二つの予知・01
●
――長い長い眠りの中、ノイズが、聞こえた。
ああ、また悪夢が始まるんだな。
大丈夫。今は落ち着いて見るんだ……。
●闇、光
暗闇の中、複数いる追っ手から逃げていて、私はふと思った。
発端は、何だったのだろう。いや、理由は分かっている。
私はパンドラの箱を開けてしまったのかもしれない。
この会社について、疑問に思ったことが一つあったのだ。
きっかけは些細な事だった。数が合わなかった。ただそれだけのこと。それがここまでの話になるなんて。
ああ、知らなければよかったのだろうか。あの人、死んでしまったんだろうか。
時間が戻るのなら、どうか。
私は自分の尻尾を巻いて物陰へと潜んだ。息を殺して、嵐が過ぎ去るのを待った。
もし逃げ切れるのならまず、この証拠を誰かに渡さないといけない。あの人の安否は気になるが、私を必死になって逃がしてくれたのだ。まず自分の目的を果たさないといけない。
そして、それから彼の安否を確かめなければいけない。
でも、不運っていうのはある。それがその時だっただけなのかもしれない。
――かたん、と。何かが音を立てて落ちて。
わ た し の い ば しょはば れ た。
●再、死
そして彼女は死んだ。逃げようとしたところを抵抗虚しく銃で撃たれて。
悪夢は、繰り返す。僅かに形を変えて。何度も、何度も。
いくつもの仮定や条件を加え、引き、如何に変化が起こるかを観測しながら。
手出しはできない。けれども。それが私の出来る最大の役目。
ある時は運よく逃走するも横転し、そこを射殺。
またある時は『何か』のせいでバランスを崩して倒れ、弱った所を殺害……。
正直嫌な光景だ。だが、私にしか見られないものだから、必死になって見た。
そして……何度か悪夢を繰り返した後。
動かなくなった遺体を、じっと一つの影が見ていた。
恐らく、さっき彼女を殺した隊とは別動隊の隊長だろう。
「隊長、早く行きましょう。死体は部下に処理させますので」
影はもう一つの影に頷きを返し、ぼそりと言った。
「……分かっている。ここでぼやぼやしていると全て失敗する。
誰がどこで何を見ているか分かったもんじゃあないからな」
――……!!??
――その影の主である男が……『こちら』をじっと、見ていた。
そこで私は次の夢へと堕とされた。
●白、黒
「大阪府の医薬品製造工場で事件が発生します。このグループには一人の女性の救出をお願いします」
2件同時の依頼である。『夢見准教授』菊本 正美(nCL2000172)は覚者の視線をまっすぐ見据えて切り出した。
「女性の名前は石田サトミ。29歳。獣の因子持ち。ガイア製薬に勤務しています。理由は現段階では不明ですが、憤怒者に襲撃され死にます。死因は射殺。抵抗して逃走を試みたとしてもすぐに殺されることでしょう」
――何かが、始まろうとしている。
――だが、不安を見せてはいけない。
――だが、事実は言わねばならない。
……たとえ、どんなに不都合であったとしても。
「注意してください。同時間帯に同じ製薬会社内で2つの事件が発生します。
彼等は私達の『干渉』を想定した上で作戦を練ってきている可能性が極めて高いです。そこでグループを2手に分けて対応して頂くことにしました」
夢見に出来るのは予知に対して、適切な情報を与えるだけだ。
悪夢から誰かを救う、チャンスを掴むために。
「資料はまとめました。今から別動隊への説明に行きますので、今回の事件についての詳細はその書類をご覧ください。
……私が出来るのは貴方達の実力を信じること、そしてその上で情報を提供することだけです。
……どうか、皆さんご無事で。幸運を祈ります」
――長い長い眠りの中、ノイズが、聞こえた。
ああ、また悪夢が始まるんだな。
大丈夫。今は落ち着いて見るんだ……。
●闇、光
暗闇の中、複数いる追っ手から逃げていて、私はふと思った。
発端は、何だったのだろう。いや、理由は分かっている。
私はパンドラの箱を開けてしまったのかもしれない。
この会社について、疑問に思ったことが一つあったのだ。
きっかけは些細な事だった。数が合わなかった。ただそれだけのこと。それがここまでの話になるなんて。
ああ、知らなければよかったのだろうか。あの人、死んでしまったんだろうか。
時間が戻るのなら、どうか。
私は自分の尻尾を巻いて物陰へと潜んだ。息を殺して、嵐が過ぎ去るのを待った。
もし逃げ切れるのならまず、この証拠を誰かに渡さないといけない。あの人の安否は気になるが、私を必死になって逃がしてくれたのだ。まず自分の目的を果たさないといけない。
そして、それから彼の安否を確かめなければいけない。
でも、不運っていうのはある。それがその時だっただけなのかもしれない。
――かたん、と。何かが音を立てて落ちて。
わ た し の い ば しょはば れ た。
●再、死
そして彼女は死んだ。逃げようとしたところを抵抗虚しく銃で撃たれて。
悪夢は、繰り返す。僅かに形を変えて。何度も、何度も。
いくつもの仮定や条件を加え、引き、如何に変化が起こるかを観測しながら。
手出しはできない。けれども。それが私の出来る最大の役目。
ある時は運よく逃走するも横転し、そこを射殺。
またある時は『何か』のせいでバランスを崩して倒れ、弱った所を殺害……。
正直嫌な光景だ。だが、私にしか見られないものだから、必死になって見た。
そして……何度か悪夢を繰り返した後。
動かなくなった遺体を、じっと一つの影が見ていた。
恐らく、さっき彼女を殺した隊とは別動隊の隊長だろう。
「隊長、早く行きましょう。死体は部下に処理させますので」
影はもう一つの影に頷きを返し、ぼそりと言った。
「……分かっている。ここでぼやぼやしていると全て失敗する。
誰がどこで何を見ているか分かったもんじゃあないからな」
――……!!??
――その影の主である男が……『こちら』をじっと、見ていた。
そこで私は次の夢へと堕とされた。
●白、黒
「大阪府の医薬品製造工場で事件が発生します。このグループには一人の女性の救出をお願いします」
2件同時の依頼である。『夢見准教授』菊本 正美(nCL2000172)は覚者の視線をまっすぐ見据えて切り出した。
「女性の名前は石田サトミ。29歳。獣の因子持ち。ガイア製薬に勤務しています。理由は現段階では不明ですが、憤怒者に襲撃され死にます。死因は射殺。抵抗して逃走を試みたとしてもすぐに殺されることでしょう」
――何かが、始まろうとしている。
――だが、不安を見せてはいけない。
――だが、事実は言わねばならない。
……たとえ、どんなに不都合であったとしても。
「注意してください。同時間帯に同じ製薬会社内で2つの事件が発生します。
彼等は私達の『干渉』を想定した上で作戦を練ってきている可能性が極めて高いです。そこでグループを2手に分けて対応して頂くことにしました」
夢見に出来るのは予知に対して、適切な情報を与えるだけだ。
悪夢から誰かを救う、チャンスを掴むために。
「資料はまとめました。今から別動隊への説明に行きますので、今回の事件についての詳細はその書類をご覧ください。
……私が出来るのは貴方達の実力を信じること、そしてその上で情報を提供することだけです。
……どうか、皆さんご無事で。幸運を祈ります」

■シナリオ詳細
■成功条件
1.憤怒者の撃退
2.石田サトミを無傷で保護する
3.なし
2.石田サトミを無傷で保護する
3.なし
重複して参加した場合は全ての依頼の参加権利を剥奪し、LP返却は行われないのでご了承ください。
二進数の01は十進数で1、二進数の10は十進数で2。交戦場所が十字と一文字だったり。そんな感じのナンバリング。
字数超えないと思ったらもう片っぽで字数超えてた品部です。油断できないな!
さて今回の事件は憤怒者戦です。あれ憤怒者三連続以下略。
【事件資料】
最優先事項:石田サトミの身柄の保護
不必要とされる行為:ガイア製薬の不正調査に関わること(調査のための時間が取れないこと、手続きの複雑さ等から不可能と判断)
§事件概要
2月某日22時37分。
大阪府(阪神工業地帯)のガイア製薬の工場にて石田サトミ(29歳、後述)が射殺。
彼女の救出が最優先事項。
§被害者
石田 サトミ(いしだ さとみ)
29歳。ガイア製薬大阪工場に勤務する女性。工場にて廃棄される廃棄物の処理等に携わっている。
水行 獣(辰)因子。守護使役は竜。
覚者であるが身体能力は一般人と同等。戦闘の協力を要請することは不可能と判断。
ガイア製薬内部の不正(?)を調査するうちに何らかの事実を知った様子。
その調査と今回の憤怒者に襲われたことについての関連は現時点では不明。
ガイア製薬の不正内容についても不明。そもそも不正事実があったかどうかも現時点では不明。
無傷で彼女を保護する必要がある。根拠は以下の通り。
彼女は何かを持っているらしく、横転や衝撃でそれが壊れて身体にダメージを受けるため。(何度かの悪夢内での試行でこの何かが破損したことで彼女の状態が急変、瀕死の状態になったので注意が必要)
何か、については現時点では不明。
携帯可能な小型のものであることは間違いない。
しかしFiVEの調査によるとそれらしい既往歴は無い為、医療機器を体内に入れている等の可能性は極めて薄い。
覚者とはいえあくまで民間人なので保護後の精神状態も考慮し質問をする際には注意すること。
§事件現場
ガイア製薬大阪工場敷地内の一角。屋外の一本道で袋小路。
道の脇にはフラットラックコンテナ(長さ約12m、幅約2.5m、高さ約2.5m)があり、石田サトミはこのコンテナに身を潜めた状態でいる。
§憤怒者データ
憤怒者A×5
近接に特化した憤怒者。
特殊なプロテクターを装備しているので耐久力、特に物理攻撃に対して強い。
攻撃手段
特殊警棒:物近単・単体に対して物理ダメージ
特殊警棒(電撃):物近単・単体に対して物理ダメージ。痺れを与える
ショットガン:物近列・列に対して物理ダメージ。物理防御力を下げる。
盾:パッシブ。一定確率でダメージを軽減する。
憤怒者B×3
中・遠距離攻撃に特化した憤怒者。
憤怒者Aに比べ重装備ではないが、火力は高い。
攻撃手段
ショットガン:物遠列・列に対して物理ダメージ。物理防御力を下げる。
スラッグ弾:物遠単・遠距離単体に物理ダメージ。憤怒者Bが持つ攻撃手段の中で最も火力が高い。
閃光弾:物遠全・ダメージ0・命中時対象の命中率を下げる。
石田サトミの身柄保護のためには上記8名の憤怒者を撃退すれば可能と推測するが、以下の憤怒者と思しき人物が現場周辺で目撃されているので警戒が必要。
§憤怒者データ2
・隊長(本名不明)
男性。恐らく年齢は20代後半から30代。
アサルトライフルを装備し全身に防具を纏った人物。非覚者。
・憤怒者C×3
隊長の部下。隊長とほぼ同装備。
隊長、憤怒者Cの実力は不明。
ただ、明らかに今回の事件に対しFiVE側の干渉を想定した上で行動をしている模様。
なので
・石田サトミの身柄の保護に時間がかかる
・石田サトミの保護後安全な場所に連れていない
・憤怒者を深追いする
等の憤怒者に対する対応に手間取ると彼等と交戦せざるを得ないものと思われる。
実力は未知数だが、こちらの手の内がどこまで判明しているか不明なので交戦は出来るだけ回避すべきと判断する。
【PL情報】
・憤怒者相手なので不殺扱いとします
・事前付与は不可。
・同一時間帯に起こる『二つの予知・10』とは確かに連動していますがよっぽど致命的なプレイングでもない限り両者の事件が影響しあうということはありません。
・なので『二つの予知・10』側のPCさんと連絡を取るなどのプレイングがあっても不採用とします。
・資料は演出上いちNPCが書いたものという体裁になってますが、以上の情報はPL情報的にも全て真実です。というか信じたげて。准教授泣いちゃうから。
状態
完了
完了
報酬モルコイン
金:0枚 銀:1枚 銅:0枚
金:0枚 銀:1枚 銅:0枚
相談日数
7日
7日
参加費
100LP[+予約50LP]
100LP[+予約50LP]
参加人数
8/8
8/8
公開日
2017年03月09日
2017年03月09日
■メイン参加者 8人■

●屈服
……とんでもないことになった。
薄暗い袋小路の中。フラットラックコンテナの壁部分にもたれ、サトミは息を静かに吐いた。何とか隠れたものの――見つかるのも時間の問題かもしれない。
見つかったら、殺されるのだろうか。その不安が胸を過った。このままとどまっているのは逆に命取りなのか。
足音が、いくつも聞こえた気がした。何か金属的な重い物の音までする。
これは、間違いなくあの追手たちだ。気付かれてしまったのか。そう思ってちらりと壁の向こうを覗こうとしたその時。
どーーーーーーーーん!!
爆音が周囲の空気をびりびりと震わせ、閃光が周囲を大きく照らした。
「!?」
「天が知る地が知る人知れずっ。か弱い女性を追い詰める悪漢退治のお時間ですっ」
『独善者』月歌 浅葱(CL2000915)がびしっとポーズまでして、憤怒者達の注意を引き付けた。
――それとほぼ同時。
(……サトミさん)
「ひぇっ!?」
突如脳裏に響いた声にサトミは腰を抜かした。コンテナの壁の向こうを透視した『スポーティ探偵』華神 悠乃(CL2000231)の送った念だとは気付かずに驚いたのだ。
(私達はFiVE。助けに来たから今はそこに隠れてて)
サトミは壁に背を付けたまま、地面にぺたりと座り込んだ。
案の定、憤怒者の一部がサトミの存在に気付――く前に、手は打たれていた。
「FiVEだ! ……あなた方はイレブンの方ですか?」
『狗吠』時任・千陽(CL2000014)の声が薄暗い周囲に通る。
だが。その声に、何かのスイッチが入ったかのように憤怒者の様子が変わった。
次の瞬間、2つの閃光。
回避を上げて不測の事態に備えていた『花守人』三島 柾(CL2001148)は即座に目を覆い、光を直視しなかったが……他の覚者達の精度は落ちた。
「こいつら……」
――嫌な予感が、柾の胸を過った。
その予感に応じるように『黒い太陽』切裂 ジャック(CL2001403)がサトミ向けて雷を帯びた結界を展開する。
「それに触ったら痺れて動けなくなるで!」
当然ハッタリだ。雷獣が伝授したその結界に、人を封じ込める力はない。だが彼等はその事実を知らない。近寄りはしない。
……が。刹那、その銃口がジャックに向かった。
「危ない!」
その間を割って入るように、納屋 タヱ子(CL2000019)が立ちふさがる。弾丸が彼女の身体を掠め、追撃と言わんばかりに更にショットガンが火を噴く。
「おい! 大丈夫か!」
英霊の力を引き出したためにここでは動くことが出来ない『慧眼の癒し手』香月 凜音(CL2000495)が気つけの代わりに彼女に声を掛けた。
一瞬、タヱ子の身体がふらりと揺れた。
「だい、じょうぶ……です……」
……ほんの少しだけ。考え事をしていたなんて言えない。
――私は、何故ここにいるのでしょうか。信じてくれる人のためでしょうか。
……いえ。
心の中の、何かが揺らいで、そしてまたぴたりと止まる感覚がした。
タヱ子は盾を構え直した。
「……鉛弾くらいなら幾らでも」
自分が、守りたい。守りたいから、守る。
……都合のいいことは言えないけれど。でも、どうか……信じて、欲しい。『自分』がそう願っているのだ。
そこを縫うように憤怒者に襲い掛かったのが、強烈な威圧感を出す『ボーパルホワイトバニー』飛騨・直斗(CL2001570)だ。
「さあ! 首狩りの時間だ!」
愛する亡き姉の名を冠する刃を引き抜き、狙うのはその首。次の瞬間盾に弾かれ……かと思いきや。
「……ざーんねん」
憤怒者達を襲ったのは、花の香り。直斗は薄く、しかし残忍にも笑った。
心身を共に弱らせる術式だ。香りは防げはしまい。そう判断して放ったが――大正解だったようだ。
「ごめんなー。あの人の頼みなんで首狩るのは我慢しなきゃいけないんだ。でも、せめて弱ってくれよ」
光を受けて命中精度が落ちた為、弱体化の期待値は低い。だがダメージさえ与えられれば御の字だ。
憤怒者達は、サトミを認識している。しかし彼女を眼中に入れていない。こちらにしか注意が行っていないのだ。
こちらに容赦ない集中砲火が遅いかかる。だが、それもタヱ子の防御によって盤石だ。
千陽の空間ごと切り裂くような一撃が憤怒者達にまとめて襲い掛かる。
「作戦成功、でしょうか……」
彼はそう思いはしたものの……まだ尚そう楽観できそうにないとも同時に思った。警報空間は念のため展開したが、それらしい反応は今の所ない。早く倒して逃げるべきか。
こちらに完全に注意が行っている為、今なら恐らくこちらにサトミを引き入れられる……かもしれない、が。リスクは高い。
「速攻で片付けるぞ!」
ショットガントレットを携え、前線に出た柾が後衛の憤怒者達に一斉に気の弾丸を撃ち放つ。銃声こそしないものの、防具に鈍い音を立ててぶつかり、空気が震えて音を無数に響かせた。
そこに追撃を加えたのが悠乃だ。竜の爪に帯びた炎のきらめきは、ごうと音を立てて周囲の薄暗い空間さえ照らし、憤怒者達を纏めて一気に焼き払った。
術式ならと思って放ったが、やはり。いつもの笑顔が更に増す。
直後、小さい身体を大きく動かして、飛んできた浅葱の二連撃が憤怒者を蹴り飛ばす。そこに、凜音の水の弾丸が鋭く飛んできた。いつもなら回復に回りたい所だが……時間との勝負だ。ぼやぼやしてられない。
盾ごと憤怒者の身体が思いっきり吹き飛び、地面にたたきつけられた。
そして襲い掛かったのはジャックが作り出した大波だ。轟音と共に憤怒者の身体が膨大な水に飲まれる。
いくら統率が取れて練度の高い憤怒者相手とはいえ、身体能力と術式の使える覚者との差は大きい。普段は防御や回復に徹している覚者も攻撃に転じている為に、命中率が下がってバッドステータスの利が取りづらいものの……火力自体は上がっている。一人、また一人と憤怒者達が膝をつく。
その様子を見ていた一人の憤怒者が一気に手持ちの閃光弾をばらまいた。
直後覚者達の視界を、目を傷つけんばかりの白が覆った。
見えない隙を狙われたらまずいと、何とか咄嗟に光を防いだ柾が見たものは。
「……!」
その場を即座に撤収する、憤怒者達の姿だった。
光が収まった所で彼等は急いでサトミへと寄った。彼女は完全に放心状態で、地面に座っていた。
「大丈夫ですか。お気を確かに」
「もう大丈夫だよ。敵はひとまず蹴散らした」
千陽と直斗が彼女の身体を支えて持ち上げて立たせ、撤収することにする。
「行くぞ!」
凜音は周囲の音を聞きながら、警戒して周囲を見回す。一応守護使役にもていさつを頼んだ。
それらしい気配は一切なさそうだ。……隊長とやらが出てくるのは、避けられたということか。めんどくさい事態は無い方がいい。
柾もていさつしてくれているし、音にばかり反応して招かれざる客の襲撃に反応が送れるということは無いだろう。
タヱ子も万が一に備え、嗅覚を鋭くして警戒して対応する。
薄暗い所は悠乃の守護使役が明るくしてくれるのでそう問題はなさそうだ。
浅葱もサトミが転ばないように付き添ってくれているので、『何か』で彼女が苦しむことはもうないだろう。
工場の出口に差し掛かろうとした直後のこと。
「ちょっと俺戻る!」
まさかの事態が起きた。ジャックが来た道を戻ろうとしたのだ。当然、仲間は止めようとしたが一足遅かった。闇にその姿が消える。
――もしかしたらこの道を戻って現場に行けば……隊長とやらに接触できるのでは、と思って戻ってはみたものの……。
誰も、居ない。それらしい気配もない。
「どうせ、これも想定済みってことだろ……?」
やり場のなさに声を震わせて言う。
だが……薄暗い世界に、声が虚しく響くだけ。
道化を嘲笑うように、闇に音が反響するだけ。
●翻弄
とりあえず工場を脱出し、全員が集まった後のことだ。怪我の大きかったタヱ子や前衛陣を手分けして回復させてからのこと。
サトミは、しばらく黙って歩いていた。覚者達に周囲を守られ、神経質に周囲を見回しながら。
「小川さんは……」
「別働隊で対処しています。今は信じてください」
千陽の言葉にサトミは溜息一つ。……安堵か不穏からくるものは分からないが。
「大丈夫か? 怖かったろ」
凜音の言葉に彼女は静かに頷いてから深く息を吐いて、先を歩き始めた。
「サトミさん、何してるんだよ?」
彼女の安全を第一としていた直斗が思わず声をかける。
しかし彼女はその言葉に、くるりとこちらを向いて、
「……皆さん、本当にありがとうございます」
ぺこりと頭を下げた。
「もう、私は大丈夫です。……私の知りうる限りの情報を皆さんに提供させて頂きます」
そう言った彼女の目はもう揺れていない。
「無理しなくていいのですよっ」
浅葱の言葉にさえ彼女は微笑みを返した。どうやら本当に落ち着いたようだ。
「ありがとうございます。でも、伝えなきゃ……私を守ってくれた小川さんにも申し訳ないし……」
そこまで言った時、柾が口を開く。
「じゃあお言葉に甘えて聞こうか。
……ここは何か憤怒者にとって利のあることを研究してるんじゃないのか?」
彼はその事が気になっていた。この会社と憤怒者が繋がっている以上、互いに何らかの利があるということだ。
しかしそれにサトミは首を振った。
「いいえ。その手の研究は一切していないと思います。ここは一般に良く流通されている薬を作っているだけです」
「それでは何故憤怒者はここに?」
タヱ子の言葉に、サトミはぽつりと。
「ここから廃棄物を買っていたからです」
「廃棄物ってゴミのことか?」
ジャックの言葉に頷きを返す。
「平たく言うとそうですが……この場合は薬を作る際に出てくる化学物質です」
化学物質。その言葉に大体の覚者達は状況を察しただろう。何せ、別動隊がそれに対峙しているのだがら。
彼女は着ていた白衣のポケットから大きめの瓶を取り出した。何か液体が入っている。
「それが先程仰っていた化学物質ですか。……揮発性の毒か何かなのでしょうか?」
事前に資料を読んでそう考えていた千陽にサトミは言った。
「揮発性ではありませんが、確かに毒ではあります。発現した人……つまり覚者にだけ効く毒ですが」
――覚者にだけ、効く毒。それは偶然の産物だった。
この工場内で出た廃棄物を処理する際、近寄った覚者の一部に、目や鼻などの粘膜、皮膚に違和感を覚える者が出たことが発端だった。
その後、廃液に触れた覚者の一部に火傷を起こす者や具合を悪くする者がいた。これは覚者にだけ何らかの作用を及ぼす化学物質があるのでは。そういう話がちらほら出ていたらしい。
そんな矢先のことだった。排出される廃棄物の量を記録していた彼女は、数が合わないことに気づいたのだ。実際に廃棄される量と、処理に回される量につじつまが合わなかったのだ。
つまり、どこかに横流しされているのでは。そう思ったのだ。
「昨今の経済状況もあって一度傾きかけて、経営陣が交代した頃だったので……」
「『廃棄するぐらいなら収益になった方が』ということか。分からなくはないが……やって良いことと悪いことがあるだろうに」
そう言う柾の顔は険しい。小さな会社を経営しているだけにコスト意識は分かるが、かと言ってそんなものを売るのはどうかとは思う。
「ええ。その通りです。でも上はこれらの事実を100%理解していないと思います。毒は薬にもなりますから。口実はいくらでも作れるでしょうし」
だが覚者にだけ作用する物質だとサトミは分かっていた以上、悪用される可能性は高い。そう思って調べている内に……今回の騒動に巻き込まれた訳だ。彼女もそれで証拠を今晩奪取しようとしたが、それさえ手遅れだった。諦める訳にも行かず、とりあえず毒の一部を失敬した所憤怒者に見つかって逃げ出した訳だ。
そこで小川忠彦が彼女の囮になってくれたのだが……。
「まあさっきも言ったがあの人なら別動隊が助けてくれただろうし。俺面識あるから言うけど、見た感じ悪運強そうだから大丈夫じゃね?」
「そう、ですよね……」
凜音の言葉に、サトミは深い溜息を吐いた。落ち着いている様子ではあった。
毒について言えばいくつかの根拠を踏まえた話だが、全身に浴びて更に毒の海に浸からない限りは中毒死しないだろうとのことだ。だが例えば麻酔銃のようなもので撃たれたり、傷口から入れば中毒を起こして戦闘に障害はでるだろう。触れただけでもいわゆる『バッドステータス』のような軽度の状態を引き起こすことは考えられるようだ。
サトミが悪夢の中で倒れて衰弱したのも、転倒した際に身体に傷が付き、瓶が割れたことでそこから毒が入って回ったせいだろう。
覚者にのみ効くとしたら、非覚者の憤怒者にとって取り扱いは楽なはずだ。彼等に強力な武器を大量に手渡してしまったことになる。
「ずいぶんと厄介な話になったわね……嫌な予感はしてたけど」
悠乃はいつも通り笑顔だが、その声は若干暗い。
「回復手段はないのかよ?」
今度は凜音が質問。サトミは眉根を寄せていた。
「他の製薬会社でどれだけこの事実に気付いているかは分かりませんが……まず間違いなく言えることは、いわゆる『解毒剤』というものは無いかと。ですが私も天行の術式で治癒したことはありますので……」
「では覚者自身の自然治癒力や術式で行けるということですねっ」
浅葱の纏めに、サトミは静かに頷いた。
覚者に効く毒が、何者かによって買い集められている。この会社を叩いた所で得られる情報など恐らく微々たるものだろう。いや、もう皆無かもしれない。
完全に、攻め手を一つ失った。しかしそれでも彼等は毒を集めるかもしれない。いや、それとも他の手に……?
ただ分かるのは、憤怒者達は覚者に危害を及ぼさんと水面下で蠢いているという事実だ。
……彼等の信じる『正義』の名の下に、なのだろうか。
「……軍師様、アンタの正義って一体何なんだよ」
直斗は空を見上げてそうぽつりと呟く。白い髪が黒い闇に揺れた。
「また誰かが苦しむってことかよ……」
ジャックがこぼす。
「……場合によっては、国自体が混乱に陥るかもしれません」
千陽が言った言葉に、悠乃が溜息一つ。
「予測者に興味はあったけど……それどころじゃないかもね」
「手口が巧妙そうだしな……闇は深そうだ」
柾はネクタイをいじりながらそう言った。
「それでも私は正義の味方ですからねっ。どんな困難でも救いますよっ」
浅葱のいつものノリに、凜音は大きく息を吐いて一言。
「何にせよ、これまためんどくせーしかったりー話だ……」
悪夢は脱した。一人の罪の無い女性の命を救い、有益な情報を得た。これは間違いなく誇るべきことだ。
しかしその上で彼等は知った。その端に、魔物が大きな口を開けていることを。容易く呑み込めることを知っていながら必要以上に手を出さず、神の如く何かを描き続けているのだと。
――魔物は、まだ姿を現さない。その身をこの暗い闇に隠し、その表情さえ見せずに。
何を考えているのかもこちらに教えず……ただ、次の筋書きを描いている。
地上の光は地上の闇を照らしている。
しかし。
●服従
冷たい空気が通る。白い息を吐きながら、男は空を見上げた。
黒い闇が空を塗り潰している。星々は地上の光にかき消され、息をひそめていた。
ここは先程覚者達が自分の部下とやり合った場所から若干遠い場所。そこで報告を受け、男は息を吐いた。
覚者2名の殺害と毒の輸送に失敗し、部下数名が負傷した。これは言わば『負け』である。だがそれでも別に良かった。
――今は隊員が実戦で使えるかどうかのデータを取る『実験段階』なんだよ。失敗は大いに容認する。その為のカバーは僕も八方手を尽す。君は『彼等』を陽動に使って物的証拠を抑えた上でフォローに回ればいいよ。
――いくら完璧だと思っても、意外な脆弱性が露見するしね。優秀なFiVE諸君にはその発見をしてもらう。そしてこちらの情報は出来るだけ与えない。だから挑発にも一切乗らないこと。致命的な事態が起きるようだったら容赦しなくていいけどさ。
『魔物』は、そう言った。
――だが。
再び息を吐く。黒い闇に、白が映えた。
「隊長、どうかしましたか?」
部下の言葉に男は首を横に振り、携えていたライフルを肩に担いで歩き出した。
「……とっとと行くぞ。これ以上の失敗は俺としては頂けない。
誰がどこで何を見ているか分かったもんじゃあないからな」
男は空を仰いだ。そしてその暗い闇を、特に意識することもなく再び凝視した。『あの時』と全く同じように。
だがこのやり取りは、誰も見ていない。そして彼等の姿は消えても、闇だけは残った。
――闇は、今なお深い。
……とんでもないことになった。
薄暗い袋小路の中。フラットラックコンテナの壁部分にもたれ、サトミは息を静かに吐いた。何とか隠れたものの――見つかるのも時間の問題かもしれない。
見つかったら、殺されるのだろうか。その不安が胸を過った。このままとどまっているのは逆に命取りなのか。
足音が、いくつも聞こえた気がした。何か金属的な重い物の音までする。
これは、間違いなくあの追手たちだ。気付かれてしまったのか。そう思ってちらりと壁の向こうを覗こうとしたその時。
どーーーーーーーーん!!
爆音が周囲の空気をびりびりと震わせ、閃光が周囲を大きく照らした。
「!?」
「天が知る地が知る人知れずっ。か弱い女性を追い詰める悪漢退治のお時間ですっ」
『独善者』月歌 浅葱(CL2000915)がびしっとポーズまでして、憤怒者達の注意を引き付けた。
――それとほぼ同時。
(……サトミさん)
「ひぇっ!?」
突如脳裏に響いた声にサトミは腰を抜かした。コンテナの壁の向こうを透視した『スポーティ探偵』華神 悠乃(CL2000231)の送った念だとは気付かずに驚いたのだ。
(私達はFiVE。助けに来たから今はそこに隠れてて)
サトミは壁に背を付けたまま、地面にぺたりと座り込んだ。
案の定、憤怒者の一部がサトミの存在に気付――く前に、手は打たれていた。
「FiVEだ! ……あなた方はイレブンの方ですか?」
『狗吠』時任・千陽(CL2000014)の声が薄暗い周囲に通る。
だが。その声に、何かのスイッチが入ったかのように憤怒者の様子が変わった。
次の瞬間、2つの閃光。
回避を上げて不測の事態に備えていた『花守人』三島 柾(CL2001148)は即座に目を覆い、光を直視しなかったが……他の覚者達の精度は落ちた。
「こいつら……」
――嫌な予感が、柾の胸を過った。
その予感に応じるように『黒い太陽』切裂 ジャック(CL2001403)がサトミ向けて雷を帯びた結界を展開する。
「それに触ったら痺れて動けなくなるで!」
当然ハッタリだ。雷獣が伝授したその結界に、人を封じ込める力はない。だが彼等はその事実を知らない。近寄りはしない。
……が。刹那、その銃口がジャックに向かった。
「危ない!」
その間を割って入るように、納屋 タヱ子(CL2000019)が立ちふさがる。弾丸が彼女の身体を掠め、追撃と言わんばかりに更にショットガンが火を噴く。
「おい! 大丈夫か!」
英霊の力を引き出したためにここでは動くことが出来ない『慧眼の癒し手』香月 凜音(CL2000495)が気つけの代わりに彼女に声を掛けた。
一瞬、タヱ子の身体がふらりと揺れた。
「だい、じょうぶ……です……」
……ほんの少しだけ。考え事をしていたなんて言えない。
――私は、何故ここにいるのでしょうか。信じてくれる人のためでしょうか。
……いえ。
心の中の、何かが揺らいで、そしてまたぴたりと止まる感覚がした。
タヱ子は盾を構え直した。
「……鉛弾くらいなら幾らでも」
自分が、守りたい。守りたいから、守る。
……都合のいいことは言えないけれど。でも、どうか……信じて、欲しい。『自分』がそう願っているのだ。
そこを縫うように憤怒者に襲い掛かったのが、強烈な威圧感を出す『ボーパルホワイトバニー』飛騨・直斗(CL2001570)だ。
「さあ! 首狩りの時間だ!」
愛する亡き姉の名を冠する刃を引き抜き、狙うのはその首。次の瞬間盾に弾かれ……かと思いきや。
「……ざーんねん」
憤怒者達を襲ったのは、花の香り。直斗は薄く、しかし残忍にも笑った。
心身を共に弱らせる術式だ。香りは防げはしまい。そう判断して放ったが――大正解だったようだ。
「ごめんなー。あの人の頼みなんで首狩るのは我慢しなきゃいけないんだ。でも、せめて弱ってくれよ」
光を受けて命中精度が落ちた為、弱体化の期待値は低い。だがダメージさえ与えられれば御の字だ。
憤怒者達は、サトミを認識している。しかし彼女を眼中に入れていない。こちらにしか注意が行っていないのだ。
こちらに容赦ない集中砲火が遅いかかる。だが、それもタヱ子の防御によって盤石だ。
千陽の空間ごと切り裂くような一撃が憤怒者達にまとめて襲い掛かる。
「作戦成功、でしょうか……」
彼はそう思いはしたものの……まだ尚そう楽観できそうにないとも同時に思った。警報空間は念のため展開したが、それらしい反応は今の所ない。早く倒して逃げるべきか。
こちらに完全に注意が行っている為、今なら恐らくこちらにサトミを引き入れられる……かもしれない、が。リスクは高い。
「速攻で片付けるぞ!」
ショットガントレットを携え、前線に出た柾が後衛の憤怒者達に一斉に気の弾丸を撃ち放つ。銃声こそしないものの、防具に鈍い音を立ててぶつかり、空気が震えて音を無数に響かせた。
そこに追撃を加えたのが悠乃だ。竜の爪に帯びた炎のきらめきは、ごうと音を立てて周囲の薄暗い空間さえ照らし、憤怒者達を纏めて一気に焼き払った。
術式ならと思って放ったが、やはり。いつもの笑顔が更に増す。
直後、小さい身体を大きく動かして、飛んできた浅葱の二連撃が憤怒者を蹴り飛ばす。そこに、凜音の水の弾丸が鋭く飛んできた。いつもなら回復に回りたい所だが……時間との勝負だ。ぼやぼやしてられない。
盾ごと憤怒者の身体が思いっきり吹き飛び、地面にたたきつけられた。
そして襲い掛かったのはジャックが作り出した大波だ。轟音と共に憤怒者の身体が膨大な水に飲まれる。
いくら統率が取れて練度の高い憤怒者相手とはいえ、身体能力と術式の使える覚者との差は大きい。普段は防御や回復に徹している覚者も攻撃に転じている為に、命中率が下がってバッドステータスの利が取りづらいものの……火力自体は上がっている。一人、また一人と憤怒者達が膝をつく。
その様子を見ていた一人の憤怒者が一気に手持ちの閃光弾をばらまいた。
直後覚者達の視界を、目を傷つけんばかりの白が覆った。
見えない隙を狙われたらまずいと、何とか咄嗟に光を防いだ柾が見たものは。
「……!」
その場を即座に撤収する、憤怒者達の姿だった。
光が収まった所で彼等は急いでサトミへと寄った。彼女は完全に放心状態で、地面に座っていた。
「大丈夫ですか。お気を確かに」
「もう大丈夫だよ。敵はひとまず蹴散らした」
千陽と直斗が彼女の身体を支えて持ち上げて立たせ、撤収することにする。
「行くぞ!」
凜音は周囲の音を聞きながら、警戒して周囲を見回す。一応守護使役にもていさつを頼んだ。
それらしい気配は一切なさそうだ。……隊長とやらが出てくるのは、避けられたということか。めんどくさい事態は無い方がいい。
柾もていさつしてくれているし、音にばかり反応して招かれざる客の襲撃に反応が送れるということは無いだろう。
タヱ子も万が一に備え、嗅覚を鋭くして警戒して対応する。
薄暗い所は悠乃の守護使役が明るくしてくれるのでそう問題はなさそうだ。
浅葱もサトミが転ばないように付き添ってくれているので、『何か』で彼女が苦しむことはもうないだろう。
工場の出口に差し掛かろうとした直後のこと。
「ちょっと俺戻る!」
まさかの事態が起きた。ジャックが来た道を戻ろうとしたのだ。当然、仲間は止めようとしたが一足遅かった。闇にその姿が消える。
――もしかしたらこの道を戻って現場に行けば……隊長とやらに接触できるのでは、と思って戻ってはみたものの……。
誰も、居ない。それらしい気配もない。
「どうせ、これも想定済みってことだろ……?」
やり場のなさに声を震わせて言う。
だが……薄暗い世界に、声が虚しく響くだけ。
道化を嘲笑うように、闇に音が反響するだけ。
●翻弄
とりあえず工場を脱出し、全員が集まった後のことだ。怪我の大きかったタヱ子や前衛陣を手分けして回復させてからのこと。
サトミは、しばらく黙って歩いていた。覚者達に周囲を守られ、神経質に周囲を見回しながら。
「小川さんは……」
「別働隊で対処しています。今は信じてください」
千陽の言葉にサトミは溜息一つ。……安堵か不穏からくるものは分からないが。
「大丈夫か? 怖かったろ」
凜音の言葉に彼女は静かに頷いてから深く息を吐いて、先を歩き始めた。
「サトミさん、何してるんだよ?」
彼女の安全を第一としていた直斗が思わず声をかける。
しかし彼女はその言葉に、くるりとこちらを向いて、
「……皆さん、本当にありがとうございます」
ぺこりと頭を下げた。
「もう、私は大丈夫です。……私の知りうる限りの情報を皆さんに提供させて頂きます」
そう言った彼女の目はもう揺れていない。
「無理しなくていいのですよっ」
浅葱の言葉にさえ彼女は微笑みを返した。どうやら本当に落ち着いたようだ。
「ありがとうございます。でも、伝えなきゃ……私を守ってくれた小川さんにも申し訳ないし……」
そこまで言った時、柾が口を開く。
「じゃあお言葉に甘えて聞こうか。
……ここは何か憤怒者にとって利のあることを研究してるんじゃないのか?」
彼はその事が気になっていた。この会社と憤怒者が繋がっている以上、互いに何らかの利があるということだ。
しかしそれにサトミは首を振った。
「いいえ。その手の研究は一切していないと思います。ここは一般に良く流通されている薬を作っているだけです」
「それでは何故憤怒者はここに?」
タヱ子の言葉に、サトミはぽつりと。
「ここから廃棄物を買っていたからです」
「廃棄物ってゴミのことか?」
ジャックの言葉に頷きを返す。
「平たく言うとそうですが……この場合は薬を作る際に出てくる化学物質です」
化学物質。その言葉に大体の覚者達は状況を察しただろう。何せ、別動隊がそれに対峙しているのだがら。
彼女は着ていた白衣のポケットから大きめの瓶を取り出した。何か液体が入っている。
「それが先程仰っていた化学物質ですか。……揮発性の毒か何かなのでしょうか?」
事前に資料を読んでそう考えていた千陽にサトミは言った。
「揮発性ではありませんが、確かに毒ではあります。発現した人……つまり覚者にだけ効く毒ですが」
――覚者にだけ、効く毒。それは偶然の産物だった。
この工場内で出た廃棄物を処理する際、近寄った覚者の一部に、目や鼻などの粘膜、皮膚に違和感を覚える者が出たことが発端だった。
その後、廃液に触れた覚者の一部に火傷を起こす者や具合を悪くする者がいた。これは覚者にだけ何らかの作用を及ぼす化学物質があるのでは。そういう話がちらほら出ていたらしい。
そんな矢先のことだった。排出される廃棄物の量を記録していた彼女は、数が合わないことに気づいたのだ。実際に廃棄される量と、処理に回される量につじつまが合わなかったのだ。
つまり、どこかに横流しされているのでは。そう思ったのだ。
「昨今の経済状況もあって一度傾きかけて、経営陣が交代した頃だったので……」
「『廃棄するぐらいなら収益になった方が』ということか。分からなくはないが……やって良いことと悪いことがあるだろうに」
そう言う柾の顔は険しい。小さな会社を経営しているだけにコスト意識は分かるが、かと言ってそんなものを売るのはどうかとは思う。
「ええ。その通りです。でも上はこれらの事実を100%理解していないと思います。毒は薬にもなりますから。口実はいくらでも作れるでしょうし」
だが覚者にだけ作用する物質だとサトミは分かっていた以上、悪用される可能性は高い。そう思って調べている内に……今回の騒動に巻き込まれた訳だ。彼女もそれで証拠を今晩奪取しようとしたが、それさえ手遅れだった。諦める訳にも行かず、とりあえず毒の一部を失敬した所憤怒者に見つかって逃げ出した訳だ。
そこで小川忠彦が彼女の囮になってくれたのだが……。
「まあさっきも言ったがあの人なら別動隊が助けてくれただろうし。俺面識あるから言うけど、見た感じ悪運強そうだから大丈夫じゃね?」
「そう、ですよね……」
凜音の言葉に、サトミは深い溜息を吐いた。落ち着いている様子ではあった。
毒について言えばいくつかの根拠を踏まえた話だが、全身に浴びて更に毒の海に浸からない限りは中毒死しないだろうとのことだ。だが例えば麻酔銃のようなもので撃たれたり、傷口から入れば中毒を起こして戦闘に障害はでるだろう。触れただけでもいわゆる『バッドステータス』のような軽度の状態を引き起こすことは考えられるようだ。
サトミが悪夢の中で倒れて衰弱したのも、転倒した際に身体に傷が付き、瓶が割れたことでそこから毒が入って回ったせいだろう。
覚者にのみ効くとしたら、非覚者の憤怒者にとって取り扱いは楽なはずだ。彼等に強力な武器を大量に手渡してしまったことになる。
「ずいぶんと厄介な話になったわね……嫌な予感はしてたけど」
悠乃はいつも通り笑顔だが、その声は若干暗い。
「回復手段はないのかよ?」
今度は凜音が質問。サトミは眉根を寄せていた。
「他の製薬会社でどれだけこの事実に気付いているかは分かりませんが……まず間違いなく言えることは、いわゆる『解毒剤』というものは無いかと。ですが私も天行の術式で治癒したことはありますので……」
「では覚者自身の自然治癒力や術式で行けるということですねっ」
浅葱の纏めに、サトミは静かに頷いた。
覚者に効く毒が、何者かによって買い集められている。この会社を叩いた所で得られる情報など恐らく微々たるものだろう。いや、もう皆無かもしれない。
完全に、攻め手を一つ失った。しかしそれでも彼等は毒を集めるかもしれない。いや、それとも他の手に……?
ただ分かるのは、憤怒者達は覚者に危害を及ぼさんと水面下で蠢いているという事実だ。
……彼等の信じる『正義』の名の下に、なのだろうか。
「……軍師様、アンタの正義って一体何なんだよ」
直斗は空を見上げてそうぽつりと呟く。白い髪が黒い闇に揺れた。
「また誰かが苦しむってことかよ……」
ジャックがこぼす。
「……場合によっては、国自体が混乱に陥るかもしれません」
千陽が言った言葉に、悠乃が溜息一つ。
「予測者に興味はあったけど……それどころじゃないかもね」
「手口が巧妙そうだしな……闇は深そうだ」
柾はネクタイをいじりながらそう言った。
「それでも私は正義の味方ですからねっ。どんな困難でも救いますよっ」
浅葱のいつものノリに、凜音は大きく息を吐いて一言。
「何にせよ、これまためんどくせーしかったりー話だ……」
悪夢は脱した。一人の罪の無い女性の命を救い、有益な情報を得た。これは間違いなく誇るべきことだ。
しかしその上で彼等は知った。その端に、魔物が大きな口を開けていることを。容易く呑み込めることを知っていながら必要以上に手を出さず、神の如く何かを描き続けているのだと。
――魔物は、まだ姿を現さない。その身をこの暗い闇に隠し、その表情さえ見せずに。
何を考えているのかもこちらに教えず……ただ、次の筋書きを描いている。
地上の光は地上の闇を照らしている。
しかし。
●服従
冷たい空気が通る。白い息を吐きながら、男は空を見上げた。
黒い闇が空を塗り潰している。星々は地上の光にかき消され、息をひそめていた。
ここは先程覚者達が自分の部下とやり合った場所から若干遠い場所。そこで報告を受け、男は息を吐いた。
覚者2名の殺害と毒の輸送に失敗し、部下数名が負傷した。これは言わば『負け』である。だがそれでも別に良かった。
――今は隊員が実戦で使えるかどうかのデータを取る『実験段階』なんだよ。失敗は大いに容認する。その為のカバーは僕も八方手を尽す。君は『彼等』を陽動に使って物的証拠を抑えた上でフォローに回ればいいよ。
――いくら完璧だと思っても、意外な脆弱性が露見するしね。優秀なFiVE諸君にはその発見をしてもらう。そしてこちらの情報は出来るだけ与えない。だから挑発にも一切乗らないこと。致命的な事態が起きるようだったら容赦しなくていいけどさ。
『魔物』は、そう言った。
――だが。
再び息を吐く。黒い闇に、白が映えた。
「隊長、どうかしましたか?」
部下の言葉に男は首を横に振り、携えていたライフルを肩に担いで歩き出した。
「……とっとと行くぞ。これ以上の失敗は俺としては頂けない。
誰がどこで何を見ているか分かったもんじゃあないからな」
男は空を仰いだ。そしてその暗い闇を、特に意識することもなく再び凝視した。『あの時』と全く同じように。
だがこのやり取りは、誰も見ていない。そして彼等の姿は消えても、闇だけは残った。
――闇は、今なお深い。
■シナリオ結果■
成功
■詳細■
MVP
なし
軽傷
なし
重傷
なし
死亡
なし
称号付与
『義を識る白』
取得者:月歌 浅葱(CL2000915)
『悪夢を祓う者』
取得者:香月 凜音(CL2000495)
『正義の探求者』
取得者:飛騨・直斗(CL2001570)
『守護、信頼、欲求』
取得者:納屋 タヱ子(CL2000019)
『豪炎の龍』
取得者:華神 悠乃(CL2000231)
『必殺の拳』
取得者:三島 柾(CL2001148)
『誇り高き狗』
取得者:時任・千陽(CL2000014)
取得者:月歌 浅葱(CL2000915)
『悪夢を祓う者』
取得者:香月 凜音(CL2000495)
『正義の探求者』
取得者:飛騨・直斗(CL2001570)
『守護、信頼、欲求』
取得者:納屋 タヱ子(CL2000019)
『豪炎の龍』
取得者:華神 悠乃(CL2000231)
『必殺の拳』
取得者:三島 柾(CL2001148)
『誇り高き狗』
取得者:時任・千陽(CL2000014)
特殊成果
なし

■あとがき■
石田サトミの救出お疲れさまでした。
皆様のプレイングに何度も膝を打ちつつ執筆させて頂きました。
楽しんで頂けると幸いです。
皆様のプレイングに何度も膝を打ちつつ執筆させて頂きました。
楽しんで頂けると幸いです。
