糸と鎖
●
――血が、こぼれた。
何処の傷口からも解らないくらい、満身創痍の私は、失いすぎた血液が故に倒れそうになるこの身体を、強引な意志で繋いでいる。
寒くて、痛くて、苦しい。
眠気にも似た意識の喪失は絶え間なく私を襲う。眼前の『彼女』と共に。
「……ねえ」
口の端を緩く上げる。
得物を構えることで精一杯の私には、それがちゃんとした笑顔になっているかの確信は無かった。
「早く起きなよ。私、疲れちゃったからさ」
刹那、槍の如き鋭さで飛来する獣の腕。
ふらつくように身を捻り、辛うじで避けたそれを気にすることもなく、私は軽く苦笑を浮かべる。
――何が足りないんだろう、と。
知らず、胡乱な顔で『彼女』を見る。
妖と戦う私を気遣い、必死に手助けしようとしていた、私の親友だった。
それが今はこうして。我を失い、自らの力に振り回され、破壊を振りまいている。
「……手伝ってくれるって、言ったじゃん」
次いで、二肢。
終ぞ、傷ついた身では避けることなど出来なかった。両足の蹴撃を受け流すことも出来ずに、私はいっそ綺麗に吹っ飛び、背後の壁にぶつかる。
嗚呼、と溜息が漏れた。
駄目だった。救えなかった。
所詮目覚めたばかりの私では、この子一人を救う力なんて持っていなかった。
「……ごめんね」
倒れ臥す身で、微かに臨む視界からは、振り下ろされる獣の腕。
ぐしゃ、と言う音が、最後に何処かから聞こえた。
●
「依頼だ。対象は……ある覚者の親友になる」
その日、久方・相馬(nCL2000004)は訝しむ覚者達を他所に、気落ちした様子で説明を始めた。
告げた内容としては、こうだ。
対象はある一般人の少女だ。彼女は覚者である親友と仲が良く、任務の時を除けば常に一緒に居たほどだったという。
その少女が、ある日一人の隔者に襲われた。
理由は、少女の親友であった覚者への報復。
ある任務にて自らの組織を壊滅させられた反AAA体制組織。その生き残りが、せめてもの復讐として、その覚者の周囲を狙ったのだ。
「幸い……じゃないが、その隔者は倒された。狙われた一般人の少女自身によって」
親友の覚者が来たとき、其処にいたのは倒された隔者と――獣の腕を持ち、炎を身に纏う『元』一般人の少女だった。
「覚者の方は、その少女を助けようとしている。けれど、それも叶わず失敗して……殺される」
だから、そうなる前に。相馬は僅かな間、顔を俯かせて――
「……そうなる前に、その少女を、殺してくれ」
その場にいた覚者達の、動きが止まった。
覚者として目覚め、破綻者となってしまった者を、何故殺さねばならないのかと。
その、誰しもが問うた意見に、相馬はかぶりを振った。
「違うんだ、その子は……破綻者じゃない」
次いで放たれた言葉は、残酷なセカイを――告げた当人も含めて――全員に突きつけた。
「彼女は妖。隔者に因って殺され、その死体が変異した存在だ。
親友だったその子は……妖となった彼女を、破綻者だと思いこんでいるだけなんだ」
●
銀色の光が見えたとき、私の身体は赤色に染まっていた。
熱いと思いながら、フローリングの床を塗らしていく私は、そうして苦しむこともなく、急速に視界を昏く塗りつぶされていく。
――ああ、もうダメなんだ、と。他人事のように理解した。
走馬燈。脳裏に浮かんだのは、学校の友達、先生、大切な家族に……私の親友。
その顔を思い浮かべたら、この命が、とても大切なものに思えて。
――お願い。
死にたくないの。
皆が悲しむから。あの子が、苦しむから。
仮初めでも良い。せめて、お別れを言うまでで良い。
誰でも良い。何でも、するから。
――私にもう少し、時間を頂戴。
――血が、こぼれた。
何処の傷口からも解らないくらい、満身創痍の私は、失いすぎた血液が故に倒れそうになるこの身体を、強引な意志で繋いでいる。
寒くて、痛くて、苦しい。
眠気にも似た意識の喪失は絶え間なく私を襲う。眼前の『彼女』と共に。
「……ねえ」
口の端を緩く上げる。
得物を構えることで精一杯の私には、それがちゃんとした笑顔になっているかの確信は無かった。
「早く起きなよ。私、疲れちゃったからさ」
刹那、槍の如き鋭さで飛来する獣の腕。
ふらつくように身を捻り、辛うじで避けたそれを気にすることもなく、私は軽く苦笑を浮かべる。
――何が足りないんだろう、と。
知らず、胡乱な顔で『彼女』を見る。
妖と戦う私を気遣い、必死に手助けしようとしていた、私の親友だった。
それが今はこうして。我を失い、自らの力に振り回され、破壊を振りまいている。
「……手伝ってくれるって、言ったじゃん」
次いで、二肢。
終ぞ、傷ついた身では避けることなど出来なかった。両足の蹴撃を受け流すことも出来ずに、私はいっそ綺麗に吹っ飛び、背後の壁にぶつかる。
嗚呼、と溜息が漏れた。
駄目だった。救えなかった。
所詮目覚めたばかりの私では、この子一人を救う力なんて持っていなかった。
「……ごめんね」
倒れ臥す身で、微かに臨む視界からは、振り下ろされる獣の腕。
ぐしゃ、と言う音が、最後に何処かから聞こえた。
●
「依頼だ。対象は……ある覚者の親友になる」
その日、久方・相馬(nCL2000004)は訝しむ覚者達を他所に、気落ちした様子で説明を始めた。
告げた内容としては、こうだ。
対象はある一般人の少女だ。彼女は覚者である親友と仲が良く、任務の時を除けば常に一緒に居たほどだったという。
その少女が、ある日一人の隔者に襲われた。
理由は、少女の親友であった覚者への報復。
ある任務にて自らの組織を壊滅させられた反AAA体制組織。その生き残りが、せめてもの復讐として、その覚者の周囲を狙ったのだ。
「幸い……じゃないが、その隔者は倒された。狙われた一般人の少女自身によって」
親友の覚者が来たとき、其処にいたのは倒された隔者と――獣の腕を持ち、炎を身に纏う『元』一般人の少女だった。
「覚者の方は、その少女を助けようとしている。けれど、それも叶わず失敗して……殺される」
だから、そうなる前に。相馬は僅かな間、顔を俯かせて――
「……そうなる前に、その少女を、殺してくれ」
その場にいた覚者達の、動きが止まった。
覚者として目覚め、破綻者となってしまった者を、何故殺さねばならないのかと。
その、誰しもが問うた意見に、相馬はかぶりを振った。
「違うんだ、その子は……破綻者じゃない」
次いで放たれた言葉は、残酷なセカイを――告げた当人も含めて――全員に突きつけた。
「彼女は妖。隔者に因って殺され、その死体が変異した存在だ。
親友だったその子は……妖となった彼女を、破綻者だと思いこんでいるだけなんだ」
●
銀色の光が見えたとき、私の身体は赤色に染まっていた。
熱いと思いながら、フローリングの床を塗らしていく私は、そうして苦しむこともなく、急速に視界を昏く塗りつぶされていく。
――ああ、もうダメなんだ、と。他人事のように理解した。
走馬燈。脳裏に浮かんだのは、学校の友達、先生、大切な家族に……私の親友。
その顔を思い浮かべたら、この命が、とても大切なものに思えて。
――お願い。
死にたくないの。
皆が悲しむから。あの子が、苦しむから。
仮初めでも良い。せめて、お別れを言うまでで良い。
誰でも良い。何でも、するから。
――私にもう少し、時間を頂戴。

■シナリオ詳細
■成功条件
1.生物系妖の討伐
2.なし
3.なし
2.なし
3.なし
以下、シナリオ詳細。
場所:
後述する『妖』の元となった少女の家。そのリビング。
家具の類は『妖』に破壊されているため障害物はなく、広さは十分。明かりも無事であるため戦闘に支障はありません。
乱入者に於いてもF.i.V.E側が対処をするため、気にする必要はないでしょう。
敵:
『妖』
ランク2、生物系妖です。数は一体。
偶然ではありますが、火行の獣憑に酷似したステータス、外観(片腕が申のもの)を有し、スキルも其れに準拠したものとなります。
基本のステータスが通常のランク2平均より高い反面、解除不可能の[火傷]BSを常に負っております。
その他:
『覚者』
木行の前世持ち。十代半ばの少女です。上記『妖』の元となった少女と親友でした。
現時点に於いて命数を消費しており、尚かつ『妖』の死を認めず、破綻者であると思いこんでいるため、攻勢に出ることが出来ず、このままでは死亡します。
PCの行動如何によって、彼女は『妖』と共に敵対する可能性もあります。
主たる対処方法としては説得するか、或いは無力化した後『妖』を倒すか。
この内、後者に於ける方法について、対象の生死は問いません。どうするかは皆さんの判断に任されています。
それでは、参加をお待ちしております。
状態
完了
完了
報酬モルコイン
金:0枚 銀:1枚 銅:0枚
金:0枚 銀:1枚 銅:0枚
相談日数
6日
6日
参加費
100LP[+予約50LP]
100LP[+予約50LP]
参加人数
8/8
8/8
公開日
2015年09月17日
2015年09月17日
■メイン参加者 8人■

●
セカイはその色を徐々に落としていく。
時間の経過と共に。陽の色ではなく、きっと、私の心を覆う絶望が故に。
『――――――ッ!』
何かを、叫んでいた。
眼前の少女。私の親友。その言葉の意味を理解しようと必死に耳を傾けて――そして、それ故に態勢はあっさりと崩れていた。
獣のそれではない片腕。容易く薙がれた其れに掠るだけで、私の身体は独楽のように廻りながら後方に吹っ飛んだ。
「……、さ」
立つ意志もなく、崩れ落ちる身体。
肺が動き、声帯を震わせる度、耐え難い痛みが身を襲う。
大切な彼女の名前一つ、満足に言い切れない。自らの死よりも、そんな不甲斐ない自分がどうしようもなく嫌で。
――お願い、だから。
涙は頬を伝わず、代わりに零れたのは口の端の血。
ああ、彼女が、近づく。
――あの子を。
告げる前に、諸手が私に振り下ろされ、そうして。
「……させません。彼女は」
死より先に、言葉が降りてきた。
頭を上げたとき、見えたのは古めかしい軍服と、重厚な鎧を着た少年達。
満身を以て彼女の一撃を防いだ少年の影から、次いで一人の女性が。
「作戦に追従はするさ」
一振りの刀が銀の弧を描けば、そうしてあの子は咆哮と共に距離を取る。
命中は――していない。外れたと言うより、敢えて外した攻手。
「だが、最低限だ。
追いつめられれば此方も自衛はさせて貰う。殺しはしないがな」
「……っ?」
よく、解らない言葉を告げる女性に、私が言葉を掛けるよりも早く。
「……大丈夫。僕たちは、敵じゃない」
血に濡れた手をそうと握り、翼を担う少年が私に語りかけた。
●
「……その子は!?」
「生きてはいる。けどその程度に過ぎない、回復を!」
指崎 まこと(CL2000087)が言うが早いか、問い掛けた『雑読少女』秋ノ宮 たまき(CL2000849)が返答を待つこともなく癒しの雫を覚者の少女に落としていく。
彼ら覚者達が到着した時点で、覚者と妖、両者の戦闘は既に終盤を迎えていた。
到着後の対応が迷うことなく即時に行われたことで生かされたその命に、他の仲間達も安堵を顕わにするが。
「……安心するのは未だよ。早く――」
言葉の先を切って、前衛で戦う仲間達を追う『一縷乃』冷泉 椿姫(CL2000364)が、双手に異なる得物を握りながら戦闘の渦中に飛び込む。
言葉の真意を問うまでもない。先んじて少女を守り、妖を止めるために飛び込んだ三名――『狗吠』時任・千陽(CL2000014)、『鴟梟』谷崎・結唯(CL2000305)、岩倉・盾護(CL2000549)達は、少女を治癒するまでの短時間とは言え、ランク2妖を少人数で止めるという状況に早くも傷み始めている。
「貴方達、一体……」
「御免。もう少しだけ待って欲しい」
幾許かの回復に力を取り戻した少女に、しかし阿久津 亮平(CL2000328)は未だ早いと戦場より離した地点に彼女を運ぶ。
――周囲の暗さと着込んだ服装が、どんな表情をしているか、それを少女に教えぬ侭。
「後は頼むよ」。そう言って自身も戦闘に赴く亮平に一度、頷きを返し、『夜に彷徨う』篠森 繭(CL2000431)を含めたたまき、まことの後衛陣三名は、少女の側へと話しかける。
「っ、貴方達は、あの子を殺すの……?」
「『出来る限り』『僕たちは』殺さない。君もさっき見たでしょ?前で戦う人達を」
まことの言葉に、少女は逡巡にも似た疑いを見せたが、僅かな沈黙の後に頷きを返す。
良し、と口中で呟く彼は、続けて少女に提案を持ちかける。
「このまま抑えておくから、君はあの子に呼びかけてみて」
「……え」
瞠目する少女に、繭は持参した水を差しだして落ち着かせながら、怜悧な声で彼女を納得させる。
「混乱は解る。それは貴方にしか益のない行為だと、そう貴方は思っている」
「理由が在るのよ。こっちも。度の過ぎたお節介だと思って乗ってくれない?」
言葉を畳み掛けるようにたまきも繭に続き、少女は再度沈黙を置く。
「……貴方達は、AAA?」
「いいえ」
「なら、隔者?」
「それは、むしろ敵の側ね」
「……解らないわ。貴方達のことが」
解らない、けれど。
少女はそう言って、頭を振る。迷う時は今や過ぎていると。
其れが、仮に悪魔との契約でも――彼女を救いたいのだと、少女は。
「乗るわ。その提案」
立ち上がり、眇めた瞳は唯一つを向く。
「だから、私にあの子を救わせて」
●
――やはり、難い。
撃ち放たれた攻撃は幾度目か。効力を失いかけた蔵王を以て耐え続けた千陽が、臓腑から溢れた血を小さく零す。
参戦より前、予め戦闘の流れを組んだ覚者達をして、妖の猛攻はその予想を上回り、早くも方針の転換を強いられる一歩手前にまで追い込まれていた。
作戦とは言うが、その内は語れば至極単純だ。
少女を説得し、協力の姿勢を示すために妖への当座の攻撃を控える。
その間を少女による妖の説得へと費やし――それを無駄だと理解させた後、妖を討伐する。
少女の想いを汲むとしたら、それは確かな効果をもたらす策ではあるが――これに対して、覚者達は自身の継戦能力に自信を持ちすぎていたきらいがある。
「……冷泉」
「解ってる」
結唯の言葉に然りと応じ、椿姫が癒しの雫を以て仲間を賦活するが、それが単なる時間稼ぎにしか成らないことは両者共に理解していた。
ランク2妖。覚者8人が総出で相対して――少なくとも、現時点の力量ではだが――漸く打倒し得る相手。
其れを相手に条件付きとはいえ攻撃を控え、尚かつ僅か五人で戦線を維持させると言うことは、どうにも無理があった。
「く、あ……!」
膝を屈しそうになる腕力、圧力。盾護がそれを耐え続け、凌いだその後――横薙ぎに叩き込まれた炎が、彼の脇腹を爆発させた。
――止めてよ……
満身が軋む。立ち上がろうとする度、拉いだ身体が悲鳴を上げるように痛みを伝えてくる。
――誰かを傷つけたり、傷つけられたり、アンタはそんな子じゃ無いでしょ……?
説得の声は遠く、遠い。
応えのない山彦のように、少女から聞こえる声は虚ろなままで。
無論、妖に躊躇はない。
傷ついた獲物を狙うように、誰よりも傷ついた盾護を追う妖を前に、割り込んだ椿姫が放たれた炎弾を小太刀で薙ぎ払う。
暗い室内、刹那だけそれを照らした朱の輝閃が、唯一人光源を有さない少女に――惨状を伝える。
数分と経ったのか危うい。その中で見えた前衛の三人と、中衛で氣力を限界まで酷使する二人。
或いは、それを奇跡と呼んだのかも知れない。
死に瀕したものは少なくない、それでいてその命数を費やした者は未だ一人として居らず、だからこそ少女は呟く。
「……何で……?」
自らの親友でなく、それに相対する、覚者達へと。
「何で、あなた達は……」
「……盾護、全力。後悔したくない」
言葉を被せ、最初に返したのは盾護だった。
その先を彼女に言わせることは、きっとしてはいけないことなのだと、誰よりも早く彼は理解していた。
「後悔、思い残し、無くす。今、出来る精一杯するしかない」
「……彼の言うとおりだよ。俺達は、君の心を救う術を持たない」
続き、亮平がその言葉を追った。
「俺達は――君と『この子』の関係を知らない。だから、君の痛みを理解できない。
今、君の痛みを癒せるのは……きっと、君自身しか居ないんだ」
訥々と、それでもはっきりと言う亮平に、少女は頽れる。
「私、は……」
「喋るな、惑うな。
自らの想いを吐露する暇が、過去を振り返る猶予が、今のお前に在ると思うか」
ひゅう、と呼気を整えた結唯が、張り直した蒼鋼壁を確認した後、少女へ吃と眦を向ける。
「考えろ。この戦いの意味を。この現状を。そして今お前が何をすべきなのかを」
告げた言葉は何処までも冷たく、だからこそ――その温度は、少女の混乱を削いでいく。
「……最早、時間は残されていないぞ」
そうして、言葉と共に。
妖が突き出した拳が、千陽の胸元を深く抉り裂いた。
●
「……君は、気付いていたの?」
まことの言葉に、少女の身体が小さく震えた。
僅かな沈黙の後、首を横に振る少女は――けれど、涙に濡れた表情に、どうしようもなくその本心が見えていて。
「貴方は――AAAで、闘い続けていた?」
「……」
「なら、理解はしていたはず。
あの子の力は、破綻者の……覚者の扱う其れとは、似て非なるものだと」
項垂れた少女の頭に、そっと手を乗せる繭。
その様子を見て――たまきは『それ』に確信を得た。
夢見はこう言っていた。この少女は妖の死を『認めず』、破綻者だと『思いこんでいる』。
それは、彼女は現状について理解はしている……して、しまっているということでもあるのだと。
「……あの子と、友達で居たかった」
少女が、知らず呟いていた。
「それが出来なくなる未来が在るって聞いて、それを防ぐために戦う道を選んだ。
その意味を失ったら――私は、何で此処にいるの」
現状の、自身への否定ではない、純粋な疑問。
「私が選んだ道は、間違いだったの……?」
支えてきて、支えられてきた。
その縁を失ったから、縋るものを求めていて。
「……あなたの友人は、もう居ないわ。死んで、妖になってしまった」
傷だらけの心に、それでも尚触れたのは、繭。
傍らに立つたまきの手を引き、自らの其れと重ねて手を繋ぐ。
「でも、それはあなたのせいじゃない。
彼女はきっとあなたを……友達を傷つけたくないって思ってる気がする」
立場が逆だったとしたら、あなたもそれを願うでしょう?
ゆるりと微笑みかけた繭に、少女が微か、その面持ちを上げる。
「……私は、あの子が貴女のこと、ちゃんと手伝っていたって、そう思うわ」
出した水のひとしずくを空いた手の中で弄び、たまきは少女に視線を合わせる。
「私と繭は覚者同士、水行だから互いの怪我を癒せる。
貴女の親友は一般人だけど、何の力も使わず貴女の心を癒してくれた」
望まぬ戦いを自らに強いてきた貴女の心は、けれど決して折れることがなかった。
それを、今に繋いできた理由が、其の親友だというならば。
繭とたまき、両者が繋いだ手が、そうして少女の手を覆う。
「始まりは、悲劇だったのかも知れない。けど」
そうして、最後。
再度語りかけるまことが、笑いながら少女に想いを伝える。
「結末は、変えられる。君がその決意を抱いてくれるなら」
――遙か遠いセカイには、満身創痍の仲間達の姿。
震える手で小太刀を握る彼女は、やがて。
「……戦わせて」
泣きながら、それでも立ち上がる。
「私に、あの子を――救わせて」
●
命数が、尽きた。
戦闘不能となる負傷を強引に振り切った千陽が、それでも小さく舌を打つ。
『条件』が満たされた。少女の説得を待たずして妖を倒すための、条件が。
逡巡よりも早く、動いたのはやはり結唯。
「待っ……」
「放っておいたところで、新たな被害を生むだけだ」
戦闘開始時と同様、振るわれる銀の弧月。
違うのは、其処に明確な殺意があるかという、それだけ。
「彼奴に無理ならば、私がやるまでだ」
戦闘開始より既に幾許ほどが経ったか。遂に傷を得た妖が返す刀と結唯を狙えば――その隙を突いて、幾条もの茨の棘が敵を裂いた。
『――――――!』
「……解ってるよ」
其れを見て。
或る者は安堵した。或る者は目を伏せた。
傷つけられた妖よりも痛ましく、覚者の少女は、親友へ武器を向けていた。
「選んで、くれたのね」
椿姫が其れを見て、少し哀しげに微笑んだ。
「……もう、あの子を眠らせてあげたいから」
「そうね。これ以上、死んだ彼女を苦しめることはできない」
一つ頷いた椿姫が、そうして癒手に回していた行動を、攻撃へと転じる。
「悲しい物語は、終わりにしましょう」
弾丸が劈く少女の肉体。衝撃に蹈鞴を踏めば、その態勢を逃さじと他の覚者達も一挙に攻め入る。
銀と蒼、二種の水礫が続けざまに双手を穿てば、突如の攻勢から我を取り戻した妖が疾駆と共に反撃に走る。
それを止められる者は少ない。そう、少ないと言うだけ。
「盾護、盾」
満身を介した突進。それを交差した両腕で強引にせき止める盾護。
耐え難い衝撃を必死に食い止めて。けれど、その身体が炎に巻き上げられたとき、その命は尽きる――一度。
「皆、守る……!!」
膝を屈するより命数を燃やし、盾護は未だ盾となる。例え、自らが砕けようとも。
「……助かる」
それが、次に繋がるものであるならば、尚のこと。
仲間の回復によって中衛へと戻った亮平が盾護に一言を呟けば、担うライフルの銃弾は吸い込まれるように少女の臓腑を狙う。
貫通力に優れた銃撃は、妖の傷を急速に増やしながら――それでも闘志を絶やすことだけはなかった。
撓む身体。横薙ぎに払われた獣の片腕。
或いは、それで今度こそ倒れるはずの者も居ただろう。
少女が、其れを守るまことが、一手早く妖へと近づいていなければ。
「……馬鹿、みたい」
妖を縛り上げる、覚者の少女の蔓の鞭。
刹那にも満たぬ拘束の間、傍らで膝を着く千陽を見て、少女は泣きそうな顔で笑いかける。
「こんなお節介のために、わざわざ、命まで削って」
「……それだけの意味が、俺達にはありました」
言葉を返し、千陽が視線を向けたのは――少女の親友である、妖へと。
「世界に奇跡は起こらない。起こるのはただの現実だ
だけれども君は奇跡を願いその力を手に入れた。それはまっとうじゃなくても……」
夢見の少年が最後に見た幻視。死に際の一人の少女が、叶うはずのない願いを遺した今際の際。
伝えたい言葉は在るはずだ。その為の手段があって、しかし、それが今は叶えられないというのなら。
「その為の時間は、俺たちが稼ぎます……!」
「……そうね。私達も仲間や彼女を失う訳にはいかない。けれど、それ以上に――」
二者が構える二丁のベレッタ。偶然の一致に椿姫が微か、可笑しそうな笑みを零して。
「後は、お願いね」
銃弾が、少女の胸を貫いた。
素体となった肉体の問題だろうか。この妖にとっても致命となる部位は、そうして狂気の顔を張り付かせたまま、地に伏した。
――息は、未だ残っている。
「………………」
少女が、近づく。
妖が明確な殺意を以て、辛うじで伸ばした手を掴み、少女は笑った。
「……ごめんね」
涙を零しながら、必死に。
「今まで、ありがとう」
刀身が、その歪んだ命脈を、今度こそ断ち切った
●
少女の応急手当と共に、その親友の遺体は亮平やまことを始めとした覚者達に整えられた状態でF.i.V.Eが回収した。
「……命、いつか必ず別れる時が来る」
全てが終わった後。
陽も落ちた街中。戦場となった家の前で、傷に痛んだ盾護が小さく呟いた。
「親しい人、別れる、とっても辛い、とっても悲しい。けど、辛い、悲しい、だけじゃダメ
泣いても、叫んでも、最後は笑顔でさよなら言う」
訥々と、それでも一所懸命に言う盾護へ、少女は曖昧な笑みを浮かべて、軽く頷いた。
「……あの子がきちんと逝けるように、ね。
頑張ってみる。それが上手く行くかは、解らないけど――」
――私は、誰かのために頑張ってる貴方が大好きです。
言いかけた少女の言葉に、聞き慣れない言葉が聞こえてきた。
「……え」
それは、先の戦いで咆哮としてしか聞けなかった、鈴のような声音。
――今まで、私のために頑張ってくれて有難う。どうか、その優しさを、私以外のみんなにも向けてくれますように。
声の先にいた人物……声帯を変えていた結唯は、一同が視線を向けた時点で既に背を向けていた。
「……一度しか言ってやらないからよく聞いておけ」
ただ、歩き出す前に一言だけ。
「死者とて想いは残る。そいつが生きていたという事実は消えたりはしない。
その事実をお前がどうするかは、お前次第だ」
「……どうして、あの子の言葉」
「これでも霊感はあるほうでね」
サングラスを掛けて去っていくその後ろ姿に、妖であった少女の言葉を求めていた覚者達は「前もって教えてくれれば」と歎息を吐き――心の中で、小さく礼を言う。
「……ありがとう、か」
お互いの最後、謝ることより、感謝することを選んだ二人に、二人へ謝ろうとしていた亮平は少しだけ自身を恥じる。
悔悟よりも、前へ進むために必要なことを。其れを選べた彼女たちを――尊いと、そう思いながら。
「……ああ、それと」
まことが言って、少女へと差し出した紙片。
其処には五麟市について書かれた幾つかの情報と、彼らの連絡先が記されていた。
「気が向いたら来てみて欲しい。親友についての話も、いつか聞かせてよ」
「次が欲しいならば、連絡を待っています」
同じように、千陽も自身の連絡先を渡して小さく礼をする。
戦闘のいざこざで結局覚者達とさしたる情報交換をしていなかった少女は、「落ち着いたら必ず」と言って、覚者達と別れることになる。
「……ねえ」
その直前、たまきが彼女へと声を掛け。
「あなた達が友達同士だったって事、私絶対忘れないから」
――言葉を受けた少女は、小さく目元を拭い、笑いながら今度こそ去っていく。
「……余計だった?」
「ううん、嬉しかったんだと思う」
不安に思うたまきに繭が笑って、その手を小さく引く。
星も見える夜空の下、そうして覚者達は帰途に就く。
残暑を過ぎた秋の頃。微かに吹いた冷たい風は、そうして最後に残った感傷をすらも洗い流していった。
セカイはその色を徐々に落としていく。
時間の経過と共に。陽の色ではなく、きっと、私の心を覆う絶望が故に。
『――――――ッ!』
何かを、叫んでいた。
眼前の少女。私の親友。その言葉の意味を理解しようと必死に耳を傾けて――そして、それ故に態勢はあっさりと崩れていた。
獣のそれではない片腕。容易く薙がれた其れに掠るだけで、私の身体は独楽のように廻りながら後方に吹っ飛んだ。
「……、さ」
立つ意志もなく、崩れ落ちる身体。
肺が動き、声帯を震わせる度、耐え難い痛みが身を襲う。
大切な彼女の名前一つ、満足に言い切れない。自らの死よりも、そんな不甲斐ない自分がどうしようもなく嫌で。
――お願い、だから。
涙は頬を伝わず、代わりに零れたのは口の端の血。
ああ、彼女が、近づく。
――あの子を。
告げる前に、諸手が私に振り下ろされ、そうして。
「……させません。彼女は」
死より先に、言葉が降りてきた。
頭を上げたとき、見えたのは古めかしい軍服と、重厚な鎧を着た少年達。
満身を以て彼女の一撃を防いだ少年の影から、次いで一人の女性が。
「作戦に追従はするさ」
一振りの刀が銀の弧を描けば、そうしてあの子は咆哮と共に距離を取る。
命中は――していない。外れたと言うより、敢えて外した攻手。
「だが、最低限だ。
追いつめられれば此方も自衛はさせて貰う。殺しはしないがな」
「……っ?」
よく、解らない言葉を告げる女性に、私が言葉を掛けるよりも早く。
「……大丈夫。僕たちは、敵じゃない」
血に濡れた手をそうと握り、翼を担う少年が私に語りかけた。
●
「……その子は!?」
「生きてはいる。けどその程度に過ぎない、回復を!」
指崎 まこと(CL2000087)が言うが早いか、問い掛けた『雑読少女』秋ノ宮 たまき(CL2000849)が返答を待つこともなく癒しの雫を覚者の少女に落としていく。
彼ら覚者達が到着した時点で、覚者と妖、両者の戦闘は既に終盤を迎えていた。
到着後の対応が迷うことなく即時に行われたことで生かされたその命に、他の仲間達も安堵を顕わにするが。
「……安心するのは未だよ。早く――」
言葉の先を切って、前衛で戦う仲間達を追う『一縷乃』冷泉 椿姫(CL2000364)が、双手に異なる得物を握りながら戦闘の渦中に飛び込む。
言葉の真意を問うまでもない。先んじて少女を守り、妖を止めるために飛び込んだ三名――『狗吠』時任・千陽(CL2000014)、『鴟梟』谷崎・結唯(CL2000305)、岩倉・盾護(CL2000549)達は、少女を治癒するまでの短時間とは言え、ランク2妖を少人数で止めるという状況に早くも傷み始めている。
「貴方達、一体……」
「御免。もう少しだけ待って欲しい」
幾許かの回復に力を取り戻した少女に、しかし阿久津 亮平(CL2000328)は未だ早いと戦場より離した地点に彼女を運ぶ。
――周囲の暗さと着込んだ服装が、どんな表情をしているか、それを少女に教えぬ侭。
「後は頼むよ」。そう言って自身も戦闘に赴く亮平に一度、頷きを返し、『夜に彷徨う』篠森 繭(CL2000431)を含めたたまき、まことの後衛陣三名は、少女の側へと話しかける。
「っ、貴方達は、あの子を殺すの……?」
「『出来る限り』『僕たちは』殺さない。君もさっき見たでしょ?前で戦う人達を」
まことの言葉に、少女は逡巡にも似た疑いを見せたが、僅かな沈黙の後に頷きを返す。
良し、と口中で呟く彼は、続けて少女に提案を持ちかける。
「このまま抑えておくから、君はあの子に呼びかけてみて」
「……え」
瞠目する少女に、繭は持参した水を差しだして落ち着かせながら、怜悧な声で彼女を納得させる。
「混乱は解る。それは貴方にしか益のない行為だと、そう貴方は思っている」
「理由が在るのよ。こっちも。度の過ぎたお節介だと思って乗ってくれない?」
言葉を畳み掛けるようにたまきも繭に続き、少女は再度沈黙を置く。
「……貴方達は、AAA?」
「いいえ」
「なら、隔者?」
「それは、むしろ敵の側ね」
「……解らないわ。貴方達のことが」
解らない、けれど。
少女はそう言って、頭を振る。迷う時は今や過ぎていると。
其れが、仮に悪魔との契約でも――彼女を救いたいのだと、少女は。
「乗るわ。その提案」
立ち上がり、眇めた瞳は唯一つを向く。
「だから、私にあの子を救わせて」
●
――やはり、難い。
撃ち放たれた攻撃は幾度目か。効力を失いかけた蔵王を以て耐え続けた千陽が、臓腑から溢れた血を小さく零す。
参戦より前、予め戦闘の流れを組んだ覚者達をして、妖の猛攻はその予想を上回り、早くも方針の転換を強いられる一歩手前にまで追い込まれていた。
作戦とは言うが、その内は語れば至極単純だ。
少女を説得し、協力の姿勢を示すために妖への当座の攻撃を控える。
その間を少女による妖の説得へと費やし――それを無駄だと理解させた後、妖を討伐する。
少女の想いを汲むとしたら、それは確かな効果をもたらす策ではあるが――これに対して、覚者達は自身の継戦能力に自信を持ちすぎていたきらいがある。
「……冷泉」
「解ってる」
結唯の言葉に然りと応じ、椿姫が癒しの雫を以て仲間を賦活するが、それが単なる時間稼ぎにしか成らないことは両者共に理解していた。
ランク2妖。覚者8人が総出で相対して――少なくとも、現時点の力量ではだが――漸く打倒し得る相手。
其れを相手に条件付きとはいえ攻撃を控え、尚かつ僅か五人で戦線を維持させると言うことは、どうにも無理があった。
「く、あ……!」
膝を屈しそうになる腕力、圧力。盾護がそれを耐え続け、凌いだその後――横薙ぎに叩き込まれた炎が、彼の脇腹を爆発させた。
――止めてよ……
満身が軋む。立ち上がろうとする度、拉いだ身体が悲鳴を上げるように痛みを伝えてくる。
――誰かを傷つけたり、傷つけられたり、アンタはそんな子じゃ無いでしょ……?
説得の声は遠く、遠い。
応えのない山彦のように、少女から聞こえる声は虚ろなままで。
無論、妖に躊躇はない。
傷ついた獲物を狙うように、誰よりも傷ついた盾護を追う妖を前に、割り込んだ椿姫が放たれた炎弾を小太刀で薙ぎ払う。
暗い室内、刹那だけそれを照らした朱の輝閃が、唯一人光源を有さない少女に――惨状を伝える。
数分と経ったのか危うい。その中で見えた前衛の三人と、中衛で氣力を限界まで酷使する二人。
或いは、それを奇跡と呼んだのかも知れない。
死に瀕したものは少なくない、それでいてその命数を費やした者は未だ一人として居らず、だからこそ少女は呟く。
「……何で……?」
自らの親友でなく、それに相対する、覚者達へと。
「何で、あなた達は……」
「……盾護、全力。後悔したくない」
言葉を被せ、最初に返したのは盾護だった。
その先を彼女に言わせることは、きっとしてはいけないことなのだと、誰よりも早く彼は理解していた。
「後悔、思い残し、無くす。今、出来る精一杯するしかない」
「……彼の言うとおりだよ。俺達は、君の心を救う術を持たない」
続き、亮平がその言葉を追った。
「俺達は――君と『この子』の関係を知らない。だから、君の痛みを理解できない。
今、君の痛みを癒せるのは……きっと、君自身しか居ないんだ」
訥々と、それでもはっきりと言う亮平に、少女は頽れる。
「私、は……」
「喋るな、惑うな。
自らの想いを吐露する暇が、過去を振り返る猶予が、今のお前に在ると思うか」
ひゅう、と呼気を整えた結唯が、張り直した蒼鋼壁を確認した後、少女へ吃と眦を向ける。
「考えろ。この戦いの意味を。この現状を。そして今お前が何をすべきなのかを」
告げた言葉は何処までも冷たく、だからこそ――その温度は、少女の混乱を削いでいく。
「……最早、時間は残されていないぞ」
そうして、言葉と共に。
妖が突き出した拳が、千陽の胸元を深く抉り裂いた。
●
「……君は、気付いていたの?」
まことの言葉に、少女の身体が小さく震えた。
僅かな沈黙の後、首を横に振る少女は――けれど、涙に濡れた表情に、どうしようもなくその本心が見えていて。
「貴方は――AAAで、闘い続けていた?」
「……」
「なら、理解はしていたはず。
あの子の力は、破綻者の……覚者の扱う其れとは、似て非なるものだと」
項垂れた少女の頭に、そっと手を乗せる繭。
その様子を見て――たまきは『それ』に確信を得た。
夢見はこう言っていた。この少女は妖の死を『認めず』、破綻者だと『思いこんでいる』。
それは、彼女は現状について理解はしている……して、しまっているということでもあるのだと。
「……あの子と、友達で居たかった」
少女が、知らず呟いていた。
「それが出来なくなる未来が在るって聞いて、それを防ぐために戦う道を選んだ。
その意味を失ったら――私は、何で此処にいるの」
現状の、自身への否定ではない、純粋な疑問。
「私が選んだ道は、間違いだったの……?」
支えてきて、支えられてきた。
その縁を失ったから、縋るものを求めていて。
「……あなたの友人は、もう居ないわ。死んで、妖になってしまった」
傷だらけの心に、それでも尚触れたのは、繭。
傍らに立つたまきの手を引き、自らの其れと重ねて手を繋ぐ。
「でも、それはあなたのせいじゃない。
彼女はきっとあなたを……友達を傷つけたくないって思ってる気がする」
立場が逆だったとしたら、あなたもそれを願うでしょう?
ゆるりと微笑みかけた繭に、少女が微か、その面持ちを上げる。
「……私は、あの子が貴女のこと、ちゃんと手伝っていたって、そう思うわ」
出した水のひとしずくを空いた手の中で弄び、たまきは少女に視線を合わせる。
「私と繭は覚者同士、水行だから互いの怪我を癒せる。
貴女の親友は一般人だけど、何の力も使わず貴女の心を癒してくれた」
望まぬ戦いを自らに強いてきた貴女の心は、けれど決して折れることがなかった。
それを、今に繋いできた理由が、其の親友だというならば。
繭とたまき、両者が繋いだ手が、そうして少女の手を覆う。
「始まりは、悲劇だったのかも知れない。けど」
そうして、最後。
再度語りかけるまことが、笑いながら少女に想いを伝える。
「結末は、変えられる。君がその決意を抱いてくれるなら」
――遙か遠いセカイには、満身創痍の仲間達の姿。
震える手で小太刀を握る彼女は、やがて。
「……戦わせて」
泣きながら、それでも立ち上がる。
「私に、あの子を――救わせて」
●
命数が、尽きた。
戦闘不能となる負傷を強引に振り切った千陽が、それでも小さく舌を打つ。
『条件』が満たされた。少女の説得を待たずして妖を倒すための、条件が。
逡巡よりも早く、動いたのはやはり結唯。
「待っ……」
「放っておいたところで、新たな被害を生むだけだ」
戦闘開始時と同様、振るわれる銀の弧月。
違うのは、其処に明確な殺意があるかという、それだけ。
「彼奴に無理ならば、私がやるまでだ」
戦闘開始より既に幾許ほどが経ったか。遂に傷を得た妖が返す刀と結唯を狙えば――その隙を突いて、幾条もの茨の棘が敵を裂いた。
『――――――!』
「……解ってるよ」
其れを見て。
或る者は安堵した。或る者は目を伏せた。
傷つけられた妖よりも痛ましく、覚者の少女は、親友へ武器を向けていた。
「選んで、くれたのね」
椿姫が其れを見て、少し哀しげに微笑んだ。
「……もう、あの子を眠らせてあげたいから」
「そうね。これ以上、死んだ彼女を苦しめることはできない」
一つ頷いた椿姫が、そうして癒手に回していた行動を、攻撃へと転じる。
「悲しい物語は、終わりにしましょう」
弾丸が劈く少女の肉体。衝撃に蹈鞴を踏めば、その態勢を逃さじと他の覚者達も一挙に攻め入る。
銀と蒼、二種の水礫が続けざまに双手を穿てば、突如の攻勢から我を取り戻した妖が疾駆と共に反撃に走る。
それを止められる者は少ない。そう、少ないと言うだけ。
「盾護、盾」
満身を介した突進。それを交差した両腕で強引にせき止める盾護。
耐え難い衝撃を必死に食い止めて。けれど、その身体が炎に巻き上げられたとき、その命は尽きる――一度。
「皆、守る……!!」
膝を屈するより命数を燃やし、盾護は未だ盾となる。例え、自らが砕けようとも。
「……助かる」
それが、次に繋がるものであるならば、尚のこと。
仲間の回復によって中衛へと戻った亮平が盾護に一言を呟けば、担うライフルの銃弾は吸い込まれるように少女の臓腑を狙う。
貫通力に優れた銃撃は、妖の傷を急速に増やしながら――それでも闘志を絶やすことだけはなかった。
撓む身体。横薙ぎに払われた獣の片腕。
或いは、それで今度こそ倒れるはずの者も居ただろう。
少女が、其れを守るまことが、一手早く妖へと近づいていなければ。
「……馬鹿、みたい」
妖を縛り上げる、覚者の少女の蔓の鞭。
刹那にも満たぬ拘束の間、傍らで膝を着く千陽を見て、少女は泣きそうな顔で笑いかける。
「こんなお節介のために、わざわざ、命まで削って」
「……それだけの意味が、俺達にはありました」
言葉を返し、千陽が視線を向けたのは――少女の親友である、妖へと。
「世界に奇跡は起こらない。起こるのはただの現実だ
だけれども君は奇跡を願いその力を手に入れた。それはまっとうじゃなくても……」
夢見の少年が最後に見た幻視。死に際の一人の少女が、叶うはずのない願いを遺した今際の際。
伝えたい言葉は在るはずだ。その為の手段があって、しかし、それが今は叶えられないというのなら。
「その為の時間は、俺たちが稼ぎます……!」
「……そうね。私達も仲間や彼女を失う訳にはいかない。けれど、それ以上に――」
二者が構える二丁のベレッタ。偶然の一致に椿姫が微か、可笑しそうな笑みを零して。
「後は、お願いね」
銃弾が、少女の胸を貫いた。
素体となった肉体の問題だろうか。この妖にとっても致命となる部位は、そうして狂気の顔を張り付かせたまま、地に伏した。
――息は、未だ残っている。
「………………」
少女が、近づく。
妖が明確な殺意を以て、辛うじで伸ばした手を掴み、少女は笑った。
「……ごめんね」
涙を零しながら、必死に。
「今まで、ありがとう」
刀身が、その歪んだ命脈を、今度こそ断ち切った
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少女の応急手当と共に、その親友の遺体は亮平やまことを始めとした覚者達に整えられた状態でF.i.V.Eが回収した。
「……命、いつか必ず別れる時が来る」
全てが終わった後。
陽も落ちた街中。戦場となった家の前で、傷に痛んだ盾護が小さく呟いた。
「親しい人、別れる、とっても辛い、とっても悲しい。けど、辛い、悲しい、だけじゃダメ
泣いても、叫んでも、最後は笑顔でさよなら言う」
訥々と、それでも一所懸命に言う盾護へ、少女は曖昧な笑みを浮かべて、軽く頷いた。
「……あの子がきちんと逝けるように、ね。
頑張ってみる。それが上手く行くかは、解らないけど――」
――私は、誰かのために頑張ってる貴方が大好きです。
言いかけた少女の言葉に、聞き慣れない言葉が聞こえてきた。
「……え」
それは、先の戦いで咆哮としてしか聞けなかった、鈴のような声音。
――今まで、私のために頑張ってくれて有難う。どうか、その優しさを、私以外のみんなにも向けてくれますように。
声の先にいた人物……声帯を変えていた結唯は、一同が視線を向けた時点で既に背を向けていた。
「……一度しか言ってやらないからよく聞いておけ」
ただ、歩き出す前に一言だけ。
「死者とて想いは残る。そいつが生きていたという事実は消えたりはしない。
その事実をお前がどうするかは、お前次第だ」
「……どうして、あの子の言葉」
「これでも霊感はあるほうでね」
サングラスを掛けて去っていくその後ろ姿に、妖であった少女の言葉を求めていた覚者達は「前もって教えてくれれば」と歎息を吐き――心の中で、小さく礼を言う。
「……ありがとう、か」
お互いの最後、謝ることより、感謝することを選んだ二人に、二人へ謝ろうとしていた亮平は少しだけ自身を恥じる。
悔悟よりも、前へ進むために必要なことを。其れを選べた彼女たちを――尊いと、そう思いながら。
「……ああ、それと」
まことが言って、少女へと差し出した紙片。
其処には五麟市について書かれた幾つかの情報と、彼らの連絡先が記されていた。
「気が向いたら来てみて欲しい。親友についての話も、いつか聞かせてよ」
「次が欲しいならば、連絡を待っています」
同じように、千陽も自身の連絡先を渡して小さく礼をする。
戦闘のいざこざで結局覚者達とさしたる情報交換をしていなかった少女は、「落ち着いたら必ず」と言って、覚者達と別れることになる。
「……ねえ」
その直前、たまきが彼女へと声を掛け。
「あなた達が友達同士だったって事、私絶対忘れないから」
――言葉を受けた少女は、小さく目元を拭い、笑いながら今度こそ去っていく。
「……余計だった?」
「ううん、嬉しかったんだと思う」
不安に思うたまきに繭が笑って、その手を小さく引く。
星も見える夜空の下、そうして覚者達は帰途に就く。
残暑を過ぎた秋の頃。微かに吹いた冷たい風は、そうして最後に残った感傷をすらも洗い流していった。
