≪悪意の拡散≫想定の圏内
●夢見の外。昼、冥宗寺。
『冥宗寺』義堂 隆寛(ぎどう りゅうかん/たかひろ)は寺務所で突然やってきた訪問者を迎えていた。
品の良い老人はたった一人でふらりと寺にやって来て、対応した弟子にアポなしを詫びると名刺を差し出し、有無を言わさぬ威厳を込めた口調で隆寛との面会を要求した。
名刺の名を見ても心当たりがまったくない。このあとは珍しく夜までスケジュールが空いていたので、とりあえず会ってみることにして、寺務所にお通ししたのが五分前のことだった。
「先日はわざわざ『鞄』を届けていただきまして、まことにありがとうございました」
老人が発する気と、『鞄』の一言で腑に落ちた。あとは互いに暗黙の了解で話がすすんだ。
白々しい世間話を一通り済ませた後、隆寛はこれ幸いとばかりに『携帯電話機』の販売について話をもちかけた。
ラプラスの魔から例の装置が完成した、と連絡を受けたはいいが、冥宗寺でそれを売り出すわけにはいかなかった。どうやって『携帯電話機』を発現者たちに持たせるか、ずっと悩んでいたのだ。
「実は、知り合いが大変困っておりまして。ブームに乗って携帯電話機を大量に作成したはいいが、なかなか売れずに不良在庫となってしまっているとか。ええ、ああいったものはすぐにデザインが変わってしまうので、作ったものはすぐに売り切らないと……」
老人は詳細を聞くことなく、笑顔で代理販売を快諾した。
「ほう、おまけにストラップをつけると。それならすぐにでも捌けるでしょう。ちょうどいい関連会社があります。枝の枝ですが……社長に話をつけておきますので、明日にでも荷をとりに伺わせましょう」
老人を見送ったあと、隆寛は弟子――イレヴンの構成員たちに召集をかけた。
●夢見の外。夕刻。冥宗寺、本堂地下。
「果たして我らの思惑通りに来るでしょうか?」
弟子の中でもとりわけ体の線の細い、尼のような僧侶が結界の中の妖の遺骸に手を合わせて頭を垂れた。
隆寛も合唱する。
死んでしまえばみな仏。人も妖も同じである、というのが隆寛の考えだ。
「別に来なくとも構わない。これの毛を使って逃げた片割れたちを呼び寄せるのは、いわば保険。発現者が引き起こす電波障害がメインの仕掛けだからな」
●夢見、眩の依頼
「あちらこちらで発現者の周囲限定の電波障害が発生していること、もう知っているわよね?」
知っていて当然、と言わんばかりの口調で眩(クララ)・ウルスラ・エングホルム(nCL2000164)は切りだした。
集まった覚者のうち何人かは曖昧に頷くにとどめ、それとなく眩から視線を外した。
眩の言う「発現者限定の電波障害」は、現在、AAAとファイヴが合同で調査している。まだ大きな事件は起こっていないが、突然テレビの画像が乱れたり、ファックスが送れなかったり、電話中にノイズが発生して会話できないなどの不具合が報告されていた。
「いままではね。そう、事件はこれから起こるのよ。弟の骨が告げているわ」
夢見はうっとりとした表情で、骨に彫られたルーン文字を指でなぞった。手にしているのは本物の人骨ではなく模造品だが、眩はこれが夢見の力を増幅してくれているという。
「電波障害を起こしている発現者たちと、それを非難する人が争っているところに妖が発生するの。妖たちは発現者たちに危害を加えようとしていた人間たちに次々と襲い掛かって食い殺す……でも、なぜか妖は発現者を襲わない。不思議とね」
遠巻きにしてみていた人々には、まるで発現者が妖を呼んで人を襲わせたように思えただろう。事実、夢見ではこのあと、人々が口々に「発現者は悪」と言い広めていたらしい。
「同時に事件がいくつも起こるから、たぶん、偶然の出来事じゃない。誰か絵を描いた者がいるはずよ。『電波障害』による利便性の侵害、『妖』による安全侵害。この二つで発現者の信頼を落とそうってところかしら」
ともかく、まずは現場に行って妖を退治し、発現者たちの身柄を保護することが先決だ。
「何かわかるかもしれないから、妖を退治した後に発現者――覚者たちから話を聞いて、情報を集めてきてちょうだい。そうそう……」
眩はそこで言葉を切って、わざとらしくため息をついた。
「あまり時間をかけすぎると、イレヴンの憤怒者が乱入してくるわよ。妖退治の手柄を横取りして、ますます発現者の評判を貶めようと張りきってね。妖さえ倒してしまえば首を突っ込んでこないから、さっさと妖を倒してしまって」
『冥宗寺』義堂 隆寛(ぎどう りゅうかん/たかひろ)は寺務所で突然やってきた訪問者を迎えていた。
品の良い老人はたった一人でふらりと寺にやって来て、対応した弟子にアポなしを詫びると名刺を差し出し、有無を言わさぬ威厳を込めた口調で隆寛との面会を要求した。
名刺の名を見ても心当たりがまったくない。このあとは珍しく夜までスケジュールが空いていたので、とりあえず会ってみることにして、寺務所にお通ししたのが五分前のことだった。
「先日はわざわざ『鞄』を届けていただきまして、まことにありがとうございました」
老人が発する気と、『鞄』の一言で腑に落ちた。あとは互いに暗黙の了解で話がすすんだ。
白々しい世間話を一通り済ませた後、隆寛はこれ幸いとばかりに『携帯電話機』の販売について話をもちかけた。
ラプラスの魔から例の装置が完成した、と連絡を受けたはいいが、冥宗寺でそれを売り出すわけにはいかなかった。どうやって『携帯電話機』を発現者たちに持たせるか、ずっと悩んでいたのだ。
「実は、知り合いが大変困っておりまして。ブームに乗って携帯電話機を大量に作成したはいいが、なかなか売れずに不良在庫となってしまっているとか。ええ、ああいったものはすぐにデザインが変わってしまうので、作ったものはすぐに売り切らないと……」
老人は詳細を聞くことなく、笑顔で代理販売を快諾した。
「ほう、おまけにストラップをつけると。それならすぐにでも捌けるでしょう。ちょうどいい関連会社があります。枝の枝ですが……社長に話をつけておきますので、明日にでも荷をとりに伺わせましょう」
老人を見送ったあと、隆寛は弟子――イレヴンの構成員たちに召集をかけた。
●夢見の外。夕刻。冥宗寺、本堂地下。
「果たして我らの思惑通りに来るでしょうか?」
弟子の中でもとりわけ体の線の細い、尼のような僧侶が結界の中の妖の遺骸に手を合わせて頭を垂れた。
隆寛も合唱する。
死んでしまえばみな仏。人も妖も同じである、というのが隆寛の考えだ。
「別に来なくとも構わない。これの毛を使って逃げた片割れたちを呼び寄せるのは、いわば保険。発現者が引き起こす電波障害がメインの仕掛けだからな」
●夢見、眩の依頼
「あちらこちらで発現者の周囲限定の電波障害が発生していること、もう知っているわよね?」
知っていて当然、と言わんばかりの口調で眩(クララ)・ウルスラ・エングホルム(nCL2000164)は切りだした。
集まった覚者のうち何人かは曖昧に頷くにとどめ、それとなく眩から視線を外した。
眩の言う「発現者限定の電波障害」は、現在、AAAとファイヴが合同で調査している。まだ大きな事件は起こっていないが、突然テレビの画像が乱れたり、ファックスが送れなかったり、電話中にノイズが発生して会話できないなどの不具合が報告されていた。
「いままではね。そう、事件はこれから起こるのよ。弟の骨が告げているわ」
夢見はうっとりとした表情で、骨に彫られたルーン文字を指でなぞった。手にしているのは本物の人骨ではなく模造品だが、眩はこれが夢見の力を増幅してくれているという。
「電波障害を起こしている発現者たちと、それを非難する人が争っているところに妖が発生するの。妖たちは発現者たちに危害を加えようとしていた人間たちに次々と襲い掛かって食い殺す……でも、なぜか妖は発現者を襲わない。不思議とね」
遠巻きにしてみていた人々には、まるで発現者が妖を呼んで人を襲わせたように思えただろう。事実、夢見ではこのあと、人々が口々に「発現者は悪」と言い広めていたらしい。
「同時に事件がいくつも起こるから、たぶん、偶然の出来事じゃない。誰か絵を描いた者がいるはずよ。『電波障害』による利便性の侵害、『妖』による安全侵害。この二つで発現者の信頼を落とそうってところかしら」
ともかく、まずは現場に行って妖を退治し、発現者たちの身柄を保護することが先決だ。
「何かわかるかもしれないから、妖を退治した後に発現者――覚者たちから話を聞いて、情報を集めてきてちょうだい。そうそう……」
眩はそこで言葉を切って、わざとらしくため息をついた。
「あまり時間をかけすぎると、イレヴンの憤怒者が乱入してくるわよ。妖退治の手柄を横取りして、ますます発現者の評判を貶めようと張りきってね。妖さえ倒してしまえば首を突っ込んでこないから、さっさと妖を倒してしまって」

■シナリオ詳細
■成功条件
1.妖・大黒イタチの撃破
2.襲われている人間たちの保護(死亡者をださない)
3.保護した覚者たちから事件が起こるまで経緯を訊く
2.襲われている人間たちの保護(死亡者をださない)
3.保護した覚者たちから事件が起こるまで経緯を訊く
とある街の公園。昼です。
公園でスケボーをしていた覚者たちのところに、『電波障害を起こす発現者は街から出ていけ』とか書かれたプラカードを持つ市民グループがやって来て騒ぎになり、もみ合っているところへ妖が襲い掛かります。
公園の一角に高いフェンスに囲まれたてスケボー用のコースが作られており、そこで騒ぎが起こっています。
フェンスの中に入る出入口は2か所。内一か所は鍵がかかっています。
●敵
妖・大黒イタチ……一体。
コース中央にいる覚者たちには襲い掛かりません。
それどころか彼らを守るように市民グループに襲い掛かります。
【切り裂き】……物近単/出血
【呪い】……特近単/呪い
【瘴気の渦】……特全体/毒
●市民グループ……30名
大黒イタチに怯えて半数が出口に殺到、もみ合いになっています。
のこり15名はフェンスのなかをぐるぐると走って妖から逃げ回っています。
●覚者……2名
・鼻にピアスの少年。天行、獣の因子(辰)
・肩に刺青(彩の因子ではない)の少年。火行、獣の因子(寅)
ふたりともただ発現しているだけで、とくに強くありません。
どこにでもいるごく普通の青年、ともに17歳です。
●イレヴンの憤怒者……5名
妖退治にてこずっていると、10ターン後に現れます。
彼らは覚者たちも攻撃してきます。
ある程度ダメージを与えると逃げていきます。
弐式までの体術を使用。
性別や外見はさまざまですが、全員が対発現者用の特殊スーツを着用しています。
●関連依頼
品部ST
『≪悪意の拡散≫2人の思想』
『≪悪意の拡散≫3つの概念』
そうすけST
『≪悪意の拡散≫想定の圏内』
『≪悪意の拡散≫思慮の圏外』
※品部STの『≪悪意の拡散≫2人の思想』と『≪悪意の拡散≫3つの概念』の二つは同時刻発生です。重複して参加できません。
その他のシナリオはそれぞれ別の時間に起こる出来事ですので、重複して参加していただけます。
状態
完了
完了
報酬モルコイン
金:0枚 銀:1枚 銅:0枚
金:0枚 銀:1枚 銅:0枚
相談日数
7日
7日
参加費
100LP[+予約50LP]
100LP[+予約50LP]
参加人数
5/6
5/6
公開日
2017年04月08日
2017年04月08日
■メイン参加者 5人■

●
淡い色の空の下、春の公園でちょっとした騒ぎが起こっていた。
それは度々、ニュース画像で見かけるようになった発現者と非発現者たちとの争いで、大抵の場合は数分の怒鳴りあいの末に、発現者側がうんざりとした顔で立ち去って終息する……はずだった。
人々が殺到する出入口に駆け寄りながら、『赤き炎のラガッツァ』ラーラ・ビスコッティ(CL2001080) は声を張り上げた。
「皆さん、落ち着いてください! この妖は、私達が追っている特殊な習性の妖です。私達が何とかしている間に20m以上、出来ればもっと離れてください!」
『ゆるゆるふああ』鼎 飛鳥(CL2000093)は、葉をつけ始めたばかりの木々の間から公園の外を見通しながら走る。
憤怒者たちが公園の近くで待機している可能性は高い。夢見に乱入を予言された憤怒者たちが、今回の騒動に直接かかわっているかどうかはまだわからないが、飛鳥はあまりにタイミングのよい登場に、何かよからぬものを感じていた。
見つからぬうちに転んだ人でふさがれてしまっているスケートボードのコース出入口に着く。とりあえずは市民の安全確保が先決だ。
「あの妖はファイヴが退治します。みなさん、落ちついて。順番に出てきてくださいなのよ」
ラーラと飛鳥の掛け声に、一旦は落ち着きを取り戻しかけたかのように見えた人々だが、背後に迫る妖の恐怖には勝てなかったらしく、すぐに転んだ人を踏み越え、我先に逃げしはじめた。二人、三人と同時に扉をくぐり抜けようとしているので、どうしても詰まる。後ろの人が怒鳴りながら押すので、高いフェンスがぐらぐらと揺れていまにも倒れそうだった。
「少し落ち着きなさい!」
気迫を込めた一喝で、『音楽教諭』向日葵 御菓子(CL2000429)は人々を目覚めさせた。日頃、教室で生徒たちを怒鳴ることなんて滅多にない。滅多にないが、例えば命の危険がある場合は、それこそ鬼のような厳しさで叱りつける。
「妖にでなくて、自分たちの手で怪我をしちゃうでしょっ!! 今、ドアを開けているから冷静に、避難訓練で習ったでしょう? お・か・し・も・ちですよ!」
災害避難時の心得である「おかしもち」。なかにはキョトンとした顔をする者もいたが、大部分の人たちはハッとして態度を改めた。
順番に並んで出てくる人々と、それを助けながらフェンス越しに攻撃を行うラーラと御菓子、怪我をした人を癒す飛鳥。
(「さすがですね」)
勒・一二三(CL2001559) は三人の活躍を横目にしながら、桂木・日那乃(CL2000941)とともに鍵のかかった別の出入口に向かった。
「おかしなことが起こっていますねえ。妖が人を襲わないとは……不思議です」
「『発現者限定の電波障害』? 悪い噂を流して、覚者の評判を落とす。前も、そういうの、あった気がする」
そうなんですか、と一二三。
幸い、鍵のかかっているこの出入口に逃げて来た人はいなかった。鍵を開けられず、早々にあちらの出口へ移動してしまったのだろう。
「急いでください。鼎さんが襲われて怪我をした人を癒しているようですが……人々が邪魔でビスコッティさんも向日葵さんも妖に効果的な一撃を加えられないようです。このままでは……」
「ん、被害者が出るなら、消す」
日那乃は一二三の隣で、なんの変哲もないヘアピン一本を使って鍵を開けていた。覚者が身につけられる能力の一つに、ちょっと犯罪者めいたものがある。いま、まさにその力を使って、施錠された扉を開いたところだ。
「開いた。さあ、行って」
日那乃が扉を手で押し開く。
一二三は中へ駆け込んだ。
「悪く思わないでくださいね」
揺れる袖で雲を起し、風に白い花びらを散らせて飛ばす。花びらが白く淡く光を放ちながら、ゆったりと流れる時の中で散り散りになっていく。
辺りの喧騒をぷっつりと断ち切って。一二三の舞いは覚者の二人から怯えを払い、穏やかな眠りの中にいざなった。
若者たちが膝から崩れ落ちる。土埃がたち、倒れたスケートボードの車輪がカラカラと空回りした。
異変を察した大黒イタチが、噛みついていた人から口を離し、赤い目を大きく見開いて一二三を振り返った。短く威嚇の声をあげて体をしならせ、全身のばねを伸ばして地を蹴り飛ぶ。
「うわぁ!」
眠った若者たちを盾にして身を守ろうという一二三の目論見は直前で挫かれた。妖の毛深い前足に抑え込まれて、地面に倒れる。
「ダメ!」
日那乃は追いつくなり翼をはためかせると、作りだした空気の刃を妖の細長い鼻面に叩き込んだ。
黒毛の鼻に赤い血の筋が刻まれ、血が飛び散った。
●
「勒さん!」
最後の一人がくぐり抜けるのを辛抱強くまって、ラーラはフェンスの内側に駆け込んだ。
日那乃の放った一撃は、妖を怯ませはしたが一二三を自由にするまでには至らなかった。依然として、妖の爪は袈裟に深く食い込んでいた。
走る。
的が遠距離攻撃の範囲に入ったところで足をとめた。
阿吽の呼吸で、守護使役ペスカが出現させた黄金の鍵を、ラーラは肩越しに受け取った。妖から目をそらせるとこなく、魔道書を開く。
「良い子に甘い焼き菓子を、悪い子には石炭を……イオ・ブルチャーレ!」
足元に広げた魔法陣を赤く燃え上がらせ、召喚した地獄の炎石を天へ打ち上げる。黒々とした煙をまきながら淡い空に打ち上げられた炎石が、まるで意思を持っているかのように次々と大黒イタチに向かっていく。
炎石雨を背中に浴びた妖は、甲高い悲鳴を上げて身をくねらせた。
足が上がった隙を見逃さず、日那乃がうつぶせに倒れる一二三の体を引っ張り、妖から遠ざける。
「一二三お兄さん、しっかりするのよ!」
飛鳥は一二三がいた場所に滑り込むと、下からスティックを突きあげた。ヘッドの水晶がまばゆく光り、激流を迸らせる。
高圧で吹きだした水の流れは、水龍の猛々しさで妖の黒い喉を食い破った。
妖は首を振ると――まるで、そんな馬鹿な。こんな話は聞いていない、と言わんばかりの目で辺りを見回した。
とにかく逃げなくては。と思ったか、尻を下げたまま走り出す。
「逃がしません。次はあなたの番です。水をかぶって反省なさい!」
妖の前に回り込んだ御菓子は、弓の幅を大きく使ってタラサの弦を激しく震わせた。
名器は御菓子の演奏に応えるかのように、ボディの内で生成された激しい音エネルギーを水龍の咆哮に変えて迸らせた。内面の怒りを見事に描出する音楽に乗って水龍が飛ぶ。
激流は尻尾をまく大黒イタチを正面から飲み込んだ。が、それが妖の腹の底で燻っていた怨みをかき立ててしまったようだ。消滅を意識したことで、闘争本能に火がついたらしい。
大黒イタチは耳の横まで裂けたような口から、ずらりと並んだ鋭い牙を覗かせた。逆立たせた黒毛から瘴気を立ち昇らせ、空に広く、大きく、瘴気の渦を作りだした。
毒を含んだ暴風が、春のすがすがしい空気を押しやり、覚者たちと今まさに芽吹き始めた桜木を飲み込んで吹き飛ばす。
「消す、ね」
日那乃は腕を上げて高く御符を掲げると、雨雲を呼び寄せ、潤しの雨を降らせた。癒しを含む恵みの滴が、きらきらと光り輝きながら、禍々しい色をした瘴気の渦を叩き落としていく。
一二三は立ちあがると、静かに舞いを奉じた。凛と澄んだ風を起こして、仲間たちに憑りついた邪気――毒を払う。
妖は怒りをむき出しにして爪を出すと、再び一二三に襲い掛かった。
「やらせはせん、のよ!」
飛鳥は渾身の力で妖の太い鉤爪を叩き折った。
どう、と音をたてて地面に倒れた大黒イタチを、腰に拳をあてて見下ろす。
「やい、イタチ。ウサギさんなめんなよ、なのよ!!」
ふんす、と鼻から息を吹きだしたところで、妖が振るった尻尾に足を払われて転んだ。
「最後まで油断しない!」
御菓子がすばやく飛鳥のガードに入って、立ちあがったイタチの気を引く。
大黒イタチは長く伸ばした爪を振るって、忌々しい人間どもを切り裂いた。赤い目の奥で揺らいでいるのは黒々とした憎しみの炎――。
御菓子は受けた傷の痛みに耐えながら、上空を飛ぶ守護使役カンタを見上げた。
カンタがあわただしく翼をはためかせながら、くるくると円を描いて飛んでいる。これは、と思い視線を下げると案の定、こちらへ向かってくる黒ずくめの一団がいた。
日那乃と飛鳥が降らせた潤しの雨にしっとりと打たれながら、事実を仲間たちに伝える。
「憤怒者たちが来ました……って、あれ?」
黒ずくめの一団は、どう言うわけか、フェンス越しに覚者たちの戦いを見守っていた人々の後ろで立ち止まった。
半分は人々の後ろでピョンピョンと飛び跳ねて、こちらの様子をうかがっている。もう半分はひそひそと、顔を突き合わせて何かを話し合っている。
「様子が変ですね。私たちがいるからでしょうか?」
舞衣を演じながら一二三が言う。
「かもしれません。ですが、討伐に時間がかかれば憤怒者たちも中に入ってくるでしょう。そうなったら……覚者のお二人が危険に晒されるのはもちろん、下手をしたら私達も妖をやっつけに来た善意の非覚者を攻撃していると思われかねません」
普段から発現者を忌み嫌っている憤怒者たちのことだ、どんな難癖をつけられるか分かったものではない。しかも、間の悪いことに、このタイミングで眠っていた若者たちが起きてしまった。
黒い毛を血で濡らしそぼる妖を目にして、ぎゃ、と悲鳴をあげる。
妖は一瞬だけ、目を覚ました若者たちへ目を向けたが、すぐに鼻先を覚者たちへ戻した。日那乃たちが彼らの傍へ向かってもまったく気にかける様子がない。やはり変だ、と鼻にピアスをつけた若者の手を取りながら、一二三は首を傾げた。
「あ~憤怒者たち、中に入ってきそうなのよ」
「捕まえる?」
それは後で、と小さく日那乃に返すと、ラーラは再び足元に魔法陣を敷いた。
「目の前の敵に集中しましょう」
いまや妖は後ろ脚を折って地面に半分、体を落としていた。長い舌を垂らした口からぜいぜいと、苦しげに息を吐いている。超視力を使って調べるほどでもない。もう、逃げるだけの力も残っていないだろう。
それでも大黒イタチは最後の意地を見せた。妖にも意地というものがあるとするならば、だが。
吊り上がった赤目を細め、惑える魔女の衣に身を包んだ少女に呪いの息を吹きかける。
呪いを弾くかのように、ラーラの瞳は強い光を発して大黒イタチを睨み返した。赤い目と赤い目の睨み合い。空中で視線がぶつかりあう。
ふっと、先に視線をそらせたのはラーラの方だった。隙を見せた敵に細く笑む妖。
力を振り絞って大黒イタチが後ろ脚で立ちあがり、鋭い爪を出した前足を高みから振り下した。
凶爪がラーラの体に食い込む寸前――。
飛鳥と御菓子が飛ばした水龍が、黒く太い後ろ脚にかじりついて妖の体を後ろへ引いた。
間髪入れず、日那乃が真空の刃で毛深い脇腹を切り裂く。
ぎゃっ、悲鳴をあげる大黒イタチの頭上から、一二三が呼んだ雷雲が雷を落とす。
“Punto e basta――”
厳かに、イタリア語でラーラが戦いの終わりを告げる。
悪鬼悪霊を払う神聖な炎を纏った真紅の火猫が、魔法陣から獲物目がけて飛びかかっていった。
●
灰になった妖がぐずり、と崩れだしたのを見て、憤怒者たちは踵を返した。そのまま、後ろを振り返ることなく公園を出ていく。
「待ってください! 少しお話を――」
御菓子は憤怒者たちを追いかけようとしたが、すぐに諦めて戻ってきた。あからさまに怪しいが、捕まえたところで問い詰める材料がない。ただ、不審に思ったというだけで無理やり呼び止めたなら、それこそ、一般の人々に良い印象は与えないだろう。
捕まえてコンコンと説教をしたかったのだが、しかたがない。御菓子は無意識のうちに体横で握りしめていた手から力を抜いた。しっかりと、憤怒者たちが逃げていった方角を睨みながら。
(「覚者の2人きっと何がなんだかという状況下もしれませんね……」)
ため息とともにラーラが目を向けた先で、若者たちが飛鳥と日那乃の二人から介抱を受けていた。
二人はすっかり怯え切っていた。とぎれとぎれに語られる彼らの話によると、ワンパンチで散るようなランクの低い妖なら何度か街で見かけたことがあるらしい。だが、大黒イタチのような強くて凶暴な妖と出会ったのは初めてのことらしい。
「そうですか。ふむ、妖と貴方たち二人のどちらかに縁があった……という説はこれでなくなりましたか。しかし――」
一二三は腰の後ろで手を組んだ。目を空に向けてゆっくりと歩きだす。
「それは妙な話ですねえ。まったく知らない、会ったことなんてないというのであれば、どうして妖は貴方たちを襲わなかったのでしょう?」
「そんなの知らねえよ。マジで解らねえ」
肩に刺青を入れた若者が、後ろを歩く一二三を追って首を回す。
「う、嘘じゃねえよ」
どうやら演技ではないようだ。きょろきょろと視線が定まらないのは、嘘をついているからではなく、周りを囲んだファイヴの覚者たちに怯えてのことらしい。
ラーラはしゃがんで地面に座る彼らと視線の位置を合わせると、優しく声をかけた。
「さっきの妖、何か様子がおかしかったですよね?」
若者たちがこくこくと頷く。
「ちょっと知りたいことがありますので、覚えていることがあれば先程のこと教えてもらえないでしょうか?」
「お、覚えていることって……言われてもなぁ」
すかさず横から飛鳥が助け船を出す。
「お兄さんたちの周りで電波障害が頻繁に起きていませんか?」
そういえば、と二人は顔を見合わせた。
「ここ最近、やたらとオレたちの回りでテレビの画面がぐちゃぐちゃになったりしてたな」
「ああ、例えばサッカーの中継の時とか。ごひいきのチームがゴールを決めて飛びあがった瞬間にプツッンって画面が真っ黒になったことが度々あったよ」
「起こるようになったの、いつ頃?」
日那乃が畳みかけるように質問を飛ばした。
「いつ……とかは特に意識してない、なかったな」
「なんだよ、電波障害解けたんじゃねえのかよって、いつも怒っていた。発現してない連中の前では。だってさ、何かあったらすぐ俺たちを睨むんだぜ」
鼻ピアスの若者は、金網フェンスの向こう側からこちらを見ている人々をちらり、と盗み見た。
「起こるようになった前と後で。なにか違うこと、あったら教えて?」
日那乃は肩に刺青を入れた若者の目を覗き込むと、どんな小さな出来事でも構わないから、と根気よく質問を重ねた。
「あ、そういえば!」
刺青を入れている肩を後ろへ反らし、半分尻が見えているズボンの後ろポケットに手をやる。前に戻された手に握られていたのは携帯電話だった。鼻ピアスの若者も同じように後ろへ腕を回すと携帯を取りだした。
「これ、買ってからのような気がする」
「よく手に入りましたね」
戻ってきた御菓子が上から覗き込んで呟く。
「高かったでしょう?」
「それが、全然――」
突然、横から小さな手が伸びてきて、鼻ピアスの若者が手にしていた携帯を奪い取った。
「むむむ、かわいいのよ……この『ストラップ』どこで買いました?」
飛鳥は携帯ではなく、携帯につけられたストラップに興味を引かれたらしい。日那乃と一緒にまじまじと、一般的な『虫系守護使役の幼体』の姿を模したヌイグルミに魅入っている。
そういえば、鼻ピアスの若者が連れている守護使役は虫系だ。刺青の若者は鳥の守護使役を連れており、やはり携帯からは鳥系のヌイグルミがぶら下がっていた。
「可愛いだろ? 携帯のオマケについていたんだ。その場で契約して即買いしたよ。あ、返してくれるよね?」
この携帯は怪しい。覚者たちに媚びるようにつけられたストラップが、ファイヴ覚者たちの疑惑を更に深めた。
ラーラが若者が伸ばした手をとって包み込む。
「本当に……ほんっとうにごめんなさい。これ、事件究明のために私たちに預けてください。ご協力お願いします」
若者たちが嫌だ、と声を出す前に一二三が後ろから言い放つ。
「恐らくこの携帯がこの事件の原因の一つでしょう。このまま持ち続けていると、度々、電波障害を引き起こすだけでなく、また妖を呼び寄せてしまいますよ。それでも返してほしいですか?」
若者たちはがっくりと肩を落とした。
●
「現れたのは大イタチだと?」
報告に上がった弟子のほうには顔を向けず、鋭い眼光で日前の宙を腕みながら、隆寛は呟いた。
――偶然か?
いや、それではあまりに都合が良すぎる。第一、それではまったく関係のない妖がストラップをつけた携帯を所持する発現者を守ろうとしたことが解らない。
隆寛は弟子を下がらせると、燭台を一本手に取って本堂の地下へ降りた。
結界の四方に立てられている燭台に火を移すと、横たわる妖の死骸がロウソクの広げる明かりの中に浮かび上がった。
守護使役を模したぬいぐるみの中に入れた妖の毛――それはイタチではなく、アライグマのものだった。
取り逃がした子供たちを母親の毛でおびき寄せて、ついでと言っては何だが、弟子たちに退治させる。そのつもりで一般人に危害が及ばぬよう、きわめて弱い妖を選んだのである。別に発現者が子を倒しても構わなかったのだ。人々の前に妖が出てきた時点で、風評被害を広める作戦は成功なのだから。
隆寛は携帯電話を取り出すと、固い声で街に出ている弟子たちにストラップの回収を命じた。
淡い色の空の下、春の公園でちょっとした騒ぎが起こっていた。
それは度々、ニュース画像で見かけるようになった発現者と非発現者たちとの争いで、大抵の場合は数分の怒鳴りあいの末に、発現者側がうんざりとした顔で立ち去って終息する……はずだった。
人々が殺到する出入口に駆け寄りながら、『赤き炎のラガッツァ』ラーラ・ビスコッティ(CL2001080) は声を張り上げた。
「皆さん、落ち着いてください! この妖は、私達が追っている特殊な習性の妖です。私達が何とかしている間に20m以上、出来ればもっと離れてください!」
『ゆるゆるふああ』鼎 飛鳥(CL2000093)は、葉をつけ始めたばかりの木々の間から公園の外を見通しながら走る。
憤怒者たちが公園の近くで待機している可能性は高い。夢見に乱入を予言された憤怒者たちが、今回の騒動に直接かかわっているかどうかはまだわからないが、飛鳥はあまりにタイミングのよい登場に、何かよからぬものを感じていた。
見つからぬうちに転んだ人でふさがれてしまっているスケートボードのコース出入口に着く。とりあえずは市民の安全確保が先決だ。
「あの妖はファイヴが退治します。みなさん、落ちついて。順番に出てきてくださいなのよ」
ラーラと飛鳥の掛け声に、一旦は落ち着きを取り戻しかけたかのように見えた人々だが、背後に迫る妖の恐怖には勝てなかったらしく、すぐに転んだ人を踏み越え、我先に逃げしはじめた。二人、三人と同時に扉をくぐり抜けようとしているので、どうしても詰まる。後ろの人が怒鳴りながら押すので、高いフェンスがぐらぐらと揺れていまにも倒れそうだった。
「少し落ち着きなさい!」
気迫を込めた一喝で、『音楽教諭』向日葵 御菓子(CL2000429)は人々を目覚めさせた。日頃、教室で生徒たちを怒鳴ることなんて滅多にない。滅多にないが、例えば命の危険がある場合は、それこそ鬼のような厳しさで叱りつける。
「妖にでなくて、自分たちの手で怪我をしちゃうでしょっ!! 今、ドアを開けているから冷静に、避難訓練で習ったでしょう? お・か・し・も・ちですよ!」
災害避難時の心得である「おかしもち」。なかにはキョトンとした顔をする者もいたが、大部分の人たちはハッとして態度を改めた。
順番に並んで出てくる人々と、それを助けながらフェンス越しに攻撃を行うラーラと御菓子、怪我をした人を癒す飛鳥。
(「さすがですね」)
勒・一二三(CL2001559) は三人の活躍を横目にしながら、桂木・日那乃(CL2000941)とともに鍵のかかった別の出入口に向かった。
「おかしなことが起こっていますねえ。妖が人を襲わないとは……不思議です」
「『発現者限定の電波障害』? 悪い噂を流して、覚者の評判を落とす。前も、そういうの、あった気がする」
そうなんですか、と一二三。
幸い、鍵のかかっているこの出入口に逃げて来た人はいなかった。鍵を開けられず、早々にあちらの出口へ移動してしまったのだろう。
「急いでください。鼎さんが襲われて怪我をした人を癒しているようですが……人々が邪魔でビスコッティさんも向日葵さんも妖に効果的な一撃を加えられないようです。このままでは……」
「ん、被害者が出るなら、消す」
日那乃は一二三の隣で、なんの変哲もないヘアピン一本を使って鍵を開けていた。覚者が身につけられる能力の一つに、ちょっと犯罪者めいたものがある。いま、まさにその力を使って、施錠された扉を開いたところだ。
「開いた。さあ、行って」
日那乃が扉を手で押し開く。
一二三は中へ駆け込んだ。
「悪く思わないでくださいね」
揺れる袖で雲を起し、風に白い花びらを散らせて飛ばす。花びらが白く淡く光を放ちながら、ゆったりと流れる時の中で散り散りになっていく。
辺りの喧騒をぷっつりと断ち切って。一二三の舞いは覚者の二人から怯えを払い、穏やかな眠りの中にいざなった。
若者たちが膝から崩れ落ちる。土埃がたち、倒れたスケートボードの車輪がカラカラと空回りした。
異変を察した大黒イタチが、噛みついていた人から口を離し、赤い目を大きく見開いて一二三を振り返った。短く威嚇の声をあげて体をしならせ、全身のばねを伸ばして地を蹴り飛ぶ。
「うわぁ!」
眠った若者たちを盾にして身を守ろうという一二三の目論見は直前で挫かれた。妖の毛深い前足に抑え込まれて、地面に倒れる。
「ダメ!」
日那乃は追いつくなり翼をはためかせると、作りだした空気の刃を妖の細長い鼻面に叩き込んだ。
黒毛の鼻に赤い血の筋が刻まれ、血が飛び散った。
●
「勒さん!」
最後の一人がくぐり抜けるのを辛抱強くまって、ラーラはフェンスの内側に駆け込んだ。
日那乃の放った一撃は、妖を怯ませはしたが一二三を自由にするまでには至らなかった。依然として、妖の爪は袈裟に深く食い込んでいた。
走る。
的が遠距離攻撃の範囲に入ったところで足をとめた。
阿吽の呼吸で、守護使役ペスカが出現させた黄金の鍵を、ラーラは肩越しに受け取った。妖から目をそらせるとこなく、魔道書を開く。
「良い子に甘い焼き菓子を、悪い子には石炭を……イオ・ブルチャーレ!」
足元に広げた魔法陣を赤く燃え上がらせ、召喚した地獄の炎石を天へ打ち上げる。黒々とした煙をまきながら淡い空に打ち上げられた炎石が、まるで意思を持っているかのように次々と大黒イタチに向かっていく。
炎石雨を背中に浴びた妖は、甲高い悲鳴を上げて身をくねらせた。
足が上がった隙を見逃さず、日那乃がうつぶせに倒れる一二三の体を引っ張り、妖から遠ざける。
「一二三お兄さん、しっかりするのよ!」
飛鳥は一二三がいた場所に滑り込むと、下からスティックを突きあげた。ヘッドの水晶がまばゆく光り、激流を迸らせる。
高圧で吹きだした水の流れは、水龍の猛々しさで妖の黒い喉を食い破った。
妖は首を振ると――まるで、そんな馬鹿な。こんな話は聞いていない、と言わんばかりの目で辺りを見回した。
とにかく逃げなくては。と思ったか、尻を下げたまま走り出す。
「逃がしません。次はあなたの番です。水をかぶって反省なさい!」
妖の前に回り込んだ御菓子は、弓の幅を大きく使ってタラサの弦を激しく震わせた。
名器は御菓子の演奏に応えるかのように、ボディの内で生成された激しい音エネルギーを水龍の咆哮に変えて迸らせた。内面の怒りを見事に描出する音楽に乗って水龍が飛ぶ。
激流は尻尾をまく大黒イタチを正面から飲み込んだ。が、それが妖の腹の底で燻っていた怨みをかき立ててしまったようだ。消滅を意識したことで、闘争本能に火がついたらしい。
大黒イタチは耳の横まで裂けたような口から、ずらりと並んだ鋭い牙を覗かせた。逆立たせた黒毛から瘴気を立ち昇らせ、空に広く、大きく、瘴気の渦を作りだした。
毒を含んだ暴風が、春のすがすがしい空気を押しやり、覚者たちと今まさに芽吹き始めた桜木を飲み込んで吹き飛ばす。
「消す、ね」
日那乃は腕を上げて高く御符を掲げると、雨雲を呼び寄せ、潤しの雨を降らせた。癒しを含む恵みの滴が、きらきらと光り輝きながら、禍々しい色をした瘴気の渦を叩き落としていく。
一二三は立ちあがると、静かに舞いを奉じた。凛と澄んだ風を起こして、仲間たちに憑りついた邪気――毒を払う。
妖は怒りをむき出しにして爪を出すと、再び一二三に襲い掛かった。
「やらせはせん、のよ!」
飛鳥は渾身の力で妖の太い鉤爪を叩き折った。
どう、と音をたてて地面に倒れた大黒イタチを、腰に拳をあてて見下ろす。
「やい、イタチ。ウサギさんなめんなよ、なのよ!!」
ふんす、と鼻から息を吹きだしたところで、妖が振るった尻尾に足を払われて転んだ。
「最後まで油断しない!」
御菓子がすばやく飛鳥のガードに入って、立ちあがったイタチの気を引く。
大黒イタチは長く伸ばした爪を振るって、忌々しい人間どもを切り裂いた。赤い目の奥で揺らいでいるのは黒々とした憎しみの炎――。
御菓子は受けた傷の痛みに耐えながら、上空を飛ぶ守護使役カンタを見上げた。
カンタがあわただしく翼をはためかせながら、くるくると円を描いて飛んでいる。これは、と思い視線を下げると案の定、こちらへ向かってくる黒ずくめの一団がいた。
日那乃と飛鳥が降らせた潤しの雨にしっとりと打たれながら、事実を仲間たちに伝える。
「憤怒者たちが来ました……って、あれ?」
黒ずくめの一団は、どう言うわけか、フェンス越しに覚者たちの戦いを見守っていた人々の後ろで立ち止まった。
半分は人々の後ろでピョンピョンと飛び跳ねて、こちらの様子をうかがっている。もう半分はひそひそと、顔を突き合わせて何かを話し合っている。
「様子が変ですね。私たちがいるからでしょうか?」
舞衣を演じながら一二三が言う。
「かもしれません。ですが、討伐に時間がかかれば憤怒者たちも中に入ってくるでしょう。そうなったら……覚者のお二人が危険に晒されるのはもちろん、下手をしたら私達も妖をやっつけに来た善意の非覚者を攻撃していると思われかねません」
普段から発現者を忌み嫌っている憤怒者たちのことだ、どんな難癖をつけられるか分かったものではない。しかも、間の悪いことに、このタイミングで眠っていた若者たちが起きてしまった。
黒い毛を血で濡らしそぼる妖を目にして、ぎゃ、と悲鳴をあげる。
妖は一瞬だけ、目を覚ました若者たちへ目を向けたが、すぐに鼻先を覚者たちへ戻した。日那乃たちが彼らの傍へ向かってもまったく気にかける様子がない。やはり変だ、と鼻にピアスをつけた若者の手を取りながら、一二三は首を傾げた。
「あ~憤怒者たち、中に入ってきそうなのよ」
「捕まえる?」
それは後で、と小さく日那乃に返すと、ラーラは再び足元に魔法陣を敷いた。
「目の前の敵に集中しましょう」
いまや妖は後ろ脚を折って地面に半分、体を落としていた。長い舌を垂らした口からぜいぜいと、苦しげに息を吐いている。超視力を使って調べるほどでもない。もう、逃げるだけの力も残っていないだろう。
それでも大黒イタチは最後の意地を見せた。妖にも意地というものがあるとするならば、だが。
吊り上がった赤目を細め、惑える魔女の衣に身を包んだ少女に呪いの息を吹きかける。
呪いを弾くかのように、ラーラの瞳は強い光を発して大黒イタチを睨み返した。赤い目と赤い目の睨み合い。空中で視線がぶつかりあう。
ふっと、先に視線をそらせたのはラーラの方だった。隙を見せた敵に細く笑む妖。
力を振り絞って大黒イタチが後ろ脚で立ちあがり、鋭い爪を出した前足を高みから振り下した。
凶爪がラーラの体に食い込む寸前――。
飛鳥と御菓子が飛ばした水龍が、黒く太い後ろ脚にかじりついて妖の体を後ろへ引いた。
間髪入れず、日那乃が真空の刃で毛深い脇腹を切り裂く。
ぎゃっ、悲鳴をあげる大黒イタチの頭上から、一二三が呼んだ雷雲が雷を落とす。
“Punto e basta――”
厳かに、イタリア語でラーラが戦いの終わりを告げる。
悪鬼悪霊を払う神聖な炎を纏った真紅の火猫が、魔法陣から獲物目がけて飛びかかっていった。
●
灰になった妖がぐずり、と崩れだしたのを見て、憤怒者たちは踵を返した。そのまま、後ろを振り返ることなく公園を出ていく。
「待ってください! 少しお話を――」
御菓子は憤怒者たちを追いかけようとしたが、すぐに諦めて戻ってきた。あからさまに怪しいが、捕まえたところで問い詰める材料がない。ただ、不審に思ったというだけで無理やり呼び止めたなら、それこそ、一般の人々に良い印象は与えないだろう。
捕まえてコンコンと説教をしたかったのだが、しかたがない。御菓子は無意識のうちに体横で握りしめていた手から力を抜いた。しっかりと、憤怒者たちが逃げていった方角を睨みながら。
(「覚者の2人きっと何がなんだかという状況下もしれませんね……」)
ため息とともにラーラが目を向けた先で、若者たちが飛鳥と日那乃の二人から介抱を受けていた。
二人はすっかり怯え切っていた。とぎれとぎれに語られる彼らの話によると、ワンパンチで散るようなランクの低い妖なら何度か街で見かけたことがあるらしい。だが、大黒イタチのような強くて凶暴な妖と出会ったのは初めてのことらしい。
「そうですか。ふむ、妖と貴方たち二人のどちらかに縁があった……という説はこれでなくなりましたか。しかし――」
一二三は腰の後ろで手を組んだ。目を空に向けてゆっくりと歩きだす。
「それは妙な話ですねえ。まったく知らない、会ったことなんてないというのであれば、どうして妖は貴方たちを襲わなかったのでしょう?」
「そんなの知らねえよ。マジで解らねえ」
肩に刺青を入れた若者が、後ろを歩く一二三を追って首を回す。
「う、嘘じゃねえよ」
どうやら演技ではないようだ。きょろきょろと視線が定まらないのは、嘘をついているからではなく、周りを囲んだファイヴの覚者たちに怯えてのことらしい。
ラーラはしゃがんで地面に座る彼らと視線の位置を合わせると、優しく声をかけた。
「さっきの妖、何か様子がおかしかったですよね?」
若者たちがこくこくと頷く。
「ちょっと知りたいことがありますので、覚えていることがあれば先程のこと教えてもらえないでしょうか?」
「お、覚えていることって……言われてもなぁ」
すかさず横から飛鳥が助け船を出す。
「お兄さんたちの周りで電波障害が頻繁に起きていませんか?」
そういえば、と二人は顔を見合わせた。
「ここ最近、やたらとオレたちの回りでテレビの画面がぐちゃぐちゃになったりしてたな」
「ああ、例えばサッカーの中継の時とか。ごひいきのチームがゴールを決めて飛びあがった瞬間にプツッンって画面が真っ黒になったことが度々あったよ」
「起こるようになったの、いつ頃?」
日那乃が畳みかけるように質問を飛ばした。
「いつ……とかは特に意識してない、なかったな」
「なんだよ、電波障害解けたんじゃねえのかよって、いつも怒っていた。発現してない連中の前では。だってさ、何かあったらすぐ俺たちを睨むんだぜ」
鼻ピアスの若者は、金網フェンスの向こう側からこちらを見ている人々をちらり、と盗み見た。
「起こるようになった前と後で。なにか違うこと、あったら教えて?」
日那乃は肩に刺青を入れた若者の目を覗き込むと、どんな小さな出来事でも構わないから、と根気よく質問を重ねた。
「あ、そういえば!」
刺青を入れている肩を後ろへ反らし、半分尻が見えているズボンの後ろポケットに手をやる。前に戻された手に握られていたのは携帯電話だった。鼻ピアスの若者も同じように後ろへ腕を回すと携帯を取りだした。
「これ、買ってからのような気がする」
「よく手に入りましたね」
戻ってきた御菓子が上から覗き込んで呟く。
「高かったでしょう?」
「それが、全然――」
突然、横から小さな手が伸びてきて、鼻ピアスの若者が手にしていた携帯を奪い取った。
「むむむ、かわいいのよ……この『ストラップ』どこで買いました?」
飛鳥は携帯ではなく、携帯につけられたストラップに興味を引かれたらしい。日那乃と一緒にまじまじと、一般的な『虫系守護使役の幼体』の姿を模したヌイグルミに魅入っている。
そういえば、鼻ピアスの若者が連れている守護使役は虫系だ。刺青の若者は鳥の守護使役を連れており、やはり携帯からは鳥系のヌイグルミがぶら下がっていた。
「可愛いだろ? 携帯のオマケについていたんだ。その場で契約して即買いしたよ。あ、返してくれるよね?」
この携帯は怪しい。覚者たちに媚びるようにつけられたストラップが、ファイヴ覚者たちの疑惑を更に深めた。
ラーラが若者が伸ばした手をとって包み込む。
「本当に……ほんっとうにごめんなさい。これ、事件究明のために私たちに預けてください。ご協力お願いします」
若者たちが嫌だ、と声を出す前に一二三が後ろから言い放つ。
「恐らくこの携帯がこの事件の原因の一つでしょう。このまま持ち続けていると、度々、電波障害を引き起こすだけでなく、また妖を呼び寄せてしまいますよ。それでも返してほしいですか?」
若者たちはがっくりと肩を落とした。
●
「現れたのは大イタチだと?」
報告に上がった弟子のほうには顔を向けず、鋭い眼光で日前の宙を腕みながら、隆寛は呟いた。
――偶然か?
いや、それではあまりに都合が良すぎる。第一、それではまったく関係のない妖がストラップをつけた携帯を所持する発現者を守ろうとしたことが解らない。
隆寛は弟子を下がらせると、燭台を一本手に取って本堂の地下へ降りた。
結界の四方に立てられている燭台に火を移すと、横たわる妖の死骸がロウソクの広げる明かりの中に浮かび上がった。
守護使役を模したぬいぐるみの中に入れた妖の毛――それはイタチではなく、アライグマのものだった。
取り逃がした子供たちを母親の毛でおびき寄せて、ついでと言っては何だが、弟子たちに退治させる。そのつもりで一般人に危害が及ばぬよう、きわめて弱い妖を選んだのである。別に発現者が子を倒しても構わなかったのだ。人々の前に妖が出てきた時点で、風評被害を広める作戦は成功なのだから。
隆寛は携帯電話を取り出すと、固い声で街に出ている弟子たちにストラップの回収を命じた。
■シナリオ結果■
成功
■詳細■
MVP
なし
軽傷
なし
重傷
なし
死亡
なし
称号付与
なし
特殊成果
『ぱくぱく虫さんのストラップ』
カテゴリ:アクセサリ
取得者:鼎 飛鳥(CL2000093)
『ぴよぴよ鳥さんのストラップ』
カテゴリ:アクセサリ
取得者:勒・一二三(CL2001559)
『すいすい魚さんのストラップ』
カテゴリ:アクセサリ
取得者:桂木・日那乃(CL2000941)
『ぴよぴよ鳥さんのストラップ』
カテゴリ:アクセサリ
取得者:向日葵 御菓子(CL2000429)
『にゃにゃ猫さんのストラップ』
カテゴリ:アクセサリ
取得者:ラーラ・ビスコッティ(CL2001080)
カテゴリ:アクセサリ
取得者:鼎 飛鳥(CL2000093)
『ぴよぴよ鳥さんのストラップ』
カテゴリ:アクセサリ
取得者:勒・一二三(CL2001559)
『すいすい魚さんのストラップ』
カテゴリ:アクセサリ
取得者:桂木・日那乃(CL2000941)
『ぴよぴよ鳥さんのストラップ』
カテゴリ:アクセサリ
取得者:向日葵 御菓子(CL2000429)
『にゃにゃ猫さんのストラップ』
カテゴリ:アクセサリ
取得者:ラーラ・ビスコッティ(CL2001080)
