甘く甘く、悪は香る
甘く甘く、悪は香る



 死んだか。
 地方新聞の片隅の記事から目を離し、窓の外へ顔を向けた。
 前に座る男を無視して、しばし物思いにふける。
(「会えなくて残念だよ、鈴」)
 久しぶりに日本の地を踏んだその日、娘がまだ生きていること知った。まず思い浮かべたのは、あの小娘の心と体をどんな風にズタズタにして歪めてやろうかということだった。
(「残念だよ、本当に」)
 今まで生きていたということは、教えた通りのことをして、物の怪と中途半端な融合を果たしていたはずだ。さぞ、醜い姿になっていただろう。
 名を呼ばれ、胸を高鳴らせて振りかえった小娘が目にするのは嫌悪の相。心に亀裂が走る音を聞きながら、目の前でゲロをぶちまけてやったのに……。
(「ま、いいか」)
 額にかかった金髪を長い指でかきあげ、目を出す。
 あの頃とは顔も声も違う。それでもこの目を見れば、鈴は必ず自分のことを思い出したはずだ。あの娘に心底惚れられているのはわかっていた。甘い言葉を囁きながら、何度心の中で舌を出していたことか。
「あの……おかわりはいかがですか?」
 振り返ると店員がテーブルの脇に立っていた。
「アリガトウ」
 ワザとたどたどしくしゃべりかけてやると、店員ははにかんでポットを傾けた。
 こうして額の目を晒しても悲鳴を上げられることはない。いい世の中になったと思う。
 だが、三つ目連中が揃って善人ズラで生きていることには無性に腹がたつ。
「……それで、俺はこれからどうしたらいいんですか?」
 店員がテーブルを離れたとたん、男が話しかけて来た。
 男の額にある縦の傷が、固く閉じられた三つ目のように見える。
 いや、実際に傷の中には眼球が埋めてあった。ただの飾りにしかならないが、時が来れば開いてやるつもりだ。ボクとお揃い、悪趣味なペアルック。
「殺しちゃえよ、親も先生も。キミの性的思考をあざ笑った連中まとめてさ」
 向いの席に移動して、男の隣に座る。
 肩を抱いて体を引き寄せた。
「しがらみを切り捨てて、早くボクと同じ完全体になって欲しいな」
 なぜなら愛しているから。
 仕上げに香瓶の蓋を少しだけ開く。
 甘い香りに包まれて耳朶を甘噛みしながら、男の膝の間に手を差し入れた。
 男の守護使役が面を泣き顔に変える。
 ああ、いい気持ち。


「悪いけど、怪の因子を騙って大量殺人を行う隔者を速やかに排除してちょうだい」
 眩・ウルスラ・エングホルム(nCL2000164)は、目の前に座る覚者たちに見たばかりの夢を語りだした。
 とある大学でイヴの夜にダンスパーティーが開かれる。眩によると、そこで殺人衝動を誘発する香が撒かれ、匂いを嗅いだ人がナイフとホークで踊りながら殺し合いをするらしい。
「最後まで生き残った男――この大学に通う学生で犯人なんだけど、この男がうっとり顔で血まみれの死体にガソリンをかけて炎撃を放つの。男の名前は井口。井口は燃え上がる大学を出て家に戻ると、今度はハサミを両親を頭に刺して……というのが夢見の内容よ」
 井口の額には縦傷があり、傷の縁の肉が盛り上がっているため第三の目を閉じているように見えてしまうという。これが冒頭の「怪の因子を騙る」に当たる。
 ファイヴの介入がなければ、電波障害が解消されて以降、爆発的に発展するインターネットの世界でこの事件が大々的に報じられてしまうだろう。噂話のような無責任さで事実は捻じ曲げられ、怪の因子持ちの評判に著しい傷がつきかねない。
「傷の中には本当に眼球が埋まっているのだけど、井口は怪じゃなくて暦の因子持ちよ」
 額の傷は怪の因子に悪意を持つ第三者によってつけられたみたいね、と眩は言った。
「その第三の目を持つ男の姿が夢の中にも出て来たのだけど、金髪という以外はよく分からなかったわ」
 目蓋を伏せて抱え持つ骨をさする。
「パーティー会場にいるのはほとんど一般人。中には発現している者もいるけれど、そう多くはない。憤怒者もいるんじゃないかしら。海外からの留学生やたまたま日本を訪問していた留学生の家族もいるし……もう一人の男を見つけるのはすごく大変。だから、今回は大量殺人と放火の阻止を第一に行動してちょうだい」
 最後に、と眩は立ち上がった覚者たちに忠告した。
「理由は判らないけど、噺家と呼ばれている古妖も会場にいるわ。でも、彼は無視して。無駄に事が複雑になるだけだから」


 噺家は入り口で、今からでも間に合うと、クマのようなロシア人を追い払いにかかった。
「国枝さまについて行けばよかったのに。あっちは豪華客船を借り切っての海上パーティーだ。こんなところでガキどもの踊りを見るよりずっと楽しめるぜ」
「そうですね。でも、貴方について行ったほうが面白い事になると、私の第六感が告げましてね。ねえ……そろそろ教えてくれてもいいでしょう。貴方はここへ何をしに来たのです?」
 噺家はロシア人の質問を無視して背を向けると、若い熱気があふれる会場の中へ入っていった。


■シナリオ詳細
種別:通常
難易度:普通
担当ST:そうすけ
■成功条件
1.井口の犯行による被害者を10人以下に抑える
2.井口の身柄を確保、AAAに引き渡す
3.第三の目を持つ謎の男の情報を得る
●日時と場所
・24日のクリスマス・イヴの夜
・某大学の大講堂(2階建てフロアに椅子を撤去すれば1000人収容可)
・講堂内には350名の大学生と150名の一般客がいます。その他、先生やパーティーの警備スタッフ、運営スタッフが100人ほど。

●状況
ダンスパーティーが始まってしばらくしてから、覚者が会場に到着。
直後、空調機器から催眠効果のある匂いが講堂内に流されます。
10分後に一般人たちに変化が現れ、あちらこちらで殺し合いが始まります。
一度、殺し合いが始まったら止めるのはほぼ不可能でしょう。
空調設備は講堂の地下一階に。
貯水タンクは屋根の上にあります。
音響設備はステージ上の2階にあります。
出入り口は非常口合わせて5か所。
ステージ裏にも2か所の出入口あり。
壁際にそってテーブルが並べられ、ビュッフェ形式で食べ物と飲み物が提供されています。

●敵……井口 寿史(いぐち ひさし/20才)火行、暦の因子。
【錬覇法】、【炎撃】、【鋭刃脚】【醒の炎】を活性化。
額に縦の傷あり。
守護使役は浮遊系(幼体)。
『快楽殺人者の夢』を所持。

・『快楽殺人者の夢』……魅了
匂いを嗅ぐと強い幻覚と幻聴が引き起こされる香水(が入った瓶)。血の臭いと合わさると、強い殺人衝動に駆られてしまう。覚者と隔者にも効く。妖と古妖には効かない。
すでに使用されて中身が減っているため、戦闘中に使える回数は2回まで。
『快楽殺人者の夢』をセットし終えて変装し、会場内に潜んでいます。
もともと持っていた瓶の数は3本。
ほとんど中身が空になっている1本だけ所持しています。

ちなみに、眩が描いた井口の似顔絵はほとんど参考になりません。下手過ぎて。
希望があれば現場に似顔絵を持っていけますが、役に立たないと思います。


●第三の目を持つ金髪の男。
正体不明。ダンスパーティーの会場内のどこかにいます。

●古妖・噺家
アイズオンリーを名乗る古妖が従えている一体。
二百年前に人から古妖に成り上がった。詳細不明。
能力不明。強い。
【初出シナリオ:『【悪の鞘】善を笑う者』】

●謎のロシア人
アイズオンリーがロシアより招いた客。一般人?
表向きはロシア人観光客。ちゃんと観光ビザで入国しています。
日本語がとっても上手。
一緒に来ていた仲間二人が、ある事件以降行方不明になっています。
正体はロシア極東軍管区、第14独立特殊任務旅団・ウスリースク所属の軍人。
【対神秘・マカロフ6p9ピストル(消音拳銃)】……物・遠単
【対神秘・ナイフ】……物・近単
その他、システマ格闘術を体得。
【初出シナリオ:『【 函 】函士』】

●STコメント
よろしければご参加ください。お待ちしております。
状態
完了
報酬モルコイン
金:0枚 銀:1枚 銅:0枚
(7モルげっと♪)
相談日数
7日
参加費
100LP[+予約50LP]
参加人数
5/6
公開日
2017年01月07日

■メイン参加者 5人■

『五麟マラソン優勝者』
奥州 一悟(CL2000076)
『ゆるゆるふああ』
鼎 飛鳥(CL2000093)
『冷徹の論理』
緒形 逝(CL2000156)
『マジシャンガール』
茨田・凜(CL2000438)


「じゃ、後で」
 『五麟マラソン優勝者』奥州 一悟(CL2000076)は、ただちに会場地下の空調室に向かった。
 会場に仕掛けられた危険物質『快楽殺人者の夢』の散布はすでに始まっている。一刻の猶予もならない。
 一悟の役目は、まず『快楽殺人者の夢』の拡散を止めること。そして二本の空き瓶を回収することだ。地下で一本または瓶を見つけられなかった場合は、直ちに飛鳥に知らせることになっていた。
「あすかも二階に急ぐのよ。怪しいやつを見つけたら、すぐにお知らせします」
 『ゆるゆるふああ』鼎 飛鳥(CL2000093)は開いたドアから車内を覗き込んで、くれぐれも気をつけて、と盛装した二人に声をかけた。
「飛鳥ちゃんも気をつけて。ターゲットたちがフロアにいるとは限らないわよ」
「むむむ。気をつけます」
 飛鳥は姿勢を正して敬礼した。身をひるがえすと、一悟を追って走り出した。
 緒形 逝(CL2000156)は反対側のドアを開くと、茨田・凜(CL2000438)の手を取って星空の下へ出た。
 ダンスパーティーの会場となっているのは大学構内にある大講堂で、ファイヴの調べによると大正時代に建てられたものらしい。
 時代に『香士』と呼ばれる者との因縁めいたものを感じつつ、逝は窓から華やいだ光と雰囲気を夜の闇に投げかけている会場の外観を翡翠の目で眺めた。
 トレードマークともいうべきヘルメットは、守護使役のみずたまに預けてある。
 むき出しの頬に風があたると、皮膚が薄く剥がれたような感じがした。すっかり日本の暖かい冬に慣れてしまったようだ。大陸ではこの程度の風で冷たさを感じることはなかったのに。それはそれとして……。
(「本当、こう言う所を対象に選ぶのが好きだねえ……抑圧された何かが在るかね? 爆発させるにはほんの僅かな切っ掛けで良いと言うが、これは良くない方向だな」)
 犯行者の井口個人を指してというよりも、コンプレックスをこじらせて大胆な犯罪破壊行為に及ぶもの全般に対して思うことだった。主犯ともいうべき、第三の目を持つ者――香士に対しても、思うところは同じである。
 隣で凛がふる、と体を揺らした。
「寒い?」
「ううん、いまのは武者震い。楽しいクリスマス・イヴに大量殺人なんて絶対許されないんよ。井口の凶行は何とかして防ぎたいんよ」
 凜は空いた方の手でコートの襟をかき合わせた。武者震い、とは言ったが、やはり少しは寒いらしい。それもそのはず、コートの下は背中が大きく空いた薄い深紅のドレスだけだった。華やかさを出して人目を引くため、真珠のネックレスとイヤリングを合わせてきいるが、こちらはもちろん防寒効果ゼロ。
 真珠を抱く三日月のイヤリングに指をやって、ちらりと、隣の男を見上げる。
(「ヘルメットなしの緒形さんはイケメンだからちょっと役得感あってラッキー♪って感じなんだけど……浮かれずに犯人捜しがんばるんよ」)
 言いつつも逝の横顔に見とれていると、窓ガラスがするりと降りて、車の中から声がかかった。
「……あの」
「あ、ごめん。ここに凛たちが立っていると降りられんね。待って、いまどくんよ」
 最後に勒・一二三(CL2001559)が緊張した面持ちで車を出てきた。一二三はこれが初の依頼任務だ。右も左もわからぬ風で、不安からか、細身の体を縮こまらせている。
「僕はエングホルムさんが描かれた似顔絵を持って、井口さんをさがします。何かあったらみなさんの指示に従いますので、よろしくお願いします」
 白髪の少年は膝に手を添えて、深々と先輩たちにお辞儀した。
「そんなに畏まらなくてもいいのよ、勒ちゃん。ただ……井口、それに香士らしき人物を見つけたらすぐに知らせて頂戴。決して一人で追わない事。いいね?」
「そうそう。凜たちは勒さんの同族把握、頼りにしているんよ。誰も死なせないようにがんばろう。そうだ。あとね、噺――」
 急に逝に手を引かれて、凜は声を消した。
「あの連中のことはここでアレコレ言うよりも、中に入ってから勒ちゃんに指さしで教えてあげたほうが手っ取り早いさね。さ、踊りに行くわよ」
 三人が連れ立って歩き出したころ、会場の天井付近にいくつもある空調口から、甘い香りを放つ毒が噴霧し始めていた。
 香りはごくごくわずかで、まだ誰も、いや、それを調合した香士以外に広がる異変に気づくものはいなかった。


 一悟が真っ暗な地下の入口に立つと、下からくぐもったうめき声が聞こえてきた。誰かが――考えるまでもなく、建物の空調設備の空気取り入れ口を警護していた警備員が、口に布をかまされて縛り上げられているのだろう。
 いま助けてやるからな、と一声かけてから階段を下りはじめる。とたん、何か固くて薄いものを踏みつぶしたらしく、足元で乾いた音が鳴った。
 足を止めて、斜めに落ちる狭い天井見上げる。
(「ちっ……どうりで暗いはずだぜ」)
 踏み抜いたのは、照明器具に取りつけられていた直管の破片だった。井口が割ったのだろう。
 一悟は大和から懐中電灯を受け取ると、スイッチを入れた。残りの階段を一気に飛び降りると、通路の先のドアの前で倒れている警備員に駆け寄った。
「大丈夫か?」
 こめかみに白いものが混じる男を抱き起こすと、縄と口に回された布を解いてやった。所属組織と名を名乗る。 
 ファイヴが日本全土を覆っていた電波障害の原因を突き止め、解消したことはニュースで連日報道されており、興奮と恐怖のあまり目を大きく見開いて、意味不明な言葉をしゃべっていた警備員もファイヴの名を聞いた途端に落ち着きを取り戻した。
「よし、聞いてくれ。毒……じゃねえんだけど、まあ、毒みたいなものが隔者によって仕掛けられた。上に戻ったらすぐ非常口を開けて回ってくれ。パニックになると危険だから、合図があるまで大声で触れ回らないようにな。頼んだぜ」
 警備員を上のダンスフロアへ送り出すと、一悟は空調室のドアを開いた。入口付近の壁に手を這わせて照明のスイッチを入れてみたが、やはり点かない。壁に脚立が立てかけてあったので、肩に担いで奥に進む。
(「大和、力を貸してくれ」)
 かぎとる力を解放すると、鼻孔を甘い匂いが満たした。あの晩、函士の工房で嗅いだ胸の悪くなる匂いと同じだった。
 匂いの元は空調ダクトの奥にあった。脚立を立て、ダクトの一部を外し、中を懐中電灯で照らす。
 瓶はすぐ手の届くところに、蓋が外された状態で置かれていた。取り出して蓋をする。だが、見つかった瓶は一本だけ。もう一本、どこかにあるはずだがどこにも見当たらなかった。
<「一二三、飛鳥に中継を頼む! 一本見つからねえ、屋上へ急いでくれ!」>
 一悟は確保した香水瓶を大和に預けると、空調室を飛び出した。

 ――五分ほど時を遡ってダンスパーティーの会場に戻ろう。

「いたわよ。勒ちゃん、あそこの着物の男と隣にいるデカい外国人……着物の男が噺家と呼ばれている古妖よ。近づかないように」
 逝の指の先を見て、一二三は眉間に浅くしわを寄せた。
「あの人からは……同族の……妖気を感じません。守護使役の姿は見えませんけど、発現者じゃありませんか?」
「函士もそうだったけど、古妖の中には妖気を抑えることができる者がいるみたいなんよ。香士がそうでないといいけど」
 凛が脱いだコートを受け取りながら、一二三は低く声を漏らした。
「いま、噺家さんの妖気を微かに感じました。よくよく注意しないと分らないですねほどですけど。人の気とあまり変わりませんね、本当に接触が禁じられるほど強いのですか?」
「強いよ。気になるなら過去の報告書を探して読むといい」
「そうします。と、大きな妖気の塊がフロアの奥に出現しました。ん? 変だな、他にも小さな妖気を……感じる」
 夢見の情報では、この場にいる古妖は噺家だけだ。香士は古妖か隔者かが特定されていなかった。噺家とは別に大きな妖気を怪の因子持ちである一二三が感じ取ったというのであれば、香士が古妖である可能性がぐっと高まる。
「その大きな妖気を放っている人物がここから解る? 解るなら凛たちに教えて欲しいんよ」
 一二三はしばらくフロアの奥を睨んでいたが、肩から力を抜くと首を一振りした。
「もう少しだけ近づいてみましょう。特定できたらすぐに……」
「おっさんに。あるいは二階にいる飛鳥ちゃんに送心で呼びかけて。あ、曲が始まった。凛ちゃん、行くわよ」
 逝はすでに凛の手を取り、ダンスフロアに歩き出している。凛は一二三に手を振ると、素直に逝の腕の中に身を置いた。
 中央へずいっと進み出ると、逝は凛を腕に抱いて最初のステップを踏みだした。
 逝は直線的でありながら切れのある情熱的な動きで凛をリードした。踊りながらでもダンスフロアを眺めていれば、うまい奴とそうでない奴が分かるから、もっぱらうまい奴の動きをコピーしてアレンジする。飛び抜けてうまく踊る必要はない。香士に凛の姿を見せつけて、おびき寄せるために、ほどほど目立てばいいのだ。
 壁に背を向けるたびに強く刺さる憎しみの視線は敢えて無視する。
(「はて、部隊にあの熊に似た顔がいたかな? いずれにしても恨まれる覚えはないけどね」)
 一方、凜はターンのたびに柔らかくセクシーに体をのけぞらせて、ともすれば機械的になりがちなダンスに柔らかさを添えた。くるりくるりと身をひるがえすたびに、赤いドレスの裾が波打って、音楽と光と観客の視線を砕き、輝く粒子の流れを作り出す。
 スローテンポの甘い曲に合わせてステップを踏むつど、頬に逝のなめらかな上着が触れた。
(「この感じ。なんだか癖になりそうなんよ」)
 ついつい、心地よい高揚感におぼれて目を閉じてしまう。気がつくと曲が終わってしまっていた。
 ペアで踊っていた男女が、それぞれ手をつないだままフロアの端に設えられたビュッフェスペースに向かってゆっくりと散っていく。入れ替わるように大勢の人がダンスフロアに流れ込んできた。
 一二三は逝と凛に称賛の拍手を送ると、人の流れの中で巧みに身を泳がせて、サンタの帽子をかぶったウェイターを追って会場奥のステージに向かった。大きな妖気は忽然と消えてしまっていたが、小さな妖気がウェイターから感じられたのだ。
(「浮遊系の守護使役……、彼が井口で間違いないでしょう。しかし、どうして人である井口さんから妖気を感じるのか? 実に興味深い。僕はこれから学ぶべきことが多そうですね」)
 井口らしきウェイターがステージ脇の階段で身を屈めたとき、一悟から連絡が入った。心にダイレクトに響いた声に驚いて口を開けてしまい、慌てて井口に背を向ける。
<「はい。鼎さんに伝えます」>
 すぐに送心で二階の飛鳥に瓶が一本しか見つからなかったことを伝えた。ついでに井口発見の報告をする。
<「了解、すぐ屋上に向かうのよ。一二三お兄さんは井口から離れて。あと、逝おじさん、凛お姉さん。気をつけてくださいなのよ。お姉さんに近づこうとしている人がいます!」>
 飛鳥は踵を返すと、狭い通路を走った。下に、凜に近づく金髪の男を追う噺家が見えていたが、みんなに知らせることよりも、第二の『快楽殺人者の夢』散布を阻止することを優先して階段を駆け上がる。
 何故なら――。
 会場のあちらこちらで悲鳴と怒声が上がり始めていたから。


「いまのうちに飲み物をとってくるんよ。ちょっと待ってて」
「あ、凛ちゃん。おっさんの分は――」
 赤いドレスが人波に紛れて消えると同時に、逝は飛鳥から香士らしき人物が凛に近づいている、という連絡を受けた。
 慌てて凛を追いかける。
<「緒形さん!! 助けて!」>
 逼迫した一二三の叫びが心の中に響く。
 振り返れば、ステージ脇でもみ合う男が二人。一二三が、サンタ帽子をかぶったウェイターに後ろから腕を首に回されて、顔を赤くしていた。
 サンタ帽の男は一二三の首を力っぱい締めあげながら階段を上がり、炎の玉を飛ばしてステージ下を撃った。あらかじめガソリンか何かを撒いてあったのか、たちまち火が燃え広がりだす。
(「いかん!」)
 反撃しろ。逝の叫び声は、会場内のあちらこちらで一斉に上がりだした怒声と悲鳴にかき消されてしまった。一悟が止める前に空調口から流れ出ていた『快楽殺人者の夢』が、効果を発揮して、吸い込んだ人々の気を狂わせたのだ。
 突如起こった火事と、ホークやナイフを振り回して襲い掛かって殺人者たち。会場は瞬く間にパニックになった。
 一二三と一悟が助けた警備員が、あらかじめ開けていた非常口めがけて人々が殺到する。
<「お……緒形、さん。くる、し……い」>
「今、行くぞ!」
 逝の前に、銃を手にした巨漢が立ちはだかった。噺家についてきたロシア人だ。どうやら件の香水を吸い込んでいるようで、目が完全に逝っていた。
「こんにちは、同志」
「……こんにちは。悪いがいま取り込み中でね。そこをどいてくれないか」
 ロシア人は逝の胸に銃口を向けると、いきなり発砲した。
 凛は、突然、狂ったように走り回りだした人の中で戸惑っていた。
 と、いきなり、後ろから腕が伸ばされ、手にしていたグラスを取り上げられる。振り返るとそこには――。
「やあ、鈴。久しぶりだね。生きていてくれて嬉しいよ」
 額に第三の目、金髪。なにより自分を鈴と呼んだ。香士だ!
「り、ううん、鈴もうれしいんよ……こんなところで会えるだなんて。いつ戻って来たの?」
 直前に飛鳥から連絡を受けていなければ、こんなにも余裕たっぷりに話すことはできなかっただろう。避難誘導と井口はほかの仲間たちに任せて、自分はこの男から情報をできる限り引き出すことした。
「ん、つい最近だよ。ところで、ボクの仲間にはなれなかったようだね。発現っていうんだっけ、その状態? どこか別の場所でじっくりと調べさせてほしいな。……隅々まで」
 香士は凛の首筋に指を添えると、ぐっと顔近づけてきた。薄く開いた唇の間から、ねっとりと甘い香りを出している。
「ちょっと。や――!?」
 くらり。目眩がして、視界が急速に暗くなる。膝から力が抜けた。落ちる、と思ったとたん、腰に腕が回されて体を寄せられた。
(「……あ? え? 香士じゃ……ない、誰?」)
 薄く開いたまぶたの隙間から、三つの目を大きく開いて唇を震わせている香士の顔が見る。では自分をいま抱きかかえているのは一体?
「――た、橘!? まさか、どうして?!」
「貴様、やはりあの時の伴天連か!」
 噺家は抑えていた妖気を白熱した怒りとともに全開放した。その圧力に狂気と恐怖で沸騰していた会場内が一瞬で静まり返る。
 噺家が凛の腰に回した腕を解き、懐から扇子を抜きとった。
 凛は自分の体がすとんと尻から落ちるのを、ゆっくりとした時間の流れの中で感じていた。
「だめぇぇぇっ!! 噺家さん、やめてくださいなのよ!」
 噺家の腕にぶら下がった飛鳥の叫びが、再び時を動かした。貯水タンクの上で香水瓶を見つけるなり、すぐに下に戻ってきたのだ。
 香士が脱兎のごとく逃げ出す。
「ここでそれをしちゃダメなのよ。たくさんの人が巻き添えで死んでしまいます。香士はあすかたちが必ずやっつけます。だから、噺家さんはあの熊さんを連れて帰ってくださいなのよ!」
 ちっ、と舌うちひとつ響かせると、噺家は扇子を懐に収めた。
 

 飛鳥が噺家を止めたとき、一悟はステージ上にいた。一段高いところから会場内を広く見渡し、状況を把握すると、まず、逝ともみ合っているロシア人に念弾を撃ち込んだ。続いて反対端にいる一二三と井口のもとに駆け寄ると、燃え上らせた拳を井口の脇腹に叩き込んで怯ませた。
 一二三は首に回された腕の力が緩むと、すぐに外して井口から離れた。
「井口はオレと緒形店長に任せて、みんなの誘惑解除と怪我の手当てを頼む」
「はい」
 ステージ上から一二三が、フロアでは飛鳥が懸命に回復の術をかける。
 逝が、隙を見て逃げ出そうとしていた井口の膝に念弾を撃ち込んで転ばせた。
「ロシア人は?」、と一悟。
「噺家が連れて帰ったわよ。あんまりしつこいから悪食に食わせてしまおうか、と思っていたところだったから、ちょうどよかった」
 四つん這いになりながらもステージの階段を下りた井口の前に凛が立ちはだかる。
「香士は一人逃げたよ。鈴さんとお同じように、井口さんも捨てられたんよ」
「そうだ、井口! 目を覚ませ、お前は香士にたぶらかされたんだよ!」
「嘘だ! あの人は……そんな人じゃない!!」
 井口は立ち上がって、凜に拳を振り上げた。
 逝が後ろから井口の肩に手を置いて体を回し、腕をとって投げ飛ばした。
 背中をしたたかに床で撃たれて、井口は気を失った。
「ま、香士のことは後でゆっくりと聞かせてもらうさね」
「緒形さん、額の傷を開いてみてください。そこから妖気が感じられます」
 逝は一二三の進言を受け、倒れている井口の額を悪食で切り開く。
 すると、傷の中から黒い尾をはやした目玉がはい出てきた。
「うぎゃあ、気持ち悪いのよ」
「もしかして、この目玉は香士の一部?」
 凜は飛鳥を後ろに下がらせると、床をのたうち回る目玉を踏みつぶした。
「ええ、おそらくは。突然消えた大きな妖気――香士でしょう。それと同じ波動を感じました」
 
 それから一時間後。
 大学の近くの河川敷で、額に大きな穴が開いた外国人の死体が発見された。脳のほとんどが失われたその遺体は、死亡推定時刻が発見の三十分前だった。

■シナリオ結果■

成功

■詳細■

MVP
なし
軽傷
なし
重傷
なし
死亡
なし
称号付与
なし
特殊成果
なし




 
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