黄泉路を駆ける天馬
●
三國悠花がファイヴを寿退職したのは、昨年の事である。
祝福はされたが、反対もされた。考え直せ、とも言われた。
結婚相手が、覚者ではない一般人の男性であったからだ。
聞く耳を持たず、悠花は挙式を敢行した。三國悠花から、高柳悠花になった。
それから1年後の今。
「許して……頼むよ、悠花……許してくれよう……」
夫・高柳久が、怯えている。
怯える夫の目の前で、悠花は佇んでいる。純白の、ウェディングドレス姿でだ。
「ねえ久くん……もう、忘れちゃったの?」
泣いている夫に、悠花は微笑みかけた。
「私の、このドレス姿……世界一きれいだって、言ってくれたじゃない」
1年前、あの幸せな結婚式で、久は確かにそう言ってくれた。
某県。いくらか鄙びた、観光地のホテルである。
エントランスホールの床に尻餅をついたまま、久は怯えている。1人の若い女と一緒にだ。
駆け落ちの不倫旅行。
おめでたい、としか言いようがないと悠花は思う。一般人の男女が、覚者から逃げられるわけがないのだ。
「今は……化け物がウェディングドレス着てる、なぁんて思ってたり?」
一歩、悠花は久に歩み寄った。
ドレスの裾から、蹄が現れた。
天馬の蹴り。現役時代、そう呼ばれていた。この蹄で、数多くの妖を、隔者を、粉砕してきたものだ。
今や自分も隔者か……否、と悠花は思った。
獣憑の因子が、体内で暴走を始めているのがわかる。
自分は今、破綻者になろうとしている。
もはや止められない。夫も、この女も、助からない。
「バケモノ……そうよ、あんたはバケモノよぉ……!」
女が、泣きじゃくりながら罵声を吐く。
「バケモノが! 久さんと結婚しようなんてのがぁあ!」
「悠花……俺、わかってなかったんだ」
久が、跪いている。
「君ら覚者と、俺みたいな非力な一般人が一緒に暮らす……それが一体どういう事なのか、俺ぜんぜん理解してなかった。俺が悪かったよ、だから許して」
ウェディングドレスの裾が、ふわりと舞い上がる。
悠花の蹄が、久の腹に叩き込まれていた。
夫の臓物を粉砕した感触を、悠花はしっかりと踏み締めた。
女が悲鳴を上げ、涙と鼻水を飛散させる。
悠花は睨み据えた。血を吐いてのたうち回る夫の身体を、蹄で軽く踏みにじりながら。
「助けなさいよ、久くんを」
泣き喚くだけの女に、悠花は声を投げた。燃え盛る眼光を向けた。
「私ね、妖に襲われた久くんを何回も助けてあげた。守ってあげたわ。貴女はどう? 私を殺して、久くんを助けてあげる……くらいの事も出来ないで、私から奪うの? 久くんを」
悠花は微笑んだ。
足元で、夫の命が消えてゆく。完全に消え失せた時、自分はもはや後戻りが出来なくなる。隔者として、いや破綻者として。
そうなったら、ただひたすら殺すだけだ。
目の前で無様に怯える、この女を。
エントランスホール内を逃げ惑う、客やホテルマンたちを。
ホテルの中にいる人々、外にいる人々を。
この世の全ての人間を、殺せるだけ殺す。
覚者として、これまで守ってきたものを、自分の手で打ち壊す事になる。
構わない、と悠花は思う。足元で死にゆく夫を、じっと見下ろしながら。
自分が一番、守りたかったもの……守れると信じていたものは、実は最初からこの世に存在しなかったのだ。
三國悠花がファイヴを寿退職したのは、昨年の事である。
祝福はされたが、反対もされた。考え直せ、とも言われた。
結婚相手が、覚者ではない一般人の男性であったからだ。
聞く耳を持たず、悠花は挙式を敢行した。三國悠花から、高柳悠花になった。
それから1年後の今。
「許して……頼むよ、悠花……許してくれよう……」
夫・高柳久が、怯えている。
怯える夫の目の前で、悠花は佇んでいる。純白の、ウェディングドレス姿でだ。
「ねえ久くん……もう、忘れちゃったの?」
泣いている夫に、悠花は微笑みかけた。
「私の、このドレス姿……世界一きれいだって、言ってくれたじゃない」
1年前、あの幸せな結婚式で、久は確かにそう言ってくれた。
某県。いくらか鄙びた、観光地のホテルである。
エントランスホールの床に尻餅をついたまま、久は怯えている。1人の若い女と一緒にだ。
駆け落ちの不倫旅行。
おめでたい、としか言いようがないと悠花は思う。一般人の男女が、覚者から逃げられるわけがないのだ。
「今は……化け物がウェディングドレス着てる、なぁんて思ってたり?」
一歩、悠花は久に歩み寄った。
ドレスの裾から、蹄が現れた。
天馬の蹴り。現役時代、そう呼ばれていた。この蹄で、数多くの妖を、隔者を、粉砕してきたものだ。
今や自分も隔者か……否、と悠花は思った。
獣憑の因子が、体内で暴走を始めているのがわかる。
自分は今、破綻者になろうとしている。
もはや止められない。夫も、この女も、助からない。
「バケモノ……そうよ、あんたはバケモノよぉ……!」
女が、泣きじゃくりながら罵声を吐く。
「バケモノが! 久さんと結婚しようなんてのがぁあ!」
「悠花……俺、わかってなかったんだ」
久が、跪いている。
「君ら覚者と、俺みたいな非力な一般人が一緒に暮らす……それが一体どういう事なのか、俺ぜんぜん理解してなかった。俺が悪かったよ、だから許して」
ウェディングドレスの裾が、ふわりと舞い上がる。
悠花の蹄が、久の腹に叩き込まれていた。
夫の臓物を粉砕した感触を、悠花はしっかりと踏み締めた。
女が悲鳴を上げ、涙と鼻水を飛散させる。
悠花は睨み据えた。血を吐いてのたうち回る夫の身体を、蹄で軽く踏みにじりながら。
「助けなさいよ、久くんを」
泣き喚くだけの女に、悠花は声を投げた。燃え盛る眼光を向けた。
「私ね、妖に襲われた久くんを何回も助けてあげた。守ってあげたわ。貴女はどう? 私を殺して、久くんを助けてあげる……くらいの事も出来ないで、私から奪うの? 久くんを」
悠花は微笑んだ。
足元で、夫の命が消えてゆく。完全に消え失せた時、自分はもはや後戻りが出来なくなる。隔者として、いや破綻者として。
そうなったら、ただひたすら殺すだけだ。
目の前で無様に怯える、この女を。
エントランスホール内を逃げ惑う、客やホテルマンたちを。
ホテルの中にいる人々、外にいる人々を。
この世の全ての人間を、殺せるだけ殺す。
覚者として、これまで守ってきたものを、自分の手で打ち壊す事になる。
構わない、と悠花は思う。足元で死にゆく夫を、じっと見下ろしながら。
自分が一番、守りたかったもの……守れると信じていたものは、実は最初からこの世に存在しなかったのだ。

■シナリオ詳細
■成功条件
1.破綻者・高柳悠花の撃破(生死不問)
2.なし
3.なし
2.なし
3.なし
今回の敵は元ファイヴ覚者(女、26歳。天行獣・午)の高柳悠花(旧姓・三國)で、現在は深度2の破綻者となっております。
攻撃手段は蹴りを中心とする格闘戦(物近単)、それに『猛の一撃』と『雷獣』。
場所は某県観光地のホテル、エントランスホール内で、客やホテル従業員たちが逃げ惑う中、悠花が夫・高柳久とその不倫相手の女を殺そうとしています。そこへ覚者の皆様に、まずは乱入していただきます。
悠花の足元では高柳久が死にかけていますが、最初のターンで術式による回復が行われなかった場合、彼はそのまま死亡します。
悠花の暴走は歯止めを失い、彼女を止めるにはもはや命を奪うしかなくなります。戦って体力がゼロになると同時に、悠花は死にます。手加減や峰打ちの余裕がなくなるほど暴走が激しくなる、とお考え下さい。
高柳久が一命を取り留めた場合、悠花は彼の殺害よりも、邪魔をする覚者の排除を優先させます。
覚者側の戦闘勝利後、高柳久生存の場合に限り、悠花への説得が可能となります。彼女は生きていますが、とどめを刺していただいても構いません。久氏の身の安全を考えるなら、それが最良とも言えます。
それでは、よろしくお願い申し上げます。
状態
完了
完了
報酬モルコイン
金:0枚 銀:1枚 銅:0枚
金:0枚 銀:1枚 銅:0枚
相談日数
7日
7日
参加費
100LP[+予約50LP]
100LP[+予約50LP]
参加人数
6/6
6/6
公開日
2017年08月25日
2017年08月25日
■メイン参加者 6人■

●
「人の恋路を邪魔する奴は、馬に蹴られて死んじまえ……とは言うけれど」
逃げ惑う人々をかわしながら『エリニュスの翼』如月彩吹(CL2001525)は呟いた。
「これは、それとは……うん、ちょっと違うのかな」
自分たちの恋路を自分で台無しにした男が、荒馬の蹄に踏まれ、死にかけている。
その蹄は、ウェディングドレスの裾から現れていた。獣憑・午の証。
彩吹は、声をかけた。
「ともあれ。はい、そこまで」
「……夢見の誰かが、私を見つけちゃったのね。誰? 真由美? 相馬くん? それとも万里ちゃん?」
半人半獣の異形をウェディングドレスで隠しきれていない女性が、夫の身体を踏みにじりながら、覚者6人に微笑みかける。
「あなたたち、真由美に伝えておいてよ。結婚は……急いじゃ駄目、ってね」
「肝に銘じておきましょう。それより悠花さん、落ち着いて下さい」
応えたのは『世界樹の癒し』天野澄香(CL2000194)である。
「浮気に怒る気持ちは、私もわかります。同じ女ですから……だけど、まずは話し合いましょう?」
「久くんとはね、結婚前に随分、話し合ったわ。そのつもりだった」
元ファイヴ所属、天行獣の覚者……現在は破綻者である、高柳悠花は言った。
「それで、わかり合えたと思っていた……私が結局、どうしようもないバカだったのね。覚者と、そうじゃない人が結婚して一緒に暮らす。それが一体どういう事なのか、綺麗な言葉しか出てこない話し合いなんかで、わかるわけがないって言うのに」
「……ま、そういうこったな。トチ狂った破綻者を、話し合いで止められるワケがねえ」
人影が、踏み込んで行く。『ボーパルホワイトバニー』飛騨直斗(CL2001570)だ。
その拳が炎を発し、悠花を直撃する。
立ちのぼる爆炎が一瞬、荒ぶる獅子の姿を形作った。
炎の獅子に灼かれながら悠花が後方へと吹っ飛び、だが倒れずに踏みとどまる。
「……面白い技、使うのね。兎の坊や」
「飛騨直斗オリジナルの『ぐりふぉん』だよ、馬の先輩。そして成りかけの同類さんよ、堕ちた気分はどうだ!? おい」
「あなたは……『堕ちた』事がある感じね」
「最初っから堕っこちてた。今はちょいと浮かび上がって、前よりはマシな所にいるよ」
「じゃ今度は……地獄にでも、堕ちてみる!?」
焼け焦げたウェディングドレスが裂け、蹄が跳ね上がる。
悠花のその蹴りが、直斗を直撃した。
否。直斗の眼前にいつの間にかある、岩石のようなものを直撃していた。
「ぐっ……」
左右2枚の盾で防護の構えを取った『献身なる盾』岩倉盾護(CL2000549)である。
「……人殺し、絶対阻止」
「石ころみたいな坊やがいたのね。貴方から踏み割ってあげましょうか?」
「させませんよ」
澄香が言いながら、たおやかな両腕と翼を広げる。
植物の芳香が、覚者6名を包み込んだ。清廉珀香。
かぐわしい術式の粒子がキラキラと舞う中に、いくつもの小さな炎がちょこまかと着地する。
炎で組成された、何匹もの仔猫。
それらは『赤き炎のラガッツァ』ラーラ・ビスコッティ(CL2001080)が小さな手で抱え開いた、巨大な魔法書からこぼれ落ちていた。
炎の仔猫たちを覚者6人の周囲に控えさせながら、彼女は声を発している。逃げ惑う、客やホテルマンたちに向かってだ。
「皆さん、この場にいるのは危険です! 私や仲間の指示に従って、最寄りの出口や通路から避難して下さい!」
「懐かしいわ。私にもね、そうやって世のため人のために戦っていた時期があったの」
悠花が、微笑ましげに言った。
「それが、いつしか久くん1人を守るための戦いに変わって……本当に、懐かしい……今では全部、何もかもが夢のよう」
「夢なんかには、しません。私たちが」
ラーラは言った。
「せっかく掴んだ幸せが、こんな事になってしまって……辛かったんですね悠花さん、辛くないわけがないんです。だけど……かつて守ってきた人たちを手にかけてしまったら、あなたはもう戻れなくなります。これ以上、自分を傷付けないで下さい」
「それ系のお説教、した事あるわぁ私も。頭のおかしい隔者とか破綻者みたいな連中を相手にねえ。話通じた事なんて1度もなかったけど」
悠花が会話に気を取られている間、やっておかなければならない事がある。
まずは、
「おい、こら浮気者。生きてる? 生きてなさい」
妻の蹄から解放された高柳久の身体を、彩吹は物のように担ぎ上げた。
そして悠花から可能な限り遠ざけて床に放り出す。怪我人だが、丁寧に扱ってやる余裕はない。
「死んで楽になんかさせないから……小百合、頼むね」
「お任せ下さい……」
放り出され横たわる久の身体に、『恋結びの少女』白詰小百合(CL2001552)が両手を触れる。
たおやかな繊手から『大樹の息吹』が発せられ、内臓破裂の重傷を負った肉体へと流れ込んでゆく。
要救助者がとりあえず一命を取り留めたのを確認しながら、彩吹は『天駆』を発動させた。
火行術式の力が全身を駆け巡り、細胞が猛々しく燃えたぎる。
「……よし」
バズヴ・カタを握り構えながら、彩吹は翼を広げた。黒い、鴉の翼。
「ひいっ……バケモノ……」
か細い悲鳴が聞こえた。
彩吹とそう年齢の違わぬ若い女が1人、すぐ近くで震え上がっている。高柳久の不倫相手。
「ああ、そう言えばもう1人いたね。要救助者が」
彩吹は笑った。女は、泣いている。
「バケモノどもが……寄ってたかって、あたしから久さんを……久さんにはねぇ、あたしが先に!」
「わかったわかった。自分の足で歩けるなら、とっととお逃げ」
喚く女を庇う形に、彩吹は悠花と対峙した。
「ねえ悠花さん。こんな連中の言葉に付き合って、本当にバケモノになってしまう必要はない。武器を構えて言う事じゃないけれど……どうか、落ち着いてくれないかな」
「落ち着いてるとねぇ、久くんとの楽しい思い出とか頭の中でぐるぐる回り出して、私……その女のはらわた蹄で引っかき回したくなっちゃうのよぉ」
「私のはらわた引っかき回していいよ。やれるものなら、ね」
彩吹は言った。
「だけど今、旦那さんのはらわた蹴り潰したばっかりじゃないか。もちろん奥さんの権利としては当然と思うけど、もうやめておいた方がいい」
「現役の頃はね、思ってた。隔者とか破綻者って連中、どうしてこんなに話通じないんだろうって。だけど今なら、少しだけわかるわ。あいつらの気持ち」
悠花の美貌が、ニヤリと凶悪にねじ曲がった。
「よってたかっての説得って、結構……神経、逆撫でされるわ」
「あっそう? じゃあよォ、寄ってたかって首狩る事になっちまうかもだけど」
言いながら、直斗が妖刀を抜く。
「その覚悟、出来た上で……破綻者なんかになっちまってんだろーなぁ? 馬の先輩よお」
「やあねえ、兎の坊やが調子に乗っちゃってる……」
直斗と悠花が、再びぶつかり合うのか。
そう思えた瞬間、盾護が短く、何かを呟いた。唱えた。
戦巫女之祝詞、である。
その恩恵が、キラキラと直斗の身体を包み込む。
「あらあら。猪口才な事するのねえ、石ころ坊や」
微笑む悠花に向かって、直斗が妖刀を振るう。
その斬撃は、かわされた。空を切った刃の周囲に、しかし凶花が咲き、毒香を放つ。
仇華浸香が、悠花を包み込んでいた。
「こいつも猪口才だろうが、それで結構! 猪口才もな、積もれば山になるぜえ」
「じゃ、その山を吹っ飛ばしてあげる……」
悠花が手にしている花嫁のブーケが、ガス状の黒いものを噴射した。
雷雲だった。
●
雷鳴を伴う電撃光が、直斗を、彩吹を、盾護を、打ち据える。
臓物をも揺さぶる感電の痙攣を晒しながら、盾護は思った。
(経験不足……露呈、している……?)
戦巫女之祝詞は、物理的攻撃に対する堅固さを高めてくれる。だが、電撃に対しては。
「ぐゥッ! あっがががががが!」
絡み付く電光に全身あちこちを灼かれながら、直斗が絶叫を張り上げる。
同じく電光に絡まれ、電熱で血を沸かされながら、盾護は唇を噛んだ。
自分の術式は全く、直斗の役に立っていない。
「おいッ……気にするなよ、盾護さんが……迂闊だった、わけじゃあねえ!」
感電の嵐に抗いながら、直斗が叫ぶ。
「物理系の防御が、強くなった……そう見た瞬間、得意の蹴りを封印してっ……術式攻撃に、切り替えてきやがった! この馬女、破綻者のくせして理にかなった事……」
「ベテランだね……伊達に、元ファイヴじゃ……」
彩吹が、呻きながら血を吐いた。
「……私の術式も、見てもらうよ……先輩……ッ!」
「私も!」
澄香が叫ぶ。
悠花の全身が突然、炎に包まれ、荊に巻かれた。
火蜥蜴の牙と、棘散舞。
迸る血飛沫が、炎に灼かれて蒸発する。
そんな凄惨な有り様を晒しながら、悠花は吼えた。
それは悲鳴であり、怒号であった。
慟哭でもある、のかも知れない。
そんな事を思いながら盾護は再び、戦巫女之祝詞を唱えた。対象は、彩吹だ。
仲間の守りを、高める。
愚者の一つ覚えであろうと、今は自分に出来る事をするしかないのだ。
●
「バケモノ! バケモノ! バケモノどもが、寄ってたかって! あたしと久さんをぉおおッ!」
女が泣き喚く。
小百合は知っている。
両親が自分を屋敷の外へ出さなかったのは、外界にはこのような人々しかいないからだ。
このような人々との、会話。
それは自分が決して避けては通れぬ、覚者としての試練なのだと小百合は思う。
「そうやって……泣き叫ぶだけ、なのですか? 久様のために、貴女がしてあげる事は」
荒ぶる電光に絡み付かれた直斗、彩吹、盾護を、清廉珀香の粒子がキラキラと包み込む。
香気に薄められた電光を、炎の仔猫たちがカリカリと噛み砕いてゆく。
雷獣から解放された直斗が、猛然と悠花に斬りかかった。妖刀ノ楔。
その戦いを背景に、小百合は要救助者2人に語りかけた。
「もしそうなら貴女に、久様を愛する資格はありません。久様も。一生の愛を誓い合ったお相手に対し、どのように考えておられるのですか?」
彩吹が、続いて飛燕を繰り出す。
戦巫女之祝詞で強化された一撃が、悠花に叩き込まれた。
その間、澄香が『大樹の息吹』で前衛3名を包み込む。
小百合は思う。自分にはまだ、直斗や彩吹のように前線で戦う力はない。治療回復の術式も、澄香には遠く及ばない。
自分に出来る事は、ただ1つ。戦う力を持たない人々を、戦いの場から遠ざける。それだけだ。
「初恋もまだの小娘が、戯言を……そんなふうにお思いでしょうけど、私はハッピーエンドが大好き。ですから1人も死なせはしません。ついて来て下さい」
久も、不倫相手の女性も、俯いたまま小百合の言葉に従ってくれた。ワーズワースが、効いているようではある。
「……バケモノ相手に……何やれってのよォ……」
小百合の誘導に従ってホテル外へと向かいながら、女が呻く。
「バケモノが、久さんを奪っていく……あたしなんか……こうやって泣く以外ないじゃない……」
●
エネミースキャンの結果、ラーラは朗報を得た。
この高柳悠花という相手に対し、手加減の類は必要ない。
「悠花さん、貴女は強い……私たちの全力を、受け止めてくれる人」
開いた魔導書から、燃え盛る隕石のような火の玉が2つ出現し、飛翔する。
「とてつもなく危険な破綻者としての貴女を、今は撃ちます……良い子に甘い焼き菓子を、悪い子には石炭を! イオ・ブルチャーレ!」
錬覇法による強化を得た火焔連弾が、悠花を直撃していた。
荒れ狂う炎の中で、しかし悠花は凄惨な笑みを浮かべている。
「熱く燃え盛る石炭を、喰らわせてくれたわね……だけど!」
「悠花さん。あなたたち御夫婦が都合良く元に戻れるかどうか、私にはわかりません」
ラーラは言った。
「だけど久さんを死なせてしまったら、その儚い機会が永遠に失われてしまうんです。そんな結末を私は望みません。貴女の意思は関係ない、これは私個人の勝手な思いです」
「そう、それでいいのよ。誰かのために戦う、なんて思っちゃ駄目……」
毒香、炎、荊、それに妖刀の呪い。
それらによる束縛を引きちぎるように悠花は踏み込み、蹄を跳ね上げた。
蹴りによる『猛の一撃』が、彩吹を強襲する。
「私も……久くんのために、なんて思わなければ……!」
直撃。鮮血の飛沫が舞い、彩吹が吹っ飛び、そして悠花も吹っ飛んでいた。
「霞……舞……」
血を吐きながら、彩吹が呻く。
「綺麗なカウンター、というわけには……なかなか、いかないね……どうしても、痛々しい相打ちになってしまう……」
「ぐっ……こ、この程度……」
よろよろと立ち上がろうとする悠花を見据え、彩吹は言った。
「凄い蹴り、だったよ……天馬の蹄、なんだって? つまらない暴力で汚す、なんて……もったいない……」
立てぬ彩吹を背後に庇って、盾護が立つ。
守られながらも、彩吹は言葉を続けた。
「他人様の色恋沙汰に、私がアドバイスなんて出来ないけれど……誰かを思う気持ちって、綺麗なものだと思う……天馬の蹄は、綺麗なもののために……」
「綺麗なもの、なんて……ふふっ、あるのかしらねえ……!」
ゆらり、と攻撃の構えを取ろうとする悠花に向かって、盾護が念弾を発射する。
正直、彼の術式攻撃では……とラーラが思っている間に、悠花が片手を振るっていた。小さな念弾が、叩き落とされてしまう。
それは、しかし隙となった。
矢のような、小さく鋭利なエアブリットが、その隙をついて悠花に突き刺さっていた。
「私……わからなくなって、しまいました……」
要救助者2名の避難誘導に当たっていた小百合が、いつの間にか戻って来ていた。
彼女のエアブリットを受けた悠花が、ゆっくりと倒れる。
見つめながら、小百合は言った。
「あの女性も、久様の事を……純粋に愛しておられた、ように思えて……私が、どなたかに恋をしたら……あの方のようにも、悠花様のようにも、なってしまうのかも……」
●
小百合の悩みは、意外に短時間で解決してしまったようである。
「私、理解いたしました。恋愛に、ただひとつの正しい答えなど存在しないのですね」
「そうかも知れねえが小百合さん、もっともな事言いながら俺の耳と尻尾いじるの、やめてくんねえかなあ」
「あ……ご、ごめんなさい直斗様。私、けもの系の方を見るとその、どうしても」
「駄目だよ小百合、あんまり直斗に馴れ馴れしくしたら」
死にかけていた彩吹も、術式による治療を終え、今は軽口をたたいている。
「何しろ気になる子がいるんだもの。ね? 直斗」
「まあ、そうなのですか。応援いたします、直斗様」
「ななななな何言ってんのかわかんねえよ2人とも。そ、それより澄香さん」
「大丈夫。ラーラさんの言うとおり、頑丈な人ですよ」
倒れた悠花に『大樹の息吹』を施しながら、澄香は語りかけた。
「痛い思いをさせて、ごめんなさい悠花さん。久さんの事、本当に愛しているんですね……夫婦喧嘩は、心ゆくまでやればいいと思います。犬も食わない、とは言いますが」
高柳夫妻の、今後の事はわからない。ファイヴが関与すべき事でもない、とは言える。
「覚者としての能力を……使わないで喧嘩をする方法、覚えないとですね。悠花さん」
「……貴女、うざったいわね」
「よく言われます」
澄香は微笑んだ。
「久さんは結局、逃げてしまいましたか。平手打ちの一発くらいは、と思ったんですけど」
「あの手の男はな。一発二発ぶちのめしても、自分は正当な罰を受けたからもう大丈夫、くらいにしか思わねえさ」
直斗が言った。
「で、だな悠花さん。その、女性陣の前じゃ言いにくいんだがよ」
「……わかってるわ兎の坊や。私は私で……久くんのために、こんなに頑張っているのに……としか、思っていなかった」
「ま、どうにか2人とも生きてるんだ。話し合ったらいいと思うぜ」
「言うね直斗。恋愛というもの、思春期の少年なりに理解しようと努力して」
彩吹が1人うんうんと頷いている。
「お姉さん、とっても感心」
「お姉さんって、俺と大して年齢違わねえじゃんよ」
「……そう、か。私の年齢、直斗には教えてなかったっけ」
女子高生にしか見えない彩吹が、一瞬だけ躊躇をした。
「……私、23歳」
「えっ、もうそんな微妙な年……」
うっかり口走ってしまった直斗に、澄香は微笑みかけた。
「あのね直斗くん、私も23歳。微妙ですか?」
にこにこ、にこにこと笑いながら彩吹と澄香が、直斗に歩み迫る。
青ざめた直斗が、盾護の後ろに身を隠す。
「たっ助けてくれ、献身なる盾……」
「むむむ無理。盾護でも、これは防げない……」
怯える少年2人を、澄香と彩吹は容赦なく捕獲した。
「……今夜は飲みましょうか、彩吹さん」
「そうだね、おつまみもゲットした事だし」
「盾護、無関係……」
聞く耳持たず盾護を捕らえたまま、澄香は言った。
「悠花さんも御一緒に、どうですか?」
「駄目ですよ。破綻者だった人には、ファイヴで適切な治療を受けていただかないと」
ラーラが、肩を貸すように悠花に寄り添う。
「救護班が来てくれてるみたいです。私たちで悠花さんをお連れしますから……あとの事は、まあ適当に。さ、行きましょう小百合さん」
「私、澄香様たちのお話に興味が……」
「駄目。これは深入りしちゃいけないお話です」
少女2人に連れられながら、悠花は1度だけ振り向いた。
「気を付けなさいね……破綻者になるのって、意外と簡単よ」
「人の恋路を邪魔する奴は、馬に蹴られて死んじまえ……とは言うけれど」
逃げ惑う人々をかわしながら『エリニュスの翼』如月彩吹(CL2001525)は呟いた。
「これは、それとは……うん、ちょっと違うのかな」
自分たちの恋路を自分で台無しにした男が、荒馬の蹄に踏まれ、死にかけている。
その蹄は、ウェディングドレスの裾から現れていた。獣憑・午の証。
彩吹は、声をかけた。
「ともあれ。はい、そこまで」
「……夢見の誰かが、私を見つけちゃったのね。誰? 真由美? 相馬くん? それとも万里ちゃん?」
半人半獣の異形をウェディングドレスで隠しきれていない女性が、夫の身体を踏みにじりながら、覚者6人に微笑みかける。
「あなたたち、真由美に伝えておいてよ。結婚は……急いじゃ駄目、ってね」
「肝に銘じておきましょう。それより悠花さん、落ち着いて下さい」
応えたのは『世界樹の癒し』天野澄香(CL2000194)である。
「浮気に怒る気持ちは、私もわかります。同じ女ですから……だけど、まずは話し合いましょう?」
「久くんとはね、結婚前に随分、話し合ったわ。そのつもりだった」
元ファイヴ所属、天行獣の覚者……現在は破綻者である、高柳悠花は言った。
「それで、わかり合えたと思っていた……私が結局、どうしようもないバカだったのね。覚者と、そうじゃない人が結婚して一緒に暮らす。それが一体どういう事なのか、綺麗な言葉しか出てこない話し合いなんかで、わかるわけがないって言うのに」
「……ま、そういうこったな。トチ狂った破綻者を、話し合いで止められるワケがねえ」
人影が、踏み込んで行く。『ボーパルホワイトバニー』飛騨直斗(CL2001570)だ。
その拳が炎を発し、悠花を直撃する。
立ちのぼる爆炎が一瞬、荒ぶる獅子の姿を形作った。
炎の獅子に灼かれながら悠花が後方へと吹っ飛び、だが倒れずに踏みとどまる。
「……面白い技、使うのね。兎の坊や」
「飛騨直斗オリジナルの『ぐりふぉん』だよ、馬の先輩。そして成りかけの同類さんよ、堕ちた気分はどうだ!? おい」
「あなたは……『堕ちた』事がある感じね」
「最初っから堕っこちてた。今はちょいと浮かび上がって、前よりはマシな所にいるよ」
「じゃ今度は……地獄にでも、堕ちてみる!?」
焼け焦げたウェディングドレスが裂け、蹄が跳ね上がる。
悠花のその蹴りが、直斗を直撃した。
否。直斗の眼前にいつの間にかある、岩石のようなものを直撃していた。
「ぐっ……」
左右2枚の盾で防護の構えを取った『献身なる盾』岩倉盾護(CL2000549)である。
「……人殺し、絶対阻止」
「石ころみたいな坊やがいたのね。貴方から踏み割ってあげましょうか?」
「させませんよ」
澄香が言いながら、たおやかな両腕と翼を広げる。
植物の芳香が、覚者6名を包み込んだ。清廉珀香。
かぐわしい術式の粒子がキラキラと舞う中に、いくつもの小さな炎がちょこまかと着地する。
炎で組成された、何匹もの仔猫。
それらは『赤き炎のラガッツァ』ラーラ・ビスコッティ(CL2001080)が小さな手で抱え開いた、巨大な魔法書からこぼれ落ちていた。
炎の仔猫たちを覚者6人の周囲に控えさせながら、彼女は声を発している。逃げ惑う、客やホテルマンたちに向かってだ。
「皆さん、この場にいるのは危険です! 私や仲間の指示に従って、最寄りの出口や通路から避難して下さい!」
「懐かしいわ。私にもね、そうやって世のため人のために戦っていた時期があったの」
悠花が、微笑ましげに言った。
「それが、いつしか久くん1人を守るための戦いに変わって……本当に、懐かしい……今では全部、何もかもが夢のよう」
「夢なんかには、しません。私たちが」
ラーラは言った。
「せっかく掴んだ幸せが、こんな事になってしまって……辛かったんですね悠花さん、辛くないわけがないんです。だけど……かつて守ってきた人たちを手にかけてしまったら、あなたはもう戻れなくなります。これ以上、自分を傷付けないで下さい」
「それ系のお説教、した事あるわぁ私も。頭のおかしい隔者とか破綻者みたいな連中を相手にねえ。話通じた事なんて1度もなかったけど」
悠花が会話に気を取られている間、やっておかなければならない事がある。
まずは、
「おい、こら浮気者。生きてる? 生きてなさい」
妻の蹄から解放された高柳久の身体を、彩吹は物のように担ぎ上げた。
そして悠花から可能な限り遠ざけて床に放り出す。怪我人だが、丁寧に扱ってやる余裕はない。
「死んで楽になんかさせないから……小百合、頼むね」
「お任せ下さい……」
放り出され横たわる久の身体に、『恋結びの少女』白詰小百合(CL2001552)が両手を触れる。
たおやかな繊手から『大樹の息吹』が発せられ、内臓破裂の重傷を負った肉体へと流れ込んでゆく。
要救助者がとりあえず一命を取り留めたのを確認しながら、彩吹は『天駆』を発動させた。
火行術式の力が全身を駆け巡り、細胞が猛々しく燃えたぎる。
「……よし」
バズヴ・カタを握り構えながら、彩吹は翼を広げた。黒い、鴉の翼。
「ひいっ……バケモノ……」
か細い悲鳴が聞こえた。
彩吹とそう年齢の違わぬ若い女が1人、すぐ近くで震え上がっている。高柳久の不倫相手。
「ああ、そう言えばもう1人いたね。要救助者が」
彩吹は笑った。女は、泣いている。
「バケモノどもが……寄ってたかって、あたしから久さんを……久さんにはねぇ、あたしが先に!」
「わかったわかった。自分の足で歩けるなら、とっととお逃げ」
喚く女を庇う形に、彩吹は悠花と対峙した。
「ねえ悠花さん。こんな連中の言葉に付き合って、本当にバケモノになってしまう必要はない。武器を構えて言う事じゃないけれど……どうか、落ち着いてくれないかな」
「落ち着いてるとねぇ、久くんとの楽しい思い出とか頭の中でぐるぐる回り出して、私……その女のはらわた蹄で引っかき回したくなっちゃうのよぉ」
「私のはらわた引っかき回していいよ。やれるものなら、ね」
彩吹は言った。
「だけど今、旦那さんのはらわた蹴り潰したばっかりじゃないか。もちろん奥さんの権利としては当然と思うけど、もうやめておいた方がいい」
「現役の頃はね、思ってた。隔者とか破綻者って連中、どうしてこんなに話通じないんだろうって。だけど今なら、少しだけわかるわ。あいつらの気持ち」
悠花の美貌が、ニヤリと凶悪にねじ曲がった。
「よってたかっての説得って、結構……神経、逆撫でされるわ」
「あっそう? じゃあよォ、寄ってたかって首狩る事になっちまうかもだけど」
言いながら、直斗が妖刀を抜く。
「その覚悟、出来た上で……破綻者なんかになっちまってんだろーなぁ? 馬の先輩よお」
「やあねえ、兎の坊やが調子に乗っちゃってる……」
直斗と悠花が、再びぶつかり合うのか。
そう思えた瞬間、盾護が短く、何かを呟いた。唱えた。
戦巫女之祝詞、である。
その恩恵が、キラキラと直斗の身体を包み込む。
「あらあら。猪口才な事するのねえ、石ころ坊や」
微笑む悠花に向かって、直斗が妖刀を振るう。
その斬撃は、かわされた。空を切った刃の周囲に、しかし凶花が咲き、毒香を放つ。
仇華浸香が、悠花を包み込んでいた。
「こいつも猪口才だろうが、それで結構! 猪口才もな、積もれば山になるぜえ」
「じゃ、その山を吹っ飛ばしてあげる……」
悠花が手にしている花嫁のブーケが、ガス状の黒いものを噴射した。
雷雲だった。
●
雷鳴を伴う電撃光が、直斗を、彩吹を、盾護を、打ち据える。
臓物をも揺さぶる感電の痙攣を晒しながら、盾護は思った。
(経験不足……露呈、している……?)
戦巫女之祝詞は、物理的攻撃に対する堅固さを高めてくれる。だが、電撃に対しては。
「ぐゥッ! あっがががががが!」
絡み付く電光に全身あちこちを灼かれながら、直斗が絶叫を張り上げる。
同じく電光に絡まれ、電熱で血を沸かされながら、盾護は唇を噛んだ。
自分の術式は全く、直斗の役に立っていない。
「おいッ……気にするなよ、盾護さんが……迂闊だった、わけじゃあねえ!」
感電の嵐に抗いながら、直斗が叫ぶ。
「物理系の防御が、強くなった……そう見た瞬間、得意の蹴りを封印してっ……術式攻撃に、切り替えてきやがった! この馬女、破綻者のくせして理にかなった事……」
「ベテランだね……伊達に、元ファイヴじゃ……」
彩吹が、呻きながら血を吐いた。
「……私の術式も、見てもらうよ……先輩……ッ!」
「私も!」
澄香が叫ぶ。
悠花の全身が突然、炎に包まれ、荊に巻かれた。
火蜥蜴の牙と、棘散舞。
迸る血飛沫が、炎に灼かれて蒸発する。
そんな凄惨な有り様を晒しながら、悠花は吼えた。
それは悲鳴であり、怒号であった。
慟哭でもある、のかも知れない。
そんな事を思いながら盾護は再び、戦巫女之祝詞を唱えた。対象は、彩吹だ。
仲間の守りを、高める。
愚者の一つ覚えであろうと、今は自分に出来る事をするしかないのだ。
●
「バケモノ! バケモノ! バケモノどもが、寄ってたかって! あたしと久さんをぉおおッ!」
女が泣き喚く。
小百合は知っている。
両親が自分を屋敷の外へ出さなかったのは、外界にはこのような人々しかいないからだ。
このような人々との、会話。
それは自分が決して避けては通れぬ、覚者としての試練なのだと小百合は思う。
「そうやって……泣き叫ぶだけ、なのですか? 久様のために、貴女がしてあげる事は」
荒ぶる電光に絡み付かれた直斗、彩吹、盾護を、清廉珀香の粒子がキラキラと包み込む。
香気に薄められた電光を、炎の仔猫たちがカリカリと噛み砕いてゆく。
雷獣から解放された直斗が、猛然と悠花に斬りかかった。妖刀ノ楔。
その戦いを背景に、小百合は要救助者2人に語りかけた。
「もしそうなら貴女に、久様を愛する資格はありません。久様も。一生の愛を誓い合ったお相手に対し、どのように考えておられるのですか?」
彩吹が、続いて飛燕を繰り出す。
戦巫女之祝詞で強化された一撃が、悠花に叩き込まれた。
その間、澄香が『大樹の息吹』で前衛3名を包み込む。
小百合は思う。自分にはまだ、直斗や彩吹のように前線で戦う力はない。治療回復の術式も、澄香には遠く及ばない。
自分に出来る事は、ただ1つ。戦う力を持たない人々を、戦いの場から遠ざける。それだけだ。
「初恋もまだの小娘が、戯言を……そんなふうにお思いでしょうけど、私はハッピーエンドが大好き。ですから1人も死なせはしません。ついて来て下さい」
久も、不倫相手の女性も、俯いたまま小百合の言葉に従ってくれた。ワーズワースが、効いているようではある。
「……バケモノ相手に……何やれってのよォ……」
小百合の誘導に従ってホテル外へと向かいながら、女が呻く。
「バケモノが、久さんを奪っていく……あたしなんか……こうやって泣く以外ないじゃない……」
●
エネミースキャンの結果、ラーラは朗報を得た。
この高柳悠花という相手に対し、手加減の類は必要ない。
「悠花さん、貴女は強い……私たちの全力を、受け止めてくれる人」
開いた魔導書から、燃え盛る隕石のような火の玉が2つ出現し、飛翔する。
「とてつもなく危険な破綻者としての貴女を、今は撃ちます……良い子に甘い焼き菓子を、悪い子には石炭を! イオ・ブルチャーレ!」
錬覇法による強化を得た火焔連弾が、悠花を直撃していた。
荒れ狂う炎の中で、しかし悠花は凄惨な笑みを浮かべている。
「熱く燃え盛る石炭を、喰らわせてくれたわね……だけど!」
「悠花さん。あなたたち御夫婦が都合良く元に戻れるかどうか、私にはわかりません」
ラーラは言った。
「だけど久さんを死なせてしまったら、その儚い機会が永遠に失われてしまうんです。そんな結末を私は望みません。貴女の意思は関係ない、これは私個人の勝手な思いです」
「そう、それでいいのよ。誰かのために戦う、なんて思っちゃ駄目……」
毒香、炎、荊、それに妖刀の呪い。
それらによる束縛を引きちぎるように悠花は踏み込み、蹄を跳ね上げた。
蹴りによる『猛の一撃』が、彩吹を強襲する。
「私も……久くんのために、なんて思わなければ……!」
直撃。鮮血の飛沫が舞い、彩吹が吹っ飛び、そして悠花も吹っ飛んでいた。
「霞……舞……」
血を吐きながら、彩吹が呻く。
「綺麗なカウンター、というわけには……なかなか、いかないね……どうしても、痛々しい相打ちになってしまう……」
「ぐっ……こ、この程度……」
よろよろと立ち上がろうとする悠花を見据え、彩吹は言った。
「凄い蹴り、だったよ……天馬の蹄、なんだって? つまらない暴力で汚す、なんて……もったいない……」
立てぬ彩吹を背後に庇って、盾護が立つ。
守られながらも、彩吹は言葉を続けた。
「他人様の色恋沙汰に、私がアドバイスなんて出来ないけれど……誰かを思う気持ちって、綺麗なものだと思う……天馬の蹄は、綺麗なもののために……」
「綺麗なもの、なんて……ふふっ、あるのかしらねえ……!」
ゆらり、と攻撃の構えを取ろうとする悠花に向かって、盾護が念弾を発射する。
正直、彼の術式攻撃では……とラーラが思っている間に、悠花が片手を振るっていた。小さな念弾が、叩き落とされてしまう。
それは、しかし隙となった。
矢のような、小さく鋭利なエアブリットが、その隙をついて悠花に突き刺さっていた。
「私……わからなくなって、しまいました……」
要救助者2名の避難誘導に当たっていた小百合が、いつの間にか戻って来ていた。
彼女のエアブリットを受けた悠花が、ゆっくりと倒れる。
見つめながら、小百合は言った。
「あの女性も、久様の事を……純粋に愛しておられた、ように思えて……私が、どなたかに恋をしたら……あの方のようにも、悠花様のようにも、なってしまうのかも……」
●
小百合の悩みは、意外に短時間で解決してしまったようである。
「私、理解いたしました。恋愛に、ただひとつの正しい答えなど存在しないのですね」
「そうかも知れねえが小百合さん、もっともな事言いながら俺の耳と尻尾いじるの、やめてくんねえかなあ」
「あ……ご、ごめんなさい直斗様。私、けもの系の方を見るとその、どうしても」
「駄目だよ小百合、あんまり直斗に馴れ馴れしくしたら」
死にかけていた彩吹も、術式による治療を終え、今は軽口をたたいている。
「何しろ気になる子がいるんだもの。ね? 直斗」
「まあ、そうなのですか。応援いたします、直斗様」
「ななななな何言ってんのかわかんねえよ2人とも。そ、それより澄香さん」
「大丈夫。ラーラさんの言うとおり、頑丈な人ですよ」
倒れた悠花に『大樹の息吹』を施しながら、澄香は語りかけた。
「痛い思いをさせて、ごめんなさい悠花さん。久さんの事、本当に愛しているんですね……夫婦喧嘩は、心ゆくまでやればいいと思います。犬も食わない、とは言いますが」
高柳夫妻の、今後の事はわからない。ファイヴが関与すべき事でもない、とは言える。
「覚者としての能力を……使わないで喧嘩をする方法、覚えないとですね。悠花さん」
「……貴女、うざったいわね」
「よく言われます」
澄香は微笑んだ。
「久さんは結局、逃げてしまいましたか。平手打ちの一発くらいは、と思ったんですけど」
「あの手の男はな。一発二発ぶちのめしても、自分は正当な罰を受けたからもう大丈夫、くらいにしか思わねえさ」
直斗が言った。
「で、だな悠花さん。その、女性陣の前じゃ言いにくいんだがよ」
「……わかってるわ兎の坊や。私は私で……久くんのために、こんなに頑張っているのに……としか、思っていなかった」
「ま、どうにか2人とも生きてるんだ。話し合ったらいいと思うぜ」
「言うね直斗。恋愛というもの、思春期の少年なりに理解しようと努力して」
彩吹が1人うんうんと頷いている。
「お姉さん、とっても感心」
「お姉さんって、俺と大して年齢違わねえじゃんよ」
「……そう、か。私の年齢、直斗には教えてなかったっけ」
女子高生にしか見えない彩吹が、一瞬だけ躊躇をした。
「……私、23歳」
「えっ、もうそんな微妙な年……」
うっかり口走ってしまった直斗に、澄香は微笑みかけた。
「あのね直斗くん、私も23歳。微妙ですか?」
にこにこ、にこにこと笑いながら彩吹と澄香が、直斗に歩み迫る。
青ざめた直斗が、盾護の後ろに身を隠す。
「たっ助けてくれ、献身なる盾……」
「むむむ無理。盾護でも、これは防げない……」
怯える少年2人を、澄香と彩吹は容赦なく捕獲した。
「……今夜は飲みましょうか、彩吹さん」
「そうだね、おつまみもゲットした事だし」
「盾護、無関係……」
聞く耳持たず盾護を捕らえたまま、澄香は言った。
「悠花さんも御一緒に、どうですか?」
「駄目ですよ。破綻者だった人には、ファイヴで適切な治療を受けていただかないと」
ラーラが、肩を貸すように悠花に寄り添う。
「救護班が来てくれてるみたいです。私たちで悠花さんをお連れしますから……あとの事は、まあ適当に。さ、行きましょう小百合さん」
「私、澄香様たちのお話に興味が……」
「駄目。これは深入りしちゃいけないお話です」
少女2人に連れられながら、悠花は1度だけ振り向いた。
「気を付けなさいね……破綻者になるのって、意外と簡単よ」
■シナリオ結果■
成功
■詳細■
MVP
なし
軽傷
なし
重傷
なし
死亡
なし
称号付与
なし
特殊成果
なし
