仄暗い滝壺の底から
●
――side a Buddhist saint――
――静寂。
とある山奥、とある禅宗寺の禅堂を表現するならば、その一言で全て事足りた。
衣擦れの音さえしない、この世から隔絶されたような空間。
だが、そこには確かにひとりの人間が存在する。
「――――――――」
時間の概念さえ、彼にはないのかもしれない。
ただひたすらに目を閉じ、ただひたすらに心を空にする。
禅僧、ツァーヴェル賦律(ふりつ)。
“坐る”という一点にのみ人生を捧げる求道の男。
木の葉の落ちる音ひとつ聞きわける彼でなければ、あるいは“それ”を感じ取れなかったであろう。
僅かな、ほんの微かな振動だった。
しかし、彼に限って“気のせい”ということはあり得ない。
「――――――――」
日が沈むより先に立ち上がるのは、いつ以来だろうか。
そんなことを考えながら、賦律は広い禅堂を後にした。
「賦律さま。いかがなされました」
ちょうど本堂から出てきた若い僧が尋ねる。
「――山を下り、伝えなさい。“滝に変調あり。至急専門の者を”と」
それを聞いた若い僧は、青褪めた様子で本堂へ戻っていく。
手早く最低限の身支度を済ませた彼は、すぐに山を下りていった。
●
――side You――
「今回の依頼は伊豆の山間部、禅宗の古寺からだ。歴史は深く、知る人ぞ知る寺らしいが――近くの古妖を封じた滝に変調があるらしい」
中 恭介(nCL2000002)が資料を配りつつ、淡々とした口調で概要を語る。
「かつて半島の人々を喰らい歩いた危険な古妖ということだ。数千年級の化け物であることから察してもらえるとは思うが、仮に復活すれば単純な戦闘では足止め程度が精一杯だろう」
手元の資料をめくってみると、数百年単位で復活しては各時代の人々を喰い荒らした記録に触れられている。
「幸いにして、住職は封印の方法を受け継いでいるらしい。ただし、あくまでも大量の“文書”の一部という形でな。寺には大きな書庫があり、どの文書がそれに該当するのかは目下調査中とのことだ。今回は調査の補助を――」
と、そのとき――会議室内を歩いていた恭介が足を止めて入口の方を見る。
釣られて顔を上げると、F.i.V.E.の事務スタッフが扉の隙間から控えめに恭介を手招きしていた。
入口へ移動し、スタッフの口元に耳を傾ける恭介。
「ふむ、そうか……ありがとう」
スタッフに手で下がるよう指示を出すと、恭介は少しばかり険しい表情で皆に言う。
「たった今、一段回目の結界が破られたとの連絡があったそうだ。結界は二重になっていて、早ければ数時間ほどで二段階目も破られる見込みらしい」
現場に急行し、古妖を再度封印すべし。
緊急のオーダーを受け、覚者たちは次々に席を立った。
――side a Buddhist saint――
――静寂。
とある山奥、とある禅宗寺の禅堂を表現するならば、その一言で全て事足りた。
衣擦れの音さえしない、この世から隔絶されたような空間。
だが、そこには確かにひとりの人間が存在する。
「――――――――」
時間の概念さえ、彼にはないのかもしれない。
ただひたすらに目を閉じ、ただひたすらに心を空にする。
禅僧、ツァーヴェル賦律(ふりつ)。
“坐る”という一点にのみ人生を捧げる求道の男。
木の葉の落ちる音ひとつ聞きわける彼でなければ、あるいは“それ”を感じ取れなかったであろう。
僅かな、ほんの微かな振動だった。
しかし、彼に限って“気のせい”ということはあり得ない。
「――――――――」
日が沈むより先に立ち上がるのは、いつ以来だろうか。
そんなことを考えながら、賦律は広い禅堂を後にした。
「賦律さま。いかがなされました」
ちょうど本堂から出てきた若い僧が尋ねる。
「――山を下り、伝えなさい。“滝に変調あり。至急専門の者を”と」
それを聞いた若い僧は、青褪めた様子で本堂へ戻っていく。
手早く最低限の身支度を済ませた彼は、すぐに山を下りていった。
●
――side You――
「今回の依頼は伊豆の山間部、禅宗の古寺からだ。歴史は深く、知る人ぞ知る寺らしいが――近くの古妖を封じた滝に変調があるらしい」
中 恭介(nCL2000002)が資料を配りつつ、淡々とした口調で概要を語る。
「かつて半島の人々を喰らい歩いた危険な古妖ということだ。数千年級の化け物であることから察してもらえるとは思うが、仮に復活すれば単純な戦闘では足止め程度が精一杯だろう」
手元の資料をめくってみると、数百年単位で復活しては各時代の人々を喰い荒らした記録に触れられている。
「幸いにして、住職は封印の方法を受け継いでいるらしい。ただし、あくまでも大量の“文書”の一部という形でな。寺には大きな書庫があり、どの文書がそれに該当するのかは目下調査中とのことだ。今回は調査の補助を――」
と、そのとき――会議室内を歩いていた恭介が足を止めて入口の方を見る。
釣られて顔を上げると、F.i.V.E.の事務スタッフが扉の隙間から控えめに恭介を手招きしていた。
入口へ移動し、スタッフの口元に耳を傾ける恭介。
「ふむ、そうか……ありがとう」
スタッフに手で下がるよう指示を出すと、恭介は少しばかり険しい表情で皆に言う。
「たった今、一段回目の結界が破られたとの連絡があったそうだ。結界は二重になっていて、早ければ数時間ほどで二段階目も破られる見込みらしい」
現場に急行し、古妖を再度封印すべし。
緊急のオーダーを受け、覚者たちは次々に席を立った。

■シナリオ詳細
■成功条件
1.古妖の再封印
2.覚者全員および住職の生存
3.なし
2.覚者全員および住職の生存
3.なし
皆様いかがお過ごしでしょうか。
今回は“文書捜索班”“古妖足止め班”の二班に分かれてのミッションとなります。
●敵情報
①化け蟹
数千年規模の時を生きる、非常に強力な人喰い古妖。
フジツボのように多数の人骨を纏った四メートル四方の甲羅を持ち、巨大な四本のはさみと沼色の体色が印象的です。
人間や覚者を知覚すると問答無用で襲いかかってきますが、尋常ならざる質量を持つため移動速度は1m/秒程度と鈍重です。
万が一にも鋏に捕まると、非常に高い確率で部位切断級の大ダメージを受けるため、足止め班は細心の注意を払ってください。
封印されている場所からの移動距離に比例して再封印の難度が上がります。
・絶断裁……物近単【流血】
挟むだけの単純な攻撃だが、致命傷は免れない。当たらなければどうということはない。
・殴撲擲……物遠列
薙ぐだけの単純な攻撃だが、わりと範囲が広い。当たらなければどうということはない。
●環境情報
①滝(足止め班)
・周辺は深い山林に覆われており、半径3km以内に建築物は禅宗寺しかありません。
・密かな人気を誇る観光名所ですが、寺やF.i.V.E.の働きかけで自治体が動き、人払いは済んでいます。
・古妖は滝壺の底に封印されており、最初は水中戦となります。
・水から出てくるまで戦闘を開始しないことも可能ですが、その場合は大幅な移動を許してしまい封印の難度が上がります。
・滝壺の底から水際までは30mほどで、水から出さなければ再封印の確率はほぼ100%です。
②寺(捜索班)
・歴史を感じさせる木造建築ですが、手入れが行き届いており劣化はほとんど見られません。
・書庫は本堂から独立して存在しており、広さ10m×10m程度の空間にありったけの木製書架が並べられています。
・土の壁に石の床と堅牢な造りですが、ごく一部の床石が極端に隆起しているなど相応の年月を感じさせます。
・住職以外は避難しており、捜索は住職と覚者で行います(住職はドイツ出身ですが現在は帰化しており日本語は流暢です)。
・問題の文書は存在することのみが伝わっており、特徴などは一切不明です。
③その他(両班)
・覚者一行が寺に到着する20時頃からおおよそ30分ほどで古妖の封印が解けます。
・寺から滝までは急いで10分ほどの距離があり、先に罠などを仕掛ける場合は概ね20分ほどの猶予があると考えてください。
・寺も滝も自然物以外の光源は蝋燭が限度のため、特に捜索班は明かりを用意すると判定が有利になるでしょう。
・文書の捜索難度のイメージとして、住職ひとりが特に工夫せず捜索した場合“文書の性質上”最低6時間を要します。
・最初は捜索班を手伝い、後で足止め班に加わるなどの両班にまたがるプレイングはできません。
・また、周囲の環境を損壊するようなプレイングは“今回に限り”やむを得ない事情で必要最小限に抑える場合は認められます。
・班の人数分けは自由ですが、どちらかが極端に少ない場合、イレギュラーには対応しづらくなります。
では、よろしくお願いいたします。
状態
完了
完了
報酬モルコイン
金:0枚 銀:1枚 銅:0枚
金:0枚 銀:1枚 銅:0枚
相談日数
6日
6日
参加費
100LP[+予約50LP]
100LP[+予約50LP]
参加人数
10/10
10/10
公開日
2016年05月08日
2016年05月08日
■メイン参加者 10人■

●
――side Kueki Shinazugawa――
「住職屋さん、外国の人だったんだな! 超ウケる!」
開口一番、失礼千万なことを言い放って、不死川 苦役(CL2000720)はけらけらと笑った。
月も朧な午後八時、寺の境内にいるのは五人の覚者と住職の計六人のみ。
残り五人の覚者は寺をほとんど素通りするような形で滝へ向かっている。
「左様にございます。拙僧は西ドイツより参りましたツァーヴェル賦律。本日はどうぞよろしくお願いいたします――」
「失礼、不死川君が口を滑らせた。では予定通り、書庫へ案内してもらえるだろうか」
最年長の八重霞 頼蔵(CL2000693)が頭を下げると、住職は慈愛の微笑みを浮かべて歩き出した。
質素な庭を抜け、辿り着いた先には――月光に淡く照らし出された土蔵のような建築物。
「さーて開幕、“チキチキ・ヴォイニッチ手稿捜索レース”! 最初に封印を解くのは当然この俺、不死川っ!」
苦役は断りもなく閂を抜くと、観音開きの扉を開く。
「わあ暗い! だが天才の不死川さんは不測の事態に備えて文明の利器“懐中電灯”を用意していたのだ。レッツフラッシュアンドダイブ! ぎゃーホコリ臭いカビ臭い!」
「わわ……待ってください、皆さん両手が空いた方がいいですよね……」
控えめに進言すると、『LUCKY☆CAT』ウル・イング(CL2001378)が身体から淡い光を放ち始めた。
「じ、時間がありません……不死川さんに続きましょう……!」
●
――side Yuki Kokuto――
「これで下準備は済んだかな……」
バッグに詰め込んでいた年代物の缶詰を一通り岩場に並べると、『夕暮れの黒』黒桐 夕樹(CL2000163)は闇に浮かぶ滝を眺めた。
滝風が缶詰の臭いを風下に運んでいる――古妖とはいえ腐肉食の蟹ならば、気を逸らすくらいはできるだろうか。
「うん、封印の痕跡はさすがに残ってないみたいだね」
周辺の偵察を終えた様子で、幼馴染の白枝 遥(CL2000500)が近くの岩場に降り立ち羽を閉じた。
「もしくは全て水の中かな。いつ結界が破られてもおかしくないから、無闇に潜るわけにはいかないけど――」
「潜るのは俺の仕事。遥は水中より空中を泳ぐのが役目だろう」
「うん……そうだね。夕樹のことだから心配はしてないけど、無理は禁物だよ」
頷いて水際へ向かうと、遥が背中を軽く押す――薄い水の膜が夕樹の全身を覆った。
「では参りましょう。私たちの誘導が初動の鍵ですね」
緊張した面持ちの『蒼炎の道標』七海 灯(CL2000579)と示し合わせ、夕樹は水中へ飛び込む。
(流れが――想定よりも速い……っ)
途轍もない水流が四肢を縛り、水底へ誘い込むべくうねりを上げた。
紅湖の力で息は続くものの、身体の制御ができない。
と、ふいに掌が握られ、どうにかその場へ留まることができる。
見れば、激しい水流をものともせず、まるで散歩するかのような軽やかさで――灯が微笑んでいた。
●
――side Nagisa Tsuyuri――
「見てください、滝の様子が……」
納屋 タヱ子(CL2000019)の指差す方向を見て、『天使の卵』栗落花 渚(CL2001360)は目を見開いた。
もともと美しい直瀑の滝が、何かを避けるよう中途から二叉に割れ、分岐瀑の様相を呈している。
続いて足元の岩盤が小刻みに震え、水面にも波が立ち始めた。
「封印が解けたんだね。きらら、二人を導いて!」
渚の声に反応して、竜の幼生は精一杯の火球を生み出す。
「水中から見えるといいんだけど……」
振動は次第に大きくなり、波も高く荒れ始めた。
水底深くを蛍火のように動いていた灯が、徐々に渚たちの方へ浮かんでくる。
やがて灯が水面に顔を現すと、少し離れたところで夕樹も陸へ飛び出した。
「すぐに来ます、皆さん離れて!」
二人の無事を喜ぶ暇もない。
映り込んだ月を砕くように水面が大きく隆起し、物々しい甲羅の一部が大気に晒される。
四本の鋏を水際の岩に食い込ませ、巨体を引っ張り上げるようにして化け蟹が全貌を現した。
情報として知っているのと、実物を見るのとでは次元が違う。
あまりにも絶望的な質量差に、渚は生物的本能から無意識に距離を取っていた。
「ううん、逃げない……っ」
自らを鼓舞し、渚は精神を統一する――少しでも時間を稼ぐために。
足止め班VS化け蟹――戦いの火蓋は、今まさに切られた。
●
――side Shoko Kurama――
「見つからんのう……」
『天狗の娘』鞍馬・翔子(CL2001349)の呟きは、あちこちで擦れる紙の音に吸い込まれた。
立ったまま書架を物色する者もいれば、不安定な石の床へ器用に腰を下ろして作業する者もいる。
床といえば、気になるのは不自然なほどの隆起――翔子は手に持った一冊を本の山に積むと、手近なところで浮いている床石に跳び乗った。
…………。
「むう。さすがに、これが沈んで地下への隠し階段が……などということはないか」
「おい、お前。遊んでる暇があるならこっちを手伝え」
赤祢 維摩(CL2000884)の呆れたような声で現実に引き戻される。
「あ、遊んでいたわけではない。貴様とて進捗は芳しくなかろう」
「俺は今まで坊さんの残留思念のご機嫌を窺ってたんだ。だが――連中、意図的に情報を隠してるらしい」
「原因はこれだろう」
突然、古ぼけた書物に目を走らせたまま頼蔵が話に割り込んだ。
頬骨と鎖骨で器用に挟んでいた資料を維摩に手渡し、付箋のひとつを指定してページを開かせる。
翔子は高下駄の上で更に背伸びをしなければ覗けなかった。
「なになに……寛延三年、別なる古妖の仕業で数年前に張ったばかりの結界が破られたと……」
「お前、読めるのか」
維摩が驚いたように翔子を見る。
「師匠のところで読んだ書と似た仮名遣いでな。私にとっては、むしろこちらの方が馴染み深いのだ」
●
――side Yuima Akane――
「つまり、江戸時代に結界を破ったのは化け蟹じゃなく他の古妖――」
維摩は顎に手を当ててぶつぶつと独りごちる。
「――同じ事態を繰り返さないため、当時の僧侶は降霊なんかの古妖でも扱える呪術に対策を施し、封印に関する資料も徹底的に隠したってわけか」
「その古妖が赤袮君同様、降霊そのものを行ったのかは不明だがね。いずれにせよ、一見して杜撰としか思えない管理方法にも意味があるようだ」
頼蔵が書物を閉じ、これも空振りだと言わんばかりに本の山へと積み重ねた。
彼の山は種類や年代ごとに分別されているようで、どれも几帳面に角が合わせられており、山というよりはビル街に近い。
「敵に封印関連の情報が渡らないようにした結果、味方にも弊害が出たと。ままならないもんだな」
維摩は皮肉げに言うと、書架に残っている本を一冊手に取った。
結局、虱潰しの人海戦術に落ち着くということなのだろう。
極限まで集中力を研ぎ澄まし、維摩は本のページを高速でめくり始めた。
「貴様、それ……読めているのか」
翔子が驚いたように維摩を見る。
「応用は利く方でな。元より動体視力は限界まで鍛えてある――あとは頭がついてくれば、似非速読の完成ってわけだ」
――覚者たちの尽力により、書庫の本は究めて順調に読み解かれていた。
捜索班VS文書――土蔵の扉が開けられてから、間もなく三十分が経過しようとしている。
●
――side Taeko Naya――
水底より出でて水底より深い沼色の体色――古妖化け蟹、左横合い。
(なんて重さ――!)
雑に振り回された右下腕が軽くチップしただけで、タヱ子の身体は危うく盾ごと吹き飛ぶところだった。
全身に土を纏わせているものの――腕の痺れ具合から察するに、まともに受ければただでは済むまい。
「左斜め後ろ、跳んで!」
渚の声を合図に地を蹴ると、化け蟹の右上腕がタヱ子の立っていた岩盤を豆腐か何かのように破砕した。
潰滅的な暴力は軽く地形を変動させ、化け蟹自身の巨躯も斜めに傾ぐ。
その光景を見て、タヱ子は戦慄すると同時にひとつの着想を得た。
「栗落花さん、足元を狙ってください!」
「わ、わかった――」
化け蟹の脚が接地している岩を狙い、幾重にも練り上げられた気の弾丸が渚の掌から放たれる。
爆音と共に、化け蟹は大きくバランスを崩した。
しかし、苦し紛れに振り回された怪腕が運悪く渚に迫る。
「我が身は城郭にして城塞、守り護る鉄壁の具現――」
土で足らぬなら岩に、岩で足らぬなら鋼に。
渚の前で仁王のごとく立ちはだかり、タヱ子は二枚の盾で化け蟹の巨大な鋏を受け止めた。
接地面が足裏だけでは吹き飛ばされかねない――膝を突き、岩盤に食らいつく。
凄まじい摩擦で土の鎧が削れ、生身の膝が岩肌に晒された。
盾を支える腕も、筋繊維がずたずたに破壊される。
それでも耐えることが自分の使命だと、タヱ子は信じて疑わない。
「タヱ子さん、私のために――すぐ手当てするね……っ」
声が聞こえたということは、渚は無事――安堵を覚えると、タヱ子の意識はそこで途絶えた。
●
――side Tomoshibi Nanami――
「いま、倒れかけたように見えましたが……」
急に精細を欠いた化け蟹の動きに、右横合いを担う灯は違和感を覚えた。
身体から放つ光量を最大出力に調節し、化け蟹の足元に目を凝らす。
「岩場が崩れて脚が埋もれたのですね――」
――と、光量を上げたことで左横合いの二人が視界に入った。
「大変、納屋さんが倒れています……! 白枝さん、向こうに回れますか?」
「任せて。納屋さんを守ればいいんだね」
遥は攻撃の手を止め、翼を大きく広げて化け蟹の頭上を飛んだ。
「遥に任せれば向こうは大丈夫だろう――問題はこっちだね」
夕樹の声は少し震えていた。
そう、寒いのだ――このところ春めいてきたとはいえ、山中、夜中という環境に加え滝風が濡れた身体に追い打ちをかける。
「頭上、左上腕――来ます!」
灯もまた、歯の根が合わない。
低体温は神経筋反応速度の低下をもたらし、自分の身体が自分のものでないかのように感じられた。
僅かな鈍化でも戦闘時は致命的――足がもつれ、体勢が崩れる。
それに気づいた夕樹にかばわれ、灯は背中から岩場に倒れ込んだ。
衝撃と同時に視界は一瞬、砂塵に閉ざされる。
――――。
「よかった、視覚よりも嗅覚を頼りにしてるみたいだね。借りは返せたかな」
砂煙が晴れると、二人の背後――缶詰の置かれた岩場に、巨大な鋏が突き立てられていた。
と、そのとき――遠く寺がある方角の空で、点滅する存在が目に入る。
間もなく、灯の聴覚野が聞き覚えのある声をキャッチした。
『やれやれ、山道など走るものではないな……一張羅が台無しだ』
●
――side Ullr Ing――
遡ること十数分。
土蔵の本はあらかた読み解かれ、書架や棚に残された本も残り僅かとなっていた。
みな口にこそしないものの、苛立ちにも似た焦燥感に囚われつつあるのがウルにはわかる。
「これは……マズいな……」
物々しい口調で静寂を破ったのは苦役であった。
「ま、まずいですか……」
「ああマズい、飽きた……! だって全部文字じゃん、なんで漫画式にしないわけ!? 履歴書は手書きしか認めない的な根性論なの!? 苦役、激おこ!」
というわけで分別に回ります、と言って、苦役は他の覚者が雑に重ねた本の山を整理し始めた。
嵐(のような男)が去って、ウルは胸を撫でおろす。
ウルは最初から他の覚者に許可を取って、書物以外の部分を中心に調べていた。
寺に伝わっている歌――滝から連想される水、音、自然、天候……しかし、どれもまだ確信には至らない。
やがて全ての書物が消化されたようで、土蔵の中の緊張は一層高まった。
「ここにあった本、みんな読み終わっちゃったじゃん! 何なの!? 紙じゃあ鋏には勝てませんってこと!?」
騒ぎ立てる苦役に対し、翔子が諌めにかかる。
「ええい黙らんか貴様! じゃんけんではないのだぞ!」
じゃんけん――その単語を聞いて、ウルはついに閃いた。
未読の“文書”なら、まだ残っているかもしれない――。
「い、石です皆さん! 床石を全部、ひっくり返してください……!」
●
――side Raizo Yaegasumi――
「なるほど確かに。ロゼッタストーンもヒエログリフも、亀甲も竹簡も羊皮紙も、果てはパソコン上のテキストファイルだろうが――文字が書かれている以上、“文書”であることに変わりはないな」
問題の石版を手に持って、頼蔵は呆れたように皮肉を言った。
「相手が遥か旧時代の古妖なら、その仔細を記した文書もまた遥か旧時代の代物……ということか」
「で、どうすんの? 俺のミラクルアイでも読めないけど」
苦役の言葉に、住職が安堵したような顔で説明を始めた。
「読む必要はありません。それはかつて神域に存在した“要石”の欠片――太古の原始的呪術が彫られているのです」
「なんだ貴様、知っていた風ではないか」
翔子が訝しげに睨めつけるのも無理はない――頼蔵も同じことを考えたところである。
「いえ――その文字を目にしたとき、脳裏にそれらの知識が浮かび上がりました。拙僧は先代から、知らぬ間に暗示をかけられていたのでしょう」
「聞きたいことは山ほどあるが、今は封印が先決だ。急いで十分ほどと言ったか……私の足なら三分少々といったところだな」
「では、要石は八重霞殿に。拙僧は本殿にて祝詞を上げてまいります」
住職から滝での手順を聞くと、頼蔵はすぐにかけ出す。
「知らせるだけなら、その辺の木に雷獣でも撃ち込むぞ」
「や、山火事になっちゃいますよ……光るだけなら、僕でもできますから……」
「ならば私がウルを抱いて飛ぼう。貴様、高いところは平気か?」
最後に耳が捉えた不安な会話を、彼は聞かなかったことにした。
●
――side Haruka Shiroeda――
「夕樹、七海さんと協力して化け蟹の足場を攻撃してほしい! 僕は治療で手一杯だ――」
遥は持てる気を全て癒力に変換し、タヱ子に注いでいた。
「もうやってる! あとひと押しなんだ……っ」
「一か八か痺れさせてみます、黒桐さんは下がって――!」
「ふたりとも、頑張れ!」
渚も応援しつつ、遥と共にタヱ子の傷を癒やす。
化け蟹は鋏を楔のように岩盤へ撃ち込み、水に落ちまいと執念の抵抗を見せた。
と、そのとき――。
「――これを抜かせればいいのか」
頼蔵が人間とは思えない速度で木々の間から現れ、続けざまに鋏の穿たれた岩盤を二度の蹴脚で砕く。
支えを失い、ついぞ化け蟹の巨体は大きく後ろに倒れ、轟音と共に水面を割った。
続けて頼蔵は手に持った石版を滝壺へ投擲。
すぐに滝そのものが霊的な光を帯び、擬似的な神域へと昇華される。
「なるほど、要石か……」
遥はその光景を見て、ひとつの結論に至った。
「ん……綺麗……」
タヱ子が目を覚まし、眩いばかりの光に目を細める。
「タヱ子さん! よかった……っ」
泣いてすがりつく渚――微笑ましい二人を見ながら、遥は立ち上がった。
「ごめんね化け蟹さん。散々岩を砕いてもらって何なんだけど……この国では、鋏は石に勝てないようにできてるんだよね」
――――。
災厄は去り――元の静けさを取り戻した荘厳な滝に、六人の覚者は見入っていた。
「さて、住職さんに頼んでお茶を入れさせてもらおうか。夕樹と七海さんは着替えを借りること」
みんなで美味しいものでも食べて、暖まろう――言って、遥は水際へ歩み寄る。
「甘いものなら俺が持ってる。缶詰も入れてたから、沢山はないけどね……」
遥の横に並んで、夕樹は滝を見上げた。
手向けになるかどうかは分からないけれど。
近場に咲いていた一輪の花を、遥は穏やかになった水面に浮かべた。
――Mission cleared.
――side Kueki Shinazugawa――
「住職屋さん、外国の人だったんだな! 超ウケる!」
開口一番、失礼千万なことを言い放って、不死川 苦役(CL2000720)はけらけらと笑った。
月も朧な午後八時、寺の境内にいるのは五人の覚者と住職の計六人のみ。
残り五人の覚者は寺をほとんど素通りするような形で滝へ向かっている。
「左様にございます。拙僧は西ドイツより参りましたツァーヴェル賦律。本日はどうぞよろしくお願いいたします――」
「失礼、不死川君が口を滑らせた。では予定通り、書庫へ案内してもらえるだろうか」
最年長の八重霞 頼蔵(CL2000693)が頭を下げると、住職は慈愛の微笑みを浮かべて歩き出した。
質素な庭を抜け、辿り着いた先には――月光に淡く照らし出された土蔵のような建築物。
「さーて開幕、“チキチキ・ヴォイニッチ手稿捜索レース”! 最初に封印を解くのは当然この俺、不死川っ!」
苦役は断りもなく閂を抜くと、観音開きの扉を開く。
「わあ暗い! だが天才の不死川さんは不測の事態に備えて文明の利器“懐中電灯”を用意していたのだ。レッツフラッシュアンドダイブ! ぎゃーホコリ臭いカビ臭い!」
「わわ……待ってください、皆さん両手が空いた方がいいですよね……」
控えめに進言すると、『LUCKY☆CAT』ウル・イング(CL2001378)が身体から淡い光を放ち始めた。
「じ、時間がありません……不死川さんに続きましょう……!」
●
――side Yuki Kokuto――
「これで下準備は済んだかな……」
バッグに詰め込んでいた年代物の缶詰を一通り岩場に並べると、『夕暮れの黒』黒桐 夕樹(CL2000163)は闇に浮かぶ滝を眺めた。
滝風が缶詰の臭いを風下に運んでいる――古妖とはいえ腐肉食の蟹ならば、気を逸らすくらいはできるだろうか。
「うん、封印の痕跡はさすがに残ってないみたいだね」
周辺の偵察を終えた様子で、幼馴染の白枝 遥(CL2000500)が近くの岩場に降り立ち羽を閉じた。
「もしくは全て水の中かな。いつ結界が破られてもおかしくないから、無闇に潜るわけにはいかないけど――」
「潜るのは俺の仕事。遥は水中より空中を泳ぐのが役目だろう」
「うん……そうだね。夕樹のことだから心配はしてないけど、無理は禁物だよ」
頷いて水際へ向かうと、遥が背中を軽く押す――薄い水の膜が夕樹の全身を覆った。
「では参りましょう。私たちの誘導が初動の鍵ですね」
緊張した面持ちの『蒼炎の道標』七海 灯(CL2000579)と示し合わせ、夕樹は水中へ飛び込む。
(流れが――想定よりも速い……っ)
途轍もない水流が四肢を縛り、水底へ誘い込むべくうねりを上げた。
紅湖の力で息は続くものの、身体の制御ができない。
と、ふいに掌が握られ、どうにかその場へ留まることができる。
見れば、激しい水流をものともせず、まるで散歩するかのような軽やかさで――灯が微笑んでいた。
●
――side Nagisa Tsuyuri――
「見てください、滝の様子が……」
納屋 タヱ子(CL2000019)の指差す方向を見て、『天使の卵』栗落花 渚(CL2001360)は目を見開いた。
もともと美しい直瀑の滝が、何かを避けるよう中途から二叉に割れ、分岐瀑の様相を呈している。
続いて足元の岩盤が小刻みに震え、水面にも波が立ち始めた。
「封印が解けたんだね。きらら、二人を導いて!」
渚の声に反応して、竜の幼生は精一杯の火球を生み出す。
「水中から見えるといいんだけど……」
振動は次第に大きくなり、波も高く荒れ始めた。
水底深くを蛍火のように動いていた灯が、徐々に渚たちの方へ浮かんでくる。
やがて灯が水面に顔を現すと、少し離れたところで夕樹も陸へ飛び出した。
「すぐに来ます、皆さん離れて!」
二人の無事を喜ぶ暇もない。
映り込んだ月を砕くように水面が大きく隆起し、物々しい甲羅の一部が大気に晒される。
四本の鋏を水際の岩に食い込ませ、巨体を引っ張り上げるようにして化け蟹が全貌を現した。
情報として知っているのと、実物を見るのとでは次元が違う。
あまりにも絶望的な質量差に、渚は生物的本能から無意識に距離を取っていた。
「ううん、逃げない……っ」
自らを鼓舞し、渚は精神を統一する――少しでも時間を稼ぐために。
足止め班VS化け蟹――戦いの火蓋は、今まさに切られた。
●
――side Shoko Kurama――
「見つからんのう……」
『天狗の娘』鞍馬・翔子(CL2001349)の呟きは、あちこちで擦れる紙の音に吸い込まれた。
立ったまま書架を物色する者もいれば、不安定な石の床へ器用に腰を下ろして作業する者もいる。
床といえば、気になるのは不自然なほどの隆起――翔子は手に持った一冊を本の山に積むと、手近なところで浮いている床石に跳び乗った。
…………。
「むう。さすがに、これが沈んで地下への隠し階段が……などということはないか」
「おい、お前。遊んでる暇があるならこっちを手伝え」
赤祢 維摩(CL2000884)の呆れたような声で現実に引き戻される。
「あ、遊んでいたわけではない。貴様とて進捗は芳しくなかろう」
「俺は今まで坊さんの残留思念のご機嫌を窺ってたんだ。だが――連中、意図的に情報を隠してるらしい」
「原因はこれだろう」
突然、古ぼけた書物に目を走らせたまま頼蔵が話に割り込んだ。
頬骨と鎖骨で器用に挟んでいた資料を維摩に手渡し、付箋のひとつを指定してページを開かせる。
翔子は高下駄の上で更に背伸びをしなければ覗けなかった。
「なになに……寛延三年、別なる古妖の仕業で数年前に張ったばかりの結界が破られたと……」
「お前、読めるのか」
維摩が驚いたように翔子を見る。
「師匠のところで読んだ書と似た仮名遣いでな。私にとっては、むしろこちらの方が馴染み深いのだ」
●
――side Yuima Akane――
「つまり、江戸時代に結界を破ったのは化け蟹じゃなく他の古妖――」
維摩は顎に手を当ててぶつぶつと独りごちる。
「――同じ事態を繰り返さないため、当時の僧侶は降霊なんかの古妖でも扱える呪術に対策を施し、封印に関する資料も徹底的に隠したってわけか」
「その古妖が赤袮君同様、降霊そのものを行ったのかは不明だがね。いずれにせよ、一見して杜撰としか思えない管理方法にも意味があるようだ」
頼蔵が書物を閉じ、これも空振りだと言わんばかりに本の山へと積み重ねた。
彼の山は種類や年代ごとに分別されているようで、どれも几帳面に角が合わせられており、山というよりはビル街に近い。
「敵に封印関連の情報が渡らないようにした結果、味方にも弊害が出たと。ままならないもんだな」
維摩は皮肉げに言うと、書架に残っている本を一冊手に取った。
結局、虱潰しの人海戦術に落ち着くということなのだろう。
極限まで集中力を研ぎ澄まし、維摩は本のページを高速でめくり始めた。
「貴様、それ……読めているのか」
翔子が驚いたように維摩を見る。
「応用は利く方でな。元より動体視力は限界まで鍛えてある――あとは頭がついてくれば、似非速読の完成ってわけだ」
――覚者たちの尽力により、書庫の本は究めて順調に読み解かれていた。
捜索班VS文書――土蔵の扉が開けられてから、間もなく三十分が経過しようとしている。
●
――side Taeko Naya――
水底より出でて水底より深い沼色の体色――古妖化け蟹、左横合い。
(なんて重さ――!)
雑に振り回された右下腕が軽くチップしただけで、タヱ子の身体は危うく盾ごと吹き飛ぶところだった。
全身に土を纏わせているものの――腕の痺れ具合から察するに、まともに受ければただでは済むまい。
「左斜め後ろ、跳んで!」
渚の声を合図に地を蹴ると、化け蟹の右上腕がタヱ子の立っていた岩盤を豆腐か何かのように破砕した。
潰滅的な暴力は軽く地形を変動させ、化け蟹自身の巨躯も斜めに傾ぐ。
その光景を見て、タヱ子は戦慄すると同時にひとつの着想を得た。
「栗落花さん、足元を狙ってください!」
「わ、わかった――」
化け蟹の脚が接地している岩を狙い、幾重にも練り上げられた気の弾丸が渚の掌から放たれる。
爆音と共に、化け蟹は大きくバランスを崩した。
しかし、苦し紛れに振り回された怪腕が運悪く渚に迫る。
「我が身は城郭にして城塞、守り護る鉄壁の具現――」
土で足らぬなら岩に、岩で足らぬなら鋼に。
渚の前で仁王のごとく立ちはだかり、タヱ子は二枚の盾で化け蟹の巨大な鋏を受け止めた。
接地面が足裏だけでは吹き飛ばされかねない――膝を突き、岩盤に食らいつく。
凄まじい摩擦で土の鎧が削れ、生身の膝が岩肌に晒された。
盾を支える腕も、筋繊維がずたずたに破壊される。
それでも耐えることが自分の使命だと、タヱ子は信じて疑わない。
「タヱ子さん、私のために――すぐ手当てするね……っ」
声が聞こえたということは、渚は無事――安堵を覚えると、タヱ子の意識はそこで途絶えた。
●
――side Tomoshibi Nanami――
「いま、倒れかけたように見えましたが……」
急に精細を欠いた化け蟹の動きに、右横合いを担う灯は違和感を覚えた。
身体から放つ光量を最大出力に調節し、化け蟹の足元に目を凝らす。
「岩場が崩れて脚が埋もれたのですね――」
――と、光量を上げたことで左横合いの二人が視界に入った。
「大変、納屋さんが倒れています……! 白枝さん、向こうに回れますか?」
「任せて。納屋さんを守ればいいんだね」
遥は攻撃の手を止め、翼を大きく広げて化け蟹の頭上を飛んだ。
「遥に任せれば向こうは大丈夫だろう――問題はこっちだね」
夕樹の声は少し震えていた。
そう、寒いのだ――このところ春めいてきたとはいえ、山中、夜中という環境に加え滝風が濡れた身体に追い打ちをかける。
「頭上、左上腕――来ます!」
灯もまた、歯の根が合わない。
低体温は神経筋反応速度の低下をもたらし、自分の身体が自分のものでないかのように感じられた。
僅かな鈍化でも戦闘時は致命的――足がもつれ、体勢が崩れる。
それに気づいた夕樹にかばわれ、灯は背中から岩場に倒れ込んだ。
衝撃と同時に視界は一瞬、砂塵に閉ざされる。
――――。
「よかった、視覚よりも嗅覚を頼りにしてるみたいだね。借りは返せたかな」
砂煙が晴れると、二人の背後――缶詰の置かれた岩場に、巨大な鋏が突き立てられていた。
と、そのとき――遠く寺がある方角の空で、点滅する存在が目に入る。
間もなく、灯の聴覚野が聞き覚えのある声をキャッチした。
『やれやれ、山道など走るものではないな……一張羅が台無しだ』
●
――side Ullr Ing――
遡ること十数分。
土蔵の本はあらかた読み解かれ、書架や棚に残された本も残り僅かとなっていた。
みな口にこそしないものの、苛立ちにも似た焦燥感に囚われつつあるのがウルにはわかる。
「これは……マズいな……」
物々しい口調で静寂を破ったのは苦役であった。
「ま、まずいですか……」
「ああマズい、飽きた……! だって全部文字じゃん、なんで漫画式にしないわけ!? 履歴書は手書きしか認めない的な根性論なの!? 苦役、激おこ!」
というわけで分別に回ります、と言って、苦役は他の覚者が雑に重ねた本の山を整理し始めた。
嵐(のような男)が去って、ウルは胸を撫でおろす。
ウルは最初から他の覚者に許可を取って、書物以外の部分を中心に調べていた。
寺に伝わっている歌――滝から連想される水、音、自然、天候……しかし、どれもまだ確信には至らない。
やがて全ての書物が消化されたようで、土蔵の中の緊張は一層高まった。
「ここにあった本、みんな読み終わっちゃったじゃん! 何なの!? 紙じゃあ鋏には勝てませんってこと!?」
騒ぎ立てる苦役に対し、翔子が諌めにかかる。
「ええい黙らんか貴様! じゃんけんではないのだぞ!」
じゃんけん――その単語を聞いて、ウルはついに閃いた。
未読の“文書”なら、まだ残っているかもしれない――。
「い、石です皆さん! 床石を全部、ひっくり返してください……!」
●
――side Raizo Yaegasumi――
「なるほど確かに。ロゼッタストーンもヒエログリフも、亀甲も竹簡も羊皮紙も、果てはパソコン上のテキストファイルだろうが――文字が書かれている以上、“文書”であることに変わりはないな」
問題の石版を手に持って、頼蔵は呆れたように皮肉を言った。
「相手が遥か旧時代の古妖なら、その仔細を記した文書もまた遥か旧時代の代物……ということか」
「で、どうすんの? 俺のミラクルアイでも読めないけど」
苦役の言葉に、住職が安堵したような顔で説明を始めた。
「読む必要はありません。それはかつて神域に存在した“要石”の欠片――太古の原始的呪術が彫られているのです」
「なんだ貴様、知っていた風ではないか」
翔子が訝しげに睨めつけるのも無理はない――頼蔵も同じことを考えたところである。
「いえ――その文字を目にしたとき、脳裏にそれらの知識が浮かび上がりました。拙僧は先代から、知らぬ間に暗示をかけられていたのでしょう」
「聞きたいことは山ほどあるが、今は封印が先決だ。急いで十分ほどと言ったか……私の足なら三分少々といったところだな」
「では、要石は八重霞殿に。拙僧は本殿にて祝詞を上げてまいります」
住職から滝での手順を聞くと、頼蔵はすぐにかけ出す。
「知らせるだけなら、その辺の木に雷獣でも撃ち込むぞ」
「や、山火事になっちゃいますよ……光るだけなら、僕でもできますから……」
「ならば私がウルを抱いて飛ぼう。貴様、高いところは平気か?」
最後に耳が捉えた不安な会話を、彼は聞かなかったことにした。
●
――side Haruka Shiroeda――
「夕樹、七海さんと協力して化け蟹の足場を攻撃してほしい! 僕は治療で手一杯だ――」
遥は持てる気を全て癒力に変換し、タヱ子に注いでいた。
「もうやってる! あとひと押しなんだ……っ」
「一か八か痺れさせてみます、黒桐さんは下がって――!」
「ふたりとも、頑張れ!」
渚も応援しつつ、遥と共にタヱ子の傷を癒やす。
化け蟹は鋏を楔のように岩盤へ撃ち込み、水に落ちまいと執念の抵抗を見せた。
と、そのとき――。
「――これを抜かせればいいのか」
頼蔵が人間とは思えない速度で木々の間から現れ、続けざまに鋏の穿たれた岩盤を二度の蹴脚で砕く。
支えを失い、ついぞ化け蟹の巨体は大きく後ろに倒れ、轟音と共に水面を割った。
続けて頼蔵は手に持った石版を滝壺へ投擲。
すぐに滝そのものが霊的な光を帯び、擬似的な神域へと昇華される。
「なるほど、要石か……」
遥はその光景を見て、ひとつの結論に至った。
「ん……綺麗……」
タヱ子が目を覚まし、眩いばかりの光に目を細める。
「タヱ子さん! よかった……っ」
泣いてすがりつく渚――微笑ましい二人を見ながら、遥は立ち上がった。
「ごめんね化け蟹さん。散々岩を砕いてもらって何なんだけど……この国では、鋏は石に勝てないようにできてるんだよね」
――――。
災厄は去り――元の静けさを取り戻した荘厳な滝に、六人の覚者は見入っていた。
「さて、住職さんに頼んでお茶を入れさせてもらおうか。夕樹と七海さんは着替えを借りること」
みんなで美味しいものでも食べて、暖まろう――言って、遥は水際へ歩み寄る。
「甘いものなら俺が持ってる。缶詰も入れてたから、沢山はないけどね……」
遥の横に並んで、夕樹は滝を見上げた。
手向けになるかどうかは分からないけれど。
近場に咲いていた一輪の花を、遥は穏やかになった水面に浮かべた。
――Mission cleared.
■シナリオ結果■
成功
■詳細■
MVP
重傷
なし
死亡
なし
称号付与
『月下の白』
取得者:白枝 遥(CL2000500)
『夢猫』
取得者:ウル・イング(CL2001378)
『月下の黒』
取得者:黒桐 夕樹(CL2000163)
『黒翼童子』
取得者:鞍馬・翔子(CL2001349)
『フォーマリスト』
取得者:八重霞 頼蔵(CL2000693)
『合理主義者』
取得者:赤祢 維摩(CL2000884)
『盾兵の矜持』
取得者:納屋 タヱ子(CL2000019)
『希望峰』
取得者:七海 灯(CL2000579)
『愚者の逆位置』
取得者:不死川 苦役(CL2000720)
『純真無垢』
取得者:栗落花 渚(CL2001360)
取得者:白枝 遥(CL2000500)
『夢猫』
取得者:ウル・イング(CL2001378)
『月下の黒』
取得者:黒桐 夕樹(CL2000163)
『黒翼童子』
取得者:鞍馬・翔子(CL2001349)
『フォーマリスト』
取得者:八重霞 頼蔵(CL2000693)
『合理主義者』
取得者:赤祢 維摩(CL2000884)
『盾兵の矜持』
取得者:納屋 タヱ子(CL2000019)
『希望峰』
取得者:七海 灯(CL2000579)
『愚者の逆位置』
取得者:不死川 苦役(CL2000720)
『純真無垢』
取得者:栗落花 渚(CL2001360)
特殊成果
なし

■あとがき■
・お疲れ様でした。
化け蟹は再封印され、現在は住職を中心に結界の張り直しが行われているようです。
要石の欠片は水底から回収され、再び土蔵に戻されました。
覚者と住職の話し合いにより、今後F.i.V.E.の関係者が定期的に封印の綻びを観察する運びになりそうです。
・MVPは究めて早くから真相に言及していた七海灯さんにさせていただきます。
参加者の皆様、素晴らしいプレイングをありがとうございました。
化け蟹は再封印され、現在は住職を中心に結界の張り直しが行われているようです。
要石の欠片は水底から回収され、再び土蔵に戻されました。
覚者と住職の話し合いにより、今後F.i.V.E.の関係者が定期的に封印の綻びを観察する運びになりそうです。
・MVPは究めて早くから真相に言及していた七海灯さんにさせていただきます。
参加者の皆様、素晴らしいプレイングをありがとうございました。
