菊本准教授の最期
●
突然の一発の銃声。そこで彼の命は終わりを告げた。
●夢見准教授
「今回、夢見が憤怒者に殺されるらしい。彼を助けてもらいたい」
今回話を切り出したのは、意外にも中 恭介(nCL2000002)だった。
「名前は菊本正美。五麟大学理学部数学科の准教授だ。市民向け講義を担当していたこともあるらしいから知っている者もいるかもしれん」
五麟大学准教授。説明を聞いていた一部の覚者がそれに驚いた。
何故、今になって。以前夢見を多数保護したのではないのか。ひょっとしてつい最近発現したのか。その問いに恭介はため息を吐いた。
「ああ、実はな。彼には以前協力を求めたんだが……断られたんだ」
事の発端はFiVE創立直後。正美が夢見であるという噂を聞きつけた恭介は、彼に会った。どうしても、夢見の力を借りたいと言って。
菊本准教授の研究室は異様な雰囲気に満ちていた。
うず高く積まれた書類や資料はまだ分かる。しかし、それ以外に折り紙やチェスのコマ、サイコロやトランプ、積み木などの子供用のおもちゃが雑然と転がっていた。
これが准教授という職に就く人間の職場なのだろうかと思いながら怪訝な顔をする恭介に、正美は笑っていた。
「すいませんゴチャゴチャしていて。こういうの好きなもんで」
「は、はぁ……」
そんな話は置いといて、本題を切り出すことにしたのだが。正美が出した答えは
「お断りします」
とだけ。何故断られねばならないのかと思った彼の心を読むように、正美はどこか申し訳なさそうに答えた。
「非覚者と覚者の壁を取り除くという考え目的は共感できます。ですが……その手段としてFiVEを立ち上げるということに少々違和感を覚えるのですよ。穿った見方をすれば、『手段の為に目的を選ばなかった』のかな? とさえ」
「えっ」
「仮にですよ? もしFiVEの取り組みが成功して、妖の退治や違法な行いをする覚者の取り締まりをするのが覚者の仕事である、となった場合。覚者はその仕事『だけ』やってろ。他の仕事はするな。となる恐れは無いかと。要するに覚者のイメージがそこに固定された結果、新たな差別をもたらさないかと」
「それは……」
「ご気分を害されたのなら謝ります。『象牙の塔の住人の妄言だ』と一笑に付して下さっても構ません」
「いえ……」
「ああ、それと」
「?」
「それ以前に『秘匿組織』という点が気になるんですよ。むしろそちらの方がお断りする理由としては大きいです」
そこに疑問を呈するとは思わなかった恭介としては驚きだった。覚者達に危害が及ぶことを恐れて故の秘匿組織だったのだが。
「秘匿ということはつまり、何が起きても秘密のままということですよね?」
正美の言葉に、恭介は完全に言葉を失った。
「国が行使する強権にはある程度の透明性があるのが民主主義国家の必要条件なのでは? そのようなつもりで『秘匿』という方針を出したのではないことは分かるのですが……権力は時に暴走します。些か頂けません」
些か頂けない。そうは言いつつも表情は完全に拒絶のそれだ。
これは言うまいと思っていたが、恭介は遂に切り札を切ることにした。
「もし、佐倉さんの件のような悲劇を防ぐことができても、ですか?」
その言葉に正美は明らかに目の色を変えた。しかしそれは一瞬の出来事で。
「彼の事は残念だったと今でも思っています。自分の無力さも痛感しました。ですがそれができても私がさっき挙げた疑問点は解消できるものじゃあないでしょう?」
「FiVEに属する覚者達がそのような暴走は……」
「その信頼感は素晴らしいと思います。ですが、正しいと思うことこそが本当に危ないとは貴方も少なからず分かっているのでは?」
遂には声を張り上げた正美を見て、何を言われようと本当に彼がこの件には加わりたくないのだと恭介は悟った。
それ以上強制することもできず、帰るしかなかったという。
「もし、秘匿組織じゃなくなったら……その時はまた検討させてください」
最後に正美がそう言ったのを恭介は今でも覚えている。
今思ってみれば、彼はいつかFiVEが秘匿組織ではなくなることを確実に予期していたのかもしれない。夢見としてではなく、推測しうる未来として。
「……ということで、だ。今回はあくまで彼の『保護』に務めてもらいたい」
あまりに執拗に勧誘して、また印象を悪くしても困るしな。そう付け加えて、彼は会議室内のモニターの電源を入れた。
「これが菊本博士だ。この間の市民向け講義を録画したものらしい」
そこに映ったのは、一人の青年だった。
まるで予備校講師のように慣れた様子で講義をする様は、20代程度の青年には不釣り合いで。こんな若さで准教授にまでなったのかと問う声に、恭介は首を横に振った。
「いや、これで1974年9月17日生まれ……42歳だ」
画面の中の正美は、にこやかに笑いつつ講義を続けていた。
突然の一発の銃声。そこで彼の命は終わりを告げた。
●夢見准教授
「今回、夢見が憤怒者に殺されるらしい。彼を助けてもらいたい」
今回話を切り出したのは、意外にも中 恭介(nCL2000002)だった。
「名前は菊本正美。五麟大学理学部数学科の准教授だ。市民向け講義を担当していたこともあるらしいから知っている者もいるかもしれん」
五麟大学准教授。説明を聞いていた一部の覚者がそれに驚いた。
何故、今になって。以前夢見を多数保護したのではないのか。ひょっとしてつい最近発現したのか。その問いに恭介はため息を吐いた。
「ああ、実はな。彼には以前協力を求めたんだが……断られたんだ」
事の発端はFiVE創立直後。正美が夢見であるという噂を聞きつけた恭介は、彼に会った。どうしても、夢見の力を借りたいと言って。
菊本准教授の研究室は異様な雰囲気に満ちていた。
うず高く積まれた書類や資料はまだ分かる。しかし、それ以外に折り紙やチェスのコマ、サイコロやトランプ、積み木などの子供用のおもちゃが雑然と転がっていた。
これが准教授という職に就く人間の職場なのだろうかと思いながら怪訝な顔をする恭介に、正美は笑っていた。
「すいませんゴチャゴチャしていて。こういうの好きなもんで」
「は、はぁ……」
そんな話は置いといて、本題を切り出すことにしたのだが。正美が出した答えは
「お断りします」
とだけ。何故断られねばならないのかと思った彼の心を読むように、正美はどこか申し訳なさそうに答えた。
「非覚者と覚者の壁を取り除くという考え目的は共感できます。ですが……その手段としてFiVEを立ち上げるということに少々違和感を覚えるのですよ。穿った見方をすれば、『手段の為に目的を選ばなかった』のかな? とさえ」
「えっ」
「仮にですよ? もしFiVEの取り組みが成功して、妖の退治や違法な行いをする覚者の取り締まりをするのが覚者の仕事である、となった場合。覚者はその仕事『だけ』やってろ。他の仕事はするな。となる恐れは無いかと。要するに覚者のイメージがそこに固定された結果、新たな差別をもたらさないかと」
「それは……」
「ご気分を害されたのなら謝ります。『象牙の塔の住人の妄言だ』と一笑に付して下さっても構ません」
「いえ……」
「ああ、それと」
「?」
「それ以前に『秘匿組織』という点が気になるんですよ。むしろそちらの方がお断りする理由としては大きいです」
そこに疑問を呈するとは思わなかった恭介としては驚きだった。覚者達に危害が及ぶことを恐れて故の秘匿組織だったのだが。
「秘匿ということはつまり、何が起きても秘密のままということですよね?」
正美の言葉に、恭介は完全に言葉を失った。
「国が行使する強権にはある程度の透明性があるのが民主主義国家の必要条件なのでは? そのようなつもりで『秘匿』という方針を出したのではないことは分かるのですが……権力は時に暴走します。些か頂けません」
些か頂けない。そうは言いつつも表情は完全に拒絶のそれだ。
これは言うまいと思っていたが、恭介は遂に切り札を切ることにした。
「もし、佐倉さんの件のような悲劇を防ぐことができても、ですか?」
その言葉に正美は明らかに目の色を変えた。しかしそれは一瞬の出来事で。
「彼の事は残念だったと今でも思っています。自分の無力さも痛感しました。ですがそれができても私がさっき挙げた疑問点は解消できるものじゃあないでしょう?」
「FiVEに属する覚者達がそのような暴走は……」
「その信頼感は素晴らしいと思います。ですが、正しいと思うことこそが本当に危ないとは貴方も少なからず分かっているのでは?」
遂には声を張り上げた正美を見て、何を言われようと本当に彼がこの件には加わりたくないのだと恭介は悟った。
それ以上強制することもできず、帰るしかなかったという。
「もし、秘匿組織じゃなくなったら……その時はまた検討させてください」
最後に正美がそう言ったのを恭介は今でも覚えている。
今思ってみれば、彼はいつかFiVEが秘匿組織ではなくなることを確実に予期していたのかもしれない。夢見としてではなく、推測しうる未来として。
「……ということで、だ。今回はあくまで彼の『保護』に務めてもらいたい」
あまりに執拗に勧誘して、また印象を悪くしても困るしな。そう付け加えて、彼は会議室内のモニターの電源を入れた。
「これが菊本博士だ。この間の市民向け講義を録画したものらしい」
そこに映ったのは、一人の青年だった。
まるで予備校講師のように慣れた様子で講義をする様は、20代程度の青年には不釣り合いで。こんな若さで准教授にまでなったのかと問う声に、恭介は首を横に振った。
「いや、これで1974年9月17日生まれ……42歳だ」
画面の中の正美は、にこやかに笑いつつ講義を続けていた。

■シナリオ詳細
■成功条件
1.憤怒者の撤退
2.菊本正美の保護(軽傷までなら可)
3.菊本正美の『質問』に過半数以上のPCが答えること
2.菊本正美の保護(軽傷までなら可)
3.菊本正美の『質問』に過半数以上のPCが答えること
さて遂にこの時が来ました。夢見救出依頼です。そして憤怒者戦です。
菊本准教授のことを批判的な人物と見るべきか、それとも……これ以上は申し上げないでおきましょう。その判断は現時点ではPLさんやPCさんにお任せします。
さて今回の依頼は憤怒者戦+夢見救出です。
3つ目の成功条件がやや特殊ですが、これの説明については後で詳しく。
中指令も言っていますが正美に仲間になるよう直接的に説得することは得策ではありません。
(ここまで書いた以上説得なさる方はいないとは思いますが)もし仮に彼に説得をする方がいましたら、その点を十分留意してプレイングを書くことをお勧めします。
§状況
時間は早朝。五麟大学から2km程離れた某公園。
FiVEの夢見の報告によると正美は自身の研究室で徹夜して論文を書いていたつもりがいつの間にか寝てしまい、目が覚めたもののぼうっとしていたので公園を散歩していた所を襲撃され、殺されます。
憤怒者は計8人。
狙撃者は公園から更に500m程度離れた場所から正美をライフルで狙っています。
もし何らかの形で狙撃が外れた場合に備え、残りの7人が彼の周囲を取り囲み殺害するようです。
尚、今回はPLさんが好きな場所から開始することが可能です。
つまり数名が狙撃担当の憤怒者の背後から忍び寄り、他の覚者達が強襲担当の憤怒者に対応するという作戦も充分ありですのでご安心を。
事前付与はスキル1つまで。
§エネミーデータ
・憤怒者(狙撃担当)×1
正美を500m離れた場所から狙う狙撃担当の憤怒者
スキル
・ライフル弾(物遠貫3)高威力の遠距離攻撃。発動後は薬莢の排出の為に反応速度と回避が下がる。
・ナイフ(物近単)ナイフで切り付ける。ライフル弾の威力に比べれば威力は遥かに劣るが出血のBSを与える。
・憤怒者(強襲担当)×7
近接攻撃に特化された憤怒者
スキル
・ナイフ(物近単)出血のBSを与える。
・格闘(物近単)蹴りや殴りで相手にダメージを与える。
・連携攻撃(物近列)2人以上強襲担当の憤怒者が近くにいる場合使用してくる。高威力のダメージを与える。
当然ながら連携なので周囲5m以内に仲間憤怒者がいないと使えない。
恐らくイレブンの構成員。
一般人ではありますが防具の効果で物理防御に長け、常に通信機器で連携を取るうえ、練度は高く、容易く撤退します。
PL情報ですが、彼等を撃破および身柄を確保することは不可能です(なので成功条件が憤怒者の撤退です)
§夢見データ
菊本 正美(きくもと まさみ)
五麟大学理学部数学科准教授。理学博士。
父親も祖父も学者。東京都出身だが卒業した大学は京都。
見た目こそ「痩せ型で見た目を気にしない典型的なオタクの理系院生」だが実の所42歳。
夢見として発現したのは21歳の頃。
理屈屋だがフランクで穏やか、授業も分かりやすいため、学生からの評判は良好。
拙作「されど人生は素晴らしい」OPで登場した名無しの「理学部数学科の准教授」の正体。
夢見なので身体能力は一般人並。紙耐久。
・OPで中指令が言及した『佐倉さんの件』とは?
佐倉とは今から15年ほど前、正美が死を予知した人物。
フルネームは佐倉 善生(さくら よしお)
正美の中学生時代の親しい友人だった。
正美は彼が自殺することを予知したため警察にその自殺を阻止するよう求めたが、夢見である証拠など示すことができず、警察からいたずらではないかと疑われて相手にされず、佐倉の自殺を止めることは出来なかった。
その後佐倉の自殺現場の状況と正美の証言が完全に一致したために『彼は夢見なのでは』という噂が流れた。中指令もこの噂を頼りに彼を訪ねた。
佐倉の死後も正美は自身が覚者であることを周囲に隠し続けたが、この自殺の件を憤怒者たちが何らかの形で知った模様。
中指令がこの件に言及した所明らかに彼の態度が変わったので、この話題に不用意に触れることはオススメしません。
§正美からの質問
以下はPL情報です。
正美の救出に成功した場合、正美から以下の質問が投げかけられます。
「君はなぜFiVEに所属したんだ? FiVEに所属した理由がないのなら、今何を目的としてFiVEの覚者として戦っているのかを聞かせてくれないかな」
『回答』と書いてから答えを明記した方が分かりやすくていいと思います。
正美は明確な答えや論理性を求めている訳ではありません。
ただ、理由は具体的に書いた方が彼の心証は良くなると思います。
極端な話両者とも「分からない」でも構わないです。
ただその場合、何故分からないのかを答えることが必要です。
偽善や欺瞞を嫌い(なので欺瞞からの発言は指摘する可能性があります)信念や正義感よりも考えることや悩むことを重要視する人物ですので、その点を踏まえて答えるべきでしょう。
状態
完了
完了
報酬モルコイン
金:0枚 銀:1枚 銅:0枚
金:0枚 銀:1枚 銅:0枚
相談日数
7日
7日
参加費
100LP[+予約50LP]
100LP[+予約50LP]
参加人数
9/9
9/9
公開日
2017年02月08日
2017年02月08日
■メイン参加者 9人■

●
風はない。スコープの先に見える青年に照準を合わせる。あとは、引き金を引くだけ。
その瞬間、彼を襲ったのは眩いばかりの稲妻だった。それが始まりだった。
●
ここは五麟市内某所のビル屋上。『不屈のヒーロー』成瀬 翔(CL2000063)の術式に、狙撃者はすんでの所で気付いて避ける。
「狙撃に失敗した。撤退する」
初撃を外して翔はくそっと悔しそうに言う。だが、今度は狙撃犯の後ろから黒い影。『エリニュスの翼』如月・彩吹(CL2001525)の姿だ。
ビルよりも高く飛び、重力加速度を得て凶器の鋭さを得た彩吹の一撃は、狙撃者を貫くことは無い。
ただ、その手に持っていた銃を破壊するには威力は充分過ぎた。
ばきり、と音が響いた。
●
晴天に、雷鳴が響いた。
菊本 正美の周囲を憤怒者達が取り囲む。突然の出来事に頭が追いついて来ない。
そこにまた突然、地響きが鳴り響く。
「がっ!?」
困惑する憤怒者達。『狗吠』時任・千陽(CL2000014)の放った術式が陣形を大きく崩したのだ。
そこを突破し、東雲 梛(CL2001410)が正美に突撃。強制的に彼を伏せさせる。更に『鴟梟』谷崎・結唯(CL2000305)が正美の周囲にシールドを展開させる。
そこを、覚者達が正美の周囲を囲んだ。
「お好みの部位はどこかね?」
緒形 逝(CL2000156)は禍々しい刃から無数の楔を撃ち放つ。数名の憤怒者の身体が硬直した。
そこを狙って、八重霞 頼蔵(CL2000693)の連撃が地面を巻き込み抉り、『凡愚の仮面』成瀬 基(CL2001216)の拳が一人の憤怒者を突き飛ばす。
「梛、早く准教授を……」
正美の傷を確認して『慧眼の癒し手』香月 凜音(CL2000495)がそう言った直後の事だった。
スコールは、去った。彼等は任務失敗を早急に悟り、撤退したのだ。
一切の証拠を残さずに、煙の如く。
●
予想以上の引きの速さだ。そう困惑した覚者は多かっただろう。
「で、さ。オレも彩吹さんもていさつしたんだけどそれらしいのナシ。ライフルの部品もなかった」
「それならいいよ。早くおいで」
翔からの連絡を受け、基はそう言うと電話を切った。
本当に、消えた。不意打ちや感情を感知する技能を持った逝に視線をやると、彼も首を横に振る。
で、くだんの准教授は覚者達に囲まれたままだった。
突然の出来事で正美は溜息を盛大に一つ。
「以上のようなことでして」
千陽の大方の説明に、ああそうかと上の空だ。
「私はさっきの襲撃がイレブンだと思っている」
おまけに結唯の言葉にぽかんとする。
「その可能性も含め、心当たりなどをお聞きしたいのです」
千陽の問いに正美の答えは単純だった。
全部分からない。人に恨まれる理由が万が一あるとしたら確率解析の講義で学生に追々々々々々々試まで課したぐらい(それも落第させたくなかったからだが)で、それ以上はないと。
「……文字通り晴天の霹靂だ」
「誰の差し金かはしらねーけど、突然殺されるって理不尽だろ」
翔の言葉に、正美はキーホルダーのサイコロを親指でさすりながら頷いた。
「何はともあれ、無事でよかった」
彩吹に差し出された手を握りしめて微笑みを返し、ゆっくりと立ち上がって、服に着いた土埃を払う。
途中正美は頼蔵と目が合って会釈をしたが、向こうはこちらに興味がなさそうだ。
「あのー」
そこで声を掛けたのは、基だった。指令が軽くやり込められたと聞いた以上、迂闊な事は言えない。直観を鋭くする技能で彼の様子を見ながら、気を遣って口を開く。
「立ち話も何ですし、研究室にお邪魔しても……?」
あまりの恐縮っぷりに青年はくすぐったそうに笑って頷いた。
「ええ。私も皆さんにお聞きしたいことがあるので是非」
「小難しい話はできねーぜ?」
凜音の言葉に青年は再び笑う。そこで梛と目が合って、正美は微笑んだ。
「さっきはありがとう。……撃たれないように守ってくれたんだね」
梛が頷いたのを見て、正美は親しげに頷きを返した。
●
道中、大学までの2kmほどある道のり。正美の先導で、彼等は歩いていた……のだが。
先頭を歩く基が正美から距離を取っているので、結果正美だけが先を進んで後ろを覚者達がつけている形だ。
「どうかした?」
梛の言葉に、基は機械の指で頭を掻きながらいやぁとだけ。
「そっとしておきたくて」
「安全が最重要では?」
千陽の指摘に基はがっくりと項垂れる。
「でも怒らせたらまずいよ……指令がああ言うって珍しいじゃん」
「指令はともかくとして、それらしい感情もないしいいんでない?」
逝が再び感情を探査しするが、一切そういったものは感じない。……ただ、正美を除いて。
正美の名状しがたい感情を逝は語らなかった。
頼蔵も相変わらず何も言わない。
結唯は彼を仲間に入れることを考えるが、今の彼の空気には何も言えない。
2月初旬の冷たい空気が、髪を撫でる。
正美が京の街並みを静かに眺めて歩く様を見ていた翔が静かに一言。
「じーちゃんみたい」
「確かにな」
凜音が言った後、梛が首を傾げる。
「この間会ったとか聞いたけど、あんな感じだった?」
「いや……」
今度は彩吹が答える。
この間は、本当に学生にしか見えなかった。だが今の様子は、過去を懐かしみ噛みしめる老教授のようだ。
何なのだろう。まるで、周囲の空気や風景さえ過去に戻っていくように見えた。
「相対論の体現者、って『彼』が言ってたけど」
「アインシュタインだね」
彼女がポツリと言った言葉に、増強された知識を持つ基が返した。
「でも時間の逆行は否定されてなかったっけ?」
だが、人が突然若々しく見えたり老け込んだりすることはある。
彼を老け込ませたのは、一体。
●
菊本研究室。数理物理の研究室だ。凜音と彩吹はここを訪れるのは二度目である。
「これ何なんだ?」
カチカチと動くニュートンのゆりかごを興味津々で見つめる翔に笑いながら、正美は全員分のパイプ椅子を用意して座るよう促した。
「基さん?」
さっきから座らず研究室の様子を見る基に、彩吹が声を掛ける。
「この間はもっと雑然としていたよな」
今度は凜音が言う。確かに以前に比べて相当整然としている。正美はそれに笑った。
「掃除したんだ。心境の変化かな」
心境の変化。それに首を傾げる基。それを気にせず正美は椅子に座って言った。
「是非皆さんにお聞きしたいんです。何故、FiVEに来たのか。そして何故今戦っているのかを」
●
笑いだした頼蔵に、正美は驚く。
「何、対価を支払っただけだよ。観客として特等席に居る為のね」
そして続いた言葉に眉根を寄せた。
化け物、そして人。それが織りなす欲望の渦中で、何が起こるのかを見てみたいと。
高みの見物が好きなのだろうと彼は思った。蓼食う虫も好き好きだ。決して否定はしない。
だが次に出てきたのはFiVEへの誘い。そして
「理屈を捏ねて考えたふりをしているよりも、余程知りたい事が観得てくる筈だよ」
その言葉だけは看過できなかった。用事があると言って立ち上がる頼蔵に、正美は低い声で言う。
「私達は常に好戦的な人種だ」
頼蔵の背は止まったまま。
「愛する真理の為に渦中に身を投げ、思考は全てを疑い、言葉は殴り合いの議論を好み、行動は偏執的です。尤も、先人達に比べれば私は考えたふりでしょうけども。……ああでも、でしたら貴方は三次方程式の解の公式にまつわる確執なんて好きそうだ。今度是非数学史の講義を見に来てください。きっとお気に召します。……この後の用事よりも」
頼蔵がこちらを見る。正美は純粋な青年の笑顔を返す。
ただ、その視線だけが頼蔵の心をも平然と凝視した。まるで、場外から罵声を浴びせられたレスラーがリングの外の観客に襲い掛かってきたかのように。
「科学や数学が好きな人が増えると嬉しいので」
それは確かに本心だったのだが、ドアは「好きにしろ」と言わんばかりに閉まる。
頼蔵の用事が何なのかは、正美は全く知らない。ただ偶然にも用事、つまり浮気調査が頼蔵の興味を惹く結果でなかったことだけは言及しておく。
●
「自分にとっては任務ですので」
それ以上でもそれ以下でもない。愛する国を守る為、FiVEだろうが何だろうが変わらないと。千陽にそう言われたが驚きはなかった。
「こちらも聞きたいことが」
「はい」
やや強めの語調に正美は少し声のトーンを低くした。
「何故貴方は自分で親友を助けに行かなかった」
空気が、止まった。正美は僅かに視線を逸らし、息と共に吐く。
「辛辣だなあ」
千陽は知っているのだろうか。
13年ぶりの再会が遺体だったことを。そもそも夢見は未来に干渉できないことを。それでも彼は警察に必死に助けを求めたことを。当時彼は勤務先の大学で嫌がらせを受け、精神安定剤を服用していたことを。結果警察に相手にされなかったことを。それが皮肉にも真実を単なる噂にし、非覚者としての生を21年も長らえさせたことを。
そしてそれらを全部飲み込んで出てきたのが『辛辣』の言葉であることを。
「でも少し分かった。君が戦う本当の目的が」
千陽を真っすぐ見据えて言う彼の顔は、青年のものではない。
「『守る自分』を守るためだ。任務や国はあくまで手段。だから君がどこに居ようとやることは変わらない。だから私の疑問を呈する態度が不可解だし、『助けなかった』という過去の一側面にこだわる。違う?」
そう言ったのは、老成した教育者だった。
否定はしない。ただ、茨に踏み込み平然と傷つく彼の姿が見えた気がする。
●
一度しか言わないぞと逝に断られ、続いた言葉に正美は豆鉄砲を食らった鳩の気持ちになった。
「『おっさんは故人の真似をしているのよ』でも『俺は第2の故郷たるこの国と人民を守る為に、この組織を利用している』そして『私はこの組織を観察中である』」
思わず沈黙。鳩は辛いなという謎の感想が頭を過ったが、それを振り払う。一人称は故人の真似か。
そんな困惑を逝は拾ったのか、言う。
「疑問を持つのはいい事さね」
「ええ」
「でも知らない方が良い事もある」
「それは多分無理だ」
最初に知ろうとしなければ、この世界を取り巻く問題は解消されない。それが偉大な先人達の態度だ。
「私も故人の真似をしているんですよ」
貴方の真意とは違うかもしれませんが。そう付け加えて彼は逝を見たが、生憎バイザーで視線は隠れている。
「准教授ちゃん、無理は禁物よ?」
「ご忠告痛み入ります」
疑問は持つ。でもそれは身の丈に合ったものだけだ。この男の謎は、自分の器を超えている。それを知って十分だ。
●
「俺は逃げてきただけ」
梛のその返答に、心がちくりと少し痛んだ。
発現したことで周囲から疎外され、接してくれた親友は自分を庇って寝たきりのまま。そして辿り着いたのがここなのだと。
同情するのも憚られる。だが、戦うのはそれでも進みたいからと言った時、ようやく年相応の少年が見えた気がして安堵した。
外見が、自身を守る為の心の鎧に見えた。
「聞いて何が知りたいの?」
「詮索だと思ったのなら謝るよ」
聞いたこと自体申し訳ないと続けて、言う。
「物理法則のように個人には原理があると思う。それを知りたい。学生達にも何で学びたいかを聞いてるよ。『単位』って露骨に言う人もいるけど、否定はしない」
単位は大事だし。軽くおどけて続けたとき、梛の表情が僅かに緩んだ気がした。
「私は分からず屋だ。関わるために不器用でも尋ねる。矛盾は指摘する。中さんにFiVEに誘われた時も一緒だ」
友達、早く良くなるといいね。自分が酷い目に遭うより辛いものがあるし。そう続けて話を終わらせようとしたとき、梛はこちらを見据えていた。
「……あんたはどうしてここにいるの?」
誤魔化しは効かない。正美は素直に言った。
「FiVEに行かない理由があったから。矛盾であったり。自由であったり。論文が完成した今は分からないね」
●
「私は超常的な存在の情報を集めている」
結唯はそう言ってから、話を続けた。
彼等は何らかの価値観や考えを持っている。正義かどうかはどうでもいい。ただ、それの命の輝きを見たかったと。
そしてFiVEに入ったのは、一枚岩ではないからと。
それは危険だとも思うが、無数の輝きを見られるからいいのだと。
饒舌で、やや熱っぽくも感じる彼女の言葉。そして輝きや多様性という単語に正美は何となく、宝石箱を連想した。それは確かに魅力的だ。
キラキラと輝くものを見つめるのは正美も好きだが、彼女には何となく合わないなとも思って、内心撤回をする。
「菊本の輝きも見たいものだな」
答えが彼女の真意かどうかは、彼は判断しかねる。ただ、間違いなく自分をこちらに引き入れたいというのははっきり分かって、彼はくすぐったそうに笑った。
「私ですか? 私自身よりも私が見ている世界の方が絶対面白いと思いますよ」
そうは言いつつも、彼は思う。もしこの言葉の一部でも真実なら、彼女は自分と相当な同類だと。
●
「また会えたね」
彩吹を見て、正美は笑った。約束通り感謝の言葉を述べてから聞く。彼女は小首を傾げた後、答えた。
「私は、こんな翼を持っているから」
その言葉に『彼』の顔が思い浮かんだが、彼女は直後翼に不満はないと言った。少し安心だ。
だが、不思議には思うのだと。力の所在も、覚者や妖が何故いるのかも不思議なのだと。
「FiVEにいたら それが解るような気がしたからかな? ……答えになってます?」
「うん。十分だ」
少年のように無邪気に正美は笑う。彩吹もつられて笑っていた。
「聡い君ならきっとできる。私は考えることしか出来ないけど、力になるよ」
「ありがとうございます。それと」
「?」
「先生を助けたのは任務じゃない。私がすると決めたから」
凛とした発言に、正美はまた笑った。
この世はやはり捨てたものじゃない。自分の命は、他人によって支えられている。
「本当に、ありがとうね」
●
「その節はどうも」
彩吹に続き、正美は凜音に感謝を言う。凜音も頭を下げたのを見て、本題に入った。
「刺激が欲しかったんだよな」
刺激。それが彼の答えだった。家と学校の往復で飽きていたのだと。最初はこの力の研究機関としか思ってなくて入ったそうだが、いつの間にか戦いに巻き込まれたらしい。
「それは何とも困ったね」
だから正義なんてどうでもよくて、だがそういうのを目指す連中は嫌いじゃないと彼は続けた。
「だから癒すことで皆の手助けをしましょうかね、と」
大したことなくて済まないなと付け加えられて、正美は遂に噴き出した。
「爺臭いなあ」
率直な感想が口を突く。
「別にそれでもいいよ。でも、君まだ18ぐらいだろ?」
ただ、あまりの緩さに正美は失礼だと思いつつも腹を抱えて笑った。
「爺臭いのはあんたもじゃね?」
「人は誰でも色んな年齢の自分を飼っているからね」
●
翔の回答は素直だった。
力の使い方を知りたかったから、そして家族を守るため。そこから彼の目が大きく輝いた。
「今はヒーローになるために戦ってるんだ!」
FiVEなら、自分達が起こるであろう悲劇から人を救うことが出来る。そして、自分には守る為の力があるのだとも彼は誇らしげに言った。
「この力はそのためにあると思ってるしさ!」
彼の顔は自信に満ち溢れ、眩しい。圧倒される。
「辛くない?」
「音をあげたらヒーローが廃るだろ?」
「そうだね」
彼を彼たらしめているのはその理想像なのだろうか。『敵をやっつける』だけで済む話ばかりではない筈だ。何度傷付きながらも、理想を目指しているのだろうか。共感する部分は多い。
子供に戦わせていることに疑問はあるのだが、言った所でしょうがない。彼に掛けるべき言葉は一つだろう。
「立派なヒーローになるんだよ」
翔はそれに元気よく、おうと答えた。
●
報告の為、覚者達は研究室を出た。ただ、一人を残して。基と正美だけになった研究室の中。正美は基の方を向き、椅子に深く腰掛けた。
「聞きたいですか?」
「是非」
基は甥がいないことを確認してから言った。彼の口から出たのは、甥への愛情だった。自分にない純粋さを持ち、強い彼が羨ましいと。でも、だから潰されたら怖いと。
「僕はずる賢いですから。知恵を貸しあって彼を守りたいんです」
あの眩い光を守っているのは、この暗くも温かい影だったか。
しんとした部屋の中、真剣だった基は次の瞬間「甥に格好いい所見せたいのも……」と今までの真剣さを崩して言う。正美は思わず笑った。
「あ、そうだ」
基が研究室を出る前。ぽつりと零す。
「お盆にキュウリに乗って帰って来る身にならないでくださいね? ……皆がどんな顔をするか」
キュウリ。ああ、そういうことか。
「分かりますか」
完成させた論文、正美や研究室の様子。鋭い直観を得た刑事の基はそれらに違和感を覚え、思った。
憤怒者に襲われずとも自殺するつもりだったのでは、と。
正美はまた笑った。
「夢見に自由はほとんどありません。生活は保障されますが、学園から外には簡単に出られない。私にはそれが怖かった。それでひと段落つけて……公園で死んでもいいと思ってました。でも、そこで思ったんです。生きていればまた、いつかここに一人で来れるかなと」
馬鹿げたことが起こるのが人生だ。
それだけを信じて彼は非覚者の自分を殺し、夢見として生きる。
「私は幸せ者です。こうやって命を支えてくれる人が見えるんですから」
風はない。スコープの先に見える青年に照準を合わせる。あとは、引き金を引くだけ。
その瞬間、彼を襲ったのは眩いばかりの稲妻だった。それが始まりだった。
●
ここは五麟市内某所のビル屋上。『不屈のヒーロー』成瀬 翔(CL2000063)の術式に、狙撃者はすんでの所で気付いて避ける。
「狙撃に失敗した。撤退する」
初撃を外して翔はくそっと悔しそうに言う。だが、今度は狙撃犯の後ろから黒い影。『エリニュスの翼』如月・彩吹(CL2001525)の姿だ。
ビルよりも高く飛び、重力加速度を得て凶器の鋭さを得た彩吹の一撃は、狙撃者を貫くことは無い。
ただ、その手に持っていた銃を破壊するには威力は充分過ぎた。
ばきり、と音が響いた。
●
晴天に、雷鳴が響いた。
菊本 正美の周囲を憤怒者達が取り囲む。突然の出来事に頭が追いついて来ない。
そこにまた突然、地響きが鳴り響く。
「がっ!?」
困惑する憤怒者達。『狗吠』時任・千陽(CL2000014)の放った術式が陣形を大きく崩したのだ。
そこを突破し、東雲 梛(CL2001410)が正美に突撃。強制的に彼を伏せさせる。更に『鴟梟』谷崎・結唯(CL2000305)が正美の周囲にシールドを展開させる。
そこを、覚者達が正美の周囲を囲んだ。
「お好みの部位はどこかね?」
緒形 逝(CL2000156)は禍々しい刃から無数の楔を撃ち放つ。数名の憤怒者の身体が硬直した。
そこを狙って、八重霞 頼蔵(CL2000693)の連撃が地面を巻き込み抉り、『凡愚の仮面』成瀬 基(CL2001216)の拳が一人の憤怒者を突き飛ばす。
「梛、早く准教授を……」
正美の傷を確認して『慧眼の癒し手』香月 凜音(CL2000495)がそう言った直後の事だった。
スコールは、去った。彼等は任務失敗を早急に悟り、撤退したのだ。
一切の証拠を残さずに、煙の如く。
●
予想以上の引きの速さだ。そう困惑した覚者は多かっただろう。
「で、さ。オレも彩吹さんもていさつしたんだけどそれらしいのナシ。ライフルの部品もなかった」
「それならいいよ。早くおいで」
翔からの連絡を受け、基はそう言うと電話を切った。
本当に、消えた。不意打ちや感情を感知する技能を持った逝に視線をやると、彼も首を横に振る。
で、くだんの准教授は覚者達に囲まれたままだった。
突然の出来事で正美は溜息を盛大に一つ。
「以上のようなことでして」
千陽の大方の説明に、ああそうかと上の空だ。
「私はさっきの襲撃がイレブンだと思っている」
おまけに結唯の言葉にぽかんとする。
「その可能性も含め、心当たりなどをお聞きしたいのです」
千陽の問いに正美の答えは単純だった。
全部分からない。人に恨まれる理由が万が一あるとしたら確率解析の講義で学生に追々々々々々々試まで課したぐらい(それも落第させたくなかったからだが)で、それ以上はないと。
「……文字通り晴天の霹靂だ」
「誰の差し金かはしらねーけど、突然殺されるって理不尽だろ」
翔の言葉に、正美はキーホルダーのサイコロを親指でさすりながら頷いた。
「何はともあれ、無事でよかった」
彩吹に差し出された手を握りしめて微笑みを返し、ゆっくりと立ち上がって、服に着いた土埃を払う。
途中正美は頼蔵と目が合って会釈をしたが、向こうはこちらに興味がなさそうだ。
「あのー」
そこで声を掛けたのは、基だった。指令が軽くやり込められたと聞いた以上、迂闊な事は言えない。直観を鋭くする技能で彼の様子を見ながら、気を遣って口を開く。
「立ち話も何ですし、研究室にお邪魔しても……?」
あまりの恐縮っぷりに青年はくすぐったそうに笑って頷いた。
「ええ。私も皆さんにお聞きしたいことがあるので是非」
「小難しい話はできねーぜ?」
凜音の言葉に青年は再び笑う。そこで梛と目が合って、正美は微笑んだ。
「さっきはありがとう。……撃たれないように守ってくれたんだね」
梛が頷いたのを見て、正美は親しげに頷きを返した。
●
道中、大学までの2kmほどある道のり。正美の先導で、彼等は歩いていた……のだが。
先頭を歩く基が正美から距離を取っているので、結果正美だけが先を進んで後ろを覚者達がつけている形だ。
「どうかした?」
梛の言葉に、基は機械の指で頭を掻きながらいやぁとだけ。
「そっとしておきたくて」
「安全が最重要では?」
千陽の指摘に基はがっくりと項垂れる。
「でも怒らせたらまずいよ……指令がああ言うって珍しいじゃん」
「指令はともかくとして、それらしい感情もないしいいんでない?」
逝が再び感情を探査しするが、一切そういったものは感じない。……ただ、正美を除いて。
正美の名状しがたい感情を逝は語らなかった。
頼蔵も相変わらず何も言わない。
結唯は彼を仲間に入れることを考えるが、今の彼の空気には何も言えない。
2月初旬の冷たい空気が、髪を撫でる。
正美が京の街並みを静かに眺めて歩く様を見ていた翔が静かに一言。
「じーちゃんみたい」
「確かにな」
凜音が言った後、梛が首を傾げる。
「この間会ったとか聞いたけど、あんな感じだった?」
「いや……」
今度は彩吹が答える。
この間は、本当に学生にしか見えなかった。だが今の様子は、過去を懐かしみ噛みしめる老教授のようだ。
何なのだろう。まるで、周囲の空気や風景さえ過去に戻っていくように見えた。
「相対論の体現者、って『彼』が言ってたけど」
「アインシュタインだね」
彼女がポツリと言った言葉に、増強された知識を持つ基が返した。
「でも時間の逆行は否定されてなかったっけ?」
だが、人が突然若々しく見えたり老け込んだりすることはある。
彼を老け込ませたのは、一体。
●
菊本研究室。数理物理の研究室だ。凜音と彩吹はここを訪れるのは二度目である。
「これ何なんだ?」
カチカチと動くニュートンのゆりかごを興味津々で見つめる翔に笑いながら、正美は全員分のパイプ椅子を用意して座るよう促した。
「基さん?」
さっきから座らず研究室の様子を見る基に、彩吹が声を掛ける。
「この間はもっと雑然としていたよな」
今度は凜音が言う。確かに以前に比べて相当整然としている。正美はそれに笑った。
「掃除したんだ。心境の変化かな」
心境の変化。それに首を傾げる基。それを気にせず正美は椅子に座って言った。
「是非皆さんにお聞きしたいんです。何故、FiVEに来たのか。そして何故今戦っているのかを」
●
笑いだした頼蔵に、正美は驚く。
「何、対価を支払っただけだよ。観客として特等席に居る為のね」
そして続いた言葉に眉根を寄せた。
化け物、そして人。それが織りなす欲望の渦中で、何が起こるのかを見てみたいと。
高みの見物が好きなのだろうと彼は思った。蓼食う虫も好き好きだ。決して否定はしない。
だが次に出てきたのはFiVEへの誘い。そして
「理屈を捏ねて考えたふりをしているよりも、余程知りたい事が観得てくる筈だよ」
その言葉だけは看過できなかった。用事があると言って立ち上がる頼蔵に、正美は低い声で言う。
「私達は常に好戦的な人種だ」
頼蔵の背は止まったまま。
「愛する真理の為に渦中に身を投げ、思考は全てを疑い、言葉は殴り合いの議論を好み、行動は偏執的です。尤も、先人達に比べれば私は考えたふりでしょうけども。……ああでも、でしたら貴方は三次方程式の解の公式にまつわる確執なんて好きそうだ。今度是非数学史の講義を見に来てください。きっとお気に召します。……この後の用事よりも」
頼蔵がこちらを見る。正美は純粋な青年の笑顔を返す。
ただ、その視線だけが頼蔵の心をも平然と凝視した。まるで、場外から罵声を浴びせられたレスラーがリングの外の観客に襲い掛かってきたかのように。
「科学や数学が好きな人が増えると嬉しいので」
それは確かに本心だったのだが、ドアは「好きにしろ」と言わんばかりに閉まる。
頼蔵の用事が何なのかは、正美は全く知らない。ただ偶然にも用事、つまり浮気調査が頼蔵の興味を惹く結果でなかったことだけは言及しておく。
●
「自分にとっては任務ですので」
それ以上でもそれ以下でもない。愛する国を守る為、FiVEだろうが何だろうが変わらないと。千陽にそう言われたが驚きはなかった。
「こちらも聞きたいことが」
「はい」
やや強めの語調に正美は少し声のトーンを低くした。
「何故貴方は自分で親友を助けに行かなかった」
空気が、止まった。正美は僅かに視線を逸らし、息と共に吐く。
「辛辣だなあ」
千陽は知っているのだろうか。
13年ぶりの再会が遺体だったことを。そもそも夢見は未来に干渉できないことを。それでも彼は警察に必死に助けを求めたことを。当時彼は勤務先の大学で嫌がらせを受け、精神安定剤を服用していたことを。結果警察に相手にされなかったことを。それが皮肉にも真実を単なる噂にし、非覚者としての生を21年も長らえさせたことを。
そしてそれらを全部飲み込んで出てきたのが『辛辣』の言葉であることを。
「でも少し分かった。君が戦う本当の目的が」
千陽を真っすぐ見据えて言う彼の顔は、青年のものではない。
「『守る自分』を守るためだ。任務や国はあくまで手段。だから君がどこに居ようとやることは変わらない。だから私の疑問を呈する態度が不可解だし、『助けなかった』という過去の一側面にこだわる。違う?」
そう言ったのは、老成した教育者だった。
否定はしない。ただ、茨に踏み込み平然と傷つく彼の姿が見えた気がする。
●
一度しか言わないぞと逝に断られ、続いた言葉に正美は豆鉄砲を食らった鳩の気持ちになった。
「『おっさんは故人の真似をしているのよ』でも『俺は第2の故郷たるこの国と人民を守る為に、この組織を利用している』そして『私はこの組織を観察中である』」
思わず沈黙。鳩は辛いなという謎の感想が頭を過ったが、それを振り払う。一人称は故人の真似か。
そんな困惑を逝は拾ったのか、言う。
「疑問を持つのはいい事さね」
「ええ」
「でも知らない方が良い事もある」
「それは多分無理だ」
最初に知ろうとしなければ、この世界を取り巻く問題は解消されない。それが偉大な先人達の態度だ。
「私も故人の真似をしているんですよ」
貴方の真意とは違うかもしれませんが。そう付け加えて彼は逝を見たが、生憎バイザーで視線は隠れている。
「准教授ちゃん、無理は禁物よ?」
「ご忠告痛み入ります」
疑問は持つ。でもそれは身の丈に合ったものだけだ。この男の謎は、自分の器を超えている。それを知って十分だ。
●
「俺は逃げてきただけ」
梛のその返答に、心がちくりと少し痛んだ。
発現したことで周囲から疎外され、接してくれた親友は自分を庇って寝たきりのまま。そして辿り着いたのがここなのだと。
同情するのも憚られる。だが、戦うのはそれでも進みたいからと言った時、ようやく年相応の少年が見えた気がして安堵した。
外見が、自身を守る為の心の鎧に見えた。
「聞いて何が知りたいの?」
「詮索だと思ったのなら謝るよ」
聞いたこと自体申し訳ないと続けて、言う。
「物理法則のように個人には原理があると思う。それを知りたい。学生達にも何で学びたいかを聞いてるよ。『単位』って露骨に言う人もいるけど、否定はしない」
単位は大事だし。軽くおどけて続けたとき、梛の表情が僅かに緩んだ気がした。
「私は分からず屋だ。関わるために不器用でも尋ねる。矛盾は指摘する。中さんにFiVEに誘われた時も一緒だ」
友達、早く良くなるといいね。自分が酷い目に遭うより辛いものがあるし。そう続けて話を終わらせようとしたとき、梛はこちらを見据えていた。
「……あんたはどうしてここにいるの?」
誤魔化しは効かない。正美は素直に言った。
「FiVEに行かない理由があったから。矛盾であったり。自由であったり。論文が完成した今は分からないね」
●
「私は超常的な存在の情報を集めている」
結唯はそう言ってから、話を続けた。
彼等は何らかの価値観や考えを持っている。正義かどうかはどうでもいい。ただ、それの命の輝きを見たかったと。
そしてFiVEに入ったのは、一枚岩ではないからと。
それは危険だとも思うが、無数の輝きを見られるからいいのだと。
饒舌で、やや熱っぽくも感じる彼女の言葉。そして輝きや多様性という単語に正美は何となく、宝石箱を連想した。それは確かに魅力的だ。
キラキラと輝くものを見つめるのは正美も好きだが、彼女には何となく合わないなとも思って、内心撤回をする。
「菊本の輝きも見たいものだな」
答えが彼女の真意かどうかは、彼は判断しかねる。ただ、間違いなく自分をこちらに引き入れたいというのははっきり分かって、彼はくすぐったそうに笑った。
「私ですか? 私自身よりも私が見ている世界の方が絶対面白いと思いますよ」
そうは言いつつも、彼は思う。もしこの言葉の一部でも真実なら、彼女は自分と相当な同類だと。
●
「また会えたね」
彩吹を見て、正美は笑った。約束通り感謝の言葉を述べてから聞く。彼女は小首を傾げた後、答えた。
「私は、こんな翼を持っているから」
その言葉に『彼』の顔が思い浮かんだが、彼女は直後翼に不満はないと言った。少し安心だ。
だが、不思議には思うのだと。力の所在も、覚者や妖が何故いるのかも不思議なのだと。
「FiVEにいたら それが解るような気がしたからかな? ……答えになってます?」
「うん。十分だ」
少年のように無邪気に正美は笑う。彩吹もつられて笑っていた。
「聡い君ならきっとできる。私は考えることしか出来ないけど、力になるよ」
「ありがとうございます。それと」
「?」
「先生を助けたのは任務じゃない。私がすると決めたから」
凛とした発言に、正美はまた笑った。
この世はやはり捨てたものじゃない。自分の命は、他人によって支えられている。
「本当に、ありがとうね」
●
「その節はどうも」
彩吹に続き、正美は凜音に感謝を言う。凜音も頭を下げたのを見て、本題に入った。
「刺激が欲しかったんだよな」
刺激。それが彼の答えだった。家と学校の往復で飽きていたのだと。最初はこの力の研究機関としか思ってなくて入ったそうだが、いつの間にか戦いに巻き込まれたらしい。
「それは何とも困ったね」
だから正義なんてどうでもよくて、だがそういうのを目指す連中は嫌いじゃないと彼は続けた。
「だから癒すことで皆の手助けをしましょうかね、と」
大したことなくて済まないなと付け加えられて、正美は遂に噴き出した。
「爺臭いなあ」
率直な感想が口を突く。
「別にそれでもいいよ。でも、君まだ18ぐらいだろ?」
ただ、あまりの緩さに正美は失礼だと思いつつも腹を抱えて笑った。
「爺臭いのはあんたもじゃね?」
「人は誰でも色んな年齢の自分を飼っているからね」
●
翔の回答は素直だった。
力の使い方を知りたかったから、そして家族を守るため。そこから彼の目が大きく輝いた。
「今はヒーローになるために戦ってるんだ!」
FiVEなら、自分達が起こるであろう悲劇から人を救うことが出来る。そして、自分には守る為の力があるのだとも彼は誇らしげに言った。
「この力はそのためにあると思ってるしさ!」
彼の顔は自信に満ち溢れ、眩しい。圧倒される。
「辛くない?」
「音をあげたらヒーローが廃るだろ?」
「そうだね」
彼を彼たらしめているのはその理想像なのだろうか。『敵をやっつける』だけで済む話ばかりではない筈だ。何度傷付きながらも、理想を目指しているのだろうか。共感する部分は多い。
子供に戦わせていることに疑問はあるのだが、言った所でしょうがない。彼に掛けるべき言葉は一つだろう。
「立派なヒーローになるんだよ」
翔はそれに元気よく、おうと答えた。
●
報告の為、覚者達は研究室を出た。ただ、一人を残して。基と正美だけになった研究室の中。正美は基の方を向き、椅子に深く腰掛けた。
「聞きたいですか?」
「是非」
基は甥がいないことを確認してから言った。彼の口から出たのは、甥への愛情だった。自分にない純粋さを持ち、強い彼が羨ましいと。でも、だから潰されたら怖いと。
「僕はずる賢いですから。知恵を貸しあって彼を守りたいんです」
あの眩い光を守っているのは、この暗くも温かい影だったか。
しんとした部屋の中、真剣だった基は次の瞬間「甥に格好いい所見せたいのも……」と今までの真剣さを崩して言う。正美は思わず笑った。
「あ、そうだ」
基が研究室を出る前。ぽつりと零す。
「お盆にキュウリに乗って帰って来る身にならないでくださいね? ……皆がどんな顔をするか」
キュウリ。ああ、そういうことか。
「分かりますか」
完成させた論文、正美や研究室の様子。鋭い直観を得た刑事の基はそれらに違和感を覚え、思った。
憤怒者に襲われずとも自殺するつもりだったのでは、と。
正美はまた笑った。
「夢見に自由はほとんどありません。生活は保障されますが、学園から外には簡単に出られない。私にはそれが怖かった。それでひと段落つけて……公園で死んでもいいと思ってました。でも、そこで思ったんです。生きていればまた、いつかここに一人で来れるかなと」
馬鹿げたことが起こるのが人生だ。
それだけを信じて彼は非覚者の自分を殺し、夢見として生きる。
「私は幸せ者です。こうやって命を支えてくれる人が見えるんですから」
■シナリオ結果■
成功
■詳細■
MVP
なし
軽傷
なし
重傷
なし
死亡
なし
称号付与
『黒き影の英雄』
取得者:成瀬 基(CL2001216)
『白き光のヒーロー』
取得者:成瀬 翔(CL2000063)
『命の支え』
取得者:如月・彩吹(CL2001525)
『在る様は水の如し』
取得者:香月 凜音(CL2000495)
『静かに見つめる眼』
取得者:東雲 梛(CL2001410)
取得者:成瀬 基(CL2001216)
『白き光のヒーロー』
取得者:成瀬 翔(CL2000063)
『命の支え』
取得者:如月・彩吹(CL2001525)
『在る様は水の如し』
取得者:香月 凜音(CL2000495)
『静かに見つめる眼』
取得者:東雲 梛(CL2001410)
特殊成果
なし

■あとがき■
関わる以上知りたい。この分からず屋の准教授はそのために体当たりで聞き、問いに正面から答えました。
なので彼はPCの皆様には悪い感情は抱いていません。
一部の方は流れでお分かりかと思いますが、今後品部のシナリオでは彼が主に説明を担当させて頂きます。色々と個性の強い夢見ですが、彼も依頼を通じて何かを得たり変わったりするかもしれません。
また彼に会うことがあれば、その時は品部共々よろしくお願いします。
なので彼はPCの皆様には悪い感情は抱いていません。
一部の方は流れでお分かりかと思いますが、今後品部のシナリオでは彼が主に説明を担当させて頂きます。色々と個性の強い夢見ですが、彼も依頼を通じて何かを得たり変わったりするかもしれません。
また彼に会うことがあれば、その時は品部共々よろしくお願いします。
