梅花の絵に、恋人を想う。
●恋人を重ねる梅の花
「ちりぬとも 香りをだに……」
そう言いながら、彼はうっとりとした表情で梅の花を撫でた。
梅の花は何かに描かれている絵だ。
その“何か”はおぼろに霞んでよく見えない。
紅で描かれている梅だけが、霞の中ではっきりと見えていた。
「君の好きな梅の咲く季節が、もうすぐやって来るよ。二人でまた梅を愛でよう」
彼が声をかけると、梅花の絵がゆらゆら揺れた。
「ああ。君も嬉しいんだね。そうだ。二人で、今年もまた、春を迎えるんだ」
彼に声をかけられると梅花はざわめく。
彼に触れられると梅花は揺れる。
彼が側にいないと、梅花は寂しさに花びらを零した。
だから、彼はいつも、ここにいる。
生涯をかけて愛した人が好きだった、梅の花。
その梅の花が描かれている、この古きものの傍らに。
愛して、愛して、愛した果てに、訪れた絶望。
その絶望の先に見出した希望。
希望はやがて彼の生きがいになり。
まるで彼女の魂が宿ったかのように、梅花の絵が反応を返してくれることが嬉しくて。
彼はその古きものを愛でることをやめなかった。
それが、己の命を削る行為とも知らずに……。
一転して現れた場面では。
彼の遺体に、大量の梅の花が降り注いでいた―――。
●会議室にて
「彼の死はこのままいくと避けられないでしょう」
久方 真由美(nCL2000003)は会議室に集った覚者たちにそう告げた。
「彼の名前は、西原 樹(にしはら たつき)。IT関連の会社に勤めていましたが、恋人の死をきっかけに退社し、今は実家で一人暮らしをしているようです」
真由美はそう説明しながら、資料を覚者たちに配布した。
「彼は骨董品の収集家のようですが……。先行して彼から話を聞いたものによると、骨董品から古妖の気配を感じたものの、彼の頑なな拒否によって特定することはできなかったみたいです。ただこれだけは聞き出せていて、梅花の描かれた骨董品には、壺、掛け軸、大皿、香炉があるそうです。屋敷に一歩入っただけで、むせかえるような梅の香りがしたということですけど……。それが古妖のものかどうかはわかりません。どの骨董品が古妖なのか。どうやったら彼の死を防ぐことができるのか」
真由美によると、夢で見た樹の遺体は、干からびたミイラのようになっていたという。
「まずは骨董品を見せてもらえるよう、彼を説得するところからですね。みなさんのお力を貸してください。お願いします」
彼の死の姿を思い出して辛そうに顔を歪める真由美に、集った覚者たちは大きく頷いた。
「ちりぬとも 香りをだに……」
そう言いながら、彼はうっとりとした表情で梅の花を撫でた。
梅の花は何かに描かれている絵だ。
その“何か”はおぼろに霞んでよく見えない。
紅で描かれている梅だけが、霞の中ではっきりと見えていた。
「君の好きな梅の咲く季節が、もうすぐやって来るよ。二人でまた梅を愛でよう」
彼が声をかけると、梅花の絵がゆらゆら揺れた。
「ああ。君も嬉しいんだね。そうだ。二人で、今年もまた、春を迎えるんだ」
彼に声をかけられると梅花はざわめく。
彼に触れられると梅花は揺れる。
彼が側にいないと、梅花は寂しさに花びらを零した。
だから、彼はいつも、ここにいる。
生涯をかけて愛した人が好きだった、梅の花。
その梅の花が描かれている、この古きものの傍らに。
愛して、愛して、愛した果てに、訪れた絶望。
その絶望の先に見出した希望。
希望はやがて彼の生きがいになり。
まるで彼女の魂が宿ったかのように、梅花の絵が反応を返してくれることが嬉しくて。
彼はその古きものを愛でることをやめなかった。
それが、己の命を削る行為とも知らずに……。
一転して現れた場面では。
彼の遺体に、大量の梅の花が降り注いでいた―――。
●会議室にて
「彼の死はこのままいくと避けられないでしょう」
久方 真由美(nCL2000003)は会議室に集った覚者たちにそう告げた。
「彼の名前は、西原 樹(にしはら たつき)。IT関連の会社に勤めていましたが、恋人の死をきっかけに退社し、今は実家で一人暮らしをしているようです」
真由美はそう説明しながら、資料を覚者たちに配布した。
「彼は骨董品の収集家のようですが……。先行して彼から話を聞いたものによると、骨董品から古妖の気配を感じたものの、彼の頑なな拒否によって特定することはできなかったみたいです。ただこれだけは聞き出せていて、梅花の描かれた骨董品には、壺、掛け軸、大皿、香炉があるそうです。屋敷に一歩入っただけで、むせかえるような梅の香りがしたということですけど……。それが古妖のものかどうかはわかりません。どの骨董品が古妖なのか。どうやったら彼の死を防ぐことができるのか」
真由美によると、夢で見た樹の遺体は、干からびたミイラのようになっていたという。
「まずは骨董品を見せてもらえるよう、彼を説得するところからですね。みなさんのお力を貸してください。お願いします」
彼の死の姿を思い出して辛そうに顔を歪める真由美に、集った覚者たちは大きく頷いた。

■シナリオ詳細
■成功条件
1.古妖を特定し、古妖を回収すること
2.なし
3.なし
2.なし
3.なし
このたびSTとして、みなさまにシナリオをお送りすることになりました。
どうぞよろしくお願いいたします。
初シナリオは、自由度の高い心情・調査系のご依頼です。
梅の季節がきたなあとふと思ったので、梅に関するシナリオをお届けしてみました。
・骨董品そのものが古妖で、生き物の生気を少しずつ吸う類のもののようです。人に対する攻撃性は元来ありませんが、今回はたまたま西原の心情とシンクロしてしまったようです。
・プレイングでは古妖と思われる骨董品を明記してください。
(骨董品は畳敷きの和室に置いてあります。掛け軸は床の間に掛けられています)
・西原の説得後は、古妖の説得が待っています。共依存の関係を崩してください。
(同時進行でもかまいませんが、西原の心情を考慮することが大切です)
・プレイングは、ご自身の口調が分かるセリフを多めにしていただけると助かります
・西原とはいくらでも絡んでやってください。(孤独解消のためにも)
・解決後は西原の収集した骨董品の数々を鑑賞していただいてかまいません。
みなさまのプレイングを楽しみにお待ちしています。
それでは、よろしくお願いします!
西原 樹(40)
根は真面目な、元IT企業社員。現在は無職。実家は昔ながらの日本家屋。両親はすでになく、その遺産と自身の貯金を切り崩しながら生活しています。
数年前に恋人をなくし、それがきっかけで骨董品を集め始めました。特に梅の花の描かれたものを好んで集めています。恋人の好きだった花が梅だったとかで執着も甚だしいようです。
状態
完了
完了
報酬モルコイン
金:0枚 銀:0枚 銅:3枚
金:0枚 銀:0枚 銅:3枚
相談日数
7日
7日
参加費
100LP[+予約50LP]
100LP[+予約50LP]
参加人数
6/6
6/6
公開日
2017年02月14日
2017年02月14日
■メイン参加者 6人■

●男と古妖に想いを寄せて
梅の季節にふさわしく、初春の明るい日差しに照らされた日だった。
ぞろぞろと住宅街を行く覚者たちが辿り着いたのは木造の古民家。
ここが、西原 樹の自宅だった。
「散りぬとも香をだに残せ梅の花 恋しき時の思ひ出にせむ」
古今の和歌を口ずさんだのは、華神 刹那(CL2001250)。この日のために梅の香を焚き染め用意した、梅の柄の描かれた着物に袖を通している。梅の季節となったこの時期にふさわしい出で立ちだった。
『悪意に打ち勝ちし者』魂行 輪廻(CL2000534)はのんびりと微笑みながら、「恋人を失った男とシンクロした古妖ねえん」と呟いた。先ごろここを訪れた覚者は、西原から何も引き出せずに帰ってきている。
西原には自分の昔話でもして気を引こうかと思っていた。
語るのは、自身が失った恋人のこと。
早逝した恋人に縛られている西原と、それでも前を向き前進している自分と。
その違いはどこにあるのだろうと、ここに来るまでの間ずっと考えていた。
玄関に出てきた西原の、報告書通りにやつれ今にも倒れそうな風情に、覚者たちは慌てた。
『黒い太陽』切裂 ジャック(CL2001403)はよろめく西原に手を差し伸べ、「奥へ行こう」と声をかけた。「俺たちは覚者。樹さんが恋人の思い出と生きていくための方法を見付けに来たんだよ」
ジャックの言葉を聞いているのかいないのか。
西原は頷くこともせず、覚者たちを家の中へと誘うこともなく、ジャックの手を振り払うと、またよろよろと廊下の奥へと戻ろうとする。
「帰れ」と言わなかったのは、西原の了承か。それとも声も出せないほど衰えているのか。
でも、拒否されなかったのは入ってもいいと言うことだろ?
「行くよ」
短く言い切ったジャックに続いて、覚者たちは玄関を上がった。
『弟をたずねて』風織 紡(CL2000764)は家の中を支配する、強すぎる香の香りに眉をひそめた。
季節問わず毎日梅の香を焚き、その香りを嗅ぎ続けている西原の状態は、やはり尋常ではないのだ。
そのようになるまで抱く想いには、少しぞっとする。
西原がその思いに潰される前に。
夢見が見た、西原の死の光景が今日起こるできことなのだとしたら、彼を救う機会は今しかないのだから。
『桜火舞』鐡之蔵 禊(CL2000029)は、ひんやりとした廊下の空気に当てられて、ぶるっと身を震わせた。
歴史を専攻する彼女はこの家の古さや造りに興味を抱いたが、今はそれどころではなく。
「寒いね……」と呟きながら、よろよろと歩く西原の背中を労しげに見守っている。
大好きな恋人を失って、その人の好きだった梅の描かれた骨董を集めて……。
その結果がこれでは、西原が報われない。悲しい結末だけは止めなくては。
禊は誰よりも強く、そう思っていた。
望月・夢(CL2001307)は、虚ろな表情をして焦点の定まらない西原に胸を痛めていた。
古妖に生気を吸われ続けていることを、この人は知っているのだろうか。
古妖はその行為が人にとって命に係わることだと気付いているだろうか。
どちらもがお互いを必要としながら、決して相容れない存在である事実を受け入れようとはしていない。
(悲しいこと……)
西原と古妖、それぞれに思いを寄せながら、覚者たちは解決の糸口を探っていた……。
●西原との対話
「ご気分はいかがですか?」
禊が問えば西原はかぶりを振り、「かまわないでくれ」とだけ言って、虚ろな目を部屋の中へ彷徨わせた。
かまわずに禊は語りかける。
「もし話せるなら、あたしたちは西原さん、あなたといろんなことを話したいと思ってます。西原さんが話したくないなら、それでもいい。でも、ちょっとだけ、あたしたちの話に耳を傾けてくれたら……」
禊は膝の上に置いた手に、きゅっと力を入れた。
「西原さんの恋人のこと、聞いてもいいですか?」
西原の眉がピクリと動くのを目聡く見つけた禊は、「西原さんが大好きだった人のこと、あたしたちも知りたいです」と言葉を続けた。
「私は桜が好きです。ひらひらと舞う、花びらの下から見上げる空が大好きなんだ。西原さんは、どんな梅の風景が好きなの?」
西原の口元がモゴと動いた。
「君ならで誰にか見せむ梅の花 色をもかをも知る人ぞしる」
この梅の美しさも良い香りも、あなたでなくて誰がわかるというのか……。
そのような意味の和歌を、刹那は禊の言葉に寄せるように言の葉に乗せた。
「拙は惚気話は嫌いではないからな。聞かせていただきたい。花と、それにまつわる思いの丈を」
「彼女は私のすべてだった」
西原はそう切り出した。
「……彼女に、どうして梅の花が好きなのかと聞いたことがある。彼女は梅の花の控えめな所が好きだと言った。桜のように華やかではなく、どこか質実として、春浅く寒い時期に懸命に花を咲かせる。美しさを誇示するのではないのに、その香りで生きているのだと教えてくれる。そのような所が好きだと教えてくれた」
「デートは梅祭りだった?」
微笑む禊に、
「ああ。そうだ。この時期はいつも、いろいろな所で開かれる梅祭りに行ったものだ」
と西原は懐かしそうに目を細めた。
禊との対話の中で、徐々に心を開いているかに見える西原は、その後も恋人との思い出をとつとつと語った。
その合間に、禊が絶妙のタイミングで相槌を打つ。
彼の記憶の中で彼女は美しく輝き、優しく微笑む姿のままで生き続けていた。
けれど彼女の死の段階になると、彼はぱたりと口をつぐんでしまった。
「これ以上はいいですよ、西原さん。次は恋人さんの好きだった骨董品についても教えてもらえませんか?」
「骨董品……」
恋人を想い和らいでいた表情が一変して強張った。
禊は慎重に言葉を選びつつも核心をついていく。
「ええ。梅の絵。恋人さんが好きだったから集めているんですか?」
「……やっぱり、それが目的か……。先日来た奴らも必死に探そうとしていたがな。あれを持って行こうという気なら、私はもう何も話さない。帰ってくれ!」
「持って行かなくていいなら、そうします。調べて、あなたの傍にそれがいてもいいなら、あたしたちは持って帰ったりなんてしない」
「西原さん。なぜ調べさせたくないか。理由を尋ねてもいいかしらん?」
輪廻が禊の肩に手を置きながら、そう言った。
「私たちの仲間の夢見がね。貴方のことを夢に見たのよん。貴方が愛でる梅の描かれた骨董品は古妖だと。古妖。古からこの国にいる妖ね。決して人に敵対する者ではないけれど、無意識のうちに人に影響を及ぼしていることもあるのよん。貴方の傍にいる古妖がまさにこれ。人の生気を少しずつ吸って生きる古妖よ。貴方もうすうす気付いているんでしょ?このまま行くと、貴方は命を落としてしまう。命を落とすと分かりながら、どうして骨董品を傍に置き続けるの?」
「……」
「私もね。昔とっても大好きな人がいたのよん……。私だけの英雄で、本当に大好きな人だった。もうこの世にはいないけど、彼は死ぬことになった時にさえ、私に生きる道を示してくれた。生きろと。前を見て生き、幸せになれ、と。大好きな人に幸せに生きて貰いたいって思う人はとても多いと思うし、私の大好きな人もそうだったけど……。貴方は知ってるかしらん?貴方の大好きな人もそうだったということを……」
「思い出に耽溺するのはかまわんよ」
刹那が輪廻の話を受けるように切り出した。
「恋人を想い、想うあまりに自ら死を選択するのであれば、我らとて止めはせぬ。だが、たつき殿は違うであろう?恋人と過ごした思い出と生きていたいと思うからこそ、恋人の好きだった梅を集め、愛でる。まこと、このまま命果ててもいいと思っているのであれば、そうはせぬのではないか?生きたいと思い、恋人の思い出とありたいと思うからこそ……」
刹那は西原を真っ直ぐに見た。
「自ら選ぶ潔い死と“結果として死んでしまう”は違う。死にたいと思っているのでないなら、そうならぬ道を探せ。惰性の死は、望まぬ死を迎えた者への無礼である」
いつも命のやりとりをしている刹那だからこその言葉に、西原の表情が動いた。
西原の説得の場から離れて、骨董品のある部屋に忍んでいる者があった……。
畳の上に置かれた壺と大皿、香炉、床の間に掛け軸が掛けられている和室で、紡は壺をつんつんしていた。
しかし反応はない。
「違いますよねえ」
●散りぬとも香をだに残せ梅の花
紡が壺をつんつんしていると、他の覚者たちもこちらの部屋へとやって来た。
西原の説得は成功したのだろうか。
紡が首を傾げたのを見て、夢が首を振る。
「禊さんが残って話を続けてくれています」
「説得……できない?」
紡は顔を曇らせた。
「なかなかの頑固者さんよねん♪」
「とにかく収集品を見学させてくれと頼んだら、それはOKだと……」
そう言ってジャックが首を捻ったのを見て、刹那が笑んだ。
「誰かに知っていては貰いたいのだろう。自分の置かれている状況を。確信を得たいのかも知れぬな。己が死にゆく途上であることを。その原因が、己の愛でる骨董品にあることを。それを知ってなお甘んじて受ける死は、ただの陶酔でしかないのだが。それには気付かぬふりをしておる」
刹那の言にジャックも頷いた。
「西原さんのことはとりあえず禊に任せて、俺たちは古妖を調べよう」
「なら、私も西原さんのとこに行ってみるわ」
骨董は調べた。やることはやったと、紡は骨董の部屋を出て行った。
「同属把握を用いれば、ここに古妖がいることはわかりますが」
夢の提案に、ここに古妖がいるという確証だけでも得ることになった。
「では、参ります」
夢が同属把握を使うと、近くに古妖を感じた。けれど、その在り処は特定できない。得られたのは、いるという確信だけ。
「恐らくは……床の間の辺り……」
では、掛け軸?
いや、その前に香炉もある。
目星は二つに絞られた。
掛け軸は床の間に。
香炉からはゆらゆらと煙が上がり、梅花の香の香りを部屋に漂わせていた。
「家全体を覆う香は、この香炉からのものか?」
ジャックが香炉の側に膝をついた。
「それにしては香りが強すぎるわよん」
ジャックの隣で、輪廻は大皿を触っていた。
今となってはただの骨董の大皿だったが、それでも絵付けの素晴らしさには惹かれるものがある。
「恋人を失い、その思い出に生きる人……。この美しさに囚われて、前に進みだせない人……」
恋人の死を乗り越え生きてほしいと。輪廻はただそれだけを願っている。
禊に、紡も加わって、西原の説得は続いていた。
「香りが強すぎるように思うのですが?」
西原は紡に顔を向けた。
「あの子が……香りが好きだというからな」
「あの子?」
それは、恋人?それとも……。
「梅の花が好き。香りが好き。あの子はいつもそう言って笑っていた。紅と白が混じる梅林に漂う梅の香。それを、あの子は、もっともっととせがむんだ。だから私はあの子のために香を焚き続けなくてはいけないんだよ。あの子が悲しまないように。あの子が消えてなくならないように。ずっと、私の傍にいてくれるように……」
「古妖は、香の香りが好き……?」
紡の呟きに、禊も頷いた。
「西原さん。あたしはあなたと古妖が一緒にいられる方法を探したいと思ってる。あなたたちの関係を壊したくない。力ずくで引き離したいなんて思ってないんだよ。だから、その方法を探すために協力してくれないかな」
禊に続いて、紡も。
「この香りの中にずっといるつもりですか?恋人さんがそれを望んでいると思いますか?恋人さんが好きだった梅の花や香りを楽しむのはいいと思う。でも、それに縛られて、自分の命を犠牲にするのは間違ってる。あんたの愛した人は、あんたの死を望んでいますか?置いて行かれる恐怖と悲しみは、あんたが一番知ってるでしょう?何より、あんたと共にあった古妖が、あんたを失って悲しむはずです」
西原は瞠目した。
自分でも徐々に削られていく命を感じていながら、それでいいと思っていた。
このまま果てて恋人の元に行くことができるなら……と。
だが、彼女がそれを望んでいるとは思えない自分もいた。
彼が幸せであることを、いつも願ってくれていた彼女。死の間際に「幸せでいて」と。
禊によってノックされ、輪廻によって寄り添われ、刹那によって改められ、紡によって悟らされた西原の心がゆっくりと解放されていく。
目の前でさめざめと泣き始めた壮年の男を、禊と紡はしばらくの間見守っていた。
●恋しき時の思ひ出にせむ
ジャックと刹那は香炉を調べていた。
梅の枝が一枝描かれ、ぽつぽつと梅花が描かれている香炉だった。
しかし古妖の反応は得られなかった。
「どうやら、香炉ではないらしい」
ジャックの目が掛け軸に向けられた。
「これが、古妖のようだね」
掛け軸の絵は、紙一杯に梅花が描かれ、ぼんやりとした紅に覆われていた。
ジャックが掛け軸に手をかざすと、そこに描かれている無数の梅花がゆらりと動いた。
「対話をする気はあるのか。君の名前はなんていうん?俺は切裂」
ジャックは古妖と人の間に生まれた仔。
古妖もジャックに何かを感じたのか、ゆらゆらと揺れ続けている。
「きみは樹さんに寄り添って、恋人の代わりにでもなろうって思った?それとも、たまたま樹さんが大事にしてくれるから、ここにいるだけかな」
そう問うと、それまでゆったりとリズミカルに動いていた梅花の揺れが不規則になった。時に激しく、時にゆったりと。
それはジャックの言を肯定するとも、否定するとも取れる、曖昧な動き。
「ねえ。きみといることで、樹さんの命が削がれている。それはわかっているんだろう?彼の命を蝕むのはけして楽しくないはずや。きみは樹さんの大事な人の代わりにはなれんよ。お互いに依存している今の関係は、どちらかが壊れてしまえば終わりになる。それは、正しい関係とは言えない」
梅花の動きが止まった。
「樹さんの恋人は蘇らない。きみはその代わりにはなれない。きみは樹さんの命を縮めるだけ……。きみは確かに樹さんにとって希望だ。けれど、このままでは樹さんは命を落とす。それは、きみの望むところではないはずだろう。樹さんがいつまでも思い出の人と共にいられるように。彼の心の中の恋人まで殺さないでやってくれ」
ややして、絵の中の梅花がはらはらと、零れるように落ち始めた。
「どうした?」
ジャックが慌てたように声を上げると、成り行きを見守っていた夢が傍らに立った。
「悲しまないでくださいね。私たちは、貴方と西原さんを無理矢理に引き離すつもりもないのです。いつも一緒……という訳には行かないでしょうね。貴方は生き物の生気を吸う古妖ですから。貴方と西原さんが一緒にいられる方法を探しましょう。今は彼から離れ、時間を置いてから愛でて貰うということもできるはずです。より多くの人に貴方の美しさを愛でてもらうのも、ひとつの案ですが……」
いかがですか?
夢に答えるように、梅花ははらはらと実体化して絵から零れ落ち、床の間に降り積もって行った。
その花をひとすくい、夢は手の平に乗せ香りを嗅いだ。
「良い香り。香炉から立ち上る香よりもずっと、貴方は良い香りがしますね」
「それなのに、もっともっととせがむんだ」
背後から突然聞こえた声に、その場にいた四人が振り向くと、禊と紡に支えられた西原がそこにいた。
「香の香りがすると喜んで、うるさいくらいに揺れて。私もそれが嬉しくて、香を焚き続けた。その子の傍に居続けた。まるであの子が戻って来たかと錯覚するくらいに、毎日が華やいで楽しかったんだ」
「私たちがお預かりしてもいいですか?」
夢の言葉にしばし躊躇ったのち、西原は頷いた。
「生き物の生気を吸う古妖ですから、今後の扱いは精査が必要でしょうけど……」
「会いたくなったら会いに来たらいいのよん♪」
覚者たちの想いが届いたのか。
梅花の絵の掛け軸が、ひとりでにシュルシュルと丸まり、香炉の側にポトリと落ちた。
まるで、一緒に連れて行ってくれとでも言うように。
●梅花の絵に、恋人を想う
去り際、紡が「そうだ」と振り向いた。
「時々来てやりますよ。んで、出かけましょう。カフェ巡り、一緒に行きましょう。拒否権はないです。若い子に誘われるなんて嬉しいと思ってくださいよ」
禊も良い提案だと隣で頷いている。
西原は破顔した。
ああ。そうだ。ここは、こんなにも光で満ちている。
愛しい恋人との思い出もまた、この世界の中にあってこそだと。
生きて、彼女との思い出と共に幸せになるのだと。
古妖の掛け軸は、この世のどこかにあり続ける。
だから、会いに行くよ。
梅花の香を包んだ、匂い袋を持って……。
「吹く風をなにいとひけむ梅の花 散りくる時ぞ香はまさりけむ」
路地を帰り行く刹那の口ずさんだ和歌が、家の中から漂い出でた香りと共に風に運ばれ、空へと昇っていった――。
梅の季節にふさわしく、初春の明るい日差しに照らされた日だった。
ぞろぞろと住宅街を行く覚者たちが辿り着いたのは木造の古民家。
ここが、西原 樹の自宅だった。
「散りぬとも香をだに残せ梅の花 恋しき時の思ひ出にせむ」
古今の和歌を口ずさんだのは、華神 刹那(CL2001250)。この日のために梅の香を焚き染め用意した、梅の柄の描かれた着物に袖を通している。梅の季節となったこの時期にふさわしい出で立ちだった。
『悪意に打ち勝ちし者』魂行 輪廻(CL2000534)はのんびりと微笑みながら、「恋人を失った男とシンクロした古妖ねえん」と呟いた。先ごろここを訪れた覚者は、西原から何も引き出せずに帰ってきている。
西原には自分の昔話でもして気を引こうかと思っていた。
語るのは、自身が失った恋人のこと。
早逝した恋人に縛られている西原と、それでも前を向き前進している自分と。
その違いはどこにあるのだろうと、ここに来るまでの間ずっと考えていた。
玄関に出てきた西原の、報告書通りにやつれ今にも倒れそうな風情に、覚者たちは慌てた。
『黒い太陽』切裂 ジャック(CL2001403)はよろめく西原に手を差し伸べ、「奥へ行こう」と声をかけた。「俺たちは覚者。樹さんが恋人の思い出と生きていくための方法を見付けに来たんだよ」
ジャックの言葉を聞いているのかいないのか。
西原は頷くこともせず、覚者たちを家の中へと誘うこともなく、ジャックの手を振り払うと、またよろよろと廊下の奥へと戻ろうとする。
「帰れ」と言わなかったのは、西原の了承か。それとも声も出せないほど衰えているのか。
でも、拒否されなかったのは入ってもいいと言うことだろ?
「行くよ」
短く言い切ったジャックに続いて、覚者たちは玄関を上がった。
『弟をたずねて』風織 紡(CL2000764)は家の中を支配する、強すぎる香の香りに眉をひそめた。
季節問わず毎日梅の香を焚き、その香りを嗅ぎ続けている西原の状態は、やはり尋常ではないのだ。
そのようになるまで抱く想いには、少しぞっとする。
西原がその思いに潰される前に。
夢見が見た、西原の死の光景が今日起こるできことなのだとしたら、彼を救う機会は今しかないのだから。
『桜火舞』鐡之蔵 禊(CL2000029)は、ひんやりとした廊下の空気に当てられて、ぶるっと身を震わせた。
歴史を専攻する彼女はこの家の古さや造りに興味を抱いたが、今はそれどころではなく。
「寒いね……」と呟きながら、よろよろと歩く西原の背中を労しげに見守っている。
大好きな恋人を失って、その人の好きだった梅の描かれた骨董を集めて……。
その結果がこれでは、西原が報われない。悲しい結末だけは止めなくては。
禊は誰よりも強く、そう思っていた。
望月・夢(CL2001307)は、虚ろな表情をして焦点の定まらない西原に胸を痛めていた。
古妖に生気を吸われ続けていることを、この人は知っているのだろうか。
古妖はその行為が人にとって命に係わることだと気付いているだろうか。
どちらもがお互いを必要としながら、決して相容れない存在である事実を受け入れようとはしていない。
(悲しいこと……)
西原と古妖、それぞれに思いを寄せながら、覚者たちは解決の糸口を探っていた……。
●西原との対話
「ご気分はいかがですか?」
禊が問えば西原はかぶりを振り、「かまわないでくれ」とだけ言って、虚ろな目を部屋の中へ彷徨わせた。
かまわずに禊は語りかける。
「もし話せるなら、あたしたちは西原さん、あなたといろんなことを話したいと思ってます。西原さんが話したくないなら、それでもいい。でも、ちょっとだけ、あたしたちの話に耳を傾けてくれたら……」
禊は膝の上に置いた手に、きゅっと力を入れた。
「西原さんの恋人のこと、聞いてもいいですか?」
西原の眉がピクリと動くのを目聡く見つけた禊は、「西原さんが大好きだった人のこと、あたしたちも知りたいです」と言葉を続けた。
「私は桜が好きです。ひらひらと舞う、花びらの下から見上げる空が大好きなんだ。西原さんは、どんな梅の風景が好きなの?」
西原の口元がモゴと動いた。
「君ならで誰にか見せむ梅の花 色をもかをも知る人ぞしる」
この梅の美しさも良い香りも、あなたでなくて誰がわかるというのか……。
そのような意味の和歌を、刹那は禊の言葉に寄せるように言の葉に乗せた。
「拙は惚気話は嫌いではないからな。聞かせていただきたい。花と、それにまつわる思いの丈を」
「彼女は私のすべてだった」
西原はそう切り出した。
「……彼女に、どうして梅の花が好きなのかと聞いたことがある。彼女は梅の花の控えめな所が好きだと言った。桜のように華やかではなく、どこか質実として、春浅く寒い時期に懸命に花を咲かせる。美しさを誇示するのではないのに、その香りで生きているのだと教えてくれる。そのような所が好きだと教えてくれた」
「デートは梅祭りだった?」
微笑む禊に、
「ああ。そうだ。この時期はいつも、いろいろな所で開かれる梅祭りに行ったものだ」
と西原は懐かしそうに目を細めた。
禊との対話の中で、徐々に心を開いているかに見える西原は、その後も恋人との思い出をとつとつと語った。
その合間に、禊が絶妙のタイミングで相槌を打つ。
彼の記憶の中で彼女は美しく輝き、優しく微笑む姿のままで生き続けていた。
けれど彼女の死の段階になると、彼はぱたりと口をつぐんでしまった。
「これ以上はいいですよ、西原さん。次は恋人さんの好きだった骨董品についても教えてもらえませんか?」
「骨董品……」
恋人を想い和らいでいた表情が一変して強張った。
禊は慎重に言葉を選びつつも核心をついていく。
「ええ。梅の絵。恋人さんが好きだったから集めているんですか?」
「……やっぱり、それが目的か……。先日来た奴らも必死に探そうとしていたがな。あれを持って行こうという気なら、私はもう何も話さない。帰ってくれ!」
「持って行かなくていいなら、そうします。調べて、あなたの傍にそれがいてもいいなら、あたしたちは持って帰ったりなんてしない」
「西原さん。なぜ調べさせたくないか。理由を尋ねてもいいかしらん?」
輪廻が禊の肩に手を置きながら、そう言った。
「私たちの仲間の夢見がね。貴方のことを夢に見たのよん。貴方が愛でる梅の描かれた骨董品は古妖だと。古妖。古からこの国にいる妖ね。決して人に敵対する者ではないけれど、無意識のうちに人に影響を及ぼしていることもあるのよん。貴方の傍にいる古妖がまさにこれ。人の生気を少しずつ吸って生きる古妖よ。貴方もうすうす気付いているんでしょ?このまま行くと、貴方は命を落としてしまう。命を落とすと分かりながら、どうして骨董品を傍に置き続けるの?」
「……」
「私もね。昔とっても大好きな人がいたのよん……。私だけの英雄で、本当に大好きな人だった。もうこの世にはいないけど、彼は死ぬことになった時にさえ、私に生きる道を示してくれた。生きろと。前を見て生き、幸せになれ、と。大好きな人に幸せに生きて貰いたいって思う人はとても多いと思うし、私の大好きな人もそうだったけど……。貴方は知ってるかしらん?貴方の大好きな人もそうだったということを……」
「思い出に耽溺するのはかまわんよ」
刹那が輪廻の話を受けるように切り出した。
「恋人を想い、想うあまりに自ら死を選択するのであれば、我らとて止めはせぬ。だが、たつき殿は違うであろう?恋人と過ごした思い出と生きていたいと思うからこそ、恋人の好きだった梅を集め、愛でる。まこと、このまま命果ててもいいと思っているのであれば、そうはせぬのではないか?生きたいと思い、恋人の思い出とありたいと思うからこそ……」
刹那は西原を真っ直ぐに見た。
「自ら選ぶ潔い死と“結果として死んでしまう”は違う。死にたいと思っているのでないなら、そうならぬ道を探せ。惰性の死は、望まぬ死を迎えた者への無礼である」
いつも命のやりとりをしている刹那だからこその言葉に、西原の表情が動いた。
西原の説得の場から離れて、骨董品のある部屋に忍んでいる者があった……。
畳の上に置かれた壺と大皿、香炉、床の間に掛け軸が掛けられている和室で、紡は壺をつんつんしていた。
しかし反応はない。
「違いますよねえ」
●散りぬとも香をだに残せ梅の花
紡が壺をつんつんしていると、他の覚者たちもこちらの部屋へとやって来た。
西原の説得は成功したのだろうか。
紡が首を傾げたのを見て、夢が首を振る。
「禊さんが残って話を続けてくれています」
「説得……できない?」
紡は顔を曇らせた。
「なかなかの頑固者さんよねん♪」
「とにかく収集品を見学させてくれと頼んだら、それはOKだと……」
そう言ってジャックが首を捻ったのを見て、刹那が笑んだ。
「誰かに知っていては貰いたいのだろう。自分の置かれている状況を。確信を得たいのかも知れぬな。己が死にゆく途上であることを。その原因が、己の愛でる骨董品にあることを。それを知ってなお甘んじて受ける死は、ただの陶酔でしかないのだが。それには気付かぬふりをしておる」
刹那の言にジャックも頷いた。
「西原さんのことはとりあえず禊に任せて、俺たちは古妖を調べよう」
「なら、私も西原さんのとこに行ってみるわ」
骨董は調べた。やることはやったと、紡は骨董の部屋を出て行った。
「同属把握を用いれば、ここに古妖がいることはわかりますが」
夢の提案に、ここに古妖がいるという確証だけでも得ることになった。
「では、参ります」
夢が同属把握を使うと、近くに古妖を感じた。けれど、その在り処は特定できない。得られたのは、いるという確信だけ。
「恐らくは……床の間の辺り……」
では、掛け軸?
いや、その前に香炉もある。
目星は二つに絞られた。
掛け軸は床の間に。
香炉からはゆらゆらと煙が上がり、梅花の香の香りを部屋に漂わせていた。
「家全体を覆う香は、この香炉からのものか?」
ジャックが香炉の側に膝をついた。
「それにしては香りが強すぎるわよん」
ジャックの隣で、輪廻は大皿を触っていた。
今となってはただの骨董の大皿だったが、それでも絵付けの素晴らしさには惹かれるものがある。
「恋人を失い、その思い出に生きる人……。この美しさに囚われて、前に進みだせない人……」
恋人の死を乗り越え生きてほしいと。輪廻はただそれだけを願っている。
禊に、紡も加わって、西原の説得は続いていた。
「香りが強すぎるように思うのですが?」
西原は紡に顔を向けた。
「あの子が……香りが好きだというからな」
「あの子?」
それは、恋人?それとも……。
「梅の花が好き。香りが好き。あの子はいつもそう言って笑っていた。紅と白が混じる梅林に漂う梅の香。それを、あの子は、もっともっととせがむんだ。だから私はあの子のために香を焚き続けなくてはいけないんだよ。あの子が悲しまないように。あの子が消えてなくならないように。ずっと、私の傍にいてくれるように……」
「古妖は、香の香りが好き……?」
紡の呟きに、禊も頷いた。
「西原さん。あたしはあなたと古妖が一緒にいられる方法を探したいと思ってる。あなたたちの関係を壊したくない。力ずくで引き離したいなんて思ってないんだよ。だから、その方法を探すために協力してくれないかな」
禊に続いて、紡も。
「この香りの中にずっといるつもりですか?恋人さんがそれを望んでいると思いますか?恋人さんが好きだった梅の花や香りを楽しむのはいいと思う。でも、それに縛られて、自分の命を犠牲にするのは間違ってる。あんたの愛した人は、あんたの死を望んでいますか?置いて行かれる恐怖と悲しみは、あんたが一番知ってるでしょう?何より、あんたと共にあった古妖が、あんたを失って悲しむはずです」
西原は瞠目した。
自分でも徐々に削られていく命を感じていながら、それでいいと思っていた。
このまま果てて恋人の元に行くことができるなら……と。
だが、彼女がそれを望んでいるとは思えない自分もいた。
彼が幸せであることを、いつも願ってくれていた彼女。死の間際に「幸せでいて」と。
禊によってノックされ、輪廻によって寄り添われ、刹那によって改められ、紡によって悟らされた西原の心がゆっくりと解放されていく。
目の前でさめざめと泣き始めた壮年の男を、禊と紡はしばらくの間見守っていた。
●恋しき時の思ひ出にせむ
ジャックと刹那は香炉を調べていた。
梅の枝が一枝描かれ、ぽつぽつと梅花が描かれている香炉だった。
しかし古妖の反応は得られなかった。
「どうやら、香炉ではないらしい」
ジャックの目が掛け軸に向けられた。
「これが、古妖のようだね」
掛け軸の絵は、紙一杯に梅花が描かれ、ぼんやりとした紅に覆われていた。
ジャックが掛け軸に手をかざすと、そこに描かれている無数の梅花がゆらりと動いた。
「対話をする気はあるのか。君の名前はなんていうん?俺は切裂」
ジャックは古妖と人の間に生まれた仔。
古妖もジャックに何かを感じたのか、ゆらゆらと揺れ続けている。
「きみは樹さんに寄り添って、恋人の代わりにでもなろうって思った?それとも、たまたま樹さんが大事にしてくれるから、ここにいるだけかな」
そう問うと、それまでゆったりとリズミカルに動いていた梅花の揺れが不規則になった。時に激しく、時にゆったりと。
それはジャックの言を肯定するとも、否定するとも取れる、曖昧な動き。
「ねえ。きみといることで、樹さんの命が削がれている。それはわかっているんだろう?彼の命を蝕むのはけして楽しくないはずや。きみは樹さんの大事な人の代わりにはなれんよ。お互いに依存している今の関係は、どちらかが壊れてしまえば終わりになる。それは、正しい関係とは言えない」
梅花の動きが止まった。
「樹さんの恋人は蘇らない。きみはその代わりにはなれない。きみは樹さんの命を縮めるだけ……。きみは確かに樹さんにとって希望だ。けれど、このままでは樹さんは命を落とす。それは、きみの望むところではないはずだろう。樹さんがいつまでも思い出の人と共にいられるように。彼の心の中の恋人まで殺さないでやってくれ」
ややして、絵の中の梅花がはらはらと、零れるように落ち始めた。
「どうした?」
ジャックが慌てたように声を上げると、成り行きを見守っていた夢が傍らに立った。
「悲しまないでくださいね。私たちは、貴方と西原さんを無理矢理に引き離すつもりもないのです。いつも一緒……という訳には行かないでしょうね。貴方は生き物の生気を吸う古妖ですから。貴方と西原さんが一緒にいられる方法を探しましょう。今は彼から離れ、時間を置いてから愛でて貰うということもできるはずです。より多くの人に貴方の美しさを愛でてもらうのも、ひとつの案ですが……」
いかがですか?
夢に答えるように、梅花ははらはらと実体化して絵から零れ落ち、床の間に降り積もって行った。
その花をひとすくい、夢は手の平に乗せ香りを嗅いだ。
「良い香り。香炉から立ち上る香よりもずっと、貴方は良い香りがしますね」
「それなのに、もっともっととせがむんだ」
背後から突然聞こえた声に、その場にいた四人が振り向くと、禊と紡に支えられた西原がそこにいた。
「香の香りがすると喜んで、うるさいくらいに揺れて。私もそれが嬉しくて、香を焚き続けた。その子の傍に居続けた。まるであの子が戻って来たかと錯覚するくらいに、毎日が華やいで楽しかったんだ」
「私たちがお預かりしてもいいですか?」
夢の言葉にしばし躊躇ったのち、西原は頷いた。
「生き物の生気を吸う古妖ですから、今後の扱いは精査が必要でしょうけど……」
「会いたくなったら会いに来たらいいのよん♪」
覚者たちの想いが届いたのか。
梅花の絵の掛け軸が、ひとりでにシュルシュルと丸まり、香炉の側にポトリと落ちた。
まるで、一緒に連れて行ってくれとでも言うように。
●梅花の絵に、恋人を想う
去り際、紡が「そうだ」と振り向いた。
「時々来てやりますよ。んで、出かけましょう。カフェ巡り、一緒に行きましょう。拒否権はないです。若い子に誘われるなんて嬉しいと思ってくださいよ」
禊も良い提案だと隣で頷いている。
西原は破顔した。
ああ。そうだ。ここは、こんなにも光で満ちている。
愛しい恋人との思い出もまた、この世界の中にあってこそだと。
生きて、彼女との思い出と共に幸せになるのだと。
古妖の掛け軸は、この世のどこかにあり続ける。
だから、会いに行くよ。
梅花の香を包んだ、匂い袋を持って……。
「吹く風をなにいとひけむ梅の花 散りくる時ぞ香はまさりけむ」
路地を帰り行く刹那の口ずさんだ和歌が、家の中から漂い出でた香りと共に風に運ばれ、空へと昇っていった――。
■シナリオ結果■
成功
■詳細■
MVP
なし
軽傷
なし
重傷
なし
死亡
なし
称号付与
『孤独を払う高き心』
取得者:鐡之蔵 禊(CL2000029)
『悟らせの言葉を持つ者』
取得者:風織 紡(CL2000764)
『言の葉に優しき想いを乗せて』
取得者:望月・夢(CL2001307)
『瞬のあはれを知る者』
取得者:華神 刹那(CL2001250)
『古妖に寄り添う深き心』
取得者:切裂 ジャック(CL2001403)
『思い出を胸に前へ進む者』
取得者:魂行 輪廻(CL2000534)
取得者:鐡之蔵 禊(CL2000029)
『悟らせの言葉を持つ者』
取得者:風織 紡(CL2000764)
『言の葉に優しき想いを乗せて』
取得者:望月・夢(CL2001307)
『瞬のあはれを知る者』
取得者:華神 刹那(CL2001250)
『古妖に寄り添う深き心』
取得者:切裂 ジャック(CL2001403)
『思い出を胸に前へ進む者』
取得者:魂行 輪廻(CL2000534)
特殊成果
『梅花の香のにおい袋』
カテゴリ:アクセサリ
取得者:全員
カテゴリ:アクセサリ
取得者:全員

■あとがき■
みなさまの心のこもったお言葉により、無事西原の心は解きほぐされ、古妖は回収されました。
つたないものですが、称号をお納めください。
今回はご参加いただきありがとうございました!
つたないものですが、称号をお納めください。
今回はご参加いただきありがとうございました!
