●七月七日の出来事 戦いの余韻も冷めやらぬ七月初旬―― 急激な気温の上昇と共に梅雨の気配も遠ざかり始める頃である。 七月七日がまたやって来る。 七夕と呼ばれる風習はアジア圏における節供、節日の一つだが、この日それに妙な興味を示したのは些かくたびれた欧州人である所の『塔の魔女』アシュレイ・ヘーゼル・ブラックモア (nBNE001000)だった。 「だって、ロマンティックじゃないですか。 織姫様と彦星様は一年に一度しか逢えないのでしょう?」 「星に願いを、か」 「はい。願いたい事なんて誰にも山程ありますよ」 戦勝祈願、世界平和、恋愛成就、何でもいい。 世界がどれ程傷んでも、そこにどんな事情があろうとも。時は等しく流れ、平等に人を先へと押しやっていくものだ。日常と非日常の境目は紙一重だ。胡乱とした運命は恐らく誰の覚悟を待つ事も無い。 なればこそ、リベリスタはまさに『生きなければ』ならないのだ。 馬鹿馬鹿しい程に、死の運命の間近に立とうと言うのなら。 「……お前にも願いが?」 「あっはっは、願いの無い人間なんて居ませんよ! 『それが人間である内は』!」 笑い飛ばしたアシュレイは言葉を続けた。 「三高平の人達は素敵な日をどんな風に過ごすのかなーって思ったのです。 ああ、いえ。アシュレイちゃんの誕生日が七月二日だった事なんて、今回に特に関係ない唯の事実なのですよ。アシュレイちゃんの(ピピガガ)歳の誕生日は、発泡酒にするめいかでしたけど特には!」 アシュレイの言葉にリベリスタは苦笑した。 七夕の日は『特に何も無い』ただの日曜日だ。しかし、その休日を過ごすリベリスタ達は普段とは少し違う顔を見せるかも知れない。 これは、そんな有り触れた一日を少しだけ覗く群像劇―― |
■シナリオの詳細■ | ||||
■ストーリーテラー:YAMIDEITEI | ||||
■難易度:VERY EASY | ■ イベントシナリオ | |||
■参加人数制限: なし | ■サポーター参加人数制限: 0人 |
■シナリオ終了日時 2013年07月24日(水)22:35 |
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●七月七日I ベルジァネッツォ主義論理哲学研究会は華やかだ。 ――雨音は夏の夜を飾るレインドロップ 可憐な水滴の奏でる千変万化のオーケストラ わたしのハートに切なく響くの! ああ、なんてロマンティックなのかしら! 世の中は大抵意地悪で理不尽な様に出来てはいるのだが…… 「だから、雨降ってよ! GO! GO! ゲリラ豪雨!!!」 織姫と彦星の遠距離恋愛を邪魔するのは忍びない――実際に居るのかも知れないし、居ないのかも知れない神様が、伴天連やら織姫やらアレ気な炎を燃やすのに忙しい舞姫のハードでロックな願いの程を受け入れなかったのはどうやら間違いないらしい。 「人の恋路を呪詛ってる状態じゃなきゃロマンチックな歌詞だねって言えなくもないんだけどねー」 苦笑い混じりに笹に短冊を吊るす終がまさに地団駄を踏むかのような舞姫に困ったように呟いた。【熱海 the RAINMAKER】――熱海の名のつく人々の日常は平時でもそうでなくても変わらないらしい。 「あはははは。わたしいがいのだれかがしあわせになるなんて、ゆるせないもの。 みんなみんな、ぼっちになるといいのよ。わたしとおんなじになるといいのよ」 「社会に迷惑を掛けるだけじゃなくて伝説にまで迷惑掛けるのやめましょうよ!」 梅雨明け間際の暑さと湿度にヤられて平仮名の増えた舞姫にすかさず京子が突っ込みを入れる。 「はい、京ちゃんも短冊どうぞ☆」 「ありがとうございます! 仕方ありませんねぇ! しょうがないので――もう私が戦場ヶ原先輩代わりに願い事書いてあげます!」 移り気な天気よりもハッキリと随分なイメージチェンジを果たした京子が胸を張って何やら短冊を吊るし始めていた。 ――彼氏欲しい彼氏欲しい彼氏欲しい×100 舞姫 ……ある意味で他人への余計なお世話が極まったかのような断定だが、恐らくはそれは正解なのだろう。 はてさて、冒頭から酷い連中はさて置いて。 この日は七月七日――アジア圏における節供、節日の一つ。つまりは七夕であった。 それは極当たり前にやって来る日曜日、普段と変わらない筈の日曜日。 されどイベント事となればそれぞれに事情や想いが募るのは必然的である。 三高平各所には今日も悲喜こもごもの顔が溢れている。今日語られるのはその一部。覗き見る事が出来るのは極々一部だが――それは愉快でもあり、感傷的でもあり、 「ガッデム!」 ……馬鹿馬鹿しくもあるのである―― ●七月七日II 舞姫の願い虚しく良く晴れた空の下―― 「笹飾り――そっか。もう七夕なんだね」 ――街をぶらついていたアリステアは人だかりの笹飾りを見てそんな風に呟いた。 「あー、今日は七夕か。そうか」 七月七日は日曜日。七夕という意味は知っていても特に変哲の無い日曜日である。傍らを歩き自身の顔を見上げたアリステアに頷いた涼は何気ない彼女の仕草に微笑んだ。特に何をしなければならない、何をしようとも思わない時間も並んで歩くには重畳である。ふと出歩いた先で見かけた『ちょっとしたイベント』は時間に彩を添えるに十分であると言えるだろうか―― 「折角だから何か書いて、お願いしていく?」 「せっかくの七夕だし、ね。笹の揺れる音は涼しくていいや」 繋いだ手の引っ張る極々ささやかで可愛らしい『おねだり』を当然涼は肯定した。 「何を書いたって?」 はにかむアリステアの反応は実に瑞々しく少女らしい。 「……『涼が大怪我することなく、ちゃんとお仕事からいつも帰って来てくれますように』かな」 「……心配かけないよう善処するよ」 「むう」 願い事を例えば分かり易く言うならば――『来年も一緒に七夕を過ごせる事』とか。 全くささやかで、重要な話である。 「家族は出かけちゃったから――今は私とスケキヨさんだけだよ!」 「ルアくんと二人きり……」 「そう。だから、嬉しいの!」 (……大丈夫! ボクは紳士だからね!) 「? ……???」 素晴らしい笑顔で信じられない程に無防備な台詞を吐き出したルアにスケキヨは軽く笑った。 笹を飾るのはルアの家。弟の居ない間に『お邪魔した』彼女の家の庭には大きな笹が用意されている。 「ルアくんはどんなお願い事にしたんだい?」 「ウッドデッキから飾れるわ。……まだ見ちゃ駄目よ? 内緒なのっ」 桃色のペンを握ったルアが楽し気なスケキヨから手元を隠す。 ルアは願い事を隠したままにしたかったけれど、彼女が一生懸命短冊を結んだ『高い所』も長身のスケキヨからすれば簡単な位置である。ぴょんぴょんと跳ねての抵抗虚しく意地悪く短冊を覗き見た彼に彼女は唇を軽く尖らせた。 (何があっても、どんな戦いがあっても、ルアくんの所に絶対に帰って来る) 永遠を望み、恥ずかしそうに抱きついてくるルア。 自分には何が出来るか考えて――スケキヨは願うより天に誓った。 「ルアくんがずっと笑顔でいられますように」 ●七月七日III 「ええと、本日夜に嵐を呼ぶ方法は……」 喜べ、舞姫。ここに援軍が居るぞ、塔だけど。 自宅で昼間から酒をかっ食らう、人生に疲れたOL(他意はありません)のような推定三百歳の自宅を訪れた恵梨香は既に展開されていた圧倒的な駄目オーラにその柳眉を軽く顰めていた。 「美少女キタコレ!」 「……当日には間に合わなかったけれど、『友人』としてお祝いを言いに来たわ」 酔っ払いの妙なテンションに『フィクサードに対するものとしては最上級の評価』を口にした恵梨香が花束を差し出した。花より団子、豚に真珠、何でもいいがアシュレイの様はどうにも恵梨香に自身のセレクトに疑問を持たせるには十分ではあったのだが―― 「わあ、綺麗! ねぇ、皆さん!」 ――ケラケラと笑うアシュレイは満足しているようなので恵梨香はその疑問を引っ込める事にした。 「……初めて上がったけど、アシュレイちゃんはもう少し家の掃除をした方が良いと思うよ」 辛うじて『無事』なスペースに座った義衛郎が呟いた。市役所職員らしい几帳面さを見せた彼の『急場しのぎ』により室内はそれでも幾らか『マシ』な状態になっていた。机の上には彼が持ち込んだ小さめのバースデーケーキがカットされている。 (年齢は触れぬのが女性への礼儀……) 勿論、ケーキ上で無理無茶な数になる蝋燭は三本(と小さな二本)に『集約』されていた。 尤も―― 「ハッピバースデートゥーユー! さぁ、一息で!」 ケーキとは別置きに色彩豊かな蝋燭をうにのように突き刺した恭弥やら、 「あははー☆ 三百うん歳の誕生日おめでとー☆」 「女の子には大切な事です!」 「ちちまじょさん。推定三百二歳の誕生日おめでとう。推定三百二歳の誕生日おめでとう。 なんか年齢も推定って聞いたから、ちゃんとつけた方がイイかなって。 あと大切な事は二回言うのが習わしだと聞いた。様式美大切。様式美大事」 「……女の子には……」 「魔女にとってはもう一年なんて誤差でしょ?」 空気を読めない、或いは読まない葬識やいりすのような連中やら『正面突破』な連中も当然居るのだが。 「お誕生日、おめでとうございました、おっぱいさん。 ……失礼、余りにも立派なアシュレイでしたので、うっかり」 「しかし誕生日当日に言ってくれれば、ご飯くらい奢ったのに――」 「――可愛い彼女が居る男は皆ご飯くらいはまでなんですよ!!!」 暗い目をしたアシュレイの空気をすかさず義衛郎がかき回す。 しかして、そんな彼に向くアシュレイの悲痛には多分何処かで『可愛い彼女』はくしゃみの一つもした事であろう。 「……この間は世話になった。今日はその礼も兼ねて、な」 「いえいえ、どーも」 「何れは敵となるやもしれん相手とこうして過ごすのは不思議なものだが…… 共に過ごした思い出は残り続け、それがいつかはかけがえのないものとなると信じている」 クールに、しかし穏やかに笑った優希の言葉には恵梨香も一つ頷いた。 鼻腔をくすぐるのはそんな彼がプレゼントにと贈ったローズティーの穏やかな香りである。 「しかし、驚きました」 恭弥の言葉にアシュレイが首を傾げる。 「余りにも自然かつ堂々と三高平に居るので、『あのアシュレイ』だとは思いませんでした。 師より話は伺っております。師が会った事のない有名人にこうも易々と会えるとは、流石アークですね。 どうですか。私の奢りで如何です? 子作りを前提に旅行でも――」 「まあ、毎年祝うのはいいんじゃない? 殺人鬼だって人の誕生はお祝いするよ、生まれて来てくれてありがとう。 愛でもってその生命を狩りとることができたら――どんなに幸せなのだろう、ってさ」 「今年が、ちちまじょさんにとって、イイ年になるとイイね。 それが此方には最悪な年に為るのかもしれないけど。 ま、それはそれで面白そう。そも、ちち魔女さんてさ。人に踏み込まれるの嫌いなくせに、いつも意味深だよね。なんて言うか、一人でなければ生きられないくせに、独りでいる事に耐えられないタイプって言うか?」 恭弥、葬識やいりすの怒涛の言葉にアシュレイが少し居心地悪そうに頬を掻く。 当たらずとも遠からず、何とも本人が肯定するには歯痒い台詞を恐らくいりすは『わざとやっている』。 「意味深っていうか、まぁ。女の子には色々あるんですよ」 苦笑して言ったアシュレイに恵梨香は問う。 「貴方も長らくアークに身を寄せて、最早他人とは呼べない間柄でしょう? 良き友人としての関係を継続する為にも――隠し事や出し抜きは無しにして貰えないかしら?」 「私が言っても、誰も信用しないですよ」 アシュレイは困ったように冗句めいた。 「それに、出来ない約束はしない主義なんです」 甘いケーキを頬張って、素敵な紅茶で一時を過ごす。 彼女がいそいそと発掘した花瓶に花が綺麗に飾られて――『孤独な魔女』の誕生日は『友人』に囲まれたものになる。それでもアシュレイはアシュレイのままなのだろうか? ●七月七日IV 「今日は年に一度きり、オリヒメとヒコボシが会える日。 ……どんな気持ちなのでしょう。晴れて良かった、ですよね」 「ああ」 リリと鷲祐は初夏の空を見上げてからセンタービルに足を踏み入れた。 「今日は、お願い事をしても良い日、なのですか?」 「無論。その為の七夕だ」 鷲祐は頷いて小首を傾げたリリを見た。 (この女……娘といってもいい顔のこいつは、世界を引鉄で感じて生きてきたのか。 幸せの価値観を論じるつもりはない。しかし、せめて――せめて。 これから手にする短冊が――形を為すことを願わずにはいられんか) アーク本部はイベントの度に賑やかだ。 それはリベリスタ達のノリが良い事もあるし、何かと仕切りたがる沙織や桃子のバイタリティが素晴らしいからでもある。 「オレ、タナバタ初めてなんだよなァ……でも何か知ってるぜ! 年に一回しか会えない夫婦が、笹と引き換えに願い事を叶えてくれんだろ?」 色々混ざりに混ざったコヨーテは多分七夕を勘違いしている。 「願い事は……そうだなァ。 絶対に負けたくねェ! って言いたいトコだけど、ソレは自力でなんとかするヤツだし。 人に貰った力でケンカして勝っても、なんかなァ。絶対ェつまんねェだろ、ソレ。 だからそうだ。『イヌになりたい』!」 そんな彼の願いは何処から突っ込んでいいか分からないもの。 「『目標:目指せ、あのプールで1000本ひにゃ泳ぎ』」 ヒロの短冊の行く先ををやみは絶対にお勧めしない! 「俺の願いは最初から一つだな」 薄い胸を堂々と張るラヴィアンは実に彼女らしく竹を割るように言い切った。 「最近はバロックナイツだの七派首領だの、すげー強い奴らが出てきてるけどよ。 目標はでっかく! いずれ奴らに追いついて、追い越してやんよ。『世界最強』!」 次々と飾り付けられていく短冊は見目にも綺麗である。 「年に……一度の……楽しい……行事。皆で……飾り付ける……のは……楽しい……」 カメラを片手に短冊を片手に『記録しながら記憶する』エリスも時間を楽しんでいた。 「一年に一度会うことが出来る恋人達……ね。 夜空に輝くベガとアルタイルに物語を見出す昔の人ってロマンチック。その星に願いを届けようとする風習もね? 本人達には可哀想だと思うけれど、ちょっと素敵ね――」 冗談めかして言った糾華がぺろりと小さく舌を出す。 「――でも、私は遠距離恋愛なんて無理だけど」 「私達は、引き離されないように……頑張って、日常を守っていきたいです……!」 「よしよし」と頭を撫でた糾華にリンシードが実に分かり易い気合を入れていた。 アーク本部を訪れた面々の中には実に微笑ましく互いの短冊を見せ合う乙女の花園【黒蝶館】の少女達が居た。 「七夕か、願いを書けば叶うよっていう験を担ぐイベント、といったら浪漫が無いか。 物騒な昨今今願うならば世界平和なんだろーけど……」 「私が短冊に書いた願い事はっその『世界が平和になりますように』ですよ。 リベリスタの皆が命懸けで守ってきたこの世界。 いつか自信を持って『もう大丈夫だよ』って言える日が来ればいいなって思いますから――」 琥珀に答えたセラフィーナの願いは彼女らしいと言えば彼女らしい。 「……そうだよな。どんな苦境でも怯えて籠るのはナンセンスだし。 未来を信じて一日一日を楽しむってのが健全な生き方だ!」 『アークの置かれた現況』を身をもって知った琥珀も一層ポジティブに短冊を書いた。 「面白い事が起こりますよーに!」 「しっかし、こんなもんどっから調達してきたんだ桃子は?」 「それにしても大きいですねー。時村さんちの本気を感じます」 桃子が調達した笹はしみじみと言った翔太と輪が見上げる程大きい。 アーク本部に飾られたそれはこれでもかという程の存在感を誇っている。 「……ま、言わぬが花という言葉もある。 そこには触れないようにしたほうが良さそうかな。普通に七夕を楽しむとしよう」 頭をぼりぼりと掻いた翔太は一瞬思考を巡らせかけ、余りの不毛にそれを辞めた。 そこに無体な要求をした桃子と悪乗りで本気を出した沙織の競演があったのは想像に難くないストーリーか。 「りんにはまだ好きな人とかいないから…… 恋人さんたちの甘く切ない気持ちとかまだよく分からないけど。いつかいい人ができるといいなー。 出来ればてんとうむしみたいなひとがいいなー。痩せててぎゅっと抱きしめたら折れちゃいそうな……えへへ♪」 ……何気に怖い事を言う輪の一方で、ニコニコしているのは旭であった。 『みんながずーっとにこにこしていられますように』 短冊に書いた『一つ目の願い』をまず自らが実践する彼女は「もういっこ!」と二枚目を欲張った。 その願いは『七夕の夜は晴れになりますように』。冒頭の人の真逆を行く……いや、辞めよう。 「書き終わった短冊は高い所に飾らないと……!」 勿論と言うべきか『大好きなお姉様と永遠に離れる事がありませんように』と願ったリンシードにはかつての幸薄いシリアスキャラの面影は無い。何ていうか極めて――なリンシードさんの如しである。 「……それで、悠里は何と書いたのですか?」 『ちょっとしたずる』もきっと天使ならば許される。 その背の羽を使って大きな笹の天辺に短冊をくくったカルナが改めて恋人の顔を見た。 「うーん、秘密かな」 口元に人差し指を当てて笑顔で。 口に出すのは恥ずかしいし、口に出さない方が叶いそうだ――それが悠里の言い分である。 「それで、カルナはなんて書いたの?」 「……これで私が言ったら悠里のずるです。私も勿論秘密です」 睦まじい恋人同士の考えている事は大差無く、その答えをここで改めて記す事にも殆ど意味は無かろう。 「大きな笹はいつ見ても迫力がありますね……! 中国では大抵八月に入ってから七夕をするんで、こっちに居ると少し早めに楽しめて得した気分になるデスよ!」 「地域によっちゃ八月にやる場所もあるらしいな」 「日本でもそうなのデスか!」 「うむ。そういう事もある」 少し興奮気味のシュエシアに翔太が口を挟んだ。少女の傍らには杖をついた貴樹が居る。 「うむ」と頷いた彼はそれなりに満足気な顔を見せていた。 「貴樹は短冊になんて書きました……?」 「何と書いたと思う?」 「……あっ、ナイショならそのままで良いデスよ。秘めた願いは暴くものではないのデス! ワタシはアークの勝利祈願を! ココは貴樹や友達の居る大切な場所デス! あらゆる災厄に負けないようお祈りしたデスよ……!」 早口めいて真剣な顔をした少女に貴樹は笑った。 「隠す程の願いでも無いぞ。取り敢えず、もう少し長生き。誰に限らず、な」 生きていれば愉快な事も痛快な事もある。人生で得られる経験は必ずしも楽しい事ばかりでは無いが、悲嘆する程惨憺たるモノでもない。その辺りの言葉は老齢の彼なりの説得力はあるだろうか。 「桃子! 僕は天才だからちょー天才的にでっかく七夕を飾ったのだぞ!」 「はいはい。天才。りっくんは天才ですね。かわいい」 「この世界が天才で溢れるように願ったのだ! あと桃子の願いも叶うように願ったのだぞ。しんしだから!」 得意気に自慢する陸駆を桃子がなでなでとあやしている。 ……言葉の後半で目を光らせた彼女の願いは『叶ってはいけない類』な気もしなくはないのだが。 人を集めて取り敢えず騒ぐ―― 給仕めいた事をしていた達哉がカメラ目線で一言を。 「――戦線離脱前、最後のサービスメニュー、七夕ソーダフロート。 ブルーソーダは彦星用、ピンクソーダは織姫用、バニラアイスとチェリーのトッピングで。 ……あれ? イタリアに帰ったはずだって? 社員食堂の引き継ぎとかロッカー整理しないでそのまま帰るのも問題だろ?」 ちょっとしたパーティ会場でもあるこの場は何時もの通り賑やかで楽しい雰囲気である。 「桃子・エインズワース陛下! 陛下最高! ジークハイル! 桃子様のために盛り上げましょー☆ 怪盗を使って大・変・身!!! 一番エーデルワイス! 沙織んの物真似しまーす♪」 「本人の前で何やっとるか」 毎度恒例の宴会芸を始めるエーデルワイスに微妙な顔をした当人が抗議めいている。 「ようやく来たか、リベリスタの諸君。次の任務を与えよう」 赤ワインの入ったグラス、ペルシャ猫、フカフカソファー、黒サングラス…… 「ふん……任務失敗は死を持て償いたまえ連れて行け……」 何故かエーデルワイスが用意した本日の出し物は黒さおりんで、鐘を一つ鳴らした桃子に彼女は「やめて桃子様! 私を縛り上げて笹に吊るさないでー」と何故か半笑いで懇願していた。←軽くマゾなのでは? 「衣通姫……霧音さん、だったでしょうか。こんばんは」 「貴女は確か……風宮紫月、ね。どうかした?」 「あぁ、いえ──ついそのお召物に目をとられまして、それでつい」 「ああ、これ? ありがとうね。これお気に入りなの。緋色は好きな色なのよ」 芸人の向こうでは短冊を片手にそれを眺めていた紫月と霧音が歓談している。 (それにしても……願いの無い人間なんて居ませんよ!『それが人間である内は』! 三百歳オーバーの人間(?)に言われると流石に大Damageだわ…… 前半生の頭おかしかった頃は本当に何も願いなんて無かったのよね。 主と自分以外の全ては端数とも感じていなかったのだから……大概だわ) 心の中で溜息を吐いたエナーシアが短冊を手に難しい顔をしている。 (何でも屋を経て今はもう違うのだと短冊を取ったのだけど……) 少なくとも三百歳をオーバーランしている事が確定している魔女が口にした何気ない回答は、齢二十歳と何年かの少女の前半生に当てはまっていないのだから笑えない。まったく大いに笑えない。 「……思いつかぬ」 沈思黙考するエナーシアの頭をぐるぐると回るのは最近あった事。 振り返る。福利厚生で写真を取った。冬の山で記録映画を売った。熱海に行った。後色々仕事した。 (……振り返れば、ああ。知りたい事があったわね) 気付かれないようにそっと短冊を吊るす。密やかに吊るす。吊るした言葉は。 ――恋とは、どういうものか知りたい―― 「えなちゃん! 七夕ソーダを奪ってきたのです!」 「……いきなり気配も無く現れるのはプロの仕事なのだわ、桃子さん」 「これから私もエーデルワイス(たんざく)を吊るす所なのでした!」 「……血の七夕を記録する業(カルマ)を負ったのだわ」 笹の方向に引きずられていくエーデルワイスを見ない振りした沙織にふと話しかけた少女が居た。 「あ、ねえそこのメガネくん。この街で星が良く見えるトコ、知らないかな?」 つい最近この街にやって来た少女である。 「なんだったらその場所までエスコートしてくれない? キミ、そう言うの得意そうだしさ」 少女の沙織評は確かに中々的確である。 「いやぁ、夜は『仕事』があるからよ。これからなら付き合わなくもねぇけどさ」 「仕事? もー、こんな日にまで仕事だなんて言ってたら織姫が現れた時に愛想尽かされちゃうよ? 道案内だけで良いからさ。ささっ」 ……しかして、当然と言うべきか『仕事』の暗喩には流石に気付いていない模様。 腕を引っ張る少女に沙織は「はいはい」と軽く答える。 センタービルを経て、夏の空の下へ。ふとすれ違った色黒の少年を一瞥した少女は意味深に呟く。 「へえ……あの子がナイトくんね」 「何だそれ」 「何でも」 「そう言えば――お前、何て言うの?」 「御経塚しのぎ」 ●七月七日V (七夕の夜、綺麗な星空。戦い続きで目を向ける余裕もなかったけど――) すぐ傍に、こんなにも綺麗な、心和む景色がある―― 何となく街中をぶらついて。フランシスカが再確認したのは当たり前でとても大切な事実だった。 何時もは皆と居るけれど、こんな夜は一人で感傷に浸るのも悪くは無い。 これまでの事、そしてこれからの事を思い気持ちを新たにした彼女は一瞬だけ目を閉じて短冊なくとも確かに願う。 (戦いはより一層厳しくなってくるけど。それでもこのささやかな平穏は護りたい) また来年も同じように過ごせるように。 この先の戦いを生き抜く、勝ち抜く決意を固めよう。また仲間と笑い合える様に。 どうか。 七月七日は多くの人にとって『唯の七夕』だが、中にはそうでない人も居る。 「二十歳! ついに俺も酒の飲める年!」 「誕生日おめでとう」 改めて宣言した竜一にそっと酒の杯を差し出したのは言わずと知れた彼の恋人ユーヌである。 「……晴れ渡って丁度良いな、酒の肴に」 「革醒して、三年とかか? 思えば遠くにきたもんだ……」 しみじみと言って『ユヌ見酒』に興じる竜一にユーヌの顔がほんの少しだけ赤くなる。 「私の顔見ても代わり映えしないだろうに……ふむ、それにしても良い呑みっぷりだな。潰し甲斐がある。 何、悪酔いしても介抱してやるさ。理性を蕩かしても問題ないぞ。途中で醒ましてやるから」 「まあ、変なことはしないよ! 一番大事なのはユーヌたんだからね!」 頬擦りしてくる竜一にユーヌは少し困った顔をした。 「この状態で、ちゅーしたら、ユーヌたん飲酒になるのかね、ふふふー」 少女の唇に青年の指先が軽く触れる―― 「はい、ミュゼーヌさん。冷たいお茶を入れましたよ」 「あら、ありがとう。丁度喉が渇いた所だったの」 日曜日の夜はゆっくりと過ぎていた。 こんな日は自宅で過ごすリベリスタも多い。 丸い硝子の器に透明度の高い玄米茶。 「夜空に透かしたらきれいかなって思って……あ、色は透明ですけど、味と香りはしっかり出てますからねっ」 ミュゼーヌがグラス越しに見た世界には夜色と星が溶けている。 「ふふ……流石は万能な執事さん。日本茶も見事なお点前よ」 「何だか少し照れますね……」 浴衣姿のミュゼーヌとそんな彼女に少しどぎまぎとする三千も『普通の休日をちょっと特別に過ごしている』幸福な時間の一員であった。 バルコニーでの夕涼みの時間。ミュゼーヌの肩を外見よりは随分と男らしい三千の腕が抱き寄せた。 夜空に零れた流れ星は恋人達の時間に天の川が贈ったギフトだろうか―― 「短冊用意してないけど……」 「七夕だから、僕もお願いします。ミュゼーヌさんが、これからも元気でいてくださいますように……」 「もう、三千さんたら」 凛としたミュゼーヌもこんな時は少女のようにはにかんだ顔を見せている。 「こんな時位、自分の事をお願いしてもいいのに……」 「はて、前にも一度来た事はあるのだが……また掃除、したのかね?」 「流石に慣れてきたわよ。そんな挑発には乗ってあげない」 肩を竦めたオーウェンがジト目を向けた未明を笑っている。 未明が意地悪い彼氏を自宅に招いたのは『一応』ロマンティックな夜の為である。 「最近、多忙なのだろう? 栄養のいい、消化しやすい物を選択しておいた。どうかね?」 「軽いサッパリしたものは嬉しいわ」 気の利き過ぎる、出来過ぎる――そんな彼氏に一方で麦茶位は用意してやり、縁側で涼む。 (……久しぶりに二人でゆっくりしたかっただけだし) 未明にとって『別に見えなくても構わなかった』星空は予想よりも随分クリアだ。 「七夕と言うのは、その伝説の原型から、恋人たちの祝日としての側面も持ち合わせている。 言うなればバレンタインの東方版、であるな」 「……貴方、一応外国人よね」 切り返した未明にオーウェンは「勿論」と言ったものだ。 悪戯気に何かを思いついたような顔をした彼は言葉を投げた。 「俺が、遥か先に隔てられてしまっても、お前さんは想ってくれるかね?」 縁側に並んで座って。気付けば肩を抱き寄せられて。 「そうなったら意地でも顔を見に行くに決まってるでしょ」 当然のように言った未明にオーウェンは破顔した。 「ふふ、素敵なお誘いですわあ!」 「土地柄のお陰でここでは空と地上の星を同時に楽しめるんですよ!」 ロマンティックな夜に特別な誰かを招いたのは亘も同じだった。 彼が望むのは何時も同じ一人だけ。少し余所行きの格好をしたクラリスは屋上から眺める星空に小さな嘆息を吐いている。 「……七夕の夜を一緒に過ごせるのは――何時にも増して嬉しく、幸せに思います」 「あら。何時もの私よりいいんですの?」 「いえ、クラリス様は何時だって……自分にとって最高で――」 「冗談ですわあ」 コロコロと笑うクラリスに亘は軽く赤面した。 饒舌な少女は年下の少年をからかっている。少女も少年もどちらかと言えば初心で、この場合僅かに傾くパワーバランスは少女の有利を告げているのだ。それは、恐らくは惚れた分だけ。 「……こんな時に聞くのは正直自分でもどうかと思うのですが」 「何ですの?」 「うぅ、前会った時や七夕の事を考えてたらですね! 現代版星合ではないですが不安というか……うぁー上手く言葉に出来ません! 平たく言えばそうです、その! 電話番号を教えて頂けませんか!?」 「……」 ぶっちゃけた亘にクラリスがジト目を送る。 (本当にこの方は……) 呆れが半分、面白いような気も半分。 恐縮して何やら弁明する亘に溜息を吐いたクラリスは空を見上げた。 余談ながら――彼女が帰った後、テーブルの上にはメモが一枚。 あじさい柄の浴衣が少年の可愛らしい姿に良く似合う。 「今日の凛子さんも綺麗ッスね」 そんな風に言ったリルに髪を結い上げた凛子が月のように微笑んだ。 紫地に笹と雲と月の刺繍。紅色の小物入れと合わせて――足袋に黒の小下駄。 凛子はここに来るまでに考えた。服装に悩む自分が面映くて思わず笑ってしまった。 「七夕は短冊に願掛けくらいのイメージだったッスね。 あんまり関わったことなかったッスけど、星見るのはいいッスね」 「星に願いをと言ったりしますが……七夕は恋人達の日という印象ですね」 凛子の言葉にリルは頷いた。 「……リルもそういうイベントはどれも初めてが多いッスよ」 凛子と並んで星見の散歩。 リルと並んで星見の散歩。 緩やかな時間はかけがえのないもので、何とも言えず気恥ずかしい。 「織姫と彦星と違い。こうして、いつでもリルさんに会えるのは幸せな事ですね」 「いつでも会えるッスけど、こうやって特別な日に会うのもいいッス」 頷いた凛子にリルは続ける。 「リルは彦星みたいに凛子さん見つけられて嬉しいッスよ」 「……全くしない事はねぇが。夏場にそんな焚火はしねぇよ? 暑いだろ?」 「……いや、暑いの好きそうなので積極的に暑くなろうとしてるのかと……」 火車と黎子。少し奇妙な二人の関係は言葉で表すのが難しいものだ。 川べりの土手は何時も何となく――二人が出会う場所である。 「オメェさぁ……好い加減他にダチ居ねぇの? 事ある毎に来おってからに」 「人を遊びに誘うとか……友達を作るとかは……本当にもう……」 「おい、こら」 「……うう、いいじゃないですか! そういうのは!」 自分の隣に自然に座った黎子に火車は呆れ半分の顔をした。 残る半分が何とも言えない微妙な表情になった理由は語れば落ちるにも程があろうが。 「七夕ねぇ……」 今日のハイライトを思い出した火車が少し皮肉気に呟いた。 「願いなんざ自力で叶えるモンであって……何かに縋るモンじゃあねぇだろう。 自力で願って何とか出来んようなモン、そりゃあ正しく神頼みってヤツか」 「でも必要な事もあると思いますよ。例えば――昼間見た短冊なんですけど。 たわしが全部売れるとか、そういうのとか。明らかに自力では無理な……抱負とか目標かも知れませんけど!」 火車は「何だそりゃ」と溜息を吐いた。 隣に座る女は変なヤツ。何処からどう見ても変なヤツ。 放っておきたいようでそうでもない。可愛いようで間抜けでもある。 「……み、見捨てないでくださいね!?」 泡を食ったように言う黎子に「バーカ」と言葉を投げつけた火車は空を見上げた。 隣の女は変なヤツ。――の姉貴。 「こんなのあったんですね」 「近所のおっちゃんが快く譲ってくれたのは良いが……特に願い事は考えてなかったんだよな」 庭でさわさわと涼音を奏でる笹を眺めて猛はぽりぽりと頬を掻いた。 小首を傾げたリセリアを自宅に招いたのは別に今日が初めてという訳では無いのだが―― 「……と、そうだ。折角だから……リセリアも何か書いてみないか?」 「願い事ですか……」 猛がサラサラと何かを書くのを横目にリセリアは軽く眉根を寄せて悩んだ顔をしている。 彼女が思案顔から脱するよりも早く、猛は書き上がった短冊を笹に吊るしていた。 「良し、これで完璧だな!」 短冊にはハッキリキッパリと―― 『リセリアは俺の嫁』 「――な、なんですかそれ! そんな、願い事なんて……」 リセリアは彼女にしては珍しい感嘆符つきの台詞で流石の衝撃を表している。 「願い事……ってよりは、主張したい事だが。好きだぜ、リセリア」 「――――」 不意に抱きしめられれば『間合いを奪われた』少女としては息を呑む他は無い。 それでも何か言い募ろうとした唇を微かな熱と吐息が塞ぐ。 (ああ、もう――) 遠く眺めた星空で織姫と彦星も笑っている。 頭上には星。 「今日は晴れて良かったな、星が良く見える」 「ええ、良い空。折角の七夕です、晴れてよかった」 星を見ようと浴衣を纏って外に出て――ビルの屋上から見上げた空は拓真の、悠月の目を十分に楽しませるものだった。 「美しく彩られた星天。晴れていなければ到底見られない光景ですね。七夕夜空……織姫と彦星も良く見える」 口元に微笑を貼り付けた悠月は空を見上げながらその切れ長の目を穏やかに細めていた。 如何な魔術の奥義をもってしても視通せはしない神秘。全ての時間を飲み込む星の海は恐らく遥かな過去から現在に到るまで――変わらずそこにあるのだろう。 「星か、まるで夢の様な物だが……」 届きそうで届かない。 それは本当はずっと彼方にある。 けれど、その輝きは見る者の心を惹かずには居られない―― 「悠月」 「……はい?」 まるで、君のようだ。 言葉は言わず、またそれ以上を言わせる事も無かった。 抱き寄せた手が振り向いた少女の頤を持ち上げている。 幾度と言わず繰り返された動作は今日も彼女に然してする気も無い抵抗を許していない。 「ん――」 温い感触は安心感のよう。 「……これからも、宜しく頼む。帰る場所はあってくれると安心するからな」 「お任せください。あなたが帰ってきてくださるなら」 ――あなたが、私の帰る場所です―― 「……呑まなきゃやってられないでござるか。久し振りでござるな、これも」 自宅の和室に一升瓶を持ち込んで――人が言う『痛飲』も虎鐵にとっては呑んだ内にも入らない。 昔に比べて随分と穏やかになった彼がこれ程飲む事は珍しい。ましてやそれが――彼の自宅であるならば尚の事だ。家の中には最愛の娘も、手の掛かる息子も居ない。 子供達の何れもが傷付いている事が、傷付けられた事が彼にはどうしても歯痒かった。 「拙者は……」 父親として何が出来るかを考える。 考えるのと同時に何も出来無い事を思い知る。 部屋に飾った小さな笹に願いをかけても―― 『二人が元気にそして自分の答えを見つけれますように』 ――その願いは『親』である自分ならぬ本人達以外では解決出来ない壁である事を彼は知っている。 だが、願わずにはいられない。虎鐵は確かに父親だから。 「……内緒で処分しないといけないでござるな」 見られる訳にはいかない、こんなもの。 気まずい空気を切り裂いたのは夏栖斗自身だった。 「まだたった――たった三日なんだよな」 隣に立つ『親友』――快が、風斗が【追憶】に付き合ってくれているのを知っていたから。 (……何かしらでも立ち直る切欠になればいいが…… とはいえ、こんな状態のカズトに何て言えばいいのか……) 曖昧な表情で言った夏栖斗に風斗は胸が締め付けられるような想いだった。 三日。彼が口にした時間は余りにも短過ぎる。 恋人を亡くして三日。時間がどんな名医でも、癒える筈も無い僅か三日。 「あの星の一つになってんのかな」 夏栖斗は言う。 「まだ何の気持ちの整理もついてないよ。雷音が無事でよかった事くらいしか今はわっかんね」 夏栖斗は言う。 「後悔とか未練とか本当にどうしていいかわかんねぇよ」 誰に言うともなしに独白めいて――信じられない位の胸の空白を夜に吐き出した。 まだそこに居るような気がする。七夕の夜を男三人で過ごす自分に「最低ね」何て嘯いて。或いはあの意地悪な笑顔で言うのかも知れない。「カップリングは攻めと受けどちらがいいの?」。 「……彼女は、お前を大事に思うからこそ命をかけたんだよな」 「ああ」 「だからさ、今は無理でも、もう一度笑えるようになれよ。 彼女が護ろうとしたのは、そんなしょぼくれてる御厨夏栖斗じゃないだろう? お前も、お前の妹さんも、胸を張って生き抜けよ。 それこそが、命をかけてくれた人たちへの、最上のお礼になると、オレは思う……」 風斗の言葉は『ありきたりな一般論』だ。だが、夏栖斗はそれが嬉しかった。 「なあ、相棒。生き残ろうぜ。親衛隊も、キースも、バロックナイツも全部倒して、平和ってやつに届くまで」 快が大きく息を吐き出した。 丹田に力を込め、次の言葉を吐き出した。 「俺はお前ほどはこじりさんの事を知らない。 けれど、あの人が最後に何かを願ったとしたら、お前に生きていて欲しいって言ったと思うから。 死んでしまえば、こじりさんの事を想い続けることも、できなくなるから――」 綺麗過ぎる星空が眼窩の三人を見つめていた。 月明かりは青く、悄然と立つ三人を笑っているのか。泣いているのか。 涙で滲む天の川を夏栖斗は生涯忘れ得まい。 夜の散歩で珍しい二人が顔を合わせた。 「願い事を、と申されましても。己が身の欲深さを愛しく想うばかりでございます」 アーデルハイトの言葉に沙織は「それでも願ってもいいんだぜ」と肩を竦めて答えを返した。 「便利ですね、この弱冷気魔法。これで猛暑も凌げます」 「そういう種明かしかよ」 玲瓏たる美貌は今夜もやはり涼やかで、蒸している周囲の気温を忘れさせる。美しい『銀の月』が惚けて述べたトリックの正体に沙織は少しだけ残念そうに言葉を返す。 「授業料は高くつきそうですが、まぁ、それはこれから考えましょう」 「同感。……ま、何とか踏み倒してやるとしよう」 他愛も無く談笑に耽る夜はもう更けている。 アーデルハイトがふと懐中時計に目をやった。 「ああ、もうこんな時間。シンデレラ達の魔法が解ける前に行ってあげてくださいな、星の王子様」 「……やめろよ、そういう柄じゃねぇだろ」 苦笑いを浮かべた沙織にアーデルハイトは「ふふ」と笑う。 成る程、彼の本番はこれからだろう。多くの場合、そうであるのと同じように。 「一年に一度しか出会えない――そんな物語。 そこだけ聞くとロマンティックですが、それって自業自得でもあるんですよねぇ」 尻尾をパタパタと揺らすそあらは沙織の腕に自分の腕を絡めてそんな風に天上の物語を評価した。 「……そうなの?」 「そうなのです」 乙女心を形にしたような少女(?)の見上げた瞳の中に無数の星が瞬いている。 「……それでも星に願いをかけられるのだとしたら、あたしはずっとさおりんの傍にいたいのです」 一年に一度だけではとても我慢出来ない女の子。 「困難でとても大きく渡れないような川で道が閉ざされて…… 橋が架かっていなくても。あたしは渡りきって会いに行きたいです」 真摯な告白だ。 沙織はふっと笑ってそんな彼女をからかった。 「犬かきで?」 「馬鹿ぁ!」 そあらが欲しい言葉は別にある。 言わないそれはそあらの正真正銘の本心である。 (でもね……もしそうなったとしたら。 さおりんの方から「会いにいってやるから心配するな」って言ってくれると嬉しいのです) 果たして沙織はばしっばしっと腕を叩くそあらに軽く言う。 「お前の犬かきよりは、俺のチャーター機の方が速いけどな」 「Bonsoir.沙織。私を待たせるなんて酷い人ね?」 置き手紙はちょっとした秘密を孕むもの。 深夜のセンタービルの屋上で沙織を待っていたのは何時もの日傘と小さな笹を手にした氷璃だった。 「待ってる時間も楽しみの内って言うもんだろ?」 「嘘よ。たまには“誰か”を想って待ち続けるのも悪くないわ」 今宵は年に一度しか触れ合う事を許されない恋人達の日。 「そうなってしまった経緯は決して褒められたものではないけれど」。奇しくもそあらと同じ事を口にした氷璃は「だからこそ、浪漫を告げる為の序曲が必要なのよ」と軽く笑った。 彼女の手にした小さな笹でも二、三枚ばかりの短冊を吊るすには十分だ。 「私の願いは二つ。『崩界しない世界を作れますように』。 それから『今年こそ、沙織と二人きりで誕生日を祝って貰えますように』」 氷璃はキース・ソロモンを承知で少し意地悪くそう言った。『九月は何かと厄介事の多い月』なのだ。 天使のような――ビスク・ドールは楽しそうに沙織に問い掛ける。 「沙織は何を願うの?」 「そうだな」 沙織は屋上のフェンスに寄りかかるようにして紫煙を夜に吐き出した。 少しの思案顔をした彼は暫しの無言の後、やがて思いついたように答えを返した。 「世界平和とか」 ――多分、それは七夕の夜に浮かんだ酷く軽い嘘だった。 |
■シナリオ結果■ | |||
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■あとがき■ | |||
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