【儚語】幽世の夢見
●幽世の夢見
少女にとって、世界は八畳の空間だった。
「蛍様、どうか私達をお導き下さい」
白い和装に身を包んだ人々が、少女の前に傅き祈る。
「ん……」
少女は頷き、自らが見た夢の断片を、彼女の語彙の尽くすままに語って聞かせる。
「ああ、これで神塚の家も安泰だ」
「ありがたや、蛍様。ありがたや」
話を聞いた者達は口々に喜びの声をあげ、少女に感謝の言葉を掛ける。
「………」
少女――神塚・蛍(かんづか・ほたる)の紫の瞳は、その様子を何の疑問も持たずに見つめていた。
物心つく前から彼女に与えられたのは、数多の書物と決まった食事、赤い着物。
教育係を名乗る者らと、こうした『託宣』を授かりに来た者達との交流のみである。
「……良かった」
だから、蛍は微笑む。
手や足に絡む鎖の意味にも気づかないままに。
「様子はどうだ?」
「相変わらず、何も知らぬまま我らに力を貸して下さっているよ」
「しかと戸に封の鍵をしておくのだぞ。万に一つも、蛍様が外に出る事のないように」
「無論掛けたとも。既に鍵も隠した」
「何、鍵を忘れても蛍様が望んで外に出る事などありはすまい。外は恐ろしい場所だとしっかと教育しておる」
「……しかし、ご当主の娘をあのように扱うとは如何なものか?」
「アレはもはや娘ではない、ただの道具。なのだそうな」
「なるほど、富と地位があれば子など作り放題でしょうしな?」
「ははは! 蛍様には精々役立って貰いましょう。全ては神塚の家のために」
結界も兼ねる扉一つ向こうでの会話など、隔絶された蛍には届かない。
そしてそれ故に、この直後の出来事にも彼女は気づかない。
「夢見はどこだ!」
「お前達いったい何者……ぎゃっ!!」
「探せ! この屋敷のどこかに居るはずだ!」
「全ての覚者に死を! 覚者に与する愚者にも死を!」
「――夢見はいたか!?」
「どこにもいません!」
「チッ、連れ出された後か。撤収する!」
飛び交う怒号と銃声。そして畳を踏み荒らす靴音とがしばしの間響いてのち、静寂が訪れる。
蛍はただぼぅっとした様子で、微かに揺れた天井を眺めていた。
「……お腹、空いた」
長い黒髪にそっと手櫛を入れ呟いた蛍の言葉は、一人ぼっちの部屋に静かに消えるだけだった。
●夢見を迎えに
「皆、聞いてくれ。事件だ」
夢見である久方 相馬(nCL2000004)は険しい表情で覚者達に語りだす。
「場所はとある山村の屋敷。そこに憤怒者が襲撃を仕掛けて住人達を一人残らず殺害しちまう! けど悪い……その人達を救うには、もう遅いんだ」
夢見とて万能ではない。悔しげな相馬は、また言葉を続ける。
「でも、事件の現場に一人だけ取り残されている女の子がいる。名前は神塚・蛍。俺と同じ夢見の覚者だ」
差し出された写真には、虚空を見上げる年の頃10の少女の姿があった。手足から伸びる鉄の鎖が彼女の扱いを容易に想像させる。
「俺の視た限りだけでもその子の今まではねじ曲がってた。人じゃなく、物扱いされてるみたいだった」
彼女に誰かを重ねているのか、相馬は瞳は義憤に燃えている。
「だから、皆で迎えに行ってくれ。その子を閉じ込める部屋の鍵を見つけて扉を開けて、連れ出して欲しいんだ」
少女の部屋を外界と隔絶する鍵も入り口も、屋敷のどこかに必ずある。相応の努力で見つけられるはず。
問題は、書と近しい人の言葉とでしか世界を知らない少女を如何にして連れ出すか、だ。
「部屋から彼女を連れ出すには、彼女自身が外に出たいと願う事が必要だ。皆の説得が鍵になる」
少女の心を開き救い出せるのは、ここに集った覚者達を於いて他には無い。
「皆、よろしく頼むぜ!」
激励する相馬の手は、強く強く握りしめられていた。
少女にとって、世界は八畳の空間だった。
「蛍様、どうか私達をお導き下さい」
白い和装に身を包んだ人々が、少女の前に傅き祈る。
「ん……」
少女は頷き、自らが見た夢の断片を、彼女の語彙の尽くすままに語って聞かせる。
「ああ、これで神塚の家も安泰だ」
「ありがたや、蛍様。ありがたや」
話を聞いた者達は口々に喜びの声をあげ、少女に感謝の言葉を掛ける。
「………」
少女――神塚・蛍(かんづか・ほたる)の紫の瞳は、その様子を何の疑問も持たずに見つめていた。
物心つく前から彼女に与えられたのは、数多の書物と決まった食事、赤い着物。
教育係を名乗る者らと、こうした『託宣』を授かりに来た者達との交流のみである。
「……良かった」
だから、蛍は微笑む。
手や足に絡む鎖の意味にも気づかないままに。
「様子はどうだ?」
「相変わらず、何も知らぬまま我らに力を貸して下さっているよ」
「しかと戸に封の鍵をしておくのだぞ。万に一つも、蛍様が外に出る事のないように」
「無論掛けたとも。既に鍵も隠した」
「何、鍵を忘れても蛍様が望んで外に出る事などありはすまい。外は恐ろしい場所だとしっかと教育しておる」
「……しかし、ご当主の娘をあのように扱うとは如何なものか?」
「アレはもはや娘ではない、ただの道具。なのだそうな」
「なるほど、富と地位があれば子など作り放題でしょうしな?」
「ははは! 蛍様には精々役立って貰いましょう。全ては神塚の家のために」
結界も兼ねる扉一つ向こうでの会話など、隔絶された蛍には届かない。
そしてそれ故に、この直後の出来事にも彼女は気づかない。
「夢見はどこだ!」
「お前達いったい何者……ぎゃっ!!」
「探せ! この屋敷のどこかに居るはずだ!」
「全ての覚者に死を! 覚者に与する愚者にも死を!」
「――夢見はいたか!?」
「どこにもいません!」
「チッ、連れ出された後か。撤収する!」
飛び交う怒号と銃声。そして畳を踏み荒らす靴音とがしばしの間響いてのち、静寂が訪れる。
蛍はただぼぅっとした様子で、微かに揺れた天井を眺めていた。
「……お腹、空いた」
長い黒髪にそっと手櫛を入れ呟いた蛍の言葉は、一人ぼっちの部屋に静かに消えるだけだった。
●夢見を迎えに
「皆、聞いてくれ。事件だ」
夢見である久方 相馬(nCL2000004)は険しい表情で覚者達に語りだす。
「場所はとある山村の屋敷。そこに憤怒者が襲撃を仕掛けて住人達を一人残らず殺害しちまう! けど悪い……その人達を救うには、もう遅いんだ」
夢見とて万能ではない。悔しげな相馬は、また言葉を続ける。
「でも、事件の現場に一人だけ取り残されている女の子がいる。名前は神塚・蛍。俺と同じ夢見の覚者だ」
差し出された写真には、虚空を見上げる年の頃10の少女の姿があった。手足から伸びる鉄の鎖が彼女の扱いを容易に想像させる。
「俺の視た限りだけでもその子の今まではねじ曲がってた。人じゃなく、物扱いされてるみたいだった」
彼女に誰かを重ねているのか、相馬は瞳は義憤に燃えている。
「だから、皆で迎えに行ってくれ。その子を閉じ込める部屋の鍵を見つけて扉を開けて、連れ出して欲しいんだ」
少女の部屋を外界と隔絶する鍵も入り口も、屋敷のどこかに必ずある。相応の努力で見つけられるはず。
問題は、書と近しい人の言葉とでしか世界を知らない少女を如何にして連れ出すか、だ。
「部屋から彼女を連れ出すには、彼女自身が外に出たいと願う事が必要だ。皆の説得が鍵になる」
少女の心を開き救い出せるのは、ここに集った覚者達を於いて他には無い。
「皆、よろしく頼むぜ!」
激励する相馬の手は、強く強く握りしめられていた。

■シナリオ詳細
■成功条件
1.神塚蛍の救出
2.なし
3.なし
2.なし
3.なし
みちびきいなりと申します。
今回は儚の因子を持つ覚者、夢見の少女を籠から連れ出す依頼です。
戦闘ではなく説得や探索といった要素のあるお話なので、ご注意を。
●舞台
山村の高地にある屋敷。
白昼堂々の襲撃事件の後であり、住人は殺され、憤怒者は撤収済みです。
村からも隔離された場所にある為、麓の村民は事件については何も知らないでしょう。
●救助対象について
神塚家の娘であり、現在は孤独の身となった齢10の夢見の少女、神塚蛍が救助対象です。
物心つく前から世界から隔離された結界の部屋の中で生きてきました。
夢見の内容を正確に伝えるための勉学と、同時に外の世界は危険だと必要以上に教えられています。
当然ながら世事に疎いです。
口数は多くなく、……と間の空いた言葉を話します。
●結界の間について
神塚家の屋敷のどこかにあります。入る為には鍵が必要です。
鍵の形状は相馬の夢見と念写によって判明しています。
発見が遅れればそれだけ蛍は衰弱するでしょう。
●補足
この依頼で説得及び獲得できた夢見は、今後FiVE所属のNPCとなる可能性があります。
世を知らず、人を知らず、箱の中に生きる少女。
如何にして救うのか。覚者の皆様、どうかよろしくお願いします。
状態
完了
完了
報酬モルコイン
金:0枚 銀:1枚 銅:0枚
金:0枚 銀:1枚 銅:0枚
相談日数
6日
6日
参加費
100LP[+予約50LP]
100LP[+予約50LP]
参加人数
6/8
6/8
公開日
2015年10月07日
2015年10月07日
■メイン参加者 6人■

●幽世の門
太陽が僅かに傾き始めた頃、目的の場所にへと覚者達は到着した。
山村を抜け山に入った先にある屋敷。ほんの幾許かの時を遡れば、恐ろしい惨劇が繰り広げられた舞台。
「……臭うな」
切れ長の鼻を微かに動かして、鈴白 秋人(CL2000565) は視線を目の前の屋敷へと向ける。
「人の営みのある時だというのに、耳に聞こえるのは自然の音のみ、か」
由比 久永(CL2000540) は羽織っている上着の衿を掴みながら、己の耳を震わす音に意識を傾けていた。
「このどこかに蛍ちゃんが居るんだよね? 早く迎えにいこうよ!」
「ええ、そうね」
大事そうに袋を抱えた腕と反対の腕を回してやる気を見せる『ママは小学六年生(偽)』迷家・唯音(CL2001093) の隣、秋人に同じく屋敷を見つめる『深緑』十夜 八重(CL2000122)の黒い瞳が微塵に揺れる。
「ずっと閉じ込められたままなんて、そんなの――」
「ん?」
「! いえ……何でもないです」
上目遣いの唯音に気付き、八重は零してしまいそうだった言葉を深く飲み込み微笑んだ。
にわかに覚者達の中へ広がる神妙な気配を、一人の男の調子の高い声が打ち砕く。
「よっしゃ、そーと決まればさっさと幼女を拾いにいこうぜ! うっはー! 臭う臭う、血とかよっくわっかんない臭い!」
不死川 苦役(CL2000720)。彼は無遠慮に門を越え、敷地の中へと踏み込んでいく。
「なーにやってんの? 見つけるのは素早い方がいーでしょ?」
「まったくもってその通りだ。周辺の警戒を怠らないようにしつつ、探索を開始しよう」
手を振って煽る苦役に、一行の最後尾に立って同意する霧島 有祈(CL2001140)の言葉が合図となり、覚者達は各々が敷居を跨ぐ。
祈り、黙し、飛び込み、駆けて。
全ては惨劇の後に取り残された、夢見の少女を救うために。
●幽世を暴く
屋敷へと入った覚者達は、夢見の閉じ込められている部屋と開放に必要な鍵を探すべく、各個人の判断で動き出す。
有折、唯音は特に当主の部屋に手掛かりがあるだろうと一番に向かった。
「……これは」
「ひっどい」
辿り着いた当主の部屋は荒れに荒れていた。執務を執り行う机は斧のような物で壊され、箪笥も倒され、障子戸は見るも無残な姿を晒していた。
「外れかもしれないな」
憤怒者とは、大切な物を奪われた悲しみや、持たざる者としての嫉妬等、様々な思惑や経験の果てに殺意をもって行動するまでに至った悲しき存在である。そうした感情が起こした結果の一つが、ここにはあった。
「ハズレでもヒントがあるかもしれないよね」
廃墟もかくやといったこの部屋を二人は探索する。そうしてしばらくの時が経ち様子を窺って八重が顔を出した時、唯音は一人部屋の真ん中で立ち尽くしていた。
「何か見つけました?」
「家の間取りを記した地図と、例の子が見た夢を解析する資料の断片。それと後生大事に隠されてた、諸々の不正利用の証拠になる真っ黒な資料だ」
その傍ら、壁に背を預けていた有折の手にはそれらの資料が握られている。手に入れた資料は、後々の問題を円滑に進めるのに役立つだろう。
「唯音さん?」
八重に声を掛けられ、唯音が振り向く。その表情は複雑な色を持っていた。
「この部屋。家族写真とか、そういう思い出の品がね……まったくなかったんだよ」
「……どうやら、正解だったみたいだ」
一人、台所を探索していた秋人の手の中には、まさしく資料の通りの結界の間を開く鍵が握られていた。
給仕係が最も頻繁に接触するという彼の読みが当たったのだ。傍らの鳥の守護使役も喜びに彼の周囲を飛び回る。
「ピヨ、すぐに皆と合流しよう」
「お? 鍵見つかったっぽい?」
「!?」
不意に掛けられた声に秋人は瞬時に振り向き身構える。が、そこに立っていた人物を確かめて力を抜いた。
「不死川さん」
「地下の入り口も見つけてあるよん。ま、来てちょーだいなっと」
相変わらずおどけた調子の苦役。その表情こそ明るかったが、手をパタパタと振っていたのが秋人は気になった。
苦役の案内に従って秋人が来たのは、とある客間。そこには久永の姿もあった。
恐らくここで幾人もが殺されたのだろう、赤い線と染みとが畳や白壁を赤黒く染めていた。
そんな中、一面だけ畳が剥がされているのに秋人は気づく。そこには地下への入り口らしき扉と……
「鍵穴、なのかな?」
白い、揺らぐような光の穴がそこにはあった。
「ここな。畳を踏む時、微かに音が違ったのだよ」
部屋の中、床扉の傍に屈む久永が語る。扉の発見は始めから地下に入り口があると当たりを付けていた彼に、苦役の透視による観察も加わって澱みなく遂行されたのだ。
「で、畳をどかしてみたらビンゴってわけ」
「なるほど」
「うむ」
「「「………」」」
三人、光の鍵穴を覗きこみながらしばしの無言。
そこから口を開いたのは秋人だった。ある事に気づいた彼には問うべきものがあったのだ。
「不死川さん」
「何かな、敏腕アルバイター君」
「もしかして……ピッキングした?」
「うん!」
力強く頷く苦役は満面の笑顔を浮かべていた。輝いていた。
「嬉々として鍵開けの器具を突っ込んでなぁ、次の瞬間にはぶるぶる痺れていたでな」
苦役の言葉を久永が補強する。その目は全てを達観した優しい瞳をしていた。
「だってやるだけならタダじゃん? 解けたらレベルアップ間違い無しだし何事も挑戦だって、マジで!」
「………」
「あ、ここにいたー! って、どしたのみんな?」
唯音達が合流した時、男達の間には不思議な空間が作られていたという。
●幽世の主
鍵の場所からしてこれは直ぐにも夢見の部屋に辿り着く物だろうと、再び覚者達は役割を分ける。
夢見へ接触を図るのは唯音、久永、八重の三人と決まり、残る三人は周囲の清掃活動を行う運びとなった。
「十夜さん、一つ頼みたい事が」
「何ですか?」
秋人に声を掛けられ、八重が振り返る。それからいくらかの言葉を交わせば、彼女は力強く頷いた。
「分かりました。やってみますね」
「よろしく」
言葉は短く、しかし思いを確かにのせた会話を後に、それぞれの役割を果たすべく動き出す。
「せーのっ」
唯音が光に鍵を挿し、回す。光の奥でカチャリと錠の外れる音がして、
「開くぞ」
久永が取っ手を引っ張れば、驚くほど軽くその扉は口を開いた。
(………似ているなぁ)
覚者達の中で誰よりも早くその景色を見た久永の胸中に、深い懐古とそれだけでは言い表せない様々な思いが湧き出した。
八畳の空間。四方を壁に囲まれ、ただ部屋の中には生活感のない物がいくらかあるだけ。
誰かの戯れなのか毬や人形が転がっていて、だが余り遊ばれなかったのだろうそれらは部屋の隅にある。
自分の時はどうだったろうか。そんな事を取り留めもなく思い出しそうになる中で、しかし一つの真実だけはハッキリと思い出す。
(余はここから、飛び出たのだ)
こちらを見上げている少女。F.i.V.Eの、今回の依頼の救助対象である少女。神塚蛍と目が合った。
何も知らぬ無垢の瞳が、己に似た紫の目が、久永を見とめる。
「いた? いた?」
不意に聞こえたのは後ろからせっつくような唯音の声。すぐさま久永の隣に並び身を屈めば、視線を移した蛍に笑顔で手を振った。
「いこうよ!」
そう言って笑う唯音に、久永もまた、目を伏せ首肯し応じるのだった。
「初めまして! ゆいねは迷家唯音っていうの。で、こっちが八重ちゃん。こっちが久永くん。それに部屋の外にまだ三人いるんだけど、そっちは後でね!」
「………」
唯音に始まり自己紹介していく覚者達を、蛍はただじぃっと見つめていた。
それは無感動という訳ではなく、呆気にとられているというか、見知らぬ者達にどう対応するべきか考えている様子だった。それを察した覚者達は、とりあえず自分達の話をしていく事にしたのだ。
八重は殊更に言葉を紡ぐ唯音の様子を見ながら、彼女の肩を叩いて後ろ手に隠している物を出すよう勧める。
「あっ、そうそうこれ! はい!」
「……これ、は?」
目の前に差し出された袋、正確には風呂敷包みされた何かを見て、初めて蛍が口を開く。
「お弁当! お腹減ってるよね? これ食べて」
「………わ…」
包みを解いて現れた弁当箱の蓋を開けた時、小さな、本当に小さな声の歓声が上がった。
屋敷を駆け回っても大事に大事に形を崩さず保った弁当には、空腹を撃退する母を彷彿とさせる料理が並ぶ。
色鮮やかに並ぶそれらを覗き込みながら、しかし蛍が紡いだ言葉は――
「これは……食べ物、なの?」
蛍を見る唯音の目が大きく見開かれる。だが、それも束の間。
「うん、そうだよ。見ててね?」
齢に似合わぬ落ち着いた笑みと共に、唯音は自分の料理を食べてみせる。じっくりと咀嚼し、飲み込んで。
「ん、ん。……ほらね? 美味しいよ?」
「………!」
唯音の一挙一動を見つめていた蛍の、目の色が変わった。
「……たべ、て、いい?」
「うん、一緒に食べよ!」
年の近さもあるのだろう。唯音の献身は真っ直ぐに蛍へと伝わったようだった。
「おっそーっじおっそーじ」
一方その頃、屋敷の掃除を行なっていた残る三人の覚者達は、死体を一カ所に集めておこうと行動していた。
犠牲者の検分等は、事後行動として基本的にAAA側がフォローする手筈となっている。
「帰り道までにスプラッター現場があっちゃ、テンション下がっちまうもんなー」
「皆が見せたいと思っている『綺麗な世界』には相応しくないからな」
現場に手を付けるのは常識としてあまり褒められたものではないが、それもこれもなすべき事をなすため。
F.i.V.Eという組織が成そうとする道には、古来の法では庇い切れない外れた行いもまた必要だった。
そしてそれは……
「この家が行なった、夢見を監禁しその力を使い己の利に変える行為。倫理的にどうかは別として、効率的ではある」
「でもでも、その利を求めた結果が憤怒者作って恨み買ってご臨終だろ? どうなのそれ。間抜け過ぎね?」
「力を手にして富を貪り溺れる者もいれば、力に害され感情を爆発させる者もいるって事かな」
こうした事実に直面する時、否応なく考えさせられる。
覚者とは、力だと。
だから、解き明かさねばならない。その力の道行きを正しく定めるために。
少なくともF.i.V.Eはそれを目指しているのだから、それがこの混乱を治める最良の手であると信じて。
「ま、とりあえずは」
「目の前の事を一つずつやっていこう」
夕暮れの空の元、最後の犠牲者を運び終え三人は次の作業へと向かった。
食事を終え、蛍は八重の取り出した動物や自然の雑誌に目を通していた。
「これが、日本ではあまり見られない猫で……」
「………」
時折声にならない声を零しながら、目を皿の様にして少女は本のページを捲る。
傍らに置いてある書を戯れに久永が開けば、そこにはただ像としての絵と、知識としての文字とが羅列してあるだけだった。
「ほら、この写真みたいにくりっとした目で見て来て可愛いんですよ?」
「ふわ、もこ?」
子猫を撮ったページに書かれた煽り文を読み上げ、蛍が首を傾げる。唯音はそれを聞き見逃さなかった。
「ふわもこっていうのはね、こういうのを言うんだよ」
取り出したのは、いつか手に入れたすねこすりという妖怪を模ったぬいぐるみ。
「わ……ふわ、もこ?」
差し出されたぬいぐるみに手を伸ばし、感触を確かめる。それが心地良い物だと分かると、蛍の手は夢中になった。
「ふわもこ……いい」
始めは恐る恐るだった手の動きも次第に遠慮が無くなり、愛でるという言葉そのままにぬいぐるみを抱く。そこには年相応に楽しむ少女の姿があった。
「蛍さん。良ければお屋敷の外に出てみませんか?」
頃合いだと、八重が切り出した。
「………」
言葉を受けた蛍は、しかしぬいぐるみを置いてキョトンとした顔をするだけ。その視線は八重の目を見ている。
瞳はただ『なんで?』と、問いかけていた。
拒絶でもなく、恐怖でもなく。ただ彼女にあったのは、彼女の常識の外の行いをする事への疑問。
「……八重、きれいなもの、かわいいもの……たくさん教えてくれた。唯音は、おいしいご飯……食べさせてくれた」
だから、と彼女は続ける。
「外、怖いものがある、けど……運んでくれる、人がいる。なら、私は……待つ」
「それは違うぞ。蛍」
蛍の言葉が言い終えるかという所で、被せるように久永が口を開いた。その手に持っていた本を床に放って。
「?」
「そうだなぁ……確かに外は恐いものでいっぱいだ。だが、それ以上に面白いものがいっぱいあるのだぞ?」
久永が語る。彼が外の世界に出て初めて知った物事を。
「お祭りとかばーべきゅーとか……ここにいては決して得られぬ物ばかりだ」
「お祭り……。ばーべ、きゅー……?」
「そうだ。そなたはもっとたくさんの世界を見るべきだ。夢ではなく、そなた自身の目でな?」
「……。待って、たら……」
「ダメだよ?」
すねこすりぐるみを再び手に取った唯音が、ぬいぐるみの前足を摘みながら言う。
「楽しい事、いーっぱいあるんだよ? こんな可愛い生き物、本物に会いたくない?」
「本物……」
「余は外に出て初めてこの世界が好きだと思えた……きっとそなたも気に入ると思う」
重なっていく言葉は一つ一つ積み重なって、蛍の心に満ちていく。
「ねえ、蛍さん。綺麗なもの、一緒に見に行きませんか?」
今この時だけ、八重はこれが任務だという事を忘れる。
ただ一緒に素敵なものを見て、共感して、共に分かち合いたい。それだけを込めて訴える。
「ゆいねはね、蛍ちゃんとお友達になりたいの」
「知りたければ確かめるしか道はないぞ?」
唯音が、久永が、そっと手を差し伸べた。八重が微笑んでいた。三人の誰一人として、瞳を逸らす事無く蛍を見つめていた。
「………」
知らない瞳だった。
「……………」
でも、今まで見たどんな目よりも、綺麗に見えた。
「……見、たい」
だから蛍は、差し伸べられた手を取った。
●幽世の外へ
階段を一段ずつ登る。転ばないように支える手が、歩き慣れていない足腰を支えてくれた。
見上げるだけだった四角い穴を、出る。
「………いい匂い」
最初に感じたのは、香り。
血の臭いではない。木の香りを強めたような、微かに刺激的な香りがそこにあった。
「それは何よりだね」
膝を折って待っていた秋人が蛍の手を取り引き上げる。彼からも同じ匂いがした。
「縁側に出てみよーよ」
続いて這い出た唯音に手を引かれ、蛍は人生で初めて廊下を走る。空気の流れがこそばゆくて目を細めた。
「ほら、いいタイミング!」
不意に聞こえる唯音の声に、蛍は再び目を開き、
「……!」
そのまま大きく見開いた。
それは何の変哲もない屋敷の庭先。砂があり、草があり、石があり、木があり、空がある景色。
風が吹いていた。それだけで世界は刻一刻と変化していた。
音が聞こえる。木々のざわめきが何か言っているようで耳をそばだてた。
空は広かった。そして黒くて、白かった。
「ほし……」
白は星だと知ったのは少し前。見上げている肩を、誰かが叩く。
「八重?」
「一緒に夜空を見ましょう」
言葉の後に続くのは、優しく体を抱きしめられる感覚。足がふわりと浮いて、膝裏に手が挿しこまれて――
「……ふわぁ…」
飛んだ。
人を下に、屋根を下に、木々を下に舞い上がる。そうして辿り着いたのは、全天を覆う空の世界。
黒と白だけではない、青や赤や黄、数多の色で彩られた星空の世界だった。
「ん……」
手を伸ばす。届いているはずなのに、掴んだその手には何もない。
「触れられそうで、触れられない。でも、掴めそうなほど近づいたこの世界は……ふふ、どうですか?」
紫の瞳に映った星々を八重は見る。彼女の綺麗なこの瞳が、これから美しいものを沢山映していけばいいと思った。
(彼女は可哀想なんかじゃない。彼女の今までを私は否定しない。だから)
「八重、星。きれい……」
「はい。とっても綺麗ですね」
「八重の翼も、きれい」
「……ふふ、ありがとうございます」
開いた翼を羽ばたかせ、八重はしばらくの間蛍と共に星空を自由に舞う。
空を見せたい。そう八重に頼んだ秋人は、地上からその様を眩しそうに見上げていた。
「いっしょに、行く……」
地上に戻ってしばらくして、蛍は覚者達を前にしてそう宣言した。
「新しい箱庭にようこそ。……どんな世界にするかは君次第だ」
「余も歓迎しよう。未来を、そなた自身の未来をその瞳にしかと映していくのだ」
「だいじょーぶ、幼女ちゃんは一人だけど一人じゃない!」
「困ったことがあったらゆいねに言ってね! お友達のピンチは絶対助けるから!」
口々に贈られる歓迎の言葉を受けて、蛍は自分の意志で一歩を踏み出す。
発見が早かった事、そして覚者としての力か、その歩みにもう澱みはない。
彼女はこれからF.i.V.Eの施設に預けられ、恐らく五麟学園の生徒として新たな人生を歩み始めるだろう。
それは即ち、夢見としての力もまた頼りにされる事を意味している。
その力を、どう使うのか。
それは今後のF.i.V.Eに、そして覚者達に委ねられる事になる。
「みんな、いっしょ……」
今、手を繋いでいるこの少女の手が、哀しみと共に離れないように。
それは挑戦でもあるように思えた。
太陽が僅かに傾き始めた頃、目的の場所にへと覚者達は到着した。
山村を抜け山に入った先にある屋敷。ほんの幾許かの時を遡れば、恐ろしい惨劇が繰り広げられた舞台。
「……臭うな」
切れ長の鼻を微かに動かして、鈴白 秋人(CL2000565) は視線を目の前の屋敷へと向ける。
「人の営みのある時だというのに、耳に聞こえるのは自然の音のみ、か」
由比 久永(CL2000540) は羽織っている上着の衿を掴みながら、己の耳を震わす音に意識を傾けていた。
「このどこかに蛍ちゃんが居るんだよね? 早く迎えにいこうよ!」
「ええ、そうね」
大事そうに袋を抱えた腕と反対の腕を回してやる気を見せる『ママは小学六年生(偽)』迷家・唯音(CL2001093) の隣、秋人に同じく屋敷を見つめる『深緑』十夜 八重(CL2000122)の黒い瞳が微塵に揺れる。
「ずっと閉じ込められたままなんて、そんなの――」
「ん?」
「! いえ……何でもないです」
上目遣いの唯音に気付き、八重は零してしまいそうだった言葉を深く飲み込み微笑んだ。
にわかに覚者達の中へ広がる神妙な気配を、一人の男の調子の高い声が打ち砕く。
「よっしゃ、そーと決まればさっさと幼女を拾いにいこうぜ! うっはー! 臭う臭う、血とかよっくわっかんない臭い!」
不死川 苦役(CL2000720)。彼は無遠慮に門を越え、敷地の中へと踏み込んでいく。
「なーにやってんの? 見つけるのは素早い方がいーでしょ?」
「まったくもってその通りだ。周辺の警戒を怠らないようにしつつ、探索を開始しよう」
手を振って煽る苦役に、一行の最後尾に立って同意する霧島 有祈(CL2001140)の言葉が合図となり、覚者達は各々が敷居を跨ぐ。
祈り、黙し、飛び込み、駆けて。
全ては惨劇の後に取り残された、夢見の少女を救うために。
●幽世を暴く
屋敷へと入った覚者達は、夢見の閉じ込められている部屋と開放に必要な鍵を探すべく、各個人の判断で動き出す。
有折、唯音は特に当主の部屋に手掛かりがあるだろうと一番に向かった。
「……これは」
「ひっどい」
辿り着いた当主の部屋は荒れに荒れていた。執務を執り行う机は斧のような物で壊され、箪笥も倒され、障子戸は見るも無残な姿を晒していた。
「外れかもしれないな」
憤怒者とは、大切な物を奪われた悲しみや、持たざる者としての嫉妬等、様々な思惑や経験の果てに殺意をもって行動するまでに至った悲しき存在である。そうした感情が起こした結果の一つが、ここにはあった。
「ハズレでもヒントがあるかもしれないよね」
廃墟もかくやといったこの部屋を二人は探索する。そうしてしばらくの時が経ち様子を窺って八重が顔を出した時、唯音は一人部屋の真ん中で立ち尽くしていた。
「何か見つけました?」
「家の間取りを記した地図と、例の子が見た夢を解析する資料の断片。それと後生大事に隠されてた、諸々の不正利用の証拠になる真っ黒な資料だ」
その傍ら、壁に背を預けていた有折の手にはそれらの資料が握られている。手に入れた資料は、後々の問題を円滑に進めるのに役立つだろう。
「唯音さん?」
八重に声を掛けられ、唯音が振り向く。その表情は複雑な色を持っていた。
「この部屋。家族写真とか、そういう思い出の品がね……まったくなかったんだよ」
「……どうやら、正解だったみたいだ」
一人、台所を探索していた秋人の手の中には、まさしく資料の通りの結界の間を開く鍵が握られていた。
給仕係が最も頻繁に接触するという彼の読みが当たったのだ。傍らの鳥の守護使役も喜びに彼の周囲を飛び回る。
「ピヨ、すぐに皆と合流しよう」
「お? 鍵見つかったっぽい?」
「!?」
不意に掛けられた声に秋人は瞬時に振り向き身構える。が、そこに立っていた人物を確かめて力を抜いた。
「不死川さん」
「地下の入り口も見つけてあるよん。ま、来てちょーだいなっと」
相変わらずおどけた調子の苦役。その表情こそ明るかったが、手をパタパタと振っていたのが秋人は気になった。
苦役の案内に従って秋人が来たのは、とある客間。そこには久永の姿もあった。
恐らくここで幾人もが殺されたのだろう、赤い線と染みとが畳や白壁を赤黒く染めていた。
そんな中、一面だけ畳が剥がされているのに秋人は気づく。そこには地下への入り口らしき扉と……
「鍵穴、なのかな?」
白い、揺らぐような光の穴がそこにはあった。
「ここな。畳を踏む時、微かに音が違ったのだよ」
部屋の中、床扉の傍に屈む久永が語る。扉の発見は始めから地下に入り口があると当たりを付けていた彼に、苦役の透視による観察も加わって澱みなく遂行されたのだ。
「で、畳をどかしてみたらビンゴってわけ」
「なるほど」
「うむ」
「「「………」」」
三人、光の鍵穴を覗きこみながらしばしの無言。
そこから口を開いたのは秋人だった。ある事に気づいた彼には問うべきものがあったのだ。
「不死川さん」
「何かな、敏腕アルバイター君」
「もしかして……ピッキングした?」
「うん!」
力強く頷く苦役は満面の笑顔を浮かべていた。輝いていた。
「嬉々として鍵開けの器具を突っ込んでなぁ、次の瞬間にはぶるぶる痺れていたでな」
苦役の言葉を久永が補強する。その目は全てを達観した優しい瞳をしていた。
「だってやるだけならタダじゃん? 解けたらレベルアップ間違い無しだし何事も挑戦だって、マジで!」
「………」
「あ、ここにいたー! って、どしたのみんな?」
唯音達が合流した時、男達の間には不思議な空間が作られていたという。
●幽世の主
鍵の場所からしてこれは直ぐにも夢見の部屋に辿り着く物だろうと、再び覚者達は役割を分ける。
夢見へ接触を図るのは唯音、久永、八重の三人と決まり、残る三人は周囲の清掃活動を行う運びとなった。
「十夜さん、一つ頼みたい事が」
「何ですか?」
秋人に声を掛けられ、八重が振り返る。それからいくらかの言葉を交わせば、彼女は力強く頷いた。
「分かりました。やってみますね」
「よろしく」
言葉は短く、しかし思いを確かにのせた会話を後に、それぞれの役割を果たすべく動き出す。
「せーのっ」
唯音が光に鍵を挿し、回す。光の奥でカチャリと錠の外れる音がして、
「開くぞ」
久永が取っ手を引っ張れば、驚くほど軽くその扉は口を開いた。
(………似ているなぁ)
覚者達の中で誰よりも早くその景色を見た久永の胸中に、深い懐古とそれだけでは言い表せない様々な思いが湧き出した。
八畳の空間。四方を壁に囲まれ、ただ部屋の中には生活感のない物がいくらかあるだけ。
誰かの戯れなのか毬や人形が転がっていて、だが余り遊ばれなかったのだろうそれらは部屋の隅にある。
自分の時はどうだったろうか。そんな事を取り留めもなく思い出しそうになる中で、しかし一つの真実だけはハッキリと思い出す。
(余はここから、飛び出たのだ)
こちらを見上げている少女。F.i.V.Eの、今回の依頼の救助対象である少女。神塚蛍と目が合った。
何も知らぬ無垢の瞳が、己に似た紫の目が、久永を見とめる。
「いた? いた?」
不意に聞こえたのは後ろからせっつくような唯音の声。すぐさま久永の隣に並び身を屈めば、視線を移した蛍に笑顔で手を振った。
「いこうよ!」
そう言って笑う唯音に、久永もまた、目を伏せ首肯し応じるのだった。
「初めまして! ゆいねは迷家唯音っていうの。で、こっちが八重ちゃん。こっちが久永くん。それに部屋の外にまだ三人いるんだけど、そっちは後でね!」
「………」
唯音に始まり自己紹介していく覚者達を、蛍はただじぃっと見つめていた。
それは無感動という訳ではなく、呆気にとられているというか、見知らぬ者達にどう対応するべきか考えている様子だった。それを察した覚者達は、とりあえず自分達の話をしていく事にしたのだ。
八重は殊更に言葉を紡ぐ唯音の様子を見ながら、彼女の肩を叩いて後ろ手に隠している物を出すよう勧める。
「あっ、そうそうこれ! はい!」
「……これ、は?」
目の前に差し出された袋、正確には風呂敷包みされた何かを見て、初めて蛍が口を開く。
「お弁当! お腹減ってるよね? これ食べて」
「………わ…」
包みを解いて現れた弁当箱の蓋を開けた時、小さな、本当に小さな声の歓声が上がった。
屋敷を駆け回っても大事に大事に形を崩さず保った弁当には、空腹を撃退する母を彷彿とさせる料理が並ぶ。
色鮮やかに並ぶそれらを覗き込みながら、しかし蛍が紡いだ言葉は――
「これは……食べ物、なの?」
蛍を見る唯音の目が大きく見開かれる。だが、それも束の間。
「うん、そうだよ。見ててね?」
齢に似合わぬ落ち着いた笑みと共に、唯音は自分の料理を食べてみせる。じっくりと咀嚼し、飲み込んで。
「ん、ん。……ほらね? 美味しいよ?」
「………!」
唯音の一挙一動を見つめていた蛍の、目の色が変わった。
「……たべ、て、いい?」
「うん、一緒に食べよ!」
年の近さもあるのだろう。唯音の献身は真っ直ぐに蛍へと伝わったようだった。
「おっそーっじおっそーじ」
一方その頃、屋敷の掃除を行なっていた残る三人の覚者達は、死体を一カ所に集めておこうと行動していた。
犠牲者の検分等は、事後行動として基本的にAAA側がフォローする手筈となっている。
「帰り道までにスプラッター現場があっちゃ、テンション下がっちまうもんなー」
「皆が見せたいと思っている『綺麗な世界』には相応しくないからな」
現場に手を付けるのは常識としてあまり褒められたものではないが、それもこれもなすべき事をなすため。
F.i.V.Eという組織が成そうとする道には、古来の法では庇い切れない外れた行いもまた必要だった。
そしてそれは……
「この家が行なった、夢見を監禁しその力を使い己の利に変える行為。倫理的にどうかは別として、効率的ではある」
「でもでも、その利を求めた結果が憤怒者作って恨み買ってご臨終だろ? どうなのそれ。間抜け過ぎね?」
「力を手にして富を貪り溺れる者もいれば、力に害され感情を爆発させる者もいるって事かな」
こうした事実に直面する時、否応なく考えさせられる。
覚者とは、力だと。
だから、解き明かさねばならない。その力の道行きを正しく定めるために。
少なくともF.i.V.Eはそれを目指しているのだから、それがこの混乱を治める最良の手であると信じて。
「ま、とりあえずは」
「目の前の事を一つずつやっていこう」
夕暮れの空の元、最後の犠牲者を運び終え三人は次の作業へと向かった。
食事を終え、蛍は八重の取り出した動物や自然の雑誌に目を通していた。
「これが、日本ではあまり見られない猫で……」
「………」
時折声にならない声を零しながら、目を皿の様にして少女は本のページを捲る。
傍らに置いてある書を戯れに久永が開けば、そこにはただ像としての絵と、知識としての文字とが羅列してあるだけだった。
「ほら、この写真みたいにくりっとした目で見て来て可愛いんですよ?」
「ふわ、もこ?」
子猫を撮ったページに書かれた煽り文を読み上げ、蛍が首を傾げる。唯音はそれを聞き見逃さなかった。
「ふわもこっていうのはね、こういうのを言うんだよ」
取り出したのは、いつか手に入れたすねこすりという妖怪を模ったぬいぐるみ。
「わ……ふわ、もこ?」
差し出されたぬいぐるみに手を伸ばし、感触を確かめる。それが心地良い物だと分かると、蛍の手は夢中になった。
「ふわもこ……いい」
始めは恐る恐るだった手の動きも次第に遠慮が無くなり、愛でるという言葉そのままにぬいぐるみを抱く。そこには年相応に楽しむ少女の姿があった。
「蛍さん。良ければお屋敷の外に出てみませんか?」
頃合いだと、八重が切り出した。
「………」
言葉を受けた蛍は、しかしぬいぐるみを置いてキョトンとした顔をするだけ。その視線は八重の目を見ている。
瞳はただ『なんで?』と、問いかけていた。
拒絶でもなく、恐怖でもなく。ただ彼女にあったのは、彼女の常識の外の行いをする事への疑問。
「……八重、きれいなもの、かわいいもの……たくさん教えてくれた。唯音は、おいしいご飯……食べさせてくれた」
だから、と彼女は続ける。
「外、怖いものがある、けど……運んでくれる、人がいる。なら、私は……待つ」
「それは違うぞ。蛍」
蛍の言葉が言い終えるかという所で、被せるように久永が口を開いた。その手に持っていた本を床に放って。
「?」
「そうだなぁ……確かに外は恐いものでいっぱいだ。だが、それ以上に面白いものがいっぱいあるのだぞ?」
久永が語る。彼が外の世界に出て初めて知った物事を。
「お祭りとかばーべきゅーとか……ここにいては決して得られぬ物ばかりだ」
「お祭り……。ばーべ、きゅー……?」
「そうだ。そなたはもっとたくさんの世界を見るべきだ。夢ではなく、そなた自身の目でな?」
「……。待って、たら……」
「ダメだよ?」
すねこすりぐるみを再び手に取った唯音が、ぬいぐるみの前足を摘みながら言う。
「楽しい事、いーっぱいあるんだよ? こんな可愛い生き物、本物に会いたくない?」
「本物……」
「余は外に出て初めてこの世界が好きだと思えた……きっとそなたも気に入ると思う」
重なっていく言葉は一つ一つ積み重なって、蛍の心に満ちていく。
「ねえ、蛍さん。綺麗なもの、一緒に見に行きませんか?」
今この時だけ、八重はこれが任務だという事を忘れる。
ただ一緒に素敵なものを見て、共感して、共に分かち合いたい。それだけを込めて訴える。
「ゆいねはね、蛍ちゃんとお友達になりたいの」
「知りたければ確かめるしか道はないぞ?」
唯音が、久永が、そっと手を差し伸べた。八重が微笑んでいた。三人の誰一人として、瞳を逸らす事無く蛍を見つめていた。
「………」
知らない瞳だった。
「……………」
でも、今まで見たどんな目よりも、綺麗に見えた。
「……見、たい」
だから蛍は、差し伸べられた手を取った。
●幽世の外へ
階段を一段ずつ登る。転ばないように支える手が、歩き慣れていない足腰を支えてくれた。
見上げるだけだった四角い穴を、出る。
「………いい匂い」
最初に感じたのは、香り。
血の臭いではない。木の香りを強めたような、微かに刺激的な香りがそこにあった。
「それは何よりだね」
膝を折って待っていた秋人が蛍の手を取り引き上げる。彼からも同じ匂いがした。
「縁側に出てみよーよ」
続いて這い出た唯音に手を引かれ、蛍は人生で初めて廊下を走る。空気の流れがこそばゆくて目を細めた。
「ほら、いいタイミング!」
不意に聞こえる唯音の声に、蛍は再び目を開き、
「……!」
そのまま大きく見開いた。
それは何の変哲もない屋敷の庭先。砂があり、草があり、石があり、木があり、空がある景色。
風が吹いていた。それだけで世界は刻一刻と変化していた。
音が聞こえる。木々のざわめきが何か言っているようで耳をそばだてた。
空は広かった。そして黒くて、白かった。
「ほし……」
白は星だと知ったのは少し前。見上げている肩を、誰かが叩く。
「八重?」
「一緒に夜空を見ましょう」
言葉の後に続くのは、優しく体を抱きしめられる感覚。足がふわりと浮いて、膝裏に手が挿しこまれて――
「……ふわぁ…」
飛んだ。
人を下に、屋根を下に、木々を下に舞い上がる。そうして辿り着いたのは、全天を覆う空の世界。
黒と白だけではない、青や赤や黄、数多の色で彩られた星空の世界だった。
「ん……」
手を伸ばす。届いているはずなのに、掴んだその手には何もない。
「触れられそうで、触れられない。でも、掴めそうなほど近づいたこの世界は……ふふ、どうですか?」
紫の瞳に映った星々を八重は見る。彼女の綺麗なこの瞳が、これから美しいものを沢山映していけばいいと思った。
(彼女は可哀想なんかじゃない。彼女の今までを私は否定しない。だから)
「八重、星。きれい……」
「はい。とっても綺麗ですね」
「八重の翼も、きれい」
「……ふふ、ありがとうございます」
開いた翼を羽ばたかせ、八重はしばらくの間蛍と共に星空を自由に舞う。
空を見せたい。そう八重に頼んだ秋人は、地上からその様を眩しそうに見上げていた。
「いっしょに、行く……」
地上に戻ってしばらくして、蛍は覚者達を前にしてそう宣言した。
「新しい箱庭にようこそ。……どんな世界にするかは君次第だ」
「余も歓迎しよう。未来を、そなた自身の未来をその瞳にしかと映していくのだ」
「だいじょーぶ、幼女ちゃんは一人だけど一人じゃない!」
「困ったことがあったらゆいねに言ってね! お友達のピンチは絶対助けるから!」
口々に贈られる歓迎の言葉を受けて、蛍は自分の意志で一歩を踏み出す。
発見が早かった事、そして覚者としての力か、その歩みにもう澱みはない。
彼女はこれからF.i.V.Eの施設に預けられ、恐らく五麟学園の生徒として新たな人生を歩み始めるだろう。
それは即ち、夢見としての力もまた頼りにされる事を意味している。
その力を、どう使うのか。
それは今後のF.i.V.Eに、そして覚者達に委ねられる事になる。
「みんな、いっしょ……」
今、手を繋いでいるこの少女の手が、哀しみと共に離れないように。
それは挑戦でもあるように思えた。

■あとがき■
依頼完了。覚者の皆様はお疲れ様でした。
夢見の覚者である神塚蛍はF.i.V.Eに保護され、五麟学園へ編入する事となります。
優しく、温かく、個性のハッキリしたプレイングのおかげで楽しく執筆できました。
楽しんでいただければ幸いです。
MVPは蛍に素敵な+αを導いたこの方に。
今後とも、蛍共々よろしくお願いします。
夢見の覚者である神塚蛍はF.i.V.Eに保護され、五麟学園へ編入する事となります。
優しく、温かく、個性のハッキリしたプレイングのおかげで楽しく執筆できました。
楽しんでいただければ幸いです。
MVPは蛍に素敵な+αを導いたこの方に。
今後とも、蛍共々よろしくお願いします。
