飛んでいた。
吹っ飛んだ長身が、ロープにぶつかって跳ね返り、マット上に倒れ伏して血反吐をぶちまける。
伊織は青ざめ、息を飲んだ。
「華神さん……!」
「野郎よくも……! 妖刀ノ楔、喰らいやがれッ!」
直斗が激昂し、レオンカイザーに斬りかかって行く。
その間、伊織は悠乃を抱き起こしていた。
「しっかり、なさって……」
「だ、大丈夫……でも、ないかな……」
苦しげに微笑みながら、悠乃は血を吐いた。どうやら内臓が破裂している。
「お金、取れる技っていうのは……やっぱり、違うね……」
「今、治療いたしますわ」
「私の事さっき、お見事って言ってくれたよね……獅子神さんも、お見事……あの路上パフォーマンス」
「……はい、存じ上げておりますわ。撮影禁止と言っておいたのに、何故だか動画が出回っているようですわね」
「あのハイテンション猫のダンス……演出次第では、お金取れると思うよ」
「……獲物を狩る獅子の踊り、なのですけれど」
「ふふっ……今のキミはね、立派な覚者でありパフォーマー……過去が、どうであっても……ね」
自分の過去を、伊織は得意げに語った事などない。が、噂は広まってゆくものである。おかしな陰口をきく者が、ファイヴにもいないわけではなかった。
悠乃のように正面から触れてくる者は、そうそういない。
「過去を……忘れろ、なんて言えないけれど……」
「私は……」
忘れたい過去、というわけではない。あの頃の仲間たちは、伊織にとってはむしろ誇りであった。
その仲間たちの、何人かは辛うじて生き残っており、何人かは行方が知れず、何人かは死んだ。
その事態の原因とも言える少年が、レオンカイザーと共に空を飛んでいる。
直斗の身体を捕らえ抱えたまま、レオンカイザーは高々と跳躍していた。
そして落下する。直斗を、キャンバスに叩き付けながら押し潰す。パワースラムだった。
プロレスラーの巨体の下で、直斗の肋骨が何本も折れた。その音が、伊織のいる所にまで聞こえてきた。
臓物の汁気が混ざった鮮血を、直斗は天井に向かって大量に吐き上げた。血反吐の噴水であった。
少年の体内では今、折れた肋骨が、破裂した内臓を掻き回している。覚者だからこそ、その程度で済んでいる。
伊織は立ち上がり、持ち歌のイントロを頭の中で流しながら舞い踊った。
癒しの力が発生し、リング上に拡散して、悠乃と直斗に降り注ぐ。癒力大活性。
直斗は、自分とは違う。それを伊織は、理解はしている。
誇りと思えるような仲間を、直斗は、あの組織で得る事が出来なかったのだ。
彼が得たのは、自身とそして愛する者が蹂躙される、悪夢のような経験だけだ。
直斗は、その悪夢に抗った。
結果、伊織が居場所と仲間を失った。
それが、直斗の過去であり、伊織の過去なのだ。
「キミが頭の中で流したイントロ……聞こえたよ、私にも!」
動ける程度には回復した悠乃が、飛び起きると同時にマットを蹴る。恐竜の尻尾をなびかせながらの、疾駆か、跳躍か。
とにかく次の瞬間。黒炎をまとう長身が、レオンカイザーの巨体に背後から絡み付いていた。
強靭な細腕が、破綻レスラーの太い首を後ろから締め上げる。燃え盛る左右の美脚が、獣皇の力強い胴体に、大蛇の如く巻き付いている。炎の大蛇だ。
胴締めスリーパーホールド。破綻者ではない普通の格闘家が相手ならば、決着であろう。
レオンカイザーはしかし、悠乃の長い手足を、荒々しく振りほどきにかかっている。
「うぐっ……! はっ放せ小娘、このまま……叩き付けられてえのか……ッ!」
「鉄柱に叩き付けられても放しませんよ……全盛の先達を、超えてこその……後進、ですものね……っ」
全盛期の先達を、悠乃としては1対1の戦いで倒したいところであろう。
だが、これは格闘技の試合ではなく、覚者としての実戦任務である。3人いて、1人が敵の動きを封じているのなら、とどめを刺すのが他2人の役割だ。
「直斗君……行けまして?」
「何とか、な……」
悠乃と同じく、動ける程度に回復した直斗が、立ち上がって妖刀を構える。
獣の因子を燃やしながら、伊織は言った。
「やはり私……貴方の事、許せそうにありませんわ」
「だからよ、後ろからブッた斬ってくれて良かったんだぜ?」
「そんな事……出来るものなら、とうの昔に……ッッ!」
伊織は踏み込んだ。直斗ではない、本当に斬るべき相手に向かってだ。
「……獣皇レオンカイザー! 同じ獅子の名を持つ者として、私が貴方を止めてみせますわ!」
レグルスが一閃。伊織の中で、獣憑・猫の因子が猛り昂ぶって獅子となった。
それに合わせて直斗が、妖刀を一閃させる。白兎が、本来あるはずのない牙を剥いた。
「どうよ……まだ、声は聞こえるかい?」
獣憑2名による、猛の一撃。交差する形に、レオンカイザーを直撃していた。
破綻そして若返りを遂げた巨体が、悠乃の胴締めスリーパーホールドから解放され、ゆっくりと倒れてゆく。
キャンバスに倒れ伏したのは、筋骨隆々たる破綻者ではなく、57歳の肥満した老体であった。
大量の贅肉の中に、しかしプロレスラーとして数十年間鍛え上げた筋肉が、辛うじて息づいているのは見て取れる。
この頑強な肉体あってこそ、覚者3名による立て続けの攻撃を受けても絶命には至らず、こうして倒れながらも言葉を発する事が出来る。
「聞こえるぜ……力で、ブッ倒せ……ってなぁ……一生、聞こえやがるんだろうなあ……」
「……そういうこった」
直斗が、妖刀を鞘に収める。
レオンカイザー……田中浩が、弱々しく微笑んだ。
「客に見せるもんじゃねえ……血生臭え真剣勝負をよ、見せつけたくてしょうがなかった……その真剣勝負が、お前らとの戦いで……まあ、良かったと思うぜ。思い残す事ぁねえ、殺してくれ」
「それ系のお願いはね、聞かない事にしておりますの」
伊織が言った。
「因子が目覚めてしまった以上……貴方も、まあレスラーとしては引退せざるを得ないでしょうね」
「だから、私たちと一緒に戦いましょう」
言いつつ悠乃が、田中の巨大な老体を抱き起こした。
「現の因子の扱い方、習得してさえくれれば……若返る事、出来ますよ。戦っている最中の、ひと時だけなら」
「ほう……」
「あとね、サイン下さい。私、実は田中選手の素顔の頃の試合が好きなんです。映像あんまり残ってないんですけど」
「その頃の俺は、十把一絡げの若手だったからな。今は、ぶっ壊れた老いぼれだ」
「いいえ。私たちのこれからの戦い、獣皇の力は必ず必要になりますわ」
伊織の言葉に、直斗が続いた。
「どうせならよォ、俺らと一緒にとことんブッ壊れてみようぜ? 俺たちゃ化物なんだからなあ」
「直斗君は……今でもまだ、隔者のつもりでいますの?」
伊織が睨むと、直斗は狼狽した。
「い、いや……まあ、癖が抜けねえっつーか」
「化物気取りの隔者が、あの子に付きまとうなんて……許せませんわねえ」
「ちちちちちょっと何言ってんのかわかんねえよ。た、助けて華神さん!」
「まあ、きっちり話し合う事。殴り合いも、やむなしかな? 殺し合いになったら止めてあげる」
悠乃が笑った。
「わかり合うためにはね、ある程度までは荒っぽく行かないと駄目だから。ね? 田中さん」
「わかり合ってねえよ。お前らは全然、わかってねえ」
田中も笑った。自身に対する、嘲笑のようだった。
「老いぼれるってのが一体、どういう事なのか……お前らじゃ、まだわからねえさ」
■シナリオ結果■
成功
■詳細■
MVP
なし
軽傷
なし
重傷
なし
死亡
なし
称号付与
なし
特殊成果
なし
