永続性難聴シンドローム
永続性難聴シンドローム



 その日、OLのマチコとトモミは街のビルに信じられないモノを見た。
 セミだ。

 いや、セミが信じられないのではない。
 10階建てオフィスビルの上半分を、まるまる覆う巨体。
 その大きさが信じられなかったのだ。
「…… ……えっ? 何あれ、妖?」
「ト、トモ! あっちにもいる!」
 色めきたつマチコとトモミ。
 そんな二人に、セミの鳴き声が波となって襲い掛かった。

 ビビビビビビビビビビビビビビビビビビビビビビビビビビビビビビ。
 ギギギギギギギギギギギギギギガガガガガガガガガガガガガガガガ。
 ギリギリギリギリギリギリギリギリギリギリギリギリギリギリギリ。

 巨大セミの鳴き声を、あえて効果音で表せばこうなる。
(ヤバイってあれ! 逃げよう!)
(えっ? なに?)
 マチコの声はセミにかき消され、トモミの耳には届かないようだ。
 妖の音波にビルの窓が揺れ、壁のタイルに亀裂が走り、街路樹の葉がバラバラと舞い散る。
 このままでは命が危ない。マチコはトモミの手を握り、ビルに避難しようとしたが――

 ビビビビビビビビビビビビビビビビビビビビビビビビビビビビビビ??
 ギギギギギギギギギギギギギギガガガガガガガガガガガガガガガガ!!
 ギリギリギリギリギリギリギリギリギリギリギリギリギリギリギリ!!!!

(ねえマチコ。あの妖、こっち見てない?)
(え? ちょっヤバイ、来る来る、こっち来る――)
 ふたりの意識は、そこで途切れた。


「……っていう事件が起こるみたい」
 集まった覚者にセミの念写を配りながら、久方 万里(nCL2000005)は告げた。
「やっつけて欲しいのは、その写真に写ってる妖だよ。セミがおっきくなった妖で、全部で6匹いるみたい。とにかく鳴き声がうるさくって、街のみんなはケータイでお話しもできないし、カフェも注文もできないし、お巡りさんに道を聞くことも出来なくなっちゃうの」
 真理によると、妖はいずれも生物系のランク2。窓ガラスが振動するほどの大音声で鳴き続け、攻撃する相手には大音声による音波攻撃や混乱効果のある「謎の液体」を引っかけるなど、高い運動性能を活かした戦いを得意とするようだ。
 現地では凄まじい騒音を常に浴びるため、会話が全く不可能となる。さらに原理は不明だが、送受心による会話も不可能になる。戦闘時の連携行動を取る際などは注意が必要だろう。ちなみに妖は覚者を優先的に襲う性質を持っているので、市民の避難に人手を割く必要はない。
 なお、今回の依頼では、報酬としてカラオケ店の無料チケットを用意したという。戦いが終わった後は、冷房の効いた店でのんびりと羽を休めてくるといいだろう。
「セミさんは地上に出たらすぐ死んじゃうんだよね……せめてセミさんを元に戻して、幸せな人生? セミ生? を全うさせてあげてほしいな!」


■シナリオ詳細
種別:通常
難易度:普通
担当ST:坂本ピエロギ
■成功条件
1.妖の撃破
2.なし
3.なし
ピエロギです。今回はシンプルな戦闘ものでお送りします。
このシナリオでは、敵を全て撃破するまで、キャラの発するセリフが聞こえません。
戦法や立ち回りに工夫を凝らして戦ってみて下さい。


カラオケ店でのプレイングについては、著作権に抵触する歌詞等は引用できません。
あらかじめご了承ください。

●シチュエーション
京都府内のとある街中に妖化した巨大セミが出現しました。
妖の公害クラスの鳴き声によって都市機能はマヒ寸前です。直ちに排除をお願いします。
現地はビルの立ち並ぶオフィス街で、時刻は昼。妖は歩道の両脇に並んだビルに張り付いています。

現地はセミの鳴き声に覆われ、音声でのコミュニケーションは極めて困難です。
また、妖の能力により、送受心による意思疎通も困難となります。
妖が生存している状態で発した台詞は(このように表記され、他人には聞こえません)。
ただし、口の動きを読み取ることは可能です。

●敵
巨大セミ × 6 (前2:中2:後2)
大型観光バス並みの体躯を誇る巨大なセミ。ランク2の生物系です。
浮遊能力を有しており、ビルの谷間を縫うように飛んで攻撃してきます。

この妖は、翅の部位破壊が可能です。翅を破壊された場合、浮遊能力を失います。
ただし、鳴き声による障害は翅を破壊しても収まりません。

使用スキル
・羽ばたき(自単【浮遊】)
・謎の液体(物遠単【混乱】)
・大音声(物全【ダメージ小】【解除】)
状態
完了
報酬モルコイン
金:0枚 銀:1枚 銅:0枚
(1モルげっと♪)
相談日数
7日
参加費
100LP[+予約50LP]
参加人数
6/6
公開日
2017年07月18日

■メイン参加者 6人■

『見守り続ける者』
魂行 輪廻(CL2000534)
『探偵見習い』
賀茂・奏空(CL2000955)
『獅子心王女<ライオンハート>』
獅子神・伊織(CL2001603)
『残念な男』
片桐・戒都(CL2001498)


 茹であがるような真夏のひととき。
 人と車で賑わっていたオフィス街は、セミ妖の轟声によって音の地獄と化していた。

 ビビビビビビビビビビビビビビビビビビビビビビビビビビビビ。
 ギギギギギギギギギギギギガガガガガガガガガガガガガガガガ。
 ギリギリギリギリギリギリギリギリギリギリギリギリギリギリ。

 腹の鼓膜器官を太鼓の弦のように鳴らしながら、ジェット機が霞むクラスの騒音を四方八方にまき散らす妖たち。そんな彼らを、
――なんてデカさだ。冗談みてぇだな。
 『花屋の装甲擲弾兵』田場 義高(CL2001151)が指差して、苦笑交じりにハンドサインを送った。
(こいつはもう、許す許さないの問題じゃねぇよなぁ?)
 さっさと奴らを元に戻して平和な夏を取り戻そう。そんなことを考えながら、義高はギュスターブの柄をギュッと握りしめる。
(な……何ですの、この公害は!? こんな騒音では私の歌が聞こえないではありませんか!)
 一方、『獅子心王女<ライオンハート>』獅子神・伊織(CL2001603)はあまりの騒音の凄まじさに、イヤーマフを持って来るべきだったと本気で後悔していた。
(セミの合唱……これはやりすぎですわ! 即刻排除しなくては!)
 間近に浴びる鳴き声は、公害という言葉が可愛く思える代物だ。小さな音も聞き逃さない自慢の猫耳が、こんな時は恨めしい。
(蝉時雨って言葉はあるけどさー。これじゃ情緒も減ったくれもないよね?)
 楠瀬 ことこ(CL2000498)が、ぷくう、と頬を膨らませて頭上のセミを睨みつける。
 セミの鳴き声が時雨なら、妖のこれはさしずめ洪水。人も獣も見境なく無慈悲に押し流す濁流だ。
「『ギギギギギギギ』ーー! な『ガガガガガガガガ』の『ギリギリギリギリギリ』ーーい!」
 両手を口に当て、大声を振り絞ることこ。やはり言葉でのコミュニケーションは難しそうだ。肩で息をして、「うわーなにこの鳴き声うるさい」とハンドサインで悪態をつく。
(ところで、ちゃんと楽器は使えるよね?)
 愛用のギターを小さく爪弾くと、道端の街路樹がわさわさと揺れた。音は聞こえないが攻撃は出来るらしい。きっと可聴域とか周波数とか難しい理由に違いないと、ことこは結論付けた。
(セミってあんなに大きかったかしらん? 五月蠅、なんて可愛いものねん)
 かたや、そんな音の暴力をものともせずに『悪意に打ち勝ちし者』魂行 輪廻(CL2000534)は艶然と微笑みを浮かべていた。食虫花を連想させる、危険を孕んだ笑顔だ。
(いけないセミさんには、お仕置きが必要ねん♪)
 はだけた着物から白い肌を覗かせて、愛刀の廓舞床を抜き放った。新体操のリボンめいてしなる刀身が、太陽の光を反射してキラリと輝く。
(うっわぁ……これだけ、音が大きいとホントに何も聞こえないねー!)
 妖を見上げる『残念な男』片桐・戒都(CL2001498)の表情は、どこか楽しげだった。
 彼は先ほど、ことこが大声を張り上げるのを見ていて、ひとつの企みを思いついたのだ。
(どんな大声も聞こえない、か。だったらここは、言うしかないよね!)
 すうと息を吸い込んで、戒都は胸の内を吐露する。白昼の公道で堂々と。
「『ギギギギギギ』ー! お兄ちゃ『ガガガガガガ』だぞー! 必ず『ギリギリギリギリ』からー!」
 いい。実にいい。
 戒都は大いに満足すると、真顔に戻って妖と対峙した。
(7日間の短い命だもんね。しっかりと元に戻して、セミ生まっとうさせてあげないとね!)
 街の安全のため、これ以上放置はできない。取り出した錬丹書を開く戒都の隣では、ヘッドフォンを装着した『探偵見習い』工藤・奏空(CL2000955)が、ハンドサインで義高、輪廻と会話していた。
――よろしく! 先陣は任せて!
――了解だ。セミファイナルには気をつけろよ?
――セミヌードに見とれちゃうのもダメよん?
――が……頑張るぞー!
 妖に向き直り、KURENAIとKUROGANEを抜き放ち、妖に向かい合う奏空。
 その後ろで、ことこがビシッと妖を指差し、宣言した。
(この後みんなでカラオケで遊ぶんだし! 悪いけど、ちゃちゃっと退治されてね?)
 ことこの言葉に反応するように、妖の視線がギロッと一斉に注がれた。
 先頭の奏空はこれを睨み返し、仲間達にサインを送る。
――行くよ!
 頷く5人の覚者たち。
 宙を浮遊し、妖セミ達が編隊を組んで向かってきた。
 いざ、戦闘開始だ!


 羽音を立てて襲いくる妖に、最前列の奏空が迷霧を発動。日の光も届かないような深い霧が妖の群れを包み込むと、その体を蝕み、弱らせていった。
 こちらを警戒するように地面に降り立った対面の2体を、奏空がKURENAIの切っ先で指し示す。
――俺は、奴らを狙うよ!
――了解よん。加勢するわん、工藤くん♪
 輪廻が廓舞床を薄いリボンのように軽快にしならせながら、回し蹴りで敵前衛の2体を続けざまになぎ払っていく。彼女のメインウェポンは精霊顕現により強化された足腰が繰り出す肉体技。刀はあくまでサブウェポンなのだ。
(まずは、あなた達からねん♪)
 着物の隙間から、輪廻の白く色っぽい足がのぞく。体重を乗せた蹴りが、妖の頭をしたたかに揺さぶり、一瞬後ろへと下がらせる。
(その翅、いただきですわ!)
 輪廻が作ったその隙を、伊織と義高は見逃さない。
 伊織のエレキギターが念弾を乱射した。狙うはビルに張り付いた敵中衛。飛行能力を奪い、連携を阻止するのだ。むき出しの翅に、伊織の念が礫となって浴びせられ、2体がビルから落下した。
――俺は、前列の翅を狙う。
 ギュスターブを握り締め、義高は前列右の妖へと跳躍。威嚇するように広げた妖の翅を、鰐の歯列めいた刃の一閃で切り落とした。妖は浮遊を試みるも、すぐさまバランスを崩して転倒する。
「ビビビビビビビビビビビビビビビビ!」
「ギリギリギリギリギリギリギリギリ!!」
 怒り狂った妖たちは、義高に集中攻撃を浴びせた。バシャッ、バシャッと空を切る音と共に、透明な液体が義高めがけて滝のように降り注ぐ。
 翅を失った妖たちも、大音声で鳴き叫びながら加勢する。地面が振動し、コンクリートにピシピシと浅い亀裂が走ってゆく。
(よくもやったなー! 皆、これで元気になってね?)
 ことこの清廉珀香が6人を包み込み、治癒力を活性化させる。傷が塞がってゆく仲間たちを見て、ことこは確信の表情で頷いた。音波攻撃のダメージは、これで十分フォローできそうだ。
(田場さん! 深い傷は俺に任せて……って、聞こえないんだった!?!)
 戒都の錬丹書がひとりでにめくれ、神秘の力を凝縮した滴が、義高の体を潤していく。
――ありがとよ。
 義高がハンドサインで無事を伝える。鉄心の支えで、混乱を付与されなかったのは幸いだった。
 戦いの切り出しは順調のようだ。敵の半数の飛行能力を奪い、体力も良いペースで削れている。対する覚者側には、目立った損害はなし。
 敵が大きいだけの昆虫ならば、ここで勝負はついていただろう。だが、相手は妖だ。セミ妖たちは怒りを掻き立てられたように、左右の複眼をギラギラと光らせ、いっそう大きな鳴き声で覚者たちへ向かってくる。
(ファイナル禁止! ダメ、ゼッタイ!)
 あのサイズでセミファイナルが来たら――脳裏をよぎる想像を奏空は振り払い、敵前列の状態をエネミースキャンで観察した。輪廻と義高の攻撃を受けた個体が弱っている。
(いっくぞー! さっさとやられちゃえー!)
 奏空がKURENAIとKUROGANEを空高く掲げると、空に暗雲がたちこめた。音もなく降り注ぐ雷を浴びた妖たちが関節から黒い煙をあげて悶絶する。
 奏空に狙われた妖が、外骨格の隙間から灰色の煙を吹き出し、ボン、と消滅。元のサイズに戻ったセミが、怯えるようにその場を飛び去った。
「あなたも、これでトドメよん♪」
 タンッ。
 着物を振り乱しながら、輪廻が跳躍。流れるようなステップでセミの両前脚を拳の連撃で砕き、倒れたところへ眉間の単眼めがけて正拳突きを見舞う。輪廻の奥義、天涯比隣だ。
 たまらず妖が悲鳴をあげて煙と共に消滅。小さいセミがパタパタと戦場を飛び去ってゆく。
(残り、4体ねぇん♪)
――グッジョブだぜ、魂行。
 ハンドサインで賞賛する義高。だがそこへ、すぐさま中衛の2体が競り上がってきた。
(随分と必死なことだ。セミも鳴かずば討たれまいに……ってやつかな?)
 念弾で羽を破壊された2体に、義高が跳躍。斬・二の構えで切れ味を増したギュスターブが、歓喜するかのような残酷な輝きを放ちながら、妖を切り裂いてゆく。
「ギギギギギギギギギギ!」
 外骨格を切り裂かれ、悲鳴を上げて暴れ狂う妖。仲間の3体も必死の勢いで抵抗を示す。謎の液体を撒き散らし、大音声で鳴き叫び、覚者を追い払わんと攻撃する。
(もー。さっさと片付けちゃおう!)
 ことこがギターの弦を奏でると、後衛の妖を巨大な蔦が覆いつくした。木葉舞で強化された一撃は強烈で、妖はたまらず転倒。好機とみた伊織が、烈波でその翅を狙って打ち抜く。
(弱ってきてるね。こいつの出番かな?)
 戒都が右手をかざすと、冷気を帯びた大気から電柱のように巨大な氷柱が生成射出され、射線上の妖を次々貫いてゆく。前列の妖は耐え切れず、足掻くように足をびくびく振るわせて消滅した。


 戦いは後半戦へともつれ込んだ。
 残る敵は、前衛1体に中衛2体の計3体。奏空が狙うべきは、どいつか? エネミースキャンが導き出した答えは、前衛の妖だ。
 KURENAIが煌めき、KUROGANEが光る。左右に薙いだ二閃の光が、妖の両目を切り裂く。
 妖は悲鳴を上げて水切り石のごとくアスファルトの上をリバウンドしながら、道路の上を滅茶苦茶に暴れまわる。浮遊能力を失っても、セミの身軽さは健在だ。
――押し込もう!
 奏空が天高く、拳を二度突き上げた。突撃の合図だ。
 輪廻が、義高が、ことこが、伊織が、戒都が、一斉に攻めに転じる。
(そろそろ終わりにしましょうねん♪)
 タン、タン、と軽快なリズムで輪廻がセミへと駆け寄る。着物の裾を振り乱し、捻りを加えた三連の回し蹴りが、セミの脚を払い、転倒した眉間に二度三度とめり込む。
「ギリギリギリギリギリギリギリ!!」
 断末魔の呻きをあげて、4体目が消滅した。
 アスファルトを蹴り義高が突進。腰に溜めた力をギュスターブに乗せ、一気に振り下ろす!
(うおおおおおおおお!!)
「ガガガガガガガガガガ!!」
 脇腹を切られ、体液を派手にまき散らしながら、妖はなおも大音声をまき散らす。ビルのガラスが次々と砕け散り、粉雪めいた破片が覚者達の頭上に降り注ぐ。
 だが覚者達は構わず攻め続けた。立て直す時間など与えない。ここで決着をつける!
(いーかげん、元にもどって! うるさい!)
(さあレグルス、奏でなさい! チェスト―!)
 妖の1体が緑の蔦に絡め捕られた。必死にもがいて脱出を図るも、棘に体の自由を奪われ、みるみるうちに妖の体が蔦に覆われてゆく。バキバキという外骨格を砕く鈍い音とともに煙が噴き出し、蔦の隙間から小さなセミが飛び去った。
 伊織が相棒のエレキギターを構え、猛の一撃で最後の1体を襲う。ギターコードのラッシュを浴びた妖は、吹き飛ばされてバウンドしながら、道端のビルに激突して動かなくなった。
「ギ……」
(やったか!?)
 目を輝かせた奏空が妖にそっと忍び寄り、KURENAIの切っ先でつんつんと妖を突く。
 妖は動かない。死んだのか? Vの字に開いた妖の脚を見て、ふと奏空は嫌な予感を覚える。
(あれ? そういえばセミって死ぬと、電車のパンタグラフみたいに脚を折りたたむはず――)
 そう奏空が思った、次の瞬間。
「ジジジジジジジジジジジ!!」
(セミファイナルだーーー!!)
 意表を突かれ、僅かに奏空の反応が遅れる。謎の液体が発射されるのとほぼ同時、戒都がとっさに発動した氷柱が妖の腹を貫いた。それがとどめだった。最後の妖は無害なセミ本来の姿を取り戻し、未練がましく鳴きながら道端の街路樹へと消えていった。
「ああ、びっくりした……」
 安堵のため息をつき、奏空はヘッドフォンを外した。幸い、最後っ屁によるダメージは受けなかったが、服の方は無事では済まず、上着がビッショリと濡れてしまった。奏空は替えの服を持って来ていない。どうしたものかとタオルで体を拭いていると、ことこが目を輝かせて話しかけてきた。
「工ー藤くんっ! 服、貸してあげようか?」
「ほ、本当に!? ありがとう!」
 奏空の顔がぱあっと明るくなった。これで皆とカラオケに行ける。そんな奏空に、ことこは天使のような笑顔でうんうんと頷くと、「お店で着替えてね」と言い添えて服の包みを手渡した。
「じゃーみんな、カラオケ行くのだー!」
「そうねん。紫外線は肌に悪いし、ねん♪」
「セミの声が暑苦しいよー。早く涼しい所に行こー」
 覚者たちが後にしたオフィス街に、ふたたび人と車の賑わいが戻り始めた。真夏の日差しを煽るように、街路樹のセミたちはいつまでも蝉時雨を奏でていた。


 戦いが終わればお待ちかね、カラオケタイムである。
 静かで冷房の効いた店内はまさに極楽。戒都はソファに深々ともたれ、傷ついた体を労わった。
「いやー素晴らしい! 疲れが吹っ飛ぶね!」
「はーい、皆さんちゅーもーく! 本日のヒロインのご登場だよー♪」
 ドアを開けて入ってきたことこに、仲間たちの視線が注がれた。ことこはにこにこ微笑んだまま、「こっちこっち」とドアの外で手招きする。誘われるように入ってきたのは――フリフリのアイドル衣装を着た奏空だ。
「……み、みんなよろしくね!」
 ややぎこちない笑顔で、奏空がスマイルを送る。女装の場数はそれなりに踏んでいる奏空だが、注目されれば緊張も感じてしまう。そんな彼を励ますように、ことこがポンと背中を叩いた。
「だいじょぶ可愛い! それを着てきゅるん☆って歌おう!」
 ことこがグッ、とサムズアップを送った。彼女に言わせれば、奏空の装いはとても似合っている。体系、顔つき、体のライン、骨格……どれもが見事に調和して、全く申し分ない。
「それじゃ、皆よろしくねー! おいしーもの食べながら、楽しくすごそー!」
 マイクをビシッと掲げることこに、仲間達がワッと歓声を上げた。
「お疲れ様。セミの声を聴いたからかなぁ、余計に暑く感じるよねー」
「ああ。蝉の声もああなると、暑苦しさを飛び越えんだなぁ……」
 冷えたドリンクをあおる戒都と義高が、ふうと溜息をついた。炎天下で酷使した体が、隅々まで冷えわたっていくのを感じる。
「ポテトと、シーザーサラダと、焼きおにぎりと……何がいいかしらねん♪」
 輪廻は先ほどから、メニューを手繰っては嬉しそうにあれこれと迷っている。戦いで体を動かした後ともなれば、空腹も一入だろう。まして輪廻はかなりの大食いだ。
「ハナの露払いは私が務めますわ! 私の! 歌を! 聞きなさ~~~い!」
 伊織はマイクを受け取ると、キラキラの笑顔で歌い始めた。伊織がアイドルを目指すきっかけになった、とある有名なアニメソングだ。カラオケに来たら、これだけは外さないと決めている。
「~♪ ~~♪♪」
 アイドルオーラ全開で歌う伊織。さすが本職というべきか、なんとも堂に入ったものだ。リズムに合わせた義高と戒都の手拍子を浴びながら、伊織は奏空にちらりと視線を送る。
(さて。トリに向かって思いっきり盛り上げますわよ)
 場のムードが良い感じに盛り上がったのを肌で感じ取ると、伊織は高らかに宣言してみせた。
「さあ楠瀬さん! 工藤さん! 歌いますわよ!」
「は~い! 楠瀬ことこ、よろしくね~!」
「く……工藤奏空! よろしくね~!」
 伊織に促され、ことこが、奏空が、マイクを手に歌を披露してゆく。
(楠瀬さんに、アイドル衣装の工藤さん。あの二人とでユニット結成……なんて、うふっ)
 そんなことを考えながら、内心で深く頷くのだった。
 アイドルオーラを発散し、豊かな声量で歌うことこ。対する奏空は、愛嬌を前に出して歌っている。もしかして、歌唱にあまり自信がないのだろうか。伊織はそれを見て、
(ううん……工藤さん、もったいないですわね)
 伊織は奏空の歌を、いささか惜しいと感じていた。先程からスマイルでアピールしているが、歌がいまいち乗っていない。緊張のせいで、自然体の勢いにブレーキがかかっているようだ。お節介とは知りつつ、伊織はそっと奏空に声をかける。
「工藤さん、歌は上手い下手ではありませんわ。心を込めて歌うことですわ」
「そーだよ。みんなで楽しめるって言うのが大事だって、ことこも思うんだよ」
「え? え?」
 両脇から挟むように話しかけられた奏空が、伊織とことこを交互に見やる。恥ずかしさに拍車がかかったのか、奏空の顔がぼおっと赤くなった。
「今の気持ちを、声に乗せて歌ってごらんなさいな。私達がちゃんと聞いてあげますわ」
「あげますよー! 夏はこれから、たっくさん思い出つくらなきゃだもんねっ!」
「だ、そうだぜ。楽しく歌えりゃいいんだ」
 恥ずかしがる奏空に、手拍子を打ってフォローを入れる義高。隣の戒都も「よおっ」とタンバリンをシャラシャラと鳴らして応援に加わった。
 ほんの少しの逡巡の後、意を決したように奏空が口を開く。それを待っていたように、
「はい、みんな笑ってねん?」
 パチリ。輪廻のカメラが、宴の一幕を切り取った。

 暑い太陽、セミの声。カラオケ店での楽しいひと時。
 皆の夏は始まったばかりなのだ。

■シナリオ結果■

成功

■詳細■

軽傷
なし
重傷
なし
死亡
なし
称号付与
なし
特殊成果
なし



■あとがき■

ピエロギです。
あとがきとか物凄く久しぶりの気がする。

依頼の結果は「成功」でした。
楽しんで書いているのが伝わってくるプレイングばかりで、私も楽しく書かせていただきました。
MVPは、戦闘にカラオケにと、皆の人気者として大活躍した工藤・奏空さんにお送りします。

暑い夏はこれからが本番、どうか皆さんもお体にはお気をつけ下さい。
シナリオ参加、お疲れさまでした。




 
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