【零の岬】存在の岐路
●
窪みの中で、古妖・渦潮が腹に妖の母を入れたまま丸く固まっていた。覚者たちが見守る中、半ば石化した渦潮の体にヒビが入る。懐中電燈の明かりに照らされて、薄くなった白い鱗の下で、赤い殻が動くのが見えた。
いままさに、白波の封印は解けかかっていた。
●
復活の鼓動を感じたか。白波の、妖たちの、気が大きくうねって波を荒くする。潮風が彼らの放つ殺気を崖の上に運んできた。夜の海の底で、それぞれが大切にするものを取り戻すチャンスをうかがっているのだろう。
「身動きの取れないいまのうちに、『海の妖母』――と私が勝手に命名したのですが、渦潮もろとも倒してしまうのがベストです。馬鹿なことは考えないほうがいい」
渦潮はかろうじて生きていた。いや、白波に封印されることによって死を先延ばしにされてきた。少しずつ衰弱しながら。
皮肉なことに、海の妖母は渦潮の腹の中で脱皮を繰り返し、いまでは飲み込んだ渦潮よりも強くなっている、とアイズオンリーはいう。
「私たちが介入しなくても、遠からず――海の妖母は地中で渦潮を喰らい、白波を殺して地上に這い出て来たでしょう。……助けられませんよ」
空飛ぶ絨毯の端に腰掛けて休んでいた噺家も、「無駄だよ」と主に加勢する。
「どうしても渦潮を助けるっていうなら、お前さんたちだけでなんとかしな。こっちは海の妖母さえ倒れてくれれば、あとはどうでもいいんだ」
白波は、と闇の中から問いかける声に、アイズオンリーは背を向けてから答えた。
「特に……こだわっていません。彼女は海に属するもの。はっきりと言えば、無理やり支配したところで使い勝手がわるい。自ら進んで仲間になってくれるのなら別ですが」
アイズオンリーは空飛ぶ絨毯に上がると、海咲の横に腰を下ろした。海咲はまだ魔眼の効果が解けおらず、大人しく座っている。
「さて、もう時間がありませんよ。貴方たちはどうしたいのですか?」
ちなみに、と付け加える。
「渦潮はただ単に『気に食わない』というだけのことで、海の妖母を飲み込んだそうです」
窪みの中で、古妖・渦潮が腹に妖の母を入れたまま丸く固まっていた。覚者たちが見守る中、半ば石化した渦潮の体にヒビが入る。懐中電燈の明かりに照らされて、薄くなった白い鱗の下で、赤い殻が動くのが見えた。
いままさに、白波の封印は解けかかっていた。
●
復活の鼓動を感じたか。白波の、妖たちの、気が大きくうねって波を荒くする。潮風が彼らの放つ殺気を崖の上に運んできた。夜の海の底で、それぞれが大切にするものを取り戻すチャンスをうかがっているのだろう。
「身動きの取れないいまのうちに、『海の妖母』――と私が勝手に命名したのですが、渦潮もろとも倒してしまうのがベストです。馬鹿なことは考えないほうがいい」
渦潮はかろうじて生きていた。いや、白波に封印されることによって死を先延ばしにされてきた。少しずつ衰弱しながら。
皮肉なことに、海の妖母は渦潮の腹の中で脱皮を繰り返し、いまでは飲み込んだ渦潮よりも強くなっている、とアイズオンリーはいう。
「私たちが介入しなくても、遠からず――海の妖母は地中で渦潮を喰らい、白波を殺して地上に這い出て来たでしょう。……助けられませんよ」
空飛ぶ絨毯の端に腰掛けて休んでいた噺家も、「無駄だよ」と主に加勢する。
「どうしても渦潮を助けるっていうなら、お前さんたちだけでなんとかしな。こっちは海の妖母さえ倒れてくれれば、あとはどうでもいいんだ」
白波は、と闇の中から問いかける声に、アイズオンリーは背を向けてから答えた。
「特に……こだわっていません。彼女は海に属するもの。はっきりと言えば、無理やり支配したところで使い勝手がわるい。自ら進んで仲間になってくれるのなら別ですが」
アイズオンリーは空飛ぶ絨毯に上がると、海咲の横に腰を下ろした。海咲はまだ魔眼の効果が解けおらず、大人しく座っている。
「さて、もう時間がありませんよ。貴方たちはどうしたいのですか?」
ちなみに、と付け加える。
「渦潮はただ単に『気に食わない』というだけのことで、海の妖母を飲み込んだそうです」

■シナリオ詳細
■成功条件
1.海の妖母の撃破
2.妖6体の殲滅
3.遠山 海咲の保護
2.妖6体の殲滅
3.遠山 海咲の保護
とある海に突き出た岬。
夜。
星と月の明かり以外、人工的な光は一切ありません。
●状況
古妖・白波が居座っていた下から、球状に固まった巨大な海蛇が見つかりました。
現在、海蛇――渦潮という古妖は石化が解けかかっています。
※リプレイ開始から2ターン後に封印が完全に溶けます。
封印されている状態であれば、渦潮もその体内にいる海の妖母も、全員で一斉攻撃すれば反撃されることなく簡単に倒せます。
ですが、直後、白波と妖たちが一斉に襲い掛かってきます。
完全に封印が解けると、しばらくして腹の中にいる海の妖母が渦潮の体を突き破って出てきます。
その他、岬の回りには古妖・白波のほかに、ランク1の妖が数体潜んでおり、覚者たちを攻撃するチャンスを待っています。
【初期配置】
林林林│ │林林林
林林林│ │林林林
敵1と敵2
覚者
その他1 ※『渦潮を助ける選択をした場合のみ』
海海海海海海海海海海
●敵1……海の妖母/ランク3
古妖・渦潮の体内に潜んでいます。
【巨大鋏】……物・近単(二連)/出血
※封印が解けた1ターン後に鋏が1つ、2ターン後に残りの鋏が渦潮の体を突き破って覚者たちを攻撃してきます。
【触覚】………物・近単・貫2/麻痺
【尾扇】………物・近列
【赤殻】………P・物理ダメージ無効/渦潮の外に出て外気に触れたのち発揮
●敵2……古妖・渦潮
白い海蛇です。白波の夫。
死にかかっています。
腹を内側から海の妖母に食い荒されており、封印が解けると同時に暴れまわります。
何もしなければ5ターン後に確実に死亡。海の妖母が出てきます。
【暴れ蛇】……物・近列
【毒牙】………物・近単/毒、麻痺
【渦潮】………特・遠全/自身を中心に巨大な波を起こして攻撃。ノックB
※渦潮を助けるには、まず、腹の中にいる海の妖母を外に出さなくてはなりません。
●敵3……妖、約6体(ランク1のみ)
海の妖母の消滅、または復活(渦潮の外に出る)と同時に襲ってきます。
海側3方向からランダムに襲ってきます。
敵1の攻撃方法は【噛みつき】【切り裂き】【突き】などの物・近単攻撃のみです。
●敵4……古妖・白波
白い海蛇です。
渦潮が生存している限り、岬の近くで様子見しています。
【暴れ蛇】……物・近列
【毒牙】………物・近単/毒、麻痺
【白波】………特・遠全/自身を中心に巨大な波を起こして攻撃。ノックB
●その他1……古妖・噺家とアイズオンリー
こちらから攻撃しない限り、襲ってきません。
覚者たちが「封印状態の渦潮」を攻撃することを選択した場合、共闘して白波と妖たちを倒してくれます。
覚者たちが「渦潮を助けようとした場合」、空飛ぶ絨毯に乗って上空に避難します。覚者たちの味方は一切、してくれません。
●その他2……派手な一反木綿、もとい空飛ぶ絨毯。
古妖です。今回も乗り物として登場するのみ。
●NPC……一般人
遠山 海咲(とおやま みさき)、女性、16歳。
空飛ぶ絨毯に乗せられています。
戦闘中は空の上にいることになるので、今回彼女は安全(?)です。
●STコメント
後半戦。ちょっと特殊です。
まず、代表1名のプレイング冒頭で「渦潮を助ける」か「渦潮助けない」のどちらかを宣言してください。
「渦潮を助ける」を選択した場合、アイズオンリーたちは高みの見物を決め込んで一切助けてくれません。
状態
完了
完了
報酬モルコイン
金:1枚 銀:0枚 銅:0枚
金:1枚 銀:0枚 銅:0枚
相談日数
6日
6日
参加費
100LP[+予約50LP]
100LP[+予約50LP]
参加人数
8/8
8/8
公開日
2017年06月19日
2017年06月19日
■メイン参加者 8人■

●
「白波さんが守っていたのはこの方だったんですか……」
とぐろを巻く巨大な塊を足元に見て、『赤き炎のラガッツァ』ラーラ・ビスコッティ(CL2001080) がささやく。表情は魔帽子のひさしが作る影に隠れており、見えない。
「ことと次第によっては守りを引き継ぐ……そういった言葉に偽りはありません。私も叶うことなら渦潮さんを助けたいです」
「……そうかね、助けるのか」
『冷徹の論理』緒形 逝(CL2000156)は首を回した。首の骨が小さくなる。
「ああ、助ける。渦潮が『単に気に食わないたら食った』ってだけじゃ、助けない理由にならないぜ。結果的に人に害を与える妖を排除したのかもだろ?」
『五麟マラソン優勝者』奥州 一悟(CL2000076) は反論を拒むかのように、胸の前で腕を組んだ。
「みんな、それでいいよな?」
怒っているような一悟の問いかけに『天使の卵』栗落花 渚(CL2001360) が返す。
「全部事情が飲みこめているわけじゃないんだけど、私も渦潮さんは助けたいな」
うん、と隣で桂木・日那乃(CL2000941)もうなずいた。
「エングホルムさん、から、聞いた。古妖が、妖、飲み込んで。死にそう。手伝い、いる……助けに、行ってって」
「うん、妖に体内から……痛いよね」
渚はしゃがみこむと手を伸ばして固い渦潮の体に触れた。
「ちょっと待ってて。きっと助けるからね。少しでも楽になるように頑張るから」
指を引っ込めて、まだ冷たいね、と零す。
日那乃もしゃがんで渦潮に触れた。
「まだ……白波さんの封印、解けてない、から?」
「そうだろうさ。みずたま。悪食は仕舞って代わりに黒沙纒刃をお出し」
逝は手にしていた妖刀、もとい直刀の柄を守護使役のみずたまへ差し出した。
夢見の要請を受けて応援にやって来た日那乃と渚の二人から、海の妖母のやっかいな能力は聞かされている。物理的ダメージが一切通らないのであれば、悪食よりも黒沙纒刃のほうが適任だろう。
「では噺家ちゃん達は上空に避難しておくれ。白波と渦潮を生きたまま逃がすには、ちと手間と時間が掛かるさね」
ここから先は自分たちだけでやり遂げなくてはならない。
それまで黙って話し合いを見守っていた噺家が口を開いた。袂から腕を抜いて膝の上に手を揃えて置き、溜息を一つ吐く。
「……そうかい。それじゃあ、せいぜい頑張りな」
腰をあげると空飛ぶ絨毯の上にあがった。
正座した噺家の肩の後で、アイズオンリーがうなだれたまま首をゆるりと振る。その隣に座る海咲はまだ虚ろな目をしていた。あの分では、いまから何が起こるのか、いや、さっきまでここで何があったのか、それすら解ってはいないだろう。
「噺家さん、海咲お姉さんのことをよろしくなのよ」
『ゆるゆるふああ』鼎 飛鳥(CL2000093)は空飛ぶ絨毯に駆け寄ると、乗り込まんばかりの勢いで噺家の膝に両手をついた。顔をしかめる噺家の手を取って小指を立たせ、自分の小指を絡ませる。
「約束なのよ」
ついで、とそのまま噺家の膝の上にあがって膝立ちになると、後ろに座る海咲に魔眼で暗示をかけなおした。
飛鳥に好き勝手された噺家は、渋い顔のまま体を強張らせている。
「……あのな、ちっとは立場ってもんをわきまえねえか。私たちは敵同士だぞ」
「むほほほ。よいではないか、そちとあすかの仲じゃ。堅苦しいことは言いっこなしでござるのよ」
もういいか、と噺家はあきれ調子でいって、飛鳥を膝の上から無理やり降ろした。絨毯を手のひらでたたいて、上がってくれと指示をだす。
「やれやれ。大変な状況になってしまいましたね」
ぐんぐんと高度を上げていく絨毯を見上げながら、勒・一二三(CL2001559)がつぶやいた。
「噺家さんとアイズオンリーさんの協力か得られないのは痛いですが、白波さんのため、渦潮さんを助けるためには自分たちだけで頑張るしかありません。やれるだけのことをやりましょう」
そうやね、と『マジシャンガール』茨田・凜(CL2000438)が引き継ぐ。
「人間じゃないけど、渦潮さんと白波さんが夫婦って知ってしまったから、何とかして幸せに暮らしてもらいたいんよ」
自身が白波から受けた傷の痛みを忘れ、凛は本気で願った。
強い風に背を押されてふらついた。一二三が肘を取ってくれたからなんとか倒れずに済んだものの、結局、貧血から来る眩暈を感じてゆっくりとしゃがみ込む。
「大丈夫ですか?」
「う、うん。ちょっと。さっきの戦いのダメージが残っていたみたい。もう大丈夫なんよ」
なんとか顔を強張らせずに微笑むことができた。立ちあがる。
「行こう。凛たちも話を聞かないと……」
妖を体内に飲み込んだまま石化している渦潮の前で、渦潮を助けるための話し合いが行われていた。間に入って耳を傾ける。
(「あれ……海の妖母が出てくるまで待つんやなかった? 奥州さんが押し出す? 何を……」)
声が頭の中を通り過ぎてゆき、言葉として捕まえることができない。作戦の内容が理解できない。凛は内心パニックになりながらも、懸命に耳をそばだてることで飛鳥の指示をかろうじて拾った。
(「凛は中衛……ね。頑張るんよ」)
ほっとして息を継ぐ。ポジションさえ決まれば、やるべきことは自ずと決まってくる。
顔を上げると対面にいたラーラと目があった。
口を開いて何かを言いかけたラーラを、ぴしぴしと石が割れるような音が止める。
「作戦開始よ。さあ、配置について。一切の責任はおっさんが取るさね」
●
逝は岩の鎧を身にまとった。隣で一悟も土鎧で身を固める。ほかの仲間たちも苦戦が予想される戦いに備えて精神集中したり、自然治癒力を高めたりしていた。
渚が放った青い鳥が仲間たちの間を飛びぬける。
(「さて、渦潮ちゃんのご機嫌を伺うとするかね」)
月光に溶け込んで消えた青い鳥に幸運を願い――逝は感情の手を渦潮の中へ滑り込ませた。とたん、うなじの毛が逆立つような、いやな感じのものが逆に押し込まれてきた。長きにわたる恨み辛み、死への恐怖よりも強い憎悪が、沼男の感情をより黒く塗りつぶしていく。
(「あ、いかん」)
感情探査を切るよりもはやく、逝の魂と半ば同化している悪食の舌が逝の精神に割り込んできた。渦潮が押し込んできた負の感情を総なめにし、あっというまに食らい尽くす。
(「――Cпасибо」)
足を後ろに引いて、ぐらついた体を立て直した。
「緒形さん、大丈夫?」
ともに前に出て盾役を買って出ていた渚が、精神集中に余念がない一悟の向こうから声をかけてきた。妖器・インブレスを胸に抱え、不安そうに目を見開いている。
「……渦潮ちゃんには気を許さないように」
「え? それって、どういうこと」
甲高い音をたてながら硬化した薄く透明な膜が草や砂利と一緒に飛び散った。
ラーラは両腕を上げて顔を庇った。わずかに開いた腕の間から油断なく目を光らせて封印が解かれた渦潮の動きと生命徴候を読み取る。
「先に回復を。危険なほど弱っています」
「左! 百メートル先から白波さんが近づいてきます!」
ラーラの指示にかぶせるように一二三が叫んだ。
「いまは渦潮さんの回復が先なのよ!」
「お腹、いたいの……もう少し、我慢、して」
鎌首をもたげた渦潮の頭上から、飛鳥と日那乃が同時に癒しの滴を滴らせる。
月の光を含んだ滴を顎の下へながしながら、渦潮は巨大な体を伸ばした。いびつな形に突き出た腹にうっすらと赤黒い影が見えている。
「消化不良なんてもんじゃねえ。そのままじゃねえかよ。ま、分りやすくていいけどな」
一悟は逝へ目を向けてから、渦潮に向かって駆けだした。
渦潮の腹がぼこぼこと内側から突かれだすと同時に、巨体が大きく波打ちながら覚者たちに向かって崩れ出した。
「おらっ!」
うごめく赤黒い影の下から渦潮の頭に向かって掌底を撃ち込む。
渦潮が胃液をごぶり、と吐きだした。
腹の黒い影はまだ渦潮の体内に留まってはいるものの、かなり口に近いところへ移動していた。
「よし。奥州ちゃん、もう一発同じやつを頼むさね。あ、その前に回復!」
「凛がやる。渦潮さん、頑張るんよ!」
凜は激痛にのうち回る海蛇の背に癒しの露を滴らせた。
すかさず一二三が眠りを誘う舞を演じて渦潮のダメージ軽減を図るが、痛みが勝るのか海蛇は依然として体をくねらし続けた。体内にいるの妖も動きを止めない。
(「やはり……そう易々と眠ってはくれませんか」)
力不足、と口に出せるはずもなく。うねる巨体を前にして、一二三は下腹に力をいれて舞う。
攻撃直後の無防な一悟に迫る暴れ蛇の体を、逝と渚が二人がかりでブロックした。吹き飛ばされはしなかったが、逝も渚も全身を強く打たれ、たまらずに膝を折る。
直後。
おそらくは渦潮の食道のあたりから臓器と皮膚を切り裂いて、巨大な鋏が突き出てきた。血まみれの鋏は薄い鱗を割り弾きながら下へ振り下ろされ、一悟の頭をかすめて赤髪の先を切り飛ばす。
「奥州さん、さがってください!」
ラーラは集中を打ち切って、煌炎の書の封印を解いた。
殻の内から身を焼かれた海の妖母が、鋏を渦潮の体外に出したまま激しく暴れ狂う。
渚は暴れ回る渦潮のブロックを一悟と逝に任せて、妖器・インブレスの針菅を渦潮の尾に突き立てた。砕けた岩鎧の破片を片頬に受けながらも、押子を押して神秘の気を渦潮の体内に注入する。
突然、月光が遮られて周りが真っ暗になった。
頭を後ろへ倒し、天を仰いだ。
月を隠したものの正体を理解と己の運命を理解するにつれ、顔が強張っていく。
「白波さん、ダメ!」
慈愛の雨雲を海の彼方より呼び寄せながら、日那乃が悲鳴を上げる。
飛鳥も慈愛の雨雲を木々の向こうから呼び寄せた。
二つの雨雲は渦巻きながら絡み合い、海に突き出た岬の上に煌めく銀の糸雨を垂らす。
「白波さん、これは、渦潮さんの体内から妖を吐き出させられないかやってるの。もし効果がなければやめさせるし、受けたダメージはこうやって回復させるから、もう少しだけ――!!」
最後まで言い終わらぬうちに、渚は横から突き飛ばされて渦潮の体にぶつかった。はずみでインブレスを手放してしまい、渦潮の体から抜け落ちて土の上に転がった。
守護使役のきららが慌てて回収に向かう。
「茨田さん!」
渚の身代りに凛が毒牙にかかっていた。
一二三は素早く演舞を舞音に切り替えた。
「白波さん、僕たちを信じてください!」
舞いながら凛を咥えた白波に近づいていく。
「白波さんが灯台に化けていたのは、船が岬付近を航行して妖に襲われないようにするためではありませんでしたか? 貴女も渦潮さんも人間が好きなのだと僕は思いました。もう少しの間だけ、僕たち人間を信じて時間を下さい。お願いします」
青年僧に懇願され、白波の顎が緩む。
落ちて来た凛の体を渚とラーラが抱きとめた。
再び降りて来た白波の頭を押し上げるかのように、日那乃が腕を空へ伸ばす。
「渦潮、助ける、から。邪魔、しない、で。……吐き出させる、から」
出ていた妖の鋏が渦潮の体内に引っ込んだ。
「奥州ちゃん!」
おう、と気合を入れて逝に応えると、一悟は横たわった渦潮の腹に横殴りの圧撃を打ち込んだ。
赤黒い塊が横へ滑り、鋏が切り開いた渦潮の傷から大量の体液が迸る。
渦潮の口から、海の妖母が吐きだされた――かのように見えた。
●
逝が走る。
「渦潮、食い意地を張るのはおよし! 死にたいのかね」
海の妖母は尾をくわえ込まれたまま半身を起こすと、渦潮の目に鋏を叩きつけた。粘膜が圧し潰された音がして、体液が吹きあがる。
一拍遅れで、海の妖母の尾と体の境目に黒沙纒刃が振り下された。切り離すことはできなかったが、振動で渦潮の顎が開く。
海の妖母が牙から放たれて、生き残っていた妖母の子たちが三方から崖を這い上がってきた。
逝と一悟がのたうち回る渦潮の下敷きになり、白波が震源の巨大津波が覚者たちに向かって押し寄せてくる。
「ありがとう、きらら」
渚は守護使役から妖器を受け取ると、腕章をした腕をびしっとあげた。全身から生命賛歌のオーラが放つ。
「命よ輝け! 目覚めよ、本能!」
活力を活性されて息を吹き返した逝と一悟が、渦潮の下から這い出て来た。直後、津波が覚者のみならず渦潮に群がりつつあった妖たちも押し流す。
「くっ……みなさん、集まって! このままでは全滅してしまいます。隊列を整えないと!」
ここに至って一二三は睡眠させる対象を白波に切り替えた。傷だらけになった手足の運びが鬼気を帯びる。
「お眠りなさい!」
白波はびくりと体を震わせると、ゆっくりと頭を地に降ろしていった。
(「渦潮さんは先ほどの妖の一撃で……」)
ラーラは津波に押し流されつつも、渦潮にエナミースキャンをかけていた。渦潮は虫の息だ。だが、いますぐ回復を集中ささせれば助かるかもしれない。
海の妖母を視界に入れながら、ラーラは煌炎の書のページを繰った。
(「触覚が届かないところまで下がらないと――!!」)
「うええ?!」
飛鳥は突然下がり始めたラーラを避けきれず、押し倒されてしまった。
とっさに飛鳥の手をとった日那乃も巻き込まれて倒れる。
転倒のショックで飛鳥は詠唱を止めた。頭上に集まっていた雨雲が、潤しの雨を一滴もふらせることなく四散する。
海の妖母が動いた。
列と列の間、遮る者が誰もいない空間に割りこんだ海の妖母が触覚を鋭く伸ばす。
凛が倒れ、ラーラが後方へ下がったことにより、実質二列になっていたのだ。
「が、は……っ」
妖の触覚はガードに入った一悟の腹を易々と貫通し、一二三の喉に突き刺さった。
もげて左へ傾く頭。首の皮一枚で体と繋がってはいるが、血が驚くべき高さで吹き上がっている。
「ろ、勒さん! 凛がもっとしっかりしていれば……死なせはしないんよ!」
瀕死の重傷を負って地面に横たわっていた凛の体から、真昼の太陽すら霞ませる光が放たれた。それは凛の魂――命の爆発。おびただしい生命エネルギーが一二三の体を包み込み、白い繭に変化した。
白い繭に四体の妖が群がる。
突如として火炎の獅子が現れた。炎のたてがみを振り乱して辺り一面に火の粉をまき散らしながら、容赦なく妖たちの体に灼熱の牙を突きたてていく。
「熱き情熱にその身を焼かれて果て、逝きなさい!!」
煌炎の書から炎のごときオーラが吹き上がっていた。それはラーラの怒りが具象化したものであり、火炎の獅子の活力でもある。火炎の獅子は最後に海の妖母に飛びかかり、赤い甲殻に火を噴く爪を立てた。
術を再発動させる飛鳥のすぐ後ろに、海牛の妖が迫っていた。
「させ……ない! 翼よ風を起こせ、漆黒の刃を飛ばせ!」
日那乃がエアブリットを飛ばして海牛を真っ二つにする。
「凛お姉さん、一二三お兄さん……一悟! 間に合ってくださいなのよ!」
雨が地上を潤すがごとく、飛鳥は愛で傷を負った仲間たちの体を癒す。
白い繭が縦に裂けて、中から一二三が倒れ出て来た。
麻痺が残る一悟は呼吸困難になっていた。体が痙攣するたびに傷が開き、腹から血が流れ出す。
「責任は取ると言った。その言葉に偽りはないさね! 誰一人、逝かせないぞ」
逝は己を奮い立たせると、体内をめぐる僅かな瘴気と生気をより集めた。手のひらを一悟の背に宛てて、練りあがった荒々しい気を流し透す。
一悟の目がゆっくりと開き、その向こうで海の妖母が尾を回す。
「しつこいのよ!」
「消え、て」
飛鳥と日那乃は手を握り合わせると、双頭の水龍を召喚した。
双頭の水龍は二人の背の後ろから天まで一気に駆け上がり、月を覆うような巨大な水球に変じると、尾を振る海の妖母の真上に墜ちた。
殻が砕けて飛び散る。
赤殻の破片を飲み込んだ貝の妖が一体、海へ逃げて行った。
●
「しっかり!!」
ラーラが渦潮の回復を試みる。
目覚めた白波が悲鳴を上げながら体を延ばす。
覚者たちを死の影が覆った。
「助けてあげられなくてごめんなさい。ほんとうにほんとうに……ごめんなさいなのよ」
泣きながら見上げる飛鳥と、唇を噛んでうつむく日那乃。
ふたりを庇うかのように、噺家が白波の前に立つ。
「あれが死ぬのはこの子たちのせいではなかろう。それも判らず怨むというのであれば――」
気圧され、白波が身を引く。
が、また牙をむき――。
「待って! 渦潮さんは生きてるよ」
渚の声を聞いて、飛鳥と日那乃は渦潮の元に走った。力を振り絞って恵みの露を白面に滴らせる。
渦潮が微かに身じろいだ。
どうやら一命は取りとめられたようだ。
「……よかった」
涙ぐむラーラ。その横で、逝は肩を下げる。
白波は渦潮の首をくわえると、巨体を海へ落とし、そのまま波の下に消えた。
「国枝さま、勝手して申し訳ございません」
噺家は、腕いっぱいに砕けた赤殻を抱えるアイズオンリーに頭を下げた。
「まったく。私には再三に渡って、やれ立つな、座りなさいなど言っておきながら……。赤殻は回収しました。一部を除いて、ですが。戻りましょう」
絨毯から降ろされた海咲に、青い顔の一二三がつき添う。
一悟はアイズオンリーたちの前に立ちはだかった。
「待っ……た。国枝さん、それを、持って帰って……どうする」
息は途絶えがちだが、問いかける目は鋭い。が、虚勢は続かず。腰から地面に落ちる。
「……鞘の修復に。もともと、そのために来たのですから」
覚者たちに古妖たちを止める気力はもう残っておらず。
空飛ぶ絨毯を見送った。
「白波さんが守っていたのはこの方だったんですか……」
とぐろを巻く巨大な塊を足元に見て、『赤き炎のラガッツァ』ラーラ・ビスコッティ(CL2001080) がささやく。表情は魔帽子のひさしが作る影に隠れており、見えない。
「ことと次第によっては守りを引き継ぐ……そういった言葉に偽りはありません。私も叶うことなら渦潮さんを助けたいです」
「……そうかね、助けるのか」
『冷徹の論理』緒形 逝(CL2000156)は首を回した。首の骨が小さくなる。
「ああ、助ける。渦潮が『単に気に食わないたら食った』ってだけじゃ、助けない理由にならないぜ。結果的に人に害を与える妖を排除したのかもだろ?」
『五麟マラソン優勝者』奥州 一悟(CL2000076) は反論を拒むかのように、胸の前で腕を組んだ。
「みんな、それでいいよな?」
怒っているような一悟の問いかけに『天使の卵』栗落花 渚(CL2001360) が返す。
「全部事情が飲みこめているわけじゃないんだけど、私も渦潮さんは助けたいな」
うん、と隣で桂木・日那乃(CL2000941)もうなずいた。
「エングホルムさん、から、聞いた。古妖が、妖、飲み込んで。死にそう。手伝い、いる……助けに、行ってって」
「うん、妖に体内から……痛いよね」
渚はしゃがみこむと手を伸ばして固い渦潮の体に触れた。
「ちょっと待ってて。きっと助けるからね。少しでも楽になるように頑張るから」
指を引っ込めて、まだ冷たいね、と零す。
日那乃もしゃがんで渦潮に触れた。
「まだ……白波さんの封印、解けてない、から?」
「そうだろうさ。みずたま。悪食は仕舞って代わりに黒沙纒刃をお出し」
逝は手にしていた妖刀、もとい直刀の柄を守護使役のみずたまへ差し出した。
夢見の要請を受けて応援にやって来た日那乃と渚の二人から、海の妖母のやっかいな能力は聞かされている。物理的ダメージが一切通らないのであれば、悪食よりも黒沙纒刃のほうが適任だろう。
「では噺家ちゃん達は上空に避難しておくれ。白波と渦潮を生きたまま逃がすには、ちと手間と時間が掛かるさね」
ここから先は自分たちだけでやり遂げなくてはならない。
それまで黙って話し合いを見守っていた噺家が口を開いた。袂から腕を抜いて膝の上に手を揃えて置き、溜息を一つ吐く。
「……そうかい。それじゃあ、せいぜい頑張りな」
腰をあげると空飛ぶ絨毯の上にあがった。
正座した噺家の肩の後で、アイズオンリーがうなだれたまま首をゆるりと振る。その隣に座る海咲はまだ虚ろな目をしていた。あの分では、いまから何が起こるのか、いや、さっきまでここで何があったのか、それすら解ってはいないだろう。
「噺家さん、海咲お姉さんのことをよろしくなのよ」
『ゆるゆるふああ』鼎 飛鳥(CL2000093)は空飛ぶ絨毯に駆け寄ると、乗り込まんばかりの勢いで噺家の膝に両手をついた。顔をしかめる噺家の手を取って小指を立たせ、自分の小指を絡ませる。
「約束なのよ」
ついで、とそのまま噺家の膝の上にあがって膝立ちになると、後ろに座る海咲に魔眼で暗示をかけなおした。
飛鳥に好き勝手された噺家は、渋い顔のまま体を強張らせている。
「……あのな、ちっとは立場ってもんをわきまえねえか。私たちは敵同士だぞ」
「むほほほ。よいではないか、そちとあすかの仲じゃ。堅苦しいことは言いっこなしでござるのよ」
もういいか、と噺家はあきれ調子でいって、飛鳥を膝の上から無理やり降ろした。絨毯を手のひらでたたいて、上がってくれと指示をだす。
「やれやれ。大変な状況になってしまいましたね」
ぐんぐんと高度を上げていく絨毯を見上げながら、勒・一二三(CL2001559)がつぶやいた。
「噺家さんとアイズオンリーさんの協力か得られないのは痛いですが、白波さんのため、渦潮さんを助けるためには自分たちだけで頑張るしかありません。やれるだけのことをやりましょう」
そうやね、と『マジシャンガール』茨田・凜(CL2000438)が引き継ぐ。
「人間じゃないけど、渦潮さんと白波さんが夫婦って知ってしまったから、何とかして幸せに暮らしてもらいたいんよ」
自身が白波から受けた傷の痛みを忘れ、凛は本気で願った。
強い風に背を押されてふらついた。一二三が肘を取ってくれたからなんとか倒れずに済んだものの、結局、貧血から来る眩暈を感じてゆっくりとしゃがみ込む。
「大丈夫ですか?」
「う、うん。ちょっと。さっきの戦いのダメージが残っていたみたい。もう大丈夫なんよ」
なんとか顔を強張らせずに微笑むことができた。立ちあがる。
「行こう。凛たちも話を聞かないと……」
妖を体内に飲み込んだまま石化している渦潮の前で、渦潮を助けるための話し合いが行われていた。間に入って耳を傾ける。
(「あれ……海の妖母が出てくるまで待つんやなかった? 奥州さんが押し出す? 何を……」)
声が頭の中を通り過ぎてゆき、言葉として捕まえることができない。作戦の内容が理解できない。凛は内心パニックになりながらも、懸命に耳をそばだてることで飛鳥の指示をかろうじて拾った。
(「凛は中衛……ね。頑張るんよ」)
ほっとして息を継ぐ。ポジションさえ決まれば、やるべきことは自ずと決まってくる。
顔を上げると対面にいたラーラと目があった。
口を開いて何かを言いかけたラーラを、ぴしぴしと石が割れるような音が止める。
「作戦開始よ。さあ、配置について。一切の責任はおっさんが取るさね」
●
逝は岩の鎧を身にまとった。隣で一悟も土鎧で身を固める。ほかの仲間たちも苦戦が予想される戦いに備えて精神集中したり、自然治癒力を高めたりしていた。
渚が放った青い鳥が仲間たちの間を飛びぬける。
(「さて、渦潮ちゃんのご機嫌を伺うとするかね」)
月光に溶け込んで消えた青い鳥に幸運を願い――逝は感情の手を渦潮の中へ滑り込ませた。とたん、うなじの毛が逆立つような、いやな感じのものが逆に押し込まれてきた。長きにわたる恨み辛み、死への恐怖よりも強い憎悪が、沼男の感情をより黒く塗りつぶしていく。
(「あ、いかん」)
感情探査を切るよりもはやく、逝の魂と半ば同化している悪食の舌が逝の精神に割り込んできた。渦潮が押し込んできた負の感情を総なめにし、あっというまに食らい尽くす。
(「――Cпасибо」)
足を後ろに引いて、ぐらついた体を立て直した。
「緒形さん、大丈夫?」
ともに前に出て盾役を買って出ていた渚が、精神集中に余念がない一悟の向こうから声をかけてきた。妖器・インブレスを胸に抱え、不安そうに目を見開いている。
「……渦潮ちゃんには気を許さないように」
「え? それって、どういうこと」
甲高い音をたてながら硬化した薄く透明な膜が草や砂利と一緒に飛び散った。
ラーラは両腕を上げて顔を庇った。わずかに開いた腕の間から油断なく目を光らせて封印が解かれた渦潮の動きと生命徴候を読み取る。
「先に回復を。危険なほど弱っています」
「左! 百メートル先から白波さんが近づいてきます!」
ラーラの指示にかぶせるように一二三が叫んだ。
「いまは渦潮さんの回復が先なのよ!」
「お腹、いたいの……もう少し、我慢、して」
鎌首をもたげた渦潮の頭上から、飛鳥と日那乃が同時に癒しの滴を滴らせる。
月の光を含んだ滴を顎の下へながしながら、渦潮は巨大な体を伸ばした。いびつな形に突き出た腹にうっすらと赤黒い影が見えている。
「消化不良なんてもんじゃねえ。そのままじゃねえかよ。ま、分りやすくていいけどな」
一悟は逝へ目を向けてから、渦潮に向かって駆けだした。
渦潮の腹がぼこぼこと内側から突かれだすと同時に、巨体が大きく波打ちながら覚者たちに向かって崩れ出した。
「おらっ!」
うごめく赤黒い影の下から渦潮の頭に向かって掌底を撃ち込む。
渦潮が胃液をごぶり、と吐きだした。
腹の黒い影はまだ渦潮の体内に留まってはいるものの、かなり口に近いところへ移動していた。
「よし。奥州ちゃん、もう一発同じやつを頼むさね。あ、その前に回復!」
「凛がやる。渦潮さん、頑張るんよ!」
凜は激痛にのうち回る海蛇の背に癒しの露を滴らせた。
すかさず一二三が眠りを誘う舞を演じて渦潮のダメージ軽減を図るが、痛みが勝るのか海蛇は依然として体をくねらし続けた。体内にいるの妖も動きを止めない。
(「やはり……そう易々と眠ってはくれませんか」)
力不足、と口に出せるはずもなく。うねる巨体を前にして、一二三は下腹に力をいれて舞う。
攻撃直後の無防な一悟に迫る暴れ蛇の体を、逝と渚が二人がかりでブロックした。吹き飛ばされはしなかったが、逝も渚も全身を強く打たれ、たまらずに膝を折る。
直後。
おそらくは渦潮の食道のあたりから臓器と皮膚を切り裂いて、巨大な鋏が突き出てきた。血まみれの鋏は薄い鱗を割り弾きながら下へ振り下ろされ、一悟の頭をかすめて赤髪の先を切り飛ばす。
「奥州さん、さがってください!」
ラーラは集中を打ち切って、煌炎の書の封印を解いた。
殻の内から身を焼かれた海の妖母が、鋏を渦潮の体外に出したまま激しく暴れ狂う。
渚は暴れ回る渦潮のブロックを一悟と逝に任せて、妖器・インブレスの針菅を渦潮の尾に突き立てた。砕けた岩鎧の破片を片頬に受けながらも、押子を押して神秘の気を渦潮の体内に注入する。
突然、月光が遮られて周りが真っ暗になった。
頭を後ろへ倒し、天を仰いだ。
月を隠したものの正体を理解と己の運命を理解するにつれ、顔が強張っていく。
「白波さん、ダメ!」
慈愛の雨雲を海の彼方より呼び寄せながら、日那乃が悲鳴を上げる。
飛鳥も慈愛の雨雲を木々の向こうから呼び寄せた。
二つの雨雲は渦巻きながら絡み合い、海に突き出た岬の上に煌めく銀の糸雨を垂らす。
「白波さん、これは、渦潮さんの体内から妖を吐き出させられないかやってるの。もし効果がなければやめさせるし、受けたダメージはこうやって回復させるから、もう少しだけ――!!」
最後まで言い終わらぬうちに、渚は横から突き飛ばされて渦潮の体にぶつかった。はずみでインブレスを手放してしまい、渦潮の体から抜け落ちて土の上に転がった。
守護使役のきららが慌てて回収に向かう。
「茨田さん!」
渚の身代りに凛が毒牙にかかっていた。
一二三は素早く演舞を舞音に切り替えた。
「白波さん、僕たちを信じてください!」
舞いながら凛を咥えた白波に近づいていく。
「白波さんが灯台に化けていたのは、船が岬付近を航行して妖に襲われないようにするためではありませんでしたか? 貴女も渦潮さんも人間が好きなのだと僕は思いました。もう少しの間だけ、僕たち人間を信じて時間を下さい。お願いします」
青年僧に懇願され、白波の顎が緩む。
落ちて来た凛の体を渚とラーラが抱きとめた。
再び降りて来た白波の頭を押し上げるかのように、日那乃が腕を空へ伸ばす。
「渦潮、助ける、から。邪魔、しない、で。……吐き出させる、から」
出ていた妖の鋏が渦潮の体内に引っ込んだ。
「奥州ちゃん!」
おう、と気合を入れて逝に応えると、一悟は横たわった渦潮の腹に横殴りの圧撃を打ち込んだ。
赤黒い塊が横へ滑り、鋏が切り開いた渦潮の傷から大量の体液が迸る。
渦潮の口から、海の妖母が吐きだされた――かのように見えた。
●
逝が走る。
「渦潮、食い意地を張るのはおよし! 死にたいのかね」
海の妖母は尾をくわえ込まれたまま半身を起こすと、渦潮の目に鋏を叩きつけた。粘膜が圧し潰された音がして、体液が吹きあがる。
一拍遅れで、海の妖母の尾と体の境目に黒沙纒刃が振り下された。切り離すことはできなかったが、振動で渦潮の顎が開く。
海の妖母が牙から放たれて、生き残っていた妖母の子たちが三方から崖を這い上がってきた。
逝と一悟がのたうち回る渦潮の下敷きになり、白波が震源の巨大津波が覚者たちに向かって押し寄せてくる。
「ありがとう、きらら」
渚は守護使役から妖器を受け取ると、腕章をした腕をびしっとあげた。全身から生命賛歌のオーラが放つ。
「命よ輝け! 目覚めよ、本能!」
活力を活性されて息を吹き返した逝と一悟が、渦潮の下から這い出て来た。直後、津波が覚者のみならず渦潮に群がりつつあった妖たちも押し流す。
「くっ……みなさん、集まって! このままでは全滅してしまいます。隊列を整えないと!」
ここに至って一二三は睡眠させる対象を白波に切り替えた。傷だらけになった手足の運びが鬼気を帯びる。
「お眠りなさい!」
白波はびくりと体を震わせると、ゆっくりと頭を地に降ろしていった。
(「渦潮さんは先ほどの妖の一撃で……」)
ラーラは津波に押し流されつつも、渦潮にエナミースキャンをかけていた。渦潮は虫の息だ。だが、いますぐ回復を集中ささせれば助かるかもしれない。
海の妖母を視界に入れながら、ラーラは煌炎の書のページを繰った。
(「触覚が届かないところまで下がらないと――!!」)
「うええ?!」
飛鳥は突然下がり始めたラーラを避けきれず、押し倒されてしまった。
とっさに飛鳥の手をとった日那乃も巻き込まれて倒れる。
転倒のショックで飛鳥は詠唱を止めた。頭上に集まっていた雨雲が、潤しの雨を一滴もふらせることなく四散する。
海の妖母が動いた。
列と列の間、遮る者が誰もいない空間に割りこんだ海の妖母が触覚を鋭く伸ばす。
凛が倒れ、ラーラが後方へ下がったことにより、実質二列になっていたのだ。
「が、は……っ」
妖の触覚はガードに入った一悟の腹を易々と貫通し、一二三の喉に突き刺さった。
もげて左へ傾く頭。首の皮一枚で体と繋がってはいるが、血が驚くべき高さで吹き上がっている。
「ろ、勒さん! 凛がもっとしっかりしていれば……死なせはしないんよ!」
瀕死の重傷を負って地面に横たわっていた凛の体から、真昼の太陽すら霞ませる光が放たれた。それは凛の魂――命の爆発。おびただしい生命エネルギーが一二三の体を包み込み、白い繭に変化した。
白い繭に四体の妖が群がる。
突如として火炎の獅子が現れた。炎のたてがみを振り乱して辺り一面に火の粉をまき散らしながら、容赦なく妖たちの体に灼熱の牙を突きたてていく。
「熱き情熱にその身を焼かれて果て、逝きなさい!!」
煌炎の書から炎のごときオーラが吹き上がっていた。それはラーラの怒りが具象化したものであり、火炎の獅子の活力でもある。火炎の獅子は最後に海の妖母に飛びかかり、赤い甲殻に火を噴く爪を立てた。
術を再発動させる飛鳥のすぐ後ろに、海牛の妖が迫っていた。
「させ……ない! 翼よ風を起こせ、漆黒の刃を飛ばせ!」
日那乃がエアブリットを飛ばして海牛を真っ二つにする。
「凛お姉さん、一二三お兄さん……一悟! 間に合ってくださいなのよ!」
雨が地上を潤すがごとく、飛鳥は愛で傷を負った仲間たちの体を癒す。
白い繭が縦に裂けて、中から一二三が倒れ出て来た。
麻痺が残る一悟は呼吸困難になっていた。体が痙攣するたびに傷が開き、腹から血が流れ出す。
「責任は取ると言った。その言葉に偽りはないさね! 誰一人、逝かせないぞ」
逝は己を奮い立たせると、体内をめぐる僅かな瘴気と生気をより集めた。手のひらを一悟の背に宛てて、練りあがった荒々しい気を流し透す。
一悟の目がゆっくりと開き、その向こうで海の妖母が尾を回す。
「しつこいのよ!」
「消え、て」
飛鳥と日那乃は手を握り合わせると、双頭の水龍を召喚した。
双頭の水龍は二人の背の後ろから天まで一気に駆け上がり、月を覆うような巨大な水球に変じると、尾を振る海の妖母の真上に墜ちた。
殻が砕けて飛び散る。
赤殻の破片を飲み込んだ貝の妖が一体、海へ逃げて行った。
●
「しっかり!!」
ラーラが渦潮の回復を試みる。
目覚めた白波が悲鳴を上げながら体を延ばす。
覚者たちを死の影が覆った。
「助けてあげられなくてごめんなさい。ほんとうにほんとうに……ごめんなさいなのよ」
泣きながら見上げる飛鳥と、唇を噛んでうつむく日那乃。
ふたりを庇うかのように、噺家が白波の前に立つ。
「あれが死ぬのはこの子たちのせいではなかろう。それも判らず怨むというのであれば――」
気圧され、白波が身を引く。
が、また牙をむき――。
「待って! 渦潮さんは生きてるよ」
渚の声を聞いて、飛鳥と日那乃は渦潮の元に走った。力を振り絞って恵みの露を白面に滴らせる。
渦潮が微かに身じろいだ。
どうやら一命は取りとめられたようだ。
「……よかった」
涙ぐむラーラ。その横で、逝は肩を下げる。
白波は渦潮の首をくわえると、巨体を海へ落とし、そのまま波の下に消えた。
「国枝さま、勝手して申し訳ございません」
噺家は、腕いっぱいに砕けた赤殻を抱えるアイズオンリーに頭を下げた。
「まったく。私には再三に渡って、やれ立つな、座りなさいなど言っておきながら……。赤殻は回収しました。一部を除いて、ですが。戻りましょう」
絨毯から降ろされた海咲に、青い顔の一二三がつき添う。
一悟はアイズオンリーたちの前に立ちはだかった。
「待っ……た。国枝さん、それを、持って帰って……どうする」
息は途絶えがちだが、問いかける目は鋭い。が、虚勢は続かず。腰から地面に落ちる。
「……鞘の修復に。もともと、そのために来たのですから」
覚者たちに古妖たちを止める気力はもう残っておらず。
空飛ぶ絨毯を見送った。
■シナリオ結果■
失敗
■詳細■
MVP
なし
死亡
なし
称号付与
なし
特殊成果
なし
