【零の岬】封印の灯台
●
潮風に強く髪が引かれて振りかえりそうになった。胸をかき抱いた腕に爪を食い込ませて踏みとどまる。そこではっ、と気がつく。驚いた。まだ、心に生繋ぐ希望を残していたなんて。
死に場所に岬を選んだのは、私を産み捨てた母親への当てつけだった。私の名前は海に咲くと書いてみさきと読む。お包みの端に黒字でそう書かれていたらしい。
風がやんだので顔を上げた。水平線上では、藍色の夜空が熟しすぎたアプリコットのような太陽が押しつぶしていた。私の命もあと数歩で尽きる。苦しく辛いだけだった十六年間。さようなら――。
「お待ちなさい」
若い男の声。胸の奥で心臓がきゅっと縮こまった。辺りには誰もいなかったはずなのに。つい、振り返ってしまう。
――え、なにこの人?
「いまここで死なれては困ります。妖気に触れて確実に妖に……ああ、恐がらないで。けっして怪しいものでありません。あっ!!」
●
噺家は空を飛ぶ敷物から降りると、腕の中で気を失っている身投げ娘を地面に横たえた。
遠くで闇を抱えた林がざわざわと騒ぐ。下では岩を打つ波の音に紛れて複数の妖が歯を、舌を鳴らしている。完全に囲まれてしまったようだ。
地面に片膝をついたまま、主を見上げた。
「さて、どこから突っ込んで欲しいですか?」
「何のことです」
白面に山高帽、手に長い刺し針の様なものを持った黒マントの男の、一体どこが「怪しくない」というのだろう。娘が怖がって、意図せず後ずさりしたのも無理はない。
無言で見つめ合った末に、先に目をそらしたのは噺家だった。立ち上がり、目を細め、主の後ろにある灯台を見る。
灯台の白壁は妖たちによってつけられた大小無数の傷がついており、遠目にもボロボロになっていることが分かる。夜ともなれば光を発するが、灯台守が出入りする出入口はどこにもない。
灯台は古妖だった。白波という名の海蛇がその正体である。
「どうしても元の姿に戻らせないといけませんかね。試しに、いま、刺してみたらどうです?」
主は首を横に振った。
「ここがゼロ磁場であるということ以外、何も分かっていません。白波が何を封印しているのか……大髑髏さんの予知でおよその見当はついていますが、この『支配の爪』で無理やり支配してしまえば話を聞きだすことができなくなります」
潮風に隠してため息を流す。ざっと数えてみても、辺りにうごめく物の怪は百を下らない。雑魚とはいえ、数で押されれば苦戦する。その上、白波が味方してくれるとは限らなかった。加えてこの娘と主も守らねばならないのだから大変だ。いっそうのこと、死なせてやればよかったと後悔する。一体ぐらい妖が増えたところで変わりはなかっただろう。
(「あのクソ坊主。帰ったらバラバラにしてやる」)
腰のものに手をやった。鯉口をきって、ゆるりと鞘から抜く。
「……幾らか後ろへやるかもしれません。捌き切れなくなったらそこの娘と一緒に敷物に乗ってお逃げください」
●
「保護対象は遠山 海咲(とおやま みさき)、十六歳。彼女の命を救うことを第一優先に。次に白波と呼ばれた古妖の保護、または撃破。少なくとも撃退して、アイズオンリーによる支配化を防ぐこと」
そこまで言い終わってから、質問はあるかしら、と眩(クララ)・ウルスラ・エングホルム(nCL2000164)は手にした資料から顔を上げた。
集まった覚者の中からいくつか手が上がる。眩は一番手前で腕を上げた覚者にうなずきかけた。
「妖の数は?」
「百二十体ほどかしら? ランクは1がほとんどだけど、一部ランク2も混じっているわ。空を飛ぶものはいないし、ほとんどは噺家が切り殺すから心配ないでしょう。貴方たちがアイズオンリーに手を出さない限りは、だけど」
主に手を出せば噺家はターゲットを覚者に切り替えて最優先で殺しにくる。そうなれば妖の群れと白波に加えて、噺家、アイズオンリー、との全面対決だ。わざわざ死亡確率を自らの手で上げなくてもいいだろう。
「で、その白波だけど。貴方たちの介入とほぼ同時に、変化をといて暴れ出すわ。その時点では白波は誰の味方もしない。その場にいる者すべてに襲い掛かる。人の言葉は通じるし、話もするけれど……保護は撤回するわ。まず説得は無理だろうから。せめて、倒す前に何を封じているかぐらいは聞きだしてちょうだい」
潮風に強く髪が引かれて振りかえりそうになった。胸をかき抱いた腕に爪を食い込ませて踏みとどまる。そこではっ、と気がつく。驚いた。まだ、心に生繋ぐ希望を残していたなんて。
死に場所に岬を選んだのは、私を産み捨てた母親への当てつけだった。私の名前は海に咲くと書いてみさきと読む。お包みの端に黒字でそう書かれていたらしい。
風がやんだので顔を上げた。水平線上では、藍色の夜空が熟しすぎたアプリコットのような太陽が押しつぶしていた。私の命もあと数歩で尽きる。苦しく辛いだけだった十六年間。さようなら――。
「お待ちなさい」
若い男の声。胸の奥で心臓がきゅっと縮こまった。辺りには誰もいなかったはずなのに。つい、振り返ってしまう。
――え、なにこの人?
「いまここで死なれては困ります。妖気に触れて確実に妖に……ああ、恐がらないで。けっして怪しいものでありません。あっ!!」
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噺家は空を飛ぶ敷物から降りると、腕の中で気を失っている身投げ娘を地面に横たえた。
遠くで闇を抱えた林がざわざわと騒ぐ。下では岩を打つ波の音に紛れて複数の妖が歯を、舌を鳴らしている。完全に囲まれてしまったようだ。
地面に片膝をついたまま、主を見上げた。
「さて、どこから突っ込んで欲しいですか?」
「何のことです」
白面に山高帽、手に長い刺し針の様なものを持った黒マントの男の、一体どこが「怪しくない」というのだろう。娘が怖がって、意図せず後ずさりしたのも無理はない。
無言で見つめ合った末に、先に目をそらしたのは噺家だった。立ち上がり、目を細め、主の後ろにある灯台を見る。
灯台の白壁は妖たちによってつけられた大小無数の傷がついており、遠目にもボロボロになっていることが分かる。夜ともなれば光を発するが、灯台守が出入りする出入口はどこにもない。
灯台は古妖だった。白波という名の海蛇がその正体である。
「どうしても元の姿に戻らせないといけませんかね。試しに、いま、刺してみたらどうです?」
主は首を横に振った。
「ここがゼロ磁場であるということ以外、何も分かっていません。白波が何を封印しているのか……大髑髏さんの予知でおよその見当はついていますが、この『支配の爪』で無理やり支配してしまえば話を聞きだすことができなくなります」
潮風に隠してため息を流す。ざっと数えてみても、辺りにうごめく物の怪は百を下らない。雑魚とはいえ、数で押されれば苦戦する。その上、白波が味方してくれるとは限らなかった。加えてこの娘と主も守らねばならないのだから大変だ。いっそうのこと、死なせてやればよかったと後悔する。一体ぐらい妖が増えたところで変わりはなかっただろう。
(「あのクソ坊主。帰ったらバラバラにしてやる」)
腰のものに手をやった。鯉口をきって、ゆるりと鞘から抜く。
「……幾らか後ろへやるかもしれません。捌き切れなくなったらそこの娘と一緒に敷物に乗ってお逃げください」
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「保護対象は遠山 海咲(とおやま みさき)、十六歳。彼女の命を救うことを第一優先に。次に白波と呼ばれた古妖の保護、または撃破。少なくとも撃退して、アイズオンリーによる支配化を防ぐこと」
そこまで言い終わってから、質問はあるかしら、と眩(クララ)・ウルスラ・エングホルム(nCL2000164)は手にした資料から顔を上げた。
集まった覚者の中からいくつか手が上がる。眩は一番手前で腕を上げた覚者にうなずきかけた。
「妖の数は?」
「百二十体ほどかしら? ランクは1がほとんどだけど、一部ランク2も混じっているわ。空を飛ぶものはいないし、ほとんどは噺家が切り殺すから心配ないでしょう。貴方たちがアイズオンリーに手を出さない限りは、だけど」
主に手を出せば噺家はターゲットを覚者に切り替えて最優先で殺しにくる。そうなれば妖の群れと白波に加えて、噺家、アイズオンリー、との全面対決だ。わざわざ死亡確率を自らの手で上げなくてもいいだろう。
「で、その白波だけど。貴方たちの介入とほぼ同時に、変化をといて暴れ出すわ。その時点では白波は誰の味方もしない。その場にいる者すべてに襲い掛かる。人の言葉は通じるし、話もするけれど……保護は撤回するわ。まず説得は無理だろうから。せめて、倒す前に何を封じているかぐらいは聞きだしてちょうだい」

■シナリオ詳細
■成功条件
1.遠山 海咲(とおやま みさき)の保護
2.古妖・白波の撃破、または撃退してアイズオンリーによる支配阻止
3.なし
2.古妖・白波の撃破、または撃退してアイズオンリーによる支配阻止
3.なし
とある海に突き出た岬。
夕刻。
日がくれるまでに30分ほど時間があります。
夜になれば月が出ますが、後々のことを考えて明かりは用意した方がいいでしょう。
●状況
海側から妖が次々と崖を登ってきています。
林の中からも妖が出てきています。
覚者は陸側、灯台に通じる獣みち……つまり林の中を通って現場に出ます。
林林林│ │林林林
林林林│ │林林林
敵1(妖6体・ランク1)
敵2(灯台・白波)
敵3とNPC
敵1(妖114体)
海海海海海海海海海海
※灯台・白波を中心に敵1が周りを囲っています。
●敵1……妖、約120体(ランク1とランク2の混成)
白波、噺家、アイズオンリーの三体の古妖も、覚者たちと一緒に妖を倒しにかかります。
ただし、覚者がアイズオンリーを攻撃した時点で状況が一変。
噺家は妖の相手をやめて、妖らとともに覚者を攻撃しだします。
敵1の攻撃方法は【噛みつき】【切り裂き】【突き】などの物・近単攻撃のみです。
●敵2……古妖・白波
白い海蛇です。灯台に化けて何かを封じているようですが……。
変化を解いて元の姿にもどれば、会話可能です。
覚者たちが介入して3ターン後に変化をといて暴れ出します。
【暴れ蛇】……物・近列
【毒牙】………物・近単/毒、麻痺
【白波】………特・遠全/自身を中心に巨大な波を起こして攻撃。ノックB
●敵3……古妖・噺家とアイズオンリー
こちらから攻撃しない限り、襲ってきません。
はっきりいえば妖と白波だけで手がいっぱいな状況です。
攻撃などの詳細不明。
そうすけの【悪の鞘】や≪アイズオンリー≫というタグがついたシナリオに登場。
●その他(敵)……派手な一反木綿、もとい空飛ぶ絨毯。
古妖です。
今回も乗り物として登場するのみ。
最大6人(大人)を乗せて飛ぶことができます。
結構なスピードで空を飛びます。
●NPC……一般人
遠山 海咲(とおやま みさき)、女性、16歳。
自殺志願者で、崖から落ちたところを噺家に救われました。
気を失っており、アイズオンリーの足元に寝かされています。
覚者介入から4ターン後に目を覚まして騒ぎ出します。
●STコメント
続きものです。前後編の前編。
よろしければご参加ください。お待ちしております。
状態
完了
完了
報酬モルコイン
金:0枚 銀:1枚 銅:0枚
金:0枚 銀:1枚 銅:0枚
相談日数
6日
6日
参加費
100LP[+予約50LP]
100LP[+予約50LP]
参加人数
6/8
6/8
公開日
2017年05月31日
2017年05月31日
■メイン参加者 6人■

●
半ば獣道と化している林道を抜けた。途端、視界のほとんどが夕闇に白く浮き立つ灯台の壁で占められる。でかい、と『五麟マラソン優勝者』奥州 一悟(CL2000076)は思った。
灯台そのままのサイズだとしたら、化けている白波という古妖はかなり大きい。体が大きいということはそれだけ体力があるということだ。夢見がつけたランクは3。攻撃力も高い。完全に敵対することにでもなれば――。
「これ、奥州ちゃん。どこを見て走っているのかね。つまずいて転んでも、おっさんは助け起こさないぞ」
はっとして顎を引くと同時に、横を『冷徹の論理』緒形 逝(CL2000156)が走り抜けていった。
先をゆく逝の向こうに、這い進む複数の影を確認する。あれが第一攻撃目標の妖たちか。かなり足が速い。このままでは妖が先に白波を攻撃してしまう。
「まずいですね」
いつのまにか勒・一二三(CL2001559)が隣に並んでいた。片手を口の横にあてて、読経で鍛えた美声を張りあげる。
「そこのものたち、止まりなさい!」
言って妖が止まるならAAAはいらない。いや、いらなかったというべきか。国民を怪異から守ってきたAAAは大妖の襲撃を受けて壊滅している。つい先日の事だ。
案の定、妖たちは一二三の声を無視した。
「相手がランク1じゃあ、呼びかけるだけ無駄さね。さっさと追いついて、捌くわよ」
逝の手にする直刀・悪食の刃が残照を受けて赤く燃えたつ。ヘルメットの横に構えられると、赤い光は刃を滑り落ちていった。まるで悪食が舌なめずりしでもしたかのように。
――と、音という音が後ろへ流されて消えた。遅れて目に見えない壁が顔を打ち、剥き出しの肌の上で青白い殺気が爆ぜる。
妖たちだけでなく、覚者たちも足を止めた。
『ゆるゆるふああ』鼎 飛鳥(CL2000093)は、ひゅっ、と小さく、音をたてて息を吸い込んだ。青ざめた顔の横で長いうさぎの耳が揺れる。
「いまのは?!」
誰にともなしに問いかけながら、『赤き炎のラガッツァ』ラーラ・ビスコッティ(CL2001080)は守護使役のペスカから煌炎の書を受けとった。覚醒して瞳の色が青から赤へ、髪の色も銀に変化する。
「いまのは噺家さんなのよ。あすか、前にも驚いてペッタン尻もちをついたことがあるのよ」
その時の屈辱感が蘇ったのか、飛鳥は目を尖らせると小さく唸った。青かった頬に朱がさす。
「でも、姿も見えないほど離れているのに――」
「お喋りは後にするんよ!」
仲間たちの後ろから怒鳴り声を上げたのは『マジシャンガール』茨田・凜(CL2000438)だ。凛の追いつきざまの一喝で、覚者たちに気合が入った。それぞれ武器を手に、まだ呆然として動かないでいる妖たちに迫る。
半透明の膜に全身を覆われた軟体系の妖が、背後から駆け寄ってくる足音に気づいて振り返った。ぶよぶよとした横面に、一悟が炎を纏わせたトンファーを叩き込む。
「邪魔だ。どきやがれ!」
一悟のすぐ隣でイカのような妖を開きにした逝が、すばやく空で手首を返す。悪食がまだ残る陽の光を断ち、闇を広げながら、飛び散る軟体の頭部を吸い込んだ。
すぐ後ろに迫った脅威に反応し、妖たちが一斉に体の向きを変えて襲って来た。
「相手をしている暇はありません」
にわかに天がかき曇り、獣のごとき咆哮が辺りにとどろくと、白光する雷が天から駆け下りてきて地と妖を打ちつけた。
「ビスコッティちゃん、全部ウェルダンで頼むよ」
「おまかせあれ。あ、みなさんは先に行ってください。後始末は私たちがします」
一悟たちが妖たちの間を駆け抜けると、ラーラは召喚した炎を放った。炎は瞬く間に荒れ狂う獣となって、妖たちに次々と跳びかかった。炎の牙が獲物を捕らえるたびに、肉の焼ける音と白い煙があがる。
「うー、おしょうゆを持ってくるべきだったのよ」
「醤……いい匂いだけど、きっと食べちゃダメなやつなんよ」
「悪食ちゃんだけ? ずるいのよ」
「ダメなものはダメ。お腹を壊してしまいますよ。さあ、片づけて。私たちも急いで合流しましょう!」
示し合わせたわけでなく、ごく自然に、飛鳥と凜の動きが同調する。えい、と差し出したスティックの先から、指に挟んだ護符から、勢いよく迸った水流が合わさって大地を抉り、草を刈りとりながら、土と砂の泥の川となって焼けた妖たちの体を呑み込んだ。
妖を呑み込んだ水が大地にしみ込むと、草が渇くのを待たずに三人は駆けだした。
「国枝さん、待った! まず白波の話を聞いてやろうぜ」
一悟がアイズオンリーの前に回り込んで両手を前に突き出すと同時に、灯台の壁が揺らぎだした。周囲に満ちる殺気に刺激され、身の危険を感じた白波が変化を解こうとしている。
逝は対峙する二人の横を駆け抜けた。
「勒ちゃん、頼んだわよ!」
「はい!」
一二三はためらうことなくアイズオンリーに駆け寄ると、足元に横たわる少女の脇に膝をついた。体の下に腕を差し入れて抱きおこす。
「遠山さん、聞こえますか?」
声を掛けると微かに反応があった。薄闇のなかでも目蓋がぴくぴくと動いたのが分かる。
いきなりアイズオンリーが半身を開き、空にレイピアを突きだした。
一二三が顔をあげると、醜く変形した魚のような妖が頭をレイピアに貫かれて身もだえしていた。血ではない何かが、ぽたぽたと頬に落ちて来た。あわてて少女――遠山 海咲を抱きあげ、妖の下から逃げ出す。
「丁度いい。そのまま彼女を連れて帰ってください。助けにきたのでしょ?」
「遠山さんだけではありません!」
ラーラが走りながら叫ぶ。そのまま足を止めることなく、岬の先で数多の妖と戦う逝たちの元へ急いだ。
「助太刀に参ったでござる、のよ」
「一度に妖が100匹以上も出てくるなんて超びっくりなんよ。ここはみんなで力を合わせてきりぬけ――」
一対の巨大な牙が、飛鳥と凛の頭に迫る。大口をあけた白波が、二人を飲み込もうとしていた。
●
「や、噺家ちゃん。悪の鞘は元気かね? ちょっとお手伝いするさね」
ぎくりと体を強張らせた噺家と肩を並べるや、逝は戦闘機の翼に変じた腕を振るった。先に握られた直刀と合わせるとかなりの長さになる。
自ら妖気を発しながら空を切り滑る悪食。太刀筋上に並んでいた妖たちは、切られると同時に存在を崩し、朧になって食われていった。
「ちょうど良く大量に妖が湧いてるって聞いて来たのよ。……ちょっと前に殺芽ちゃんを半身ほど喰べたのに、もう腹を空かせてねえ」
「そうかい。なら、遠慮はいらねえよ。どんどん食いねえ」
いいながら噺家は素早く後ろへ首を回した。主の無事を確認して、肩のこわばりを解く。
「さっき、お手伝いにきたって言わなかった? おっさん、嘘は言わないぞ。その時々によるけど。それで、あとどのぐらい残っているか分かるかね?」
「私が知るわけがないだろう。あのクソ坊主ときたら、具体的なことは何一ついわねえんだからさ」
クソ坊主というのは古妖・大髑髏の事だろう。夢見の足元にも及ばないが、未来予知の力がある。逝と一悟、飛鳥の三人は夢見候補であった眩の救出依頼で、大髑髏とも多少の縁があった。
「現にお前さんたちが来るとは言わなかった。ま、なんとなく来るんじゃねぇかなぁって、予想はしていたがね。そうだ、いまからでも遅くねえ、クソ坊主とあの娘を交換しねえか? そっちはたくさんいるんだろ、夢見」
火の玉が空気を熱して巻き込みながら、二人の間を飛びぬけた。
じゅっ、と香ばしい音をたてて妖が火に包まれる。
噺家は炎に包まれてもなお這い進もうとする妖を縦に切り割った。
「夢見がいすぎて困ることはありません」
交換なんてとんでもない、とラーラは横目で噺家を睨んだ。手にする魔道書はまだ鎖が掛けられたままだ。
「それよりも下がりませんか? 円陣を組むにはアイズオンリーさんたちと離れすぎています」
海の妖たちはぞくぞくと崖を登ってきている。倒した妖は、夢見が告げた数の半分にも達していないだろう。まだまだ数を相手にしなくてはならない。
細かく説明しなくても噺家はファイヴの作戦を理解したようだ。妖を切り捨てながら、じりじりと下がりはじめた。
逝も悪食を振るいながら後ずさる。
「ところで噺家ちゃん。さっきなんでびくっとしたのかね? おっさんたちが来ることは予想がついていたんだろ」
「そりゃ、お前さんが『鞘』のことを……って、なんだ、そこまで判っていて言ったんじゃねえのかい?」
ん、ん、と剣を降ろして互いに顔をみあわせる。
「お喋りはあとでしてください。ふたりとも手を動かして!」
風に流れる銀の髪に最後の陽光を受けながら、ラーラは右に左に正面に、火炎弾を飛ばした。焼いても、焼いても妖は尽きない。噺家や逝もそれなりに数をさばいているが、徐々に妖による包囲網が出来上がりつつある。まとめて焼き払っていかないとダメだ。
噺家が強く舌うちした。鋭い音が潮騒を突いて響く。
「また厄介なのが上がってきやがったな」
影になった妖たちの後ろに、巨大な爪が見えた。
「カニ? まあ、おいしそう……には見えないわね。残念」
立ち上がった腹一面に、巨大な醜い人の顔。闇の中でもニタニタと笑っているのが分かる。よく見れば爪にも大小さまざまな顔が浮き出ている。恐らくは背中の甲羅にもでているだろう……。あれがランク2の妖か。
「ビスコッティちゃんや、すまんがしばらくその他海産物の相手を任せてもいいかね?」
「え、ええ……」
いま、封印を解くべきだろうか。ラーラは一瞬だけ躊躇った後、守護使役に顔を向けた。
「ペスカ、鍵を――」
背のすぐ後ろで悲鳴が上がった。
●
「凛!」
一悟は押し倒した飛鳥の上に覆いかぶさりながら、白波に咥えられた凛に腕を伸ばした。凛が手にする懐中電燈のガラスに指先が触れる。が、すぐに遠ざかってしまった。
アイズオンリーがレイピアを突き出し、一二三が額の目から怪光線を放つ。たが、いずれの攻撃も遠ざかっていく白波の頭部に当たらなかった。
白波は首をもたげると、凛を加えたまま、ぶん、と頭を振った。長い体がうねりをあげて、立ち上がった一悟と飛鳥、そしてアイズオンリー、妖たちを薙ぎ打つ。
「白波さん、やめてください! 僕たちは貴方と戦うつもりはありません」
一二三は海咲を抱きかかえたまま、白波に訴えかけた。
「貴方か妖たちから守っているもの、それはもしかしたら貴方のお子さんではありませんか? 僕たちが力になります。だから、まず茨田さんを離してください。話し合いましょう!」
白波が黄色い目を細めて一二三を見下す。だが、咥えた凛を離そうとはしなかった。
いまの攻撃で利き腕を痛めたのか、アイズオンリーが右ひじを手で押さえながら立ち上がる。
「白波が封じていたのは子供ではありませんよ。ここの妖たちの母体ともいうべき妖を飲み込んだ連れ合いです。大髑髏さんの話しでは飲み込まれた妖が、連れ合いを逆に中から食い破りつつあるそうです。もう助からないでしょう。白波はただ二体を封印することで――を長引かせているだけです」
<「黙れ! 渦潮は、いずれアレを食い殺す。それまで、誰にも、邪魔はさせない!」>
覚者たちの、古妖たちの頭の中に荒々しい声が轟いた。
「そんな。国枝さん、なんとか助けられねえのかよ!」
「気安く……人であったころの名で私をよばないでくれませんか。渦潮を気に掛けるよりも、君はあの女性を助けるほうが先でしょう」
くそ、と毒づいて、一悟はピストルの形にした指で白波の頭、いや、目を狙う。しかし、白波の頭が微妙に揺れて、狙いを定められない。腹に牙が食い込んでいるにもかかわらず、凛が気丈にも足掻いているためだ。下手をすると凛に攻撃を当てて殺してしまいかねない。
「凛! 動くな!」
飛鳥は一悟に押し倒された時に手放してしまったスティックを拾い上げた。
凛の傷を癒してやろうとしたところへ妖が2体突っ込んできたので、やむなく横へ飛び逃げる。
妖たちはそのまま白波に駆け寄って、白い腹に噛みついた。
白波が身をくねりだしたので、しかたなく一悟は腕を下げて腹に食いつく妖の一体を撃った。
アイズオンリーが巨体に駆け寄って、もう一体を突き殺す。
岬の先端を回り込んで、横から崖を登ってきた妖たちが現れた。
「ああ、いけません。このままではばらばらに囲まれてしまう!」
一二三は海に体を回し向けると、妖たちの上に雷を打ち落とした。痺れて動きを止めたところに、ラーラが放った炎獣が荒れ狂いながら炎の牙を突き立てていく。
「鼎さん!」
まず、腹を食い破られている凛を集中して治療すべきだろう。だか、ここで一旦は全員の傷を癒しておかないと全滅しかねない。
覚者たちは妖の波に飲み込まれそうになっていた。しかも前には白波が、後ろには怨霊カニがいる。
飛鳥は唇を強くかみしめると、スティックを高々と天に掲げた。
「恵みの雨よ、降り注げ!」
いきなり雨がドドドドと降りだした。バケツをひっくりかえしたような雨だ。大地を叩いてはねかえった雨つぶが、草の穂のように立つ。
雨は覚者のみならず、アイズオンリーと噺家の傷と疲労も洗い流してやんだ。見上げると、恵みの雨をもたらした雲はなくなっており、街中では見ることができない数の星が瞬いている。
「噺家さん、あすかたちに空飛ぶ絨毯さんを貸してくださいなのよ!」
凛を欠いたいま、一二三を海咲の護衛につけている余裕はない。その場からの離脱は許してもらえないとしても、海咲を乗せて空高く舞い上がってもらえれば一二三が自由に動ける。
「それを私に頼むのは筋違いさ、ウサギちゃん」
噺家は、逝が横へ打ち払った巨大な爪に刀を突き刺した。乾いた音をたてて殻にヒビが入ると、怨霊顔が一斉に不気味な泣き声を上げた。
不協和音を耳にして、覚者たちは怖気に身を震わせる。逆に、妖たちは活気づいた。
「うわああ、頼まれてもこのカニと一緒にカラオケに行きたくないぞう。とと、んなことを言ってる場合じゃない。ええっと、そこの――」
「国枝さま!」
「だから、名前で呼ばないでくださいと何度も――ええい、仕方ありません」
アイズオンリーは指を鳴らして空飛ぶ絨毯を呼び寄せた。
すかさず一二三が駆け寄って、恐怖に身を縮めていた海咲を絨毯の上に降ろす。とたん、海咲がわめきだした。
「海咲ちゃん、静かに! 大丈夫だからじっとしているのよ!!」
飛鳥が飛んできて、魔眼で海咲に暗示をかける。
空飛ぶ絨毯が海咲だけを乗せて飛びあがると、戦場はますます混乱した。月あかりの下で敵味方入り乱れる。
白波が口を大きく空けて息を吸い込む。夜の闇の中で、白波の白い体が膨れ上がった。
凛の体が、流した血で滑って牙から抜け落ちる。
それを見て、一二三とラーラが走った。
地面に叩きつけられる寸前、左から一二三が、右からラーラが腕を伸ばして受け止めた。凛は全身に毒が回っているのが、ぐったりとしたまま二人の腕の中で動かない。
「早く解毒を――きゃあ!」
「う、うわぁ!」
膨れ上がった白波の体が激しく伸縮し、厚い空気の波が巨体を中心にして広がった。
空気圧に押されて覚者も妖も吹き飛ぶ。
白波は頭を低くしてとぐろを巻いた。それまで距離があって分からなかったが、白波の目と目の間、鱗の隙間に小さなくぼみが見える。頭の位置が下がったことで、見えるようになったのだろう。
突然、アイズオンリーが駆けだした。手にはめた長い針の様なものを前に突きだしながら、まっすぐ白波の眉間に向かって進んでいく。
「駄目だ!!」
アイズオンリーの目的に気づいた一悟が腕を広げて立ち塞がった。
「どきたまえ!」
白波が再び頭をもたげた。
口を開けて背を向けた一悟に牙を立てようとする。
「白波さん、やめてください!! 私たちはあなたと戦いたくない!!」
ラーラはペスカから鍵を受け取ると魔道書の封印を解いた。
後ろでは、噺家が爪を切り落とした怨霊カニを逝が悪食で切りつぶしていた。何度も直刀をふるってぐちゃぐちゃにしている。
飛鳥は水龍牙で残りわずかとなっていた妖たちを一気に海へ流し落とした。
<「お前がどうであれ、そこの男は渦潮を殺すだ」>
「オレたちが守る!」
<「どうやって?」>
一悟が答えあぐねていると、白波は体を大きくうねらせた。
巨体にぶち当たられて一悟と、凛を抱きか抱えていた一二三が倒れる。
長い針を構えるアイズオンリーを、カニを始末した逝が前に回って牽制する。
その間に一悟が立ちあがった。逝の前に出ると、炎を纏わせたトンファーを構えてアイズオンリーと対峙する。
「……支配はさせないっていんてんだろ」
殺気だった噺家が剣を携えて駆けてくる。
「噺家ちゃん、大丈夫よ。奥州ちゃんはよく夢見の話を勘違いしてとんでもないこといいだすけど、間違ったことはしないから」
「あん? じゃあどうする気だ」
一悟はラーラと目を合わせた。意を組んだラーラが頷き返す。
白波が口を開け月光に牙を光らせる。
「良い子に甘い焼き菓子を、悪い子には石炭を……イオ・ブルチャーレ!」
白波の口に炎の獣が飛び込んだ。
怯んで浮き上がった巨体に、一悟が圧撃を叩き込む。
「うおおおっ!」
あっさり押されて、白波は崖を崩しつつ海に落ちた。
一時的に、あくまで一時的に白波をこの場から遠ざける。それが二人のとっさに下した結論だった。
半ば獣道と化している林道を抜けた。途端、視界のほとんどが夕闇に白く浮き立つ灯台の壁で占められる。でかい、と『五麟マラソン優勝者』奥州 一悟(CL2000076)は思った。
灯台そのままのサイズだとしたら、化けている白波という古妖はかなり大きい。体が大きいということはそれだけ体力があるということだ。夢見がつけたランクは3。攻撃力も高い。完全に敵対することにでもなれば――。
「これ、奥州ちゃん。どこを見て走っているのかね。つまずいて転んでも、おっさんは助け起こさないぞ」
はっとして顎を引くと同時に、横を『冷徹の論理』緒形 逝(CL2000156)が走り抜けていった。
先をゆく逝の向こうに、這い進む複数の影を確認する。あれが第一攻撃目標の妖たちか。かなり足が速い。このままでは妖が先に白波を攻撃してしまう。
「まずいですね」
いつのまにか勒・一二三(CL2001559)が隣に並んでいた。片手を口の横にあてて、読経で鍛えた美声を張りあげる。
「そこのものたち、止まりなさい!」
言って妖が止まるならAAAはいらない。いや、いらなかったというべきか。国民を怪異から守ってきたAAAは大妖の襲撃を受けて壊滅している。つい先日の事だ。
案の定、妖たちは一二三の声を無視した。
「相手がランク1じゃあ、呼びかけるだけ無駄さね。さっさと追いついて、捌くわよ」
逝の手にする直刀・悪食の刃が残照を受けて赤く燃えたつ。ヘルメットの横に構えられると、赤い光は刃を滑り落ちていった。まるで悪食が舌なめずりしでもしたかのように。
――と、音という音が後ろへ流されて消えた。遅れて目に見えない壁が顔を打ち、剥き出しの肌の上で青白い殺気が爆ぜる。
妖たちだけでなく、覚者たちも足を止めた。
『ゆるゆるふああ』鼎 飛鳥(CL2000093)は、ひゅっ、と小さく、音をたてて息を吸い込んだ。青ざめた顔の横で長いうさぎの耳が揺れる。
「いまのは?!」
誰にともなしに問いかけながら、『赤き炎のラガッツァ』ラーラ・ビスコッティ(CL2001080)は守護使役のペスカから煌炎の書を受けとった。覚醒して瞳の色が青から赤へ、髪の色も銀に変化する。
「いまのは噺家さんなのよ。あすか、前にも驚いてペッタン尻もちをついたことがあるのよ」
その時の屈辱感が蘇ったのか、飛鳥は目を尖らせると小さく唸った。青かった頬に朱がさす。
「でも、姿も見えないほど離れているのに――」
「お喋りは後にするんよ!」
仲間たちの後ろから怒鳴り声を上げたのは『マジシャンガール』茨田・凜(CL2000438)だ。凛の追いつきざまの一喝で、覚者たちに気合が入った。それぞれ武器を手に、まだ呆然として動かないでいる妖たちに迫る。
半透明の膜に全身を覆われた軟体系の妖が、背後から駆け寄ってくる足音に気づいて振り返った。ぶよぶよとした横面に、一悟が炎を纏わせたトンファーを叩き込む。
「邪魔だ。どきやがれ!」
一悟のすぐ隣でイカのような妖を開きにした逝が、すばやく空で手首を返す。悪食がまだ残る陽の光を断ち、闇を広げながら、飛び散る軟体の頭部を吸い込んだ。
すぐ後ろに迫った脅威に反応し、妖たちが一斉に体の向きを変えて襲って来た。
「相手をしている暇はありません」
にわかに天がかき曇り、獣のごとき咆哮が辺りにとどろくと、白光する雷が天から駆け下りてきて地と妖を打ちつけた。
「ビスコッティちゃん、全部ウェルダンで頼むよ」
「おまかせあれ。あ、みなさんは先に行ってください。後始末は私たちがします」
一悟たちが妖たちの間を駆け抜けると、ラーラは召喚した炎を放った。炎は瞬く間に荒れ狂う獣となって、妖たちに次々と跳びかかった。炎の牙が獲物を捕らえるたびに、肉の焼ける音と白い煙があがる。
「うー、おしょうゆを持ってくるべきだったのよ」
「醤……いい匂いだけど、きっと食べちゃダメなやつなんよ」
「悪食ちゃんだけ? ずるいのよ」
「ダメなものはダメ。お腹を壊してしまいますよ。さあ、片づけて。私たちも急いで合流しましょう!」
示し合わせたわけでなく、ごく自然に、飛鳥と凜の動きが同調する。えい、と差し出したスティックの先から、指に挟んだ護符から、勢いよく迸った水流が合わさって大地を抉り、草を刈りとりながら、土と砂の泥の川となって焼けた妖たちの体を呑み込んだ。
妖を呑み込んだ水が大地にしみ込むと、草が渇くのを待たずに三人は駆けだした。
「国枝さん、待った! まず白波の話を聞いてやろうぜ」
一悟がアイズオンリーの前に回り込んで両手を前に突き出すと同時に、灯台の壁が揺らぎだした。周囲に満ちる殺気に刺激され、身の危険を感じた白波が変化を解こうとしている。
逝は対峙する二人の横を駆け抜けた。
「勒ちゃん、頼んだわよ!」
「はい!」
一二三はためらうことなくアイズオンリーに駆け寄ると、足元に横たわる少女の脇に膝をついた。体の下に腕を差し入れて抱きおこす。
「遠山さん、聞こえますか?」
声を掛けると微かに反応があった。薄闇のなかでも目蓋がぴくぴくと動いたのが分かる。
いきなりアイズオンリーが半身を開き、空にレイピアを突きだした。
一二三が顔をあげると、醜く変形した魚のような妖が頭をレイピアに貫かれて身もだえしていた。血ではない何かが、ぽたぽたと頬に落ちて来た。あわてて少女――遠山 海咲を抱きあげ、妖の下から逃げ出す。
「丁度いい。そのまま彼女を連れて帰ってください。助けにきたのでしょ?」
「遠山さんだけではありません!」
ラーラが走りながら叫ぶ。そのまま足を止めることなく、岬の先で数多の妖と戦う逝たちの元へ急いだ。
「助太刀に参ったでござる、のよ」
「一度に妖が100匹以上も出てくるなんて超びっくりなんよ。ここはみんなで力を合わせてきりぬけ――」
一対の巨大な牙が、飛鳥と凛の頭に迫る。大口をあけた白波が、二人を飲み込もうとしていた。
●
「や、噺家ちゃん。悪の鞘は元気かね? ちょっとお手伝いするさね」
ぎくりと体を強張らせた噺家と肩を並べるや、逝は戦闘機の翼に変じた腕を振るった。先に握られた直刀と合わせるとかなりの長さになる。
自ら妖気を発しながら空を切り滑る悪食。太刀筋上に並んでいた妖たちは、切られると同時に存在を崩し、朧になって食われていった。
「ちょうど良く大量に妖が湧いてるって聞いて来たのよ。……ちょっと前に殺芽ちゃんを半身ほど喰べたのに、もう腹を空かせてねえ」
「そうかい。なら、遠慮はいらねえよ。どんどん食いねえ」
いいながら噺家は素早く後ろへ首を回した。主の無事を確認して、肩のこわばりを解く。
「さっき、お手伝いにきたって言わなかった? おっさん、嘘は言わないぞ。その時々によるけど。それで、あとどのぐらい残っているか分かるかね?」
「私が知るわけがないだろう。あのクソ坊主ときたら、具体的なことは何一ついわねえんだからさ」
クソ坊主というのは古妖・大髑髏の事だろう。夢見の足元にも及ばないが、未来予知の力がある。逝と一悟、飛鳥の三人は夢見候補であった眩の救出依頼で、大髑髏とも多少の縁があった。
「現にお前さんたちが来るとは言わなかった。ま、なんとなく来るんじゃねぇかなぁって、予想はしていたがね。そうだ、いまからでも遅くねえ、クソ坊主とあの娘を交換しねえか? そっちはたくさんいるんだろ、夢見」
火の玉が空気を熱して巻き込みながら、二人の間を飛びぬけた。
じゅっ、と香ばしい音をたてて妖が火に包まれる。
噺家は炎に包まれてもなお這い進もうとする妖を縦に切り割った。
「夢見がいすぎて困ることはありません」
交換なんてとんでもない、とラーラは横目で噺家を睨んだ。手にする魔道書はまだ鎖が掛けられたままだ。
「それよりも下がりませんか? 円陣を組むにはアイズオンリーさんたちと離れすぎています」
海の妖たちはぞくぞくと崖を登ってきている。倒した妖は、夢見が告げた数の半分にも達していないだろう。まだまだ数を相手にしなくてはならない。
細かく説明しなくても噺家はファイヴの作戦を理解したようだ。妖を切り捨てながら、じりじりと下がりはじめた。
逝も悪食を振るいながら後ずさる。
「ところで噺家ちゃん。さっきなんでびくっとしたのかね? おっさんたちが来ることは予想がついていたんだろ」
「そりゃ、お前さんが『鞘』のことを……って、なんだ、そこまで判っていて言ったんじゃねえのかい?」
ん、ん、と剣を降ろして互いに顔をみあわせる。
「お喋りはあとでしてください。ふたりとも手を動かして!」
風に流れる銀の髪に最後の陽光を受けながら、ラーラは右に左に正面に、火炎弾を飛ばした。焼いても、焼いても妖は尽きない。噺家や逝もそれなりに数をさばいているが、徐々に妖による包囲網が出来上がりつつある。まとめて焼き払っていかないとダメだ。
噺家が強く舌うちした。鋭い音が潮騒を突いて響く。
「また厄介なのが上がってきやがったな」
影になった妖たちの後ろに、巨大な爪が見えた。
「カニ? まあ、おいしそう……には見えないわね。残念」
立ち上がった腹一面に、巨大な醜い人の顔。闇の中でもニタニタと笑っているのが分かる。よく見れば爪にも大小さまざまな顔が浮き出ている。恐らくは背中の甲羅にもでているだろう……。あれがランク2の妖か。
「ビスコッティちゃんや、すまんがしばらくその他海産物の相手を任せてもいいかね?」
「え、ええ……」
いま、封印を解くべきだろうか。ラーラは一瞬だけ躊躇った後、守護使役に顔を向けた。
「ペスカ、鍵を――」
背のすぐ後ろで悲鳴が上がった。
●
「凛!」
一悟は押し倒した飛鳥の上に覆いかぶさりながら、白波に咥えられた凛に腕を伸ばした。凛が手にする懐中電燈のガラスに指先が触れる。が、すぐに遠ざかってしまった。
アイズオンリーがレイピアを突き出し、一二三が額の目から怪光線を放つ。たが、いずれの攻撃も遠ざかっていく白波の頭部に当たらなかった。
白波は首をもたげると、凛を加えたまま、ぶん、と頭を振った。長い体がうねりをあげて、立ち上がった一悟と飛鳥、そしてアイズオンリー、妖たちを薙ぎ打つ。
「白波さん、やめてください! 僕たちは貴方と戦うつもりはありません」
一二三は海咲を抱きかかえたまま、白波に訴えかけた。
「貴方か妖たちから守っているもの、それはもしかしたら貴方のお子さんではありませんか? 僕たちが力になります。だから、まず茨田さんを離してください。話し合いましょう!」
白波が黄色い目を細めて一二三を見下す。だが、咥えた凛を離そうとはしなかった。
いまの攻撃で利き腕を痛めたのか、アイズオンリーが右ひじを手で押さえながら立ち上がる。
「白波が封じていたのは子供ではありませんよ。ここの妖たちの母体ともいうべき妖を飲み込んだ連れ合いです。大髑髏さんの話しでは飲み込まれた妖が、連れ合いを逆に中から食い破りつつあるそうです。もう助からないでしょう。白波はただ二体を封印することで――を長引かせているだけです」
<「黙れ! 渦潮は、いずれアレを食い殺す。それまで、誰にも、邪魔はさせない!」>
覚者たちの、古妖たちの頭の中に荒々しい声が轟いた。
「そんな。国枝さん、なんとか助けられねえのかよ!」
「気安く……人であったころの名で私をよばないでくれませんか。渦潮を気に掛けるよりも、君はあの女性を助けるほうが先でしょう」
くそ、と毒づいて、一悟はピストルの形にした指で白波の頭、いや、目を狙う。しかし、白波の頭が微妙に揺れて、狙いを定められない。腹に牙が食い込んでいるにもかかわらず、凛が気丈にも足掻いているためだ。下手をすると凛に攻撃を当てて殺してしまいかねない。
「凛! 動くな!」
飛鳥は一悟に押し倒された時に手放してしまったスティックを拾い上げた。
凛の傷を癒してやろうとしたところへ妖が2体突っ込んできたので、やむなく横へ飛び逃げる。
妖たちはそのまま白波に駆け寄って、白い腹に噛みついた。
白波が身をくねりだしたので、しかたなく一悟は腕を下げて腹に食いつく妖の一体を撃った。
アイズオンリーが巨体に駆け寄って、もう一体を突き殺す。
岬の先端を回り込んで、横から崖を登ってきた妖たちが現れた。
「ああ、いけません。このままではばらばらに囲まれてしまう!」
一二三は海に体を回し向けると、妖たちの上に雷を打ち落とした。痺れて動きを止めたところに、ラーラが放った炎獣が荒れ狂いながら炎の牙を突き立てていく。
「鼎さん!」
まず、腹を食い破られている凛を集中して治療すべきだろう。だか、ここで一旦は全員の傷を癒しておかないと全滅しかねない。
覚者たちは妖の波に飲み込まれそうになっていた。しかも前には白波が、後ろには怨霊カニがいる。
飛鳥は唇を強くかみしめると、スティックを高々と天に掲げた。
「恵みの雨よ、降り注げ!」
いきなり雨がドドドドと降りだした。バケツをひっくりかえしたような雨だ。大地を叩いてはねかえった雨つぶが、草の穂のように立つ。
雨は覚者のみならず、アイズオンリーと噺家の傷と疲労も洗い流してやんだ。見上げると、恵みの雨をもたらした雲はなくなっており、街中では見ることができない数の星が瞬いている。
「噺家さん、あすかたちに空飛ぶ絨毯さんを貸してくださいなのよ!」
凛を欠いたいま、一二三を海咲の護衛につけている余裕はない。その場からの離脱は許してもらえないとしても、海咲を乗せて空高く舞い上がってもらえれば一二三が自由に動ける。
「それを私に頼むのは筋違いさ、ウサギちゃん」
噺家は、逝が横へ打ち払った巨大な爪に刀を突き刺した。乾いた音をたてて殻にヒビが入ると、怨霊顔が一斉に不気味な泣き声を上げた。
不協和音を耳にして、覚者たちは怖気に身を震わせる。逆に、妖たちは活気づいた。
「うわああ、頼まれてもこのカニと一緒にカラオケに行きたくないぞう。とと、んなことを言ってる場合じゃない。ええっと、そこの――」
「国枝さま!」
「だから、名前で呼ばないでくださいと何度も――ええい、仕方ありません」
アイズオンリーは指を鳴らして空飛ぶ絨毯を呼び寄せた。
すかさず一二三が駆け寄って、恐怖に身を縮めていた海咲を絨毯の上に降ろす。とたん、海咲がわめきだした。
「海咲ちゃん、静かに! 大丈夫だからじっとしているのよ!!」
飛鳥が飛んできて、魔眼で海咲に暗示をかける。
空飛ぶ絨毯が海咲だけを乗せて飛びあがると、戦場はますます混乱した。月あかりの下で敵味方入り乱れる。
白波が口を大きく空けて息を吸い込む。夜の闇の中で、白波の白い体が膨れ上がった。
凛の体が、流した血で滑って牙から抜け落ちる。
それを見て、一二三とラーラが走った。
地面に叩きつけられる寸前、左から一二三が、右からラーラが腕を伸ばして受け止めた。凛は全身に毒が回っているのが、ぐったりとしたまま二人の腕の中で動かない。
「早く解毒を――きゃあ!」
「う、うわぁ!」
膨れ上がった白波の体が激しく伸縮し、厚い空気の波が巨体を中心にして広がった。
空気圧に押されて覚者も妖も吹き飛ぶ。
白波は頭を低くしてとぐろを巻いた。それまで距離があって分からなかったが、白波の目と目の間、鱗の隙間に小さなくぼみが見える。頭の位置が下がったことで、見えるようになったのだろう。
突然、アイズオンリーが駆けだした。手にはめた長い針の様なものを前に突きだしながら、まっすぐ白波の眉間に向かって進んでいく。
「駄目だ!!」
アイズオンリーの目的に気づいた一悟が腕を広げて立ち塞がった。
「どきたまえ!」
白波が再び頭をもたげた。
口を開けて背を向けた一悟に牙を立てようとする。
「白波さん、やめてください!! 私たちはあなたと戦いたくない!!」
ラーラはペスカから鍵を受け取ると魔道書の封印を解いた。
後ろでは、噺家が爪を切り落とした怨霊カニを逝が悪食で切りつぶしていた。何度も直刀をふるってぐちゃぐちゃにしている。
飛鳥は水龍牙で残りわずかとなっていた妖たちを一気に海へ流し落とした。
<「お前がどうであれ、そこの男は渦潮を殺すだ」>
「オレたちが守る!」
<「どうやって?」>
一悟が答えあぐねていると、白波は体を大きくうねらせた。
巨体にぶち当たられて一悟と、凛を抱きか抱えていた一二三が倒れる。
長い針を構えるアイズオンリーを、カニを始末した逝が前に回って牽制する。
その間に一悟が立ちあがった。逝の前に出ると、炎を纏わせたトンファーを構えてアイズオンリーと対峙する。
「……支配はさせないっていんてんだろ」
殺気だった噺家が剣を携えて駆けてくる。
「噺家ちゃん、大丈夫よ。奥州ちゃんはよく夢見の話を勘違いしてとんでもないこといいだすけど、間違ったことはしないから」
「あん? じゃあどうする気だ」
一悟はラーラと目を合わせた。意を組んだラーラが頷き返す。
白波が口を開け月光に牙を光らせる。
「良い子に甘い焼き菓子を、悪い子には石炭を……イオ・ブルチャーレ!」
白波の口に炎の獣が飛び込んだ。
怯んで浮き上がった巨体に、一悟が圧撃を叩き込む。
「うおおおっ!」
あっさり押されて、白波は崖を崩しつつ海に落ちた。
一時的に、あくまで一時的に白波をこの場から遠ざける。それが二人のとっさに下した結論だった。
