夢のお城
私は弁護士だ。
オカルト的な、あるいはスピリチュアルな物事とは最も縁遠い職業の1つ……と思っていたが近年、そうも言っていられなくなってきた。
何しろ妖怪・幽霊の類が、実在してしまう。
私がこれまで扱ってきた案件にも、そういった存在と関わりあるものが実は少なくないんだ。
極めつけのものが1件ある。聞いてくれるか、中君。
そう、あの男の事さ。
君も知っての通り、彼の弁護を担当したのは私だ。
何しろ、幽霊や悪霊の類が実在する……人間が、死んだ後も存在し続けてしまう事があり得る以上、あの男を死刑にさせるわけにはいかなかった。あらゆる手管を駆使して、死刑回避を図ったよ。
あの男は、自分が殺した子供たちに執着していたからな。
考えてもみてくれ。あの幼い姉弟は、確かに惨い殺され方をした。殺される事で、しかし間違いなく、あの男からは解放されたのだ。なのに後を追わせるような事をして一体どうする?
もちろん法廷でそんな主張が通るはずもなく、あの男には死刑判決が下った。そして異例の早さで執行された。世論に押されて、の事だと思う。死刑死刑の大合唱だったからな。
弁護士として、力不足を痛感しているよ。
それをお詫びするために、あの男のお母さんに御挨拶をした。
犯行現場となった、あの男の自宅へ行ったんだ。母親は、一緒に暮らしていながら息子のしている事には全く無頓着だった。まあ殺人犯の家庭にはよくある話さ。
そこで私は見た。
この世の苦しみからようやく解放されたはずの姉弟が、またしてもあの男に囚われ、生前と同じ仕打ちを受けている様を。
様々なひどい事をされながら、私に助けを求めていた。姉は弟を、弟は姉を、庇いながら。
そんな2人を、あの男は蹂躙し続ける。
誰も止められない。助けてやれない。何しろ、あの男はすでに死んでいるのだからな。
母親には、何も見えていないようだった。
どうやら私には霊感と呼ぶべきものがあるようでな。弁護士の仕事には今ひとつ、役に立たないのだが。
とにかく、こんな話は君のところへ持ち込むしかなかったのさ。
頼むよ中君。死せる殺人鬼から、あの子たちの魂を救い出して欲しい。
まったく、安易に死刑になどするから、こういう事になる。
好き勝手をした挙句この世から逃げ出し、後は痛くも痒くもない。それが殺人鬼という連中の生き様だ。国家がそれに手を貸して、どうすると言うのか?
あの男のような輩は生かさず殺さず、たとえ税金を注ぎ込んででも一生、刑務所で飼い殺し続けるしかないんだよ。
●
久方相馬(nCL2000004)の顔色が悪い。
「中さんの知り合いだっていう、その弁護士先生が言っていたのと同じ夢を、俺も見たよ。
そう。こないだ死刑になった、あの殺人犯だ。
そいつがな、自分の殺した子供たちを……小さい女の子と男の子だよ。その2人を……うぐっぷ、ぐぇえ……わ、悪い。ごめんな……へへ、胃液しか出ねえや。あの夢のせいで飯、喉通んなくてよ……とにかく頼むよ、あの子たちを助けてくれ。くそったれな殺人鬼の野郎から解放して、安らかに眠らせてやって欲しい。
場所は犯行現場、そいつの自宅だよ。まあ勝手に入っちゃっていいと思う。法律的な始末はしてくれるって中さんは言ってた。
くそっ、何なんだよ……隔者の類でもねえ普通の人間に、何でこんな奴がいやがるんだ……っ!」
オカルト的な、あるいはスピリチュアルな物事とは最も縁遠い職業の1つ……と思っていたが近年、そうも言っていられなくなってきた。
何しろ妖怪・幽霊の類が、実在してしまう。
私がこれまで扱ってきた案件にも、そういった存在と関わりあるものが実は少なくないんだ。
極めつけのものが1件ある。聞いてくれるか、中君。
そう、あの男の事さ。
君も知っての通り、彼の弁護を担当したのは私だ。
何しろ、幽霊や悪霊の類が実在する……人間が、死んだ後も存在し続けてしまう事があり得る以上、あの男を死刑にさせるわけにはいかなかった。あらゆる手管を駆使して、死刑回避を図ったよ。
あの男は、自分が殺した子供たちに執着していたからな。
考えてもみてくれ。あの幼い姉弟は、確かに惨い殺され方をした。殺される事で、しかし間違いなく、あの男からは解放されたのだ。なのに後を追わせるような事をして一体どうする?
もちろん法廷でそんな主張が通るはずもなく、あの男には死刑判決が下った。そして異例の早さで執行された。世論に押されて、の事だと思う。死刑死刑の大合唱だったからな。
弁護士として、力不足を痛感しているよ。
それをお詫びするために、あの男のお母さんに御挨拶をした。
犯行現場となった、あの男の自宅へ行ったんだ。母親は、一緒に暮らしていながら息子のしている事には全く無頓着だった。まあ殺人犯の家庭にはよくある話さ。
そこで私は見た。
この世の苦しみからようやく解放されたはずの姉弟が、またしてもあの男に囚われ、生前と同じ仕打ちを受けている様を。
様々なひどい事をされながら、私に助けを求めていた。姉は弟を、弟は姉を、庇いながら。
そんな2人を、あの男は蹂躙し続ける。
誰も止められない。助けてやれない。何しろ、あの男はすでに死んでいるのだからな。
母親には、何も見えていないようだった。
どうやら私には霊感と呼ぶべきものがあるようでな。弁護士の仕事には今ひとつ、役に立たないのだが。
とにかく、こんな話は君のところへ持ち込むしかなかったのさ。
頼むよ中君。死せる殺人鬼から、あの子たちの魂を救い出して欲しい。
まったく、安易に死刑になどするから、こういう事になる。
好き勝手をした挙句この世から逃げ出し、後は痛くも痒くもない。それが殺人鬼という連中の生き様だ。国家がそれに手を貸して、どうすると言うのか?
あの男のような輩は生かさず殺さず、たとえ税金を注ぎ込んででも一生、刑務所で飼い殺し続けるしかないんだよ。
●
久方相馬(nCL2000004)の顔色が悪い。
「中さんの知り合いだっていう、その弁護士先生が言っていたのと同じ夢を、俺も見たよ。
そう。こないだ死刑になった、あの殺人犯だ。
そいつがな、自分の殺した子供たちを……小さい女の子と男の子だよ。その2人を……うぐっぷ、ぐぇえ……わ、悪い。ごめんな……へへ、胃液しか出ねえや。あの夢のせいで飯、喉通んなくてよ……とにかく頼むよ、あの子たちを助けてくれ。くそったれな殺人鬼の野郎から解放して、安らかに眠らせてやって欲しい。
場所は犯行現場、そいつの自宅だよ。まあ勝手に入っちゃっていいと思う。法律的な始末はしてくれるって中さんは言ってた。
くそっ、何なんだよ……隔者の類でもねえ普通の人間に、何でこんな奴がいやがるんだ……っ!」

■シナリオ詳細
■成功条件
1.妖の撃破
2.なし
3.なし
2.なし
3.なし
今回の敵は、殺人鬼と被害者の霊魂がひとかたまりになって心霊系の妖と化したものです。ランクは2。1体だけですが、その中で殺人鬼が、被害者である幼い姉弟に様々な事をしております。
これを倒して消滅させ、姉弟の魂を解放していただくのが目的となります。
攻撃手段は、物理的破壊力をも伴う怨念の波動(特遠全、BS呪い)。これのクリーンヒットを受けると、姉弟がこの殺人犯にいかにして殺されたか、それが脳裏で鮮明に再現されます。人によっては尋常ではない精神的ダメージを受けるでしょう。扱いとしては、呪いとさせていただきます。
場所は殺人犯の自宅、犯行の行われた地下室で、戦うには充分な広さがあります。
家では殺人犯の母親が暮らしていますが、2階の自室に完全に引きこもっており、自宅の地下室に誰かが勝手に入って何かをしても反応する事はありません。
それでは、よろしくお願い申し上げます。
状態
完了
完了
報酬モルコイン
金:0枚 銀:1枚 銅:0枚
金:0枚 銀:1枚 銅:0枚
相談日数
7日
7日
参加費
100LP[+予約50LP]
100LP[+予約50LP]
参加人数
6/6
6/6
公開日
2017年04月08日
2017年04月08日
■メイン参加者 6人■

●
2階建てで、地下室もある。裕福な家なのかも知れない。
1階は埃まみれで、生活の気配がまるでなかった。
地下室には気配があった。吐き気を催すほど、濃密な気配。それが渦を巻いている。
渦の中で、姉は弟を庇い、弟は姉を庇っていた。
庇い合いながら、幼い姉弟は1人の男に囚われている。
「よォ同類……楽しそうじゃねえか? いや結構結構」
その男に『ボーパルホワイトバニー』飛騨直斗(CL2001570)が、声を投げた。
「そうやって楽しそうにしてる奴、見るとよぉ……思い出しちまうんだよなあ……ま、んな事ぁどーでもいい。首、置いてけや」
抜きはなった妖刀に頬を寄せながら、直斗は笑う。
「首ってのぁ吊るもんじゃねえ、刈るもんだからよ」
「何でだよ……何で、こんな……」
絞首刑でこの世を去ったはずの男を睨みながら、『不屈のヒーロー』成瀬翔(CL2000063)が声を震わせる。
男が笑う。幼い姉弟が、悲鳴を上げる。
「やめろ……やめろよ! お前やめろぉおおおおおおおッッ!」
絶叫を轟かせながら、翔は覚醒した。小さな身体が、白い和装を波打たせながら急成長を遂げる。
姉弟が生きているうちにここへ殴り込み、助けてやりたかった。そんな事を、翔は思っているのだろう。
自分たちが今ここでこうしている間にも、どこかで誰かが酷い目に遭っているかも知れない。
たとえ覚者の力をもってしても、その誰かを1人残らず救うのは不可能だ。
それは『黒炎の死神』如月彩吹(CL2001525)も、頭では理解している。
だが、やはり拳を握ってしまう。目を、伏せてしまう。
(あの子たちが死ぬ前に、動けていれば……)
つい、そんな事を考えてしまう。
傍で『刃に炎を、高貴に責務を』天堂フィオナ(CL2001421)が、剣を抜いた。
「高貴なる者の……義務を、果たすぞ!」
ノブレス・オブリージュを信条とする少女が、前衛に立つ。
その細身に、シアンブルーの炎がまとわりついて渦を巻く。『天駆』を発動させたようである。
「戦おう、みんな。私たちに出来る事は、ただ1つ……今からでも、助ける。それだけだ。もちろん生き返らせてあげられるわけじゃないけど、だからって! 何もせず放っておいていい、わけはないだろう!?」
「……そうだね。フィーの言う通りだ」
静かな声を発したのは『探偵見習い』工藤奏空(CL2000955)である。
左右の瞳を桃色に輝かせながら、彼は両手で印を結んだ。
「始めよう。ミュエルさん、一緒に仕掛けてくれるかな」
「うん……」
両の細腕を軽く広げながら、『戸惑いの檻』明石ミュエル(CL2000172)が癒しを念ずる。
奏空の『魔訶瑠璃光』とミュエルの『清廉珀香』が、覚者6名を包み込む。
護りをもたらす光と香気の中、彩吹は俯けていた顔を上げた。
(そう……せめて、あの子たちを……これ以上、苦しませないように)
幼い姉弟は、苦しんでいる。男は、愉しんでいる。
彩吹は睨み据え、そして翼を広げた。鴉のような、暗黒色の翼を。
炎の力が、血流と一緒に全身を駆け巡る。醒の炎。
「……調子に乗るなよ。誰も自分を止められない、とでも思っているのか」
死刑執行を受けた男に、彩吹は言葉を投げた。
「死んで自由になれた、つもりなんだろうけど残念だったね。私たちファイヴは、死んだ人間が相手でも容赦はしないよ」
●
電光が生じた。
翔の怒りがそのまま放たれたかのような、雷獣の一撃。
それが、誘拐殺人事件の加害者・被害者を一緒くたに打ち据えていた。
男が、声なき悲鳴を上げる。
男に蹂躙されながら、幼い姉弟もまた悲鳴を上げていた。
間髪入れずB.O.T.を撃ち込もうとしたところで、翔は硬直した。
倒し、消滅させる。それが姉弟を解放する唯一の手段であると、翔も頭では理解している。
躊躇いが、しかし身体の動きに出てしまう。
直斗の声が聞こえた。
「来るぞ……!」
「みんな、気をつけて!」
彩吹も、叫んでいる。
翔の躊躇いを読んだかの如く、妖が攻撃に出ていた。
男のおぞましい形相と姉弟の悲痛な表情を内包した霊体が、激しく燃え上がる。怨念と妄執の炎。
それが猛り狂い、激しく渦を巻きながら、覚者6名を襲う。
「ぐっ……!」
翔は吹っ飛び、床に激突した。
起き上がると同時に、地下室内の風景は一変していた。
妖がいない。5人の仲間が、いない。
いるのは、地下室の主である1人の男。そして、幼い姉弟。
この地下室は、男の城なのだ。
男は王様だった。姉弟は、お姫様と王子様であり、奴隷であり、愛玩動物であり、玩具であった。
やめろ、と翔は叫んだ。いや、声が出ない。
雷獣も出ない。B.O.T.も出ない。
男に殴りかかる事すら、出来なかった。
何も出来ない。何故なら翔は、ここにはいないからだ。
姉弟がこのような目に遭っている時、翔はこの場にいなかったからだ。
(俺は……何も、出来ない……してやれない……)
妖や隔者が、人を殺す。それよりもずっと惨たらしい光景を、翔は今、見つめるしかない。
目を閉じる事すら、出来なかった。
●
姉弟が、悲鳴を上げている。
いや、これは自分の悲鳴ではないのか。
「うぁ……ぁああああ……うわぁああああああああああ!」
フィオナは立って身をよじり、倒れ込んでのたうち回り、己の髪を、顔を、喉を掻きむしっていた。
何かが今、甦りつつある。フィオナが記憶の、心の、奥底に封じ込んでいた何かが。
姉弟が、男に蹂躙されている。
否。蹂躙されているのは、幼い姉弟ではなく1人の少女だ。
「殺せ! ころせーッ! ころしてくれぇええええええ!」
少女が叫ぶ。違う、叫んでいるのはフィオナ自身だ。
姉は弟を庇い、弟は姉を庇っている。幼く無力な2人が、おぞましい暴力の嵐の中で身を寄せ合っている。
気がつけばフィオナも、誰かと身を寄せ合っていた。
「大丈夫……だいじょうぶ、だよ……」
彩吹だった。
左右の細腕が、黒い翼が、フィオナの小柄な細身を包み込んでいる。
「私が、いる……私が、ついてるよ……だから……」
彩吹の端麗な顔が青ざめ、震え、涙に濡れていた。
彼女も、フィオナと同じものを見ているのだ。
姉弟を助けてやれず、どうしようもないまま、せめてフィオナを助けようとしてくれている。
震えながら。涙を流しながら。
自身もまた誰かに助けを求めたいのであろう彩吹が、こうして無様に叫び喚くフィオナを放っておけず、たおやかな腕と暗黒色の翼で抱き包んでくれている。
幼い弟を庇う、幼い姉のように。
「だから……殺せ、なんて言うもんじゃない……」
声を、美貌を、震わせながら、彩吹は微笑んだ。
今にも、壊れてしまいそうな笑顔だった。
その藍色の瞳に映る自分の顔を、フィオナはじっと見つめた。
「……何て顔を、している……何て様を、晒しているんだ天堂フィオナ……」
彩吹の瞳の中で泣きじゃくる無力な少女に、フィオナは語りかけた。
「お前は……騎士だろう……?」
●
何の事はない、と直斗は思った。
自分と姉が、あの男たちにされていた事と、ほぼ同じである。
馴染みのあるものを、見せつけられているだけだ。
「俺の心の傷でも抉るつもり、なんだろうが……古いぜ、その手はよ」
直斗は、軽口を叩いて見せた。
自分の声が震えている、ような気がする。それが直斗は気に入らなかった。
1つだけ、わかった事がある。
この男は本当に、この幼い姉弟を愛している。執着を、愛と呼ぶならばだ。
思えば、あの男たちも執着していたものだ。飛騨直斗という、1人の無力な少年に。
姉を喰らい尽くし放り捨てた男たちが、弟を、まるで捨て猫でも拾うかのように持ち帰った。
そして散々、愛玩動物として扱った。
「あいつらのやってた事と……丸っきり、同じじゃねえかぁ……くだらねえ、新しさがねえよ。おい貴様もうやめとけ、俺につまんねーもの見せつけやがンのはよォ……」
愛玩動物が、やがて獣となり、あの男たちの喉を噛みちぎった。
その時と同じく直斗は今、牙を剥いていた。野獣そのものの、息遣いと共に。
「やめろよぉ、本当に……そんなもの、見せられたら……僕が……滾ってきちゃうよぉおおお」
それは直斗の叫びであり、直斗の心の森に棲まう怪物の咆哮でもあった。
「あはっ……あっはははは! なかなかいい執着ぶりだよ君ィ。やっぱり僕と同類なんだねえ、そう化け物なんだよ! 君も僕も、何かに執着しないと生きていけない化け物! だから僕は……」
顔面に、衝撃が来た。鼻血の飛沫が散った。
直斗は、己の顔面に拳を叩き込んでいた。
「……俺はッ……同類として、貴様を殺す! それが慈悲」
突然、口を塞がれた。鼻もろともだ。
何者かが、横合いからハンカチを押し付け、直斗の鼻血を拭いにかかっている。
「……同じじゃないよ。飛騨君は、あんな奴と」
奏空だった。
「悪者ぶっててもさ、すぐ地が出ちゃう人っているよね?」
「……俺がそうだって言うのかよ」
他人のハンカチで、直斗は遠慮なく鼻をかんだ。
「あんたは……平気そうだな? こんなもの見せられて」
「自慢じゃないけど俺、やせ我慢が得意でね」
奏空の声が、笑顔が、震えている。振動で今にも砕けてしまいそうな陶器の如く。
「正直……かなり、無理してる。俺、実はあいつと同じで」
姉弟の血にまみれて笑い転げる男に、奏空は桃色の眼光を向けた。
「人……殺した事、あるんだ」
「珍しくもねえ。敵の首なんざ、いくつ狩ったか覚えてねえぞ俺」
自慢する事ではなかった。
「本当に……あいつと同じなのは……」
奏空の言葉に、かちかちと歯のぶつかり合う音が混ざった。
「飛騨君じゃなくて……俺……」
「そんなくだらねー事、無理矢理にでも考えてねえと、ブチ切れて自分を見失っちまいそうなんだろ?」
奏空の背中を、直斗はいくらか強めに叩いた。
奏空には、姉がいるという。このようなものを見せられて、思うところが何もないはずはない。
姉の話を奏空は、直斗のいるところでは絶対にしようとしないのだった。
●
幻覚の類である事は、すぐにわかった。
頭で理解した事に、しかし心と身体が従ってくれない。
「やめて……やめてぇ……やめてよう……」
ミュエルの声は、男には届かない。
何故なら、ここにミュエルはいないからだ。いなかったからだ。
わかっていても、問いかけてしまう。
「どうして……? どうして、こんな事が出来るの……?」
ミュエルは見つめるしかなかった。止める事は出来ない。自分は、この時この場にいなかったのだから。
だが今は、ここにいる。
「それなら……今からでも、出来る事……するしかないでしょ?」
ミュエルの中で、何かが燃えている。
妖に対しても、隔者に対しても、これほど燃え盛る感情を抱いた事が今まであっただろうか。
それは怒り、であった。
微かな羽音が聞こえた。
守護使役が、小さな翅を震わせながら、心配そうにこちらを見ている。
「大丈夫……アタシは大丈夫だよ、レンゲさん……」
ミュエルは言った。
「そうだよ……見ているだけの、アタシたちとは違う……この子たちは現実に、こんな目に遭って……その苦しみが、今も続いてる……」
姉弟が、悲鳴を上げている。
いや違う。悲鳴を上げているのは仲間の誰かだ。彩吹か、フィオナか。
皆も今、自分と同じものを見ているのだ。
「ずっと続くんだよ……この子たち、ずっとこのままなんだよ? アタシたちがやらなきゃ……!」
ミュエルは言い放ち、細腕を振りかざした。
「みんな! しっかりして!」
それを合図に、守護使役が飛んだ。
●
痛みはない。ただ何かが突き刺さった、と翔は感じた。
首筋の辺りを、巨大な蜂に刺されていた。
いや、蜂ではない。ミュエルの守護使役だ。
注入されて来たのは、蜂毒ではなく癒しの力。
翔は振り返った。硬直していた身体が、思い通りに動く。
目の合ったミュエルが、歯を食いしばり、頷いている。
「そうだよ……みんな、しっかりしろぉおッ!」
翔は叫んだ。
地下室内の光景が、過去から現在に戻った。助けてやれなかった姉弟が、妖に内包されたまま苦しみ泣き叫んでいる。
送受心・改で、翔は語りかけた。
(ごめんな、遅くなって……今、助けてやる。あとちょっとの辛抱だからな! 絶対、絶対に、終わらせてやるからなあっ!)
周囲では、奏空と直斗が、フィオナと彩吹が、惨劇の光景に呪縛され、しかしそれを自力で振りほどこうと足掻いている。
その足掻きに、もう一押しが必要だ。
「オレらが! 踏ん張らないで、どうすんだぁああああああっ!」
気合いと共に、翔の身体が躍動する。演舞・舞音。
白い和装のはためきに合わせ、浄化物質がキラキラと舞い散った。
その煌めきの中で、まずはフィオナが呪縛を断ち切った。
「ありがとう、翔……ありがとう、彩吹殿」
聖剣ガラティーン・改が、炎をまとう。
「私1人では、潰されていた……貴女が支えてくれたおかげで」
「……私は、フィオナにすがりついていただけだよ。子供みたいにね」
同じく炎を帯びた双刀・鎬を構えながら、彩吹が苦笑する。
「年下の仲間たちを、守ってあげるつもりでいたのに……年長者として恥ずかしい」
「恥ずいのは俺さ。見せたくねえもの見せちまった。何が僕だよ、まったく」
呻きながら、直斗が牙を剥く。
「まあ、それはともかく……なあ同類。こけ脅しの幻覚、の次は何だ。どんな芸、見せてくれる?」
妖が、ねじ曲がった。模様として浮かび上がっている男の形相が、弱々しく歪んでいる。
恐怖の、表情だった。
「攻撃手段が、他には何にもなし……ランク2の妖としては、戦闘能力そのものは最弱クラスか」
言いつつ彩吹が、双刀を燃え上がらせる。
「何の事はない。弱い奴が、弱い者いじめをしていただけ……この薄汚い地下室が、お前の城ってわけ? そこで力のない小さな子供相手に王様気取り? 笑わせるな卑怯者ッ!」
それは彼女の、怒りの炎でもあった。
「弱い奴に、これ以上の弱体化は必要ないな。『火蜥蜴の牙』を御馳走しようかとも思ったけど、お前みたいな雑魚はこのまま叩き潰した方が早そうだ。フィオナ、一緒に!」
「心得た……外道、絶対に許さない!」
双刀と聖剣。計3本の刃が、松明のように燃え盛りながら、妖に向かって一閃する。
覚者2名による、豪炎撃だった。
別方向からは、奏空が狙いを定めている。
「俺、今お寺に住ませてもらってるんだ。真似事しか出来ないけど、だから……供養、させてもらうよ。さあ飛騨君」
「任せな!」
直斗の叫びと同時に、雷鳴が起こった。
「仇華浸香でじわじわ弱体化させる予定だったけど、んな必要ねえか。楽にしてやるぜ同類!」
電光の嵐が、妖に向かって吹き荒れた。
奏空と直斗、両者による雷獣だった。
炎の斬撃と、稲妻の奔流が、妖を粉砕する。
粉砕された霊体が、キラキラと再構成されてゆく。
抱き合いながら天に昇る、姉弟としてだ。
男が、それを追う。おぞましい霊体の触手と化し、姉弟を捕えようとする。
「させない……!」
ミュエルの声に合わせて荊棘が生じ、旋風の如く渦を巻きながら、霊体の触手を引き裂いて切り散らした。棘一閃だった。
「アナタは……ここでおしまい、だよ……」
殺人犯であった男の魂は、ちぎれ舞い消えていった。
完全なる消滅。もはや地獄へ落ちる事もなく、転生の機会も失ったのだ。
「死刑になる気があれば、何やっても許される……なんて思ってたの?」
ミュエルは、怒りながら泣いていた。
「何で……どうして、こんな人がいるの……?」
「いるんだよミュエルさん。てめえの命も大事に出来ねえから、他人なんざどうなってもいい……そういう、クソみてえな連中がよ」
言葉を発したのは、直斗だった。
「あいつらもな……俺にブチ殺されながら、へらへら楽しそうに笑ってやがった……」
直斗の言う『あいつら』に関して、翔は何も知らない。根掘り葉掘り訊いてみる事でもない。
とにかく。そのような輩とは違って、この姉弟にはまだ無限の可能性がある。
「天国とかで、のんびり暮らすのもいいけどよ……」
微笑みながら天に昇って行く姉弟に、翔は語りかけた。
「こんな世の中だけど、出来れば……また、生まれて来てくれよな」
「すぐじゃなくていい。今は、ゆっくりお休み……」
彩吹の『こもりうた』が、姉弟を送った。
●
姉弟の遺品、は見つからなかった。警察があらかた押収してしまった後だからだ。
立ち去る前に1つだけ、済ませておくべき事がある。
貴女の息子は、2度目の死を迎えた。
そう、はっきりと伝えておかなければならない相手が、部屋の天井から吊り下がっていた。無数の小蝿を、たからせ飛び回らせながら。
翔が、ミュエルが、青ざめ息を呑んでいる。彩吹は軽く唇を噛み、直斗は目を伏せている。
フィオナは震えていた。結局、誰1人として助けられなかった。そんな事を思っているのかも知れない。
奏空は数日前の、自殺者たちとの戦いに想いを馳せていた。
「あの戦いで1つ、わかった事がある……最終的に誰も助けられない、としても俺たちは戦わなきゃいけない」
殺人鬼を生み育てる、つもりなどなかったのであろう女性に、奏空は語りかけ頭を下げた。
「いろいろなもの、背負いながらね。だから……貴女の事も、勝手に背負わせてもらいます」
2階建てで、地下室もある。裕福な家なのかも知れない。
1階は埃まみれで、生活の気配がまるでなかった。
地下室には気配があった。吐き気を催すほど、濃密な気配。それが渦を巻いている。
渦の中で、姉は弟を庇い、弟は姉を庇っていた。
庇い合いながら、幼い姉弟は1人の男に囚われている。
「よォ同類……楽しそうじゃねえか? いや結構結構」
その男に『ボーパルホワイトバニー』飛騨直斗(CL2001570)が、声を投げた。
「そうやって楽しそうにしてる奴、見るとよぉ……思い出しちまうんだよなあ……ま、んな事ぁどーでもいい。首、置いてけや」
抜きはなった妖刀に頬を寄せながら、直斗は笑う。
「首ってのぁ吊るもんじゃねえ、刈るもんだからよ」
「何でだよ……何で、こんな……」
絞首刑でこの世を去ったはずの男を睨みながら、『不屈のヒーロー』成瀬翔(CL2000063)が声を震わせる。
男が笑う。幼い姉弟が、悲鳴を上げる。
「やめろ……やめろよ! お前やめろぉおおおおおおおッッ!」
絶叫を轟かせながら、翔は覚醒した。小さな身体が、白い和装を波打たせながら急成長を遂げる。
姉弟が生きているうちにここへ殴り込み、助けてやりたかった。そんな事を、翔は思っているのだろう。
自分たちが今ここでこうしている間にも、どこかで誰かが酷い目に遭っているかも知れない。
たとえ覚者の力をもってしても、その誰かを1人残らず救うのは不可能だ。
それは『黒炎の死神』如月彩吹(CL2001525)も、頭では理解している。
だが、やはり拳を握ってしまう。目を、伏せてしまう。
(あの子たちが死ぬ前に、動けていれば……)
つい、そんな事を考えてしまう。
傍で『刃に炎を、高貴に責務を』天堂フィオナ(CL2001421)が、剣を抜いた。
「高貴なる者の……義務を、果たすぞ!」
ノブレス・オブリージュを信条とする少女が、前衛に立つ。
その細身に、シアンブルーの炎がまとわりついて渦を巻く。『天駆』を発動させたようである。
「戦おう、みんな。私たちに出来る事は、ただ1つ……今からでも、助ける。それだけだ。もちろん生き返らせてあげられるわけじゃないけど、だからって! 何もせず放っておいていい、わけはないだろう!?」
「……そうだね。フィーの言う通りだ」
静かな声を発したのは『探偵見習い』工藤奏空(CL2000955)である。
左右の瞳を桃色に輝かせながら、彼は両手で印を結んだ。
「始めよう。ミュエルさん、一緒に仕掛けてくれるかな」
「うん……」
両の細腕を軽く広げながら、『戸惑いの檻』明石ミュエル(CL2000172)が癒しを念ずる。
奏空の『魔訶瑠璃光』とミュエルの『清廉珀香』が、覚者6名を包み込む。
護りをもたらす光と香気の中、彩吹は俯けていた顔を上げた。
(そう……せめて、あの子たちを……これ以上、苦しませないように)
幼い姉弟は、苦しんでいる。男は、愉しんでいる。
彩吹は睨み据え、そして翼を広げた。鴉のような、暗黒色の翼を。
炎の力が、血流と一緒に全身を駆け巡る。醒の炎。
「……調子に乗るなよ。誰も自分を止められない、とでも思っているのか」
死刑執行を受けた男に、彩吹は言葉を投げた。
「死んで自由になれた、つもりなんだろうけど残念だったね。私たちファイヴは、死んだ人間が相手でも容赦はしないよ」
●
電光が生じた。
翔の怒りがそのまま放たれたかのような、雷獣の一撃。
それが、誘拐殺人事件の加害者・被害者を一緒くたに打ち据えていた。
男が、声なき悲鳴を上げる。
男に蹂躙されながら、幼い姉弟もまた悲鳴を上げていた。
間髪入れずB.O.T.を撃ち込もうとしたところで、翔は硬直した。
倒し、消滅させる。それが姉弟を解放する唯一の手段であると、翔も頭では理解している。
躊躇いが、しかし身体の動きに出てしまう。
直斗の声が聞こえた。
「来るぞ……!」
「みんな、気をつけて!」
彩吹も、叫んでいる。
翔の躊躇いを読んだかの如く、妖が攻撃に出ていた。
男のおぞましい形相と姉弟の悲痛な表情を内包した霊体が、激しく燃え上がる。怨念と妄執の炎。
それが猛り狂い、激しく渦を巻きながら、覚者6名を襲う。
「ぐっ……!」
翔は吹っ飛び、床に激突した。
起き上がると同時に、地下室内の風景は一変していた。
妖がいない。5人の仲間が、いない。
いるのは、地下室の主である1人の男。そして、幼い姉弟。
この地下室は、男の城なのだ。
男は王様だった。姉弟は、お姫様と王子様であり、奴隷であり、愛玩動物であり、玩具であった。
やめろ、と翔は叫んだ。いや、声が出ない。
雷獣も出ない。B.O.T.も出ない。
男に殴りかかる事すら、出来なかった。
何も出来ない。何故なら翔は、ここにはいないからだ。
姉弟がこのような目に遭っている時、翔はこの場にいなかったからだ。
(俺は……何も、出来ない……してやれない……)
妖や隔者が、人を殺す。それよりもずっと惨たらしい光景を、翔は今、見つめるしかない。
目を閉じる事すら、出来なかった。
●
姉弟が、悲鳴を上げている。
いや、これは自分の悲鳴ではないのか。
「うぁ……ぁああああ……うわぁああああああああああ!」
フィオナは立って身をよじり、倒れ込んでのたうち回り、己の髪を、顔を、喉を掻きむしっていた。
何かが今、甦りつつある。フィオナが記憶の、心の、奥底に封じ込んでいた何かが。
姉弟が、男に蹂躙されている。
否。蹂躙されているのは、幼い姉弟ではなく1人の少女だ。
「殺せ! ころせーッ! ころしてくれぇええええええ!」
少女が叫ぶ。違う、叫んでいるのはフィオナ自身だ。
姉は弟を庇い、弟は姉を庇っている。幼く無力な2人が、おぞましい暴力の嵐の中で身を寄せ合っている。
気がつけばフィオナも、誰かと身を寄せ合っていた。
「大丈夫……だいじょうぶ、だよ……」
彩吹だった。
左右の細腕が、黒い翼が、フィオナの小柄な細身を包み込んでいる。
「私が、いる……私が、ついてるよ……だから……」
彩吹の端麗な顔が青ざめ、震え、涙に濡れていた。
彼女も、フィオナと同じものを見ているのだ。
姉弟を助けてやれず、どうしようもないまま、せめてフィオナを助けようとしてくれている。
震えながら。涙を流しながら。
自身もまた誰かに助けを求めたいのであろう彩吹が、こうして無様に叫び喚くフィオナを放っておけず、たおやかな腕と暗黒色の翼で抱き包んでくれている。
幼い弟を庇う、幼い姉のように。
「だから……殺せ、なんて言うもんじゃない……」
声を、美貌を、震わせながら、彩吹は微笑んだ。
今にも、壊れてしまいそうな笑顔だった。
その藍色の瞳に映る自分の顔を、フィオナはじっと見つめた。
「……何て顔を、している……何て様を、晒しているんだ天堂フィオナ……」
彩吹の瞳の中で泣きじゃくる無力な少女に、フィオナは語りかけた。
「お前は……騎士だろう……?」
●
何の事はない、と直斗は思った。
自分と姉が、あの男たちにされていた事と、ほぼ同じである。
馴染みのあるものを、見せつけられているだけだ。
「俺の心の傷でも抉るつもり、なんだろうが……古いぜ、その手はよ」
直斗は、軽口を叩いて見せた。
自分の声が震えている、ような気がする。それが直斗は気に入らなかった。
1つだけ、わかった事がある。
この男は本当に、この幼い姉弟を愛している。執着を、愛と呼ぶならばだ。
思えば、あの男たちも執着していたものだ。飛騨直斗という、1人の無力な少年に。
姉を喰らい尽くし放り捨てた男たちが、弟を、まるで捨て猫でも拾うかのように持ち帰った。
そして散々、愛玩動物として扱った。
「あいつらのやってた事と……丸っきり、同じじゃねえかぁ……くだらねえ、新しさがねえよ。おい貴様もうやめとけ、俺につまんねーもの見せつけやがンのはよォ……」
愛玩動物が、やがて獣となり、あの男たちの喉を噛みちぎった。
その時と同じく直斗は今、牙を剥いていた。野獣そのものの、息遣いと共に。
「やめろよぉ、本当に……そんなもの、見せられたら……僕が……滾ってきちゃうよぉおおお」
それは直斗の叫びであり、直斗の心の森に棲まう怪物の咆哮でもあった。
「あはっ……あっはははは! なかなかいい執着ぶりだよ君ィ。やっぱり僕と同類なんだねえ、そう化け物なんだよ! 君も僕も、何かに執着しないと生きていけない化け物! だから僕は……」
顔面に、衝撃が来た。鼻血の飛沫が散った。
直斗は、己の顔面に拳を叩き込んでいた。
「……俺はッ……同類として、貴様を殺す! それが慈悲」
突然、口を塞がれた。鼻もろともだ。
何者かが、横合いからハンカチを押し付け、直斗の鼻血を拭いにかかっている。
「……同じじゃないよ。飛騨君は、あんな奴と」
奏空だった。
「悪者ぶっててもさ、すぐ地が出ちゃう人っているよね?」
「……俺がそうだって言うのかよ」
他人のハンカチで、直斗は遠慮なく鼻をかんだ。
「あんたは……平気そうだな? こんなもの見せられて」
「自慢じゃないけど俺、やせ我慢が得意でね」
奏空の声が、笑顔が、震えている。振動で今にも砕けてしまいそうな陶器の如く。
「正直……かなり、無理してる。俺、実はあいつと同じで」
姉弟の血にまみれて笑い転げる男に、奏空は桃色の眼光を向けた。
「人……殺した事、あるんだ」
「珍しくもねえ。敵の首なんざ、いくつ狩ったか覚えてねえぞ俺」
自慢する事ではなかった。
「本当に……あいつと同じなのは……」
奏空の言葉に、かちかちと歯のぶつかり合う音が混ざった。
「飛騨君じゃなくて……俺……」
「そんなくだらねー事、無理矢理にでも考えてねえと、ブチ切れて自分を見失っちまいそうなんだろ?」
奏空の背中を、直斗はいくらか強めに叩いた。
奏空には、姉がいるという。このようなものを見せられて、思うところが何もないはずはない。
姉の話を奏空は、直斗のいるところでは絶対にしようとしないのだった。
●
幻覚の類である事は、すぐにわかった。
頭で理解した事に、しかし心と身体が従ってくれない。
「やめて……やめてぇ……やめてよう……」
ミュエルの声は、男には届かない。
何故なら、ここにミュエルはいないからだ。いなかったからだ。
わかっていても、問いかけてしまう。
「どうして……? どうして、こんな事が出来るの……?」
ミュエルは見つめるしかなかった。止める事は出来ない。自分は、この時この場にいなかったのだから。
だが今は、ここにいる。
「それなら……今からでも、出来る事……するしかないでしょ?」
ミュエルの中で、何かが燃えている。
妖に対しても、隔者に対しても、これほど燃え盛る感情を抱いた事が今まであっただろうか。
それは怒り、であった。
微かな羽音が聞こえた。
守護使役が、小さな翅を震わせながら、心配そうにこちらを見ている。
「大丈夫……アタシは大丈夫だよ、レンゲさん……」
ミュエルは言った。
「そうだよ……見ているだけの、アタシたちとは違う……この子たちは現実に、こんな目に遭って……その苦しみが、今も続いてる……」
姉弟が、悲鳴を上げている。
いや違う。悲鳴を上げているのは仲間の誰かだ。彩吹か、フィオナか。
皆も今、自分と同じものを見ているのだ。
「ずっと続くんだよ……この子たち、ずっとこのままなんだよ? アタシたちがやらなきゃ……!」
ミュエルは言い放ち、細腕を振りかざした。
「みんな! しっかりして!」
それを合図に、守護使役が飛んだ。
●
痛みはない。ただ何かが突き刺さった、と翔は感じた。
首筋の辺りを、巨大な蜂に刺されていた。
いや、蜂ではない。ミュエルの守護使役だ。
注入されて来たのは、蜂毒ではなく癒しの力。
翔は振り返った。硬直していた身体が、思い通りに動く。
目の合ったミュエルが、歯を食いしばり、頷いている。
「そうだよ……みんな、しっかりしろぉおッ!」
翔は叫んだ。
地下室内の光景が、過去から現在に戻った。助けてやれなかった姉弟が、妖に内包されたまま苦しみ泣き叫んでいる。
送受心・改で、翔は語りかけた。
(ごめんな、遅くなって……今、助けてやる。あとちょっとの辛抱だからな! 絶対、絶対に、終わらせてやるからなあっ!)
周囲では、奏空と直斗が、フィオナと彩吹が、惨劇の光景に呪縛され、しかしそれを自力で振りほどこうと足掻いている。
その足掻きに、もう一押しが必要だ。
「オレらが! 踏ん張らないで、どうすんだぁああああああっ!」
気合いと共に、翔の身体が躍動する。演舞・舞音。
白い和装のはためきに合わせ、浄化物質がキラキラと舞い散った。
その煌めきの中で、まずはフィオナが呪縛を断ち切った。
「ありがとう、翔……ありがとう、彩吹殿」
聖剣ガラティーン・改が、炎をまとう。
「私1人では、潰されていた……貴女が支えてくれたおかげで」
「……私は、フィオナにすがりついていただけだよ。子供みたいにね」
同じく炎を帯びた双刀・鎬を構えながら、彩吹が苦笑する。
「年下の仲間たちを、守ってあげるつもりでいたのに……年長者として恥ずかしい」
「恥ずいのは俺さ。見せたくねえもの見せちまった。何が僕だよ、まったく」
呻きながら、直斗が牙を剥く。
「まあ、それはともかく……なあ同類。こけ脅しの幻覚、の次は何だ。どんな芸、見せてくれる?」
妖が、ねじ曲がった。模様として浮かび上がっている男の形相が、弱々しく歪んでいる。
恐怖の、表情だった。
「攻撃手段が、他には何にもなし……ランク2の妖としては、戦闘能力そのものは最弱クラスか」
言いつつ彩吹が、双刀を燃え上がらせる。
「何の事はない。弱い奴が、弱い者いじめをしていただけ……この薄汚い地下室が、お前の城ってわけ? そこで力のない小さな子供相手に王様気取り? 笑わせるな卑怯者ッ!」
それは彼女の、怒りの炎でもあった。
「弱い奴に、これ以上の弱体化は必要ないな。『火蜥蜴の牙』を御馳走しようかとも思ったけど、お前みたいな雑魚はこのまま叩き潰した方が早そうだ。フィオナ、一緒に!」
「心得た……外道、絶対に許さない!」
双刀と聖剣。計3本の刃が、松明のように燃え盛りながら、妖に向かって一閃する。
覚者2名による、豪炎撃だった。
別方向からは、奏空が狙いを定めている。
「俺、今お寺に住ませてもらってるんだ。真似事しか出来ないけど、だから……供養、させてもらうよ。さあ飛騨君」
「任せな!」
直斗の叫びと同時に、雷鳴が起こった。
「仇華浸香でじわじわ弱体化させる予定だったけど、んな必要ねえか。楽にしてやるぜ同類!」
電光の嵐が、妖に向かって吹き荒れた。
奏空と直斗、両者による雷獣だった。
炎の斬撃と、稲妻の奔流が、妖を粉砕する。
粉砕された霊体が、キラキラと再構成されてゆく。
抱き合いながら天に昇る、姉弟としてだ。
男が、それを追う。おぞましい霊体の触手と化し、姉弟を捕えようとする。
「させない……!」
ミュエルの声に合わせて荊棘が生じ、旋風の如く渦を巻きながら、霊体の触手を引き裂いて切り散らした。棘一閃だった。
「アナタは……ここでおしまい、だよ……」
殺人犯であった男の魂は、ちぎれ舞い消えていった。
完全なる消滅。もはや地獄へ落ちる事もなく、転生の機会も失ったのだ。
「死刑になる気があれば、何やっても許される……なんて思ってたの?」
ミュエルは、怒りながら泣いていた。
「何で……どうして、こんな人がいるの……?」
「いるんだよミュエルさん。てめえの命も大事に出来ねえから、他人なんざどうなってもいい……そういう、クソみてえな連中がよ」
言葉を発したのは、直斗だった。
「あいつらもな……俺にブチ殺されながら、へらへら楽しそうに笑ってやがった……」
直斗の言う『あいつら』に関して、翔は何も知らない。根掘り葉掘り訊いてみる事でもない。
とにかく。そのような輩とは違って、この姉弟にはまだ無限の可能性がある。
「天国とかで、のんびり暮らすのもいいけどよ……」
微笑みながら天に昇って行く姉弟に、翔は語りかけた。
「こんな世の中だけど、出来れば……また、生まれて来てくれよな」
「すぐじゃなくていい。今は、ゆっくりお休み……」
彩吹の『こもりうた』が、姉弟を送った。
●
姉弟の遺品、は見つからなかった。警察があらかた押収してしまった後だからだ。
立ち去る前に1つだけ、済ませておくべき事がある。
貴女の息子は、2度目の死を迎えた。
そう、はっきりと伝えておかなければならない相手が、部屋の天井から吊り下がっていた。無数の小蝿を、たからせ飛び回らせながら。
翔が、ミュエルが、青ざめ息を呑んでいる。彩吹は軽く唇を噛み、直斗は目を伏せている。
フィオナは震えていた。結局、誰1人として助けられなかった。そんな事を思っているのかも知れない。
奏空は数日前の、自殺者たちとの戦いに想いを馳せていた。
「あの戦いで1つ、わかった事がある……最終的に誰も助けられない、としても俺たちは戦わなきゃいけない」
殺人鬼を生み育てる、つもりなどなかったのであろう女性に、奏空は語りかけ頭を下げた。
「いろいろなもの、背負いながらね。だから……貴女の事も、勝手に背負わせてもらいます」
■シナリオ結果■
成功
■詳細■
MVP
なし
軽傷
なし
重傷
なし
死亡
なし
称号付与
なし
特殊成果
なし
