●混沌の中心 細身の男性のシルエットが月下に伸び上がるように躍動した。 漆黒と称して尚、表現の足りない夜闇が人の世界を飲み込んでいる。 生ける者達が人間の営みを繰り返す街に無遠慮に入り込んだ『死』の香りは何処までもハッキリと――間違いのない異物である。 「フフ……」 男は――指揮者であるケイオス・“コンダクター”・カントーリオは笑っていた。 「――圧倒的ではないですか、我が軍は」 神秘が最高潮に高まったその時――狂える夜は高らかに破滅を歌う。 世界は、街は、アークは何と無力な事か。日常と非日常を分かつ余りにも脆弱な防備は赤い月の夜(バロックナイト)の前には薄紙一枚の価値も無い。 ケイオスが『混沌組曲』と位置付けた一連の『楽曲』はこの冷たい夜に集大成を見せていた。多少のトラブルと、苛立ちも今は過去。アークの心臓部と言える三高平市に文字通り軍勢を『転移』させた彼は必死の抵抗を見せるリベリスタ達を嘲笑うように眼窩の光景を見下ろしていた。 ――三高平市、九十九商事ビル、その屋上。 果たしてケイオスは『塔の魔女』アシュレイ・ヘーゼル・ブラックモア(nBNE001000)やアークの作戦本部が推測した通り、この三高平市の内に居た。三高平市役所に程近い『のっぽ』のビルは戦況を見回すにはうってつけの場所であった。大胆不敵にもキングの駒が前に出ている。敵陣が内に入り込んだ彼はそれでも涼やかなままである。成る程、彼の周囲の空間は引き歪み、大いなる魔術の効力で彼の存在を完璧に覆い隠している。そこに『隠遁結界(それ)』がある事さえ、指揮者ならぬ他の誰にも分かるまい。 「Con molt espressione……」 ケイオスが一度、骨の指揮棒(タクト)を動かしたならば夜は震える。 終わらない夜を我が物顔で支配する死霊術士(ネクロマンサー)は新たに自身の声望を高める『伝説的公演』の終幕の時に思いを馳せ、熱病に浮かされたようにその身をぶるりと震わせた。 「――最高だ。今夜は実に良い夜になる」 アークの用意した防衛ラインは悉く死者に喰らいつかれている状態である。リベリスタが甘く見るべき敵ではない事は彼とて了承してはいたが、仮に末端の『楽団員』が敗れてもそれはこの期に及べば些事である。足りないならば自身で繰れば良い。頼りにならぬ死体も自身の指揮――『冥王の呼び声<アンデッド・ルーラー>』に掛かれば不滅の兵に姿を変えるのだから。 「何時までもつか――諸君の戦いが青い炎を帯びる程に開く大輪はその美しさを増しましょう」 赤い月光を浴びるように眼を閉じたケイオスは両手を広げ、『混沌組曲』――素晴らしい夜の素晴らしい公演、素晴らしい指揮に没頭した。 ケイオスの寄る辺は敵に自身の位置を気取らせぬ隠蔽魔術の精度への自信であり、同時に倒されても死なぬ『ビフロンス』の――親友の餞別への信頼であり、そして何より。この九十九商事ビルを十重二十重に取り囲む『一万の戦力』への安心感である。 しかし、三つの防備は三つ揃ってこそ『万全』である。その三重の守りの内の二つまでもが――攻略の対象になろうとしていたらば、それは最早『万全』では無いだろう。 煮え湯を飲まされ続けたアークが『何をしようとしているか』を疑わなかったのは世界最強の使徒に名を連ねるケイオスが故の『油断』である。『バロックナイツならば当然の』敵を敵と看做さない『傲慢』であった。 ――見つけた―― 唇の中で呟いた『リンク・カレイド』真白イヴ(nBNE000001)の声をケイオスは知らない。 ――いよいよ、正念場ですよ! 自身の結界を力尽くでこじ開けたアシュレイの『視線』を知らない。 『世界最高のフォーチュナ』が二人で――否、アークに存在する全てのフォーチュナが力を束ねて放った――希望の一矢に気付いていない! 終わらない夜か、やがて来る朝か。 三高平市の最も長い夜は、いよいよその『演目』の佳境を迎えようとしている―― |
■シナリオの詳細■ | ||||
■ストーリーテラー:YAMIDEITEI | ||||
■難易度:VERY HARD | ■ イベントシナリオ | |||
■参加人数制限: なし | ■サポーター参加人数制限: 0人 |
■シナリオ終了日時 2013年03月16日(土)23:49 |
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●死の王国 『終わらない夜』等というものは存在し得ない――酷く文学的な思考が作る虚像である。 明けぬ夜があるとするならば朝は無い。朝が無いと言うならば夜も又区分として存在する事は叶うまい。 つまる所、表裏を織り成す朝と夜は希望と絶望、善と悪――生と死と同じ『コントラスト』に違いない。 「……にしてもさ」 見慣れた街の風景を『有り得ざる異界』に変える死者の群れ、溢れ出て飲み込むような『死』――自身をして「まるっきりB級映画」と言わしめたそれ――を剣呑と見つめ未明は白い息を吐き出した。 「日の出る国に明けない夜を、だなんて――要らない洒落が効いてるじゃない?」 最高潮に高められた『破滅的神秘』を祝福するが如く、空には血のように赤い月。バロックナイツが一、『厳かな歪夜十三使徒』に名を連ねるケイオス・“コンダクター”・カントーリオによる『混沌組曲』は今夜、まさに最終局面を迎えていた。日本を『神秘なる外敵』より守るべく建造された三高平はまさに天敵によりその姿を戦場へと変えているのだ。 『急』と銘打たれたケイオスの『歴史的公演』はアーク側の防備を押し込み、破壊せんとその威圧を増している。市内各所で断続的に続く戦いは『勝ったり負けたり』であったが防衛の地の利を生かしても被害が無くなった訳では無い。指揮者は多少の被害を気に留めず、アークを押し切る心算で居るのだから『最終的にすり潰せれば同じ』とでも考えているのだろう。 つまる所―― 「全ては、これからか」 「……分かってるとは思うけど。死んでも誰も喜ばないから、死ぬ予定なんて組んでるんじゃないわよ?」 「承知している。全力でサポートしよう……遠慮なく、暴れてくれたまえ」 先陣に立つ未明の傍らには薄く笑ったオーウェンが居る。先の彼の『分析』は誰しもが共有する実に分かり易い『結論』なのである。 ――皆さんの命、どうか私に預けて下さい―― アクセスファンタズムより響く少女の――『戦奏者』ミリィ・トムソンの声は戦場に点る勇気と決意を思わせた。 最早、キングの駒を直接討ち取るチェック・メイト以外に勝ち筋は存在し得ない。 総勢六百名以上を数える『三高平市』の最大戦力は――神の目の導きに応え今、最大の敵との会敵を果たさんとしていた。本丸たる三高平に攻め入られたアークはこの窮余を逆転する為の乾坤一擲の一撃を彼等――ケイオス攻撃部隊に託したのである。 高度な隠蔽魔術で科学神秘問わぬ総ゆる遠距離探査をブロックするケイオスの所在を掴むのはそれ自体が困難なのだ。しかし、苦渋の決断で『塔の魔女』アシュレイ・ヘーゼル・ブラックモアの協力を得た上で、後宮シンヤによるカルナ・ラレンティーナ拉致事件の時に行ったのと同様の手法で『本来日本全国を広域探査する万華鏡を特定座標に集中運用する』方法を取れば不可能は不可能のままでは無かったという事である。ある意味で『存在座標を確実に特定する罠』である三高平市に誘い込まれたとも言えるケイオス本人からすれば恐らくは『想定外の魔法』は彼の居場所を――三高平市商業地区、九十九商事ビルに限定した。 ――陣形は魚鱗の形を。奇襲部隊には機を見て戦力を回します! 自身も地上部隊に随伴するミリィの確認を受けたリベリスタ達は完全に『戦う為の準備』を整えていた。前衛は地上掃討を担当する部隊。後衛はその彼等を支援する部隊。精鋭たる『エース級』リベリスタ達の多くを鏑矢となる先端に集中配備し、力の落ちる増援リベリスタ達を陣形の中程に置くという形である。彼女が言った通り――敵軍が『死を知らぬ明けぬ夜』だとするならば防御に飽和限界点があるのは明白であった。少なくとも『絶対に滅びない』とされるケイオス旗下の――一万の軍勢は後手に回れば破滅以外の結論をもたらさないだろう。無数の死者を従え三高平を攻めた『楽団員』は数多いが、『楽団』最高の脅威は末端の死霊術士(ネクロマンサー)達の能力に依存しない。真なる夜、終わらぬ夜に光が差すか否かは高いビルの頂を遠く見上げたこの現場のリベリスタ達に掛かっている。元より箱舟の浮沈の鍵が『楽団』の首魁たるケイオス自身である事は敵も味方も痛い程に知っているのだ。 「バロックナイツか……以前アークがやりあったジャック戦では、かなりの人数を用いても倒すのが困難だったと聞く。 今回はそれに一万の軍勢が付くわけか……相手にとって不足はない。逢坂黄泉路、死者を黄泉路へ付き返す手伝いをさせてもらう」 黄泉路の言葉を『より正確に』補足するならば『かなりの人数』が倒したジャックは様々な事情から『持ち前の力を本来のそれよりも大きく減じさせたバッド・コンディションのジャック』である。 つまる所、バロックナイツとは――そういう存在だ。 ――威力が――スピードが勝負になりますよ―― 故にリベリスタ側が取るべきと考えた手段はあくまで断固としていた。 自身等に二十倍はしようかという戦力に臆する事は無く、会敵のままにこれを喰い破る。 『不滅』の軍勢を相手取る『真っ向勝負』は無謀にも思われるが、死中に活を求めずして到底勝てる相手では無いのだ。 距離が詰まる。 おおおおおおおおおお……! 大部隊の動きを察知した死兵達がこれを食い止めるべく声ならぬ声を上げ、戦場の空気を異質に染め抜く。 「こりゃまたうじゃうじゃと……しかも殺してもしなねーんだって? さすがはバロックナイツってか? どいつもこいつも鬱陶しい奴らだよ全く。でも、まぁ――」 瀬恋は頭をボリボリと掻いてからその眼光を一気に鋭くする。 「――葬式でも始めますか」 「ヒャッハー! すっげー数ー!」 テンション高く『アンタレス』を構えた岬が景気の良い声を上げた。 無数の死者の怨嗟が呪いのように響く中、澱んだ空気を切り裂く少女の生命力は目の前に存在する実体を持った悪夢さえ笑い飛ばした。 「でも公演とか行ってる割に独り善がりでつまんねー戦い方ー! アンデッド・ルーラーの下半分、まだ見つかってねーのかな。嫌な事件だったねー!」 振り抜かれた『最高の相棒』から迸る暗黒が、 「取り敢えず、行くよー」 シャルロッテの操る夜より深い闇が――破壊的威力と素晴らしい精密性をもって迎撃の構えを見せた死兵達をまとめて複数叩きのめす。 流石にその程度では『壊れぬ』死兵達だが、彼女等が見せた攻撃は決戦の号砲としては十分以上の価値を持っていたと言えるだろう。 動きと対応に『死者なり』のバラつきが見られる死兵軍勢に対して明確な意志を束ね、その刃を研ぎ澄ませたリベリスタ達は対照的なまでに鋭い動き出しを見せていた。仕掛けたのは岬のみに非ず。極端な多人数戦における状況は最初から乱戦めいて始まった。 「敵の数は多く、ケイオスを倒さない限り、いつまでも復活し続ける厄介な存在。 持久戦は覚悟の上で――ですが、まずは切り開かない訳にはいきませんね」 状況を十分に理解し低く『飛ぶ』茉莉の詠唱が短く完結し、空間に噴き出した炎が敵陣を舐めるように燃焼させる。 「なんと濃密な死の臭いか。この街にそんなものは似合わないというのにな――」 独白するように呟いたアイリの短弓が暗闇を切り裂く光を連続して瞬かせた。 「あの数を相手取るには、本職(こちら)のほうが都合がよい―― 楽曲には、当然のように終わりがある。身をもって思い知らせてやるぞ、ケイオス・“コンダクター”・カントーリオ!」 「これ以上、死なせるわけにはいかんしな―― ああ、今回は。前回までビビッて戦いに参加すらしとらんかった分まで纏めて全部――ぶっ飛ばしてやるぜよ!」 元より対多数を得手とする仁太のパンツァーテュランが重く咆哮し、必殺性の高い弾幕を『御代わり(リロード)』付きで吐き散らしたかと思えば、 「――長らく続いたこの耳障りな演奏劇もようやく終わりですか」 そのハニーコムガトリングに『仁太とは別のアプローチ』で格別の拘りを持つモニカも今日は一先ずその術を『極めてメイドらしく謙虚なる援護射撃』に持ち替えて、その華奢な体躯には到底似合わぬ殲滅式自動砲の照準を敵陣へと向けていた。対E広域制圧砲撃戦用歩兵戦術は機動性の犠牲に少女の身体を砲撃態勢へと固定し悪夢めいた火砲支援を達成する。大量の敵兵にいちいち狙いをつけるような『手間』は惜しんで、しかしばら撒かれた『格別に身の程を弁えたメイドの鏡たる援護射撃』は十分な威力で切り込むべき戦域を制圧するのだ。 「何度でも蘇るなら私も何度でも撃ち砕いてみせますよ。 大体、持久戦で私と張り合おうなんて命知らずですね。あ、もう死んでますけどね」 「相変わらず、適当に破壊する事に関しては百点ですね、このメイドは」 「全てに高得点とか言いつつ全部七十点なお嬢様とは違いますからね」 【鈴宮堂】の一員として敵陣を切り裂くその一手目が『鈍足』のモニカだったのはある種皮肉が利いている。戦場においてもツーカーでそんなやり取りを見せた主従の主――彩花と彼女の友人である慧架――二人の美少女覇界闘士がモニカが『大雑把』に開けた風穴目掛けてそのしなやかな身体を飛び込ませた。フロントの二人とバックのモニカで丁度トライアングルを形作るような展開。 「途中で席を立つ事は許されない――この台詞、実に癪に障りますよね? まるで我々の舞台を我が物顔で占拠しているようで。我々の立つべき舞台に彼らの下品な組曲はこれ以上不要です」 アスファルトを踏み抜かんとするかのような鋭い踏み込みが二度。 長い黒髪を夜に靡かせた彩花と慧架は揃って演武さえ思わせる程に美しく―― 「――二重奏・壱式迅雷ですっ!」 ――慧架の裂帛の気合と共に百花繚乱、闇の中に無数の青い雷華を咲き誇らせた。 「私達は――私達の居場所を守る……!」 「重工の年度末の調整に大学進学の準備……こう見えて私はそれこそ本当に死にそうになるほど忙しいんです。 なのでこの茶番はこれでお終いです! 消え失せろ!」 崩れ落ちる哀れな死体を強く見据えた二人の言葉は十分な気力と戦意に満ちていた。 日頃は『余り本気にならない』天才肌が見せるその姿は少し――少なからず。この街への情を思わせるものなのだろうか? 「行くぜ相棒、派手にやろうぜ!」 低空飛行で射線を十分に確保したラヴィアンが葬送の調べを帯びた黒血の鎖で敵陣を薙ぎ払う。 「この三高平にはママがいる……ママまで失うわけには行かないから。 ……征こう、あいぼー! ここを戦いの場に選んだことを後悔させてやろー!」 彼女の声に応えて地面を蹴った美虎は、 「わたしたちを……アークのリベリスタを舐めるなっ!」 【虎牙】の二重奏でヒット&アウェイの痛打を死体に加えて飛び退いた。 「さて、微力ながら御二人の助けとなりましょう。さあ、お姫様が御通りです。道を開けて頂きましょう」 何処か洒落っ気を感じさせる調子で言った七海が周囲のリベリスタと共に己が強弓――『告別』を引き絞る。 彼が特に援護するのは奇しくも共に【福音】の名を――敵と同じ異名を背負う事となった愛音とスペードの二人である。 「敵の掃討はお二人にお願いするものでございますよ! LOVE!」 愛音の声に応えるように『夜に伸びた影』が寄り集まり人型を為す。 強力な弾幕とEPを供給する力を持つ七海を後衛に高性能な影人で防御面を補強する愛音を盾に、そして高い技量と攻撃力を持つスペードを矛にする……それが大部隊の内の小隊、【福音】の三人が用意した基本的な戦いのプランであった。 「愛と剣! 揃えば無敵でございます!」 「……ありがとう、ございます」 愛音の声にスペードは頷いた。 仲間が傍に居てくれる。それが戦う力となる。彼が、彼女が、仲間が居れば――何処までも戦えるような、そんな気がした。 (立ち塞がる、万の死軍。彼らはいつから、眠りを奪われたのでしょう?) それでも、少女が見る今夜の戦場はその柳眉が歪む程度には酷い痛みばかりに溢れていた。 モノを言わぬ死者から伝わる無念と苦痛はスペードが我が身に刻む暗黒の代償よりも重いもの。 彼女はダークナイト。夜の畏怖を届ける者。 「――せめて、安らかな眠りを」 祈りを捧ぐように唇から零れた音がせめても『福音』になりますように。 後衛が弾幕で制した緒戦の戦場にミリィが魚鱗の槍に任じた前衛達が切り込んでいく。 光景の中で次々と用意された『状況』の数々は司令部隊の面々が――現場リベリスタ達の作戦が想定する一つの型に間違いなかった。 後方より加えられる迫撃のような支援火力の嵐は圧倒的に数に勝る敵陣を僅かながらに押し返す。六百近くを数えるリベリスタ達の『有機的連携』が流れるような攻勢と精鋭が更に踏み込む為の『隙』をまずこの戦場に作り出している。 「万て――どんだけ用意してるんだよ。んでも、まあ、露払いは任せときな、て所か?」 それでも苛烈な攻撃にも怯まず次々と『沸いて出る』敵影に小さく鼻を鳴らし、涼が軽やかに敵陣を『ステップ』した。 「俺もこんな場所にいるから運は良くないんだろうが……恨むならケイオスを恨みやがれ、ってワケで大人しく散りな……!」 踊るように周囲を切り裂くイノセント・ノットギルティ。 パニッシュメントが織り成す戦場の風景に次のアクセントを添えるのは続け様に彼の周囲を旋回した魔力のダイスが彩る爆花である。 「――そんだけ壊れりゃ戻るにも時間がかかるだろ? やっぱり、お前等も『ついてない』な」 「名も知らぬ屍達よ。望まぬ王に率いられし哀れなる国民よ。義によって――その命、再び刈り取らん!」 「盛者必衰、生者必滅――此の現世は、諸行無常が刻に在り。神州日本を汚す者よ、世の理を知るがいい!」 更には陣形の左右両端から仁義を切った奈々子が、家紋の桜の名を冠した静型の薙刀を構えた永が回り込みかけた死兵を牽制する動きでカバーした。 「多くの死を見て参りました。 穏やかな死に顔。誇らしげな死に顔。苦しげな死に顔…… 本意であろうと不本意であろうと、死とは安らかなものであるべきです。それを土足で踏み躙るような輩を許すわけには参りません!」 一条永時が愛用した業物が永の気持ちの昂ぶりに応えるように心無き死者の頭を割る。 「気に入らないのよね、こういうやり方!」 恐らくはほぼ全員の代弁になっただろう奈々子の言葉は戦場を踏むリベリスタが『負けられない』意地を実に端的に表していた。 しかし、どれ程優れた殲滅力でどれ程優れた先制攻撃を加えたとしても『死の王国』を容易く攻略する事は叶わない。『生者の世界』を侵食したそれはそのケイオスの領域において本来この街に住み、生きるリベリスタ達をあくまで『王国の異物』と看做している。 「戦線(ライン)は崩さずに。長丁場ですよ、焦らずに全体のバランスを見て戦いましょう――!」 京一が視野の広い戦術眼と的確な指揮で周囲のリベリスタの動きを助けると共に守護結界、翼の加護を展開し彼等の動きをサポートしている。 攻勢の一方で自陣の後方に位置した支援部隊の動きも活発を増していた。 「アシュレイちゃんも、フォーチュナさん達も頑張って下さったんです……! 私だって、私だって――少しでも、皆さん方の、お力になりたいんですっ!」 震える程の恐怖の現場にアリスが気丈に立てたのは信頼し、報いたいと思う人間が居たからなのだろう。 『塔の魔女』にすら屈託無い想いを寄せるアリスは空色の瞳で戦場を見つめ、敵の基本情報を捕捉。司令部に確認の通信を果たす。 「――ったく夏じゃなくて良かったな。承知の上で来てそうだが……全く、それにしても神経質で潔癖そうな細面だこと」 「命を冒涜する――この行軍に今こそ終止符を!」 ぼやいた小烏は自身の周囲を中心に守護の力場を形成する一方で。 高らかに――三千の言葉に応えた天は『死の王国』を征く戦士達に格別の意志と加護を施した。 「厳しい戦いだけれど、僕にも……いえ、僕達にもやれる事はある筈」 「勿論よ」 三千の言葉に応えたのはその彼に何時でも――今夜も同伴する『戦乙女』の自信に溢れた微笑だった。 (本音を言うと……すごく、怖いわ。 故郷を守れず、友達を喪い、安息の地まで今侵されている。 死ぬのは怖い。力が及ばないのは、怖い。だけど、今ここで立ち上がらなければ、一生後悔するから――) 凛然と佇むミュゼーヌの顔に浮かぶ表情が唯の虚勢であったとしても。彼女自身がそれを誰よりも理解していたとしても。 「行きましょう……必ず生きて、この昏い夜を終わらせましょう」 「ミュゼーヌさんが守ってくれるから、僕はきっと」 目だけで笑ったミュゼーヌは敢えて三千に「それは私の台詞なのよ」とは言わなかった。 ――伝承歌(サーガ)に例外が無いのと同じように、きっと少年も少女もそこにある愛で強くなれる。 「支援を途切れさせる訳にはいきませんからね」 「あーも、でも! ホンットウザい! 何あの数、見てるだけで目が回りそうになるじゃん」 広い戦場、通常無い程に多数の戦力。ディフェンサー、オフェンサー両面の教条を施す事で仲間の戦力を底上げするレイザータクトのアルフォンソやゐろはには休んでいる暇は無いといった所である。数が増える程に彼女の能力は大きな戦力の差を生み出すのだ。ある意味本懐と言えるこの現場は働き甲斐を考えれば抜群だが、忙しさの方は敵数も相俟ってそれ以上とも言えなくは無い。 「司令部も人使いが荒い。まぁ、意気にしておく所ですか」 アクセスファンタズムからの通信を受けたアルフォンソは薄く笑む。 「――そうだ」 不意にゐろはが声を上げた。 レイザータクトは戦闘官僚。戦場に搦め手なる選択肢を増やす――彼女の場合、女の子らしく――ハートのエースである。 あちこちの仲間に次々と強化支援を施し続ける彼女は増援のリベリスタ達に同様を指示しながら状況に有効策を見出した。ゐろはの指示を受けた増派のレイザータクト達が指示に応える。ドクトリン使いはゐろはと共にローテーションで自陣の支援を効率化する事だろう。レイザータクトによる小隊はいざという時に投げるフラッシュバンの嵐は鈍重な敵を阻むまさに光の弾幕として機能するだろう。 臨機応変とは口で言えば容易いが、成立させるのは難しいひらめきの産物である。有効な手立てならば尚の事。 戦場は加速度的に混乱を増していた。 リベリスタ達の攻撃は素早く百体単位で死者達を破壊したが、元より『死の王国は百体風情の兵隊の破壊なぞ気に留めてもいない』。 後から後から現れる敵の戦力は九十九商事ビルへの道を開かんとするリベリスタ達の進軍をしぶとく鈍らせ続けている。新手に加えて『倒した筈の兵隊』までもがやがて起き上がり始めれば状況はいよいよ『混沌(ケイオス)』と化す。 規律のある動きから先制攻撃を果たしたリベリスタ達に死兵達が牙を剥き始めた。 ――誰かの悲鳴と怒号が死に満ちた空間に交錯する。 即ちそれは潮目が変わり始めた事を意味しているのだ。 「僕らは戦争をしに来たのではありません。 鎮圧に来たのです。もっと言えば、駆除かな。 僕らは軍人では無く官憲だ。いえ、もっとフランクにお掃除屋さんと言っても良いですね。 必勝は当然の有様ですとも。何となれば、負ければ後が無い♪」 公然と「我が主・鳩目が為の戦場に射線を開きましょう」と公言して動くのはロウである。 一方で彼が主と仰ぐあばたの方はと言えば―― 「『地球如きで人間の姿も捨てられずにぐだぐだやってるような奴ら』相手に、アークはモタモタしている訳にはいかないのですよ」 ――吐き捨てるように言い、ある意味敵にもロウの『献身』にも気を向けていない。 ロングバレルと自身をして『ゲテモノ』と称する大口径が鉄の吠える『音色』を吐き出せば、彼女の悪罵は一層その鋭さを増した。 「お前ら『バロックナイツ程度』なんぞは、落ち穂のように踏みにじれなければ嘘なんだよ。 死ね。殺されるのではなく、意識すらされないまま圧し潰されろ――」 「ま、攻めてばかりは居られない、ね――」 喜平の手にした『SUICIDAL/echo』が事の他俊敏に跳び上がり、自身等を襲撃せんとした複数の死体を撃ち抜いた。 肉体に散弾を受けたにもかかわらず衝撃にバランスを崩したまで。『壊れない』死体――完全な化け物に彼は一言を呟いた。 「……ああ、こりゃB級ホラーも真っ青……弾代、経費で落ちないかなぁ」 安請け合いする沙織の顔を脳裏に描いて喜平は一つ気を取り直す。そうだ、きっと経費である。 されど進撃を続ける魚鱗に四方八方から襲い掛かり、喰らいつく死兵達は部隊の安全を早くも脅かし始めている。 血が散った。理不尽なまでの暴力――数という単純暴力を完全に防ぐ術等、バロックナイツならぬアークの何処にも有りはしない! (支援じゃなくて、あえての前線。ぶっ飛ばしてやりたいのよ、嫌な空気を! 安らかに眠らせてあげたいのよ、人の尊厳を奪われた人たちを! あたしが、自分で! あたしが、この手で!) 吹き抜けた冷たい風に金色の髪を揺らし、青い瞳に決意を点す。 浄化の白い炎を纏い、ホーリーメイガスでありながら敢えて前線に立つ事を選んだレイチェルが吠えた。 「守るんだ、あたしは! 家族も、友達も、仲間も! 希望は――全部、繋いでみせるッ!」 神気の理が無明を焼く。 「非力な私が少しでも役に立つのならここで戦います。アーク、そして、日本に住む人々を守るための戦いを」 「これ以上誰一人として失いたくない。護り、助けたい……私の力はその為のもの。 分からない? この場所は『貴方』がこれ以上踏みにじっていいものじゃないのよ――!」 レイチェルの、麻衣の、少しでも多い救いを求むる小夜香の尽力が『儚くも力強く』希望を飲み込まんとする闇に抗わんと力を見せた。 戦いは前に出て敵を薙ぎ払う戦士達だけのものでは無い。 戦士達の命を繋ぎ、絶望に抗い続ける為の糧を産む――生命線と称される癒し手達は彼等なりの戦いにその真摯なる熱を込めている。 陣形に喰い込んだ一部の死兵がリベリスタ達を激しく傷付け始めた。飛び掛かったゾンビの一体が恐怖の声を上げたリベリスタの一人をアスファルトに組み敷き叩きつける。次々と同様に彼に襲い掛かったゾンビ達は数秒と経たぬ内に哀れな犠牲者の悲鳴さえも覆い隠した。一体一体の力はリベリスタに及ばず、されど圧倒的な数による集中攻撃は力に優れぬ者をこの戦場から早晩振るい落とすには十分である。 「……目の眩むような有様ね」 今、嘘のように。冗談のように呆気無く失われたものは何なのだろう。 確かに直接的に知っている人間では無かった。深い付き合いがあった訳では無い。だが、彼は人間で――彼は仲間だった筈なのに。怒鳴り、叫んで、罵りたい――だが、それは『戦場の無力』である事をアンナは知っていた。『この世界という毒』に嫌という程に教えられてきた。 (普通の人の暮らしている街を踏みにじり。 皆の歩く道を死体で埋めて平然とし。あまつさえ自分達は普通より上等だと酔っぱらう。 そうだ。お前達が。お前達こそが、私の敵だ。お前らの言う下らない普通の心が、何処まで強くなれるか見せてやる――) 故に代わりに一言。重く押し殺した言葉を吐き、更に迫ろうとする敵達を食い止めるべく裁きの光で灼く事で意志を見せた。 「――容赦は、しないわよ。絶対に、しない。するものか――!」 「遍く響け……癒しの歌よ……聖唱-光芒三陣の誓約-」 アンナが払う一方で仲間達の命脈を賦活せんと絶大な存在感を見せるのは静かに呟いたシエル、 (今宵は趣味よりも任務を優先) 言葉は発せぬまでもその心音をテレパスで伝えた沙希、 「ボク一人の声じゃ、きっと全然届かない。でも、癒し手が手を取り合って奏でるなら、きっと―― 遍く響け、癒しの歌よ……聖唱、光芒三陣の誓約!」 シエルの恋人であり【三人】による『聖唱-光芒三陣の誓約-』を締める光介である。広域の戦場を軋ませた痛みを三重の聖神の奇跡が立て直した。彼女等の手の届く範囲は狭く、人の掌では零れ落ちる全てを掬い取る事等は出来はしない。 (それでも、ね) 短い腕が届く範囲があるならば、そこに救うべき誰かが居るならば。 シエルにせよ、光介にせよ、この沙希にせよ最初から為すべき事は決まっているのだ。 戦闘は十分と経たぬ内に多数の死者を破壊し、多くのリベリスタ達を傷付けた。 九十九商事ビルへの道程は遠く――それはまるで屋上でこの『公演』を俯瞰して眺める指揮者の嘲笑さえ思わせた。 「ひきつける、ね。まあ、ようするに、ボスまでぜんぶぶち抜くつもりで戦えばいいんでしょう?」 「専門用語的に考えて大体正解ですね」 突撃した涼子がうさぎの返事を待たずに無様な死体を跳ね上げ散らす。 (だいたいアンタらはうるさすぎるんだ。 この悲鳴が聞こえないのか。生きてるか死んでるかなんてどうでもいい。いや、生きてる奴だけだってうるさすぎる。 なんでわざわざ、死んだ奴を起こしてまでこんな声を上げさせる。いいから眠らせろ。このひとたちを……) まさに暴れる大蛇のような彼女は技の冴えにも劣らぬ『怒り』に満ちていた。 「このひとたちを眠らせろ」 敵の攻撃をひらりとかわし、爪先からトン、と着地したうさぎが小さく息を吐き出した。 「……どっちを向いても死・死・死・死…… 刻んでも刻んでも起き上がる。大分やっつけた筈なのに挙句どんどん集まって増えて来る。こりゃあ正真正銘絶体絶命って奴ですねー」 台詞とは裏腹に何処か間延びした調子で言ったこのうさぎはこと継続戦闘という分野に見るならばこの上を探す事は少ないスペシャリスト中のスペシャリストである。自身の周囲を血の海に変える事からブラッドエンドデッドなる不吉な呼び名を与えられる大技――半円のヘッドレスタンブリンで神速の斬撃を繰り出し続ける彼は然程消耗した様子さえ見せず障害を引き付け――同時に排除し続けている。 だが、口調の真剣さがどうあれ――うさぎの口にした現実は限りなく正解に近い明敏なものであった。 「ホリメらしい回復に従事して頂きたい。しっかり頼む」 「同志桃子! 支援部隊の督戦及び回復補助は任せたぞ!」 「合点承知なのですよ! こんな死体如きでこのももこさんをびびらせられようか。ありえない!」 「あ、そういや桃子さんいた。勝ったわ」 司令部隊の一員たるリオンとベルカの指示を受けたやたらに力強い桃子が状況の補強に動き出し、うさぎは無表情のまま嘯いた。 九十九商事ビルに突入する気満々の彼女だが――それも先の話である。その職種柄温存よりは忙しく動いているのは必然。 (目的地(ビル)までは――まだ距離があるか……!) ベルカの見つめる戦況は予想通り想定通りである一方で予想通り想定通り『でしかなかった』。 破竹の勢いで開始したリベリスタ達の突撃は敵陣が厚くなるにつれてその速度を鈍らせていた。敵が弱いと言ってもそれは『一対一でフェアに戦うならば』というアスタリスクは当然ながら付き纏う。 「戦闘不能者の後送は指定の二十名が専従する! ――まだ、臆するな!」 司令部隊の一員であるリオンの激励に意気高いリベリスタ達は「当然だ」と攻勢を強めた。 「正味の話、俺にゃ何が出来るって訳でもねえ。が、だからって座して待ってなんざいられねえさ!」 リオンが指定したのは戦闘能力に優れぬリベリスタ達である。彼等は凍夜に率いられる形で後送の支援に従事していた。この場にケイオスは居ないが『楽団』の性質上――否、そうでなくても。少しでも犠牲を減らさんとする司令部の考えはこの場合実に正しい。負傷者が増える程に死者が増える程に。燃え上がらんばかりのリベリスタ達の戦意も少しずつ――知らぬ内に削り落とされていく筈だ。彼はそれを知っていた。 「あーほんと、数が多すぎ。ま、泣き言言っても仕方ないし……あんた達もいい加減ゆっくり休めば?」 加速して動き回り、翻弄するように死兵を相手取る綾兎が嘯いた。 「簡単にやられる訳には――いかない、からっ、ね」 繰り出された死兵の爪を掻い潜り、直撃を避けるように柊還で受け流す。 「大丈夫?」 と傍らの遥紀に問われれば綾兎は小さく肩を竦めた。 (此処は娘が、息子が、大切な綾兎が、友人が居る唯一の方舟――壊させやしない、決して!) そんな遥紀は綾兎の動きを常にフォローし、カバーするように動いている。支援にも好機の攻撃にも余念が無い。 マナコントロールを駆使する彼は常に突出しない事に留意し、仲間達に気を配り、状況に注意を喚起していた。 目的地は少しずつ近付いているが、リベリスタ側の余力も順調に削れ始めている。 「おーし君達ー! こういう時サボってっとどーなるか! 身ーもって知る前に前行くぞ前ー!」 甚内の激励を受けて増援のリベリスタ達も死力を尽くす。 されど、時に理不尽な程あっさりと。少なくとも二桁以上の人間が死んでいる。戦闘の続行が不可能になった人間はその倍だ。 倒しても倒しても現れる新手。倒しても倒しても復活する敵は後背より、側面よりリベリスタ達に追いすがる。 その光景は底なしの沼に犠牲者を引きずり込もうとするまるで奈落の呼び声か。 「この程度――」 傷付き、血を流した真琴はそれでも気丈に声を張る。 「耐えること。それは何時もやっていますから。今回も――ただ味方の成功を信じて戦い抜くまで」 周囲で倒されかけたリベリスタを庇うように立つ真琴はまさに盾としての本懐を遂げている。 (私は――死者の安寧を取り戻したい……!) リベリスタ達の猛攻は少なからぬ死兵を破壊したが、彼等を破壊は本質的に戦争の終結には影響を及ぼさないのだ。 飛来する骨の矢は一線級のリベリスタ達にとって一では大きな脅威にならなかったが、十、百と束ねられれば論ずるまでもない。 運命が青く燃える。多くの戦いと同じように――それ以上に。リベリスタ達は生と死の狭間で危険な遊戯に興じざるを得なかった。 「戦線に【破軍】を集中投下する――!」 状況をつぶさに確認したベルカはここぞとばかりに有志リベリスタ達が組んだ攻撃小隊【破軍】に通達を飛ばす。 「今だ! 火線を集中しろ――!」 まさにリオンの勇壮な号令は戦場に新たな火を入れる為の導火線のようであった。 「指揮者よ、貴方と楽団だけで舞台は成立しない。 役者がいる。裏方がいる。観客がいる多くの者が手を取り息を合わせて、初めて舞台は完成する。 次は無いが覚えておくがいい。そんな事を忘れているから、相手のリアクションを見落とす初歩的で致命的なミスを犯すのだ」 誇りを持って進め、冥府への道を。眩く輝ける魂を道標に。 「Majestätisch und erhaben――さあ、踊りましょう。土となるまで、灰となるまで、塵となるまで!」 夜闇を思わせる漆黒のマントに『瞬く星』を溜めたアーデルハイトは何処か芝居めいて、極めて華美に――【破軍】の猛攻の始まり昂ぶった言葉と『開放』され唸りを上げる雷撃を添えるばかり。 「不滅の死者、厄介な相手ね。それでもたとえ一時でも確実に倒すの。最後には確実な『滅び』をあげる為にも、ね!」 声高に叫んだイーゼリットの呪力の開放が雷撃に続き、敵陣の赤い炎の波を生む。 「――今よ!」 「……予想よりも、俺の店の近くだったから驚いたよ。 世界的な指揮者の公演だ。組曲が混沌を冠していなければ、是非コンサートホールで聞きたかったけれどね――」 乱れた敵陣に好機を見たイーゼリットに応えたミカサが前方の敵へと肉薄し、鈍く放たれる紫色の光で愛と憎しみを謳う両手のアーマーリングより仕掛けの鉤爪を引き出した。知性らしい知性を持たぬ『人であったもの』に仕掛け暗器の奇襲効果があるか否かは知れないが―― 「――カーテンコールを迫らないといけない。最大火力で行かせて貰おうか」 今日ばかりは飄々とした――『ケイオス似の顔』に相応の闘志を乗せた彼は加速から多数の幻影さえ生み出して目前の敵を次々とっその爪で切り裂きまくる。 「おっしゃあああ! 次から次へと的が湧いて出やがる! 東西南北、みんな敵……いいじゃねェか。すっげェいいぜ!」 敵陣に斬り込んだミカサを――仲間達を孤立させまいと困難な状況にむしろ喜色さえ浮かべて見せた狄龍が腕をぶす。両腕に仕込まれた【明天】【昨天】――対の手甲型戦闘アタッチメントは狄龍の意志に応えるように瞬時に火を噴き、複数の敵に風穴を開けた。 「戦線の維持、押し上げのために火力を集中! いいじゃねェか! ますます気に入った! 俺が撃ちまくれば仲間が進むって事だろうがよ!」 「今回の戦いは負けられないでござるからな。負けたらプータロウじゃすまないでござるよ。 自分の花嫁ぐらい守れないといかんでござるし――拙者も張りきってやらせてもらうでござるよ!」 気を入れた腕鍛が攻撃態勢を取らんとしたリリに襲い掛かった死兵の一撃を受け止めた。 双鉄扇が硬く鋭い音を立てる。彼は体の芯を軽く揺らした衝撃に踏ん張り、押し返すように死兵を跳ね返す。 「腕鍛様!」 「リリ殿、すごいの頼むでござるよ!」 「――はいっ!」 仲間や愛する者が傍に居る事がどれ程心強い事かを応えたリリはまさに今実感していた。 『死の王国』で孤高を気取る指揮者にそれは決して分かるまい。どれ程強大だったとしても彼は一人。 なればこそ、確信する。六百余の意志を束ねる自身等の一撃が砕けぬ筈は無いと。 「私は神の魔弾。何かを守れるのなら、道具である事を何故厭う理由があるでしょうか――」 『十戒』と『Dies irae』。彼女の心をまさに表した聖別された二丁の魔銃が【破軍】の――リベリスタ達の突破に対抗せんと厚みを増した敵陣を睨み付けた。 「さあ、『お祈り』を始めましょう。生を踏み躙り、死を汚す者へ神罰を。唯、ケイオスへの道を拓き、かの悪魔を討ち取りましょう」 敬虔なるリリの言葉はまるで宣誓のようですらある。 「Dies irae, dies illa.solvet saeclum in favilla.」 「一体残らず逃さない。天壌の劫火に焼かれて眠れ。復活しようと、何度でも。 この救済は――私の原罪は全ての子羊と狩人に安息と安寧を。Amen!」 火器を使う二人のシスター。まさにこの瞬間に躍動した二人は目前に広がる『死』とは対照的な『生』の讃歌を思わせた。 リリ・シュヴァイヤーと不動峰杏樹は揃って賛美歌を奏でるようにラーマーヤナが畏れる神の矢で死兵の悉くを業火に呑む。 「やれ、やれ。ヤマも色々と巡りはしたが、ここまでの地獄絵図は珍しいの。 もとより惜しい命でもなし、死ぬには良い日だ、と言いたい所であるが……こう十把一絡げにされると、腹も立とうものよな」 ヤマの視界の中には炎に咽ぶ死人が居る。 体のパーツいうパーツを引き千切られ、それでも死ねずにのたうち。やがて再び望まぬ『生』に使役される死人が居た。 人間の尊厳を論じる心算は無かった。戦争において、此の世の地獄においてそれが軽んじられるのは神秘ならぬ世界の常であったから。 しかして、光景が目にしたいものであるかどうかは別物だ。 余りにも麻痺し過ぎた『死』が気分の良いものかどうかは全く別の問題である。 「ヤマに道連れはいらぬよ。それが生者であろうとも、死者であろうとも。さてと。二度、死んで貰うとしよか」 陣形の内に食い込まんとした複数の死者を立ち塞がった彼女の『思考力』が弾き飛ばす。 衝撃波を形成した意志の波は断固として今迫り来る死という形を否定していた。 「『圧倒的ではないか、わが軍は』だと? 馬鹿が、日本じゃその台詞を言った奴は敗北するんだぜ。 精々悦に浸っていろ、いい気になれるのも今の内だけだ」 毒吐いた禅次郎は常に最前線で暗黒を繰り、敵の暴威をその身に受け続けている。 こと単純な耐久力という面においてはアークトップクラスと呼べる彼は実に粘り強く戦い、粘り強く受け続けていた。 彼は自身が攻撃を浴びる事で確保出来る安全がある事を知っていた。 撃ち続け、耐え続ける。彼がシンプルと称した戦闘論理は彼でなければ容易く達成し得るものでは無かっただろう。 「カントーリオの顔を見に行っても良かったが、やはりネクロマンシーは性に合わぬわ」 外道、魔道に憤りを素直に表すような歳でも性質でも無い。淡々と言ったゼルマは混迷を始めた戦場に楔を打ち続ける要の一つだ。 (さてさて、あの魔女は今頃どこで何をしているのか。指を加えて見ているような輩ではあるまいが……) 思いを馳せたゼルマではあったが「今はリベリスタ共の面倒を見てやるか」と嘯き、詮無い考えを一度封印する事にした。 戦いは続く。続く程に誰しもが思い知る――決して勝てぬ徒花のような圧倒が続いていく。 ゼルマの支援も、リベリスタ達の奮戦も虚しく。又一人が倒された。 一人では済まぬ。死者達の猛攻がきらきらと輝く希望の芽を次々と摘み取っていく。 それは知らない顔であり、見知った顔であり、やはり――誰かにとって大切な顔だった筈だ。 だが、如何ともし難い。後送を担当する凍夜、リベリスタ達がどれ程に力を尽くしてもである! 死は――噎せる程に臭い立つ。戦場自体に蔓延し続けている。 「僕に出来ることはただ一つ。この拳をもって目の前の敵を打ち砕くことのみ!」 そんな中、激しく吠えた男が居た。 敵将への道を愚直に切り開く――浅倉貴志という男が自身に架した今夜の責務は何処までも単純で、何処までも重かった。 組み付いてきた死兵を抜群の集中力でいなし、逆に硬い地面に叩きつける。 「フッ……!」 口から鋭い呼気を吐いた武術家は自身に群がる敵影を次々と睨み付け、あくまでその場所を動かない。 明けない夜が無いように――この戦いにも終わる時が来ると信じて。その結末がアークの上げる鬨の声である事を信じて。 貴志はその頑健な肉体に食い込む痛みに意識を手放しかけながら――それでも明日の夢を見る。 ●九十九商事ビル 大変な労力と大変な犠牲を払っての到達だった事は間違いない。 リベリスタの魚鱗は少なからぬ脱落者を生みながら遂に死体の海を泳ぎ切り、目的地の九十九商事ビル周辺エリアに到達した。 本隊たる地上部隊から分裂するのは別ルートでケイオスを目指す奇襲部隊と九十九商事ビルに突入する襲撃部隊、 「心は全ての戦友達と共にある。この熾竜伊吹、襲撃部隊の者達に全てを託す。存分に使い潰してもらおうか!」 気を吐いた伊吹をはじめとした――彼等の戦力を出来る限り温存して送り届ける為の護衛部隊達である。 「では、我等は行くぞ。貴様等も壮健であれ」 「支援に五十名を当たらせます! 御武運を!」 ミリィの指令を受けたリベリスタの一団が、司令部隊より離れる刃紅郎以下奇襲部隊に随伴し周辺ビルを制圧する為の追加戦力となる。 一方で完全なる精鋭で形成された数十の決死攻撃部隊は迷わずビルの中へと突入した。 「――アークの窮地にお役に立てないとあれば、この地に来た意味もございません故!」 パーフェクトガードを纏ったリコルがエントランスホールに溢れん程に蔓延る死者の攻撃を堅く跳ね上げた。 「皆様は早く先へ!」 まず前に出て敵を引き付けた彼女の横を襲撃部隊の面々が駆け抜けた。 「この身を懸けて、万全で送り届けるとしよう。 かのジャック・ザ・リッパーをも退けたお前達だ、この度も見事な奮戦をすると期待している」 ハーケインが少し不器用に冗句めいた。 「オルクス・パラストの末席に連なっているから、ではない。俺自身もしぶとさでアークのリベリスタに負けてはいられないからな」 護衛部隊はビル内のアンデッド達を薙ぎ倒し、切り払い、食い止める――露払いで謂わば捨石の役である。 「敵将を倒さないと終わらない戦い。 敵将を倒せるほどの力量はもたねー俺としては、それを出来る連中をその場へと送り届けるだけだ。 ただそれだけだ。なーに、簡単なことさ。いつもどおりに敵を斬り、倒していくだけ。そして味方の勝利を待つ。それだけだろ?」 足を止めたディートリッヒがエレベータより飛び出してきた死兵達を自身を盾に押し返した。 「待ってるぜ。ああ、出来たら――ゆっくり祝杯位あげたいからな。早めに頼むぜ?」 ボーリングのピンのように死兵の一体を弾き飛ばす。 Nagleringを振り抜き、惚けて吐いた台詞は何処までもニヒルで、憎い。 敵に限りがあると言うのならばディートリッヒの言は正しい。されど、今夜ばかりはそのシンプルなルールは全く通用しないのだ。どれ程に攻撃力が高くても、練達の防御をもって粘ったとしても、敵が倒れないならばやがて待つ結末は一つだけ。さりとて、襲撃部隊は足を止める訳にはいかないのだ。死地に仲間を捨て置く事と知りながら。足を止めれば勝機は永遠に消滅してしまうのだから。 「死んだなら寝てろ! ゴートゥーヘル!」 護衛部隊の先頭に立つノアノアが長い廊下を駆けながら前方の死者を纏めて炎の渦に焼く。 「やだもー! 減らないじゃーん! こんなくだらねえコンサート初めてだよ! バッキャロー!」 騒がしい声は空元気めいていて。同時にこんな時にも失われないノアノアらしさでもある。 「意地でも通すものかよ!」 仁身のギルティドライブが死兵の頭を吹き飛ばし、福松の握る黄金のダブルアクションリボルバー――オーバーナイトミリオネアが次々に轟音を吐き出した。 確かに状況は研ぎ澄まされ、危険性は一秒毎にその濃密さを増している。 だが、此処に到ったリベリスタの悉くは相応に死線を越えた戦士達である。 「オレはこんな所で死にたくは無いし――テメェ等にオレ達のシマを踏みにじらせるつもりも無ェ!」 「そういう事だ。ここは俺の死に場所じゃねぇ!」 煙草の代わりに棒つきの飴玉を咥えた白いスーツの福松、実にシンプルに分かり易く気を吐いたブレス。 この場のリベリスタ達も何れもが生に執着し、死に抗う。諦めの悪い顔が揃えば――『混沌組曲』さえ笑い飛ばせてしまえよう。 「出し惜しみは無しで行くぜ――全力に一気に道を切り開く!」 一声と共に渾身の弾幕をばら撒いたブレスが道を『作った』。 「ケイオス・“コンダクター”・カントーリオ……私達は、混沌事件のように……『白の鎧盾』のようにはならない!」 清廉であれ。潔白であれ。騎士の末裔たるユーディスの瞳は遥か階上で夜に酔う『混沌』をねめつけているようだった。 (ユゼフ……敗れ去り、喪われた彼らの無念も。混沌組曲で喪われた多くの人々の無念も…… 此処で、この場で。貴方を討ち取り、私達が晴らしてみせる……!) 壁を破り、怒涛のように攻めかかる死体の波に愛用の槍を構えた女騎士が絶叫する。 「あああああああああああ――!」 ……部隊は後ろを振り返らず、唯前のみを見る。階段を駆け上がり、廊下を走る。 「決死とは特攻にあらず! 一秒でも長く俺はこの場所に踏み止まる!」 何処から現れたか階下より姿を見せた死兵の姿を認め、守が立ち塞がる構えを見せた。 ――親父は人のために死ねる男でした。 十四年前のあの日だって、いつもと変わらない笑顔で出勤して行きました。 きっと最後の瞬間も笑って逝ったのだと思います。 俺もそうなりたい。そうありたい。 人のために死ねるかは分からないけれど、せめて不敵に笑ってみせます。 奴等の傲慢に、目に物見せてやります! 「それが――俺の仕事だ――ッ!」 断続的な襲撃は身を挺して『戦力』を――ケイオスに届かせんとする銃弾を守った。 「魔剣ペルセフォネ、司るは死と再生。我等が力と正しき理をもって、不条理なる黄泉返りを否定しよう。 自我のないものに名乗っても無駄かも知れぬが――『騎士』蓬莱惟、帰るべき場所と人を護る為に、いざ参る!」 漆黒を纏う惟の手にした冥きオーラを纏う黒銀の剣が――夜よりも深い常闇で複数の死兵を斬り捨てた。 「全く、面倒な。独りよがりの音楽は雑音と変わらない。 ああ、評価している連中は――やれやれだ。お太鼓持ちばかり詰まらないな?」 呆れたように――持ち前の毒舌で『公演』を斬り捨てたユーヌが作り上げた影人で倒されかけた仲間を救援する。 「雑音の大本までエスコートだ。口下手な私はクレームに向かないしな」 『饒舌にそう言った口下手なユーヌ』は高等符術を駆使し、玄武招来の大技をもって敵を押し潰し威圧する。 「本音を正直に言やパスタ野郎のいけすかねえ面に一発お見舞いしてえがな。そりゃ俺様の役割じゃねえわな」 追いすがる死者の影を鼻で笑ったアッシュが舌を出す。 「雷帝様がキメてんだ。死人は死人らしく黙って待ってろ。 例えどんなに長く感じようが、夜明けは絶対にやって来んだからよ。 ああ、面倒臭ぇ。もういいから、とっとと行って倒しちまえ――!」 瞬くのは影さえ残す高速剣。雷帝にしては『地味』だが、これも『速い』事には違いない。 精鋭たるリベリスタ達の戦いは、強引なる突破は何れも劣らず見事なものであった。 されど、それでも数が減じている。高いビルを昇る程に襲撃部隊を守る護衛部隊の数は減っていた。 ビルの中にこれでもかと言わんばかりに詰め込まれた死兵達は不滅。これを捨て置けば先に待つのは最悪の挟撃だからこそ。時間を掛け過ぎればケイオスを逃す可能性がある事をこの場の誰もが知ればこそ。拙速は今まさに巧緻よりも望まれていたという事だ。 烏等は攻撃部隊の身でありながら時折弾幕を展開しては護衛部隊を助ける動きさえ見せていたが――想像以上の防備に、予想以上の攻略難易度を見せる摩天楼は、長いようで短い時間の中で少しずつ戦力を脱落させている。 「皆さんが進む道を切り開く手助けを……誰かが悲しまないように倒れないように」 肩で息をする辜月は背を合わせるようにして自身等を囲う死兵達に相対するシェリーに尋ねた。 「こんな戦場でも安心していられるのは隣にシェリーさんが居るからでしょうか」 シェリーは応えた。 「照れる風に言うでない」 死兵達の攻撃を捌きながらシェリーはふと考えた。 事此処に到ったのはやはり数奇な運命の綾によるものだ。 辜月がシェリーを望むのと同じだけ、シェリーは辜月を望んでいた。 (この者だけは死なせはせぬ、我が身に代えても。一度拾った命だ、雪待の命とトレードなら悔いはない――!) 運命の砂時計は残り少ない銀色の砂を落とし続ける。 「私のお仕事は主賓をエスコートする護衛部隊の中の『鉾』。今夜は結構単純よね」 「ああ。エナーシア女史が『鉾』だとするならば自分は『盾』だ」 ツーマンセルで攻防を一体とす。エナーシアの銃撃とウラジミールの頑健さは絶えず現れる死兵を次々と破壊した。 「明けない夜がない事を教えてやるとしよう」 「ええ」 ウラジミールの言葉にエナーシアは頷いた。 「どうにもいけないわ。絶対的な力、圧倒的な数、逸脱した精神性…… 確かに『凄い』かも知れないけど。それらは何処まで突き詰めようと戦いの要素の一つに過ぎない。 "パンは常にバターを塗った側を下に落ちる"のだわ。パスタ野郎は憶えておいた方が良いわ、傲慢は常に破滅の一歩手前で現れると」 「えなちゃん、居たのです! 守る!」 『増援』がやって来た。少女はその実『守られる』ような人間では無いのだけれど。 「『援軍』も来たか」 「これで『回復』も完璧でせう――」 ウラジミールが彼にしては少し珍しく冗談めいて笑い、目前の死兵を粉砕した。 「――さあ、パスタ野郎に熱々のリベリスタを届けてあげませう!」 『合わせた』エナーシアの表情に何処か安堵が見えたのは頭の隅にあった『懸念事項』が解決したからだろうか―― 全ては一の為に。一は全ての為に。 ケイオス・“コンダクター”・カントーリオの心臓に向けて銀の弾丸達は『空』を目指した。 『空』を目指して、やがて彼等は『そこ』へ近付く。 「新田殿」 ややあって。静かに声を発したのはアラストールだった。 「あの指揮者かぶれに目にモノを見せてやってください」 通路の奥から幾度と無く懲りぬ死兵の集団が迫り来る。 「先日のケイオスとの対峙で零児殿を死なせてしまった事を心苦しく思います 私は彼が見せた行動を――必死の願いを貶めるケイオスが許せなかった。 此度そのケイオスに目にもの見せる場に私は立てないようですが――どうか、宜しくお願いします」 前を向き、加速し。敵陣に切り込むアラストールは言葉を繋ぐ。 「――道を開けて貰うぞ!」 死兵の一を裂帛の気合を纏ったアラストールの剣が切り裂く。 「今まで好きにやってくれた借り――ここは絶対通す!」 両手に備えた鉄扇を構え死者の一団を全て自身に引き付けんとしたレナーテは声を張り、それから。 「……私が惚れた男なんだから、それ位はね。頼むわよ。本当に!」 言葉の前半のトーンは落ちて、後半は先程よりも力強く。 引き付けられた死体達がレナーテに群がる。伸ばされた腕が彼女の頭を掠め引っ掛かったヘッドフォンは床に落ちて踏み潰された。 小さな悲鳴を押し殺し、それでも引き付けた敵に粘りに粘る。 「ありがとうレナーテ。行ってくる。『また後で』」 その言葉は共に潜って来た死線で培われた絶対の信頼だ。 互いが為すべきを為し――最大の望みに手を掛ける。実に『リベリスタらしい』カップル。 「しがない傭兵のお仕事はここまでかしらね。後の事は勇敢な英雄様ご一行にお任せするわ」 撃ち尽くす程に酷使したFive-seveNをリロードして、肩を竦めたセシルは一つ息を吐き出した。 「……結構、熱いわね」 その言葉は呆れ半分、感心半分といった所であろうか―― 『モンマルトルの白猫』はあくまで傭兵。曰く「パスタ臭いイタ公の顔なんて頼まれたって拝みたくもないわ」である。 「三高平まで乗り込んで来るとは良い度胸なのです。さおりんもこの街も何が何でも絶対あたしが守るのです!」 気炎を上げたのはそあら。 「ケイオスを――倒す!」 「ああ!」 そして快、並走する夏栖斗。【相棒】の二人は屋上に続く最後の階段を駆け上がった。 「……この戦いはこの場だけでは絶対に勝てない。成る程、貴方の自信も良く分かる。 ですがね、コンダクター。我等は神秘の探求者。隠された塔の鍵、必ずや暴いてみせましょう」 口元に幽かな笑みを浮かべたイスカリオテが電話を片手に遥か海を越えた先で――時を待っていた筈の盟友に言葉を投げる。 「さあ、同胞よ。これより神秘探求を始めましょう」 派手な音が鼓膜を揺らした。 リベリスタ達は閉鎖された鉄のドアを蹴破り、冷たい外気の噴き抜ける摩天楼の頂へと飛び出した。 運命の輪は回る。 ビルの屋上から眼窩を見据える『彼』の背を目の当たりにしたその時――リベリスタ達は意識するより先に息を呑んだ。 ゆっくりと『彼』は――ケイオス・“コンダクター”・カントーリオは振り返る。 「招かれざる客は絶える事は無い。だが、コンサートは人種の坩堝だ。望む人物もその逆も常にある」 マネキンのように端正な顔をマネキンならぬ冥王の面立ちに歪ませて冗句めいた彼の声は歪夜に酷く通るのだ。 「しかし、音楽を聴く時は静かにと――」 血に染まる真紅の月のその下に。 「――諸君等が承知していないのだとすれば、これは由々しく嘆かわしい」 絶対の余裕を湛える真なる魔人。終わらない夜に君臨する『使徒』が居た。 ●ケイオス・“コンダクター”・カントーリオ 「翼の加護を使って空を飛んでボーンってするですぅ!」 制圧したビルの屋上で声を上げたのはマリルだった。 「翼が必要な者は申し出るといいですぅ! あたしが翼を与えてやるのですぅ! ありがたくおもうといいですぅ!」 五十人からなる奇襲部隊の援護リベリスタ達の大半はこの場に到るまでの戦いで命を落とし、或いは戦えない状態に追い込まれていた。されど、奇襲部隊の面々は刃紅郎の指揮の下、中核の戦力を残存させたままミッションの第一段階を完遂するに到ったのである。 「貴様等の想い、確かに継ぐ。遠きより我等の奮戦見届けるがいい――」 刃紅郎の声に応えた奇襲部隊がマリルより翼を授かり、三高平の空に浮かび上がった。 「よーしっ、一番槍決めてやるとすっかなっ」 努めて悲壮感を出さずに言ったクロトの『下』には地獄の如き戦場がある。冷たい空より俯瞰する眼窩の光景は暫く前よりもその凄惨さを増していた。敵軍の多くを引き付ける地上部隊の疲弊は明らかで残された時間がそう多く無い事はそれを見た誰もに正しく伝わるもの。 さりとて。 「神秘界隈の事はまだ疎いんでね、バロックナイツがどんだけ超大物かは知んねーけどよ……」 神秘界隈に疎いと言うクロトでさえもかのビルの屋上に待ち受ける者がどんな存在なのかを本能的に察していた。 眼窩には確かに地獄がある。しかして『決戦の地』が更なる地獄でないという保証は何処にも無いのだった。 クロトを――疲労し、消耗するリベリスタ達を支えるのは理不尽に対しての怒りである。死の恐怖さえ凌駕するそれは意地。 「――さあ、この街の夜を取り返しに行きましょう」 「ここは私達の大切な地……無粋な死者のステージではないのです。 返して頂きます…全て斬って斬って、斬り伏せてみせます!」 「もう誰も……誰も死なせたくないからね……出来る限りのことするもん! 糾華の声に頷き、リンシードが、アーリィが。【黒蝶】の面々が夜に羽ばたく。 (街に、友人に、思い出に。大事な物がたくさん重なって私達の世界はできている。 そんな大切なもの全てを守るのが私と――姉さんの願い) 瞑目していたセラフィーナはほんの一瞬だけ遅れて三人の少女達に続く。 「これ以上、私達の大切な世界を壊させはしません――」 そんなセラフィーナの大きな懸念は…… (……あの、パスクァーレ神父は何処に……?) ……横浜外国人墓地での戦いで行方をくらませた黒神父である。 あれ程のフィクサードがケイオスの軍門に堕ちたとするならばそれはまさに『最悪のジョーカー』と成り得るイレギュラーだ。 とは言え、現況でセラフィーナの疑問に答える者は無い。 奇襲部隊は襲撃部隊とは別のルートで進軍を進めた戦力である。 彼等は九十九商事ビルの突破が叶わなかった時の保険であり、同時にケイオスの注意を分散させる為の攻撃部隊である。襲撃部隊が先に屋上に到達したならば奇襲部隊がケイオスの後背を狙う。奇襲部隊が先に仕掛ける事叶ったならば、襲撃部隊がケイオスの虚をつく……といった具合に部隊は相互の役割を臨機応変に入れ替えながら攻勢を加えるという性質を持っていた。 そして、果たして――結論から言えば奇襲部隊は今回、『奇襲役を果たす』という本懐を遂げんとしていた。 「さーて、張り切っていくとしますかね」 昼行灯を気取るように肩から無駄な力は抜いて。それでもその眼光には鋭い光が点っている。 和人の繰り出した重く激しい一撃が死兵の一体をひしゃげさせた。 「我流居合術、蜂須賀朔。推して参る――!」 決戦の地を踏むリベリスタに相応しく――踏み込む朔は畏れず、揺らがず、討つべき男だけを見据えていた。 『素人目に演者のミスをカバー出来ぬ指揮』を揶揄した彼女は薄笑みのままに刃を振るう。 その姿は同じ蜂須賀の女なれど『彼女』とは到底重なるまい。 「混沌の指揮者……悪趣味にはいい加減、震えが来るわね」 アークに合流して早々と遭遇した『大物』に霧音は小さく嘯いた。 無銘の業物を手に指揮棒(タクト)を振るう魔人に肉薄を図るも、『死』の壁は屋上のリベリスタ達を十分に攻めあぐねさせていた。 奇襲部隊に先んじて屋上に到達した彼等襲撃部隊は予定通りにケイオスとの戦闘を開始していたのである。しかし、状況を見れば一目瞭然な話ではあるが、『死体を入れ替える』ビフロンスの能力はアシュレイの結界内故にその効果を限定的なものにしながらも屋上のケイオスに彼の望む増援をもたらしていた。 「キングが何故キングとして君臨していられるのか全く知らないと見えますね――!」 嬲るような調子で哄笑するケイオスに彼を挑発した朔が倒された。 咄嗟に彼女をフォローするように前を塞いだ快が飛びかかる死者の爪をその身で受けた。 「これ以上は――誰一人奪わせはしない。俺がアークの盾になる!」 「いい音色です。希望の音はより芳醇な絶望の音色の素材となるでしょう。 どうして私が退かなかったか分かりますか。貴方方の手品が私を『特定』した理由は後でゆっくり尋ねるとして。 分かりますか、リベリスタ。私は諸君等に絶対的な序列を教えて差し上げようと思ったのですよ、終わらない夜の王が誰かを!」 ケイオスの兵隊は不滅の死兵である。その数は増える事あっても減る事は無い。 戦闘は見るからに厳しい状態に違いなかったが、それが故に奇襲部隊が楔となるのは必然だった。 「――オマエにに私は関心ハネー。ダガ、帰る場所を私は護るそこに自分がいないとダメダ。泣く奴がいる限り!」 「――――」 誰よりも速く。常に速く。 ビルの影に隠れて移動し、最初にケイオスの後背を突いたのはやはり雷光の少女――リュミエールであった。 「ドレ位効くカ知ンネーガ!」 トップスピードの最高加速よりアル・シャンパーニュが光に飛沫く。 幾条も斬撃を浴びせかけた彼女をケイオス直近の死兵が阻むが、奇襲はその程度では終わらない。 「相手はバロックナイツや……うちの攻撃が通用するからはわからへん。 ……せやけど、『かからへんかも』で諦めたらこの先やってけへんからな――」 威力にこそ優れないが変幻自在の手管を持つ椿の攻撃がケイオスを大きく跳び退かせた。 同時に。 「一気にぼーぼーでいきますよ!」 空より降り注ぐ赤い矢はユウがこの瞬間に用意した『特別製』。 屋上の死兵達ごとケイオスを叩きのめさんと繰り出されたそれは火炎業炎を一帯に撒き散らし暴れ回る。 「高い所から地上を睥睨だなんて。カッコいいですね」 そんな風に笑って屋上に着地した生佐目の放った黒光がケイオスの『盾』を貫いた。 「……無粋な!」 怒りの覗く悪態を吐くケイオス。 「名高いバロックナイツと戦えるとはアークに入ってホント良かったぜ!」 俄然勢いを増し始めた展開に陽子が快哉を上げた。 挟撃が成立し、ケイオス陣営が乱れれば――襲撃部隊の側にも好機が生まれるのは必然だった。 「オレの攻撃は大振りが信条、当たるも八卦当たらぬも八卦。ドンドン行くから宜しくな!」 順風の攻めは強い陽子の攻撃は常に必殺性を帯びていた。 「ざっけんな! ジャック蘇らさせれっか! てめーのロストコードだらけの五線譜――もう、ずっと耳障りなんだよ!」 夏栖斗が気合のままに見えぬ武闘を繰り出せば――飛翔するそれは虚ろを渡り的を貫く。 (その油断が――ケイオス。お前に付け込む最大の隙になる――!) 「俺様より全力で生きて笑ってる奴らの生を、死をこれ以上穢させやしねえよ! その耳障りな音、十全に凪いでやる!」 襲撃部隊の次は奇襲部隊の創太が仕掛ける。 頑健なる死体に突き刺さる彼の全力は炸裂する威力の余波で屋上の空気を震わせた。 止まない両面波状による連続攻撃は夏栖斗が望むその通りに『想定外』の指揮者のコードを乱していた。 「ケイオス! わたしたちの街を――好きにはさせない!」 凛と言い放った舞姫が複数の死体を自身の方へと引き付けた。 「京子さん、背中は預けます!」 「今回はボケないで下さいね。言っておきますが、突っ込みませんからね!」 子猫の甘噛みのような悪態を吐く――舞姫に応えた京子が守りの為の影人を作り出す。 「――終くん、行けっ!」 「舞りゅんったら超荒ぶってる~☆ じゃ、張り切って行くよ……!」 戦況を見れば虎の子のグラスフォッグは撃てずとも――意気高く終は一気に加速した。 【ディ・モールト熱海】の三人の息はピタリと合い、束ねられた意志はその後を行く者達に道を作った。 「まおは今がチャンスだと思いました」 屋上に降り立ったまおが踊るように敵陣を切り裂き、 「まおちゃん、頑張ろう。隆明にはちょっと負けられないけどね」 「負けられんのはこっちもだぜ、途中でへばんなよロアンさん。 スカした面ぶん殴って、生きて帰ろうぜ――全員、死ぬなよ!」 彼女と共にこの場に辿り着いた【銀閃】の二人――ロアンと隆明は競うように猛烈な攻撃を仕掛け始めた。 「死んで操り人形なんて、まっぴらごめんだ。僕はヴァンパイア、奪われたモノは奪い返すよ――」 ロアンのステップは優美に華麗にまおを追う。 「余裕ぶっこきやがって――アークのリベリスタってヤツを教えてやるぜ!」 敵中に飛び込んだ隆明の暴れ大蛇は対照的に質実剛健に荒っぽく――死体を叩き潰し、その手足を宙に舞わせた。 「さあ、懺悔の時間だよ。言い残す事はあるかな?」 「合っても――待っちゃやれねぇけどな!」 「まおは生きたいです。だから止めます」 ロアンと隆明は抜群に息を合う所を見せ、紅一点のまおが更に連なる斬撃を煌かせる。 「……前ン時は、情けない事しちまったからな。 だが、今回は自分の持ってるもん全部突き出して――一発届かせてやるからよっ!」 この夜はリベリスタ達のDies ire(怒りの日)のようであった。 まさに猛攻。それは止まらぬ猛攻。猛攻、猛攻、負けじと続いた猛がコンクリートを蹴り上げる。 「ケイオスよ、お前さんが相手にするのは正真正銘、アークの全力だ。こっから先に、お前の書いた譜面は無いぜ!」 伸ばされた猛の腕が又一枚ケイオスを守る壁を引き剥がし破壊する。 「合わせて下さい!」 セラフィーナの霊刀が鮮やかに閃いて死兵の壁を翻弄――まさにその動きで魅了する。 「糾華さん、リンシードちゃん、アーリィちゃん!」 「怖いとか言ってられないからね……わたしも前で狙っていくよ!」 「死者の蔓延る混沌の夜はここで終わりです……斬るっ……!」 セラフィーナの声に応え、アーリィの放った気糸が闇を切り裂く。 人形のような少女の振るう体格には不似合いなその剣の切っ先が指揮者の燕尾服の黒い布を引っ掻いて散らした。 「私達の世界を守らせて貰うわ。死霊使い。 奏でる調べが例え完全なものだったとしても、私達という不協和音は――そんな曲を許さない!」 【黒蝶】の少女達が織り成す四重奏は華美にして鮮烈で。 壁を剥がされたケイオスに肉薄した糾華の白い指先が施す死の爆弾がその上半身を今――ハッキリと仰け反らせた。 「……小賢しい……ッ!」 「っ、あっ……」 直接戦闘に優れぬとは言え――ケイオスはバロックナイツ。 返す刀とばかりに繰り出された霊魂の炸裂に咄嗟に足を滑らせた糾華を含め――肉薄したリベリスタ達の何人かが吹き飛ばされる。 絶大な破壊力に今ので動きを止めた者も居る。幽鬼の如く揺らめくケイオスは凄絶な笑みを浮かべていた。 「ぜったいに――ゆるさない。ただのひとりもゆるさない」 「こっちの台詞よ!」 そんな彼の戯言を一言で否定し、切り返したのはニニギアだった。 「灰は灰に、塵は塵に。どうして――そんな簡単な事が分からないの!」 心優しいニニギアは自身に似合わぬ怒りの色を言葉に乗せて『福音の指揮者』を聖なる呪言で追撃した。 聖なるかな、祈りは時に神に届く。運命を味方につけた最高の一撃(クリティカル)は痛打でケイオスの表情を歪ませた。 死者が戻る前に。一度は壊した壁が再び聳える前に。奇襲部隊を認めたケイオスが更なる増援を用意する前に。 「櫻霞様の足りないモノは私が補い、逆は櫻霞様が……私達二人には成すべき事がある。 だから、死ぬわけにいかない……必ず櫻霞様は護ってみせます……!」 櫻子の聖神の息吹が――【ミネルヴァ】の乙女が唯一真に守るべき櫻霞を含めた――リベリスタ陣営に降り注ぐ。 摩天楼の頂、空中庭園の如き戦場は広く。その全てをカバーする事は出来なかったが勿論その中心には櫻霞と杏子が居る。 「さぁ、此方の音楽をご堪能あれ……」 杏子の呼びかけに応え、黒鎖が踊る。 ケイオスの指揮棒(タクト)から迸る呪力が直線に結んだ葬送の角度を暗い空の彼方へ捻じ曲げた。 「ああ」 動きは連動。流れるように留まらず、全てはある種――口の端を僅かに持ち上げた櫻霞が為の布石であった。 黒金の四十五口径(ナイトホーク)を斜に構えた彼は共に在る【ミネルヴァ】の乙女達に満足し、又『己の為すべき』を弁えている。 「バロックナイツね。所詮貴様らは踏み台であり生きている人間だ。 なら乗り越えるぞ、無論生きて二人でな――良い夜だなネクロマンサー、貴様の命を狩りに来たぞ!」 高らかな宣告と共に針の穴さえも通す精密な狙撃がケイオスの身体を貫いた。 血色の悪い唇から黒っぽい血を吐き出した彼は剣呑と自身を撃つリベリスタの――櫻霞の顔を見た。 戦いは続いた。死体は骨の玉座を守る近衛。次々と起き上がり、又は新たに出現してはリベリスタの攻め手を妨げた。 死力を尽くすリベリスタ達はこれを次々と叩き、掻い潜り――魔人にダメージを刻んでいく。 ケイオスはジャック程では無い。否、厳密に言うならばそれよりも何よりも――リベリスタ達は『強襲バロック』の頃のリベリスタ達では無かった。傷付き、余力を削られる者も多数。されど運命は幾度と無く瞬き、温存を重ねた彼等はそれでもしぶとく粘り喰らいつく。 「『逸脱者』には効かない――と聞いた事もありますけどね」 最後の最後に頼れるのは自らが信じ、練り上げた技ばかりである。 「兄さんも命を賭けて挑んでるんだ。絶対に、その行為を無駄にはさせない……!」 レイチェル・ガーネットはこの瞬間も妹であった。 「貴方が『止まった』と聞いたなら――それがどんな奇跡的な確率だったとしても。私に出来ないとは思わない。 不可能で無い限り――必ず、届かせてやる……!」 レイチェル・ガーネットはこの瞬間もプロアデプトであった。全てのデータを網羅し、過去の戦いに学び、戦闘に常に最適化という『アップデート』を与える事を怠らない。『ケイオスに先んじる程度のスピード』と『極限まで高め傾けた精度』は罠の巣箱を形成する気糸の収束を――彼女自身が信じた通りバロックナイツのケイオスにさえ気取らせなかった。 「――捕まえた!」 「……しつこい……!」 「混沌だよ、混沌!」 自由を失い、思わず声を上げたケイオスを竜一が遮った。 「けども、この世界に混沌を名乗るのは俺一人でいい! なので、お前には死んでもらわないといけないのさ。残念だ!」 奇襲めいて――好機を伺っていた竜一が飛び出した。 「俺は捨石でいい。勝つ為なら――何でもするさ!」 両手の刃より放たれた雷鳴のような斬撃がケイオスの態勢を崩させた。 集中攻撃が始まった。可能な限りケイオスに束ねられた大攻勢は数十人からなる精鋭達の思いの丈のようであった。 「おおおおおおおおおお……!」 獣の如き咆哮を上げた刃紅郎がその巨体に滾る膂力の全力をその瞬間に叩きつける。 空気が割れ――夜が戦慄する。 確かに重く刺さった一撃は彼に『殺った』手応えを感じさせたのだ。 「まるで、ドラマというものを御存知ない」 されど、指揮者は崩れ落ちる事さえ無く――『チ、チ、チ』と指を振る。 上半身を半ば千切られたケイオスは心底楽しそうに笑い出した。 「Be quiet! 生憎と私はこの位で死ねる人間では無いのですよ――!」 「……っ、痴れ者が――!」 犬歯を剥き出しにした刃紅郎が臍を噛む。 ケイオスの現況はアシュレイの『推測』を『現実』へと裏付けるものである。 骨のオーラを隠さず開放したケイオスの中には『ビフロンス』が住んでいる。 遥か西方の地、イタリアに眠る『契約の鍵』を証明に。魔神は見えないながらもそこに居た。確かに。 「さて、鬼が出るか蛇が出るか」 乾いた声で呟いた烏の目には『まるで人間を辞めている』魔性が佇む。 ――は、は、は。二回目か。まー、いいけど? 意外と苦労してるのな、カントーリオ君。 一同の頭の中に響いたテレパシーのような言葉を誰のものかと問う理由があるだろうか? ソロモン七十二柱が一。二十六の軍団を率いる序列四十六番の地獄の伯爵は『嘘のような不死』を実に気楽に死の王に約束していた。 「馬鹿な。貴方も退屈かと思いましてね。これも演目の内ですよ、『ビフロンス』――」 ●境界とギャンブル 白い制服を纏うボーダーラインの花風が舞う。 その手に二刀を携えて。小さな胸に誇りと想いを携えて。 「負ける訳にはいかないの――」 白い肌に傷を刻み、痛みを刻んだ少女(ルア)は謳う。 「――後に続く皆の為に。隣に居る弟の為に。アーク本部で待ってる親友やパパやママの為に。大好きなスケキヨさんの為に私は戦う!」 摩天楼の頂に悪魔が笑みを見せた頃――地上部隊の戦況は完全なる悪化の一途を辿っていた。 (元々人間だろうが関係ない――今はもう操り人形だ!) 幾度目か自分の言い聞かせたジースが死兵を薙ぎ払う。 自身の傍らには双子の姉。自身が立つのは『革醒者が安心して暮らせる居場所』。 命に換えても守らなければならぬ二つがそこにあるとするならば――彼には最早迷いは無かった。 ――我々は世界の最終防衛線である―― 矜持を胸に絶望的な戦場に立ち続けるのは【境界線】の面々だった。 「境界最終防衛機構が一員、姫宮心! この程度で倒される訳にはいかないのデス!」 『先程』よりも手数を増した敵の攻撃は『先程』よりも心一人の守りを傷付けた。 受ける人間が減れば『立ち続ける事』を何よりの役目と心得る彼女に掛かる負担が増すのは当然であった。 「態勢を立て直して――まだいけます! ここを凌がねば勝ちはありません!」 ミリィの激が幾度と無く響き渡る。 ……増援リベリスタ達の大半は地上部隊に残り死者達の抑えと破壊を続けていたが、奇襲部隊、護衛部隊、襲撃部隊の三隊――つまりリベリスタ戦力の精鋭達の相当数はケイオス攻撃の為に地上の抑えを離脱している。抵抗さえ強引に押し切って進撃を達成した地上部隊も核を失えば戦力の低下は否めなかったのである。加えて戦闘時間が長引く程に『不死なる軍勢』と『生身のリベリスタ』の差は際立つ。決して恐れず、疲れず、滅びぬ木偶達はリベリスタ側の圧倒的な戦い振りさえ飲み込まんと勢いを減じる事は無かったのだ。 感情の無いそれ等の『戦い』はまるで作業のようであった。 ケイオスが愛したルーティーンそのものであった。彼の几帳面で神経質な性格を表すように乱れ無く。 沢山のリベリスタが死んだ。動かなくなった。 「流石に此処で倒れるのはゾッとしないぜ?」 嘯いた涼の髪は冷たい汗で肌に張り付き、彼にも言葉程の余裕は無い。 「敵は多勢、我等は無勢、けれどだからどうしたと言うのです」 自身の下にも殺到する死兵の威圧に傷付けられ――額より鮮血を零したラインハルトがそれでもまるで怯まない。 「私達には剣があり、仲間があり、護るべき者が居る。 世界の危機、とは少々異なりましょうが――隣人の危機を見逃して何が護国の盾でありましょう!」 無神論者の大盾を手に、鮮やかな赤いマントを翻して――少女は叫ぶのだ。 「命を懸ける理由に――果たして、これ以上が有りましょうか!」 聖戦の呼び声に聖神の奇跡。己を、仲間を『境界線』と呼ぶラインハルトはあくまでその場より後退しない。 轡を並べた戦友が死しても。例え道半ばにして自身が朽ちる事になったとしてもである。恐らく彼女は退かないのだろう。 少女は仲間を見捨てない。例えその身がどれ程傷付こうとも―― 「誰一人欠けさせるものか。これ以上、心のない人形を増やさせない! この街は俺たちの街だ――俺たちの街は、俺たちが――守る!」 眼窩を照らす赤い月に負けぬよう。レンの抱く不吉の月が強烈に死兵達を照射する。 「一緒に境界線を押し上げるです! 前に立つです! でも一人で突出はせず! みんなとぐいぐい押すのです! みんなでいくですよ! はいぱー馬です号!!!」 ――イーリスの一撃が死兵を砕き。肩で息をする彼女は次の敵を見た。 「人の彼女に手を出すな」 「……ありがと」 立ち塞がるオーウェンに未明が小さく声を漏らした。 茉莉は言った。 「きっと、上手く行きますよ……!」 瀬恋は言った。うんざりしたように。それでもそれを疑う事は無く。 「早めにケイオスを討ち取ってくれよな。マジで頼むぜぇ……」 熱くなった銃口をふっと吹き、喜平は言った。惚けて言った。 「なぁに……大丈夫。俺はさておいて他は優秀だからな」 アイリは吠え、奈々子は見得を切り、 「私達は凌いでみせる! 凌ぎ切る――!」 「席を立つことを許さないなら結構よ。意地でもこの席から離れるものか! 何度だって立ち上がって……あの人達へ、繋ぐ!」 綾兎は声の限りに想いを爆発させた。 (怖くないはず、ないでしょ? でも……ここは、大切な人と出会って……大切な……家族になってくれた、人達がいる。 ここを失うくらいなら、どれだけ怖くても戦えるよ、当然でしょ? 俺は絶対に、おにーさんを引っ張って、チビちゃん達のところに帰るんだ。帰るんだ――) 力の限りに。 「――だから、絶対に、死なないよ!」 戦いは続く。終わらない。 「まだまだ粘るさ。しぶといのがウチの真骨頂、見せ付けてやろうじゃねぇか!」 小烏は折れぬが、この場に在る者には決して幕を引く事が出来ない――Endless Nightが世界を蝕んでいる。 「……やっぱ足りねえわ。この程度じゃ絶望してやれん」 それでも――うさぎは確かにこの時『確信していた』のだ。 「私は本当、周囲に、人に恵まれ過ぎましたから。 信じる以前に、そもそも疑えません。どれだけ困難だろうが危険だろうが――やるっつったらやるんですよ、『彼等』は!」 遥か海と時間を越えた『昨日』で仲間達は奮戦しているだろう。 見上げたビルの屋上であの指揮者の澄ました顔は今頃どう変わっているのだろうか。 「……よし、全額私のチップは賭けた。後で武勇伝を聞かないといけませんね」 惚けて幽かに頷いたうさぎは幾度目か目前の死兵をその技量で解体した。 戻るから意味が無い、では無い。何度戻ろうとも――『彼等』が成し遂げるまで――我慢比べさえ、厭わない! ●冥王の呼び声 「諸君等は知らなかったのですか?」 ケイオスは傍らに佇む『小さな少女の骨』を撫でた。 『不滅』という口に出せば陳腐な能力も――いざ相対したならば最悪中の最悪として際立つのは間違いない。 死臭の絶えぬ屋上に余力の残る人間は最早殆ど残っては居なかった。 「そう、そんな顔が見たかった……」 ケイオスの一張羅は繰り返されたボロボロになっている。それはリベリスタ達がどんな戦いを繰り広げたかを如実に語っていた。 頭を潰した事、二度。心臓を抉った事、三度。パーツというパーツを切り離しても全て無意味。 だが、彼は健在だ。最初と変わらぬ余裕を湛え、その身に刻まれた傷さえ元の通りに復元している。 「どうしましたか、リベリスタ。もう芸は尽きましたか?」 紳士気取りの彼はもう取り繕う事さえ出来ずにこみ上げる愉悦を隠せない――ケイオスは不気味に笑っていた。 ――いい性格してるねぇ。流石、ソロモン君の親友だ。実においらとも気が合うよ! 耳障りな魔神の声はノイジーであった。 「成る程、大した神秘だ。垂涎とでも……言いましょうか」 イスカリオテは『半ば本音』で呟いてふと愛すべき『力の座』の顔を思い浮かべた。 やはり――どうあれイタリアへ飛んだ十人が『生命線』なのに疑う余地は無い。「ふむ……」と呟く超然としたイスカリオテはさて置いて、肩で息をするリベリスタ達の心には少しずつ隠せない焦燥が募りつつあった。 幾度と無く死体を、ケイオスをリベリスタ達の弾丸が、剣が、魔術が穿つ。しかして。 「……又かっ!」 忌々しそうに声を発した風斗の目の前で袈裟斬りにした筈のケイオスが元の形を取り戻した。 「また、ではありませんよ。これを人は永遠と呼ぶのですから」 『ビフロンス』と契約すれば全てが不死に成り得る訳では無いという。あくまで『ビフロンス』は切っ掛けである。彼の能力を十全に――完全に引き出し、我が物と出来るのはケイオスがケイオスであるが故だ。『キース・ソロモン本人にも出来ない芸当』は世界最高峰の死霊術士(ネクロマンサー)と死を司る魔神が出会ってしまった――最悪の取り合わせに起因する。 キース・ソロモンはそれを知っていて――『恐らくとしか言えないが』面白がったのではあるまいか。 戦いは続く。焦れる、戦いとも呼べぬ戦いはリベリスタ側のみに不当な対価を要求し続けた。 インスタントチャージ等の支援と極力の温存があったとしても敵の攻め手が緩まねば被害状況を減らすには到っていない。 (でも、でもですよ――) 京子は真っ直ぐに彼を見て、真っ直ぐにその先に繋がる未来に目を向けていた。 (――アシュレイさんの占いは絶対当たるんでしたよね。それじゃあビフロンスの契約は必ず破壊されます。大丈夫) 揺らぐ未来の中から可能性の一つを覗き見るアシュレイの『占い』が必中であるとは実に楽観的な思考であった。 しかして、京子はあくまでそれを信じて、自身の出来る事を只管に繰り返す。 更に何人もが倒された。 運命の歯車が重く軋む音を立て――廻り始めたのは彼等で無ければ誰もが絶望し切った後の事であっただろう。 『福音』は突然――天の祝福であるが故、天佑の如く現れる。 ――あれ? あれれ? あー…… 魔神の声が頭の中で震えていた。 明瞭(クリア)だったその音が乱れ、混線のような有様を見せた。 ――これでおいらの出番はおしまい! じゃあ、まあ、頑張っ―― 「……な……」 ケイオスの口から零れた僅かな焦りはその身の内に飼う『ビフロンス』の異変を察してのものだった。彼に纏わりつく強い魔神の気配が急速にその濃度を薄れさせていた。彼は起きた状況を概ね理解しながら『何故』かに惑い。逆にリベリスタ達は待ち侘びたその瞬間を瞬時に内に全て理解していた。 「あやつ等、やりおったか!」 喜声を上げたのは支援に尽力し戦線を支えてきたメアリであった。 ケイオスが冷静に立ち返る時間があったならば――彼はきっと察しただろう。 遥かイタリアの自分の本邸で――のんびりと逗留する親友が『どんなやり取りをした』のかを。 さりとて、彼がそこまで思案を巡らせる時間の余裕は目の前の敵に許されては居なかった。 「油断、慢心、傲慢……愉しみなんかで私達を相手にしたの? 呆れるわね、貴方」 霧音が跳んだ。残された最後の力を振り絞りケイオスに肉薄する。 「私達は油断しない。確実に討ち果たすまで。微塵に刻み灰も残らぬほど焼き尽くすまで。全力で殺す――それだけよ!」 雪崩のように繰り出された攻勢は彼女の内に溜まった鬱憤を晴らすかのように激しく速い。 ケイオスはこれを『避けた』。身を翻した彼は『受けずに避けた』。 『冥王の呼び声<アンデッド・ルーラー>』が哭(な)く。砕かれた死兵達が立ち上がり、最後の勝負に出ようとしたリベリスタ達を迎撃した。 王が素早く真剣な防備を固めた事は――リベリスタ達にとって悪い情報では無い。 それは取りも直さず『この王は防備を固めねば討ち取られ得るという事』だからだ! (己が能力は今だ未熟なれば――謂わば同じく『指揮』を執る立場……) あくまで戦場で指揮者足らんとする酒呑雷慈慟に迷い等あろう筈も無く。 「自分の能力足らずとも。此方、万夫不当の勇者のみ。さあ――諸兄! 傲慢を撃ち抜くぞ!」 雷慈慟の指揮が、号令が動き出すリベリスタ達に一層の規律を与えた。 「一発逆転の大大チャンス?」 小首を傾げた珍粘――『那由他』が花が綻ぶように可憐で――優雅、全く華美なる笑みを見せた。 「『避けて下さい』ね? お願いします――」 敵味方が乱戦めいて密集する屋上で『巻き込まずに撃つ』のは困難である。 一方的に言って力を開放した『那由他』に応え、小さな黒点がこの世界に渦を巻いた。 噴き出した異界の疫病は生命活動を失った死兵ですら腐らせ、溶かし――『黒き死』に飲み込んだ! 「これはケイオスさん。私から貴方に送るフィナーレです――」 「……混沌の王よ、貴様の沈む地はこの極東だ、覚悟をして貰おう!」 『恋人』を継ぐのは『正義』であり、『月』である。『新城拓真』の名乗りと共に【剣と月】が動き出す。 「夜天に輝く月が貴方の頭上をも照らす様に貴方の姿とて、決して捉えられない訳ではない。 貴方程の魔術師とて、その術は所詮は人の為す事に他ありますまい。尤もこれは――我等が神父様の受け売りですが」 魔陣を展開した悠月が駆ける拓真の背を追った。 「――ケイオス・“コンダクター”・カントーリオ。 『貴方は絶対の隠蔽が破られたその瞬間に全ての可能性を疑うべきだった』。 貴方は己が拠り辺とする魔神王の盟約すら疑うべきだったのです。 何度死を跳ね除けようとも、運命を紡ぐ銀の環の名において。何度でも貴方に死の運命を下しましょう!」 「今日此処で……決着を着ける! 託された希望を、未来へと繋ぐんだ!」 Broken Justiceが鉄の凱歌を響かせた。その手に魂さえ砕く虚無を携えた悠月は彼と前衛・後衛を入れ替えているようだ。 「この上、我等の戦いが無駄な事かどうか――どうぞ、その身で試しなさい!」 好機を伺い面接着でビルの側面を進んだ天乃が奇襲めいて飛び出した。 「ジャックを操る、とかさせない、絶対に」 少女の中に在る『最強のイメージ』は恋にも少し似てけれども非なる確かな憧憬。 「それよりも貴方が――さあ、踊って……くれる?」 両手を覆う魔力鉄甲から伸びる絞殺の為の気糸がすんでで阻んだ死兵の首を至極あっさりとねじ切った。 彼等は冥王の声に応え何度でも蘇るだろう。しかし、当の冥王に与えられた不滅は最早無い。 「あたしの代わりにでこでこ眼鏡をやっつけて下さいです!」 そあらの声と支援がパーティを力強く激励した。 (……それから、あの神父の代わりにも) そあらは家族を亡くす痛みを知っていた。故に――敵である彼が、黒神父が見せたあの顔を決して忘れる事は出来なかったのである。 幾度も阻まれ、傷付けられ、体力と気力をすり減らしながらもリベリスタは攻める。兎に角、攻める。攻め続ける。長い時間と重い犠牲とを代償に訪れた『王国崩壊の好機』を逃すようならば未来は永遠に朽ちるだろう! (アタシは室長に約束したの。必ず本部を死守すると――) 皮膚を裂き、肉を削った死兵の爪に歯を食いしばって耐え抜いた。 恵梨香の詠唱により空間に浮かんだ魔方陣が砲撃めいた魔力の迸りで敵を貫く。 「――落ちなさいっ!」 懐に忍ばせた空の小瓶の存在が気を吐く少女を支えていた。 慌しさを増した戦場に『安全圏』は最早無かった。 これまでは『安全圏』から戦いを進めていたケイオスさえ――それは例外では無い。 地上部隊が、護衛部隊が多くの死兵を破壊した。『ビフロンス』が消えた今となっては屋上に増える戦力も無い。 だが――それでも。 「……チッ……!」 烏は舌打ちをする事を禁じ得なかった。 『戦い方』を変えたケイオスに攻撃を届かせる事は『不死』であった頃よりも余程難しい。リベリスタ側の疲労や消耗は強かでその勢いは確実に削れ始めていた。『不死』を持たぬのはケイオスだけ。彼の旗の下に蠢く死者共は『冥王の呼び声<アンデッド・ルーラー>』に応え何度でも蘇る。つまる所それは『大勝負を決めたイタリア勢に関わらずこの場でケイオスをもう一度――倒せるかどうかが勝負の分岐点になる』事を意味している。 ケイオス・“コンダクター”・カントーリオはバロックナイツ。 リベリスタ達を嘲り笑い、『敢えて受けていた』時分ならばいざ知らず――その能力は絶大である。 アシュレイが『直接的戦闘に優れない』等と言ってみても、そんなもの『バロックナイツの基準』では気休めにしかなるまい。 「退席は無い……俺達が勝つまでは!」 快の代弁した神の声――聖戦ラグナロクはリベリスタ達に何度でも闘志を蘇らせるもの。 されど、砕けぬ攻防一体の盾――死木偶の舞がリベリスタ達を苦しめる。 焦れる状況は暫し続いた。されど今夜の運命は――やはりリベリスタ達の方に曲げられていた。 奇跡に拠らぬ彼等の遂行は気難しく気まぐれな『彼女』を少なからずほだしたのだろう。 バラバラ、と。 騒がしいヘリのローター音が九十九商事ビルに近付いていた。 この場の誰もが知らぬもう一機のヘリ――軍人を乗せたものとは全く別に。 上空より鮮烈なライトが戦場となった摩天楼の頂を光の中に浮かび上がらせた。 「――!?」 ケイオスの仰いだ暗い空から黒い影が落ちてくる。 「許さないと――言った筈だ。死霊術士(ネクロマンサー)!」 無明の戦場の中、唯一つの『小さな骨』を見逃さない黒衣の男が。 災いが空より降って来るならば、希望も空より降って来てもおかしくは無かろう―― ――シアーもバレットもケイオスもぶっとばしたい、世界一の隠蔽魔術を紐解きたいしEXだって欲しい。 でも……ずっと気になってた。『あの時』神父に墓参りを勧めたのはキサだったから…… ほんの少しだけ目の前の視界を――滲ませた綺沙羅は『彼女』がそこに居る事を知っていた。ケイオスの傍らに在る事に気付いていた。 なればこそ、綺沙羅は『彼女』を執拗に止め続けたのだ。例え意味が無かろうと、その身体を少しでも痛めまいと。 「保証何て無くても――キサは知ってたんだ。迎えは来る、絶対に来るんだって――!」 「十字は切らん。祈りもしない。だが――俺は最初から確信していたぞ!」 フリーフォールで落ちてくる『宿敵』に鷲祐は歓喜を隠さぬ調子で叫んだ。 「――パスクァーレ・アルベルジェッティ!」 セラフィーナは『最悪のケース』を疑い、綺沙羅は『見えぬ希望』を信じていた。 この決戦は『神の目』の見通す範囲にあった。それも能力を研ぎ澄ませ、三高平一点に集中探査をかけた前提での話である。 パスクァーレの影がそこに在ったとするならば万華鏡はその存在を見落とさない。逆に考えれば結論は明白であった。『万華鏡に与えられた時間は極端に少なく切り取られた情報はあくまで限定的に<現在>だけを示していた。又、三高平市内のみに探査能力を集中させた万華鏡は、市外の彼の動向を映し出す事は無かった』という事だ。 黒神父の右腕に絡んだ鎖が放射状にケイオスの周囲の死兵に絡む。 唯一体の例外を除き、左腕の魔剣が光を放てばリベリスタ達を阻んだ死兵達はこの瞬間、邪魔の出来ぬ襤褸に変わる。 着地したパスクァーレが走る。 「おおおおおおおおおお――!」 唯一体残った『アリーチェ』を抵抗ごと抱きしめるように攫い、勢いのまま屋上からビルの下へと落ちていく。 彼の目的が何処にあるか等明白である。敵では無い。されど味方では無い。しかして、この戦いには十分だった。 一瞬でも『王を守る駒が失われたならば』チェック・メイトも――嗚呼、容易い! 「フッ、頼もしい限りだ! しかし、俺はそれさえ――今、上回ろう!」 『誰よりも早く』鷲祐はこの好機に反応した。 「――断指六十五刹那。このジョーカー、決める為にここにいるッ! 断罪の時間だ。ケイオスッ!!!」 繰り出される飛沫の如き神速の斬撃は夜を青く引き裂く雷獣のいななきか。 「俺様たちの住処で好き勝手しやがって……だがそれもここまでだ!」 「ああ」 声を上げた木蓮と重く頷いた龍治が揃ってその狙いをケイオスの利き手に合わせていた。 「この街を騒がすのもここまでだ。俺の狙いは――そう何度もこんな的を外さない」 奇しくもジャック・ザ・リッパーを仕留めた夜と同じように。 至上の集中力をターニング・ポイントに爆発させたスナイパー・ラヴァーズの銃声が麗しきユニゾンを戦場に奏でる。 「借りは返すぜスカヴェンジャー!」 千載一遇の好機に烏は二四式・改を連射し、それで――三重の銃撃にケイオスの右腕が舞った。 「『冥王の呼び声<アンデッド・ルーラー>!』」 メアリが咄嗟に叫ぶ。くるくると宙を回転したその腕に――しかしリベリスタ達が動くよりも早く何処からか伸びた茨が絡んだ。 「アシュレイちゃん!?」 「ええい、この――魔女め!」 夏栖斗の目が見開かれ、メアリが苛立った声を上げた。 「――さあ、皆さん! 今がチャンスですよ!」 「白々と……ッ!」 その動向を見逃すまいと注意を払っていた恵梨香が吐き捨てた。 屋上の一端に現れたアシュレイは茨を引き寄せ、その手の中に『冥王の呼び声<アンデッド・ルーラー>』を収めているではないか。 しかし、状況は確かにリベリスタ達のチェックを表し。痛恨の一打を受けたケイオスのショックは決して小さなものでは無い。 「……馬鹿な、有り得ない。そうか――『塔の魔女』。貴方が――」 「あはは、ごめんなさーい!」 「……クッ……!」 血を流す右腕を押さえたケイオスが呻く。 「ねえ、ケイオスさん。日本の墓石って見た事ある? あの形ってさ、ビルにちょっと似てるよね? 丁度いいでしょ。 このビルがあんたの墓石、アークに所属する全てのリベリスタがあんたの墓守。 あんたを墓石の下に押し込んで二度と這い出る事等――許さない!」 「ああ。目立ちたがり屋のでこっぱち。手塩にかけて育てた楽団があの世でお待ちだ。さっさと逝ってやんなよ、コンダクター!」 終が追撃する。とらの放った絞殺の気糸が逃さぬとケイオスを追いかける。 リベリスタ達の攻撃は『楽団』全てへの怒りを爆発するように執拗で、激しかった。 たまらずに――身を翻し、逃れる素振りを見せた彼を――風斗は見逃さない。 「今までは『公演』をありがとうよ――」 『デュランダル』が赤いラインを走らせた。 「組曲の最後に――今度はオレ達の演奏を聴いてもらおうか。オレ達の、生命の合唱をな!」 最高最大の気合と共に放たれた彼にとっての――最強最後の一撃はケイオスの上半身の半分を木っ端微塵に吹き飛ばした。 「そうね。戦争は数だ、なんて言うけれど――実際、その通りよね」 静かに呟いたこじりの姿が胡乱と意識を混濁させたケイオスの視界に大きくなった。 「けれど唯一縷の希望が。唯の一筋の光が無限の闇を裂く事もある。私はその為に、沸き躍る血を抑えるのよ」 言葉は何処か詩的で気取り屋のコンダクターの鎮魂歌(レクイエム)には相応しく。 「貴方は知っている。貴方はきっと――知っていた筈よ」 全身の闘気を爆発させたこじりの一撃は――冷静な言葉とは裏腹に至上の情熱で最後の瞬間を『演奏』するのだ。 首を落とす一閃が終わらぬ夜の楽曲の終焉(ピリオド)となる。 「観客を感動させるのは完璧さだけでは足りないのよ。ねぇ――御厨君?」 吹き抜けた風は粘つく『死』より解放されて清涼な三高平の夜を取り戻していた。そんな気がした―― 「え、僕?」 「そうよ。物語は、時にドラマティックで無くてはね」 毒絶彼女の浮かべた笑顔は全く――言葉も無い位に彼女らしく輝いて見えた。 ――それが、深く暗い夜のおしまい。 |
■シナリオ結果■ | |||
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■あとがき■ | |||
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