ツミトガ――あなたのツミは、どこから?
ツミトガ――あなたのツミは、どこから?



 目覚めない。
 何時間眠っていようとも、その人は目覚めない。
 いつかは目覚めるかもしれない。だがその前に衰弱死してしまうかもしれない。
 眠っている人は、夢を見ているようで、時折酷くうなされている。

 眠っている人――それは、あなたのことだ。

 事件は些細なところで発覚した。
 連休あけの朝、いつまで経っても起きてこない者がいたのだが、何をしても――本当に何をしても――起きないあたりでこれは異常事態だと認識されたのだ。その現象に陥っている者が他にいないかを確認し、状況を把握し、対策を練ろうとしたところで、一体何の対策ができるものかと頭を抱えるはめに陥った。
 各種調査結果から、この事態が古妖によるものだということはなんとか判明した。
 無理矢理起こすというのも試みられ、幾度かはうまく行ったようにも見えた。だが、被害者はまばたきであれ目を閉じた瞬間、ふたたび夢に落ちた。


 無理矢理起こされた被害者が、再び眠りに落ちる前につぶやいた言葉がわかっている。
「詰みが……詰みゲーが……。
 俺の連休は、まだ終わっちゃいない……!」
 これにより今回の事象は古妖、5月病メアリアンによるものであると確定した。
 5月にだけ人に姿を見せる、珍種の古妖だ。
 やり残したことが気にかかっていたり、こんなんじゃなかったなど現状に不満がある人を眠らせ、脱水や栄養失調を引き起こしたりと苦しめる。
 しかしメアリアン本人は人間を苦しめたいと思っていないのだ。
 夢と酷似した、精神だけを閉じ込めるメアリアンの世界。そこで彼女は被害者の「ツミ」を解消して欲しいと願っている。
 ――根本的に、それではやり残しの解消にはならないのだということは、古妖である彼女にはわからない。そのすれ違いを解消することはできないだろう。そもそもこの古妖は、知性こそあれど人の言葉を理解できていない。鸚鵡返しするしかできないのだから。
 しかし、彼女の世界の中で例えば「やり残していた詰みゲーを堪能した」と思えば彼女は満足し、メアリアンの世界から解放してくれる。どんなことにだって終わりはくるのだと、メアリアンは知っているのだ。
 だから、被害者は皆、そのうち目が覚めるだろう。
「ふたりの仇を――今度こそ、取る!」
 その世界の中で血の涙を流しながら、幻の妖を切り続けている吾妻 義和(nCL2000088)も。


 起き上がれば、抱えていた問題は何も解決していない世界。
 それを正夢と思い夢の実現に向かうか、邯鄲の枕として後の糧にするか、胡蝶の夢として無意味な娯楽ととらえるか、それは人それぞれだろう。


■シナリオ詳細
種別:通常
難易度:簡単
担当ST:ももんが
■成功条件
1.参加者の半分以上が起きる
2.なし
3.なし
ももんがです。なんかそういう気楽な話。

●状況
ウエルカムトゥようこそ夢の世界。
メアリアンの世界はだだっ広く平坦で白に塗りつぶされた、巨大な箱のような形。
被害者はその内側にいます。
その箱すべてがメアリアン。メアリアンは箱の内部であれば人型の端末を出現させることもできます。
メアリアンは人間のことが好きなので、人間がやりたいと思ったことの手伝いを惜しみません。箱の中ではあらゆるものを幻として貸し与えてくれるでしょう。
ただし読み終えていない本に書かれているのはまったく別の何か、ゲームは似て非なるものになるなど、創作性や創造性に価値を左右されるものはまともに再現されません。

●5月病メアリアン
知性ある温厚な古妖だが、言語を解する能力がなく会話はまず成立しない。
また、倫理観などは独自のものを持っており、説得の類は非常に難しい。
現実世界では蝶の姿をしていて、接触した相手の精神をメアリアンの世界に閉じ込める。
蝶の姿のメアリアンを倒すことは蝶を捕まえ殺すのとほぼ同じ手順で可能であり、また、被害者の近くにいることが多い。
ただし倒した場合、未開放の被害者に何が起きるのかは未知数。

●このシナリオでできること
やり残したこと、やりたいこと、もうできないこと。
つまり積んできたものや詰んだもの、つまり「ツミ」を積極的に解消してください。
例として、NPC吾妻義和の「ツミ」は仇をとれなかったことなので、仇を取ろうと戦い続けています。
(また、未成年の飲酒喫煙等、描写することができないものがあります。基準は18禁くらいとします。察してください。ライターとしてのももんがはまだ死にたくありません)
被害者である参加者同士は、合流しようと思えば可能です。
まったく何も知らずにいても良いし、一度目覚めて状況を把握していても構いません。自分に「ツミ」がなくとも被害者の手を握って眠れば介入が可能です。
なお、初夢等ではなく通常のシナリオですので「あなた」はあくまで「あなた」です。
精神から来たダメージであれど、怪我などは肉体に反映されます。古妖には読み終えていない本を読み終わらせることはできなくとも、捕らえた人の体を傷つけることはできるのです。

●成功条件について
満足したと思えば起きます。徒労に終わったと認識しても、「終わった」と思えば起きます。
すべてに絶望して「終わった」と思ったとしても、戦いに敗北して「終わった」と思ったとしても。
何かが完結した。そう思うことが、目覚めの合図です。
メアリアンは言葉ではなく感情で把握しているので「おお、割ったのは俺だ」では起きません。
満足した場合と絶望した場合の「完結感」の違いはメアリアンにはわからないようです。

●補足1
メアリアンとは、ふしぎの国のアリスに出てくる白ウサギの従者――とされている、名前しか出てこない誰か。ただし当時、メアリー・アンという言葉そのものが現代創作物で言う「セバスチャン=執事」のように女中の意味があったとも言われている。

●補足2
知り合いが夢に出てきたと思っても、それがメアリアンの作った幻である限り本人以外がその夢を覗けば裾の長いクラシックなメイド服を来た銀色のマネキンにしか見えません。
(メタな話、このシナリオに参加していないキャラクターの名前を出してもリプレイでは書き換わります)

●補足3
シリアスでもギャグでも可
大丈夫! 『簡単』の依頼だよ!
状態
完了
報酬モルコイン
金:0枚 銀:0枚 銅:3枚
(1モルげっと♪)
相談日数
8日
参加費
100LP[+予約50LP]
参加人数
4/8
公開日
2018年05月28日

■メイン参加者 4人■



 咄嗟の時に口にしてしまった言葉が、ずっと引っかかっている。
 ――そんな経験は誰にでもあるのだと、誰かに話せばそう返ってくることも、野武 七雅(CL2001141)にはわかっている。だが、誰にでもあるから何だというのだろう。飲み込めと、苦しめと、その傷は未来への糧なのだと、そう諭すことに何の意味があるのだろう。
 未来がどうとかじゃなくて、今その傷が痛いと訴えることの、何が悪いのだろう。
 さっきまでどこもかしこも真っ白だったのに、歩を進めるたび、周囲の風景が変わっていく。色画用紙で作った花や星がやたら賑やかに飾られた廊下の、壁には手すりが張り巡らされ、消毒用アルコールのボトルが置かれている。横開きの扉はずいぶん大きい。そうだ、ベッドごと外に出られる大きさなんだ。
 七雅はそこが、病院の廊下だと確信を持った。
 全く同時に、少年の声が脳裏に響く。
『天下統一して見ろよ、のぶながのくせに!』
 ――それは聞き慣れた声だった。
 言われるたび、七雅はいつも同じ様な勢いで反論していたものだ。
 七という数は、洋の東西を問わず吉数とされている。雅という漢字が表す美しさを知っている。その組み合わせで作られた文字が、自分を示す言葉なのだと思うと、誇らしかったからだ。
 だと言うのに。
「なつねは……なつねだもん。のぶながって、いうな……」
 小声でそう呟くと、七雅は己の腕をぎゅっと掴んだ。
 もう何年聞いていない声なのかを――もしかしたら二度と聞けないかもしれない声なのだと、知っていたから。
 幼稚園からずっと、五麟学園に来る直前まで言われ続けた。
 そんな意地悪を言う少年のことが、七雅は嫌いだった。憂鬱だった。
 ――あの日は、帰りの会で、七雅が転校することを先生がクラスに伝えた日だったはずだ。
 黒板の前に立って、何を言っただろう。別れの挨拶を、寂しいけれど、とか言ったような気がする。泣きそうになったけれどちゃんと言えたことは、間違いない。
 仲の良かった子が泣く声がきこえた、その時に、彼は突然立ち上がり、叫んだのだ。
『本能寺で火事になって死んでしまえ!』
 ああ、憶えている。自分が何を思ったのかも、憶えている。
 死んでほしいくらいなつね嫌われてるんだーって――そう思ったのだと、憶えている。
 悲しかった。だから、咄嗟に口走ったのだ。
『そっちがしんじゃえばいいの!!!』


 真っ白な空間の中で、『緋焔姫』焔陰 凛(CL2000119)はゆっくりと目を開けた。
 どこだろうかなどと考える前に、見覚えのある人影が視界に入り――その瞬間、凛は全身の血が滾り、その男以外のことはどうでも良くなった。
「今日こそ絶対勝つからな!」
 そう気合を込めて叫ぶと、愛用の刀、朱焔を――いつの間に手にしていたのかはわからなかったが、それもどうでもいいことだ――抜き放ち、髪色も瞳も、赤に変じる。
 凛の見ている人影は、ダークスーツに赤いシャツ、中折れ帽を被り、目にはサングラス。源素だの覚者だの誰も知らなかった時代のドラマで見かけそうな、古臭くはあれど絵に描いたような伊達男。そんな男だった。
 男はヘラヘラとした笑みを浮かべていたけれど、やはり抜き身の刀を手にしている。構える素振りすらない男だったが、凛はそれを隙だとみなすようなことはしない。何よりそれが隙でないことを、凛自身がよく知っている。
「――煌焔!」
 全速、渾身の三連撃。
 刀の持つ焔のような刃紋が炎のようにきらめく様に、見とれる者はこの場にいない。なぜなら知っているからだ。それはそういうものなのだと、凛も、男も。
 その切っ先が届くよりわずかに早く、男が動く。
 ぎぃん、と刀同士がぶつかる音は三度。正確にまったく同じ技を返したかのように――否、そう来ると凛が予想して少しだけ変えたはずの筋まで見極められて完全に、刀を合わせて受け流された。避けもせず。
 それどころか、仕掛けたはずの凛の腕がわずかにしびれを訴えている。
 力負けしたのだ。
 圧倒的だ。
 だからといってどうだというのか。
「……今日こそは」
 負けると思って戦いを挑む者が、どこにいるものか。
「あたしが勝つで。おとん」
 飛び退るように間合いを取り、改めて朱焔を構える凛。父の手強さを噛み締めながらにらみつけるその顔には、獰猛さすらも魅力的な笑みが浮かんでいる。
 父の笑みは変らず、ヘラヘラしていたが――傍から見れば、娘と同種の獰猛さが滲んでいることに気づくものがいたかもしれなかった。


 一度、起こされて何が起きているのかを聞いた『ホワイトガーベラ』明石 ミュエル(CL2000172)は、やはり真っ白な空間でぺたんと座り込んだまま考え込む。
「やり残したこと、かぁ……」
 目の前のことをひとつひとつ、一生懸命にやってきたミュエルには言われてすぐに思いつくものがなく――しかし、それはF.i.V.E.に来てからの話だ。それ以前のことを思い返すと、周囲の風景はその記憶通りに塗り替えられていく。
 驚いて立ち上がれば、足元の感触さえ土の多い柔らかいものに置き換わる。
 北は浅間山、南は八ヶ岳。山に囲まれた、いわゆる田舎の景色。
 見慣れたそれは、ミュエルが生まれ育った地元の風景だった。
 だけど、その景色が現在のものではないこともすぐに理解できる。
 だってあそこに見えるお店――あれは、店主のおばあちゃんが亡くなった後に取り壊したはずのお店だ。
 良い思い出があるわけじゃない。ミュエルのこともその父のことも、異邦人だと顔をしかめたおばあちゃんだ。だけど、それはおばあちゃんに限らない。
 クラス替えの度に、新しいクラスメイトから「外人」と呼ばれた。
 排他性の強い地域だったと言うほかない。だが、排他される側にとってはたまったものではない。ミュエル自身、ここで育ったことが己の内向的な性格と無関係だと思っていない。
 見覚えのある、見覚えとそのまますぎる景色の中を、ミュエルは歩き出した。
 あのお店があるのなら、これは小学生の頃のはずだ。
 ――いや、さっき起こされた時に聞いた話を思えば、他にありえない。
 やり残したこと、もうできないこと。
 この空間の主はそうしたものをやらせたがるのだと言っていたはずだ。
 足が自然と早くなる。
 誰ともすれ違わなかったけれど、それを不思議だとは思わない。この空間は偽物だとミュエルは知っている。だけど向かっている先にあの子がいることには、確信があった。


 鍵がかかったドアでも、鍵の周りが朽ちてしまえば鍵の意味をなさない。戸締まりはきちんとされていたのに年月がそれを開けてしまった、古い古い建物。行ってはいけないと、何度も言い含められていた場所だ。だが、ランドセルさえ背負う前だった離宮院・さよ(CL2000870)に、その言葉はきちんと届いていなかった。
 それでも、古妖が再現したこの場所は、あの廃屋だと理解できる。
 さよも、一度目を覚まし、事情を知ったひとりだ。だから、この後起きることも、理解していた。
 押すだけで動いてしまう朽ちた扉の向こうには、きっと、幼い己がいるはずだ。
 ――好奇心は猫を殺す、とはよく言ったもの。その頃のさよにとって動物というものは犬や猫の他、仲良くなることのできる生き物のことを指していた。それもあってか、近所にあった廃屋に住み着いた「やけん」の話が、野犬という言葉や意味と結びつかず、ただ犬がいるのだと覚えてしまった。
 犬ならば、すぐに仲良くなれると思い込んだ。
 一人で廃屋に向かって――唸る野犬をさほど警戒せずに手を出し、噛みつかれそうになって。
「…………」
 思い出の痛みに、さよは手を胸元に当てた。
 大人の忠告を聞かず身勝手なことをした少女は、さよが廃屋に入り込んだことに気がついたひとによって、怪我をする前に助けられた。
 だというのに。
 深呼吸すると、さよは扉を押した。
 その向こうには――
「おおおおおおお!!!」
 おっさんが、ナイフ一本で銀色のマネキンと切り結んでいた。
「え……?」
 真っ白な空間の中に放り込まれたさよは、驚いて振り返る。押し開けたはずの扉は消えてしまっていた。男も、さよに気がついたようだ。
「なんだ、こども!? おい、ここは危な――がっ」
 蹴り飛ばされた男の顔は、どこかで見たような気がする。確か、吾妻……義和とかいう名前の、F.i.V.E.に所属している人のはずだ。
 とどめとばかり男を蹴り転がしたマネキンは、白い地面にすうっと溶けるように消える。
「また……倒せなかった……!」
 地面を叩いて悔しがる男の唐突さに、さよは状況がよく飲み込めない。
「ん? よく見れば……君はF.i.V.E.の覚者だな。無様なところを見せた。君は無事か?
 しかし、こうなると他にも覚者がいるということか。このよくわからん空間から出る手立てを考えなければ……」
「あの、この空間は、古妖が作ったものだそうです」
「なんだって?」
 5月病メアリアンのことをまるで知らないらしい義和に、さよはさっき教わった状況を説明する。
「……助けてもらったときに、謝れなかった……か」
 古妖の能力を説明された義和は、自分たちがなぜここにいるのかを理解したらしい。しかし納得した義和とは逆に、さよは一体どうしたら良いのかわからなくなってしまっていた。混乱しているさよに気がついた義和に、何があったのかと聞かれ――さよはその、小さな後悔を口にした。
「さよの代わりに噛まれてしまったのに……その時のさよは、友だちになれるはずだと思ってた野犬に、全く気持ちが届かなかったことがすごくショックで……」
 もちろん、ほぼ初対面の大人に、簡単に言える話ではない。だから、話し出すことに時間はかかった。だけどこのまま起きることができなくなる方がまずいのだと気がつけば、対処策を考える人の頭は少しでも多い方がいいと切り替えることができた。
 そうしてさよが考えたり話したりしている間、義和はしゃがみこんで視線の高さを合わせたまま、ずっと黙っていた。
「助けてもらったことをきちんと謝るどころか、逆に、余計なお世話、みたいなことを言ってしまったような気がします」
「……そうか。だがその人は、怒らなかっただろう?」
「はい。少し困ったような顔をしただけでした」
 義和はさよの話を聞くと、さよを助けたひとの反応を言い当てた。
 顎を一つ撫でると、目をそらし、義和は続ける。
「君が謝れなかったことはきっと、その人もわかっていたんだろうな。
 それよりも、君が無事で良かった――自分がその場にいたのなら、そう考えたはずだ」
 その言葉を聞きながらも、さよは、自分のまぶたがとても重たくなっていることに気がつく。
 うとうとしはじめたさよを見て、義和は反射的に頭を撫でようと手を伸ばし、やめる。
「君の後悔は、まだ『詰んで』いない。やりなおせることだと、君は話をしながら自分で気がついたのだろう――ここが君に教わったとおり、眠った後の世界なら、君はもうすぐ、目覚めるはずだ。
 起きたら、夢でなく、ちゃんと謝っておくといい。
 二度と会えなくなってから、言えなかったことを悔やんでしまう前に」
 義和の声を聞きながらさよは目を閉じ――そして、布団の上で目が覚めた。


 七雅が交通事故の話を聞いたのは、転校したあとすぐだ。
 一命はとりとめた、と聞いた。
 助かったのは命だけだ、とも。
 七雅のせいではない、ただの偶然だ、周りの大人は何度も七雅にそう言い聞かせた。それでも、七雅は納得できなかった。言ってしまった言葉は、取り消せないのだ。
 謝りたいと思っても、怖れの方が先にたった。
 それでもやっぱり、謝りたかった。
 横開きの扉を開く。個室のようだ。いろんなチューブがつながったベッドがひとつ、窓際にあった。そこに眠っている少年の姿は、今の七雅よりいくらか幼く見える。七雅の記憶のままの姿。
「……なつねにいつも意地悪な事いってたけど。
 腹がたったとはいえ、なつねも、しんじゃえっていってゴメンナサイなの」
 噛みしめるようにそう言うと、七雅は頭を下げた。
 カーテンが揺れたのか、光が動く。七雅が顔を上げると、少年が、今目覚めたかのように身を起こしたところだった。
「あ……」
「――――」
 少年の唇が動く。何かを言った。七雅はそう思った。
 しかし聞き取ることは出来ず、それでも、ふわりと心に温かいものが浮かぶ。
 穏やかなぬくもりに、七雅はゆっくりと目を閉じる。
 やがて、意識は『夢』から開放された。


「くっ……!」
 距離をとって息を整えようとしても、即座に切っ先が近づいてくる。凛は切り払うようにしてその刃を躱し、もう一度にらみつける。
 どんなに速く動いても、どんなに重い一撃を加えても。
(――おとんの方が、速くて重い……!)
 ずいぶんと実戦経験も積んだ。致命傷など受けてはいない。だが、それだけだ。
 凛の刀は、いまだ父を捉えることできずにいる。
 目の前の父は相変わらず余裕を崩さず、片手で彼自身の胸を指で示し――くるん、と。まるい形を虚空に描いた。
「なんや、成長したんは胸だけか……ってか」
 言葉はないが、凛にもその意味は理解できてしまった。はは、と力なく笑う。言い返す気力もない。だからといって諦めることはできない。
「此処で諦めたら、きっと一生勝てん」
 そうつぶやくと、凛は刀を構え直し、そしてまた挑みかかる。
 何度も。何度も。
 もう何合、切り結んだことか。
 いや、そんなわずかなもののわけがない。数分、数時間、もしかしたら数日。それほどの時間が経っているようにさえ感じられた。
 時間が経てば、その分、疲労も蓄積する。
 動かし続けた体は軋むような悲鳴を訴えて、受け流し損ねた傷は重なり、身を損ねていく。それでも闘志は、その炎だけは消えず、凛を突き動かし続ける。
 やがて炎だけが残り、思考さえ霞み始めた時、煌焔が初めて空気以外のなにかを切った。
 凛の脳を覆った霞が晴れる。
 彼女の目の前には、肩口を斬られ、刀を落とした男の姿があった。
「――――」
 男が口を開く。何を言っているのかは、よくわからなかった。
 それでも凛には音ではなく、別のかたちで、伝わった。
 もしかしたら、今までにもどこかで言われたことがあったのかもしれない。
 ――お前は刀振るう時色々考えすぎやねん。
   ただ刀の動きたいようにさせたらええ――
 その男が言わんとすることの意味は、凛にはまだ、よくわからない。
 それでも父の顔に相変わらず浮かんでいた笑みからは軽薄さが消え、それは娘の目には、どこか嬉しそうなものに見えた。
 たかが一太刀、されど一太刀。
 ただ一撃でも武器を取ることが出来なくなれば、それは勝敗をそのまま決める。
 凛は勝ったのだ。
 満足感で心が満たされていくのを感じて、凛は目を閉じる。
 ――そして、目覚めが訪れる。


 あの頃たった一人の、大切な友達。
 見た目からして周囲から浮いていたミュエルに、周りの目を気にすることなく普通に接してくれた、男勝りで勝気で、心根の優しい少女だった。
 その場所に着いた時、ミュエルはいつの間にか、息を切らせていた。
 小学校の校庭というのは、こんなにも狭かっただろうか。
 聞こえたはずのない声が聞こえた気がして、ミュエルはもう一度、走り出した。
 あの子が獣の因子を発現したのは、小3の頃だったはずだ。腕を覆った鱗はこの居間かでは奇異に映ったらしく、あの子もまた徐々に孤立していった。
 ――外人と一緒にいるから変な菌がうつった――
 唇を噛みしめる。
 ずっと後になって自分も覚醒し、F.i.V.E.のことを知った時、心の何処かで、五麟市に来ればあの子に会うことができるのではないかと思っていた。
 だけどそうじゃなかった。
 言えなかった言葉はずっと、心のどこかで燻っていた。
 走り込んだ校庭の隅っこでは、大柄な少年と、腕に鱗を持つ少女が睨み合い、今にも取っ組み合いを始めそうな様子だった。
「待って! だめ!」
 ただの少年に大怪我をさせてしまった少女は、次の日から学校に来ることなく、いつしかこの土地を去ってしまっていた。
 子供だったミュエルはこの時、ただ怯えて見ているしかできなかった。
 それがずっと、心残りだったのだ。
 掴み合いになりかけていた子どもたちを引き離すと、少年の目が、ミュエルの膝を見る。そこは確かに、常人のものとはかけ離れたかたちをしている。なにか言いたそうな顔で、少年はミュエルを見あげた。
 ミュエルは少年に向かって言い放つ。
「この髪も、膝も――この子の腕も! 病気でもなんでもない!」
 あの時怯えたのは、喧嘩にであって、友人に怯えたのではないのだと。
 それが伝えられなかったことが、ずっと、ずっと、胸のなかでつかえていた。
 やっと言えた言葉に、目の前の少女が泣きそうな顔で笑う。
 きっと今、自分は同じ顔をしていると、ミュエルは思った。
 ほっとしたせいか、急に意識が遠のいていく。
 ――自分が目覚めようとしているのだと、ミュエルにはわかった。


 5月病メアリアンはひらりと舞う。
 もうすぐ京都にも梅雨が来る。そのころにはまた眠らなければ。
 ひとを愛する古妖は、それでもひとを不思議に思う。
 現実も夢と同じくらい、自由に生きれば幸せなのに、と。
 ひとの幸せを願いながらもひとの倫理を解さぬ蝶は、また一年の眠りについた。

〈了〉

■シナリオ結果■

成功

■詳細■

MVP
なし
軽傷
なし
重傷
なし
死亡
なし
称号付与
なし
特殊成果
なし




 
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