ヤングヒダル、山を下る
●
夏が去ろうとしている。
ここ数日、猛暑に途絶えていた人の足がまた山に戻ってきていた。
しかし――
ヒダル神の名を受け継いだ若い妖怪は山を下りることにした。このまま山にいてもビックになれないからだ。
彼には夢があった。
世界に名を轟かす、ビッグスター(大妖怪)になる夢が。
すまない、と妖怪は峠の小さなほこらに手を合わせて頭(こうべ)を垂れる。
「先代、わしは行くよ。次に戻ってきたときはここにでっけえ社を建ててやるからな」
「わたしは建材にしないでくださいね、ひひ……」
若い、といっても齢百になるヒダルは、黒服から差し出されたサングラスを受け取とった。ツルを開いて耳にかける。
なんでもこのサングラス、人間界では有名な銘柄のものらしい。夏の都を闊歩するカップルたち必須の品なのだとか……。
「つまらん心配をするな。それよりも、都へ行くぞ!」
ヒダルはフリンジの垂れ下がる腕を煩わしそうに横へ振った。細い糸のようなフリンジが、まるで乾燥中のそうめんに見える。
「ひひひ……『スター』の衣装がよくお似合いで。それでは参りましょうか」
黒服は妖怪と揃いのサングラスをかけると、山を下り始めた。
●
「大阪の阿倍野ハルカスに向かってくれ。撃退してほしい妖怪と憤怒者がいるんだ」
久方 相馬(nCL2000004)は頼む、と集まった覚者たちに頭を下げた。
場所は地上300m、阿倍野ハルカスは屋上61階へリポート。憤怒者に操られた妖怪によって、体力の弱った人たちが地上へ投げ落とされるという。
「もろ見ちまった。300メートルの高さから落ちた人がベシャっと……」
相馬は口を手で隠すと一瞬、顔を伏せた。
「憤怒者のコードネームは『夢先案内人』。妖怪はヒダル神。二代目だか、三代目だがで、古妖といっても比較的新しく生まれたやつだ。ちなみにヒダル神は空腹をもたらす妖怪で、主に西日本各地の山中に生息している。こいつに襲われると猛烈な空腹を感じて体の自由が効かなくなる。そのまま何も食べないでいるとすぐ死ぬんだぜ。怖いよな」
ヒダル神は古くから昔話に登場する、日本国内では著名な妖である。近年は山を越える交通手段の多様化、すなわち自動車などの登場によりすっかり影が薄くなっていたのだが……。
覚者のうち何人かが、ヒダル神なら知っているとうなずいた。
「こいつが弱った人を持ち上げて、ヘリポートからハルカスの南の外へ投げる。『サングラス』を通じて『夢先案内人』に、他の星……人は捨ててしまえとそそのかされているんだ」
『サングラス』を破壊すれば、ヒダルの洗脳は解ける。
しかし、街中に放置していい妖怪ではない。
例えば自動車やバス、電車の運転手が運転中に体の自由を奪われてしまったら?
「街ではすぐ食べ物を買えるけど、空腹を感じてすぐ食べられるとは限らないだろ?」
大事故を想像してのことか、覚者たちが顔をしかめた。
退治するしかない。
「ハルカス300チケットはF.i.V.E.で用意した。まず60階の展望台へ行き、あとは非常階段でヘリポートへ上がってくれ」
ヘリを用意できなくてごめん、と相馬はまた頭を下げる。
「あ、ヒダル対策にお菓子とかハンバーガーとか、動きながら食べられるものを持っていけよ。ダイニングバーの厨房を借りて何か作ってもいいぜ」
●
(愛する人を目の前で無残に殺されることが、どんなにつらいか……思い知れ!)
長年の恨みが果たされんとした時、『夢先案内人』は非常階段を駆け上がってくる複数の足音を聞いた。
喜びの震えが一転して、嫌な予感がもたらす震えに変わる。
(もう少しなのに!)
『夢先案内人』はサングラスを外すと、ヘリポートから天空庭園へ投げ捨てた。
夏が去ろうとしている。
ここ数日、猛暑に途絶えていた人の足がまた山に戻ってきていた。
しかし――
ヒダル神の名を受け継いだ若い妖怪は山を下りることにした。このまま山にいてもビックになれないからだ。
彼には夢があった。
世界に名を轟かす、ビッグスター(大妖怪)になる夢が。
すまない、と妖怪は峠の小さなほこらに手を合わせて頭(こうべ)を垂れる。
「先代、わしは行くよ。次に戻ってきたときはここにでっけえ社を建ててやるからな」
「わたしは建材にしないでくださいね、ひひ……」
若い、といっても齢百になるヒダルは、黒服から差し出されたサングラスを受け取とった。ツルを開いて耳にかける。
なんでもこのサングラス、人間界では有名な銘柄のものらしい。夏の都を闊歩するカップルたち必須の品なのだとか……。
「つまらん心配をするな。それよりも、都へ行くぞ!」
ヒダルはフリンジの垂れ下がる腕を煩わしそうに横へ振った。細い糸のようなフリンジが、まるで乾燥中のそうめんに見える。
「ひひひ……『スター』の衣装がよくお似合いで。それでは参りましょうか」
黒服は妖怪と揃いのサングラスをかけると、山を下り始めた。
●
「大阪の阿倍野ハルカスに向かってくれ。撃退してほしい妖怪と憤怒者がいるんだ」
久方 相馬(nCL2000004)は頼む、と集まった覚者たちに頭を下げた。
場所は地上300m、阿倍野ハルカスは屋上61階へリポート。憤怒者に操られた妖怪によって、体力の弱った人たちが地上へ投げ落とされるという。
「もろ見ちまった。300メートルの高さから落ちた人がベシャっと……」
相馬は口を手で隠すと一瞬、顔を伏せた。
「憤怒者のコードネームは『夢先案内人』。妖怪はヒダル神。二代目だか、三代目だがで、古妖といっても比較的新しく生まれたやつだ。ちなみにヒダル神は空腹をもたらす妖怪で、主に西日本各地の山中に生息している。こいつに襲われると猛烈な空腹を感じて体の自由が効かなくなる。そのまま何も食べないでいるとすぐ死ぬんだぜ。怖いよな」
ヒダル神は古くから昔話に登場する、日本国内では著名な妖である。近年は山を越える交通手段の多様化、すなわち自動車などの登場によりすっかり影が薄くなっていたのだが……。
覚者のうち何人かが、ヒダル神なら知っているとうなずいた。
「こいつが弱った人を持ち上げて、ヘリポートからハルカスの南の外へ投げる。『サングラス』を通じて『夢先案内人』に、他の星……人は捨ててしまえとそそのかされているんだ」
『サングラス』を破壊すれば、ヒダルの洗脳は解ける。
しかし、街中に放置していい妖怪ではない。
例えば自動車やバス、電車の運転手が運転中に体の自由を奪われてしまったら?
「街ではすぐ食べ物を買えるけど、空腹を感じてすぐ食べられるとは限らないだろ?」
大事故を想像してのことか、覚者たちが顔をしかめた。
退治するしかない。
「ハルカス300チケットはF.i.V.E.で用意した。まず60階の展望台へ行き、あとは非常階段でヘリポートへ上がってくれ」
ヘリを用意できなくてごめん、と相馬はまた頭を下げる。
「あ、ヒダル対策にお菓子とかハンバーガーとか、動きながら食べられるものを持っていけよ。ダイニングバーの厨房を借りて何か作ってもいいぜ」
●
(愛する人を目の前で無残に殺されることが、どんなにつらいか……思い知れ!)
長年の恨みが果たされんとした時、『夢先案内人』は非常階段を駆け上がってくる複数の足音を聞いた。
喜びの震えが一転して、嫌な予感がもたらす震えに変わる。
(もう少しなのに!)
『夢先案内人』はサングラスを外すと、ヘリポートから天空庭園へ投げ捨てた。

■シナリオ詳細
■成功条件
1.憤怒者『夢先案内人』の撃破、または捕獲
2.古妖『ヤングヒダル』の撃破
3.61階~58階にいる一般人全員の生存(覚者と隔者は含まない)
2.古妖『ヤングヒダル』の撃破
3.61階~58階にいる一般人全員の生存(覚者と隔者は含まない)
日没直前。
主戦場:阿倍野ハルカス、屋上61階へリポート。
●状況
・屋上ヘリポートには、見学中の一般人13名と隔者2名。合わせて15名がいます。
一般人と覚者は全員体が弱っており、柵に背もたれて座り込んでいます。
※覚者たちが到着すると同時に、黒い服を着た女性1名(隔者)がヘリポートの南側で
地上へ投げ落とされそうになっています。
なお、ヘリポートに上がる非常階段は東側にあります。
※一般人の中に憤怒者『夢先案内人』が紛れ込んでいます。
・男性7名(うち黒い服を着た人物が2人、黒服を着た隔者が1名)
・女性8名(うち黒い服を着た人物が3人、黒服を着た隔者が1名)
・天井回廊(60階)と59階、天空庭園(58階)にも体が弱った一般人がいます。
・60階……15名
・59階……5名
・58階……30名
60階~58階にいる人々は地上へ投げ捨てられる恐れはありません。
しかし、放置すると遅からず餓死します。
●敵
・ヤングヒダル……古妖
名前を受け継いだばかりの比較的若い妖怪です。とはいっても百歳。
1個体としてはそれなりに強いです。
【ころばし】……物/近単:対象を豪快に転ばせます。
【だるだる】……特/近列:強い倦怠感を感じて、思うように動けなくなります。
【はらへり】……特/遠貫:強い飢餓感を感じて、思うように力が出せなくなります。
※飛行中に【だるだる】、【はらへり】を受けると落下します。
すとんと垂直に落ちるので、まず300m下に落ちることはないでしょうが……
※【だるだる】、【はらへり】に関しては何かを食べることで「追加効果」を無効化できます。
※食べ物はアイテムとして持ち込むか、58階天空庭園にあるダイニングバーで
調理したものを運んで食べるか……のどちらかになります。
・憤怒者『夢先案内人』……人間
ヒダル神をそそのかし、下山させた人物。
阿倍野までヒダル神を連れて来た。ちなみに近鉄電車を利用。
【対覚者用短剣】……物/近単
【対覚者用短銃】……物/遠単
※憤怒者『夢先案内人』は覚者到着と同時に失敗をさとり、逃げ出そうとしています。
※逃げ出せないと判断すると、覚者たちを攻撃してきます。
※また、「捕まるぐらいなら……」と自殺をこころみます。説得は難しいでしょう。
●その他
・『サングラス』
これをつけた者は、対のサングラスをかけた所有者のいいなりになる。
付喪神の一種のようだが、詳細は不明。※攻撃力なし。
一組そろいで効果を発揮するため、どちらかが壊れるとただの古臭いサングラスになる。
ちなみに、『夢先案内人』が投げ捨てた方のサングラスは壊れていません。
・隔者のカップル(男/暦天、女/械火)
40代後半のカップル。20年間、海外で暮らしていたらしい。
日本に帰ってきたばかり。
ヤングヒダルに攻撃されて弱体化しているため、ほぼ攻撃力なし。
保護しても、しなくても、どちらでもよいが、隙を見せると襲い掛かってくる。
●STコメント
ちょっと難度高めの「普通」です。
やることいっぱい。
妖怪退治はさほど難しくありませんが、一般人の中から早めに憤怒者『夢先案内人』を
探し出す必要がありますよ。
逃げられると失敗です。
60階~58階にいる一般人の保護も忘れずに。
よろしければご参加ください。
状態
完了
完了
報酬モルコイン
金:0枚 銀:1枚 銅:0枚
金:0枚 銀:1枚 銅:0枚
相談日数
9日
9日
参加費
100LP[+予約50LP]
100LP[+予約50LP]
参加人数
9/9
9/9
公開日
2015年09月10日
2015年09月10日
■メイン参加者 9人■

●
『レヴナント』是枝 真(CL2001105)は、北向きの一面ガラスに指をついて、小さくなっていくビル群を凝視した。
階が上がるにつれて心の温度が下がっていく。
(……成すべき事は、ただひとつ)
エレベーターが止まった。16階だ。
ドアが開くと同時に不安に満ちた人々のざわめきが、出て行く覚者たちの替わりに入り込んできた。
男の怒鳴り声が聞こえる。
『わんぱく小僧』成瀬 翔(CL2000063)はドアを手で押さえて、中に一人残った真を待った。
「是枝さん、ドアが閉まっちゃうぜ?」
振り返った真の無表情な顔をみて、翔はなぜか心の底が騒ぎ立つのを感じた。
「……酔った?」
「まさか。景色に見とれていただけです」
翔の横を、指でメガネを押し上げながら真が通り過ぎる。
「行きましょう」
「う、うん……」
二人は美術館の前にとどまり続ける人々の間を抜け、展望台行のエレベーター乗り場へ向かって走り出した。
「あ! きたきた」
奥州 一悟(CL2000076)は二人の姿を見つけるなり、上げた手を大きく振った。
「何してたんだよ。行くぜ」
二人を先に入場ゲートへ通して走らせ、一悟は後から押し込む形でエレベーターに飛び込んだ。
「こっちのエレベーターは外が見られないんだな」
光が下に向かって流れ落ちる壁の演出見つめながら、阿久津 亮平(CL2000328)がつぶやく。
16階から60階まで、エレベーターはノンストップで引きあげられていた。
いまのうちに、と亮平は演武と清風を全員にかけた。
「あうう……ちょっぴり酔いそうなのよ」
胸に手をあててうつむいた『ゆるゆるふああ』鼎 飛鳥(CL2000093)に、新月・悛(CL2000132)が「大丈夫?」、と優しく声をかける。
「いま50階を過ぎました。あともう少しよ」
「そう言っている間に着いた」
ドアから一番に飛び出したのは『浅葱色の想い』志賀 行成(CL2000352) だ。
「……と、これはすごいな。さすがに高い」
ガラス一枚隔てて広がる天空の景色に足を止めて息を飲む。
「でも、まだ300メートルじゃない。ヘリポートはこっち」
桂木・日那乃(CL2000941)が行成の腕を引いて、エレベーターホールの右へ回りこんでいく。
「がんばってネ」
光邑 リサ(CL2000053) はドアの横で座り込んでいた女性スタッフを助け起こしながら、ヘリポートに向かう仲間を見送った。
亮平は天空回廊へ急いだ。
『投げ捨てられるサングラス』を目撃するために、最適な位置を探してガラス越しにヘリポートを見上げる。
(ここでよし)
エスカレーターから遠く離れず、ヘリポートのふちを視界に入れられるギリギリの場所で鷹の目を活性した。
「あすか、声をかけて回るのよ。リサおばあさんは下へ降りてお料理始めてくださいなのよ」
「エエ、そうさせてもらうワ。ア、そうそう。あのね、アスカちゃん。ワタシのことは気軽にリサって呼んで頂戴」
リサは、「阿久津さんもネ」と大きな声で呼びかけてから、天空庭園に向かった。
苦笑いする亮平の後ろを、飛鳥が廊下に座ったり、倒れたりしている一人一人に声をかけて回る。
「あすかと愉快な仲間たち推参なのよー! みなさまご安心召されよ。すぐにおいしい食べ物を運んでくるのよ。ちょっとのしんぼうでござるのよ」
時代劇がかったおかしな台詞を聞いて、亮平の笑みが大きくなっていく。さすがに不謹慎と思ったのか、亮平は襟首を引き上げると口元を隠した。
(……っと!)
300Mと描かれたヘリポートのふちの下で何かが動くのが見えた。
亮平が目を凝らすと、一羽の青い鳥、否、守護使役が空へ舞い上がっていくところだった。
●
非常階段の途中に緊急避難場所が設けられていた。
見るとガラスや網のようなものは張られていない。吹きさらしだ。
普段は勝手に人が避難場所へ出ないよう警備員が立っているらしく、その警備員がいま避難場所に降りる小さな階段の脇に壁を背にして座り込んでいた。
「これ食って元気が出たら下の空中庭園に降りてくれ。オレのばあちゃんと亮平さんがうまいもの作っているからさ、飛鳥って子を手伝ってみんなに配ってくれよ」
一悟が持参した菓子を警備員に食べさせている間に、翔たちは緊急避難場所に出た。
「オレ、ここから空丸を飛ばして、上の様子を探らせてみる。たのんだぜ、空丸」
空丸がとびたって数秒後、ヘリポートで悲鳴が上がった。
「なんだ、上で何があった」
「……ヒダルが、弱った女の隔者を担ぎ上げたみたいだ」
翔は空丸から送られてきた思念を、言葉にして行成たちに伝えた。
「急ごう」
日那乃が一番にヘリポートへ向かう。
翔と真、一悟も階段を駆けあがる。
あとに悛と行成が続いた。
日那乃は階段に屋根がなくなったところで飛び立った。生駒山の側へ体を出し、そのまま大きく回って南へ。
女の体を持ち上げるヒダルと目があったが、非常階段から足音が響いてくるとヒダルは目をそちらへ向けた。
(……あ、投げた)
翔が空丸からサングラスを東へ投げ落とす黒い服のビジョンを受け取ったのは、ヘリポートまであと5段を残すところだった。
「是枝さん、西はしの真ん中あたりにいる黒服が憤怒者だ」
小声で真にターゲットの位置を知らせると、翔は一気に残りを駆け上がった。
「な、なんだ、お前たちは!」
翔と真は怒鳴るヒダルを無視した。
北回りで倒れている人々に声をかけていく。本当はまっすぐ憤怒者を捕まえにいきたいところだが、いたずらにおびえさせて身投げされては大変だ。
「こらー! スターを無視するな!」
「へっ、ずいぶんちんけなスターだな」
「な、なんだとう?」
ヒダルはものすごい勢いで首を東へ回した。
●
日暮れが迫っていた。
一悟は光る階段ゲートの間を通りぬけると、オレンジ色のラインを越えて丸で囲まれたHの文字の上に立った。
南端で女を持ち上げているヒダルを睨みつけながら、ハンバーガーにかぶりき、ストローからズズッと音をたててジュースを飲む。
「スターどころか(もぐもぐ)、せいぜい(もぐもぐ)豆電球だぜ」
「ええ、まったくです。その……時代遅れの衣装といい(ぱくっ)、スターというよりも(もぐもぐ)まるでピエロですわね」
悛も一悟の横で、持参した食べ物を口にしながらヒダルを野次る。
「お前がスターなら(ずずずっ)オレはサン、真っ赤に燃える太陽だ! お前の(がぶっ)、しょぼい(もぐもぐ)、光なんて(ごくり)、掻き消してやる」
「口にものを入れながらしゃべるな、行儀の悪い。お前たちのような無作法者にスターの魅力が分かってたまるか!」
(あらあら、まさか古妖にお説教されるなんて)
悛はくすりと笑った。
それを見たヒダルが、自分が笑われたのだと勘違いして怒り、体を激しく震わせた。
女――隔者が食いしばった歯の間から悲鳴のような呻き声を漏らした。
少し離れたところで四つん這いになっていた男が、ヒダルの足を掴もうと腕を上げた。
ヒダルの視線が斜め下へ動く。
日那乃は前へ腕を伸ばし、懸命にヒダルに向かって飛んだ。
「大きな夢を見ることは結構だ。だが……蹴落としてしか輝けないなら偽りの星でしかない」
行成は機を見て一悟と悛の間から飛び出ると、容赦のない言葉とともにつきだした薙刀でヒダルの右腕を切りつけた。
悛はヒダルの腕の傷口へ向けて植物の種を投げつけた。
たちまちのうちに種は発芽して鋭い棘を持つ蔦となり、古妖の腕を更に傷つける。
「お、おのれっ」
ヒダルが体を半転させた。
男の隔者が唸り声を上げ、ヒダルの腰に抱き着く。
バランスを崩してよろめいた拍子に腕が降られ、女が柵の外へ投げられた。
「だめっ!!」
日那乃は飛んできた女の体を、腕を広げて全身で受け止めた。女もろとも後ろへ押し返されたが踏ん張って、ビルの外壁を越させなかった。
女を抱き留めたままゆっくり六十階の屋根へ降りていく。
「天にスターはわしだけだ。お前も墜ちろ!」
ヒダルは男隔者の腕をあっさり腰からほどくと、男のベルトを掴んで持ち上げた。
「くそ、させるかっ」
一悟はハンバーガーを投げ捨てて走った。
柵に飛びつき、ギリギリのところで隔者の足を掴み取った。
「わしの邪魔をするな!」
寒気が一悟と男隔者、南側にいた人たちを襲う。
とたん、隔者たちは絶望的になるほど腹をすかせた。
直前まで食べ物を口にしていた一悟は空腹を感じず済んだが、それでもかなりのダメージを受けてしまった。
隔者の足首はまだ掴んでいたが、ずるり、体を戻すことができずに柵の外へずり落ちていく。
ヒダルが一悟の腰の上に肘を叩きつけた。
ぐえっ、と一悟がうめく。
「堪えろ、奥州!」
「いま助けます!」
行成が癒しの滴を、悛が樹の雫を飛ばす。
ヒダルが振り返る。
「ヒダルの技にお前たちも魅せられるがよい!」
袖のそうめんもとい、フリンジを振り、力を奪う怪しげな波動を二人に向けて放った。
北側にいた人たちを非常階段から降ろし終えた翔と真は、西側で待つ人たちを置いて南へ向かった。
ヒダルの術に巻きこまれた人の顔が、暗がりにもどす黒くなっていくのが分かったからだ。
すぐ助けなくてはならなかった。
憤怒者の動向が気になるが、次にあの人たちがヒダルの攻撃を受けてしまったら……もう助けられないだろう。
一瞬だけ。
翔は柵にもたれかかる憤怒者へ目を向けると、手から持っていたロープの一端を離した。
先に結えた手錠の輪がコンクリの床に当たって小さく音をたてたが、戦いの音にまぎれてしまい、誰の耳にも届かなかった。
落とした本人の翔と、鋭聴力を活性化していた行成以外には。
「ひ……なの、こいつも頼……める、か」
下から日那乃が戻ってきた。
日那乃は60階の屋根にひとまず気絶した女隔者を横たえると、上で落ちかかっている男隔者を引き受けるべく急ぎ飛んできたのだ。
「任せて」
男隔者の脚に日那乃が抱きつく。
体を下へ引っ張っていた重みがなくなると同時に、一悟は男の足首を手離した。
●
「ちょっと待っててくださいネ」
リサは倒れていたバーの店員たちを椅子に座らせ終えると、カウンターの横からキッチンへ入った。割烹着を着て、てきぱきと調理の準備を進める。
「食材をお借りしますネ。あとで弁償しますカラ」
人助けのために使うのだし、使った分はファイブがきちんと補償をしてくれる。それでもやはり気がとがめるのか、リサはきちんと店員たちに断りを入れた。
(サア、作り始めまショウ)
長いバゲットを6等分して軽くトーストすると、ナイフを使って縦に切り開いた。バターと粒マスタードを塗り、チキンとレタスとソーセージ、トマトとゆで卵のスライスを手際よく挟んでいく。
ボリューム満点のバゲットサンドイッチができあがった。
「ラップで包んだほうがいいカシラ?」
「そのままでいいでしょう。光……いえ、リサさん。俺も手伝いますよ」
亮平だった。
調理台に二つに割れたサングラスを置く。
「ダメだったノ?」
「通じました。ただ……」
亮平はキャップ帽を脱ぐと、天井を見上げた。手を洗いながら、上で戦う仲間たちの姿を脳裏に浮かべて目を細らせる。
「ヒダルはかなり怒っているらしく、こちらの話がまったく聞こえていない様子でした」
サングラスでヒダルの動きを制御しようとしたが、逆に流れ込んできたヒダルの怒りに当てられて頭痛がしだした。
一度はファイブに持ち帰ることも考えたが、夢見からサングラスは付喪神、つまりは妖化したものと聞かされていたのでその場で壊すことにしたのだ。
亮平はリサのとなりに並ぶと、タイマーを入れてお湯が煮立つ寸胴鍋にパスタを投じた。棚に手を伸ばし、小皿を取って台の上に並べていく。フライパンに火を入れてから、食品貯蔵庫の扉を開けてオリーブオイルと鷹の爪を取りだした。
「ソウ……なら仕方がないわネ」
「ええ。鼎さんがすぐ運べるように、急いで軽食を作りましょう」
ニンニクを刻みだしてすぐ、どん、と鈍い音が上の隅から聞こえて来た。何が重いものが落ちたようだった。
しばらくすると飛鳥がエスカレーターを駆けおりてきた。
「大変なのよ! 女の人を抱えたひなのちゃんが、廊下の屋根に落ちたのよ!」
「アスカちゃん、ヒナノちゃんたちは無事なの?!」
飛鳥はこくりと頷いた。
「ひなのちゃんがまたヘリポートへ飛んでいくのが見えました。でも、女の人は一緒じゃなかったのよ」
「女をここまで降ろさず、屋根の上に置いて、あわてて戻ったってことか。……苦戦しているようだな」
飛鳥の話を聞きながら、亮平は茹であがったパスタをニンニクと鷹の爪を炒めたオイルの中へ落とした。
食欲を刺激するおいしそうな匂いがフライパンからキッチンにあふれ出し、天空庭園へと流れていった。
「アスカちゃん、バゲットサンドをみなさんにお配りして。阿久津さんはヘリポートへ行ってくださいナ。パスタはワタシが小皿に取り分けて運びますカラ」
リサは亮平の手からフライパンの柄を奪い取った。
「あすか、超特急ウサギさんデリバリーするのよ! 行ってくるのよ!」
飛鳥がバゲットサンドを山盛り乗せたトレーを持ってキッチンを飛び出していく。
「ホラ、阿久津さんも早く」
「はい。では、行ってきます」
●
「助けに来ました、私は『正義の味方』です」
ゆっくりと、憤怒者が顔を上げる。
女だった。
額にかかった長い髪を指で横へ流すと、女は細めた目で前に立つ真をにらみつけた。
真は気づかぬふりで膝を折り、わざと武器を床に置いた。
「ところで、今回の事件の加害者が、被害者に紛れているとの情報を、掴んでいるのですが」
真は憤怒者の心を感情探査で読み取っていた。
20年前。
落ちた隔者たちが得たばかりの力を、面白半分、興味半分で使ったために恋人を殺された女。覚者たちすべてに憎しみを向ける女――そう、自分に似ている。だから心の動きがよく分かる。
「あの古妖と同じ、サングラスを着けていた相手を、知りませんか?」
憤怒者は首を横へ振った。
「そうですか」
真は口だけで笑うと、カバンから食べ物を取りだすふりをして女に背を向けた。
少し離れた場所では、行成と悛が文字通り体を張ってヒダルから人々を守っている。何度も古妖に近づこうとしては転ばされているが、皮肉にもそれがヒダルの気を二人に引きつけていた。
一悟は日那乃に男隔者を預けたところだった。すぐに戦いに復帰するだろう。
あとは三人が戦っている間に、翔が南の一般人を安全なところへ連れて行けばいい。
――私は憤怒者を排除する。
女がジャケットの内からナイフを取りだし、真を刺そうとした。
対覚者用に特別に作られたナイフだ。切られれば覚者といえども深手を負う。
(つかまえた)
真はナイフを握った腕を捕ると手刀を振り上げた。
「成瀬!」
「わかってる!」
翔は仕掛けのロープを波打たせた。
先端に結えた手錠が跳ね上がり、憤怒者を討たんとする真の手首に当たってカチリとはまる。
翔はすかさずロープを引いた。
「殺ったらそいつらとおんなじだぞ!」
悛は憤怒者と真の間に駆け込んだ。憤怒者の手からナイフを叩き落とすと、女の体に腕を回して抱きつく。
「バカなことはやめて! 事情はどうあれ……ココに居るたくさんの命を、もう傷つけさせません!」
真はため息をついて立ち上がると、腕を下げて殺意がなくなったことを翔に知らせた。
顔を横向け、冷めきった声で囁くように憤怒者へ問いかける。
「私の両親は、ただの人だったのに、憤怒者に殺された。 私が覚者というだけで。貴方も、ソレと同類の、人殺しのクズなのですか?」
悛の肩の上で憤怒者が泣き声を上げた。
「おい! まだ終わってないぞ、最後まで気を抜くな!」
非常階段を上ってきた亮平が、天に小さな雨雲を呼び出してヒダルに雷を落とした。
行成が薙刀を振る。
最後に、一悟が炎をまとった拳をヒダルの腹へ叩き込んだ。
●
助けられた人々と覚者が集まって、空中庭園で立食パーティーが開かれた。
日那乃に上から降ろしてもらった隔者のカップルも、庭園の隅でペペロンチーノを食べている。逃げ出さないように、亮平が見張りについていた。
ふたりの片頬が腫れているのは、一悟の仕業だ。仲間の目を盗んで憤怒者を隔者たちの前へ連れて行き、ロープをほどいてやったのだ。思いっきりぶん殴ったら何もかも忘れてしまえ、と。
憤怒者を再び拘束した後で、翔と悛は一悟をしこたま叱りつけた。
その様子を、夜景を透かし写すガラスに背を預けて見つめる真。その心は複雑だ。手を下さずにすんでよかった。でも……。
ドリンクを乗せた盆を片手に、行成が真の前を横切って行く。
「リサさん、おにぎりを持ってどこへ行くのよ? あすかもご一緒していいですか?」
モチロン、と答えてリサは飛鳥とヘリポートへ上がった。
ハルカスはとても高いが、ヘリポートからヒダルが暮らしていた山は見えない。それでもリサは、山の方角に線香とおにぎりを置いて手を合わせた。
「星にはなれなかったけれど……迷わず山へお帰りくださいませネ」
飛鳥もリサの隣で手を合わせる。
「ヒダルさん、お星さまになれなくても……あすかは忘れないのよ」
大阪平野を覆う数多の人工的な明かり。
その上を流れ星が長い尾を煌めかせながら飛んで行く。
それは生駒の山を越えて東南の方角へ落ちていった。
『レヴナント』是枝 真(CL2001105)は、北向きの一面ガラスに指をついて、小さくなっていくビル群を凝視した。
階が上がるにつれて心の温度が下がっていく。
(……成すべき事は、ただひとつ)
エレベーターが止まった。16階だ。
ドアが開くと同時に不安に満ちた人々のざわめきが、出て行く覚者たちの替わりに入り込んできた。
男の怒鳴り声が聞こえる。
『わんぱく小僧』成瀬 翔(CL2000063)はドアを手で押さえて、中に一人残った真を待った。
「是枝さん、ドアが閉まっちゃうぜ?」
振り返った真の無表情な顔をみて、翔はなぜか心の底が騒ぎ立つのを感じた。
「……酔った?」
「まさか。景色に見とれていただけです」
翔の横を、指でメガネを押し上げながら真が通り過ぎる。
「行きましょう」
「う、うん……」
二人は美術館の前にとどまり続ける人々の間を抜け、展望台行のエレベーター乗り場へ向かって走り出した。
「あ! きたきた」
奥州 一悟(CL2000076)は二人の姿を見つけるなり、上げた手を大きく振った。
「何してたんだよ。行くぜ」
二人を先に入場ゲートへ通して走らせ、一悟は後から押し込む形でエレベーターに飛び込んだ。
「こっちのエレベーターは外が見られないんだな」
光が下に向かって流れ落ちる壁の演出見つめながら、阿久津 亮平(CL2000328)がつぶやく。
16階から60階まで、エレベーターはノンストップで引きあげられていた。
いまのうちに、と亮平は演武と清風を全員にかけた。
「あうう……ちょっぴり酔いそうなのよ」
胸に手をあててうつむいた『ゆるゆるふああ』鼎 飛鳥(CL2000093)に、新月・悛(CL2000132)が「大丈夫?」、と優しく声をかける。
「いま50階を過ぎました。あともう少しよ」
「そう言っている間に着いた」
ドアから一番に飛び出したのは『浅葱色の想い』志賀 行成(CL2000352) だ。
「……と、これはすごいな。さすがに高い」
ガラス一枚隔てて広がる天空の景色に足を止めて息を飲む。
「でも、まだ300メートルじゃない。ヘリポートはこっち」
桂木・日那乃(CL2000941)が行成の腕を引いて、エレベーターホールの右へ回りこんでいく。
「がんばってネ」
光邑 リサ(CL2000053) はドアの横で座り込んでいた女性スタッフを助け起こしながら、ヘリポートに向かう仲間を見送った。
亮平は天空回廊へ急いだ。
『投げ捨てられるサングラス』を目撃するために、最適な位置を探してガラス越しにヘリポートを見上げる。
(ここでよし)
エスカレーターから遠く離れず、ヘリポートのふちを視界に入れられるギリギリの場所で鷹の目を活性した。
「あすか、声をかけて回るのよ。リサおばあさんは下へ降りてお料理始めてくださいなのよ」
「エエ、そうさせてもらうワ。ア、そうそう。あのね、アスカちゃん。ワタシのことは気軽にリサって呼んで頂戴」
リサは、「阿久津さんもネ」と大きな声で呼びかけてから、天空庭園に向かった。
苦笑いする亮平の後ろを、飛鳥が廊下に座ったり、倒れたりしている一人一人に声をかけて回る。
「あすかと愉快な仲間たち推参なのよー! みなさまご安心召されよ。すぐにおいしい食べ物を運んでくるのよ。ちょっとのしんぼうでござるのよ」
時代劇がかったおかしな台詞を聞いて、亮平の笑みが大きくなっていく。さすがに不謹慎と思ったのか、亮平は襟首を引き上げると口元を隠した。
(……っと!)
300Mと描かれたヘリポートのふちの下で何かが動くのが見えた。
亮平が目を凝らすと、一羽の青い鳥、否、守護使役が空へ舞い上がっていくところだった。
●
非常階段の途中に緊急避難場所が設けられていた。
見るとガラスや網のようなものは張られていない。吹きさらしだ。
普段は勝手に人が避難場所へ出ないよう警備員が立っているらしく、その警備員がいま避難場所に降りる小さな階段の脇に壁を背にして座り込んでいた。
「これ食って元気が出たら下の空中庭園に降りてくれ。オレのばあちゃんと亮平さんがうまいもの作っているからさ、飛鳥って子を手伝ってみんなに配ってくれよ」
一悟が持参した菓子を警備員に食べさせている間に、翔たちは緊急避難場所に出た。
「オレ、ここから空丸を飛ばして、上の様子を探らせてみる。たのんだぜ、空丸」
空丸がとびたって数秒後、ヘリポートで悲鳴が上がった。
「なんだ、上で何があった」
「……ヒダルが、弱った女の隔者を担ぎ上げたみたいだ」
翔は空丸から送られてきた思念を、言葉にして行成たちに伝えた。
「急ごう」
日那乃が一番にヘリポートへ向かう。
翔と真、一悟も階段を駆けあがる。
あとに悛と行成が続いた。
日那乃は階段に屋根がなくなったところで飛び立った。生駒山の側へ体を出し、そのまま大きく回って南へ。
女の体を持ち上げるヒダルと目があったが、非常階段から足音が響いてくるとヒダルは目をそちらへ向けた。
(……あ、投げた)
翔が空丸からサングラスを東へ投げ落とす黒い服のビジョンを受け取ったのは、ヘリポートまであと5段を残すところだった。
「是枝さん、西はしの真ん中あたりにいる黒服が憤怒者だ」
小声で真にターゲットの位置を知らせると、翔は一気に残りを駆け上がった。
「な、なんだ、お前たちは!」
翔と真は怒鳴るヒダルを無視した。
北回りで倒れている人々に声をかけていく。本当はまっすぐ憤怒者を捕まえにいきたいところだが、いたずらにおびえさせて身投げされては大変だ。
「こらー! スターを無視するな!」
「へっ、ずいぶんちんけなスターだな」
「な、なんだとう?」
ヒダルはものすごい勢いで首を東へ回した。
●
日暮れが迫っていた。
一悟は光る階段ゲートの間を通りぬけると、オレンジ色のラインを越えて丸で囲まれたHの文字の上に立った。
南端で女を持ち上げているヒダルを睨みつけながら、ハンバーガーにかぶりき、ストローからズズッと音をたててジュースを飲む。
「スターどころか(もぐもぐ)、せいぜい(もぐもぐ)豆電球だぜ」
「ええ、まったくです。その……時代遅れの衣装といい(ぱくっ)、スターというよりも(もぐもぐ)まるでピエロですわね」
悛も一悟の横で、持参した食べ物を口にしながらヒダルを野次る。
「お前がスターなら(ずずずっ)オレはサン、真っ赤に燃える太陽だ! お前の(がぶっ)、しょぼい(もぐもぐ)、光なんて(ごくり)、掻き消してやる」
「口にものを入れながらしゃべるな、行儀の悪い。お前たちのような無作法者にスターの魅力が分かってたまるか!」
(あらあら、まさか古妖にお説教されるなんて)
悛はくすりと笑った。
それを見たヒダルが、自分が笑われたのだと勘違いして怒り、体を激しく震わせた。
女――隔者が食いしばった歯の間から悲鳴のような呻き声を漏らした。
少し離れたところで四つん這いになっていた男が、ヒダルの足を掴もうと腕を上げた。
ヒダルの視線が斜め下へ動く。
日那乃は前へ腕を伸ばし、懸命にヒダルに向かって飛んだ。
「大きな夢を見ることは結構だ。だが……蹴落としてしか輝けないなら偽りの星でしかない」
行成は機を見て一悟と悛の間から飛び出ると、容赦のない言葉とともにつきだした薙刀でヒダルの右腕を切りつけた。
悛はヒダルの腕の傷口へ向けて植物の種を投げつけた。
たちまちのうちに種は発芽して鋭い棘を持つ蔦となり、古妖の腕を更に傷つける。
「お、おのれっ」
ヒダルが体を半転させた。
男の隔者が唸り声を上げ、ヒダルの腰に抱き着く。
バランスを崩してよろめいた拍子に腕が降られ、女が柵の外へ投げられた。
「だめっ!!」
日那乃は飛んできた女の体を、腕を広げて全身で受け止めた。女もろとも後ろへ押し返されたが踏ん張って、ビルの外壁を越させなかった。
女を抱き留めたままゆっくり六十階の屋根へ降りていく。
「天にスターはわしだけだ。お前も墜ちろ!」
ヒダルは男隔者の腕をあっさり腰からほどくと、男のベルトを掴んで持ち上げた。
「くそ、させるかっ」
一悟はハンバーガーを投げ捨てて走った。
柵に飛びつき、ギリギリのところで隔者の足を掴み取った。
「わしの邪魔をするな!」
寒気が一悟と男隔者、南側にいた人たちを襲う。
とたん、隔者たちは絶望的になるほど腹をすかせた。
直前まで食べ物を口にしていた一悟は空腹を感じず済んだが、それでもかなりのダメージを受けてしまった。
隔者の足首はまだ掴んでいたが、ずるり、体を戻すことができずに柵の外へずり落ちていく。
ヒダルが一悟の腰の上に肘を叩きつけた。
ぐえっ、と一悟がうめく。
「堪えろ、奥州!」
「いま助けます!」
行成が癒しの滴を、悛が樹の雫を飛ばす。
ヒダルが振り返る。
「ヒダルの技にお前たちも魅せられるがよい!」
袖のそうめんもとい、フリンジを振り、力を奪う怪しげな波動を二人に向けて放った。
北側にいた人たちを非常階段から降ろし終えた翔と真は、西側で待つ人たちを置いて南へ向かった。
ヒダルの術に巻きこまれた人の顔が、暗がりにもどす黒くなっていくのが分かったからだ。
すぐ助けなくてはならなかった。
憤怒者の動向が気になるが、次にあの人たちがヒダルの攻撃を受けてしまったら……もう助けられないだろう。
一瞬だけ。
翔は柵にもたれかかる憤怒者へ目を向けると、手から持っていたロープの一端を離した。
先に結えた手錠の輪がコンクリの床に当たって小さく音をたてたが、戦いの音にまぎれてしまい、誰の耳にも届かなかった。
落とした本人の翔と、鋭聴力を活性化していた行成以外には。
「ひ……なの、こいつも頼……める、か」
下から日那乃が戻ってきた。
日那乃は60階の屋根にひとまず気絶した女隔者を横たえると、上で落ちかかっている男隔者を引き受けるべく急ぎ飛んできたのだ。
「任せて」
男隔者の脚に日那乃が抱きつく。
体を下へ引っ張っていた重みがなくなると同時に、一悟は男の足首を手離した。
●
「ちょっと待っててくださいネ」
リサは倒れていたバーの店員たちを椅子に座らせ終えると、カウンターの横からキッチンへ入った。割烹着を着て、てきぱきと調理の準備を進める。
「食材をお借りしますネ。あとで弁償しますカラ」
人助けのために使うのだし、使った分はファイブがきちんと補償をしてくれる。それでもやはり気がとがめるのか、リサはきちんと店員たちに断りを入れた。
(サア、作り始めまショウ)
長いバゲットを6等分して軽くトーストすると、ナイフを使って縦に切り開いた。バターと粒マスタードを塗り、チキンとレタスとソーセージ、トマトとゆで卵のスライスを手際よく挟んでいく。
ボリューム満点のバゲットサンドイッチができあがった。
「ラップで包んだほうがいいカシラ?」
「そのままでいいでしょう。光……いえ、リサさん。俺も手伝いますよ」
亮平だった。
調理台に二つに割れたサングラスを置く。
「ダメだったノ?」
「通じました。ただ……」
亮平はキャップ帽を脱ぐと、天井を見上げた。手を洗いながら、上で戦う仲間たちの姿を脳裏に浮かべて目を細らせる。
「ヒダルはかなり怒っているらしく、こちらの話がまったく聞こえていない様子でした」
サングラスでヒダルの動きを制御しようとしたが、逆に流れ込んできたヒダルの怒りに当てられて頭痛がしだした。
一度はファイブに持ち帰ることも考えたが、夢見からサングラスは付喪神、つまりは妖化したものと聞かされていたのでその場で壊すことにしたのだ。
亮平はリサのとなりに並ぶと、タイマーを入れてお湯が煮立つ寸胴鍋にパスタを投じた。棚に手を伸ばし、小皿を取って台の上に並べていく。フライパンに火を入れてから、食品貯蔵庫の扉を開けてオリーブオイルと鷹の爪を取りだした。
「ソウ……なら仕方がないわネ」
「ええ。鼎さんがすぐ運べるように、急いで軽食を作りましょう」
ニンニクを刻みだしてすぐ、どん、と鈍い音が上の隅から聞こえて来た。何が重いものが落ちたようだった。
しばらくすると飛鳥がエスカレーターを駆けおりてきた。
「大変なのよ! 女の人を抱えたひなのちゃんが、廊下の屋根に落ちたのよ!」
「アスカちゃん、ヒナノちゃんたちは無事なの?!」
飛鳥はこくりと頷いた。
「ひなのちゃんがまたヘリポートへ飛んでいくのが見えました。でも、女の人は一緒じゃなかったのよ」
「女をここまで降ろさず、屋根の上に置いて、あわてて戻ったってことか。……苦戦しているようだな」
飛鳥の話を聞きながら、亮平は茹であがったパスタをニンニクと鷹の爪を炒めたオイルの中へ落とした。
食欲を刺激するおいしそうな匂いがフライパンからキッチンにあふれ出し、天空庭園へと流れていった。
「アスカちゃん、バゲットサンドをみなさんにお配りして。阿久津さんはヘリポートへ行ってくださいナ。パスタはワタシが小皿に取り分けて運びますカラ」
リサは亮平の手からフライパンの柄を奪い取った。
「あすか、超特急ウサギさんデリバリーするのよ! 行ってくるのよ!」
飛鳥がバゲットサンドを山盛り乗せたトレーを持ってキッチンを飛び出していく。
「ホラ、阿久津さんも早く」
「はい。では、行ってきます」
●
「助けに来ました、私は『正義の味方』です」
ゆっくりと、憤怒者が顔を上げる。
女だった。
額にかかった長い髪を指で横へ流すと、女は細めた目で前に立つ真をにらみつけた。
真は気づかぬふりで膝を折り、わざと武器を床に置いた。
「ところで、今回の事件の加害者が、被害者に紛れているとの情報を、掴んでいるのですが」
真は憤怒者の心を感情探査で読み取っていた。
20年前。
落ちた隔者たちが得たばかりの力を、面白半分、興味半分で使ったために恋人を殺された女。覚者たちすべてに憎しみを向ける女――そう、自分に似ている。だから心の動きがよく分かる。
「あの古妖と同じ、サングラスを着けていた相手を、知りませんか?」
憤怒者は首を横へ振った。
「そうですか」
真は口だけで笑うと、カバンから食べ物を取りだすふりをして女に背を向けた。
少し離れた場所では、行成と悛が文字通り体を張ってヒダルから人々を守っている。何度も古妖に近づこうとしては転ばされているが、皮肉にもそれがヒダルの気を二人に引きつけていた。
一悟は日那乃に男隔者を預けたところだった。すぐに戦いに復帰するだろう。
あとは三人が戦っている間に、翔が南の一般人を安全なところへ連れて行けばいい。
――私は憤怒者を排除する。
女がジャケットの内からナイフを取りだし、真を刺そうとした。
対覚者用に特別に作られたナイフだ。切られれば覚者といえども深手を負う。
(つかまえた)
真はナイフを握った腕を捕ると手刀を振り上げた。
「成瀬!」
「わかってる!」
翔は仕掛けのロープを波打たせた。
先端に結えた手錠が跳ね上がり、憤怒者を討たんとする真の手首に当たってカチリとはまる。
翔はすかさずロープを引いた。
「殺ったらそいつらとおんなじだぞ!」
悛は憤怒者と真の間に駆け込んだ。憤怒者の手からナイフを叩き落とすと、女の体に腕を回して抱きつく。
「バカなことはやめて! 事情はどうあれ……ココに居るたくさんの命を、もう傷つけさせません!」
真はため息をついて立ち上がると、腕を下げて殺意がなくなったことを翔に知らせた。
顔を横向け、冷めきった声で囁くように憤怒者へ問いかける。
「私の両親は、ただの人だったのに、憤怒者に殺された。 私が覚者というだけで。貴方も、ソレと同類の、人殺しのクズなのですか?」
悛の肩の上で憤怒者が泣き声を上げた。
「おい! まだ終わってないぞ、最後まで気を抜くな!」
非常階段を上ってきた亮平が、天に小さな雨雲を呼び出してヒダルに雷を落とした。
行成が薙刀を振る。
最後に、一悟が炎をまとった拳をヒダルの腹へ叩き込んだ。
●
助けられた人々と覚者が集まって、空中庭園で立食パーティーが開かれた。
日那乃に上から降ろしてもらった隔者のカップルも、庭園の隅でペペロンチーノを食べている。逃げ出さないように、亮平が見張りについていた。
ふたりの片頬が腫れているのは、一悟の仕業だ。仲間の目を盗んで憤怒者を隔者たちの前へ連れて行き、ロープをほどいてやったのだ。思いっきりぶん殴ったら何もかも忘れてしまえ、と。
憤怒者を再び拘束した後で、翔と悛は一悟をしこたま叱りつけた。
その様子を、夜景を透かし写すガラスに背を預けて見つめる真。その心は複雑だ。手を下さずにすんでよかった。でも……。
ドリンクを乗せた盆を片手に、行成が真の前を横切って行く。
「リサさん、おにぎりを持ってどこへ行くのよ? あすかもご一緒していいですか?」
モチロン、と答えてリサは飛鳥とヘリポートへ上がった。
ハルカスはとても高いが、ヘリポートからヒダルが暮らしていた山は見えない。それでもリサは、山の方角に線香とおにぎりを置いて手を合わせた。
「星にはなれなかったけれど……迷わず山へお帰りくださいませネ」
飛鳥もリサの隣で手を合わせる。
「ヒダルさん、お星さまになれなくても……あすかは忘れないのよ」
大阪平野を覆う数多の人工的な明かり。
その上を流れ星が長い尾を煌めかせながら飛んで行く。
それは生駒の山を越えて東南の方角へ落ちていった。

■あとがき■
・一般人/死亡、重軽傷ともになし。
・憤怒者/AAAに引き渡し。保護観察処分になるようです。
・隔者のカップル/AAAに引き渡し。
大成功。
ひとりひとりが成すべきことをきちんと成して出た結果です。
チームプレイの勝利ですね。
掲示板での相談、頂いたプレイング内容。
ともに素晴らしいものでした。
ありがとうございました。
今回は、悲劇を未然に防いだ少年にMVPを送らせていただきます。
・憤怒者/AAAに引き渡し。保護観察処分になるようです。
・隔者のカップル/AAAに引き渡し。
大成功。
ひとりひとりが成すべきことをきちんと成して出た結果です。
チームプレイの勝利ですね。
掲示板での相談、頂いたプレイング内容。
ともに素晴らしいものでした。
ありがとうございました。
今回は、悲劇を未然に防いだ少年にMVPを送らせていただきます。
