●いぇあ! 「チョコが欲しい貴様はここに並べ!」 |
■シナリオの詳細■ | ||||
■ストーリーテラー:YAMIDEITEI | ||||
■難易度:VERY EASY | ■ イベントシナリオ | |||
■参加人数制限: なし | ■サポーター参加人数制限: 0人 |
■シナリオ終了日時 2012年02月23日(木)23:05 |
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●バテレンペイン! ……じゃなくて、バレンタイン。 何処ぞのソリッドガール舞姫(15)が要らん惰弱文化を輸入してきたバテレンに殺意を燃やした一年前。 お約束の有体と言ってしまえばそれまでだが、たかが一年で世の中の潮流が完全に変わる筈も無い。身を切るような寒さが続く冬の一日は今年も今年とて何とも言えず浮ついた雰囲気をこの三高平市に運んで来た。 ――バレンタインなんて製菓会社が仕掛けた唯の販促キャンペーンですよ! 有史以来数多に繰り返されてきたその強が……論理的主張は一理ある。 元よりバレンタインデイとは西暦269年、ローマ皇帝の迫害下で殉教した聖ウァレンティヌスに由来する記念日。 確かにこの日が男女の愛を確認する誓いの日である事に間違いは無いのだが、本来意義的にこれを祝うのはキリスト教圏でのお話である。つまる所、津々浦々の神々を引っ張り出して闇鍋のゲームにしてしまうような『無神論社会』極まるこの日本に――少なくとも国中で浮かれ倒すだけの理由は無いのである。俗化されたクリスマスに引き続き二ヶ月と置かず周囲でいちゃこら始めようとするカップル共の堪え性の無さと来たらば、これはもう地獄の火の中に投げ込むべきものであろう。スクラップ&スクラップ。 「……呼んだ?」 呼んでない。 通りすがりのぽんこつこと朱子さんに特別出演頂いた所で本題を始めよう。 二月十四日――たかが二月十四日、されど二月十四日である。 この日ばかりはとなけなしの勇気を振り絞り――時に慣れない挑戦さえ厭わない女の子。 期待してねーし、と口で言いながらも幾らかのそわそわを禁じ得ない男の子。 「私は? 私は? ねぇ、私は?」 ……何やら無意味に楽しそうっていうか…… 「私は?」 微妙に鬱陶しい自己主張の激しいうさぎのような生物……じゃない性別不明。 世間の話題の主役かどうかはさて置いて、自分の物語は何時だって自分が主人公。ドラマは登場人物の数だけあるものだ。 「京子さんがあらぶっておられる…… 発情期かしら? 所詮はネコ……、哀しいかな、野生の本能には抗えないのですね」 荒ぶる相手が居りませんで、結果的に荒ぶるより大分まともに乙女ではありませんかね、舞姫さ――ソニックエッジ! 「周りに迷惑をかけぬよう、同行いたしましょう。これも飼い主としての責任です! え、ネコじゃなくて、チーター? またまた、ご冗談を……」 確かにかあいいかあいい子猫ちゃんのようなものである。 豪放磊落、悲喜こもごも――三高平で暮らすヒーロー&ヒロインのバレンタイン事情を、眺めて行こうではありませんか! ●決戦間近! たかが二月十四日、たかが一年三百六十五日――今年は三百六十六日――のワンシーンである。 しかし、如何に冷静な理屈を並べてみた所で、何時如何なる時も如何なる人物にもそれが響くという事は無い。 決戦を間近に控えた二月十三日、三高平学園の家庭科室を――ちょっと普段は嗅ぎ慣れない濃厚な甘い匂いが支配していた。 「えー、チョコレートは丁寧に刻んで。細かい所で手抜きをしないのが後の出来上がりに繋がる。 ああ、基本的な所から言うとだな。チョコは湯煎で。直火はダメ」 素晴らしく良く通る声で、誰にでも分かるチョコレート作りの基本からを説明するのは『テクノパティシエ』如月達哉――つまりは本職のプロだった。厚意で乙女やらそれ以外やらに戦いに赴くに向けての指南を始めた彼である。 「日本のバレンタインは好きな人に手作りチョコを贈るのが習わしと聞きました。 甘い物は苦手ですが、うさ子さんのためにがんばってチョコを作ります。ええと、これで……?」 「俺は家ではあまりキッチンに立たせてもらえないから、頑張ってみよう……ここは、こうか? 合ってるよな?」 やはり慣れない作業には不安が大きいのかヴィンセント、レンの視線は宙を泳ぎ、時折監督する達哉を覗き込む。 「ああ、大丈夫」 「そ、そうか。俺はチョコの色じゃなくなったんだけど、俺何もしてないから大丈夫だよな? チョコにはフルーツがすごく合うと思うんだ。チョコに付けて乾かす。それだけで美味しいと思うし……」 レンが少し安心したように呟いた。口の端に微妙な笑みが浮かんでいるのは安堵によるものか、喜ぶ誰かの顔を想像してのものだろうか―― 「成る程。ああ、うさ子さんに喜んでもらえるといいのですが」 料理の経験値は兎も角、ヴィンセントの持ち前の丁寧さはこんな作業にも十分発揮されていた。 彼の脳裏には約束された勝利に向けて――可愛いピンクのラッピングまでの道のりが既に展開されている。 「簡単なものでいいのだが、生チョコかトリュフ辺りだろうか。 このような時は気持ちが大事だ。折角なので包装もしよう。宛てか? 無論、『自分用』だがな」 誰かの為に作る者あり、この惟のように専ら自分の為に戦う者あり。 (陰謀するのは製菓会社だけじゃないよ。 そこかしこに悪の芽は潜んでいるのだ。 何を隠そう、この明だって陰謀を張り巡らせるわるいこの一人。 恵方巻きの食べ過ぎで太った分、みんなの平均体重増やして誤魔化そうと画策中なのさ! お祭りムードのおかげで摂取熱量リミットオフな子も多いよね。 そこにおいしいチョコを投入すれば、効率よく事が運ぶはずっ……!) ……企む者あり。真剣な顔でチョコに向かい合う乙女達を見た日には明の視線は彼方を遠く彷徨う事となったのだが。 放課後、家庭科室を借り切ってのチョコレート共同制作の現場は慌しく、多少のトラブルを交えながらも賑やかな盛り上がりを見せていた。 「なんつーか、アタシ嫌いじゃないわよおこういうお祭り。 ジャパンは何かにつけてお祭りするわよねえ。おめでたくていいわよねえ!」 豪放で底抜けに明るいキャロラインの景気のいい笑い声が辺りに響く。 「ウィスキーボンボンは酒の香りが逃げないよう、温めのゼラチンでお酒を固めて、その上に砂糖の衣をちょちょい、とねえ。 ……なぁに意外そうな顔してんのよお。料理くらい出来るわよ! アメリカンがバーベキューだけだと思ったら火傷するわよお!」 「……む、そうなのね……」 「日本のイメージがてんぷらやスシなのと同じなのかも知れません……」 意外そうな顔で自分を見つめていたイヴと和泉の肩をキャロラインはポンポンと叩く。 「覚えときなさい! イイ男を引っ掛けるためなら手間暇惜しんじゃ勝負以前よお?」 流石にそこは年の功、説得力抜群の言葉にイヴは小首を傾げ和泉は「成る程」と頷いた。 「これで準備は万端ですね!」 そんな彼女の視線は大きな鍋を片手にキラキラといい笑顔を見せる多美の方を向いていた。 大きなお鍋にチョコをたっぷり。そのまま特別大きな型に流し込み…… 「ふんっ!」 ……あろう事か多美は笑顔でそこに顔を突っ込んだ。 それがどれ程『熱い』かは言うまでも無い。『痛い』の領域に軽く突入した顔拓を彼女は笑顔でやり切った。 「……ぷはぁっ!」 そこに残るのは見事なまでのデスマスク……じゃねぇや顔拓チョコレート。 アトリエ辺りを参照すればバッチリその様が拝めるバレンタインのその一幕であった。 「な、なかなか上手くいかないです」 「ゆっくり慌てずにな、チョコも俺様も逃げたりしないぜ」 一方、正統派(?)にチョコレートを作っている面々もある。 可愛らしいエプロンを着けた枢に木蓮がアドバイスをしてみせる。口調こそ蓮っ葉な彼女だがその中身は実に大いに全く乙女。好きな人も居れば料理を自分でする事もある。くすぐったくなる位に女の子らしい所、繊細な所があるのは年頃通り。 (そろそろしっかり先輩らしいところを見せないとな!) エプロンの胸のワンポイント――モルは木蓮が動く度に形を変える。 「意表をついてホワイトチョコでトリュフ作ろうと思ってたんだけど……なんかタコ焼きみたいになっちゃった」 「い、いや。まだリカバリーは……」 案の定、枢がやらかせば木蓮の首筋を汗が伝う。 「……か、形を整えるのは俺様も苦手だ……!」 「う、む……こうか? 戦いより難しいな……」 本命を渡す宛てはなくとも丁寧な作業とそこに込められた気持ちは変わらない。 作業に少し難しい顔をしたクリスが見よう見まねで作業を続けている。彼女が時折確認する真新しい雑誌はカラフルでポップな紙面に可愛いチョコレートの作り方を特集していた。この子何気に可愛いなぁ。 「素晴らしい。実にすばらしいイベントですね。 街中がチョコ一色に染まるこの時期。私の心も満たされる。 コンビニにも様々な種類のチョコが並びますからね」 むせ返るような甘い匂いが漂うから――ドミニクのように惹かれて来た者も居る。 「しかし……やはり手作りですよ。 心のこもった手作りチョコに勝るものはありません。 私にはこのショコラのフレグランスはどんな香水よりも魅力的に感じられるのです。 あぁ、ただ犬顔になってから若干口の締りが悪いのが……」 僅かに零れかかった涎に気をつけて彼は傍らの妹――アリョーシャの顔を見た。 「日本のバレンタインは妙な風習なのね? せっかくだからにーさまにチョコでも作ってあげる」 果たして彼の愛すべき妹は自身に向けられた兄の視線の意味を知っていた。 思わず尻尾をパタパタとさせた兄を一瞥、家庭科室内を一瞥してアリョーシャは内心で考える。 (にーさまは甘党だからね。 とりあえずチョコに砂糖とはちみつとジャムくらいつめておけばいいかしら。 あとキャラメルかけて、おまけにメープルシロップも掛ければ……満足してくれるかしら) 仲良き事は美しきかな、『恋人とかはまだ早い』少女はそれなりの手つきでテーブルの前に立つ。 バレンタインはたかが一年の内の一日だ。しかし他愛無い事に意味を見出す事が人生だというならば、何処までも人間らしいと言えるだろう。 家庭科室に集まって共同でチョコレートを作る面々の他にもこの日に向けて尽力する人々は居る。 自宅の台所はこの日ばかりは戦場である。 「日頃お世話になってる人や友達の為にガンガン作るぞよ~♪」 大量の材料を揃え、準備は万端。亀の甲より年の功、還暦過ぎても心は乙女。 赤いちゃんちゃんこの知る秘密は蕩ける彼女のビター・スイーツ。 正直何書いてんだかわかんねー感じではあるのだが、レイラインは些か不器用な手つきで『友人達に』贈るチョコレートを作っていた。 「えーっと、湯煎で溶かして……む、急激に冷やした後また少し暖め直すとツヤが出る、と。 ……一部ツヤが重要なチョコもあるからここは重要……って、にゃぎゃー!?」 銀のボールをひっくり返し、頭からチョコレートをダブルピース(60)である。 ドジっ娘の愛らしさを十二分に発揮した彼女は涙目で熱さにのた打ち回る。騒ぐ姿はまるで色気というものを御存知なく、いっそそのままリボンをかけて「わらわをどうぞv」等とのたまえる思い切り等あれば幾分か芸人としても報われように。 アシュレイに恋愛を占われたその姿は伊達ではない。 「塔とか言うでない! だ、誰が芸人じゃ!」 レイライン(かあいい)の抗議はさて置いて――大いに結構ではないか、乙女心というものは。 ●アーク本部 そして明けては二月十四日。 テレビの中では朝からアナウンサーが特別な日に触れ、街の中にも華やいだ雰囲気が満ちている。 日頃から生死かかる現場に身を置くからかどうなのか、三高平の住民も今日に賭ける者は少なくないようだ。 その中でも特に騒がしい場所が何処かと言えば、それはリベリスタ達の『職場』――アーク本部であった。 リベリスタにとっては関わる人が多い場所でもあるから、ある意味では理屈通りなのか。 異質なのはラボだ。男所帯に更に男が増えている。何故か、男が増えている。 「受付の所で黒髪ロングが似合う美少女リベリスタが、日頃御世話になっているラボの皆さんへお礼にチョコを送りたいと。 恥ずかしいから代わりに渡してきて下さいとお願いされてしまいまして!」 男むさいラボの仮眠室、バレンタインだというのに死んだ魚のような目をしてディスプレイに齧りつく皆さん(智親含む)の顔が無意味な程に晴れやかな喜平の言葉に覚醒する。 「……まぁ、嘘なんですけどね、ハッハッハッハ! アァーハッハッハッハ!」 「はははははははは!」 「うははははははははははははは!」 「ひーっひっひっひっひっひ!」 何故だか釣られて爆笑し出すラボの皆さん。高笑いを続ける喜平。釣りなのか冗談なのか功を奏しているのか居ないのか全く異質で分からない。 喜平が何故かラボの研究員を釣り上げる傍ら、優希と翔太が差し入れ代わりのチョコレートを散らかったデスクの上に置く。 「俺達は武器へと命を預ける。それは真白室長へと命を預けるのも同然。 日々の装備品への調整に、感謝しています。これからも宜しくお願いします」 真っ直ぐ目を見て伝える優希の言葉は直球だった。 「こういう感謝の伝え方もあるのだな。これを機に、日頃の礼ができると嬉しい」 「いや、あんた等も予想以上に大変そうなんだな…… ちゃんとイヴからチョコ貰ったか? 俺から友チョコ、いつも世話になってるから」 一方で目の下にくまを作り、若干顔色の良くない智親に翔太は多少同情したように言う。 「いやな、イヴは何かね。今の所くれてなくてね……」 「差し入れに感謝する」と応えながらも質問に肩を落とした智親が大仰な溜息を吐く。 十代も半ば頃に差し掛かれば少女も思春期で複雑であろう。何時までも「パパ大好き!」なんていう風にはいかないのを智親とて分かっている。しかして理屈で割り切れないからこそ父親、理屈で割り切れないからこそのバレンタインであるのは間違い無い。 「一応スパナ型チョコなら用意してあるよ」 ラボにふらりと現れたのは綺沙羅だった。年恰好の割には何とも言えない大人びた印象を与える少女である。 「今日は直談判。フィクサード時代からその名は耳にしてた……アークの誇る天才、真白智親。 こんなに近くにいるのにその技術を学ぶ機会も無いとか、ハッキリ言って生殺し。チョコレートあげるから、混ぜてくれない?」 待望の、女の子からのチョコレートには何だか殺伐とした要求がくっついて来るらしい。 智親と面々は威風堂々と言ってのけた綺沙羅の言葉に軽く顔を見合わせる。 バレンタインに纏わる時間はラボのみならず、アーク本部全体に広がっていた。 「イヴちゃんにプレゼントなのだぁ~!」 「うさぎ……」 御龍がどどんと差し出したのは巨大なラッピング――職人の仕事も驚く巨大なうさぎのチョコレートである。 何時にも増して瞳を輝かせるイヴに「うんうん」と頷いた御龍は彼女の頭をポンポンと撫でた。 「イヴちゃんでぇとしよっかぁ。どっか行きたいとこあるぅ? ぬいぐるみ屋でもぉ、ラーメン屋でもぉ、どこでもお姉さんが連れて行ってあげるよぉ、龍虎丸でぇ」 思案顔をするイヴに御龍は豪気に笑ってみせる。 「万華鏡を通して視るものは幸せなものばかりではない筈。 それでも、それに耐えて私達に依頼を割り振ってくれるフォーチュナーの方々にせめて今日位は――」 甘いモノが好きな人には、生チョコレートがたっぷりなチョコトリュフ。 甘いモノが苦手な人には、あっさり風味なチョコプリンを。 「こんな時にぐらいしか感謝の意を表せないのですけれど、どうか受け取ってください。 これからも縁の下の力持ちを――どうか宜しくお願いします」 大和の言葉に自然とフォーチュナ達の表情が和らいだ。 一応仲間に入れて貰ったアシュレイに、 「貴女様にお渡しするようにと『友チョコ』だそうですわ」 とミルフィが可愛らしい包みを差し出した。 「何処かの誰か様がお店の方をサボってらっしゃいますから…… ええ。お嬢様の事、『お友達』として、わたくしからも何卒宜しくお願い致しますわ」 アリスよりバレンタインの伝令を仰せつかれば彼女としては気が気ではない。 『お友達』に十分なアクセントを置いたミルフィが「あはははは」と誤魔化し笑いを浮かべたアシュレイに釘を刺す。 「初めまして、Miss.ブラックモア。三百年以上を生きる偉大な魔女。まさか実際にお会いできるとは……」 握手を求めたセスに応えたアシュレイが「いやぁ」とあざとい反応で照れてみせる。 「チョコレートです。お近づきの印にどうぞ。これを渡せば喜んでもらえるとうかがったのですが」 「今回のミッションはシンプルである。シンプルイズハート、とかのNOBUも言っていた! 狙うは一つ……明らかに一つ。それは……」 「それは……?」 「アシュレイの乳であーるたいぷーーー!!!」 「きゃー♪」 丁寧なセス、何だか楽しそうなブリリアント、対して―― 「よぅ、魔女。珍しい所で会ったな。暇つぶしに付き合うが良い」 ――笑って魔女をつつくのは、此方も魔女のゼルマである。 「ヌシ、あちこちで独り身が寂しいと喚いているそうじゃな。自分でジャックを屠っておいて、さてはアホじゃろう」 「うっ……」 的確過ぎる直球にアシュレイが詰まった声を出す。 「何なら妾が付き合ってやろうか? 何、妾は性別で差別をせぬ性分じゃ。楽しませてやるぞ? ん?」 顔を近付け、頬から顎にかけて細い指で撫で下ろし、蟲色的な声でゼルマは笑った。 全く、息を呑むいい光景ではあるのだが―― 「くくく。冗談じゃ。いくら妾とて自分の四倍以上も生きておる婆を食ろうては腹を下すわ」 「……と、歳を言うなです! こ、小娘が! 泣かしますよ!?」 お前が割と涙目である。 しょうもない年長者のダメな虚勢は微笑ましい光景である。 微笑ましい光景はしかしさて置き、本部が本格的に賑わい始めていた理由は概ね二つある。 「はいはーい、桃子さんはこちらー。室長へのチョコ・告白・袖の下その他はこちらですよー」 本部の地下通路では「地域課でしたけど、交通課の応援にも駆り出されましたからね!」と、慣れ親しんだ交通整理の要領で駐在さん――いや、元・駐在さんの守が冗談交じりに赤い棒を振っている。 「私の心の大天使・桃子様。この聖なる日に馳せ参じれない愚挙にお許しを~」 エーデルワイスが邪神の類に懺悔して、 (今日こそは! 今日こそは! あの眼鏡に一泡吹かせてくれようぞー♪) 宿敵と化した沙織の打倒にガッツを燃やし、沙織をテレパスで呼び出す小細工を敢行しようと試みるも、 「又、貴方ですか。貴方は毎度一体何を考えて……」 「べ、弁護士を呼ぶ事を要求するーっ!」 「いってらっしゃい。達者でな」 恵梨香の水さえ漏らさぬマジ護衛の前にエーデルワイスが見事にあっさり敗れ去る。 チョコレートパイを虚しくその手に構えたまま、連行されていくエーデルワイスに沙織がひらひらと手振る様式美の方はさて置いて。 一つ目はこの素行不良なるアーク司令代行が晴れの日に水を得た魚の如く本領を発揮する(?)一種の想定通り。 「今回は私、アーク本部に来ております」 神妙な顔でリポートするのはあの舞姫がドヤ顔で語った荒ぶるチーターは桜田京子その人である。 ――バレンタインっていう事で、時村沙織さんにチョコを渡しに行こうという趣旨で! 毒なんて入って無い失礼な事言うな! あと料理下手って設定も砂糖と塩を間違えたっていうベタな設定も無いから! それじゃあレッツゴー! おー! 『熱海プラス特別編』の出陣式でやんやと舞姫にからかわれ、それでも拳を突き上げてやって来ました乙女の陣。 「天下の時村沙織さんですから沢山のチョコを貰っているんでしょうねー」 レポーターが多分に複雑な乙女の成分を如何なく発揮しながら吐き出す台詞は見事なまでの棒読みである。 「あ、いたいた、おーい沙織さーん! 今日は、私、沙織さんの為にチョコを持ってきました! 受け取れ! 喰らえ! 必殺のチョコ手裏剣! 「ん? ああ、ありが……」 「……わーん、口説こうたってそうはいかないぞ! 渡したら今日は帰るんだから! ばーかばーか! ホワイトデー楽しみにしてるからなっ!」 「沙織さん。憎いですね、この色男! 今日と一緒に爆発しろー!」 ここまで全て一息で、ここまで全て有無を言わせぬ自己完結。非常に摩訶不思議な心の迷宮。あらぶる相手が居る京子と、そもそもバレンタインという概念自体にあらぶっている戦場ヶ原・バテレンペイン・舞姫先輩の間には底冷えする冥府の川が流れている。完全無欠に分かたれている。 しかして、乙女(義理義理義理!(※ツンデレ?))と乙女(ギリギリギリ(※歯軋り))の動向がどうあれ。 「じゃあ、この後って事で」 息をするように澱みなく次に沙織が纏めた話は本当にお前は忙しいのかと問いたくなる『案件』である。 「室長も変った方ですね。一人だと味気ないとおっしゃいましたが私と一緒に食事をしたところでそう変わるとも思えません。 私の従姉妹は一緒に食事に行くと『もっと面白い話は出来ないのか』といつも怒っている位なのですが……」 チョコレートの一つも渡せばさらりと吐き出された食事の誘いにベアトリクスが小首を傾げる。 しかし、三十四も間近にして全く腰を落ち着ける様子も無い沙織は淡々とした反応にも全く動じない。 「例えば俺が雰囲気のある高級なレストランに入ったとしよう」 「……?」 思い当たった様子の無いベアトリクスに構わず沙織は言葉を続ける。 「そこにはお客様を迎える為に花瓶があって、一輪赤い花がささってる。俺達は花を食べる訳じゃないが、レストランはそれを用意する」 「……成る程。そういうものですか」 「そういうもの」 沙織は軽妙な調子である。 「そういえば従姉妹に室長と食事に行く事を伝えたら何故か頭を抱えていましたがアドバイスを頂きましたね。 気の利いた話が出来ないんだからせめて愛想を良くしろ、と――」 言葉と共にややぎこちない微笑を浮かべてみせたベアトリクスに沙織は「そうそう」と頷いた。 「そうしてなよ。損はさせやしないから――」 ……全く余りにもらしい物言いは見る人が見ればまた騒ぎの種になる軽薄さなのだろうが。 ちくり、ちくりと胸がざわめく。 (……全く、何時見ても変わらない人ですね……) 恵梨香は『体裁上、世話になっている人達への挨拶であるチョコレート』をアークの職員に配りながら、密やかな溜息を漏らしていた。当然と言うべきか『世話になっている人に贈るチョコレート』なのだから、彼の分が無い訳も無い。しかして、彼女は何だかんだで必要以上に華やかな彼の周囲から人がはけるのを待つ事にした。 ――どうせ沢山貰っておられるのでしょうけど、室長にだけ渡さない訳にもいきませんからね―― 何かと子供扱いをしたがる彼に少しばかりの皮肉をぶつけてやる事に決めて。 しかし、実は今日に関しては予想通りの彼よりは『もう一方』が本部が主な騒がしい理由と呼べるだろうか。 「あれ? なんです、この列は」 交通整理が必要な廊下にふらりとユウが顔を出した。 「いやね、桃子さんがチョコを配るそうで」 「へえー、桃子さんがチョコを。それはちょっと気になりますねー」 「いやはやなんとも、俺にはとてもそんな度胸はありませんけどねぇ……」 ユウとのやり取りで守が大仰に溜息を吐き出す。 「と言うか桃子さんが並べっつったら本当に人が一杯になっとる…… アイドルと言うか人気者と言うかもっとおぞましい何かと言うか……」 ふらりと現れたうさぎの言う通りである。そう。全ての始まりは桃子・エインズワースの思いつき、あの一言だった。 ――チョコが欲しい貴様はここに並べ! 馬鹿馬鹿しい程に単純明快な呪いが此の世に放たれた理由は。その理由は多くは無い。 恐らくは『面白いから』。恐らくは『気まぐれ』で。そんな風に呼びかけた桃子の下には命知らずと言おうか何と言おうか。 熱に浮かされたような瞳で本当に彼女を訪れた死者(予定)の葬列が出来ていた。 「アークには……恵まれない人が……いっぱいいるって……きいたの…… チョコレート……つくったし……ももこさんと……いっしょに……くばるの……」 くすくすと笑う梨音は「一緒に頑張りましょう!」とあざとい笑顔を見せる桃子にこくりと小さく頷いた。 「ももこさんの手際も……よく見ておくの…… 来年の……さんこうに……するのよ……くすくす……くすくすくす……」 それぞれの熱意の方向性、本気具合はバラバラだが集まってしまったものは仕方ない。 「桃子嬢からチョコがもらえると聞いて。逆チョコ持参で馳せ参じました!」 それは殆ど命賭けとも言える勢いで前日から本部前に泊まり込んだセリオとか、 「桃子様チョコくれよ! うわー、桃子様のチョコを早急に頂かないと重圧鈍化虚脱が発動するBSに掛かってしまったー。 っべーわこれマジっべーわー、速度-366とかになるわー」 無表情で淡々と嘘くせぇ自己申告を果たす面白メイド、モニカとか普通に欲しそうな人達に加え、、 「ここで合ったが百年目! 桃子様! 年貢の納め時だ! こいよ! 僕だっていつまでも弱いわけじゃない! お前の豪腕なんて怖くないぞ! 三高平でのヒエラルキーがどっちが上か思い知らせてやんよ! 泣いたり笑ったりできなくしてやる! ていうかどうして呼んだのに来てくれないのさ!」 大切なバレンタインに何故か桃子に挑み埠頭への呼び出し――挑戦状をガチで無視された夏栖斗とか、 (前回はあまりの仕打ちに五日も寝込むハメになったよ……今度こそリベンジしてやるからな! 百倍だからな!) 大きな! 胸に!! 浪漫に!!! おっぱいに!!!! 復讐の炎を燃やし、好機を伺う斬乃だとか…… 些か不穏当な面々が顔を出していたり、何よりそれ以上に。 「おや! 奇遇ですねい、ステイシィさんも桃子さんって言うんですようー」 「知ってますよ!」 早、このやり取りも何度目か…… お約束というものは繰り返してこそ、積み重ねてこそ意味があるというステイシィ(通称暇人)、 「ん、桃子はきっと……あんこくえんじぇではらぐろめいがす。だから、あんなすっごいはらぐろすきるもってる」 「桃子さんに……挑戦する……勇者(ばか)が……いると……聞いて……見物に……」 冥華やエリス、 「桃子さんの腹パンはEX技である。 そう聞いた我々取材班(総員一名)は、かくてアーク本部へと向かったのである。 誰か腹パンされるだろうから観察してみよう。やっぱりあの威力は拳の角度なのか? 特別な捻りとかもあるのかな。解明が期待される火曜日(平日)なのである――」 ラシャといった血の演目に期待する野次馬達。 「いや、な。カズがももこ峰を目指さんとしていると聞いたんでな。だが、こういうのは、タイマンだろう」 普段は男気に溢れる武臣が完全に日和見を決め込んでいる辺り、今日の惨状は鉄板で予想のつく所である。 「やっぱ人気の秘訣は自由さでしょーかねー。 私もまー、大抵好き勝手やってる心算ではありますけど、よくよく省みると意識せず色々気にしてたり縛られてたり……」 自由なのが褒められた事かどうかは別にして逆にチョコレートを用意してきたうさぎ、 「というか、桃子様だって一応女の子なんですから。こんな日位宣戦布告とかしないで優しくしてあげましょうよ」 「僕何も言ってないし! ちょ、タイム! 僕、まだ、見せ場が、タイム! チョコとか!」 フォローらしき言葉を投げる一方で、目の前で襤褸雑巾にされていく夏栖斗を省みない所か…… 「貰ってないし! どうして! 一対一は!? 助けてたけお……うげぶ!?」←武臣さんが目を逸らしたシーン ……むしろ這って逃げる彼を淡々と拿捕するモニカ、 「そうね。私は桃子とデートしようと思ってきたのだけど。折角の機会だし楽しく過ごしたいじゃない?」 口元に手を当ててくすくすと笑うティアリアといった妙に嗜虐的かつ桃子に好意的な人達も加われば自ずと人数は増えていった。 「あっ! 梅子さんがアツアツのチョコをぶちまけてる!」 「居ないじゃないですか!」 ステイシィの声に超人的な反応を見せた桃子が何故か夏栖斗に拳を握る。 「どうして僕が!」 「いやー、こんなに人が。びっくりです」 「桃子様のお人柄の賜物かと」←モニカ 「ねぇ、桃子。桃子に対抗してサタナキアの微笑(はらぱん)とか作ってみたんだけど」←ティアリア 「夏栖斗さん、出番ですよ! しっかり! 起きて!」 「……」←そろそろぐったりして動かない夏栖斗 セリオから、うさぎから、モニカから、ティアリアからチョコレートをクッキーを山と貰い本来「くれる」と言っていた目的の方は果たす気配すらない。にこにこと笑う桃子と類友確実な嗜虐系女子達である。 「ねぇ!? どうして! どうしてあたしは隙をついて奇襲した筈なのに、経緯すら描かれず捕まっているの!? 時間を飛ばされたの!? 後、その手は何なの!?」 哀れ斬乃の冒険は早々と終焉し、わきわきと両手を握っては開く桃子に涙目を浮かべているし、 「なあ、お前さ。梅子さんのアレ、見た事あるか? ぱんつ、しましま。まあ、あるだろう。ちち、うすい。確かにな。しり、ちいさい。見りゃ分かる。 いいか? 最高なのは次だ。ふともも、むちむち。悪くもねェ!!! コイツは最高じゃねェか!」 「おーっと手が滑りましたー!」 「桃子嬢、ナイスショットです!」←セリオ 何をしに来たのか分からないが、鬼の前で禁句を並べた狄龍が遥か彼方に吹っ飛ばされていく。 嗚呼、此度ノーピーチ宣言を果たし、家でユーヌといちゃつく事を選んだ竜一の何と賢い事だろう。 『自宅』で二人きりになるという『一見叶ったとしても後に確実に鬼門、禍となる』選択を果たした竜一の何と賢い事だろうか。 適度に迂闊な所が好感を持てる二代目(裏切り者)である。 「余が大魔王グランヘイトである。配下の魔王、桃子・エインズワースの様子を視察しに来た。 最近それしかしおらぬ気がするが余の行動は余以外の誰に縛られるものでもない。 大魔王は一番偉いのだ。下々の視察は大変重要な任務である。余は余以外の余人、誰にも文句等言わせぬ」 竜一の賢明さについては後に譲るとして、桃子の放つ暗黒の魔気を見取ってか重厚な声と共に大魔王グランヘイトが現れた。 「今日も無駄に壮健だな桃子」 天井を眺める夏栖斗が弄り過ぎた小動物のようにちっとも動かなくなった様を見て、赤面した斬乃がぺたんと床に座り込み、うわ言のように何かを呟いているのを見て。グランヘイトは鷹揚に頷いた。 「今日も民衆を蹂躙しているようだな。魔王としての職務、忘れず励んでいる事に褒美を取らせよう」 グランヘイトが桃子に手渡したのは『夜よりも深く闇よりも暗い大魔王の手からこぼれ落ちた闇の一滴。一度口に含めば堕落を免れぬ魔の結晶』である。素直に意訳すれば『大魔王お手製チョコレート。とても美味しい』それを手にした彼女はにこにこ笑ったまま、薔薇の花弁ような艶やかな唇を綻ばせて、彼に応えた。 「ありがとうございます! だいまおうさま!!! でも――」 でも? 「――誰が魔王だ★」 肌を突き刺すオーラ、噴き出る禍々しい何か。盛り上がるギャラリー、引き攣る大魔王。多分、理性よりも本能が。 「出た、ヒットマンスタイルから烈風を巻き込んで唸りを上げる必殺パンチ!」 「『メフィストの寵愛(はらぱん)』ね……」 「いえ」 ティアリアの言葉に桃子は首を振る。 「桃子在情拳です。だって全体依頼があるじゃないですか!」 「ああ、成る程」 メタる桃子。動かなくなった夏栖斗を介抱していた凛子がポン、と手を打った。 「だから、此方も重傷ではないのですね。 ――あぁ、クラリスさん。丁度、お話したいと思っていた所でした。ドイツに比べてこちらのバレンタインはどうですか?」 偶に顔を出したクラリスの口元が引き攣っている。凛子、 「……空元気ですら無い気も致しますねこの騒ぎ。大した胆力だ。アークのリベリスタというのは、タフですねえ。 クラリスさんから見て彼らは、どうでしょうねえ?」 ユーキが尋ねたがこれは少し間が悪すぎた。 「……日本のバレンタインは恐怖ですわあ……それに、そのアークの方々は、そう個性的と言うか……」 ……個性的とは、遠慮の勝る場では実に使い回しのいい言葉である。 「ああそうだ! 忘れる所でした! ご迷惑でなければこの色紙にサインを!」 「まぁ……これは本来では無いという事で。少し前までは日本では女子からの告白というのは余り機会がなかったようですから」 マイペースのユーキとフォローするように言った凛子にクラリスは「ええ、まぁ」と頷いた。 「恐怖ならぬ素晴らしいバレンタインもお知らせしましょう」 口を挟んだのは彼女目当てにやって来て――惨状を見かねた亘である。 「今日は良い天気です。冬の空は澄み渡り、綺麗な星も見えるでしょう。きっと特別な時間を貴女に……」 「あら、特別な日に私を誘って下さりますのね」 「勿論。貴方の甘い笑顔、時間を共有出来るなら自分は幸――」 アーク本部の上には空を衝く摩天楼(センタービル)が建っている。特別な時間を用意するのは簡単だ。その気さえあるならば。 「――ねーねー、くろリスお嬢さん。『えすこーと』って、どうすりゃイイのー?」 ……その気さえ、あるならば。 クラリスを見つけたりりすが絶妙のタイミングでマイペースに声を掛けてきた。 「とっきーみたく『実はね、今夜もう予約取ってあるんだけど?』とか言ってりゃイイのかしら? ろまんてっくかしら?」 「ク、ラ、リ、ス、ですわあ」 少し渋い顔をしたクラリスはいい所のお嬢様らしく唇を小さく尖らせて、 「エスコートは……今のを見ていらっしゅいませんでしたの!? それに、ほら。名前を間違えない所から……」 「あーめんどくさいから、何でもいいや。引きこもりに、ンな高度なたいじんすきるないし。 『黙って僕についてこい』とかってタイプでも無いしナ。ちょこちょーだいーあそんでーかまってー」 「……」 ぐだぐだもだもだしてみせるりりす。絶句するクラリス。間合いの外れた亘が頬を掻く。 りりすが言う『くろリス』は意図的な産物ではあるのだろうが……詰めの甘い彼女は割と簡単に乗せられる。 「エスコートの意味、その身にソウルバーンしたくなってきましたわあ!」 「一緒に、もだもだしよーよー。人肌で暖めあおーよー。じゃないと怖いいんらんぴんくがやってきて、腹ぱんされちゃうよー。こわいよー」 「……」 黙り込むクラリス。再びチャンスを伺う亘。へらへら笑うりりす。全くエンドレスである。 「おー、そうじゃ。さおりんと言えば。そろそろさおりん、誕生日らしいのぅ?」 「……まぁ、何時までも落ち着かん倅で困ること、困ること」 騒ぎに完全に野次馬が集まっている。 取り分け異彩を放っているのは瑠琵と貴樹の取り合わせであった。 「しかし、お主も珍しいな。本部に顔を見せるとは……」 「幾つになっても記念日は愉快なもの、という事でしょうな」 からかうように言った瑠琵に貴樹は小さく肩を竦めた。 沙織に似たそんな仕草に含み笑った瑠琵は少し底意地が悪そうに言う。 「お主もすっかり老体じゃのぅ。少し前まで若かったのに。 じゃが、どうじゃ。宵咲の娘なら縁談の一つもくれてやるぞ。神秘への理解はあるし如何かぇ?」 「氷璃は別じゃがな」と笑う瑠琵にとっては専ら沙織への嫌がらせのようなものである。当人が居ないのは実に残念な所だったが。 「生憎と自分は自由恋愛を尊ぶ主義でしてな」 年甲斐も無く堂々と言ってのける貴樹の傍には見れば幾らか居心地の悪そうなシュエシアが居る。 「……べ、別にバレンタインの雰囲気にあてられた訳じゃありません、料理の練習に丁度イイと思ったからデスよ!」 「お主も隅に置けぬのぅ……」 何処か言い訳めいたシュエシアと平然としたままの貴樹を見比べて瑠琵は全く呆れたように呟いた。 過日、沙織に「ご飯食べさせて貰う相手が欲しいから貴樹を紹介して」と頼んだシュエシアは「娘みたいな母親を持ちたくない」とにべもなく断られたのだが、運命のあやは結局紆余曲折の末に二人と巡り会わせたらしい。しかして、この親にしてあの子有りである。案の定というべきか、手玉に取る相手としてこの老人はバイタリティがあり過ぎる。「まずはお近づきの印に、どどーんとコレをあげますっ。……は、早く受け取るデスよっ」とほぼノープランで攻め込んではみたものの、どうにも上手くペースの作れない彼女である。 「はは、今日は唯の平日じゃないか。いつも通り、大学が終わったらアークでバイトさ。二月十四日(火)平日。間違い無いよ」 君子危うきに近寄らず、という事か。歴戦を共にする相棒を全く見捨て和泉と談笑しているのは快だった。 「情報の整理や分析なんかも大事だからね。バイトも忙しいのだ。それに室長がアレだから――」 「アレですね、確かに」 快の言葉に和泉が頷く。「仕事の話は基本的に取り次ぐな」そう言う彼はベアトリクスを早々に連れ出した。逆説的に言うならばそれは極々平凡な平日ではないという証左であると言えば間違いなくそうなのだが―― 「和泉さんもお疲れさま。お茶淹れるから、休憩にしない?」 「あ、はい。じゃあ私もお菓子を――」 言ってから和泉は少し罰が悪そうに言い直した。 「――じゃあ、チョコレートでも」 「本当に!?」 仕事中唯一のオアシスは和泉とのちょっとした会話。だって桃子さん腹パンしてくるし。 尤も過ぎる過酷な労働環境は涙なくして語れない。快は動かない相棒を構いもしない。 「おっと。大魔王様、ドラマティックに立ち上がったー。流石、大魔王様。如何ですか、解説のティアリア様」 「簡単に沈めたら面白くないもの。あれは桃子の計算の内と見るわ」 「流石、在情拳。如才ないパチモンっぽさがたまりませんね」←無表情 淡々とモニカが実況する。シュールにティアリアが解説する。 「フェイトを使っても、どうにもならない事はあるんだね……」 「らーにんぐ……できるかな?」 ぽつぽつと呟く斬乃。冥華さん、しない方が良いですよ。白い闇が感染(うつ)るから。 「桃子さんはもう暫く忙しいかしらね」 シュプレヒコールが血を望む暗い舞台を傍目にエナーシアは幾度と無く掌に書いた人の字を飲み込んでいた。 彼女が待つのは『二人きり』の好機である。(※ボロ雑巾等は人数に数えません) 好機が来たならば、さあ。勇気を振り絞る時、一心不乱の告白を。大告白を! 自分を好きだと言う桃子に好きを返したらば一体どんな顔をするだろう。 何時も自分を振り回す、獰猛で気まぐれな年下の女の子はどんな反応をするのだろうか―― エナーシアは少しの悪戯心で『日本らしいバレンタイン』を楽しむ事を決めていた。 興味にくすぐられ、目を閉じて。その時の事を考える。白さも、黒さも……語れば落ちるが好ましい、それは本当だったけれど。 「忍ぶれど 色にいでにけり わが恋は 物や思ふと 人の問ふまで――」 エナーシアの薄い唇がグランヘイトの断末魔を従えて、歌う言葉を彷徨わせた。 ――人に好きと言われたのは生まれて初めて、あの時から意識していたのだわ…… ずっと見続けてきた上で言うわ、白さも黒さも何方も含めて桃子さんは桃子さん、そんな貴方が大好きです。 あう、その……う、受け取って欲しいのです><。 但し外国生まれの少女は失念していた。この国には『好奇心は猫を殺す』という諺がある事を。 彼女がからかう心算で吐いた『告白』の言葉をICレコーダーに録音され、嫌という程に再生されるのはこの先に待つちょっとした余談である。 ●三高平(フラット) 本部で起きたささやかなる騒動は兎も角として。 それはそれとしてさにあらず、各々に『二月十四日』を過ごす者も多く居た。 三高平市内を見渡せばそれを見つける事は簡単に出来るのだ。 「うおおおおおお! チョコレートを、ワタシは! 配る!」 大八車にカラフルにラッピングされたチョコレートを山盛りにして。 「遠慮なんていらない、こいつはワタシからのプレゼントだ! ワタシの愛は無限大! あまねく全ての人達に、甘いチョコレートをお届けするんだぜ! モテない子にもモテる子にも。男の子だろうが女の子だろうが。 年下にはかわいいチョコを、年上には大人なビター風味を。 犬には骨を、猫には魚を。皆、受け取って……笑顔になってくれれば、それでワタシは幸せさ!」 ……恐ろしい馬力で駆ける明奈がサラマンダーより速くかっとんでいく。 「そこの、貴方も! でも、サラマンダーはやめてくれな!」 はい。ありがとうございます。ごめんなさい。 「いらっしゃいませ! マレウス・マレフィカムへようこそ!」 エプロンドレスのメイド服――の少女にしか『見えない』アリスがスカートの裾をちょこんと摘んで新たなお客を出迎える。 まず、本部程では無いが多くの人を集めたのは噂のメイド喫茶――その名も『マレウス・マレフィカム』である。 魔女の鉄槌等という大凡飲食店に似つかわしくは無い実に物騒な名前を冠した店の戸を潜れば中には今日の時間を持て余したのか、幾らかの客がたむろしていた。 「……って、アシュレイちゃんじゃないですか……!」 「あはは、どうもー」 目を丸くしたアリスにひらひらと手を振って応えたのはこの場所の本来の店主――生来のものぐさでまるで働かない魔女であった。 「来てくれたんですね♪」 「ありがとです。チョコレート美味しかったですよ」 当のアリスはジト目で牽制したミルフィに比べてアシュレイの手伝い(?)が純粋に嬉しそうである。 「おかえりなさいませ、お嬢様。本日のトリュフは如何なされますか? 温かい飲み物も取り揃えております。何なりとお申し付けを」 「おお!」 丁寧に執事調で出迎えた陽斗にアシュレイの目が輝く。 「アシュレイ様にも、友チョコお渡しできたら、と……それが何故こうなったのでしょう……」 その筈であったのに気付けば胸元ふりふりのハートエプロンで御主人様達に一口チョコを配っていたフィネである。 「気付いたら頷いて……おでこ執事の魔力、恐るべしです……」 アリスといい陽斗や何処と無く彼に乗せられた所があるような、フィネといい…… どちらが手伝いなのか逆転している有様は、存在する生活力と家事能力の差もあって痛々しい程であるのだが…… たまには店主も働いたらしい。本当に、たまにだけれど。 「メイド喫茶……初めてなの、よ」 ふと見ればアシュレイに同道した那雪が居る。 街中をぶらぶらしていた所で何となく出会い同伴出勤という訳だ。いや、その表現は魔女自身が使ったもので正しいかは別なのだが―― 「アシュレイさん、接客してくれる……?」 「喜んで!」 普段働かないアシュレイも美少女にお願いされるのは大いに結構であるらしい。 那雪の言葉に一も二も無く頷いて大きな、大きな、大きな! 胸を張った魔女は不慣れな様子で席の一つに彼女を案内した。 「ケーキとコーヒー、お願いするの……よ。後、もし出来たらだけど……」 「……?」 首を傾げるアシュレイに少しだけ言い澱んだ那雪は溜息を吐きつつ先を続けた。 「女の子なのに、バレンタイン生まれとか…… プレゼントは、チョコだし……チョコ、好きだからいいけれど…… でも、自分の誕生日に、大好きなチョコを、あげないといけないなんて……理不尽だと、思わない……?」 「――じゃあ、今日は私がおごってあげます」 「……!」 眠そうな那雪の目がぱっと開く。 何だかんだで興味がある面子も多かったのか、店内に居た何人かは彼女の事を構いだす。 「そんなアシュレイちゃんへのプレゼントはー…… リボンを巻き付けたチョコ色のあ・た・い☆ なーんつって、ハハハ! こやつめ、ハハハ!」 「え、冗談だったんですか?」 「えっ」 「え?」 大いに掛け算を愛好する刹姫と何を考えているか分からないアシュレイが互いに意外そうに顔を見合わせる。 「オトモダチのブラックモアちゃん元気だった? 君のオトモダチの葬ちゃんも元気だったよ~虐められてない~?」 葬識は葬識で全くマイペースを崩す事は無い。 「意外とさ、カレシでも遠慮なく陥れる魔女なんて好みのタイプなんだよねー。つきあってよー、なんてねー。 あ、ほらほら。オムライスに名前かいてくれるサービスとかあるの? あるならそーちゃんだいすきってかいてよ~。 俺様ちゃん常連になっちゃうよー」 「私に! 新たな恋の予感! 長生きしてくれますか!」 「ブラックモアちゃんに殺されなければね~」 リベリスタというのは中々のチャレンジャーで、故に運命に愛されている……という証明なのだろうか。 自分を良く知るアシュレイは多少そんな様に面食らいつつも、何時もの通りの緩い応対を見せていた。 「アシュレイ様、アシュレイ様」 早々とだらけ始めた魔女の袖をくいくいと引っ張られた。 彼女が振り向いた先にはふわっふわの美少女(フィネ)が居る。ふわっふわ、ふわっふわの。 「アシュレイ様、どちらがより笑顔を増やせるか、挑戦しません、か?」 言葉は甘く、柔らかく、マシュマロのようだ。 得手かどうかは別にして――アシュレイはこくこくと頷いた。だって、それは間違いなくこの少女に良く似合う。 「ふぅ、若いっていいねぇ……」 冷たい冬の潮風が頬をくすぐる。 「今日も冷える」 埠頭で煙草をぷかぷかと吹かしながら全くしみじみと藤二郎は言った。 栄枯盛衰、祇園精舎の鐘の音、国破れて山河あり――兵共が夢の跡。 かつては此の世に渦巻く怒りを体現する為に一役買い、栄華を誇ったこの場所も全く今は静かなものとなっていた。 「俺の名は! 影より生まれし! 漆黒の剣士! バレンタインを滅ぼす為にやって来た! その名もシャドウブレイダー!」 本部の腹パニストが魔王を呼び出そうとしたりはしたものの、結果的にこの場所に居るのは影継とすっかり枯れた調子の藤二郎位なものである。 「俺は! 影継さんではない! そのような名前では無い!」 一言毎にエックスクラメーションマークと無意味なポーズをビシバシ決める斜堂さんは最早引っ込みがつかないのかヤケクソ気味なテンションで必死の主張を繰り広げている。白昼堂々と舞い降りた漆黒の堕天使。気合の入りすぎたコスチュームが虚しい。シャドウブレイダー(二年連続二回目)まるで甲子園の出場表記のようである。 「それにしても流石桃子様、製菓会社の陰謀に洗脳された愚民どもを見事に誘き出して下さるとは。 奴らは知るまい。バレンタインに傷つけられる者達の心の痛みを。 奴らは顧みるまい。バレンタインの六文字に寄せられる怨讐の念を。 ならば我が手の錬鉄にて奴らに刻もう。此の世全ての傷みを、聖戦を!!!」 吠えた斜堂さんがヒャッハーとばかりに街中に向けて駆け出した。 放っておくとおまわりさんの苦労が増えそうなこの俄かフィクサードは街中に飛び出すなり、 「ほれ! 君もチョコレートを受け取りたまえ!」 豪放極まる笑顔でチョコレートをばらまく明奈さんに遭遇した。 「……あ、え、はい……」 借りてきた猫のように大人しくなる斜堂さん。 「……? ああ、チョコ欲しいんですか? じゃああげます。いっぱい買っちゃったんです。渡す宛もないのに。だから今こうして自分で消費してるんです」 『ギャラリー画覧洞』の前で騒ぎを何となく眺めていた夢乃が何処と無く茫と投げやりに全身コスチュームのヘルメット男に虚ろなチョコレートを手渡した。そこにバレンタインの意味は無い。しかして乙女のチョコレートである意味はある。 「あ、はい。ありがとうございます」 影継君は頭を丁寧に下げ、ヘルメットを脱いだ。そこには澄んだ瞳の少年が居る。年下のきれいな影継君が居た。 「えー、あー。マイクテステス。大御堂重工出張ボランティア隊です。えー、あー。ぎぶみーちょこれーと?」 拡声器で響いた声の方を見やればそこには凛然とした彩花が恵まれない誰かへのボランティア業に従事しているではないか。 「よ、彩花さん良かったら、これ差し入れ」 「あら。これはご丁寧に……」 「俺もチョコレート欲しいな」 「はいはい。では此方を……」 バイクでやって来た守夜に、彩花が完璧なお嬢様スマイルのままに差し出したのは所謂五円チョコレートである。 「……」 「いいえ、別に経費をケチっているわけじゃありませんわよ? これはれっきとした『良き御縁』との縁起物としての意味合いです。 来年こそは、貴方に良き御縁がありますようにと……」 面白メイドの悪影響か天然ナチュラルに何処か彼女に似てきた彩花に守夜は意を決して一言を告げる。 「あ、いや……そうじゃなくて、出来れば来年の御縁より、俺は彩花さんが……」 「はい?」 人は何故断崖絶壁に挑むのか。人は何故高い山に登りたがるのか。 普通はこの位言われれば何か察する所もありそうなものだが、そこはそれそれ行け僕等の鋼鉄令嬢である。 (色んな意味で)意外とサドいライトニング・フェミーヌはその生まれ故の見事な経験値の無さと一種の理想の高さ、日々の仕事の忙しさ、面白メイドの悪影響様々から――バレンタインを全く自分に関わりのあるイベントと看做しては居なかった。 「俺は、彩花さんが好きだぜ!」 「――良き御縁がありますように♪」 告白と同時に石焼いもの販売の、その大声が響き渡る。 完璧な笑顔はちっとやそっとじゃ崩れない。 態々プレイングに『※フラグは立たないって事です』等と記述された彼女のガードはそう簡単には崩れない。 嗚呼、それが故。崩したくなるのは人の業か。デレたお嬢様とか書きてぇなあ。この辺、ぶっちゃけ全て個人的願望&趣味だけど! 「……」 閑話休題。この期に及んで、影継君(主人公)は気が付いた。 ――ひょっとしてこの街、意外とチョコレートくれる女の子が多いのではなかろうか―― 「やっぱり、皆が楽しみにしているバレンタインを破壊なんて間違っているよな!」 小躍りしながら明日に向かって駆けて行く影継君(高校一年生)。静まり返った埠頭で紫煙を燻らせるのは藤二郎一人。 「ああ、平和だなァ……」 ●三高平(砂ゾーン) バレンタイン、ああバレンタイン、バレンタイン。 幾ら、どれだけ俗化していようとも唯の平日に恋人の日等というお題目がつけば状況が偏るのは必然である。 「私はバレンタイン守護者。全てのバレンタインに幸せを届ける者。 そして、バレンタインカップルの聖地となるこの地を、にわかフィクサードから護るのも私の勤めです! 不埒な輩は私が成敗致しましょう。素敵な甘い一日を……」 ゑる夢さんもそう仰っている事ですし…… 影継君(漂白)が目撃したら再度悪落ちしそうな光景達をここから弾幕の如くお送りするといたしましょう。 ・計都&瞑の場合 「バレンタインニートって知っているか? 今うちが作った。 もう面倒だし、自分でチョコ買ってチョコ食う、もうそんな悲しいバレンタインを過ごすことにした。 嫉妬団とかもうそういうの卒業したから。大人だから。卒業した先はニート、働きたくないでござるー! 楽してリア充爆発したい!」 「バレンタインニート? もちろん知ってるッスよ。 三高平市議会で、先月議決されたCO2削減エコ政策の目玉じゃないッスか。 つぶつぶも高校生なんだから、新聞くらい読むといいッスよ。まー、全部嘘だけど」 目には目を、歯には歯を。 何やら遂にストレスが爆発したらしい。 『土御門さん家』で全く支離滅裂に激しい主張を繰り広げる瞑と計都の二人は言うだけ言って結構虚しい。 「つか、友チョコも貰えずに、部屋の隅で膝を抱えてシクシク泣くしかない。 そんなぼっちのつぶつぶが哀れでしょうがないから、あたしがプレゼントしてやるッスよ」 「え? 計都、うちにチョコ作ってきてくれたってのかい? ……ったく、しょうがねぇなぁ、お前のチョコ食ってやるよ、来いよ」 計都と瞑は打てば響くやり取りで丁々発止と言葉を発し、 「なーんてな! お前のチョコなんて誰が食うかよ! 牛(ようこさん)のメシにでもしてろ! だってさ、うちはチョコレート嫌いなんだからな! 貧乳! ぺちゃぱい!!」 ぎゃーすか、ぎゃーすか。 「せっかくなんだから食えよ、コンチクショウ! 洋子さんは、牛じゃなくて羊だ、ばーかばーか! マウントポジションで、鼻からねじ込んでやるから、覚悟しろッス!」 ぴーちくぱーちく。喧嘩するほど仲がいいんじゃね? 多分。←適当 ――えーと、混線で変なのが入ったようなので砂! 次から! ・虎鐵&雷音の場合 「雷音! 雷音!! 今年もチョコをくれるでござるか!? ござるか!!?」 虎鐵は煩い。本当に、本当に、本当に煩い。 この上なく煩くて、堪え性が無く齢十四の娘よりも何倍も、何倍も、何倍も煩い。 雷音はまず煩いと言えばこの虎鐵か自分の兄を想像する。要するに少女の世界で一番煩いのは兄か父なのである。 その父はと言えば手作りだと大騒ぎしてついぞチョコレートをくれたばかりであった。 「誰がチョコをやるなどと言った。全くおめでたいことだ」 この雷音。反射的につい言ってしまった一言を深く後悔する事になる。 「雷音が……雷音が……もう拙者生きていけないでござる…… もう、雷音の愛を得られない拙者は飢え死にするしかないのでござろうか……」 虎の尻尾はだらんと下がり、顔面蒼白になった虎鐵は此の世の終わりでも見たかのように嘆き、嘆く。 「……う……」 露骨にしょげ返る父に罪悪感を強く覚え、さりとていきなり前言を撤回するのも恥ずかし過ぎる。 雷音はカウンターに燃え尽きた虎鐵を残したまま陰ト陽を駆けて飛び出した。 程無く響く着信のメロディ。雷音専用のその音色に虎鐵の顔に生気が戻る。 「ら、ららららららいおおおおんんん!!!」 彼が引っ掴んだ携帯のディスプレイには携帯越しにならば素直さが表に出てくる雷音からのメッセージ。 ――冷たいことをいって申し訳有りません。ボクも正直今日はワクワクしていました。 素直になれずにすみません。チョコレート、ボクも手作りです。食べていただけたらうれしいです。 雷音の残り香は可愛くラッピングされたチョコレート。 感激する父とそれを隠れて密かにそれを伺う娘。 二人が同時に口に放り込んだ二つの手作りチョコレートは、どちらも少し苦くてそれ以上に甘い味がした。 ・鋼児&櫂の場合 「……この季節じゃやっぱ屋上、ちょっとさみぃなぁ」 鋼児の言葉に櫂は小さくこくりと頷いて、それでも構わないとばかりに微笑んでいた。 冬の風は冷たいが、冷たいからこそ意味がある場合もある。 寒ければ、普段より距離が近付く理由になるし――気のせいか今日の空気は何時もよりも澄み渡っているような気さえする。 「まぁ、いいか。櫂は屋上が好きなんだろ」 「うん。ここでお昼するの――好きだわ」 櫂の言葉に「そっか」と鋼児は頷いた。 視線は少しだけ明後日を向いている。 嬉しそうな櫂と気恥ずかしそうな鋼児の頬に朱色がさしたのは唯寒いからだけでは無いだろう。 学園生活をお約束に彩る、ちょっとしたやり取り。恋人同士にとって一緒に広げるお弁当というものはやはり特別なものである。 「……それで、ね」 「うん?」 持ってきたパンを齧る鋼児に櫂はおずおずと切り出した。 きっと照れ屋な彼の事。意識し過ぎればお互いに緊張しすぎて目も当てられない。 さりげなく。 さりげなく。 さりげなく。 胸の中で三回呟いて一つ深呼吸をした櫂は意を決して後ろ手に隠していた包みを彼にぐっと突き出した。 お約束、お弁当とチョコレート。 「その……バレンタインデーだし……」 さりげなく。 そう心に決めた筈の櫂だったが、もう顔も見られない。 小さな胸は早鐘を打ち、頭に血が上る。顔が赤くなっているのは考えるまでもなく自覚出来て――嗚呼。 「う、ぁ……その……」 そして、その状況は実際の所、鋼児の方も大して変わらないのだった。 「あー、そっかそっか、今日はそんな日だったかクソッタレ。 生まれて此の方んなもんに縁がなかったからすっかり忘れてた。 そっか、チョコか、そっかぁ……あー、やっべ、何か泣きそう。 俺も普通に青春出来んじゃねぇか。喧嘩ばっかりじゃねぇんだな。 あー、やべマジ泣く。あんがとな、櫂……今日のチョコ、しょっぺぇなぁ……」 ・竜一&ユーヌの場合 人生は万事塞翁が馬である。 結城竜一が自宅にユーヌ・プロメースを招いてバレンタインを過ごす、と聞いた時。 読者諸君は一体何を思い浮かべただろうか。 皆まで言うな。恐らく彼と彼の事情を良く知る大半の諸君はこう思った筈だ。「ああ、竜一電撃が欲しかったんだな」とか。 しかして彼にとっての幸運はこの日、何とまぁ珍しい事にゼウスの妻、ヘラの如く嫉妬深い電撃の主が家を開けていた事だった。 「自宅で、ユーヌたんにちゅっちゅぺろぺろ」 「何だ。相変わらず甘えん坊だな? 竜一は。ちょっと変態みたいだぞ?」 相も変わらず分かり易い愛情表現でスキンシップする竜一と、それを殆ど全て問題なく許容する甘やかしのユーヌ。 竜一の自室を舞台に乳繰り合う二人は何とも言えない幸せのオーラを発していた。妹いねぇし。 「考えてみたら……」 「うん?」 「自室に女の子をあげるのは初めてな気がする。あ、虎美は別だが。女の子ってか、妹だしね」 「……ふふ。竜一『も』初めてか。そう聞くと何か嬉しいな?」 ユーヌの言葉に込められた意味は彼の告げた所とほぼ同じである。恋人の――男の子の部屋に上がるのはやはり一大イベントだ。 「……こうやって渡す日が来るとは自分でも驚きだな。でも、今日は……チョコレートケーキを作ってきた」 白い頬を少しだけ紅潮させてユーヌが言う。 少しぶっきらぼうな口調は何時もと変わらない。しかして、その実竜一に対しては何時もより随分と甘く柔らかだ。 愛しい彼の部屋に山のようなプラモや美少女フィギュア、趣味の偏った漫画等があるのは兎も角。 「部屋の中の物が気にならない訳でもないが、一先ず置こう。台所勝手に使うぞ?」 告げたユーヌは少し不恰好になってしまったケーキを少しでも見栄えが良くなるように苦心惨憺と切り分け、コーヒーと共に運んで来た。 「……大した物じゃないから、そわそわしなくて良いぞ? まるで『普通の少女のように』予防線を張り、唇を尖らせるユーヌは何とも言えず愛らしい。そりゃロリコンもホイホイだ。」 「竜一、あーん」 「あーん」 幸せなやり取りの多幸感に竜一の頬が緩みに緩む。 「ユーヌたんがいる生活ってのは、ぼかぁ、幸せだなあ。んふふー! あーん! おいしい! ユーヌたんは料理上手だなあ。立派なお嫁さんになれるよね! 俺の! ありがとう、ユーヌたん!」 ノーピーチでフィニッシュした竜一のバレンタインは順風だった。 「ああ、多いなら後で食べても構わないぞ。虎美と分けて食べても良いしな?」 「とら、み……」 考えてみたらここは自宅だ。 そしてここは自室だ。「趣味、お兄ちゃんの撮影★」とかのたもう彼女がこの部屋をモニタリングしていない可能性はどうなんだね、竜一君? 「んが、んぐ」 喉に、詰まった。 ・宗一&霧香の場合 「以前にお守りを貰いに来たことがあったな、そういえば」 三高平市内のとある神社に呼び出された宗一はふとそんな風に呟いた。 「ギロチンがふらつき回っていた日だったっけか」 「う、うん……」 彼の目の前には顔が赤く些か挙動がおかしい様子の霧香が居る。 「で、また呼び出されたわけだが。今度こそ果たし状か?」 分かっているのか、いないのか。「そんな訳も無いだろうが」と冗談めかした宗一は十分な余裕を持っていた。 少なくともチョコレートを後ろ手に隠して、何時に無くもじもじとしてみせる霧香よりはずっとである。 「あ、あの……宗一君、これ、あげる」 長いようで実に短い時間が過ぎる――勇気を振り絞った霧香は乙女の大事を切り出した。 彼女の扮装は何時もの羽織袴、そのままで。戦いに赴く時のそのままで、つまりそれは―― (……これ着て気を引き締めないと恥ずかしくて渡せないよ) ――そういう事で。 貰ってくれるか、喜んで貰えるか不安そうに様子を伺う霧香の心配は杞憂だった。 「ああ、そうか。バレンタインか。 ん、あぁ、有難う。すっかり忘れていたし、もらえるとは思っても居なかった。 大事に食べるぜ。何て言うか……わざわざありがとうな」 ・オーウェン&未明の場合 「何だか教室でって……刺激的だと思わない?」 放課後、三高平学園の使われていない空教室。 慎重に人気の無い事を確認した未明は「成る程、そういう事もあるのだろうな」と口の端を歪めた恋人のオーウェンに「いいでしょう?」と微笑みかけた。 「クリスマスの際には渡しそびれたので、な」 クラリスの言う通り――バレンタインは本来双方向の行事である。 オーウェンが手にしていたのはガラス細工のついたペンダントだった。 「あら、嬉しい」 蕩けるような極上の笑みを見せた少女は教室の椅子の一つに腰掛けたオーウェンの――その膝の上に乗りかかる。 「制服、脚寒いのよ」 オーウェンが何かを言うよりも早く未明が理由を口にする。 意地悪な恋人は「成る程」と再び呟いて、彼女の細い首に少しひんやりとした指で触れた。 くすぐったそうな仕草を見せた未明が少しの抗議交じりに頭だけで振り返る。 「つけてあげようと思ってね」 背後から抱きすくめるように彼の手が少女の首に回る。夕日を反射してきらりとペンダントトップが輝いた。 「ん――ん、ぁ――」 澱みない一連の動作は年上のクールな彼の――『プロアデプトらしさ』を今日も存分に発揮させた。 上向かせられたのも一瞬。唇を塞がれたのも、一瞬。未明には抵抗の暇もない。する心算も、無かったけれど。 「……何か、負けた気になる」 暫しの時間の後、少し拗ねた表情で未明は言った。 今日はバレンタイン、彼が自分に贈り物を用意したのと同じように――自分も彼に渡すものがある。 作ってきたのはオランジェット。「何でもいい」なんて言う贈り甲斐の無い彼に贈るチョコレイト。 それから――眼鏡の格好の暗視鏡。装飾品にも興味のなさそうな彼に贈る『実用品』。 (眼鏡を掛けた顔も、見てみたかったし、ね――) チョコレートを一つ摘んで口に放り入れ、未明は彼の首を抱いた。 触れる口付けは繰り返した味見で分かっていたけれど、先程にも増して甘い。ミルクとカカオの味がする。 「お返しよ」 ・三千&ミュゼーヌの場合 世の中には色々な形のカップルが居る。 甘い時間を過ごすのは可愛らしい王子様と、とても凛々しいお姫様――三千とミュゼーヌの組み合わせも同じであった。 二人は二人だけの時間を過ごす。ベンチに座って、他に気なんて取られないで。 「私の想いの花束、受け取って頂戴」 「あ、わ、ありがとうございます……!」 少年は――三千は、目の前で悪戯に笑う年上の恋人の差し出したチョコレートに面白い位に破顔していた。 期待して居なかった訳ではない。むしろ貰えるんだろうな、と思っていなかった訳では無い。 しかし、そういう問題ではなく――やはりいざ、愛しいミュゼーヌから『特別な贈り物』を手渡されれば三千の感激はひとしおであった。 照れた顔ではにかむミュゼーヌの美貌が何時に無く少女らしい。彼女は何処までも少女で、彼は少年だった。 薔薇の花を象った一口サイズのチョコレート達は緑のフィルムカップの『茎』の上でそれは見事に咲き誇っている。 「特別に食べさせてあげる……さ、口を開けて」 「え、え……? あ、はいっ……!」 『一輪』手に取った黒薔薇にミュゼーヌは柔らかなキスを落とす。艶のある唇の淡く触れたその花弁は彼女の優雅な所作程完璧な造形を誇る事は出来なかったけれど――内心のドキドキを気取らせるような無様はせずに、その白い指先は三千の口の中にキスの代わりに蕩けるチョコレートを潜り込ませた。 「は、恥ずかしいけど、幸せですっ……」 打てば響くとはこの事か。顔を真っ赤にした三千が自分の動揺を悟る事は無い――そう判断したミュゼーヌは少し気が楽に、大胆になった。 「美味しい?」 「はいっ」 「じゃあ――」 口元に蟲惑の笑みを浮かべた彼女は年齢よりもずっと大人びて、囁くように『誘惑』を零すのだ。 「――次は、口移ししてあげましょうか?」 再び黒薔薇にキスが落ちる。 「す、すごく嬉しいのですけど、どきどきしすぎちゃって、ちゃんとあーんできないかも、というか……っ、その……!」 面白い程に動揺して、面白い程に慌てふためく三千が何とも愛しいミュゼーヌである。 (冗談よ――まだ、此処ではね) 彼女のちょっとした意地悪は答えを告げるその時をもう少しだけ引き伸ばす―― ・疾風&愛華の場合 初々しい始まったばかりのカップルあれば、何時も仲睦ましいカップルも居る。 「この日のために内緒でチョコレートを作っていたのですよぉ! 大量一杯の愛情を込めて! ちょっとビターなチョコを!」 テンションを上げに上げた愛華が二人で訪れた公園で疾風に手渡したのは彼女の想いを込めに込められた特別なチョコレートだった。 「私の名前の四分の一はぁ愛でできてますからぁっ! たとえビターでも愛華の愛で甘甘ですよぉ! ……その、疾風さんのお口に合えばいいんですけどぉ。えと、改めて言うのも恥ずかしいんですが、疾風さんのことぉ大好きですよぉ」 暴走気味のテンション。台詞は後半に行く程、恥ずかしそうに小さくなっていく。 「愛華ちゃん、チョコありがとう。大好き~」 疾風は彼女の気持ちに応えるように優しく微笑む。 考えてみれば前日からドキドキして落ち着かなかったのは彼の方も同じである。 「ホワイトデーのお返しはどうしようかなー。何か欲しいのある?」 「アクセサリーかなぁ? あっ、でもやっぱり疾風さんとデートしたいですぅ。 水族館とかぁ遊園地とかぁ動物園とかぁ。とにかく、二人で1日楽しく過ごせる時間が欲しいなぁ♪」 「ん、じゃあそうしよう」 寒風も二人の間は冷やせない。 「今は、暖かい所に行こうか」 愛華の肩を抱き、疾風。潤んだ瞳の彼女の方は言葉にこくりと頷いた。 ・モノマ&壱也の場合 (せせせ、せんぱいに、ちょ、ちょこを作ってきた……! わ、わわわわわたしこう見えてもお菓子は結構作れるんだからねっ) 壱也の頭の中にはぐるんぐるんと取りとめもない思考が回り、その全身は錆びたブリキの玩具のように固まっていた。 二月十四日、バレンタイン。多少腐りまくってはいるものの、その実本当に可愛い『乙女』な壱也は未だかつてない程に強烈な緊張に襲われていた。モノマを公園に誘う事に成功したのは先程。しかし、一秒毎に酷くなる重圧は彼女を通常の挙動からいよいよ激しく遠ざけている。 「どうした壱也。おもしろい歩き方になってるぞ?」 「はいっ! 行進してます!」 「はは、何だそれ」 頭を撫でるモノマの優しい手にも壱也の緊張は強くなった。 手と足を一緒に出す――まるで冗談のような分かり易さ。 モノマも朴念仁では無いから、彼女がどうして『そう』なのかはとっくに想像のつく所。 「う、あ、えと、その、そのっ」 目元に涙を溜めながら顔を真っ赤にして口元を引き攣らせて、この上なく『ダメ』な顔で。 「も、モノマ先輩、あの、ば、ばれんたいんなので、ちょこを、作ってきました……! も、貰ってくださいッ!」 漸く壱也はそれだけを言い切った。頭をぺこりと下げ両手を前に突き出しモノマの顔も見ないでラッピングを押し付ける。 「ああ、そうだな」 モノマはそんな壱也の姿に噴き出した。 彼女は全然『ダメ』である。しかして『ダメだからこそ』これ以上無く可愛いのだ。 「あぁ、ありがとうな。俺も大好きだぜ壱也」 「いっぱい、愛を、込めました! モノマ先輩、大好きっ!」 涙目の少女の腕をモノマの手が強引に引いた。 「ん――! ん!」 お返しは後日。唯、モノマはたまらなくて――今はちょっと長めのキスをする。 ・火車&朱子の場合 「え……っ? うっ!? お……! ちょ……っとぉ!」 その時、咄嗟に狼狽した彼を責めるのは酷だろう。 自分で思う程、人間は自分を理解していない。 齢二十年未満で人生を語れる程、人間は大した生き物でも無い。 先の事は全く分からないとは本当に本当の事だ、と。 目を閉じて薄い唇を突き出す朱子を目の前にして宮部乃宮火車(18)はこの上なく思い知っていた。 (おい、しっかりしろよ。俺。大舞台だろ、俺。何の為の逆境だ、何の為の底力。何の為のドラマティックだよ、俺、ヒーロー!) 自分で自分を叱咤する。石化に呪縛、ついでにショックも頂いたかのようなぎこちない動きで少女の震える肩を抱く。 バレンタインに恋人同士が甘い時間を過ごすのは想定内。 した事があるかないかと言われれば全く無いが想定内。 「手作りなんて初めてだから……上手に出来たか分からないけど」。そうはにかんだ朱子からチョコレートを渡された時には自分で自分が信じられなくなる程に嬉しく思ったものだ。「そういうの得意じゃないから」何て気取っていた過去の自分さようなら。ぜったいしゃと共に歩むポンコツの自分、こんにちわ。しかして、そんな朱子が顔を真っ赤にして続けた言葉はチョコレートをもぐついた火車を直撃貫通する威力を持っていた。 ――それとね……私、もう一つあげたいものがあって…… 火車くんに抱きしめてもらったりすると凄く嬉しくて、胸がきゅーってして、暖かくて…… だけど、だから……それだけじゃ満足できなくなって……ああ、もう私のばか。 く、口下手でごめんね……私、火車くんともっと……いろんな事がしたいの! いろんな所に触って欲しいの! 即ち、それは――ぽんこつ可愛すぎおれわろた。 すえ‐ぜん〔すゑ‐〕【据(え)膳】 即食べられるように、食膳を整え人の前に据える事。また、その膳も指す。「上げ膳―」 (ぬあああああああ!?) 例えて――女の子に恥をかかせるは男の恥と言う諺でもある。 冷静なようで居て、実はちっとも冷静では無い。 頭の中をぐわんぐわん駆け巡るのは口に残るチョコレートの甘さと、目の前の愛しい少女が微かに漂わせる甘い匂い。 至近距離で感じる好きな女の子の息遣い、その匂い。 (くぅ~……情け無ぇ~……! 朱子にあんな事言わせて全く……) 火車は元来、気の強い男である。男気のある男である。 余りの展開に一瞬頭の真っ白になりかけた彼ではあったが、立て直した。 「朱子!」 「は、はい……」 何故か敬語で朱子が応える。 「オレだってそうしたかった! するぞ! もう!」 やけにキッパリ潔く。火車が朱子の腰に手を回せば彼女の体はぴくりと震える。 重なる影と重なる唇。温くて柔らかい感触は二人だけのもの。 「朱子」 「は、はい……」 火車は繰り返す。飽きもせず一度、もう一度―― ・スケキヨ&ルアの場合 夕暮れの公園に影が伸びる。 三高平市民のレクリエーションの為に作られたこの場所はこんな時には十分な効力を発揮していた。 「……ど、どうかな?」 手袋を取ったルアの指先がチョコレートを一粒摘み、スケキヨの口に放り込む。 「んー」 難しい唸り声を上げたスケキヨの反応がルアの胸を締め付けた。 一生懸命作ったけど――否、一生懸命作った『から』乙女の不安は止まらない。 相手が特別であればある程、相手を愛しく思えば思う程に……である。 「……うーん……味は、ちょっと……」 「え!? 美味しくないの!? どうしよう!?」 微妙な表情をして見せたスケキヨに面白い程分かり易くルアの表情が落胆する。 殆ど泣き出しそうになってしまった彼女の表情にスケキヨは小さな反省をした。 「……なんて、ウソだよ。すごく美味しいよ、有難う」 ふわふわのルアの髪をスケキヨの長い指が撫でて梳く。 愛しいからこそ不安になるルアと、愛しいからこそ苛めたくなるスケキヨはある意味で似た者同士なのかも知れない。 「……ほんと?」 「うん」 「ほんとに? ほんとのほんとに美味しい?」 不安そうな上目遣いでスケキヨを覗き込むルアにスケキヨは少し思案顔をした。 苛め過ぎたのかも知れない。確かにさっきのはちょっと酷かった。彼女はこんなに可愛いんだから―― 「……おや、信じて貰えないかな? それじゃあ、どれだけ美味しいか――」 「スケキヨさん……んっ……」 直接味見してみるのが何より一番早いという事。 「……どうだい? 本当に美味しいでしょ?」 過ぎる時間はとびきり甘い。誰にも負けない最高のバレンタイン。 「スケキヨさん、大好きなの……っ!」 貴方の意地悪も、貴方の毒も。私を酔わせて、離さない―― ・悠里&カルナの場合 もし貴方がバレンタインに大好きな誰かに呼び出されたとしたらば――それは格別の期待になるだろう。 「ごめん、待たせちゃったかな?」 公園の時計の長針は約束の時間を指していた。 白い息を吐き出しながら駆けて来た恋人を少しだけおかしそうに眺めてカルナは「いいえ」と首を振った。 「大丈夫です。私も、今来た所ですよ」 カルナの指先は少しだけ冷えている。彼女の言葉はほんの小さな嘘だった。 だが、「良かった」と呼吸を整える悠里を微笑んで見つめるカルナはそれさえも満更ではなかった。 大好きな誰かに呼び出されるのが楽しみになるならば、大好きな誰かを待つ時間もやはり特別だった。 「ええと……一応チョコレートも用意はしてみたのですが……」 不慣れなやり取りに少しだけ照れた様子を見せてカルナが贈り物の袋を手渡した。 覗き込めばそこには彼女が編んだ手編みのマフラー。見るからに家庭的な少女はその期待に恥じる事無く見事に悠里を感激させた。 「幾らリベリスタといえど出来れば寒い思いはして欲しくないですしね」 「うん、本当にありがとう!」 心の底から嬉しそうな――殆どはしゃいでいると言ってもいい――笑顔を浮かべた悠里にカルナは少しほっとする。 少年のような姿を見せる彼を少し眩しそうに眺めていた。 「そうだ、僕からも……」 「……?」 悠里は日本人、カルナはイタリア人。 以心伝心、彼女が日本式に合わせたのと同じように、彼も又イタリア式を望んだのだった。 彼の差し出した洒落た箱に入っていたのは白いフリージアを象った髪飾り。 「気に入ってもらえるといいんだけど……」 緊張にか少しだけ視線を逸らした悠里の様をくすと笑い、 「ありがとうございます、悠里。私、とても嬉しいです――」 カルナは恋人と過ごせる『今日』の幸福を今更ながらに噛み締めた―― ・俊介&羽音の場合 二月の短い日は既に落ちていた。 宵闇に包まれる――夜がやって来る公園に又、一組。 「よ、羽音。なんか張り切ってる?」 チョコが嫌いな俺にとってはバレンタインも普通の日―― 嘯いた俊介を何時に無い強引さで公園まで引っ張っていったのは、そのおしどり夫婦である所の羽音だった。 「なんだかいつもより積極的だな!」 繋いだ手と手から熱が伝わる。外は寒いけれど、繋いだ手を中心に暖かさが広がるようで――俊介はそれが嬉しい。 「女の子は今日、本気を出さないと一年後悔するんだから……ね」 はしゃぐ年下の彼氏をたしなめるように羽音は言った。 「はい。そこに座る。いい子、いい子……♪」 「はぁい」とベンチに座った俊介の前に立ち、羽音は両手で包みを差し出した。 「はい、ハッピーバレンタイン。愛情、たっぷり詰め込んだよ……♪」 「チョコ嫌いなの覚えててくれたんか。ん、いただきます!」 羽音の用意したのは手作りのエクレア。「食べさせてあげる」と囁いた彼女に彼は一も二も無く飛びついた。 「……ね、あたしも、食べていい……?」 美味しそうに頬張る俊介を見て羽音はすっと目を細めた。 「……って、なんか近くない?」 それはまるで猛禽のような、いや獰猛と言うよりは――本能、と言うべきなのかも知れないが。 「……ん? ん。ン――」 甘味が残る唇を味わえば、身も心も蕩けてしまいそう。 もっともっと、俊介が食べたい。愛してるの。エクレアよりも、甘い貴方……♪ ・沙織&氷璃の場合 「ふぅん。これで何個目かしら? 沙織宛のチョコは?」 騒がしかった本部も時間を外せば穴場になる――冷静な氷璃の判断は果たして正しかったと言えるだろう。 今日は朝から「仕事はサボる」と公言していた沙織だったが、本当にそれを実行する程、時村財閥の後継者が甘くはない事を氷璃は何となく知っていた。戦略司令室で資料に目を通し捺印を繰り返す沙織をからかうように彼女は言った。 「ねぇ、沙織。チョコレートは好き?」 言葉には山程の暗喩が込められていた。彼と彼女の間で交わされるのはゴールの無いコン・ゲームのようである。 少なくとも氷璃はそうあろうと心がけて来た。年甲斐と言えば年甲斐であるし、負けず嫌いが理由と言えばそうだろう。 その名の通り氷のようだと称された『美少女』は今まで、意図して熱を避けてきた。何故なら、氷は――熱で溶けてしまうものだから。 「好きだよ。それ自体よりは、それをくれる誰かの方に興味があるけどね」 「ふぅん?」 書類から目を切らずに応えた彼は愛用の万年筆をサラサラと走らせている。 ……ソファに身を委ね、紅茶のカップを傾けた氷璃の胸が少しざわめく。 自分より仕事を見られているようで気に入らない。 「La fête des amoureux、本番はこれからよ。オペラには何時頃連れて行って貰おうかしら?」 饒舌。 「私だけの執事になる約束も覚えているわよね? 沙織」 饒舌な氷璃だが、奏でられる涼やかな『彼女の音色』が何時に無く矢継ぎ早に響いていた。 ソファを立った氷璃が沙織の机に寄りかかる。書類の上に小さな手を置いて邪魔をする。面を上げた彼の瞳を覗き込み、 「口を開けて。私のチョコを食べさせてあげる」 『折れて』。強請られる前に渡す事にしたチョコレートを白い指先で摘み、その口に放り込んだ。 氷は熱で溶けてしまう、ものだから。 無言で視線が絡めば居心地は悪く。 救いを求めるように唇を開いた彼女は、無意識の内に『母国語』を漏らしていた。 「S'il vous plaît embrassez」 それは氷璃にとっての大失態。言う心算は無かった、聞かれては『負ける』そんな言葉だ。 氷璃の白過ぎる程白い肌にさっと赤い色がさす。 嗜虐的な性格の割に可愛らしいその様は、上等なビスクドールのような外見と相俟ってまるで、天使のよう。気付かないでと『母国語』に縋る彼女が惚けようとするよりも、早く。 「Magique à vous」 囁いた意地の悪い男は乙女の失言を逃していない。 少女の唇をちょんと指先で撫で、からかうように囁いてみせるのだ。 ・伸暁&桜の場合 「あのっ……!」 ライブハウスの出待ちの人混みの中、悲鳴にも近い黄色い声のシャワーの中。 彼が少女の声を認めたのは、少女の姿を認めたのは果たして唯の偶然だっただろうか? 合図は目配せ一つだった。『Black CatのNOBU』の意図を明敏に察した彼女が人のはけたステージで待つ事暫し。 「お待たせ」 将門伸暁が自分に少し遅れて現れたのは彼女――桜にとって幸運だったと言えるだろう。 「……ごめんなさい。大丈夫でしたか?」 「気にしなくていいよ。後の事はSHOに任せてきたし」 気さくに笑う伸暁とこの桜はアークの仕事の甲斐もあり、顔を合わせる機会も多い。 「今日はどうしたの?」 「ライブに来て……」 桜は中々切り出し難い。 「分かってる。でも、それ以外もあるって顔だった」 「……その、これ、バレンタインの、です。えっと……」 軽く意地悪をする伸暁に観念して桜は用意したチョコレートを差し出した。 したい話は沢山あった。伝えたい事は沢山あったその筈なのに―― (いざ目の前にしてしまえば何も言えないMy heart……) Black Catの曲の一小節を何となく頭の中に思い浮かべ、桜は諸々を決意と共に飲み込んだ。 必要なのは言葉じゃない、耳に馴染んだPhraseと目の前の伸暁のVocalがまるで彼女を応援しているかのようだった。 だから、桜は。 「良かったら、受け取って下さい!」 今はまだ憧れで、もう少しだけ勇気が出たら、きっと。 少女の想いの込められたチョコレートを伸暁は受け取って、あの器用なウィンクをもう一度。 肩に引っ掛けていたステージ用のジャケットに袖を通し、無人のステージに向けて歩いていく。 「まだ早い桜の悪戯が俺を誘惑にくすぐる、St.Valentine Phrase For You.桜だけのSpecial Liveへようこそ――」 通路の中程で振り返った彼は当然のように瞳の潤んだ少女にその一言を添えるのだ。 「――殺し文句はFull course.勿論、シェフの気まぐれで構わないよな?」 ・静&玲の場合 澄んだ夜空と月を背負って二人は跳ぶ。 三高平の夜を、街の上を、抜けていく。 リベリスタにしか叶わない超人的な膂力で夜を我が物顔に、我侭に。 「まるで空を飛んでるみたい。どこまでも飛んで行けそう!」 「こうして走るの、楽しいな!」 白い息を吐き出しながら――二人。頬を紅潮させた玲と応える静。 眠り始め、静かになったビル街はまるで二人だけの世界のようだった。 (玲と逢って一年が過ぎて、こうしてこの街で一緒に居られる――とても素敵で、幸せなこと) 静は想う。感謝する。 (空の月が近い! 静さんが、もっと近いよ――) 玲は想う。くすぐったい感覚に気持ちが綻ぶ。 空を『跳ぶ』二人。やがて玲が足を滑らせかけたとしても―― 「大丈夫?」 アクロバティックに彼を抱き止めた静が笑う。二人で笑う。 バレンタインの夜、チョコレートを交換すれば夜はもっと甘くなるだろう。 時間は待ってはくれないけれど、恋人達に永遠を錯覚させる程度には、きっと優しいものだから。 ●Last Episode 気付けば夜の闇の中にちらちらと細かい雪が舞っていた。 積もる程の雪ではない。朝さえ待たずに消えてしまうような、そんな些細な存在である。 「さおりん――」 仕立てのいいコートの前を締めた沙織の背中を聞き慣れた少女の声が追った。 「ずっと、待ってたのです」 暗闇に白い息が弾む。足を止めた沙織は呼びかけに応え、そあらの元に駆け寄った。 「お前、何分待ってた」 「分かんないです」 「……お前、何考えてる」 「さおりんの事、考えてるです」 帰路の沙織が彼女に出会ったのは偶然では無かった。 何時もは離れようともせず、彼の近くをくるくると回っているそあらが一日姿を見せなかったのは偶然では無かった。 それはそあらが考えに考えたバレンタイン用の作戦で、何処までも純粋な彼女が今日に仕掛けた最後のエピソードだった。 「……心配したです?」 「何処に行ってたかと思ったよ」 少し捻くれた沙織の答えに何時もよりずっと大人びたそあらは満足したように微笑んだ。 「遅刻なのです」 「してないよ」 沙織は腕時計をそあらに見せた。時刻は十二時を指す、少し前。辛うじてまだバレンタイン。 「寒いのです」 「馬鹿だから」 「暖めて欲しいのです。送ってくれるです?」 悪戯に、からかうように言ったそあらの手を沙織は軽く握った。 冷え切った彼女の指先を暖めるようにして、言う。 「或る意味で、お前って……いや、何でもない」 小首を傾げたそあらに沙織は小さく頭を振った。苦笑い交じりの彼が何を言わんとしたかそあらは知らない。分からない。唯―― 「チョコはあーん♪ がいいです? それとも口移しがいいのです? ……何なら全部とろける様な甘い一夜でも良いのですよ?」 「馬鹿か、お前は」 額を小突く沙織の調子は何処か楽しげで、そあらも冗談交じりだったのかこれに笑って応えている。 夜が過ぎる。魔法は解ける。しかし、日常も時間もまだこれからも続いていく。 恋人達に祝福を。恋人未満にも、今年一人だった誰かにも祝福を。 Happy Valentine Mitakadaira―― |
■シナリオ結果■ | |||
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■あとがき■ | |||
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