【海月奇譚】海に漂う月の夢
●うみのつき
――海の底から見上げた空に、静かに輝く月を見た。
この手を幾ら伸ばしても、それに届く筈がないと分かっていたけれど。わたしはただひたすらに、それに憧れて恋焦がれていた。
ああ、届かないのなら、わたしが海に漂う月になろう。この身が朽ちて、海に溶けて還っていく時が来たとしても――何度でも蘇って海の底を照らしてみせよう。
「……っ」
鈍い頭の痛みと共に、少女が目覚めたのは暗い洞窟の中だった。磯の香りと波の音、辺りをぼんやりと照らすのはゆらゆら揺れる松明の灯りだろうか。
否――そればかりか洞窟のあちらこちらには、まるで蛍のような燐光を放つウミユリのような生物が、ゆらゆらと揺れるように蠢いていた。
「だ、誰……!?」
不意にわだかまっていた空気が動き、弾かれたように少女が跳ね起きると――洞窟の奥に設えられた鳥居の向こうから、白い亡霊のようなものが近づいてくる所だった。
「……? お化け、じゃない?」
びくっと身を竦めた少女だが、やがてその表情が微かに和らぐ。粛々と歩みを進めるその存在は、白い巫女装束を纏った少女であり、自分と然程年が変わらないように見えたからだ。
「あのね、ここは何処――……」
けれど、巫女へ状況を尋ねようとした少女の声が、不意に途切れる。――洞窟の中で、何かが蠢いていた。違う、それは少女の背後から透明な触手を這わせて、此方を捕えようと襲い掛かってくる。
「……ここは、わたつみのやしろ」
――最後に捉えたのは泡が弾けるような少女の声と、視界一杯に広がる透明な月だった。
●月茨の夢見は語る
「何だか、胸騒ぎがするの」
そう最初に言ってから、ゆっくりと顔を上げた『月茨』浮森 瞑夜(nCL2000119)は、夢見によって知った未来をF.i.V.E.の皆へと告げた。
「ここから電車で数時間かけた辺りにね、大分前に廃村になった漁村があるんだ。……そこの近くの海岸は、海水浴場になっているんだけど」
そこへ遊びに来ていた少女が海で溺れ、行方不明になってしまう事件が起きてしまうのだと瞑夜は言う。しかし、どうやら少女は古妖によって攫われ、海岸から少し離れた場所にある洞窟へと連れて行かれるようなのだ。
「どうもね、その洞窟は漁村のひと達が古妖を祀っていた場所だったみたいで。もうずっと放置されていたようなんだけど、何らかの原因でこの古妖が活動を始めるみたいなの」
洞窟内部はウミユリのような生物が妖しい光を放ち、奥の社に攫われた少女と――巫女の姿をした娘が居る。しかし、その巫女の正体が良く分からなかったと瞑夜は首を傾げた。
「古妖そのもの、とも言い切れないし……でも、人間でもないみたいで。何をしようとしているのかは分からないけれど、攫われた女の子を助けることに集中して」
――しかし、海の洞窟に向かうには幾つかの障害がある。古妖が活動を始めた所為なのか、洞窟へと向かう海の底には件のウミユリが繁殖し、その妖しい光で幻を見せて海の底へと引き摺り込もうとしてくるらしい。
「幻は、見るひとによって違うけれど……『もう一度会いたい大切な人物』の姿を見せてくるみたい」
どうか心を強く持って、海に心を攫われないようにして欲しいと瞑夜は念を押す。そうして洞窟に辿り着けば徒歩で進めるが、その先には海月の火の玉の姿をした古妖が、群れを成して襲い掛かってくるようだ。
「これは本能的に襲い掛かってくるから、倒して進む他ないかな……数は6体ほどで少し多めだけれど、ランク1の妖を相手にするのと変わらない感じで戦えると思う」
――そしてその奥に、攫われた少女と巫女が居る。巫女がどう動くかは分からないが、少女の救出を優先して欲しいと瞑夜は改めて告げた。此方からいきなり攻撃を仕掛けるような真似をしたら、どうなるかは予想がつかない、と。
「あ、洞窟までは泳がないといけないから、ちゃんと水着を用意してね。それと、これは役に立つ情報かは分からないんだけど……」
そう言って瞑夜が伝えたのは、漁村に伝わっていた伝承だった。彼らは海に浮かぶ月を崇め、死後の肉体は海に還って生まれ変わると信じていたようだ。
――海の月。その名が表すのは、クラゲであった。
――海の底から見上げた空に、静かに輝く月を見た。
この手を幾ら伸ばしても、それに届く筈がないと分かっていたけれど。わたしはただひたすらに、それに憧れて恋焦がれていた。
ああ、届かないのなら、わたしが海に漂う月になろう。この身が朽ちて、海に溶けて還っていく時が来たとしても――何度でも蘇って海の底を照らしてみせよう。
「……っ」
鈍い頭の痛みと共に、少女が目覚めたのは暗い洞窟の中だった。磯の香りと波の音、辺りをぼんやりと照らすのはゆらゆら揺れる松明の灯りだろうか。
否――そればかりか洞窟のあちらこちらには、まるで蛍のような燐光を放つウミユリのような生物が、ゆらゆらと揺れるように蠢いていた。
「だ、誰……!?」
不意にわだかまっていた空気が動き、弾かれたように少女が跳ね起きると――洞窟の奥に設えられた鳥居の向こうから、白い亡霊のようなものが近づいてくる所だった。
「……? お化け、じゃない?」
びくっと身を竦めた少女だが、やがてその表情が微かに和らぐ。粛々と歩みを進めるその存在は、白い巫女装束を纏った少女であり、自分と然程年が変わらないように見えたからだ。
「あのね、ここは何処――……」
けれど、巫女へ状況を尋ねようとした少女の声が、不意に途切れる。――洞窟の中で、何かが蠢いていた。違う、それは少女の背後から透明な触手を這わせて、此方を捕えようと襲い掛かってくる。
「……ここは、わたつみのやしろ」
――最後に捉えたのは泡が弾けるような少女の声と、視界一杯に広がる透明な月だった。
●月茨の夢見は語る
「何だか、胸騒ぎがするの」
そう最初に言ってから、ゆっくりと顔を上げた『月茨』浮森 瞑夜(nCL2000119)は、夢見によって知った未来をF.i.V.E.の皆へと告げた。
「ここから電車で数時間かけた辺りにね、大分前に廃村になった漁村があるんだ。……そこの近くの海岸は、海水浴場になっているんだけど」
そこへ遊びに来ていた少女が海で溺れ、行方不明になってしまう事件が起きてしまうのだと瞑夜は言う。しかし、どうやら少女は古妖によって攫われ、海岸から少し離れた場所にある洞窟へと連れて行かれるようなのだ。
「どうもね、その洞窟は漁村のひと達が古妖を祀っていた場所だったみたいで。もうずっと放置されていたようなんだけど、何らかの原因でこの古妖が活動を始めるみたいなの」
洞窟内部はウミユリのような生物が妖しい光を放ち、奥の社に攫われた少女と――巫女の姿をした娘が居る。しかし、その巫女の正体が良く分からなかったと瞑夜は首を傾げた。
「古妖そのもの、とも言い切れないし……でも、人間でもないみたいで。何をしようとしているのかは分からないけれど、攫われた女の子を助けることに集中して」
――しかし、海の洞窟に向かうには幾つかの障害がある。古妖が活動を始めた所為なのか、洞窟へと向かう海の底には件のウミユリが繁殖し、その妖しい光で幻を見せて海の底へと引き摺り込もうとしてくるらしい。
「幻は、見るひとによって違うけれど……『もう一度会いたい大切な人物』の姿を見せてくるみたい」
どうか心を強く持って、海に心を攫われないようにして欲しいと瞑夜は念を押す。そうして洞窟に辿り着けば徒歩で進めるが、その先には海月の火の玉の姿をした古妖が、群れを成して襲い掛かってくるようだ。
「これは本能的に襲い掛かってくるから、倒して進む他ないかな……数は6体ほどで少し多めだけれど、ランク1の妖を相手にするのと変わらない感じで戦えると思う」
――そしてその奥に、攫われた少女と巫女が居る。巫女がどう動くかは分からないが、少女の救出を優先して欲しいと瞑夜は改めて告げた。此方からいきなり攻撃を仕掛けるような真似をしたら、どうなるかは予想がつかない、と。
「あ、洞窟までは泳がないといけないから、ちゃんと水着を用意してね。それと、これは役に立つ情報かは分からないんだけど……」
そう言って瞑夜が伝えたのは、漁村に伝わっていた伝承だった。彼らは海に浮かぶ月を崇め、死後の肉体は海に還って生まれ変わると信じていたようだ。
――海の月。その名が表すのは、クラゲであった。

■シナリオ詳細
■成功条件
1.攫われた少女の救出
2.古妖・海月火×6体の撃破
3.なし
2.古妖・海月火×6体の撃破
3.なし
●依頼の流れ
古妖絡みで洞窟に攫われた少女を助ける為、海を泳いで洞窟へ向かいます。途中、幻を見せるウミユリを突っ切り、洞窟に入って間もなく襲い掛かる古妖・海月火を倒します。そして最奥の社で倒れている少女を、居合わせた謎の巫女からどうにかして引き離し、地上に帰還すれば完了です。
●ウミユリ
古妖が生み出したと思われる、妖しい光を放つウミユリのような生物です。深海でなくても、水が無くても大丈夫なようです。『もう一度会いたい大切な人物』の幻を見せて、海に引きずり込もうとしてきます。
※具体的にどんな幻を見るのか、どう対処するのかを書いて下さい。対処が出来なかった場合、シナリオ中ずっと『麻痺』が付与された状態になります(解除は出来ません)。
●古妖・海月火×6
海月の火の玉の姿をした古妖で、鬼火のような存在です。然程強くありませんが、麻痺がある状態で挑めばかなり厳しい相手です。心霊系の妖に近く、物理はあまり効きません。
・体当たり(物近単・【火傷】)
・火の玉(特遠単・【火傷】)
●巫女の少女
攫われた少女と共に、洞窟奥の社に居る巫女です。正体は不明で、古妖とも人間とも言い切れないようです。会話は可能なようですが、少女を連れて行こうとすると阻止してくると思われます。
●補足
舞台は海なので、全員水着着用となります。
夏らしく、ちょっぴり伝奇っぽい和風ホラーな感じの依頼になると思います。ぜひ、夏の海を満喫してみてください。それではよろしくお願いします。
状態
完了
完了
報酬モルコイン
金:0枚 銀:1枚 銅:0枚
金:0枚 銀:1枚 銅:0枚
相談日数
7日
7日
参加費
100LP[+予約50LP]
100LP[+予約50LP]
参加人数
8/8
8/8
公開日
2016年08月08日
2016年08月08日
■メイン参加者 8人■

●母なる海の元へ
ゴトゴトと電車に揺られて数時間。辿り着いた海岸周辺には、かつて漁村があったと言う話であったが――その面影も既に失われて久しい様子だった。
(攫われた少女の救出依頼、という事で参加しましたが……)
燦々と照り付ける陽射しに目を細めつつ『スピードスター』柳 燐花(CL2000695)は、透き通るような肌を覆う黒いビキニを不安そうに摘まんだ。
お洒落には無頓着な自分に代わり、この水着を選んでくれた『ベストピクチャー』蘇我島 恭司(CL2001015)の気遣いが嬉しくて――自分の水着姿はどうなのだろうと、燐花はそっと彼の様子を窺ってしまっていた。
「現地までは船での移動と思っておりましたが、その……泳げずとも浮き輪がありますし、後ろからついていきますね」
「うん、地形の関係もあって、船で近くまで向かうのは難しいみたいだね」
地元の漁師など、この近辺に慣れた者ならば船を出せたかもしれないがと恭司は告げて、確りと浮き輪を握りしめた燐花をまじまじと見つめる。
(流石に海を浮き輪で泳ぐのは……かなり難儀だよね、これ)
とりあえず「大丈夫かな……?」とぽつり零した恭司だったが、燐花は真剣な表情で「大丈夫です」ときっぱりと返した。
「アタシも泳ぐの、苦手、だけど……。去年、練習して……泳げるように、なったから……頑張って、自力で泳いでいくよ……」
金の髪を纏めた『ホワイトガーベラ』明石 ミュエル(CL2000172)が気合を入れる中、入念に準備運動をしているのは『狗吠』時任・千陽(CL2000014)だ。
「む、何だか薄手で頼りないな……」
そうして『星護の騎士』天堂・フィオナ(CL2001421)は、活動的なショートパンツの水着に着替えたのだが――其処で普段のスーツ姿のままの八重霞 頼蔵(CL2000693)を見つけ、思わず目を丸くした。
「頼蔵はそのままの格好で泳ぐのか?」
「いや、水上歩行で歩いていく。……泳ぐのは好きではない」
涼しげな顔で応える、彼の持つバッグの中身はスーツの替えなのだと言う。着替えるにせよ其の侭行くにせよ、後で必要になるだろうとの判断からだった。
「うーん、泳ぐんだからパーカーは邪魔だよね」
一方で『使命を持った少年』御白 小唄(CL2001173)はサーフパンツ姿になり――そのついでにそっと、他の人の水着はどんな感じかと視線を巡らせる。
(やっぱり気になるよね! クー先輩のは特に!)
あんまりじろじろ見るのも失礼かと思うけれど、気になる先輩の水着姿にはやはり興味がある――そんな小唄の目に飛び込んで来た『Queue』クー・ルルーヴ(CL2000403)はと言えば、しなやかな身体に機能的な競泳水着を纏っていたのだった。
「尻尾で沈まないように注意してくださいね」
彼の反応を気にしつつ、泳ぎをリードしようと差し出されたクーの手を取って、小唄は頑張ろうと気合を入れる。思えば獣の因子を発現してから、こうして泳ぐのは初めてだ。
「……燐ちゃん?」
と、準備を終えた皆も其々に、海の洞窟を目指して泳ぎ始めたのだが――ふと背後を見た恭司は、次第に皆から離されていく浮き輪姿の燐花を見て、慌てて彼女の元へと駆け寄っていった。
(全然前に進みません……)
必死に水を掻くその姿は微笑ましくもあるのだが、このままでは大変そうだと、恭司は思い切って声をかける。
「燐ちゃん、もし嫌じゃなければ、僕に掴まってもらえるかな?」
「え? いや、ご迷惑をおかけする訳には……」
一人遅れると皆に迷惑をかけることは承知だけどと、燐花は恭司の申し出にかぶりを振るが――浮き輪だと波のせいでなかなか進まないしとの説得に、遂に折れたようだ。
「申し訳ありません……」
消え入りそうな声で呟き、燐花は彼の好意に甘えることにして、それでも中途半端に掴まると泳ぎを妨げそうだと、逞しいその背へおぶさることになった。
(……穴があったら入りたいとは、こういう状況でしょうか。流石に恥ずかしいのですが)
――それでも嫌かと言われれば、そうではないと思う。そうして一行は順調に海を泳いでいき、やがて行く手の水底にぽつぽつと、淡い光を放つウミユリの姿が見えてきた。
(会いたい人は、私にも居たのかな)
これから対峙する幻を前に、フィオナは朧げな記憶を辿ろうとするが――己にはやるべきことがあるのだと、慌てて気持ちを引き締める。
「……いや、今は捕まった子の心配だな! 義務を果たそう!」
●ウミユリの幻光
海の底でゆらゆらと、異形のウミユリは幻想的な光を発し、海を往くものを惑わせようと妖しく手招く。それは海の上を歩く頼蔵にすら影響を及ぼし、一瞬その場に留まってしまった彼は、水の支えを失って海の中へと沈んでいった。
(あ……こゆき、ちゃん……?)
懸命に手足を動かし泳ぐミュエルの視界の先――笑顔で駆けていくのは、小学校で親友だった女の子だった。気弱な性格だったミュエルを、いじめからも妖からも守ってくれたこゆきちゃんは自分と同じ覚者で。けれど、ちゃんとしたお礼を言えぬまま、ある日彼女は引っ越してしまった――。
(もしかしたら、アタシのせいで、地元にいられなくなっちゃったのかなって……ずっと、気がかりで……)
置いて行かないでと、子供の頃のようにミュエルは少女の背を追いかけようとするも、其処で伸ばしかけた手を戻してふるふると首を振った。
(でも、今のアタシは……あの時のこゆきちゃんみたいに……仲間を守るために、戦う勇気……ついた、から……)
――あなたのお陰で、ただ守られるだけじゃなくてみんなを守れる人になりたいって、思えたから。
(自分の役目を果たすために、行かなきゃ……)
ばいばい、と口にした言葉は泡となり、昔の姿のままの親友は海の底へと消えていく。そして、一方のフィオナが向き合っていたのは、ウミユリの中に佇む自分と同じくらいの女の子だった。
(君は、誰だ?)
――前世の記憶か、それとも過去か。或いは自身の記憶かと考え込むフィオナだが、女の子の顔はぼやけて見えず、何と呼びかけていいのかさえ分からなかった。
(……ごめん、)
口を吐いた言葉は謝罪。君は確かに居て、こんなにも会いたいのに――もう会えないのに、思い出せない自分が情けなくて、フィオナの瞳からはぼろぼろと涙が零れる。同時に胸を満たす後悔の念は、一体何に対してなのか。
(――駄目だ! 泣いてばかり居たら『今度も』、誰も何も護れない!)
其処で我に返ったフィオナは、もしもの時のアドバイスを思い出して――一度海面に顔を出し、自分と仲間たちに向かってあらん限りの声で叫んだ。
「戻って来い! 私と皆とは出会ったばかりで、皆の大切な人には程遠いけど。それでも大好きな、『今』確かに居る、護りたい人達だから!」
お爺様――と、その声は厳格な祖父の幻と対峙していた、燐花にも届いたようだ。そう、強くあれと常々自分に言い聞かせた祖父が、自分を海に引きずり込もうなどする訳が無い。
(あなたは、お爺様の形をした幻。……姿を見せて下さったことにはお礼を言います)
きっとそれは、ウミユリが自分の記憶を投影したものに過ぎないのかもしれない。けれど燐花は静かに感謝し、そして己が体重を預ける恭司に目を遣った。
(……蘇我島さん?)
――気のせいだろうか、彼は嗚咽を零しそうになっていたようだけれど、背負う存在のぬくもりにふと、我に返ったように瞳を瞬かせている。ごめん、と呟きそうになった恭司が見たものを、燐花に知る術は無い。
(……そうだよね、謝りに行ったりなんかしたら、逆に怒られちゃいそうだよね)
けれど、彼の目に映る大切なひとは、記憶に残るいつもの優しい笑顔をしていたのだ。
(僕に見えたのが君で良かった。ありがとう……うん、大切な子を守りつつ、ちょっと正義の真似事をしてくるね)
――遠い先になるだろうけど、また会えた時はゆっくり話でもしよう。次第に輪郭を失っていく懐かしい女性に、心の中で手を振りつつ恭司は思う。
(……そして、燐ちゃんが海に落ちないよう、目の前で落として怒られないよう、しっかりと繋ぎ止めないと、だね)
そして沈みゆく頼蔵が見たのは、海の底でもはっきりと分かるほどに、背筋正しく隙の無い立ち姿をしている初老の男だった。
(嗚呼、見間違う筈も無い。あれは爺様だ)
もう死んで何年になるのか――祖父は清廉ではなかったが賢く潔く、『夢』に惑う自分に「らしく生きればよい」と示してくれた恩人でもあった。だから――。
(故に私は歩を止めない。今は目的があり、其れを成すのが私だ)
良き思い出が目の前にあろうとも、其れはまやかし。必要ならば其の身を以て掻き消し、進むと決意した頼蔵へ、幻は行けと彼方を見つめたようにも見えた。
(……では、おさらば)
――先んじて情報がなければ動揺していただろう、と千陽は思う。それほどまでに自分をからかう声は、生前の記憶と相違無くて。
(ですがそれは、記憶と同じでしかないということ)
自分を庇って死んだ上司と向き合い、会いたいと願う大切なひとは貴方くらいだと千陽は呟き――そして彼はそっと、上司の名を冠したナイフを手に取った。
(ありがとうございます。俺は俺なりにやっていけますので、安心してください)
刃が一閃し、千陽は自らの手で過去の幻と決別をする。そうして大切なひとと向き合う者も居たが、一方の小唄にはそんな相手は未だ居なかった。その為か、彼の前にはぼんやりとした、誰とも知れない人影が浮かんでいる。
(僕は子供だから、心に深く残るお別れなんてまだした事がないんだ)
今までも、目の前で失った命は確かにあった。けれどそれは、振り返るべきことではない。
(僕が会いたい大切な人は、いつだってそばに居てくれてる。だから)
――手を繋いで泳ぐクーのぬくもりを感じ、小唄は迷いを振り切るように、強く強く心の中で叫んだ。
(しっかりと前を見て、大切な人と手を繋いで。ずっと一緒にいたい人と、ただ前に進むんだ!)
みんな、しっかりして――こんなところで立ち止まっている場合じゃない。その小唄の励ましはクーにも確りと届き、彼女は想影だとしても追いそうになっていた足を止め、小唄と繋いだ手を意識して幻を振り払った。
小さくて、それでいて温かい掌。その熱がクーを引き止めてくれるから。
(過去の時間は止めました。私は、現在を。今、守りたい者のために手を伸ばすと決めました)
海の底で揺らめく、先代の主人――忘れがたき己の主であった人と向き合い、クーははっきりと想いを告げる。貴方と会う時に、自信を持って会えるように。だからもう自分は迷わないのだと言って。
「大丈夫です。先を急ぎましょうか」
海から顔を覗かせたクーは、ずっと手を繋いでくれた小唄へと頷いて――どうやら他の皆もウミユリの幻に抵抗出来たようだと、先ずは安堵する。
「……すまないが、手を貸して貰えるだろうか」
――だが、海の中へと沈んだ頼蔵のスーツは水を吸って重くなり、彼は仲間に手を貸す筈が、自分が手を貸してもらう羽目になってしまったのだった。
●海月火の襲来
ウミユリの幻を越えて洞窟へと辿り着いた一行は、千陽の先導で地形を把握しながら洞窟を進んでいく。
洞窟にも光を放つウミユリが揺れていたが、一度抵抗すればもう幻に惑わされることはないようだ。そうして仄かに光る洞窟を進んでいくと、行く手にはふわふわと、浮遊する海月火が待ち受けていた。
「手早く仕留めましょう」
此方の姿を認め、襲い掛かってくる古妖にクーは気を放ち、強烈な重圧を与えて負荷を与え――固まった敵を一度に薙ぎ払えそうだと、頼蔵の火柱が纏めて獲物を焼き払っていく。
「やっぱり物理は効かないか……っ!」
術は苦手だとぼやく小唄は、一度体術を繰り出してみたものの――ほとんど手応えを得られずに、止む無く術での攻撃へと戻った。一方で、ミュエルは治癒力を高める香で皆に加護を与え、果敢に斬り込む燐花は苦無に炎を纏わせて一気に海月火を断つ。
「一度で駄目なら何度でも! 私らしく、全力で燃やして駆け抜けるぞ!」
天駆ける速さを宿したフィオナも前線で華麗な炎の舞を披露するが、排除しきれなかった海月火が揺らめいて体当たりを仕掛けてきた。肌を焼く熱が、瞬時に暴力的な痛みに変わるものの――後方から恭司が癒しの霧を生み出し、皆の負った傷を纏めて癒していく。
「さて、先を急ぎましょう」
――そして、残る海月火を気によって一気に押しつぶした千陽の声が、静寂を取り戻した洞窟に凛と響いたのだった。
●わたつみの巫女
やがて洞窟を進んでいくと、その奥に広がっていたのは鳥居がそびえる社のような空間であった。かがり火に囲まれた地面には、攫われた少女が横たえられており――駆け寄った一行は、眠っているだけで問題ないようだとほっと息を吐く。
――と、其処で音も無く、鳥居の向こうから白装束の巫女が現れて。穏便に対話でことを済ませようと、先ず声を掛けたのは千陽だった。
「こちらは君に危害を加えるつもりはありません。よろしければ、少しお話してもらえませんか?」
そうしてクーも、自分たちは行方不明になったその少女を助けに来たのだと此処へ来た理由を告げて、小唄は敵対したいわけじゃないと念を押す。
「ただ、その女の子が無事ならそれでいいんだ。その子の代わりに僕ができる事なら、協力したいって思ってる」
「寂しいのか、生きている人間が必要なのか、困ったことがあるのか。……わたつみの巫女、言って頂ければ力になれるかもしれません」
きっぱりと告げた千陽を、何か眩しいようなものを見るような目で巫女は見つめ――ややあってから彼女は、ぽつぽつと静かに語り始めた。
「……貴方がたが、幻に呑まれず此処まで来られたのであれば。どうか、その子を連れてやしろから逃げて頂けませんか」
「君はもしかすると、彼女を助けてくれた……そうじゃないんですか?」
横たわる少女にちらりと視線を向けつつ、真摯な声で千陽が問うと、巫女は哀しそうにかぶりを振る。
「いいえ。わたしが愚かにも、会いたいと願ってしまった……懐かしい気配を感じたので、無意識に引き寄せてしまったのです」
む、とフィオナは、やはりこの娘に会いたかったのかと頷き、もしかしたら――と巫女に尋ねた。海月たちは海に還った人の生まれ変わりで、この社は例え幻でも辛い記憶でも、もう一度会うことが許される場所なのか、と。
「それは、とても面白い考えですね。もしかしたら……本当はそうだったのかもしれません。でも、この少女は幻などではない。わたしの会いたかった本当の親友は、生きているかどうかさえ定かでは無いのですから」
「その子は、ここでは生きられない、から……連れていかないで……?」
縋るように説得するミュエルに巫女は頷き、話が通じそうだと思った頼蔵が厳かに切り出す。――贄か、人恋しさか。目的は何だねと。
「それを伝えるには、まず此処に祀られているものについて語らなければなりません。ここはわたつみの、みなも様のやしろなのです」
――みなも様。それが、かつて漁村で信仰されていた古妖の名前だった。海に浮かぶ月、海月の姿をした古妖は漁師を庇護し、遥かな時をこの海で過ごしてきたと言う。
みなも様は寿命を迎えると海に溶けて還り、数十年ごとに漁村の娘を依代にして、その肉体とひとつになり生き続けてきた。生贄と捉える向きもあるかも知れないが、漁村の者たちはそれを忌避すべきことだとは思っていなかった――何故ならば、いずれ海に還り生まれ変われるのだと、彼らは信じていたからだ。
「しかし、数十年前……わたしが新たな依代になろうとした時。既に村は廃村になることが決まっていました」
――人々は村を離れなくてはいけなくなった。しかしひとの事情など古妖には理解できず、伝えたところで人々が自分を捨てたのだと嘆き悲しむことは容易に察しが付いた。
「ですからわたしは、この身をやしろに封印して、みなも様の輪廻を断とうと決意していたのです」
そうして肉体が消滅する時まで眠り続けようと思っていたのだが、古妖が自らの寿命を察知したのか――或いは巫女が少女の気配に気づいたからか、死期が迫る寸前で古妖は目覚めてしまった。
そして直ぐに、彼女は変わり果てた周囲に気付き絶望し、自分を捨てて居なくなってしまった村人たちに憎しみを募らせていった。新たな依代を得て生まれ変わり、人間に復讐しようと動き出したのだ――。
「ですから、この子を新たな依代にさせない為にも、まず彼女を連れて逃げてください。そして出来るのであれば……みなも様を、鎮めてください」
今は未だ、半身である自分が抑えていられるけれど、それもあと僅かだと巫女は言う。やがて巫女の苦悶の表情に、怨念を宿した海月の姿が重なり――彼女は震える唇で逃げて、と皆に囁いた。
「ああ……君の名前、なんていうのかな?」
倒れた少女を抱えて皆が洞窟を出る間際、ふと問いかけた恭司に、巫女は『サユリ』と最後に答えたようだった。
――こうして攫われた少女を助けた一行は、無事に地上へと帰還を果たす。しかしもう一度、自分たちは此処へと戻ってくることになるだろう。
みなも様――怨念を宿し、輪廻を繰り返す彼の古妖を、静かに眠らせてあげる為に。
ゴトゴトと電車に揺られて数時間。辿り着いた海岸周辺には、かつて漁村があったと言う話であったが――その面影も既に失われて久しい様子だった。
(攫われた少女の救出依頼、という事で参加しましたが……)
燦々と照り付ける陽射しに目を細めつつ『スピードスター』柳 燐花(CL2000695)は、透き通るような肌を覆う黒いビキニを不安そうに摘まんだ。
お洒落には無頓着な自分に代わり、この水着を選んでくれた『ベストピクチャー』蘇我島 恭司(CL2001015)の気遣いが嬉しくて――自分の水着姿はどうなのだろうと、燐花はそっと彼の様子を窺ってしまっていた。
「現地までは船での移動と思っておりましたが、その……泳げずとも浮き輪がありますし、後ろからついていきますね」
「うん、地形の関係もあって、船で近くまで向かうのは難しいみたいだね」
地元の漁師など、この近辺に慣れた者ならば船を出せたかもしれないがと恭司は告げて、確りと浮き輪を握りしめた燐花をまじまじと見つめる。
(流石に海を浮き輪で泳ぐのは……かなり難儀だよね、これ)
とりあえず「大丈夫かな……?」とぽつり零した恭司だったが、燐花は真剣な表情で「大丈夫です」ときっぱりと返した。
「アタシも泳ぐの、苦手、だけど……。去年、練習して……泳げるように、なったから……頑張って、自力で泳いでいくよ……」
金の髪を纏めた『ホワイトガーベラ』明石 ミュエル(CL2000172)が気合を入れる中、入念に準備運動をしているのは『狗吠』時任・千陽(CL2000014)だ。
「む、何だか薄手で頼りないな……」
そうして『星護の騎士』天堂・フィオナ(CL2001421)は、活動的なショートパンツの水着に着替えたのだが――其処で普段のスーツ姿のままの八重霞 頼蔵(CL2000693)を見つけ、思わず目を丸くした。
「頼蔵はそのままの格好で泳ぐのか?」
「いや、水上歩行で歩いていく。……泳ぐのは好きではない」
涼しげな顔で応える、彼の持つバッグの中身はスーツの替えなのだと言う。着替えるにせよ其の侭行くにせよ、後で必要になるだろうとの判断からだった。
「うーん、泳ぐんだからパーカーは邪魔だよね」
一方で『使命を持った少年』御白 小唄(CL2001173)はサーフパンツ姿になり――そのついでにそっと、他の人の水着はどんな感じかと視線を巡らせる。
(やっぱり気になるよね! クー先輩のは特に!)
あんまりじろじろ見るのも失礼かと思うけれど、気になる先輩の水着姿にはやはり興味がある――そんな小唄の目に飛び込んで来た『Queue』クー・ルルーヴ(CL2000403)はと言えば、しなやかな身体に機能的な競泳水着を纏っていたのだった。
「尻尾で沈まないように注意してくださいね」
彼の反応を気にしつつ、泳ぎをリードしようと差し出されたクーの手を取って、小唄は頑張ろうと気合を入れる。思えば獣の因子を発現してから、こうして泳ぐのは初めてだ。
「……燐ちゃん?」
と、準備を終えた皆も其々に、海の洞窟を目指して泳ぎ始めたのだが――ふと背後を見た恭司は、次第に皆から離されていく浮き輪姿の燐花を見て、慌てて彼女の元へと駆け寄っていった。
(全然前に進みません……)
必死に水を掻くその姿は微笑ましくもあるのだが、このままでは大変そうだと、恭司は思い切って声をかける。
「燐ちゃん、もし嫌じゃなければ、僕に掴まってもらえるかな?」
「え? いや、ご迷惑をおかけする訳には……」
一人遅れると皆に迷惑をかけることは承知だけどと、燐花は恭司の申し出にかぶりを振るが――浮き輪だと波のせいでなかなか進まないしとの説得に、遂に折れたようだ。
「申し訳ありません……」
消え入りそうな声で呟き、燐花は彼の好意に甘えることにして、それでも中途半端に掴まると泳ぎを妨げそうだと、逞しいその背へおぶさることになった。
(……穴があったら入りたいとは、こういう状況でしょうか。流石に恥ずかしいのですが)
――それでも嫌かと言われれば、そうではないと思う。そうして一行は順調に海を泳いでいき、やがて行く手の水底にぽつぽつと、淡い光を放つウミユリの姿が見えてきた。
(会いたい人は、私にも居たのかな)
これから対峙する幻を前に、フィオナは朧げな記憶を辿ろうとするが――己にはやるべきことがあるのだと、慌てて気持ちを引き締める。
「……いや、今は捕まった子の心配だな! 義務を果たそう!」
●ウミユリの幻光
海の底でゆらゆらと、異形のウミユリは幻想的な光を発し、海を往くものを惑わせようと妖しく手招く。それは海の上を歩く頼蔵にすら影響を及ぼし、一瞬その場に留まってしまった彼は、水の支えを失って海の中へと沈んでいった。
(あ……こゆき、ちゃん……?)
懸命に手足を動かし泳ぐミュエルの視界の先――笑顔で駆けていくのは、小学校で親友だった女の子だった。気弱な性格だったミュエルを、いじめからも妖からも守ってくれたこゆきちゃんは自分と同じ覚者で。けれど、ちゃんとしたお礼を言えぬまま、ある日彼女は引っ越してしまった――。
(もしかしたら、アタシのせいで、地元にいられなくなっちゃったのかなって……ずっと、気がかりで……)
置いて行かないでと、子供の頃のようにミュエルは少女の背を追いかけようとするも、其処で伸ばしかけた手を戻してふるふると首を振った。
(でも、今のアタシは……あの時のこゆきちゃんみたいに……仲間を守るために、戦う勇気……ついた、から……)
――あなたのお陰で、ただ守られるだけじゃなくてみんなを守れる人になりたいって、思えたから。
(自分の役目を果たすために、行かなきゃ……)
ばいばい、と口にした言葉は泡となり、昔の姿のままの親友は海の底へと消えていく。そして、一方のフィオナが向き合っていたのは、ウミユリの中に佇む自分と同じくらいの女の子だった。
(君は、誰だ?)
――前世の記憶か、それとも過去か。或いは自身の記憶かと考え込むフィオナだが、女の子の顔はぼやけて見えず、何と呼びかけていいのかさえ分からなかった。
(……ごめん、)
口を吐いた言葉は謝罪。君は確かに居て、こんなにも会いたいのに――もう会えないのに、思い出せない自分が情けなくて、フィオナの瞳からはぼろぼろと涙が零れる。同時に胸を満たす後悔の念は、一体何に対してなのか。
(――駄目だ! 泣いてばかり居たら『今度も』、誰も何も護れない!)
其処で我に返ったフィオナは、もしもの時のアドバイスを思い出して――一度海面に顔を出し、自分と仲間たちに向かってあらん限りの声で叫んだ。
「戻って来い! 私と皆とは出会ったばかりで、皆の大切な人には程遠いけど。それでも大好きな、『今』確かに居る、護りたい人達だから!」
お爺様――と、その声は厳格な祖父の幻と対峙していた、燐花にも届いたようだ。そう、強くあれと常々自分に言い聞かせた祖父が、自分を海に引きずり込もうなどする訳が無い。
(あなたは、お爺様の形をした幻。……姿を見せて下さったことにはお礼を言います)
きっとそれは、ウミユリが自分の記憶を投影したものに過ぎないのかもしれない。けれど燐花は静かに感謝し、そして己が体重を預ける恭司に目を遣った。
(……蘇我島さん?)
――気のせいだろうか、彼は嗚咽を零しそうになっていたようだけれど、背負う存在のぬくもりにふと、我に返ったように瞳を瞬かせている。ごめん、と呟きそうになった恭司が見たものを、燐花に知る術は無い。
(……そうだよね、謝りに行ったりなんかしたら、逆に怒られちゃいそうだよね)
けれど、彼の目に映る大切なひとは、記憶に残るいつもの優しい笑顔をしていたのだ。
(僕に見えたのが君で良かった。ありがとう……うん、大切な子を守りつつ、ちょっと正義の真似事をしてくるね)
――遠い先になるだろうけど、また会えた時はゆっくり話でもしよう。次第に輪郭を失っていく懐かしい女性に、心の中で手を振りつつ恭司は思う。
(……そして、燐ちゃんが海に落ちないよう、目の前で落として怒られないよう、しっかりと繋ぎ止めないと、だね)
そして沈みゆく頼蔵が見たのは、海の底でもはっきりと分かるほどに、背筋正しく隙の無い立ち姿をしている初老の男だった。
(嗚呼、見間違う筈も無い。あれは爺様だ)
もう死んで何年になるのか――祖父は清廉ではなかったが賢く潔く、『夢』に惑う自分に「らしく生きればよい」と示してくれた恩人でもあった。だから――。
(故に私は歩を止めない。今は目的があり、其れを成すのが私だ)
良き思い出が目の前にあろうとも、其れはまやかし。必要ならば其の身を以て掻き消し、進むと決意した頼蔵へ、幻は行けと彼方を見つめたようにも見えた。
(……では、おさらば)
――先んじて情報がなければ動揺していただろう、と千陽は思う。それほどまでに自分をからかう声は、生前の記憶と相違無くて。
(ですがそれは、記憶と同じでしかないということ)
自分を庇って死んだ上司と向き合い、会いたいと願う大切なひとは貴方くらいだと千陽は呟き――そして彼はそっと、上司の名を冠したナイフを手に取った。
(ありがとうございます。俺は俺なりにやっていけますので、安心してください)
刃が一閃し、千陽は自らの手で過去の幻と決別をする。そうして大切なひとと向き合う者も居たが、一方の小唄にはそんな相手は未だ居なかった。その為か、彼の前にはぼんやりとした、誰とも知れない人影が浮かんでいる。
(僕は子供だから、心に深く残るお別れなんてまだした事がないんだ)
今までも、目の前で失った命は確かにあった。けれどそれは、振り返るべきことではない。
(僕が会いたい大切な人は、いつだってそばに居てくれてる。だから)
――手を繋いで泳ぐクーのぬくもりを感じ、小唄は迷いを振り切るように、強く強く心の中で叫んだ。
(しっかりと前を見て、大切な人と手を繋いで。ずっと一緒にいたい人と、ただ前に進むんだ!)
みんな、しっかりして――こんなところで立ち止まっている場合じゃない。その小唄の励ましはクーにも確りと届き、彼女は想影だとしても追いそうになっていた足を止め、小唄と繋いだ手を意識して幻を振り払った。
小さくて、それでいて温かい掌。その熱がクーを引き止めてくれるから。
(過去の時間は止めました。私は、現在を。今、守りたい者のために手を伸ばすと決めました)
海の底で揺らめく、先代の主人――忘れがたき己の主であった人と向き合い、クーははっきりと想いを告げる。貴方と会う時に、自信を持って会えるように。だからもう自分は迷わないのだと言って。
「大丈夫です。先を急ぎましょうか」
海から顔を覗かせたクーは、ずっと手を繋いでくれた小唄へと頷いて――どうやら他の皆もウミユリの幻に抵抗出来たようだと、先ずは安堵する。
「……すまないが、手を貸して貰えるだろうか」
――だが、海の中へと沈んだ頼蔵のスーツは水を吸って重くなり、彼は仲間に手を貸す筈が、自分が手を貸してもらう羽目になってしまったのだった。
●海月火の襲来
ウミユリの幻を越えて洞窟へと辿り着いた一行は、千陽の先導で地形を把握しながら洞窟を進んでいく。
洞窟にも光を放つウミユリが揺れていたが、一度抵抗すればもう幻に惑わされることはないようだ。そうして仄かに光る洞窟を進んでいくと、行く手にはふわふわと、浮遊する海月火が待ち受けていた。
「手早く仕留めましょう」
此方の姿を認め、襲い掛かってくる古妖にクーは気を放ち、強烈な重圧を与えて負荷を与え――固まった敵を一度に薙ぎ払えそうだと、頼蔵の火柱が纏めて獲物を焼き払っていく。
「やっぱり物理は効かないか……っ!」
術は苦手だとぼやく小唄は、一度体術を繰り出してみたものの――ほとんど手応えを得られずに、止む無く術での攻撃へと戻った。一方で、ミュエルは治癒力を高める香で皆に加護を与え、果敢に斬り込む燐花は苦無に炎を纏わせて一気に海月火を断つ。
「一度で駄目なら何度でも! 私らしく、全力で燃やして駆け抜けるぞ!」
天駆ける速さを宿したフィオナも前線で華麗な炎の舞を披露するが、排除しきれなかった海月火が揺らめいて体当たりを仕掛けてきた。肌を焼く熱が、瞬時に暴力的な痛みに変わるものの――後方から恭司が癒しの霧を生み出し、皆の負った傷を纏めて癒していく。
「さて、先を急ぎましょう」
――そして、残る海月火を気によって一気に押しつぶした千陽の声が、静寂を取り戻した洞窟に凛と響いたのだった。
●わたつみの巫女
やがて洞窟を進んでいくと、その奥に広がっていたのは鳥居がそびえる社のような空間であった。かがり火に囲まれた地面には、攫われた少女が横たえられており――駆け寄った一行は、眠っているだけで問題ないようだとほっと息を吐く。
――と、其処で音も無く、鳥居の向こうから白装束の巫女が現れて。穏便に対話でことを済ませようと、先ず声を掛けたのは千陽だった。
「こちらは君に危害を加えるつもりはありません。よろしければ、少しお話してもらえませんか?」
そうしてクーも、自分たちは行方不明になったその少女を助けに来たのだと此処へ来た理由を告げて、小唄は敵対したいわけじゃないと念を押す。
「ただ、その女の子が無事ならそれでいいんだ。その子の代わりに僕ができる事なら、協力したいって思ってる」
「寂しいのか、生きている人間が必要なのか、困ったことがあるのか。……わたつみの巫女、言って頂ければ力になれるかもしれません」
きっぱりと告げた千陽を、何か眩しいようなものを見るような目で巫女は見つめ――ややあってから彼女は、ぽつぽつと静かに語り始めた。
「……貴方がたが、幻に呑まれず此処まで来られたのであれば。どうか、その子を連れてやしろから逃げて頂けませんか」
「君はもしかすると、彼女を助けてくれた……そうじゃないんですか?」
横たわる少女にちらりと視線を向けつつ、真摯な声で千陽が問うと、巫女は哀しそうにかぶりを振る。
「いいえ。わたしが愚かにも、会いたいと願ってしまった……懐かしい気配を感じたので、無意識に引き寄せてしまったのです」
む、とフィオナは、やはりこの娘に会いたかったのかと頷き、もしかしたら――と巫女に尋ねた。海月たちは海に還った人の生まれ変わりで、この社は例え幻でも辛い記憶でも、もう一度会うことが許される場所なのか、と。
「それは、とても面白い考えですね。もしかしたら……本当はそうだったのかもしれません。でも、この少女は幻などではない。わたしの会いたかった本当の親友は、生きているかどうかさえ定かでは無いのですから」
「その子は、ここでは生きられない、から……連れていかないで……?」
縋るように説得するミュエルに巫女は頷き、話が通じそうだと思った頼蔵が厳かに切り出す。――贄か、人恋しさか。目的は何だねと。
「それを伝えるには、まず此処に祀られているものについて語らなければなりません。ここはわたつみの、みなも様のやしろなのです」
――みなも様。それが、かつて漁村で信仰されていた古妖の名前だった。海に浮かぶ月、海月の姿をした古妖は漁師を庇護し、遥かな時をこの海で過ごしてきたと言う。
みなも様は寿命を迎えると海に溶けて還り、数十年ごとに漁村の娘を依代にして、その肉体とひとつになり生き続けてきた。生贄と捉える向きもあるかも知れないが、漁村の者たちはそれを忌避すべきことだとは思っていなかった――何故ならば、いずれ海に還り生まれ変われるのだと、彼らは信じていたからだ。
「しかし、数十年前……わたしが新たな依代になろうとした時。既に村は廃村になることが決まっていました」
――人々は村を離れなくてはいけなくなった。しかしひとの事情など古妖には理解できず、伝えたところで人々が自分を捨てたのだと嘆き悲しむことは容易に察しが付いた。
「ですからわたしは、この身をやしろに封印して、みなも様の輪廻を断とうと決意していたのです」
そうして肉体が消滅する時まで眠り続けようと思っていたのだが、古妖が自らの寿命を察知したのか――或いは巫女が少女の気配に気づいたからか、死期が迫る寸前で古妖は目覚めてしまった。
そして直ぐに、彼女は変わり果てた周囲に気付き絶望し、自分を捨てて居なくなってしまった村人たちに憎しみを募らせていった。新たな依代を得て生まれ変わり、人間に復讐しようと動き出したのだ――。
「ですから、この子を新たな依代にさせない為にも、まず彼女を連れて逃げてください。そして出来るのであれば……みなも様を、鎮めてください」
今は未だ、半身である自分が抑えていられるけれど、それもあと僅かだと巫女は言う。やがて巫女の苦悶の表情に、怨念を宿した海月の姿が重なり――彼女は震える唇で逃げて、と皆に囁いた。
「ああ……君の名前、なんていうのかな?」
倒れた少女を抱えて皆が洞窟を出る間際、ふと問いかけた恭司に、巫女は『サユリ』と最後に答えたようだった。
――こうして攫われた少女を助けた一行は、無事に地上へと帰還を果たす。しかしもう一度、自分たちは此処へと戻ってくることになるだろう。
みなも様――怨念を宿し、輪廻を繰り返す彼の古妖を、静かに眠らせてあげる為に。
■シナリオ結果■
成功
■詳細■
MVP
なし
軽傷
なし
重傷
なし
死亡
なし
称号付与
なし
特殊成果
なし
