【つぎはぎ】つぎはぎの夜・破
●
大人はどうして矛盾したことを子供に押しつけてくるのだろう。それもさも当たり前のような顔をして。
志摩丈瑠(しま たける)は体の横で拳を固めた。たったいま、引き取ったばかりの猫たちを殺すと言われたところだった。これからは発現者たちとも仲良く、一般の施設で暮らすように、と言われたことだけでもかなり腹が立っていたのに。
「もちろん、お前たちにそんな酷い事をさせるつもりはないよ。こちらで始末しよう。さあ、そこのキャリーバックを渡しなさい。さっきも言ったが、これは義堂さまの命令なんだ」
「嘘だ!」
隆寛さまがあんなに可愛がっていた猫たちを、殺せ、なんていうはずがない。これは発現者のイジメ。残された僕たち憤怒者への嫌がらせに、むりやり隆寛さまに手紙を書かせたに違いない。
「……お兄ちゃん。ミーちゃんたち、殺されちゃうの?」
美卯(みう)が鼻をすすりあげる。声はすでに泣いていた。振り返ると、物を見ることができるようになった大きな瞳が涙で揺れていた。すぐに大粒が零れ落ちる。あ、ほら――。
「帰れよ! 帰れ! ミケもランもジェロも渡さない。僕たちが守る!」
●
(「あらん。猫ちゃんたちを引き取りに来たら面白いことになっているじゃない」)
パッチワークレディ、左の女はかぶっていたフードを後ろへ流した。生ぬるい風が冷たい頬に当たる。
あの晩の派手な花火は楽しかったけれど、人死がなかったのは面白くなかった。みんな死ねばよかったのに。新しいお人形を作り損ねてしまったではないか。とくにあの坊主。覚者の死体と継ぎ合わせたら、自分と同じぐらい強い妖になったかもしれないのに。
そうね、と右の女がつぶやく。
(「強い怒りによって発現、そのまま破錠してしまう例が、過去に少なからずあるの……憤怒者としてより、破錠者としての素材の方が面白いわ」)
墓の向こうから激しい争いの音が聞こえてくる。
大人たちは子供相手といまは手加減していようだが、そのうち丈瑠は負けて取り押さえられるだろう。小さな友だちのピンチに、猫たちはさぞ怒るにちがいない。
(「ばらばらになったあの子たちの死体を継いで妖にして、元気に元の仲間たちを殺しまわるビデオレターを拘置所に送ってあげましょう。檻の中でさぞかし退屈しているでしょうから」)
右の女の企みに、左の女がにやりと笑った。
●
「志摩兄妹がかばっていたのは、ちょっとばかり怪異に通じたごく普通の猫。猫ってそんなところがあるわよね。だけど夢の中で猫たちは、つぎはぎ女にそそのかされて兄妹たちと争っていた冥宗寺の管理代行者たちの血をすすり、肉を食べ、最終的に化けてしまう……」
日本の怪談って感じの話でしょ、と眩(クララ)・ウルスラ・エングホルム(nCL2000164)は覚者たちを前にして薄く笑った。
「化け猫たちは自分たちを守ってくれた、自分たちか守ろうとした兄妹に牙と爪を向けてバラバラにするの。それをつぎはぎ女が嬉しそうにつなぎ合わせて、はい、新たな妖が誕生するってオチ。もう、なにをして欲しいかわかるわよね?」
眩はつまらなそうにテーブルの上の資料を覚者たちの前へ押しやった。
「兄弟は覚者を憎んでいるわ。だから助けに来た、なんて言ったところで聞く耳持たない。それどころか、さっきまで争っていた冥宗寺の残党たちと一緒になって向かってくるわよ」
まず、三匹の猫たちを妖化するまえに確保して頂戴、と夢見は言う。
「そうしたらつぎはぎ女が出てくるから、死なない程度に戦って追い払って。あっちも今回は本気でやりあうつもりはないわ。適当なところで逃げるから。だけど、相手は腐ってもランク4の妖。舐めてかかると人形の素材にされちゃうからそのつもりでね」
パッチワークレディにとって覚者たちの登場は想定外らしい。ただ、ちょっとばかり気まぐれを出して手を出してくるが、本気でやりあう気はないと眩はいう。
それならそれで、不意を突いて大人数で囲み、一斉に攻撃すれば討ち取れるのではないか、という意見が覚者から出された。
「その場合、志摩兄妹も猫たちも、冥宗寺の残党たちも、みんな戦いに巻き込まれて死んでしまうでしょうね。実はこの夢には続きがあって――とこれは余計なことね。貴方たちがきちんと依頼をこなせれば絶対に起こりえない話だもの。それじゃあ、頼んだわよ」
大人はどうして矛盾したことを子供に押しつけてくるのだろう。それもさも当たり前のような顔をして。
志摩丈瑠(しま たける)は体の横で拳を固めた。たったいま、引き取ったばかりの猫たちを殺すと言われたところだった。これからは発現者たちとも仲良く、一般の施設で暮らすように、と言われたことだけでもかなり腹が立っていたのに。
「もちろん、お前たちにそんな酷い事をさせるつもりはないよ。こちらで始末しよう。さあ、そこのキャリーバックを渡しなさい。さっきも言ったが、これは義堂さまの命令なんだ」
「嘘だ!」
隆寛さまがあんなに可愛がっていた猫たちを、殺せ、なんていうはずがない。これは発現者のイジメ。残された僕たち憤怒者への嫌がらせに、むりやり隆寛さまに手紙を書かせたに違いない。
「……お兄ちゃん。ミーちゃんたち、殺されちゃうの?」
美卯(みう)が鼻をすすりあげる。声はすでに泣いていた。振り返ると、物を見ることができるようになった大きな瞳が涙で揺れていた。すぐに大粒が零れ落ちる。あ、ほら――。
「帰れよ! 帰れ! ミケもランもジェロも渡さない。僕たちが守る!」
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(「あらん。猫ちゃんたちを引き取りに来たら面白いことになっているじゃない」)
パッチワークレディ、左の女はかぶっていたフードを後ろへ流した。生ぬるい風が冷たい頬に当たる。
あの晩の派手な花火は楽しかったけれど、人死がなかったのは面白くなかった。みんな死ねばよかったのに。新しいお人形を作り損ねてしまったではないか。とくにあの坊主。覚者の死体と継ぎ合わせたら、自分と同じぐらい強い妖になったかもしれないのに。
そうね、と右の女がつぶやく。
(「強い怒りによって発現、そのまま破錠してしまう例が、過去に少なからずあるの……憤怒者としてより、破錠者としての素材の方が面白いわ」)
墓の向こうから激しい争いの音が聞こえてくる。
大人たちは子供相手といまは手加減していようだが、そのうち丈瑠は負けて取り押さえられるだろう。小さな友だちのピンチに、猫たちはさぞ怒るにちがいない。
(「ばらばらになったあの子たちの死体を継いで妖にして、元気に元の仲間たちを殺しまわるビデオレターを拘置所に送ってあげましょう。檻の中でさぞかし退屈しているでしょうから」)
右の女の企みに、左の女がにやりと笑った。
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「志摩兄妹がかばっていたのは、ちょっとばかり怪異に通じたごく普通の猫。猫ってそんなところがあるわよね。だけど夢の中で猫たちは、つぎはぎ女にそそのかされて兄妹たちと争っていた冥宗寺の管理代行者たちの血をすすり、肉を食べ、最終的に化けてしまう……」
日本の怪談って感じの話でしょ、と眩(クララ)・ウルスラ・エングホルム(nCL2000164)は覚者たちを前にして薄く笑った。
「化け猫たちは自分たちを守ってくれた、自分たちか守ろうとした兄妹に牙と爪を向けてバラバラにするの。それをつぎはぎ女が嬉しそうにつなぎ合わせて、はい、新たな妖が誕生するってオチ。もう、なにをして欲しいかわかるわよね?」
眩はつまらなそうにテーブルの上の資料を覚者たちの前へ押しやった。
「兄弟は覚者を憎んでいるわ。だから助けに来た、なんて言ったところで聞く耳持たない。それどころか、さっきまで争っていた冥宗寺の残党たちと一緒になって向かってくるわよ」
まず、三匹の猫たちを妖化するまえに確保して頂戴、と夢見は言う。
「そうしたらつぎはぎ女が出てくるから、死なない程度に戦って追い払って。あっちも今回は本気でやりあうつもりはないわ。適当なところで逃げるから。だけど、相手は腐ってもランク4の妖。舐めてかかると人形の素材にされちゃうからそのつもりでね」
パッチワークレディにとって覚者たちの登場は想定外らしい。ただ、ちょっとばかり気まぐれを出して手を出してくるが、本気でやりあう気はないと眩はいう。
それならそれで、不意を突いて大人数で囲み、一斉に攻撃すれば討ち取れるのではないか、という意見が覚者から出された。
「その場合、志摩兄妹も猫たちも、冥宗寺の残党たちも、みんな戦いに巻き込まれて死んでしまうでしょうね。実はこの夢には続きがあって――とこれは余計なことね。貴方たちがきちんと依頼をこなせれば絶対に起こりえない話だもの。それじゃあ、頼んだわよ」

■シナリオ詳細
■成功条件
1.3匹のうち最低2匹の猫を妖化する前に保護する
2.死亡者を出さない
3.なし
2.死亡者を出さない
3.なし
冥宗寺、境内。
夕刻。日没が10分後に迫っています。
●敵
・パッチワークレディ……ランク4/能力不明
死亡した隔者と元AAA研究員・岩畑(妻)、その他の死体が継ぎ合わせされたもの。
元AAA研究員・岩畑(夫)がAAA解雇後、狂った末に行った実験の産物である。
妖化はまったくの偶然だったが、たまたま強力な個体に変じてしようだ。
ちなみに岩畑(夫)はパッチワークレディによって殺され、他の死体と継ぎ合わされて妖化した末に、『【つぎはぎ】つぎはぎの夜・憤怒』で覚者らによって退治されている。
●NPC
・志摩兄妹
以前、助けてくれた冥宗寺の住職、義堂 隆寛(イレヴン幹部、現在収監中)を深く敬愛している。隆寛に年の離れた兄、または若い父親の理想の姿を重ね見ていた。
志摩丈瑠(しま たける)……14歳。憤怒者。義堂
初級正鍛拳、初級四方投げをマスターしている。
志摩美卯(しま みう)……10歳。憤怒者。
・冥宗寺残党
黒服5名。
冥宗寺派の上役たちが逮捕された後、寺の資産管理を任された者たち。
とくに武器は所持していない。
使える体術は初級正鍛拳のみという、ほぼ、戦闘能力のない一般人。
・義堂 隆寛が飼っていた猫たち
リプレイ開始直後は3匹ともゲージに入っているが、かなりの興奮状態で激しく怒っている。
1ターン後にミケが、2ターン後にランが、3ターン後にジェロがゲージから逃げ出し、興奮状態であたりを駆けまわる。
柱を伝って屋根に上がる場合もあるので注意。
ミケ(三毛猫のメス)
ラン(白猫のメス)
ジェロ(黒猫のオス)
妖化するとランク2の化け猫になる。
攻撃は、爪、牙を使った近距離物理攻撃のみ。
化け猫になると闘争と捕食本能のみになる。
●その他
パッチワークレディは4ターン後に現れ、まだ確保されていない猫を捕まえます。
捕まった猫はその1ターン後に凶暴化、覚者を含めた人を襲いだします。襲った人間の血肉を食らうと妖化してしまうので、その前に捕まえてください。
合流がかなり遅れますが、刑務所に入っている冥宗寺・義堂 隆寛と面会して『出した手紙』の内容について話を聞くことができます。
※面会許可が出るのは2名まで。
●STコメント
よろしければご参加ください。
お待ちしております。
状態
完了
完了
報酬モルコイン
金:1枚 銀:0枚 銅:0枚
金:1枚 銀:0枚 銅:0枚
相談日数
8日
8日
参加費
100LP[+予約50LP]
100LP[+予約50LP]
参加人数
8/8
8/8
公開日
2017年09月06日
2017年09月06日
■メイン参加者 8人■

●
聞き分けない子供を怒鳴っている最中に、長門は強い眠気を感じた。眼球だけを動かしてあたりを見回す。すると、夕闇の中を滑る白く長い兎の耳が視界の端をかすめて――。
「おっと、アブねぇ!」
倒れる黒服の腕を『五麟マラソン優勝者』奥州 一悟(CL2000076)がつかみ取った。もう少し遅ければ、男の頭は墓の外柵に当って砕けていただろう。同時に倒れたもう一人は尻から落ちたので、大した怪我はしてないはずだ。とにかく間に合ってよかった。
「――って、いきなりすぎるだろ直斗。せめて一声かけてからにしろよ。つぎはぎ女の手駒を増やしちまうところだったじゃないか」
『ボーパルホワイトバニー』飛騨・直斗(CL2001570)は倒れた黒服たちを見下し、口の中で小さく舌を打った。
「ちぇ、たった三人か」
長い指で髪をかき上げながら、志摩丈瑠の前に立つ。
「俺の事覚えてる? 前に妖に襲われていた時に義堂の坊さんと一緒に助けたんだけど。ところで、美卯ちゃんは目が治ったみたいだな。良かったぜ。な、緒方さん」
笑顔の直斗に促されて、『冷徹の論理』緒形 逝(CL2000156)は、腕に小さな女の子を抱いたまま立ち上がった。
こちらも間一髪。直斗の術によって眠りに落ちた女の子――志摩美卯が地面に当たる寸前に滑り込みで抱きとめていた。
「飛騨ちゃん、三人寝かせれば上出来よ。猫たちとそこの男が術にかからなかったのは、極度の怒りと興奮状態で神経が高ぶっていたせいさね。と、みずたまや、肝心の猫たちはどこにいるのか分るかね?」
片手でスラックスについた土を払い落しながら、フルフェイスの上に浮かぶ守護使役に問い掛ける。
みずたまは、探すまでもないと言った感じで逝の傍を離れ、丈瑠の足元に置かれた二つのキャリーバッグの上でポヨンポヨンと跳ねた。
「それか。すまんね。怒りの感情で場が湧きたっていたから見つけられなかったよ」
「な、なんだ、お前たち!?」
いきなり現れた闖入者――しかも発言者の集団に驚いて、一人残った黒服は狼狽えていた。左の頬が赤く腫れあがっているのは、介入の直前に丈瑠から一発食らったからだ。
丈瑠が直斗たちを睨みつけながら、黒服の疑問に答える。
「ファイヴ」
「なに、あのファイヴなのか?」
「ほかにファイヴという覚者団体があるのでしょうか?」
勒・一二三(CL2001559)は、振り返った男にアルカイックスマイルを浮かべてみせた。
墓地に響くヒグラシの鳴声と草むらから聞こえる虫の音の二重奏を背に、遠ざかる夏の気配を感じながら法衣をひるがえす。
どさり、と音を立てて、最後1人が地面に倒れた。
「あ~、全員眠らせちまってどうすんだよ? ここに転がしておくわけにいかねーぞ」
「一悟、全員じゃないのよ。丈瑠くんは起きているのよ。足に鉛筆を刺して――あ、動いちゃダメなのよ!」
『ゆるゆるふああ』鼎 飛鳥(CL2000093)が止めるよりも早く、丈瑠はキャリーバッグをふたつ抱えて駆けだしていた。
太ももに鉛筆を突き刺したまま、痛みを無視して本堂の裏横へ回り込む。すぐそこ――庫裡と本堂を結ぶ吹き抜けの渡り廊下に、もう一匹、大切な友だちを置いているのだ。
(「誰にも渡すもんか!」)
丈瑠が渡り廊下に置かれたキャリーバッグへ手を伸ばすよりも早く、バッグの扉が開いて中から白・茶色・黒の三色毛玉が転び出る。
「ミケ!」
ミケと丈瑠に呼ばれた猫が、渡り廊下の細い柱を駆けあがった。
飛鳥はもたもたと廊下へ上がる丈瑠をジャンプ一つで抜き去ると、ミケが登った柱に飛びついた。
「あすか、棒登りは得意なのよ。任せるのよ!」
スカートの裾をまくって露わにした太ももで柱をしっかり挟み込み、両腕を使って柱を上まで登る。梁の上で背を弓なりにした三毛猫に片腕を伸ばすも――。
「ぎゃあ! 引っかかれたのよ!」
「鼎さん、降りてきて。こっちで志摩くんと一緒に手当てするから。カンタ、ミケがどこかへ行かないように見張ってくれる?」
守護使役のカンタは、『音楽教諭』向日葵 御菓子(CL2000429)に、まかせて、と愛らしい声でさえずり返すと、御菓子愛用のヴィオラを異空間から取り出した。
神具タラサを受け取った御菓子が、さっそく癒しの曲を奏でる。
「ミケ! 逃げろ!」
傷が完全に癒えるのを待たず、また丈瑠がキャリーバッグを引っ掴んで駆けだした。
ほぼ同時に、梁から飛び降りようとしていたミケの鼻先を、カンタが黄色い翼の先で叩いて足止めする。
ミケは威嚇の鳴き声を発して鋭い爪を空に繰り出したが、カンタを傷つけることはできなかった。もっとも、守護使役は誰にも――例え相手が大妖であっても触れることすらできないのだが。
「待って!」
丈瑠の行く手を、『赤き炎のラガッツァ』ラーラ・ビスコッティが(CL2001080)が腕を広げてふさぐ。
「ランク4の妖が猫たちを妖化させようとしています。それを防ぐため、一時的に私たちが保護する必要があるんです。猫たちを守りたいというのなら、妖化から救ってあげるべきではないのですか?」
「嘘をつくな!」
ラーラは膝に手をついて体を屈め、うつむいた丈瑠の顔を下から覗き込んだ。
「私たちに嘘をつく必要なんてどこにも――」
ない、と言いかけて、言葉を失う。
丈瑠の目は出会いの時の深く澄んだ快活な色を失って、暗く淀んでいた。
「丈瑠くん……」
「返せよ。ボクたちの大切な人を、隆寛さまをいますぐ返せ! お前たち発現者はいつもボクたちを苛めて、奪って、壊すだけじゃないか。特別な力を持たない旧人だって、ボクたちを下に見ているくせに!」
丈瑠は吐き出したくても吐き出せなかった、内面の率直な想いを、涙を流しながら叫んだ。同時に手にしていたキャリーバッグを地面に落とす。
落下の衝撃で一つ、扉が開き、中から白い猫が走り出た。
「おっと!」
直斗がとっさに長い足を伸ばして前を遮ると、猫は器用に体の向きを変えて逃げる。
だが、その一瞬の方向転換が逃走の足を遅らせることになった。
「はい、残念」
逝は三毛猫――ランの首を素早く掴んだ。持ち上げて腕に抱く。シャツを貫いて胸にツメが食い込むのも構わず、ランの首の後ろから背中へ、白い毛を何度もやさしく撫でおろしてやった。
「ところでいい仕事をしたね、みずたまや。えらいぞ」
丈瑠が落としたもう一つのゲージの扉を、バンド状に細く変形したみずたまが縛っていた。おかげでジェロは逃げ出せなかったというわけだ。
そのジェロが入ったキャリーバッグを一二三が確保する。
「あと一匹ですね。あ、美卯ちゃんはいっちーが黒服たちと一緒に本堂に寝かせています。仏さまにくれぐれも彼らのことをお願いしてきましたから、安心してください」
「いっちーって誰だ?」と直斗。
「奥州さんのことです。ボクのことをひふみんと呼ぶのでお返しに」
ふうん、と気のない返事を返して、直斗は丈瑠の傍へ向かった。
歯噛みで震える頭にぽんと手を置く。
「根性あるじゃねェか、丈瑠。鉛筆を太ももにぶっ刺して眠気を飛ばすなんてな。オレはお前を一人の男として認めるぜ。これは発現しているとか、していないとか、一切関係ないからな」
ぐしゃ、と髪を乱すと、丈瑠の頬を大粒の涙が転がり落ちた。
御菓子がそっとハンカチを差し出す。
「義堂さんと戦ったのは事実だから信用してほしいとは言いません。しかし、わかってほしいとは思っています。わたし達が戦ったのは、お互いに信じるもの、守るべきもののためで、戦いや死や憎悪に快楽を求めてではなかったのです」
ラーラは鼻水をすすりあげる丈瑠の手をそっと取って、両手で包み込んだ。
「今この時に限って、で構いません。妖という共通の敵を相手取って協力しましょう。覚者への憎しみが癒えないのであれば、戦うのはその後でも出来るはずです」
その時、ラーラの守護使役ペスカが、二匹の猫たちと一緒に唸り声を上げた。
●
「録って、いい?」
顔色一つ変えない冥宗寺こと義堂隆寛を強化ガラスの向こうに見ながら、桂木・日那乃(CL2000941)カメラを取り出した。
本来は却下されるところを、ファイヴ司令官の中たっての頼みで面会室に持ち込みが許可されていた。ただし、黙秘を続けるイレヴン幹部に数項目にわたる内容の尋問を行うという条件付きで。
様々な質問をぶつけたが、義堂の目がゆらいで見えたのは、ラプラスの魔は小数賀ルイ博士ではないか、という推測をぶつけた時だけだった。だが、それも、同意の印と判断するにはあまりにも僅かな変化に過ぎなかった。
隆寛がいつまでも返事をしないので、カメラを手に持ったまま小首をかしげて催促する。
「……好きにしろ。なにをされようと仲間は売らんぞ。で、何の用だ。まさか本当に警察の真似事をしに来たわけではあるまい?」
「うん、違う。いまから、夢見が夢見たこと、話、する、ね。時間ない、から……黙って聞いて、て」
日那乃は頭の中で眩が見た夢の要点をまとめると、日那乃なりの早口で、だんだんと顔をこわばらせていく隆寛に語って聞かせた。
「それで、ね。……もしかしたら。猫たち隔離しろって、書いた、の? 殺せ、じゃなく、て?」
隆寛は椅子を後ろに倒す勢いで立ち上がった。強化ガラスを破る勢いで両手をつく。
物音を聞きつけた刑務官が慌てて面会室に入って来たが、日那乃はまっすぐ隆寛の目を見上げたまま、冷やかな声で退出を促した。
「大丈夫、だから。出て、行って。お願い。……邪魔」
刑務官たちが出ていくと、隆寛はイスにゆっくりと腰を下ろした。
「オレは一言も『殺せ』とは書いていない。つぎはぎの女妖がまた接触してくる可能性が高いから、とくに丈瑠たちからは引き離しておくように、と書いたんだ。自分たちで三匹の世話をすると言いだすだろうからな。それで、一体、誰がそんな馬鹿なことを言った?」
「貴方の部下」
うっ、とのどを詰まらせた隆寛に、一応、フォローを入れる。
「志摩兄妹のこと、本当に、心配したから……言い過ぎた、のだと、思う。たぶん」
カメラを指さして、志摩兄妹に猫たちと一緒に五麟学園へ行くように、と隆寛にメッセージの吹き込みを頼む。
「妖、倒すまでの、間。安全なところに、いれば。そのあとも、五麟で、義堂さんが帰ってくるの、待てばいい、かも……」
「ふん。すぐに出られればな――と、そんな怖い顔で睨まなくてもいい。ちゃんと吹き込むから……助けてやってくれ。いや、どうか、助けてやって下さい」
憎い発現者に向かって、お願いします、と下げられた頭に、日那乃は忍の一字を見た。
●
カンタと一二三の守護使役ミトスが飛び回る下、本堂よりの渡り廊下の屋根に立つ女のシルエットを見つけて、直斗は口角をあげた。赤い目を凝らして妖の能力に探りを入れる。
(「さて、つぎはぎ女の実力……如何程に、かね……ギャハハ! 滾るぜ」)
逝は大人しくなったランをバッグに入れて、丈瑠に渡した。それから、いかにもたった今気がついたと言わんばかりに、渡り廊下の屋根へフルフェイスを向ける。
「おや、継ぎ接ぎちゃん。初めまして、かな。先日の花火は凄かったが人形が欲しかったのかね。それは悪い事をしたねえ」
だけど、と低く冷たい声で言葉を継ぐ。
「おっさんはお人形になってあげられないのよ。すでに半分、操られているようなものだからね――この悪食に!」
カチリ。開かれた関節部から吹きだした瘴気に当てられて、みずたまが時空を歪ませる。黒き渦を巻いて、極楽浄土の端にすべてを食らう妖なる直刀が現われた。
「ステキ! なんて創作意欲を掻き立てられる素材なのかしら。その両手両足、刀も頂戴。ダルマにしてあげる、キャハハハハ」
そこへ一悟が駆けつけてきた。
一二三に、「大和のお墨付きだ」、と四方に房のついた分厚い座布団を押しつけると、最前列へ出ていく。
「おう、やっと会えたな! お前か、入江さんたちにひどい事をした奴は!」
ビッシっと、パッチワークレディを指さしながら、土の鎧を身にまとう。
「降りて来いよ、ぶっ飛ばしてやる。女だからって手加減してやらねえぜ!」
「アラ、頭の悪そうなガキね。ちゃんと相手を見てからものいいな、早死にするわよ、まさにいま♪」
最後の残照が周囲を赤黒く染めるなか、黒く塗り潰れたパッチワークレディがチェーンソーのエンジンを噴かせる。
「アンタはバラバラにしてミケとつないであ・げ・る」
いつの間にか屋根にあがったミケが、邪悪な波動を帯びた声で大きく鳴いた。日が落ちて薄闇が辺りに広がり、細い月が空に姿を現した。
ゲージに入っているランとジェロが、月とミケの鳴き声に反応して激しく暴れ出だす。
一二三は持っていた座布団をジェロのゲージの扉に押しつけた。
「向日葵さん、お願いします」
「あ、はい!」
すぐに一二三の意図をくみ取った御菓子は、ゲージに口を寄せると隆寛の声色を使って、ジェロの名を呼んだ。丈瑠が持つランのバッグにも同じことをする。
一悟が持ってきた座布団には隆寛の匂いがついていた。猫たちを落ち着かせるために、と一二三が要望していたのだ。
「ラン、ジェロ~。そんな子供だましに騙されないで。ミケと一緒に新しい体に生まれ変わりましょう。いまならクソガキミックスにバージョンアップよ♪」
「こらー! 誰がクソガキだ!!」
パッチワークレディは一悟の怒鳴り声を無視すると、ガーターベルトから棒つきキャンディを抜き取って、覚者たちの足元にばら撒いた。
次の瞬間、大音響とともに白熱した関光が走り、甘い匂いのする紫まじりの黒煙がもうもうと四方八方に広がった。
直斗が叫ぶ。
「毒煙だ! 口と鼻を塞げ!」
「無駄よ。皮膚からも吸収される毒なの、コレ」
毒がもたらす苦痛に耐えかねて、丈瑠は両手に持っていたゲージを離してしまった。
手で目を拭い、鼻と口を塞ぐその下で、ランとジェロがバッグの中から逃げ出す。
(「喉が痛い。これじゃ歌えないのよ!」)
飛鳥はラップバトルをあきらめると、目を閉じて潤しの雨を降らせた。
雨を受けながら、一二三が清浄の舞で空気の穢れを払う。
清風を受け、紫黒の煙が降りしきる銀糸の合間を昇ってゆき、妖の視界を遮った。
「ころんさん、いまなのよ!」
守護使役のころんが渡り廊下の、パッチワークレディとミケの足元を支えていた柱の一本を齧り折った。
斜めに傾いた屋根から、青瓦とともに妖と猫が滑り落ちる。
回転するチェーンソーの刃が、空で身をねじるミケの体に迫り――。
ラーラは煌炎の書を開いた。
「良い子に甘い焼き菓子を、悪い子には石炭を……イオ・ブルチャーレ!!」
赤い飛び火がパッチワークレディの腕に当たって燃え上がる。
――ミケ、ラン、ジェロ!
隆寛の声とともに、黒い翼が地をかすめ飛んできた。
「ナイスタイミングだぜ、日那乃!!」
パッチワークレディがさっと腕を一振りして残り火を消す。
精霊を顕現させた一悟は、立ち上がった妖の懐に一足で飛び込み、腹に炎を纏ったトンファーを思いっきり叩き込んだ。
ぐぅ、と呻いてつぎはぎの体が折れる。
さらに、逝がドアをノックするがごとく手首のスナップを効かせて、継がれた右の頭を打つ。
ミケを抱き留めた日那乃は、渡り廊下の手前で急上昇すると屋根にあがった。
主の声を発する箱を追って、ランとジェロも半分崩れた渡り廊下の屋根に駆けあがっていく。
「義堂さんから、メッセージ。預かってきた、から。いまは声だけ、だけど……聞い、て」
日那乃はデジタルカメラで撮ってきた動画を再生した。
<『丈瑠、美卯。猫たちと一緒に暮らしたいのなら、ファイヴを頼って五麟学園に身を寄せなさい。源素なる力は善か悪か、の判断はひとまず置くとして、少なくとも彼らファイヴの発現者たちは人を思う心を持っている。お前たちを差別することはないだろう』>
御菓子が流れるメッセージに曲を添えつつ、隆寛の言葉に嗚咽する丈瑠の体を癒す。
「あらん、それで終わり? アタシには一言もなし? つれないわね、くそ坊主!」
パッチワークレディが、狂ったように爆回転するチェーンソーを、狂ったように振り回す。
「危ない!」
一二三が一悟のシャツを掴んで後ろへ倒すが――。
わずかに遅く、のこぎり刃が一悟の首に薄く残る刀傷の上をなぞった。
一悟の頭の中で、首から滑り落ちていく黎明の隔者――奈央の顔がフラッシュバックする。血しぶきをあげ、腹を押さえながら焼けた瓦礫の上で絶叫した沙織と、吼えながら二振りの刀を妖の肩に振り下す直斗の姿を目にだぶらせて見ながら、倒れた。
妖刀・鬼哭丸沙織を持った長い腕が、長く白いウサギの左耳が、ギザギザに切りとられて空を飛ぶ。
「飛騨さん!!」
ラーラは燃え盛る野獣を召喚して、さがる直斗を援護した。
日那乃と飛鳥が潤しの雨を降らせて作った銀幕を背に、御菓子が『ソング アンド ダンス』を高らかに奏でて戦いを支える。
対するパッチワークレディは炎大猫を蹴散らすと、悪食を振るう逝の腕の下をかいくぐり、再び毒キャンディの爆弾をばら撒いた。
濃く深い紫黒が妖の姿を隠す。
「おや、もうお帰りかね。悪いが入江ちゃんの腕はここに置いていってもらうぞ」
悪食の刃が紫黒を喰らいつつ、闇に三日月を描く。
「継ぎ接ぎちゃん、左側によろしく伝えておいておくれ。アハハ!」
煙が消えて、月の明かりが墓地を照らす。
逝の足元に、左腕が一本落ちていた。
聞き分けない子供を怒鳴っている最中に、長門は強い眠気を感じた。眼球だけを動かしてあたりを見回す。すると、夕闇の中を滑る白く長い兎の耳が視界の端をかすめて――。
「おっと、アブねぇ!」
倒れる黒服の腕を『五麟マラソン優勝者』奥州 一悟(CL2000076)がつかみ取った。もう少し遅ければ、男の頭は墓の外柵に当って砕けていただろう。同時に倒れたもう一人は尻から落ちたので、大した怪我はしてないはずだ。とにかく間に合ってよかった。
「――って、いきなりすぎるだろ直斗。せめて一声かけてからにしろよ。つぎはぎ女の手駒を増やしちまうところだったじゃないか」
『ボーパルホワイトバニー』飛騨・直斗(CL2001570)は倒れた黒服たちを見下し、口の中で小さく舌を打った。
「ちぇ、たった三人か」
長い指で髪をかき上げながら、志摩丈瑠の前に立つ。
「俺の事覚えてる? 前に妖に襲われていた時に義堂の坊さんと一緒に助けたんだけど。ところで、美卯ちゃんは目が治ったみたいだな。良かったぜ。な、緒方さん」
笑顔の直斗に促されて、『冷徹の論理』緒形 逝(CL2000156)は、腕に小さな女の子を抱いたまま立ち上がった。
こちらも間一髪。直斗の術によって眠りに落ちた女の子――志摩美卯が地面に当たる寸前に滑り込みで抱きとめていた。
「飛騨ちゃん、三人寝かせれば上出来よ。猫たちとそこの男が術にかからなかったのは、極度の怒りと興奮状態で神経が高ぶっていたせいさね。と、みずたまや、肝心の猫たちはどこにいるのか分るかね?」
片手でスラックスについた土を払い落しながら、フルフェイスの上に浮かぶ守護使役に問い掛ける。
みずたまは、探すまでもないと言った感じで逝の傍を離れ、丈瑠の足元に置かれた二つのキャリーバッグの上でポヨンポヨンと跳ねた。
「それか。すまんね。怒りの感情で場が湧きたっていたから見つけられなかったよ」
「な、なんだ、お前たち!?」
いきなり現れた闖入者――しかも発言者の集団に驚いて、一人残った黒服は狼狽えていた。左の頬が赤く腫れあがっているのは、介入の直前に丈瑠から一発食らったからだ。
丈瑠が直斗たちを睨みつけながら、黒服の疑問に答える。
「ファイヴ」
「なに、あのファイヴなのか?」
「ほかにファイヴという覚者団体があるのでしょうか?」
勒・一二三(CL2001559)は、振り返った男にアルカイックスマイルを浮かべてみせた。
墓地に響くヒグラシの鳴声と草むらから聞こえる虫の音の二重奏を背に、遠ざかる夏の気配を感じながら法衣をひるがえす。
どさり、と音を立てて、最後1人が地面に倒れた。
「あ~、全員眠らせちまってどうすんだよ? ここに転がしておくわけにいかねーぞ」
「一悟、全員じゃないのよ。丈瑠くんは起きているのよ。足に鉛筆を刺して――あ、動いちゃダメなのよ!」
『ゆるゆるふああ』鼎 飛鳥(CL2000093)が止めるよりも早く、丈瑠はキャリーバッグをふたつ抱えて駆けだしていた。
太ももに鉛筆を突き刺したまま、痛みを無視して本堂の裏横へ回り込む。すぐそこ――庫裡と本堂を結ぶ吹き抜けの渡り廊下に、もう一匹、大切な友だちを置いているのだ。
(「誰にも渡すもんか!」)
丈瑠が渡り廊下に置かれたキャリーバッグへ手を伸ばすよりも早く、バッグの扉が開いて中から白・茶色・黒の三色毛玉が転び出る。
「ミケ!」
ミケと丈瑠に呼ばれた猫が、渡り廊下の細い柱を駆けあがった。
飛鳥はもたもたと廊下へ上がる丈瑠をジャンプ一つで抜き去ると、ミケが登った柱に飛びついた。
「あすか、棒登りは得意なのよ。任せるのよ!」
スカートの裾をまくって露わにした太ももで柱をしっかり挟み込み、両腕を使って柱を上まで登る。梁の上で背を弓なりにした三毛猫に片腕を伸ばすも――。
「ぎゃあ! 引っかかれたのよ!」
「鼎さん、降りてきて。こっちで志摩くんと一緒に手当てするから。カンタ、ミケがどこかへ行かないように見張ってくれる?」
守護使役のカンタは、『音楽教諭』向日葵 御菓子(CL2000429)に、まかせて、と愛らしい声でさえずり返すと、御菓子愛用のヴィオラを異空間から取り出した。
神具タラサを受け取った御菓子が、さっそく癒しの曲を奏でる。
「ミケ! 逃げろ!」
傷が完全に癒えるのを待たず、また丈瑠がキャリーバッグを引っ掴んで駆けだした。
ほぼ同時に、梁から飛び降りようとしていたミケの鼻先を、カンタが黄色い翼の先で叩いて足止めする。
ミケは威嚇の鳴き声を発して鋭い爪を空に繰り出したが、カンタを傷つけることはできなかった。もっとも、守護使役は誰にも――例え相手が大妖であっても触れることすらできないのだが。
「待って!」
丈瑠の行く手を、『赤き炎のラガッツァ』ラーラ・ビスコッティが(CL2001080)が腕を広げてふさぐ。
「ランク4の妖が猫たちを妖化させようとしています。それを防ぐため、一時的に私たちが保護する必要があるんです。猫たちを守りたいというのなら、妖化から救ってあげるべきではないのですか?」
「嘘をつくな!」
ラーラは膝に手をついて体を屈め、うつむいた丈瑠の顔を下から覗き込んだ。
「私たちに嘘をつく必要なんてどこにも――」
ない、と言いかけて、言葉を失う。
丈瑠の目は出会いの時の深く澄んだ快活な色を失って、暗く淀んでいた。
「丈瑠くん……」
「返せよ。ボクたちの大切な人を、隆寛さまをいますぐ返せ! お前たち発現者はいつもボクたちを苛めて、奪って、壊すだけじゃないか。特別な力を持たない旧人だって、ボクたちを下に見ているくせに!」
丈瑠は吐き出したくても吐き出せなかった、内面の率直な想いを、涙を流しながら叫んだ。同時に手にしていたキャリーバッグを地面に落とす。
落下の衝撃で一つ、扉が開き、中から白い猫が走り出た。
「おっと!」
直斗がとっさに長い足を伸ばして前を遮ると、猫は器用に体の向きを変えて逃げる。
だが、その一瞬の方向転換が逃走の足を遅らせることになった。
「はい、残念」
逝は三毛猫――ランの首を素早く掴んだ。持ち上げて腕に抱く。シャツを貫いて胸にツメが食い込むのも構わず、ランの首の後ろから背中へ、白い毛を何度もやさしく撫でおろしてやった。
「ところでいい仕事をしたね、みずたまや。えらいぞ」
丈瑠が落としたもう一つのゲージの扉を、バンド状に細く変形したみずたまが縛っていた。おかげでジェロは逃げ出せなかったというわけだ。
そのジェロが入ったキャリーバッグを一二三が確保する。
「あと一匹ですね。あ、美卯ちゃんはいっちーが黒服たちと一緒に本堂に寝かせています。仏さまにくれぐれも彼らのことをお願いしてきましたから、安心してください」
「いっちーって誰だ?」と直斗。
「奥州さんのことです。ボクのことをひふみんと呼ぶのでお返しに」
ふうん、と気のない返事を返して、直斗は丈瑠の傍へ向かった。
歯噛みで震える頭にぽんと手を置く。
「根性あるじゃねェか、丈瑠。鉛筆を太ももにぶっ刺して眠気を飛ばすなんてな。オレはお前を一人の男として認めるぜ。これは発現しているとか、していないとか、一切関係ないからな」
ぐしゃ、と髪を乱すと、丈瑠の頬を大粒の涙が転がり落ちた。
御菓子がそっとハンカチを差し出す。
「義堂さんと戦ったのは事実だから信用してほしいとは言いません。しかし、わかってほしいとは思っています。わたし達が戦ったのは、お互いに信じるもの、守るべきもののためで、戦いや死や憎悪に快楽を求めてではなかったのです」
ラーラは鼻水をすすりあげる丈瑠の手をそっと取って、両手で包み込んだ。
「今この時に限って、で構いません。妖という共通の敵を相手取って協力しましょう。覚者への憎しみが癒えないのであれば、戦うのはその後でも出来るはずです」
その時、ラーラの守護使役ペスカが、二匹の猫たちと一緒に唸り声を上げた。
●
「録って、いい?」
顔色一つ変えない冥宗寺こと義堂隆寛を強化ガラスの向こうに見ながら、桂木・日那乃(CL2000941)カメラを取り出した。
本来は却下されるところを、ファイヴ司令官の中たっての頼みで面会室に持ち込みが許可されていた。ただし、黙秘を続けるイレヴン幹部に数項目にわたる内容の尋問を行うという条件付きで。
様々な質問をぶつけたが、義堂の目がゆらいで見えたのは、ラプラスの魔は小数賀ルイ博士ではないか、という推測をぶつけた時だけだった。だが、それも、同意の印と判断するにはあまりにも僅かな変化に過ぎなかった。
隆寛がいつまでも返事をしないので、カメラを手に持ったまま小首をかしげて催促する。
「……好きにしろ。なにをされようと仲間は売らんぞ。で、何の用だ。まさか本当に警察の真似事をしに来たわけではあるまい?」
「うん、違う。いまから、夢見が夢見たこと、話、する、ね。時間ない、から……黙って聞いて、て」
日那乃は頭の中で眩が見た夢の要点をまとめると、日那乃なりの早口で、だんだんと顔をこわばらせていく隆寛に語って聞かせた。
「それで、ね。……もしかしたら。猫たち隔離しろって、書いた、の? 殺せ、じゃなく、て?」
隆寛は椅子を後ろに倒す勢いで立ち上がった。強化ガラスを破る勢いで両手をつく。
物音を聞きつけた刑務官が慌てて面会室に入って来たが、日那乃はまっすぐ隆寛の目を見上げたまま、冷やかな声で退出を促した。
「大丈夫、だから。出て、行って。お願い。……邪魔」
刑務官たちが出ていくと、隆寛はイスにゆっくりと腰を下ろした。
「オレは一言も『殺せ』とは書いていない。つぎはぎの女妖がまた接触してくる可能性が高いから、とくに丈瑠たちからは引き離しておくように、と書いたんだ。自分たちで三匹の世話をすると言いだすだろうからな。それで、一体、誰がそんな馬鹿なことを言った?」
「貴方の部下」
うっ、とのどを詰まらせた隆寛に、一応、フォローを入れる。
「志摩兄妹のこと、本当に、心配したから……言い過ぎた、のだと、思う。たぶん」
カメラを指さして、志摩兄妹に猫たちと一緒に五麟学園へ行くように、と隆寛にメッセージの吹き込みを頼む。
「妖、倒すまでの、間。安全なところに、いれば。そのあとも、五麟で、義堂さんが帰ってくるの、待てばいい、かも……」
「ふん。すぐに出られればな――と、そんな怖い顔で睨まなくてもいい。ちゃんと吹き込むから……助けてやってくれ。いや、どうか、助けてやって下さい」
憎い発現者に向かって、お願いします、と下げられた頭に、日那乃は忍の一字を見た。
●
カンタと一二三の守護使役ミトスが飛び回る下、本堂よりの渡り廊下の屋根に立つ女のシルエットを見つけて、直斗は口角をあげた。赤い目を凝らして妖の能力に探りを入れる。
(「さて、つぎはぎ女の実力……如何程に、かね……ギャハハ! 滾るぜ」)
逝は大人しくなったランをバッグに入れて、丈瑠に渡した。それから、いかにもたった今気がついたと言わんばかりに、渡り廊下の屋根へフルフェイスを向ける。
「おや、継ぎ接ぎちゃん。初めまして、かな。先日の花火は凄かったが人形が欲しかったのかね。それは悪い事をしたねえ」
だけど、と低く冷たい声で言葉を継ぐ。
「おっさんはお人形になってあげられないのよ。すでに半分、操られているようなものだからね――この悪食に!」
カチリ。開かれた関節部から吹きだした瘴気に当てられて、みずたまが時空を歪ませる。黒き渦を巻いて、極楽浄土の端にすべてを食らう妖なる直刀が現われた。
「ステキ! なんて創作意欲を掻き立てられる素材なのかしら。その両手両足、刀も頂戴。ダルマにしてあげる、キャハハハハ」
そこへ一悟が駆けつけてきた。
一二三に、「大和のお墨付きだ」、と四方に房のついた分厚い座布団を押しつけると、最前列へ出ていく。
「おう、やっと会えたな! お前か、入江さんたちにひどい事をした奴は!」
ビッシっと、パッチワークレディを指さしながら、土の鎧を身にまとう。
「降りて来いよ、ぶっ飛ばしてやる。女だからって手加減してやらねえぜ!」
「アラ、頭の悪そうなガキね。ちゃんと相手を見てからものいいな、早死にするわよ、まさにいま♪」
最後の残照が周囲を赤黒く染めるなか、黒く塗り潰れたパッチワークレディがチェーンソーのエンジンを噴かせる。
「アンタはバラバラにしてミケとつないであ・げ・る」
いつの間にか屋根にあがったミケが、邪悪な波動を帯びた声で大きく鳴いた。日が落ちて薄闇が辺りに広がり、細い月が空に姿を現した。
ゲージに入っているランとジェロが、月とミケの鳴き声に反応して激しく暴れ出だす。
一二三は持っていた座布団をジェロのゲージの扉に押しつけた。
「向日葵さん、お願いします」
「あ、はい!」
すぐに一二三の意図をくみ取った御菓子は、ゲージに口を寄せると隆寛の声色を使って、ジェロの名を呼んだ。丈瑠が持つランのバッグにも同じことをする。
一悟が持ってきた座布団には隆寛の匂いがついていた。猫たちを落ち着かせるために、と一二三が要望していたのだ。
「ラン、ジェロ~。そんな子供だましに騙されないで。ミケと一緒に新しい体に生まれ変わりましょう。いまならクソガキミックスにバージョンアップよ♪」
「こらー! 誰がクソガキだ!!」
パッチワークレディは一悟の怒鳴り声を無視すると、ガーターベルトから棒つきキャンディを抜き取って、覚者たちの足元にばら撒いた。
次の瞬間、大音響とともに白熱した関光が走り、甘い匂いのする紫まじりの黒煙がもうもうと四方八方に広がった。
直斗が叫ぶ。
「毒煙だ! 口と鼻を塞げ!」
「無駄よ。皮膚からも吸収される毒なの、コレ」
毒がもたらす苦痛に耐えかねて、丈瑠は両手に持っていたゲージを離してしまった。
手で目を拭い、鼻と口を塞ぐその下で、ランとジェロがバッグの中から逃げ出す。
(「喉が痛い。これじゃ歌えないのよ!」)
飛鳥はラップバトルをあきらめると、目を閉じて潤しの雨を降らせた。
雨を受けながら、一二三が清浄の舞で空気の穢れを払う。
清風を受け、紫黒の煙が降りしきる銀糸の合間を昇ってゆき、妖の視界を遮った。
「ころんさん、いまなのよ!」
守護使役のころんが渡り廊下の、パッチワークレディとミケの足元を支えていた柱の一本を齧り折った。
斜めに傾いた屋根から、青瓦とともに妖と猫が滑り落ちる。
回転するチェーンソーの刃が、空で身をねじるミケの体に迫り――。
ラーラは煌炎の書を開いた。
「良い子に甘い焼き菓子を、悪い子には石炭を……イオ・ブルチャーレ!!」
赤い飛び火がパッチワークレディの腕に当たって燃え上がる。
――ミケ、ラン、ジェロ!
隆寛の声とともに、黒い翼が地をかすめ飛んできた。
「ナイスタイミングだぜ、日那乃!!」
パッチワークレディがさっと腕を一振りして残り火を消す。
精霊を顕現させた一悟は、立ち上がった妖の懐に一足で飛び込み、腹に炎を纏ったトンファーを思いっきり叩き込んだ。
ぐぅ、と呻いてつぎはぎの体が折れる。
さらに、逝がドアをノックするがごとく手首のスナップを効かせて、継がれた右の頭を打つ。
ミケを抱き留めた日那乃は、渡り廊下の手前で急上昇すると屋根にあがった。
主の声を発する箱を追って、ランとジェロも半分崩れた渡り廊下の屋根に駆けあがっていく。
「義堂さんから、メッセージ。預かってきた、から。いまは声だけ、だけど……聞い、て」
日那乃はデジタルカメラで撮ってきた動画を再生した。
<『丈瑠、美卯。猫たちと一緒に暮らしたいのなら、ファイヴを頼って五麟学園に身を寄せなさい。源素なる力は善か悪か、の判断はひとまず置くとして、少なくとも彼らファイヴの発現者たちは人を思う心を持っている。お前たちを差別することはないだろう』>
御菓子が流れるメッセージに曲を添えつつ、隆寛の言葉に嗚咽する丈瑠の体を癒す。
「あらん、それで終わり? アタシには一言もなし? つれないわね、くそ坊主!」
パッチワークレディが、狂ったように爆回転するチェーンソーを、狂ったように振り回す。
「危ない!」
一二三が一悟のシャツを掴んで後ろへ倒すが――。
わずかに遅く、のこぎり刃が一悟の首に薄く残る刀傷の上をなぞった。
一悟の頭の中で、首から滑り落ちていく黎明の隔者――奈央の顔がフラッシュバックする。血しぶきをあげ、腹を押さえながら焼けた瓦礫の上で絶叫した沙織と、吼えながら二振りの刀を妖の肩に振り下す直斗の姿を目にだぶらせて見ながら、倒れた。
妖刀・鬼哭丸沙織を持った長い腕が、長く白いウサギの左耳が、ギザギザに切りとられて空を飛ぶ。
「飛騨さん!!」
ラーラは燃え盛る野獣を召喚して、さがる直斗を援護した。
日那乃と飛鳥が潤しの雨を降らせて作った銀幕を背に、御菓子が『ソング アンド ダンス』を高らかに奏でて戦いを支える。
対するパッチワークレディは炎大猫を蹴散らすと、悪食を振るう逝の腕の下をかいくぐり、再び毒キャンディの爆弾をばら撒いた。
濃く深い紫黒が妖の姿を隠す。
「おや、もうお帰りかね。悪いが入江ちゃんの腕はここに置いていってもらうぞ」
悪食の刃が紫黒を喰らいつつ、闇に三日月を描く。
「継ぎ接ぎちゃん、左側によろしく伝えておいておくれ。アハハ!」
煙が消えて、月の明かりが墓地を照らす。
逝の足元に、左腕が一本落ちていた。
■シナリオ結果■
成功
■詳細■
MVP
なし
死亡
なし
称号付与
なし
特殊成果
なし

■あとがき■
皆さんの熱意によって、志摩兄妹は三匹の猫たちとともに、パッチワークレディが討伐されるまでの間ですが、五麟市に身を寄せることになりました。
彼らが五麟市滞在中に、何を見て何を思うのか……。
幼い憤怒者とファイヴの覚者たちの間にある溝が少しでも埋ることを願って、あとがきとさせていただきます。
ご参加、ありがとうございました。
彼らが五麟市滞在中に、何を見て何を思うのか……。
幼い憤怒者とファイヴの覚者たちの間にある溝が少しでも埋ることを願って、あとがきとさせていただきます。
ご参加、ありがとうございました。
