燈無たぬき蕎麦
●江戸時代
夜中、提灯片手に男は空腹に苛まれながら江戸の町をうろついていた。
天下の大江戸なればこそ、夜道のどこかに屋台があるやもしれないと。
やがて何処からであろうものか、蕎麦の香りが漂ってくるではないか。辿ってみれば、其処にはもうもうと湯気の立つ蕎麦屋の屋台があったのである。
これは儲けものだ。男は、意気揚々と屋台を尋ねてみるが、不審なことに気づく。
屋台には行燈に火が灯されず、店主の影も形もない。だというのに、温かいたぬき蕎麦が置いてある。
あやしい。
ひもじい。
男は悩みこそしたが、銭さえ払えば黙って食べても店主は機嫌を損ねるまいと箸をつけた。
しゃーっと麺をすすり、ごくりごくりと喉を鳴らしてダシの効いたつゆを呑む。
素朴な蕎麦の味わいに、天かすの油っ気がまったりと舌に絡んでたまらない。これは空きっ腹に染み渡る。しまいにゃ男は無我夢中だ。
ああ、食いに食ったり。
心地腹持ち満ち足りて馳走になったと男は上機嫌で立ち去る際、こう旨いものを夜中に食えた感謝の念と、行燈もなくては誰も気づかないではないかと親切心から提灯から行燈へ火を分けてやることにした。
さぁ、これで心置きなく帰路につけると男が屋台に背を向けると、フッと夜風が舞った。
せっかく点けた行燈の火が消えてしまった。男の元へ蕎麦の薫りを届けたのも夜風ならば、行燈の火を消していたのも夜風の仕業だったのか。
ひとり合点した男はサッと火を点け、今度こそと去ろうとするものの、フッと行燈の火がまた消えるものだから三度つけ直すハメになってしまった。だのにすぐ消えた。
三度も点けてダメならば、何度やろうと同じだろうと男はあきらめ、帰ってしまう。
翌朝、蕎麦の満腹感もとうに失せたところで男は不安になってくる。昨夜のアレは、なにかあやかしに化かされてしまったのではないかと。
しばらく男は幾度か、凶事に見舞われた。その度、男は燈無蕎麦に気をつけろと説いたという。
●現代
夜中、音楽機器を片手に若者は空腹に苛まれながら街をうろついていた。
どこにでもある街なれど、夜道のどこかにコンビニがあるやもしれないと。
やがて何処からであろうものか、蕎麦の香りが漂ってくるではないか。辿ってみれば、其処にはもうもうと湯気の立つ蕎麦屋の屋台があったのである。
――が、店が暗い。準備中だろうか。
すぐそばに夜中でもあっかるいコンビニも立っていたので男はスルーして肉まんを買った。
熱々おいしい。肉まんサイコー!
おしまい。
●燈無 二八
古妖“燈無蕎麦”を名乗る白い割烹着の女将――たぬきの尾を生やした少女が泣いている。
燈無 二八(あかりなし にや)。
栗色の程長い髪にぴょっこり覗く、たぬき耳。愛嬌のある太眉に小生意気そうな口許が印象強い。
「てやんでえ! コンビニ爆発しろい!」
何千軒何万軒と爆破するのにダイナマイトが一体何万トン必要であることか。
別件の事件の帰り、たまたまFiVEの面々が商売敵のコンビニに立ち寄る流れになったところをすがりついてきたのがこの情けない古妖である。で、身の上話として先の怪談を聞かされた訳だ。えっへん自慢気に。
「――というか、たぬきそばって大正生まれだよね」
「な! お、オイラを担ごうってんじゃねえだろな!?」
「いや本当だってコレ」
「こちとら伊達に百年化けタヌキをやっちゃねえんだ! 物心ついた時から在ったはずでい!」
「いや大正だってソレ」
「て、てやんでえ!」
諸々ツッコミ倒され矢印が刺さりまくった二八は渋々と白状する。
「――じつはオイラは三代目なんさ。さっき手前らに語ってやった怪談は、二代目に教えられた初代目の物語って訳さ。初代目は本所七不思議にも数えられて、有名な絵師にそれはもう立派な浮世絵を描いてもらったりもしたもんさ。だのに、オイラの代にゃ落ちぶれる一方でやんの」
しょぼくれた二八は屋台の席で突っ伏して、憎きコンビニで買った贅沢シュークリームを食む。
「ああ、老舗でも何でもないくせに美味すぎて涙が出てくらぁ~」
「チェーン展開だかんね」
「燈無蕎麦の暖簾を、オイラの代で降ろすわけにゃあならねえ……けど、けどなぁ」
「凶事に見舞われる店じゃ潰れた方がよくないか?」
「バーロー! 人を驚かせ銭も貰いやするが、オイラの仕事はそこまでよ! 初代目の言うことにゃ、むしろ男に“凶事”が振りかかる度に陰ながら大事にならない程度にゃ助けてやってたくらいだってんだ」
「じゃあ“凶事”の風評被害をなんで自慢気に語る?」
「吉兆もたらす蕎麦屋なんぞと触れ回られた日にゃ、それこそ人を化かす手合いにゃ悪評だぜ」
――なんともややこしい。
「とかく久々の客にゃ違いねえ、せめて一杯食べてってくんな」
燈無 二八はパンと頬を叩くと、陽気に尻尾を振りながら蕎麦の支度をはじめた。
夜中、提灯片手に男は空腹に苛まれながら江戸の町をうろついていた。
天下の大江戸なればこそ、夜道のどこかに屋台があるやもしれないと。
やがて何処からであろうものか、蕎麦の香りが漂ってくるではないか。辿ってみれば、其処にはもうもうと湯気の立つ蕎麦屋の屋台があったのである。
これは儲けものだ。男は、意気揚々と屋台を尋ねてみるが、不審なことに気づく。
屋台には行燈に火が灯されず、店主の影も形もない。だというのに、温かいたぬき蕎麦が置いてある。
あやしい。
ひもじい。
男は悩みこそしたが、銭さえ払えば黙って食べても店主は機嫌を損ねるまいと箸をつけた。
しゃーっと麺をすすり、ごくりごくりと喉を鳴らしてダシの効いたつゆを呑む。
素朴な蕎麦の味わいに、天かすの油っ気がまったりと舌に絡んでたまらない。これは空きっ腹に染み渡る。しまいにゃ男は無我夢中だ。
ああ、食いに食ったり。
心地腹持ち満ち足りて馳走になったと男は上機嫌で立ち去る際、こう旨いものを夜中に食えた感謝の念と、行燈もなくては誰も気づかないではないかと親切心から提灯から行燈へ火を分けてやることにした。
さぁ、これで心置きなく帰路につけると男が屋台に背を向けると、フッと夜風が舞った。
せっかく点けた行燈の火が消えてしまった。男の元へ蕎麦の薫りを届けたのも夜風ならば、行燈の火を消していたのも夜風の仕業だったのか。
ひとり合点した男はサッと火を点け、今度こそと去ろうとするものの、フッと行燈の火がまた消えるものだから三度つけ直すハメになってしまった。だのにすぐ消えた。
三度も点けてダメならば、何度やろうと同じだろうと男はあきらめ、帰ってしまう。
翌朝、蕎麦の満腹感もとうに失せたところで男は不安になってくる。昨夜のアレは、なにかあやかしに化かされてしまったのではないかと。
しばらく男は幾度か、凶事に見舞われた。その度、男は燈無蕎麦に気をつけろと説いたという。
●現代
夜中、音楽機器を片手に若者は空腹に苛まれながら街をうろついていた。
どこにでもある街なれど、夜道のどこかにコンビニがあるやもしれないと。
やがて何処からであろうものか、蕎麦の香りが漂ってくるではないか。辿ってみれば、其処にはもうもうと湯気の立つ蕎麦屋の屋台があったのである。
――が、店が暗い。準備中だろうか。
すぐそばに夜中でもあっかるいコンビニも立っていたので男はスルーして肉まんを買った。
熱々おいしい。肉まんサイコー!
おしまい。
●燈無 二八
古妖“燈無蕎麦”を名乗る白い割烹着の女将――たぬきの尾を生やした少女が泣いている。
燈無 二八(あかりなし にや)。
栗色の程長い髪にぴょっこり覗く、たぬき耳。愛嬌のある太眉に小生意気そうな口許が印象強い。
「てやんでえ! コンビニ爆発しろい!」
何千軒何万軒と爆破するのにダイナマイトが一体何万トン必要であることか。
別件の事件の帰り、たまたまFiVEの面々が商売敵のコンビニに立ち寄る流れになったところをすがりついてきたのがこの情けない古妖である。で、身の上話として先の怪談を聞かされた訳だ。えっへん自慢気に。
「――というか、たぬきそばって大正生まれだよね」
「な! お、オイラを担ごうってんじゃねえだろな!?」
「いや本当だってコレ」
「こちとら伊達に百年化けタヌキをやっちゃねえんだ! 物心ついた時から在ったはずでい!」
「いや大正だってソレ」
「て、てやんでえ!」
諸々ツッコミ倒され矢印が刺さりまくった二八は渋々と白状する。
「――じつはオイラは三代目なんさ。さっき手前らに語ってやった怪談は、二代目に教えられた初代目の物語って訳さ。初代目は本所七不思議にも数えられて、有名な絵師にそれはもう立派な浮世絵を描いてもらったりもしたもんさ。だのに、オイラの代にゃ落ちぶれる一方でやんの」
しょぼくれた二八は屋台の席で突っ伏して、憎きコンビニで買った贅沢シュークリームを食む。
「ああ、老舗でも何でもないくせに美味すぎて涙が出てくらぁ~」
「チェーン展開だかんね」
「燈無蕎麦の暖簾を、オイラの代で降ろすわけにゃあならねえ……けど、けどなぁ」
「凶事に見舞われる店じゃ潰れた方がよくないか?」
「バーロー! 人を驚かせ銭も貰いやするが、オイラの仕事はそこまでよ! 初代目の言うことにゃ、むしろ男に“凶事”が振りかかる度に陰ながら大事にならない程度にゃ助けてやってたくらいだってんだ」
「じゃあ“凶事”の風評被害をなんで自慢気に語る?」
「吉兆もたらす蕎麦屋なんぞと触れ回られた日にゃ、それこそ人を化かす手合いにゃ悪評だぜ」
――なんともややこしい。
「とかく久々の客にゃ違いねえ、せめて一杯食べてってくんな」
燈無 二八はパンと頬を叩くと、陽気に尻尾を振りながら蕎麦の支度をはじめた。

■シナリオ詳細
■成功条件
1.蕎麦をすする
2.依頼主を元気づける
3.なし
2.依頼主を元気づける
3.なし
この依頼は非戦、日常系のまったりのんびりとした依頼となります。コメディ寄りかも。
ちなみに日時をまたいでも構いません。
●舞台
街中。近隣にコンビニが4軒もある屋台。
コンビニ激戦区の為、各チェーン系列店が屋台を囲むように建っている。
西『トラーソン』
南『スザクイレブン』
北『ゲンブマート』
東『ドラストップ』
●敵情報
いわゆる商売敵である。そば食べて帰るだけだったらあんまり関係ない。
むしろ敵情視察と称してお買い物してきてもいい。
・『トラーソン』
青縞のトラが目印のコンビニその1。
おにぎりや肉まんが美味しい。この店舗では生鮮品も売っている。
チケットの予約など色々できて便利。ついで買い需要が高い。
・『スザクイレブン』
赤いトリが目印のコンビニその2。
王道路線。美味しいプライベートブランドの絶品シュークリームを売ってる。
熱々のおでん等、ホット商品にも力を入れている。
・『ゲンブマート』
黒いカメが目印のコンビニその3。
アニメ関連グッズのコラボ商品に力を注いでいる。この店舗はパン屋併設店でもある。
ただいま『缶詰コレクション』景品くじ販売中。
特賞は北海蟹缶タカハシ、甘照鳥缶アマクサ、蒲焼魚缶メグロ等が当たる。
・『ドラストップ』
黄色いドラゴンが目印のコンビニその4。
ちょっと影が薄い。イートインコーナーがあり、買ったその場で食べやすい。
●依頼人
・古妖“燈無蕎麦” …個人名 燈無 二八(あかりなし にや)
江戸時代の浮世絵にも描かれる怪談『燈無蕎麦』の古妖。その三代目。
元の種族は化けタヌキ。なれど、今は燈無蕎麦という固有種族になっている。
燈無蕎麦としての在り方を捨てることは当人にとって種族が変わる程度の大事である。
現在は、初代目、二代目の残した“畏れ”と“銭”でどうにか食いつないでいる。
このまま行けば近い将来、ただの化けタヌキになるか、食いっぱぐれて消滅する。
人を化かして驚かしたり、畏れられたりすることをひとつの糧として生きている。
一方、ちゃっかり銭も要るらしい。
手打ちそばの味に自信はあり、値段も手打ちそばとしては格安である。
メニューはざるそば、かけそば、たぬきそばの三つのみ。
燈無蕎麦のこだわりとして決して照明をつけず、看板は出してるが暗くて見えない。
人前に姿を見せることはご法度ではないが、代々根が明るいのでうっかり喋ると怖さの欠片もなくなってしまうために姿を隠している。たぬきの正体がバレない為でもある。
依頼人だが、蕎麦を食べてってほしいとしか頼んでない。正規の依頼でもない。
二八が元気を出せれば、ひとまずの成功といえるだろう。
逆に二八をへこませたり、無茶して屋台を壊したりすると失敗扱いもありうる。
それ以上どうするかは貴方たち次第となる。
●仕事帰り
難易度:簡単に相当する、妖との戦闘を終えた帰りという開始状況です。
無傷ないし軽い手傷までのダメージやほどほどの軽い消耗を各自しております。
・妖『???』
なぜか全員の証言に食い違いがあったり、呼び名がバラバラだったりする謎の妖。
混乱させたり、正体を誤認させたりするタイプの妖だったらしい。
もうやっつけられた為、直接は依頼に関係しない。二八にとっては伝言ゲーム状態。
●備考
コメディ寄りの依頼でもありますので、多少そっち方面の覚悟をお願いします。
あくまでシリアスでありたい人はプレイングにその旨を記載おねがい致します。
以上です。
状態
完了
完了
報酬モルコイン
金:0枚 銀:0枚 銅:3枚
金:0枚 銀:0枚 銅:3枚
相談日数
8日
8日
参加費
100LP[+予約50LP]
100LP[+予約50LP]
参加人数
8/8
8/8
公開日
2016年05月04日
2016年05月04日
■メイン参加者 8人■

●
朧月。
霧や靄に霞んだ春の夜月の下を歩いてみてほしい。
それを頼りに歩もうにも、人の世は今や、商いの燈火に埋もれてしまっている。
わざわざ見上げねば、其処にいつも月が在るとは、当世、思い出せなくなりつつあるのだ。
●誘われて 甲
「……うう、寒っ」
両袖を繋げるように手をつっこみ、赤髪の少女は春の夜風に身を震わせていた。
『溶けない炎』鈴駆・ありす(CL2001269)は春の寒暖差を見誤って薄手の服装にした己を呪う
「風邪……?」
ぴとっ。額に触れる、手。
「冷ぴゃいっ!」
ありすのツインテが真上に跳ね上がるさまに釣られて驚き、金色のアホ毛も垂直にピンと立つ。
『二兎の救い手』明石 ミュエル(CL2000172)はモデル人形も羨む長身に白磁の肌を有する。
「ご、ごめんね」
「アタシのことは別にいいけど……大丈夫? フラフラにみえるけど」
「えへへ」
一行は皆、一仕事を終えて空腹に苛まれていた。とりわけ、ミュエルは深刻だ。時どき、戦闘前の緊張で食事を十分にとれず、終わった後でドッと空腹に襲われることがある。今日は妖について夢見の人がやたら饒舌に、血みどろに語ってみせたので余計にだ。
仕事の帰り道、一行は『すぐ食べたい』派のコンビニ組と『美味しく食べたい』派の外食組にわかれて行動していたのだが、深夜営業の本格的な外食店はそう都合よく見つからない。
納屋 タヱ子(CL2000019)は、そんな外食組の言い出しっぺ。ちなみにコンビニ組の言いだしっぺは「ちょうど良い店あるよ」と案内を買って出た『デウス・イン・マキナ』弓削 山吹(CL2001121)だ。記憶より記録を辿る主義で、土地勘ではなく地図持参で道案内できることは幸いだ。
『家族に外食の許可をいただいてきました。普段買い食いだとか、外食をしないので楽しみで――』
きらきら輝く蒼い双眸。その魔性、抗いがたし。
三つ編みの軽やかな躍動感たるや、タヱ子はただ一人、アルプスの美しき野山で仔山羊と戯れる少女のように快活だ。美術さんの描いたアルプスの書割までも輝いてみえる。
「このヤギでいいからこんがり丸焼きにしてがぶりたぁ~い」
『調停者』九段 笹雪(CL2000517)は眠たげな、据えた眼差しで書割のヤギを恨めしく見つめる。
「……ん?」
「この匂いは……」
ありすと笹雪は同時に異なることに気づく。ありすは書割をじと目で見つめて、人魂と掌に灯した炎で調べようとするが。
「一仕事した後の空腹に染みる、この醤油とかつお節の香ばしい薫り……なにこれメシテロ?」
「……あ、なんか、いいにおい……」
「和風出汁の薫り、でしょうか?」
夜風に乗って漂ってくる、なんとも言えない魅惑の薫りに誘われて笹雪、ミュエル、タヱ子は夜の街の細道へとふらりふらりと――。
●誘われて 乙
朧月。
月夜を見上げて酒の肴と洒落こむにはいささか明るいコンビニの軒先なれど、プシュッと爽快な音を伴って缶酒を開け、乾いた喉を焼き潤していく。
神幌 まきり(CL2000465)、『白い人』由比 久永(CL2000540)、『鴟梟』谷崎・結唯(CL2000305)の成年組三名はようやく仕事終わりを実感できたとばかりに酒を堪能する。
戦いの後の疲労感を濯ぐ、勝利の美酒よ。
落ち着いた大人の空気を纏った面々の集まりは一枚の画に描き残したいほどだ。
山吹の金色の瞳に映るのは、商品棚の品々だ。コンビニは便利だ。真冬に温かいモノを、真夏に冷たいモノをさぁ買ってくれと取り揃えている。どこでも、だれでも、いつでも買える。なのに、不思議とすぐに選べない。
ザ、ザザザ……。
記憶の砂嵐、ホワイトノイズが一瞬、走る。先天的記憶障害とされる山吹にとっては驚くこともない、よくある感覚だ。きっと、今この瞬間なにかが欠落した記憶の断片にアクセスを試みるきっかけになった。けれど今は捨て置くしかない。仮にわずかな記憶の欠片を拾えても、かじられ林檎の芯ほども空腹を満たせはしないのだから。
●板前サーカスの怪
蕎麦屋。
外食組とコンビニ組、一行は期せずして再会した
ただ、残念ながら屋台の席もそば打ちも一度にせいぜい五人まで。
「てやんでえ! 待たせて悪いがオイラは『挽きたて』『打ちたて』『茹でたて』の『三たて』だけはしっかり守ってやってんでい!」
やむなく“敵情視察”も兼ねて、笹雪、久永、まきりの三名は『ちょっとコンビニ行ってくる』とメカッこいい戦闘機でピューンと飛び立っていった。しかし目撃者は今のとこ店構えを確かめようと暖簾の外へ出た、ありすだけである。
「……うん、なんでミサイル弾幕フレア撒いて回避したりしてるのアイツら?」
ありすのアホ毛がピンと立つ。古妖アンテナ《同族把握》が“何か”に反応した証拠だ。
「やれやれ、アニメの見過ぎだな鈴駆」
「アニメじゃない、本当のことよ」
サングラスは湯気で少し曇っている。
谷崎・結唯は裏では情報屋『イデア』として活動する、半ば隔者同然の闇社会に生きる女だ。少々といわず酒気を帯びていても冷静沈着にして明晰な頭脳と確かな知識に揺らぎはない。
「ああ、今はこの焦れったい時間さえ愛おしいです」
慎ましく貞淑にタヱ子は出来上がりを注文したたぬき蕎麦を待ち侘びている。二八の一挙一動とて、手打ち蕎麦作り見学体験だ。懐中電灯の灯りを頼りに、薄明かりに目を凝らして集中、集中。
「注文は……かけそばで」
「あ、私はたぬきそば」
「へい!」
ミュエルと山吹は適度に相槌を打ったりして店主の二八とおはなしモードで割って入りづらい。
「そいで赤髪のお嬢ちゃんは何にしやす?」
「え? アタシは……ん、たぬきそばを頂こうかしら」
“うっかり”ミサイルの直撃を受け、爆散まきり機。四散する残骸が夜天の滓、天かすと化す。
「……たぬき、ね」
燈無 二八は化けタヌキ、もしや皆して化かされている? いや、結唯がとうに確認した。
『化けたぬきの蕎麦屋? 面妖な』
『こいつが店主か、ならば私を化かしてみろ』
双舞刀・絶影。刀鍔に指を掛け、結唯はサングラス越しに眼光という刃を二八の素っ首に宛がう。
『ただし、危害を加えるようなら――切り捨てるからな』
『て、てやんでえ! てやんでえ!』
恐怖のあまり、混乱して『てやんでえ』が『南無阿弥陀仏』と同義になりかける半人前の二八にそばを手打ちしながらド派手な化け術を披露する技量も度胸もありそうにない。
では、ありすのアホ毛が告げる“古妖”の正体とは?
●いただきます 甲
漆塗りの箸を手に納屋 タヱ子は一礼を捧げる。
「いただきます――」
終始、無言。
ふぅふぅと湯気を散らす息遣い、唇を掠めて啜られる蕎麦麺、天かすをサクッと食む微かな音、跳ねる赤褐色の雫、懐中電灯のほのかに暴かれる少女の細い白首――その喉が艶めかしく蠢く。醤油と鰹からなる関東出汁の薫りを孕んだ吐息は熱く、熱く、白に煙った。
「――ごちそうさま」
箸を置き、タヱ子は一礼にて終える。
見惚れた。燈無 二八は恋に落ちた――そう表現すれば過言である。が、強く心を奪われていた。
「おそば、美味しかったです」
なんてことない素朴な言葉に微熱を帯びた紅い微笑みを添えて、届ける。
運命の矢が二八を貫く。
「お……」
「お?」
きょとんと小首を傾げるタヱ子。いっそ保健所送りにして。
「オイラの姉御になってくだせえ!」
当惑するタヱ子の生足にすがりつき、二八は勢い任せに頬ずりで思慕を示す。
――キンッ。
結唯の剣閃が切り捨てたのは二八の前髪だ。
「ひやぁ!?」
「二度は言わない」
ビビって尻尾が膨らみっぱなしな二八の仕草にタヱ子もくすりと笑うのだった。
ゆったりとかけそばを堪能する、白磁の乙女。長い金髪を手でよける様はなんとも優雅だ。
「お蕎麦、すごく美味しい……」
ぴくんっ。ミュエルのつぶやきに二八の狸耳が敏感に反応する。基本、チョロいタヌキである。
「普段は、天ぷら蕎麦とかばかり頼みたくなるけど……。美味しいお蕎麦なら、シンプルに食べても満足感、あるんだね……」
「て、てやんでえオイラを褒め殺す気かバーロー!」
これがホントの『赤いたぬき』だ。
「ううん、本当に蕎麦の風味が素敵で……うちの蜂蜜ともきっと相性バ――」
「コンビニには真似できない、本物の味でしょこれは。待たされるけど」
「……うん、美味しい。お蕎麦は風味豊かだし、味もシンプルで分かりやすいし」
山吹とありすにまで褒められて、二八はデッレデレすぎて溶けたアイス(たぬき味)状態だ。
「ただ、美味しいは、美味しい、んだけど……」
ありすは熟考した上で。
「“たぬきそば”なんて、京都では言わないわよ? 京都では“たぬき”はあんかけの刻みお揚げさんのうどんよ? 百歩譲って大阪なら蕎麦だけど、あっちは甘きつねの蕎麦であってこっちの地方じゃ天かすは入れないの。お出汁もこれ鰹に濃口醤油よね。あと、こちらだと昆布に薄口醤油がスタンダードだわ。地方の風土に合わせた方が客の入りはいいんじゃないかしら?」
最後に『私は好きなんだけど』と結ぶものの、二八を現実に立ち戻らせるには事足りすぎた。
「うぐぅ」
「……そうだ、甘きつね蕎麦に蜂み」
その時だ。
“敵情視察”に赴いていた三者が帰ってきたのは。
●いただきます 乙
カウンターに置かれたのは酒、酒、酒。そんでもってコンビニスイーツ数知れず。
交代に席に座る、笹雪、久永、まきり。
「買い過ぎた感はあれども後悔なし! 和風スイーツと洒落こんでみたらし団子に抹茶パフェ、わらびもちもあんよ!」
「飲食店に食べ物を持ち込むのはマナーとしてどうなんでしょう……。たしかにこのお店にはお蕎麦しか置いてませんから、もう1品欲しくなりますけれど」
「納屋ちゃん、これ自分用兼二八ちゃんへの差し入れ用だからいーのいーの。暗くすんのは灯りだけにしょーよ、たまにゃお客と一緒に楽しもう!」
「へ、へい!」
「そいじゃー頼むよ、たぬきそば!」
あっかるい笹雪は気落ちしてた二八を元気づけ和ませる。流石、ササユキ・コヨースキー。
「本来会えぬ燈無蕎麦の店主と対面しながら蕎麦を食すとは……余は化かされている気分だな」
由比 久永は眉目秀麗なアルビノの少年という外観なれど、実年齢は大正生まれの二八と同世代。その美貌の隣に酒類を落ち物パズルの連鎖積み状態にした光景はさながら塔の酒のラプンツェルだ。
「味は太鼓判とみえるも“こんびに”は手強かろうなぁ、今の世ではわざわざ灯りの消えた店に入ろうとは思わぬだろう。この通り、品数豊富で24時間営業で酒もあるからなぁ~。うんうん、そなたも苦労するのぉ……ところで本当に酒はないか?」
「てやんでえ! 酔っぱらいを化かしたって翌日にゃ綺麗さっぱり酒の仕業にされちまうぜ!」
「ははは、ああ余もそなたを忘れんようにせぬとなぁ~」
「ところで……私達、何か忘れていませんか?」
神幌 まきり。
北海道産クールビューティはなぜか古典アニメ的な爆発ダメージを負っていた。美しい黒髪はところどころ毛先が縮れてカールし、頬は煤まみれ、ブラウスも絶妙に破けて残念エロスを織り成している。
「おかしい、皆さんと一緒にごく普通にコンビニに買物してきたのになぜ……?」
「さぁ、余には検討もつかぬ」
「あたしもさっぱり」
むっちゃ顔を背けてる笹雪、久永。撃墜王どっちでSHOW。
「ほいよ、お三方お待ちどうさま!」
たぬき蕎麦は待った甲斐あって絶品。
「わ、これは美味しいですねぇ」
そう、まきりの爆発パーマもズタボロのブラウスさえも一瞬で元通りのになるほどに。あまりの美味しさに「チポロも少し食べますか?」と守護使役にも分け与えようとゼリー玉に麺とツユを注いだ。結果は――神のみそしる。
「うどんは西、そばは東が美味しいと聞くけど……ぉぉ、おそば美味しい!」
ずぞぞ、ちゅるんっ。空きっ腹にこれは利く。笹雪、一心不乱。
「今までおそばで“普通”はあっても“美味しい”は初めての経験! つるつるいっちゃうね!」
ぐぐいのぷはーと完食も早い。
「ごちそうさまでした! いやぁ、これは今後とも頑張っていただきたいところだよ」
「うむ、さすがに屋台の味はこんびにでは出せぬし、こうやって話しながら食す方が余は好きだ」
「そいつぁーどうもありがとうございやす!」
●相談
さて、これよりは二八の今後を巡っての議論の行末だ。
第一案『場所かえたら?』。
まきり曰く、コンビニを離れて居酒屋通りで酔客を狙うべし。――と、まきりは天ぬき(天そばの蕎麦ぬき。今回は天かす+めんつゆ)を肴にカップ酒を呑みながら提唱した。はじめは説得力があった。酔客はひっかけやすい。が、まきりは酔客の“質の悪さ”を自ら実証する。
「ライバル店ですけど二八さんもどうです?」
と、スイーツを勧めるまではよかったものの、二八の『オイラ』『だぜ』口調と酒気が不運なことに性別誤認を招き、まきりの深き闇《ショタコン》が覚醒、惨劇を招くことに。
「あぁ、美味しかったです、ごちそうさまでした」
事後。二八は生クリームまみれですんすんすすり泣いていた。
第二案は『驚かすのやめたら?』作戦。
姉御ことタヱ子曰く、客を驚かすことはやめて普通に商いをすべしと。
「今は飲食店の評判を書き込むブログだとかもありますし、人が何よりびっくりするのは美味しさです。お店の過密地帯で商売繁盛して”銭”を稼ぐ事が何よりの“畏れ”になりますよ」
「で、ですけど姉御……すいやせん! そんだけオイラを買ってくれたのに申し訳ねぇが古妖ってのは“在り方”が守り通してこそなんでさぁ」
先代達に顔向けできないと二八は固く断る。タヱ子は優しく微笑する。
「いえ、大事なのは自分の信条です。私はただ、不思議と放っておけないなぁって。案外、私が前世で先代の燈無蕎麦さんに会ったのかもしれませんね」
第三案『灯りつけたら?』。
「こんなに美味しいし普通に営業すれば……。この見た目も、昔からの伝統、なんだっけ。現代なら、小さな提灯でも充分“不思議なお蕎麦屋さん”って雰囲気なんだけどなぁ……」
「灯りがないと準備中だと誤解されるし、タヌキだってバレても獣の因子だーでごまかせるよ」
ミュエル、山吹の提案を渋る二八を大きく揺さぶったのは久永の提案だ。
「“消えずの行灯”もそなたらの一種だろう?」
「そ、そいつぁ!」
二八は面食らい、久永の博識ぶりとトンチの効き方に感服した。伊達に最年長ではない。
「じつぁー“消えずの行灯”と“燈無蕎麦”は表裏一体おんなじ初代目の仕業ってぇ言い伝えがございやす。オイラとしたことが灯台下暗し、久永の旦那の逆転の発想のおかげで思い出せやした。――今後は古妖“消えずの行灯”も名乗ります。世に広しといえど、忘却された古妖を“再興”させたお人はそう多くはねーてもんだぜ、久永の旦那」
第四案『口コミ広めたら?』。
「風情っていうのかな、こういう屋台、いいと思うんだけどな」
山吹曰く、『明かりのないそば屋』『凶事に見舞われる店』そこに現代でも話題性はある、と。
久永、ミュエルも賛同する。
「現代に“燈無蕎麦”を知らぬ者は多い。逆に噂が広まれば目新しさに来客が見込める。いつの世も人の好奇心は変わらぬからなぁ」
「FiVEの他の人や、一般人の、同級生にも、このお蕎麦屋さん……教えてあげよう、かな……」
「そゆこと。噂や情報って凄いよ。私も口コミ、広げてあげる。えと、歌川国輝さん、だっけ?」
夜闇に灯る、金色の燈火。
「なってあげるよ、電子の浮世絵師に」
●本所七不思議の怪
薄暮。
店じまいを済ませた二八は深く一礼して一行を見送ってくれた。
各々「美味しかった」「ごちそうさま」「がんばって」と平易なれど素直な言葉を贈る。
「それにしても“二八尺様”討伐が思わぬ出逢いに繋がりましたね」
「グロすぎて思い出せない……」
「そなた達なにをいってる? 余と共に肉マントヒヒを倒したではないか」
矛盾だらけの証言。
「……ホント、馬鹿ばっか」
鈴駆・ありすはあくびを噛みながら告げる。
「今回の依頼、まるっと化け狸のイタズラだったのよ。正体は掴めなかったけど」
「な、なんだってー!?」
一同に衝撃が走る中、笹雪は不敵に笑った。
「他の本所七不思議の多くは化け狸が正体、きっと困ってるお仲間に助け舟を送ろうとあたし達を大芝居に誘い込んだのね。ああ、これは一杯食わされたなぁ」
なれば最後を〆る言葉は、これ以外にあるまい。
『ごちそうさまでした』
●
ザ、ザザ……。
記憶の砂嵐、ホワイトノイズ。
たった一人、一行の中に“正体不明の敵の正体”を識ること《エネミースキャン》ができた者が居たことにお気づきだろうか。彼女は真実を知り、共犯者となって一行を常に誘導した。
彼女――弓削 山吹は独白する。
これは忘れてもいい記憶。けれど消したくない記録。
なにせ、黒幕がそうまでして正体を隠したのは“顔見知り”の九段 笹雪を恐れたからだ。
『べらんめえ! 独り立ちさせにゃあと死んだフリの狸寝入りまでしといて今更面ぁ見せれっか!』
すべては月並み、ありきたり。
なぜ手伝おうと決めたのか、その瞬間の記憶は欠落してる。
あるいは些末な代償行為であったのだろうか。
いや、ここはひとつ、この言葉を述べたいが為と仮定しようではないか。
美味しかったよ。また来るね。
朧月。
霧や靄に霞んだ春の夜月の下を歩いてみてほしい。
それを頼りに歩もうにも、人の世は今や、商いの燈火に埋もれてしまっている。
わざわざ見上げねば、其処にいつも月が在るとは、当世、思い出せなくなりつつあるのだ。
●誘われて 甲
「……うう、寒っ」
両袖を繋げるように手をつっこみ、赤髪の少女は春の夜風に身を震わせていた。
『溶けない炎』鈴駆・ありす(CL2001269)は春の寒暖差を見誤って薄手の服装にした己を呪う
「風邪……?」
ぴとっ。額に触れる、手。
「冷ぴゃいっ!」
ありすのツインテが真上に跳ね上がるさまに釣られて驚き、金色のアホ毛も垂直にピンと立つ。
『二兎の救い手』明石 ミュエル(CL2000172)はモデル人形も羨む長身に白磁の肌を有する。
「ご、ごめんね」
「アタシのことは別にいいけど……大丈夫? フラフラにみえるけど」
「えへへ」
一行は皆、一仕事を終えて空腹に苛まれていた。とりわけ、ミュエルは深刻だ。時どき、戦闘前の緊張で食事を十分にとれず、終わった後でドッと空腹に襲われることがある。今日は妖について夢見の人がやたら饒舌に、血みどろに語ってみせたので余計にだ。
仕事の帰り道、一行は『すぐ食べたい』派のコンビニ組と『美味しく食べたい』派の外食組にわかれて行動していたのだが、深夜営業の本格的な外食店はそう都合よく見つからない。
納屋 タヱ子(CL2000019)は、そんな外食組の言い出しっぺ。ちなみにコンビニ組の言いだしっぺは「ちょうど良い店あるよ」と案内を買って出た『デウス・イン・マキナ』弓削 山吹(CL2001121)だ。記憶より記録を辿る主義で、土地勘ではなく地図持参で道案内できることは幸いだ。
『家族に外食の許可をいただいてきました。普段買い食いだとか、外食をしないので楽しみで――』
きらきら輝く蒼い双眸。その魔性、抗いがたし。
三つ編みの軽やかな躍動感たるや、タヱ子はただ一人、アルプスの美しき野山で仔山羊と戯れる少女のように快活だ。美術さんの描いたアルプスの書割までも輝いてみえる。
「このヤギでいいからこんがり丸焼きにしてがぶりたぁ~い」
『調停者』九段 笹雪(CL2000517)は眠たげな、据えた眼差しで書割のヤギを恨めしく見つめる。
「……ん?」
「この匂いは……」
ありすと笹雪は同時に異なることに気づく。ありすは書割をじと目で見つめて、人魂と掌に灯した炎で調べようとするが。
「一仕事した後の空腹に染みる、この醤油とかつお節の香ばしい薫り……なにこれメシテロ?」
「……あ、なんか、いいにおい……」
「和風出汁の薫り、でしょうか?」
夜風に乗って漂ってくる、なんとも言えない魅惑の薫りに誘われて笹雪、ミュエル、タヱ子は夜の街の細道へとふらりふらりと――。
●誘われて 乙
朧月。
月夜を見上げて酒の肴と洒落こむにはいささか明るいコンビニの軒先なれど、プシュッと爽快な音を伴って缶酒を開け、乾いた喉を焼き潤していく。
神幌 まきり(CL2000465)、『白い人』由比 久永(CL2000540)、『鴟梟』谷崎・結唯(CL2000305)の成年組三名はようやく仕事終わりを実感できたとばかりに酒を堪能する。
戦いの後の疲労感を濯ぐ、勝利の美酒よ。
落ち着いた大人の空気を纏った面々の集まりは一枚の画に描き残したいほどだ。
山吹の金色の瞳に映るのは、商品棚の品々だ。コンビニは便利だ。真冬に温かいモノを、真夏に冷たいモノをさぁ買ってくれと取り揃えている。どこでも、だれでも、いつでも買える。なのに、不思議とすぐに選べない。
ザ、ザザザ……。
記憶の砂嵐、ホワイトノイズが一瞬、走る。先天的記憶障害とされる山吹にとっては驚くこともない、よくある感覚だ。きっと、今この瞬間なにかが欠落した記憶の断片にアクセスを試みるきっかけになった。けれど今は捨て置くしかない。仮にわずかな記憶の欠片を拾えても、かじられ林檎の芯ほども空腹を満たせはしないのだから。
●板前サーカスの怪
蕎麦屋。
外食組とコンビニ組、一行は期せずして再会した
ただ、残念ながら屋台の席もそば打ちも一度にせいぜい五人まで。
「てやんでえ! 待たせて悪いがオイラは『挽きたて』『打ちたて』『茹でたて』の『三たて』だけはしっかり守ってやってんでい!」
やむなく“敵情視察”も兼ねて、笹雪、久永、まきりの三名は『ちょっとコンビニ行ってくる』とメカッこいい戦闘機でピューンと飛び立っていった。しかし目撃者は今のとこ店構えを確かめようと暖簾の外へ出た、ありすだけである。
「……うん、なんでミサイル弾幕フレア撒いて回避したりしてるのアイツら?」
ありすのアホ毛がピンと立つ。古妖アンテナ《同族把握》が“何か”に反応した証拠だ。
「やれやれ、アニメの見過ぎだな鈴駆」
「アニメじゃない、本当のことよ」
サングラスは湯気で少し曇っている。
谷崎・結唯は裏では情報屋『イデア』として活動する、半ば隔者同然の闇社会に生きる女だ。少々といわず酒気を帯びていても冷静沈着にして明晰な頭脳と確かな知識に揺らぎはない。
「ああ、今はこの焦れったい時間さえ愛おしいです」
慎ましく貞淑にタヱ子は出来上がりを注文したたぬき蕎麦を待ち侘びている。二八の一挙一動とて、手打ち蕎麦作り見学体験だ。懐中電灯の灯りを頼りに、薄明かりに目を凝らして集中、集中。
「注文は……かけそばで」
「あ、私はたぬきそば」
「へい!」
ミュエルと山吹は適度に相槌を打ったりして店主の二八とおはなしモードで割って入りづらい。
「そいで赤髪のお嬢ちゃんは何にしやす?」
「え? アタシは……ん、たぬきそばを頂こうかしら」
“うっかり”ミサイルの直撃を受け、爆散まきり機。四散する残骸が夜天の滓、天かすと化す。
「……たぬき、ね」
燈無 二八は化けタヌキ、もしや皆して化かされている? いや、結唯がとうに確認した。
『化けたぬきの蕎麦屋? 面妖な』
『こいつが店主か、ならば私を化かしてみろ』
双舞刀・絶影。刀鍔に指を掛け、結唯はサングラス越しに眼光という刃を二八の素っ首に宛がう。
『ただし、危害を加えるようなら――切り捨てるからな』
『て、てやんでえ! てやんでえ!』
恐怖のあまり、混乱して『てやんでえ』が『南無阿弥陀仏』と同義になりかける半人前の二八にそばを手打ちしながらド派手な化け術を披露する技量も度胸もありそうにない。
では、ありすのアホ毛が告げる“古妖”の正体とは?
●いただきます 甲
漆塗りの箸を手に納屋 タヱ子は一礼を捧げる。
「いただきます――」
終始、無言。
ふぅふぅと湯気を散らす息遣い、唇を掠めて啜られる蕎麦麺、天かすをサクッと食む微かな音、跳ねる赤褐色の雫、懐中電灯のほのかに暴かれる少女の細い白首――その喉が艶めかしく蠢く。醤油と鰹からなる関東出汁の薫りを孕んだ吐息は熱く、熱く、白に煙った。
「――ごちそうさま」
箸を置き、タヱ子は一礼にて終える。
見惚れた。燈無 二八は恋に落ちた――そう表現すれば過言である。が、強く心を奪われていた。
「おそば、美味しかったです」
なんてことない素朴な言葉に微熱を帯びた紅い微笑みを添えて、届ける。
運命の矢が二八を貫く。
「お……」
「お?」
きょとんと小首を傾げるタヱ子。いっそ保健所送りにして。
「オイラの姉御になってくだせえ!」
当惑するタヱ子の生足にすがりつき、二八は勢い任せに頬ずりで思慕を示す。
――キンッ。
結唯の剣閃が切り捨てたのは二八の前髪だ。
「ひやぁ!?」
「二度は言わない」
ビビって尻尾が膨らみっぱなしな二八の仕草にタヱ子もくすりと笑うのだった。
ゆったりとかけそばを堪能する、白磁の乙女。長い金髪を手でよける様はなんとも優雅だ。
「お蕎麦、すごく美味しい……」
ぴくんっ。ミュエルのつぶやきに二八の狸耳が敏感に反応する。基本、チョロいタヌキである。
「普段は、天ぷら蕎麦とかばかり頼みたくなるけど……。美味しいお蕎麦なら、シンプルに食べても満足感、あるんだね……」
「て、てやんでえオイラを褒め殺す気かバーロー!」
これがホントの『赤いたぬき』だ。
「ううん、本当に蕎麦の風味が素敵で……うちの蜂蜜ともきっと相性バ――」
「コンビニには真似できない、本物の味でしょこれは。待たされるけど」
「……うん、美味しい。お蕎麦は風味豊かだし、味もシンプルで分かりやすいし」
山吹とありすにまで褒められて、二八はデッレデレすぎて溶けたアイス(たぬき味)状態だ。
「ただ、美味しいは、美味しい、んだけど……」
ありすは熟考した上で。
「“たぬきそば”なんて、京都では言わないわよ? 京都では“たぬき”はあんかけの刻みお揚げさんのうどんよ? 百歩譲って大阪なら蕎麦だけど、あっちは甘きつねの蕎麦であってこっちの地方じゃ天かすは入れないの。お出汁もこれ鰹に濃口醤油よね。あと、こちらだと昆布に薄口醤油がスタンダードだわ。地方の風土に合わせた方が客の入りはいいんじゃないかしら?」
最後に『私は好きなんだけど』と結ぶものの、二八を現実に立ち戻らせるには事足りすぎた。
「うぐぅ」
「……そうだ、甘きつね蕎麦に蜂み」
その時だ。
“敵情視察”に赴いていた三者が帰ってきたのは。
●いただきます 乙
カウンターに置かれたのは酒、酒、酒。そんでもってコンビニスイーツ数知れず。
交代に席に座る、笹雪、久永、まきり。
「買い過ぎた感はあれども後悔なし! 和風スイーツと洒落こんでみたらし団子に抹茶パフェ、わらびもちもあんよ!」
「飲食店に食べ物を持ち込むのはマナーとしてどうなんでしょう……。たしかにこのお店にはお蕎麦しか置いてませんから、もう1品欲しくなりますけれど」
「納屋ちゃん、これ自分用兼二八ちゃんへの差し入れ用だからいーのいーの。暗くすんのは灯りだけにしょーよ、たまにゃお客と一緒に楽しもう!」
「へ、へい!」
「そいじゃー頼むよ、たぬきそば!」
あっかるい笹雪は気落ちしてた二八を元気づけ和ませる。流石、ササユキ・コヨースキー。
「本来会えぬ燈無蕎麦の店主と対面しながら蕎麦を食すとは……余は化かされている気分だな」
由比 久永は眉目秀麗なアルビノの少年という外観なれど、実年齢は大正生まれの二八と同世代。その美貌の隣に酒類を落ち物パズルの連鎖積み状態にした光景はさながら塔の酒のラプンツェルだ。
「味は太鼓判とみえるも“こんびに”は手強かろうなぁ、今の世ではわざわざ灯りの消えた店に入ろうとは思わぬだろう。この通り、品数豊富で24時間営業で酒もあるからなぁ~。うんうん、そなたも苦労するのぉ……ところで本当に酒はないか?」
「てやんでえ! 酔っぱらいを化かしたって翌日にゃ綺麗さっぱり酒の仕業にされちまうぜ!」
「ははは、ああ余もそなたを忘れんようにせぬとなぁ~」
「ところで……私達、何か忘れていませんか?」
神幌 まきり。
北海道産クールビューティはなぜか古典アニメ的な爆発ダメージを負っていた。美しい黒髪はところどころ毛先が縮れてカールし、頬は煤まみれ、ブラウスも絶妙に破けて残念エロスを織り成している。
「おかしい、皆さんと一緒にごく普通にコンビニに買物してきたのになぜ……?」
「さぁ、余には検討もつかぬ」
「あたしもさっぱり」
むっちゃ顔を背けてる笹雪、久永。撃墜王どっちでSHOW。
「ほいよ、お三方お待ちどうさま!」
たぬき蕎麦は待った甲斐あって絶品。
「わ、これは美味しいですねぇ」
そう、まきりの爆発パーマもズタボロのブラウスさえも一瞬で元通りのになるほどに。あまりの美味しさに「チポロも少し食べますか?」と守護使役にも分け与えようとゼリー玉に麺とツユを注いだ。結果は――神のみそしる。
「うどんは西、そばは東が美味しいと聞くけど……ぉぉ、おそば美味しい!」
ずぞぞ、ちゅるんっ。空きっ腹にこれは利く。笹雪、一心不乱。
「今までおそばで“普通”はあっても“美味しい”は初めての経験! つるつるいっちゃうね!」
ぐぐいのぷはーと完食も早い。
「ごちそうさまでした! いやぁ、これは今後とも頑張っていただきたいところだよ」
「うむ、さすがに屋台の味はこんびにでは出せぬし、こうやって話しながら食す方が余は好きだ」
「そいつぁーどうもありがとうございやす!」
●相談
さて、これよりは二八の今後を巡っての議論の行末だ。
第一案『場所かえたら?』。
まきり曰く、コンビニを離れて居酒屋通りで酔客を狙うべし。――と、まきりは天ぬき(天そばの蕎麦ぬき。今回は天かす+めんつゆ)を肴にカップ酒を呑みながら提唱した。はじめは説得力があった。酔客はひっかけやすい。が、まきりは酔客の“質の悪さ”を自ら実証する。
「ライバル店ですけど二八さんもどうです?」
と、スイーツを勧めるまではよかったものの、二八の『オイラ』『だぜ』口調と酒気が不運なことに性別誤認を招き、まきりの深き闇《ショタコン》が覚醒、惨劇を招くことに。
「あぁ、美味しかったです、ごちそうさまでした」
事後。二八は生クリームまみれですんすんすすり泣いていた。
第二案は『驚かすのやめたら?』作戦。
姉御ことタヱ子曰く、客を驚かすことはやめて普通に商いをすべしと。
「今は飲食店の評判を書き込むブログだとかもありますし、人が何よりびっくりするのは美味しさです。お店の過密地帯で商売繁盛して”銭”を稼ぐ事が何よりの“畏れ”になりますよ」
「で、ですけど姉御……すいやせん! そんだけオイラを買ってくれたのに申し訳ねぇが古妖ってのは“在り方”が守り通してこそなんでさぁ」
先代達に顔向けできないと二八は固く断る。タヱ子は優しく微笑する。
「いえ、大事なのは自分の信条です。私はただ、不思議と放っておけないなぁって。案外、私が前世で先代の燈無蕎麦さんに会ったのかもしれませんね」
第三案『灯りつけたら?』。
「こんなに美味しいし普通に営業すれば……。この見た目も、昔からの伝統、なんだっけ。現代なら、小さな提灯でも充分“不思議なお蕎麦屋さん”って雰囲気なんだけどなぁ……」
「灯りがないと準備中だと誤解されるし、タヌキだってバレても獣の因子だーでごまかせるよ」
ミュエル、山吹の提案を渋る二八を大きく揺さぶったのは久永の提案だ。
「“消えずの行灯”もそなたらの一種だろう?」
「そ、そいつぁ!」
二八は面食らい、久永の博識ぶりとトンチの効き方に感服した。伊達に最年長ではない。
「じつぁー“消えずの行灯”と“燈無蕎麦”は表裏一体おんなじ初代目の仕業ってぇ言い伝えがございやす。オイラとしたことが灯台下暗し、久永の旦那の逆転の発想のおかげで思い出せやした。――今後は古妖“消えずの行灯”も名乗ります。世に広しといえど、忘却された古妖を“再興”させたお人はそう多くはねーてもんだぜ、久永の旦那」
第四案『口コミ広めたら?』。
「風情っていうのかな、こういう屋台、いいと思うんだけどな」
山吹曰く、『明かりのないそば屋』『凶事に見舞われる店』そこに現代でも話題性はある、と。
久永、ミュエルも賛同する。
「現代に“燈無蕎麦”を知らぬ者は多い。逆に噂が広まれば目新しさに来客が見込める。いつの世も人の好奇心は変わらぬからなぁ」
「FiVEの他の人や、一般人の、同級生にも、このお蕎麦屋さん……教えてあげよう、かな……」
「そゆこと。噂や情報って凄いよ。私も口コミ、広げてあげる。えと、歌川国輝さん、だっけ?」
夜闇に灯る、金色の燈火。
「なってあげるよ、電子の浮世絵師に」
●本所七不思議の怪
薄暮。
店じまいを済ませた二八は深く一礼して一行を見送ってくれた。
各々「美味しかった」「ごちそうさま」「がんばって」と平易なれど素直な言葉を贈る。
「それにしても“二八尺様”討伐が思わぬ出逢いに繋がりましたね」
「グロすぎて思い出せない……」
「そなた達なにをいってる? 余と共に肉マントヒヒを倒したではないか」
矛盾だらけの証言。
「……ホント、馬鹿ばっか」
鈴駆・ありすはあくびを噛みながら告げる。
「今回の依頼、まるっと化け狸のイタズラだったのよ。正体は掴めなかったけど」
「な、なんだってー!?」
一同に衝撃が走る中、笹雪は不敵に笑った。
「他の本所七不思議の多くは化け狸が正体、きっと困ってるお仲間に助け舟を送ろうとあたし達を大芝居に誘い込んだのね。ああ、これは一杯食わされたなぁ」
なれば最後を〆る言葉は、これ以外にあるまい。
『ごちそうさまでした』
●
ザ、ザザ……。
記憶の砂嵐、ホワイトノイズ。
たった一人、一行の中に“正体不明の敵の正体”を識ること《エネミースキャン》ができた者が居たことにお気づきだろうか。彼女は真実を知り、共犯者となって一行を常に誘導した。
彼女――弓削 山吹は独白する。
これは忘れてもいい記憶。けれど消したくない記録。
なにせ、黒幕がそうまでして正体を隠したのは“顔見知り”の九段 笹雪を恐れたからだ。
『べらんめえ! 独り立ちさせにゃあと死んだフリの狸寝入りまでしといて今更面ぁ見せれっか!』
すべては月並み、ありきたり。
なぜ手伝おうと決めたのか、その瞬間の記憶は欠落してる。
あるいは些末な代償行為であったのだろうか。
いや、ここはひとつ、この言葉を述べたいが為と仮定しようではないか。
美味しかったよ。また来るね。
■シナリオ結果■
成功
■詳細■
MVP
なし
軽傷
なし
重傷
なし
死亡
なし
称号付与
なし
特殊成果
なし

■あとがき■
依頼達成ありがとうございやす! と依頼者の二八ちゃんに代わってまずはお礼を。
リプレイの完成を喜んでテンション上がって廊下を右往左往してたら割れた食器入りのビニールにカカトぶつけてバンソーコ貼るハメになったカモメのジョナサンです。
今回は元々の遅筆に運悪く震災も重なってしまい、皆さまの元をお待たせしてしまいました。すみません。
お久しぶりの方も初めましての方も、頼りないSTではございますが今後ともよろしくおねがいします。
リプレイの完成を喜んでテンション上がって廊下を右往左往してたら割れた食器入りのビニールにカカトぶつけてバンソーコ貼るハメになったカモメのジョナサンです。
今回は元々の遅筆に運悪く震災も重なってしまい、皆さまの元をお待たせしてしまいました。すみません。
お久しぶりの方も初めましての方も、頼りないSTではございますが今後ともよろしくおねがいします。
