去りゆく学び舎
●
早朝、とある地方の小さな中学校にて。
「起立。気をつけ。礼」
「おはようございます」
女性教師の参河美希が教室に入ると、日直の生徒が号令をかけた。
卒業を控えた10人ばかりの生徒達が、美希に一礼する。
「皆、おはよう」
着席した生徒に微笑んで、美希は朝のHRを始めた。
肩で揃えた黒髪のショートボブに、ライトグレーを基調とした縦縞のスーツ。
学校の教師というより、ニュースのキャスターが似合いそうな雰囲気の女性だ。
「ふう……」
だが、そんな彼女は今、目に見えて憔悴していた。
出席を取る声には張りがなく、顔色は蒼白だ。
「先生。なんか調子悪そうだけど、どうしたの?」
「ちょっとね……嫌な夢を見ちゃって」
心配そうに見つめる生徒に、美希は笑顔を作って返す。
「なに? ひょっとして男に振られた?」
窓際に座る男子が、からかうような声で笑った。
美希は大学を卒業したばかりで、生徒達とも歳が近い。
それ故か生徒達は、歳の離れた姉のような目で美希を見ているところがあった。
釣られたように、前に座る女子3人が、美希を見上げて口々に言う。
「それとも、次に行く職場が潰れちゃう夢とか?」
「先生、ここが廃校になったら、五麟学園に行くんでしょ?」
「いーなー。私も街の学校に行きたかったなー」
美希は思わず苦笑した。
恋人にふられる。職場が潰れる。そんな夢なら、どれほど良かっただろう。
毎日のように心を苛む、「あの夢」に比べれば――
(こんなことじゃ駄目ね。授業に集中しないと)
気持ちを切り替えた美希が、生徒達を静かにさせようと口を開いた、その時だった。
トトトトト
なにかが、木張りの廊下を走る音がした。
四つ足の獣特有の、軽い小刻みな音だ。
トトトトトトトト
カチカチカチカチカチカチカチ
音は次第に大きくなり、数が増えていく。
生徒達も異変に気づき、皆、顔に不安の色を浮かべ始めた。
「ねえ、なにこの音?」
「先生、大丈夫? すごく顔色が悪いけど」
美希の顔は、血の気を失っていた。
両手で頭を抱え、その場にうずくまる美希。
あの足音。気遣う生徒の顔。すべてあの夢と同じだ。
「皆、逃げて……」
美希が声を絞り出すのと、生徒の一人が窓の外を指差したのは、ほぼ同時だった。
そして――
「な、何あれ!?」
ガシャアァァン
生徒の悲鳴と同時に廊下の窓ガラスが割れ、体中に刃物が生えたイタチのような化け物たちが飛び込んできた。
「う……うわあああああああああ!!」
「キキキキキケケケケケ!」
怪鳥のような鳴き声をあげ、化け物は逃げ惑う生徒を次々と牙にかけていく。
美希はその場で耳を塞ぎ、目を閉じた。
一刻も早く、この悪夢が覚めるように。
「……いたい……痛いよぉ……」
「キキキキキ! キキキキキキキキ!!」
「助けて……先生……」
美希は塞いでいた耳を、そっと開いてみた。
それなのに、化物たちの嘲笑う声が消えてくれない。
強く閉じていた瞼を、恐る恐る開けてみた。
それなのに、目の前の悪夢が覚めてくれない。
いつまでたっても、覚めてくれない――
●
「とある中学校で妖が発生し、生徒と教師を襲う事件が発生します」
久方 真由美(nCL2000003)は、緊迫した面持ちで覚者たちに言った。
「敵の名前は『かまいたち』。自然系の妖で、出現数は6匹です」
真由美によると、かまいたちの構成はランク2のボスが2匹と、ランク1の子分が4匹。学校南端の校門前に出現し、校門、校庭と一直線に北上して校舎内へ侵入しようとする。
「この妖は、常に3匹の群れで行動します。ボスを討ち取られた群れは統率を失い、目の前の敵に攻撃を仕掛け続けるようになります」
言い方を変えれば、ボスさえ倒せば、その子分は教室に侵入できなくなるということだ。
真由美によると、妖の迎撃に使えそうなポイントは2つあるという。
1つは、校舎に面した広い校庭。ここでボス2匹を撃破し、敵が校舎に侵入する前に始末する。ただし40秒以内にボスを落とせなかった場合、その群れは校舎に侵入してしまう。スピードと連携が成否の鍵になるだろう。
もう1つのポイントは、校舎内の昇降口。2階へ昇る唯一のルートを覚者たちが塞ぎ、侵入してきた妖を迎撃するというものだ。こちらは教師と生徒を高確率で守れるメリットがある反面、敵からの集中攻撃を浴びやすいというリスクがある。また、階段という地形の特性上、前・中・後衛のポジションは各3人までしか配置できない。
どちらを選ぶかは各自の判断だが、厳しい戦いになるのは間違いないだろう。
「説明は以上です。どうか、彼らの命を救って下さい。よろしくお願いします」
真由美はかすかに震える声で、覚者たちに頭を下げた。
早朝、とある地方の小さな中学校にて。
「起立。気をつけ。礼」
「おはようございます」
女性教師の参河美希が教室に入ると、日直の生徒が号令をかけた。
卒業を控えた10人ばかりの生徒達が、美希に一礼する。
「皆、おはよう」
着席した生徒に微笑んで、美希は朝のHRを始めた。
肩で揃えた黒髪のショートボブに、ライトグレーを基調とした縦縞のスーツ。
学校の教師というより、ニュースのキャスターが似合いそうな雰囲気の女性だ。
「ふう……」
だが、そんな彼女は今、目に見えて憔悴していた。
出席を取る声には張りがなく、顔色は蒼白だ。
「先生。なんか調子悪そうだけど、どうしたの?」
「ちょっとね……嫌な夢を見ちゃって」
心配そうに見つめる生徒に、美希は笑顔を作って返す。
「なに? ひょっとして男に振られた?」
窓際に座る男子が、からかうような声で笑った。
美希は大学を卒業したばかりで、生徒達とも歳が近い。
それ故か生徒達は、歳の離れた姉のような目で美希を見ているところがあった。
釣られたように、前に座る女子3人が、美希を見上げて口々に言う。
「それとも、次に行く職場が潰れちゃう夢とか?」
「先生、ここが廃校になったら、五麟学園に行くんでしょ?」
「いーなー。私も街の学校に行きたかったなー」
美希は思わず苦笑した。
恋人にふられる。職場が潰れる。そんな夢なら、どれほど良かっただろう。
毎日のように心を苛む、「あの夢」に比べれば――
(こんなことじゃ駄目ね。授業に集中しないと)
気持ちを切り替えた美希が、生徒達を静かにさせようと口を開いた、その時だった。
トトトトト
なにかが、木張りの廊下を走る音がした。
四つ足の獣特有の、軽い小刻みな音だ。
トトトトトトトト
カチカチカチカチカチカチカチ
音は次第に大きくなり、数が増えていく。
生徒達も異変に気づき、皆、顔に不安の色を浮かべ始めた。
「ねえ、なにこの音?」
「先生、大丈夫? すごく顔色が悪いけど」
美希の顔は、血の気を失っていた。
両手で頭を抱え、その場にうずくまる美希。
あの足音。気遣う生徒の顔。すべてあの夢と同じだ。
「皆、逃げて……」
美希が声を絞り出すのと、生徒の一人が窓の外を指差したのは、ほぼ同時だった。
そして――
「な、何あれ!?」
ガシャアァァン
生徒の悲鳴と同時に廊下の窓ガラスが割れ、体中に刃物が生えたイタチのような化け物たちが飛び込んできた。
「う……うわあああああああああ!!」
「キキキキキケケケケケ!」
怪鳥のような鳴き声をあげ、化け物は逃げ惑う生徒を次々と牙にかけていく。
美希はその場で耳を塞ぎ、目を閉じた。
一刻も早く、この悪夢が覚めるように。
「……いたい……痛いよぉ……」
「キキキキキ! キキキキキキキキ!!」
「助けて……先生……」
美希は塞いでいた耳を、そっと開いてみた。
それなのに、化物たちの嘲笑う声が消えてくれない。
強く閉じていた瞼を、恐る恐る開けてみた。
それなのに、目の前の悪夢が覚めてくれない。
いつまでたっても、覚めてくれない――
●
「とある中学校で妖が発生し、生徒と教師を襲う事件が発生します」
久方 真由美(nCL2000003)は、緊迫した面持ちで覚者たちに言った。
「敵の名前は『かまいたち』。自然系の妖で、出現数は6匹です」
真由美によると、かまいたちの構成はランク2のボスが2匹と、ランク1の子分が4匹。学校南端の校門前に出現し、校門、校庭と一直線に北上して校舎内へ侵入しようとする。
「この妖は、常に3匹の群れで行動します。ボスを討ち取られた群れは統率を失い、目の前の敵に攻撃を仕掛け続けるようになります」
言い方を変えれば、ボスさえ倒せば、その子分は教室に侵入できなくなるということだ。
真由美によると、妖の迎撃に使えそうなポイントは2つあるという。
1つは、校舎に面した広い校庭。ここでボス2匹を撃破し、敵が校舎に侵入する前に始末する。ただし40秒以内にボスを落とせなかった場合、その群れは校舎に侵入してしまう。スピードと連携が成否の鍵になるだろう。
もう1つのポイントは、校舎内の昇降口。2階へ昇る唯一のルートを覚者たちが塞ぎ、侵入してきた妖を迎撃するというものだ。こちらは教師と生徒を高確率で守れるメリットがある反面、敵からの集中攻撃を浴びやすいというリスクがある。また、階段という地形の特性上、前・中・後衛のポジションは各3人までしか配置できない。
どちらを選ぶかは各自の判断だが、厳しい戦いになるのは間違いないだろう。
「説明は以上です。どうか、彼らの命を救って下さい。よろしくお願いします」
真由美はかすかに震える声で、覚者たちに頭を下げた。

■シナリオ詳細
■成功条件
1.妖の撃破
2.教師と生徒の救出
3.なし
2.教師と生徒の救出
3.なし
純戦シナリオ初挑戦ですので、頑張りたいと思います。
●ロケーション
広い校庭に面した、2階立ての木造校舎。
南側には校庭と校門があり、残り三方は山に囲まれています。
依頼開始時、美希と生徒は2階昇降口付近の教室にいます(他の部屋は無人です)。
●敵
かまいたち × 6匹(ランク2:2匹 ランク1:4匹)
背中と両前足に刃を生やした自然系妖。
常に3匹の群れ(ランク2のボス1匹、ランク1の子分2匹)で行動します。
ボスは子分よりも体が大きく、パラメータも高め。
前衛を子分2匹に任せ、中衛から遠距離攻撃を行ってきます。
・攻撃
切裂き 特近単(出血)
真空破 特遠単
真空破・強 特単貫2(100%・50%・―) ランク2のみ使用
●作戦
妖の群れは校門前に出現し、そのまま校庭から校舎へと一直線に北上します。
キャラクターは迎撃ポイントとして、校庭か昇降口のいずれかを選んで下さい。
校門・校庭・昇降口は直線状に位置し、お互いの状況はリアルタイムで把握できます。
・校庭
校門から直進してくる妖の群れを迎撃します。
戦闘時は自由に動き回る事ができ、隊列も自由に組めますが、
4ターン以内にボスを倒せなかった群れは、そのまま校舎内に侵入してしまいます。
・昇降口
2階の教室へ続く階段で迎撃を行います。
校庭と比べて道幅が狭いため、隊列には注意してください。
戦闘可能な覚者が2人以下になると、妖の突破を許してしまいます。
●NPC
参河 美希(さんが みき)
地方の中学校に務める、若い女性教師です。
ここ最近、悪い夢に度々悩まされているようですが……?
状態
完了
完了
報酬モルコイン
金:0枚 銀:1枚 銅:0枚
金:0枚 銀:1枚 銅:0枚
相談日数
7日
7日
参加費
100LP[+予約50LP]
100LP[+予約50LP]
参加人数
8/8
8/8
公開日
2017年01月26日
2017年01月26日
■メイン参加者 8人■

●
早朝の学校に、冷え冷えとした風が吹く。
過疎化が進んで久しい田舎町の中学校に、生徒たちの笑いさざめく声は絶えて久しい。
施錠された教室にはうっすらと埃が積もり、取り壊される時を待つばかりだ。
葦原 赤貴(CL2001019)は正門の入り口から校舎に入ると、2階へ続く昇降口へと進んだ。
妖の到達までは、まだ時間がある。地形を事前に把握すれば、戦いは幾分有利になる。
今回の面子はベテランぞろいだが、戦場というのは生き物だ。イレギュラーな事態が起こることは十分考えられる。危険につながる不確定要素は、出来る限り潰しておきたかった。
「展開完了、っと。これで人は来ないだろう」
階段の中程では、『黒い太陽』切裂 ジャック(CL2001403)が結界の発動を終えたところだった。
1階の教室に、人の気配はない。昇降口さえ抜かれなければ大丈夫だろう。
(俺が望むのはハッピーエンド! これ以上ない最高のエンディングを、必ず届けてみせる!)
教師も生徒も、誰一人死なせるわけにはいかない。ジャックの赤い瞳に、強い意志が宿った。
そんな彼の隣で、同じく中衛の『隔者狩りの復讐鬼』飛騨・沙織(CL2001262)が、剣呑な口調でぽつりと呟く。
「学校を襲うかまいたち共か……全く難儀な話だ」
2階の教室からは、授業を受けている生徒達の気配が感じられる。もし沙織たちが突破を許してしまえば、妖は抵抗の術を持たない生徒と教師を、容赦なく殺戮するだろう。
(襲撃の理由は知らんが……私の目の前でそんな悲劇、起こさせはしない)
沙織は鎖骨の刺青をそっと指でなぞると、双刀・鎬を抜き放った。人々に牙を剥く妖を、残らず叩き潰すために。
一方、沙織の前列でも、前衛の3人が粛々と戦いの準備を進めていた。
「木造校舎とは今時珍しいですね」
『スピードスター』柳 燐花(CL2000695)の黒い猫耳は、先程から床の板張りが軋む音を拾っていた。年代を感じさせるワックスと木の匂いに包まれた空間は、燐花の過去を思い出させる。
「私が以前いた村も木造ではありましたが、コンクリートの校舎よりも温かみがあるような」
「そうかねえ。おっさんはどうにも苦手だね。この体じゃあ狭すぎて。ドアひとつ潜るだけで難儀するったらありゃしない」
低く、くぐもった緒形 逝(CL200156)の声が、フルフェイスメットの間から漏れた。
「ま、妖に場所を選べ、と言うのは無茶だな。まあ、守ってみせるがね」
黒スーツに関節球体の四肢、2メートルを超える巨躯。
顔は常にフルフェイスメットに覆われ、その風貌は分からない。
話している最中も、言葉のトーンや調子が秒単位で切り替わる。
何から何まで、捉えどころのない男なのだ。
「悪いかまいたち、倒せば良い、の?」
前列に立つ『自殺撲滅委員会』神々楽 黄泉(CL2001332)が、途切れ途切れの口調で言う。
「前に出て、ただ敵を、この武器で薙いで、潰すだけ」
黄泉は背丈よりも大きな鬼の金棒を軽々と担ぎ、ぶんぶんと豪快に素振りした。金棒による物理攻撃は、自然系の妖には効果が薄い。だが、彼女はあえて承知で戦いに臨むようだ。
「相手が、自然系でも、関係、ない。この武器で、潰す」
黄泉は回避よりも被弾前提の肉弾戦を得意とする、典型的なパワーファイターだ。前衛であり、なおかつ特殊防御も低いため、戦闘で受けるダメージは最も高くなることが予想された。
「傷ついたら、わたしがすぐに治す、ね」
後衛の桂木・日那乃(CL2000941)が抑揚のない声で言った。
彼女は味方のサポート優先で動く予定らしく、踊り場の窓を背に、黒い翼で宙に浮いている。
「被害が出るなら、消す」
抑揚のない声で、日那乃がぽつりと呟く。
その立居振舞いは、齢11にしてどこか老成を感じさせた。
「……そろそろ、来そうですね」
『赤き炎のラガッツァ』ラーラ・ビスコッティ(CL2001080)が、錬覇法で英霊の力を引き出した。校舎を漂う空気に、さざ波のように殺気が迫ってくるのを、敏感に感じ取ったのだ。
「ああ、来たな。接敵まで10秒ほどか」
錬覇法を発動した赤貴の視線も、校門を潜り抜けた6つの影を捉えていた。
「何の落ち度もない人たちを襲う手合いには、容赦いたしません」
前衛の燐花は天駆で、逝は蔵王・戒で、それぞれ自身を強化していく。
そうこうする間に影は大きくなり、妖の姿へと変わり、昇降口の覚者たちの前に殺到した。
「おっと、ここは通せんぼだぜ」
得物の友人帳を手にしたジャックが、不敵な笑みで敵を挑発する。
対する敵も、一様に残忍な笑みを浮かべながら、じりじりと覚者たちににじり寄ってきた。
両者の距離はおよそ10メートル。妖ならば、ひと跳びで人間の喉を掻き切れる間合いだ。
一触即発の緊張に張り詰める空気。踊り場に飾られた時計の秒針音が重い。
キーンコーン、カーンコーン
始業のベルが校舎に鳴り響く。それを合図に――
「キエエエエエエエエエ!!」
戦いの火蓋が切って落とされた!
●
「それじゃあ、授業を始めます」
始業のベルが鳴って、美希は教科書を教卓に置いた。
ちらりと廊下の脇に、目を走らせる。
夢では今ごろ、あのバケモノたちがやって来て、生徒達を……
(よそう。あれは夢だったんだから)
だが、何故だろう? この胸に、言い知れない不安を感じるのは。
●
「良い子には甘い焼き菓子を。悪い子には石炭を――」
ラーラが、小さい口をそっと開く。迫る妖を、踊り場で見下ろしながら。
「イオ・ブルチャーレ!」
火蓋を切ったのは、機先を制したラーラの火炎連弾だ。
燃え盛る火球が唸りをあげて降り注ぎ、敵後列に陣取るボス格の1匹に命中した。
「キエエエエ!」
錬覇法で威力を底上げした一撃を受け、妖は悲鳴をあげてのた打ち回った。
お返しとばかり手下のかまいたちが跳躍し、弧を描きながら回転。
体の刃から生じる真空破が、空を裂いて前衛の覚者3人に襲い掛かる。
「くっ……!」
「おお、痛い痛い。蔵王・戒さまさまって奴さね」
燐花と逝は、防御体勢で攻撃をガード。
いずれもバフ系スキルの恩恵によって、大したダメージは負っていないようだ。
だが、黄泉は敵のダメージを殺しきれず、真空破で引き裂かれた腕が血に染まった。
「ん、当たっちゃった、の」
「傷、平気?」
そんな黄泉の傷に、上空から日那乃が癒しの雨を降らせる。
濁りのない滴が黄泉の体に沁みこみ、その傷口を塞いでいった。
「まずは、手の届く相手から落としましょうか」
前衛の燐花が、正面から切りかかった。飛燕による物理攻撃で、手数を重ねる戦法だ。
そこに赤貴が続く。烈空波の構えを取りつつ、敵の陣形に目を走らせた。
妖怪の陣形は、前衛4匹、中衛2匹。前衛を務める敵の手下は扇状に散らばっており、一撃で4匹全てを巻き込むのは困難だ。
(1対1で潰していくのは骨だな。巻き込んで一気に仕留めたいところだが)
赤貴が烈空波を放つ。周囲を巻き込まないように、気をつけながら。
「キエエ!」「キエエエ!」
(2匹が限度か。だが、この面子なら十分だ)
敵の狙いを巧みに誘導しながら、1匹の真空破をガードで受ける。
「すばしこい奴らだ。まずは足を封じさせてもらおうか」
沙織が捕縛蔓を発動。蔓が絡みついた子分の1匹を縛り上げる。
「どうしても通りたいなら私達の屍を超えてみろ……まあ、畜生風情には到底無理な話だが」
体の自由を奪われた妖に、両手を自由にした黄泉が迫る。
「鎧どーしー」
黄泉が鎧通しを放った。どこか気の抜ける、間延びした声で。
彼女の両掌が発する気が、手下とボスを巻き込んで貫通した。
「キエエエエ!」
だが、やはりというべきか、物理攻撃である鎧通しは、自然系の妖には思うように通らず、倒すには至らない。
その隣では逝が、妖相手に丁々発止と切り結びながら、その実力を測っていた。
(この妖どもは、攻めの一手しか知らないようだ。それ即ち、弱い相手しか狩ってこなかった事の裏返しさね)
守る時に守り、攻める時に攻める。それだけで勝てる相手だ。逝はそう看破した。
「それじゃ、そろそろ押し込ませてもらおうかね。……地烈!」
逝が錬丹書を携え、機械化した腕を地を抉るように振り払う。
「ギ……ギエエエエエエ!!」
負傷していた手下の二匹が断末魔と共に吹き飛ばされ、その体がふわりと宙に溶ける。
(そろそろ、頃合だな)
仲間を失い、妖の戦意が傾いた一瞬の隙を、ジャックは見逃さなかった。
「悪いがここが、お前たちの墓場だ!」
キイィィィン
空気を切り裂く音と共に、妖の周囲を、半球状のドームが包み込んだ。
雷獣結界。低級妖を閉じ込める、封印結界だ。
成功するかは賭けだが、うまくいけば戦いを有利に進められる。
「キッ……」
手下の一匹が結界を脱しようと後退を試みるも、障壁に弾かれて押し戻される。封印成功だ。
「終わりにするぞ。悪夢は全て、ただの夢で終わればいいんだよ!」
8人の覚者は、一気に攻勢に出た。
●
「どうしたの、先生?」
生徒の一人が美希を見上げ、心配そうに声をかけた。
「……ああ、ごめんなさい。ちょっとね……」
一体どうしたと言うのだろう。
あの悪夢は外れたというのに、妙な胸騒ぎがどんどん強くなっていく。
階段の方から、言い知れない不吉な気配を感じる……
「すぐ戻るわ。先生が戻るまで自習してて」
心にまとわりつく不安に耐え切れず、美希はそっと席を立った。
●
教室の引き戸が開く音が聞こえた。
大人の女性の足音が、そっとした足取りで昇降口に向かってくる。
「教師が気づいたな」
「まさか」
赤貴の言葉に、ジャックがかぶりを振った。
「結界はまだ発動中だぞ。一般人が入って来るわけ――」
「そりゃアレだ。先生が『一般人』じゃない、って話なんじゃないかね」
逝の飄々とした口調に、ジャックの顔色が強張った。
「彼女が……美希姉が覚者だって言うん!?」
「おっさんは、それを疑ってるけどね。ま、考えるのは後だ。先生が来る前に殲滅しちゃおう」
それを合図に、覚者たちは妖を追い込んでいった。まるで猟犬が獲物を追い込むように。
「鉄指せーん」
鋼と化した黄泉の五指がボスを捉え、その腹を抉る。
物理属性の攻撃といえど、ラーラの火炎連弾で負傷していた妖には、十分すぎる脅威だ。
「キエエエエ!」
黄泉の鉄指穿を受けて悶えるボス。その傷口からは血液に似た赤黒い風が漏れ、体の輪郭が滲み始めている。あと一押しだ。
燐花は好機と見て仕掛ける。神速で敵を切り裂く必殺技「激鱗」だ。
「終わりです!」
「キ……」
燐花の短刀が手中で閃く。頭を刺し貫かれた妖が、赤黒い風となって消えた。
すかさず赤貴が、もう1匹のボスに狙いを定める。
「死ね」
赫者逸刀を振りかぶり、鉄甲掌を繰り出す赤貴。
手下の二匹を失ったボスのガードを突き破り、両前足を刃もろとも吹き飛ばした。
なおもしぶとく立ち上がったところへ、ジャックが術式を発動する。
「俺が使う、初めての技だ。よく味わって消えるがいい!」
水行弐式、螺旋海楼。
板張りの床に生み出された激流の渦に飲み込まれ、最後のボスが消滅した。
「どうだ。狩られる者の気持ち、よく味わって息絶えろ」
沙織の香仇花が放つ甘い香りが、残った手下をじわじわと蝕んでゆく。
ボスを潰された手下たちは捨て鉢の攻撃をしかけるも、彼らが覚者に与える傷は、日那乃がすぐさま癒しの雨で塞いでいった。
「思う存分やって、ね」
覚者たちの心に油断はない。慢心もない。怒りも恐怖も興奮もない。
道端に散らばった空き缶を屑カゴに捨てるように、彼らは淡々と妖を処理していった。
「終わりにさせてもらいます。『炎獣』!」
統制を失い、隊列もばらばらに出鱈目な攻撃を仕掛ける手下の妖たちを見下ろしながら、ラーラは金の鍵で煌炎の書の封印を解いた。
開かれた書が描く魔方陣から火猫が飛び出し、二匹の妖へと突っ込んでゆく。
「ギャアアアア!!」
体当たりを食らった妖の一匹が、断末魔とともに蒸発。残る一匹は文字通りの火達磨になり、床を転げまわる。
「とまあ、そういうわけさ。さよなら妖くん」
「ギ……ギエエエエ!」
生き残った最後の妖を、逝の隆槍が串刺しにして、戦いは幕を下ろした。
「終わりさね。お疲れ様だ」
覚醒を解く覚者たちの頭上で、床が軋んだ。逝が見上げると、そこには美希の姿があった。
「あの……皆さん、学校に何か用ですか?」
美希の視線には、見慣れぬ部外者たちへの警戒の色がある。
察した逝は、美希を警戒させまいと、フランクな口調で話しかけた。
「やあ、参河美希ちゃんかな? 心配ご無用さね。おっさん、怪しい者じゃないから」
フルフェイスメットに黒スーツというやや説得力に欠ける姿で、紳士的な言葉を口にする逝。
そんな彼の言葉を、赤貴が継ぐ。
「オレ達はFiVEの覚者だ。校内に侵入した妖を排除するため、学校に入らせてもらった」
「――!」
身元と用件を端的に明かす赤貴の言葉に、美希の顔色が変わった。
「あの……ひょっとしてその妖は、手足に刃が……」
「そうだ。手足に刃が生えた、イタチの姿をした妖だ」
「やっぱり……夢じゃなかった……」
よろける美希を、傍にいた燐花がそっと支えた。
「恐ろしかったでしょう。ですがもう大丈夫です」
「責任者に事情を説明したい。先生も授業の後で、時間を貰えるだろうか」
沙織の言葉に、美希は無言で頷いた。
●
それから数十分後。
学校責任者の校長に事情を説明した覚者たちは、応接室で美希を待っていた。
むろん美希の夢については、学校側には話していない。
(先生、夢で、知ってた?)
黄泉はソファで緑茶を啜りながら、先ほどの美希の言葉を反芻していた。
――やっぱり、夢じゃなかった。
美希の言葉が本当ならば、彼女は夢見の因子を発現した覚者である可能性が高い。
(あの先生、もしかして、夢見、なの?)
あり得ない話ではない、と黄泉は思った。
それなら逝の言った通り、美希が結界に影響されなかった理由にも説明がつくからだ。
(でも、強い意思さえ、あれば。一般人でも、結界を、無効化、できる。むう)
黄泉は小さく唸った。美希の夢といい、ジャックの結界といい、いずれも推測の域を出ない。
(何か、確証が、あれば、いいのに。せめて――)
せめて美希が覚者と分かれば。黄泉がそう考えていた時だった。
「お待たせしてすみません……」
控えめなノックとともに、美希が応接室に入ってきた。
「ご協力感謝さね。おっさんらは、すぐ退散しますから」
逝が立膝の体勢になり、美希を向かって頭を下げた、その直後。
逝のフルフェイスに乗った守護使役「みずたま」が、ゼリー状の体をそっと美希に伸ばした。
「きゃっ」
「おっと、うちの子が失礼を」
守護使役のイタズラにのけぞる美希に詫びながら、逝は確信する。
(なるほど。どうやら彼女は『こっち側』のようだ)
普通の人間は守護使役の存在を認識できない。
しかし美希は、明らかに逝の守護使役に反応して悲鳴をあげた。
それは即ち、彼女が因子を発現した人間――覚者であることを意味している。
「やっぱり、そう、なの?」
「だねえ。あの反応からして、発現は最近だろう」
フルフェイスを見上げる黄泉に、逝が頷く。
間近で見ていた他の面々も、もはや美希が覚者であることを疑わなかった。
「悪い夢……それが現実になると怖い夢……でしょうか」
言葉を慎重に選びながら、燐花が口を開いた。
「先生。あなたの『夢』は、普通の『夢』とは違うかもしれません。よかったら、FiVEに相談してみては如何でしょう」
「普通の夢とは、違う……?」
「そうだ。もしかしたら、美希姉ちゃんには夢見の因子が……って言われても、分からないよな」
ぽかんとした表情の美希に、ジャックは頬をかいた。
「美希姉ちゃんはさ、予知夢を見る力を持った能力者かもしれないんだ。FiVEで調べないと断言は出来ないけど、もし力が本物だったら……」
ジャックの言葉に、黄泉と沙織が頷いた。
「ん。手伝って欲しい、かも」
「もしもあなたが夢見だったら……その力で、死に逝く者の運命を変えられる。貴方の大切な人達だって守れるかもしれない」
美希をまっすぐに見つめながら、沙織は続けた。
「今すぐ答えを出さなくてもいい。でも、私たちの言ったことを、どうか覚えておいて欲しい」
「元気出して。姉ちゃんの夢は、悪い夢で終わったんよ」
ジャックは美希を見て、励ますように力強く頷いた。
「大丈夫。悪い夢は俺達が全部ハッピーエンドに変えてやるき!」
「あなた達は、一体……」
「俺達の名はFiVE! この世界を救う、最強の希望さ!! 」
「FiVE……」
美希はしばらく無言のままだったが、意を決したようにジャックを見つめ、口を開いた。
「私、皆さんは信用できる方だと思います。正直、色々と混乱していますけど……皆さんの仰ったこと、これからゆっくり考えてみます」
「うん。生徒さんたちにも、よろしく」
「はい。皆さん、本当にありがとうございました」
美希の美しい顔が、憂いから笑顔に変わる。苦悩から解放された、陽光のような笑みだった。
●
かくして8人は依頼を終え、FiVEへと帰還した。
悲劇を免れた覚者の女性、参河美希。
彼女の先に待っているのが、幸せな未来であることを祈りながら……
早朝の学校に、冷え冷えとした風が吹く。
過疎化が進んで久しい田舎町の中学校に、生徒たちの笑いさざめく声は絶えて久しい。
施錠された教室にはうっすらと埃が積もり、取り壊される時を待つばかりだ。
葦原 赤貴(CL2001019)は正門の入り口から校舎に入ると、2階へ続く昇降口へと進んだ。
妖の到達までは、まだ時間がある。地形を事前に把握すれば、戦いは幾分有利になる。
今回の面子はベテランぞろいだが、戦場というのは生き物だ。イレギュラーな事態が起こることは十分考えられる。危険につながる不確定要素は、出来る限り潰しておきたかった。
「展開完了、っと。これで人は来ないだろう」
階段の中程では、『黒い太陽』切裂 ジャック(CL2001403)が結界の発動を終えたところだった。
1階の教室に、人の気配はない。昇降口さえ抜かれなければ大丈夫だろう。
(俺が望むのはハッピーエンド! これ以上ない最高のエンディングを、必ず届けてみせる!)
教師も生徒も、誰一人死なせるわけにはいかない。ジャックの赤い瞳に、強い意志が宿った。
そんな彼の隣で、同じく中衛の『隔者狩りの復讐鬼』飛騨・沙織(CL2001262)が、剣呑な口調でぽつりと呟く。
「学校を襲うかまいたち共か……全く難儀な話だ」
2階の教室からは、授業を受けている生徒達の気配が感じられる。もし沙織たちが突破を許してしまえば、妖は抵抗の術を持たない生徒と教師を、容赦なく殺戮するだろう。
(襲撃の理由は知らんが……私の目の前でそんな悲劇、起こさせはしない)
沙織は鎖骨の刺青をそっと指でなぞると、双刀・鎬を抜き放った。人々に牙を剥く妖を、残らず叩き潰すために。
一方、沙織の前列でも、前衛の3人が粛々と戦いの準備を進めていた。
「木造校舎とは今時珍しいですね」
『スピードスター』柳 燐花(CL2000695)の黒い猫耳は、先程から床の板張りが軋む音を拾っていた。年代を感じさせるワックスと木の匂いに包まれた空間は、燐花の過去を思い出させる。
「私が以前いた村も木造ではありましたが、コンクリートの校舎よりも温かみがあるような」
「そうかねえ。おっさんはどうにも苦手だね。この体じゃあ狭すぎて。ドアひとつ潜るだけで難儀するったらありゃしない」
低く、くぐもった緒形 逝(CL200156)の声が、フルフェイスメットの間から漏れた。
「ま、妖に場所を選べ、と言うのは無茶だな。まあ、守ってみせるがね」
黒スーツに関節球体の四肢、2メートルを超える巨躯。
顔は常にフルフェイスメットに覆われ、その風貌は分からない。
話している最中も、言葉のトーンや調子が秒単位で切り替わる。
何から何まで、捉えどころのない男なのだ。
「悪いかまいたち、倒せば良い、の?」
前列に立つ『自殺撲滅委員会』神々楽 黄泉(CL2001332)が、途切れ途切れの口調で言う。
「前に出て、ただ敵を、この武器で薙いで、潰すだけ」
黄泉は背丈よりも大きな鬼の金棒を軽々と担ぎ、ぶんぶんと豪快に素振りした。金棒による物理攻撃は、自然系の妖には効果が薄い。だが、彼女はあえて承知で戦いに臨むようだ。
「相手が、自然系でも、関係、ない。この武器で、潰す」
黄泉は回避よりも被弾前提の肉弾戦を得意とする、典型的なパワーファイターだ。前衛であり、なおかつ特殊防御も低いため、戦闘で受けるダメージは最も高くなることが予想された。
「傷ついたら、わたしがすぐに治す、ね」
後衛の桂木・日那乃(CL2000941)が抑揚のない声で言った。
彼女は味方のサポート優先で動く予定らしく、踊り場の窓を背に、黒い翼で宙に浮いている。
「被害が出るなら、消す」
抑揚のない声で、日那乃がぽつりと呟く。
その立居振舞いは、齢11にしてどこか老成を感じさせた。
「……そろそろ、来そうですね」
『赤き炎のラガッツァ』ラーラ・ビスコッティ(CL2001080)が、錬覇法で英霊の力を引き出した。校舎を漂う空気に、さざ波のように殺気が迫ってくるのを、敏感に感じ取ったのだ。
「ああ、来たな。接敵まで10秒ほどか」
錬覇法を発動した赤貴の視線も、校門を潜り抜けた6つの影を捉えていた。
「何の落ち度もない人たちを襲う手合いには、容赦いたしません」
前衛の燐花は天駆で、逝は蔵王・戒で、それぞれ自身を強化していく。
そうこうする間に影は大きくなり、妖の姿へと変わり、昇降口の覚者たちの前に殺到した。
「おっと、ここは通せんぼだぜ」
得物の友人帳を手にしたジャックが、不敵な笑みで敵を挑発する。
対する敵も、一様に残忍な笑みを浮かべながら、じりじりと覚者たちににじり寄ってきた。
両者の距離はおよそ10メートル。妖ならば、ひと跳びで人間の喉を掻き切れる間合いだ。
一触即発の緊張に張り詰める空気。踊り場に飾られた時計の秒針音が重い。
キーンコーン、カーンコーン
始業のベルが校舎に鳴り響く。それを合図に――
「キエエエエエエエエエ!!」
戦いの火蓋が切って落とされた!
●
「それじゃあ、授業を始めます」
始業のベルが鳴って、美希は教科書を教卓に置いた。
ちらりと廊下の脇に、目を走らせる。
夢では今ごろ、あのバケモノたちがやって来て、生徒達を……
(よそう。あれは夢だったんだから)
だが、何故だろう? この胸に、言い知れない不安を感じるのは。
●
「良い子には甘い焼き菓子を。悪い子には石炭を――」
ラーラが、小さい口をそっと開く。迫る妖を、踊り場で見下ろしながら。
「イオ・ブルチャーレ!」
火蓋を切ったのは、機先を制したラーラの火炎連弾だ。
燃え盛る火球が唸りをあげて降り注ぎ、敵後列に陣取るボス格の1匹に命中した。
「キエエエエ!」
錬覇法で威力を底上げした一撃を受け、妖は悲鳴をあげてのた打ち回った。
お返しとばかり手下のかまいたちが跳躍し、弧を描きながら回転。
体の刃から生じる真空破が、空を裂いて前衛の覚者3人に襲い掛かる。
「くっ……!」
「おお、痛い痛い。蔵王・戒さまさまって奴さね」
燐花と逝は、防御体勢で攻撃をガード。
いずれもバフ系スキルの恩恵によって、大したダメージは負っていないようだ。
だが、黄泉は敵のダメージを殺しきれず、真空破で引き裂かれた腕が血に染まった。
「ん、当たっちゃった、の」
「傷、平気?」
そんな黄泉の傷に、上空から日那乃が癒しの雨を降らせる。
濁りのない滴が黄泉の体に沁みこみ、その傷口を塞いでいった。
「まずは、手の届く相手から落としましょうか」
前衛の燐花が、正面から切りかかった。飛燕による物理攻撃で、手数を重ねる戦法だ。
そこに赤貴が続く。烈空波の構えを取りつつ、敵の陣形に目を走らせた。
妖怪の陣形は、前衛4匹、中衛2匹。前衛を務める敵の手下は扇状に散らばっており、一撃で4匹全てを巻き込むのは困難だ。
(1対1で潰していくのは骨だな。巻き込んで一気に仕留めたいところだが)
赤貴が烈空波を放つ。周囲を巻き込まないように、気をつけながら。
「キエエ!」「キエエエ!」
(2匹が限度か。だが、この面子なら十分だ)
敵の狙いを巧みに誘導しながら、1匹の真空破をガードで受ける。
「すばしこい奴らだ。まずは足を封じさせてもらおうか」
沙織が捕縛蔓を発動。蔓が絡みついた子分の1匹を縛り上げる。
「どうしても通りたいなら私達の屍を超えてみろ……まあ、畜生風情には到底無理な話だが」
体の自由を奪われた妖に、両手を自由にした黄泉が迫る。
「鎧どーしー」
黄泉が鎧通しを放った。どこか気の抜ける、間延びした声で。
彼女の両掌が発する気が、手下とボスを巻き込んで貫通した。
「キエエエエ!」
だが、やはりというべきか、物理攻撃である鎧通しは、自然系の妖には思うように通らず、倒すには至らない。
その隣では逝が、妖相手に丁々発止と切り結びながら、その実力を測っていた。
(この妖どもは、攻めの一手しか知らないようだ。それ即ち、弱い相手しか狩ってこなかった事の裏返しさね)
守る時に守り、攻める時に攻める。それだけで勝てる相手だ。逝はそう看破した。
「それじゃ、そろそろ押し込ませてもらおうかね。……地烈!」
逝が錬丹書を携え、機械化した腕を地を抉るように振り払う。
「ギ……ギエエエエエエ!!」
負傷していた手下の二匹が断末魔と共に吹き飛ばされ、その体がふわりと宙に溶ける。
(そろそろ、頃合だな)
仲間を失い、妖の戦意が傾いた一瞬の隙を、ジャックは見逃さなかった。
「悪いがここが、お前たちの墓場だ!」
キイィィィン
空気を切り裂く音と共に、妖の周囲を、半球状のドームが包み込んだ。
雷獣結界。低級妖を閉じ込める、封印結界だ。
成功するかは賭けだが、うまくいけば戦いを有利に進められる。
「キッ……」
手下の一匹が結界を脱しようと後退を試みるも、障壁に弾かれて押し戻される。封印成功だ。
「終わりにするぞ。悪夢は全て、ただの夢で終わればいいんだよ!」
8人の覚者は、一気に攻勢に出た。
●
「どうしたの、先生?」
生徒の一人が美希を見上げ、心配そうに声をかけた。
「……ああ、ごめんなさい。ちょっとね……」
一体どうしたと言うのだろう。
あの悪夢は外れたというのに、妙な胸騒ぎがどんどん強くなっていく。
階段の方から、言い知れない不吉な気配を感じる……
「すぐ戻るわ。先生が戻るまで自習してて」
心にまとわりつく不安に耐え切れず、美希はそっと席を立った。
●
教室の引き戸が開く音が聞こえた。
大人の女性の足音が、そっとした足取りで昇降口に向かってくる。
「教師が気づいたな」
「まさか」
赤貴の言葉に、ジャックがかぶりを振った。
「結界はまだ発動中だぞ。一般人が入って来るわけ――」
「そりゃアレだ。先生が『一般人』じゃない、って話なんじゃないかね」
逝の飄々とした口調に、ジャックの顔色が強張った。
「彼女が……美希姉が覚者だって言うん!?」
「おっさんは、それを疑ってるけどね。ま、考えるのは後だ。先生が来る前に殲滅しちゃおう」
それを合図に、覚者たちは妖を追い込んでいった。まるで猟犬が獲物を追い込むように。
「鉄指せーん」
鋼と化した黄泉の五指がボスを捉え、その腹を抉る。
物理属性の攻撃といえど、ラーラの火炎連弾で負傷していた妖には、十分すぎる脅威だ。
「キエエエエ!」
黄泉の鉄指穿を受けて悶えるボス。その傷口からは血液に似た赤黒い風が漏れ、体の輪郭が滲み始めている。あと一押しだ。
燐花は好機と見て仕掛ける。神速で敵を切り裂く必殺技「激鱗」だ。
「終わりです!」
「キ……」
燐花の短刀が手中で閃く。頭を刺し貫かれた妖が、赤黒い風となって消えた。
すかさず赤貴が、もう1匹のボスに狙いを定める。
「死ね」
赫者逸刀を振りかぶり、鉄甲掌を繰り出す赤貴。
手下の二匹を失ったボスのガードを突き破り、両前足を刃もろとも吹き飛ばした。
なおもしぶとく立ち上がったところへ、ジャックが術式を発動する。
「俺が使う、初めての技だ。よく味わって消えるがいい!」
水行弐式、螺旋海楼。
板張りの床に生み出された激流の渦に飲み込まれ、最後のボスが消滅した。
「どうだ。狩られる者の気持ち、よく味わって息絶えろ」
沙織の香仇花が放つ甘い香りが、残った手下をじわじわと蝕んでゆく。
ボスを潰された手下たちは捨て鉢の攻撃をしかけるも、彼らが覚者に与える傷は、日那乃がすぐさま癒しの雨で塞いでいった。
「思う存分やって、ね」
覚者たちの心に油断はない。慢心もない。怒りも恐怖も興奮もない。
道端に散らばった空き缶を屑カゴに捨てるように、彼らは淡々と妖を処理していった。
「終わりにさせてもらいます。『炎獣』!」
統制を失い、隊列もばらばらに出鱈目な攻撃を仕掛ける手下の妖たちを見下ろしながら、ラーラは金の鍵で煌炎の書の封印を解いた。
開かれた書が描く魔方陣から火猫が飛び出し、二匹の妖へと突っ込んでゆく。
「ギャアアアア!!」
体当たりを食らった妖の一匹が、断末魔とともに蒸発。残る一匹は文字通りの火達磨になり、床を転げまわる。
「とまあ、そういうわけさ。さよなら妖くん」
「ギ……ギエエエエ!」
生き残った最後の妖を、逝の隆槍が串刺しにして、戦いは幕を下ろした。
「終わりさね。お疲れ様だ」
覚醒を解く覚者たちの頭上で、床が軋んだ。逝が見上げると、そこには美希の姿があった。
「あの……皆さん、学校に何か用ですか?」
美希の視線には、見慣れぬ部外者たちへの警戒の色がある。
察した逝は、美希を警戒させまいと、フランクな口調で話しかけた。
「やあ、参河美希ちゃんかな? 心配ご無用さね。おっさん、怪しい者じゃないから」
フルフェイスメットに黒スーツというやや説得力に欠ける姿で、紳士的な言葉を口にする逝。
そんな彼の言葉を、赤貴が継ぐ。
「オレ達はFiVEの覚者だ。校内に侵入した妖を排除するため、学校に入らせてもらった」
「――!」
身元と用件を端的に明かす赤貴の言葉に、美希の顔色が変わった。
「あの……ひょっとしてその妖は、手足に刃が……」
「そうだ。手足に刃が生えた、イタチの姿をした妖だ」
「やっぱり……夢じゃなかった……」
よろける美希を、傍にいた燐花がそっと支えた。
「恐ろしかったでしょう。ですがもう大丈夫です」
「責任者に事情を説明したい。先生も授業の後で、時間を貰えるだろうか」
沙織の言葉に、美希は無言で頷いた。
●
それから数十分後。
学校責任者の校長に事情を説明した覚者たちは、応接室で美希を待っていた。
むろん美希の夢については、学校側には話していない。
(先生、夢で、知ってた?)
黄泉はソファで緑茶を啜りながら、先ほどの美希の言葉を反芻していた。
――やっぱり、夢じゃなかった。
美希の言葉が本当ならば、彼女は夢見の因子を発現した覚者である可能性が高い。
(あの先生、もしかして、夢見、なの?)
あり得ない話ではない、と黄泉は思った。
それなら逝の言った通り、美希が結界に影響されなかった理由にも説明がつくからだ。
(でも、強い意思さえ、あれば。一般人でも、結界を、無効化、できる。むう)
黄泉は小さく唸った。美希の夢といい、ジャックの結界といい、いずれも推測の域を出ない。
(何か、確証が、あれば、いいのに。せめて――)
せめて美希が覚者と分かれば。黄泉がそう考えていた時だった。
「お待たせしてすみません……」
控えめなノックとともに、美希が応接室に入ってきた。
「ご協力感謝さね。おっさんらは、すぐ退散しますから」
逝が立膝の体勢になり、美希を向かって頭を下げた、その直後。
逝のフルフェイスに乗った守護使役「みずたま」が、ゼリー状の体をそっと美希に伸ばした。
「きゃっ」
「おっと、うちの子が失礼を」
守護使役のイタズラにのけぞる美希に詫びながら、逝は確信する。
(なるほど。どうやら彼女は『こっち側』のようだ)
普通の人間は守護使役の存在を認識できない。
しかし美希は、明らかに逝の守護使役に反応して悲鳴をあげた。
それは即ち、彼女が因子を発現した人間――覚者であることを意味している。
「やっぱり、そう、なの?」
「だねえ。あの反応からして、発現は最近だろう」
フルフェイスを見上げる黄泉に、逝が頷く。
間近で見ていた他の面々も、もはや美希が覚者であることを疑わなかった。
「悪い夢……それが現実になると怖い夢……でしょうか」
言葉を慎重に選びながら、燐花が口を開いた。
「先生。あなたの『夢』は、普通の『夢』とは違うかもしれません。よかったら、FiVEに相談してみては如何でしょう」
「普通の夢とは、違う……?」
「そうだ。もしかしたら、美希姉ちゃんには夢見の因子が……って言われても、分からないよな」
ぽかんとした表情の美希に、ジャックは頬をかいた。
「美希姉ちゃんはさ、予知夢を見る力を持った能力者かもしれないんだ。FiVEで調べないと断言は出来ないけど、もし力が本物だったら……」
ジャックの言葉に、黄泉と沙織が頷いた。
「ん。手伝って欲しい、かも」
「もしもあなたが夢見だったら……その力で、死に逝く者の運命を変えられる。貴方の大切な人達だって守れるかもしれない」
美希をまっすぐに見つめながら、沙織は続けた。
「今すぐ答えを出さなくてもいい。でも、私たちの言ったことを、どうか覚えておいて欲しい」
「元気出して。姉ちゃんの夢は、悪い夢で終わったんよ」
ジャックは美希を見て、励ますように力強く頷いた。
「大丈夫。悪い夢は俺達が全部ハッピーエンドに変えてやるき!」
「あなた達は、一体……」
「俺達の名はFiVE! この世界を救う、最強の希望さ!! 」
「FiVE……」
美希はしばらく無言のままだったが、意を決したようにジャックを見つめ、口を開いた。
「私、皆さんは信用できる方だと思います。正直、色々と混乱していますけど……皆さんの仰ったこと、これからゆっくり考えてみます」
「うん。生徒さんたちにも、よろしく」
「はい。皆さん、本当にありがとうございました」
美希の美しい顔が、憂いから笑顔に変わる。苦悩から解放された、陽光のような笑みだった。
●
かくして8人は依頼を終え、FiVEへと帰還した。
悲劇を免れた覚者の女性、参河美希。
彼女の先に待っているのが、幸せな未来であることを祈りながら……
