≪神器争奪戦≫悪意ある施し
≪神器争奪戦≫悪意ある施し



 昼間だと言うのに妙に薄暗い印象を受ける雑木林。
 そこは昔から通り魔がよく出ると地元住民から避けられて来た場所だった。
 いつ頃からか神隠しが起きるようになり、雑木林は祟られていると言う噂が広がって怖いもの知らずが入って行った事もあるが、誰も帰って来なかった。
「中てられたとは言え、随分と大喰だな」
 青年が望遠鏡で見る光景は凄まじいものだった。
 木の枝や幹には食い散らかされた肉が引っかかり、辺り一面は血生臭い空気に満ちている。
 真っ赤に染まった口元をべろりと舐めたのは緋色の長い体毛に人間のような顔を持っている妖だった。
 そして散らばった肉片の中に混じっているのは「人」と言う字を意匠化させた新人類教会のシンボルマーク。
 今や原型をとどめないほどに食い散らかされているのは、新人類教会の戦闘員だった。
「少しは使えるかと思ったが、これでは餌にしかならないか……」
 青年、石動 至恩(いするぎ しおん)は望遠鏡をずらして妖の長い毛に絡まっている黒瑪瑙の欠片のような石を見た。
 至恩はあれをずっと捜していた。ここにある事を突き止めたはいいものの、妖の住処になっていたために限られた手駒を無駄に消費するわけにはいかず今まで手を出せなかったのだ。
 宗主直々に過激派の戦闘員を使っていいと言われ漸く攻略に取り掛かったわけだが、結果は御覧の有様だった。
「餌がもう少しやれば腹がくちくなって大人しくなるか……」
 まるで飼っている魚に餌を与えるような気楽さで、至恩は外で哨戒にあたっている戦闘員に指示を出した。
「妖は神器を手放す気はないようです。全員であたりなさい」
 指示を受けた戦闘員達は恐怖も疑問も持たず、自分達が餌と扱われていると気付かないまま妖に食われていく。
 望遠鏡越しにも骨を砕き血をすする音が聞こえてきそうで、その光景を見ていた至恩は無意識に舌なめずりをした。


 新人類教会と呼ばれる組織がある。
 表向きは覚者および覚者事件における被害者の保護を理念とし、その為に生活支援や養護施設の経営、関連企業への就職斡旋まで行っている。彼らは覚者を『新人類』と称して、手厚く保護する活動をしていた。
 構成員の多くは源素を使えない普通の人で、宗主の指導の元に幅広い活動を行う宗教団体だ。
『新人類はその能力故に旧人類に恐れられ迫害されてもいる。彼らを守り育てる事が教会の使命の一つである』
『新人類を迫害する者達を許してはならない。教会は未来の平和のため自らの身命を賭して新人類の敵と戦うべし』
 その理念の元に武装していることもあるが、構成員の多くは武装を持たないただの人である。
 だが昨今、教会内は過激化する世情に合わせて武装を強化する『過激派』と、それを止めようとする『穏健派』に分裂してきていた。
 そして五月某日に動き出した『過激派』。
≪教化作戦≫ともいえる一大蜂起は、しかしFiVEの手により阻止される。虎の子の覚者部隊まで打たれて大打撃を受けた『過激派』は、その作戦を大きく遅らせることになった。
 その際に手に入れた『メモリーカード』より、彼らが行う『洗脳』とそれに必要な『神器』の存在が明らかになる。
 協会が複数所有し、さらに全国に散らばる『神器』。
 それを求めて新人類教会の『過激派』が動き出す。
 そして教会の動きを知ったF.i.V.Eもまた、新人類教会との新たな戦場に向けて動き出した。

「新人類教会に新たな動きがありました」
 久方 真由美(nCL2000003)は新人類教会の動向と、新たに判明した『洗脳』と『神器』に関する事をかいつまんで説明した。
「神器がなんであるのかは分かりません。F.i.V.E.は神器の解析のため、何より新人類教会に神器を渡さないために神器の奪取を決定しました」
 神器の情報については新人類教会との戦いの切っ掛けとなった『内部告発者』や『協力者』からも提供されており、夢見の中でも神器の事を知った者がいる。それらの情報を合わせ、神器の位置を特定したのだ。
「その中の一つを皆さんにお任せしたいのです」
 真由美がスクリーンに表示したのは薄暗い雑木林の映像と、その雑木林がある付近の地図だった。
「この雑木林には昔から通り魔が出たり神隠しが起きたりと噂が立てられやすい状況でしたが、実際には噂などではなく本当に妖が潜んでいたのです」
 そしてこの住処こそ『神器』があると判明した場所である。
「この情報は教会の内部告発者から届きましたが、夢見の予知でもこの場所と妖の姿が確認されています」
 予知に現れたのは緋色の体毛に覆われた大猿にも似た妖。顔は人と同じだが、凄まじい怪力と強靭な歯と顎でおそらく神器を回収しに来たであろう新人類教会の戦闘員を悉く引き千切り食い殺したと言う。
「この戦闘員を指揮していると思われる人物も確認しています。場所が離れていたので人相まではよくわからなかったそうですが、内部告発者からの情報から新人類教会宗主の側近であり、所謂裏の仕事を総括している人物だと思われます」
 名は石動至恩。宗主石動久遠の孫であり、表向きは高齢の宗主の主治医兼秘書として、裏では過激派の活動に必要な諜報活動や汚れ仕事を請け負う部署を指揮している人物との事だ。
「皆さんが現場に到着した時、教会の戦闘員は全員死亡しているでしょう。石動至恩の方ですが、彼は戦闘能力がないそうです。こちらがあえて接触しなければ戦いの様子を観察した後何もせず去ると思われます」
 探し出して捕らえると言う事も考えられたが、問題になるのが妖の存在だった。
「妖は非常に強力です。怪力かつ身軽で雑木林の木の上を自在に移動し、人を惑わせる力も持っています」
 二兎を追えば一兎も得られないどころか手痛いしっぺ返しを喰らうかもしれない。
「皆さん、どうか無事にこの任務を成功させて下さい」
 そう言って真由美は覚者達に向かって頭を下げた。


■シナリオ詳細
種別:通常(EX)
難易度:普通
担当ST:
■成功条件
1.妖の撃破
2.神器の回収
3.なし
 皆様こんにちは、禾(のぎ)と申します。
 新人類教会が求める『神器』とは。
 妖を倒し、見事『神器』を手に入れて下さい。

●場所
 町の外れにある雑木林。周囲は資材置き場や空き地で民家は大分離れた所にあります。昔から危険な場所だと言われ人気はありません。到着時間は昼過ぎあたりになります。
 雑木林は不思議と日の光が届かないためかなり薄暗いです。明かりを持参した方がいいでしょう。
 妖は雑木林の中央で教会戦闘員を食い殺している最中で、血の臭いや音で場所は十分わかります。
 雑木林は木が多いですが、地面は苔に覆われて木の根にさえ気を付ければ大丈夫です。

●人物
・教会戦闘員
 妖に食われており、到着する頃には全滅しています。
 原型を留めない状態にされており、周囲には血や「部品」が飛び散っています。

・石動 至恩(いするぎ しおん)/男/一般人?
 白衣を黒くした衣服を着て雑木林のどこかで妖の様子を観察しています。
 戦闘能力はないと言う事ですが、夢見の予知で戦闘員を餌として扱い食われる様子を見て笑ったいたと言います。
 こちらから捜して接触しようとしない限り、何もせず去って行くでしょう。

・猩猩飛/妖/動物系ランク3
 身の丈2m以上ある大猿に似た妖
 長い手足と人間の顔を持ち、顔と手足の先以外は緋色の長い体毛に覆われている
 胸元あたりの体毛に黒瑪瑙の破片のような石が絡みついています。新人類教会の狙いはこの石のようです
 物理攻撃能力と反応速度が高く、下手に捕まれたり噛まれたりすると肉がこそぎ取られるでしょう
 状態以上攻撃もしてくるため注意が必要です
 食べるのに夢中になっていると周囲の警戒がおろそかになっているので、気付かれないよう近付けば先制攻撃が可能です

・スキル
 ひとくち(近単/物理ダメージ+出血)
 張り手(近単/物理ダメージ)
 猿鳴き(敵全/特攻ダメージ+混乱)


 情報は以上です。
 皆様のご参加お待ちしております。 
状態
完了
報酬モルコイン
金:0枚 銀:1枚 銅:0枚
(0モルげっと♪)
相談日数
6日
参加費
150LP[+予約50LP]
参加人数
8/8
公開日
2016年10月26日

■メイン参加者 8人■

『独善者』
月歌 浅葱(CL2000915)
『居待ち月』
天野 澄香(CL2000194)
『花守人』
三島 柾(CL2001148)
『在る様は水の如し』
香月 凜音(CL2000495)
『もう一人の自分を支えるために』
藤 零士(CL2001445)


 薄暗い雑木林は中に入れば入る程日の光が遠くなって行くような錯覚を覚える。
 木々の間から木漏れ日が見えたりするのだが、薄暗い中で日光を求めて競い合うように細長く伸びた幹や枝葉を歪に見せ、湿った空気と地面を覆う分厚い苔が尚暗い印象を与えていた。
「新人類教会……頭の沸いた連中ばかりだ。俺から言わせれば、化け物の巣窟だな」
 切裂 ジャック(CL2001403)は忍び足で足音を消して歩きながら吐き捨てる。
 フードと前髪で少し隠れた顔には激しい嫌悪すら浮かんでいた。
 この雑木林の中で起きている事は夢見の予知で聞かされており、そのあまりにも残酷で胸が悪くなるような行いは全員が知っていた。
「「前から胡散臭いと思っていた団体が、面倒事を持ってきた」としか思えねー」
 香月 凜音(CL2000495)が緑の瞳を細める。いつもどことなくやる気がなさそうに見えるのだが、いつになくうんざりして見えるのは気のせいではないだろう。
「周囲に被害を与えることなく共倒れしてくれりゃ楽なのにねぇ……」
 非道な新人類教会の行いには流石に辟易していた。
 彼が言うように新人類教会がただの新興宗教組織ならこんな大事にはならなかっただろう。
 しかし、新人類教会はただの新興宗教組織ではなかった。
 急速に力をつけた教会は武装化と暴徒化の一途を辿る。穏健派と過激派の派閥で意見が対立。穏健派の意見に反発する過激派はますます暴徒化し、五月には「教化作戦」と呼ばれる大々的な武力行動まで起こしたのだ。
「新人類協会の企みは分かりませんが、一つ一つ止めるのみですっ」
 月歌 浅葱(CL2000915)の白いマフラーが湿った風になびく。
「石動至恩が隠れていそうな場所を特定できなかったのは残念ですがねっ」
 実の所、浅葱だけでなくジャックもこれから見る事になる凄惨な現場を作った元凶、石動至恩を捕縛する事を狙っていた。
 しかし、地元の人間に恐れられ避けられ続けたこの場所に小屋などは発見できなかった。
 周囲の資材置き場や空き地にはちょっとしたプレハブ小屋があったものの、そこから雑木林を見ようとしても木と暗がりが邪魔になって見えない。
「あれこれ手を出して、何もできませんでしたじゃ話にならん。まずは確実に妖を倒さねばな」
 凜音は浅葱とジャックにそう言って宥めた。
 回収しなければならない『神器』は妖が持っているのだ。
「あれは……」
 歩いている途中、七海 灯(CL2000579)の橙の瞳が雑木林にあるには不自然極まりない物を発見した。
 周囲を見回して恐る恐る近付く。暗闇が苦手な彼女にとって、できる限りの隠密行動をと僅かな明かりすら抑えたこの状況は辛い物があるらしい。
 盛り上がった苔の山と山の間に挟まっていたものを拾い上げる。 
「「人」の字の意匠…新人類教会のシンボルマークですか……」
 それはプロテクターの一部と思われる破片だった。黒字に刻印が入っている新人類教会の戦闘員がよく装備している物だ。
 しかし頑丈なはずのプロテクターは恐ろしい力でひしゃげて砕かれ、シンボルマークも前もって知っていなければ分からなかっただろう。
 灯はプロテクターの先を超視力を使って探る。
 地面にプロテクターの破片と思われる物がいくつか転がり、更に先へと目をこらすと苔が抉れた地面に点々とついた血の跡が増えていく。
 その時を見計らったかのように風向きが変わった。

 ぱきん、ぼきっ……。
 ぶちぶち……。

 微かな音と共に覚者達に向かって流れて来たのは濃い血の臭い。
 この先で何が起こっているのかは全員が知っている。
 覚者達はこの雑木林にあると言う神器を回収するために来たが、新人類教会も同じ目的でこの雑木林に入っていた。
 しかし、彼らを迎えたのは雑木林に棲み付く妖だったのだ。

 べきべき……ぶちり……。
 くちゃくちゃ……。

 近付けば近付くほど、何かを砕き咀嚼する音と血の臭いは濃くなって行く。
 周囲の木々や地面に落ちる砕けたプロテクターやへし折られた銃器に、血まみれの何かが混ざっている。
「これは……」
 聴覚を強化し暗視も使っていた三島 柾(CL2001148)はより早く正確に暗闇に隠れている光景を目にしてしまい、言葉を失っていた。
 偵察を行おうにも枝葉が絡み合うために上空から雑木林の様子を見る事ができず、聴覚と暗視に頼ったがために、誰よりも先にそれを見る羽目になってしまった。
「すごい臭い……」
 納屋 タヱ子(CL2000019)も鋭敏な嗅覚が雑木林の緑匂いを圧倒する臭気を感じていた。

 ぐはぁ……。

 ため息のようにも獣の唸り声にも聞こえる音。
 足音だけでなく呼吸すら殺して近付いた覚者達の目の前に、地獄絵図が広がっていた。
「なんて、むごい……」
 天野 澄香(CL2000194)はあまりにも凄惨な光景に目眩を覚えた。
 少女のようにあどけない顔は吐き気と怒りと悲しみに血の気を失い強張っている。
 夢見の予知は聞いていた。酷い光景だろうと誰もが想像していた。
 しかし、食いちぎられた肉片や元は人間の部位であったものが飛び散って枝から下がり、骨すら砕かれ元がどんな形だったかわからないような”食べ残し”と赤い水たまりを作った光景など、誰が正確に描いていただろうか。
 例え想像できていたとしても、実際に色と臭いも鮮やかな現実として突き付けられた衝撃は凄まじい。
「あれが猩猩飛……」
 口元を押さえながら藤 零士(CL2001445)はこの地獄絵図を作り出した妖の姿を目に焼き付ける。
 巨大な猿に似た体は緋色の体毛で覆われ新人類教会の戦闘員「だった」肉をむしる手の指は長い。
 顔は人間に似ていると言うが、発見されないよう背後に回ったこの位置からは確認できない。
「酷い……こんなやり方、まるで猩猩飛に人間を食べさせる為に戦わせたみたいじゃないですか……」
 タヱ子の長い三つ編みが震える。
 風で不規則に揺れているだけだろうが、周囲の有様とそれを引き起こした張本人――戦闘員達が妖に食われるのを承知でこの死地に送った新人類教会宗主の側近、石動至恩に対する怒りを体現しているかのようだった。
 八人が神器を回収し持ち帰るのが一番の目的だった。
 だが、目の前の残虐な行いとこれをあえて起こした非道が何よりも先に妖の討伐へと駆り立てる。
 全員が同じ思いで互いに目配せし、各自が戦う前にできるだけの準備を行った。

 ばきん。

 骨をへし折る音が一際大きく響く。
 木立から一斉に八人が飛び出し、最初に猩猩飛に襲い掛かったのは灯の両手に携えられた鎌の刃だった。
 長い緋色の体毛に覆われた肉が切り裂かれると、その傷口を広げるかのように柾の炎を纏った拳がめり込んだ。
 激しい痛みに猩猩飛が振り返り、灯と柾を振り払おうと長い両手を振り回した。
「ぐっ……!」
 脇腹に入った衝撃に二人の息が一瞬詰まる。
「ふっ、注意一秒怪我一生っ、獣性が命取りですよっ」
 白いマフラーはためかせ、浅葱の小柄な体が信じられない勢いで自分の倍はある猩猩飛を投げ飛ばす。
 そこまできて漸く自分が襲撃を受けたと理解した猩猩飛は地面にあえて派手に転がって痛みを軽減し、一跳びで雑木林の上に跳び上がった。
 細い枝が何本か折れるが、長い指を備えた両手足で幹ごと握り締めて体を固定する。
 陽光を背に見下ろしてくる顔は確かに人間に似ていたが、それが余計に不気味に見える。
「ここからはガチで勝負だな」
 木の上から見下ろす猩猩飛は逃げるためでなく襲い掛かって人数を確認するためだった。
 猩猩飛と目が合ったジャックが手の中に氷が生まれ、瞬く間に氷の柱となって貫く。
「初戦闘…大きな戦闘になりそうだが、足手まといにならぬよう尽くす」
 零士が意識を集中するように目を閉じて纏霧を呼び出した。
「こいつの代わりに俺がなんとかしてやらねぇと。まだ子供だから、な…」
 目を開いた零士の雰囲気はゼロと名乗る者へと変わっていた。
(人を食べさせる事が目的だったり…私達を呼ぶ事が石動の目的ではないですよね……?)
 タヱ子はふと頭に過った考えをまさかと振り払い、戦巫女之祝詞で自身を強化する。
 先制攻撃はある程度成功したが、期待したほど大きなダメージは与えられなかった。
 ランク3の妖。手強いが決して敵わぬ相手ではないとタヱ子はシールドを構える。
「ふむ……」
 その様子を観察している者がいた。
 石動至恩――この地獄絵図の元凶は新たな闖入者が全員覚者である事を知ると、双眼鏡から目を離してしばし考え込む。
 白衣を黒く染めたような服に手を置き、もう一度双眼鏡を覗き込む。
「まあよかろう。負けるならそれまで。だが、ただ見ているのもつまらんな」
 にまりと笑う至恩の目は猩猩飛の体毛に絡まった黒瑪瑙の欠片を見詰めていた。


 物理的な攻撃力すら備えた猩猩飛の鳴き声が耳を劈き脳を揺らす。
「ぐ、がっ……」
「頭が……」
 ジャックと零士が膝を着く。
「二人ともしっかりして下さい!」
「今治してやる」
 澄香と凜音がすぐに以上に気付いて治癒を試みる。
「その不愉快な声を止めなさい!」
 灯が駆ける勢いに任せて幹を駆け上がる。
 猩猩飛に向かって鎌を投擲するが、二つの鎌が届く前に巨体に似合わぬ身軽さで別の木に飛び移られてしまう。
「そこだ!」
 猩猩飛が飛び移る瞬間に方向を見極めていた柾が枝ごと刈り取る飛燕を放つ。
 足元からの二連撃は流石に避けきれずに緋色の毛と人間と同じ赤い血が宙に散った。
「浅い……」
 ひらりとまた別の木に飛び移った猩猩飛の顔は怒りと飢えに満ちていたが、傷が堪えている様子はない。
「ふっ、口寂しいなら御馳走を差し上げますよっ」
 拳と言う名の御馳走を大口に叩き込むべく浅葱が跳ぶ。
 何か硬い物がひび割れるような音を立てて猩猩飛の顔が歪み、地面に血まみれの歯が何本か落ちて行く。
「危ない!」
 一撃を食らわせ地面に着地しようとしていた浅葱を猩猩飛の手が鷲掴みにする。
「むっ?!」
 長い指はがっちりと浅葱の胴体を掴み、何本か歯が欠けた口が浅葱に向けて開かれた。
「月歌さん!」
 タヱ子は自身の強化を中断して浅葱を庇おうとするが、あと少し間に合わない。
 ぶちりと嫌な音を立てて浅葱の肩が食いちぎられる。
「離しなさい!」
 間に合わなかった悔しさも込めて頑丈なシールドごと攻撃を叩き込めば、ようやく猩猩飛の手が緩んだ。
「すばらしく頑丈な顎ですねっ!」
「褒めてる場合かよ」
 肩の肉を持っていかれたためにもう片方の腕だけで構える浅葱に凜音の呆れ声と癒しの雫が飛んで来る。
 猩猩飛は口にした肉を咀嚼していたがあまりに少ない量が逆に飢えを加速させた。
 また凄まじい猿鳴きが覚者達の脳を揺らし、今度はタヱ子が混乱する。
「黙らせるぞ!」
「はい!」
 凜音と澄香に回復を任せ、柾と灯が猩猩飛に突撃する。
「援護するで!」
「さっきの分は取り返す!」
 混乱から醒めたジャックが破眼光の呪いで猩猩飛を縛る。
 零士は標的が木の上にいるため双刀ではなくB.O.Tの波動弾を放った。
 呪いで縛られれば避ける事はできず、灯と柾の攻撃をまともにくらった猩猩飛はそのまま地面に叩き落とされた。
 しかし追い打ちを狙おうと駆け寄って行くと待ってましたとばかりに張り手が柾を近くの木の幹に叩きつける。
 そしてまた木の上に跳び上がった。
「どうしても地面じゃイヤってか」
 新人類教会の戦闘員相手なら地面で圧倒していた猩猩飛だったが、八人の覚者を相手にするには少しでも有利な場所にいようと本能的に判断したのだろうか。
 ジャックはただでさえ大きかった猩猩飛を見上げる。
 すると突然背筋に寒気が走った。
 何事かと目を見開くと、猩猩飛の胸元に何か黒い物が絡みついているのが見えた。
「あれが神器ってヤツか」
 大きさは掌ほどだろう。艶やかな黒瑪瑙の欠片のような石だ。
 目を凝らして見ると石の中央、と言うよりも中に何か蠢いている物が見える。
「何故でしょう。見てると気持ちが悪くなります……」
 この場所の酷さもあるだろうが、澄香の胸を悪くするのは全く別のものだった。
 何か、あの黒瑪瑙のような黒いものがじわじわと浸食して行くような、頭にぼんやりと霞が掛かって行くような言葉にできない不快感。
「神器は精神的にも大きく作用するらしいが……猩猩飛の能力や強さも石の要因の一つか?」
 柾は叩きつけられた際に口からこぼれた血を拳で拭い、身構えながら神器と猩猩飛を見上げる。
「それはあるかもな」
 猩猩飛の長い毛に絡む神器。
 単に毛に絡んでいるだけならここまでの戦闘でとれそうなものだ。
「胸元って、その神器まるでお前と一体化しようとしてるみたいやわ……」
「元は違う妖だったのでしょうか」
 ジャックと灯は大口を開けて涎を垂らす猩猩飛の狂ったような目を見る。
 妖は人を害するものだ。神器とは無関係に残虐な妖だったのかも知れない。
 しかし、この妖が起こした惨劇は少なくとも神器がなければ起こらなかった。
「これ以上こんな事をさせない為にも新人類教会の求める『神器』は私達F.i.V.Eが保管しなければなりません」
 混乱の治療を受けたタヱ子が頭を振ってまだ絡みつくような不快感を払う。
「分かっていてやったヤツもどうにかしないとな」
 零士がの言葉に覚者達が頷く。
「ふっ、まとめて打ち砕くのみですよっ」
 目の前にいる妖だけでなく、どこかで新人類教会の戦闘員が無残に食い殺される様も今の戦いも高みの見物をしているはずの男も。
「いい加減下に降りて来い!」
 柾の飛燕を受けた猩猩飛は後方に飛んでダメージを軽減し、長い手足を絡みつかせて別の木に掴まる。
「降りないなら降ろせばいいのですっ」
「もう一度叩き落とします!」
 浅葱と灯が木の幹を駆け上がり、猩猩飛に挑み掛かった。
 猩猩飛の顔が醜悪な笑みを浮かべる。一度齧った味を覚えているのか、一瞬も迷わず長い手が浅葱に伸びる。
「今度はやらせません」
 肉と金属が激しく打ち合う音。
 別の木から追いかけたタヱ子の盾が猩猩飛の攻撃を受け止めていた。
「私達はあなたの餌にはなりません。おとなしく退治されて下さい……!」
 澄香の声に応えるように種子が猩猩飛の緋色の体毛を突き破って成長し、緋色より鮮やかな血を纏って絡みつく。
「さっさと片付けてこの状態をほくそ笑んで見ているらしい悪趣味野郎を炙りだしてやる」
 直接殴り合っている味方は猩猩飛の攻撃も受けやすい。
 回復層が厚いだけにまだ余裕はあるが、凜音は気力が減り始めているのを自覚し延々とこの戦いを見物しているであろう人物に心の中で悪態を吐く。
 呪いや痺れで猩猩飛の動きを止めたと思えば、猩猩飛があの猿鳴きで味方を混乱させる。
 今の所同士討ちまでは行っていないものの、精神的な緊張は大きい。
 だが待っていた瞬間は訪れる。
「しかし……『いつになったら倒れるんでしょうか』
 猩猩飛から視線を逸らさず言った灯に、他の七人もその時が来たと知った。
「猩猩飛、あなたには私を見ていてもらわないといけないんです」
 ありったけの力を防御に注いだタヱ子が猩猩飛の前に立つ。
 威風堂々とした立ち姿で睨みつけ、仲間に呼びかける。
「早く行って! これくらいの妖なら持ち堪えられます!」
「お願いします。こんな……こんな残酷な事を平気でやるような人物を放ってはおけません」
 澄香が怒りを宿す目で原型もとどめず殺された者達の『残骸』を見る。
 怒りは妖に対してではなく、これを起こした石動至恩に向けられていた。
 事前に位置を特定できそうな情報は特に得られなかった。雑木林に入ってからも石動至恩に辿り着きそうなものは発見していない。
 それでも一か八か、浅葱がそう決意を固めようとした時、思わぬ事態が発生した。


 ぶわっと、八人全員が総毛立ち吐き気を催すような不快感に襲われた。
 頭に霞が掛かる。そんな生易しいものではなく虫に這われるような嫌悪感が走る。
「つまらんなあ。やはり妖一匹では敵わんようだ」
 その声は木の上から聞こえて来た。
 ずるりずるりと何かが這う音が聞こえる。
 油断なく周囲を見回すが、どこから聞こえるのかよく分からない。
 暗闇を見通す者、嗅覚や聴覚を鋭敏化させ探る者、それぞれが声の主を探すが見付からない。
 しかしその言動に全員が声の主が誰か思い至る。
「石動至恩! このキチガイが!」
 ジャックがあえて大声を出して姿の見えない男に向かって叫ぶ。
「黒瑪瑙の正体は? 新人類の目的はなんや?
 お前等結局、新人類ってのはこの黒瑪瑙を使って力を蓄え、本当の意味での食物連鎖の頂点になり世界を牛耳る新人類になりたいちゃうの?」
 効果があればと読心術を使いながら一を探るが、帰って来たのは笑いを含んだ声だった。
「悠長に喋っていていいのか?」
「何っ!?」
 ジャックがそう言うのとその横にあった木に零士が叩きつけられたのはほぼ同時だった。
「零士!」
 急いで駆け寄り抱え起こす。
 零士は意識を失っていたが、何とか意識を取り戻して立ち上がった。
「まだ……まだ倒れねぇからなぁ!」
 歯を食いしばって立る零士を庇うようにタヱ子がさりげなく盾をかざす。
「いきなり何が……」
 猩猩飛の咆哮が轟いた。
 耳を劈き脳を揺さぶるような激しさだったが、混乱をもたらす猿鳴きではなく本当にただの咆哮だった。
 しかし、猩猩飛には劇的な変化が起きている。
「神器が……」
 タヱ子が治療を受けながら黒瑪瑙の欠片を見る。
 中で蠢いていた何かが明らかに大きくなり、胎動が激しくなっていたのだ。
「これは……まさか神器の鼓動なのか?」
 柾の耳には生き物の鼓動のような物がはっきり聞こえていた。
「今度は一体何をしたんですか!」
 澄香が叫ぶ。
 彼女の目は猩猩飛が血走った目や鼻や口から出血し、白目を剥いて叫び暴れ出す姿に釘付けになっていた。
 振り回された手が固唾を飲んでみていた覚者達を手当たり次第に張り倒し、吹き飛ばす。
 勢いあまってぶつかった木の幹を噛み砕き、それでも止まらず喰いしばった歯が猩猩飛自身の力に負けて砕けた。
「おいおい……なんだよこれ……」
 癒しの霧で仲間と自分の傷を癒しながら立ち上がった凜音の足元に砕けた歯が飛んで来た。
 明らかに狂っている。
 洗脳された戦闘員や覚者の中には正気を無くしている者もいた。
 その報告はこの場にいる全員が目にしていたが、猩猩飛の狂乱はそれより酷く思えた。
「生憎この体では戦えんのでなあ。口惜しいが『それ』はやろう。その妖を倒せればの話だがな」
 ずるりずるりとまた音が聞こえる。
「待てっ!」
 柾の聴覚にはその音が遠ざかって行くのが辛うじて分かった。
 しかし、追う事はできない。
 下手に背中を剥ければ滅茶苦茶に暴れ回る猩猩飛か、手当たり次第吹き飛ばされる木に巻き込まれる危険が大きい。
「元々この妖を倒して神器を回収するのが目的だったんです。妖を倒す事に専念しましょう!」
 灯が飛んで来た鋭い木片を避けながら呼び掛ける。
 彼女の目には残り少ない猩猩飛の体力が見えているのだ。
 未練はあれども切り替えて、全員が狂乱の猩猩飛にとどめを刺しに行く。
「私が盾になります!」
 タヱ子が戦闘に立って駆け出す。
 飛んでくる木や猩猩飛の攻撃をすべて防がんと文字通り生きた壁になったタヱ子が仲間を守り、凜音と澄香が次々被弾して行くタヱ子を集中して癒す。
「多分お前は、その黒瑪瑙の力に溺れたんじゃないかって思うんよ」
 ジャックは突然の豹変をそう結論付けた。
 胸元にある神器はよく見れば体毛に絡んでいるだけでなく、体にめり込んでいるようにも見える。
「すまない猩猩飛、ここで終わってくれ」
 氷柱に貫かれた猩猩飛の足が凍り付く。
「また力を借りるぞタツヒサ」
 柾がボクシングのファイティングポーズを取って力を溜める。
 ただ一撃のために気力を注ぎ込み、矢を引き絞る弓のように筋肉を絞り全ての力を拳へ。
「俺達の勝ちだな。神器は頂く」
 一直線に放たれた拳が猩猩飛に突き刺さり、抉り、残りの生命力の全てを吹き飛ばす。
 強力な力は反動も激しく、柾はその場で動けなくなった。
 しかし猩猩飛からの反撃は来ない。
「……これで任務は達したか?」
 零士の声に、柾は反動に軋む顔を上げる。猩猩飛の姿はなかった。
 緋色の毛の一筋すら残さず崩れて消えて行ったのだ。
 後に残ったのは、黒瑪瑙の欠片が一つ。



「これが神器か……」
 ジャックは慎重に近付いて黒瑪瑙の欠片を見下ろす。
 近付くと何とも言えぬ不快感に襲われたが、あの時……猩猩飛が豹変した時と比べると大分ましに思える。
 見れば石の中に蠢くものの胎動も弱まって最初に見た時と同じくらいになっていた。
「ちょっと下がっていて下さい」
 澄香が手を伸ばして神器に触れてみる。
 その瞬間手から駆け上った不快感に思わず飛び離れてしまった。
「……素手で触るのはやめた方が良さそうですね」
 先程「ゼロ」から「零士」へと戻った口調で澄香の反応に溜息を吐いた。
「と言ってもな……」
 凜音は何か包めるものがあっただろうかと懐を探っていたが、ふと周囲に散らばる新人類教会の遺品に目を留めた。
「この際仕方ありません。猩猩飛のあの変貌が神器のせいだったとしたらなるべく危険を減らすべきです」
 凜音の視線を理解したタヱ子がそう言うと、皆で戦闘員の遺品を集める事になった。
 きちんと弔ってやろうにも、それが叶うような状態ではないのだ。
「せめて、人としてして弔ってあげましょう」
 灯が猩猩飛と自分達の戦闘で更に酷い有様になった場所を見回す。
 銃は食べ物と認識してなかったためか、破損していたがそれなりの数が残っていた。
 拾い集めたプロテクターの欠片などを埋めて墓標代わりに銃を突き立てる。
「これは使わせてもらおう」
 凜音は手を合わせてから、上半分が千切れたポーチと誰かがつけていたらしいバンダナを利用して神器を包んだ。
 不快感は変わらなかったが直接触れるよりはましだろう。
「結局、石動至恩の顔も見れませんでしたね」
 声は聞こえたものの、どこにいるのか特定する余裕がなかった。
「あいつ、あえて自分から姿……は現してないけど、俺達を見に来たんだよな」
 ジャックは悔し気に唇を噛む。
 舐められているのだ。
「しかし……石動至恩が現れてからの猩猩飛の豹変と神器のあの変化、やはりこれと石動至恩には何かあるな」
「それは確実ですねっ。洗脳に使われていると言う事ですしっ」
 浅葱にそうだなと頷き、柾とジャックは考え込む。
「なんで神器回収やねんやろ。神器ってのは、たぶん同じ物がいくつかあるのなら全てがそろったときに効果が発生するものていうのが定番の予感がすんねん」
 同じ物を集めて何かが起こる。
 それは何かを強制的に引き起こす物。
 あるいは何か大きな封印が解けてしまう物。
 多くの場合不幸に繋がるものだ。
「いっそ壊した方がいいわ……」
「きっと、何か理由があるのでしょう。もし簡単に壊せる物なら今までこれを封印して来た人もそうしたと思います。
 澄香はそうでなければわざわざ持ち帰って解析しないだろうと考えていた。
 おそらくF.i.V.E.にこの神器の事を報せて来た『協力者』や『告発者』達もそうだろう。……その真意は今だ分からなかったが。
「ともあれ、新人類教会の大事なお宝は手に入ったんだ。戻ろうぜ」
「では、神器は僕が……このくらいさせてください」
 零士は受け取った途端走る怖気を堪えてベルトを握り締める。
「日が沈み始めてますね。気を付けて行きましょう」
 風は冷たく日は短い。
 雑木林を抜ける頃にはもう暗くなるだろう。
 覚者達は痛みと疲労が残る体を互いに気遣いながら雑木林を歩く。
 全力の一撃がまだ響いている柾はふと以前あった事のある人物を思い出す。
「今頃あいつも違う所で奮闘しているんだろうな」
 その奮闘が何に結び付くか、今はF.i.V.E.と共同戦線と言う形になっているがこの先もそうなのか、頭の片隅に浮かんだが、今は神器を無事持ち帰る事が最優先だと振り払った。

 誰もいなくなった雑木林に不自然な物が残されていた。
 それは白衣を黒く染めたような衣服と「人」と言う文字を意匠化した新人類教会のシンボルマーク。
 石動至恩が着ていた物だったが、まるで中身だけ消え去ったような形で苔の上に落ちている。
 もし誰かがそれを発見すれば更に不自然な物を見付ける事になっただろう。
 それは衣服の裏、肌に触れる部分に残された蛇の鱗だった。

■シナリオ結果■

成功

■詳細■

MVP
なし
軽傷
なし
重傷
なし
死亡
なし
称号付与
『真相に近付いた』
取得者:切裂 ジャック(CL2001403)
特殊成果
なし




 
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