紫の鏡は過去を嗤う
●紫の鏡、トラウマの輝き
今日、自分が死ぬなんて思ってもいなかった。それも、化け物に首を絞められながら……。
舞妓の笹風は、死にながらも何だかおかしくなり笑ってしまった。とたん、首を締め付ける手が圧力を増す。
「……ぐっ!!」
ギリギリと指が柔らかい笹風の首に食い込む。目の前の女将は血走った目でじっと笹風を見つめていた。
「……おかあはん」
にぃっと女将は笑った。だが、これはニセモノの女将だと笹風は知っている。目だけ動かし、部屋の隅に視線を動かす。本物の女将はニセモノの笹風にカンザシで刺し殺されていた。
すべては、あの紫檀の鏡のせいだ。笹風は斜め上を見上げ、鏡を睨みつけたまま息絶えた。
●30分前の出来事
京都には5つの花柳界がある。その1つ、先斗町にある小さな置方も今夜の準備にとりかかる。
「もう3時を過ぎていましたかぁ。着付け師が来てしまいますなぁ。あれ? この紫の鏡どうしたんどす?」
「ほんまやわ。昨日までこんな姿見ありませんでしたなぁ」
女将の言葉に、舞妓の笹風もうなずく。と、突然、鏡の中で異変が起きた。
真正面から女将と笹風を睨みつける鏡の中の2人。
「ヒヤァァ!! なんやこれ!」
あまりのことに固まる2人。そんな2人めがけて、鏡の中の笹風が手を伸ばす。届くはずがない、そう思いながらも後ずさるが、鏡の中の笹風はドアをくぐるように鏡から姿をあらわした。そして、
『金勘定しか頭にない守銭奴が、祇園を守る? 笑わせますなぁ』
ケタケタと笑いながら、女将に襲いかかる。
「おあかはん!!」
必死に笹風が女将を守ろうとするも、背中を押し蹴りされ床に倒れてしまった。
『ほんま、こない礼儀しらずな娘、見たことないわ』
背後から聞こえる声に、笹風は戦慄した。ゆっくり、ゆっくり振り返る。そこにいたのは、女将だった。充血した目で、ニタニタ笑いながら笹風を見下ろす。
――礼儀知らずな娘、年上の芸者に何度も言われた言葉だ。どれだけ悔しい思いをしたか、笹風の小さな肩が震えた。だが、侮辱の言葉はけっして女将は言わない。むしろ落ち込む笹風を励ましてくれた。そのことに気づくと、
「あ、あんたは……おかあはんやありまへん! ニセモノのおかあはんや!」
震えながら叫ぶ。ニセモノの女将は笑みを絶やさず笹風に近づき、
『……ほんま、笹風はいらん子やわぁ』
と呟き、首に手をかけた。
●FIVE施設内
「紫の鏡が、舞妓さんと置屋の女将さんを襲います。この夢をどうか現実にしないでください」
久方 真由美(nCL2000003)が集まった覚者に訴える。
「今回の妖は物質系の妖2種類です。鏡と虚像なのですが、この鏡、動き回ります。ランクは2。皆さんで協力して戦えば退治できるレベルです。虚像はランク1が4体です」
そう言うと、資料を配り始めた。
「敵は、鏡に映った相手がどんなトラウマを抱えているか瞬時に判断します。これは覚者のスキル、エネミースキャンに少し似ていますね。エネミースキャンは、敵の能力や状況解析ができるスキルですが、今回の敵のスキルは、過去の思い出したくない出来事を無理やり思い出させて、戦意喪失させるスキルです。そして、本物そっくりな虚像を送り出し攻撃をしかけてきます」
過去につらい体験をした人ほど、鏡の餌食になる可能性が高くなる。
「敵は、切り刻む、突き刺す、絞め殺す、の3つの攻撃技を持っています。切り刻むや突き刺すについては、虚像の本体である鏡に映った人が所有しているもの。これが武器となります。では、祇園の舞妓さんと女将さんをどうか守ってください。よろしくお願いします」
と、真由美はぺこりとお辞儀した。
今日、自分が死ぬなんて思ってもいなかった。それも、化け物に首を絞められながら……。
舞妓の笹風は、死にながらも何だかおかしくなり笑ってしまった。とたん、首を締め付ける手が圧力を増す。
「……ぐっ!!」
ギリギリと指が柔らかい笹風の首に食い込む。目の前の女将は血走った目でじっと笹風を見つめていた。
「……おかあはん」
にぃっと女将は笑った。だが、これはニセモノの女将だと笹風は知っている。目だけ動かし、部屋の隅に視線を動かす。本物の女将はニセモノの笹風にカンザシで刺し殺されていた。
すべては、あの紫檀の鏡のせいだ。笹風は斜め上を見上げ、鏡を睨みつけたまま息絶えた。
●30分前の出来事
京都には5つの花柳界がある。その1つ、先斗町にある小さな置方も今夜の準備にとりかかる。
「もう3時を過ぎていましたかぁ。着付け師が来てしまいますなぁ。あれ? この紫の鏡どうしたんどす?」
「ほんまやわ。昨日までこんな姿見ありませんでしたなぁ」
女将の言葉に、舞妓の笹風もうなずく。と、突然、鏡の中で異変が起きた。
真正面から女将と笹風を睨みつける鏡の中の2人。
「ヒヤァァ!! なんやこれ!」
あまりのことに固まる2人。そんな2人めがけて、鏡の中の笹風が手を伸ばす。届くはずがない、そう思いながらも後ずさるが、鏡の中の笹風はドアをくぐるように鏡から姿をあらわした。そして、
『金勘定しか頭にない守銭奴が、祇園を守る? 笑わせますなぁ』
ケタケタと笑いながら、女将に襲いかかる。
「おあかはん!!」
必死に笹風が女将を守ろうとするも、背中を押し蹴りされ床に倒れてしまった。
『ほんま、こない礼儀しらずな娘、見たことないわ』
背後から聞こえる声に、笹風は戦慄した。ゆっくり、ゆっくり振り返る。そこにいたのは、女将だった。充血した目で、ニタニタ笑いながら笹風を見下ろす。
――礼儀知らずな娘、年上の芸者に何度も言われた言葉だ。どれだけ悔しい思いをしたか、笹風の小さな肩が震えた。だが、侮辱の言葉はけっして女将は言わない。むしろ落ち込む笹風を励ましてくれた。そのことに気づくと、
「あ、あんたは……おかあはんやありまへん! ニセモノのおかあはんや!」
震えながら叫ぶ。ニセモノの女将は笑みを絶やさず笹風に近づき、
『……ほんま、笹風はいらん子やわぁ』
と呟き、首に手をかけた。
●FIVE施設内
「紫の鏡が、舞妓さんと置屋の女将さんを襲います。この夢をどうか現実にしないでください」
久方 真由美(nCL2000003)が集まった覚者に訴える。
「今回の妖は物質系の妖2種類です。鏡と虚像なのですが、この鏡、動き回ります。ランクは2。皆さんで協力して戦えば退治できるレベルです。虚像はランク1が4体です」
そう言うと、資料を配り始めた。
「敵は、鏡に映った相手がどんなトラウマを抱えているか瞬時に判断します。これは覚者のスキル、エネミースキャンに少し似ていますね。エネミースキャンは、敵の能力や状況解析ができるスキルですが、今回の敵のスキルは、過去の思い出したくない出来事を無理やり思い出させて、戦意喪失させるスキルです。そして、本物そっくりな虚像を送り出し攻撃をしかけてきます」
過去につらい体験をした人ほど、鏡の餌食になる可能性が高くなる。
「敵は、切り刻む、突き刺す、絞め殺す、の3つの攻撃技を持っています。切り刻むや突き刺すについては、虚像の本体である鏡に映った人が所有しているもの。これが武器となります。では、祇園の舞妓さんと女将さんをどうか守ってください。よろしくお願いします」
と、真由美はぺこりとお辞儀した。

■シナリオ詳細
■成功条件
1.舞妓さんと女将さんの2人を救出
2.鏡と虚像の退治
3.なし
2.鏡と虚像の退治
3.なし
敵はトラウマを呼び起こす妖です。参加する覚者さんはプレイングに、過去こういうことがあったけど今はこんな風に思っているよって感じの心情やセリフもちょこっと書いてくださると嬉しいです。
<敵情報 ランク2が1体、ランク1が4体>
・紫の鏡 物質系妖ランク2 1体:全長200cmほどの鏡。動き回る。動きは遅いが術式は効きづらく耐久力に優れている。討伐する事で依り代となった物体へ戻る事もある。
・スキル情報:トラウマスキャン 鏡に映った人間の過去の辛い出来事をスキャンする。
・攻撃:切り刻む 全体攻撃+BS呪縛[鏡に映るモノや光または影を鋭利な刃物のように飛ばします]
・虚像 物質系妖ランク1 4体:鏡に映った人間そっくりに化ける妖。普段は紫の鏡の中にいる。動きは遅いが術式は効きづらく耐久力に優れている。
・攻撃:
突き刺す 遠単攻撃+BS出血
絞め殺す 近単攻撃+BS弱体
場所:京都 先斗町の舞妓の事務所
十畳の部屋が2つと八畳の部屋1つ、玄関の横には四畳の客間。それに八坪の坪庭がついた町屋。
時刻:3時過ぎ
玄関に面した通りは観光客もいるにぎやかな場所。
状態
完了
完了
報酬モルコイン
金:0枚 銀:1枚 銅:0枚
金:0枚 銀:1枚 銅:0枚
相談日数
6日
6日
参加費
100LP[+予約50LP]
100LP[+予約50LP]
参加人数
8/8
8/8
公開日
2015年10月07日
2015年10月07日
■メイン参加者 8人■

●キオク
『探偵見習い』工藤・奏空(CL2000955)が現場に到着したとき、目の前に広がる光景に唇を噛んだ。『百合の追憶』三島 柾(CL2001148)が、女将と舞妓の笹風を守るように虚像の前に立ちふさがっていたのだ。
「なんだって……妖は人を傷つけるんだ……!」
奏空は女将と芸者のそばに近寄り怪我がないか確認する。と、すぐ隣に誰かがしゃがみこんできた。とっさに振向く。そこにいたのは『音楽教諭』向日葵 御菓子(CL2000429)だった。御菓子はじっと被害者2人の様子を窺い見て、そしてホッとしたように、
「大丈夫、パニックを起こしているけど怪我はないみたい。三島さんのおかげね」
とにっこり微笑んだ。
「では、彼女達を安全な場所に避難させよう」
天明 両慈(CL2000603)が、女将の腕をとった。しかし、女将は頭を横に振り頑なに動くことを拒んだ。
「大丈夫、あなた達を襲ってきたアレは……記憶からすぐに消えますよ」
「で、でも」
「ここにいちゃ危険だ……です。安全な場所へ行こう……ましょう」
奏空も女将を説得する。笹風は女将の言うことに従うといったふうに女将の着物の袖をぎゅっと握りしめていた。
こくり、頷く女将の肩を抱き両慈がすぐさま置屋を出て行く。奏空も笹風の手をとりあとに続いた。
「2人が無事でよかった」
柾の隣にいる『浅葱色の想い』志賀 行成(CL2000352)が、ホッとしたように呟いた。
両慈と奏空が被害者の2人を安全な場所へ誘導するまで、残りの覚者は盾となり、徐々に庭へ追い詰める。
ニセの女将とニセの舞妓は忌々しげに覚者を睨み後退していく。虚像を濡れ縁まで追い詰めたとき、姿をあらわした紫の鏡に反射する太陽の光りが運悪く覚者の視界をふさいだ。
「くっ逃げられたデス!」
トンファーを握りしめるターニャ・S・ハイヌベレ(CL2001103)が叫んだ。
「……大丈夫でしょう。あれは物質系の妖、動きは鈍いはず。まだこの家の中にいるはずです」
『水天』水瀬 冬佳(CL2000762)は、錬覇法で基礎攻撃力を高める。他の仲間も次々と自分の能力を高めた。と、その時、両慈と奏空が戻ってきた。
「うっしゃぁ。んじゃぁ一発やるか。ドーン!」
不死川 苦役(CL2000720)が結界を発動する。
そして室内をくまなく探索し、逃げた鏡を探す。
ターニャが庭先にたどり着いたとき、誰かに見られている気配に後ろを振り返った。
「……え?」
ソレと目が合ったとき、ターニャの深緑色の瞳が大きく見開き、体がワナワナと震えだした。
「かわいいな。いくつだ? まだまだ青いが歳なんざ関係ねぇわ。俺が一からじっくり教えてやるよ」
赤銅色の太い腕がターニャの手を掴む。
「や、やめて」
もがくターニャを、男は抱き寄せた。汗とアルコールの混じった体臭、腐った卵のような口の臭い、薄ら笑いを浮かべ男はターニャを見下ろした。
「なーに、すぐ楽しくて楽しくてたまらなくなるさ」
「やめて!」
太い指は、ターニャの肩を撫でる。すべすべのさわり心地を気に入ったのか、男は執拗に肩を撫でまわす。
「助けて」
声にならない声で必死に叫び、ぎゅっと目を閉じる。そのあいだにも男の指がどんどん下にさがっていく。
「誰か……たすけて……」
「ふざけんなぁ!」
烈火のごとく怒る声に驚きターニャが目を開けると、ターニャを抱きしめる男がぶざまに倒れていく。
「あっ……あっ……」
がくがく震える体から力が抜け、ターニャはうずくまった。そんな彼女の背を大きな手がそっと撫でる。そんなことにも怯えてしまう。
「ターニャ、大丈夫だ。私だ」
隣にいたのは行成だった。ターニャがこれ以上おびえないよう、大きな手は優しく背を撫でる。目の前には、奏空と苦役がターニャのトラウマと向き合っていた。ターニャは溢れる涙をぬぐうと立ち上がり、
「ありがとう、もう大丈夫デス。かよわい少女じゃいられない……デスカラネ!」
頬を赤く染め叫んだ。
「よし、ではコイツを庭に誘導するか」
行成は言うと同時にターニャのトラウマを突き技で庭に吹き飛ばした。
転がるトラウマ。覚者が庭へ近づくと、隠れていた紫の鏡が姿をあらわした。
「姿を見せましたね。悪い鏡は割らないといけません。割ります」
冬佳がしずかに告げる。鏡の中の冬佳が悪意に溢れた笑みを浮かべた。同時に、鏡が攻撃をしかける。光りが刃となり覚者達を襲った。
●過去が現在に蘇えると
光りの刃は、音をたて覚者の体を切りつける。
御菓子は頭を守るように身をかがめていた。が、この場に似つかわしくないコルネットの音色が間近で聞こえることに気づき上体を起こした。
「えっ……」
目の前に自分がいる。
「ドウシテそんな目デわたしを見るの?」
心臓が冷たくなる。
目の前にいるのはあの頃の自分だと、御菓子は気づいた。音楽で何度も賞を取り海外にまで演奏に出かけていたあの頃に自分だと。
「……せんせい?」
ターニャがコルネットを奏でる虚像の御菓子に近づいていく。
「……お前は先生じゃない。先生の音は色彩を持ってマス。輝いてマス!」
ターニャはニセの御菓子に鋭刃脚で攻撃を仕掛けた。
御菓子は生徒の言葉にハッと息をのんだ。
昔、御菓子の演奏を聴いた人が、絵画の世界に迷い込んだ気分になったと御菓子に感想をもらした。評判は評判を呼び、御菓子の演奏を聴くために多くの人が集まった。それと同時に、御菓子の音楽から生まれるであろうお金に興味を持つ人間も彼女に群がってきた。
――キミの音楽なら全ての人に喜びも悲しみも、どんな人生だって与えてやることができる
張り付いたような笑みを口元に浮かべ、目だけ異様に熱っぽく、自分の執念だけにしがみつく人間だ。御菓子はそんな大人を前にするとなす術もなく怯えるしかなかった。だが、いまの御菓子は違う。
「そんなニセモノぶっ壊しちゃえ!」
御菓子の言葉にこたえるように、トンファーは虚像のコルネットを地面に叩き落した。虚像の手を離れた途端、楽器は消えてなくなる。憤怒の表情のまま虚像は鏡に逃げ込んだ。
「チッ……今回の敵は厄介だな」
両慈は書物を手に呪句を唱える。
淀みなく流れる水のように呪文が口から滑り出る。
開いたページが光り輝き力を増す。両慈の長い髪があおられ揺らめいた。
演舞・清風が発動した。
「心地いいな」
身体能力が上がった柾がナックルを手に周囲を警戒する。と、その時、目の前の鏡の自分と目が合った。ソレはニヤリと笑うと柾の姿から徐々に柾の婚約者であった百合に姿を変えた。
「くっ!」
これが虚像であることは分かっている。だが、動揺は隠せなかった。
「ねぇ、新婚旅行はやっぱり海外かな?」
嬉しそうに微笑みかけ鏡から出てくる。百合は微笑んだまま近くの覚者を狙い攻撃をしかけた。
「やめろ!」
狙われたのは冬佳だった。刀で百合の攻撃を避けようとするもナックルの突きに腕を痛めた。眉をしかめ辛そうにするが、声には出さない。
「ねぇ、どうしよっか?」
クスクス笑い続ける虚像の百合。
「百合は死んだ……。妖に殺されて」
自分に言い聞かせるように柾は呟く。
――赤ちゃん何人くらい欲しい?
柾に尋ねた百合の笑顔が思い浮かぶ。
――えっ?
急に訊かれ柾がうろたえると、彼女は頬を薄ピンクに染め腕を絡ませてきた。そして、何か楽しいことでもあったようにクスクスと笑い、おでこを征の腕にこつんとぶつける。腕を絡ませる彼女の指には柾が送った婚約指輪が輝いている。
――わたし、絶対に幸せになるわ。確信があるの。
だが、別れは突然訪れた。
百合は殺されたのだ。妖によって。
冷たくなった百合の遺体と対面したとき、柾は自分の中で何かが壊れた気がした。
「ニセモノの百合さん、あなたを壊します」
冬佳の声に柾は我に返った。冬佳は駆け出す。猛スピードで二連撃をはなった。
「きゃぁぁぁ!」
地面に倒れる虚像の百合を柾は見下ろすだけだ。心配する様子もなく、冷静さを取り戻した彼は虚像の百合に飛燕をはなった。
「百合……、すまない」
「ぎゃぁぁぁ!」
雄たけびをあげる姿に百合の面影はない。
「物質系の妖か……確か耐久性にすぐれていたな」
柾がとどめを刺すため近づくも、寸前のところで虚像の百合は鏡の中に逃げ帰った。
「チッ……」
「回復いくよー!」
御菓子がコルネットを奏でる。それとほぼ同時に奏空が御菓子を狙い襲いかかってきた。
「気をつけろ! この工藤はニセモノだ!」
行成が叫ぶ。
彼の背後では御菓子が仲間に回復を施している。行成はイチかバチか賭けに出た。体を張って、虚像の奏空を誘導した。
苦無を持つ奏空が満面の笑みを浮かべ襲いかかった。
行成は覚悟を決め、両腕で顔を守り身構えた。
刃が腹をえぐるように突き刺さる。
●トラウマ
「ぐうっ……!!」
金色の行成の瞳が苦悶に耐える。虚像の奏空は満足げに苦無に付着した血を舐めた。
「志賀さん!!」
仲間が行成のもとに駆け寄る。が、それより早く鏡からあらわれた虚像が行成を襲う。行成と同じ武器を持つ、彼の恋人だった女性に化けた虚像だ。地面に膝をつく彼に恋人は薙刀を振り上げた。しかし、
「ひゃっはぁー!!」
虚像の恋人の顔を、苦役の念を込めた指が頬をえぐるようにめりこんだ。恋人の虚像は後方へ大きくぶっ飛んだ。
「他者のトラウマ? 虚像? それごと頭カチ割ってやんよ。だって敵じゃん?」
抜き身の刃を肩に置いた苦役が冷然と言い捨てる。
「不死川さん……すまない」
血ヘドが口からこぼれる行成は、庭を血で汚さないよう袖でぬぐう。そばに駆け寄った冬佳が自分の服が汚れるのも厭わず、行成の口から流れる血をぬぐい、回復を施した。
「ありがとう。水瀬」
「無茶しすぎです」
「ここで頑張らなくては、彼女が命がけで守った私の意味がなくなる」
行成は小さく笑った。
「ドウシテ皆オレを避けるノ?」
ニラニラと笑いながら虚像の奏空は言う。
その言葉に奏空はカッとなった。
「ふざけんな! どうして人を傷つけるんだ。舞妓さん達だって幸せに暮らしていただけだろ!」
「オレだってこんな力を急に手にシテ戸惑ってイルンだよぉ」
ニセモノは笑い、次の獲物を探すように苦無を握る。
「仲間を傷つけるなぁ!!」
声をかぎりに奏空は言った。
誰よりも仲間を大切にしていた。発現したときに一度、失ったから。
高いところと風が大好きだった。昔はよく仲のいい友達といっしょに木のてっぺんに上っては先生に叱られた。
「自分がどんなに辛い思いをしてもいい……」
発現を機に、周囲の態度がじょじょに変わっていった。始めは一緒に喜んでくれた友達も、しだいに力を持つ奏空を妬みそして恐れた。
五燐学園に転校したのも、前の学校から体よく追い出されたことを奏空は知っていた。そのことが14歳の少年にどれだけ深い心の傷をつけたか、知る人は少ない。
「この力で人を助けられるなら……その為に……俺は目覚めたんだ!」
奏空の苦無が虚像のみぞおち深くにめり込んだ。虚像が黒い血を流す。
「ごっおぉ……」
それでも虚像は奏空の首を絞めてくる。ぎりぎりと締めつける力は増す。苦しみを感じながらも奏空の瞳は揺るがなかった。
「奏空クン! 助太刀しマス!」
ターニャが虚像の奏空を攻撃する。トンファーはみごとに虚像の後頭部を捉え打った。
ソレはゆっくりと鉛色に変わる。そして地面に倒れると簡単に砕け散った。
「ふんっ! 所詮、マネはマネでしかないノヨ!」
ベーっと小さな舌をだすターニャ。その姿をほほえましく眺める一人の男性がいることに両慈は気づいた。
「お……やじ」
男性はゆっくり振り返り両慈を見つめる。
「残念だよ両慈」
その言葉に、両慈は目の前が赤くなる。
ギリシャ神話に登場するゼウスは、父親を殺し神になったという。そのことを本で知ったとき、まさか自分がゼウスと同じ立場になるとはその頃の両慈は夢にも思わなかった。
頭のいい子供だった。同じ年頃の子供には難しい内容の本も両慈はスラスラと読めた。ただ、赤いと深緑の瞳はいつも冷静に周りを眺め感情をあらわすことは少なかった。そんな幼少期の両慈が激しく感情をあらわしたのは覚醒した日くらいだった。
「と、父さん……」
突然のことだった。父親の目の前で覚醒が始まった。体に途方もない力がみなぎる。英霊の一部が両慈に同化していく。
「父さん!」
混乱する両慈はもう一度、父親を呼んだ。憤怒者である父親の前で覚醒することがどれほどマズいことか、幼い両慈にも理解できた。しかし、心のすみでは自分の子に手をかけることはないと思った。
「両慈」
父親が静かにわが子を呼ぶ。覚醒した両慈の姿に父親の眉間に深い皺が寄る。
「残念だよ両慈」
いっさいの躊躇をみせることなく、父親は両慈を殺しにかかった。
両慈の父親が柾を襲おうとした。とっさに両慈は召雷を放つ。ダメージはないようだ。だが、柾が後方へ大きく飛び退き両慈の父親と距離おく。
「ザンネンだよ……」
両慈の父親は笑いながら鏡の中に消えていった。
「クソッ!」
肩を震わせ怒るも、両慈は鏡に映る影が不穏な動きを見せることに気づいた。
「鏡が攻撃をしかけるぞ!」
覚者たちはいっせいに身構えると同時に、黒い影は刃となり覚者めがけ放たれた。
●サヨナラ
影の刃とともに衝撃波が覚者を襲う。
「こいつらまだまだ元気だねぇ」
ペロリと唇をなめ苦役がぼやく。
ちらちらと砂埃が舞う庭を、目を細めて敵の動きをうかがい見る。その時、砂埃の向こうに小さな男の子がぼんやり座っていることに苦役は気づいた。
「お? ……おー、はいはい」
苦役の記憶が蘇える。
――ちらちらと埃が舞う。淀んだ部屋の空気を、幼児は深くゆっくり吸い込んだ。
壁にだらしなくもたれ座り込み、玄関を眺め続けている。
服はすえた臭いがする。垢でテカる袖で鼻を拭き、玄関をじっと見つめた。
ぼさぼさの髪は脂で固まり束になっている。頭が痒い気もするが空腹で意識が曖昧だった。
「お……母さん」
幼児は母を呼んだ。
頬に涙の跡があるが、もう涙も枯れ果てた。
この幼児は、幼い頃の苦役だ。
母親は何日も前から出かけて家に帰ってこない。
母と子、2人だけの家族。それは幸せなものではなく、幼い苦役に興味を持たない母との地獄の生活だった。
骨と皮だけで這うのがやっとの状態だ。栄養失調のため口内炎が口の中に幾つもできた。それが破けるよう舌でつつき、血が滲み出たなら幼い苦役はその血を舐め、飢えを凌いだ。
戦闘時でもいつも笑みを浮かべていた苦役の顔が無表情になっていく。体の力が抜け棄灰之刑を持つ手がだらりと下がった。
「苦役」
鏡から一人の女性が出てくる。
微笑みを浮かべ、苦役と同じ刀を持つ女性が歩み寄る。
「不死川!」
柾がナックルで虚像の女性に渾身の一撃を放とうとした。が、それより早く女性の頭半分が吹き飛んだ。ゴトリ地面に落ちる頭を苦役は踏みにじる。
「……誰だっけ? えーと、そうそう。母さんじゃん!」
半分頭がなくなっても刀を構える苦役の母親。
「うん、いや。俺、別に怒ってないし、恨んでもねーよ。やんごとなき事情があったんだろ? 分かってる! でも……こうして殺すのを躊躇しない程度には、憎んでるぜ?」
柾のナックルが的確に虚像の胸を貫いた。途端、鉛色に変化していく苦役の母親。
「ガァァァ!」
絶命の雄たけびと共に、鉛は粉々に砕け散った。
「よっしゃぁ」
喜ぶ苦役。
「あと、虚像は1体のみ」
冬佳は刀を握りしめる。そんな彼女をあざ笑うように鏡は冬佳のトラウマをスキャンした。
巫女服を着た幼い冬佳が泣いている。純白の小袖をくしゃくしゃに濡らしても、涙はとまらない。
「セミを殺してしまったの」
足元にはバラバラに砕けたセミが落ちている。
「ただ、触りたかったの。それだけなのに……」
「そんなこともありましたね」
冬佳は小さくため息をついた。幼い頃、力加減が分からなかった。7日目には死んでしまう刹那的なセミの運命に触れたかった。結果、セミを殺してしまった。
「……つまらないことを思い出させてくれた鏡には、お礼をさせていただかねば。この手で叩き割って差し上げます」
言うが早く、冬佳は鏡に刃を向け飛びかかる。二段攻撃は鏡の表面を大きく傷つけた。細かい割れ目がクモの巣のように入る。
ピシピシと音を立てる鏡から、1体の虚像が姿を見せた。薙刀を持った行成だ。虚像は瞬く間に行成の恋人に変身すると、冬佳を襲いにかかる。
冬佳は体を横にひねる飛び退く。行成の恋人が後を追おうとするも、もう1本の薙刀が動きを阻んだ。
「彼女との思い出を汚すな。私の前で彼女を二度殺してくれるな……」
本物の行成の気迫に虚像の恋人は鏡に逃げ込もうとした。が、入る寸前、薙刀の刃が虚像の胸を貫きそのまま鏡を突いた。
「ギャァァァ!」
薙刀の柄を引き抜こうともがく虚像の手が鉛色に変化していく。そして、ついに砕け散った。
ズッズッ、音をたて割れ始めた鏡が逃げ出した。
血の気の失せた顔で奏空はしゃがみこんだ。まだ、虚像に首を絞められたダメージが拭えない。体が悲鳴を上げている。酸欠状態でぼんやりするも奏空は逃げる鏡に気づいた。
「く……そっ!!」
「逃げられると思っているのか」
両慈は吐き捨てるように呟くと、新たな呪句を唱えた。
演舞・清風が覚者たちを心地よい空気で包む。奏空の焦りの気持ちがおさまっていく。
「これで終わりだ!」
身体能力のあがった奏空が鏡にトドメを刺す。
パァン! 音をたてはじけ飛ぶ鏡の破片。
赤く染まり始めた太陽に反射し、キラキラと輝き散った。
「へへ……」
奏空の桃色の瞳に舞い散る鏡の破片が映る。満足げな笑みを浮かべ倒れる彼を仲間達が支えた。
『探偵見習い』工藤・奏空(CL2000955)が現場に到着したとき、目の前に広がる光景に唇を噛んだ。『百合の追憶』三島 柾(CL2001148)が、女将と舞妓の笹風を守るように虚像の前に立ちふさがっていたのだ。
「なんだって……妖は人を傷つけるんだ……!」
奏空は女将と芸者のそばに近寄り怪我がないか確認する。と、すぐ隣に誰かがしゃがみこんできた。とっさに振向く。そこにいたのは『音楽教諭』向日葵 御菓子(CL2000429)だった。御菓子はじっと被害者2人の様子を窺い見て、そしてホッとしたように、
「大丈夫、パニックを起こしているけど怪我はないみたい。三島さんのおかげね」
とにっこり微笑んだ。
「では、彼女達を安全な場所に避難させよう」
天明 両慈(CL2000603)が、女将の腕をとった。しかし、女将は頭を横に振り頑なに動くことを拒んだ。
「大丈夫、あなた達を襲ってきたアレは……記憶からすぐに消えますよ」
「で、でも」
「ここにいちゃ危険だ……です。安全な場所へ行こう……ましょう」
奏空も女将を説得する。笹風は女将の言うことに従うといったふうに女将の着物の袖をぎゅっと握りしめていた。
こくり、頷く女将の肩を抱き両慈がすぐさま置屋を出て行く。奏空も笹風の手をとりあとに続いた。
「2人が無事でよかった」
柾の隣にいる『浅葱色の想い』志賀 行成(CL2000352)が、ホッとしたように呟いた。
両慈と奏空が被害者の2人を安全な場所へ誘導するまで、残りの覚者は盾となり、徐々に庭へ追い詰める。
ニセの女将とニセの舞妓は忌々しげに覚者を睨み後退していく。虚像を濡れ縁まで追い詰めたとき、姿をあらわした紫の鏡に反射する太陽の光りが運悪く覚者の視界をふさいだ。
「くっ逃げられたデス!」
トンファーを握りしめるターニャ・S・ハイヌベレ(CL2001103)が叫んだ。
「……大丈夫でしょう。あれは物質系の妖、動きは鈍いはず。まだこの家の中にいるはずです」
『水天』水瀬 冬佳(CL2000762)は、錬覇法で基礎攻撃力を高める。他の仲間も次々と自分の能力を高めた。と、その時、両慈と奏空が戻ってきた。
「うっしゃぁ。んじゃぁ一発やるか。ドーン!」
不死川 苦役(CL2000720)が結界を発動する。
そして室内をくまなく探索し、逃げた鏡を探す。
ターニャが庭先にたどり着いたとき、誰かに見られている気配に後ろを振り返った。
「……え?」
ソレと目が合ったとき、ターニャの深緑色の瞳が大きく見開き、体がワナワナと震えだした。
「かわいいな。いくつだ? まだまだ青いが歳なんざ関係ねぇわ。俺が一からじっくり教えてやるよ」
赤銅色の太い腕がターニャの手を掴む。
「や、やめて」
もがくターニャを、男は抱き寄せた。汗とアルコールの混じった体臭、腐った卵のような口の臭い、薄ら笑いを浮かべ男はターニャを見下ろした。
「なーに、すぐ楽しくて楽しくてたまらなくなるさ」
「やめて!」
太い指は、ターニャの肩を撫でる。すべすべのさわり心地を気に入ったのか、男は執拗に肩を撫でまわす。
「助けて」
声にならない声で必死に叫び、ぎゅっと目を閉じる。そのあいだにも男の指がどんどん下にさがっていく。
「誰か……たすけて……」
「ふざけんなぁ!」
烈火のごとく怒る声に驚きターニャが目を開けると、ターニャを抱きしめる男がぶざまに倒れていく。
「あっ……あっ……」
がくがく震える体から力が抜け、ターニャはうずくまった。そんな彼女の背を大きな手がそっと撫でる。そんなことにも怯えてしまう。
「ターニャ、大丈夫だ。私だ」
隣にいたのは行成だった。ターニャがこれ以上おびえないよう、大きな手は優しく背を撫でる。目の前には、奏空と苦役がターニャのトラウマと向き合っていた。ターニャは溢れる涙をぬぐうと立ち上がり、
「ありがとう、もう大丈夫デス。かよわい少女じゃいられない……デスカラネ!」
頬を赤く染め叫んだ。
「よし、ではコイツを庭に誘導するか」
行成は言うと同時にターニャのトラウマを突き技で庭に吹き飛ばした。
転がるトラウマ。覚者が庭へ近づくと、隠れていた紫の鏡が姿をあらわした。
「姿を見せましたね。悪い鏡は割らないといけません。割ります」
冬佳がしずかに告げる。鏡の中の冬佳が悪意に溢れた笑みを浮かべた。同時に、鏡が攻撃をしかける。光りが刃となり覚者達を襲った。
●過去が現在に蘇えると
光りの刃は、音をたて覚者の体を切りつける。
御菓子は頭を守るように身をかがめていた。が、この場に似つかわしくないコルネットの音色が間近で聞こえることに気づき上体を起こした。
「えっ……」
目の前に自分がいる。
「ドウシテそんな目デわたしを見るの?」
心臓が冷たくなる。
目の前にいるのはあの頃の自分だと、御菓子は気づいた。音楽で何度も賞を取り海外にまで演奏に出かけていたあの頃に自分だと。
「……せんせい?」
ターニャがコルネットを奏でる虚像の御菓子に近づいていく。
「……お前は先生じゃない。先生の音は色彩を持ってマス。輝いてマス!」
ターニャはニセの御菓子に鋭刃脚で攻撃を仕掛けた。
御菓子は生徒の言葉にハッと息をのんだ。
昔、御菓子の演奏を聴いた人が、絵画の世界に迷い込んだ気分になったと御菓子に感想をもらした。評判は評判を呼び、御菓子の演奏を聴くために多くの人が集まった。それと同時に、御菓子の音楽から生まれるであろうお金に興味を持つ人間も彼女に群がってきた。
――キミの音楽なら全ての人に喜びも悲しみも、どんな人生だって与えてやることができる
張り付いたような笑みを口元に浮かべ、目だけ異様に熱っぽく、自分の執念だけにしがみつく人間だ。御菓子はそんな大人を前にするとなす術もなく怯えるしかなかった。だが、いまの御菓子は違う。
「そんなニセモノぶっ壊しちゃえ!」
御菓子の言葉にこたえるように、トンファーは虚像のコルネットを地面に叩き落した。虚像の手を離れた途端、楽器は消えてなくなる。憤怒の表情のまま虚像は鏡に逃げ込んだ。
「チッ……今回の敵は厄介だな」
両慈は書物を手に呪句を唱える。
淀みなく流れる水のように呪文が口から滑り出る。
開いたページが光り輝き力を増す。両慈の長い髪があおられ揺らめいた。
演舞・清風が発動した。
「心地いいな」
身体能力が上がった柾がナックルを手に周囲を警戒する。と、その時、目の前の鏡の自分と目が合った。ソレはニヤリと笑うと柾の姿から徐々に柾の婚約者であった百合に姿を変えた。
「くっ!」
これが虚像であることは分かっている。だが、動揺は隠せなかった。
「ねぇ、新婚旅行はやっぱり海外かな?」
嬉しそうに微笑みかけ鏡から出てくる。百合は微笑んだまま近くの覚者を狙い攻撃をしかけた。
「やめろ!」
狙われたのは冬佳だった。刀で百合の攻撃を避けようとするもナックルの突きに腕を痛めた。眉をしかめ辛そうにするが、声には出さない。
「ねぇ、どうしよっか?」
クスクス笑い続ける虚像の百合。
「百合は死んだ……。妖に殺されて」
自分に言い聞かせるように柾は呟く。
――赤ちゃん何人くらい欲しい?
柾に尋ねた百合の笑顔が思い浮かぶ。
――えっ?
急に訊かれ柾がうろたえると、彼女は頬を薄ピンクに染め腕を絡ませてきた。そして、何か楽しいことでもあったようにクスクスと笑い、おでこを征の腕にこつんとぶつける。腕を絡ませる彼女の指には柾が送った婚約指輪が輝いている。
――わたし、絶対に幸せになるわ。確信があるの。
だが、別れは突然訪れた。
百合は殺されたのだ。妖によって。
冷たくなった百合の遺体と対面したとき、柾は自分の中で何かが壊れた気がした。
「ニセモノの百合さん、あなたを壊します」
冬佳の声に柾は我に返った。冬佳は駆け出す。猛スピードで二連撃をはなった。
「きゃぁぁぁ!」
地面に倒れる虚像の百合を柾は見下ろすだけだ。心配する様子もなく、冷静さを取り戻した彼は虚像の百合に飛燕をはなった。
「百合……、すまない」
「ぎゃぁぁぁ!」
雄たけびをあげる姿に百合の面影はない。
「物質系の妖か……確か耐久性にすぐれていたな」
柾がとどめを刺すため近づくも、寸前のところで虚像の百合は鏡の中に逃げ帰った。
「チッ……」
「回復いくよー!」
御菓子がコルネットを奏でる。それとほぼ同時に奏空が御菓子を狙い襲いかかってきた。
「気をつけろ! この工藤はニセモノだ!」
行成が叫ぶ。
彼の背後では御菓子が仲間に回復を施している。行成はイチかバチか賭けに出た。体を張って、虚像の奏空を誘導した。
苦無を持つ奏空が満面の笑みを浮かべ襲いかかった。
行成は覚悟を決め、両腕で顔を守り身構えた。
刃が腹をえぐるように突き刺さる。
●トラウマ
「ぐうっ……!!」
金色の行成の瞳が苦悶に耐える。虚像の奏空は満足げに苦無に付着した血を舐めた。
「志賀さん!!」
仲間が行成のもとに駆け寄る。が、それより早く鏡からあらわれた虚像が行成を襲う。行成と同じ武器を持つ、彼の恋人だった女性に化けた虚像だ。地面に膝をつく彼に恋人は薙刀を振り上げた。しかし、
「ひゃっはぁー!!」
虚像の恋人の顔を、苦役の念を込めた指が頬をえぐるようにめりこんだ。恋人の虚像は後方へ大きくぶっ飛んだ。
「他者のトラウマ? 虚像? それごと頭カチ割ってやんよ。だって敵じゃん?」
抜き身の刃を肩に置いた苦役が冷然と言い捨てる。
「不死川さん……すまない」
血ヘドが口からこぼれる行成は、庭を血で汚さないよう袖でぬぐう。そばに駆け寄った冬佳が自分の服が汚れるのも厭わず、行成の口から流れる血をぬぐい、回復を施した。
「ありがとう。水瀬」
「無茶しすぎです」
「ここで頑張らなくては、彼女が命がけで守った私の意味がなくなる」
行成は小さく笑った。
「ドウシテ皆オレを避けるノ?」
ニラニラと笑いながら虚像の奏空は言う。
その言葉に奏空はカッとなった。
「ふざけんな! どうして人を傷つけるんだ。舞妓さん達だって幸せに暮らしていただけだろ!」
「オレだってこんな力を急に手にシテ戸惑ってイルンだよぉ」
ニセモノは笑い、次の獲物を探すように苦無を握る。
「仲間を傷つけるなぁ!!」
声をかぎりに奏空は言った。
誰よりも仲間を大切にしていた。発現したときに一度、失ったから。
高いところと風が大好きだった。昔はよく仲のいい友達といっしょに木のてっぺんに上っては先生に叱られた。
「自分がどんなに辛い思いをしてもいい……」
発現を機に、周囲の態度がじょじょに変わっていった。始めは一緒に喜んでくれた友達も、しだいに力を持つ奏空を妬みそして恐れた。
五燐学園に転校したのも、前の学校から体よく追い出されたことを奏空は知っていた。そのことが14歳の少年にどれだけ深い心の傷をつけたか、知る人は少ない。
「この力で人を助けられるなら……その為に……俺は目覚めたんだ!」
奏空の苦無が虚像のみぞおち深くにめり込んだ。虚像が黒い血を流す。
「ごっおぉ……」
それでも虚像は奏空の首を絞めてくる。ぎりぎりと締めつける力は増す。苦しみを感じながらも奏空の瞳は揺るがなかった。
「奏空クン! 助太刀しマス!」
ターニャが虚像の奏空を攻撃する。トンファーはみごとに虚像の後頭部を捉え打った。
ソレはゆっくりと鉛色に変わる。そして地面に倒れると簡単に砕け散った。
「ふんっ! 所詮、マネはマネでしかないノヨ!」
ベーっと小さな舌をだすターニャ。その姿をほほえましく眺める一人の男性がいることに両慈は気づいた。
「お……やじ」
男性はゆっくり振り返り両慈を見つめる。
「残念だよ両慈」
その言葉に、両慈は目の前が赤くなる。
ギリシャ神話に登場するゼウスは、父親を殺し神になったという。そのことを本で知ったとき、まさか自分がゼウスと同じ立場になるとはその頃の両慈は夢にも思わなかった。
頭のいい子供だった。同じ年頃の子供には難しい内容の本も両慈はスラスラと読めた。ただ、赤いと深緑の瞳はいつも冷静に周りを眺め感情をあらわすことは少なかった。そんな幼少期の両慈が激しく感情をあらわしたのは覚醒した日くらいだった。
「と、父さん……」
突然のことだった。父親の目の前で覚醒が始まった。体に途方もない力がみなぎる。英霊の一部が両慈に同化していく。
「父さん!」
混乱する両慈はもう一度、父親を呼んだ。憤怒者である父親の前で覚醒することがどれほどマズいことか、幼い両慈にも理解できた。しかし、心のすみでは自分の子に手をかけることはないと思った。
「両慈」
父親が静かにわが子を呼ぶ。覚醒した両慈の姿に父親の眉間に深い皺が寄る。
「残念だよ両慈」
いっさいの躊躇をみせることなく、父親は両慈を殺しにかかった。
両慈の父親が柾を襲おうとした。とっさに両慈は召雷を放つ。ダメージはないようだ。だが、柾が後方へ大きく飛び退き両慈の父親と距離おく。
「ザンネンだよ……」
両慈の父親は笑いながら鏡の中に消えていった。
「クソッ!」
肩を震わせ怒るも、両慈は鏡に映る影が不穏な動きを見せることに気づいた。
「鏡が攻撃をしかけるぞ!」
覚者たちはいっせいに身構えると同時に、黒い影は刃となり覚者めがけ放たれた。
●サヨナラ
影の刃とともに衝撃波が覚者を襲う。
「こいつらまだまだ元気だねぇ」
ペロリと唇をなめ苦役がぼやく。
ちらちらと砂埃が舞う庭を、目を細めて敵の動きをうかがい見る。その時、砂埃の向こうに小さな男の子がぼんやり座っていることに苦役は気づいた。
「お? ……おー、はいはい」
苦役の記憶が蘇える。
――ちらちらと埃が舞う。淀んだ部屋の空気を、幼児は深くゆっくり吸い込んだ。
壁にだらしなくもたれ座り込み、玄関を眺め続けている。
服はすえた臭いがする。垢でテカる袖で鼻を拭き、玄関をじっと見つめた。
ぼさぼさの髪は脂で固まり束になっている。頭が痒い気もするが空腹で意識が曖昧だった。
「お……母さん」
幼児は母を呼んだ。
頬に涙の跡があるが、もう涙も枯れ果てた。
この幼児は、幼い頃の苦役だ。
母親は何日も前から出かけて家に帰ってこない。
母と子、2人だけの家族。それは幸せなものではなく、幼い苦役に興味を持たない母との地獄の生活だった。
骨と皮だけで這うのがやっとの状態だ。栄養失調のため口内炎が口の中に幾つもできた。それが破けるよう舌でつつき、血が滲み出たなら幼い苦役はその血を舐め、飢えを凌いだ。
戦闘時でもいつも笑みを浮かべていた苦役の顔が無表情になっていく。体の力が抜け棄灰之刑を持つ手がだらりと下がった。
「苦役」
鏡から一人の女性が出てくる。
微笑みを浮かべ、苦役と同じ刀を持つ女性が歩み寄る。
「不死川!」
柾がナックルで虚像の女性に渾身の一撃を放とうとした。が、それより早く女性の頭半分が吹き飛んだ。ゴトリ地面に落ちる頭を苦役は踏みにじる。
「……誰だっけ? えーと、そうそう。母さんじゃん!」
半分頭がなくなっても刀を構える苦役の母親。
「うん、いや。俺、別に怒ってないし、恨んでもねーよ。やんごとなき事情があったんだろ? 分かってる! でも……こうして殺すのを躊躇しない程度には、憎んでるぜ?」
柾のナックルが的確に虚像の胸を貫いた。途端、鉛色に変化していく苦役の母親。
「ガァァァ!」
絶命の雄たけびと共に、鉛は粉々に砕け散った。
「よっしゃぁ」
喜ぶ苦役。
「あと、虚像は1体のみ」
冬佳は刀を握りしめる。そんな彼女をあざ笑うように鏡は冬佳のトラウマをスキャンした。
巫女服を着た幼い冬佳が泣いている。純白の小袖をくしゃくしゃに濡らしても、涙はとまらない。
「セミを殺してしまったの」
足元にはバラバラに砕けたセミが落ちている。
「ただ、触りたかったの。それだけなのに……」
「そんなこともありましたね」
冬佳は小さくため息をついた。幼い頃、力加減が分からなかった。7日目には死んでしまう刹那的なセミの運命に触れたかった。結果、セミを殺してしまった。
「……つまらないことを思い出させてくれた鏡には、お礼をさせていただかねば。この手で叩き割って差し上げます」
言うが早く、冬佳は鏡に刃を向け飛びかかる。二段攻撃は鏡の表面を大きく傷つけた。細かい割れ目がクモの巣のように入る。
ピシピシと音を立てる鏡から、1体の虚像が姿を見せた。薙刀を持った行成だ。虚像は瞬く間に行成の恋人に変身すると、冬佳を襲いにかかる。
冬佳は体を横にひねる飛び退く。行成の恋人が後を追おうとするも、もう1本の薙刀が動きを阻んだ。
「彼女との思い出を汚すな。私の前で彼女を二度殺してくれるな……」
本物の行成の気迫に虚像の恋人は鏡に逃げ込もうとした。が、入る寸前、薙刀の刃が虚像の胸を貫きそのまま鏡を突いた。
「ギャァァァ!」
薙刀の柄を引き抜こうともがく虚像の手が鉛色に変化していく。そして、ついに砕け散った。
ズッズッ、音をたて割れ始めた鏡が逃げ出した。
血の気の失せた顔で奏空はしゃがみこんだ。まだ、虚像に首を絞められたダメージが拭えない。体が悲鳴を上げている。酸欠状態でぼんやりするも奏空は逃げる鏡に気づいた。
「く……そっ!!」
「逃げられると思っているのか」
両慈は吐き捨てるように呟くと、新たな呪句を唱えた。
演舞・清風が覚者たちを心地よい空気で包む。奏空の焦りの気持ちがおさまっていく。
「これで終わりだ!」
身体能力のあがった奏空が鏡にトドメを刺す。
パァン! 音をたてはじけ飛ぶ鏡の破片。
赤く染まり始めた太陽に反射し、キラキラと輝き散った。
「へへ……」
奏空の桃色の瞳に舞い散る鏡の破片が映る。満足げな笑みを浮かべ倒れる彼を仲間達が支えた。

■あとがき■
任務、おつかれさまです。
今回の敵は人の気持ちをもてあそぶような妖でした。
でも、皆さんのおかげで退治でき、舞妓さんも女将さんも無事助かりました。
ありがとうございます。
怪我をされた覚者の方もいます。
どうぞ、無理をなさらずにゆっくり養生なさってください。
今回の敵は人の気持ちをもてあそぶような妖でした。
でも、皆さんのおかげで退治でき、舞妓さんも女将さんも無事助かりました。
ありがとうございます。
怪我をされた覚者の方もいます。
どうぞ、無理をなさらずにゆっくり養生なさってください。
