流血のマリア
人間は、とってもかわいそう。
ねえ、貴方たちは一体何のために生きているの? 苦しむために生きている、ようにしか見えないわ。
かわいそうで見ていられない。だからね、私が美味しく食べてあげる。
貴方たち人間を、苦しみから解き放ってあげる。
ねえ、力を貸して? 貴方も……食べて、あげるから。
彼女はそう言って、大勢の人間を、それはそれは美味そうに食べていたものだ。
食べられゆく人々も、幸せそうにしていた。皆、悦んでいた。もはや、別に愛してもいない家族のためにあくせく働く必要もない。上司の嫌味も聞かずに済む。学校へも行かなくて良い。自殺で痛い思いをする事もなく、幸せな死に方が出来る。
彼女に、美味しく食してもらえる。これほどの幸福が、この世に他に存在するであろうか。
私はしかし結局、その幸福を身に受ける事が出来なかった。
あれから20年。私は、魂の抜け殻だった。
私だけではない。多くの人々を魂の抜け殻にしてしまう、この時代、この世界に、今こそ彼女の存在が必要なのだ。
「やめて……助けて……」
十字架に捕われた少女が、青ざめ悲鳴を漏らす。恐がる事など何もないと言うのに。
「何で……どうして、こんな事するの? あたし何にも悪い事してない……」
「悪い事をしてしまうよ君は、大人になったらきっと」
真心を込めて、私は語りかけた。
「この世の中は、本当に腐っている。天使のような君たちでも、悪い事をしなければ生きてゆけない。ひたすら苦しみながら、悪い事をして命を繋いでゆく……そんな生き方しか出来ない君たちが、私は本当にかわいそうで……」
嗚咽で声が震える。涙が止まらない。
「だから君たちには幸せを用意してあげる。君たちの、清らかな魂と命を……私の大切な人に、捧げるのさ。彼女は君たちを、とても美味しく食べてくれるよ……良かったねえ、本当に……」
「嫌……いやぁ……」
イエス・キリストの如く十字架に拘束されたまま、少女も涙を流している。
今夜、それが歓喜の涙に変わる事だろう。
十字架に縛り付けられた少女が他にも2人いて、やはり同じように泣きじゃくっている。
計3本の十字架が、礼拝堂内に立っているのだ。
清らかな魂を3つ、私は今夜、彼女に捧げる。
「もう少し……もう少しだよ。私が貴女をもう1度、この世に迎え入れてあげるから……」
真紅のマリア像に、私は祈り語りかけた。何週間もかけて、私の血液で塗装したのだ。
血の赤色をまとう聖母。
私にとって彼女は、そのような存在であった。
久方真由美(nCL2000003)が、にこやかに告げた。
「中学生の女の子が3人、行方不明になりました。家出ではなく誘拐ですね。
誘拐犯人は、和歌山県某所に隠れ住む1人の神父さん。
彼は、20年ほど前まではAAA所属の『翼の因子持ち』覚者でした。
20年前の戦いで《紅蜘蛛・継美》に籠絡されてしまった覚者の1人です。今も大勢いると言われる、継美の信奉者の1人なのです。
神父さんの目的は、継美の復活。彼は今夜、女の子3人を惨殺して生贄の儀式を執り行うつもりです。
乙女を生贄に捧げる事で、継美がこの世に蘇る。
もちろんそんな事はあり得ませんが、神父さんはそう信じ込んでしまっているようですね。誰かに吹き込まれたのでしょうか。
継美に身も心も捧げるあまり、彼は暴走し、今や破綻者と成り果てています。深度は2ですから、生きたまま捕縛して元に戻す事も不可能ではないでしょうが……それにこだわる必要はないと思いますよ。女で人生狂わせた男の人なんて、生かしておく方がかわいそう……こほん。とにかく、捕われた女の子たちの救出が最優先という事で。
神父さんは、覚者としての現役時代には幾つか能力を持っていたようですが、破綻者となった今、攻撃手段として使用出来るのは『エアブリット』のみ。継美への想いゆえか割と洒落にならない破壊力を持っていて、しかもそれを空中から放ってきますので気をつけて下さいね。
それでは御武運を。久方真由美でした」
ねえ、貴方たちは一体何のために生きているの? 苦しむために生きている、ようにしか見えないわ。
かわいそうで見ていられない。だからね、私が美味しく食べてあげる。
貴方たち人間を、苦しみから解き放ってあげる。
ねえ、力を貸して? 貴方も……食べて、あげるから。
彼女はそう言って、大勢の人間を、それはそれは美味そうに食べていたものだ。
食べられゆく人々も、幸せそうにしていた。皆、悦んでいた。もはや、別に愛してもいない家族のためにあくせく働く必要もない。上司の嫌味も聞かずに済む。学校へも行かなくて良い。自殺で痛い思いをする事もなく、幸せな死に方が出来る。
彼女に、美味しく食してもらえる。これほどの幸福が、この世に他に存在するであろうか。
私はしかし結局、その幸福を身に受ける事が出来なかった。
あれから20年。私は、魂の抜け殻だった。
私だけではない。多くの人々を魂の抜け殻にしてしまう、この時代、この世界に、今こそ彼女の存在が必要なのだ。
「やめて……助けて……」
十字架に捕われた少女が、青ざめ悲鳴を漏らす。恐がる事など何もないと言うのに。
「何で……どうして、こんな事するの? あたし何にも悪い事してない……」
「悪い事をしてしまうよ君は、大人になったらきっと」
真心を込めて、私は語りかけた。
「この世の中は、本当に腐っている。天使のような君たちでも、悪い事をしなければ生きてゆけない。ひたすら苦しみながら、悪い事をして命を繋いでゆく……そんな生き方しか出来ない君たちが、私は本当にかわいそうで……」
嗚咽で声が震える。涙が止まらない。
「だから君たちには幸せを用意してあげる。君たちの、清らかな魂と命を……私の大切な人に、捧げるのさ。彼女は君たちを、とても美味しく食べてくれるよ……良かったねえ、本当に……」
「嫌……いやぁ……」
イエス・キリストの如く十字架に拘束されたまま、少女も涙を流している。
今夜、それが歓喜の涙に変わる事だろう。
十字架に縛り付けられた少女が他にも2人いて、やはり同じように泣きじゃくっている。
計3本の十字架が、礼拝堂内に立っているのだ。
清らかな魂を3つ、私は今夜、彼女に捧げる。
「もう少し……もう少しだよ。私が貴女をもう1度、この世に迎え入れてあげるから……」
真紅のマリア像に、私は祈り語りかけた。何週間もかけて、私の血液で塗装したのだ。
血の赤色をまとう聖母。
私にとって彼女は、そのような存在であった。
久方真由美(nCL2000003)が、にこやかに告げた。
「中学生の女の子が3人、行方不明になりました。家出ではなく誘拐ですね。
誘拐犯人は、和歌山県某所に隠れ住む1人の神父さん。
彼は、20年ほど前まではAAA所属の『翼の因子持ち』覚者でした。
20年前の戦いで《紅蜘蛛・継美》に籠絡されてしまった覚者の1人です。今も大勢いると言われる、継美の信奉者の1人なのです。
神父さんの目的は、継美の復活。彼は今夜、女の子3人を惨殺して生贄の儀式を執り行うつもりです。
乙女を生贄に捧げる事で、継美がこの世に蘇る。
もちろんそんな事はあり得ませんが、神父さんはそう信じ込んでしまっているようですね。誰かに吹き込まれたのでしょうか。
継美に身も心も捧げるあまり、彼は暴走し、今や破綻者と成り果てています。深度は2ですから、生きたまま捕縛して元に戻す事も不可能ではないでしょうが……それにこだわる必要はないと思いますよ。女で人生狂わせた男の人なんて、生かしておく方がかわいそう……こほん。とにかく、捕われた女の子たちの救出が最優先という事で。
神父さんは、覚者としての現役時代には幾つか能力を持っていたようですが、破綻者となった今、攻撃手段として使用出来るのは『エアブリット』のみ。継美への想いゆえか割と洒落にならない破壊力を持っていて、しかもそれを空中から放ってきますので気をつけて下さいね。
それでは御武運を。久方真由美でした」

■シナリオ詳細
■成功条件
1.捕われた少女たちの救出
2.破綻者を倒す、あるいは無力化・捕縛する
3.なし
2.破綻者を倒す、あるいは無力化・捕縛する
3.なし
今回の舞台は山間の廃教会、広い礼拝堂内での戦闘となります。
堂内では、捕われた少女3名が十字架に掛けられています。
敵は破綻者と化した元覚者の神父1名(深度2)。攻撃手段は、空中からのエアブリットのみ。
捕われの少女たちは、神父にとっては大切な生贄ですが、戦闘の流れ次第では人質に取る事も考えられるでしょう。
それでは、よろしくお願い申し上げます。
状態
完了
完了
報酬モルコイン
金:0枚 銀:1枚 銅:0枚
金:0枚 銀:1枚 銅:0枚
相談日数
7日
7日
参加費
100LP[+予約50LP]
100LP[+予約50LP]
参加人数
6/6
6/6
公開日
2017年01月21日
2017年01月21日
■メイン参加者 6人■

●
自分の弟に、工藤飛海(CL2001022)は心を奪われていた。
天使の舞い、などとつい思ってしまう。
それほどまでに『探偵見習い』工藤奏空(CL2000955)の舞踏は、飛海の心を掴んだのだ。
見ているだけで心が澄み渡り、全身に力が漲りながらも無駄な力みが消えてゆく。
「……っと。こんなもんかな?」
奏空が、ふわりと舞を止める。
飛海以外の観客4名が、惜しみない拍手を送った。
「すげえ力が湧いてくる……こんなスカッと覚醒したの初めてかも知んねえ!」
小さな少年が、叫びながら長身の青年と化し、和装をはためかせる。『不屈のヒーロー』成瀬翔(CL2000063)が、覚醒を遂げたのだ。
三島椿(CL2000061)が、ふわりと翼を広げながら微笑する。
「お見事。なかなかの前衛舞踏だったわね」
「敵に見せたらMPとか吸い取れるんじゃないかなー?」
そんな事を言いながら『ほむほむ』阿久津ほのか(CL2001276)が、軽く左手を掲げる。手の甲で、第3の目が開いていた。
奏空が、文句を言う。
「これは暗黒舞踏じゃなく、ふしぎなおどりでもなくて演舞・清爽! みんな、ちゃんと効果出てるのかな? もう」
「うん……心の刃に、炎が宿った感じだ!」
長いポニーテールを白銀色に輝かせながら、『刃に炎を、高貴に責務を』天堂フィオナ(CL2001421)が気合を燃やす。
「ノブレス・オブリージュを果たすぞ! さあ行こう!」
気合だけではない。フィオナも、ほのかも椿も翔も、それに飛海も、士気だけでなく身体能力も向上している。奏空の、演舞・清爽によってだ。
(覚者として……ずいぶん力を付けちまったんだな、奏空)
自分とは大違いだ、と飛海は思わなくもないが、それ以上に思う事は1つだ。
(もう、普通の生活には戻れない……のか?)
「最初の打ち合わせ通り、物質透過の出来る2人には隠密行動を取ってもらう事になるけれど」
椿が言った。
「……気をつけてね。私たちが敵の注意を引きつけるまで、無理をしては駄目よ」
続いて、ほのかが言いながらじっと1人を見つめる。
「そちらこそ。陽動だからって、あんまり無茶な事しないで下さいね」
「な、なぜ私を見る」
フィオナが若干、うろたえている。
「大丈夫だ、女の子たちは必ず助けて見せる! 自分の為すべき事を見失ったりはしないさ!」
「フィーはいつも気合入りまくりだからな。見てて心配になるくらいに」
奏空が言い、翔がからかう。
「無理と無茶なら、奏空だってかなりのもんだぜー?」
「貴方もね、翔」
椿が締めた。
「奏空さんの無茶なら、お姉さんが止めてくれるわ。お願いね」
「あ……ああ」
自分の声が上擦り、引きつるのを、飛海は止められなかった。
19歳。この場にいる6名の中で最年長だが、覚者としての実戦経験は最も不足している。
(俺……みんなの足、引っ張って……奏空にも、恥かかせちまう……)
お面をかぶった幽霊のようなものが、飛海の周囲を飛び回った。そして小さな金魚……飛海の守護使役『アールグレイ』と、楽しげに戯れている。
「リラックスです、お姉さん」
ほのかが声をかけてくれた。
「大丈夫、心配する事ないって『ぷわ〜ん』も言ってますから。ね?」
「そうそう。ま、万事この弟様に任せておいてよ」
奏空が、わざとらしいほど偉そうに胸を張っている。
「……言うねえ奏空。お手並み拝見と行こーじゃん?」
飛海も、空元気を振り絞るしかなかった。
「ねーちゃんも、全力で行かないと……な」
●
まるで、ゴルゴダの丘だ。
廃教会の礼拝堂内。3つの十字架が立てられ、それぞれに1人ずつ、少女が縛り付けられている。
全員、遠目にもわかるほど衰弱していた。
一般人の女の子が長時間、十字架に拘束されているのだ。負担と疲労は、想像を絶するものであろう。
彼女らに向かって何やら祈りを捧げていた神父が、ゆらりと振り向いた。
「AAAの犬どもか……」
「AAAじゃなくてファイヴだよ。元神父さん、あんたを確保する!」
奏空が、自身に『練覇法』を施しながら言い放つ。
彼と、その姉である飛海。それにフィオナと椿。計4名が今、神父と対峙している。
ほのかと翔は今頃、教会の裏側から『物質透過』を用いての侵入を試みているはずだ。
堂内への突入時に、奏空が『送受心・改』で、ほのかと連絡を取り合っている。翔は『透視』も持っている。
2人ともタイミングを見計らいながら、最短距離で十字架に忍び寄るための経路を見つけ出してくれるだろう。
それまで時間を稼ぎ、神父の注意をこちらに引きつけておく。それが、ここにいる4名の役割だ。
奏空が、なおも言う。
「紅蜘蛛・継美はもういない、生贄を捧げたって蘇らないんだ! 蘇ったとしても再び俺たちが倒す!」
「倒す……だと。ファイヴなどという半人前の群れが……彼女を、倒す?」
神父が笑いながら、何かを大切そうに抱き掲げている。
「彼女との戦いで、AAAの覚者が一体どれほど命を落としたか……五麟学園では、全く教えていないと見えるな」
赤黒く塗装された聖母像。血の色、である。
椿は問いかけた。
「血で彩られた聖母……まさしく紅蜘蛛・継美のイメージというわけ?」
「あの戦いで私は思い知ったのだよ。彼女と戦う事の、愚かさを」
失われた継美という存在の代用品として片時も手放せないのであろう血塗られたマリア像を、恭しく抱いたまま神父が語る。
「彼女は我々人間の、苦しみを、罪を、不幸を、食べ尽くしてくれる……わかるだろう? 今、再びこの世に彼女が必要なのだという事が」
「貴方にとって紅蜘蛛は、そこまで大きな存在なのね。こんな愚かな事をしてまで、蘇らせなければならないほどに」
聞く耳持たぬ相手との無意味な会話を、しかし椿は続けた。
十字架の傍に、いつの間にか翔とほのかが姿を現しているからだ。神父は気付いていない。
翔とフィオナが、目で頷き合う。
ほのかが、唇に人差し指を添えながら苦無を取り出した。そして、少女たちを十字架に縛り付けている縄を手際良く切断してゆく。
束縛から解放され、ぐったりと落下する少女の身体を、翔が抱き支えた。
普段は小さな少年が、今は女の子を抱き運べる長身の青年である。便利な覚醒だ、と思いながら椿は言った。神父の意識を、まだこちらに引き付けておかねばならない。
「貴方の心は、もう継美しか見ていないのね……かわいそうな人」
「何とでもほざけ。貴様たちもな、彼女に食べられる時を迎えれば考えが変わる……この世に、これほどの幸福があるのかとな」
「……あんたには、きっと何かあったんだろうな。紅蜘蛛に身も心も捧げないと生きていけないほど、辛い事が」
両の瞳を桃色に発光させながら、奏空が言う。
「だけどそれは、罪のない人を犠牲にする言い訳にはならない!」
霧が生じ、神父の身体にまとわりつく。
「ふん、纏霧か……五行術式を小中学校で習っているような子供が、一丁前に」
まとわりついて動きを鈍らせる霧。それを吹き飛ばすかのように神父が、背中から左右一対、翼を広げ羽ばたかせた。
「半人前の学生どもに邪魔はさせん! 彼女は私が、再びこの世に迎え入れる! その少女たちの命が、血肉が、魂が、彼女に復活のための力を与えるのだ!」
「誰が貴方に、そんな事を吹き込んだの……もしかして、それは」
薬売り、という人ではないのか。
その言葉を、椿は呑み込んだ。時間稼ぎの会話をしている場合では、なくなったのだ。
1度の羽ばたきで、神父は空中に舞い上がっていた。血塗られた聖母像を、抱いたままだ。
空中から見下ろせるようになったせいで、気付かれてしまった。
少女は3人とも、十字架から解放されていた。
2人はどうにか自力で歩けるようだが、1人は衰弱がひどい。
その1人を、ほのかが姫君のように優しく抱き運ぶ。
「貴様ら……!」
神父が空中で激昂し、羽ばたいた。
空気が激しく渦を巻きながら固まり、エアブリットと化し、ほのかを含む少女たちを襲う。
「させるかっ!」
翔が、素早く印を結んだ。
B.O.T.が対空迎撃の形に発射され、エアブリットとぶつかり合った。
相殺・爆発が起こった。
爆発の余波を浴びて、翔がよろめく。ほのかが、少女を抱き上げたまま辛うじて踏みとどまる。
他2人の少女は、痛々しく転倒していた。
そこへ、フィオナが駆け寄って行く。
「大丈夫……大丈夫だ!」
泣きじゃくる少女の1人を助け起こしながら、フィオナは言った。
「私たちが必ず助ける! 必ず、君たちを……守るから……」
守る。
そこでだけ、フィオナの声が震えた。
「恐かったろう……よく、頑張ったな。本当に、守るから……」
「行こうフィオナさん、ほのかさん」
翔が、もう1人の少女を助け起こす。
「まずは、この子たちを安全な所へ……ほら、もう大丈夫だぜ。今助けるから」
「逃がすか!」
神父が、そちらへ向かって空中から攻撃を仕掛けようとする。またしてもエアブリットか、あるいは自ら飛来・降下してゆくつもりか。
どちらもさせず椿は、翼をはためかせた。
飛翔の羽ばたき、ではない。巻き起こった風が空気の弾丸となり、発射される。地上からのエアブリットである。
同時に奏空も、
「俺たちだって、あんたを逃がすつもりはない!」
気合の叫びと共に、雷雲を発生させていた。その雷雲が轟音を発し、稲妻を放つ。まさに雷獣の咆哮だ。
両腕で、両脚で、両の翼で、神父は守った。血塗られたマリア像をだ。
空中で前屈みに丸まった神父の身体を、エアブリットと雷獣が同時に直撃した。
何枚もの羽が、血飛沫と共に舞い散った。
空気の弾丸で身体のどこかを穿たれ、しかもその傷口にバチバチと電光を流し込まれた状態のまま、しかし神父は墜落せずに空中で翼を開いた。
血まみれの腕が、無傷のマリア像を抱き守っている。
「もう2度と……覚者どもの力で、かか彼女を……ききき傷付けさせはしないいぃ……ッ!」
感電しながら、神父は羽ばたいた。血に染まった翼が、激しく空気を打った。
打たれた空気が渦巻き、吹き荒れ、暴風の塊と化す。
とてつもなく巨大なエアブリットが、奏空に向かって隕石の如く降った。
奏空が軽やかに跳躍し、かわした。
空気の隕石が、床を直撃・粉砕した。礼拝堂全体が揺れた。
床の破片が無数、激しく舞い上がって渦を巻き、椿を襲う。
左右の翼をマントの如く身に纏いながら、椿は身を翻した。
破片を、全て回避した。奏空の演舞・清爽のおかげで、身体能力は向上している。
だが、壊れたのは床だけではない。
成人男性ほどもある天使の像が1つ、礼拝堂の揺れに耐えられず、倒れてゆく。衰弱した少女たちに向かってだ。
フィオナが飛び込み、少女たちの楯となった。
「フィー!」
奏空が叫ぶ。
台座もろとも倒れた天使像が、フィオナの頭を直撃していた。
「だ、大丈夫だぞ! たんこぶが出来ただけだ」
天使像を弱々しく押しのけながら、フィオナが応える。
たんこぶは出来ておらず、血が噴出していた。銀色のポニーテールが、赤く汚れてゆく。
その間、翔が壁に向かって印を結んでいた。
B.O.T.が壁を粉砕し、大穴を穿った。
ほのかが少女の1人を抱き運び、そこを通り抜ける。他の2人が、それに続く。
「どうするのだ……その子たちを逃がして助けて、生き永らえさせて、どうすると言うのだ!」
神父が叫び、エアブリットを放つ。暴風の塊が、少女たちを襲う。
「この腐りきった世で、悪い事をしながら生きてゆくしかない子供たちだぞ! この場で彼女に捧げるのが幸せと何故わからぬか!」
「何を捧げたって、死んだ者は戻らない……いい加減に目を覚ませ!」
フィオナが叫び、ガラティーン・改を抜き放つ。
抜刀された刃が、炎を纏う。
炎撃の一閃が、エアブリットを迎え撃った。炎の刃と暴風の弾丸が、激しくぶつかり合う。
粉砕されたエアブリットが風に戻り、炎の飛沫と共に飛び散った。
その間に少女たちが、ほのかに先導されて壁の大穴を通り抜けて行く。
フィオナは、剣を構えたまま尻餅をついていた。
「そうだよ……戻って来ないんだ……あの子だって……」
声が、震えている。
「私……あの子を、守れなかった……」
「そうだ何も守れはせぬ、貴様ら半人前どもにはなあ! 苦しむ人々を救えるのは彼女だけ……」
空中で羽ばたき叫ぶ神父の腕の中で突然、マリア像が砕け散った。血塗られた破片が、ぱらぱらと落下する。
水飛沫の弾丸が飛んだのを、椿は辛うじて見逃さなかった。
「……守ったじゃんよ、フィオナさん。昔は知らないけど、今は」
飛海が身を屈め、左手でフィオナの肩を抱きながら、右の人差し指を神父に向けている。
その指先から、水礫が放たれたところである。
抱いていたものを失ってしまった己の両腕を、神父が呆然と見つめている。
「継美……私の、継美……」
「だから、継美はもういねーんだって!」
翔の雷獣が、神父を直撃した。
感電しながら弱々しく墜落して行く神父を、奏空が地上で待ち受けている。
「いくら世の中が腐ってようが……人がどう生きるかは、その人が決める事だ。あんたが決める事じゃあない!」
左右一対の刃が、雷鳴を発しながら発光する。
必墜雷撃。
稲妻を帯びた峰打ちが、神父を打ちのめした。
「所詮あんたは、逃げてるだけだ……自分の頭の中にしかない、継美が支配する世界にね」
「ものを知らぬ子供が……利いた風な事を……」
錐揉み状に吹っ飛んで床に激突・埋没していた神父が、よろよろと立ち上がって来る。
「貴様らにわかるものか……愛するものを、何としても取り戻さねばならぬ……私の思いが……」
「それはわかりませんけど、とにかく子供子供って言わないで下さいね。あんまり」
少女たちを避難させ終えたほのかが、いつの間にか戻って来て神父の背後にいた。
「元AAAの人から見れば、五麟学園に通ってる私たちなんて、それは半人前の学生にしか見えないでしょうけど……でも、トチ狂った人をこうやってシメちゃうくらいの事は出来ますから」
言いつつほのかが、手際良く神父を縄で縛り上げてゆく。
飛海に肩を抱かれ、負傷したまま泣きじゃくっているフィオナに、椿は片手を向けた。
(愛する人……私にも、いるけれど)
血まみれのポニーテールに、潤しの滴が染み込んでゆく。
「だけど私は、貴方のようにはならない……それが私のエゴだとしても、ね」
●
衰弱していた少女たちは、椿の『潤しの雨』で元気を取り戻した。
「ねえ、さっきの白い服着たイケメンの人はー?」
「目の前にいるだろうがよ」
翔がそんな事を言っても、少女たちは信じない。
「あんたみたいなチビじゃなくてえ。ほら背の高い、陰陽師みたいな和系イケメン! いたでしょー? さっき」
「すっごいカッコ良かった! ほらほら、もったいぶらずに会わせなさいよぉ」
「こいつらー!」
覚醒状態の解けた翔が、小さな身体をじたばたさせて憤慨する。ほのかが、なだめている。
「まあまあ。本当のイケメンは、女の子がピンチの時にしか現れないって事で」
「ったく……ま、こんな奴らでもちゃんと家まで送ってやらねーとな」
そんなやり取りを横目に飛海は、縛り上げられた神父に声をかけた。
「あんたの大切なもの壊しちまって悪かったな。けど、あんなもの持ってたって継美は復活しないし、させない。こんなバカな事、何度やっても止めて見せんからよ……過去にしがみつくのは、もうやめときなって」
「……私を、どうするつもりだ。AAAに引き渡すのか」
神父が呻く。
「そんな事をするくらいなら……殺せ」
「古巣に戻りたくないってか?」
「AAAがどれほど腐敗した組織であるか、貴様ら小僧小娘は知らんのだ……だから私は、彼女に賭けた……そして賭けに敗れた! さあ殺せ」
「死んでしまったら、そこで終わりだ!」
フィオナが言った。
「貴方は生き残った、だから次に繋ぐんだ!」
「子供の世迷言など聞きたくはない! 早く殺せ!」
「罪を償って、もう大丈夫って笑える日も! 死んだら絶対来ないんだぞ!」
フィオナは叫んだ。神父は黙り込んだ。
「だから私は、守る……それは貴方も例外じゃない」
守る。
その言葉に、このフィオナという少女は、何か特別な思いを抱いているようであった。
俯いた神父から、フィオナは飛海へと眼差しを移した。
「先程は、ありがとう」
「俺、何にもしてないぜ? ただ水滴飛ばしただけで」
「いや、私は貴女に救われたんだ!」
フィオナが深々と頭を下げたので、飛海はたじろいだ。
「心のどこかで私は貴女を、未熟な覚者と侮り軽んじていた! 本当に……すまない」
「い、いや未熟なのは事実だし」
飛海は、指先で頬を掻いた。
「俺、覚者のくせに戦いと無縁の生活しかしてないんだよ。留学から帰って来て、親戚のお寺とか実家のうどん屋とか手伝ってるとこでさ……そういう普通で平和な暮らしに、あいつを連れ戻そうと思って来たんだ。実は」
神父の処遇に関してか、何やら椿と話し込んでいる奏空に、飛海はちらりと視線を向けた。
「だけど、あいつは……戦いの中に、自分の居場所を見つけちまったみたいだな」
「貴女の居場所だってある。これからも一緒に戦おう!」
フィオナの言葉と瞳から逃げるように、飛海は空を見上げた。
先の事など、何もわからないのだ。
自分の弟に、工藤飛海(CL2001022)は心を奪われていた。
天使の舞い、などとつい思ってしまう。
それほどまでに『探偵見習い』工藤奏空(CL2000955)の舞踏は、飛海の心を掴んだのだ。
見ているだけで心が澄み渡り、全身に力が漲りながらも無駄な力みが消えてゆく。
「……っと。こんなもんかな?」
奏空が、ふわりと舞を止める。
飛海以外の観客4名が、惜しみない拍手を送った。
「すげえ力が湧いてくる……こんなスカッと覚醒したの初めてかも知んねえ!」
小さな少年が、叫びながら長身の青年と化し、和装をはためかせる。『不屈のヒーロー』成瀬翔(CL2000063)が、覚醒を遂げたのだ。
三島椿(CL2000061)が、ふわりと翼を広げながら微笑する。
「お見事。なかなかの前衛舞踏だったわね」
「敵に見せたらMPとか吸い取れるんじゃないかなー?」
そんな事を言いながら『ほむほむ』阿久津ほのか(CL2001276)が、軽く左手を掲げる。手の甲で、第3の目が開いていた。
奏空が、文句を言う。
「これは暗黒舞踏じゃなく、ふしぎなおどりでもなくて演舞・清爽! みんな、ちゃんと効果出てるのかな? もう」
「うん……心の刃に、炎が宿った感じだ!」
長いポニーテールを白銀色に輝かせながら、『刃に炎を、高貴に責務を』天堂フィオナ(CL2001421)が気合を燃やす。
「ノブレス・オブリージュを果たすぞ! さあ行こう!」
気合だけではない。フィオナも、ほのかも椿も翔も、それに飛海も、士気だけでなく身体能力も向上している。奏空の、演舞・清爽によってだ。
(覚者として……ずいぶん力を付けちまったんだな、奏空)
自分とは大違いだ、と飛海は思わなくもないが、それ以上に思う事は1つだ。
(もう、普通の生活には戻れない……のか?)
「最初の打ち合わせ通り、物質透過の出来る2人には隠密行動を取ってもらう事になるけれど」
椿が言った。
「……気をつけてね。私たちが敵の注意を引きつけるまで、無理をしては駄目よ」
続いて、ほのかが言いながらじっと1人を見つめる。
「そちらこそ。陽動だからって、あんまり無茶な事しないで下さいね」
「な、なぜ私を見る」
フィオナが若干、うろたえている。
「大丈夫だ、女の子たちは必ず助けて見せる! 自分の為すべき事を見失ったりはしないさ!」
「フィーはいつも気合入りまくりだからな。見てて心配になるくらいに」
奏空が言い、翔がからかう。
「無理と無茶なら、奏空だってかなりのもんだぜー?」
「貴方もね、翔」
椿が締めた。
「奏空さんの無茶なら、お姉さんが止めてくれるわ。お願いね」
「あ……ああ」
自分の声が上擦り、引きつるのを、飛海は止められなかった。
19歳。この場にいる6名の中で最年長だが、覚者としての実戦経験は最も不足している。
(俺……みんなの足、引っ張って……奏空にも、恥かかせちまう……)
お面をかぶった幽霊のようなものが、飛海の周囲を飛び回った。そして小さな金魚……飛海の守護使役『アールグレイ』と、楽しげに戯れている。
「リラックスです、お姉さん」
ほのかが声をかけてくれた。
「大丈夫、心配する事ないって『ぷわ〜ん』も言ってますから。ね?」
「そうそう。ま、万事この弟様に任せておいてよ」
奏空が、わざとらしいほど偉そうに胸を張っている。
「……言うねえ奏空。お手並み拝見と行こーじゃん?」
飛海も、空元気を振り絞るしかなかった。
「ねーちゃんも、全力で行かないと……な」
●
まるで、ゴルゴダの丘だ。
廃教会の礼拝堂内。3つの十字架が立てられ、それぞれに1人ずつ、少女が縛り付けられている。
全員、遠目にもわかるほど衰弱していた。
一般人の女の子が長時間、十字架に拘束されているのだ。負担と疲労は、想像を絶するものであろう。
彼女らに向かって何やら祈りを捧げていた神父が、ゆらりと振り向いた。
「AAAの犬どもか……」
「AAAじゃなくてファイヴだよ。元神父さん、あんたを確保する!」
奏空が、自身に『練覇法』を施しながら言い放つ。
彼と、その姉である飛海。それにフィオナと椿。計4名が今、神父と対峙している。
ほのかと翔は今頃、教会の裏側から『物質透過』を用いての侵入を試みているはずだ。
堂内への突入時に、奏空が『送受心・改』で、ほのかと連絡を取り合っている。翔は『透視』も持っている。
2人ともタイミングを見計らいながら、最短距離で十字架に忍び寄るための経路を見つけ出してくれるだろう。
それまで時間を稼ぎ、神父の注意をこちらに引きつけておく。それが、ここにいる4名の役割だ。
奏空が、なおも言う。
「紅蜘蛛・継美はもういない、生贄を捧げたって蘇らないんだ! 蘇ったとしても再び俺たちが倒す!」
「倒す……だと。ファイヴなどという半人前の群れが……彼女を、倒す?」
神父が笑いながら、何かを大切そうに抱き掲げている。
「彼女との戦いで、AAAの覚者が一体どれほど命を落としたか……五麟学園では、全く教えていないと見えるな」
赤黒く塗装された聖母像。血の色、である。
椿は問いかけた。
「血で彩られた聖母……まさしく紅蜘蛛・継美のイメージというわけ?」
「あの戦いで私は思い知ったのだよ。彼女と戦う事の、愚かさを」
失われた継美という存在の代用品として片時も手放せないのであろう血塗られたマリア像を、恭しく抱いたまま神父が語る。
「彼女は我々人間の、苦しみを、罪を、不幸を、食べ尽くしてくれる……わかるだろう? 今、再びこの世に彼女が必要なのだという事が」
「貴方にとって紅蜘蛛は、そこまで大きな存在なのね。こんな愚かな事をしてまで、蘇らせなければならないほどに」
聞く耳持たぬ相手との無意味な会話を、しかし椿は続けた。
十字架の傍に、いつの間にか翔とほのかが姿を現しているからだ。神父は気付いていない。
翔とフィオナが、目で頷き合う。
ほのかが、唇に人差し指を添えながら苦無を取り出した。そして、少女たちを十字架に縛り付けている縄を手際良く切断してゆく。
束縛から解放され、ぐったりと落下する少女の身体を、翔が抱き支えた。
普段は小さな少年が、今は女の子を抱き運べる長身の青年である。便利な覚醒だ、と思いながら椿は言った。神父の意識を、まだこちらに引き付けておかねばならない。
「貴方の心は、もう継美しか見ていないのね……かわいそうな人」
「何とでもほざけ。貴様たちもな、彼女に食べられる時を迎えれば考えが変わる……この世に、これほどの幸福があるのかとな」
「……あんたには、きっと何かあったんだろうな。紅蜘蛛に身も心も捧げないと生きていけないほど、辛い事が」
両の瞳を桃色に発光させながら、奏空が言う。
「だけどそれは、罪のない人を犠牲にする言い訳にはならない!」
霧が生じ、神父の身体にまとわりつく。
「ふん、纏霧か……五行術式を小中学校で習っているような子供が、一丁前に」
まとわりついて動きを鈍らせる霧。それを吹き飛ばすかのように神父が、背中から左右一対、翼を広げ羽ばたかせた。
「半人前の学生どもに邪魔はさせん! 彼女は私が、再びこの世に迎え入れる! その少女たちの命が、血肉が、魂が、彼女に復活のための力を与えるのだ!」
「誰が貴方に、そんな事を吹き込んだの……もしかして、それは」
薬売り、という人ではないのか。
その言葉を、椿は呑み込んだ。時間稼ぎの会話をしている場合では、なくなったのだ。
1度の羽ばたきで、神父は空中に舞い上がっていた。血塗られた聖母像を、抱いたままだ。
空中から見下ろせるようになったせいで、気付かれてしまった。
少女は3人とも、十字架から解放されていた。
2人はどうにか自力で歩けるようだが、1人は衰弱がひどい。
その1人を、ほのかが姫君のように優しく抱き運ぶ。
「貴様ら……!」
神父が空中で激昂し、羽ばたいた。
空気が激しく渦を巻きながら固まり、エアブリットと化し、ほのかを含む少女たちを襲う。
「させるかっ!」
翔が、素早く印を結んだ。
B.O.T.が対空迎撃の形に発射され、エアブリットとぶつかり合った。
相殺・爆発が起こった。
爆発の余波を浴びて、翔がよろめく。ほのかが、少女を抱き上げたまま辛うじて踏みとどまる。
他2人の少女は、痛々しく転倒していた。
そこへ、フィオナが駆け寄って行く。
「大丈夫……大丈夫だ!」
泣きじゃくる少女の1人を助け起こしながら、フィオナは言った。
「私たちが必ず助ける! 必ず、君たちを……守るから……」
守る。
そこでだけ、フィオナの声が震えた。
「恐かったろう……よく、頑張ったな。本当に、守るから……」
「行こうフィオナさん、ほのかさん」
翔が、もう1人の少女を助け起こす。
「まずは、この子たちを安全な所へ……ほら、もう大丈夫だぜ。今助けるから」
「逃がすか!」
神父が、そちらへ向かって空中から攻撃を仕掛けようとする。またしてもエアブリットか、あるいは自ら飛来・降下してゆくつもりか。
どちらもさせず椿は、翼をはためかせた。
飛翔の羽ばたき、ではない。巻き起こった風が空気の弾丸となり、発射される。地上からのエアブリットである。
同時に奏空も、
「俺たちだって、あんたを逃がすつもりはない!」
気合の叫びと共に、雷雲を発生させていた。その雷雲が轟音を発し、稲妻を放つ。まさに雷獣の咆哮だ。
両腕で、両脚で、両の翼で、神父は守った。血塗られたマリア像をだ。
空中で前屈みに丸まった神父の身体を、エアブリットと雷獣が同時に直撃した。
何枚もの羽が、血飛沫と共に舞い散った。
空気の弾丸で身体のどこかを穿たれ、しかもその傷口にバチバチと電光を流し込まれた状態のまま、しかし神父は墜落せずに空中で翼を開いた。
血まみれの腕が、無傷のマリア像を抱き守っている。
「もう2度と……覚者どもの力で、かか彼女を……ききき傷付けさせはしないいぃ……ッ!」
感電しながら、神父は羽ばたいた。血に染まった翼が、激しく空気を打った。
打たれた空気が渦巻き、吹き荒れ、暴風の塊と化す。
とてつもなく巨大なエアブリットが、奏空に向かって隕石の如く降った。
奏空が軽やかに跳躍し、かわした。
空気の隕石が、床を直撃・粉砕した。礼拝堂全体が揺れた。
床の破片が無数、激しく舞い上がって渦を巻き、椿を襲う。
左右の翼をマントの如く身に纏いながら、椿は身を翻した。
破片を、全て回避した。奏空の演舞・清爽のおかげで、身体能力は向上している。
だが、壊れたのは床だけではない。
成人男性ほどもある天使の像が1つ、礼拝堂の揺れに耐えられず、倒れてゆく。衰弱した少女たちに向かってだ。
フィオナが飛び込み、少女たちの楯となった。
「フィー!」
奏空が叫ぶ。
台座もろとも倒れた天使像が、フィオナの頭を直撃していた。
「だ、大丈夫だぞ! たんこぶが出来ただけだ」
天使像を弱々しく押しのけながら、フィオナが応える。
たんこぶは出来ておらず、血が噴出していた。銀色のポニーテールが、赤く汚れてゆく。
その間、翔が壁に向かって印を結んでいた。
B.O.T.が壁を粉砕し、大穴を穿った。
ほのかが少女の1人を抱き運び、そこを通り抜ける。他の2人が、それに続く。
「どうするのだ……その子たちを逃がして助けて、生き永らえさせて、どうすると言うのだ!」
神父が叫び、エアブリットを放つ。暴風の塊が、少女たちを襲う。
「この腐りきった世で、悪い事をしながら生きてゆくしかない子供たちだぞ! この場で彼女に捧げるのが幸せと何故わからぬか!」
「何を捧げたって、死んだ者は戻らない……いい加減に目を覚ませ!」
フィオナが叫び、ガラティーン・改を抜き放つ。
抜刀された刃が、炎を纏う。
炎撃の一閃が、エアブリットを迎え撃った。炎の刃と暴風の弾丸が、激しくぶつかり合う。
粉砕されたエアブリットが風に戻り、炎の飛沫と共に飛び散った。
その間に少女たちが、ほのかに先導されて壁の大穴を通り抜けて行く。
フィオナは、剣を構えたまま尻餅をついていた。
「そうだよ……戻って来ないんだ……あの子だって……」
声が、震えている。
「私……あの子を、守れなかった……」
「そうだ何も守れはせぬ、貴様ら半人前どもにはなあ! 苦しむ人々を救えるのは彼女だけ……」
空中で羽ばたき叫ぶ神父の腕の中で突然、マリア像が砕け散った。血塗られた破片が、ぱらぱらと落下する。
水飛沫の弾丸が飛んだのを、椿は辛うじて見逃さなかった。
「……守ったじゃんよ、フィオナさん。昔は知らないけど、今は」
飛海が身を屈め、左手でフィオナの肩を抱きながら、右の人差し指を神父に向けている。
その指先から、水礫が放たれたところである。
抱いていたものを失ってしまった己の両腕を、神父が呆然と見つめている。
「継美……私の、継美……」
「だから、継美はもういねーんだって!」
翔の雷獣が、神父を直撃した。
感電しながら弱々しく墜落して行く神父を、奏空が地上で待ち受けている。
「いくら世の中が腐ってようが……人がどう生きるかは、その人が決める事だ。あんたが決める事じゃあない!」
左右一対の刃が、雷鳴を発しながら発光する。
必墜雷撃。
稲妻を帯びた峰打ちが、神父を打ちのめした。
「所詮あんたは、逃げてるだけだ……自分の頭の中にしかない、継美が支配する世界にね」
「ものを知らぬ子供が……利いた風な事を……」
錐揉み状に吹っ飛んで床に激突・埋没していた神父が、よろよろと立ち上がって来る。
「貴様らにわかるものか……愛するものを、何としても取り戻さねばならぬ……私の思いが……」
「それはわかりませんけど、とにかく子供子供って言わないで下さいね。あんまり」
少女たちを避難させ終えたほのかが、いつの間にか戻って来て神父の背後にいた。
「元AAAの人から見れば、五麟学園に通ってる私たちなんて、それは半人前の学生にしか見えないでしょうけど……でも、トチ狂った人をこうやってシメちゃうくらいの事は出来ますから」
言いつつほのかが、手際良く神父を縄で縛り上げてゆく。
飛海に肩を抱かれ、負傷したまま泣きじゃくっているフィオナに、椿は片手を向けた。
(愛する人……私にも、いるけれど)
血まみれのポニーテールに、潤しの滴が染み込んでゆく。
「だけど私は、貴方のようにはならない……それが私のエゴだとしても、ね」
●
衰弱していた少女たちは、椿の『潤しの雨』で元気を取り戻した。
「ねえ、さっきの白い服着たイケメンの人はー?」
「目の前にいるだろうがよ」
翔がそんな事を言っても、少女たちは信じない。
「あんたみたいなチビじゃなくてえ。ほら背の高い、陰陽師みたいな和系イケメン! いたでしょー? さっき」
「すっごいカッコ良かった! ほらほら、もったいぶらずに会わせなさいよぉ」
「こいつらー!」
覚醒状態の解けた翔が、小さな身体をじたばたさせて憤慨する。ほのかが、なだめている。
「まあまあ。本当のイケメンは、女の子がピンチの時にしか現れないって事で」
「ったく……ま、こんな奴らでもちゃんと家まで送ってやらねーとな」
そんなやり取りを横目に飛海は、縛り上げられた神父に声をかけた。
「あんたの大切なもの壊しちまって悪かったな。けど、あんなもの持ってたって継美は復活しないし、させない。こんなバカな事、何度やっても止めて見せんからよ……過去にしがみつくのは、もうやめときなって」
「……私を、どうするつもりだ。AAAに引き渡すのか」
神父が呻く。
「そんな事をするくらいなら……殺せ」
「古巣に戻りたくないってか?」
「AAAがどれほど腐敗した組織であるか、貴様ら小僧小娘は知らんのだ……だから私は、彼女に賭けた……そして賭けに敗れた! さあ殺せ」
「死んでしまったら、そこで終わりだ!」
フィオナが言った。
「貴方は生き残った、だから次に繋ぐんだ!」
「子供の世迷言など聞きたくはない! 早く殺せ!」
「罪を償って、もう大丈夫って笑える日も! 死んだら絶対来ないんだぞ!」
フィオナは叫んだ。神父は黙り込んだ。
「だから私は、守る……それは貴方も例外じゃない」
守る。
その言葉に、このフィオナという少女は、何か特別な思いを抱いているようであった。
俯いた神父から、フィオナは飛海へと眼差しを移した。
「先程は、ありがとう」
「俺、何にもしてないぜ? ただ水滴飛ばしただけで」
「いや、私は貴女に救われたんだ!」
フィオナが深々と頭を下げたので、飛海はたじろいだ。
「心のどこかで私は貴女を、未熟な覚者と侮り軽んじていた! 本当に……すまない」
「い、いや未熟なのは事実だし」
飛海は、指先で頬を掻いた。
「俺、覚者のくせに戦いと無縁の生活しかしてないんだよ。留学から帰って来て、親戚のお寺とか実家のうどん屋とか手伝ってるとこでさ……そういう普通で平和な暮らしに、あいつを連れ戻そうと思って来たんだ。実は」
神父の処遇に関してか、何やら椿と話し込んでいる奏空に、飛海はちらりと視線を向けた。
「だけど、あいつは……戦いの中に、自分の居場所を見つけちまったみたいだな」
「貴女の居場所だってある。これからも一緒に戦おう!」
フィオナの言葉と瞳から逃げるように、飛海は空を見上げた。
先の事など、何もわからないのだ。
■シナリオ結果■
成功
■詳細■
MVP
なし
軽傷
なし
重傷
なし
死亡
なし
称号付与
なし
特殊成果
なし
