月日の経つのも夢のうち
年月を数える事は、とうの昔にやめている。
あの時から、彼はずっと老人であった。
この砂浜で亀を助け、この砂浜から竜宮へ向かい、この砂浜へ帰って来た。
そして、この砂浜で老人に変わった。本来の年齢に戻った、と言うべきであろうか。
老人となり、だが老衰死を遂げる事は出来ず、彼は旅に出た。
旅の間、この国はゆるやかに変わっていった。
戦乱の時代、徳川幕府による統一、幕末の動乱、異国との戦。
それらを横目に彼は、ずっと考えていた。
「貴女は……何故、私にこのようなものを?」
砂浜に佇みながら、問いかけてみる。この場にいない、二度と会えない相手に。
結局、この砂浜に帰って来てしまった。ここから入水すれば、また竜宮へ行けるだろうか。
長旅の間、決して手放さなかったものを、彼は見つめた。
飾り紐を巻き付けられた、黒い箱。
決して開けてはならない、と彼女は言った。
何故、開けてしまったのか。彼女との思い出の品を、目で見て確認したかったのかも知れない。
「貴女との約束を破った……これは、罰だと言うのですか?」
「罰ではない。貴殿が失敗作であったというだけの事よ」
謎めいた事を言いながら、謎めいた何者かが、のしのしと近づいて来る。
「竜宮の主たる古妖の姫君が、貴殿という人間で実験を行ったのだ。しかし我ら七星剣の力をもってすれば、もっと有効・有意義なる実験が可能となる」
巨漢である。異様に毛深い力士といった風体だ。
巨大な鼻の左右で、巨大な牙を上向きに伸ばした顔面は、まるで猪である。
猪に変化しかけた大男が、物騒な牙を動かしながら言葉を発する。
「それを渡せ。貴殿、それのおかげで大変な目に遭ったのだろう? 手放してしまえ」
「貴方も……玉手箱の煙を浴びた、ようなもの。ですか」
老人は言った。
猪男が、にやりと牙を剥いた。
「玉手箱は、世の人々に福をもたらすもの。貴殿が独り占めをしてはいけない、我ら七星剣が世のため人のため役立てて見せるゆえ、さあ渡すのだ」
渡さねば殺して奪う、つもりであるのは明白である。
猪男の背後から左右へと、複数の人影が、半ば老人を包囲するように展開してゆく。
老人のまま、数百年を生きる身となった。人外と言える。が、このような襲撃者たちと戦える力が身についたわけではなく、殺されれば死ぬ。それは、まあ良い。
だが、この箱だけは。
「……渡せませんな。これは人の世にあってはならぬもの。墓の中まで持って行くつもりで、私はこれを肌身離さず携えているのです。貴方がたのような人々には特に、渡せません」
「貴殿の墓は作ってやるとも。だがその箱は我らがもらう……死にゆく者には必要あるまい?」
死ねば再び竜宮へ行けるのだろうか、とだけ老人は思った。
久方相馬(nCL2000004)が、まずは雑談めいた口調で言った。
「玉手箱って、あるよな? 昔話に出て来るやつ。あれが実は因子の発現に関わるものなんじゃないかって説が、割と昔からあるらしいんだ。開けたら年寄りになっちまうってのは確かに、現の因子を思わせるところが無くもない。
もちろん、玉手箱を開ければ因子が発現するとかいう単純な話じゃあない。
因子の発現を引き起こしている大元の何かに、あの玉手箱っていうアイテムは何かしら関わっているんじゃないかって話さ。どういう関わり方なのかは、調べてみないとわからない。
調べて悪用しようって連中がいる。そう、七星剣さ。あいつらが玉手箱を狙ってる。
実は夢を見たんだ。玉手箱を持った1人の爺さんが、七星剣の隔者に殺される。玉手箱は奪われる。それを阻止して欲しい。
場所は香川県、荘内半島の海岸。
本物の玉手箱かどうかはともかく、人が1人殺されるのを黙って見てるわけにはいかないだろ?
その爺さんが……昔話に出て来る、あの人なら、俺も会ってみたいとこだけどな」
あの時から、彼はずっと老人であった。
この砂浜で亀を助け、この砂浜から竜宮へ向かい、この砂浜へ帰って来た。
そして、この砂浜で老人に変わった。本来の年齢に戻った、と言うべきであろうか。
老人となり、だが老衰死を遂げる事は出来ず、彼は旅に出た。
旅の間、この国はゆるやかに変わっていった。
戦乱の時代、徳川幕府による統一、幕末の動乱、異国との戦。
それらを横目に彼は、ずっと考えていた。
「貴女は……何故、私にこのようなものを?」
砂浜に佇みながら、問いかけてみる。この場にいない、二度と会えない相手に。
結局、この砂浜に帰って来てしまった。ここから入水すれば、また竜宮へ行けるだろうか。
長旅の間、決して手放さなかったものを、彼は見つめた。
飾り紐を巻き付けられた、黒い箱。
決して開けてはならない、と彼女は言った。
何故、開けてしまったのか。彼女との思い出の品を、目で見て確認したかったのかも知れない。
「貴女との約束を破った……これは、罰だと言うのですか?」
「罰ではない。貴殿が失敗作であったというだけの事よ」
謎めいた事を言いながら、謎めいた何者かが、のしのしと近づいて来る。
「竜宮の主たる古妖の姫君が、貴殿という人間で実験を行ったのだ。しかし我ら七星剣の力をもってすれば、もっと有効・有意義なる実験が可能となる」
巨漢である。異様に毛深い力士といった風体だ。
巨大な鼻の左右で、巨大な牙を上向きに伸ばした顔面は、まるで猪である。
猪に変化しかけた大男が、物騒な牙を動かしながら言葉を発する。
「それを渡せ。貴殿、それのおかげで大変な目に遭ったのだろう? 手放してしまえ」
「貴方も……玉手箱の煙を浴びた、ようなもの。ですか」
老人は言った。
猪男が、にやりと牙を剥いた。
「玉手箱は、世の人々に福をもたらすもの。貴殿が独り占めをしてはいけない、我ら七星剣が世のため人のため役立てて見せるゆえ、さあ渡すのだ」
渡さねば殺して奪う、つもりであるのは明白である。
猪男の背後から左右へと、複数の人影が、半ば老人を包囲するように展開してゆく。
老人のまま、数百年を生きる身となった。人外と言える。が、このような襲撃者たちと戦える力が身についたわけではなく、殺されれば死ぬ。それは、まあ良い。
だが、この箱だけは。
「……渡せませんな。これは人の世にあってはならぬもの。墓の中まで持って行くつもりで、私はこれを肌身離さず携えているのです。貴方がたのような人々には特に、渡せません」
「貴殿の墓は作ってやるとも。だがその箱は我らがもらう……死にゆく者には必要あるまい?」
死ねば再び竜宮へ行けるのだろうか、とだけ老人は思った。
久方相馬(nCL2000004)が、まずは雑談めいた口調で言った。
「玉手箱って、あるよな? 昔話に出て来るやつ。あれが実は因子の発現に関わるものなんじゃないかって説が、割と昔からあるらしいんだ。開けたら年寄りになっちまうってのは確かに、現の因子を思わせるところが無くもない。
もちろん、玉手箱を開ければ因子が発現するとかいう単純な話じゃあない。
因子の発現を引き起こしている大元の何かに、あの玉手箱っていうアイテムは何かしら関わっているんじゃないかって話さ。どういう関わり方なのかは、調べてみないとわからない。
調べて悪用しようって連中がいる。そう、七星剣さ。あいつらが玉手箱を狙ってる。
実は夢を見たんだ。玉手箱を持った1人の爺さんが、七星剣の隔者に殺される。玉手箱は奪われる。それを阻止して欲しい。
場所は香川県、荘内半島の海岸。
本物の玉手箱かどうかはともかく、人が1人殺されるのを黙って見てるわけにはいかないだろ?
その爺さんが……昔話に出て来る、あの人なら、俺も会ってみたいとこだけどな」

■シナリオ詳細
■成功条件
1.隔者の撃破(最低でも猪男1名の撃破)
2.老人の生存
3.玉手箱の防衛
2.老人の生存
3.玉手箱の防衛
今回の敵は、七星剣の放った隔者の集団であります。総勢7名。
リーダーの猪男は土行・獣憑の亥。使用スキルは猛の一撃、無頼漢、蔵王・戒で、七星剣に絶対的忠誠を誓っているので降服も逃走もせず死ぬまで戦います。
他6人はそれぞれ翼2名(攻撃手段:空中からのエアブリットのみ)、彩2名(攻撃手段:五織の彩による近接攻撃のみ)、怪2名(攻撃手段:破眼光による支援射撃のみ)で、猪男が斃れた時点で戦意を喪失し、逃走に入ります。捕縛は可能ですが、七星剣に関する重要な情報などを持っているわけではありません。
彼らに殺されそうな老人を助け、玉手箱を守って下さい。
場所は見晴らしの良い真昼の砂浜、横を見れば海が広がっています。
よろしくお願い申し上げます。
状態
完了
完了
報酬モルコイン
金:0枚 銀:1枚 銅:0枚
金:0枚 銀:1枚 銅:0枚
相談日数
7日
7日
参加費
100LP[+予約50LP]
100LP[+予約50LP]
参加人数
6/6
6/6
公開日
2017年03月17日
2017年03月17日
■メイン参加者 6人■

●
老人は、すでに取り囲まれていた。
獣憑の亥である巨漢。他、翼を広げた者が2名、額に第三の目を開いた者2名、手の甲で紋様を輝かせる者2名。
七星剣の隔者・総勢7名が、砂浜で1人の老人を包囲している。黒い箱を抱えた老人。
その箱こそが七星剣の目的なのだ。今まさに彼らは老人を殺し、それを奪おうとしている。
そこへ『星唄う魔女』秋津洲いのり(CL2000268)が、覚醒を遂げつつ声を投げた。
「おやめなさい! 大勢で寄ってたかっての乱暴狼藉、しかも相手は御老人ではありませんか! そのような事は天とファイヴ、そしてこの秋津洲いのりが決して許しませんわ!」
「来たな」
直立した猪のような巨漢が、ニヤリと牙を剥く。
「老いぼれ1人を仕留めるのに寄ってたかるわけがあるまい? 俺がこの人数を率いて来たのはな、貴様らファイヴがこうして出しゃばって来るのを迎え撃つためよ」
「戦る気満々ってわけかい、面白え」
同じく不敵に笑いながら『ボーパルホワイトバニー』飛騨直斗(CL2001570)が、ピンと兎の耳を立てる。
「じゃあよ、この首狩り白兎……貴様らの首、容赦なく狩らせてもらうぜ?」
いのりと直斗が隔者7人の注意を引き寄せている、その間に『探偵見習い』工藤奏空(CL2000955)は動いていた。
(お爺さん、いきなりでごめんなさい! 俺、あなたを守ります!)
送受心・改で老人に念を送りながら、砂浜を駆ける。
(だから、その玉手箱をしっかり持ってて下さいね!)
7人の隔者たちの間を奏空は走り抜け、砂を蹴立てて止まり、老人を背後に庇った。
「お爺さんにも、玉手箱にも、手を出させないよ」
双刀・天地を抜き構えながら奏空は、桃色に輝く瞳で猪男を見据えた。
老人の背後で、隔者の1人が紋章輝く拳を構えている。奏空が猪男を牽制している間に、老人を撲殺して箱を奪う事は可能であろう。
奏空に仲間がいなければ、だ。
「待て! 悪の軍団め!」
気合の声と共に、爆発が起こっていた。
爆炎の中で『白き光のヒーロー』成瀬翔(CL2000063)が、覚醒と変身を遂げている。
「ファイヴレッド! 成瀬翔、参上!」
「え〜。レッドは俺じゃないのかよー」
不満げな声を発したのは、天乃カナタ(CL2001451)だ。
「白き光のヒーローなら、ホワイトとかにしとけよー」
直斗も声を上げた。
「小学生ならグリーンかイエローだろ! レッド俺によこせ俺に」
「直斗さんはブラックだろうが! あと俺、小学生じゃねーから! 覚醒したから! 23歳だから!」
23歳でヒーローベルトはいかがなものか、と奏空は思わなくもなかった。
「まあ直斗は、ヒーローって言うよりなー」
言いつつカナタが、直斗の頭を兎耳もろとも撫で回す。
「ほらほら、龍牙に出て来たネザーランドドワーフ男にそっくり。必殺のもふもふロケットでさ、今日も頼むぜ?」
「そんな技ぁ使えねえよ! っつうか俺を怪人枠に入れるんじゃあねえ!」
「いいじゃん、可愛い系の怪人。獣因子の人たちって基本、そんな感じじゃね?」
「貴様、首置いてくかああッ!」
直斗が、カナタの胸ぐらを掴む。
七星剣の襲撃者7名が、覚者たちの内輪揉めを目の当たりにして呆気に取られている。彼らの注意を引きつけて、老人に手を出させない。翔も直斗もカナタも、それには成功している。
「ああもう、いい加減にして下さい。敵は目の前にいるんですよ?」
掴み合う直斗とカナタを、『プロ級ショコラティエール』菊坂結鹿(CL2000432)が無理矢理に引き離す。
「ほら打ち合わせ通りカナタくんは後衛、直斗くんはわたしと一緒に前衛。さっさとフォーメーション組みましょうね、もう」
少年2人を細腕で捕え、それぞれ後衛・前衛にてきぱきと配置しながら、結鹿は隔者たちを見据えて言い放った。
「力の弱いお年寄りを集団で囲むような、敬老意識のない野蛮な人たちは許せません!」
言葉に合わせ、少女の黒髪が、銀色の輝きを帯びてゆく。
「あなた方の罪は明白、おとなしく縄につきなさい」
「貴様らこそ、八神御大将に刃向かう罪は許し難い」
猪男が、荒々しく鼻息を噴射した。
「全員、処刑する。その老人共々、墓を作って埋めてやろう。貴様らの、挽肉同然の屍をな」
「俺が挽肉になっても、このお爺さんは守ってみせる!」
「奏空様を、挽肉になどさせませんわ」
いのりが、猪男に向かって冥王の杖を振りかざす。
「お肉になるのは貴方。牡丹鍋にして差し上げますから覚悟なさい!」
砂浜に、霧が発生した。
「うぬっ、迷霧か……猪口才な」
粘性のある高密度の霧に絡み付かれ、猪男が呻く。他6名の隔者たちが狼狽する。
「あの娘さん……それに、あちらの若者も」
奏空の背後で老人が、ようやく声を発した。箱を抱き、いのりと翔を見やりながら。
「先程まで、幼かったように見えます。それが突然、成長を……まさか、この玉手箱から煙が漏れているのでは? いけない、早くお逃げなさい!」
「そういう事ではないんです、お爺さん」
猪男と睨み合ったまま、奏空は言った。
「説明は後で。今は……逃げるわけには、いかないんです」
因子の発現が確認されたのは、25年前である。
だが。昔話の登場人物や歴史的偉人の何名かが、実は覚者だったのではないかという説は、奏空も耳にした事はあった。
(だけど……このお爺さんは違う、んじゃないかな)
特に根拠もなく奏空は思ったが、そんな場合ではなかった。
隔者たちのうち翼人の2名が、迷霧に束縛されながらも辛うじて羽ばたいて空中へと舞い上がり、エアブリットを放ったところである。暴風の弾丸が2つ、老人を襲う。
奏空は飛び込んだ。老人を、半ば突き飛ばすような形になってしまった。
降り注ぐエアブリット2発が、立て続けに奏空の背中を直撃する。
悲鳴を、奏空は飲み込んだ。
魔訶瑠璃光は、すでに施してある。多少の傷は、放っておいても回復する。
多少どころではない衝撃が、しかし次の瞬間、奏空を襲った。
迷霧を巨体で蹴散らすかのような、猪男の体当たりであった。
悲鳴の代わりに大量の血を吐きながら、しかし奏空は倒れず、吹っ飛びもせずに踏みとどまった。老人の、楯となる形でだ。
「ぐぅっ……貴様ら……ッ!」
攻撃を命中させた猪男の方が、何やら苦しんでいる。
禍々しい香気が、毛むくじゃらの巨体を包み込んでいた。
「よォ屑ども。お年寄りは労わりなさいってよ、学校で習わなかったのかい?」
直斗が、構えた妖刀の周囲に凶花を咲かせながら笑う。仇華浸香。
「小学校から、やり直した方がいいんじゃねェの? 小学校もまともに通ってねえってかギャハハハハ! こォの最終学歴幼稚園ども!」
脱兎の勢いでと言うべきか、直斗が猪男に斬りかかる。
その間カナタが、奏空に向かって片手をかざす。
体当たりで轢き殺されかけた細身に、癒しの滴が降り注いでいた。
「奏空、ちょっと頑張り過ぎ! 死んじまったら、そのじーさんも寝覚め悪いぜ」
「……まったくですよ。貴方のような若い人が、老いぼれを庇って命を落とすなど、あってはならない事です」
老人が言った。奏空は、無言で微笑み返した。
破裂した臓物が、体内で無理矢理に修復されてゆく、その激痛のせいで口がきけないのだ。
●
カナタが、敵の翼人2名に狙いを定めた。
「さてとぉ、まずはコイツを試しちゃおっかな〜」
そんな事を言いながら左手で、術符を大げさに掲げている。
翼人の片方が、空中で応戦の構えを取った。エアブリットの狙いを、カナタに定めている。
もう片方も同じくエアブリットを発射せんとしているが、狙いは奏空と老人だ。
そちらへ向かってカナタは、術符でカムフラージュしていた右手を振るった。
「……と見せかけてB! O! T! はっはー」
その右手から波動の弾丸が放たれ、宙を裂いた。
奏空と老人を空中から狙い撃とうとしていた翼人が、B.O.T.の直撃を受けて墜落する。
もう片方の翼人が放ったエアブリットは、まっすぐにカナタを襲う。
その軌道上に結鹿は立ち、蒼龍を突き込んだ。狙い澄ました貫殺撃・改が、エアブリットを粉砕する。
「……無茶をしますね、カナタくん。自分に来る攻撃をまるで無視して、他の人の援護に回るなんて」
「いやあ、結鹿がさ。こうやって助けてくれるって信じてたから」
へらへら笑うカナタを一瞬だけ睨みながら、結鹿は踏み込んだ。
隔者7人のうち彩の2名が、迷霧に捕われながらも、のろのろと戦闘態勢を整えようとしている。
そこへ結鹿は、重突を喰らわせていた。
彩2人が鮮血をしぶかせ、よろめく。
とどめを刺そうとする結鹿に、禍々しい眼光が向けられた。
敵7名の中には、怪が2人いる。彼らの額で輝く第三の目が、結鹿に向かって破眼光を迸らせる……寸前。
砂浜に、光の豪雨が降った。
いのりの脣星落霜が、隔者7名を直撃していた。猪男は揺らぎ、他6名は倒れた。
「カナタ様は、奏空様と御老人を……結鹿様は、カナタ様を。いのりは、僭越ながら結鹿様を」
冥王の杖を優雅に掲げたまま、いのりは語る。
「誰かが、誰かを助ける。守る。世の中とはそのようにして回ってゆくのだと、お祖父様が……祖父が、申しておりましたわ」
「……わたしたち覚者の、それは理想ですね。いのりさん」
「じゃあよ。順番的に今度は翔か直斗が、いのりを守らなきゃいけねーとこだぜ。生きてるかー?」
「何とかなあああああ!」
カナタの呼びかけにそう応えながら、直斗が吹っ飛んで来て砂浜に埋まった。
いのりが、甲斐甲斐しく掘り出しにかかる。
「直斗様、大丈夫ですか?」
「す、すまねえ……畜生、あのイノシシ野郎。妖刀の楔も喰らわせてやったってのに、まだ元気有り余ってやがる」
毛むくじゃらの巨体に様々な手傷を負いながら、しかし猪男は、
「ファイヴの小僧、鬱陶しくも頑張りおったな」
重い蹄で、倒れた奏空を踏みにじっている。
「だが、もはや終わりだ、まずは貴様から挽肉に」
「させねえ……必殺、カクセイサンダー!」
翔が、印を結びながら叫ぶ。
迸った電撃の光が、猪男を直撃した。毛深い力士のような巨体が、感電しながらよろめいた。
「ってか、まあ雷獣なんだけどな。奏空、大丈夫か?」
「へ……平気……」
砂浜に埋まりかけていた奏空を、結鹿が駆け寄って助け起こした。
そうしながら、猪男に蒼龍を向ける。
「もはや終わりなのは、あなたの方。お爺さんを囲んで暴力を振るおうとした、だけでなく……わたしの仲間を足蹴にして踏みつけるなんて、もう許せません。悪・即・斬です!」
言い放ち、踏み込み、蒼龍を一閃させる。一閃で三連撃。白夜であった。
その直撃を喰らい、血飛沫を撒き散らしながらも猪男は、即座に反撃を繰り出して来る。蹄を生やした剛腕が、横殴りに唸る。
暴風を伴うその一撃を、結鹿は軽やかにかわした。
その時には翔が、次の攻撃の準備を終えていた。
「雷龍の舞……カクセイサンダー・ドラゴンストォオオオムッ!」
電光が生じ、まるで光の龍の如く荒れ狂う。
猪男が、弱々しくも立ち上がりかけていた他の隔者数名もろとも、電光の龍に灼き払われた。
「ぐッ……ぬぅ、ぅぉおおおおおおおおっ!」
感電・帯電しながら吼える猪男に結鹿は、
「力に驕れる人は、力の前に斃れるのです。あなたも例外ではありません!」
言葉と共に貫殺撃・改を突き込んだ。
手応えはあった、と結鹿は感じた。だが。
「きゃ……う……ッッ!」
悲鳴を噛み殺しながら結鹿は吹っ飛び、砂浜を削る勢いで倒れ込んだ。
猪男の全身から、物理的質量を有するほどの気合が迸ったのだ。無頼漢だった。
蔵王・戒で、身体強度は上げてある。それでも結鹿は、立ち上がる事が出来なかった。
「……なあ猪野郎、逃げた方がいいんじゃね?」
カナタが、声を投げながら片手をかざす。
癒しの霧が、結鹿と奏空を包み込んだ。
「オマエ1人どんなに頑張ったって、俺が皆の怪我こうやって治しちまうもの。詰んじゃってるの、ホントはわかってんだよな?」
「……俺は……もはや、ここまで……」
深々と蒼龍の突き刺さった巨体を、絡み付く電光にバチバチと灼かれながら、猪男は気合を燃やした。
「だが貴様らも生かしてはおかん! 七星剣に勝利を、八神御大将に栄光をッ!」
最後の気合を宿した、突進である。覚者6人を、まとめて轢き殺しかねない……否、1人足りない。
脱兎の勢いで駆けた人影が、猪男と超高速で擦れ違う。
妖刀が一閃した。
直斗の、猛の一撃だった。
首から上の消え失せた巨体が、砂浜に倒れ込む。
高々と宙を舞い、落下して来たものを両手で受け止めながら、直斗は言った。
「安心しな、干し首にして飾ってやんよ……出来の悪い幼卒の脳みそ、ちゃんと抜き取ってからな」
●
「怪人って連中は、基本的に……命を惜しまねえんだよな」
猪男の屍に向かって片掌を立てながら、翔が呟く。
カナタが頭を掻いた。
「七星剣の八神ってのは、こういう鉄砲玉をまだ何百人、何千人と……」
「その連中が、また襲って来るかも知れません。玉手箱を狙って」
奏空が、老人と話をしている。
「お爺さん……ファイヴに来ませんか? その方が安全だと思うし、いろいろお話も聞きたいし。玉手箱を……ぜひ、調べさせて欲しいんです。因子と関係あるかどうかはともかく、今この国で起きている現象の解決に、もしかしたら繋がるかも知れません。図々しいお願いですが」
「……あのような無茶をして私を守って下さった方の、言う通りにするべきでしょうね」
老人が、穏やかに微笑んだ。
その笑顔に疲れが滲み出ている、と直斗は感じた。
「なぁ……爺様はもしかして、生きる事に疲れちまってんのかい? 何なら俺が介錯を」
「何を言っているんですか直斗さんはっ!」
結鹿に怒られた。
「まったく……ごめんなさいね、お爺さん。お怪我はありませんか?」
「すこぶる壮健ですよ。あなた方のおかげです」
「そいつは良かった。爺様がどんだけ長生きしてんのか知らねえけど」
直斗は言った。
「長生き記録、更新するつもりならさ……今までの爺様の人生、聞かせてくれよ」
「面白いお話ではありませんよ?」
「貴方の物語は、この国に住まう大勢の人に親しまれておりますわ」
いのりが、老人の手を握った。
「貴方は、その、本当に……いえ、お訊きする事ではありませんわね。御正体を明かしていただいたところで、いのり達には何も出来ませんから。ただ、お願いいたしますわ御老人。どうか生き抜いて……これまで貴方の見聞なさった多くの物事、いのり達に教えて下さいませ」
「俺も頼むぜ、おじーさん」
翔が、頭を下げた。
「まず、教えてもらいたい事があるんだ。いきなり、ぶしつけで悪いんだけど……これ、見える?」
頭上でぱたぱたと滞空している守護使役に、翔は人差し指を向けた。
老人は、怪訝そうな顔をしている。
「見える……とは?」
「いや……見えないんなら、いいんだ」
1つ明らかになった。この老人は、覚者ではない。
つまり玉手箱は、現の因子とは全く関係のない何かであるという事だ。
翔が、なおも言う。
「……その玉手箱、調べてみていい? いやもちろん開けたりはしねー。俺、ちょっと透視が出来るからさ」
「どうぞ」
老人の許可を得て、翔が玉手箱を透視する。
そして息を飲み、後退りをした。
「どうなさったの? 翔様」
「いや……玉手箱の中身かどうかは、わかんねーけど……」
いのりの問いに答えながら、翔は青ざめている。
「綺麗な……おっかないくらい綺麗な女の人が、見えたんだ。笑ってた。俺が透視したの、ばれてる……」
「……乙姫様ですな」
老人が言った。
カナタがすかさず、能天気な声を出す。
「その乙姫様ってさぁ、どんな人? そんなに美人? どんな声だったか思い出せる? 俺、声色変化で再現出来るよー」
「……やめなさい、もう」
結鹿に止められながら、カナタがなおも言う。
「亀に乗って海に入るってどんな感じ? 俺、実は海ってちょっと苦手なんだよねー。トラウマがあってさ」
「あの亀は竜宮の使者。海の中で私は、不思議な力に守られておりましたよ」
海を見つめながら、老人は語った。
「乙姫様が……いかなる方であられたのか、私は今もわかりません」
「何で玉手箱なんか、お土産にくれたのかも、わかんねーって事か」
言いつつカナタが、丸い珍妙な生き物を頭に乗せている。
「おかげで難儀な人生ずっと送る事になっちまったわけだなー。爺さんになってからの方が、ずっと長いっていう……玉手箱ってもしかして、あった方が困る系の物? うちのぽいふるに、ぱくぱくさせて処分しちゃう?」
「……やめた方がいい、と思う」
翔が、らしくもなく怯えている。
「守護使役が、よくわかんねーバケモノに変身しちまうかも……」
「それほど危険なもの、なのですか……」
いのりが、おずおずと玉手箱に手を触れた。その手を、すぐに引っ込めた。
「これは……この中にあるのは、古妖の……謎めいた力そのもの」
「うっかり開けたら、年取るくれーじゃ済まねえって気がする……」
竜宮の姫君に認められた、この人物だからこそ、老人になってしまう程度で済んだ。
直斗も、そんな気がした。
「1つだけ……わかったぜ」
息を飲みながら、翔が呻く。
「乙姫様ってのは……化け物クラスの、とんでもねー古妖だ」
老人は、すでに取り囲まれていた。
獣憑の亥である巨漢。他、翼を広げた者が2名、額に第三の目を開いた者2名、手の甲で紋様を輝かせる者2名。
七星剣の隔者・総勢7名が、砂浜で1人の老人を包囲している。黒い箱を抱えた老人。
その箱こそが七星剣の目的なのだ。今まさに彼らは老人を殺し、それを奪おうとしている。
そこへ『星唄う魔女』秋津洲いのり(CL2000268)が、覚醒を遂げつつ声を投げた。
「おやめなさい! 大勢で寄ってたかっての乱暴狼藉、しかも相手は御老人ではありませんか! そのような事は天とファイヴ、そしてこの秋津洲いのりが決して許しませんわ!」
「来たな」
直立した猪のような巨漢が、ニヤリと牙を剥く。
「老いぼれ1人を仕留めるのに寄ってたかるわけがあるまい? 俺がこの人数を率いて来たのはな、貴様らファイヴがこうして出しゃばって来るのを迎え撃つためよ」
「戦る気満々ってわけかい、面白え」
同じく不敵に笑いながら『ボーパルホワイトバニー』飛騨直斗(CL2001570)が、ピンと兎の耳を立てる。
「じゃあよ、この首狩り白兎……貴様らの首、容赦なく狩らせてもらうぜ?」
いのりと直斗が隔者7人の注意を引き寄せている、その間に『探偵見習い』工藤奏空(CL2000955)は動いていた。
(お爺さん、いきなりでごめんなさい! 俺、あなたを守ります!)
送受心・改で老人に念を送りながら、砂浜を駆ける。
(だから、その玉手箱をしっかり持ってて下さいね!)
7人の隔者たちの間を奏空は走り抜け、砂を蹴立てて止まり、老人を背後に庇った。
「お爺さんにも、玉手箱にも、手を出させないよ」
双刀・天地を抜き構えながら奏空は、桃色に輝く瞳で猪男を見据えた。
老人の背後で、隔者の1人が紋章輝く拳を構えている。奏空が猪男を牽制している間に、老人を撲殺して箱を奪う事は可能であろう。
奏空に仲間がいなければ、だ。
「待て! 悪の軍団め!」
気合の声と共に、爆発が起こっていた。
爆炎の中で『白き光のヒーロー』成瀬翔(CL2000063)が、覚醒と変身を遂げている。
「ファイヴレッド! 成瀬翔、参上!」
「え〜。レッドは俺じゃないのかよー」
不満げな声を発したのは、天乃カナタ(CL2001451)だ。
「白き光のヒーローなら、ホワイトとかにしとけよー」
直斗も声を上げた。
「小学生ならグリーンかイエローだろ! レッド俺によこせ俺に」
「直斗さんはブラックだろうが! あと俺、小学生じゃねーから! 覚醒したから! 23歳だから!」
23歳でヒーローベルトはいかがなものか、と奏空は思わなくもなかった。
「まあ直斗は、ヒーローって言うよりなー」
言いつつカナタが、直斗の頭を兎耳もろとも撫で回す。
「ほらほら、龍牙に出て来たネザーランドドワーフ男にそっくり。必殺のもふもふロケットでさ、今日も頼むぜ?」
「そんな技ぁ使えねえよ! っつうか俺を怪人枠に入れるんじゃあねえ!」
「いいじゃん、可愛い系の怪人。獣因子の人たちって基本、そんな感じじゃね?」
「貴様、首置いてくかああッ!」
直斗が、カナタの胸ぐらを掴む。
七星剣の襲撃者7名が、覚者たちの内輪揉めを目の当たりにして呆気に取られている。彼らの注意を引きつけて、老人に手を出させない。翔も直斗もカナタも、それには成功している。
「ああもう、いい加減にして下さい。敵は目の前にいるんですよ?」
掴み合う直斗とカナタを、『プロ級ショコラティエール』菊坂結鹿(CL2000432)が無理矢理に引き離す。
「ほら打ち合わせ通りカナタくんは後衛、直斗くんはわたしと一緒に前衛。さっさとフォーメーション組みましょうね、もう」
少年2人を細腕で捕え、それぞれ後衛・前衛にてきぱきと配置しながら、結鹿は隔者たちを見据えて言い放った。
「力の弱いお年寄りを集団で囲むような、敬老意識のない野蛮な人たちは許せません!」
言葉に合わせ、少女の黒髪が、銀色の輝きを帯びてゆく。
「あなた方の罪は明白、おとなしく縄につきなさい」
「貴様らこそ、八神御大将に刃向かう罪は許し難い」
猪男が、荒々しく鼻息を噴射した。
「全員、処刑する。その老人共々、墓を作って埋めてやろう。貴様らの、挽肉同然の屍をな」
「俺が挽肉になっても、このお爺さんは守ってみせる!」
「奏空様を、挽肉になどさせませんわ」
いのりが、猪男に向かって冥王の杖を振りかざす。
「お肉になるのは貴方。牡丹鍋にして差し上げますから覚悟なさい!」
砂浜に、霧が発生した。
「うぬっ、迷霧か……猪口才な」
粘性のある高密度の霧に絡み付かれ、猪男が呻く。他6名の隔者たちが狼狽する。
「あの娘さん……それに、あちらの若者も」
奏空の背後で老人が、ようやく声を発した。箱を抱き、いのりと翔を見やりながら。
「先程まで、幼かったように見えます。それが突然、成長を……まさか、この玉手箱から煙が漏れているのでは? いけない、早くお逃げなさい!」
「そういう事ではないんです、お爺さん」
猪男と睨み合ったまま、奏空は言った。
「説明は後で。今は……逃げるわけには、いかないんです」
因子の発現が確認されたのは、25年前である。
だが。昔話の登場人物や歴史的偉人の何名かが、実は覚者だったのではないかという説は、奏空も耳にした事はあった。
(だけど……このお爺さんは違う、んじゃないかな)
特に根拠もなく奏空は思ったが、そんな場合ではなかった。
隔者たちのうち翼人の2名が、迷霧に束縛されながらも辛うじて羽ばたいて空中へと舞い上がり、エアブリットを放ったところである。暴風の弾丸が2つ、老人を襲う。
奏空は飛び込んだ。老人を、半ば突き飛ばすような形になってしまった。
降り注ぐエアブリット2発が、立て続けに奏空の背中を直撃する。
悲鳴を、奏空は飲み込んだ。
魔訶瑠璃光は、すでに施してある。多少の傷は、放っておいても回復する。
多少どころではない衝撃が、しかし次の瞬間、奏空を襲った。
迷霧を巨体で蹴散らすかのような、猪男の体当たりであった。
悲鳴の代わりに大量の血を吐きながら、しかし奏空は倒れず、吹っ飛びもせずに踏みとどまった。老人の、楯となる形でだ。
「ぐぅっ……貴様ら……ッ!」
攻撃を命中させた猪男の方が、何やら苦しんでいる。
禍々しい香気が、毛むくじゃらの巨体を包み込んでいた。
「よォ屑ども。お年寄りは労わりなさいってよ、学校で習わなかったのかい?」
直斗が、構えた妖刀の周囲に凶花を咲かせながら笑う。仇華浸香。
「小学校から、やり直した方がいいんじゃねェの? 小学校もまともに通ってねえってかギャハハハハ! こォの最終学歴幼稚園ども!」
脱兎の勢いでと言うべきか、直斗が猪男に斬りかかる。
その間カナタが、奏空に向かって片手をかざす。
体当たりで轢き殺されかけた細身に、癒しの滴が降り注いでいた。
「奏空、ちょっと頑張り過ぎ! 死んじまったら、そのじーさんも寝覚め悪いぜ」
「……まったくですよ。貴方のような若い人が、老いぼれを庇って命を落とすなど、あってはならない事です」
老人が言った。奏空は、無言で微笑み返した。
破裂した臓物が、体内で無理矢理に修復されてゆく、その激痛のせいで口がきけないのだ。
●
カナタが、敵の翼人2名に狙いを定めた。
「さてとぉ、まずはコイツを試しちゃおっかな〜」
そんな事を言いながら左手で、術符を大げさに掲げている。
翼人の片方が、空中で応戦の構えを取った。エアブリットの狙いを、カナタに定めている。
もう片方も同じくエアブリットを発射せんとしているが、狙いは奏空と老人だ。
そちらへ向かってカナタは、術符でカムフラージュしていた右手を振るった。
「……と見せかけてB! O! T! はっはー」
その右手から波動の弾丸が放たれ、宙を裂いた。
奏空と老人を空中から狙い撃とうとしていた翼人が、B.O.T.の直撃を受けて墜落する。
もう片方の翼人が放ったエアブリットは、まっすぐにカナタを襲う。
その軌道上に結鹿は立ち、蒼龍を突き込んだ。狙い澄ました貫殺撃・改が、エアブリットを粉砕する。
「……無茶をしますね、カナタくん。自分に来る攻撃をまるで無視して、他の人の援護に回るなんて」
「いやあ、結鹿がさ。こうやって助けてくれるって信じてたから」
へらへら笑うカナタを一瞬だけ睨みながら、結鹿は踏み込んだ。
隔者7人のうち彩の2名が、迷霧に捕われながらも、のろのろと戦闘態勢を整えようとしている。
そこへ結鹿は、重突を喰らわせていた。
彩2人が鮮血をしぶかせ、よろめく。
とどめを刺そうとする結鹿に、禍々しい眼光が向けられた。
敵7名の中には、怪が2人いる。彼らの額で輝く第三の目が、結鹿に向かって破眼光を迸らせる……寸前。
砂浜に、光の豪雨が降った。
いのりの脣星落霜が、隔者7名を直撃していた。猪男は揺らぎ、他6名は倒れた。
「カナタ様は、奏空様と御老人を……結鹿様は、カナタ様を。いのりは、僭越ながら結鹿様を」
冥王の杖を優雅に掲げたまま、いのりは語る。
「誰かが、誰かを助ける。守る。世の中とはそのようにして回ってゆくのだと、お祖父様が……祖父が、申しておりましたわ」
「……わたしたち覚者の、それは理想ですね。いのりさん」
「じゃあよ。順番的に今度は翔か直斗が、いのりを守らなきゃいけねーとこだぜ。生きてるかー?」
「何とかなあああああ!」
カナタの呼びかけにそう応えながら、直斗が吹っ飛んで来て砂浜に埋まった。
いのりが、甲斐甲斐しく掘り出しにかかる。
「直斗様、大丈夫ですか?」
「す、すまねえ……畜生、あのイノシシ野郎。妖刀の楔も喰らわせてやったってのに、まだ元気有り余ってやがる」
毛むくじゃらの巨体に様々な手傷を負いながら、しかし猪男は、
「ファイヴの小僧、鬱陶しくも頑張りおったな」
重い蹄で、倒れた奏空を踏みにじっている。
「だが、もはや終わりだ、まずは貴様から挽肉に」
「させねえ……必殺、カクセイサンダー!」
翔が、印を結びながら叫ぶ。
迸った電撃の光が、猪男を直撃した。毛深い力士のような巨体が、感電しながらよろめいた。
「ってか、まあ雷獣なんだけどな。奏空、大丈夫か?」
「へ……平気……」
砂浜に埋まりかけていた奏空を、結鹿が駆け寄って助け起こした。
そうしながら、猪男に蒼龍を向ける。
「もはや終わりなのは、あなたの方。お爺さんを囲んで暴力を振るおうとした、だけでなく……わたしの仲間を足蹴にして踏みつけるなんて、もう許せません。悪・即・斬です!」
言い放ち、踏み込み、蒼龍を一閃させる。一閃で三連撃。白夜であった。
その直撃を喰らい、血飛沫を撒き散らしながらも猪男は、即座に反撃を繰り出して来る。蹄を生やした剛腕が、横殴りに唸る。
暴風を伴うその一撃を、結鹿は軽やかにかわした。
その時には翔が、次の攻撃の準備を終えていた。
「雷龍の舞……カクセイサンダー・ドラゴンストォオオオムッ!」
電光が生じ、まるで光の龍の如く荒れ狂う。
猪男が、弱々しくも立ち上がりかけていた他の隔者数名もろとも、電光の龍に灼き払われた。
「ぐッ……ぬぅ、ぅぉおおおおおおおおっ!」
感電・帯電しながら吼える猪男に結鹿は、
「力に驕れる人は、力の前に斃れるのです。あなたも例外ではありません!」
言葉と共に貫殺撃・改を突き込んだ。
手応えはあった、と結鹿は感じた。だが。
「きゃ……う……ッッ!」
悲鳴を噛み殺しながら結鹿は吹っ飛び、砂浜を削る勢いで倒れ込んだ。
猪男の全身から、物理的質量を有するほどの気合が迸ったのだ。無頼漢だった。
蔵王・戒で、身体強度は上げてある。それでも結鹿は、立ち上がる事が出来なかった。
「……なあ猪野郎、逃げた方がいいんじゃね?」
カナタが、声を投げながら片手をかざす。
癒しの霧が、結鹿と奏空を包み込んだ。
「オマエ1人どんなに頑張ったって、俺が皆の怪我こうやって治しちまうもの。詰んじゃってるの、ホントはわかってんだよな?」
「……俺は……もはや、ここまで……」
深々と蒼龍の突き刺さった巨体を、絡み付く電光にバチバチと灼かれながら、猪男は気合を燃やした。
「だが貴様らも生かしてはおかん! 七星剣に勝利を、八神御大将に栄光をッ!」
最後の気合を宿した、突進である。覚者6人を、まとめて轢き殺しかねない……否、1人足りない。
脱兎の勢いで駆けた人影が、猪男と超高速で擦れ違う。
妖刀が一閃した。
直斗の、猛の一撃だった。
首から上の消え失せた巨体が、砂浜に倒れ込む。
高々と宙を舞い、落下して来たものを両手で受け止めながら、直斗は言った。
「安心しな、干し首にして飾ってやんよ……出来の悪い幼卒の脳みそ、ちゃんと抜き取ってからな」
●
「怪人って連中は、基本的に……命を惜しまねえんだよな」
猪男の屍に向かって片掌を立てながら、翔が呟く。
カナタが頭を掻いた。
「七星剣の八神ってのは、こういう鉄砲玉をまだ何百人、何千人と……」
「その連中が、また襲って来るかも知れません。玉手箱を狙って」
奏空が、老人と話をしている。
「お爺さん……ファイヴに来ませんか? その方が安全だと思うし、いろいろお話も聞きたいし。玉手箱を……ぜひ、調べさせて欲しいんです。因子と関係あるかどうかはともかく、今この国で起きている現象の解決に、もしかしたら繋がるかも知れません。図々しいお願いですが」
「……あのような無茶をして私を守って下さった方の、言う通りにするべきでしょうね」
老人が、穏やかに微笑んだ。
その笑顔に疲れが滲み出ている、と直斗は感じた。
「なぁ……爺様はもしかして、生きる事に疲れちまってんのかい? 何なら俺が介錯を」
「何を言っているんですか直斗さんはっ!」
結鹿に怒られた。
「まったく……ごめんなさいね、お爺さん。お怪我はありませんか?」
「すこぶる壮健ですよ。あなた方のおかげです」
「そいつは良かった。爺様がどんだけ長生きしてんのか知らねえけど」
直斗は言った。
「長生き記録、更新するつもりならさ……今までの爺様の人生、聞かせてくれよ」
「面白いお話ではありませんよ?」
「貴方の物語は、この国に住まう大勢の人に親しまれておりますわ」
いのりが、老人の手を握った。
「貴方は、その、本当に……いえ、お訊きする事ではありませんわね。御正体を明かしていただいたところで、いのり達には何も出来ませんから。ただ、お願いいたしますわ御老人。どうか生き抜いて……これまで貴方の見聞なさった多くの物事、いのり達に教えて下さいませ」
「俺も頼むぜ、おじーさん」
翔が、頭を下げた。
「まず、教えてもらいたい事があるんだ。いきなり、ぶしつけで悪いんだけど……これ、見える?」
頭上でぱたぱたと滞空している守護使役に、翔は人差し指を向けた。
老人は、怪訝そうな顔をしている。
「見える……とは?」
「いや……見えないんなら、いいんだ」
1つ明らかになった。この老人は、覚者ではない。
つまり玉手箱は、現の因子とは全く関係のない何かであるという事だ。
翔が、なおも言う。
「……その玉手箱、調べてみていい? いやもちろん開けたりはしねー。俺、ちょっと透視が出来るからさ」
「どうぞ」
老人の許可を得て、翔が玉手箱を透視する。
そして息を飲み、後退りをした。
「どうなさったの? 翔様」
「いや……玉手箱の中身かどうかは、わかんねーけど……」
いのりの問いに答えながら、翔は青ざめている。
「綺麗な……おっかないくらい綺麗な女の人が、見えたんだ。笑ってた。俺が透視したの、ばれてる……」
「……乙姫様ですな」
老人が言った。
カナタがすかさず、能天気な声を出す。
「その乙姫様ってさぁ、どんな人? そんなに美人? どんな声だったか思い出せる? 俺、声色変化で再現出来るよー」
「……やめなさい、もう」
結鹿に止められながら、カナタがなおも言う。
「亀に乗って海に入るってどんな感じ? 俺、実は海ってちょっと苦手なんだよねー。トラウマがあってさ」
「あの亀は竜宮の使者。海の中で私は、不思議な力に守られておりましたよ」
海を見つめながら、老人は語った。
「乙姫様が……いかなる方であられたのか、私は今もわかりません」
「何で玉手箱なんか、お土産にくれたのかも、わかんねーって事か」
言いつつカナタが、丸い珍妙な生き物を頭に乗せている。
「おかげで難儀な人生ずっと送る事になっちまったわけだなー。爺さんになってからの方が、ずっと長いっていう……玉手箱ってもしかして、あった方が困る系の物? うちのぽいふるに、ぱくぱくさせて処分しちゃう?」
「……やめた方がいい、と思う」
翔が、らしくもなく怯えている。
「守護使役が、よくわかんねーバケモノに変身しちまうかも……」
「それほど危険なもの、なのですか……」
いのりが、おずおずと玉手箱に手を触れた。その手を、すぐに引っ込めた。
「これは……この中にあるのは、古妖の……謎めいた力そのもの」
「うっかり開けたら、年取るくれーじゃ済まねえって気がする……」
竜宮の姫君に認められた、この人物だからこそ、老人になってしまう程度で済んだ。
直斗も、そんな気がした。
「1つだけ……わかったぜ」
息を飲みながら、翔が呻く。
「乙姫様ってのは……化け物クラスの、とんでもねー古妖だ」
■シナリオ結果■
成功
■詳細■
MVP
なし
軽傷
なし
重傷
なし
死亡
なし
称号付与
なし
特殊成果
なし
